イングリット・フジ子・ヘミング(Ⅰ)
フジ子・ヘミングのピアノ・リサイタルは、素晴らしかった。あまりにも素晴らしいので、できるだけ印象を持ち帰りたいと思い、休憩時間にメモ帳を開いた。が、うまく書き取ることができない。何て無味乾燥なメモ。
ロビーに出ると、犬たちがいた。盲導犬だ。このリサイタルの主催がボランティアグループで、収益の一部が盲導犬協会に寄付されることになっていたのだった。イエローと黒のラブラドール・レトリーバーが6匹はいた。
触りたくなり、思わず撫でてしまった犬はイエローで、泰然としている。まるでフジ子みたいだと思った。でも、彼女はどちらかというと容貌や仕草が猫に似ている。猫を沢山飼ってきたせいだろうか。
犬の目を覗き込むと、遠くを見るような目つきをしている。もしかしたら、眠たかったのかもしれない。実際、リサイタルが終わってロビーに出ると、帰宅を待ちかねた犬たちがぐったりと前脚の上に頭をのせて目だけ動かしていたり、眠ってしまっていたりした。
休憩の間に、舞台の上では調律師が丁寧に音をチェックしていた。そこにはグランド・ピアノが一台、ぽつねんとあるだけだ。スタインウェイ・アンド・サンズ社の製品。世界で最も名高いスタインウェイのピアノなんて、昔の日本ではまずお目にかかれなかったのではないだろうか。さすがにいい音だと思った。ピアニストの腕だけでは、あれほどまでに透明感のある響きはつくり出せないに違いない。
昔のことを引き合いに出して恐縮するが、わたしがピアノ・リサイタルに出かけたのは随分前の話なのだ。年に1、2回音楽会に出かけることがあったとしても、管弦楽団と一緒だったりすると、ピアノやピアニストだけに注意を集中させたりはしない。今日の舞台はイエローのレトリーバーの毛色に似た色をしている。沙漠の色のようにも見える。そこに現われてピアノに辿り着くフジ子は、ピアノだけが生きるよすがみたいに見える。
双眼鏡を覗いていると、彼女はピアノを弾く前に、顔をそむけるようにして、困ったような、途方に暮れたような、はにかんだような、独特の表情を見せた。テレビのドキュメンタリー番組で観たときに印象に焼きついた表情だ。わたしが絵描きであれば、この顔を絶対に描こうとするだろう。
一旦弾き始めてからは、2、3曲ごとに小休止をとった。両手を膝にのせ、少しうつむいて意識を集中させようとする姿が、まるで祈っているようだった。そして、黙々と、ただひたすらに曲をこなしていくその姿は苦行者さながらだった。
わたしがチケットを買うとき、あまり席が残っていなかったのだが、売り場の人が鍵盤が見える席を教えてくれた。それで、席は後ろのほうだったにも拘らず、鍵盤も、足もよく見えた。
足は、初めは衣装のせいで見えにくかった。フジ子は髪に白い花飾りをし、着物のように見える紫の衣装をローブのように羽織り、スカートは黒いレース地のようなものを幾重にも重ねたものだった。休憩を挟んでからは、紫の衣装をゆったりと着ているのは同じだが(といっても別の衣装で、模様が違った)、下は黒いパンツだった。
今度は衣装に妨げられることなく、ペダルを踏む足が実によく見えた。何てすばらしい足、絶妙なペダル使いだったことだろう! 彼女がペダルを自家薬籠中の物にしていることが、ペダルに置かれた足の角度の美しさが物語っていた。さりげなくおかれた足。なめらかに踏み込まれ、そっと離されるペダル。ペダルが愛撫されているかのようだった。
肝心の指使いに関していえば、その奏法は指を寝かせて弾く弾き方で、ペダルの使い方と同じような、鍵盤を愛撫しているかのような弾き方だった。これは、中村紘子が日本のピアニズムに残存すると憂い命名した「ハイ・フィンガー奏法」とは、全く対照的な奏法なのだろう。ペダルの使い方は勿論、指の使い方と相関関係にある。
わたしが子供の頃にピアノを齧ったとき、2人目の先生から教わったのが「ハイ・フィンガー奏法」で、それも絶対的価値観といったていで教わった。それは、手を卵型にして指を一本一本振り上げ、上から鍵盤に叩きつけるような弾き方で、そんな弾き方をすると、音はのびず、響かず、表情がなくなる。ペダルも、音を強くしたり弱くしたり、引っ張ったり途切らせたり、といった狭く固定された域を出ない味もそっけもない使い方だった。尤も、ペダルの使い方にまでいかない初歩のうちにピアノをやめてしまったのだが。
カチカチと爪の音のするピアノの弾き方にわたしが何となく疑問を抱き始めた頃、ピアノの上手な生徒がクラスに転入してきた。彼女は聴いただけの曲も習った曲も、自分で自由自在にアレンジして弾いた。自分には考えられもしないそんな才能もさることながら、音の響きのあでやかさを耳にし、次いでその弾き方を見たときには愕然となった。
彼女は指を寝かせて弾いていたのだ。わたしが通っていたピアノ教室は、しばしば名のある音大に生徒を送り出し、権威をもって指を立てて弾く弾き方を教えていた。それからすると、転入生は間違った貧弱な弾き方をしているはずだった。しかしながら、あれほど多彩に音を響かせうる弾き方が間違っているとは、わたしにはどうしても思えなかったのだった。権威というものの愚かしさを、このときわたしは学んだ。
バッハの「インベンション」をゆっくりゆっくり一音一音、指を金槌のように振るって弾かされた鍛治屋の見習いさながらだった稽古の時間を思い出す。でも、なぜかバッハは嫌いにならなかった。どんなにゆっくりと弾いても、叩きつける弾きかたをしたとしても、バッハの曲には噛めば噛むほど味わいの出るパンのような尽きせぬ魅力があった。
フジ子には数々の不運があった。その最たる出来事は、ウィーンでのデビュー・リサイタルの直前に風邪をこじらせ、聴力を失ったことだろう(後に片耳だけ40パーセント回復)。だが、何よりも彼女は、ピアノの魅力を最大限に引き出す奏法を教わる幸運に恵まれた人であることは確かだ。彼女が日本で成長したことや時代背景を考えてみると、下手をすれば、間違った奏法を植えつけられていたとしてもおかしくはないからだ。あの中村紘子でさえ、留学先で奏法の改変を余儀なくされ、苦労したというのだから。
フジ子の場合はそれに加えて、というより、そもそも、といったほうがいいかもしれないが、肉体的な条件に恵まれているという第一の幸運がある。(続)
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