カテゴリー「Theosophy(神智学)」の174件の記事

2017年5月21日 (日)

ブラヴァツキーの星学に関する言葉

占星術に関するつぶやきと神智学の勉強ノート。

わたしの場合、木星の年齢域とは違って、土星の域では人間関係が活発になり、友人たちとの交際の機会も増えると推測できたが、実際に、木星の域では人間関係が不活発どころか人間嫌いに近い感じになっていた。

それが、確かに土星の域になってから、いろいろな人が車間距離が近すぎると思うくらいに接近してくるようになった。

新らしい人から何十年ぶりという人まで。幼馴染から電話があったのは、それを代表する出来事といってよい。本当になつかしかった。

ただ、自分のために使いたい時間は確保する必要があるので、全ての接近を同じように受け入れることは無理だ。

自分と相手にとって、その交際が有用であると感じられなければ、如何な旧友であろうが距離を置くしかない。グループごと交際が復活した場合はちょっと複雑で、学生時代のように行くだろうか。

舞い上がるほど楽しい面がある代わりに、各人が長年生きてきたあかしともいえるある種の毒素にお互い目を瞬かせられることも当然ある。また、昔であれば、学生時代特有の共通の知識があったが、各人が共有できる知識にもバラつきが出ていることに気づかされる。

わたしはその知識のバラつきをなるべく埋めたいほうで(そう熱望するあまり、こちらから車間距離を縮めすぎて失敗したと思うことがある)、アマチュアとはいえ物書きだから、様々な事柄に興味を働かせるほうだが、皆がそうとは限らない。それでも、やっぱりなつかしさには敵わないけれど。

何にしても、占星術って当たるなあ、と思った次第。

といっても、無知なわたしには占星術をどれくらい信頼のおけるものとして受け入れてよいかが今一つわからないので、物事にある傾向があるかどうかを判断する際の資料の一つとして用いる程度にとどめている。

それというのも、西洋占星術にしても、東洋占星術にしても、流派がいろいろあるうえに、どれも難しくて全体像が掴めず、わたしには表面をなぞるくらいが精々なのだ。

近代神智学運動の母ブラヴァツキーは、星学についても書いている。天文学と占星術はもともとは星学という名のもとに一つであったので、ブラヴァツキーも星学という用語をそのような意味で用いているのではないかと思う。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)で次のようなことを書いている。

生まれる時すでに、各人の人生はアストラル光に描かれているが、それは宿命論的なことではなく、ただ、未来は過去と同じくいつも現在の中に生きているからである。こうして各人の運命、各子供の誕生と関係のあるリピカ達は、星学にも影響を及ぼすと言える。気が進んでも進まなくても、私達は星学の真実を認めざるを得ない。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,332頁)

リピカはマハットの一部といわれ、マハットとは顕現した神聖な概念作用である。詳しくは、前掲書を参照されたい。

現在、過去、未来については、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の『67 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ③タブッキの円熟とフェルナンド・ペソアの青い果実』でも引用したが、次のように解説されている。

現在、過去、未来の三つの期間は秘教哲学では複合時間(Compound time)である。現象界に関してだけこの三つは合成数であり、本体の領域では抽象的妥当性はない。聖典に言われているように、“過去は現在であり未来でもある。未来はまだ現れてはいないが、やはりある”。それはマードヤミカのプラーサンギカ派の教えの諺によるのだが、それが純粋に秘教的な学派から離れて以来、その教義が知られてきた。簡単に言えば、継続と時間に関する概念はすべて連想の法則に従って、私達の感覚から出てくるものである。その概念とは人間の知識の相対性でがんじがらめに縛られているが、それにもかかわらず、個人や自我の経験の中でなければ存在しないし、自我の進化が現象的存在というマーヤーを追い払う時、消滅するのである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1988,pp.249-250)

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)にも星学に関して深遠なことがいろいろと書かれているが、実生活で役立つことも書かれている。

公開の場所に群がる『大気の精』即ちエレメンタル達から身を守るために、その時をつかさどる惑星の色の玉石の指輪をはめるか、またはその惑星に相応する金属製のものを身につけたほうがよい。しかし、やましいところのない良心と、人類を益しようという確固とした決意は最良の保護を与えるものである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,186頁)

パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』(関書院新社、初版1960、1979改訂第12版)にも、インドの星学についてとても詳しく書かれている。その本にも、ブラヴァツキーの著作から引用したのと同じようなことが書かれている。

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2017年5月 4日 (木)

Notes:不思議な接着剤#95 ナザレ人

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)に注目すべきことが書かれている。この第三巻は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだという。

ブラヴァツキーは次のように書いている。

『新約聖書』、『使徒行伝』そして『使徒書簡』集が――いかにイエスの歴史像の真実に迫るとしても――すべて象徴的、比喩的な発言であること、また「キリスト教の創設者はイエスではなくパウロであった」こと、しかしそれはいずれにしても、正式な教会キリスト教ではなかったこともまた真実である。「弟子たちがキリスト教徒と初めて呼ばれたのは、アンテオケにおいてであった」ことを『使徒行伝』は伝える。それまで彼らはそう呼ばれなかったし、その後も長い間、単にナザレ人と呼ばれた。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.262)

また、「ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.265)であって、パウロが「秘儀参入者」の階級に属していたと書き、その根拠を示している。パウロが目指した教義は次のようなものだったという。

パウロにとって、キリストは個人でなく、具体化された理念である。『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者であり』この人は、秘儀参入者のように、生まれ変わったのだ。なぜなら主は霊――人間の霊――だからである。パウロは、イエスに会ったことはなかったけれども、イエスの教えの底に横たわる秘密の理念を理解していた唯一の使徒であった」「しかしパウロ自身は無謬ではなく完全でもなかった」「新しく広やかな改革、人類全体を包むことのできる改革をスタートすることに心を傾けていた彼は、自身の教義を本心から、時代の知恵のはるか上位、古代の密儀や最終的な『エポプタイ』(秘儀の伝授)より上に本心で設定した」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.264-265)

ペテロは秘儀参入者ではなく、ユダヤのカバリストであった。

このような方向で、ギリシアの秘儀とカバラという確かなガイドを目の前にして探索をすすめるならば、パウロがペテロ、ヨハネおよびヤコブによりあのように迫害され憎悪される秘められた理由を発見するのは容易であろう。『黙示録』の著者は、生粋のユダヤ人カバリストであり、異教の秘儀に対する先祖伝来の憎悪を全身に漲らせていた(註『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない。イエスの存命中における彼の嫉妬はペテロにまで広がった。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.266-268)

この第三巻(上)は、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)と重なる部分も多く、『ベールをとったイシス』に補足した巻ということもできそうだ。

原始キリスト教を研究するには、『ベールをとったイシス』同様に欠かせない著作であると思う。

「『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない」と前掲書の註に書かれていた文章から、カタリ派がヨハネ福音書を偏愛していた事実を思い出した。

ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級だった、とブラヴァツキーは書いている。

新バビロニア(カルデア人が築いた王国で、カルデア王国ともいう。紀元前625 - 紀元前539)の王ネブカドネザル2世により紀元前597年に滅ぼされたユダ王国のユダヤ人たちは、バビロンに捕囚された(ダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリア帝国に滅ばされている)。

その地で、ユダヤ人は圧倒的なバビロニア文化(カルデア人は天文学・占星術に優れていた)の影響を受ける一方では、それに抗して律法を重視する(エルサレムの町も神殿も失っていたため)ユダヤ教を確立した。

ブラヴァツキーはこうも書いている。ノート92から引用する。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だった(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)とブラヴァツキーはいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。
(……)

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

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2017年4月28日 (金)

創作状況(初の歴史小説、エッセー)

改稿の下準備段階の御遺物メモで止まっている初の歴史小説「祐徳院物語」(仮題)だが、義理の息子のうち、大名となった弟の直條公によって創作された漢詩を読んでいる。

肥前鹿島藩第四代藩主鍋島直條由来の詩箋巻を翻刻・注釈したもので、中尾友香梨、井上敏幸『文人大名鍋島直條の詩箋巻』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2014)。

わたしは図書館から借りているが、この作品はセンターのホームページからPDF形式で閲覧、ダウンロードすることもできる。

分けていただいた、井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2016)もそうだが、どちらも貴重な史料だと思う。

昨日から今日にかけて、タブッキの本を2冊再読している最中に、なぜか初の歴史小説のことが思い浮かび、直條公の視点で萬子媛を描いてみたらどうだろう、という発想が浮上した。

初稿では、最初に村人を出したのが失敗だったような気がしている。何年かかるかわからないが、時間をかけて仕上げることにしたので、とりあえずこの案で書いてみたいと考えている。

萬子媛の断食入定についてだが、明治時代に禁止されるまで、日本では断食入定は主に密教系の仏教で行われたようだ。ジャイナ教がどこかで影響しているということは考えられないだろうか。

仏教とほぼ同時期に成立したといわれるジェイナ教は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーの非暴力運動にも影響を与えたといわれている(インド独立運動といえば、ガンジーと親交があり、独立運動のために自治連盟を組織し、国民会議の議長になったりした神智学協会第二代会長アニー・ベザントを連想する)。

ジャイナ教については、上記した程度の乏しい知識しかなかった。それがたまたまH・P・ブラヴァツキーを守護、指導したモリヤ大師のモリヤという名が、この大師の化身であった古代インドのモリヤ王朝(マウリヤ王朝)の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来ているという神智学協会のエピソードが気になり、ウィキペディアで「チャンドラグプタ (マウリヤ朝)」を閲覧した。

すると、次のようなことが書かれていた。

ウィキペディア:チャンドラグプタ (マウリヤ朝)

ジャイナ教系の記録によれば、チャンドラグプタは晩年ジャイナ教を厚く信仰し、退位して出家し、ジャイナ教の聖人バドラバーフの弟子となり、出家後の名はプラバーカンドラとした。バドラバーフの下で苦行に打ち込んだチャンドラグプタは、最後は絶食して餓死したとされている。
ウィキペディアの執筆者. “チャンドラグプタ (マウリヤ朝)”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)&oldid=61839301, (参照 2016-11-07).

少し驚きながら、ジャイナ教についてもウィキペディアを閲覧してみた。次の記述が印象的で、ジャイナ教に関する本を図書館から2冊借りたところ。ちなみに、仏教を守護した大王として有名なアショーカ王はチャンドラグプタの孫に当たる。

ウィキペディア:ジャイナ教

ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

これは神智学を連想しないわけにはいかない。

そして、ジャイナ教に関する本を読み始めてすぐに、何ともいえないなつかしさが胸に込み上げてきた。カタカナで書かれている言葉に自分でも驚くくらいに反応し、それが郷愁に変わる驚き。

これまでカタカナに邦訳されたサンスクリット語、パーリ語、チベット語などを見ると、苦手意識のほうが先に立ったのだが、ジャイナ教の解説の雰囲気の中で馴染みのないはずの、あるいは目にして苦手に感じたはずの言葉がなぜか心に沁みて、その言葉をつぶやきたくなるのである。

わたしは過去記事で、前世とあの世のわずかばかりの霊的記憶を持って生まれてきたとたびたび書いてきた。

そして、間抜けなことに、この世で果たすべき使命があるという思いを持ってこの世に下りてきながら、それが何であるかを完全に忘れ、覚えているのは前世は年老いた僧侶として死んだということ、太陽と大気に関するこの世とあの世におけるそれらの性質、感触、色彩の違いだけだった。ただ小学生のころまで、秘かに瞑想をする習慣を前世から持ってきていた。

自分がどんな宗教に属していたのか、それすらわからず、若いころからキリスト教、仏教など、あれこれ惹かれる宗教は多かったのだが、諸宗教を総合してそこから高純度のエッセンスを抽出する作業を行った近代神智学運動の母ブラヴァツキーの著書に強く惹かれたのを別にすれば、どれにももう一つ違和感があった。

しかし今、おそらく、わたしは前世の一つでジャイナ教の僧侶であったことがあったに違いないと考えている。子供のころに萬子媛の断食入定を知って、恐ろしいと思いながらも強い印象を受けて、ずっと忘れられなかったのも、前世の一つにおけるジャイナ教体験から来ているのかもしれない。

江戸時代の日本で禅宗の黄檗僧としての生きかたを貫かれた萬子媛だが、古代インドでジャイナ教に属していた前世もお持ちでは……と空想したくなる。勿論これは完全なわたしの空想にすぎない。

前掲のウィキペディア「ジャイナ教」には、断食入定について次のように解説されている。

ウィキペディア:ジャイナ教

アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanā)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

まだざっと2冊の本に目を通した程度だが、自身の思い込みを除外しても、ジャイナ教にはとても魅力的なところがある。また、仏教とよく似ていることに驚かされる。

サイト「仏教へのいざない」の仏教入門「第3回 仏教とジャイナ教」によると、この二つの宗教は「双子の宗教」だとか「姉妹宗教」などと呼ばれているそうである。

  • 仏教へのいざない
    http://todaibussei.or.jp/izanai/izanai_index.htm

アントニオ・タブッキの本を2冊再読したのは、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に書きかけのタブッキに関するエッセーの続きを書くためだ。

再読したのは、アントニオ・タブッキ(鈴木昭裕訳)『レクイエム』(白水社、1999)、アントニオ・タブッキ(和田忠彦訳)『イザベルに ある曼荼羅』(河出書房新社、2015)。

タブッキに関するエッセーはまだまだ続くが、次のエッセーを書いたら、タブッキにはしばらく時間を置く。ロシアのフリーメーソンがイルミナティに侵食される過程を描いたトルストイの『戦争と平和』に関するエッセーも、当ブログから「神秘主義的エッセー」のほうへ移しておきたい。

それから、初の歴史小説へ。

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2017年4月25日 (火)

左派の源流となったイルミナティ ①創立者アダム・ヴァイスハウプトの天敵、神智学(26日に再加筆あり)

当記事は、過去記事「左派のグランパ、アダム・ヴァイスハウプト(イルミナティ創立者) ①天敵のプラトン系神智学」に加筆したものです。

…………………………

世界中に浸透した左派の影響力を、ここ数年で思い知らされた気がする。共産圏の人々と左派だけが影響されているのではなかった。

左派の原理原則となってきたのが、1776年に現在の南ドイツでイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトの著作であることを知ったときの驚き。

イルミナティなんて、オカルト情報誌『ムー』が情報提供する都市伝説にすぎないと思っていたから。左派の中のどれくらいの人々が、ヴァイスハウプトの思想について知っているのだろうか。

サイト「隠された真実」から、引用させていただく。

結社結成の日、ヴァイスハウプトは『Novus Ordo Seclorum』というタイトルの本を出版している。このラテン語の意味は「新世界秩序」。
ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動綱領は以下の通り。

  1. すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
 2. 私有財産と遺産相続の撤廃。

 3. 愛国心と民族意識の根絶。

 4. 家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。

すべての宗教の撤廃。

これらの行動網領が、後の共産主義の原型となった。

<https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/illuminati>(2017/4/20アクセス)

イルミナティの行動綱領を著作で確かめられないのは惜しいが(『Novus Ordo Seclorum』も邦訳してほしい)、邦訳版の出ているアダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦・解説、芳賀和敏・訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(ベストセラーズ、2013)を読んで、この行動綱領の出てきた背景――、つまりヴァイスハウプトの思想を検証することは可能である。

イルミナティの行動綱領を、共産主義がそっくり借用したようである。ならば、いささか遅きに失した感はあるけれど、共産主義の本質を知るためにイルミナティの原典を学術研究する必要があるのではないだろうか。

夫は保守系カラーの大学で――当然、その大学ではマイナーだった――マルクス経済学を専攻したが、ゼミでイルミナティのイの字も聞いたことはなかったそうだ。

ちなみに夫の政治思想自体は、バランスを重んじるところから、一般日本人に多い中道右派といったところだろうか。わたしも政治思想的にはそうだが、わたしの場合は神秘主義者であるために、物事の判断の基準が一般人とは異なる場合がある。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)によると(35頁)、秘密結社「イルミナティ教団(Iluminati)」が1776年、パヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)で、大学の哲学教授アダム・ヴァイスハウプトによって、組織された。

『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の「訳者あとがき」には、ヴァイスハウプトの学位、肩書きについて、次のように書かれている。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタットに生まれ、この地の大学で哲学博士の学位を得た後、法学の員外教授をへて弱冠25歳で法学部の教会法正教授となっている。専攻分野は、はっきりと哲学であった彼が法学部正教授となった経緯は不明であるが、父親が(彼が5歳のときにすでに没している)インゴルシュタットの法律学の正教授であったことと関係があるかもしれない。正教授(プロフェソル・オルディナリス)といえば今日の我が大学教授とは比べものにならないほどのステータスである。さらに25歳といえばかなり俊足のエリートというべきか。しかも教会法といえばカノン法、カトリックの教会法ではないか(教会法に対して世俗法といえばローマ法で、この二つの法を法学生は学ぶのである)。この分野の正教授がカトリックに楯突いたのだ」(ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、「訳者あとがき」211~212頁)

前掲書『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』によると、イルミナティは、「『理性に支配される独裁的な共和政治』をめざす社会改革を唱えた。組織は軍隊組織のような下位の会員の上位者への絶対服従、部外者への秘密保持、会話や通信における会員同士の間での偽名と暗号の使用を義務づけ、狭量な民族主義や愛国心を否定する国際主義を唱えていた。また『目的達成のためならあらゆる手段が正当化される』と説いていた」(植田、2014、36頁)

イルミナティは本来フリーメーソンの結社ではなかったが、1782年にフリーメーソンの作家フォン・クニッゲ男爵が加入したのを契機に文豪ゲーテ、ドイツ諸侯、貴族ら多くのフリーメーソン会員が加わった結果、イルミナティの結社とフリーメーソンは会員構成で一体化してしまった。

こうしてイルミナティの結社はフリーメーソンの一組織に混淆、変容していき、クニッゲは追放され、大方の貴族が去った一方では、残ったイルミナティの結社員は急進的な政治傾向を強めていった。

パヴァリア選挙侯カルル・テオドルによって、1785年、イルミナティの結社は解散させられた。しかし、「この秘密結社の思想や掟は組織の解散後も各国の革命結社の規範の雛形として取り入れられていく。フランス革命の源流の一つにもなった」(植田、2014、36頁)

イルミナティの思想はイタリア統一運動にも取り込まれた。その中心的役割を荷ったのはカルボナリ党で、フリーメーソンとイルミナティ団の組織や規範を取り込んでいた。ロシアの無政府主義の革命家バクーニンも、この組織に関わった一時期があった。

イルミナティの信奉者はその後、パリで急進的な政治傾向の『親友同盟』の主導権を握り、そこからイルミナティ派の『社会主義サークル』が派生した。

彼らの規律は二十世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを『共産主義思想を実現するための最初の革命的組織』と評した」(植田、2014、37頁)

このようにカール・マルクスは、パリで派生したイルミナティ派の社会主義サークルを共産主義の源流として評価しているのである。

左派によってヴァイスハウプトの思想は拡散していったのだが、その工作の陰険、周到、執拗であるさまが露骨に目につき出したのは、日本では民主党政権のころからだった。

海外、特にアメリカではそれがわが国以上の猛威であったと知ったのは、ようやく今度のトランプ大統領誕生のころからだった。

こうした現象を、自分なりにいくらかでも分析し、整理してしまわなければ、落ち着いて創作に向かえない。第二次世界大戦後にGHQによって左傾化させられたわが国の大学の研究室でイルミナティが研究されるようになるには、まだ時間がかかるだろうから。

なぜ左派がイルミナティを研究してこなかったのかは疑問であるが、イルミナティを研究するにはイルミナティの攻撃の対象となったキリスト教や神秘主義をも研究せざるをえないからではないかと思う。それらをヴァイスハウプトに無条件に従って全否定するほうが結束が乱れないことは確かであり、しかし、もしそうだとすれば、それは盲目的信仰以外の何ものでもない。

ヴァイスハウプトがあたかも天敵であるかのように攻撃したのが、プラトンの流れを汲む神智学だった。もっとも、その神智学とはブラヴァツキー以前の神智学である。

1748年に生まれたヴァイスハウプトは、1830年に死去している。近代神智学運動の母となったブラヴァツキーが南ロシアで生まれたのは、その翌年の1831年のことだからである。

ヴァイスハウプトは『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の中で、教会法の正教授に就任した人物とも思えない悪態をついている。何しろ章のタイトルが「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」である。

あんこの足りないくそ坊主どもの戯れ言に他ならぬ現代の伝説というかメルヘンがある。これは、哲学というジャンルに、継承されている。というよりは異なる教説としてあからさまに、表明され含まれているものなのだ。この学説ほど、誤ったものは人間悟性の歴史のなかで他にない。こんなものに熱狂するのは、グノーシス派、折衷派、カバラ主義者くらいで、この連中の先には度はずれた大バカ、腐れ頭人間が待っている。後代の神知学者や神秘主義者は、桁外れのおバカ加減では誰にもひけを取らず、何人たりともこいつらに並ぶのはまだしも、凌駕するなどとんでもない。なんといっても馬鹿さ加減こそやつらの本領なのだから。このセクトは、そのご同類であるグノーシス派とユダヤ派のカバラ姉妹があることと並んで、たくさん麗しい性格の著作がある。身の毛のよだついやらしさの極致なのだが、これらは、いずれ偽造か古代の人物、その名のでっち上げで、連中の絵空事が受け入れられ、おおいに賞賛されるように目論まれていた。たとえばモーセ、アブラハム、ヘルメース、オルペウス、ゾロアスター、ピタビラス等など。(ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、170頁)

大した騒ぎである。神秘主義をこのように嫌う人物が薔薇十字団系のロッジなどもあるフリーメーソンの結社に入ったのは、組織をのっとるためという目的以外には考えられない。

ウィキペディア「イルミナティ」には次のように書かれている。

1777年、ヴァイスハオプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かったウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2017-02-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=63134666, (参照 2017-02-24).

『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』には、現代の編者F・W・シュミットによって書かれた「はじめに」がおかれている。それには、次のように書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、折に触れてフリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし『両者の意図と目的は一致しない』となった。このことをルートヴィヒ・アドルフ・クリスティアン・フォン・グロルマン[1741-1809 ギーセンの法学者]という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍(あまね)く浸透しており、至る所で活動していると見られていた」((ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、シュミット「はじめに」37~38頁)

トルストイは『戦争と平和』で、ロシアのフリーメーソンのロッジがイルミナティにのっとられる過程をよく描いていると思う。

ヴァイスハウプトは『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の中で、プラトンを最も罵倒している。『ティマイオス』しか読んでいないかのような、長い引用と短絡的な解釈が特徴的である。

尤も、『ティマイオス』は重要な作品らしい。大学時代にシモーヌ・ヴェイユの著作で『ティマイオス』を知り、そのころから読みたかったのだが、果たせていなかった。文庫では出ていなかったのだ。

ヴァイスハウプトには、プラトン用語の意味がよく呑み込めていないのではないか。反抗期の少年のように字面だけを読んで納得できないと、すぐに断罪し、悪態をつくのである。それをそっくり真似て、左派がブラヴァツキーをバッシングする。純粋理性を重んじているようなことを書きながら、行動が伴っていない気がする。

ブラヴァツキーの著作ではあちこちでプラトンが出てくる。『ティマイオス』にも言及があるので、ヴァイスハウプト、ブラヴァツキー、シモーヌ・ヴェイユが『ティマイオス』をどう読んだかの比較をしたくなった。

改めて、『ティマイオス』が邦訳で出ていないか、図書館検索で調べると、利用している二つの図書館にはなかった。

アマゾンで調べると、プラトン( 種山恭子・田之頭安彦訳)『プラトン全集〈12〉ティマイオス・クリティアス 』(岩波書店、1975)が中古で21,393円! もう1冊、プラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』(白澤社、2015)が2,376円。

翻訳者である岸見氏は、『ティマイオス/クリティアス』の発売元である白澤社ブログの記事「岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』刊行の経緯」によると、「ギリシア哲学研究の大家・故藤澤令夫氏に師事しただけではなく、岩波版『プラトン全集』の『ティマイオス』の訳者・故種山恭子氏の教えもうけた」かただとか。

夫が誕生日に贈ってくれた図書券を使って購入することにした。注文したばかりで、まだ届いていない。読んだら、続きを書きたい。予定が目白押しなので、また間が空くかもしれないけれど。

当ブログにおける関連記事:

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
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2016年9月 8日 (木)
トルストイ『戦争と平和』 ③イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-7878.html

2016年9月 6日 (火)
トルストイ『戦争と平和』 ②ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-a87e.html

2016年9月 5日 (月)
トルストイ『戦争と平和』 ①映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-c450.html

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2017年3月18日 (土)

17日に、循環器クリニック受診。家で尿管結石に奮闘。

最近体調がいいので、うっかり受診を忘れるところだった。検査日で、血液検査の結果は当日は出ないが、いつも潜血反応プラスだった尿は綺麗だったそうで、心電図も綺麗だとか。

尿路結石ができやすいのだが、実は1週間くらい前に結石が出た。その数日前から腰がだるかったり、下腹部が痛んだりして、強い残尿感を覚えるようになった。

以前であれば慌てて泌尿器科を受診しただろう。結石であることはわかっているので、それがいつもと違って大きくて自然排出できない場合以外は水分を多めにとり、出てくるのを待つ。

自然排出できない場合は専門医にかかるしかない。結石によって閉塞してしまうと、尿路感染症を起こしたり、長期間続くと腎臓が拡張して水腎症を起こし、ついには腎臓の組織を損傷してしまうらしい。

結石が出口に詰まって尿が出なくなったときは、慌てた。物凄く痛いし、排尿は行いたい――で、脂汗が出てしまった。救急車を呼ぼうかとさえ思ったが、身動きできず、病院に行く図がどうしても想像できない。

石さえ出ればいいのだ。

出したいものを出せないというのは、恐怖だ。力を入れると星が目の前に出てくるほどに痛かった。結石は出なかったものの、隙間から上方に尿が飛んだ(女性の身にとっては驚かされる現象)。

何度も力を入れて結石の隙間から少しずつ飛ばしていくと(?)、拡張していた膀胱が縮小していったらしく、楽になった。そのときは結石がとれなかったので、残尿感は消えないまま、日常生活を送った。

排尿のたびに痛くて尿はスムーズに出てくれなかったが、それを何回か繰り返しているうちに結石がとれた(らしい)。

今回は泌尿器科を受診したほうがよかったのかもしれない。しかし、結石の痛みがあるときは病院に行くのも大変だ。

以下は神秘主義的な覚え書きを含むので、苦手なかたはスルーしていただきたい。

結石のせいで、尿道が傷ついたらしく、沁みるような痛みがあったので、わたしは傷む部分に向けていつもの神秘主義な方法を試してみた。過去記事でも書いた。傷の治りが早いと期待して。ちょっと引用してみる。

  • 2017年1月18日 (水)
    グキッ! ひー!
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/01/post-a4af.html
    前世で行っていたヨガ的技法を自然に行っていることがある。腰痛に対処するために白い光を患部に送ったときはまず目を閉じて眉間のチャクラに注意を集中し、その意識を喉のチャクラへと落とし込み、さらにはその意識を胸のチャクラから溢れ出た白い光に溶け込ませて、それを患部に向けて放った。
    患部に集中的に光を注ぐだけでなく、浄化の白い光が全身をめぐり、迸るところも想像したほうがよいと思う。体のどこかで起きたことは全身的な現象であるからだ。
    全て、想像力のなせるわざだが、見える人間には見えるこうした浄化の白い光は現実的な優れた治療薬ともなるだろう。

これは前世で身につけたと思われる我流のやりかたなので、積極的におすすめするわけにはいかないが、最近メールをいただいた竜王会・神智学協会の会員N氏は、似た方法を神秘主義者の文献で読んだとお書きになっていた。

わたしはエレナ・レーリッヒの『ハート』に、次のように書かれているのを再発見した。「治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。(……)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17)

わたしはこれまでに例外的に数回、遠方に送ってみたがある。

結石を排出したことをクリニックの先生にお話しすると、「今日は尿はとても綺麗だよ。前回は潜血プラスだったけれど」とちょっと不思議そうにおっしゃった。

そう、何年も潜血プラスでなかったことはないほど、尿検査のたびに潜血プラスで、原因ははっきりしなかった。

最近、腰痛とか結石とかの痛みから前述した神秘主義的な方法を試みる機会があり、それは全身的に作用することを期待した方法であるせいか、体調がよく、検査結果がいい。まあ、季節が体調に合っているお陰かもしれないけれど。

薬はいつもの通り。

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2017年2月24日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ①ひ、美しいプラトン用語が第1部のタイトルに!

村上春樹の新作が新潮社から出た。『騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編』『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』である。

読んでいないのだが、ショックを受けた。

プラトン哲学の中心概念として、あまりにも有名なイデア。それが第一部のタイトルに使われていたから。

以下はウィキペディア「イデア」より。

まず、ギリシア語の語彙体系について若干説明しておくと、ギリシア語では、見るideo系統の用語としては、ideinとeidoがあった。eido の過去形 eidon に由来する「eidos エイドス」という言葉のほうは「形」とか「図形」という意味でごく普通に用いられる言葉であった。
プラトンにおいては、エイドスとイデアは使い分けられており、イデアに特殊な意味が与えられた。

ウィキペディアの執筆者. “イデア”. ウィキペディア日本語版. 2015-12-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2&oldid=57806205, (参照 2015-12-07).

イデア論は、プラトン中期の著作『パイドーン』で初登場し、『パイドロス』に至るまで積極的に展開され、それ以降は変遷していく。

『パイドーン』では、魂の不死性の証明が試みられている。想起説が証明に用いられ、その想起説の前提として語られるのがイデア論なのだ。

何度読んでも、『パイドーン』の中で語られる、あの世の壮麗な描写には感動させられる。プラトンの作品は読みやすいので、騙されたと思って、読んでみてほしい。『パイドーン』『パイドロス』については、以下の過去記事の、ブラヴァツキーの著作に関するメモの中で若干触れている。

村上春樹がイデアという言葉をどのように使ったのかは知らない。

彼の濁りを感じさせる過去の小説と、明るく清浄なプラトンの『パイドーン』とは似ても似つかず、村上春樹はいつものようにお気に入りの言葉を軽薄な気持ちでムード的に使ったのだろうと想像せざるをえない。

過去記事でも書いたように、創作作業を通して、プラトンのイデア論がわたしには実感としてわかる気がする。プラトンのイデア論は、インスピレーションが訪れたときに、ひじょうにリアルに感じられるのだ。

信じてはいただけないだろうが、これも過去記事で書いたように、わたしには物心ついたころから前世に関するわずかばかりの記憶と、また、あの世の光や空気がどんなものであったかの記憶があった(これは当然、一回ごとに新しくなる肉体の脳の記憶とは考えられないため、霊的な記憶と考えている)。

『パイドーン』で、あの世の光景が描写されているのを読むと、郷愁を抑えることができない。

村上春樹の過去の作品からは、高級世界という意味でのあの世に関する概念を彼が持たないことが察せられる。彼の作品で描かれるのはこの世、及びカーマ・ローカの領域のことに限定されているように思われるのだ。

神智学用語ともなっているサンスクリット語カーマ・ローカは、主観的で見えない半物質的世界をいい、古代ギリシア人のハデス、エジプト人のアメンティに相当する沈黙の影の国のことである。

村上春樹の小説の享楽的、催眠的で怪しげな魅力はそこから来ているように思われ、若い人にはあまりすすめたくないタイプの娯楽小説だとわたしには思えてしまう。

村上春樹のこうした限定的な世界観は、彼が唯物論的世界観しか持ちえていないことを意味しており、それはおそらく彼が左派であることと無関係ではない。

村上春樹『騎士団長殺し』をそのうち読んで感想を書きたいのだが、図書館で借りるか、文庫本になるのを待つことになるだろう。以下は、アマゾンのキンドルストアで販売中の村上春樹を論じた拙電子書籍。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

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2017年1月18日 (水)

グキッ! ひー!

昨日、ゴミ箱にポリ袋をつけるという何気ない動作をしていたときに、どうした弾みでか、腰がグキッ! となって、痛みが走った。

ひー、ぎっくり腰か? いや、下手をしたらそうなる……と思いながら、ソロソロと炬燵へと移動。

何とか座ったのはいいが、立とうとすると腰に強い痛みが走り、立ち上がれない。腰への思わぬ衝撃のためドッと疲れたので、横になろうとした。しかし、これもできなかった。

循環器クリニックに出かける予定で、なるべく家事を済ませておこうとバタバタしていたときのグキッ!だった。これでは循環器クリニックへ行くより、整形外科に行くほうが先だと思った。

日赤の整形外科へ行くのが間遠くなったというのに、これで予約外の緊急受診したりしたら、先生から呆れられるだろうな、と思う。第一、整形外科へ行くのも、支度するのさえ、腰の半端ない痛みと不安定感から動くのが怖くて、容易でなかった。

こんなとき、わたしはいつのころからか、ごく当たり前のように、患部に霊的な白い光を放射することで切り抜けてきた。わたしの経験では精神力が物をいうので、うまくいくとは限らない。

で、しばしそれを行うと、まだ不安定ながら何とか動くことができるようになったので、横向きになって寝てしばらく体を休めたあと、循環器クリニックへ出かけた(心電図をとって貰うときにお世話になる臨床検査技師さんとお話しした受診記録は、次の記事で)。

腰に痛みは残っており、不安定感もあったので、ぶり返したり本格的なぎっくり腰になったりする心配があると思った。

コルセットがあれば助かるが、ない。一番よいのは患部へ続けて白い光を放射することだとわかっているが、物ぐさなわたしには一心集中が億劫で、痛みが和らぐと、その気になれなくなってしまう。

とはいえ、前世の習慣からこうしたヨガ的技法を自然に用いてしまうところがわたしにはある。それなのに、ヨガの学習はほとんどやってこなかった。

竜王会ではヨガと神智学が二本の柱になっていると思うが、機関誌に掲載されるヨガ関係のものは不勉強になりがちだったのだ。

過去記事でも書いたように、ほんのわずかだが、わたしにはあの世と前世の霊的記憶があった。前世では修行僧の男性として生き、老人になってから人生を終えたのである。

前世でできなかった――すっかりないがしろにしていた――主に女性に課せられてきた役割を果たして、この方面の実際的な経験を積むということが、今生の課題としてあると自覚している。

あの世からこの世のためにボランティアをなさっている萬子媛がどんな風にその壮麗な仕事をなさっているかを感じて、改めて女性的な細やかな注意力、持続力、忍耐、何より母性的な香しい優しさがどんなに必要であるかを悟った。

死んだ後にあの世を楽しむだけで満足することもできるだろうが(おおかたの人はおそらく、そう)、人類の慰安や進化に積極的に関与したいと思うのであれば、大先輩方があの世でいくつも組織なさっているようなボランティア団体の一つに身を置くのがいいかもしれない。

神智学関係の方々があの世でも、そうしたボランティア団体の一つを組織していることは間違いない。

そうした方々に見守られてきたのを感じていながら、半世紀以上生きてきた今もわたしはこの世で何をしたらいいのかわかっているような、いないような具合だ。

前世で開いた――に違いない――チャクラを今生では自然に開けるのに任せることにしたのだが、それは竜王会における故田中先生の方針に重なるところでもあると思う。

ヨガの師として仰ぐことのできる三浦先生のような方がいらっしゃらない限り、それが賢明なことだろうと考えている。

といっても、前世で行っていたヨガ的技法を自然に行っていることがある。腰痛に対処するために白い光を患部に送ったときはまず目を閉じて眉間のチャクラに注意を集中し、その意識を喉のチャクラへと落とし込み、さらにはその意識を胸のチャクラから溢れ出た白い光に溶け込ませて、それを患部に向けて放った。

患部に集中的に光を注ぐだけでなく、浄化の白い光が全身をめぐり、迸るところも想像したほうがよいと思う。体のどこかで起きたことは全身的な現象であるからだ。

全て、想像力のなせるわざだが、見える人間には見えるこうした浄化の白い光は現実的な優れた治療薬ともなるだろう。

病気なども、ヨガの技法で治してしまうこともできると感じているが、病気である程度レベルを落としていなければ、わたしは不浄なこの世に耐えられない。病気を飼っているようなものだが、このままでいいと思っているわけではない。

腰の具合はかなり改善したが、念のために整形外科を受診したほうがいいかなあ。

最近、竜王会の会員のお一人からメールをいただいたのは、もう少し三浦先生のご著書を学習せよとのあの世の方々からのお達しだろうか?

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2016年12月 3日 (土)

京都の景観に影響を与えた仏教復興運動、アジア主義、そして歌代幸子『音羽「お受験」殺人』から垣間見えるサラリーマン僧侶の労働環境

明治政府による廃仏毀釈、第二次大戦とGHQによる農地改革や洗脳工作などで、わが国の宗教が被った痛手は大きいが、フェノロサや岡倉天心による仏教美術復興運動、また欧米列強の植民地主義に対抗する「アジアは一つ」との目標を掲げたアジア主義……こうした運動がなければ、観光都市京都の姿はどうなっていただろうと思う。

こうした運動についてネット検索、図書館から本を借りるなどしてリサーチしているところだが、前記事で書いたように、このところ新たに判明しかけたことが半端ではなく、整理が追いつかない。

リベラルの影響力が弱まったことは確かで、逆にいえば、これまで如何に彼らが歴史的事実を隠蔽し、歪めてきたかがわかるというものだ。

そして、ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷の的となったのは、前述した仏教美術復興運動とアジア主義に大きな影響を及ぼしたことも理由の一つだろう。

今読んでいる坪内隆彦『アジア英雄伝 日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社、平成20)、戦前から戦後のアジア主義を捉えた『岡倉天心の思想探訪 迷走するアジア主義』(勁草書房、1998)を読んでいるのだが、『アジア英雄伝』には次のように書かれている。

アジア各地の伝統思想、宗教の復興、それと結びついた反植民地主義に与えた神智学の影響の大きさは、もっと重視されても良いのではなかろうか。(坪内,平成20,83頁)

だが、これを知られては、リベラルには都合が悪いのである。

現在のわが国で仏教が置かれた現状の一端を、お受験殺人事件と呼ばれた事件の渾身のリポートである歌代幸子『音羽「お受験」殺人』(新潮社、2002)の記述から垣間見た気がした。

加害者となった女性の夫がサラリーマン僧侶であったことや、当時の職場環境がどんなものであったかが詳しく書かれているのである。

わたしは事件に触発されて2000年5月に「地味な人」を執筆し、織田作之助賞に応募して三次落ちしていた。

拙作に登場する加害者となる女性の夫は流通業界に身を置くサラリーマンで、あの事件を再現しようとした作品ではないが、拙ブログ「マダムNの連載小説」で公開するにあたり、当時、参考資料とした『音羽「お受験」殺人』を再読したのだった。

事件のあらましを『音羽「お受験」殺人』を参考に述べると、1999年11月、東京都文京区に住む35歳の主婦山田みつ子は、当時2歳だった同区在住の会社員の長女若山春奈ちゃんを、寺の境内にある幼稚園に近接した公衆トイレで首を絞めて殺害した。

みつ子は僧侶の夫と5歳の長男、2歳の長女の4人暮らしで若山さん宅と同じ家族構成、子供二人の年齢が同じ、長男は共に同じ幼稚園に通っていた。みつ子は若山さんと幼稚園で顔見知りだった。今でいえば、ママ友である。

犯行当時、春奈ちゃんは文京区の有名国立大附属幼稚園に合格し、みつ子の長女は落ちていた。文京区は都内でも有数の文教地区として知られ、被害者である幼女が合格した幼稚園はその年の競争率が約22倍と都内でトップの人気を誇る名門であるという。

その合否をわけた直後の犯行であったことが「お受験殺人事件」として騒がれる原因となったわけだが、みつ子は受験と事件との関わりを否定し、春奈ちゃんの合格も知らなかったと供述した。

みつ子が犯行の動機について、「(春奈ちゃんの母親との)つきあいの中で、心のぶつかりあいがあった」(歌代、2002、9頁)と述べたことから、人々の事件に対する関心は受験から母親同士の確執へと移った。

事件を報じた朝日新聞、毎日新聞、読売新聞には、全国の主に30代の専業主婦から反響があったという。

事件の悲惨さに憤るものや、容疑者への批判と同時に、多くの主婦たちが、子育てのつらさやストレス、人間関係の難しさを訴えていた。『ひとごとではない』と山田みつ子に自分を重ね合わせる母親たちも少なくなかったのである。(歌代、2002、10頁)。

わたしは当時41歳だったが、事件の衝撃は大きかった。

58歳になったわたしが『音羽「お受験」殺人』を再読して改めて目が留まったのは、みつ子の夫がサラリーマン僧侶であったことや、その職場環境だった。

また、農家だったみつ子の実家が百年続く旧家だったことにも目が留まった。

この事件のやりきれなさは、事件を惹き起こした側に、日本人の古くからの心の拠り所や伝統、日本の歴史などがほの見えるところにある。

前述したことと重なるが、明治時代に神仏分離令が発せられ、国家神道が形成されるに至って、神仏習合が伝統的であった日本人の宗教環境は一変した。

明治政府の政策に伴い発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)の凄まじさは、ウィキペディアの以下の記述を引用するだけで足りるだろう。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
ウィキペディアの執筆者. “廃仏毀釈”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88&oldid=62058078, (参照 2016-11-24).

そして、第二次大戦後にはGHQが発した神道指令によって神祇院が解体、神社本庁が設立され、これによって国家神道は無力化された。仏教も、農地改革によって寺社領が安く買い上げられることによって解体が進められ、これも無力化されたのだった。

再び前掲書『音羽「お受験」殺人』を参考にすると、昭和39年静岡県に生まれたみつ子は、埼玉県立衛生短期大学の看護学科に進んだ(埼玉県立衛生短期大学は1999年に埼玉県立大学短期大学部と校名変更後、2008年に廃止)。

みつ子の卒業論文「看護の立場から人間をどう観るか」の冒頭を、前掲書から引用する。

看護はすべての人間が、その一生において根源的に関わりうける生・老・病・死と直接取り組む領域の仕事である。つまり、肉体的にも精神的にも痛みを持っている時、もう一人の全然別の人間がその苦痛を感じとり、苦痛の追体験をすることから始まった仕事であると言えよう。言い換えれば、人間そのものが人間の生活のあり方や他人を見つめることがなかったなら存続し得なかったと言えるのである。(歌代,2002,56-57頁)

結びは次のような文章となっている。

こうなると、F・Nが述べるように看護はまさにartであって看護婦が生涯努力しつづけて築きあげていくものであり、看護者が生きるということと看護のつながりを考えていくことなのだろう。そして、だからこそ死の前に立たされた医学が無力であるのに対して看護はどこまでもあるのであり、またここからが人間のみがとりくめる問題として本当の看護が問われるのであろう。(歌代,2002,58頁)

文中のF・Nとはフローレンス・ナイチンゲールのことで、論文にはナイチンゲールが著わした『看護覚え書』を通して、彼女の考察がまとめられているという。

あの事件を起こしたのが、このように自覚的で洗練された文章を書いた人物であったことを知ると、二重に衝撃的である。

この短大時代に摂食障害が始まり、看護婦に向かないのではないかとの迷いが生じたみつ子は短大をやめようと考えたほどで、教官や友人に励まされて何とか仕上げた卒論だった。

摂食障害の原因は、郷里の大家族における複雑な人間関係にあるようでもあり(祖父の前妻の子である夫と姑の間で苦労する母親の姿を見て育ち、みつ子は母親には心配をかけまいとするいい子だった)、本人の完全主義的な傾向にあるようにも思われる。

だが、少なくとも短大時代には教官や友人との間に温かな人間関係があったのだろう。

短大卒業後、浜松医科大学付属病院に就職するが、患者の死にショックを受けて退職する。実家に戻って1年8ヶ月、引きこもりの生活をした。摂食障害はそのときにも起きた。自殺未遂も起こしている。

1986年に静岡市内の日本赤十字病院に再就職してからも、摂食障害は起きた。それを克服しようとしてか、三交代のハードな勤務をこなしながら休日にはボランティアの手伝いにも出かけている。

著者は、東京拘置所のみつ子に面会を求めて手紙を書き、それに昔から好きだったという八木重吉の詩を一編添えたという。面会は叶わなかったが、返信には「八木重吉さん私も好きです」(歌代,2002,228頁)との言葉があったそうだ。

わたしも、八木重吉の可憐といってよいような純粋な詩は好きである。

みつ子は読書家だったに違いない。看護師として勤務するには、あまりに感じやすいタイプなのかもしれない。

ただ、わたしのまわりの例からすると、看護師さんで精神的な問題を抱える人は多いようである。わたしが通った高校では、家計の負担を考えて、国立大学の教育学部と看護学校を併願する女子が多かった。

優秀な女性が看護師さんを目指したというイメージがある。

周囲に看護師さんが多いせいか、苦労話を聞く機会も多く、またわたしは心臓疾患による通院歴が長いため、顔見知りになった看護師さんから「一日に8回食事をとるのよ」と聞いて驚いたこともあった(毎回しっかり食べるそうだから、これは摂食障害だろう)。不倫、喫煙、流産、離婚……看護師さんには案外多いと聞く。

このことはつまり、優秀な女性であっても耐えられなくなるほどの過酷さが看護師という職業にはあるということだろう。

みつ子の実家は神道だったそうだが、日赤勤務のときに松原泰道老師の「南無の会」の法話に感動し、長野市の禅寺で開かれた南無行(夏期講習会)に母親と参加している。

法廷で「中学時代から法話を伺ったりするのが好きで、吸い寄せらせるように行った感じです。宗教というより、人間の生き方に関心がありました」(歌代,2002,61頁)と語ったという。

格調高くてわかりやすい解説が魅力的な松原泰道『禅語百選――今日に生きる人間への啓示(NON・BOOK-42)』(祥伝社、昭和47)は、大学時代からのわたしの愛読書である。

「南無行」でボランティアの受付をしていた十歳年上の僧侶が、みつ子の夫となった男性だった。「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」(歌代,2002,61頁)との出会いの印象であったという。

専業主婦は三食昼寝付などといわれ、これほどお気楽な商売はないように思われがちだが、実態はそうではない。

当時は専業主婦の多い時代であった。いい換えれば、女性の多くが専業主婦にならざるをえない社会状況があったということである。

サラリーマンは企業戦士といわれ、妻は銃後の守りであった。夫の仕事には妻の主婦業がしっかり組み込まれていた。

夫と妻と子は一心同体のように扱われ、全部ひっくるめて社会的評価が確定するという風なのだ。やがて社会は変化し、夫の仕事に組み込まれていた夫と子は除外されていくけれど。

会社関係の行事や交際が減った代わりに、考慮されていた勤務や転勤に伴う家族の事情は度外視されるようになっていった。家族のありかたをつくり上げるのが、社会あるいは政治だということがよくわかる。

こうした時代背景を考えてみても、サラリーマン僧侶の妻となったみつ子が置かれた環境は過酷すぎた。

1993年の結婚式直前まで、みつ子は看護師の仕事をやめられなかった(ということは、1986年から1993年までの7年間、日赤の看護師として激務をこなしていたのだろう)。

上京して新婚三日目から、音羽にある禅寺(臨済宗)の副住職の嫁として勤務がスタートした。寺からは6万円の給料が出た(みつ子は専業主婦ではなかったと著者が書いている)。

5時半に起床。6時に、夫と寺に読経に出かけた。6時45分に帰宅して朝食の支度。10時には寺へ出かけてトイレ、書院の掃除。昼に帰宅し、夫の食事の支度。午後も寺へ出かけた。

土・日の週末は、寺で座談会や法事の接待。家事と育児を計算に入れれば、自由時間は皆無だったのではないだろうか。みつ子は、郷里の母親には心配をかけまいとした。

郷里を離れてからも、田植えや稲刈りの頃には実家を訪れて、農作業を手伝ってきた。東京の自宅からは、一人暮しの母親を案じてこまめに電話をかけてきたという。(歌代,2002,37頁)

まるで苦行のような生活であるが、僧侶ではないから僧侶が得る社会的地位は得られない。いっそ彼女自身が尼僧であれば、楽だったのではないかと思えるほどだ。

それでも、みつ子は夫の不安定な立場を気遣い、不満を漏らさなかったという。

夫の立場がどう不安定だったかといえば、彼は、住職の二人の息子が後を継がないために寺の後継者として雇われだのだが、やがて住職の気持ちが変化したのだった。

住職は身内に継がせたいと思うようになったというのである。この後継者問題で住職夫妻との折り合いが悪くなったということらしい。

ひどい話である。

寺の後継者になれないことが最初からわかっていれば、みつ子の夫はそこへは就職しなかった可能性もある。寺を継げないとなると、将来に対する展望がなくなってしまうだろう。住居の問題一つとっても、先で寺を継げるのと継げないのとでは大きく違ってくる。

以下の記事がサラリーマン僧侶の職場環境を知る助けになる。

サイト「給料BANK」の住職・僧侶の給料や初任給を解説した以下の記事、

  • http://kyuryobank.com/kankon/jushoku.htm

読売オンライン「大手小町」における記事、

  • http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0517/4099

お坊さんとの質疑応答サイト「hasunoha」の以下の記事、

  • http://hasunoha.jp/questions/2332

住職の気持ちが変化したらしたで、別の寺に紹介するのが筋ではないだろうか。これでは寺に騙されたも同然ではないか。ブラック企業さながらだ。

新婚当初から夫は部屋にカーテンもつけず、新聞もとらなかった。ゴミの処理の仕方から布団の干し方まで細かく指示したという。

これは、山田夫妻の新居が職場でもあったからではないだろうか。

前掲書には、次のような記述があるからである。

九四年、一月、長男を出産。自宅に戻ると、体調も戻らぬうちから、毎日のように訪ねてくる夫の客にお茶や食事の接待をした。この時の無理がたたって体の具合を悪くし、まもなく再入院している。(歌代,2002,135頁)

みつ子は実家で出産したかったが、住職への気兼ねと夫の食事の心配などから、それができなかったとも書かれている。

築二十余年という八階建ての賃貸マンションは天井の低い昔ながらの造り。四十六平米ほどの2LDKに住み、西側のベランダからは、すぐ裏手を走る首都高速が間近に見える。(歌代,2002,15頁)

このような住居で、赤ん坊が生まれたというのに、一部屋を来客用としてとっておかなくてはならないとしたら大変だ。

うちは、子供が小さかった頃には夫の同僚が狭い家に10人ほども飲みに来たりして、沢山用意したはずの食べ物や氷があっという間になくなり、慌てて暗い中を当時は少なかったコンビニへ走っていったことなど思い出すが、新婚時代に上司2人を招いたときを例外として、気持ち的には気楽だったから、家計さえ気にしなければ、当時は健康でもあったし、結構楽しかったような気もする。

しかし、みつ子が迎えなければならなかった客は、粗相があってはならない、気の張る客だっただろう。

檀家の夫婦によると、みつ子の寺での様子は控えめで、礼儀作法もできていたという。

法事の合間にはお茶をいただくのですが、そんな時もとても気をきかせてくれて、茶碗が空く頃にすっと現れて、お茶を入れてくださる。(歌代,2002,24頁)

旧家の出らしい、そして完全主義者らしいみつ子の姿である。

救いを求め、またみずみずしい関心を抱いて仏教の世界に入ったそこは、表向きの仏教しか存在しない世界だった。

山田夫妻が寺という職場で受けた非情な扱いから、明治時代の廃仏毀釈やGHQによって損なわれた現代日本の宗教の生々しい病態が見えてくる気がする。

仏教の世界ではつらい労働と将来の不安しか得られなかったみつ子が、今度はママ友の世界に救いを求め、かつての夫の身代わりともいえる、「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」と感じられるような友人を探したであろうことは想像に難くない。

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2016年10月17日 (月)

廃仏毀釈と岡倉天心と神智学。図書館の完成(リヴリー)。

ノーベル文学賞がボブ・ディランに授与されることになり、軽い虚脱状態に陥ってしまった。以下は、閲覧した海外の作家たちの反応。

明治の廃仏毀釈から仏教美術品を部分的にでも救い上げることに成功した岡倉天心、フェノロサが神智学と無関係ではないことは知っていたが、仏教復興運動に尽力し、スリランカ(セイロン)独立の父といわれるアナガーリカ・ダルマパーラについては知らなかった。

以下はyourペディアの記事へのリンクと引用。

「シンハラ人エリート家系に生まれたダルマパーラは、幼少期にブラヴァッキー・オルコットの神智学協会に心酔し、神智学を媒介として仏教復興に生涯を捧げる決意をするに至った 」

「生前四回も来日し、高楠順次郎・田中智学・大川周明・岡倉天心といった思想家とも交流をもったといわれる」

アジア主義を唱えた大川周明はシュタイナーの著作を翻訳している。

ブラヴァツキーの神智学に薫染した人々の中から、文化保護のために働いた人物が数多く出ている。

誹謗中傷に晒されているせいで、こうした神智学協会の功績や、ブラヴァツキーの諸著の優れた内容が広まりにくい(誹謗中傷する人々は、読みもせずにあれこれいえるのが不思議である)。

神智学協会をめぐって発生したこうした社会現象。原因は絡み合って見える。非力ながら、それを少しずつ解きほぐそうとしているところである。岡倉天心についても調べたいと考えている。

ノーベル文学賞や芥川賞が溶解していくような恐ろしさを覚えるのも、プロにはなれないながら物書きとしての思いがあるからだが、それより大きな部分を占めているのは文化保護の観点からの懸念なのだ。

平凡な主婦でありながら、わたしの中には人類の優れた文化財を保護したいという燃えたぎるような思いがあり、これは生まれつきのものだと思っていたが、大学時代から読んでいる神智学の本の影響から来ているのかもしれない。

萬子媛の小説のほうは、御遺物メモの続きがある。遅々として進まないが、加筆すべき箇所ははっきりしている。

気分転換にリヴリーと遊び、ヤミ箱を引いたら、外国語で作家という名の長男が「螺旋階段つき本棚の島」を引いてくれたので、嬉しかった。長女は虫眼鏡で古文書を読んでいる。

20161017e_2

前に引いた、大きな窓のある「天文学者の部屋」と組み合わせると、大図書館風?

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2016年10月11日 (火)

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました。

許可もいただかずにそのメールを掲載するわけにはいかないので、わたしの返事を掲載します。

Y様、ありがとうございます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

Y様

メール拝読しました。

バチカンの教皇庁文化評議会と教皇庁諸宗教対話評議会が2003年に発表した「『ニューエイジ』についての考察」という論文とそれを収めた邦訳書があることは知りませんでした。

これはカトリック教会の公式文書ですね?

すぐにでも目を通したいところですが、残念ながら利用している二つの図書館には置かれていないようなので、金銭的余裕のできたときに購入したいと考えています。

ご紹介のブログを閲覧したところでは、「ニューエイジ」という用語の出典については書かれていても、漠然とした定義のように思えますが、本ではどのように定義され、どのような批判が展開されているのか、甚だ興味があります。

わたしは無知な一神智学徒にすぎませんが、あまりにブラヴァツキーバッシングがひどいので、彼女の論文のどこが攻撃されているのかを調べたところ、これまでのところではすべてのケースでろくに読まれてもいないことがわかり、個人のブログでそれに対する疑問を表明することが適切なことだとは思っていませんが、火のないところに煙が立ちすぎている恐ろしさを感じて自分なりの調査を進めていたところでした。

わたしはブラヴァツキーがイエス・キリストを批判した文章を一行も読んだことがなく、「『天国の奥義』と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違い(略)」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、24頁)という彼女の言葉に表されているように、ブラヴァツキーの批判はあくまでイエスの教えを私物化し、歪めようとするキリスト教会に対する批判です。

火のない煙では焼き芋を作ることもできないので、今後も地味な調査を続けていきたいと思っています。

御礼があとになりましたが、この度は貴重な情報をありがとうございます。

マダムN

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