カテゴリー「Notes:ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans)」の5件の記事

2012年11月18日 (日)

ゾラの書簡集から、ちょっと抜き書き

 図書館から再度借りてきていたゾラの書簡集から、ユイスマンス宛の手紙にある助言を抜書きしておこう。

 ユイスマンス研究をするつもりでカテゴリーまで作ったが、すぐに興味が失せてしまい、やめてしまった。ユイスマンスで検索してお見えになるかたには申し訳ない。

 ユイスマンスの宗教や神秘主義に対する取り組みかたには甚だ偏りがあると思う。そこに興味を惹かれる人々もいるだろうが、わたしはさほど興味が持てない。

 オカルトをデモーニッシュな崇拝と同義語扱いし、さらにそれを安直に神秘主義と結びつけてしまうという大罪を彼は犯したとわたしはみている(そこからユイスマンスは、キリスト教に認められた霊的現象をのみ別格に位置づけようとつとめた)。絢爛豪華な文体は凄いと思うが。

 以下に抜き書きするゾラの助言は文体に関するさりげないものであるが、文体が内容を映し出す道具としての側面を持つものであることを考えると、これは内容に対する助言とみることもできる。

 バルザック、ユゴー、ゾラが世を去ってから、フランス文学は総合性を喪失し始めた。趣味性を強めるようになった、あるいは姿勢が違ってきたというべきか……。

◇私のごく率直な意見をお望みであれば、あなたの作品はもっと素直に書かれたほうがよいと思います。十分豊かな文体をお持ちなのですから、文体を濫用する必要はありません。文体の力強さは言葉の色彩ではなく、その価値によって得られるべきだというのが私の意見です。私たちは皆、世界をあまりに暗く、そしてあまりに悲観的に見ています。
 それはともかく、あなたのご本を拝読して嬉しく思いました。間違いなく、あなたは明日を荷う小説家の一人です。現代の文学的貧困のなかに、あなたのような新進作家は大歓迎されるに違いありません。◆

 何とゾラは、人類史上、文学的に最も豊穣といえた時代にあって、「現代の文学的貧困」などといっている。

 現代日本の文学をゾラが見たら、どういうだろう? 言葉をなくすだろうか? わたしのような作家の卵にしてみれば、ゾラのような作家のいる文学界をめざして研鑚を積むのと、文学界に対する違和感と失望感に苦しみながら、潰されてなるものか、という必死の思いで独自の文学修業を行わざるをえないのとでは、当時の作家の卵とは置かれた環境があまりにも異なる。

 以下は、ゾラが、バルザックに関する論説記事を書いたポール・ブールジェに宛てた手紙の一部。

◇あなたはバルザックを、まるで彼が自分自身を判断するように判断しています。確かに彼は巨人ですが、どうして彼の陽気さや天真爛漫さまで取り除くのでしょうか。あなたはバルザックの偉大さを強調するのではなく、彼をうまくまとめています。〔略〕
 まあ、人間はいつでも彫像よりは偉大です。あなたは彫像を示しました。私としてはあなたの描くバルザックがもっと善良で、とりわけ等身大であることを望みます。つまりも最も幻想的な人間の一人であり、想像力に欺かれた最も誉れ高い人間の一人だったということです。◆

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2009年10月 5日 (月)

ホイジンガとユイスマンスに関するメモ

 次の抜粋は、ウェキペディアより。

ヨハン・ホイジンガ(または「ホイジンハ」)(Johan Huizinga、1872年12月7日 - 1945年2月1日)はオランダの歴史家である。学位論文のテーマは古代インド演劇。

 そして、次の抜粋は同じくウィキペディアから、ユイスマンス。

ジョリス=カルル・ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans, 1848年2月5日 - 1907年5月12日)は、フランスの19世紀末の作家。イギリスのオスカー・ワイルドとともに、代表的なデカダン派作家とされる。フランドルの代々画家の家系に生まれ、父の代でフランスに帰化した。

 ユイスマンスとホイジンガは親子くらいの年齢の開きがある(親子くらいの年齢の開きしかなく、ホイジンガはオランダ、ユイスマンスはフランドルの画家の家系)。中世に対する強烈な興味、精密作業のような分析の仕方には似たところがある。

 県立図書館からユイスマンスを借りっ放し。2週間×3回。独占して悪いけれど、ほとんどが地下の保管庫に眠っていたものだから、まあいいか。読み終えたものから、返すようにしよう。 ホイジンガの『中世の秋』は中公バックス、堀米庸三(責任編集)で持っていた。

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2009年9月14日 (月)

タイトル未定短編小説のために #8

 自分なりにユイスマンスを料理しないことには、タイトル未定短編小説が満足には仕上がらないことがはっきりしたので、図書館から借りてきたのだが、気が重い〔カテゴリーにNotes:ユイスマンス(Joris-Karl Huysmans) を追加〕。

 ユイスマンスに深く関らずに、死者と生者の見えざる対決を舞台劇風なタッチで仕上げられると思っていた。描写に徹すれば、死者のユイスマンス観が自ずと出るのではないかと。事情がわからないながらも何かを察知している生者は手探りで、死者の行動の謎を追究していく。

 だが、それではユイスマンスの紹介者によくあるような愚をわたしも冒すことになりかねないと気づいた。死者にも生者にも与しすぎない書きかたをするには、わたしは死者が拘った(という設定の)ユイスマンスについて、もう少し知っておかなくてはならないと思ったのだった。

 実は、わたしはユイスマンスをよく知りもしないうちから、彼を好ましく思っていなかった。

 というのも、ユイスマンスが書いたことを鵜呑みにして解説したり、紹介したりしている文章をこれまでに目にしてきたからだった。以下は『腐爛の華』(田辺貞之助訳、国書刊行会、1948年)の訳者後記からの引用であるが、ユイスマンスの信奉者は少なくないらしく、この類の文章をしばしば見る。

 この意味で、『彼方』(1891)の世界も一種の潮解現象である。この作は中世のヴァンデ地方の藩侯ジル・ド・レの一代記を軸として、その高度な文化的奢侈、錬金術への激しい執念、賢者の石を魔王から授かるための罪悪、そして最後に宗教裁判へと進展する。この研究の途中、主人公デュルタルは呪詛による殺人の秘訣、魔王礼賛の黒ミサ、淫夢女精と男性夢魔、鳥占および鐘楽など、いうところのオキュルティスムの世界に並々ならぬ関心を示す。善と悪、美と醜、貞潔と淫欲、洗練と野卑などがひとつに融け、渾然一体となして、彼我の区別さえつきかねる混沌の世界、それが彼方である。彼の持前の幻想趣味は十分にみたされた。〔略〕

 ユイスマンスの改宗は「鬼が急に泣き出したように」一世を驚倒させ、種々の論議を巻き起こした。〔略〕

 彼自身晩年舌癌にかかって、長い無言の忍苦の末、ベネディクト会修道士の服を着て神のもとに旅立った。彼はこうして現代の邪悪と卑猥とにけがれきった魂も神に帰一できることを、身をもって立証したのであった。

 引用を省略しすぎたかもしれないが、とにかくユイスマンスに与したこの書きかたを鵜呑みにすると、錬金術とは賢者の石を魔王から授かるための術ということになる。錬金術も賢者の石も、そのレベルのものということになるわけだ。

 そんな幼稚な戯画的記述には唖然となるほかないが、あたかも錬金術がそんなもので、ユイスマンスは、そこから脱出した英雄のような描かれかたではないか。

 一方わたしはブラヴァツキーの著作を通じて、錬金術がそんな荒唐無稽な馬鹿げた代物ではないだろうと感じている。彼女の著作には、錬金術と関係の深いパラケルスス、ヤコブ・ベーメ、またバラ十字やフリーメーソンなどがよく出てくるからだ。以下に『アイシス・アンヴェールドIsis Unveiled』(田中恵美子訳)から抜粋した文章は、その一例である。

 古くはヘルメスの時代まで、銀と緑は互いに連想され合った。ルナ(月の女神)とアスターテ(ヘルメス学派の銀)は、薔薇十字達の二つの主な象徴のうちの一つである。「色の栄光と、その多様性の原因は、自然の様々な親和関係の深みにあり、色と音との間には、特殊な神秘的協調がある」というのがヘルメス学派の原理である。カバラ学者達は、自分達のいう「中央の性質」を月と直接に関連させる。そして緑色の光線は他の光線の間の中央点を占め、スペクトラムの中央に置かれる。エジプト人はセラピスに捧げる賛歌として七つの母音を唱え、出ている陽の第七番目の光線が照らすと、ノムノンの巨像は反応してそれに触れた。最近の発見ではプリズムのスペクトラムの第七番目の光線である青紫色の光の不思議な特性を証明した。これは最も化学力のあるもので、音階の一番高い音に照応する。「全宇宙は楽器である」という薔薇十字の説は、ピタゴラス派のいう「天体の音楽」の教義と同じである。音と色は皆、霊的な数である。七つのプリズムの色の光線は点の一点から発するように、自然の七つの色はそれぞれ、一つの数で統一される。即ち、中央の霊的太陽の放射物なのである。「霊的な数を理解して、その影響を知覚した人は幸せかな!」とプラトンはいう。そして諸力の相互関係の謎道を辿る時、それらを目に見えぬ太陽まで辿ることを無視しない人は幸せかな、と私達はつけ加えよう。

 神秘主義といえば、まぎらわしいが(ブラヴァツキーはよくオカルト科学Occult Scienceという用語を使うが、これまた現代では誤解を招きそうな言葉だ)、神秘主義の本質が――神秘主義者によってそういわれるように――科学であるならば、知識の共有は当然のことだろう。高等数学の著作の書き手が違っていても、似た内容が表現されるのと同じだ。そして、神秘主義の文献はわたしには高度な感じを与え、難解であることが多い。

 だから、魔王から云々などというのは、そんな高度な知識をまるで必要としない、むしろあってはできない――これはわたしの類推にすぎないが――降霊術の類だったのではないだろうか。いや、しかしブラヴァツキーは『神智学の鍵The key to Theosophy』(神智学協会ニッポンロッジ、平成7年改版)で、黒魔術を次のように解説する。


 黒魔術とは本当はどんなものですか?


 サイキック能力の悪用及び自然の秘密についての知識の悪用ということです。つまり、オカルティズムの力を利己的で罪深い目的に適用するということです。

 訳者が、神秘主義にも造詣が深ければ、中立的な立場から錬金術のために一言書き添えることもできたのではないだろうか――とわが国の知識人(に限らないのかもしれないが)の不親切といおうか不勉強といおうか、そうした偏った解説に情けない思いがする。

 また、『彼方』(田辺貞之助訳、創元推理文庫、1975年)で訳者は、ユイスマンスの終焉を次のように讃えている。

ユイスマンスは舌癌の苦しみをながく敢然とたえしのんで、聖女リドヴィナのように、聖者の死をとげた。

 では、そのユイスマンスの死ぬときの様子を『ユイスマンス伝』(岡谷公二訳、学習研究社、1996年)から拾ってみよう。

カルダンが主人について語っているユク夫人宛の最後の手紙は、臨終が長引き、辛いものになるのではないか、と彼女を心配させた。「腫れが声門へ向かっています。そうなればひどい喘鳴が起きるでしょう」。しかし幸いユイスマンスは、この最後の責め苦からは免れ、五月十二日の日曜の晩、デカーヴが「指に煙草を挟み、優しげな疲れたような様子をした」彼を残して帰ったあと、息絶えた。

 このあと、ユイスマンスはキリスト者として普通に弔われている。癌治療が進んでいなかった昔のことだから、闘病生活は過酷を極めるものであったようだが、至って平凡な死といってよいものではないだろうか。

 といっても、まだわたしは著作の全体像を捉えるために拾い読みをした程度だから、ここに書いたことは仮定としておきたい。

 もう一つの仮定、というより、拾い読みの最中に浮かんだ連想に、ゴッホがあった。

 高いものに到達しようとして執拗に色を塗り重ねたゴッホの姿がどこか、彫り物をするように執拗に言葉を重ねて腐爛の聖女や教会建築を描写するユイスマンスの姿にオーバーラップするのだった。

 色を重ねれば重ねるほど、言葉を重ねれば重ねるほど、届かない思い。ゴッホの重ねられた一筆一筆の色が、ユイスマンスの重ねられた一つ一つの言葉が、地上から天を目指してかけられた梯子の段々のように想えてくる。ゴッホはオランダ生まれの画家、ユイスマンスはフランドルの画家の家に生まれた。

 そして、ユイスマンスがどう讃えられようが、キリスト者ではない自称神秘主義者であり、また一主婦にすぎないわたしには、死の間際まで聖体拝領に拘り続けた彼の死はあがきを感じさせる人間らしい死と映る。

 その感じかたが、今後の読書でどう変化していくのか……緊張しながらの読書となりそうだ。

 旅行まではユイスマンスに関する読書を続け、旅行後は児童文学作品に取り組むことになるだろうから、タイトル未定短編小説の完成がいつになるのか、今の時点では見当もつかない。

 が、ストーリーは既に出来上がっている。あとは独自のユイスマンス観を育むなどして内容を深め、洗練させていくだけだから(それが難問だが)、時間はかかっても必ず完成に漕ぎつけられると確信している。

当ブログにおける参考記事:卑弥呼をめぐる私的考察〔道教の錬金術的側面を若干ながら紹介しています。〕  

 以下に、ご参考までに前掲の『神智学の鍵』から、錬金術についての用語解説を抜粋しておきます。

錬金術(Alchemy)
 アラビア語でal-kemiyaというが、名称が示唆するように、これは自然界の化学である。 だが、実際には、ギリシア語で植物から抽出された「液」という意味の「クモース」から派生したギリシア語の「ケメーア」から来た言葉で、アラビア語化したものである。アルケミーは自然の精妙な諸力と、それらのエネルギーが働いている物質の様々な状態とを扱う。イニシエーションを受けていない利己的な世間の人々が手に入れても危険のない程度に大神秘を伝えようとしてアルケミストは、多少人工的な言葉で地水火風という四大元素の基本となる等質の質料の中には、ある種の普遍的溶液が存在することをアルケミーの第一原理として仮定する。この等質の質料をアルケミストは純金、即ち最高の物質(マテリア)と言う。普遍的溶媒とも言われるこの溶剤には、人体からあらゆる病気の種を取り除き、若さを取り戻し、長寿にする力がある。これが哲人の石である。錬金術は8世紀にアラビアの聖者であり哲学者であるジーベルによって、はじめてヨーロッパに浸透した。だが、錬金術中国やエジプトではそのずっと以前に知られており、行われていた。錬金術についての無数のパピルスの写本や、王や僧侶のお気に入りの学問であったという他の証拠書類が発掘され、ヘルメス文書という包括的な名称で保存されている(『エメラルド・タブレット』を参照)。アルケミーを学ぶには三つの異なる面、即ち宇宙的面、人間的面、俗世的面があるが、それにはいろいろな解釈が可能である。
 この三つの面は、硫黄、水銀、塩という三つの錬金術的特性によって代表されていた。著者によっては、その三つには各々3、7、10、12のプロセスがあるなどと言うが、アルケミーはただ一つの目的があるという点で、著者達は一致している。それは卑金属を貴金属に変質させることである。しかし、その純金とは実際は何かということについて正しく理解している人は非常に少ない。同じプロセスが大地の奥深くで起こっていることが論理的にわかっているから、大自然では、卑金属が貴金属に変質することが確かにある。だが、これはアルケミーの一つの面にすぎなく、つまり、俗世での純粋に物質的面である。錬金術にはこの解釈の他に、純粋に心理的で霊的な象徴的意味がある。カバリストの錬金術師は、物質的錬金術の実現を追求する。一方、オカルティストの錬金術師は、地に属する金を軽蔑して、低級四つ組を人間の神聖な高級三つ組に変質させるあらゆる注意を向け、努力を尽くす。低級四つ組と高級三つ組がついに融合すると両者は一つとなる。人間存在の霊的、知的、サイキック的、肉体階層は、アルケミーでは火、風、水、地の四つの元素にたとえられ、この「四大」はそれぞれ、不動的、変動的、活動的という三つの面を表すことができる。哲学のこの古い部門の起源について、世界はほとんど知らない。だが確実なことは、その起源は現在知られているどの黄道帯の12宮図が作られた時よりも古く、また人格化された自然力を扱うものとして、おそらく世界のどの神話よりも古い。また、物質界での変質の本当の秘密は太古の時代には知られていたが、いわゆる歴史時代のあけぼの以前に失われてしまったことは疑いない。現代化学はその最大の基本的発見を錬金術に負っている。しかし、宇宙にはただ一つの元素しかないという錬金術の否定し難い公理にもかかわらず、化学は金属類を元素の類に入れてしまい、今やっとその大間違いを知り始めている。アルケミー的な変質に関るほとんどのことがまやかしで妄想であると仮定しても、ある百科全書編集者達は次のように認めざるを得ないのである。
「あるものは証明に裏づけられ、その真実性には可能性がある。電池を使ってアルカリ元素にさえも金属的成分があることが発見された。従って、一つの金属を他の金属に変質させる可能性……は未決定のままにしておくしかない。また、すべての錬金術師がペテン師であると考えるべきではない。多くの錬金術師達は目的を達成するという確信のもとに、不屈の忍耐と清い心で働いたが、その態度は彼等の仕事が成功するための最も重要な必要条件として強く勧められているのである」(『ポピュラー・エンサイクロペディア』より)。

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2009年9月12日 (土)

タイトル未定短編小説のために #7

 ユイスマンスの伝記を読むと、彼がちょっと可哀想になる。ユイスマンスは、かなりの被害妄想ではあるまいか。うちの父みたい。

 真相はどうであれ、悪魔の攻撃を受け続けているという心理状態は病的だ。相手はそれをあっさり否定したり、平穏に社会生活を営んでいたりする。カトリックを信仰して、エスカレートしたみたいだ。

 神秘主義に興味を持てば黒魔術に走り(勿論それは神秘主義の名に値しない知識の誤用だ)、カトリシズムに行けばいよいよ悪魔がうようよして見えるとは、救いようのない男だ。

 といっても、まだ伝記を軽く拾い読みしただけで、わたしは間違ったことを書いているのかもしれない。読了後に、きちんとしたユイスマンス小論を書きたい。

 それにしても、カトリシズムは、科学が進むにつれ、西洋の価値観が相対化するにつれ、どんどん古びていくのを否めない(異教徒が大勢を占める日本にいるから、そう思えるだけかもしれないが)。それに比べて、プラトンの真新しさはどうだろう。わたしが神秘主義者だから、そう感じるのだろうか。

 どうしてそう感じるのかを分析する必要がある。新旧といった感覚及び価値観は、ある時期にそっくり入れ替わるものだから。

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2009年9月10日 (木)

タイトル未定短編小説のために #6

タイトル未定短編小説のために#<br />
 6

 夫に「図書館にお使いに行ってくれたら、夕飯はめんたいスパしてあげてもいい」というと、快く行ってくれた。

 最近になってめんたいスパを試みて以来、夫も娘もめんたいスパに目がない。

 お使いに出た夫は、『さかしま』の代わりに『彼方』を借りてきてしまった。「初めてのお使いですから」などと、反省の色が見えないが、お使いに行ってくれてありがたかった。自分で外出すると、寝込んで1日は潰れるので。

 全部ユイスマンス。短編小説の資料だが、むしろ児童文学作品『不思議な接着剤』のために役立つかもしれない。

 ユイスマンスは19世紀の人であるが(1848-1907)、著作には中世の臭いが混じっているから。

 『腐爛の華スヒーダムの聖女リドヴィナ』(国書刊行会)では、『ルルドの群集』などでもそうだが、肉体の腐敗の様が彫り物をするような克明な描かれかたで(父親は石版画及び細密画の画家だったそうだ)、趣味的というのか執念というのか、肉体をとことん問い詰めざるをえないタイプの宗教者の特異さを感じさせる。

 あんな聖女が誕生したのは、肉体を腐敗させる伝染病が流行っていたことと無関係とは思えない。

 腐乱を極めた死後に肉体が超常的に修復され、芳香まで放つとなれば、これ以上の希望はないかもしれない(肉体組織の信仰による錬金術的変性、とでもいいたくなる現象だ)。いや、これ以上の絶望はないともいえる。あの信仰で貫かれた腐乱死が、お手本となる死にかたとは。

 魔女裁判を怖れながらも、持てる知識を振り絞って伝染病から人々を救おうとした1人の錬金術師のいるほうが、あんな腐爛の華が1,000人いるより、よほど有意義で希望が持てる気がするが、所詮は異教徒の考えかただろう。

 それにしても、『大恐竜展』での恐竜の骨には感動した。あの大きさ、あのゆるやかなカーブ。洞窟に捕らわれていたのは、錬金術師の娘だけではなく、恐竜もそうだったに違いない。ドラゴンと間違えられて。

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