カテゴリー「Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」の96件の記事

2017年4月28日 (金)

創作状況(初の歴史小説、エッセー)

改稿の下準備段階の御遺物メモで止まっている初の歴史小説「祐徳院物語」(仮題)だが、義理の息子のうち、大名となった弟の直條公によって創作された漢詩を読んでいる。

肥前鹿島藩第四代藩主鍋島直條由来の詩箋巻を翻刻・注釈したもので、中尾友香梨、井上敏幸『文人大名鍋島直條の詩箋巻』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2014)。

わたしは図書館から借りているが、この作品はセンターのホームページからPDF形式で閲覧、ダウンロードすることもできる。

分けていただいた、井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(佐賀大学地域歴史文化研究センター、2016)もそうだが、どちらも貴重な史料だと思う。

昨日から今日にかけて、タブッキの本を2冊再読している最中に、なぜか初の歴史小説のことが思い浮かび、直條公の視点で萬子媛を描いてみたらどうだろう、という発想が浮上した。

初稿では、最初に村人を出したのが失敗だったような気がしている。何年かかるかわからないが、時間をかけて仕上げることにしたので、とりあえずこの案で書いてみたいと考えている。

萬子媛の断食入定についてだが、明治時代に禁止されるまで、日本では断食入定は主に密教系の仏教で行われたようだ。ジャイナ教がどこかで影響しているということは考えられないだろうか。

仏教とほぼ同時期に成立したといわれるジェイナ教は、インド独立運動の指導者マハトマ・ガンジーの非暴力運動にも影響を与えたといわれている(インド独立運動といえば、ガンジーと親交があり、独立運動のために自治連盟を組織し、国民会議の議長になったりした神智学協会第二代会長アニー・ベザントを連想する)。

ジャイナ教については、上記した程度の乏しい知識しかなかった。それがたまたまH・P・ブラヴァツキーを守護、指導したモリヤ大師のモリヤという名が、この大師の化身であった古代インドのモリヤ王朝(マウリヤ王朝)の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来ているという神智学協会のエピソードが気になり、ウィキペディアで「チャンドラグプタ (マウリヤ朝)」を閲覧した。

すると、次のようなことが書かれていた。

ウィキペディア:チャンドラグプタ (マウリヤ朝)

ジャイナ教系の記録によれば、チャンドラグプタは晩年ジャイナ教を厚く信仰し、退位して出家し、ジャイナ教の聖人バドラバーフの弟子となり、出家後の名はプラバーカンドラとした。バドラバーフの下で苦行に打ち込んだチャンドラグプタは、最後は絶食して餓死したとされている。
ウィキペディアの執筆者. “チャンドラグプタ (マウリヤ朝)”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%83%97%E3%82%BF_(%E3%83%9E%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%A4%E6%9C%9D)&oldid=61839301, (参照 2016-11-07).

少し驚きながら、ジャイナ教についてもウィキペディアを閲覧してみた。次の記述が印象的で、ジャイナ教に関する本を図書館から2冊借りたところ。ちなみに、仏教を守護した大王として有名なアショーカ王はチャンドラグプタの孫に当たる。

ウィキペディア:ジャイナ教

ジャイナ教はあらゆるものに生命を見いだし、動物・植物はもちろんのこと、地・水・火・風・大気にまで霊魂(ジーヴァ)の存在を認めた。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

これは神智学を連想しないわけにはいかない。

そして、ジャイナ教に関する本を読み始めてすぐに、何ともいえないなつかしさが胸に込み上げてきた。カタカナで書かれている言葉に自分でも驚くくらいに反応し、それが郷愁に変わる驚き。

これまでカタカナに邦訳されたサンスクリット語、パーリ語、チベット語などを見ると、苦手意識のほうが先に立ったのだが、ジャイナ教の解説の雰囲気の中で馴染みのないはずの、あるいは目にして苦手に感じたはずの言葉がなぜか心に沁みて、その言葉をつぶやきたくなるのである。

わたしは過去記事で、前世とあの世のわずかばかりの霊的記憶を持って生まれてきたとたびたび書いてきた。

そして、間抜けなことに、この世で果たすべき使命があるという思いを持ってこの世に下りてきながら、それが何であるかを完全に忘れ、覚えているのは前世は年老いた僧侶として死んだということ、太陽と大気に関するこの世とあの世におけるそれらの性質、感触、色彩の違いだけだった。ただ小学生のころまで、秘かに瞑想をする習慣を前世から持ってきていた。

自分がどんな宗教に属していたのか、それすらわからず、若いころからキリスト教、仏教など、あれこれ惹かれる宗教は多かったのだが、諸宗教を総合してそこから高純度のエッセンスを抽出する作業を行った近代神智学運動の母ブラヴァツキーの著書に強く惹かれたのを別にすれば、どれにももう一つ違和感があった。

しかし今、おそらく、わたしは前世の一つでジャイナ教の僧侶であったことがあったに違いないと考えている。子供のころに萬子媛の断食入定を知って、恐ろしいと思いながらも強い印象を受けて、ずっと忘れられなかったのも、前世の一つにおけるジャイナ教体験から来ているのかもしれない。

江戸時代の日本で禅宗の黄檗僧としての生きかたを貫かれた萬子媛だが、古代インドでジャイナ教に属していた前世もお持ちでは……と空想したくなる。勿論これは完全なわたしの空想にすぎない。

前掲のウィキペディア「ジャイナ教」には、断食入定について次のように解説されている。

ウィキペディア:ジャイナ教

アヒンサーを守るための最良の方法は「断食」であり、もっとも理想的な死はサッレーカナー(sallekhanā)、「断食を続行して死にいたる」ことである。マハーヴィーラも断食の末に死んだとされ、古来、段階的な修行を終えたジャイナ出家者・信者のみがこの「断食死」を許された。
ウィキペディアの執筆者. “ジャイナ教”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%83%8A%E6%95%99&oldid=61585475, (参照 2016-10-19).

まだざっと2冊の本に目を通した程度だが、自身の思い込みを除外しても、ジャイナ教にはとても魅力的なところがある。また、仏教とよく似ていることに驚かされる。

サイト「仏教へのいざない」の仏教入門「第3回 仏教とジャイナ教」によると、この二つの宗教は「双子の宗教」だとか「姉妹宗教」などと呼ばれているそうである。

  • 仏教へのいざない
    http://todaibussei.or.jp/izanai/izanai_index.htm

アントニオ・タブッキの本を2冊再読したのは、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に書きかけのタブッキに関するエッセーの続きを書くためだ。

再読したのは、アントニオ・タブッキ(鈴木昭裕訳)『レクイエム』(白水社、1999)、アントニオ・タブッキ(和田忠彦訳)『イザベルに ある曼荼羅』(河出書房新社、2015)。

タブッキに関するエッセーはまだまだ続くが、次のエッセーを書いたら、タブッキにはしばらく時間を置く。ロシアのフリーメーソンがイルミナティに侵食される過程を描いたトルストイの『戦争と平和』に関するエッセーも、当ブログから「神秘主義的エッセー」のほうへ移しておきたい。

それから、初の歴史小説へ。

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2016年10月25日 (火)

物質主義社会のなれの果てか、ママカースト

過去記事でお知らせしたように、はてなブログ「マダムNの連載小説」で平成12年(2000)5月に脱稿した「地味な人」の連載を開始した。

100枚程度の短編小説なので、3枚強ずつ毎日更新したら、ひと月で完結する。

この小説をブログで公開するか、電子出版したいと思いながら、気が進まず、清書しかけては中断、を繰り返してきた。

要するに、ダークなテーマであるため、自分の小説であるのに、扱うのが嫌になってしまっていたのだ。

しかし、感熱紙の印字がいよいよ薄くなってしまった今、このまま主人公を失っていいのか、といううろたえる思いが自分の中で湧いた。

16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものである。尤も、当時は、そのような言葉はなかった。ママ友という言葉もなかった。

小説を連載しながら改めて、ママカーストの実態をリサーチしたいと考えている。物質主義社会のなれの果てといってよい現象なのか、反日勢力の工作が絡んだ現象なのか……

わたしのママ友関係には、幸いママカーストに当たるような出来事は起きなかった。

同じアパートで、夫が流通業に勤務する似た経済状態にある女性たちが子供を介して交際していた。個人的に合う合わないといった自然な感情は当然存在したが、それだけのことだった。遠く離れても、当時がなつかしく、葉書のやりとりがある。

そうした意味では幸福な子育てだった。ところが、落とし穴はあるもので、別の場所でママカースト現象に当たるような体験をした。だから、小説が書けたのである。

江戸時代に生まれた萬子媛は、彼女の小伝を書いた義理の息子が「大師ハ華冑ニ生ルルモ、富貴ノ籠絡スル所トナラズ、志ヲ斯ノ道ニ鉄ス」と書いたように、高貴な生まれでありながら(後陽成天皇の曾孫女で、左大臣・花山院定好の娘)、そのことに絡めとられることなく、求道者としての道を貫き、衆生救済のために断食入定した。

日本は、過去にこのような人物を生んだ国でありながら、何て情けない国になってしまったことか。

ママカーストなんてやっている人間は、畜生以下だろう。日本人なら、恥を知るがいい。自らの行いはすべて自分に返ってくる――仏教を通して古来、日本人にはそうした認識があった。

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2016年10月13日 (木)

歴史短編1のために #29 萬子媛遺愛の品々 ④御化粧袋、貝合わせ、鉄鉢

祐徳博物館での個人的なメモです。

御遺物メモの続き。

漆に蒔絵[まきえ]が施されたシックな調度は婚礼調度だろう。鎌倉時代くらいを起点とした婚礼調度は、江戸時代初期には道具類が体系化され、豪華なものになっていたという。

印籠
室町時代に明から輸入された長方形の小型の容器には当初は印を入れたらしいが、江戸時代には薬入れやアクセサリーとして流行ったとか。

御化粧袋
お化粧袋は赤地に牡丹模様、それに市松模様のバンドがついていて、現代感覚の目で見ても洒落ている。

以下のノートは、谷田有史・村田孝子『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(三樹書房、2015)を読みながらとったものだが、引用する。本の監修者である谷田氏はたばこと塩の博物館学芸員、村田氏はポーラ文化研究所シニア研究員。

2015年10月31日 (土)
歴史短編1のために #18 江戸時代のおしゃれを作り上げたもの
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/10/18-8d71.html
江戸時代には多くの育児書が書かれていたと書いたが、美容読本なども書かれ、読まれていた。
房州砂に竜脳や丁子、白檀などの香料で香りづけした歯磨き粉、石鹸の代わりの糠や粗い粉。糠を銭湯で売っている様子が浮世絵に描かれているらしい。糠はタンパク質や脂肪を含んでいて、天然のクリームとなった。糠袋は母が時々使っていたが、江戸時代からあったのか……。
萬子媛は江戸時代初期から中期にかかるくらいの人なので(1625年 - 1705年)、初期に注目して本から拾えば、洗顔のあとには化粧水。花露屋から発売されていた「花の露」が有名だった。これは天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしい。
この花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったという。萬子媛が二十歳のころには創業していたというわけか。おしゃれなネーミングだなあ。萬子媛も使ったのかしら、花の露。
お歯黒は『源氏物語』『堤中納言物語』にも書かれた日本で一番古い化粧とされているという。お歯黒は歯槽膿漏、虫歯予防に役立っていたそうだ。

井原西鶴『好色一代男』(巻二)に確かに、花の露屋の五郎吉という香具売の少年が登場する。

つゞきて桐[きり]の鋏箱[はさみばこ]の上に小帳[こちょう]・十露盤[そろばん]をかさね、利口[りこう]さう成男[をとこの]行は、人の目に立ぬやうにこしらえて、みるほどうつくしき風情[ぜい]也。「是なん香具賣[かうぐうり]」と申。こゝろうつりてよび返し、沈香[ぢんかう]など入[いる]のよし申て、調[とゝのえ]て、とやかく隙[ひま]の入こそ笑[をか]し。「御用[ごよう]もあらば重而」と立かへる程[ほど]に、宿[やど]もとをきけば、「芝神明[しばしんめい]の前[まへ]、花の露屋[つゆや]の五郎吉、親かた十左衛門」とぞ申。(麻生磯次・冨士昭雄『対訳西鶴全集 一  好色一代男』明治書院、昭和58新版、64頁)

人目に立たないこしらえながら美しい風情の少年は、香具だけを売っていたのではないようだ。

貝合わせ
貝櫃(貝合わせを入れる箱)

上流社会の嫁入り道具中必需品であった」と説明があった。
平安時代を連想させる美しい貝合わせ。実物が見られて、感激した。貝殻の内側に金箔が貼られ、絵が描かれていて、美しい。

ウィキペディア「貝合わせ」
貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる日本の遊び。本来の貝合わせは、合わせものの一つとして貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びであった。

江戸時代の貝合わせ
江戸時代の貝合わせは、内側を蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する。ハマグリなどの二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、裏返した貝殻のペアを選ぶようにして遊んだ。
また、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。貝の内側に描かれるのは自然の風物や土佐一門風の公家の男女が多く、対になる貝には同じく対になる絵が描かれた。美しく装飾された合貝を納めた貝桶は八角形の形をしており二個一対であった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれた。婚礼行列が婚家に到着すると、まず初めに貝桶を新婦側から婚家側に引き渡す「貝桶渡し」の儀式が行われた。貝桶渡しは家老などの重臣が担当し、大名家の婚礼に置いて重要な儀式であった。
金箔が使われている。

ウィキペディアの執筆者. “貝合わせ”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%B2%9D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&oldid=60679944, (参照 2016-08-06).

雁[かり]が音の琴
万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。

小説を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れたのだが、萬子媛は本当に箏を弾かれていたようである。ちなみに琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝(琴には柱がない)、小説にはどちらの表現を使うかで迷う。

ウィキペディア「筝」
一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。
ウィキペディアの執筆者. “箏”. ウィキペディア日本語版. 2016-04-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%8F&oldid=59361089, (参照 2016-04-15).

藩主 御火鉢 参勤交代用湯沸[わかし]
参勤交代時に用いられたという湯沸が興味深かった。

御茶道具
紺地に龍が描かれているものがあった。

鉄鉢
鉄鉢は「てっぱつ」と読むようだ。

托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち。(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)

出家前と後の遺愛品が混じって展示されていたので、僧侶時代の遺愛品であることに気づくとハッとしたが(御袈裟)、鉄鉢は辞書を引かなければ、僧侶時代のものであることに気づかなかっただろう。

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2016年10月 8日 (土)

硫黄臭。ようやく今日から萬子媛の小説の改稿へ。

まだ硫黄臭が漂っています。

阿蘇山の中岳第一火口で、8日未明に発生した噴火が原因です。噴火警戒レベル3の火口周辺警報が出されています。

北東に50キロ以上離れた当市ですが、硫黄臭が今も漂っていて……ここに引っ越してきて10年以上になるけれど、こんなことは初めてです。

ところで、今日からようやく、萬子媛の小説の改稿に入りました。といっても、まだ御遺物メモの続きからです。

御袈裟の次に、漆に蒔絵がほどこされた婚礼化粧道具が印象的でしたが、『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(谷田有史・村田孝子著、谷田有史・村田孝子監修、三樹書房、2015)によると、江戸時代、化粧水は花露屋から発売されていた「花の露」が有名だったそうです。

花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったとか。天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしいので、書棚から本を引っ張りだして確認したりしていました。

確かにありました。あとで、別の記事にします。萬子媛の身長に関しても、これは憶測の域を出ませんが、ちょっとメモしておきたいことがあります。

トルストイ『戦争と平和』関連で調べ始めたフリーメーソン、イルミナティについても、もう少し書いておきたいのですが、イルミナティについては内容を改めて考察する必要を感じています。

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2016年8月21日 (日)

歴史短編1のために #28 萬子媛遺愛の品々 ➂金書金剛般若波羅蜜経

ウィキペディア「入定」によると、入定とは「僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする」行為である(ウィキペディアの執筆者. “入定”. ウィキペディア日本語版. 2016-03-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%A5%E5%AE%9A&oldid=59110228, (参照 2016-08-21). )。

であるならば、入定を果たした萬子媛は、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるのだと思われる。

御遺物メモの続き。

金書金剛般若波羅蜜経
金字で書写された「金剛般若波羅蜜経」。
「臨済禅、黄檗禅 公式サイト」によると、臨済宗・黄檗宗でよく誦まれるお経には次のようなものがある(他にも、各派本山のご開山の遺誡や和讃なども含め、多くのお経が誦まれるという)。

  • 開経偈
  • 懺悔文
  • 三帰戒
  • 摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)
  • 消災妙吉祥神呪(消災呪)
  • 妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五(観音経)
  • 大悲円満無礙神呪(大悲呪)
  • 開甘露門(施餓鬼)
  • 仏頂尊勝陀羅尼
  • 金剛般若波羅蜜経(金剛経)
  • 大仏頂万行首楞厳神呪(楞厳呪)
  • 延命十句観音経
  • 四弘誓願文
  • 舎利礼文
  • 白隠禅師坐禅和讃

このうち、経名を含めてわずか276文字の『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経) (まかはんにゃはらみたしんぎょう)』は宗派を問わず広く誦まれるお経で、仏さまの教えのエッセンスともいえ、この題目は「偉大なる真理を自覚する肝心な教え」(山田無文『般若心経』)とも訳されるという。

『金剛般若波羅蜜経(金剛経) (こんごうはんにゃはらみきょう)』は般若経典の一つで、『般若心経』についで広く流布しているもの。禅宗では特に重んじられる経典で、午課で一日半分ずつ誦むのだという。(2016/8/20アクセス)

博物館で見学したときに見た、この般若経典のことが記憶に残ったためか、見学後に神楽殿で30分間家内安全の御祈願をしていただいていたときのことだった。

わたしたち家族は長椅子に座っていたのだが、その背後に萬子媛を中心に見えない世界の大勢の方々――ボランティア集団と呼びたくなる統一感のある方々――のいらっしゃるのがわかった(お仕事の一環のような感じであった)。

映像的には内的鏡にはほんのり映ったような気がするだけなのだが、なぜかそうした方々の挙動や心の動き、そして萬子媛のオーラは――色彩より熱として――鮮明に感じられた。

過去記事で書いたように、こうした場所での30分という時間は半端ではなく、萬子媛の臨在を感じていながらふと緊張感の途切れる瞬間が何度もあり、あれこれ雑念が浮かんでしまった。

心の中でつぶやいたことは筒抜けで、それに対する萬子媛やその近くにいる方々の反応が伝わってきた瞬間が何度かあった(すなわち願い事も雑念も筒抜けであるから、参拝するときは願い事の整理ときよらかな心持ちが肝要)。

博物館で見た般若経典のことが頭をよぎり、わたしはふと「波羅蜜多」と2回心の中でつぶやいた。わたしが見たのは『金剛般若波羅蜜経』だったのだが、つぶやきの対象は『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』の方だった。

つぶやいたとき、萬子媛から、すぐさま動揺の気配が伝わってきて、精妙な情感が音楽のように流れてきた。郷愁の交じった、きよらかな心の動きが感じられた。こうした心の動きという点では、生きている人間もあの世の方々も変わらない。

高級霊は自己管理能力に優れていることを感じさせるが(幼い頃からわたしを見守っていてくださっている方々もそうである)、情感という点ではわたしが知っているこの世の誰よりもはるかに豊かで、香り高い。心の動きのえもいわれぬ香しさのために、蜜蜂が花に惹かれるようにわたしは萬子媛に惹かれるのだ。

萬子媛はもっと聴こうとするかのように、こちらへ一心に注意を傾けておられるのがわかった。

『金剛般若波羅蜜経』は御遺物にあったのだから愛誦なさっていたのは当然のこととして、『摩訶般若波羅蜜多心経(般若心経)』という言葉に強く反応されたのは、それだけ生前、般若心経を愛誦なさっていたからだろう。

神様として祀られるようになった萬子媛は、前述したように、生死の境を超えて衆生救済を目的とする入定を果たした方らしく、稲荷神社という大衆的な形式を衆生救済の場として最大限に活用していらっしゃるように思われる。

しかしながら、萬子媛の生前は大名の奥方でありながら出家し、晩年の20年を禅院を主宰して入定まで行った僧侶だったのだ。

わたしが何気なくつぶやいた「波羅蜜多」という言葉に、それが甘露か何かであるかのように反応なさった萬子媛、否、祐徳院様がどれほど僧侶に徹した方だったのかということが自ずと想像された。

わたしは萬子媛が愛誦し指針とされたに違いない『般若心経』を暗記することにした。

ちなみに、このあとでマントラム(マントラ)を意図的につぶやいてみたのだが、こちらのほうは反応が感じられなかった。萬子媛を囲むように控えている大勢の方々に幾分白けたような気配さえ漂ったところからすると、マントラムは意味不明な言葉と受け取られたのだと思われる。

現代人と変わりないように感じられるのに、やはり江戸時代に生きた方々ということなのだろうか。現代人であれば、マントラムの内容はわからなくとも、マントラムがインド由来の聖なる言葉であることぐらいは察しがつくのが普通だろうから。

過去記事で紹介したエルザ・バーカー(宮内もとこ訳)『死者Xから来た手紙―友よ、死を恐れるな』(同朋社、1996)には、次のようなことが書かれている。

物質界と霊界が交流するとき、物質界にいるきみたちは、霊界にいるわれわれがなんでも知っていると思いがちだ。きみたちは、われわれが占い師のように未来を予言し、地球の裏側でおきていることを教えてくれると思っている。まれにできることもあるが、ふつうわれわれにはそういうことはできない。(バーカー,宮内訳,1996,p.25) 

あの方々の端然とした統一感のとれているところが、地上界のためにボランティアしている霊界の方々の特徴なのか、かつて江戸時代に生きた方々ならではの特徴なのか、わたしにはわからない。

萬子媛の清麗な雰囲気こそは、高級霊のしるしだとわたしは考えている。

御祈願が終わりかけるころ、萬子媛は近くに控えている方々に促されるようにして、どこかへ去って行かれた。全員がさーっと……一斉に気配が消えた。『竹取物語』の中の昇天するかぐや姫を連想してしまった。上方へ消えて行かれた気がしたのだ。

そういえば、石壁社で萬子媛に語りかける以前に参拝したとき、高いところから夫を見てハッと警戒した方々がいたのを感じたことがあった。

上空を漂いながら警備している天上的な女性たち――といった映像を、わたしは内的鏡で見たように思った。そのときはその場面が何を意味するのかがわからなかった。あのころはまだ義祖父が夫に憑依していたから、そのことが関係していたのではないだろうか。

以前であれば、神社に行くのを嫌がった夫だった。ところが、義祖父が成仏した後の参拝であった今回は何のこだわりもなく一緒に出かけて、それが自然な行動と映った。萬子媛を描いた短編小説を気に入ってくれた夫はむしろ今回の参拝を楽しみにしていたほどだった。変われば変わるものである。改善されたいくつかの傾向を夫に認めるとき、義祖父の憑依と成仏はわたしの妄想ではなかったと確信させるのだ(義祖父の成仏については拙神秘主義的エッセーブログの 47 及び 60 を参照されたい)。

萬子媛を囲むように控えていた方々の中には、あのとき上空からの警備を担当していた方々もおられたに違いない(もしかしたらこのときも警備中で、神楽殿にはおられなかったのかもしれないが)。

あの方々の行動から推測すれば、地上界での一日の仕事が終われば全員があの世へ帰宅なさるのだろう。まさか、あの世の方々が地上界の人間と同じようなスケジュールで行動なさっているなど想像もしなかった。

前掲書には次のようなことも書かれている。

 大師を信じることを恐れてはいけない。大師は最高の力を手にした人だ。彼らは、肉体をもっていてもいなくても、こちらの世界と地上を意志の力で自由に行き来できるのだ。
 だがわたしは、彼らが二つの世界を行き来する方法を世間に教えるつもりはない。大師以外の者がその方法を試そうとすれば、行ったきり戻れなくなる恐れがあるからだ。知は力なり。それは事実だが、ある種の力は、それに見合うだけの英知をもたない者が行使すると、危険な事態を招く場合がある。〔……〕
 こちらの世界でわたしを指導している師は大師である。
 地上の世界に教授より地位の低い教師がいるのと同じで、こちらの世界には大師でない教師もいる。〔……〕
 わたしは、死と呼ばれる変化のあとで迎える生の実態を人々に伝えようとしているわけだが、師はその試みを認めてくれていると言ってよいと思う。もし師が反対するなら、わたしはその卓越した英知に従うしかない。
(バーカー,宮内訳,1996,pp..203-204) 

萬子媛や三浦関造先生がどのような地位にある教師なのか、わたしには知りようがない。

ただ、萬子媛にしても三浦先生にしても、生前から神通力をお持ちだった。現在はどちらも肉体を持っておられない。そして、お二人が二つの世界を自由に行き来なさっていることは間違いのないところだ。

わたしは前世から三浦先生とはつながりがあったと感じている。だからこそ、先生のヴィジョンを見たのだと思っている。

萬子媛にはそのような縁を感じたことはない。だが、萬子媛を知り、作品に描くことは、この世に降りてくるときの計画にあったのではないかと思っている。だから、駄作のままではだめだとの衝動を覚える。

般若心経を暗記するのによさそうな動画を見つけた。

黄檗宗のお経の読み方は違うようなので、こちらで覚えるべきか?

リグヴェーダ、ヤジュルヴェーダ、サーマヴェーダの三種類の詠唱法を紹介した以下の動画を視聴すると、哲学的な般若心経の本質を理解できるような気がしてくる。 

過去記事で紹介した以下の動画では、般若心経がすばらしい仏教音楽となっている。台湾仏教だろうか。

般若心経・金剛般若経 (岩波文庫)
中村 元 (翻訳),    紀野 一義 (翻訳)
出版社: 岩波書店; 改版 (1960/7/25)
ISBN-10: 4003330315
ISBN-13: 978-4003330319

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2016年8月18日 (木)

歴史短編1のために #27 萬子媛遺愛の品々 ②入定について。印象的な御袈裟。

「なぜ、萬子媛は餓死したの?」と尋ねた友人がいた。

「えっ?」と、わたしは言葉をなくした。

萬子媛の入定については詳しく書いたつもりだったから。さらに丁寧に書くべきか?

「萬子媛の入定がわかりにくかったみたい。あれじゃ、わからなかった?」と夫に尋ねると、「わかるも何も、説明がなくったって、坊主が食を断って亡くなったと聴けば、即身成仏だと思うだろ、普通」

萬子媛を知る人間によって書かれた唯一の萬子媛の小伝といえるものが「祐徳開山瑞顔大師行業記」で、文人大名として有名だった義理の息子直條によって、萬子媛が存命中――逝去の1年前――の元禄17年(1704年)に著述された。

お世話になっている郷土史家が「萬子媛についての最も古くて上質の資料」とおっしゃる萬子媛に関する第一級の資料である。

直條の記述を生かしたいと思い、「祐徳開山瑞顔大師行業記」から引用したりしたのが、難しかったのだろうか。

あるいは、入定を決意するまでの心情表現が不足していて、なぜ入定にまで至ったのかが理解できなかったということかもしれない。禅院での生活にもっと踏み込む必要がありそうだ。

入定について、ウィキペディア「入定」の解説を引用しておこう。

原義としての「入定」(悟りを得ること)と区別するため、生入定(いきにゅうじょう)という俗称もある。

僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とする。後に、その肉体が即身仏となって現れるのである。明治期には法律で禁止された。また入定後に肉体が完全に即身仏としてミイラ化するには長い年月を要した為、掘り出されずに埋まったままの即身仏も多数存在するとされる。

ただし、現在では自殺幇助罪に触れるため、事実上不可能になっている。

修行方法
まず、木食修行を行う。
死後、腐敗しないよう肉体を整える。
米や麦などの穀類の食を断ち、水や木の実などで命を繋ぐ。
次に、土中入定を行う。
土中に石室を設け、そこに入る。
竹筒で空気穴を設け、完全に埋める。
僧は、石室の中で断食をしながら鐘を鳴らし読経するが、やがて音が聞こえなくなり、長い歳月と共に姿を現すとされる。


ウィキペディアの執筆者. “入定”. ウィキペディア日本語版. 2016-03-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%85%A5%E5%AE%9A&oldid=59110228, (参照 2016-08-18).

萬子媛があの世でボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、参拝するたびに、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の大勢の方々を感じるからだ。

その大勢の方々というのは、萬子媛が禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた尼僧たちを中心とする方々ではないだろうか。

わたしの神秘主義的感性が捉えた萬子媛にはどこか深窓の麗人のような趣があり、無垢で高雅で率直な高級霊の雰囲気が伝わってくる。

それに対して、萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性達の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性たちは生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。

萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来たときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ。

何にしても、萬子媛の一番近くにいる女性は身辺の護衛でも司っていそうな、シャープな雰囲気のある女性なのだ。わたしの内的鏡にほのかに映った気がする程度のものなのだが、萬子媛の圧倒的な雰囲気とはまた別種の矜持と気品とがまぎれもなく感じられて、興味深い。

こうした神秘主義的感性で取材(?)したことを参考にすれば、禅院の生活やムードをもう少し踏み込んで描けるかもしれない。

御遺物メモの続き。

冠台(かんだい)
冠台については、わたしが持っている3冊の国語辞書にも、河出書房『日本歴史大辞典』(息子のもので、預かったままになっている。広辞苑が見当たらず、息子にやった気もするが、忘れた)にも、記載がなかった。

ネット検索では、「冠棚」に記載があった。

かむりだな【冠棚】
① 冠を載せておく棚。のちには香炉の台としても用いるようになった。冠台。かむり棚。
②書院や床の間などに設ける違い棚の形式の一。かむり棚。
(出典:大辞林 第三版)

かんむり‐だな【冠棚】
1 冠をのせる棚。
2 書院や床の間などのわきに設ける化粧棚の一種。
(出典:デジタル大辞泉)

時間が経ってしまったからか、見学時に一度に多くを記憶するのが無理だからか、どのようなものだったかはっきりとは覚えていない……違い棚のようなものも、香炉台のようなものもあったのだが、大辞林の説明からすると、香炉台?

御帯

檜扇

御袈裟(みけさ)
御年60才のころ、善明寺の末寺として祐徳院を草創、出家せられた」と説明があった。
最も印象的だったのが、畳まれてひっそりと置かれたこの御袈裟だった。褪せているが、色は鬱金色(うこんいろ)、蒸栗色(むしぐりいろ)といったもので、萬子媛の肖像画を連想させた。素材は麻のように見えた。夏用なのだろうか。冬にこれでは寒いだろう。意外なくらいに慎ましく見える萬子媛の尼僧時代の衣服から、しばし目が離せなかった。

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2016年6月21日 (火)

歴史短編1のために #26 萬子媛遺愛の品々 ①神秘主義者としての前書き。夫と義理の息子は小柄だった? 銅鏡でおめかし?

過去記事と重なる部分があるが、当ブログは私用のメモでもあるので、お許し願いたい。神秘主義的なメモに関しては、こうしたことが苦手な方々はどうかスルーしていただきたく思う。

神秘主義的感性の持主は割合的に少ないようだが、いずれは万人に目覚めてくる感性であると歴代の神秘主義者たちは考えてきた。神秘主義者の観察では、人間がそうした構造になっているからである。

少数派の神秘主義者たちは、偏見の目で見られながらも、自らが水先案内人であるという自覚があるゆえに、自身の観察記録を残そうとするのだ。わたしもその端くれである。

神秘主義者か霊媒かの区別は萬子媛のような存在を描く中で自ずと明らかになっているとわたしは考えている。

神秘主義者に限らず、霊媒性質が強まりすぎる危険性は人間には常にある。薬物、アルコール、煙草、ギャンブル、不適切なヨガの修養・修行、降霊術(現代版こっくりさん「チャーリーゲーム」が流行っているらしい)、ヒプノセラピー(催眠療法)、恋愛への惑溺などはその危険性を高めると思う。

わたしは自身の霊媒性質が強まったがためにこの世の者ではないのにこの世に接近して何事かを行っている存在と縁ができてしまったのかもしれないという可能性を排除せず、緊張の中で参拝してきた。

幸い、これまで、帰宅時にはいつも高級霊と接した確信と高揚感でいっぱいになっていた。霊媒性質を通して高級霊に接することはできない。

これまでの経験から、今回わたしは萬子媛に対する警戒心よりも神様と呼ばれる聖なる方に再会できる期待感で胸を膨らませながら出かけた。

深窓の麗人を訪問するような気持になる一方では、これまでのこと全てが夢だったのではないか、もし夢でなかったとしても萬子媛はわたしのことを覚えていてくださるだろうか……という甘美な期待感と恐ろしさに似た気持ちとが交錯した。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

6月15日、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学した。

前回、出かける前に家で見た空間に棚引く金色の短冊状のもの(拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」45「祐徳稲荷神社参詣記 」参照)は今回は見なかった。

高速道路を走っているときは場所によって微妙な天候だったが、祐徳稲荷神社に着いたときは梅雨の晴れ間というより真夏のような陽気だった。

地上と本殿をつなぐエレベーターができていた。階段での移動が大変な人には便利だろうし、エレベーターの中から景色を眺めてみたい人にもよさそうだ。

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エレベーターの利用は開運おみくじ付300円で、一日何度乗っても300円だとか。

萬子媛(祐徳院様)はあの世の方だから、お元気でないことはないと思うが、それでもお変わりなくボランティアを続けていらっしゃることを確認できると嬉しいし、高級霊としての品格を本当にさりげなく伝えてくださるので、出かけるたびに萬子媛が好きになる。

わたしが行くことを前もって察知し、歓迎してくださっていることが今回もわかった。博物館に入る前に石壁社のほうを眺めた。その瞬間、太陽の光が強烈に注いだが、その光には石壁社から放射された萬子媛のオーラが加わっていることがわかった。

分不相応な恩恵に与り、恐縮する。江戸初期に生まれ、中期にかかるくらいに亡くなった方なのだ、その方と心を通わせているのだ、という戦きに似た悦びを何度も噛み締めた。

萬子媛を祀る石壁社に早く行きたかったが、今回は祐徳博物館で 萬子媛の御遺物を見学するという最優先の創作上の仕事があったので、失礼ながら博物館に先に入った。

メモをとるためにあまりに長い時間いたので、夫と娘はソファで寝てしまっていた。その割にはメモは多くない。自分で書いたのに、読めない字もある。達筆の萬子媛が御覧になっていたとしたら、悪筆ぶりに呆れられただろう。

そんな風で、正確にメモできていないと思われるから、参考にしないでいただきたい。興味がおありの方は実際に見学に出向かれることをお勧めする。

萬子媛の御遺物が展示された部屋へ行く前に、その手前の部屋で鹿島藩歴代藩主の鎧をまず観た。

参勤交代が行われる頃になると、鎧が実戦に用いられることはなくなっただろうが、威圧感がある。面頬が顔に見えて怖い。

鎧を観て、萬子媛の夫であった直朝公、義理の息子であった直條公は小柄だったのではないだろうかと思った。他の鎧と比べて、いくらか小さい気がしたのだ。

娘は直朝公の肖像画を観て「直朝公って、小柄だったんじゃない?」と繰り返していった。確かに萬子媛の肖像画と見比べると、そんな気がする。萬子媛は比較的長身だったのではないか、とわたしも娘も思った。実際はどうだかわからない。

直朝公の鎧「紺糸縅二枚胴具足」。直條公の鎧「紫糸縅二枚胴具足」。ざっと観て、次の部屋へ。

いよいよ萬子媛の御遺物にお目にかかったわけである。

まず、柄鏡に目が行った。えかがみ。鏡に柄をつけたものだが、え、銅鏡? 

ど、銅鏡? 萬子媛は銅鏡を使われていたのだろうか、とわたしは目が点になった。

銅鏡といえば卑弥呼を連想する――というより、卑弥呼しか連想しなかったのだが、帰宅後に調べたところ、江戸時代までは青銅でできた銅鏡が使われていたのだそうだ。

オフィシャルサイト「京都国立博物館」の以下の解説に詳しい。

  • 柄鏡(えかがみ)
    http://www.kyohaku.go.jp/jp/dictio/kinkou/54dokyo.html

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2016年6月17日 (金)

祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学しました(17日に加筆あり)。由布岳。乙女チックリヴリー。

2016/06/16 07:54公開、2016/06/17 18:33再公開

昨日(15日)、祐徳稲荷神社に参拝し、祐徳博物館を見学しました。

2年ぶりに萬子媛に接して幸福な余韻に浸っているところで(祐徳稲荷神社に出かけるときは、深窓の麗人を訪問するような気持になります)、まだ長い記事を書く気分になれないので、ちょっとだけ。

地上と本殿をつなぐエレベーターができていて、驚きました。階段での移動が大変な人や移動するエレベーターの中から景色を眺めたい人にはいいでしょうね。

乗ってみたかったのですが、何しろ家から神社までは距離があり、往復に時間がかかるので、時間的余裕がありませんでした。

萬子媛(祐徳院様)はあの世の方ですから、お元気でないことはないと思いますが、それでもお変わりなくボランティアを続けていらっしゃることを確認することは嬉しいことですし、高級霊としての品格を本当にさりげなく伝えていただき、出かけるたびに萬子媛が好きになります。

参拝者を母親のように見守り、太陽の光のようなオーラで抱擁してくださる萬子媛のような方を長い時間をかけて日本人自身が育んできたことを思えば、祐徳稲荷神社のような文化財は本当に日本の宝物だと思います。

今回、萬子媛の御遺物が収められた祐徳博物館に長居しました。メモをとるためにあまりに長い時間いたので、夫と娘はソファで寝てしまっていました。

博物館を出るときに長居の失礼をお詫びするつもりでしたが、男女の関係者のお二人が事務所の中から優しい快い表情を浮かべてこちらを見てくださったので、感謝のお辞儀をして出ました。

前回訪問したのがいつだったかは調べてみなくては思い出せませんが、記憶に残っていたのは、扇面和歌、大和物語を写したもの、御掻巻といった僅かな品でした。今回はじっくり見ることができたので、小説に手を加える際の参考になります。

遺愛の名琴と説明のある楽器を見、感激しました。小説を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れたのですが、萬子媛は本当に箏を弾かれていたようです。

琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝であるようですが(琴には柱がありません)、小説にはどちらの表現を使うかで迷います。

これまでの訪問時には気づかなかった僧侶姿の萬子媛の肖像画も、じっくり見ることができました。郷土史家からいただいた資料の中にこの萬子媛の肖像画の写真のコピーがあり、嬉しくてよく眺めていました。

現物はずっと大きく、色合いもこまやかなため、わたしの中で萬子媛の容貌が修正されました。

とても厳めしい印象だったのですが、もっと軽やかな、優しい、明るい表情に見えます。

霊的に感じる萬子媛のお姿が見えるわけではありませんが、深窓の麗人という印象なので、わたしが思い描くイメージにぴったりです。貼りついたように肖像画の前を動くことができませんでした。

やはり、若いころは相当な美人だったのではないでしょうか。老境に入ってさえ、色白で卵形のお顔に鼻筋が通り、如何にも聡明そうな目は高齢のせいで形がはっきりしませんが、奥二重か二重でしょう。ほどよく小さめの口、薄めの唇、凜とした口元。

家内安全の御祈願をお願しました。少ない初穂料しか納めることができなかったのに、たっぷり30分、神楽殿で御祈願していただきました。巫女さんの御神楽もありました。

寒いくらいにクーラーが利いていたのですが、背中がずっと温かく、萬子媛から発散されるオーラの温もりだと感じました。太陽さながらの萬子媛です。神秘主義的な現象だったためか、今回も夫はずっと寒かったといいました。娘も温かいとは思わなかったようです。わたしは汗が出るくらいでした。

暑い日でしたから、もしクーラーが効いていなかったら、こんな確認もできなかったことでしょう。

こういう場所での30分という時間は半端ではなく、萬子媛の臨在を感じていながらふと緊張感の途切れる瞬間が何度もあり、あれこれ雑念が浮かんだりもしました。

あまりに色々なことを心の中でつぶやいていたので、微笑まれる気配や微かに戦慄される気配が伝わってきた瞬間がありました。

「日本は今、危険な状況にあると思います。どうか日本をお守りください」とつぶやいたとき、萬子媛が微かに戦慄なさるのが伝わってきましたが、萬子媛の最も近くに控えていた方が頷かれたような気配もほのかに伝わってきました。

萬子媛がボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の方々を感じることがあるからです。萬子媛が禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた僧侶たちなのかどうかはわかりません。

わたしの願い事に萬子媛がなぜ微かに戦慄なさったのかはわかりませんでした。日本が本当に危ないからなのか、萬子媛の守備範囲を超えた願事をしたからなのか、あるいは真剣に受けとめられた武者震いのようなものなのか……

もう一度、微かな戦慄が伝わってきたのは、「萬子媛の小説を書きました。手直しが必要だと思っていますが、もしこの小説に価値がないのであれば、決して世に出ることがありませんように。でも、価値があるのでしたら、世に出ることができますように。わたしは萬子媛のような方の存在を日本ばかりか世界にも知らしめたい……」とつぶやいたときでした。

短い、出来のよくないところのある作品ですが、わたしは価値があると思っています。電子書籍にはしますが、できたら小冊子くらいにはしたいと考えています。微かに伝わってきた戦慄以外には、萬子媛がどうお思いになったのかは全くわかりません。

実はご報告までと思い、プリントアウトした小説を持参し、御祈願の間ずっと背後にいらっしゃる萬子媛の方に向けて膝に置いていました。

微笑まれたのは、「祐徳稲荷神社に少しは寄付できるくらいのお金があったらな……」と、これは本当に雑念でしたが、思わずつぶやいてしまったときでした。

相手が生きてる人であろうとあの世の方であろうと、神秘主義者にとっては同じように「思いは生きている」ので、相手の反応が伝わってくることがあります。

神秘主義で高級霊といわれるような方々は、人間であったときの豊かな情緒、優れた知性をベースに、あの世から人類のためにボランティアをしている方々に特有の完璧といってよい自己管理能力を感じさせます。

萬子媛の気配を感じるのはわたしの感受性が優れているためであって(?)、萬子媛に隙があるわけではありません。

その全てのほのかな気配が何ともいえない優美さ、快い率直さで、300年前に地上に生きていらしたときの個性を感じさせます。お亡くなりになったときは高齢でしたが、わたしに伝わってくる感じでは妙齢のご婦人を連想させられる若々しい印象です。

300年前の女性を取材できるなんて、神秘主義者の特権ですね。萬子媛が神様と呼ばれるにふさわしい高級霊だと確信できなければ、この世で働いているあの世の存在を観察しようなんて思わなかったでしょう。

これまでの経験から推測するに、萬子媛のご公務は御祈願の窓口が開いている間だと思われます。それ以外の時間はあの世にいらっしゃるのでしょう。

御祈願が終わるころ、側に控えていた方に促されるようにして去っていかれた気配を感じました。

前回参拝したときもそうでしたが、童謡「夕焼け小焼け」が流れたあとに萬子媛が祀られた石壁社にお参りしても、何も感じられなかったのです。哀しいくらいに空っぽに感じられました。

マダムNの神秘主義的エッセー
45 祐徳稲荷神社参詣記
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/10/210502

神秘主義者の戯言です。

ちょっとメモしておくだけのつもりが長々と書いてしまいました。改めて記事にします。

そういえば、行きに、由布岳と表示のあったあたりの山――おそらくそれが由布岳と思われます――に上から下まで落石の跡が傷のように残っているのを見ました。別府から湯布院にかけて、高速道路のあちこちで工事が行われていました。地震の爪痕を感じさせました。

話題が変わって、リヴリーの話題。

現在まいにちお世話ボーナス限定バージョン期間中で、「ニューミューのぬいぐるみ・カエル」を貰いました。

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最初は喜んでいたうちのリヴリーですが、傘を占領されっぱなしなので拗ねてしまいました。

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そのうち諦め、傘の後ろで場所で眠り、夢を見ています。

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うちのリヴリーは男の子かと思っていましたが、女の子かもしれないと思い始めました。要するに、色合いで印象が変わるのです。「作りかけのクローバーの冠」を交換チケットでゲットしてやったら、まさに乙女?

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雨を降らせて、「マジックシード・カエルA」という種を育てています。「冠がぬれちゃう!」と、うちのリヴリーが心配そうです。本も濡れちゃいますね。

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時間が経って行ってみると、うちの子はぬいぐるみの女の子と仲よく相合傘していました。うーん、うちの子は男の子、女の子、どっち?

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2016年5月 9日 (月)

御殿医の子孫から聞いた萬子媛の歴史短編の感想

母の友人から電話があり、「あなた、面白かったわよ! 三回読んじゃった」との第一声。

嬉しかった。彼女は肥前鹿島藩の御殿医を代々勤めた家系の出だ。

鹿島市を離れて博多の老人ホームに入られて長い。81歳だそうだ。猪年かと思っていたら、亡くなった母と同じ戌年とのこと。

彼女にも取材したかったが、そのころ腰を手術するとおっしゃっていたし、いくら殿様のことに詳しいといっても江戸初期から中期のことはご存知ないだろうと考えた。萬子媛のことを書こうと思っているとは話してあった。

面白いといっていただけるとは思わなかったというと、「わたしは歴史物が好きだし、読んでいてわかるから特に面白く感じたのかもしれないけれど、いやーいいと思うわよ」と彼女。

ユーモアたっぷりの話し方をする人だが、結構辛辣な面もお持ちなので、感想を聞くのが怖い……というより読んでいただけるとは思わなかっただけに嬉しさもひとしおだった。

祐徳稲荷神社のことや殿様の家系に関することをあれこれ聞かせていただいた。鹿島だけでなく、東京、横浜、鎌倉など出てきた。一度に沢山聞いたためか、ほとんど忘れてしまった!

関係のある話として日赤が出てきた。日本赤十字社は皇族・華族と関係が深いのだそうだ。わたしはそんなことも知らなかった。表千家、裏千家の話も出てきた。

母の友人の思いがけない高評価で、これで面白かったといってくれた人のほうが多くなった。いずれにせよ予想とは真逆の反応ばかりで、人の特性、好みなどを見る自身の目に疑いが出てきた。電子書籍の宣伝の仕方にも関わってくることなので、こうした点はよく考えてみなくてはならない。

とにかく、どなたの感想も本当に参考になった。多くの方々に読んで貰えただけでなく、感想までいっていただいたのだ。本当にありがたいことである。

歴史そのものが好きな人には満足感をもたらし(貴重な資料をご提供くださった郷土史家・迎昭典氏のお陰だ)、主人公の生き方や人間関係をドラマ仕立てで膨らませた物語を好む人には評価が低いようだ。

何にしても、萬子媛の小説はもう少し寝かせておきたい(実は読み返すのが怖い。破り捨てたい衝動に駆られたらと思うと)。

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2016年4月20日 (水)

熊本地震。友人から聞いた萬子媛の歴史短編の感想。

地震ではまだ油断できないという感じで、緊張状態が解けず、気が休まらない。

特に食事の支度で安全という観点から迷うが、なぜかこんなときに限って時間のかかる焼き魚なんかが食べたくなる。一昨日は食後のお茶を淹れようと湯を沸かしていたときに揺れて、慌てた。

火を使うときは側を離れないように気をつけている。

夫のかつての会社の同僚で今も親しくしている熊本市在住の人は、夫が心配してメールすると、家の中がぐちゃくちゃと返信があったきり。いつもはその人のほうからよく夫に電話があるので、大変なんだろうと思う。

娘の仕事関係者で熊本の震源地に近いところに住んでいる人は、一昨日の情報では避難所で配られた食料が一日にパン1個だけだったという。

わたしが今後心配しているのは阿蘇山、雲仙岳である。

話題が変わるが、昨日、小倉に住む大学時代からの女友達が心配して電話をかけてくれた。長話してしまった。その中で、昨年送っていた萬子媛の歴史短編の感想を聞かせてくれた。

とても面白く読んだといってくれた。「ごちゃごちゃしていて、読みづらかったんじゃない? 読んでくれるとは思わなかった。ありがとう」というと、「この人は誰だったっけ?」と思って前のほうを読み返したりもしたけれど、興味深かったわよ」とのこと。

萬子媛の歴史短編は寝かせている。時間を置かないと、客観的に評価できないからだ。もうしばらく寝かせておいて再読し、今後どうするかを決めるつもり。

細部を膨らませるか、ほとんどそのままの形になるかはわからないが、いずれにしても短編の状態でKindle出版しておくことになると思う。この短編を中心に組み込んだ江戸初期五景を本気で書く気にまだなれない。マグダラのマリア、すなわち児童小説『不思議な接着剤』のほうを書きたくなっている。

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