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2006年6月17日 (土)

庶民の苦しい受験事情

 高校の同窓会新聞が送られてきた。卒業生の進路状況を見て、思わずため息が出る。

 地方の県立高校とあって、元々国公立大指向だったのが(ちなみにわたしは私大出身)、これまでになく強まっている。

 難関国立大、有名私大合格者が減り(受験自体を差し控えたのだろう)、その人数がそっくり近場で中堅どころの国公立大に移動したといった感じがある。

 親の苦しい台所事情、危うい政治状況が反映されているとしか思えない。

 進路指導主事はわたしと同学年だった男性で、校長先生は2年生のときに担任だった。彼らの苦労が想像できる。

 校長先生の写真を見ると、ハンサムだった顔をそのまま萎ませたかのよう……。が先生が新聞に書いていることは、昔と変らず若々しい。先生は書いている(勝手な引用ごめんなさい)。

「しっかり頑張らんといかん、知・徳・体を備えた当たり前のことが当たり前にできる生徒を育てるという当たり前の教育活動をせんといかん、『来て良かった学校、やって良かった学校、勤めてよかった学校』にせんとこの環境が泣くだろう」

「たった一人の自分がたった一回生きてそれでおしまいという単純明快な事実があります。だからこそ、生き甲斐のある人生を送って欲しいし、なりたい自分の実現に向かって努力して欲しいと思うのです」

「盥(たらい)と一緒に赤ん坊まで流してしまった感のある現代の風潮の中で、『親孝行』も『恩返し』も死語にまでは至らずとも半死半生語にはなってしまったのではないか……(略)人生は基本的に自分で切り拓いていくわけですが、同時に数え切れないほど多くの人たちに支えられてもいる……」

「学校は今、本当の意味で不易の部分と流行の部分とを見分ける眼を持つことが求められています」

「『燃える者のみが燃える生徒を創ることができる』という言葉を全職員で共有し頑張ろうと思います」

 この先生には現代国語と古文を習った。いつか作家になったら手紙を出そうと思いながら、意を遂げられぬまま、そのままになっていた。同人誌が出たら、先生にお送りしようと思う。

 それというのも、中学時代の恩師(1、3年次の担任で、地理と国語を習った)にやはり作家になったら会いに行こうと思っているうちに死なれた苦い経験があるからだ。校長在職半ばでの死だった。この先生については、このブログでまた書くことがあるだろう。

 この2人の先生の影響は大きい。何しろ文芸創作に直に影響する国語を習ったのだ。その人生哲学から受けた影響も半端ではなかった。尤も、現在のわたしがそれを生かしきれているとはとてもいえないけれど。

 どちらもハンサムで、人間味に溢れ、清新の気に満ち、それでいて苦悩型・思索型でもあり、大好きだった。どちらも水瓶座だ。

 ところで、今度同人誌に掲載されるわたしの小説は、庶民の苦しい受験事情を台風被害に絡めて克明に描いた作品だ。そしてその全体を大自然の息吹で抱擁させた(つもりの作品)。

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