シモーヌ・ヴェイユ、マルグリット・デュラスに関する断章
バタイユをはじめとして、シモーヌ・ヴェイユと関わった多くの人々がいう彼女の極端さ。バタイユは書いている。彼女はいつも黒なのだ、と。服も髪も黒、顔色も黒ずんだ褐色なのだ、と。ヴェイユとは、大学時代からもう30年近いおつき合いだ。彼女の文章に接すると、いつも目の覚める想いがする。最初に出会ったのは、書店「リーブル」だったと思う。
書店で、「超自然的認識」(田辺保訳、勁草書房、1976年)を何気なく開いたとき、ごく淡くクリームがかった白い頁がきらきらと輝き、自分の体がいくらか宙に浮いた気がした。買って帰り、大学の女子寮の私室で、むさぼり読んだ。こんなものは、初めて読んだと思った。高校時代に、こんなものは初めて聴いたと思った音楽があったが、それは女性ロック・ボーカリスト、ジャニス・ジョプリンの歌声だった。入魂の文章であり、入魂の歌声なのだ。(※ジャニス・ジョプリンについては、また改めて書きたい)。
この年齢になったからなのか、多くの人々がいうヴェイユの極端さ自体青春の特徴であって、まさに彼女は青春の精みたいに思える。黒好みなところ(うちの息子も黒しか着ない……わたしはブルーしか着なかった)、詩のような哲学論文、ヒロイズム、生活臭のなさ、不摂生からくる不健康。ヴェイユの場合、勤勉のあまりの不摂生だが。
逆からいえば、亡くなったときは青春を過ぎた年齢だったはずなのに、青春から一歩も出なかったところに、彼女の限界があったようにも思える。フランスに留まることを望みながら素直に両親について行ったあたり、両親の庇護下にあるお嬢さんという印象なのだ。兵士として戦争に出かけたり、劣悪な環境下にある工場に入ったり、といったあのヒロイズムも(みずみずしい、気高いヒロイズムだが)、そのような自身の限界――脆弱――に気づいていてこそではあるまいか。
☆
マルグリット・デュラスの書くための苦悩。孫のように年齢の隔たった愛人というより盟友・助手であったヤン・アンドレアが書いた「マルグリット・デュラス 閉ざされた扉」「デュラス、あなたは本当に僕を愛したのですか」(河出書房新社)を読むと、空恐ろしくなる。
創作の世界に半ば取り込まれてしまっていて、この世に生きるための自分を常に獲得しなければならない彼女の孤軍奮闘ぶり。ヤン・アンドレアは、彼女に臨終の聖餐をさずけようとして傍に控え続ける司祭のようにも見える。
ヤン・アンドレアの支えなしでは、晩年の成果は得られなかっただろう。アンドレアは、彼女の中からやってきたともいえる。このアンドレアがまた彼女の創作世界に取り込まれてしまった人で、作者本人でもない人間が――何とまあ、ここまでも――このことは神秘以外の何物でもない。デュラスが彼を創造したかのようだ。
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