ゴッホ①「ゴッホの絵、パンのオブジェ」
タンシェン・ジャパンから出た『ゴッホ全油彩画』についてまとまったものを書きたいと思いましたが、すぐには無理なので、書きたいときにその都度、断片的ながら書いていきたいと思います。
『ゴッホ全油彩画』は、ゴッホの871作品が収録されたもので、値段は税込みでたったの6,195円でした。ゴッホの油彩すべてが収められているのにですよ。その点からすれば恐ろしく安いと思いましたが、5,000円以上の出費というただその点からすれば、わたしにとっては――我が家の家計からすれば――どうしようかな、と迷う値段ではありました。
ジュンク堂の棚にあるのを見ながら迷う日々が続いたのは、安価な画集は色彩がよくないのではないかと思ったこととゴッホが特別好きではない――嫌いではない――ということがあったからでした。ビニール袋に入れられ封をされていたため、中を確かめることはできませんでした。
真夏の暑苦しさが伝わってきそうな『向日葵』、メニエール病のあるわたしには観ているだけで眩暈がしてきそうな『星月夜』、不穏な気配が漂う『夜のカフェ』、不吉な絵としかいいようがない「烏のいる麦畑』……。ゴーガンとの確執、耳斬り事件……。うっかり近づこうものなら情熱というより狂気に呑まれそうな恐ろしさがありました。
そんなゴッホのイメージがほんの少し変ったのは、昨年の初春、上野にある国立西洋美術館に出かけたときのことでした。2月の終わりに、娘と東京に遊びに出かけたのです。ホテルに3泊4日し、その日娘は町田市に住む高校時代の友人と横浜へ出かけました。
寒い日で、少し雪がちらついていました。前日までに東京メトロをフルに使ってあちこち出かけたせいか、地下と地上を繋ぐ沢山の階段の上り下りで膝を傷め、疲れも出てきていて、ホテルでゆっくりしようかとも考えたのですが、次にいつ上京できるかはわからない、もう二度と来ないことだってありうると思うと、やはり出かけずにはいられなくなりました。
その前に上京したときは、春の最中でした。新幹線から見る途中の野山の景色は、百花というにふさわしい沢山の花々が咲き乱れる華やいだものでした。それにも拘らず、わたしは新幹線の中で泣き続けていて、喪服を持参していました。神智学の先生が亡くなったのでした。
先生は女性で、しかも高齢でしたが、生涯わたしがあれほど胸をときめかせ、会いたいと思う人はまたとあるまいと思います。知的で、シックで、それでいて可愛らしい人でした。あれほどまでにオーラの美しい人にも、めったに会えないことでしょう。このときのこと、そしてその後に起きたことについては別に書きたいと思い、ブログの右サイドバー上で予告もしましたので、いずれまた。
東京には、何年も前から会いたいと思っていた従姉がいました。従姉はわたしが中学1年生のときに書いた処女作「太陽のかがやき」というたわいもない作品を読み、励ましてくれた人で、わたしにとってはミューズを空想させる人です。
彼女の娘が音大の作曲科を卒業し、その才能を惜しまれて教授から大学院進学を勧められましたが、経済的な事情からヤマハに就職しました。現在ピアノの講師をしていて幼い子供たちを教えており、そして作曲を続けているようです。交響曲を書くのが夢だとか。従姉がいうには、作曲家を目指すというのは、大変なことだそうです。作家を目指す以上に大変なことなのかもしれません。
何しろ音楽の世界は、お金が物をいう世界でもありますから。彼女は作曲家の卵、わたしは作家の卵。彼女は受賞歴があり、わたしは詩以外ではもう一歩のところで受賞歴がありませんが、同じ茨の道を歩いている旅の仲間です。
従姉の娘と話してみたいと思いましたが、前もって予定を知らせておくならともかく、いきなり電話するわけにもいかないでしょう(後に上京したことを話すと、従姉から、なぜ教えてくれなかったのかと叱られました)。
ホテルのタリーズコーヒーで昼食を済ませながら考え、上野に行こうと思いました。上野は、昔、動物園に行ったことしかありませんでした。寒くて手がかじかみ、オーバーが重く感じられ、美術館で沢山の暗い宗教画を観ているうちに狭心症の発作が起きました。
周囲に人がいなくて幸いでした。焦る手でバッグを開け、財布を取り出し、ニトロを捜しました。かかりつけのクリニックの看護師さんに、いざというときのためにニトロが入れられるような首にかけるロケット(ペンダント)を買いなさいといわれていましたが、返事だけして買っていませんでした。
ロケットを買っておけばよかったと後悔しました(後に本気でそんなロケットを探しましたが、ありませんでしたけれど。アルミ包装のまま2錠丸ごと入るロケットなんて……。外出時のニトロは相変わらず財布の中です)。ちょっとの動作が、うまくできません。それでも何とか捜しあて、ニトロを使って発作は治まりました。
本当にニトロが効くときというのは、まるでミントを含んだかのような清涼感が頭へ胸へ、腕の先へ……という具合に体全体にほとばしるのですが、このときは何とか胸痛が治まったという程度。あまり気分がすぐれず、帰ろうかな、と思いました。でもまたしても欲深な気持ちが起こり、いや、まだ半分も観ていない、せっかく来たのにもったいないと歩き始めました。
何て陰鬱な宗教画ばかりなんだろう――こんなときでなかったら興味深く観られたのだろうかと思いながら、続けて宗教画を観ていきました。画集で観て心惹かれていたクロード・モネの睡蓮の絵にもなぜか心が動きませんでした。モネすら暗い感じがする……。
ふと、緑色の中に白い星のようなものが浮かんだ一枚の絵が目にとまりました。きよらかな絵でした。そのときわたしが求めていたものを、清楚に備えた絵が目の前にありました。誰の絵だろうと思って見ると、ゴッホとあり、題名は「ばら」でした。
ゴッホはこんな絵も描くのだと意外さに打たれ、帰ったら図書館で画集を観てみようと思いながら、そのまま忘れていました。ジュンク堂の棚に彼の画集があるのを見たときに薔薇の絵を思い出して少し心が動きましたが、ゴッホもまれには上野の美術館で観た『ばら』のような絵を描くのだろうと思った程度で、どうしても購入したいという切実さには結びつきませんでした。
ところで、家族でときどき行くパンのレストランがあります。クルミ、抹茶、セサミ、レモン、オレンジ、玄米、黒糖、ヨモギ、ココア、といった材料を生地に混ぜた焼き立てのパンが選び放題、食べ放題。ちょっと小ぶりだけれど美味しいハンバーグにサラダが添えてある皿、それにスープかコーヒーがついて一人1,000円内で済みます。夕食を作りたくないときには、ありがたいお店です。ただそのレストランには一つの難点、というか痛ましい見物(みもの)があるのです。
それは、大皿にこんもりと盛られて台の上に置かれている沢山のパンのオブジェです。それらのパンには食べ物としての精気がなく、売り物には見えない。かといって、作り物にしては生々しい。不思議に思い、ある日訊いてみると、何とそれらはパンの死骸なのでした。死骸というと、よかれと思って飾っていらしたお店の人に悪いのですが、売れ残りのパンをオブジェとして置いているという話でした。
不思議なことに、黴などはパンの表面からは全くわかりません。パンを割れば、どうなのでしょう。パンのミイラといったほうがいいでしょうか。それらのパンのオブジェを見ていると、わたしには身につまされるものがあるのです。
なぜなら、それらは拙作……丹精した揚句、放置されたままの自分の作品を思い出させるからです。古い原稿がぎっしり詰まった箱を開けたとき、そこにはあのパンのオブジェが漂わせているものと同じものが漂っています。死んでしまっていると思え、ショックを覚えます。それでも一作一作読み始めると、作品に血が通い出し、やがておぼつかなく呼吸し始めるのがわかります。
ジュンク堂に出かけ、『ゴッホ全油彩画』を購入したのは、ある文学賞に応募したわたしの作品の落選がわかったすぐ後のことでした。落選のお祝い(?)に買おうと思ったのでした。生涯に1枚の絵しか売れなかったというゴッホの画集は、それにふさわしく思えました。
落選したあとはなぜか、11階のマンションのベランダから見下ろすはるか下の地面が、すぐそこに見えたりします。ひょいと手摺りをまたいで降りられそうな気がしたりするのです。わたしは高所恐怖症なのにですよ。別に取り立てて自殺しようなどとは思わないだけに、わたしにとっては空恐ろしく感じられる異常な状態です。この異常な感覚を正常な状態に戻すには、報われない人生を送った偉大な芸術家の作品に触れるのが一番です。
現在では名の通ったゴッホであっても、画家扱いされない人生を送ったのだし、激情家でもあったのだから、作品群にはむらがあるに違いない。彼の転変する心、息遣いの強弱を、絵の一枚一枚から読み取りたくなりました。案外パンのオブジェと同じものが多数見られるのではないか、とどこか嗜虐的に期待しました。
画集を求め、小動物を抱えるようにして家に持って帰り、本を覆っていたビニールを剥ぎ取りました。紙質は悪くなく、色彩は鮮明で、お買い得だったことはすぐにわかりました。『ゴッホ全油彩画』については、また別のエッセーで語ることにします。
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