カテゴリー「Notes:不思議な接着剤」の34件の記事

2010年3月15日 (月)

Notes:不思議な接着剤 #45/『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#45
2010/3/15(Mon) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #5/『ピスティス・ソフィア』におけるマリアの恐れ

 一昨日、マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(藤井留美案&村田綾子訳、日経ナショナル ジオグラフィック社、2006年)が届いた。

 パラパラと本をめくったとき、わたしの脳より先に霊が感応したらしく、久しぶりに自身のオーラが燦然と輝くのを見た。えもいわれぬ真珠色の幸福感に浸されて、ふわふわと体が浮く錯覚を覚え、うっかり気を抜けば、彼の世に行ってしまいそうなくらい。

 我に返ってから、どこがそんなにすばらしいのだろうと思い、改めて本の構成を見る。以下は、序章からの抜粋。

 イエスの使徒と呼ばれる人物のなかで、マグダラのマリアほどイエスに近い者はいない。彼女は独立心にあふれ、強い意志をもつ女性だった。
 マグダラのマリアという傑出した女性は、数多くの書物に取りあげられてきた。本書では、そのうち最も古く、最も信頼に足る文献を手がかりに、マグダラのマリアをめぐるさまざまな伝承を見直していきたい。
 次章以降で、新約聖書の福音書、聖書には収められていない正典外のキリスト教文書、それに「マリアの福音書」を含むグノーシス文書などから、関連する部分を紹介していく。

 具体的に挙げると、キリスト教の正典として新約聖書に収められたマルコ・マタイ・ルカ・ヨハネによる福音書。それらと関係の深い断片的なペトロの福音書。グノーシス文書『マリアの福音書』『トマスの福音書』『フィリポの福音書』『救い主との対話』『ピスティス・ソフィア』。マニ教詩篇集『ヘラクレイデスの詩篇』である。

 取りあげられた文書についての解説――成立過程、内容、位置づけなど――に続いて、マリアに関連する部分が抜粋されている。マグダラのマリアのエッセンスを小壜に集めたような贅沢さだ。

 わたしの霊が悦んだのは、ブラヴァツキーが最も高尚な哲学体系といった『ピスティス・ソフィア』の断片にだろうか? タイトルとなっているピスティス・ソフィアとは、本によると、「信仰の知恵を意味し、神格が女性の姿で現れたものである」という。

 「ピスティス・ソフィア」には、数多くのイエスの信奉者たちが登場し、問いを投げかけたり、意見を述べたりしている。とりわけ重要な役割を担っているのがマグダラのマリアとヨハネであり、なかでもマグダラのマリアの存在が際立っている。

 『ピスティス・ソフィア』は「グノーシス的な考察と啓示を記したきわめて長い文書」ということだが、本で紹介された部分は5つの断片にすぎない。しかも、そのうちの《マリア、ペトロを恐れるが、正しさを認められる》と題された断片では、胸の潰れるようなマリアの言葉があった。以下に抜粋。

 【72】第一の神秘がこれらのことを弟子たちに言い終えたとき、マリアが進み出て言った。「わが主よ、私は心のうちに理解しました。私はいつでも前に進み出て、ピスティス・ソフィアが言ったことを解釈できます。ですが、私はペトロを恐れています。なぜなら彼は私を脅し、私たちの性(ジェンダー)を憎んでいるからです。
 彼女がこう言うと、第一の神秘が彼女に答えた。「光に満たされている者は誰でも、前に出て私の言葉を解釈するだろう。誰もそれに反対はできない」

 この文書の成立地はエジプトと推定され、4世紀後半のアスキュー写本に収められており、「少なくともその一部は、写本が書かれる1世紀半前には成立していたと考えられる」ということだ。

 その頃、マグダラのマリアとペトロの対立は、作品の中で、マリアにここまで劇的な言葉をいわせるまでに図式化して考えられていたのだろうか。南フランスの伝説と絡めて考えると、心穏やかでなくなる。

 様々な文書と伝説を総合して考えると、マグダラのマリアは、マグダラという土地の女性領主で、裕福であり、イエス一行を財政的に支援したばかりか、弟子として極めて有能な、イエスの信頼も厚い一番弟子といってよい立場にあった。

 地味に書かれている新約聖書にあってすら、イエスが捕らえられたことに恐れをなした男性弟子たちが逃げ出したあとも、マリアは他の数名の女性と共にイエスの傍に留まった。

 グノーシス文書においてはマリアは知的好奇心に溢れた、はっきりと物をいう、霊的成熟度の高い女性として描かれている。

 伝説によると、イエスの死後14年目に、マグダラのマリアを含む弟子の十人以上の人数が、櫂も舵もついていない小舟に乗せられて海に流されるという忌まわしい事件に巻き込まれた。しかし、彼女は不運な出来事に屈することなく、漂着した土地一帯にイエスの教えを広めた。後半生には一人霊的な探究の道を選び、洞窟に隠棲して修行を全うした。

 マグダラのマリアの志操堅固な気高い人柄は、新約聖書、グノーシス文書、伝説いずれをとっても、ぶれることがない。

 わたしは童話『不思議な接着剤』の着想を得たとき、洞窟に囚われた乙女を描きたいと思い、最初にそのイメージを掻き立ててくれたのは、わたしが詩人と呼ぶ文芸部時代の女性の先輩だった。彼女は過去に、カトリック教会の修道女を育成する学校でトラウマを形成していた。

 洞窟にいる人物に目を凝らすうちに、マグダラのマリアというモデルが現れてマリーという女性となった。それでも、子供たちと一緒に洞窟に入ってみなければ、どんな顔なのかがはっきりせず、声も聴こえない。

 実は恐いのだけれど、いい加減、洞窟に入らなくては……。 

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2010年3月13日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #44/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#44
2010/3/13(Sat) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #4/南仏におけるマグダラのマリア伝説 #2

 昨日、田辺保先生の『フランスにやって来たキリストの弟子たち――「レゲンデ」をはぐくんだ中世民衆の心性』(教文館、2002年)が届いた。

 深夜、その本を読んでいたのだが、そこに紹介されている南フランスに残るマグダラのマリア伝説があまりに具体的、かつ詳細なのには、呆れてしまった。

 これが伝説だって?

 カトリック教会による弾圧を畏れて、伝説にしてしまうより他に仕方がなかったのではあるまいか。

 『ダ・ヴィンチ・コード』 を連想させる記述もあるが、田辺先生の格調高い筆致で紹介されると、別物の趣がある。

 ヴィラギネのヤコブス〔1228―98〕による聖人伝説集『黄金伝説』からの引用を含む多彩な文献をさりげなく織り込んで、《伝説》が重層的に解説されていく。

 それによると、イエスの死から14年目に、マグダラのマリアを含む弟子たち10人以上の人数が、小舟に押し込まれ、海に流された。途中、嵐に遭いながらも、マルセイユの港に着いた。

 プロヴァンスには、サント=マリー=ド=ラ=メールの地に着いたという《レゲンデ》が語り伝えられた。

 弟子たちは、精力的に伝道に勤しんだらしい。

 マグダラとは、その出身地だそうで、マグダラはガリラヤ湖畔にあり、多くの民族が混じって住む漁業と産業の一大中心地であったとか。以下は、前掲の田辺先生の本からの抜粋。

『黄金伝説』は、ラザロたち三兄妹は、パレスチナ北部のガリラヤ湖畔にあるマグダラにも、ずっと南のエルサレム近くのベタニアにも、エルサレム近辺にも、広い土地を持っていて、エルサレムはラザロ、ベタニアはマルタ、そしてマグダラはマリアが相続していたとあります。ラザロは軍人として家を離れていることが多く、もっぱら家政の管理は、姉マルタが引き受け、マリアは自分にあてがわれたマグダラで、欲望のまま、自由奔放な生活にふけっていたのでした。けれども、イエス・キリストに出会ってからのマリアは、こんどはひたすら信仰にうちこみ、師のあとを慕ってついてまわり、さいごまでイエスに忠実に仕える態度をくずしませんでした。

 本では、『ダ・ヴィンチ・コード』でも出て来たようなレンヌ=ル=シャトーをめぐる伝説も紹介されている。

実は、マグダラは、イエスの妻であって、二人の間には少なくともひとり以上の子どもがあったといわれます。南フランスのユダヤ人共同体にまぎれこんでマグダラは子どもを育て上げ、その子孫が5世紀には、北方から進出してきたフランクの王族のある者と結ばれて、メロヴィング王朝(フランス最初の王朝)を創始したのだそうです。

 ところで、わたしの注意を惹いたのは、謎の財宝が隠されていた場所とされるレンヌ=ルー=シャトーというのは、フランス南西部ラングドッグにある丘の上の小村という箇所だ。

 ラングドッグ! ラングドッグといえば、そう、あの異端カタリ派が栄えたところではないか。

 レンヌ=ルー=シャトーをめぐる伝説では、この村は、マグダラのマリアがフランスに上陸後、移り住んだところという。

 伝説にせよ、歴史的事実にせよ、異端カタリ派とマグダラのマリアがつながった!

 マグダラのマリアは後半生をプロヴァンスの一角、サント=ボームの洞窟に完全に隠遁して過ごしたという。『黄金伝説』では、瞑想のためだったとあるそうだが、キリスト者田辺先生の解釈では、「愛になる」とはどういうことかを考えつめていたのではないかとある。

 しかし、マグダラのマリアの行動は、愛を観想していたにしては、「ときにからだを鞭うち、断食をして、自分を苦しめていた」「食事については、山にはえる草や木の根を集めて生のまま食べていた」とあって、いささか過激であり、むしろその姿は東洋の行者を連想させる。

 そして、その姿は、ナグ・ハマディ文書中の白眉『マリアによる福音書』の中で、マリアがイエスから教わった秘伝的箇所を連想させるに余りあるではないか。

 わたしは当ブログでも公開している手記『枕許からのレポート』で書いたが、昔、重体の母の傍で、我知らず行者になりかけたことがあった。

 自分を追い詰める苦しさの果てに体験した神秘的な悦びから、ヨガなどの東洋思想に関心が向いた。

 その後オーラが見えたり、テレパシー的能力が身に付いたりもしたが(前世において獲得していた能力を思い出した、といったほうがよいかもしれない)、神智学によって、普通の人としての淡々とした暮らしの中でこそ、一番安全な霊的な道を辿れると学び、それからは行的なことは(前世の習慣として身に付いていた瞑想すら)していない。

 ただ、わたしは自身の乏しいながらも前世と今生の体験を通じ、洞窟でのマリアが『マリアによる福音書』に書かれていたような教えに従って隠遁していたとしたら、どんなことをしていたかの想像はつくのだ。

 それにしても、伝説のマグダラのマリアが後半生を洞窟に籠もって過ごしたとは! わたしの童話『不思議な接着剤』に出て来る、洞窟のマリーのイメージがようやく具体的な像を結んだ。

 ちなみに、伝説によると、「マグダラのマリアが、カマルグのサント=マリーに到着したのは、紀元45年、サント=ボームで亡くなったのは、75年2月」だそうだ。本当に、何て具体的な伝説なのだろう。

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2010年3月10日 (水)

購入予定の本 その二…マグダラのマリア関係

 マグダラのマリア関係では、どうしても以下の本は読みたいと思った。

マービン マイヤー,エスター・A. デ・ブール
日経ナショナル ジオグラフィック社
発売日:2006-11-30

 マグダラのマリアは、わたしの自作童話『不思議な接着剤』に出てくる錬金術師の娘マリーを形成するためのシンボリックなモデルとして、調べ尽くしたい史実上の重要な女性だ。マグダラのマリアをモデルにしたいと思ったのは、彼女が東西の思想的分裂を調和する、というより全き一つにするかもしれない古代写本、『マリアによる福音書』における核心的人物だからだった。

 残念ながら、どれも図書館にはなかった。

 ナグ・ハマディ文書や原始キリスト教という大きな括りで、マグダラのマリアに関する部分を含む文献は、沢山ありそうだが、『マリアによる福音書』と、そこから浮かび上がるマグダラのマリア像に焦点を絞ったものは、そう多くはないようだ。

 上の3冊の購入を決意し、書店勤務の娘に取り寄せを頼んだ。

 真っ先にカレン・L・キングの『マグダラのマリアによる福音書』(山形孝夫・新免貢訳、河出書房新社、2006年)が届いた。訳者あとがきによる著者のプロフィール。
 著者のカレン・キングは、現在ハーヴァード大学神学部に属する古代キリスト教史の正教授であり、今日ナグ・ハマディ文書として一括されるキリスト教グノーシス派の新訳聖書外典(コプト語パピルス古写本)の研究者として、アメリカが世界に誇る第一級の学者である。

 とりわけ、カレン・キングの名を一躍世界的なものにしたのはマグダラのマリアに関する研究であり、その成果を世に問うた本書によって、彼女に対する評価は、世界の学界に揺るぎないものとなった。

 また、続けて書かれている。

 それにしても、今、なぜマグダラのマリアなのか。
 問題は、こうした学問への関心がアメリカにおける聖書外典研究、わかりやすくいえばいわゆる異端文書にたいする関心と表裏一体をなしていることにある。それがアメリカにおける聖書外典研究の大きな流れとなり、今や世界の学界をリードしている。こうした流れの中から、先には、すでにわが国においても知名度の高いエレーヌ・ペイゲルスの『ナグ・ハマディ写本――初期キリスト教の正統と異端』(邦訳、1996)および『禁じられた福音書――ナグ・ハマディ文書の解明』(邦訳、2005)の研究が生み出され、そしてつい最近にはグノーシス研究の第一人者であるマービン・マイヤーによる『原典ユダの福音書』(邦訳、2006)が、そしてここにカレン・キングの『マグダラのマリアによる福音書』の研究が新たに加えられることになる。

 エレーヌ・ペイゲルスの著作は既に読んだ。三番目に挙げた本の著者はマービン・マイヤーだ。マグダラのマリア研究に関しては、現代の最高水準にある研究書を選択できているようだ。 

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2010年3月 2日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #43/接着剤メーカー名の改名

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#43
2010/3/2(Tue) 接着剤メーカー名の改名

 この作品のプロット№1を書き上げて、ワープロで下書きを書いた段階では、シリーズ物にする計画はなかったので、深くは考えずに、不思議な接着剤クッツケールのメーカー名をアルケミー株式会社としていた。

 しかし、その後、単独の接着剤メーカーだったアルケミー株式会社は、時空を超えて商売の手を拡げようとする、太陽系を代表する企業連合の一つ、アルケミーグループに属する会社という役柄に変化した。

 この辺で改名しておいたほうがいいだろうと思い、接着剤メーカー一覧を検索して、どんなものにしようかと考えていた。アルケミーグループの一員なので、上にアルケミーはつけたい。下に何を持ってくるか。

 夫に話すと、「アルケミーボンドでいいやん」という。なるほど。シンプルでいいかも。それでも、アルケミーボンド工業とちょっと迷ったが、アルケミーボンドにした。株式会社を前につけるか、後につけるかでも迷ったが、アルケミーボンド株式会社にめでたく決定!

 紘平の父親が勤務するのは、アルケミー商事株式会社。瞳の家――電器店の倉庫には、一般の電気製品に混じって、アルケミー製品がちらほら置かれている。

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2010年2月28日 (日)

なんとまあ、灯台下暗し

 メモ代わりに携帯から投稿する癖がついてしまったが、これもそう。

 昨日、Notes:不思議な接着剤#42を書いているとき、死後の死者の行動に関してわたしと見解を同じくするカバラからの一文を捜し、箱崎総一『カバラ』(青土社、1988年)を本棚から手にとった。そのとき、田辺保『プロヴァンス――碧い海と碧い空と―― … 「生きる歓び」讃』(恒星出版、2003年)が近くにあったので、プロヴァンスにおける海の聖マリア伝説に触れられているかもしれないと思い、それも手にした。

 そして『カバラ』を開こうとしたところ、何かの拍子にフワッと開き、まるで読むことを促されているような気がして、そこに視線を落とした。「風光明媚な都市ナルボンヌには、〔略〕/なぜユダヤ神秘思想とナルボンヌが結びつくのだろうか。13世紀ごろまでこの街には多数のユダヤ人が居住していて、その頃ここ南フランス地方はユダヤ文化の中心地となっていた」

 まさに目から鱗……。本にはあちこちに線があり、昔丹念に読んだ形跡があるが、先の死者に関する一文を除けば、綺麗に忘れている。

 確かに、原田武『異端カタリ派と転生』(人文書院、1991年)にも、「ここでは人々は早くからアラブの文化を受け入れ、カタリ派と微妙な交錯を見せるトゥルバドゥールの恋愛観についても、アラブ起源説がしばしばうんぬんされる。また、ユダヤ人が多く住んで南部の人々に彼らへの偏見は乏しく、その居留地は物質的な豊かさばかりか学問の盛んなことでも有名であった(ドウソン)」とあったが、そこに行ったことのない人間のかなしさか、ユダヤ人と南フランスが、わたしのなかで結びつかなかった。

 しかし、考えてみれば、イエスはユダヤ人であったし、マグダラのマリアもそうであった可能性が高い。

 改めて『カバラ』を読むことにして、田辺先生の『プロヴァンス』を確認。

 すると、まあ、灯台下暗しとはこのことだった。

 海の聖マリア伝説について、『フランス――詩のふるさと紀行』より詳しく触れられていた。また、そこに書かれていた自著紹介の言葉やタイトルからしても『フランスにやって来たキリストの弟子たち』では、さらに詳述されているのではないかとの期待を抱かされた。

 もう少し早く関心を持っていたら、生前の田辺先生に、お手紙で疑問点を質問することもできただろうにと悔しく思われる。わたしのような縁もゆかりもない人間にも親切な回答のお返事をくださった先生であれば、きっと稚拙な疑問にもお答えくださっただろうに。

 続きは、パソコンからNotes:不思議な接着剤#43に。

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2010年2月27日 (土)

Notes:不思議な接着剤 #42/司祭の幽霊/子供たちの所持品

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#42
2010/2/26(Sat) 物語の細部を考える #3/司祭の幽霊/子供たちの所持品

〇司祭の幽霊

 囚われのマリーのもとにある日中、死んだ司祭の幽霊が姿をあらわす。純文学小説の題材にするはずだったが(それはそれとして書くかもしれない)、このネタをここで使うのも面白いかもしれない。マリーはその話を子供たちにする。

 面白いなどと書いてしまったが、勿論、これは真面目なテーマなのだ。

 以下は、小説のためのメモ。

 窓から木の枝が入り込むばかりだから、生者Aは2階に住んでいる。が、死者Bはその窓から入ってきたわけではない。

 気づかれないと思っていて、勝手なことを心のなかでつぶやきながら、この世に残された滞在時間を使って、BはAの本棚に何があるのか見にきた。

 だが、生者AにはBの心のなかのつぶやきが断片的に聴こえている。というのも、Aはときどき相手との距離の遠近とは関係なく、他人の心で紡がれる断片をキャッチすることがあり、心というのは、人が生きていようが死んでいようが性質が同じであるため、Bの心のつぶやきもキャッチしてしまったというわけだった。

 Bは、本棚を見て、何だこんなものか、普通じゃないかと思う。そのつぶやきが、Aを怒らせる。Bのその現在のありようが、自分の観察と思想の正しさを立証しているではないかとAは思うのだ。こんなときまで、自分をこの世的鋳型にはめようとしているBを殺したいほど憎らしいと思うが、残念ながら相手は死んでいて、ここにいる……

 自身の説教通りにはならなかった司祭。天国へ召されたはずの司祭が、鍾乳洞にあらわれた。

 マリーの異端審問に関り、その期間中に高齢だったため、風邪から肺炎になって死んだ司祭は、死後もマリーが魔女だったかどうかの好奇心を抑えられなくなってこっそりと見に来たのだった。魔女らしくない、普通に見えるマリーにがっかりする司祭。司祭のその俗っぽい行動を感じて、驚くマリー。

 死んで金メッキの剥げた司祭と、具体的な様々な知識をもたらして行方をくらました錬金術師の父親(時空を超えて商売の手を拡げる者たちにさらわれた)。

 人間の死後について、どちらのいったことが正しいのか、マリーにはわかりませんでした。でも、あの司祭さまにかんしては、あてはまっていました。

 マリーのおとうさんは、錬金術師でした。家には、あつい羊皮紙の書物がたくさんあり、実験するための道具がありました。

 おとうさんは物知りでした。人が死んだらどうなるのかというようなことも、おとうさんは知っているようでした。

「死んだ人は、7日のあいだ、透明な人になったようにすごすのだよ」と、いっていました。その期間をどう活用するかは、その人にまかされているようです。家族や友人にお別れをするために、その期間を使おうとする人が多いでしょう。

「心で心に語りかける第1歩は、こうして、この世からはじまるのだよ。たましいのよちよち歩き、とわたしはいっている」と、マリーのおとうさんはいいました。7日がすぎたら、その人は、来るようにいわれた場所へとおもむくのだそうです。

 でも、マリーの生まれたこの地方では、この時代に、そんなことをいえば、異端者と呼ばれ、下手をすれば、火刑台にのぼらなければなりませんでした。異端者は、間違った考えから、社会を混乱させ、悪魔につかえて正しい人を地獄へ落とす手伝いをすると思われていたからでした。

 人は、死んだらすぐに、天国か地獄か煉獄に行くことになっているからです。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

〇鍾乳洞に出かける際の子供たちの所持品について。

 子供たちは一番上にウインドブレーカーを着、紘平と瞳はリュックサックを背負う。

①LEDのヘッドランプ(紘平)、ランタン型ライト(瞳)、ストラップ型ライト(翔太)

②お菓子の詰め合わせ
 チョコレートとクッキーの詰め合わせ。捕まった時点では、少し残っている。

③ティッシュ、ハンカチ、おしぼり

④恐竜のフィギュア
 翔太のポケットに入っている。

⑤ステンレス水筒

⑥レジャーシート

 子供たちは捕まりそうになったとき、ライトは現代的すぎると思って隠すが、服装自体が異質ではある。異端審問で、紘平は最初の穏和な異端審問官に、お菓子とティッシュを、文明国から来たことをアピールするために証拠物件として提出する。

 それらの品物は、趣味のよい、教養も深い異端審問官を驚かせる。しかし、当然ながら、それらが魔法の技によるものではないかとの疑いも異端審問官に抱かせる。

――中世のヨーロッパそっくりの世界に来ることがわかっていたら、香辛料、そのなかでもサフランを持ってくればよかったわ。わいろとして、使えたかもしれないのに。

 と、瞳はざんねんに思いました。

 本に、サフランはひじょうに高価で、「同じ重さの金と比べものにならないくらいの値段」とあったことを、思い出したからでした。

 サフランでしたら、瞳の家のキッチンのたなに、びんに入ってありました。おこづかいでスーパーマーケットのサフランを買いしめて持ってくれば、この世界では、大金持ちになれたことでしょう。

 以下は、J・ギース、F・ギース『中世ヨーロッパの都市の生活』(青島淑子訳、講談社学術文庫、2006年)より抜粋。瞳が本で読んだサフランのくだりも、この本からの引用。

部屋に窓はあるが小さく、油を塗った羊皮紙で閉じられているため、昼間でも暖炉の火が室内の照明代わりだった。オイルランプが壁から鎖で吊るされているが、その火は外が完全に暗くなってから灯されるのが常だった。家庭の主婦たちはロウソクも節約していた。料理用の脂をためてはロウソク職人に渡し、安価なロウソクを作ってもらうのである(煙がよく出て、刺激臭のするのが難点だった)。蜜蝋を使ったロウソクは教会か、儀式のときしか使用されなかった。

塩は安いが〔略〕コショウは〔略〕高く、砂糖はもっと高かった。ハチミツも高級品だった。中世の食卓においては、甘味料は希少価値だった。

紙も紙製品もなかったし、チョコレート、コーヒー、紅茶、じゃがいも、米、スパゲッティ、ヌードル、トマト、カボチャ、トウモロコシ、ベーキングパウダー、重曹、ゼラチンもなかった。かんきつ類はめったにお目にかかれないごちそうだった。

 上は、1250年におけるトロワの人々の生活なので、南フランスとは若干違う面があったのかもしれないが、参考にできるだろう。

 前掲の本に、「主婦は自宅の庭で栽培したハーブを多用していた」とあるので、マリーが錬金術師の娘でなくても、ハーブを用いて翔太の喘息の症状を改善させることは可能だったかもしれない。

 マリーは囚われてはいたが、彼女と親しかった近所のおばさんたちからの差し入れが豊富にあった。そのなかに子供たちが食べてもいいくらいの食べ物やハーブもあったことにしよう。いく晩か、子供たちはマリーにごちそうになるのだ。捕まってからは、食べ物は与えられる。

 瞳にお洒落なキャンドルとライターを持たせようかとも考えたが、火遊びになるので、やめた。

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2010年2月26日 (金)

Notes:不思議な接着剤 #41/南仏におけるマグダラのマリア伝説

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#41
2010/2/26(Fri) 『マリヤによる福音書』に関する私的考察 #3/南仏におけるマグダラのマリア伝説

 南仏――カタリ派――グノーシス――ナグ・ハマディ文書の『マリヤによる福音書』――マグダラのマリア

 と連想して気になるのは、南仏におけるマグダラのマリア伝説だ。以下はウィキペディアより抜粋。

カトリック教会での伝承の概略

四福音書にはマグダラのマリアと特定されていない女性が何人か登場する。その中のベタニアのマリアなどがマグダラのマリアと同一視され、イエスの足に涙を落し、自らの髪で拭い、香油を塗ったとされる。それゆえ図像ではアラバスターの香油壺を手にする姿が代表的。

伝説中のマグダラのマリア、たとえばヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』 (Golden_Legend)などによれば、マグダラのマリアは金持ちの出自であって、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したという。娼婦をも意味する「罪の女」(the Sinner)との異名を与えられたり、ルネサンス以降「マグダラのマリアの悔悛」(The Penitent Mary Magdalene)を主題とする絵画、彫刻が多く制作される。このイメージはカトリック教会の作為が関与していると指摘されている。(罪の女を参照。)

イエス昇天後、兄弟ラザロ、マルタ (マリアの姉) らとともに南仏マルセイユ(あるいはサント=マリー=ド=ラ=メール)に着き、晩年はサント=ボームの洞窟で隠士生活を送ったのちにその一生を終え、遺骸はいったんエクス=アン=プロヴァンス郊外のサン=マクシマン=ラ=サント=ボーム(fr:Saint-Maximin-la-Sainte-Baume)に葬られたと信じられた。ヴェズレーのサント=マドレーヌ大聖堂はその遺骸(頭蓋骨)を移葬したものと主張している。しかし、サン=マクシマン側はいまも遺骸を保持していると主張しており、一部はパリのマドレーヌ寺院にも分骨されている。

マグダラのマリア. (2010, 2月 23). Wikipedia, . Retrieved 18:50, 2月 25, 2010 from http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=30673179.

 『マリヤによる福音書』を読むと、イエスの死後、弟子たちの間で分裂が起きたのではないかという疑念が起きる。イエスに教えられたことをマリアは話すが、アンドレアスは信じないといい、ペテロはそんなことはありえないといって怒る。

 それに対して、マリアは泣きながらも堂々と抗議している。マリアは知的であるだけでなく、弁の立つ女性であったことを窺わせる。

 レビが間に立ってとりなしをしているが、アンドレアスやペテロのような頑固そうな男性と、マリアのような簡単には引き下がらない女性とがこの先うまくいくとは考えにくい。

 この福音書の終わりかたも奇妙で、弟子たちがまとまりなく布教に出かけたようにもとれる。以下は、『ナグ・ハマディ文書Ⅱ 福音書』(荒井献・大貫隆・小林稔・筒井賢治訳、岩波書店、1998年)より、最後の部分を抜粋。

 彼らは[告げるため]、また宣べるために行き始めた。

 『フランス――詩のふるさと紀行』(田辺保、同文書院、1994年)には、マグダラのマリアが絡む「海の聖マリアたち」伝説が以下のように紹介されている。その部分を抜粋。

 そしてほどなく、かなたに、あの特徴のあるサント=マリー=ド=ラ=メールの教会の塔が見えてきます。〔略〕青い地中海の波打ちぎわはすぐそこです。
 サント=マリー=ド=ラ=メールとは、「海のマリアたち」という意味。なんとも美しいこの名が、わたしたちの心をひきつけます。そうです。ここは、マリアたち――三人のマリアたちが海の向こうから到着したところなのです。
 三人のマリアとは、マリア・ヤコベ、マリア・サロメ、そしてマグダラのマリアです。マリア・ヤコベ、マリア・サロメは、イエス・キリストの母マリアの姉妹、または義理の姉妹にあたる人と伝えられ、聖書に出てくるキリストの弟子たちの母でもありました。マグダラのマリアは、もと罪の女(娼婦)でしたが、キリストに救われ、師を慕ってその生涯の最後まで、すなわち十字架の下まで忠実に従いつづけた女性です。
 これらマリアたちとともに、先にも名をあげた老トロフィーム、聖マクシマン、リモージュやトゥールーズの町の伝道者マルシャル、サチュルナン、盲人であったがキリストに目を開けてもらったシドワーヌ、さらにマリアたちの召使いで黒人のサラなど、大勢の人たちがイエスの死後ユダヤの国を出て、嵐の海を渡って、このフランスの海岸にまでたどりついたというのです。
 南フランスの各地はじめ、フランスの主だった町々はこの人たちの尽力によってキリスト教信仰へとみちびかれたのです。

 大勢の名が挙げられ、しかも嵐の海を渡って来たとは、まるで政治亡命であるかのようだ。「イエスの死後ユダヤの国を出て」とあるのは、いつの頃だったのだろうか。

 ユダヤ戦争は66年から73年までで、イエスの死が30年頃であったとすると、戦争が起きるまでに36年が経過していて、マリアたちがもしその戦火を逃れたのだとすると、若くはなかったはずのマリアたちに、嵐の海を渡り、その上布教までするのは、年齢的に無理な気がする。

 もっと早い時期だったとすると、ペテロたちとの勢力争いに敗れて、新天地に活路を求めたということも考えられる。伝説によると、彼らは精力的に布教活動をしたようだから。 

 それが本当なら、南仏には、カトリック教以前に、マグダラのマリア一行による教えが根づいていたことになる。

 グノーシス派の文書として、エジプトの洞窟で長きを過ごさなければならなかった『マリヤによる福音書』――南仏の「海の聖マリアたち伝説」――「異端カタリ派」と並べてみると、一筋の流れを見事に形づくるパズルのようだ。

 しかも、『マリヤによる福音書』でマリアがイエスに教えられたと語る内容は東洋哲学そのもので、わたしが東西(の思想的分裂)をつなぐミッシング・リンクと衝撃を覚えたゆえんだ。カタリ派がときに、《西欧の仏教》と呼ばれたことを、思い出しておきたい。

 イエスが西洋人でなかったことを考えると、イエスの教えが西洋的でないといって驚くほうが不自然な気はするが、マリアの伝えるイエスの教えに対して、「異質な考えのように思われる」といったアンドレアスの言葉をどう解釈するかだ。

 ただわたしは思うのだが、もしこの『マリヤによる福音書』がでっちあげられたものだとすれば、マリアの言葉に対して、「異質な考え」とアンドレアスがいったり、ペテロが怒ったりしたといった図は生々しすぎる。イエスの教えに別の教えが作為的に挿入されたり、あるいはごく自然に混入してしまったのであれば、まるでドキュメンタリーのような、このような場面はむしろ存在しないのではないだろうか。 

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2010年2月25日 (木)

Notes:不思議な接着剤 #40/異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#40
2010/2/24(Wed) 異端審問制度/『マリヤによる福音書』についての私的考察#2

 前にメモ参考資料としてメモしたエマニュエル・ル・ロワ・ラデュリ『モンタイユー(上)』(井上幸治・渡邊昌美・波木居純一訳、刀水書房、1990年)から抜粋。

 被告は審理の進行中ずっと拘束されどおしとは限らない。
 次回尋問までパミエにある司教直轄の獄舎に監禁される場合もあったが、自分の教区あるいは司教管区内に居所を指定されるだけで、ある程度保釈が認められる場合もあった。反対に不慮の事故でもあれば、あらゆる強制手段が動員されて未決拘留は強化され、被告は自白するように仕向けられる。しかし拷問によって自白が引出されたとは思われない。被疑者の破門、「厳重」禁獄、「特別厳重」禁獄(脚に鎖をつけ、黒パンと水だけ与えて狭い独房に監禁)が効を奏したのである。ただ一度だけ、これはフランス王の役人が患者に癩患者に対して仕組んだでっち上げの事件だが、ジャック・フルニエは拷問を用い、ひき蛙の粉で泉を汚染したなどというわけのわからない自白を引出している。

 ジャック・フルニエがパミエの司教を勤めたのは1317年から26年までだから、参考になるとはいえ、わたしがモデルとしたい1250年頃とはだいぶん隔たりがある。もう少し、異端審問制度について見ていきたい。

 これも前にメモした参考資料だが、渡邊昌美『異端者の群れ』(八坂書房、2008年)によると、法王グレゴリウス9世が、南仏における審問法廷設置を命じたのは1233年。これは、アルビジョア十字軍の副産物ともいえるもので、「異端審問は司教をとびこえて法王に直結する、法理的にはあくまでも非常の、特設法廷」という位置づけとなる。この制度の問題点は、「他からの提訴をまたず、みずから告発し、みずから断罪する」審理手続きにあった(やり放題ではないか!)。13世紀における、異端審問の手続きを見てみよう。以下は、『異端者の群れ』からの抜粋。

〔略〕、13世紀の手続きは大体次のようだったらしい。まず特定の村や町に審問官が到着すると、住民を集めて協力を宣誓させ、異端者と幇助者に自首が勧告される。一定期間内に出頭すれば、当然、量刑に手ごころが加えられる。この「慈悲の期限」ののちは一方的に、嫌疑者に文書または口頭で出頭命令が出されるが、逃亡が予想されれば拘禁も妨げない。
 訊問には、聖職者2名と書記の立会い、応答要旨の記録が必要である。有罪判決のためには、被告の自白、または証人2名の供述が不可欠だが、証人はすでに捕縛された異端者でもよいし、被告と対面して証言する必要もない。被告に弁護人をつけるか否かは一次議論を呼んだが、神の敵に手を貸す法はないとの意見が有力で、ベルナール・ギイの『審問官提要』は、よしんば弁護人がいたところでこれに耳を傾けぬのが審問官たる者の心得だとしている。
 刑罰は、罪の軽重にしたがって、火(火刑)や壁(投獄)の重刑から、巡礼、笞、あるいは衣服に悔悛の黄十字を縫いつけるなど、何段階にもわかれ、重刑には必ず全財産が併課される。
 宣告の日には「大法廷」が召集され、審問官は20名前後の参集者に対して訊問の概要を説明し、その同意を得て判決を確定する。重罪宣告の場合には、さらに司教の承認が不可欠であったし、犠牲者は法王に再審を願い出ることも不可能ではなかった。

〔略〕

 手続きはしばしば省略され、大法廷は、被告のみか参集者一同に対する威嚇の儀式となる。とりわけ問題は、悔悛の言を聞こうと焦るあまり、拷問が法王勅令をもって励行されたことだ。その方法も、鎖、飢餓、不眠などの初歩的なものから、鞭、木馬、逆吊り、燠火の高等四法まで何段階にもわたって工夫がこらされる。カルカッソンヌに審問塔の語りぐさを残したように、効果をあげるためには何年でも暗黒の地下牢に投ずることもあった。
〔略〕
 この特設法廷はやがて一つの制度となって、全キリスト教世界に拡大し、土地によっては18世紀まで存続する。その間、1人で10万件を審理し、火刑台の煙をあげること2千回に達したという半ば伝説的なセゴビアの大審問官、トルクェマーダの如き人物も輩出する。異端審問こそ、私たちのアルビジョア騒乱が歴史に残した、おそらく最悪の落とし子である。
 ところで、この恐怖の法廷だけが、異端を追及したのではない。むしろこれがすべてを蔽い切れなかったところに問題があったかもしれないので、非専門的な個々の追及の中にかえって衝撃的な事件を見出すこともあるのだ。
 1234年、トゥールーズ司教レモン・ド・ミルモンがミサ聖祭をおえて食卓につくべく、手を洗っていた時、異端の老婆が重病の床にあるむねの密告を受けた。司教は病床に駆けつけ、現世の軽んずべきことを説いて完徳者と錯覚させる。交際関係をことごとく聞き出した上、信仰を持して変わらずやとただす。予期した返答を得ると、にわかに汝は異端であると宣言し、老婆を病床もろとも広場に運んで焚刑を執行した。「かくてのち、司教と会士らは食堂に帰り、心も軽く、用意されたものを食し、神と聖ドメニコに感謝の祈りを捧げた」。ペリッソンの伝えるところである。

 わたしが執筆しているのは児童文学作品であるから、物語として、子供にも読めるような淡い色調にしたいのだが、下書きのスケッチの段階では、歴史に根差したしっかりとしたものにしておきたい。

 竜を登場させる目的の一つは、物語にメルヘンの趣を添えたいということだ。また、竜の前に置かれた乙女という絵柄に拘りたい理由として、日本の生贄や人身御供の伝説を連想させたいということがある。

 カタリ派の悲劇、生贄や人身御供の悲劇からは、多数派のための少数派の犠牲という定式が透けて見える。社会というものは、いつの時代にも多かれ少なかれその定式を用いて存続してきたからこそ、文化の良心を代表する文学は、少数派や弱者を繰り返し描いては、犠牲の上に成り立つ多数派の幸福の本質とは如何なるものであるかの分析を行ってきたのだ。

 恥ずかしながら、わたしは自作童話『不思議な接着剤』を始めるまでは、ナグ・ハマディ文書、とりわけ『マリアによる福音書』ついてはほとんど知らなかった。その背後にどれだけの歴史的事実が隠されているのか、漠然としたことではあってもわかってきたとき、心底衝撃を覚えた。わたしにはそれは本当に、東西を結ぶミッシング・リンクと思われるのだ。

 何かしら不当な扱いを受けたことが窺えるマグダラのマリアは、少数派の象徴として描ける存在でもある。そこからは、男尊女卑の問題も濃厚に浮かび上がってくる。ネガとポジのように、知育絵本の段階にある男性使徒たちに対して、高等教科書の段階にあるともいえるほどのマリアの知的性格が伝わってくる。

 『マリヤによる福音書』から見える光景として、イエスは男性使徒たちには小学校の授業にあるような道徳的なことを、いわば大衆レベルで教え、マリアに対しては愛弟子として哲学を説いている。

 そのことに男性使徒たちは嫉妬して、そんなことは嘘だといっているのだ。理解力に応じたイエスの教育だったことが窺え、イエスは大衆レベルの教化が必要だと感じる一方で、彼しか知らないような高度な知識も教える必要を感じたのだろう。

 新訳聖書に、あれだけ優れた譬え話を残したイエスだ。あそこで語られたことが、大衆レベルに合わせて抑えられたものであることくらい、想像がつく。そう考えると、『マリアによる福音書』のような文書が多く残されていたとしても、少しも不思議ではない。むしろ、全くないのが不自然だろう。

 優れた児童文学作品を残した作家は、大抵大人向きの優れたものも残している。新約聖書は、わたしにはいわば児童文学作品のようなものに思われる。大人向きのものも読んでみたい、そんなものがないのは不自然だとずっと思ってきた。あるほうが自然ではないだろうか。

 いずれにしても、わたしはマグダラのマリアをモデルにしたマリーを描こうとしている。マグダラのマリアを描写しようなんて、大それた考えに、われながら怖気づく。

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2010年2月24日 (水)

Notes:不思議な接着剤 #39/異端審問官について

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#39
2010/2/24(Wed) 物語の細部を考える#2/異端審問官について

 #38で出した異端審問官は、紘平との会話に必要な最小限の仮の肉づけを行っただけで、実際の肉づけは、作品がその箇所に差しかかった時点で行うことになるだろう。

 その異端審問官についてだが、わたしは地裁で出会った最初の裁判官をモデルにしたいと考えている。

 あの冷淡さ、職務怠慢は、裁判を遅らせ、ボケの疑われる原告に訴えられた被告側に、無意味な準備書面の提出をどこまでも(と感じさせた。何しろ、いくら提出したところで、読んでいないことは明白だったから)強いるもので、わたしがお金持ちでさえあれば、訴えたいくらいだった〔カテゴリー:父の問題参照〕。あのような人物は、どんな国にも、どんな時代にも存在する、最も危険なタイプといえるだろう。

 無意味な裁判を速やかに終わらせてくれた、地裁の2番目の裁判官の温厚で飄々としたキャラも忘れられない。物語でも、異端審問の途中で異端審問官が交替するという設定にしたら、面白いかもしれない。あわやというところで、そんなトリックスター的な出来事が実人生でも起きることを、わたしは知ったのだから。

 土壇場で異端審問官が交替し、次の異端審問官は事件の全容を調べ直す。とすると、#38で下書きした問答は、この交替した人間味のある異端審問官との間でなされることになるわけで、もっと物柔らかなムードが異端審問官を包むことになるはずだ。

 最初の異端審問官は、偏見と独断をあらわにした、自分本位の質問しかして来ない。交替した異端審問官は優秀なので、疑念を抱いた部分に関しては、追及を和らげないだろう。そして、交替した異端審問官は、妥当な判断を示し、子どもたちに追放を命じる。子どもたちはマリーを救い出す。

 うーん、これでは面白くないなあ。手に汗握る、という展開にしたいわたしとしては。

 異端審問官の登場を逆にしようか? 最初に、職務熱心で教養が深くて、真の意味の敬虔を宿した異端審問官が担当し、追放という判決が下ろうとしていたところに、司教の異動があり、職務怠慢で冷淡な異端審問官が赴任してくるのだ。そして死刑――火あぶりの刑が下る。

 最初の異端審問官はなるべく異端審問を長引かせようとし、次の異端審問官はさっさと切り上げようとする。

 丁寧に作品を進めてきて、最後の仕上げという段階で、その作品を手放さなければならない画家のような心境で、最初の異端審問官は、新しい赴任地へむけて旅立ちました。

 あの3人の不思議な子供たち、美しい錬金術師の娘、そして魔物とおそれながらも、異端審問で火あぶりの刑を下す口実として自分たちが利用してきた竜のことが、かれの胸をよぎりました。

――竜のいる洞窟に被告を隔離し、竜に食べられたら被告は無実、食べられていなかったら魔物と結託した者として火刑台に送るという、馬鹿馬鹿しい裁判を自分たちは行ってきたのだ。それでも、わたしは、被告が逃げて、洞窟を無事に抜け出してくれることを願わずにはいられなかった。今回の事件では、あの美しい娘を救うのは無理でも、もう少しの時間さえあれば、3人の子どもたちを追放にしてあげることができたのだが……。

 最初の異端審問官がひそかにマリーに恋していたという設定にするのも、ほのかなロマンスが花を添えていいかもしれない。

 紘平たちの武器というと、翔太にくっついたピアノ協奏曲の泣き声と洞窟にいる大人しい竜だけだ。さて、どうなるのだ? 彼らがどうすれば助かるのか、今の時点ではどうにでも考えられるが、物語のテーマと絡み、核心をつくような案でないと、採用することはできない。

 物語がそこまで進むには、まだ時間がたっぷりとある。ゆっくりと考えていこう。

 いずれにしても、最終的に、神獣となった竜は、真珠色のすばらしいオーラを空間いっぱいに輝かせながら、マリーをのせて、もっと安全な場所、エジプトのナグ・ハマディの方角へ向けて飛び立つ。ここは、最高に壮大な描写にしたい。   

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2010年2月23日 (火)

Notes:不思議な接着剤 #38/異端審問官とのやりとり#1

Notes:不思議な接着剤は、執筆中の自作の児童文学作品『不思議な接着剤』のための創作ノート。

#38
2010/2/23(Tue) 物語の細部を考える#1/異端審問官とのやりとり#1

 うちの子たちが小学生の頃に使っていた、ジュニア用の歴史図鑑をとっておいてよかった。最近出た図鑑もチェックしておきたい。紘平の歴史の暗記度・理解度をどの程度のものにするか?

 紘平は、異端審問官に答えて、いいました。
「ぼくたちは、異教の地から来ました」
――少なくとも、キリスト教が国教というわけではないからね。

 異端審問官は眉根をぐっと寄せて、うっすらと微笑をうかべました。「異教の地だと? マニ教の地から来たというのだな?」

 紘平はマニ教ときいて、とまどいました。マ二の秘法は、紘平が熱中したことのあるゲームの必須アイテムだったからでした。
「えっと、そうですね。ぼくたちの国にはいろいろな宗教が存在しているんです。もちろん、あなたがたのキリスト教だってありますよ。キリスト教を国教と定めるまえのローマ帝国を想像していただくと、よいかもしれません。一つの宗教を信じている人もいますが、正月に神社へ行って願いごとをし、盆に寺の坊さんをよび、クリスマスにサンタクロースのプレゼントを待つ人がたくさんいるんです。信じられるのは、飼っている動物だけとか、お金だけとかって人もいます」

 もっとも、ザビエルによって日本にキリスト教が伝わったのは1549年、室町時代のことでした。13世紀のこの頃は、日本では鎌倉時代にあたります。仏教の革新運動が進んだ時代でした。元寇の勝利によって、日本は神の国であるという『神国思想』が生まれた時代でもありました。

 異端審問官の頭は、紘平のわけのわからない回答に、恐慌を来たしていました。
「おまえは、何者なのだ? そして、どこから、何の目的で来たのか? わかりやすくのべよ」

 アジア、といえば、それだけでも、いくらかは通じたでしょうが、紘平は自分の国と身分を表現する、古風でわかりやすい言葉を記憶にもとめて、聖徳太子の飛鳥時代にまで、さかのぼってしまいました。
――そうだ、小野妹子だ。
「ぼくたちは、アジアの日出づる処から来た、親善使節の一行です。よきにおはからいのほどを。異端審問官さま」

 紘平はうまく答えたつもりでしたが、平静をとりもどしていた異端審問官は、眉根を寄せただけでした。

 異端審問官の頭のなかは、聖徳太子とも、また紘平とも、ちがっていたので、アジアの日の出るところから来た、という紘平の言葉は、異端審問官には特殊な印象をあたえました。

 中世ヨーロッパでえがかれた『TO図』とよばれる世界地図では、大陸は3つにわけられていました。上半分がアジア、左下がヨーロッパ、右下がアフリカでした。世界の中心はエルサレムで、上のはしっこにはエデンの園があるとされていたのです。

 異端審問官は、きびしい口調でいいました。
「その親善使節の一行が、ローマ教皇のもとへはおもむかず、魔物がすみ、魔女のうたがいのかかる人物がとらわれている洞窟に、何の用があったというのか? その目的をのべよ」

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