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2018年4月14日 (土)

ヤコブ・ベーメに関するメモ(16日にメモ追加、まだ書きかけ)

トルストイ『戦争と平和』にはバラ十字系ロシア・フリーメーソンの記述があるので、その関連から神智学の本でバラ十字についてざっと調べたあとは、神秘家、錬金術師、神智学者とされるヤコブ・ベーメはバラ十字であったとバラ十字会のオフィシャルサイトにあったので、家にあった邦訳版のベーメの本を読んでいた。

ヤコブ・ベーメについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説「ベーメ(Jacob Boehme」には「神秘家であって、偉大な哲学者であり、最も優れた神智学徒の一人である。1575年頃、ドイツのゲルリッツ市の近くに生まれ、1624年に50歳近くで没した。村の学校で読み書きを習ったあと、ゲルリッツの貧しい靴屋の徒弟となった。全く驚嘆すべき力のある天性の透視家であった。科学教育を受けず、その知識もなかったが、多くの本を書いた。今、それらの著作には科学的真理がたくさん含まれているのが証明されている」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.56)と始まって、1頁まるごと使って解説されている。一方では、「この偉大な神智学徒が300年後に生まれていたとすれば、それを別の言い方で表現したであろう」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.57)とも書かれている。

ヤコブ・ベーメの邦訳版著作が1冊だけ、我が家の本棚にあった。教文館刊行の「キリスト教神秘主義著作集」の中の1冊で、第13巻がヤコブ・ベーメである。

めったに邦訳版の出ることのないベーメの貴重な著作であることは、これを購入した30年ほど前のわたしにもわかっていた。

が、わたしは2人の子供の子育て真っ最中、純文学の賞狙いで熱くなっていたころだったので、当時5,000円というのは高額に感じられ――今もそうだが――、もう1冊同じシリーズの17巻に入っているサン・マルタンとどちらにすべきか、大いに迷った。

どちらか1冊しか買えないとなると、ベーメだろうか。神秘家、錬金術師として有名なベーメの著作がどんなものであるのか、触れてみたい。サン・マルタンはまたの機会に。作家の端くれにでもなれたら、自分の小遣いくらいは稼げるようになるだろうから――と当時のわたしは思った。

作家の端くれにもなれなかったわたしには今でも購入できるサン・マルタンはやはり、高価だ(アマゾンで見ると、7,020円)。ベーメは中古品しかない。この街の県立図書館にこのシリーズは置かれていないようだ。

サン・マルタンに対する興味は、バルザックの著作に度々出てくるところから来ていた(バルザックはバラ十字だった)。サン・マルタンがバラ十字の祖の一人とされている哲学者ということは知らなかったので、むしろ今のほうが強く惹かれる。そのうち中古品でも購入して読んでみなくてはと思う。

ロシア文学のすばらしさを知らない文学好きはいないと思うが、そのすばらしさがどこから来ているのか、わたしにはずっと謎だった。

今、ロシア思想界を席巻したといわれるほどにバラ十字系フリーメーソンの影響が強かったことを思うとき、ロシア文学の研究にはバラ十字の研究も加えられるべきではないかと思う。

世界的文豪とされる作家の作品にはほぼ例外なく、神秘主義の芳香がある。純文学から神秘主義的要素を削ぎ落してしまっては、純文学自体が死んでしまうのだ。

これまでにも書いてきたことだが、第二次大戦後の日本では、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果として左翼が勢力を伸ばし、学術研究においても彼らが主導的立場をとることになった。彼らの唯物史観に障る分野の研究はなおざりにされてきたという実情があるのだ。

拙神秘主義エッセーブログの「20 バルザックと神秘主義と現代」でも引用したが、『バルザック全集 弟三巻』(東京創元社、1994・8版)の解説で、安土正夫氏が次のようなことをお書きになっている。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」 は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

神秘主義に対するマルキストの誹謗中傷は、今やそっくり彼らに返っていったのではないだろうか。

話をヤコブ・ベーメに戻そう。

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ヤコブ・ベーメ(1575年 - 1624年)
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『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収「神智学書簡」を読むと、ベーメの作品とされるものがどのように書かれたのか、また最初は単なる覚書として、次には方々の質問に答えようとして何冊か本を書いたがために、誹謗中傷や迫害を受けたことがわかる。

第12の手紙には次のように書かれている。

私の書いたのは、いろんな本を勉強して学んだ知識や学問によるのではなく、わたしの内部に開かれた私自身という本から書いたものです。つまり、神の高貴な像(すなわち神の似姿である人間)という本を読む恵みが与えられたのでした。(……)
主の霊がそのうちに働かない者が、神に関する事柄をどうして判断できましょうか。(……)社会的な地位などに関係なく人間のうちにあって判断を下す神の霊、目に見ることのない神の霊の助けなしには、だれひとり真理と主の御心をとらえることはできません。素人もドクトルも同じことです。
(ベーメ,南原,1989,pp.276-278)

べーメはごく平凡に日々を過ごしていたわけではなく、イエス・キリストの御心を一途に求めた人であった。ある日、それに対する応答を自らのうちに得たということのようである。

神のミステリウムについて何か知ろうとは、少しも望まなかったし、いわんや如何に探し如何にして求めたらよいか、何一つわかりませんでした。何一つわきまえぬ素人のように、私は、無知そのものでした。私が求めたのは、ひたすらイエス・キリストの御心だけ。(……)こうして心をつくして探し求めるうちに(はげしい苦悩におちいりましたが、そこから逃げ出してすべてを放棄するよりはむしろ死んだ方がましだとまで思ううちに)、扉が開き、15分間のうちに、大学で何年も学ぶよりもはるかに多くのことを見、そして知ったのでした。まことに不思議なことで、なぜまたそうなったのか自分でも分からなかった。私の心は、ただ神の御業をたたえるばかりでした。…(ベーメ,南原,1989,p.274)

ゲルリッツ市参議宛の第54の手紙には、自分や妻子に加えられる迫害から守ってほしいという切実な訴えが綴られている。ベーメの書いたものは巷で評判になり、賛否を巻き起こしたのだろう。

このささやかな本のなかで、神から賜物を授かった私の個人的ないきさつが記されておりますが、それは身分も高く、学問もある方々の依頼を断り切れず書きましたもので、いくたりかの方々の心を動かすことがあったとみえて、さる高貴な貴族の方が、愛の心から印刷させたのでございます。…(ベーメ,南原,1989,p.298)

ベーメを理解し、支援したのは、バラ十字であった人々が中心であっただろう。というのも、一般人にはベーメの作品は凡そ理解できないものであったに違いないからである。

バラ十字の最初の著作は1614年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)のカッセルで、第二の著作は1615年にやはりカッセルで、第三の著作は1616年にシュトララースブルクで上梓されている。

バラ十字がその存在を世に知らしめ、活動を表立って活発化させた時期と、ベーメの著作が世に出た時期とが重なる。

『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」(p.57)には、バラ十字会員はテウルギー師の後継者だと書かれている。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でIv)によると、キリスト教時代の神働術(theurgy)の最初の一派は、アレクサンドリアの新プラトン主義者イアンブリコスによって創設された。

しかし、エジプト、アッシリア、バビロニアの神殿では聖なる秘儀において神々の召喚が行われ、その役割を荷った司祭は最早期の太古の時代から神働術師と呼ばれていたという。

もしそうだとすると、バラ十字の起源は太古に遡ることになる。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』ベールの前で(lv)によると、神働術師はあらゆる偉大な国々の〈至聖所〉の秘教的教えに関する専門家だった。

イアンブリコスについて過去記事にもいくらか書いていたので、そこから引用する。

『神智学の鍵』の用語解説「イアンブリコス(Iamblichus)」には、イアンブリコスは「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)とある。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』によると、神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。… (ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でlvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

ALCHEMIST(錬金術師)はアラビア語に由来し、「これはたぶん、Kemet あるいは Kem,つまりエジプトという名前がもとになっている」(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxi)とブラヴァツキーは解説する。

ロベルトゥス・デ・フルクティブス(ロバート・フラッド)、パラケルスス、トマス・ヴォーン(エウゲニウス・フィラレテス)、ファン・ヘルモントらのような中世の薔薇十字団の団員たちは皆、錬金術師で、彼らはあらゆる無機物の中に隠された霊を探し求めた。

錬金術師を大法螺吹きのペテン師だと悪くいう者もいたが、ロジャー・ベーコン、アグリッパ、ヘンリー・クーンラート、化学の秘密のいくつかをヨーロッパに伝えたアラビア人ゲベルのような人たちに対しては詐欺師扱いも愚か者扱いもできまい。デモクリトスの原子論を基礎として物理科学を改革しつつある科学者たちは、アプデラのデモクリトスが錬金術師だったことを都合よく忘れている――とブラヴァツキーはいう。

また、ブラヴァツキーは次のようにもいって、錬金術師たちがどのような人々であったかに注意を促す。

自然に関する秘密の作業に一定方向にあれほど入り込んでいける人は,すばらしい理性の持主であり,研究を重ねてヘルメス哲学者になったに違いない,ということも都合よく忘れているのである。(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxii)

前述したように、ベーメの最初の著作『Aurorat(アウローラ)』は1612年に著された。切々と訴える具体的な文面から、ベーメが大変な日々を過ごしたことがわかる。

はじめて書いた本(アウローラ)は天からの授かりもので、私ひとりのために覚え書きのつもりで書き綴り、ひとには見せる考えはなかったところ、神のかくれたるおぼしめしか、いつか手許を離れ、牧師長様のお目に触れることとなったその次第は、尊敬おく能わざる参議のよく御存じのところと愚考します。私自身そのころ何一つわきまえず、たどたどしい言葉で、哲学、錬金術、神智学の根底について書き記し、それが人の目にふれるとは夢にも思いませんでした。牧師長様は、まさに他ならぬこの本を、私の意図に反してとり上げ、中傷してとどまるところを知らず、私は、キリストの名を辱めないために、ひたすら忍耐を重ねたのでございます。
しかるにお役所に呼ばれ、理由を述べて申し開きをせざるを得ない羽目になりましたとき、牧師長様は、今後一切筆をとり、ものを書かぬよう命ぜられ、私もそれをよしとしたのでございます。神がこの私を用いて何を為さんとおぼしめしているのか、その神の道がそのころの私にはまだわからなかったのでございます。とまれ、私の沈黙とひきかえに、牧師長様ならびに副牧師の方々は説教壇では私のことを言わぬと御約束なさったにもかかわらず、その後もひきつゞき中傷を受け、およそ根も葉もないあらぬことを申され、そのため町中の人々はそれを信じて、私ばかりか妻子も、さらし物となり、気違い同様の扱いを受けたのでこざいます。(……)
私の授かったものを検証するには、一般の人々ではなく、博士、牧師、学問のある貴族の方々が必要なのでございます。…(ベーメ,南原,1989,pp.296-300)

ヤコブ・ベーメの著作を読むと、ああやはりこれは神智学の著作だと思わざるをえない。ヤコブ・ベーメ(南原実訳)『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』(教文館、1989)の「シグナトゥーラ・レールム ――万物の誕生としるしについて――」の中の宇宙発生、天地誕生の下りからしてそうだ。

今日も時間切れ。ごはんの用意を含む家事があるので、中断します。今日は久しぶりに炒り豆腐をしようかな、アジを焼き、水菜とハムを和えて。それと、味噌汁かスープ
pp.38-39。ここにはあとで続きを書きます。

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2018年4月10日 (火)

バラ十字に関するメモ

笠間氏の論文には、18世紀のロシア思想界をバラ十字系フリーメーソンが席巻したと書かれていいる。

バラ十字団について、竜王会東京青年部編『総合ヨガ解説集』(竜王文庫、1980)には端的に次のように解説されている。

起源は,中世に教会から禁じられた学問を研究する知識人達が作ったギルド(同業組合)のような秘密組織。1614年から三年間にわたって三つの著作が著わされ,その存在を公然と明らかにした。三著作とは「世界の改革」「同志会の伝承」「同志会の告白」であり,「同志会の伝承」では,バラ十字団の始祖といわれるクリスチャン・ローゼンクロイツというドイツの貴族の生涯について書かれている。(竜王会東京青年部編,p.48)

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には、バラ十字への言及が所々にある。

例えば、プロエム(緒論)210頁と301頁には、バラ十字会員の最もよく知られているシンボル――七羽の雛達を養うために胸を引き裂いているペリカン――がバラ十字団の本当の信条を表し、それが東洋の秘密の教えから直接きたものであること、テウルギストの後継者達であったバラ十字や後世の火の哲学者達はマギと拝火教徒達から神秘的かつ神聖な元素の火に関する教えを得たと書かれている。

議事録685頁には、うっとりするような次の解説がある。

植物などの様々な種は、一条の光線が分裂して生まれた光線です。光線は七つの世界を通る時に、各世界で弱められ、何千も何百万もの光線になり、そうした光線はそれぞれ、自分の世界で一つの有知者になります。だから、各植物には有知者があり、いわば、生命の目的があり、ある程度の自由意志があるということがわかります。とにかく私はそのように理解しています。植物には感受性の強いものも弱いものもありますが、例外なく、どの植物もものを感じるし、それ自体の意識があります。その上、オカルトの教えによると、巨木から最小のシダや草の葉に到るまで、どの植物にもエレメンタル実在がおり、目に見える植物は物質界でのその外的な装いです。だから、カバリストと中世のバラ十字派はいつもエレメンタル即ち四大元素の霊の話をするのが好きでした。彼等によれば、すべてのものにはエレメンタルの精がいます。

長いので、このメモには引用しないが、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)の用語解説「拝火哲学者」の記述はとてもわかりやすい。

バラ十字に関係した記述は、ブラヴァツキーの論文には沢山出てくる。ただ、それはバラ十字という組織に関するまとまった記述としてではなく、上に引用したような採り上げかたなのだ。

バラ十字についてざっと調べたあとは、神秘家、錬金術師、神智学者とされるヤコブ・ベーメはバラ十字であったとバラ十字会のオフィシャルサイトにあったので、家にあった邦訳版のベーメの本を読んでいた。

昔読んだときは、ちんぷんかんぷんだったが、ブラヴァツキーの神智学を勉強してきたお陰で、内容に深入りすることは難しくてできないにしても、概ねどういったことが語られているかは理解できた。

魅了されてしまう、まるで詩のような文章であるが、彼の著作ではマクロコスモスである大宇宙とミクロコスモスである人間が対になっている。

また実験室の試験管の中で起きていそうなシンボリックな記述は、当然、人間という試験管でも起きていそうなことなのだ。

全く別の本で、ベーメの考えにそっくりな記述を読んだことを思い出した。道教の錬金術に関する本だった。道教の錬金術では老子の教えが、ベーメでは聖書がモチーフとなっている。またどちららにも惑星や元素、鏡などがシンボリックに出てくる。

ベーメの文章を理解するにはカバラと科学の知識が必要で、どちらもわたしには欠けているため、読み込むことはできない。でも、ブラヴァツキーの言葉に置きかえると、ある程度はわかる。

それについてのメモは、あとで。

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2018年4月 6日 (金)

トルストイ『戦争と平和』… 2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

目から鱗のオンライン論文に出合った。

『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン
著者: 笠間, 啓治
発行日: 1995年
出版者: 北海道大学スラブ研究センター
誌名: スラヴ研究(Slavic Studies)
, 42: 41-59
URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

この論文によると、『戦争と平和』は1805年から1812年の歴史的動乱に生きたロシア・インテリゲンチャの精神的苦悩と魂の遍歴をテーマにしている。主人公ピエールは煩悶から抜け出す第一歩をフリーメーソンとしての活動に見い出し、フリーメーソンの中で精神的な成長を遂げる。

そして、「19世紀初頭のロシアはフリーメイスンの活動のもっとも盛んな時期に当っていた。この時期のロシアを描写するには、フリーメイスンの要素を抜きにしては考えられない」という。

しかも、このロシア・フリーメーソンとは、ドイツからもたらされた中世神秘思想ローゼンクロイツェル系だというのである。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz、 1378-1484)はバラ十字団の創立者とされる伝説的人物だが、ローゼンクロイツェルというのはクリスチャン・ローゼンクロイツのことで、バラ十字系ということだろうか。

中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と論文には書かれている。

ピエールが魅了され、フリーメーソンになるきっかけとなった老人が出てくる。読みながらわたしも思わず魅了されたその老人は、ロシアが19世紀初頭のフリーメーソンの再興期を迎えたとき、ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた人物であるという。

『戦争と平和』に登場する人物は多いが、主要人物にはこのようにモデルがいて、その人々がフリーメーソンであったというのだから、驚かされる。

この当時のロシアにおいては、フリーメイスンであることはけっして秘密事項ではなかった。フリーメイスンの集会での議事録や出席者の名簿は、当局に報告するのが慣例になっていた」が、王政打倒を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたために当局が警戒感から目を光らせるようになり、1822年に禁止令が公布されることになったのだった。

論文には、禁止令の施行後も「フリーメイスンたちの純粋の理論的討議は一部の人たちによって続けられていた」とあるので、イルミナティの革命思想の影響も禁止令の影響も受けなかったフリーメーソンはロシアに存在し続けたということだろうか。

28歳のときにイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトは、バイエルン選帝侯領インゴルシュタットの出身である。バイエルン選帝侯領とは、神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身である。現ドイツ・バイエルン州の一部に当る。カトリックのイエズス会の家系に生まれた。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だった。教会法はカノン法ともいわれる、カトリック教会が定めた法である。ヴァイスハウプトは教会法を教授する神学者であったにも拘わらず、反カトリックであった。1776年には啓蒙主義的なサークルを作り、サークルはのちにイルミナティと名称を改めた。

ウィキペディア「イルミナティ」には、「1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。ヴァイスハウプトはミュンヘンでフリーメイソンと出会い、共感するところがあったためにフリーメイソンリーに入会した」*1とある。

だとすると、イルミナティとフリーメーソンは全く別の組織だが、バイエルンでイルミナティをつくったヴァイスハウプトがフリーメーソンになったことでその影響がフリーメーソンに及び、フリーメーソンでありながらイルミナティにも入る者が出てきたということになる。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の「はじめに」には、次のようなことが書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、フリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし「両者の意図と目的は一致しない」となった。このことをルートヴィヒ・クリスティアン・フォン・グロルマン〔1741-1809、ギーセンの法学者〕という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍[あまね]く浸透しており、至るところで活動していると見られていた。

この文章からは、イルミナティがどのようにしてフリーメーソンを侵食していったかの様子がわかるだけでなく、本来のフリーメーソンは宗教――それはキリスト教のようだが――と親和関係にあったことがわかる。

そして、イルミナティは禁止されたが、まるで強力な伝染病か何かのような世界的拡がりを見せていたようである。「禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた」とも、「はじめに」には書かれている。

前掲書『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』は、25冊のヴァイスハウプトの著作中9番目に書かれ(このとき、ヴァイスハウプトは38歳である)、彼の全著作中唯一邦訳された著作である。1787年に上梓された『イルミナティの新システム――全位階と装置の詳説――』を抄訳し、再編集したものだという。

この邦訳版は「秘密結社の組織論」を付録とした4章で構成されているのだが、4章は「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」というタイトルの下に、神秘主義が全否定されている。論拠薄弱なので(この内容に関してはこのあと見ていきたい)、わたしには単なるこきおろしとしか読めなかった。

ヴァイスハウプトはこのような反神秘主義でありながら、神秘主義の性格を持つフリーメーソンになったわけである。

ヴァイスハウプトの思想がどのようなものであれ、反カトリックでありながら――次第にそうなったのかもしれないが――教会法の教授を務め、反神秘主義でありながらフリーメーソンになるという不穏分子的性格が彼にあることは確かである。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』によると、バイエルン選帝侯が1784年6月22日にミュンヘンでイルミナティに出した禁令には、犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまで定められていたという。

ところが、ヴァイスハウプトはリベラルな公爵エルンスト2世の下に逃れ、ザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯年金を得て恵まれた82歳の生涯を終えたらしい。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』の「はじめに」に、ヴァイスハウプトの次のような言葉が紹介されている。

そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fürst)と国家を不必要とする。そうでなければ何のためなのか。

短絡的な結論づけはヴァイスハウプトの文章の特徴である。

いずれにせよ、反王政で、既存の国家政府を否定する思想の持ち主でありながら、宮中顧問官になってぬくぬくと生涯を終えたヴァイスハウプト……これを二枚舌、ご都合主義、二重基準、ダブルスタンダードといわずに、何といおう?

アダム・ヴァイスハウプトの行動にも思想にもこうしたダブルスタンダードが潜んでいて、それが人を狂わせる、最も危険な要素であるとわたしには思われる。狂った人々によって、組織が国家が狂うこともありえるのだ。

アグニ・ヨガの教えを伝達したエレナ・レーリッヒ(1879-1955)は、神智学協会を創立したブラヴァツキーの後継者といわれる人だが、エレナ・レーリッヒ(アグニ・ヨガ協会編、ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(竜王文庫、2012校正版)*2には、その後のフリーメーソンがどうなっていったかを物語る記述がある。ブラヴァツキーもエレナ・レーリッヒもロシア人である。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。*3…

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。*4…

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害なフリーメーソンの支部というのは、イルミナティに乗っ取られた支部の姿だろうか。何しろイルミナティは、1822年の帝政ロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

尤も、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、その原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソン結社が政治を目的とした組織ではないということ、またフリーメーソンは支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はそれまでに書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、マンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。


*1:ウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2018-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=67669253, (参照 2018-03-11).

*2:「至上我の光」500号(平成10年5月号)~527号(平成12年7月号)に渡って掲載されたものをその順に編集したもの。原本はⅠ、Ⅱの2巻本。

*3:レーリッヒ,クラーク訳,2012,p.73

*4:レーリッヒ,クラーク訳,2012,pp.126-127

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2018年3月19日 (月)

「79 ブラヴァツキーがニューエイジの祖とまつり上げられた過程が…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

当ブログにアップした過去記事二本を合わせ、加筆訂正したものです。ライン以下の「続き」に転載しておきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "「79 ブラヴァツキーがニューエイジの祖とまつり上げられた過程が…」を神秘主義エッセーブログにアップしました"

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杉本良男「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読んで

数日前に、オンライン論文、杉本良男「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005966>(2018年3月17日アクセス)を閲覧したので、以下の過去記事の内容と合わせて、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたいと考えている。

2018年3月 9日 (金)
杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/03/post-bba5.html

ブラヴァツキーはH・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 上 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩書房「ちくま学芸文庫」、2003)第一部第一信の中の「イギリス人の猜疑心」という節で、次のように書いている。

このように、自分の弱点を微に入り細を穿ってしゃべりながら、なおインド在住のイギリス人たちは、外国からの無邪気な観光客全員に、スパイの嫌疑をかけるのです。ロシアの芸術家でピアニストのオルガ・デュポン嬢が、二年ほど前訪印し、全国ツアーを行ったとき秘密警察員二十人がその行く先々に影のごとくつきまといました。(……)今ここに一団がやってきました。生粋のヤンキーであるアメリカ人の大佐、ロンドンからきた二人のイギリス人――狂信的な愛国者ですが自由主義者――それからロシア生まれのアメリカ市民、という構成です。この最後のメンバーに警察全体がいかに緊張したか! このグループが、未知の世界に関する哲学的な思索にしか関心がなく、浮世の政治に興味がないばかりか、問題のロシア生まれの旅行者は、政治のイロハもわからないことを分らせようとしても無駄でしょう。(ブラヴァツキー,加藤訳,2003,pp.032-033)

自分にかけられたスパイ疑惑について、ブラヴァツキー自身はこのように書いているわけである。

「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読む限りでは、杉本氏の関心がダークな政治的駆け引きと陰謀論にあると思われるし、当時のチベットにおける複雑な国際政治情勢を考えると、ブラヴァツキースパイ説をテーマとしたくなるのはわかる。

だが、他人の著作からの引用をつないで成り立っているような自身の論文の中で杉本氏は、前掲書『インド紀行』を採り上げておきながら、それをまともに読んだ形跡がないのが研究者の姿勢として疑問を抱かせる。

ブラヴァツキーの行動を研究していながら、肝心のブラヴァツキーの著作がろくに読まれていないことは、この論文からも容易にわかる。

だが、結局のところ杉本氏は、ブラヴァツキースパイ説が「つまり,マダム・スパイ説は,ある意味当たっているが,言葉の正しい意味で国家のスパイではなかったことになる」という結論に落ち着いている。

ただ、杉本氏のこの論文を読んだだけではわたしは逆になぜそういえるのか、論拠薄弱で腑に落ちないところがある。

これはわたしの単なるブラヴァツキー観にすぎないが、スパイになるにはブラヴァツキーはあまりに人間的、情緒豊かで不用心すぎるように思う。『インド幻想紀行』ではブラヴァツキーの考えや内面性が溢れんばかりであり、彼女を知ろうとする上で貴重な著作である。

杉本氏は、ブラヴァツキースパイ説があまり成り立たないとわかると、今度は構造主義的観点から彼女に役割を持たせようとする。

杉本氏はピーター・ゲイの著作から引用して「マルクス主義が宗教を大衆の阿片と言ったが,当時の大英帝国,ドイツなどでは,宗教が中間層の阿片として復活していたという逆転現象がみられるのである」という。

宗教を阿片と見なす、マルクス主義的な一面的解釈を、代表作『シークレット・ドクトリン』の扉に「科学、哲学、宗教の総合」と掲げたブラヴァツキーを語る場に持ち込まれると困惑する。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の序論には、宗教に関して次のように書かれている。

宗教がものを受け入れすぎるとすれば、唯物主義は何でもかんでも否定するが、それらの間の黄金の中点を固守する者、物ごとの永遠の正義を信ずる者は賢明である。(……)“真理に勝る宗教(又は法則)なし”これは神智学協会によって採用されたベナレスのマハーラジャーのモットーである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク,1989,「序論」p.177)

「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」を読んだ時点までは、杉本氏の論文がマルクス主義の見地から書かれたものだとの確信が持てなかったが、ここへ来てマルクス主義全開という感じである。

次のウィスワナーダンの著作からの引用もマルクス主義的解釈で書かれているためか、奇妙な表現となっている。

マダムの神智協会は,心霊のような霊媒を介さずに,手紙や霊気コミュニケーションによって直接交信する手段を使い,心霊主義を霊性と結びつけただけでなく,現代テクノロジーを神秘主義に結びつけた功績があるとする。マダムは歴史と物語の境界をあいまいにする可能性をも開き,テクノロジーが幽体分離,錬金術,時空圧縮などの経験を神秘主義と共有できると主張した。

霊気コミュニケーション、時空圧縮とは何だろう? 

ブラヴァツキーは心霊主義を霊性と結びつけたのではなく、心霊主義の誤った考えを指摘したのである。また、歴史と物語の境界をあいまいにしたのではなく、神話や伝承に秘められた意味を探り、探り当てた秘教の智慧を開示して、その歴史的意義を明らかにしたのである。

マルクス主義的――唯物主義的――解釈でブラヴァツキーという人物や行動、またその著作を捉えようとすると、どうしたって無理が生じる。

論文は、ブラヴァツキーが「記号論的存在からイデオロギー的存在へとまつりあげられた過程を詳細に検討するにつけても,マダム・ブラヴァツキーはまことに稀有な存在といえるであろう」と締めくくられている。

わたしは「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」と「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読んで、杉本氏のような一部のマルクス主義者――唯物主義者――がどのようにしてブラヴァツキーの虚像をつくり上げ、貶しながらニューエイジの祖にまつり上げたかの過程を見る思いがした。

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2018年3月 9日 (金)

杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。

オンライン論文、杉本良男「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005962>(2018年3月9日アクセス)を閲覧した。

この論文は序論らしいから、今後の展開を期待したいが、「日本の神智主義研究をリードしてきた吉永進一」とあったので、過去記事で吉永氏の論文について感想を書いたことを思い出した。その感想へのリンクが以下の記事にある。

2017年11月18日 (土)
前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/11/post-070c.html

杉本氏の論文に「神智主義,神智協会がいまだに知的関心の的であることに驚かされた」とあるのを読むと、序論から既に何かブラヴァツキーの近代神智学運動や神智学協会に対する否定的ニュアンスがあるような感じを受ける。

新たな情報に触れることができるのは嬉しいが、この杉本氏にしても、吉永氏にしても、ブラヴァツキーの主要著作を読んだことがあるのかどうか疑問である。他の論文の引用文からは否定的ニュアンスが感じられなかったりすると、余計に残念な気がする。

論文に「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とあったので、ウィキペディア「ニューエイジ」<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8&oldid=67581956>を閲覧した。

概要に、ニューエイジが「一般的に、19世紀の心霊主義、ニューソート、神智学の伝統から派生したもの、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている」とある。

そして、「ヨークは、『不便なことに、研究者がニューエイジにアプローチする際、適切で包括的な概説は存在しない』『多くの考えがありながら、運動全体について語ることができる者はいない』と述べている」とあるが、その原因の一つは、ニューエイジに対するブラヴァツキーの影響を指摘しておきながら(杉本氏は前掲のように「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とまで、いい切っている)、ブラヴァツキーの諸著の研究がアカデミックな場でなされてこなかったところから来ているとわたしなどは思う。

日本では第二次大戦後、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果、左翼が勢力を伸ばした。学術研究においても彼らが主導的立場をとることになったことから、ブラヴァツキーのような東洋思想に新たな光を当てて科学、宗教、哲学の総合という偉業を成し遂げた人物をも放置状態で、彼女の諸論文の学術研究も評価もされないままできているのだ。

研究がなされる場合でも、どこか見下したような視点での周辺的な、悪くすればゴシップ的なアプローチが多く見られ、こうした研究が学術研究という名に値するかどうか、甚だ疑問である。

彼らの研究自体がニューエイジの影響を感じさせる、恣意的な特徴を持っているようにわたしには思える。

まずはブラヴァツキーの代表的著作の研究がなされるべきで、それがなされずして影響も何も考察できるわけがない。

ブラヴァツキーの代表的著作の研究には古代ギリシア哲学をはじめとするブラヴァツキーが生きた時代までの哲学の基礎教養が必要で、左翼思想に染まった学者たちにこれらを身につけることが可能なのかどうか……

ニューエイジという潮流には、非学術的、ファンタスティック――というより妄想的といべきかもしれないが――な要素、左翼思想(ニューエイジの特徴らしい世界政府樹立の推進は、アダム・ヴァイスハウプトを祖とするイルミナティが希求したところのもので、マルクス主義に取り込まれた)、心霊主義(ピプノセラピーには無知からくる催眠術の安易な利用があり――ピプノセラピスト本人が如何に善良であろうとも黒魔術となってしまう――、それによる降霊術がその正体である)、金銭的利益を目的とした商業利用が潜んでいるように思われる。

いずれも、ブラヴァツキーの思想には存在しない要素である。

他にもウィキペディアにはいろいろなことが書かれているが、火遊びにも似た軽率な「霊や異次元の存在との交流(交霊・チャネリング)」は心霊主義者を連想させる行為であり、「病気や貧困・悪は実在せず、心の病気または幻影であるという考え」はブラヴァツキーの時代に存在したクリスチャンサイエンティストとメンタルサイエンティスト達の考えである。

「『精神的な豊かさが物質的な豊かさに直結する』、端的に言うと「『精神が物質化する』という考え方」は、民間信仰によく見られる現世利益的考え方である。

ブラヴァツキーの神智学はアリス・ベイリー、シュタイナーの思想とは違うが、これらの区別もつかないままに、大衆的に取り入れられ、民間信仰となった面があるといえるのかもしれない(調べてみないと、わからない)。

左翼が、左翼的解釈で、神智学協会の影響を受けた人々の思想をムード的に取り入れてニューエイジの形成に使った、といえそうな気もする。

というのも、ニューエイジという括りはヒッピー・ムーブメントを連想させるからで、様々な思想、文化芸術のムード的、無節操な取り入れ方が似ている。

アニメーション監督の宮崎駿は筋金入りの左翼として有名であるが、彼のアニメは充分にニューエイジ的なのではないだろうか。

ところで、日本ではおそらく哲学・思想事典の最高峰に挙げられるであろう『岩波哲学・思想事典』では、神智学協会――事典では神智協会――について、どのように書かれているのだろうか。

気になり、読んでみて安堵した。執筆者は歴史学者で、南アジア近現代史が専門の藤井毅氏である。

神智協会について、創設から各地に支部、連携団体が結成されたこと、「A・ベサント夫人の参加によりインドの合法的自治運動や民族的教育を積極的に支持するようになったが,M.K.ガンディーの登場とともに退潮した」こと、一時期J.クリシュナムルティーも籍を置いたことが述べられている。

残る三分の一ほどの記述を、以下に引用しておく。

 宇宙と存在の全ては相互に関わり合いを持つ一体で,偏在する同一の源に発し,目的と意味を持ち秩序ある形で顕現するとした.
 宗教・哲学・科学の統合を目指し,未解明の自然法則と人間の潜在能力の研究が重視された.この点で先行する神智思想を継承するが,個々の宗教伝統が持つ団体の価値観を尊重し,人種・信条・性別・カーストなどに基づく差別を乗り越えて人類同胞の実現を図り,南アジアの精神復興に寄与したことで特異な役割を果たすことになった.インド古典学の研究に多大な貢献をなしたばかりか,オルコットは仏教を受け入れ,セイロンにおける仏教復興を刺激した.人智学を唱えたR.シュタイナーにも影響を与えた.
〔藤井毅〕(廣松渉 ・編集 『岩波哲学・思想事典』岩波書店 ,1998,「神智協会」p.831)

ちなみに、ブラヴァツキーは政治活動について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)で以下のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。(ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228)

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2018年2月20日 (火)

チャート式の安心感。ピタゴラスのデカド(10からなるもの)。

国会中継をつけっぱなしにした居間で、家事の合間に数研出版編集部 (編さん)『チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)』(数研出版、2012)の問題を解いていました。

チャート式は昔馴染んだ参考書・問題集であるせいか、安心感があります。右側のページの半分ほどを使って、「復習メモ ~解き方のルール~」という解説の欄が設けられているので、問題集ですが、わからなければそこを見て覚えることができるようになっています。

その欄では要点が簡潔にまとめられていて、ぴしっと頭に入ってきます。

中学・高校時代には文学書ばかり読んで、まともに数学をしなかった気がするので、一々新鮮に感じられるのかもしれません。

誤植、ミスの多い大人向きの中学数学の問題集で関数に入るところだったので、チャート式ではそこに入るまでの部分を飛ばすつもりでした。中学数学を早く終えて、高校数学に入りたいという焦りがあって。が、少しやってみて、これは最初からしっかりやっておこうと思い直しました。

採点してみると、大人向きの問題集でも同じような問題をしたにも拘わらず、案外ミスってます~。チャート式のほうが出題傾向は徹底しています。高校受験にも対応できるだけの中学数学総仕上げ、及び実践力を養う問題集であるだけのことはあります。

まあ、やりかたがわかっているのにミスが出るのは、反復練習が足りないからですね。

ピタゴラスの定理(三平方の定理)はまだ出てきません。ピタゴラスを意識すると、どうしたって、神智学の本を開きたくなります。

ピタゴラスの定理などと一緒にピタゴラスの哲学も教わっていたら、確実に数学が好きになれただろうにと思います。

高校生くらいになれば、ピタゴラス哲学に関するブラヴァツキーの以下の解説などはある程度理解できるのではないでしょうか。

ピタゴラスの教えに対する鍵は、多様性のなかの単一性,多くのものに発展し多くのものに浸透している一なるもの,という一般的定式である。これは簡単に言えば,発出[流出] emanation という古代の教えである。[略]神秘的な〈10なるもの〉 Dekad, 1+2+3+4=10 は,この観念を表現する一つの方法である。〈1〉 は神,〈2〉 は物質。〈3〉 は, 〈1からなるもの〉 Monad  と 〈2からなるもの〉 Duad を結びつけて,両方の性質を分かち持つが,これは現象世界のことである。〈3からなるもの〉 Tetrad,つまり完全性の姿は,いっさいのものの空虚さを表わす。そして〈10からなるもの〉,つまりいっさいの総和は,秩序ある宇宙の全体を包摂している。宇宙は 1000 の要素の組み合わせでありながら,一つの精神[スピリット]の現れとなっている――混沌から思慮分別まで,秩序ある宇宙から理性までが,そこにはある。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でⅹⅹ)

創造の観念におけるこうした数列の組み合わせは、すべてインド的なものだとブラヴァツキーはいいます。

ピタゴラスの哲学に関しては、以下の本によくまとめられていますが、アマゾンで検索したところでは中古しか出ていないようです。

象徴哲学大系 2 (2)秘密の博物誌
マンリー P.ホール (著),‎ 大沼 忠弘 (翻訳)
出版社: 人文書院 (1981/01)
ISBN-10: 4409010522
ISBN-13: 978-4409010525

以下の本は幸い、新品が出ています。

ピタゴラス的生き方 (西洋古典叢書)
イアンブリコス (著),‎ 水地 宗明 (翻訳)
出版社: 京都大学学術出版会 (2011/6/13)
ISBN-10: 4876981906
ISBN-13: 978-4876981908

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2018年2月18日 (日)

やっぱりチャート式かな。2月14日に代謝内科受診。

大人向きに編集された中学数学の問題集をやってきましたが、相変わらず間違いが見つかったり、単元が進むと説明不足でわかりにくいところが目につき出したりで、娘が高校時代に使ったチャート式を開いて中学時代のまとめに目を通すことが多くなりました。

チャート式はさすがに、わかりやすい。

が、中学数学はとても大事なので、以下のチャート式を買うことにしました。娘に頼み、税込み712円でした。近くにK教室スタッフの求人が出なくても、この勉強はウォーミングアップとしても、他の面でも役に立つと思います。

チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)
数研出版編集部 (編さん)
出版社: 数研出版 (2012/10/1)
ISBN-10: 4410150456
ISBN-13: 978-4410150456

とにかく、間違い探しをしながら忘れてしまった中学数学の問題集をすることに疲れてしまいました。

でも、思わぬ発見ですが、数学を本当に楽しく感じます。数学の厳密さが、やはりわたしには神智学を連想させ、同じときめきを覚えるようになった次第です。

中学数学すらほとんど忘れてしまっていて、新しく覚えているような状況ですけれど、今何にアプローチしているのか、どんなことに応用できるかを考えられるのは大人になった今だからこそ、できているような気がします。

それにしても、数学で使う日本語(数学用語)って、かなり難解ですね。ほとんど丸暗記していたのではないかと思います。日本語としての意味を連想しすぎるから、文系にとって数学は難しく感じるのかもしれません。

高校数学の第一章「数と式」で、「単項式の次数とは,掛け合わされた文字の個数のことである。また,特定の文字に着目するときには,着目する文字以外の文字は,すべて数と考える」(山口清・小西岳著『改訂版 チャート式 基礎と演習 数学Ⅰ+A』数研出版、)とあり、文字を数と考えるなど、文系の頭には斬新な発想に思えます。

神智学では、数を文字(意味を持った言葉)と考えるピタビラス派の思想が出てきます。数は生きており、意味を持っているという考え方はバラ十字の会員だったバルザックの小説にも出てきます。

数学用語を日本語としての意味を持った言葉としてではなく、アイテム名、ツール名と考えればいいような気もします。数学に関する興味深いエピソードを紹介しているサイトも見つかりました。

住居問題は土日で休眠中(?)。この時期は仕事が多いのか、法人関係を主に扱っている不動産屋さんだからか、後回しになっているのかもしれません。

14日に日赤・代謝内科を受診しましたが、いつもと同じような検査結果でした。忘れなければ、別の記事にします。このところ、心臓の調子はとてもいいです。

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2018年2月10日 (土)

アバ嬢もオリンピック気分。中学数学のお勉強。神智学。

平昌冬季五輪、始まりましたね。

わたしは特に、スノーボード男子ハーフパイプに平野歩夢選手が出るのを楽しみにしています。

冬季五輪に合わせて、うちのアバ嬢にもフィギュアなんぞさせてみたくなり、神経衰弱でフィギュアスケート衣装、フィギュアスケート靴、背景:スケート場を狙ってみました。

背景はなかなかとれませんが、なぜか衣装と靴はすんなりとれました。うちのアバ嬢がほしがっているときは、すぐにとれるようです。

アバ嬢の気持ちとしては、スケートはしてみたいけれど、競技なんかに出るのは嫌、ということでしょうか。

氷上シートを2枚とり、設置。おお、滑りに来ました。

空中で回転なんてのも、やっています。いやー凄い、平昌にやらなくてはと思うほどです。

回転中。

住居問題はまだ片付いていません。不動産屋さんがいうには、大家さんに連絡がつかないのだそうです。急ぐわけではありませんが、落ち着きません。連休明けに事態が動き出すと思います。

で、予定外の出費になりそうだということから、それが今後のことを考えるきっかけとなり、条件に合いそうな仕事があれば、応募してみたいという気持ちが芽生えました。

ただ、実際に出るとなると、家族の協力が必要で、そうでなければこの計画は破綻します。

過去に検査入院したときのことを思い出すと、皺寄せが全面的に娘に行くだろうとの想像がつきます。娘が、わたしが外へ出ることに積極的でないのはそのためです。

自身の健康問題さえなければ、それほど家族に迷惑をかけることなく、若い人に負けないくらいに頑張れる自信はあるのですが、一番基本的な健康問題……。

長続きさせるためには、家にいるときになるべく体を休めることが必要で、そうなると、家族の協力がどうしても必要となってきます。

ウォーキングにさえドクターストップの出る体で、どれくらい頑張れるでしょうか。疲れると、わたしは不整脈が起き始めるのですが、この場合は心臓のポンプ機能の低下が原因なので、よくなるまで安静にして過ごす必要があります。

無視して動き続けると、不整脈がひどくなり、そうなると、眩暈がして歩くことさえ難しくなることがあり、血液の固まり(血栓)ができやすくなります。これが怖い。万一脳へ飛んだらと思うと。

還暦過ぎると、清掃スタッフあたりが一番現実的な応募かもしれません。わたしはどのような仕事でも雇われれば精一杯やります。体がついていくかどうかです。

リスクを考えると、なるべく外へ出たくありませんが、最近乳酸菌で調子がいいので、近くでK…教室のスタッフ募集があれば行ってみるかもしれません。

過去記事で誤植の多い問題集のことを書きました。新しい問題集を買いに行っていないので、まだ同じ問題集をやっています。間違いが今日もみつかりましたよ。

でも、なぜか中学数学が楽しいです。高校数学ほど難しくないからかもしれませんが、情けないことに、もうほとんど忘れてしまっています。新しく覚えるという感じでしょうか。それが楽しいのかな。問題集を開くときに、ときめきを覚えるなんて、自分でもびっくりしてしまいます。

それはゲームのようでもあり、厳正な哲学理論に触れているようでもあります。実際に数学はそうだと思うのです。

神智学の本を開くときのときめきに似ているのも、そのためでしょう。わたしには難しすぎますが、ブラヴァツキーの論文には数学や物理に関することがよくでてきます。科学者の名前も沢山。

ブラヴァツキーの論文では、数字がピタゴラス、プラトン、新プラトン学派によって用いられたところの象徴言語として出てくるのが特殊なところです。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)では、『ジヤーンの書』から引用された象徴的な詩にそって、深遠な哲学が展開されます。

永遠の親(空間)は常に目に見えぬ彼女の衣に包まれ、七つの永遠の間、再び深い眠りに落ちていた」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.239)というスタンザに七つの永遠という言葉が出てきますが、その永遠を計算法する方法があるというのですから、初っ端からびっくりさせられます。

ただ、この七つの永遠というのは、長い時代を意味するにすぎないそうです。神智学では、永遠という言葉であれ、他の言葉であれ、ムードを出すために使われることはありません。

論文のテーマを超えたことに言及されることもありません。だからわたしは繰り返し、ブラヴァツキーの次の言葉を思い出すことにしています。「これから与えられるスタンザはすべて、一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけを扱っていることを読者は覚えておかなくてはならない。普遍的コスモスの進化についての秘密の教えは与えることはできない。それはこの時代の最高の叡智の持ち主にも理解できないからである。〔略〕従って、伝えられることは、“梵の夜”が終わったあとの我々の目に見えるコスモスについてだけである」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,プロエム(緒論)p.201)

このスタンザでいわれている七つの永遠とは「マンヴァンタラの七期の継続に相応する期間であり、総計311,040,000,000,000年となるブラフマーの100年で、マハーカルパ即ち大時代の間中に続いている。ブラフマーの1年はブラフマーの360日と同じ数の夜(チャンドラヤーナ即ち太陰年で計算すると)で構成されている。‟ブラフマーの一日”は人間の4,320,000,000年で構成されている」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)とか。

こうした‟永遠”は最も秘密な計算によるものだそうで、その計算では本当の総計を得るためには、7のX乗でなければならないそうです。

Xは主観的即ち本当の世界の周期の性質によって様々である。また、客観的、即ち真実でない世界での最大の周期から最小の周期に至る様々の異なる周期に関係があったり、その周期を表しているすべての数は必然的に7の倍数でなければならない。これについての鍵は与えられない。そこには秘教的な計算の神秘があるからで、普通の計算のためには何の意味もない。‟7”という数は神聖な秘儀で教えられる偉大な数である”とカバラはいう。10即ちピタゴラスのデカドはすべての人間的知識の数である。1,000は10の3乗であり、従って、7,000という数もまた象徴的な意味がある。シークレット・ドクトリンでは、4という数字と数は最高の抽象界でのみ男性のシンボルである。物質の世界では、3が男性で、4が女性である。象徴が物質界での生殖のシンボルとなった時、即ち象徴学の第四段階では、3と4は縦と横となる」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)

神智学では、パラブラフマンといわれる抽象概念だけが唯一の絶対的実在だと教わります。あとはすべてマーヤー(幻影)というわけです。主観、客観という言葉は、このような基本認識から用いられる哲学用語としての主観、客観です。

神智学徒の中には七年ごとに節目があると考え、人生設計をしているかたもいらっしゃったような……。

家計の話からパートの話、中学数学の話から神智学へと話が逸れてしまいました。

中学数学の話に戻ると、当たり前のように出てくる自然数、整数、素数ですが、それらが何であるのか説明せよといわれると、返答に窮してしまいます。そのあたりから勉強しなければなりませんでした。

老化現象のせいか、計算ミスが多いのには驚きます。K…教室でバイトしていたころ、簡単な四則演算くらいは解答を見ずに、素早く、正確に採点するように求められましたが、訓練しないと、自信ないなあ。

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2018年1月23日 (火)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』(メイベル・コリンズ著、星野未来訳、Kindle版)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』がKindle版で出ています。

睡蓮の牧歌
Kindle版
メイベル・コリンズ (著),‎ 星野 未来 (翻訳)
ASIN: B07959C7V7

物語の面白さに釣られて、本好きの人なら最後まで一気読みしてしまうでしょう。

それでいて、読んだ後に確かなものが残り、まるで目に見えない宝物を手に入れたかのような満足感をもたらしてくれます。

神秘主義的な芸術作品にしか見られない、しっかりした構成、繊細な描写、永遠性に根差しているかのような格調の高さを感じさせます。

それというのも、知る人ぞ知る、著者が神智学作家として有名なメイベル・コリンズ(Mabel Collins,1851年9月9日 - 1927年3月31日)ですから、並みの読書体験では済まないというわけなのです。

以下、ネタバレありなので、これから読もうとされているかたはご注意ください

祭司見習いの少年が神殿の門をくぐるところから物語は始まります。そのうち白い女神(睡蓮の女神)が、さらに間を置いて黒い女神が登場します。描写が、どちらも圧倒的です。

生と死の神秘が万華鏡のように散りばめられるなかで、白い女神と黒い女神が、白い祭司と黒い祭司が、光と闇が戦いを繰り広げる様は、一人の人間に起きる内面劇でもあることを、訳者あとがきに引用された著者の言葉は示唆しています。

同じく訳者あとがきで引用されたバラモンの神智学徒スバ・ロウは、この物語の舞台となった古代エジプトがこの頃どうであったかを解説しています。彼らの宗教は純粋さを失い、退廃し始め、黒魔術が利己的かつ非道な目的に使われていたようです。

わたしはメイベル・コリンズのこの作品 The Idyll of the White Lotus (1890) を「白蓮の田園詩」というタイトルで、竜王会の機関誌「至上我の光」に田中恵美子先生が翻訳連載されていたのを、当時楽しみにしていました。

それについて過去記事(2006年8月4の記事)に書いているので、引用します。

神智学を教えていただいた田中先生が竜王会の機関誌に『白蓮の田園詩』という題で邦訳連載されたのをわたしは最初に読み(単行本化はされていません)、その後、「書肆 風の薔薇」発行の『蓮華の書』(西川隆範)という邦訳本を書店で見つけて即座に購入しました。これも美しい訳です。
それはエジプトの神殿を舞台とした物語で、魂の旅路を描いたといえる作品です。
いつ頃からか、ファンタジーものが大層流行っていますが、本来神秘主義のものであるところの神聖なシンボルやイメージ、エピソードなどが玩具のように扱われ、流通する実態をわたしは痛ましいことだと感じてきました。
それらが玩具であるなら The Idyll of the White Lotus は命の糧というにふさわしい作品だとわたしは思います。

今回改めて田中恵美子、西川隆範、星野未来という三者の翻訳で読み、原書は未読なので、あくまで翻訳を通してですが、三者三様の特徴と魅力に気づかされました。

田中訳からは逐語訳的な入念さと、行間から迸る清浄な情熱が感じられます。

西川訳では歴史仮名遣が使われています。そうした工夫と調和している流麗な文体が美しく、古代エジプトの出来事がエキゾチックでありながら、どこか日本の古典を読んでいるかのような親しみをもたらされます。

ただ、訳者あとがきによると、仏訳版を基とし、独訳版が参照されているようで、そのためなのか、あるいは一般向きということが考慮されているためなのか、その辺りのことはわかりませんが、神智学色が消えています。

また、第ニの書(第二部)、第四章の最後の部分に田中訳と星野訳では存在する蓮華の女王の赦しの場面がありません(田中訳では白蓮の女王、星野訳では白い睡蓮の女神)。

星野訳は田中訳、西川訳と比較すると、現代的な文章ですが、気品があります。田中訳と同様の入念さも備えています。

同じ星野訳によるH・P・ブラヴァツキー『新訳 沈黙の声』を読んだときもそうであったように(過去記事参照)、文章から音楽的な調べが感じられました。三者の中では、星野訳が最も文学的だという印象をわたしは受けました。

現代感覚で読める邦訳版『睡蓮の牧歌』と合わせて、人類の歴史の謎に迫るH・P・ブラヴァツキーの著作『ベールをとったイシス』『シークレット・ドクトリン』を読めば、満足度はこの上なく高まることでしょう。

ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中です。これに関する過去記事はこちらです。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

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