カテゴリー「Theosophy(神智学)」の189件の記事

2018年2月18日 (日)

やっぱりチャート式かな。2月14日に代謝内科受診。

大人向きに編集された中学数学の問題集をやってきましたが、相変わらず間違いが見つかったり、単元が進むと説明不足でわかりにくいところが目につき出したりで、娘が高校時代に使ったチャート式を開いて中学時代のまとめに目を通すことが多くなりました。

チャート式はさすがに、わかりやすい。

が、中学数学はとても大事なので、以下のチャート式を買うことにしました。娘に頼み、税込み712円でした。近くにK教室スタッフの求人が出なくても、この勉強はウォーミングアップとしても、他の面でも役に立つと思います。

チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)
数研出版編集部 (編さん)
出版社: 数研出版 (2012/10/1)
言語: 日本語
ISBN-10: 4410150456
ISBN-13: 978-4410150456

とにかく、間違い探しをしながら忘れてしまった中学数学の問題集をすることに疲れてしまいました。

でも、思わぬ発見ですが、数学を本当に楽しく感じます。数学の厳密さが、やはりわたしには神智学を連想させ、同じときめきを覚えるようになった次第です。

中学数学すらほとんど忘れてしまっていて、新しく覚えているような状況ですけれど、今何にアプローチしているのか、どんなことに応用できるかを考えられるのは大人になった今だからこそ、できているような気がします。

それにしても、数学で使う日本語(数学用語)って、かなり難解ですね。ほとんど丸暗記していたのではないかと思います。日本語としての意味を連想しすぎるから、文系にとって数学は難しく感じるのかもしれません。

高校数学の第一章「数と式」で、「単項式の次数とは,掛け合わされた文字の個数のことである。また,特定の文字に着目するときには,着目する文字以外の文字は,すべて数と考える」(山口清・小西岳著『改訂版 チャート式 基礎と演習 数学Ⅰ+A』数研出版、)とあり、文字を数と考えるなど、文系の頭には斬新な発想に思えます。

神智学では、数を文字(意味を持った言葉)と考えるピタビラス派の思想が出てきます。数は生きており、意味を持っているという考え方はバラ十字の会員だったバルザックの小説にも出てきます。

数学用語を日本語としての意味を持った言葉としてではなく、アイテム名、ツール名と考えればいいような気もします。数学に関する興味深いエピソードを紹介しているサイトも見つかりました。

住居問題は土日で休眠中(?)。この時期は仕事が多いのか、法人関係を主に扱っている不動産屋さんだからか、後回しになっているのかもしれません。

14日に日赤・代謝内科を受診しましたが、いつもと同じような検査結果でした。忘れなければ、別の記事にします。このところ、心臓の調子はとてもいいです。


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2018年2月10日 (土)

アバ嬢もオリンピック気分。中学数学のお勉強。神智学。

平昌冬季五輪、始まりましたね。

わたしは特に、スノーボード男子ハーフパイプに平野歩夢選手が出るのを楽しみにしています。

冬季五輪に合わせて、うちのアバ嬢にもフィギュアなんぞさせてみたくなり、神経衰弱でフィギュアスケート衣装、フィギュアスケート靴、背景:スケート場を狙ってみました。

背景はなかなかとれませんが、なぜか衣装と靴はすんなりとれました。うちのアバ嬢がほしがっているときは、すぐにとれるようです。

アバ嬢の気持ちとしては、スケートはしてみたいけれど、競技なんかに出るのは嫌、ということでしょうか。

氷上シートを2枚とり、設置。おお、滑りに来ました。

空中で回転なんてのも、やっています。いやー凄い、平昌にやらなくてはと思うほどです。

回転中。

住居問題はまだ片付いていません。不動産屋さんがいうには、大家さんに連絡がつかないのだそうです。急ぐわけではありませんが、落ち着きません。連休明けに事態が動き出すと思います。

で、予定外の出費になりそうだということから、それが今後のことを考えるきっかけとなり、条件に合いそうな仕事があれば、応募してみたいという気持ちが芽生えました。

ただ、実際に出るとなると、家族の協力が必要で、そうでなければこの計画は破綻します。

過去に検査入院したときのことを思い出すと、皺寄せが全面的に娘に行くだろうとの想像がつきます。娘が、わたしが外へ出ることに積極的でないのはそのためです。

自身の健康問題さえなければ、それほど家族に迷惑をかけることなく、若い人に負けないくらいに頑張れる自信はあるのですが、一番基本的な健康問題……。

長続きさせるためには、家にいるときになるべく体を休めることが必要で、そうなると、家族の協力がどうしても必要となってきます。

ウォーキングにさえドクターストップの出る体で、どれくらい頑張れるでしょうか。疲れると、わたしは不整脈が起き始めるのですが、この場合は心臓のポンプ機能の低下が原因なので、よくなるまで安静にして過ごす必要があります。

無視して動き続けると、不整脈がひどくなり、そうなると、眩暈がして歩くことさえ難しくなることがあり、血液の固まり(血栓)ができやすくなります。これが怖い。万一脳へ飛んだらと思うと。

還暦過ぎると、清掃スタッフあたりが一番現実的な応募かもしれません。わたしはどのような仕事でも雇われれば精一杯やります。体がついていくかどうかです。

リスクを考えると、なるべく外へ出たくありませんが、最近乳酸菌で調子がいいので、近くでK…教室のスタッフ募集があれば行ってみるかもしれません。

過去記事で誤植の多い問題集のことを書きました。新しい問題集を買いに行っていないので、まだ同じ問題集をやっています。間違いが今日もみつかりましたよ。

でも、なぜか中学数学が楽しいです。高校数学ほど難しくないからかもしれませんが、情けないことに、もうほとんど忘れてしまっています。新しく覚えるという感じでしょうか。それが楽しいのかな。問題集を開くときに、ときめきを覚えるなんて、自分でもびっくりしてしまいます。

それはゲームのようでもあり、厳正な哲学理論に触れているようでもあります。実際に数学はそうだと思うのです。

神智学の本を開くときのときめきに似ているのも、そのためでしょう。わたしには難しすぎますが、ブラヴァツキーの論文には数学や物理に関することがよくでてきます。科学者の名前も沢山。

ブラヴァツキーの論文では、数字がピタゴラス、プラトン、新プラトン学派によって用いられたところの象徴言語として出てくるのが特殊なところです。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)では、『ジヤーンの書』から引用された象徴的な詩にそって、深遠な哲学が展開されます。

永遠の親(空間)は常に目に見えぬ彼女の衣に包まれ、七つの永遠の間、再び深い眠りに落ちていた」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.239)というスタンザに七つの永遠という言葉が出てきますが、その永遠を計算法する方法があるというのですから、初っ端からびっくりさせられます。

ただ、この七つの永遠というのは、長い時代を意味するにすぎないそうです。神智学では、永遠という言葉であれ、他の言葉であれ、ムードを出すために使われることはありません。

論文のテーマを超えたことに言及されることもありません。だからわたしは繰り返し、ブラヴァツキーの次の言葉を思い出すことにしています。「これから与えられるスタンザはすべて、一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけを扱っていることを読者は覚えておかなくてはならない。普遍的コスモスの進化についての秘密の教えは与えることはできない。それはこの時代の最高の叡智の持ち主にも理解できないからである。〔略〕従って、伝えられることは、“梵の夜”が終わったあとの我々の目に見えるコスモスについてだけである」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,プロエム(緒論)p.201)

このスタンザでいわれている七つの永遠とは「マンヴァンタラの七期の継続に相応する期間であり、総計311,040,000,000,000年となるブラフマーの100年で、マハーカルパ即ち大時代の間中に続いている。ブラフマーの1年はブラフマーの360日と同じ数の夜(チャンドラヤーナ即ち太陰年で計算すると)で構成されている。‟ブラフマーの一日”は人間の4,320,000,000年で構成されている」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)とか。

こうした‟永遠”は最も秘密な計算によるものだそうで、その計算では本当の総計を得るためには、7のX乗でなければならないそうです。

Xは主観的即ち本当の世界の周期の性質によって様々である。また、客観的、即ち真実でない世界での最大の周期から最小の周期に至る様々の異なる周期に関係があったり、その周期を表しているすべての数は必然的に7の倍数でなければならない。これについての鍵は与えられない。そこには秘教的な計算の神秘があるからで、普通の計算のためには何の意味もない。‟7”という数は神聖な秘儀で教えられる偉大な数である”とカバラはいう。10即ちピタゴラスのデカドはすべての人間的知識の数である。1,000は10の3乗であり、従って、7,000という数もまた象徴的な意味がある。シークレット・ドクトリンでは、4という数字と数は最高の抽象界でのみ男性のシンボルである。物質の世界では、3が男性で、4が女性である。象徴が物質界での生殖のシンボルとなった時、即ち象徴学の第四段階では、3と4は縦と横となる」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)

神智学では、パラブラフマンといわれる抽象概念だけが唯一の絶対的実在だと教わります。あとはすべてマーヤー(幻影)というわけです。主観、客観という言葉は、このような基本認識から用いられる哲学用語としての主観、客観です。

神智学徒の中には七年ごとに節目があると考え、人生設計をしているかたもいらっしゃったような……。

家計の話からパートの話、中学数学の話から神智学へと話が逸れてしまいました。

中学数学の話に戻ると、当たり前のように出てくる自然数、整数、素数ですが、それらが何であるのか説明せよといわれると、返答に窮してしまいます。そのあたりから勉強しなければなりませんでした。

老化現象のせいか、計算ミスが多いのには驚きます。K…教室でバイトしていたころ、簡単な四則演算くらいは解答を見ずに、素早く、正確に採点するように求められましたが、訓練しないと、自信ないなあ。

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2018年1月23日 (火)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』(メイベル・コリンズ著、星野未来訳、Kindle版)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』がKindle版で出ています。

睡蓮の牧歌
Kindle版
メイベル・コリンズ (著),‎ 星野 未来 (翻訳)
ASIN: B07959C7V7

物語の面白さに釣られて、本好きの人なら最後まで一気読みしてしまうでしょう。

それでいて、読んだ後に確かなものが残り、まるで目に見えない宝物を手に入れたかのような満足感をもたらしてくれます。

神秘主義的な芸術作品にしか見られない、しっかりした構成、繊細な描写、永遠性に根差しているかのような格調の高さを感じさせます。

それというのも、知る人ぞ知る、著者が神智学作家として有名なメイベル・コリンズ(Mabel Collins,1851年9月9日 - 1927年3月31日)ですから、並みの読書体験では済まないというわけなのです。

以下、ネタバレありなので、これから読もうとされているかたはご注意ください

祭司見習いの少年が神殿の門をくぐるところから物語は始まります。そのうち白い女神(睡蓮の女神)が、さらに間を置いて黒い女神が登場します。描写が、どちらも圧倒的です。

生と死の神秘が万華鏡のように散りばめられるなかで、白い女神と黒い女神が、白い祭司と黒い祭司が、光と闇が戦いを繰り広げる様は、一人の人間に起きる内面劇でもあることを、訳者あとがきに引用された著者の言葉は示唆しています。

同じく訳者あとがきで引用されたバラモンの神智学徒スバ・ロウは、この物語の舞台となった古代エジプトがこの頃どうであったかを解説しています。彼らの宗教は純粋さを失い、退廃し始め、黒魔術が利己的かつ非道な目的に使われていたようです。

わたしはメイベル・コリンズのこの作品 The Idyll of the White Lotus (1890) を「白蓮の田園詩」というタイトルで、竜王会の機関誌「至上我の光」に田中恵美子先生が翻訳連載されていたのを、当時楽しみにしていました。

それについて過去記事(2006年8月4の記事)に書いているので、引用します。

神智学を教えていただいた田中先生が竜王会の機関誌に『白蓮の田園詩』という題で邦訳連載されたのをわたしは最初に読み(単行本化はされていません)、その後、「書肆 風の薔薇」発行の『蓮華の書』(西川隆範)という邦訳本を書店で見つけて即座に購入しました。これも美しい訳です。
それはエジプトの神殿を舞台とした物語で、魂の旅路を描いたといえる作品です。
いつ頃からか、ファンタジーものが大層流行っていますが、本来神秘主義のものであるところの神聖なシンボルやイメージ、エピソードなどが玩具のように扱われ、流通する実態をわたしは痛ましいことだと感じてきました。
それらが玩具であるなら The Idyll of the White Lotus は命の糧というにふさわしい作品だとわたしは思います。

今回改めて田中恵美子、西川隆範、星野未来という三者の翻訳で読み、原書は未読なので、あくまで翻訳を通してですが、三者三様の特徴と魅力に気づかされました。

田中訳からは逐語訳的な入念さと、行間から迸る清浄な情熱が感じられます。

西川訳では歴史仮名遣が使われています。そうした工夫と調和している流麗な文体が美しく、古代エジプトの出来事がエキゾチックでありながら、どこか日本の古典を読んでいるかのような親しみをもたらされます。

ただ、訳者あとがきによると、仏訳版を基とし、独訳版が参照されているようで、そのためなのか、あるいは一般向きということが考慮されているためなのか、その辺りのことはわかりませんが、神智学色が消えています。

また、第ニの書(第二部)、第四章の最後の部分に田中訳と星野訳では存在する蓮華の女王の赦しの場面がありません(田中訳では白蓮の女王、星野訳では白い睡蓮の女神)。

星野訳は田中訳、西川訳と比較すると、現代的な文章ですが、気品があります。田中訳と同様の入念さも備えています。

同じ星野訳によるH・P・ブラヴァツキー『新訳 沈黙の声』を読んだときもそうであったように(過去記事参照)、文章から音楽的な調べが感じられました。三者の中では、星野訳が最も文学的だという印象をわたしは受けました。

現代感覚で読める邦訳版『睡蓮の牧歌』と合わせて、人類の歴史の謎に迫るH・P・ブラヴァツキーの著作『ベールをとったイシス』『シークレット・ドクトリン』を読めば、満足度はこの上なく高まることでしょう。

ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中です。これに関する過去記事はこちらです。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

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2018年1月11日 (木)

中野さんからファイル形式でお年玉(竜王会)。星野未来さんのブログ(神智学協会ニッポン・ロッジ)。

竜王会の中野さんから、神智学のお年玉がファイル形式で届きました。ありがとうございます!

昨年の年賀状に勉強会のことをお書きになっていたので、今年の年賀状でそれについてお尋ねしていたのです。

すると、勉強会に使用された資料がディスクに書き込まれて送られてきたのでした。

集会の様子を録音したCDだろうと思い、ディスクをセットしてみると、Windows PowerPoint が起動したので驚きました。これまで使ったことがなかったのです。

DVDには、スライド画像集、文書、MPG動画ファイルが入っていました。以下のようなものです。

  • ギータ写真1718(文書。写真あり)……中野潤一編、田中恵美子会長による要約「ハガヴァッド・ギータ」
  • 神智学の教え1(スライド画像389枚)
  • バガヴァッド・ギータ(MPGファイル)
  • 想念形体全体(MPGファイル)……『思いは生きている』平成8年11月16日

スライドになると、わかりやすいですね。

「神智学の教え1」というタイトルのスライド画像集が一番新しく、これが最近の勉強会で使われたものでしょう。

バガヴァッド・ギータは、神智学の学習には算数の勉強に九九が必要というのと同じくらい必要なものの一つなので、改めて要約と動画を使って勉強したいと思っています。

想念形体全体というタイトルの動画は、アニー・ベサント&C・W・リードビーター共著(田中恵美子訳)『思いは生きている ―想念形体―』(神智学協会 ニッポンロッジ、1983)を動画にしたものです。

昔、大会のときだったか博多での集会のときだったかに観た記憶があり、なつかしく思いました。

リードビーターの著作にはブラヴァツキーの神智学とは違った部分があって、彼の宇宙体系をわたしは受け入れることができませんが、オーラや想念形体を見ることのあるわたしには前掲著作は参考になります。

大会のときに観た動画をもう一度観たいと思っていたので、ありがたいです。

他に、アカシック・レコード(スライド画像27枚)、アカシック・レコード2(スライド画像30枚)も入っていましたが、これは神智学とは異なる系統の思想を展開するスライド画像集であるようです。

ところで、わたしは地方在住で、田中先生がお亡くなりになったときにお葬式に上京して以降は、創作や倹約の必要などから東京での集会に行けず(尤も、それまでも何回か大会に出席できただけでしたが)、時々お電話をくださっていた宮本さんが竜王会をやめられた後は竜王会がどのような状態にあるのか、さっぱりわからなくなりました。

そのうち、竜王会の内部に存在した神智学協会ニッポン・ロッジが独立分離し(?)、竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジが二つに分かれてしまいました。

経緯やそうなった決定的な理由が何なのかは、わからないままです。何度か、どちらにも、別の方々に問い合わせたことがありましたが、答えがありませんでした。

ブラヴァツキーの神智学に強く惹かれるわたしにとって竜王会の魅力は内部に神智学協会ニッポン・ロッジがあるということが第一でしたが、過去記事で書いたように田中先生を通して神智学を教わり、故人であった三浦先生のヴィジョンを見たわたしには竜王会も重要な存在ですから、何だか体が引き裂かれたみたいな気がしました。

竜王会の現会長・岩間浩先生のご著書『総合ヨガ創始者 三浦関造の生涯』(竜王文庫、2016)には、神智学会解散と竜王会の設立について、過去記事「大戦前後の日本が透けて見えてくる、岩間浩編著『綜合ヨガ創始者 三浦関造の生涯』」でも引用しましたが、次のように書かれています。

関造は、神智学をしている間に常に思っていたことがあった。すなわち、神智学を通して、人々は自分の中に潜む神性を知ることが出来、死をも恐れず、喜んで日常生活に精を出し、真の幸せをつかみ得るはずであると考えていた。この幸せをすべての人々と分かち合いたいと切実に思っていた。そして、だがどうして人々が来てくれないのかという、一般の人に対するやるせない気持ちがあった。
この気持ちから、方法論としてヨガを導入することで、神智学理論を実践する方向が開けると思い、ヨガと神智学を結び付けて、打ちひしがれている日本人の敗戦後の心に光を灯そうという情熱が燃え上がった。
(岩間,2016,p.44)

三浦先生には神智学徒として、神智学を広めたいという思いが切実なものとしてあったことがわかります。

ブラヴァツキーが開示した神智学の体系は科学、宗教、哲学を総合したものですから、科学的――秘教科学的というべきかもしれませんが――考察に秀でるヨガが神智学を学ぶ上での基礎教養として役立つことは間違いなく、三浦先生はよいところに目をつけられたものだと思います。

竜王会からも神智学協会ニッポン・ロッジからも神智学関係の本が出版されるようになってみると、元々一つであったものが二つになったことから来る例えば、萎縮傾向からの人材不足、協力者不足といったデメリットなどはないのだろうか、また一つになればいいのに――と事情を知らないわたしは思ってしまいますが、それは難しいのでしょうね。

神智学協会ニッポン・ロッジといえば、会報誌で星野未来さんのメイベル・コリンズ「黄金の門をくぐって」「睡蓮の牧歌」、ヘレナ・レーリッヒ「ヘレナ・レーリッヒの手紙」の邦訳が連載されており、わたしは楽しみにしています。

ブログも運営しておられるようで、検索したら出てきます。

わたしはそれらのブログのうち、今年になって新しく開設されたブログで始められた邦訳の連載を期待しています。

我が師匠レーリヒ一家との出会い(シーナ・フォスディック氏の日記)
http://myteachers.blog.jp/

ブラヴァツキーの身近にいた協力者の一人ワクトマイスター伯爵夫人著『H・P・ブラヴァツキーの思い出とシークレット・ドクトリン』(1893)が今もあるとすれば、どなたか邦訳してくださらないだろうか、とわたしは思わずにいられません。ブラヴァツキーの人となりが鮮明になるのではないでしょうか。

わたしが自分でこれから英語の勉強を始めるには時間がかかりすぎますし、創作ができなくなるので、虫のよい願望なのかもしれませんが、ブラヴァツキーの神智学、アグニ・ヨガ関係の邦訳版が沢山出ることを期待せずにはいられません。邦訳版が多く出れば出るほど、誹謗中傷に遭いやすいブラヴァツキーの神智学の本当の姿を日本人にわかって貰える機会も増えます。

忠源さん、老松さん、ジェフさん、星野未来さん、また他の邦訳に専念してくださっている全ての方々にモリヤ大師のご加護がありますように。田中先生が見守ってくださっていることは確かです。

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2018年1月 8日 (月)

ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』が予約受付中ですよ!

アマゾンへ行ってみたら、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中になっていました。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

昨年のクリスマスのころに竜王会の会員にこの本が届けられ、わたしは興奮のただなかでざっと読み、以下の過去記事を書きました。

2017年12月25日 (月)
素敵なクリスマスプレゼント、『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/2-1-daa6.html

ちゃんとしたレビューを書きたいと思いながら、年末年始の慌ただしさのために時間がとれず、読破できていませんが、この本が貴重な、またこの上なく面白いものであることには間違いないと思われますので、おすすめです。

ブラヴァツキーの著作を読むと、人類の知的遺産の薫りがして、本の中に破壊されたアレクサンドリア図書館までもがまるごと存在しているかのような感動を覚えずにはいられません。

学研から出ていたオカルト情報誌『ムー』でアトランティス伝説を知り、その後アトランティスについて書かれたプラトンの未完の作品『クリティアス』を読みましたが、美しい日本語でブラヴァツキーの筆が醸し出す精緻、荘重な雰囲気を味わいながらアトランティスに関することを読める楽しさと幸福感はまた格別です。

「訳者 あとがき」で『シークレット・ドクトリンの第1巻 宇宙発生論』を平成元年に上梓された第二代竜王文庫社長で綜合ヨガ竜王会第二代会長、神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長でもあった田中恵美子先生による訳者はしがきが紹介されており、その中で『シークレット・ドクトリン』の構成について、次のような説明がなされています。

『シークレット・ドクトリン』の原典の第一巻は第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈、第2部「シンボリズム」、第3部「補遺」となっています。又、二巻は第1部「人類発生論」スタンザと註釈、第2部「世界の宗教とシンボリズム」、第3部「補遺」となっています。

第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈に関しては、以下の邦訳版をアマゾンで購入できます。

シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
単行本(ソフトカバー)
H・P・ブラヴァツキー (著),‎ 田中恵美子 (翻訳),‎ ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)
ISBN-10: 4907255004
ISBN-13: 978-4907255008

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2017年12月25日 (月)

素敵なクリスマスプレゼント、『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』

竜王文庫の原様から、竜王会の会員に素敵なクリスマスプレゼントが届いた。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論
忠源 (著),‎ ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (著)
出版社: 竜王文庫 (2017/11/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

出版までの28年に及ぶ翻訳作業、4年に及ぶ校正作業……難産の末にようやく生まれた著作を贈ってくださったのだ……。出版にはずいぶんお金もかかっただろうと思うと、胸が痛くなった。

夕飯の用意もそこそこに済ませて読み耽り、そのまま自分の食事は手つかずのまま、朝になってしまったほど夢中になった。

宇宙発生論から人類発生論へと同質の香るような格調の高さ、重厚さが一貫して感じられることに驚きを覚え、デヴァチャン――極楽――にいらっしゃるであろう故田中先生がお喜びだろうと思った。

レムリア、アトランティスに関する豊富な記述は圧巻である。ブラヴァツキーに対する批判にはアトランティスに関する記述をインチキとするものがしばしば目につくが、そうした単純すぎる批判は全体を読んでのことだろうか?

人種に関するこれも豊富な記述から、人種差別との批判も生まれているが、そうした短絡的な批判もどうかと思われる。いずれきちんとした感想を書きたい。

プラトン『ティマイオス』がしばしば引用されているので、わたしはそれとアトランティス伝説で有名な『クリティアス』を収録したプラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』(白澤社、2015)を再読中だ。

プラトンはアトランティスに関することをファンタジーとして書いたわけではなかった。

新プラトン学派とも呼ばれた古代神智学徒の流れを汲む近代神智学徒ブラヴァツキーにアトランティスに関する記述があったとしても、何も不思議はないとわたしは思う。

膠着言語という言語の形態論上の分類法があり、それに日本語が含まれるということを初めて知った。夫は膠着言語について知っていて、講義までしてくれた。さすが年の功(わたしより七つ上)。

『人類発生論』に膠着言語が一部のアトランティス人種で話されていたとあるのには驚いた。

クリスマスに、旧約聖書に登場するノアがアトランティス人だったというくだりを読むのは、格別の面白さに感じられた。

クリスマスに、拙ブログ「マダムNの神秘主義的なエッセー」の中で人気のある以下の記事をおすすめしておきます。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

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2017年12月18日 (月)

腰痛のその後、最強のオーラビーム?(19日に追記あり)

前の記事で書いた腰痛は、寝るころになると、ひどくなっていた。

極めてそろそろとしか歩けず、咳をすると腰に響いた。炬燵から立ったり座ったりするのもひと苦労で、疲れるので横になりたくても、思うように横になれない。

首枕を痛む左腰付近に当て、何とか眠った。ひと眠りして目を覚ますと、腰から背中にかけて強張り、痛む。

これはまずい、もう整形外科を受診するしかないと思った。

しかし痛みに弱いわたしは、時間の経過と共にその痛みに耐えられなくなり、奥の手を使うしかないと判断した。

そう、想像の白い光を痛む患部に放射するのだ。

同様の試みを過去記事で書いている。日付の新しい順に拾ってみると、2017年3月18日は結石のために傷ついた痛みに対して。2017年1月18日は今回と同様の腰痛に対して。2015年7月28日は五十肩の痛みに対する他人から光の贈り物があったことを感じ、感謝している。

復習しておきたい箇所を自分のために引用しておく。

2017年3月18日 (土)
17日に、循環器クリニック受診。家で尿管結石に奮闘。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/03/17-e798.html
治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。(……)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17、51頁)

2017年1月18日 (水)
グキッ! ひー!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/01/post-a4af.html

2015年7月28日 (火)
いつか来た道・・・五十肩
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/07/post-ef51.html
人間の体は七重構造になっており、肉体以外は透視力では光として見え、オーラと呼ばれる。思いも光なので(本体が光でないものなど、どこにもないのだが)、オーラに影響を与えうるのだ。それが濃密な肉体にまで浸透するのは難しいが、やってみる価値はある。
痛む部分に、想像の純白の光を放射するのだ。緑色を加えるのもいいかもしれない。
わたしはそうやって、病院に行く余裕がなく、痛みが極まって切羽詰まったとき(冷や汗が出たのを覚えている)、痛みが鎮静して病院に行かずに済んだことがある。
虫垂炎ではないかと思ったときと、痛みと痺れで靴下も履けなくなって椎間板ヘルニアになったのではないかと疑ったときだが、実際はどうだったのかはわからない。
外科的な症状の場合に、よりわかりやすく効き目を確認できる気がする。で、今回もやったかというと、まだやってない。冷や汗が出るほど切羽詰まらないと、億劫でやる気が起きないのだ。例外的に他人に試みたことはあるけれど、まずやらない。
相当な集中力と想像力を必要とするので。
でも、肉体に耐えがたい苦痛を感じたとき、勿論すぐに救急車を呼ぶか病院に急ぐべきだが、助けが得られるまでの苦痛に満ちた時間に、想像の高貴な純白の光を患部に放射してみることをおススメしておく。何もしないよりは絶対にいいと思う。

一念岩をも通す、ということわざがある。バイブルにも似たようなイエスの言葉がある。

この一念というのは、わたしの解釈では、力むことではなく、リラックスして自らを清浄な精神状態に置き、最高度の想像力を発揮することではないかと考えている。一方、欲望を果たすために念を凝らすというやりかたは、黒魔術に通じるのではないだろうか。

清浄な純白の光を想像することは案外難しい。自己の内面が浄化されないとその想像は未完に終わるからだ。

充分なまでに想像できたとき、内なる清浄な光が迸ってくる。自らを幸福にし、迷いを鎮める、治癒力を秘めた光が。

オーラが見えることのあるわたしには、自らのうちに光が充満し、それが溢れてくるのを見た。ここまでいくと、何らかの効果が現れることは経験済みだ。必ずしも患部に向けて放射する必要はないような気さえする。放射するほうが患部の改善にはより効果的とはいえるのかもしれない。

朝になって「オーラビームやってみた」と家族にいい、普通に歩いてみせると、2人は同時に「オオッ!」と驚きのを放った。夫が感動して、目玉焼きを二つも作ってくれた(両目焼きというのかしら)。

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腰はまだ完全によくなったわけではないので、これを続けるといいと思うが、痛みから解放されると、とたんにやる気がなくなってしまうのがいけない。

ちょうど1年前にも同様の経験をしていた。そのときも大掃除で鳩対策した柵の掃除を不自然な姿勢で行ったはずだ。年末年始の疲労も重なったところへ、不安定になった腰によくない動作をしたことで、腰痛が起きたに違いない。

神秘主義では肉体が馬に喩えられることがよくある。肉体を自分とは別の生き物と思い、思いやりを持って大切に扱わなければならない。わたしにはそれがなかなかできない。若いころは頑強だったために、無茶をする癖がついてしまっているのだ。

過去に、婦人科系で前癌病変といわれたときも改善して、治療の必要のなくなったことがあった。

心臓病にオーラビーム(?)すればいいのに、と自分で自分にいい聞かせることがあるのだけれど、面倒臭がってやらないわたしがいる。心臓病は普段は痛くないし、痛みが出たときのためにはニトロがあるから。

しかし、患部に想像の白い光を放射するというこの方法はお金もかからないし、その気になれば誰にでも短時間でできることなので、チャレンジしてみる価値はあると思う。

まあでも、わたしは他人には強いておすすめはしない。この不浄な世に生きていて、病気にならないほうが不自然だし、あの世はすばらしいところだとわたしは確信しているから。

ただ、せっかく生まれてきたのだから、なるべく粘って生き、可能な限りきよらかに生きるように心がけるほうが、先々のことを想えば、効率のよい(?)生きかただろうとは思うのだ。

19日における追記:

記事アップ後に2回、腰に想像の白い光を放射した(ヘレナ・レーリッヒの言葉に従えばハートの流れを患部に送った)。想像と書くが、上記した如くにそれは見える者には見える現象なのだ。

腰の痛みはもう残っていない。だが、アイロンで仕上げても微かに残る折皺のように、腰の患部にはダメージの痕跡がうっすらと残っている気がする。昨夜、仕事帰りの娘はバスを降りたあと駅から「湿布、買ってこなくていいの?」と電話してきた。必要ないとわたしは答えた。また腰痛は起きるかもしれないが、ハートの流れを患部に送るほうが湿布よりも効果的に思えるから断ったのだった。再び痛みが起きたそのときに、ハートの流れを患部に送りうるだけの精神状態になれるかどうかが問題だとはいえ……。

前掲書『ハート』には次のようなことも書かれている。「重病だけでなく、初期のものでもハートによる治療は特に有効である。現在ではこの治療法はほとんど忘れられているが、これは輸血と同じくらい強力である。なぜなら、不快な血液の低級な混合などせずに、ハートの影響を通して、精妙なエネルギーを送るからである」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17、49頁)

繰り返しになるが、病気や怪我で体が傷ついたとき、優れた医者の忠告に従うことが大前提としてある。

当ブログにおける関連記事:

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2017年11月22日 (水)

リードビーターの講演の様子がわかる貴重な動画。今後の創作。

祐徳博物館には萬子媛遺愛の品々が展示されていて、その中に扇面和歌がある。

新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(俊成卿女[しゅんぜいきょうじょ])の歌が揮毫されているのだが、俊成卿女について調べると、俊成卿女の和歌だけでなく、その生き方に対する萬子媛の共感などもあったのかもしれないと想像させられた。

萬子媛の扇面和歌が出家後の作品であることから、尼僧としての厳しい信仰生活が決して芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということが推測できた。

この線でもう少し調べてみたいと考えている。

萬子媛をモデルとした小説の第二稿の下調べに入る前に、神智学関係の本を調べていたのだが、ふと動画を検索してみると、アニー・ベサント、リードビーター、若きクリシュナムルティの姿が捉えられた動画が公開されていた。

過去記事で紹介した動画ではアニー・ベサントとクリシュナムルティが談笑する姿を見ることができたが、そこにリードビーターの姿はなかったような気がする。

2016年5月13日 (金)
神智学協会の歴史を物語る古い映像を含むドキュメンタリー
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/05/post-ff05.html

が、今回見つけた動画にはリードビーターの姿がありありと映っている。



動画のタイトル: heosophy UK C W Leadbeater, Annie Besant, Krishnamurti
動画のURL: https://youtu.be/5Elo6Im4oD8

十字架を下げた老紳士が、英国国教会の牧師補をしていたときに神智学協会に入会したリードビーターに違いない。たっぷりした体格の老婦人がアニー・ベサントだろう。まだ若いクリシュナムルティは後のほうで出てくる。

リードビーターが講演する様子を見ることができるなんて、驚きだ。当時の英国での集会の様子だろうか。

リードビーターの著作には信用できる部分とそうでない部分があるようにわたしには思えるのだが、講演の様子は何だか格調が高いなあ。

何にしても、当時の神智学の集会の雰囲気が伝わってくる貴重な動画だ。

クリシュナムルティの最後の講話の動画も公開されていた。わたしはなぜかクリシュナムルティに全く興味が湧かないので、興味が湧く方のために、動画のURLのみ紹介しておこう。

動画のタイトル: 最後の講話 (1/7) クリシュナムルティ
動画のURL: https://youtu.be/cJGkL7vzU8U

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2017年11月18日 (土)

前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)

アマゾンに出ていたはずの『神智学の鍵』にまだレビューを書いていなかったと思い、そちらへ行ってみると、中古品の出品が1冊あるだけで、その本には20万円もの高値がついていた(11月10日の時点)。

『神智学の鍵』は、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作の一つで、神智学の入門書とされてきた。

ブラヴァツキーの著作の実際の価値は値段がつけられないような高価なものに違いないとはいえ、今やブラヴァツキーがゲームのキャラにまでなっていることを考えれば、これは何か皮肉な現象で、彼女の著作に真面目な興味を持つ人が本当に限られてきている現状を思わせられ、そのことを残念に思う。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 70 で紹介した、勉強会の様子が収められた動画でジェフ・クラークさんがおっしゃっていることからすると、神智学協会の会員数は今は三万人くらい。

    大師の御足のもとに①(神智学協会 the Theosophical Society in Japan)
    動画のURL https://youtu.be/UQj6-0zJenQ

1907年から1933年にかけて第二代神智学協会会長を務めたアニー・ベサントが生きていたころは世界的な運動で、何十万人もいたそうだ。

クリシュナムルティをめぐって協会が分裂したことも会員減少の原因となっただろうが、それよりも第二次世界大戦の起きたことが大きかったのではないだろうか。

神智学運動の担い手となっていたのが貴族や知識人だったことから考えると、戦争でそうした階層が没落したことは大きな痛手となったに違いない。

神智学協会の会員はヨーロッパで迫害を受けたことがあったようだし、戦後、唯物主義が優勢になったことなども会員の減少につながっただろう。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ジルコフ「前書きにかえて」によると、1877年に『ベールをとったイシス』が出版された当時、この本は高い評価を受けた。

発行人はニューヨークのブートン。『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。

ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである。*1

こうもまともな批評に接すると、むしろ驚く。

全体的に好意的な報道機関の反応の中で、「批評のなかには,批評家がこの書を読んでいないことがはっきりわかるほど軽薄で偏見に満ちているものもあった」*2という。

この批評傾向は、日本語版ウィキペディア「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」「神智学協会」の記述や、そこに参考文献として挙げられた大田俊寛、吉永進一の文章などを連想させられる。前掲ブログにおける次のエッセーを参照していただきたい。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人

56 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ➆吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」から連想したオカルト情報誌とW・ジェームズ

57 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ⑧吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」の中で印象操作される三浦関造

『ベールをとったイシス』が出版されて大成功を収めたのが、1877年。

しかし、質疑応答形式で著されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)には、1875年にアメリカの心霊主義者による神智学協会への迫害、非難が始まったと書かれている。

英国、フランスの心霊主義者たちもそれに倣った。また牧師達が「『自分に同意しない者は自分の反対者である』という一般原理」により、そしてインドの宣教師達は「キリスト教にほとんど改宗しないインドの教育のある粒ぞろいのバラモン達の多くが協会に入会する様子を見」、憎み、つぶそうとした。

英国の心霊研究会による攻撃は有名だが、『神智学の鍵』にはそれについて、次のように書かれている。

初めは私達は心霊研究会の指導者達とたいへんよい友達でした。しかし、神智学者の現象についての攻撃が『クリスチャン・カレッジ・マガジン』に出て、ある下女の偽りの摘発に支えられた時、心霊研究会は神智学協会で起こった現象をあまりに多く議事録に掲載していたので、身に累を及ぼしたことを知りました。彼等の野心は研究会を権威のある厳密に科学的な団体に見せかけることでした。だから彼等は神智学協会を見捨てることにより、さらに協会を破滅させても自分の位置を保つか、または上流階級の「サドカイ派」即ち物質主義者達によって、だまされやすい神智学徒や心霊主義者達と十把一からげにされるかを、選択せねばなりませんでした。研究会には二つの選択の外に道はなく、私達を捨てることを選びました。*3

英国の心霊研究会に属してブラヴァツキーを攻撃した人々がなぜ神智学協会と接点を持てたかといえば、ブラヴァツキーの集まりにはオープンな、サロンのような雰囲気があったからだと想像できる。ブラヴァツキーは書いている。

神智学協会の会員は一般に、もし、協会の三つの目的に共鳴し実行しようとするならば、どんな宗教や哲学を好もうと好むまいと自由です。この協会は理論的な面ではなく、実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体です。会員達はキリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、ユダヤ教徒、パルシー教徒、仏教徒、バラモン、心霊主義者、唯物論者であっても、少しもかまいません。*4

これほど思想的にオープンであったのは、ほとんどの人々が真に自覚的に何かの思想に生きているわけではなく、その時々の優勢な思潮に染まっているにすぎないとの判断があったからではないだろうか。

唯物主義者といっても、思潮の変化によっては、ある宗教の熱心な信者になるかもしれない。戦前、戦後の日本人の思想的変化を見れば、そのことがよくわかるというものだ。

尤も、『神智学の鍵』でいわれているように、「神智学はあらゆる宗教、絶対的真理のエッセンス」*5であるから、どんな宗教や哲学も、神智学とは接点があるといえる。

古代神智学徒は新プラトン派ともいわれたが、「新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです」*6とブラヴァツキーは書いている。

そして、政治については次のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。*7

前掲ブログのエッセー 20 *8で書いたように、わが国では第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

その結果として、日本では唯物主義、物質主義が優勢だが、その反動からかその流れからかスピリチュアルブームが過熱しているようだ。

スピリチュアルブームがいつ、どこで、どのようにして起こったのか、その内容、またわが国でブームとなったプロセスなどについては、よく調べる必要があると思っている。

近年、このスピリチュアルブームに乗って退行催眠による前世療法が流行し、退行催眠を行うピプノセラピストが増えているらしい。サイトや動画でその様子がわかり、わたしは戦慄を禁じ得なかった。

『神智学の鍵』の「用語解説」では、「催眠術(Hhpnotism,希)」について、次のように端的に解説されている。

強い意志力をもった者が、心の弱い者を一種のトランス状態に入れるプロセスに、ブレイド博士がつけた名称。この状態にある者は、催眠術師が暗示する通りになる。有益な目的のために為されない限り、オカルティストはこれを黒魔術と呼ぶであろう。神経の流体の流れを妨げるので、道徳的にも肉体的にもたいへん危険なことである。*9

オカルティズム――オカルトという言葉はダークなイメージを伴うようになってしまったが、神智学用語ではオカルティズムは神聖な科学、秘教科学という意味である――に精通していない限り、有益な目的が何であるかの判断もできないはずで、そこから考えると、現代、巷間で行われている催眠術は全て黒魔術といえる。

催眠療法の歴史と資格などに関する現状がウィキペディア日本語版にまとめられているので、次に引用する。

催眠療法(さいみんりょうほう、英語: hypnotherapy)とは、催眠を用いる精神療法の一種である。
催眠療法は1955年に英国医師会 (British Medical Association) が有効な治療法として認めている。米国医師会 (American Medical Association) も1958年に催眠を有効な治療法として認めている。アメリカ心理学会 (American Psychological Association) と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めている。日本医師会からの承認は現在は行われていないのが実情である。
(……)催眠はそれ自体安全なため欧米でも国家資格はない。欧米では、催眠療法家が協会を結成し、催眠療法士 (hypnotherapist) を認定する仕組みが一般的になっている。(……)日本では2日間の講座に対して発行されるABH認定「ヒプノセラピスト」を保持しているセラピストが多く存在するが、一般的にこれはプロ資格としては認識されていない。
日本の医師免許取得に催眠療法の理論や技能等は必要とされないが、米国には催眠療法の博士号が存在する。一方、日本では資格としては、日本催眠医学心理学会認定の「催眠技能士」等がある。
*10

米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の代表的な提唱者であるようだ。「催眠はそれ自体安全なため」とウィキの解説にあるが、ブラヴァツキーの見解はそれとは異なる。「ヒプノセラピスト」という資格が、民間資格とはいえ、たった2日間で取得できるというのだから恐ろしい。

催眠術がどこで行われようが、どのような科学的な装いを凝らされようが、如何に善意であろうが、それはその危険性を熟知しない人々が恣意的に行っているというのがどうやら実態である。

そして、民間資格を取得したピプノセラピストの多くが前世療法を行っているようで、それに関する沢山のサイトや動画を閲覧できる。

前世療法がどのようなものであるかを、ウィキペディア「前世療法」から引用する。

前世療法(ぜんせりょうほう、英: past life therapy)とは、催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提とする。退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導(=過去生退行)し、心的外傷等を取り除くと主張されている。*11

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。

退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

しかし、神智学的にいえば、この「マスター」というのはおそらく、霊媒になってしまった彼女の異常体質に引きつけられた死者の影だろう。

霊媒の末路は悲惨であることも珍しくないようだ。前世療法を行うセラピストにその責任がとれるとは思えない。

前世療法が、装いを変えた降霊術であることは間違いない。

ブラヴァツキーの諸著では催眠術と降霊術に関する深い考察が行われている。彼女は古代から魔術という分野で催眠術も降霊術も行われてきたといった歴史と豊富な事例を示しつつ理論の変遷を語り、また人間の七重の性質といった側面に光を当てて催眠術と降霊術の正体を解き明かし、その危険性を警告しているのである。

『神智学の鍵』の「用語解説」の中の「カーマ・ルーパ(Kãma-rūpa,梵)」「物質化(Materialization)」という項目では、降霊術についてわかりやすい解説がなされている。「物質化(Materialization)」から、後半部分を引用しておく。

死者の「影」即ち「幽霊」についても同じことが言える。影達は我々の周囲にいるが、別の世界にいるから我々が彼等に気づかぬように彼等も我々に気づかない。だが生きている人間の強い願望と、霊媒の異常体質によって状態が整えられると、これらの影は引きつけられる。というより、彼等の世界から我々の世界へ引き下ろされて、客観化される。これが降霊術ネクロマンシーである。これは死者にとってよいことではない。これが自然法則を妨げるということに加えて、生きている人間に大きな害を与える。生きている人間のアストラル体、即ちエーテル複体の物質化は、これとは全く別のことである。このような「アストラル体」は、度々死者の幽霊と間違えられる。というのは、この世の人々の「生き霊エレメンタリー」及び肉体化身していないものや、宇宙エレメンタル達のアストラル形体はカメレオンのように、度々、我々の思いの中に最も強く印象づけられたイメージの形をとって現れるからである。簡単に言うと、いわゆる物質化が行われる降霊術の会では、その現象のイメージを作り出すのはそこに出席している者達と霊媒である。自ら現れる現象は別種のサイキック現象に属する。*12

ところで、ブラヴァツキーを霊媒であるかのように解説している文章をよく見かけるが、これはとんでもない誤りである。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。少し長い引用になるが、重要な事柄であるので、引用しておきたい。 

H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
 それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者
アデプトたちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(……)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神マインドのコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
 一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。
*13

『神智学の鍵』における次のブラヴァツキーの説明だけでも、聡明な人には通じる気がする。

古代神智学徒は、無限なものは有限なものには分からない、即ち、有限我には感じられない、しかし、高級な霊的我はエクスタシーの状態で神聖な本質と霊交できると言明しました。近代神智学徒もそう言います。この状態は催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できるものではありません。*14

物質主義に偏重した現代社会の原因を探っていくと、わたしはどうしてもアリストテレスに行き着く。

大学時代にプラトンに心酔したあとで、彼の弟子と思って読んだアリストテレスの著作が師プラトンの著作と全く異なるだけでなく、アリストテレスの哲学に依拠した思想が主流となってしまったお粗末な内実を知ったときの衝撃を、今も忘れられない。

ブラヴァツキーは『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』の中で、「彼はプラトンのことを不正確に伝え、ピタゴラスの教えをほとんど戯画化してしまった」*15といい、長くなるので引用はできないが、その理由を詳しく述べている。

プラトンの説は『シークレット・ドクトリン』『べールをとったイシス』では至るところに出てくる。古代神智学徒が新プラトン派ともいわれたことを思い出そう。プラトンの説は勿論必要があって出てくるのだから、プラトンを知らずにこれらを読むのは無理だとわたしは思うのである。

プラトンに限らず、哲学書も旧・新約聖書もろくに読んだことのない人がブラヴァツキーの著作を読んでも、時間の無駄かもしれない。それでも、ブラヴァツキーの著作に触発されて、そこに引用された本を読むきっかけとなることはあるだろう。それだけでも有意義で、楽しいことだ。

いずれにせよ、ブラヴァツキーの諸著は「人類の改善」という目的を果たすためには必読の書と思える。

ブラヴァツキーは日本でいえば江戸時代から明治時代にかけて生きた人であるが、『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』で、現代社会の物質主義に警鐘を鳴らしていると受けとることもできる、次のようなことを書いている。

彼は忘れているのだ。あらゆる科学のなかで普遍から特殊へと進む唯一のものである幾何学こそ,プラトンが自分の哲学に用いた方法だった,ということを。精密科学がその観察対象を物質的な諸条件に限定してアリストテレスのように進んでいくかぎりは,失敗することはありえない。しかし物質世界は,私たちにとってはてしないものであるにもかかわらず,やはり限定的である。それゆえ,物質主義は,この価値下げされた円のなかを永遠に巡り続けるだろう。その円周が許すところより高くは飛べないのである。ピタゴラスがエジプトの秘義司祭たちから習った宇宙論的な数の理論だけが,この二つの単位を,すなわち物質と霊を和解させ,一方に他方を数学的に証明させることができる。*16

『神智学の鍵』には「神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います」*17とあって、これは神智学の基本的な考え方である。


*1:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.2

*2:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.3

*3:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.265

*4:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.29

*5:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.65

*6:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.16

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228

*8:バルザックと神秘主義と現代

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.32-33

*10:ウィキペディアの執筆者. “催眠療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-11-01. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%82%AC%E7%9C%A0%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=66138028, (参照 2017-11-01).

*11:ウィキペディアの執筆者. “前世療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-10-17. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%89%8D%E4%B8%96%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=65960418, (参照 2017-10-17).

*12:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.53-54

*13:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18

*14:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.21

*15:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,ベールの前でp.xix

*16:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.8

*17:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.42

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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

ただ、『シークレット・ドクトリン』の最新版であるジルコフ版から訳出されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の凡例には「原典『シークレット・ドクトリン』(英文)は四巻になる予定であったが、“第三巻”と“第三巻”は結局出版されなかった」と明記されているのです。このあたりの複雑な事情については冒頭に掲げられたジルコフによる「『シークレット・ドクトリン』の沿革」(松田佳子訳)に詳しく書かれています。
そして、ジルコフは「数年もの間多くの論議をかもした」第三巻、第四巻に関しては、「以上、我々は様々な意見を引用してきたが、第三巻、第四巻の原稿存在に関しはっきりとした是非は下せない」と結論づけています。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこのアニー・ベサントの編集による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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