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2017年11月18日 (土)

前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)

アマゾンに出ていたはずの『神智学の鍵』にまだレビューを書いていなかったと思い、そちらへ行ってみると、中古品の出品が1冊あるだけで、その本には20万円もの高値がついていた(11月10日の時点)。

『神智学の鍵』は、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作の一つで、神智学の入門書とされてきた。

ブラヴァツキーの著作の実際の価値は値段がつけられないような高価なものに違いないとはいえ、今やブラヴァツキーがゲームのキャラにまでなっていることを考えれば、これは何か皮肉な現象で、彼女の著作に真面目な興味を持つ人が本当に限られてきている現状を思わせられ、そのことを残念に思う。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 70 で紹介した、勉強会の様子が収められた動画でジェフ・クラークさんがおっしゃっていることからすると、神智学協会の会員数は今は三万人くらい。

    大師の御足のもとに①(神智学協会 the Theosophical Society in Japan)
    動画のURL https://youtu.be/UQj6-0zJenQ

1907年から1933年にかけて第二代神智学協会会長を務めたアニー・ベサントが生きていたころは世界的な運動で、何十万人もいたそうだ。

クリシュナムルティをめぐって協会が分裂したことも会員減少の原因となっただろうが、それよりも第二次世界大戦の起きたことが大きかったのではないだろうか。

神智学運動の担い手となっていたのが貴族や知識人だったことから考えると、戦争でそうした階層が没落したことは大きな痛手となったに違いない。

神智学協会の会員はヨーロッパで迫害を受けたことがあったようだし、戦後、唯物主義が優勢になったことなども会員の減少につながっただろう。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ジルコフ「前書きにかえて」によると、1877年に『ベールをとったイシス』が出版された当時、この本は高い評価を受けた。

発行人はニューヨークのブートン。『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。

ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである。*1

こうもまともな批評に接すると、むしろ驚く。

全体的に好意的な報道機関の反応の中で、「批評のなかには,批評家がこの書を読んでいないことがはっきりわかるほど軽薄で偏見に満ちているものもあった」*2という。

この批評傾向は、日本語版ウィキペディア「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」「神智学協会」の記述や、そこに参考文献として挙げられた大田俊寛、吉永進一の文章などを連想させられる。前掲ブログにおける次のエッセーを参照していただきたい。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人

56 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ➆吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」から連想したオカルト情報誌とW・ジェームズ

57 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ⑧吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」の中で印象操作される三浦関造

『ベールをとったイシス』が出版されて大成功を収めたのが、1877年。

しかし、質疑応答形式で著されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)には、1875年にアメリカの心霊主義者による神智学協会への迫害、非難が始まったと書かれている。

英国、フランスの心霊主義者たちもそれに倣った。また牧師達が「『自分に同意しない者は自分の反対者である』という一般原理」により、そしてインドの宣教師達は「キリスト教にほとんど改宗しないインドの教育のある粒ぞろいのバラモン達の多くが協会に入会する様子を見」、憎み、つぶそうとした。

英国の心霊研究会による攻撃は有名だが、『神智学の鍵』にはそれについて、次のように書かれている。

初めは私達は心霊研究会の指導者達とたいへんよい友達でした。しかし、神智学者の現象についての攻撃が『クリスチャン・カレッジ・マガジン』に出て、ある下女の偽りの摘発に支えられた時、心霊研究会は神智学協会で起こった現象をあまりに多く議事録に掲載していたので、身に累を及ぼしたことを知りました。彼等の野心は研究会を権威のある厳密に科学的な団体に見せかけることでした。だから彼等は神智学協会を見捨てることにより、さらに協会を破滅させても自分の位置を保つか、または上流階級の「サドカイ派」即ち物質主義者達によって、だまされやすい神智学徒や心霊主義者達と十把一からげにされるかを、選択せねばなりませんでした。研究会には二つの選択の外に道はなく、私達を捨てることを選びました。*3

英国の心霊研究会に属してブラヴァツキーを攻撃した人々がなぜ神智学協会と接点を持てたかといえば、ブラヴァツキーの集まりにはオープンな、サロンのような雰囲気があったからだと想像できる。ブラヴァツキーは書いている。

神智学協会の会員は一般に、もし、協会の三つの目的に共鳴し実行しようとするならば、どんな宗教や哲学を好もうと好むまいと自由です。この協会は理論的な面ではなく、実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体です。会員達はキリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、ユダヤ教徒、パルシー教徒、仏教徒、バラモン、心霊主義者、唯物論者であっても、少しもかまいません。*4

これほど思想的にオープンであったのは、ほとんどの人々が真に自覚的に何かの思想に生きているわけではなく、その時々の優勢な思潮に染まっているにすぎないとの判断があったからではないだろうか。

唯物主義者といっても、思潮の変化によっては、ある宗教の熱心な信者になるかもしれない。戦前、戦後の日本人の思想的変化を見れば、そのことがよくわかるというものだ。

尤も、『神智学の鍵』でいわれているように、「神智学はあらゆる宗教、絶対的真理のエッセンス」*5であるから、どんな宗教や哲学も、神智学とは接点があるといえる。

古代神智学徒は新プラトン派ともいわれたが、「新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです」*6とブラヴァツキーは書いている。

そして、政治については次のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。*7

前掲ブログのエッセー 20 *8で書いたように、わが国では第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

その結果として、日本では唯物主義、物質主義が優勢だが、その反動からかその流れからかスピリチュアルブームが過熱しているようだ。

スピリチュアルブームがいつ、どこで、どのようにして起こったのか、その内容、またわが国でブームとなったプロセスなどについては、よく調べる必要があると思っている。

近年、このスピリチュアルブームに乗って退行催眠による前世療法が流行し、退行催眠を行うピプノセラピストが増えているらしい。サイトや動画でその様子がわかり、わたしは戦慄を禁じ得なかった。

『神智学の鍵』の「用語解説」では、「催眠術(Hhpnotism,希)」について、次のように端的に解説されている。

強い意志力をもった者が、心の弱い者を一種のトランス状態に入れるプロセスに、ブレイド博士がつけた名称。この状態にある者は、催眠術師が暗示する通りになる。有益な目的のために為されない限り、オカルティストはこれを黒魔術と呼ぶであろう。神経の流体の流れを妨げるので、道徳的にも肉体的にもたいへん危険なことである。*9

オカルティズム――オカルトという言葉はダークなイメージを伴うようになってしまったが、神智学用語ではオカルティズムは神聖な科学、秘教科学という意味である――に精通していない限り、有益な目的が何であるかの判断もできないはずで、そこから考えると、現代、巷間で行われている催眠術は全て黒魔術といえる。

催眠療法の歴史と資格などに関する現状がウィキペディア日本語版にまとめられているので、次に引用する。

催眠療法(さいみんりょうほう、英語: hypnotherapy)とは、催眠を用いる精神療法の一種である。
催眠療法は1955年に英国医師会 (British Medical Association) が有効な治療法として認めている。米国医師会 (American Medical Association) も1958年に催眠を有効な治療法として認めている。アメリカ心理学会 (American Psychological Association) と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めている。日本医師会からの承認は現在は行われていないのが実情である。
(……)催眠はそれ自体安全なため欧米でも国家資格はない。欧米では、催眠療法家が協会を結成し、催眠療法士 (hypnotherapist) を認定する仕組みが一般的になっている。(……)日本では2日間の講座に対して発行されるABH認定「ヒプノセラピスト」を保持しているセラピストが多く存在するが、一般的にこれはプロ資格としては認識されていない。
日本の医師免許取得に催眠療法の理論や技能等は必要とされないが、米国には催眠療法の博士号が存在する。一方、日本では資格としては、日本催眠医学心理学会認定の「催眠技能士」等がある。
*10

米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の代表的な提唱者であるようだ。「催眠はそれ自体安全なため」とウィキの解説にあるが、ブラヴァツキーの見解はそれとは異なる。「ヒプノセラピスト」という資格が、民間資格とはいえ、たった2日間で取得できるというのだから恐ろしい。

催眠術がどこで行われようが、どのような科学的な装いを凝らされようが、如何に善意であろうが、それはその危険性を熟知しない人々が恣意的に行っているというのがどうやら実態である。

そして、民間資格を取得したピプノセラピストの多くが前世療法を行っているようで、それに関する沢山のサイトや動画を閲覧できる。

前世療法がどのようなものであるかを、ウィキペディア「前世療法」から引用する。

前世療法(ぜんせりょうほう、英: past life therapy)とは、催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提とする。退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導(=過去生退行)し、心的外傷等を取り除くと主張されている。*11

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。

退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

しかし、神智学的にいえば、この「マスター」というのはおそらく、霊媒になってしまった彼女の異常体質に引きつけられた死者の影だろう。

霊媒の末路は悲惨であることも珍しくないようだ。前世療法を行うセラピストにその責任がとれるとは思えない。

前世療法が、装いを変えた降霊術であることは間違いない。

ブラヴァツキーの諸著では催眠術と降霊術に関する深い考察が行われている。彼女は古代から魔術という分野で催眠術も降霊術も行われてきたといった歴史と豊富な事例を示しつつ理論の変遷を語り、また人間の七重の性質といった側面に光を当てて催眠術と降霊術の正体を解き明かし、その危険性を警告しているのである。

『神智学の鍵』の「用語解説」の中の「カーマ・ルーパ(Kãma-rūpa,梵)」「物質化(Materialization)」という項目では、降霊術についてわかりやすい解説がなされている。「物質化(Materialization)」から、後半部分を引用しておく。

死者の「影」即ち「幽霊」についても同じことが言える。影達は我々の周囲にいるが、別の世界にいるから我々が彼等に気づかぬように彼等も我々に気づかない。だが生きている人間の強い願望と、霊媒の異常体質によって状態が整えられると、これらの影は引きつけられる。というより、彼等の世界から我々の世界へ引き下ろされて、客観化される。これが降霊術ネクロマンシーである。これは死者にとってよいことではない。これが自然法則を妨げるということに加えて、生きている人間に大きな害を与える。生きている人間のアストラル体、即ちエーテル複体の物質化は、これとは全く別のことである。このような「アストラル体」は、度々死者の幽霊と間違えられる。というのは、この世の人々の「生き霊エレメンタリー」及び肉体化身していないものや、宇宙エレメンタル達のアストラル形体はカメレオンのように、度々、我々の思いの中に最も強く印象づけられたイメージの形をとって現れるからである。簡単に言うと、いわゆる物質化が行われる降霊術の会では、その現象のイメージを作り出すのはそこに出席している者達と霊媒である。自ら現れる現象は別種のサイキック現象に属する。*12

ところで、ブラヴァツキーを霊媒であるかのように解説している文章をよく見かけるが、これはとんでもない誤りである。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。少し長い引用になるが、重要な事柄であるので、引用しておきたい。 

H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
 それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者
アデプトたちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(……)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神マインドのコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
 一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。
*13

『神智学の鍵』における次のブラヴァツキーの説明だけでも、聡明な人には通じる気がする。

古代神智学徒は、無限なものは有限なものには分からない、即ち、有限我には感じられない、しかし、高級な霊的我はエクスタシーの状態で神聖な本質と霊交できると言明しました。近代神智学徒もそう言います。この状態は催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できるものではありません。*14

物質主義に偏重した現代社会の原因を探っていくと、わたしはどうしてもアリストテレスに行き着く。

大学時代にプラトンに心酔したあとで、彼の弟子と思って読んだアリストテレスの著作が師プラトンの著作と全く異なるだけでなく、アリストテレスの哲学に依拠した思想が主流となってしまったお粗末な内実を知ったときの衝撃を、今も忘れられない。

ブラヴァツキーは『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』の中で、「彼はプラトンのことを不正確に伝え、ピタゴラスの教えをほとんど戯画化してしまった」*15といい、長くなるので引用はできないが、その理由を詳しく述べている。

プラトンの説は『シークレット・ドクトリン』『べールをとったイシス』では至るところに出てくる。古代神智学徒が新プラトン派ともいわれたことを思い出そう。プラトンの説は勿論必要があって出てくるのだから、プラトンを知らずにこれらを読むのは無理だとわたしは思うのである。

プラトンに限らず、哲学書も旧・新約聖書もろくに読んだことのない人がブラヴァツキーの著作を読んでも、時間の無駄かもしれない。それでも、ブラヴァツキーの著作に触発されて、そこに引用された本を読むきっかけとなることはあるだろう。それだけでも有意義で、楽しいことだ。

いずれにせよ、ブラヴァツキーの諸著は「人類の改善」という目的を果たすためには必読の書と思える。

ブラヴァツキーは日本でいえば江戸時代から明治時代にかけて生きた人であるが、『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』で、現代社会の物質主義に警鐘を鳴らしていると受けとることもできる、次のようなことを書いている。

彼は忘れているのだ。あらゆる科学のなかで普遍から特殊へと進む唯一のものである幾何学こそ,プラトンが自分の哲学に用いた方法だった,ということを。精密科学がその観察対象を物質的な諸条件に限定してアリストテレスのように進んでいくかぎりは,失敗することはありえない。しかし物質世界は,私たちにとってはてしないものであるにもかかわらず,やはり限定的である。それゆえ,物質主義は,この価値下げされた円のなかを永遠に巡り続けるだろう。その円周が許すところより高くは飛べないのである。ピタゴラスがエジプトの秘義司祭たちから習った宇宙論的な数の理論だけが,この二つの単位を,すなわち物質と霊を和解させ,一方に他方を数学的に証明させることができる。*16

『神智学の鍵』には「神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います」*17とあって、これは神智学の基本的な考え方である。


*1:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.2

*2:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.3

*3:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.265

*4:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.29

*5:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.65

*6:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.16

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228

*8:バルザックと神秘主義と現代

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.32-33

*10:ウィキペディアの執筆者. “催眠療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-11-01. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%82%AC%E7%9C%A0%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=66138028, (参照 2017-11-01).

*11:ウィキペディアの執筆者. “前世療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-10-17. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%89%8D%E4%B8%96%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=65960418, (参照 2017-10-17).

*12:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.53-54

*13:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18

*14:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.21

*15:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,ベールの前でp.xix

*16:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.8

*17:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.42

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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこの『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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2017年10月26日 (木)

コイコイハロウィンパレード 魔女、ゲット! 宿題溜まってます。

コイコイハロウィンパレード 魔女をゲットしました!

わかりづらいと思いますが、魔女は向かって左端に位置しています。

最近ゲットしたのは他に、コイコイハロウィンがーがーちゃん(3個で完成)、、ハロウィン遊園地ラジオなどです。この画像でアバ嬢は、ガラスの靴の滑り台を滑っているところです。

箒に乗った魔女が子ヤギ、メガがーがーちゃんとパレードするところを見るたびに、「あ、カタリ派の末裔が通る……」と思います。

なぜそう思うかは、以下のカテゴリーを参照していただくと、わかります。まあ興味があるかたは。

宿題が溜まっています。萬子媛のノートを整理し、⑤として神秘主義的エッセーブログに入れておきたいと思っています。

紹介したいレシピもあり、息子のヨーロッパ土産のお菓子の写真もまだアップしていませんでした。

話は神秘主義の話題に変わりますが、H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだそうです。

まさに幻の第三巻で、その上巻に出合えた喜びには大きなものがありました。第三巻(下)の上梓も心待ちにしているところです。

ブラヴァツキーの著作はひじょうに高度で難解、そしてとても格調高いので、翻訳してくださっている方々のご苦労を思うと……その上、古代文字や数式、図式などが含まれており、印刷しにくいものがあります。これを上梓するとなると、本当に大変だろうと思います。

『シークレット・ドクトリン』第一巻を、わたしはH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)で読みました。

第二巻の人類発生論の翻訳が、竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジ双方の機関誌で連載されており、11月ごろに竜王文庫から人類発生論の上巻が上梓される予定だとのことで、楽しみにしています。

で、その本はまだ出ていないかアマゾンに確認に行ったところ、前掲既刊のシークレット・ドクトリン第三巻(上)にひどいレビューが書かれていました。

その人はブラヴァツキーの諸著に悪質なレビューをして回っているようです。アマゾン宛に、悪質なレビューをした人に対して警告を行っていただけないか、メールしました。

現時点ではまだ、それに対して善処されてはいませんので、とりあえずシークレット・ドクトリン第三巻(上)にわたしもレビューを書こうと思い、再読していたら、夢中になってしまい、家事の合間に耽読していました。

耽読できる部分があちこちに出てきたということは、それだけわたしの理解が進んだということだろうと考えています。

ただ、再読といっても難解なので、ざっと目を通してあちこちわかる部分から読んでいるといった状況です。

内容が高度なので、ちゃんとしたレビューを書くにも難しく感じますが、あのひどいレビューだけしかついていないのはあんまりだと思うので、書いておきたいのです。

宿題が片付くころには、新しい宿題がいくつも出てきているはずです。

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2017年7月29日 (土)

友情について

このところ、ずっと友情について考えていた。

59歳になったわたしに、今後も友人をつくる機会が訪れるかどうかはわからないけれど、友人をつくるための最良の時は過ぎ去ったのではないかという気がしている。

今のわたしには文学を通して交際の輪が広がった日々が輝いて見える。その輪の中心には神智学を通じて知り合った人々との交際が見えない世界への翼となって、その痕跡をとどめている。

文学仲間とは文学観の違いから口論になったり、仲違いすることもあった。しかし、それは今思えば、何て贅沢な交際に恵まれた日々であったことだろう。

文学仲間とは話が通じないとか、話題に出したいことを相手に遮られて全く出せないということがほとんどなかった。

そうした交際の中でも、わたしが「詩人」と呼んだ今はなき女友達と女性編集者Мさんとは深い会話ができた。

皆が文学に抱擁されていたからこそ、そうした交際が可能だったのではないかと思う。比較的最近になって女性編集者Мさんから電話があり、会いたいという話だったが、わたしはまた口論になりそうな気がして会えないといった。

彼女が応援している作家たちを、彼女と共に応援することはとてもできないと思ったのだ。編集者として包容力がなければ、仕事にならないことはわかっている。

だが、彼女が応援しているこの国でよい地位を得ている作家たちは本当に作家という名に値する人々なのだろうか(勿論値する人々だっているだろうが)。

Мさんとの齟齬も、本を正せば、この国の文学界が左派に牛耳られている異常な状況から来ているとわたしには思える。

葛藤、不運、不遇が、左派に与することのできない物書きを襲い続けてきたのだ。言論の自由は事実上、左派にしか存在しない。独占を真に自由と呼びうるかどうかは疑問のあるところだが。

左派が毛嫌いする神秘主義、その中でも近代神智学運動の母といわれるブラヴァツキーは左派のバッシングの的となってきた。マルクス主義の根拠となっている唯物論の誤りを的確に指摘できる神智学は左派の天敵だからである。

大学生のわたしはプロティノスが神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子とは知らなかったにも拘わらず、哲学者の中ではプラトンに次いでプロティノスに惹かれ、やがてブラヴァツキーの神智学に辿り着いた。

神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長であった田中恵美子先生からは、神智学の神髄を教わった。先生がお亡くなりになった今も、わたしは美しい白薔薇を想い浮かべるように、先生の美しかったオーラの色合いを想い浮かべる。

先生と対等に交際するにはわたしには知能も教養も足りなかったが、先生の影響を自分に可能な限り受容させていただいた。

このような、わたしの目に知性美に輝く理想像と映った田中先生のような人と人生の早い時期に出会ってしまったので、先生が亡くなってしまうと、味気ないこの世がいよいよ味気なく映ってしまうようになった。

死後、別れの挨拶に会員達を訪れた先生――同じことを経験した会員が複数いる――は、その後もあの世から見守ってくださっているのを感じる。それでも、生身の先生に大会などでお目にかかることはもうできないのだと思うとこの世は如何にも味気ない。

もし、あの世から地上世界にある神社へと、毎日ボランティアに通っておられる萬子媛のような高級霊と出会わなければ、神秘主義者として生きざるをえないわたしの後半生はどんなに淋しく、虚しく過ぎたことだろう。

あの世にまで広がる交際を可能にしたのは、神智学という神秘主義だ。

文学と神秘主義、この二つの思想に抱擁されて、コミュニケーションの可能性を追求し、その恩恵に浴してきたわたしはいつのまにか、コミュニケーションというものはごく自然に行われるものと錯覚してしまっていた。

ところが、中学時代、高校時代に親しかった友人達と旧交を温める機会を持ったことから、その錯覚が打ち砕かれた。

その中でも、中学から高校にかけて最も親しかったナースになった友人との35年ぶりの再会は意外な展開を迎えた。同じころに幼馴染からもやはり35年ぶりに連絡があり、幸いこちらとは旧交を温めることができた。

二人の違いといえば、幼馴染とは互いに35年間欠かさず年賀状を出し続けて相互に連絡し合っていたが、ナースの友人とは音信不通になったりならなかったりで、その状況に嫌気がさし、もう年賀状を出さないことに決めた矢先の再会だったということである。

幼馴染みは文学好きというわけではないが、長電話の中で「Nちゃん、創作続けている?」と大切なことを問いかけるように尋ねてくれた。創作のことを話したかどうかさえ覚えてなかったので、思いがけない嬉しさだった。

幼馴染みの声は昔と同じように優しく、柔らかに響き、当時と同じようにわたしを癒してくれる。

わたしの創作を励ましてくれるのは、この幼馴染みと東京在住の従姉くらいだ。

いや、もう一人だけいた。大学時代に美術部だった埼玉在住の友人で、彼女は今は喫茶店を経営しており、絵は描いていないという。が、シャガールばりの彼女の絵をわたしは忘れられず、彼女は毎年の年賀状に欠かさずわたしの創作のことを書いてくれるのだ。

誰かと会って話すとき、わたしは相手の喜びの源泉や苦しみの原因を知りたいと思う。そして、相手にも同様にわたしのことを知ってほしいので、万遍なく話題を広げたい。

しかし、考えてみれば、それは高度にコミュニケーションがとれ、相手のことに関心があって初めて可能になることなのだ。

女性同士であっても、相手が好きであれば、相手に関心を持つのが自然である。そして、コミュニケーションは、語彙や表現力が乏しければ、うまくいかない。

博多で三人の友人達と旧交を温めて、とてもなつかしかったものの、むしろわたしにとっては冷やす結果となってしまった。

二人は――ナースの友人には子供はいないにも拘わらず――どこか姑臭くなっていて、なつかしい顔立ちや振る舞い、変わらぬ魅力を湛えた表情の移り変わるある瞬間に何か底意地の悪さといったものを感じさせるのだ。

考えてみれば、昔もそうしたことを感じることがあり、それは気のせいだと思っていた。

だが、おそらく一人は底意地の悪い姑に献身的に仕える重労働の中で、自制心を次第に摩滅させただけでなく、底意地の悪さを姑に学んでしまったのだ。ナースの友人は職場環境によるものだろうか。ナースの中に時々、底意地の悪い人を見かけるときがあるからそう思うだけで、わたしの憶測にすぎない。

わたしが独身時代、金持ちだったのに、今はそうでないのが痛快らしい。金持ちだったのは両親であって、わたしではない。両親の自分勝手には結構苦しめられたし、倒れた母の看病のために就職できなかったにも拘わらず、両親はそのことを意に介していなかった。

好意的でなつかしい友人の振る舞いの中に棘のように意地悪が潜むことに、わたしは耐えられないが、そのときはなつかしさのほうが勝り、再会が嬉しかった。

姑臭くなった友人の一人と二人きりで駅の構内を歩いたとき、幸い昔の彼女が戻ってきた。昔彼女の家に泊めて貰った晩、目を綺羅星のように輝かせながら宇宙への憧れを語った彼女。

そのときの彼女が戻ってきたことを思い出し、交際を深めていけば、姑からの仕打ちの痕跡など、やがて消えて行くのではないかと考えている。その機会があればだが。

ナースの友人とは修復が可能か不可能かという以前に、価値観も友情観も違いすぎるのがわかった。

結局、人間性を損なっていなかったのは新興宗教にはまっている残る一人の友人だけだった。彼女には底意地の悪さは微塵も感じられず、知識欲も旺盛と映った。

おそらく宗教活動を通して、彼女は読書習慣や考える習慣を持ち、それは情操を養う機会ともなったのだ。

その宗教の内容に関してはわたしには共鳴できないところがあるけれど、底意地の悪さというものが本人も気づかない精神的飢餓感から発生しているように思えるとき、宗教が――宗教組織が宗教を何か世俗的な目的のためのアイテムとしていない限りにおいてだが――萎縮しやすい女性の生活に活気と潤いとコミュニケーションの機会を与えてくれるように思われる。

大学時代の友人で、別の新興宗教にはまっている人がいて、彼女にも同じことを感じている。わたしたちは度々電話し合って、様々な事柄について万遍なく話す。暮らしのことから、現在の不安や課題、宗教思想、宇宙について、政治についても。

考えかた、思想の違いも率直に話して、むしろその違いが興味深くて楽しい。彼女にも、底意地の悪さは全く認められない。

そもそも、暮らしに欠けるものを感じ、何か高いものへの欲求や憧れがあるから、二人の友人は入信したのだろうと思う。

聖人ではないのだから、齟齬や不愉快というものは交際にはつきものであって、わが身も顧みず、そのことをどうこういうわけではない。

相手に意地悪と誤解されても仕方のない場面は交際にはよくあることのだが、底意地の悪さというものはこれとは別物で、わたしが問題としたいのはこのことであり、これが意図的であるというところに問題があると思うのだ。

ごく瞬間的な意地悪な素振り、雰囲気、言葉を意図的に親しみの中に混ぜてくる人というのは心底病んでいるだけでなく、その対象とする人を本当には好きではない可能性があると思う。

この悪癖に冒される人達というのは、わたしの知る限り、唯物主義者、現世主義者に多い。それは先述したように、物質偏重からくる飢餓感なのだ。

博多での再会後に彼女のご主人が統合失調症との診断を受けたと知り、わたしはそのことにひどく負担を感じた。統合失調症が大変な病気であることを知っているから、彼女のことが心配になり、こうしたことの全体がわたしには負担と感じられた。

友人としての有効期限は過ぎたとわたしが感じ、整理しかかったときに繰り返し誘いをかけてきて(わたしの体がひどく心配なのだと彼女はいった)、35年ぶりに再会した後、この大変な事態を明かされるとはあんまりだと思った。

しかし一方では、大変な状況下でわたしのことを思い出してくれた彼女に嬉しさを覚え、何か誇らしいような気持ちも起きた。頼りにされているのかもしれないという一方的な思い込みで責任感を刺激された。

わたしには、再婚した奥さんにつられるようにして頭が普通でなくなった父があり、また「詩人」と呼んだ統合失調症の友人がいた。彼女の参考になることを話せそうだった。

コミュニケーションがうまくいかないのを感じたが、彼女のほうではうまく行く必要もないのかもしれない。

彼女の愚痴を聞いて、適度な慰めとなり、陽気な飲み友達となれるのなら、彼女にとって最高の友人となれただろう。ご近所づきあい、気晴らしのアイテムとしての友人関係を求められているだけだとわたしは思った。

ただ、わたしの友人づくりはシビアすぎるのだろう。彼女のほうが標準なのだ。わたしが貪欲に友情に純度の高さを求めすぎるのだ。いつまでも青臭い、お馬鹿さんなのだ。そう、相手が姑臭く感じられるほどに、わたしは若いころから成長がないのかもしれない。

彼女と親しかった高校時代の交際も、考えてみれば、ご近所づきあい風だった。それが彼女の友情観であり、わたしの友情観とは食い違いがあったのだ。だから彼女という友人がいながら底知れない孤独を感じていたのだろう。

高校時代にはそのことがわからなかった。勉強や行事やクラブ活動で忙しい高校時代は、深い話をする機会がないだけだと思っていた。そんなわけはなかったのだ。友情観が一致していたとしたら、ない時間をつくって、あれこれ話したに違いない。

彼女にとって、わたしは重い、変なところのある、面倒な友人だったのではないだろうか。

そんなわたしだが、ご主人を一心に支えている彼女には深い尊敬の念を抱いている。ナースとして優秀な彼女であるからこそ、できることだとも思う。

大地に根差したような彼女の快活さ、バイタリティにわたしは惹かれたのに違いない。くれぐれも無理しすぎないようにと願う。

フルートが上手で、岸洋子「希望」を教えてくれた彼女は本来、芸術に鋭い感性を持つ人だとわたしは思っている。ストレス解消は、アルコールより芸術に頼ってほしい。

何にしても、頭を疑われそうになっては、彼女から逃げ出さないわけにはいかない。何しろ彼女はナースなのだから、怖い。如何に説明しようが、唯物論者で現世主義者である彼女――彼女にその自覚はないだろう――に神秘主義をわかって貰うのは無理な話だ。逃げるが勝ちだ。ごめんね。

結婚するときに、神智学を教わった田中恵美子先生がカーリル・ギブランの
「結婚」に関する詩を邦訳して贈ってくださった。主人との間でいろいろあるたびに、その詩を読み返してきた。

英語版「神智学ウィキ」に、カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン、カーリル・ジブラン)​​の神秘主義は、キリスト教、イスラム教、スーフィズム、ユダヤ教と神智学といった異なる影響が収束したものだと書かれていた。(→ここ

イタリア神智学協会のオフィシャルサイト「著名な神智学者の名前の一部」にもカリール・ジブランの名があった。

過去記事で紹介したカリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)から、「友情について」を再掲しておこう。   

そこでひとりの青年が言った。お話しいただけませんか。友情について。
    アルムスタファは答えて言った。
    君の友人は君の需
(もと)めへの応え。かれは畑。君はそこに愛をもって種まき、感謝をもって刈り取る。
    彼はまた食卓。君の暖炉。
    君は飢えてかれのもとに行き、平和を求めてかれを探すのです。

    友がその考えを語るとき、恐れるな、君自身の心のなかの「否
(いな)」を。そしてまたおさえるな、「然(しか)り」を。
    また、友が黙するとき、君の心は止めてはいけない。かれの心に耳を傾けることを。
    なぜなら友情にあっては、言葉なしに、すべての思い、すべての望み、すべての期待が生まれて、分かち合われるのです。それも喝采を必要としない喜びのうちに。
    君が友から離れるとき、歎いてはならない。
    なぜなら、君がかれのなかで一番愛しているものは、かれのいないときにこそ明らかになるのだから。山は、それを目指す者には、平野からこそ明らかに見えるもの。
    そして友情には、精神を深めることの他にはどんな目的もあらしめるな。
    なぜなら自らの神秘を顕わにする以外のことを求める愛は、愛ではなくて、投げ込まれる網にすぎない。

    そして君の最良のものが友のためであるように。
    もしかれが君の引き綱を知らねばならぬなら、君の満ち潮も知らせてやるように。
    なぜなら、時間をつぶすための友を求めるなら、いったい友とは何だろうか

    時間を生かすための友をこそ常に求めなさい。
    なぜなら、友とは君の需めを満たすもの。君の空虚を満たすためのものではない。
    そして友情の甘美さのうちに笑いがあるように。そしてまた楽しみの分かち合いも。
    なぜなら、小さな事柄の一滴のうちにも、心は自分の朝を見つけてさわやかになるのだから。

    カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)

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2017年7月 8日 (土)

大雨から考えさせられた、古代文明社会における魔術とイアンブリコス

凄まじいばかりの大雨には驚かされるばかりで、古代文明社会で魔術の研究が盛んだったのも心情的にわかるような気がした。

古代文明社会では、人智を超えた力を招聘してでも何とかしたいという思いに至るほど、天災による悲劇が数多く発生したに違いない。

近代神智学運動の母P・H・ブラヴァツキーは、半分邦訳版が出ている Isis unveiled ――H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)――の中で、古代文明社会で行われた魔術がどのようなものであったかを、歴史的な変遷に沿って理論面から丹念に考察している。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「魔術」には次のように書かれている。

(……)魔術とは現世を越えた天上的な力と交流してこれを意のままに動かし、またより低級な領域の諸力を自在に使用するという科学である。それは隠れた自然の神秘の実際的知識で、ごくわずかな人にしか知られていない。魔術は非常に得がたい知識であり獲得しようとする人はほとんど法則に違反し罪を犯して失敗してしまうからである。古代と中世の神秘家達は魔術を、テウルギー(神々との交流)とゴスティアと自然の魔術の三つのクラスに分類した。(……) (ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.59)

テウルギー(神働術)について多くを書き残し、それを実践したのは、3世紀の新プラトン派に属する神智学者で、イニトエートであったとされるイアンブリコスだった。

彼は「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている。」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)

神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。 (H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、ベールの前でp.lvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

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2017年6月29日 (木)

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

以下の文章を加筆しました。

2017年6月29日における追記


神智学がいうように、人間が七つの本質からなり、オーラの卵と呼ばれる色彩を帯びた卵形の光の中に生きている存在だとすれば、わたしが時々見るオーラと呼ばれる色彩を帯びた放射物を、今はまだ見ることができない人々もいずれは全員が見るようになるはずだと思うのです。

そのオーラが見え始めたのは大学生のころからで、それが比類なく美しいために、物書きの本能として、わたしは描写せずにはいられませんでした。他の神秘主義的な体験についても、自己肥大や商売っ毛からそうしてきたわけではありません。

自分の体験を特別視していないからこそ、描写し、記録し、神智学などの神秘主義関係の書籍と照らし合わせて研究したくなるのです。

自己肥大や商売っ気からなる著作は、記録や試行錯誤の研究というには自信満々で、その内容はわたしには何か遠いものに映ります。

海外には行ったことがないから、他の国ではどうなのかは知りませんが、今の日本社会では、わたしのような人間は「オーラが見えてすみません」くらいの低姿勢でいないと、一般の人々からは精神病患者あるいは詐欺師と疑われかねず、神秘主義と関わっているのに神秘主義的感性には欠けているインテリ――彼らが神秘主義について何かいうと、絵に描いた餅のように響きます――からは霊媒に分類されかねません。

一般の人々や頭でっかちのインテリは、神秘主義の本格的な勉強に入るより、芸術に触れて情操を高めるほうが先かもしれません。情操の発達こそが、健全な感受性を、つまり透視力や透聴力を育むはずだからです。

一足飛びに大師になれるわけではないといわれるのが真実なら、大師になるずっと前に、誰しもいずれはわたしと同じ段階に至るでしょう。

そのとき、神秘主義的体験の記録をとろうと思ったわたしの動機を人々はようやく理解し、聖典や大師方の手の加わった大著作と霊媒の著作との間に、このような成長記録――つまり当ブログに収録していくエッセー――のようなものがあってまあ助かる、と思ってくれるのではないでしょうか。

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2017年6月 8日 (木)

今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)から薫る神智学的教養

神智学と縁の深かった父親を持ち、自身も神智学書籍の翻訳などした今東光について、当ブログの過去記事をもとに書いた記事を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした。

ウェブサイトで閲覧した記事には今東光の著作からの引用も多く、参考になったが、本人の著作を読まずに記事を書いて終わらせるわけにはいかないので、加筆するつもりで、現在色々なタイプの今東光の5冊の著作――歴史小説2冊、歴史エッセー、身上相談物2冊――とと、編集者が書いた小伝を読んでいる。

身上相談物を読んで、東光が大好きになってしまった。ああ会ってみたかった。

親に恵まれなくとも、昔の日本には今東光のような慈父であり、またどこか慈母でもあるような人物がいて、魅力的な毒舌口調で相談にのってくれていたのだ。

読んでいて感激の涙が出てくるくらいに、真正面からこの上なく真剣に東光は回答している。

その身上相談を読んでも東光が身につけている物凄い教養とユーモアのセンスは感じとれるのだが、今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)を読むと、その教養から神智学の薫りがするのである。

例えば、聖徳太子。今東光は阿育王(アショーカ王)の善政を評価し、その善政に倣った隋の文帝を評価し、短命だった隋だが、「僕に言わせるとこの文帝の仏教治国策は古代東洋における阿育王の話に次ぐ近代性を有つ国家です」(今,1996,p.59)という。

そして、人民の民度は低く、野蛮と無法とが貧困と同居している日本で、この隣国の仏教治国策を施そうとしたのが聖徳太子だといい、東光は最大級の賛辞を捧げている。

アショーカ王の特色は、彼が熱烈な仏教信者でありながら、他の諸宗教を排斥しなかったところにある。中村元は『古代インド』(講談社、2004)で、それは仏教に、本来このような性格があるからだと述べている。

仏教とは覚者(ブッダ)の教えである。覚者とは万有の真理を会得した人にほかならない。このような覚者は、偏狭な先入見を去って、ありとあらゆるものにその存在理由を求め、主種な思想的立場に対しては、そのよって成立するゆえんを洞察するものであらねばならない。覚者の教えは他の教えと対立することがない。それらを超越してしかも包含しているところのものである。ゆえに仏教それ自身はかならずしも他の思想体系を否認せず、それぞれの意義を十分に承認し、それぞれの長所を生かそうとするものである。(中村,2004,p.193)

わたしはここから神智学の教えを連想するのであるが、アショーカ王は真の仏教信者であったから排他的でない宗教性を持っていたのだろうし、今東光は真の仏教信者であったからこそ、神智学に親和性があったのだろう。あるいは、神智学に親和性のある資質が東光を仏教信者にしたといえるのかもしれない。

アショーカ王はチャンドラグプタの孫だった。過去記事でも書いたことだが、ブラヴァツキーを指導、守護したモリヤ大師のモリヤの名は、同大師の化身であったモリヤ(マウリヤ)王朝の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来たものだといわれている。東光はこのことを知っていただろうか。

東光は神仏分離を次のように批判している。

僕の持論はね、明治初年の神仏分離は稀に見る悪法で、稀に見る悪法で、あのために日本はモラルのバックボーンを喪失したと見るんです。従って神仏は改めて新しく発足し直し、昔ながらに手を握るべきである。これなくして日本はモラルを恢復することが出来ないと主張してるんですどうです、こりゃ名論卓説てえもんでしょう。(今,1996,p.98)

平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に収録された歌では神仏がそれぞれの系譜を純粋に保ちながら渾然一体となっていて、そこからは高い美意識と倫理観が感じられる。

日本人の美意識、倫理観がこのとき既に高度な水準に達していたことを考えるとき、わたしにも、神仏分離は悪法だったとしか思えない。神智学徒であれば、誰しもそう思うだろう。

絶世の美女とされるクレオパトラの知的魅力を、「アレクサンドリア学派の哲学を修めた教養の高い才女」(今,1996,p.39)という風に、アレクサンドリア学派を背景に説くところなども、神智学徒らしさを感じさせる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「アレクサンドリア学派(Alexandrian Philosophers School)」を読むと、アレクサンドリア学派について総合的な知識を得ることができるが、ここに、アレクサンドリア市は「西暦173年にアンモニオス・サッカスが設立した折衷学派即ち新プラトン学派で一層有名になった」(田中,1995,「用語解説」pp.16-17)とあり、質疑応答形式の本文に「神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです」(田中,1665,p.13)とあるように、神智学はアレクサンドリア学派から起こった。

だからアレクサンドリア学派という名称は、神智学徒にとっては特別の響きを持っているはずである。

今東光は嵐のような日教組に対する批判活動を繰り広げていたらしい。「共産主義てえもんは赤色帝国主義だってえ解るときが怖いんだ」(今,1996,p.133)という東光は、その怖さを緻密な歴史研究を通して知っている。

そして、引用する左翼的教育に対する今東光の懸念は、唯物史観とは到底相容れない神智学的歴史観からすれば、当然のものだ。

日本の左翼的教育てえものは、つまり馬鹿を拵[こしら]える教育で、それでねえとインチキなマルクス・レーニン主義を押しつけることが出来ねえんだね。だから日本の歴史も、仏教も何も知らねえ二十世紀人ばかりになってきた。将来、此奴等が大人になって人の親となったら、それこそ歴史の悲劇だろうな。(今,1996,p.19)

東光の懸念は当たってしまった。

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2017年5月21日 (日)

ブラヴァツキーの星学に関する言葉

占星術に関するつぶやきと神智学の勉強ノート。

わたしの場合、木星の年齢域とは違って、土星の域では人間関係が活発になり、友人たちとの交際の機会も増えると推測できたが、実際に、木星の域では人間関係が不活発どころか人間嫌いに近い感じになっていた。

それが、確かに土星の域になってから、いろいろな人が車間距離が近すぎると思うくらいに接近してくるようになった。

新らしい人から何十年ぶりという人まで。幼馴染から電話があったのは、それを代表する出来事といってよい。本当になつかしかった。

ただ、自分のために使いたい時間は確保する必要があるので、全ての接近を同じように受け入れることは無理だ。

自分と相手にとって、その交際が有用であると感じられなければ、如何な旧友であろうが距離を置くしかない。グループごと交際が復活した場合はちょっと複雑で、学生時代のように行くだろうか。

舞い上がるほど楽しい面がある代わりに、各人が長年生きてきたあかしともいえるある種の毒素にお互い目を瞬かせられることも当然ある。また、昔であれば、学生時代特有の共通の知識があったが、各人が共有できる知識にもバラつきが出ていることに気づかされる。

わたしはその知識のバラつきをなるべく埋めたいほうで(そう熱望するあまり、こちらから車間距離を縮めすぎて失敗したと思うことがある)、アマチュアとはいえ物書きだから、様々な事柄に興味を働かせるほうだが、皆がそうとは限らない。それでも、やっぱりなつかしさには敵わないけれど。

何にしても、占星術って当たるなあ、と思った次第。

といっても、無知なわたしには占星術をどれくらい信頼のおけるものとして受け入れてよいかが今一つわからないので、物事にある傾向があるかどうかを判断する際の資料の一つとして用いる程度にとどめている。

それというのも、西洋占星術にしても、東洋占星術にしても、流派がいろいろあるうえに、どれも難しくて全体像が掴めず、わたしには表面をなぞるくらいが精々なのだ。

近代神智学運動の母ブラヴァツキーは、星学についても書いている。天文学と占星術はもともとは星学という名のもとに一つであったので、ブラヴァツキーも星学という用語をそのような意味で用いているのではないかと思う。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)で次のようなことを書いている。

生まれる時すでに、各人の人生はアストラル光に描かれているが、それは宿命論的なことではなく、ただ、未来は過去と同じくいつも現在の中に生きているからである。こうして各人の運命、各子供の誕生と関係のあるリピカ達は、星学にも影響を及ぼすと言える。気が進んでも進まなくても、私達は星学の真実を認めざるを得ない。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,332頁)

リピカはマハットの一部といわれ、マハットとは顕現した神聖な概念作用である。詳しくは、前掲書を参照されたい。

現在、過去、未来については、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の『67 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ③タブッキの円熟とフェルナンド・ペソアの青い果実』でも引用したが、次のように解説されている。

現在、過去、未来の三つの期間は秘教哲学では複合時間(Compound time)である。現象界に関してだけこの三つは合成数であり、本体の領域では抽象的妥当性はない。聖典に言われているように、“過去は現在であり未来でもある。未来はまだ現れてはいないが、やはりある”。それはマードヤミカのプラーサンギカ派の教えの諺によるのだが、それが純粋に秘教的な学派から離れて以来、その教義が知られてきた。簡単に言えば、継続と時間に関する概念はすべて連想の法則に従って、私達の感覚から出てくるものである。その概念とは人間の知識の相対性でがんじがらめに縛られているが、それにもかかわらず、個人や自我の経験の中でなければ存在しないし、自我の進化が現象的存在というマーヤーを追い払う時、消滅するのである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1988,pp.249-250)

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)にも星学に関して深遠なことがいろいろと書かれているが、実生活で役立つことも書かれている。

公開の場所に群がる『大気の精』即ちエレメンタル達から身を守るために、その時をつかさどる惑星の色の玉石の指輪をはめるか、またはその惑星に相応する金属製のものを身につけたほうがよい。しかし、やましいところのない良心と、人類を益しようという確固とした決意は最良の保護を与えるものである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,186頁)

パラマンサ・ヨガナンダ『ヨガ行者の一生』(関書院新社、初版1960、1979改訂第12版)にも、インドの星学についてとても詳しく書かれている。その本にも、ブラヴァツキーの著作から引用したのと同じようなことが書かれている。

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2017年5月 4日 (木)

Notes:不思議な接着剤#95 ナザレ人

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)に注目すべきことが書かれている。この第三巻は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだという。

ブラヴァツキーは次のように書いている。

『新約聖書』、『使徒行伝』そして『使徒書簡』集が――いかにイエスの歴史像の真実に迫るとしても――すべて象徴的、比喩的な発言であること、また「キリスト教の創設者はイエスではなくパウロであった」こと、しかしそれはいずれにしても、正式な教会キリスト教ではなかったこともまた真実である。「弟子たちがキリスト教徒と初めて呼ばれたのは、アンテオケにおいてであった」ことを『使徒行伝』は伝える。それまで彼らはそう呼ばれなかったし、その後も長い間、単にナザレ人と呼ばれた。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.262)

また、「ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.265)であって、パウロが「秘儀参入者」の階級に属していたと書き、その根拠を示している。パウロが目指した教義は次のようなものだったという。

パウロにとって、キリストは個人でなく、具体化された理念である。『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者であり』この人は、秘儀参入者のように、生まれ変わったのだ。なぜなら主は霊――人間の霊――だからである。パウロは、イエスに会ったことはなかったけれども、イエスの教えの底に横たわる秘密の理念を理解していた唯一の使徒であった」「しかしパウロ自身は無謬ではなく完全でもなかった」「新しく広やかな改革、人類全体を包むことのできる改革をスタートすることに心を傾けていた彼は、自身の教義を本心から、時代の知恵のはるか上位、古代の密儀や最終的な『エポプタイ』(秘儀の伝授)より上に本心で設定した」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.264-265)

ペテロは秘儀参入者ではなく、ユダヤのカバリストであった。

このような方向で、ギリシアの秘儀とカバラという確かなガイドを目の前にして探索をすすめるならば、パウロがペテロ、ヨハネおよびヤコブによりあのように迫害され憎悪される秘められた理由を発見するのは容易であろう。『黙示録』の著者は、生粋のユダヤ人カバリストであり、異教の秘儀に対する先祖伝来の憎悪を全身に漲らせていた(註『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない。イエスの存命中における彼の嫉妬はペテロにまで広がった。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.266-268)

この第三巻(上)は、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)と重なる部分も多く、『ベールをとったイシス』に補足した巻ということもできそうだ。

原始キリスト教を研究するには、『ベールをとったイシス』同様に欠かせない著作であると思う。

「『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない」と前掲書の註に書かれていた文章から、カタリ派がヨハネ福音書を偏愛していた事実を思い出した。

ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級だった、とブラヴァツキーは書いている。そのナザレ人というのは、意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派ともブラヴァツキーは書いている。

新バビロニア(カルデア人が築いた王国で、カルデア王国ともいう。紀元前625 - 紀元前539)の王ネブカドネザル2世により紀元前597年に滅ぼされたユダ王国のユダヤ人たちは、バビロンに捕囚された(ダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリア帝国に滅ばされている)。

その地で、ユダヤ人は圧倒的なバビロニア文化(カルデア人は天文学・占星術に優れていた)の影響を受ける一方では、それに抗して律法を重視する(エルサレムの町も神殿も失っていたため)ユダヤ教を確立した。

ブラヴァツキーはこうも書いている。ノート92から引用する。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だった(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)とブラヴァツキーはいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。
(……)

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

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2017年4月28日 (金)

創作状況(初の歴史小説、エッセー)

改稿の下準備段階の御遺物メモで止まっている初の歴史小説「祐徳院物語」(仮題)だが、義理の息子のうち、大名となった弟の直條公によって創作された漢詩を読んでいる。

肥前鹿島藩第四代藩主鍋島直條由来の詩箋巻を翻刻・注釈したもので、中尾友香梨、井上敏幸『文人大名鍋島直條の詩箋巻』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2014)。

わたしは図書館から借りているが、この作品はセンターのホームページからPDF形式で閲覧、ダウンロードすることもできる。

分けていただいた、井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2016)もそうだが、どちらも貴重な史料だと思う。

昨日から今日にかけて、タブッキの本を2冊再読している最中に、なぜか初の歴史小説のことが思い浮かび、直條公の視点で萬子媛を描いてみたらどうだろう、という発想が浮上した。

初稿では、最初に村人を出したのが失敗だったような気がしている。何年かかるかわからないが、時間をかけて仕上げることにしたので、とりあえずこの案で書いてみたいと考えている。

萬子媛の断食入定についてだが、明治時代に禁止されるまで、日本では断食入定は主に密教系の仏教で行われたようだ。ジャイナ教がどこかで影響しているということは考えられないだろうか。

仏教とほぼ同時期に成立したといわれるジェイナ教は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーの非暴力運動にも影響を与えたといわれている(インド独立運動といえば、ガンジーと親交があり、独立運動のために自治連盟を組織し、国民会議の議長になったりした神智学協会第二代会長アニー・ベザントを連想する)。

ジャイナ教については、上記した程度の乏しい知識しかなかった。それがたまたまH・P・ブラヴァツキーを守護、指導したモリヤ大師のモリヤという名が、この大師の化身であった古代インドのモリヤ王朝(マウリヤ王朝)の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来ているという神智学協会のエピソードが気になり、ウィキペディアで「チャンドラグプタ (マウリヤ朝)」を閲覧した。

すると、次のようなことが書かれていた。

ウィキペディア:チャンドラグプタ (マウリヤ朝)

ジャイナ教系の記録によれば、チャンドラグプタは晩年ジャイナ教を厚く信仰し、退位して出家し、ジャイナ教の聖人バドラバーフの弟子となり、出家後の名はプラバーカンドラとした。バドラバーフの下で苦行に打ち込んだチャンドラグプタは、最後は絶食して餓死したとされている。
ウィキペディアの執筆者. “チャンドラグプタ (マウリヤ朝)”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)&oldid=61839301, (参照 2016-11-07).

少し驚きながら、ジャイナ教についてもウィキペディアを閲覧してみた。次の記述が印象的で、ジャイナ教に関する本を図書館から2冊借りたところ。ちなみに、仏教を守護した大王として有名なアショーカ王はチャンドラグプタの孫に当たる。

ウィキペディア:ジャイナ教

ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

これは神智学を連想しないわけにはいかない。

そして、ジャイナ教に関する本を読み始めてすぐに、何ともいえないなつかしさが胸に込み上げてきた。カタカナで書かれている言葉に自分でも驚くくらいに反応し、それが郷愁に変わる驚き。

これまでカタカナに邦訳されたサンスクリット語、パーリ語、チベット語などを見ると、苦手意識のほうが先に立ったのだが、ジャイナ教の解説の雰囲気の中で馴染みのないはずの、あるいは目にして苦手に感じたはずの言葉がなぜか心に沁みて、その言葉をつぶやきたくなるのである。

わたしは過去記事で、前世とあの世のわずかばかりの霊的記憶を持って生まれてきたとたびたび書いてきた。

そして、間抜けなことに、この世で果たすべき使命があるという思いを持ってこの世に下りてきながら、それが何であるかを完全に忘れ、覚えているのは前世は年老いた僧侶として死んだということ、太陽と大気に関するこの世とあの世におけるそれらの性質、感触、色彩の違いだけだった。ただ小学生のころまで、秘かに瞑想をする習慣を前世から持ってきていた。

自分がどんな宗教に属していたのか、それすらわからず、若いころからキリスト教、仏教など、あれこれ惹かれる宗教は多かったのだが、諸宗教を総合してそこから高純度のエッセンスを抽出する作業を行った近代神智学運動の母ブラヴァツキーの著書に強く惹かれたのを別にすれば、どれにももう一つ違和感があった。

しかし今、おそらく、わたしは前世の一つでジャイナ教の僧侶であったことがあったに違いないと考えている。子供のころに萬子媛の断食入定を知って、恐ろしいと思いながらも強い印象を受けて、ずっと忘れられなかったのも、前世の一つにおけるジャイナ教体験から来ているのかもしれない。

江戸時代の日本で禅宗の黄檗僧としての生きかたを貫かれた萬子媛だが、古代インドでジャイナ教に属していた前世もお持ちでは……と空想したくなる。勿論これは完全なわたしの空想にすぎない。

前掲のウィキペディア「ジャイナ教」には、断食入定について次のように解説されている。

ウィキペディア:ジャイナ教

アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanā)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

まだざっと2冊の本に目を通した程度だが、自身の思い込みを除外しても、ジャイナ教にはとても魅力的なところがある。また、仏教とよく似ていることに驚かされる。

サイト「仏教へのいざない」の仏教入門「第3回 仏教とジャイナ教」によると、この二つの宗教は「双子の宗教」だとか「姉妹宗教」などと呼ばれているそうである。

  • 仏教へのいざない
    http://todaibussei.or.jp/izanai/izanai_index.htm

アントニオ・タブッキの本を2冊再読したのは、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に書きかけのタブッキに関するエッセーの続きを書くためだ。

再読したのは、アントニオ・タブッキ(鈴木昭裕訳)『レクイエム』(白水社、1999)、アントニオ・タブッキ(和田忠彦訳)『イザベルに ある曼荼羅』(河出書房新社、2015)。

タブッキに関するエッセーはまだまだ続くが、次のエッセーを書いたら、タブッキにはしばらく時間を置く。ロシアのフリーメーソンがイルミナティに侵食される過程を描いたトルストイの『戦争と平和』に関するエッセーも、当ブログから「神秘主義的エッセー」のほうへ移しておきたい。

それから、初の歴史小説へ。

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