百年前の子供たち
よく行くデパートで、フランス展があった。会場の一角にアンティークの店があり、そこで何気なく手にとった絵葉書に魅せられた。絵葉書には、子供たちを描いた絵を複製したものが使われている。
眺めていると、店の人がやってきて、それらの絵は百年くらい前に工房で製作されたものだろうという。「著作権もない時代のことで、名もない絵描きたちによって製作されたものでしょうね。大雑把に百年くらい前といいましたが、スカートの長さが絵によって違うでしょう? 描かれた時代が違うのだと思いますよ」
注意を促されて見ると、本当にそうだった。子供たちが属する社会的階級も、絵によって違っているように見える。店の人からは関西風とフランス風のミックスされた香りがしたので、不躾にも訊いてみると、京都に生まれ、パリに暮らしたことがあるのだそうだ。彼女の普段の暮らしは執筆に重点が置かれているという。本を何冊も出されているようだ。会話が弾んだ。買って帰った絵葉書を、飽かず眺めた。
絵に描かれた子供たちの世界に入り込みたいと思うほど、どの子供も黙々と遊んでいる。背中をつついて振り向かせたくなってしまう。子供たちが生きた時代を特定しようとして図書館から服飾史を2冊借りてきたものの、大人のトップモードを中心とした服飾史では心もとない。
スカート丈が靴を隠すくらいに長く、大きくふくらんだデザインのドレスを身につけて、お洒落に興じている少女たちがいる。そこは衣裳部屋だろうか。ドレスは華美な印象で、光沢があり、舞踏会を連想させる。色はドロップのような赤、オレンジ、菫、緑で、他の1人のドレスは白地に赤い花が散らしてある。赤が2人だから全員で6人なのだが、そのうちの3人までがヘアバンドをつけている。リボンのようにも見える。服飾史の本に、リボンのようなヘアバンドをつけた1908年代の女性を見つけたのだけれど、はたしてその頃の少女たちなのだろうか?
別の一枚。踏み台らしきものの上に人形を座らせて、小さな手には余る大きな挟みを手に、今しも人形の髪を切り取ろうとしている女の子。人形はすでに幾度か、散髪ごっこの犠牲になったようにも見える。頭の上半分が、削ぎ取られでもしたように平べったいのだ。赤いドレスを着た人形の首には、白い布が巻きつけられている。女の子はあずき色がかった薔薇色のふくらはぎまであるスモックを着ていて、下から紺色のスカートがのぞいている。頭には、スモックと同色の大きなリボン。
女の子の仕事を傍らからロウソクの光で照らし、助手役を務めているのは、女の子の弟だろうか? お姉ちゃんに叱られないように、真剣そのものの顔つきをして、ロウソクを捧げ持っている。お姉ちゃんと同じような、ふくらはぎまである水色のスモックを着ている。スモックの下には、裾にフリルをあしらった青い上着。その下にさらに黒い上着。水色の膝まであるズボン。白い襟元で、スカーフのようにも見える赤いリボンが結ばれている。
おや、ロウソク? とわたしは改めて思う。電気の歴史をたどると、古代ギリシアの哲学者タレスが静電気による引力を発見し、それから遠く隔たった18世紀になって、ベンジャミン・フランクリンは雷が電気であることを証明する。19世紀のエジソンを待って実用化への道を歩み始めるが、一般人が電気の恩恵を受けられるようになったのは、20世紀になってからだ。ちなみにエジソンは神智学協会の会員だった。
バルザックは1799年に生まれ、1850年に没したが、作品に出てくるのはロウソクとランプだ。これが1840年に生れて1902年に没したゾラの作品となると、もっぱらガス燈の登場となる。彼が描いた「ボヌール・デ・ダム百貨店」の絢爛豪華な百貨店の内部を煌々と照らし出しているのは、電燈ではなく、ガス燈なのだ。
夜は、今と比べると、はるかに暗かっただろう。危なっかしげにロウソク立てを持つ男の子のふっくらとした小さな両手は、ロウソク立ての重みに震えているようにも見える。落としてしまって、火事になるようなことはなかったのだろうか?
もっと沢山の人形たちと共に描かれた子供たちの絵葉書もある。そこに描かれた人形遊びの贅沢さといったらない。大人から子供、赤ん坊からペットに至るまで、そっくり揃っているのだ。存在感のある人形たちは、お茶のテーブルについている。
あでやかな帽子を被った、ふくよかな顔のマダムらしい人形。金髪をお河童にした男の子の人形。黒い巻き毛の男の子の人形。栗色の頭髪を七・三に分けた少年の人形。後ろ向きになっているマドモアゼルらしき人形。服を着た熊のぬいぐるみもお相伴らしく、両手を前に伸ばしたまま椅子に座わり、テーブルについている。赤ん坊の人形も、ベッドに寝たままで仲間入りさせられている。テーブルには、人形たちを接待するための白いテーブルクロスがきちんとかけられている。
傍らの台にキッチンの雛形があって、お茶の用意はそこで整えられるのだろう。調理器具と食器が揃っている。テーブルの上には本物そっくりの小さいコーヒー茶碗、人形たちで分け合うのに丁度いい大きさのチョコレートケーキが置かれている。ラクダ色の絨毯には、本物そっくりの小さな犬、象、犬にも猫にも見える動物がいる。子供たちは人形たちに、どんな会話を交わさせたのだろう?
この人形遊びの絵を見ていて連想させられるのは、アナトール・フランスの「少年少女」(三好達治訳、岩波文庫、1937年)所収、「カトリーヌのお客日」という小品だ。カトリーヌのおしゃまな、真剣なだけに滑稽味のある一人何役かの会話は、一読に値する。人形は毎晩青いローブを着て舞踏会に行くらしく、そこでお立派な方々と踊るのだそうだ。将軍たちや王子方やお菓子屋さんや……。
子供の会話の楽しさは、昔も今も、国が違っても変らないものだと思う。フランスは、「カトリーヌは他日、フランスの昔ながらの礼儀が花咲いた客間(サロン)」をもつことになるだろう」と締めくくっている。彼は1844年に生れて、1924年に没した。絵葉書に描かれたような子供たちとは、接点があったに違いない。
他にも学校ごっこをしている子供たち、海辺で遊んでいる子供たち、本物のひよこの中に玩具のひよこと復活祭の卵を混ぜて遊んでいる子供たちなど、買わずにいられなかった絵葉書が色々とあるのだが、こうしたブルジョア家庭の子供たちを描いた絵葉書がある中に一枚、もの哀しげな絵葉書がある。
長い棒を手に、ガチョウを追いたてている女の子の絵だ。女の子は、せいぜい幼稚園生ぐらいだろうか。女の子の向こうに板塀があるせいで、そのもっと向こうにどんな景色がひろがっているのかは想像するしかない。紫がかった山と樹木の黒ずんだ緑が見えている。女の子が歩いているのは、正真正銘の田舎道という感じだ。
もの哀しげに見えるのは、女の子が左手に本を持っているためかもしれない。うつむき加減に本を読む姿が、どうしても哀しげに見えてしまうのだ。まるで二宮金次郎みたいだが、本は聖書ではないだろうか。何かの罰として、読むことを強制されているのかもしれない。頭には、黄色い布を被っている。飾りも何もない膝まである服は、褪せたような茄子色をしている。
ガチョウは半ダース。真っ直ぐに前を見て、ヒレのある足を運んでいる。ネットで調べたところ、ガチョウの好物は干草、クローバー、青菜などの緑の草だそうだ。若鳥は丸ごとご馳走に、フォアグラ(肝臓)は高級食材として珍重され、羽毛は羽根布団の原料となる。女の子はガチョウたちを追い立てて、草を食べさせに行くところなのだろう。
この絵からは、マルグリット・オードゥーの「孤児マリー」(堀口大學訳、新潮文庫、昭和28年)を連想した。それは神々しいようなところのある作品なのだが、母を亡くし父に捨てられて修道院で育ったマリーは、やがて羊番という勤めの口をあてがわれる。意地の悪い院長は、そのことを告げるときに、こういうのだった。
「あんたは、家畜小屋の掃除をしなければならないが、臭いものですよ、それは。羊飼い女って、みんなうす汚い娘たちですよ」と。ガチョウ飼いの女の子はあるいは、農園を持つ家庭で普通に育っている子供かもしれない。だが、わたしはどうしても、いたいけな女の子がこんな風に本なんかを手にしているのが、ひっかかる。
オードゥーは1863年に生まれ、1937年に没した。天使のように清らかと謳われた彼女のつつましい家は、芸術家たちのオアシスだったという。「孤児マリー」が出たのは1910年のことだから、絵葉書がだいたい100年くらい前のものだとすると、このふたつが同じ時代背景を持っていたとしてもおかしくはない。100年前のわが国はというと、日露戦争が終わり、自然主義文学が興った年だった。
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