カテゴリー「Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派」の101件の記事

2018年4月24日 (火)

ヤコブ・ベーメに関するメモ2

トルストイの『戦争と平和』について書いている途中なのだが、ちょっとメモ。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」中、「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に次のように書いた。

執筆中の拙児童小説『不思議な接着剤』にはグノーシス主義の福音書文書の一つ  『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させるため、マグダラのマリアについて自分なりに調べてきた。
マグダラのマリアを調べるということは原始キリスト教、グノーシス主義について調べるということでもあるが、参考資料を探すうちに神智学徒として馴染んできたH・P・ブラヴァツキーの諸著がこの方面の研究には欠かせないことがはっきりしてきた。

マグダラのマリアが印象的に登場する「マリア福音書」をはじめとするグノーシス文書を色々と読んできた目でベーメの「シグナトゥーラ・レールム」を読むと、この作品がグノーシス文書群に混じっていたとしても何の違和感も起きないだろうと思った。

ベーメの哲学はキリスト教グノーシス的であるが、悲観的、厭世的なところが全くない。グノーシス思想といっても複雑だが、本来はそのようなものではないかと思う。

また何より、錬金術的である。ここでベーメを研究している時間がない。それでも、せっかくトルストイの『戦争と平和』の中でバラ十字が出てきたのだから、バラ十字と切り離せない人物であるベーメの哲学の重要な部分の引用くらいはしておきたい。

ベーメの哲学は二元論的であるが、根本に汎神論的なところがある。ダイナミックな神秘体験に圧倒される。ひじょうに難解で、一つの単語が重層的な意味合いをもっている。それでいながら音楽的で、美しい。わたしのハートが刺激されて、白い光がとめどもなく……

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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

ただ、『シークレット・ドクトリン』の最新版であるジルコフ版から訳出されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の凡例には「原典『シークレット・ドクトリン』(英文)は四巻になる予定であったが、“第三巻”と“第三巻”は結局出版されなかった」と明記されているのです。このあたりの複雑な事情については冒頭に掲げられたジルコフによる「『シークレット・ドクトリン』の沿革」(松田佳子訳)に詳しく書かれています。
そして、ジルコフは「数年もの間多くの論議をかもした」第三巻、第四巻に関しては、「以上、我々は様々な意見を引用してきたが、第三巻、第四巻の原稿存在に関しはっきりとした是非は下せない」と結論づけています。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこのアニー・ベサントの編集による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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2017年7月18日 (火)

息子の土産話。温まった旧交を冷やす、女友達との価値観の違い。

昨夜、フランス語圏の国に2週間出張していた息子から電話があり、長電話になった。興味深い話をいろいろと聞くことができた。

古い洋館が研修施設になっていたそうだが、近くに森があり、その森は日本の森や林といったイメージからは遠く、そう大きな森ではないのに、とても暗くて、ヨーロッパのお伽噺によく出てくる魔女でも出てきそうな感じだったとか。

魔女裁判があっていたころ、異端視された人々が森の中で秘密の集会を開く場面を本で読んだことがあったが、隠れるにはぴったりといった雰囲気だそう。

尤も、息子は森に入ったわけではなく、近くを通ったときに見た程度だったようだ。

小さな国の割には放牧地が広大で、牛の群れが無造作に点在していたとか。

森の近くの研修施設も、そこからは離れた研究団地のようなところにあるオフィスも国際色豊か、人々は友好的。

ただその国の礼儀作法で、親しい男女間、女性同士が頬を触れ合う挨拶があり(男性同志ではしない)、女性と頬をくっつけ合う挨拶では固まってしまい、それを察知した相手は次の日から握手に代えてくれたとか。

オフィスには世界中飛び回っているアフリカ出身のキャリアウーマンがいて、その人は大の日本贔屓だそうで、それは青年海外協力隊に親切にして貰ったからだという。

オフィスのある街の住人もとても親切で、フランス語しか通じないレストランで戸惑っていると、隣で食事していたお客さんが通訳を買って出てくれたそうだ。

研修の間もオフィスでも昼食はフランスパンにハム、チーズ、野菜などを挟んだサンドウィッチ。ハーブがきつくて、息子はそれが苦手だったそう。

息子がチョコレートを送ってくれるそうで、娘と楽しみにしている。

暗い森の話のところで、つい魔女裁判を連想してしまったのは、わたしが児童小説に魔女裁判にかけられる女性を登場させたいと思い、いろいろと調べてきたからだった。

そして、ヨーロッパの昔話に見られるような魔女の起源はキリスト教会に異端視されたカタリ派に求められるらしいこと、またカタリ派ではイエスとマグダラのマリアが結婚していたと教えていたらしいことを知った。

『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991)によると、カタリ派は都市部における富裕層の知識人たちによって担われ、栄えたが、弾圧されるにつれて農村部に移り、次第に迷信化、妖術化していった。つまり、どんどん俗化を強めていき、遂には絶えたということである。

イエスとマグダラのマリアの結婚については、拙神秘主義ブログの以下の記事を参照されたい。

これも過去記事で書いたことだが、上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社〈講談社学術文庫〉、1998年)によると、魔女裁判が異端審問の延長上に生まれたことは確かであるようだ。

フランスのように教皇庁指揮下の裁判は異端審問、世俗裁判所では魔女裁判――という風に担当が明確であった所もあれば、ドイツのように教皇庁の力が弱くて双方が入り乱れていた所もあって、地域により時代によりまちまちだったようである。

異端者という語を生み、異端審問の開始のきっかけとなったのは、カタリ派だった。カタリ派は、それだけキリスト教会を脅かす存在だったのだ。

現代であれば精神病者に分類されるような人々が訴えられたり、逆に訴えたりするケースは多かったようだ。

一貫して魔女裁判の抑止力となったのは、神秘主義者たちだった。

前掲書『魔女とキリスト教』によると、魔女裁判の衰退に最も影響を与えたのは、ヴァイアーの医学的アプローチ、魔女懐疑論だった。

ヴァイアーはパラケルスス、アグリッパの思想系譜に属する神秘主義者で、彼の師アグリッパは魔女迫害推進派から邪悪な魔術の象徴として攻撃された。

アグリッパは異端視されながら『女性の高貴』など女性賛美の文章を書き(男性優位の社会背景があった。ちなみにカタリ派は男女平等論者だったという)、パリに秘密結社をつくり、メッツ市の法律顧問となって、魔女の嫌疑のかかった老婆の救援に立った。

勿論彼自身も魔女裁判の犠牲となる危険と隣り合わせだったが、個人的に教皇から好意をもたれていたことが幸いしたという。

ヴァイアーは、メランコリーという医学概念を魔女の判定に持ち込んで、魔女は責任能力を有しないことを立証しようとした。

こうした精神病理学の発達で、魔女裁判をリードしてきたフランスの法曹界がその影響を受けるようになったことから、魔女は火炙りにされるよりは拘禁され始め、山火事のようにヨーロッパに拡がった魔女現象は次第に鎮静化したという。

旧交を温めた友人のご主人が統合失調症と診断され、大変なようだ。別の医者は別の診断を下しているという。飲み薬漬け、アル中気味だったのが、療養所に入所したことで、少なくともアルコールとの縁は断っているそうだ。

律儀に夫を支え続けている彼女は立派だ。

が、残念ながら、彼女と前述したような話はできない。

戦後の日本が、共産主義者が大勢入り込んだ進駐軍による愚民政策によって唯物主義、現世主義に大きく傾いたように、彼女の物の考えかたにはその影響が色濃く、それが現代日本における主流なのだから、目下わたしに勝ち目はない。

物心ついたときから神秘主義者であったわたしなどは、現代日本の価値観からすれば、非科学的な時代錯誤の人間と映って当然だ。一方では、これをいってはまずいのかもしれないが、わたしにはむしろ彼女のような人々のほうが古めかしい人々に映る。

高校時代に親しかった彼女に、当時のわたしは自身のほのかな前世やあの世の記憶について、話したことはなかった。話せない雰囲気を感じていたからだろうが、かくも価値観の異なる青春時代における友人関係というものが、互いにとって有意義であったかどうかは微妙なところだろう。

ただ、何にせよ、神秘主義は科学に反する立場をとっているわけではない。オーラが肉体を包んでいるように、神秘主義は科学そのものを包含し、包含する観点から正誤を考察しようとするものなのだ。

近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの著書はそのようなもので、その著書には古代から当時知られた科学者に至るまで、多くの科学者、哲学者の説が沢山出てくる。

わたしは友人ににこうした考えを押し付けようとは思わない。彼女が思った以上に現世主義者で、価値観があまりにも異なることがわかったため、高校時代にそうであったように、今後こうした方面の話はしないだろう。

彼女も、彼女のご主人も一定の落ち着きを得たようだし、頼りになる妹さんもいるようだから、元のように距離を保つほうがいいかもしれない。

もっとも、神秘主義の研究を標榜しながら出鱈目な論文を書く学者や、スピリチュアルという名の下に誤った知識を商売道具にしている者など怪しげな人々が沢山いて、神秘主義が誤解されるのも無理はない。

それでも、精神病理学を発達させたのがヴァイアーのような神秘主義者であったことから考えると、神秘主義を排除して唯物的なアプローチを続けたところで、精神医学が停滞を続けるばかりであることは想像できる。

ユングのような神秘主義に関心を持った心理学者も出たが、そのアプローチの仕方はあまりに恣意的なのではないだろうか。

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2017年7月 8日 (土)

大雨から考えさせられた、古代文明社会における魔術とイアンブリコス

凄まじいばかりの大雨には驚かされるばかりで、古代文明社会で魔術の研究が盛んだったのも心情的にわかるような気がした。

古代文明社会では、人智を超えた力を招聘してでも何とかしたいという思いに至るほど、天災による悲劇が数多く発生したに違いない。

近代神智学運動の母P・H・ブラヴァツキーは、半分邦訳版が出ている Isis unveiled ――H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)――の中で、古代文明社会で行われた魔術がどのようなものであったかを、歴史的な変遷に沿って理論面から丹念に考察している。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「魔術」には次のように書かれている。

(……)魔術とは現世を越えた天上的な力と交流してこれを意のままに動かし、またより低級な領域の諸力を自在に使用するという科学である。それは隠れた自然の神秘の実際的知識で、ごくわずかな人にしか知られていない。魔術は非常に得がたい知識であり獲得しようとする人はほとんど法則に違反し罪を犯して失敗してしまうからである。古代と中世の神秘家達は魔術を、テウルギー(神々との交流)とゴスティアと自然の魔術の三つのクラスに分類した。(……) (ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.59)

テウルギー(神働術)について多くを書き残し、それを実践したのは、3世紀の新プラトン派に属する神智学者で、イニトエートであったとされるイアンブリコスだった。

彼は「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている。」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)

神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。 (H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、ベールの前でp.lvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

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2017年5月 4日 (木)

Notes:不思議な接着剤#95 ナザレ人

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)に注目すべきことが書かれている。この第三巻は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだという。

ブラヴァツキーは次のように書いている。

『新約聖書』、『使徒行伝』そして『使徒書簡』集が――いかにイエスの歴史像の真実に迫るとしても――すべて象徴的、比喩的な発言であること、また「キリスト教の創設者はイエスではなくパウロであった」こと、しかしそれはいずれにしても、正式な教会キリスト教ではなかったこともまた真実である。「弟子たちがキリスト教徒と初めて呼ばれたのは、アンテオケにおいてであった」ことを『使徒行伝』は伝える。それまで彼らはそう呼ばれなかったし、その後も長い間、単にナザレ人と呼ばれた。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.262)

また、「ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.265)であって、パウロが「秘儀参入者」の階級に属していたと書き、その根拠を示している。パウロが目指した教義は次のようなものだったという。

パウロにとって、キリストは個人でなく、具体化された理念である。『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者であり』この人は、秘儀参入者のように、生まれ変わったのだ。なぜなら主は霊――人間の霊――だからである。パウロは、イエスに会ったことはなかったけれども、イエスの教えの底に横たわる秘密の理念を理解していた唯一の使徒であった」「しかしパウロ自身は無謬ではなく完全でもなかった」「新しく広やかな改革、人類全体を包むことのできる改革をスタートすることに心を傾けていた彼は、自身の教義を本心から、時代の知恵のはるか上位、古代の密儀や最終的な『エポプタイ』(秘儀の伝授)より上に本心で設定した」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.264-265)

ペテロは秘儀参入者ではなく、ユダヤのカバリストであった。

このような方向で、ギリシアの秘儀とカバラという確かなガイドを目の前にして探索をすすめるならば、パウロがペテロ、ヨハネおよびヤコブによりあのように迫害され憎悪される秘められた理由を発見するのは容易であろう。『黙示録』の著者は、生粋のユダヤ人カバリストであり、異教の秘儀に対する先祖伝来の憎悪を全身に漲らせていた(註『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない。イエスの存命中における彼の嫉妬はペテロにまで広がった。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.266-268)

この第三巻(上)は、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)と重なる部分も多く、『ベールをとったイシス』に補足した巻ということもできそうだ。

原始キリスト教を研究するには、『ベールをとったイシス』同様に欠かせない著作であると思う。

「『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない」と前掲書の註に書かれていた文章から、カタリ派がヨハネ福音書を偏愛していた事実を思い出した。

ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級だった、とブラヴァツキーは書いている。そのナザレ人というのは、意見の相違によりエッセネ派から分かれた分派ともブラヴァツキーは書いている。

新バビロニア(カルデア人が築いた王国で、カルデア王国ともいう。紀元前625 - 紀元前539)の王ネブカドネザル2世により紀元前597年に滅ぼされたユダ王国のユダヤ人たちは、バビロンに捕囚された(ダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリア帝国に滅ばされている)。

その地で、ユダヤ人は圧倒的なバビロニア文化(カルデア人は天文学・占星術に優れていた)の影響を受ける一方では、それに抗して律法を重視する(エルサレムの町も神殿も失っていたため)ユダヤ教を確立した。

ブラヴァツキーはこうも書いている。ノート92から引用する。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だった(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)とブラヴァツキーはいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。
(……)

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

当ブログにおける関連記事:

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2016年10月11日 (火)

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました。

許可もいただかずにそのメールを掲載するわけにはいかないので、わたしの返事を掲載します。

Y様、ありがとうございます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

Y様

メール拝読しました。

バチカンの教皇庁文化評議会と教皇庁諸宗教対話評議会が2003年に発表した「『ニューエイジ』についての考察」という論文とそれを収めた邦訳書があることは知りませんでした。

これはカトリック教会の公式文書ですね?

すぐにでも目を通したいところですが、残念ながら利用している二つの図書館には置かれていないようなので、金銭的余裕のできたときに購入したいと考えています。

ご紹介のブログを閲覧したところでは、「ニューエイジ」という用語の出典については書かれていても、漠然とした定義のように思えますが、本ではどのように定義され、どのような批判が展開されているのか、甚だ興味があります。

わたしは無知な一神智学徒にすぎませんが、あまりにブラヴァツキーバッシングがひどいので、彼女の論文のどこが攻撃されているのかを調べたところ、これまでのところではすべてのケースでろくに読まれてもいないことがわかり、個人のブログでそれに対する疑問を表明することが適切なことだとは思っていませんが、火のないところに煙が立ちすぎている恐ろしさを感じて自分なりの調査を進めていたところでした。

わたしはブラヴァツキーがイエス・キリストを批判した文章を一行も読んだことがなく、「『天国の奥義』と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違い(略)」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、24頁)という彼女の言葉に表されているように、ブラヴァツキーの批判はあくまでイエスの教えを私物化し、歪めようとするキリスト教会に対する批判です。

火のない煙では焼き芋を作ることもできないので、今後も地味な調査を続けていきたいと思っています。

御礼があとになりましたが、この度は貴重な情報をありがとうございます。

マダムN

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2016年8月18日 (木)

Notes:不思議な接着剤#94 ユダヤ人の発祥地

過去のノートでエッセネ派については考察を重ねてきた。重要な引用を確認しておきたい。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)にはエッセネ派についての詳しい記述がある。

エッセネ派ESSENESとは「癒やし手」を意味するAsaiに由来する。「プリニウスPlinyによればユダヤ人の一派で,彼らは死海の近くに何千年にもわたって暮らしていた」「たくさんの仏教的観念と修行があった」「初期教会で用いられた『兄弟[同胞]』なる呼称は,エッセネ派的なものだった。彼らは一つの友愛団体であり,かの初期改宗者たちに似たコイノビオンKoinobion,すなわち共同体だったのである」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳、2010,ベールの前でXXXViii-XXXViX)

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

また、エッセネ派はユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べている。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だったとブラヴァツキー(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)はいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた。(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

そして、イエスは、偽のメシア、古代の宗教の破壊者で、仏教の信奉者という不当な非難をバルデサネス派によって浴びせられた宗派の一つに属しており、そのうちのどれであったかの特定は不可能に近いが、イエスが釈迦牟尼仏の哲学を説いたことは自ずと明らかであるとブラヴァツキーは書く。

ここまではっきり断言するとなると、ブラヴァツキーがキリスト教から叩かれるのも当然だ。仏教の教えを説くイエス……。今でこそ、ブラヴァツキーのいったようなことがいわれ出したのだが。

しかし、もしこれが本当なら、正統キリスト教を主張したカタリ派が「西欧の仏教」といわれ、グノーシス福音文書中の白眉『マリアによる福音書』でマリアがイエスから教わったといって話し始めるその内容が驚くほど仏教的であったことの謎も解ける。

箱崎総一『カバラ ユダヤ神秘思想の系譜』青土社、1988)には次のように書かれている。

フィロンがアレクサンドリアで活躍していた頃、パレスチナ地方死海のほとりに禁欲的な瞑想的生活を続けている一群のユダヤ人たちがいた。〔略〕現代の研究者は彼らを“クムラン宗団”または“死海宗団”と命名している。
 『死海の書』に関する研究が進むにつれて新たに脚光を浴びてきた事実があった。死海宗団はユダヤ神秘思想とくにカバラ思想の原型とも見なすことのできる神的霊知に関するかなり発達した秘儀体系をもっていたことが判明した。〔略〕
 こうした秘儀宗団が共通して抱いていたユダヤ神秘思想の背景には、さらに古代ギリシャで発達した神秘思想との関連も認められる。とくにネオ・ピタゴラス学派からの影響が濃厚であるこの学派は、今日では数学者として知られているピタゴラスに端を発する神秘主義教団であった。
(箱崎,1988,pp.70-72)

#57のノートで、カバラの起源がエッセネびとに遡る可能性について書いたが、箱崎総一『カバラ  ユダヤ神秘思想の系譜  *改訂新版 』(青土社、1988)のp.180以降、盲人イサクの章を読むと、カバラと瞑想が密接な関係にあることがわかる。フィロンによると、エッセネびとは瞑想を実行していた。

盲人イサクのカバラ思想の手稿断片にはしばしば神秘的な光と色彩についての叙述が認められる。(箱崎,1988,p.185)

これはオーラに関する記述だ。

死海文書がエッセネ派によって書かれたものであるかどうかは議論の余地を残しているようだが、死海文書とエッセネ派を結びつける研究者は多い。

ナグ・ハマディ文書は1945年、死海文書の発見は1947年以降のことであり、ブラヴァツキーは1891年に亡くなっているから、彼女がこれらの情報に接することはなかった。

以下の引用は、ウィキペディアのナグ・ハマディ文書に関するものである。

写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる。

ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).

エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述は、まるでウィキペディアに書かれたナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

ここで、前述した疑問に戻る。

死海の近くに何千年にもわたって暮らしていたエッセネ派という記述が、わたしには信じられなかった。そんなに古くからだなんて、ありえるだろうか。

エッセネ派はユダヤ人の一派であるようだ。以下はウィキペディア「ユダヤの神話」からイスラエル民族の起源を述べた部分である。

イスラエル民族の起源
紀元前1207年の出来事を記したエジプトの石碑には「イスラエル人」についての言及が認められ、これがイスラエルという部族集団の実在を確認できる最古の文献である。


ウィキペディアの執筆者. “ユダヤの神話”. ウィキペディア日本語版. 2013-06-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A6%E3%83%80%E3%83%A4%E3%81%AE%E7%A5%9E%E8%A9%B1&oldid=48086736, (参照 2016-08-14).

紀元前1207年というと、モーセの活躍が紀元前13世紀ごろとされるから、そのころのことで、「何千年」という長大な時間がどこから出てくるのか、わたしには謎だった。

ところが、その根拠となりそうな記述を(ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(アグニ・ヨガ協会編、竜王文庫(コピー本)、2012校正版)の中に見つけた。

ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』にある記述ということだが、邦訳版が出ている部分にその記述があるのか、出ていない部分にあるのか、わたしはまだ確認できていない。レーリッヒ夫人の手紙には次のようにある。

『シークレット・ドクトリン』にはユダヤ人の発祥地はインドであると示される。タミール人の低級の部族はインドを去り、放浪しながら出会ったセム族と結婚して交じり合ったという。(クラーク訳,2012,p.23)

何だか、頭がクラクラしてしまった。ユダヤ人もジプシーもヒトラーに虐殺されたせいか、彼らのイメージが重なることがあったのだが、ジプシーもインドが発祥地とされてはいなかったか?

ウィキペディア「ジプシー」には、欧州における「ジプシー」の最大勢力であるロマは、北インド・パキスタンに起源に起源を持つインド・アーリア人系の移動型民族とあった。

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2016年5月24日 (火)

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ

ユダヤ人について正しく理解しようと思うと困難を極める。情報量が多く、錯綜しているように感じられるからだ。

それはどうやら、ユダヤ人という呼び方に曖昧なところがあり、その呼び方のもとに断片的な歴史的事実が錯綜して呼びこまれ、そこへ誤った見方や妄想までが一緒になってしまっているということのようだ。

とりあえず、古代ユダヤ教を信仰する民族としてパレスチナにいた原ユダヤ人ともいうべき人々、9世紀ごろユダヤ教を国教としたハザール(カザール)王国の人々であるハザール人、またユダヤ復興運動主義者シオニストはそれぞれ別個に考える必要があるということはわかった。

財閥ロスチャイルド家はハザール人。

現在のイスラエルはシオニストによって建国されたバザール人の国家といったほうがいいようである。イスラエルには原ユダヤ人もいるらしいが……

「チャンネルくらら」から配信されている、内藤陽介氏(元東京大学文学部イスラム学科教官)による「きちんと学ぼう!ユダヤと世界史:ユダヤ陰謀論を叱る」シリーズは興味深い。

第1回を過去記事で紹介したが、2015年4月1日配信の第1回から始まり、2016年5月11日配信で第47回と長大な講義となっている。わたしはまだ部分的にしか視聴できていない。

また別の過去記事で至上最悪の偽書といわれる『シオン賢者の議定書』に言及し、ベン=アミー・シロニー教授の動画を紹介した。

  • 2014年9月28日 (日)
    ユダヤ人に関して、わたしにあった二つの疑問
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/post-3140.html

その後もユダヤ人について考え続けていた。

ユダヤ人がなぜドイツであれほどの迫害を受けたのかが、わたしにはもう一つわからなかった。

最近になってベンジャミン・フリードマンのスピーチの動画を聴いた(以下に貼りつけておく)。戦慄させられる内容であるが、とりあえずは他の情報に対するように距離を置き、参考までにとどめておこう。今後もユダヤ人については正しい情報を求めていくことになりそうだ。

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ①

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ②

ベンジャミン・フリードマンのスピーチ③

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2016年4月 6日 (水)

Notes:不思議な接着剤#93 カタリ派が『ヨハネ福音書』を偏愛した理由

ノート91で、わたしは次のように書いた。

  • 2016年2月28日 (日)
    Notes:不思議な接着剤#91 釈迦牟尼仏の哲学を説いたイエス
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/02/t-1a90.html

    『ヨハネ福音書』がグノーシス的とは一般にもいわれているところで、カタリ派がグノーシス的であったことから考えると、カタリ派が『ヨハネ福音書』を愛した理由もわかる気がするのだが、偏愛したほどの理由が結局のところわたしにはわからない。

ところが、エレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング『『ユダ福音書』の謎を解く』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013年) を読む中で、共観福音書とヨハネ福音書の違いが浮き彫りになり、なるほど……と思わせられた。

共観福音書というのは、比較のための共観表が作成されたマルコ福音書、マタイ福福音書、ルカ福音書のことで、この三つの福音書は共通点が多い。

エレ―ヌ・ペイゲルス、カレン・L・キングはイエス亡きあと、集団の指導者争いが起きた可能性が高いことに注意を促し、マルコ福音書、マタイ福音書、ルカ福音書がペトロを指導者として描いているのに対して、ヨハネ福音書だけが違った見方を示していると書く。

『ヨハネ福音書』の著者も、ペトロが弟子集団のなかで重きをなしていること認めている。しかし、著者は一貫して、弟子集団のなかで最も高位にある者と彼が見なす者――それは「イエスの愛しておられた者」(『ヨハネによる福音書』13章23節)と彼が単純に呼ぶ者――を除けばの話であると限定づきである。 (ペイゲルス&キング,山形・新免訳,2013,p.66)

『ヨハネ福音書』では、「イエスの愛しておられた者」は明らかにペトロより高位に置かれている。

「イエスの愛しておられた者」はヨハネ福音書にはたびたび登場し、共観福音書には登場しない。

このイエスに愛された弟子が誰であったかについて、古来憶測を呼んだようであるが、わたしはこの人物の特異な描かれ方について、昨日になるまで全く気づかなかった。

レオナルド・ダヴィンチ「最後の晩餐」からダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』に至るまでイエスの影のように存在する人物像のモチーフとなり、果てはバチカンに付きまとう男色傾向の原因となってきたものが何であるかをわたしはこれまでわかっていなかったことになる。

だが、それもそのはず、翻訳の問題があったのである。主に新改訳聖書刊行会訳で新約聖書を読んできたわたしが気づかなかったのも仕方がない。

「イエスの愛しておられた者」を女性と考えるか男性と考えるかで、ヨハネ福音書の世界は180度変わってくる。

その部分を、わたしが大学時代、集中的に丹念に読んだ新改訳聖書刊行会訳と後年参考のためにカトリック教会付属の書店で買ったフランシスコ会聖書研究所訳とで比較してみよう。

弟子のひとりで、イエスが愛しておられた者が、イエスの右側で席に着いていた。(ヨハネ13.23,新改訳聖書刊行会訳,1970,p.190)

弟子の一人が、イエズスの胸に寄り添って食事の席に着いていた。その弟子をイエズスは愛しておられた。(11)(ヨハネ13.23,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.360)

フランシスコ会聖書研究所訳では異様な光景に思えるが、この箇所には次のような注がつけられている。

「食事の席に着いていた」は直訳では「横になっていた」。宴会では、身を横たえながら左肘をついて食事をするのが当時の習慣であった。「弟子の一人」はイエズスの右側に横になり、顔をイエズスの胸に近づけていたのであろう。 ((11),フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.361)

イエスたちはローマ式のマナーで食事をしていて、最後の晩餐でもそうであったというだけの話であるが、そうした予備知識なしに読むと、官能的なムードの最後の晩餐に思えてギョッとする。

何にしても、最後の晩餐で皆が身を横たえて飲み食いしていたと考えると、イメージが狂う。

自身の磔刑死を予感していたイエスが最後の晩餐の席で最愛の者を最も身近に置きたいと思ったとしても、何の不思議があろうか。

イエスがしばしばラビと呼ばれ、ラビは結婚していたことが普通であったことから考えると、その最愛の者が最高位の弟子であり、また最愛の者であったと外典が語るマグダラのマリアであってはなぜいけないのか。

正典から除外された、いわゆる「外典」に分類されるグノーシス主義的福音書『マリア福音書』ではマグダラのマリアとペトロが口論し、『フィリポ福音書』ではイエスがマグダラのマリアを全ての弟子たちよりも愛してしばしば口づけしたと書かれ、『トマス福音書』では女性蔑視とマグダラのマリアに対する敵意を露わにするペトロをイエスがたしなめる。

こうした外典を知ってしまうと、イエスに愛された弟子はマグダラのマリア以外に考えられず、その事実をぼかし、曖昧にするために架空の「イエスに愛された弟子」が追加されたとしか考えられなくなる。

つまり、「イエスに愛された弟子」もまたマグダラのマリアであり、マグダラのマリアは表現上の工夫から二人に分けられた。ヨハネ福音書ではマリアをペトロより高位に位置づけながら、そのことをぼかすために架空の弟子が配置させられたのだ。

グノーシス主義的な福音書が正典として生き残ってこられたのは、こうした工夫があったからこそだろう。もっとも、「イエスの愛しておられた者」が実在した他の人物であったことを否定する根拠には乏しい。

ヨハネ福音書をごく素直に読めば、「イエスに愛された弟子」は使徒ヨハネだと考えるのが自然であろうから、そうだとすれば、そこにはプラトン描く美少年愛好癖のソクラテスかと見まごう光景が最後の晩餐では繰り広げられていたことになり、バチカンが男色にお墨付きをもらったような気分に誘われるのも道理な話ではある。

ただ実際にはソクラテスの美少年愛好癖はひじょうにプラトニックな、情操を高めるためのアイテムといってよい性質のもので、こうした傾向にしても、「秘すれば花」的男色を語る『葉隠』にしても、ここまでプラトニックになると、もはや男色とは呼べない種類のひじょうに高級な情操であろう。

イエスと母マリアが列席している印象的なカナの婚宴が出てくるのもヨハネ福音書である。イエス自身の婚宴との説もある(結婚相手はマグダラのマリア)。他人の婚宴で母マリアが葡萄酒の心配をして息子イエスに相談するのは妙だが、それが息子の婚宴だったとすると不自然な話ではない。

いずれにしても、ペトロよりもマグダラのマリアと「イエスに愛された弟子」が存在感を持つグノーシス主義的ヨハネ福音書を異端とされたカタリ派は偏愛したということである。

ブラヴァツキーの著作にマグダラのマリアに言及した箇所をわたしは見つけていないが、ブラヴァツキーはグノーシス派を高く評価している。

仏陀とピタゴラスではじまり、新プラトン派とグノーシス派に終わるこの時代は、頑迷と狂信の黒雲によって曇らされることなく、過ぎ去った幾時代もの昔から流れ出た輝かしい光線が最後に集まって現れた、歴史の中に残された唯一の焦点である。 

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ,1989,序論p.181

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2016年4月 5日 (火)

謎めいている『ユダ福音書』

2月11日に書いた過去記事で、次のようなことを書いた。

荒井献『ユダとは誰か』(講談社、2015年)を読んで、もう一つ『ユダの福音書』のイメージが掴めず、グノーシス文書の中でどう位置づければいいのかもわかりませんでした。

図書館にこの方面の第一級の研究家二人の共著、エレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング『『ユダ福音書』の謎を解く』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013年) があったので、夫に頼んで借りてきて貰いました。

エレ―ヌ・ペイゲルスはナグ・ハマディ研究で大層有名な人で、プリンストン大学初期キリスト教史学の教授。カレン・L・キングはハーヴァード大神学部教授です。

カレン・L・キングは以下の記事を書いた時期にテレビのニュース番組で見ました。時間をかけた貴重な研究の成果をバチカン関係者(だったかな)にあっさり否定されていましたっけ。

しばらくこの方面の読書から離れていたので、二人のその後の研究がどうなったか知りませんでしたが、『ユダ福音書』を共同研究していたなんて、夢のよう。

『「ユダ福音書」の謎を解く』には『ユダ福音書』の原典が注解付で載っています。まだざっと読んだだけですが、これは驚くべき作品です。

図書館から繰り返し借りてエレ―ヌ・ペイゲルス&カレン・L・キング『『ユダ福音書』の謎を解く』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2013年)を読んできて、『ユダ福音書』が驚くべき作品であるという印象は変わらない。

この作品が思想弾圧を受けなければ、人類の歴史が大きく変わっていた可能性すらあると思う。

ただわたしには謎めいた作品に思えるところがあり、どうしてもわからない、理解を超えた部分がある。

エレ―ヌ・ペイゲルス、カレン・L・キングによれば、『ユダ福音書』は新約聖書に登場するユダによって書かれたものではなく、ユダの死後100年を経過した150年代のある時期に執筆されたと推定される文書である(2世紀の教父エイレナイオスの著作『異端反駁』を根拠として)。

『ユダ福音書』の写本は1970年代のある時期に、エジプト中部の砂漠の洞窟墓の石灰岩の箱の中から何世紀もの間眠っていた古代文書群の一つとして発見された。これらの文書は2001年に古文書の専門家の手に渡るまで、美術商たちによって各地を転々とさせられて損傷はひどかった。復元作業に5年が費やされた。

ユダを主人公としたグノーシス的作品『ユダ福音書』の中心テーマは、生け贄を伴うユダヤの神殿儀礼に由来する犠牲(殉教)及び贖罪の否定であろう。

中断します。この記事は書きかけです。書きかけが溜まっていきます。

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