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2019年12月 9日 (月)

「100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達」を神秘主義エッセーブログにアップしました

「マダムNの神秘主義的エッセー」の「100」は当ブログの過去記事に加筆訂正したものです。

目次の 4 は全文加筆であるうえに、「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたあと、訂正しています。

 4 では、萬子媛の研究に自身の神秘主義的な考察を加える理由について書いています。

神秘主義的な考察を加えることで、この研究全体がトンデモ扱いされる可能性が高くなるだろうことは研究に入った段階から考慮済みでした。真実の追究ということに関しては、世間の扱いなどに構っていられないのです。

時代の趨勢に応じて、神秘主義に対する世間の反応は如何様にでも変化します。以下の引用をご覧ください。

58 神智学をさりげなく受容した知識人たち――カロッサ、ハッチ判事 ①ハンス・カロッサ(追記)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/06/27/064748

空疎な唯物論は、さいわいにして、ようやく没落し、今では神智学という立派な信頼すべき学問が存在している」(カロッサ、国松孝二訳『指導と信徒』岩波文庫 - 岩波書店、2012、pp.39-40)

ドイツの良心的な作家として知られるカロッサのこの言葉、また以下のエッセーで引用したH・P・ブラヴァツキー「ベールをとったイシス」に対する当時の報道機関の反応を読むと、現代とは神智学に対する扱いが相当異なっていることに気づかされます。

77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219

『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである」(H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、前書きにかえてp.2)

科学の進歩によって神秘主義理論の古いことが証明された――というわけではありません。戦後なぜか世界を席巻したマルクス系唯物主義の言論人が神秘主義の論文をろくに読みもせず、そういっているだけの話です。神秘主義が保管してきた膨大な知識は古びる性質のものではありません。

また、科学と神秘主義は対立するものではなく、このことはブラヴァツキーの次の言葉からも明らかです。神秘主義者が古代から続けてきたのは、科学的な探究です。

神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います。
H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、p.42)

スピリチュアル・ブームを惹き起こしたのは、マルクス系唯物主義者だとわたしは考えています。彼らは自分達に都合のよいところだけを神秘主義から盗って商業的に利用したり、神秘主義を貶めることで自分の株を上げようと学術を装って低レベルの論文を発表したりしています。

日本で大流行しているオーラ診断、前世療法などはその最たるもので、この二つは明らかにエドガー・ケーシーを真似ており、わたしの見る限りでは、そうしたものはインチキか危険かのどちらかです。

エドガー・ケーシーは善良であったとしても霊媒だったと考えられるので、それを真似るというのはちょっと考えただけでも危険なことですし、その危険を冒すメリットがあるとはわたしには全く思えません。

前置きが長くなりましたが、目次 4 とつながりのある 目次 3 から当ブログにアップしておきます。

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100 祐徳稲荷神社参詣記 (12)祐徳院における尼僧達:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/08/233845

目次

  1. 布施の記録
  2. 三十五日に供された精進料理
  3. 蘭契という名の僧侶
  4. 神秘主義者としての私見

 

3. 蘭契という名の僧侶

「蘭契」という名が女性的だな、とわたしは思った。果たして、この蘭契が他でも出てくる。「蘭契」という名が出てくるのは、宝永二年閏四月廿日(1705年6月11日)の日記*15である。

素人解読なので間違っているかもしれないが、大体次のようなことが書かれているのではないかと思う。

……佐賀の御親類方より勝屋伊右衛門まで、祐徳院様の御中陰は何日より何日まで御執行でしょうかとの問い合わせがあり、こちらに言ってよこされた。それについて、外記より蘭契まで伺ったところ、御中陰というのはなく、御葬礼が行われたことで、儀式は済みました。(略)尼達と相談して申し上げますが、殊に山中ということもありますので、御名代などを送って寄越すには及びません、伊右衛門よりそのようにお口添え下さるのがよいでしょう、とのこと。……

わたしの憶測でしかないが、蘭契という尼僧が萬子媛亡き後、代表者的、長的な役割を果たしたのではないだろうか。その代表者に、外記が問い合わせたと考えるのが自然だと思う。

その蘭契という人物が、祐徳博物館で伺った、萬子媛に仕えて岩本社に祀られたという尼僧かどうかはわからない。72 「祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)」を参照されたい。

前述したように萬子媛の葬礼は簡素だったようだ。五月十五日(1705年7月5日)の日記に記された三十五日についても、格峯(鍋島直孝、断橋)が恵達(慧達)、石柱を帯同して祐徳院に一泊し、御霊供膳と皆に振る舞う料理を用意させているが、目立った儀式はなかった模様だ。

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名(蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、𫀈要)。萬子媛がいらっしゃったときは総勢 18 名だったことになる。

萬子媛の小伝といってよい『祐徳開山瑞顔大師行業記』は、義理の息子・鍋島直條(鹿島藩第4代藩主)がまだ萬子媛が存命中の元禄17年(1704)――萬子媛が亡くなる一年前――に著述したものとされている。

郷土史家・迎昭典氏はわたし宛の私信で、「萬子媛についての最も古くて上質の資料は『祐徳開山瑞顔大師行業記』だろうと思います」とお書きになっている。

その『祐徳開山瑞顔大師行業記』*16には、萬子媛が尼十数輩を率いたとあるので、人数的には合う。

求道者らしいストイックな暮らしをなさっていたと想像できる祐徳院所属の尼僧達。五月十五日に料理を振る舞うことで、格峯は尼僧達をねぎらったのだろうか。

彼女達がその後どうなられたかが気になるところだ。

 

4. 神秘主義者としての私見

ところが、わたしは神秘主義者として知っている。

祐徳院のその後の歴史とは次元の異なる話になるが、江戸時代に亡くなった彼女達は、彼の世で萬子媛を長とするボランティア集団を形成し、中心的役割を果たしておられるのだ。カルマに障らないような、高度なボランティアを手がけておられることが窺える。

萬子媛は太陽さながら、豊麗なオーラを放射されるのだが、その光が如何にすばらしいものであったとしても、そのやりかたはわたしが神秘主義者として竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジで理論的に学び、また前世での男性僧侶としての修行や今生での独習から会得した技法と同じだと思う。

それは、この世でも彼の世でも通じるやりかたなのだとわかった。誰もができるやりかたのはずだ。この世の出来事に囚われ、その技法を磨くことを怠ってきたけれど、このことが確信できただけでも、わたしにとっては大きな進歩であった。

今、技法を磨くことを怠ってきたと書いたけれど、これは今生で三浦関造先生のような師に出会わなかったことから、意図的にそうしてきたことでもあった。

スピリチュアル・ブームの中で瞑想を含めた身体的技法、また前世療法などの神秘主義的観点からは黒魔術に属する催眠療法(ピプノセラピー)が商業的に拡散している。このような傾向はひじょうに危険なことであるので、避けるべきであるからだ。独習と書いたのも、前世で修行したきたことが自然に表れたことを、このように書いたまでである。

萬子媛に関する記述に神秘主義的な私見の混じることにご不快の向きもあろうかと思うが、如何に現代社会が唯物論的価値観で動いていようと、萬子媛の晩年が宗教の核たる神秘主義的体験を通して深められていったことは間違いない。

萬子媛の晩年の生きかたに迫るには、神秘主義者でなければ不可能だと考え、幸いにしてその感性と知識に恵まれたわたしであるから、あえて神秘主義的観点を支柱として考察してきたことをお断りしておきたい。

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2019年12月 5日 (木)

「99 祐徳稲荷神社参詣記 (11)二組の葬礼」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

「マダムNの神秘主義的エッセー」の「99」は当ブログの過去記事に加筆訂正したもので、これに続くノート「祐徳院における尼僧たち」も一緒に(11)に収録したいと思ったのですが、長くなりすぎるので、別にしました。

加筆訂正があるので、ここにも全文アップしておきます。

藩日記から引用しようと思った文章に、どうしてもわからない漢字があり、悶々としました。漢和辞典にも出ていないので、省略したものなのか。前日は変体仮名に悩まされ……老眼にこたえます。

田中保善先生の御本『泣き虫軍医物語』の紹介の続きや他の課題も残っています。年賀状の無料テンプレートも紹介したい。

還暦を挟んだ3年間ほどの間に本人が亡くなったり、実家のお母さまを亡くされた友人が多いこと。わたしにも何かと問題の多い3年間でした。年末になって健康問題にぶち当たるとはね。

日本も今後どうなっていくのやらと悲観的な気分に誘われますが、萬子媛のような方々が全国のあちこちで何だか頼りない我々を見守ってくださっているはず。それに応えられるでしょうか。

マダムNの神秘主義的エッセー」より

99 祐徳稲荷神社参詣記 (11)二組の葬礼:『鹿島藩日記 第二巻』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/12/05/164327

花山院萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。
祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。
萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。
1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。
1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。
朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。

目次

  • 神仏二本立てで醸成された雰囲気
  • 黄檗宗色の濃かった萬子媛の葬礼
  • 大がかりだった鍋島直條の葬礼


● 神仏二本立てで醸成された雰囲気

三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)を読むことによって、萬子媛が剃髪後も鹿島鍋島家から濃やかに見守られていたことがわかった。そこには考え抜かれた絶妙な距離感がある。

台風被害の記録では、倒木の一本に至るまで把握されていることに驚いた。罪を犯した者の記録もあったが、その者達は追放になったようだ。

引用からはわからないと思うが、藩全体に何か家族のような雰囲気があるように感じられるのが意外だった。台風で倒れた木、死んだ馬、盗まれた材木、打擲された下人……生きとし生けるものが、藩の大切な財産であると同時に、家族のようなもの、慈しまれるものでもあったのだ。

そのような雰囲気が交際などを通して、藩の外まで広がっているように感じられるのだ。いや、それはあるいは藩の内外から来るものであったのかもしれない。

その雰囲気には、拙神秘主義的感性の捉える萬子媛及び一緒に行動なさっている方々の雰囲気に似通ったものがある。

地上で喜怒哀楽のうちに暮らす人間を見守ってくださっている、家族的といってよいような慈愛に満ちた雰囲気が、確かに藩日記からも薫ってくるのである。

全国の神社には、このような見えざる奉仕者がどの程度の割合で存在するのだろう? 萬子媛のような無私の奉仕者を輩出するには、ストイックな修行を特徴とする仏教が有功だったに違いない。神仏二本立てで醸成されたこのような雰囲気が、日本の国柄を創ってきたのである。

● 黄檗宗色の濃かった萬子媛の葬礼

前置きが長くなったが、『鹿島藩日記 第二巻』によると、萬子媛(祐徳院)の葬礼は、宝永二年閏四月十四日(1705年6月5日)に執り行われた。

僧侶方――格峯(鍋島直孝、断橋和尚)、月岑和尚――のご意見により、「祐徳院様御事、御出家御同前ノ御事候ヘハ、」、つまり萬子媛に関する事柄は御出家同然の事柄なので、簡素に――「軽ク」と書かれている――執り行われた。

僧侶の方々が大勢お見えになった、黄檗宗色の濃い葬礼であったようだ。布施の額が記されている。

祐徳院様御葬礼、今日於津御庵相済申候、右に付、僧衆へ被下候布施、左ニ書載、

 白銀三枚   桂岩和尚
 同 壱枚   月岑和尚
 金子弐百疋  慧達
 同 弐百疋  石柱
 銀拾五匁宛  先玄 五州 絶玄 盤江 長霊 禹門 石応 万山 訥堂 蘭契 満堂 蔵山 亮澤 大拙 瑞山 
 銀拾匁宛   眠山 石林 観渓 英仲 梅点 旭山 仙倫 全貞 禅国
 銀五匁宛   智覚 𫀈要 *1

30名の僧侶方。匁[もんめ]は江戸時代における銀貨の重量単位。僧侶方にはまた、ニ汁六菜、あるいは一汁六菜の料理が出された。

日記には「御葬礼ニ付、御領中今日一日、殺生禁断申付候、」と記されている。

桂岩和尚というのは、桂巌禅師(桂巌明幢1627 - 1710)のことだろう。桂巌は萬子媛を黄檗宗に導いた義理の息子・断橋の師で、萬子媛はこの桂巌を授戒師として得度した。

● 大がかりだった鍋島直條の葬礼

鹿島四代藩主・鍋島直條の場合、五月十九日(1705年7月9日)が四十九日に当ったが、葬礼がまだだった。それでも、(葬礼より先に)普明寺・泰智寺で軽い四十九日の法事が執り行われたようだ。

五月二十日(1705年7月10日)の日記に、「今晩より来ル廿六日迄、殺生禁断、筋々相触候」と記されている。

直條の葬礼が二十二日(1705年7月12日)に普明寺で執り行われるのだが、前日の二十一日(1705年7月11日)の日記に、それにたずさわる者の名が15頁に渡って記されている。大がかりなものだった様子がわかる。萬子媛の簡素な葬礼と対照的である。

次に引用するのは「正統院(鍋島直條)様御葬礼、一通役者左ニ記載」からである。人名は割愛する。

都合頭人  銀穀役  料理方  筆者  御茶湯方  普明寺門番  施行幷放生気遣  方々より御名代衆  普明寺被罷越候節、近辺宿気遣、野菜・薪等迄、宿々へ指出候気遣  方々より之御名代取合  普明詰給仕  寺中無作法之儀無之様、気遣・掃除等、見計役、  御香奠請取役  法泉庵詰  通玄庵詰  御霊前堪忍  御霊供奉役  *2  

続いて、「御葬禮行烈(列)次第」からも引用しておこう。人名などは割愛する。

壱番 御卒馬/ 二番 沓箱/ 三番 御挾箱/ 四番 御鑓/ 五番 具足箱/ 六番 御臺笠/ 七番 御長柄/ 八番 御打物/ 九番 散花/ 十番 散米/ 十一番 大幡/ 十二番 鍬/ 十三番 挑灯/ 十四番 小幡 此間ニ大衆/ 十五番 御霊供/ 十六番 御菓子二盆/ 十七番 御茶/ 十八番 酒水/ 十九番 燭台二本/ 廿番 花瓶二ツ/ 廿一番 香炉香台/ 廿二番 宮燈/ 廿三番 香※(※帝の市が十)/ 廿四番 紗燈 此間ニ左右に家老両人/ 廿五番 御棺/ 廿六番 御大小/ 廿七番 天蓋/ 廿八番 家老中不残幷惣家中/ 廿旧番 御草履取/卅番 御茶弁当/ 卅一番 合羽箱/ 卅二番 雑多/ 
諸役者右之通也  *3        

翌、五月二十二日(1705年7月12日)の日記には「御葬礼、今昼八ツ時相澄〔ママ〕候、」と一行だけ記されている。読みながら思わず「お疲れ様!」といいたくなった。

*1:三好編、1979、p.406

*2:三好編、1979、pp.454-462

*3:三好編、1979、pp.462-468

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2019年12月 4日 (水)

(補足)歴史短編1のために #44 鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達 その1

以下の記事の引用部分に補足したい。

2018年8月26日 (日)
歴史短編1のために #44 鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達 その1
https://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/6-d602.html
食材は豊富である。こんにゃくにも、「こんにゃく」「白こんにゃく」「佐賀こんにゃく」「氷こんにゃく」が出てくる。氷こんにゃくを試しにググってみると、文字通りこんにゃくを凍らせたものがダイエットによいということで流行っているようだが、宝永のころの氷こんにゃくとは別物だろうか。

実は、その補足のための作業に倦み、萬子媛に関する調べものを中断していた。

萬子媛のような人物を生み出した背景を知りたいと思って読んでいる『鹿島藩日記』だが、候文や変体仮名の知識に乏しく、江戸時代の歴史・文化についてもずぶの素人にすぎないわたしは困惑し、途方に暮れてしまうことも多い。

「マダムNの神秘主義的エッセー」にまとめる場合は、ここで「御霊供 幷 格峯様御料理物」「右ハ御膳方 次料理物」としてリストアップされているものを紹介したいと思う。主に食材で、精進料理を調理するためのものと思われる。

何を指すのか推測したものは「?」、見当がつかなかったものは「!?」で表した。

<ここから引用>‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥

五月十五日
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、(略)
一、右御三十五日ニ付而、格峯様昨晩景より、古江田御庵御越被遊候、今朝御相伴恵達・石柱被仰付、御料理二汁八菜・次料理一汁五菜、右ハ御庵中比丘尼・男女下〻迄、右御料理物左ニ書載、

    御霊供 幷 格峯様御料理物*1

    一、しいたけ 四合*2/ 一、はいも*3(!?) 六手/ 一、漬松茸 六本/ 一、なすひ(茄子か?) 六ツ/ 一、干かふ(干し蕪か?)/ 一、竹ノ子 四本/ 一、干わらひ(干し蕨か?) 弐組/ 枝さんせう(枝山椒か?) 少シ/ 一、山いも 弐本/ 一、黒豆 弐合/ 一、きんあん*4 弐合/ 一、中くり 九ツ/ 一、佐賀こんにゃく 四丁/ 一、五分麩 四ツ/ 一、梅干 六ツ/ 一、干瓢 六手/ 一、めのは*5 少/ 一、六てう(!?) 弐ツ/ 一、ひろうば(!?) 弐枚/ 一、はせうか(葉生姜か?)/ 一、うり 四ツ/ 一、大こん 弐本/ 一、きくらけ(木耳[きくらげ]か?) 少/ 一、しそたて(!?) 少/ 一、はしかん(!?) 少/ 一、ほしこんふ(干し昆布か?) 弐枚/ 一、白こんにゃく 弐丁/ 一、夕かを(夕顔か?*6) 弐ツ/ 一、かんてん(寒天か?) 弐わ/ 一、なら漬 弐かわ/ 一、大根漬 弐本/ 一、くす(!?) 弐合/ 一、わさひ(山葵[わさび]か?) 壱本/ 一、丸山とうふ 弐丁分/ 一、紫のり 弐枚/ 一、梅仁*7 少/ 一、たうふ(豆腐か?) 弐丁/ 一、こまもち*8 十ヲ/ 一、らくがん(落雁*9 か?) 十ヲ/ 一、御米 三升*10

     右ハ御膳方
      次料理物

   一、からし 弐合/ 一、諸白かす*11(諸白粕[もろはくかす]か?) 弐升/ 一、しいたけ 五合*2/ 一、な 弐手/ 一、とうふ 拾挺/ 一、こんふ(昆布か?) 三枚/ 一、白こんにゃく 七丁/ 一、木くらげ 五合/ 一、干かふ(干し蕪か?) 十五/ 一、梅干 三拾/ 一、竹の子 拾五本/ 一、氷こんにゃく 十五丁/ 一、黒まめ 五合/ 一、夕かを(夕顔か?*6) 七ツ/ 一、こんにゃく 五丁/ 一、とつさか(!?) 弐合半/ 一、きうり(胡瓜[きゅうり]か?) 十ヲ/ 一、大こん 十五本/ 一、なら漬 三かわ/ 一、しやうゆ(醤油か?) 弐升/ 一、諸白さし酒*11 壱升五合/ 一、塩 壱升/ 一、赤みそ 五升/ 一、白みそ 壱升/しやうか(生姜か?) 弐合/ 一、こま(胡麻[ごま]か?) 弐合/ 一、枝さんせう(枝山椒か?) 少/ 一、白はし(白箸か?) 五十人前/ 一、あけ油(揚げ油か?) 五合/ 一、白米 壱斗*12/ 一、薪 三荷    

‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥<ここまで引用>三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979、pp.438-442)


*1 幷の音読みはヘイ。訓読みはあわ(せる)。字義を『角川漢和中辞典』から引用すると、①わせる(あは・す)。かねる。➁おなじ。一致する。あう(合)。➂ならぶ。ならびに。…… 貝塚茂樹 ほか編『角川漢和中辞典』(角川書店、1967・65版)

*2 この合は、ふたのある容器を数える助数詞ではないだろうか。

*3   「葉芋」と書くのだろうか。里芋や蓮芋の葉柄[ようへい]、芋茎[ずいき]のことではないかと思うが、憶測の域を出ない。

*4 「金あん」についての記述がある。魚山人. “和食用語「葛餡」”. 手前板前. 2019. https://temaeitamae.jp/top/t2/kj/7_E/013.html, (参照 2019-12-03).

*5 ワカメを洗い干した、「板わかめ」のことか?

*6 ユウガオの実はかんぴょう(干瓢)の原料となる。生育は極めて旺盛でつるの長さは20mにも達する。日本国内では、栽培は廃れる傾向にあるものの、新潟県や栃木県、山形県、山梨県(富士北麓地域)などで栽培が行われている。岩手県でも、カツオの生利(なまり)節等と一緒に油いためでよく食されている。青森県むつ市では8月半ば近く~8月下旬の期間に¥300~500/本程度で販売され、皮と内側の綿を取り除き破棄し、身の部分を幅5~8㎝・厚さ5㎜程度で切り、だしを入れた醤油ベースの油炒めでよく食されている。「ユウガオ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月19日 11:24 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

*7 梅の種を割ると出てくるのが梅仁。梅仁で杏仁豆腐のような梅仁豆腐を作ることができるらしいが、ここではどのような使われかたをしたのだろうか。

*8 鹿児島では高麗餅と書いて「これもち」、宮崎県では「これがし」と呼ばれる、古くから伝わる郷土菓子があるが、ここに出てくる「こまもち」とは無関係だろうか。胡麻餅[ごまもち]なども連想される。

*9 落雁は干菓子。

*10 1升は1斗の10分の1、1合の10倍、1.8039リットル、約1.5kg。

*11 諸白[もろはく] とは、日本酒の醸造において、麹米と掛け米(蒸米)の両方に精白米を用いる製法の名。または、その製法で造られた透明度の高い酒、今日でいう清酒とほぼ等しい酒のこと。「諸白」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年12月7日 14:09 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

*12 1斗は1升の10倍、約18.039リットル、約15kg。

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11月27日に内科受診

健康に留意するのも阿保らしくなるくらい、世界的に中共の侵食が進み(日本共産党が中共を非難する声明を出したほどだ。対照的にローマ法王はは中共に下った)、身辺では還暦を迎えた女友達がろくに医者にもかからず――親が医者だったにも拘わらず――亡くなったりした虚しい出来事とはあまり関係なく、単なるズボラで健康の記録をサボっていた。またつけたほうがよさそう。そう思ったときから、既に1週間。

このような症状と関係のない訪問者には鬱陶しい記事でしょうが、これはわたしのブログ。書きたいことを書きますので、飛ばしてください。

副甲状腺機能亢進症疑いで内分泌内科で経過観察していただいていたのだが、血中カルシウム濃度はずっと上限を超えていないのに、過剰に分泌され続けてきた副甲状腺ホルモンの影響が出ていることが判明。

そうじゃないかと思っていたので、前回、骨密度の検査を指示されたときはありがたかった。5月16日の記事に、「次回、骨密度を調べていただくことになった。骨密度が年齢相応であれば、副甲状腺ホルモンとカルシウムの値が若干高かったとしても、それほど問題ないが、骨密度に異常があれば、カルシウム値が基準値内だったとしても、問題だという」と書いている。

ただ、仮にいくら頻繁に骨密度を調べていただいたところで、これまでのように腰椎の骨密度測定だけでは、異常がわからないに違いない。薬剤性肝炎になったときに循環器クリニックの先生が紹介してくださった大学病院でも副甲状腺ホルモンの異常が指摘され骨密度のチェックがあったが、それも腰椎の測定だけだった。

そう考えれば、今の先生に担当医の変更があってよかった。でなければ、副甲状腺ホルモン値は高めけれど、血中カルシウム値は基準値内なので、大丈夫でしょう……で進行し、とんでもないことになったかもしれない。いや、既に手遅れなのかもしれないけれど。

今回も腰椎L.234の骨密度は 0.808g/㎠ 、若い人との比較値は 80%、同年代と比較した値は 101% で、立派なものだった。以前より成績がよくなっている。ここがこれほど優秀なのに、なぜ大腿骨はそうではないのか。

大腿骨R Neck の骨密度は0.486g/㎠ 、若い人との比較値は 62%、同年代と比較した値は 79%。大腿骨L Neck の骨密度は0.483g/㎠ 、若い人との比較値は 61%、同年代と比較した値は 78%。

先生の診断では、やはり過剰に分泌されている副甲状腺ホルモンが影響しているだろうとのこと。「大腿骨を骨折すると、寝たきりになる事例も多いですからね」といわれ、ゾッとした。大腿骨はいつからスポンジを目指し始めたのだろう? 腰椎だけ測定していたので、それはわからない。

投薬治療が必要な段階だという。処方されたのは、ビタミンDを補うことでカルシウム吸収を改善する薬で、アルファロールカプセル0.5μgのジェネリックだった。

薬局で値段を尋ねると、先発品よりいくらか高い程度だったので、先生に電話で尋ねて貰い、変更して貰った。ジェネリックは、オレンジ色をした先発品よりかなり大きく見え、カプセルの色も濃い水色だった。

抗不整脈剤サンリズムのジェネリックが効かなかったことからジェネリックに関する情報に接した結果、可能であれば先発品を出して貰うことにしている。

2016年3月21日 (月)
ジェネリックのコーティング・添加物問題
https://elder.tea-nifty.com/blog/2016/03/post-3b06.html

中性脂肪値も不安定なので、血中の脂質を改善する薬パルモディア錠0.1㎎が出た。

「これまでは半年に一度検査にくればよかったけれど、これからは2か月に一度は来ていただくことになります」と、ちょっと厳しい顔つきの先生。

肥大した副甲状腺を摘出して貰えればと思うが、それには期が熟していないということだろうか。

何にしても、大変だ。努力しよう。「かかと落とし」という簡単な運動がいいとネットに出ていたので、1日30回、実行している。ウォーキングできたらいいのだが、前に心臓がくたびれて挫折した。

ハートの白い光を大腿骨に送ることにしよう。五十肩に効いたのだから、期待できると思う。神秘主義者のわたしには、生き物の本体が光であることは自明のことであり、想像の光はオーラの次元の光となって現に見える。何もしないよりはましだと思える。

循環器クリニックの先生にご報告しなければならない。系列の違う病院なので、こんなときは面倒だ。内科の先生は循環器クリニックの先生をご存じだった。

内科で出た薬

  • アルファロールカプセル0.5μg 朝食後2カプセル 63日分
  • パルモディア錠0.1㎎ 朝・夕食後1錠ずつ 63日分

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