カテゴリー「Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝)」の10件の記事

2016年3月30日 (水)

歴史短編1のために #26 主な自然災害と火災、直朝、直條の堤築造

肥前鹿島は現代にあっても台風被害に遭いやすいところであるが、台風被害やその他の自然災害も見てみようと思い、迎 昭典編集・発行『鹿島市年表』を見たところ、主な自然災害は江戸時代にあってもそう変わらないようで(拾ったのが江戸初期から中期にかかる100年間の記録であることを考えれば、むしろ少ないと思える)、台風、洪水被害が目につく。

堤築造が丹念に行われているのはそれに対処するためのものだろう。江戸幕府のインフラ整備事業に含まれるものともいえるだろうが。

延宝4年11月23日(1707)に富士山が爆発しており、それより前の10月4日に肥前鹿島にしては珍しい地震が起きている。

江戸時代になってから鹿島三代藩主・鍋島直朝の没までに鹿島地方史に残る主な自然災害(青字)と火災(赤字)、併せて直朝、直條の堤築造(緑字)を迎 昭典編集・発行『鹿島市年表』(平成20年12月3日)から拾ってみる。

1603 慶長 8|・2.12日徳川家康,征夷大将軍に任ぜられ江戸幕府を開く。

1640 寛永17|・この年,鍋島直朝,正式に鹿島を領する。(注)これをもって鹿島藩の創設とする見方もある。

1642 寛永19|(注)三代直朝の藩主在任期間。1642(寛永19)20歳~1672(寛文12)致仕50歳。31年間。

1650 慶安 3|・2.2浜町大火、泰智寺も焼失。能古見に水無堤を築く。

1651 慶安 4|・秋,大風、鹿島城水没、潮は三ケ崎まで浸水。

1662 寛文 4|・5.27鍋島直朝再婚(41歳)。花山院萬子媛入嫁(37歳)。

1666 寛文 6|・この年から,高津原に二つの堤築造に着工。(水道を6キロ上流の木庭村より引く)

1671 寛文11|・万才堤築造。

1672 寛文12|・12月三代鍋島直朝致仕隠居(51歳)。直條,鹿島2万石を嗣ぐ。 (注)四代直條の藩主在職期間。1672(寛文12)18歳~1705(宝永2) 没51歳。34年間。

1675 延宝 3|・鮒越下堤築造。

1678 延宝 6|・鹿島洪水,人民飢える。

1685 貞享 2|・この年頃,高津原西の下堤築造。

1687 貞享 4|・直朝正室萬子夫人,剃髪して尼となり、祐徳院に住み、瑞顔実麟大師と称す。    

1699 元禄12|・3.21江戸の青山鹿島藩邸、類焼に遭い灰燼に帰す。3.13鹿島洪水。(死者その数を知らず) 雷電洪水という。

1702 元禄15|・鹿島領内 洪水、高潮。

1703 元禄16|・鹿島本丸火災。

1705 宝永 2|・4月晦日直條没(51歳)。
       ・鍋島直朝,紹龍と号し剃髪す。
       ・閏4月10日祐徳院萬子没(80歳)。

1707 宝永 4|・10.4鹿島の地大いに震う。 ・11.23富士山爆発。

1709 宝永 6|・11.19三代藩主鍋島直朝,花頂山で没(88歳)。

(迎 昭典編集・発行『鹿島市年表』p.29、pp.34-44)

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2016年3月22日 (火)

江戸初期五景2 #5 台湾仏教

台湾仏教には、今の日本の仏教にはないパッションが感じられ、気になっていた。

日本の仏教は江戸時代の檀家制度、明治時代の廃仏毀釈、第二次大戦後の江藤淳が『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』の中で書いていたウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(WGIP)、左派や在日による反日活動などで、本質的な部分はほぼ壊れていると考えるべきだ。

以下の記事に書いたように、日本の仏教との関係を考える上でも、台湾仏教について調べる必要があるように思う。

2016年1月23日 (土)
江戸初期五景2 #2 英彦山。鍋島光茂の人間関係。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/01/2800-e9da.html

萬子媛の短編を書いているときに、数多く聴いた梵唄の動画が印象的で、忘れられなくなった。それらの唄を通して信仰が生きている感じがするといおうか。今の日本の仏教からはあまり感じられない類いの精気があるといおうか。過去記事で、そのうちのいくつかを紹介した。

 2015年12月 2日 (水)
 歴史短編1のために #25 禅院で尼僧たちを率いた萬子媛

しかし、これらがどこからアップされたのかがわからない。台湾か香港だろうと思った。調べるうちに、中国共産党の弾圧を逃れた僧侶たちが台湾に逃れ、香港や他のアジアの国々にはそこで育くまれた僧侶が布教に渡ったということのようだ。

日本の台湾統治時代に日本仏教の影響もあったようだが、大陸系の中国仏教が中心だろう。萬子媛が生きた江戸初期、黄檗宗は大陸から渡ってきた明僧が開いた。

参考になりそうなオンライン論文を見つけた。以下のタイトル。

  • 佛光山からみる,台湾仏教と日本との関係 (特集=台湾における日本認識)
    Post Colonialism in Taiwanese Buddhism : the case of Fo Guang Shan五十嵐 真子
    http://ci.nii.ac.jp/naid/120000997350

今日、以下の動画を視聴した。

  • https://youtu.be/OonqczK-9AM?list=PL12kPVFyUP3nVRAW3DHnAmj7LmTgnsB3K

タイトルに法鼓山僧團と書かれているので、これは台湾からアップされた動画だろう。法鼓山(ほっくさん)は台湾の仏教系団体であるようだ。壇上に並んでいるのは尼僧の方々だと思うが、失礼ながらわたしには男僧との区別がつかない。お声からすると、尼僧の方々ばかり(?)。

またしても台湾仏教には圧倒され、前掲の論文を閲覧したのに続いて、以下のオンライン論文を閲覧した。

  • 台湾の現代仏教 : 拠点寺院の門派化とその存在形態
    Taiwan Buddhism in Present Days : The Sectarianization of Certain Temples and its Style of Existence
    蓑輪 顕量
    http://ci.nii.ac.jp/naid/110006224310

この論文によると、台湾に在住する台湾人僧侶の数は台湾全土で約20,000人、尼僧が圧倒的に多く、その比率は尼僧と男僧とで約5対1という 。大学卒業の学士号を持ったハイレベルの尼僧も多く、女性の自己実現の場として出家が存在しているらしい。儒教道徳の影響で男性は出家しにくいという事情があるという。

台湾仏教の特徴と主な寺院について、蓑輪氏の論文では次のように解説されている。

現代の台湾において注目される点は,新たに拠点となる寺院が成立し,その寺院を中心に仏教界に門派化が進行していることである。門派化と述べたのは日本の宗派とは異なって同じ仏教者としての意識は継承されており,排他的な関係にはなっていない点を重視するからである。その拠点となる寺院はその巨大化の年代順に挙げれば仏光山,法鼓山,慈済功徳会,中台禅寺,霊巌山寺の5つである。

リサーチしたところでは、宗派間の行き来が可能らしい。

話題が政治に逸れるが、佛光山寺を開山した巨大教団のトップに君臨する星雲大師は中台統一を主張し、反日色が強いという、元警視庁通訳捜査官・坂東忠信氏のブログ記事を閲覧した。

その佛光山寺をリポートした「ロケットニュース24」の記事を見つけた。一日2万人以上の参拝者が訪れるという佛光山の仏陀記念館の巨大さには驚かされるらしい。

  • http://rocketnews24.com/2015/08/02/615650/
  • http://rocketnews24.com/2015/08/03/615686/

過去記事で以下の動画のフーガのような一糸乱れぬ読経に圧倒されたと書いたが、タイトルの一部に台湾霊巌山寺とあり、これも五大寺院の一つである。

  • https://youtu.be/IHkSejHSPq8?list=PL2OLTz5OiV8fo2hT6jwY81pmcJgAIHwQq

以下の3本の動画の美しい梵唄には聴き惚れるが、あれこれググってみても、どこからのアップなのかがわからないまま。台湾か香港のどちらかではないかと思う。

  • https://youtu.be/RU-P0hQYzk8
  • https://youtu.be/j9JVoCHKCXk
  • https://youtu.be/4zB2jBVe6jg

以下の動画は何度視聴しても、すばらしいと思う。姜敏を歌手とする神韻芸術団の舞台である。神韻芸術団は米国ニューヨークに拠点を置いた舞台芸術団体。

以下はウィキペディアより。

神韻芸術団は、中国共産党の数十年の統治下で破壊された中国五千年の伝統文化を復興するという目的を持ち、2006年に設立されて以来、2007年には初ステージを披露、2009年には、「神韻ニューヨーク芸術団」、「神韻国際芸術団」、「神韻巡回芸術団」の三つの舞踊団とオーケストラに規模を拡大し、北米のみならずヨーロッパ、オセアニア、アジアなど世界各国で巡回公演が行われている。 (……)中国で弾圧された法輪功関係者らによって始められたため、現在も中国では公演を行うことが出来ない。法輪功系のメディアである大紀元と新唐人電視台では神韻についての報道を多く行っている。

ウィキペディアの執筆者. “神韻”. ウィキペディア日本語版. 2015-11-28. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%A5%9E%E9%9F%BB&oldid=57695475, (参照 2016-03-20).

仏教と道教の融合は中国大陸発祥の宗教では珍しいことではないらしいが、この舞台にはそれを超えた宗教そのものの華を感じる。ブラヴァツキーがいう様々な宗教体系が湧き出た始源というものから、髣髴として現れたかのようである。しかし、中国での法輪功に対する弾圧は今も続いているようだ。

こうしたリサーチを通してわたしは、現代日本からは失われてしまったが、萬子媛の時代にはまだ存在していたと感じられる本物の宗教の薫りを嗅ごうとしているのだ。

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2016年2月18日 (木)

江戸初期五景2 #4 表現の仕方(萬子媛をどう表現するかの再確認) 

萬子媛を主人公とした歴史短編小説を20人ほどに内々で読んでいただいたところ、賛否両論半々だったと過去記事で書いた。

あとで細部を膨らませるつもりで、書かなければならないことを詰め込むだけ詰め込んだ書き方になったことが問題だったのは当然である。

枚数制限のある賞応募のためにそうなったというより、まずはそんな書き方をして要点を掴みたかった。

不謹慎な考えだが、賞応募はついでの話。わたしの場合、賞応募は集中度を高めることが目的なのだ。本当に賞をゲットするつもりなら、傾向と対策が必要で、そもそも文学界批判など御法度である(それくらいのことわからずにやっているほど馬鹿ではない。文学界批判が御法度となっているほど今の日本の文学は文学離れしているということでもある)。

どこからどこまで書くかを決めなければならないが、過去ノートで書いたように萬子媛から辿れる江戸初期に起きた大きな動きを全てとはいわないが、なるべく網羅した小説の完成形にしたい。

もう一つ、技法上の問題があったのだろうと考えている。

主人公の物語になっていない、主人公の感情や考えが出ていないという不満はそこから出て来ている部分もあるのではないだろうか。

というのも、わたしは主人公に意図的に距離を置いた書き方をしたので。

江戸時代を小道具にした現代小説だけは書きたくないという思いが強く(エンター系の歴史小説はだいたいそのような書き方だと思う)、『源氏物語』の中で、紫式部が藤壺の宮を描くときの技法を参考にしてみようと思ったのだった。

藤壺の宮に対して紫式部は距離を置いた描きかたで、その結果すりガラスを通して見るような、伝聞のような効果が出ている。

藤壺は光源氏に次ぐ――紫の上以上の――重要人物であるにも拘わらず、その人の感情や考えが行動を通してしかわからないために、読者は隔靴掻痒の焦れったさを覚える場合があるかもしれない。『源氏物語』が苦手な人の中にはそういった人々もいるのではないか。

その書き方を通せば、紅茶をすぐに茶碗に注ぐよりもポットの中で茶葉を蒸してから注ぐほうが香りも味も引き立つように、むしろ高貴さが香り立つように思う。

登場回数では紫の上のほうが多いのに藤壺の存在感が薄らぐことがないのは、紫式部がこうした技法上の効果を「雲隠」の手前まで持続させているからに他ならない。

また、紫式部は時々こうした技法を無視したかのように接写しているが、これも同じ技法に含まれるものと考えられ、そうすることによって印象が際立つ。

現代小説としてではなく、古典として読んでください……と読者に注文をつけるわけにもいかない。賛否両論がなく、否定的な感想しか寄せられなかったら歴史物に手を出すのはよそう、この計画は中断せざるをえないとまで思い詰めていた。

が、幸い半々で、すりガラスの向こう(深窓の麗人)の萬子媛に魅了される人が複数いてくださったことはありがたかった。

とはいえ、どなたからも社交辞令的礼賛をいただけたら、それで「歴史小説ごっこ」にけりをつけられる――、電子書籍にしたり印刷屋さんで簡単な冊子にしてあちこちにお送りすることで「仕事」を完了させられる――と、むしろ重荷が下ろせてよいような気もしていた。

ところが、賛否両論あれど、何だか「本気」の感想が届いたことに、鳩が豆鉄砲食らったみたいに驚いた。ちゃんと書かねばならないということだと諦めた。萬子媛からわたしが感じる神秘主義的魅力からすれば、確かに「仕事」を始めたばかりで放り出すのは無責任極まる話だろう。

細部を膨らませながら全体に統一感を持たせるには、中心に萬子媛を置いて、あちこちでちらりと登場させなくてはならない。紫式部はそこのところをうまくやっていて、他の女人たちに読者の関心が奪われてしまいそうになるところで藤壺の宮がどうなさった、といった短い情報を怠りなく挿入している。

こうした企業秘密(?)について過去記事で書かなかったが、このノートで再確認しておきたいと考えた。

紫式部に学んだ、考え抜いたわたしなりの手法なので、このやりかたを通す。

萬子媛の魅力を思想面から探るためには江戸時代がどんな影響を及ぼしたかの分析が必要であるため、短編2では二人の黒衣の宰相を主人公にしてみようと思ったのだが、この2人を主人公にした小説にするかエッセーにするかはもう少し調べてみなくてはわからない。

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2016年2月17日 (水)

江戸初期五景2 #3 江戸時代の老人パワー、物見遊山を伴う神社参詣 

萬子媛の主宰した禅院「祐徳院」は義理の息子、鍋島直條の著作とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』から抜粋すると、「大師、尼十数輩フ領シ」「晨ニ誦シ、夜ニ禅シ、敢(あえ)テ少シモ懈(おこた)ルコトナシ」「迹(あと)閫(しきみ)ヲ越エズ。并(あは)セテ尼輩ノ出門、俗客ノ往来を許サズ。其ノ佗ノ規矩、森厳タリ」とあるように世俗との交わりを断った孤高の存在であった。

だから、村人との接触はほとんどなかったと思われるが、神社の公式サイトに「水鏡」と題し、畑で獲れた野菜を届けた村人との会話が紹介されているから、そのような形で村人が萬子媛(祐徳院様と呼ばれていたのだろう)の姿を見たり、話ができた――こともある――ということだろう。

その村人の暮らしがどのようであったかは、郷土史家の年表が大変参考になる。自然災害に関する記述を拾っておきたい。

また、江戸時代の特色として、以下の過去ノートで書いた高齢者の有効活用がある。

それは江戸時代は幼児、若者、壮年が疱瘡(天然痘)のような致死率の高い伝染病などであったいう間に死んでしまう医療事情と表裏一体となった生活の知恵であったが、幕府は高齢者の人材活用を奨励し、藩はそのための工夫を凝らした。

働く高齢者には褒美や養老扶持の支給などで報いたのであった。

そして、人がよく死ぬということは嫌でもこの世のことやあの世のことを考えさせ、宗教が盛んになる機縁ともなる。

幕府の農業政策が成功し、商業が発達して街道が整備されるようになると、物見遊山を伴う神社参詣の旅が流行した。わたしは短編小説1で、その街道について書いている。

村人の生活を書き込むには、上記のような特色を軸として、もっと調べなくてはならない。

萬子媛が「水鏡」に出てくる村人と会話を交わしたのがいつのことかはわからないが、僧侶としての方向性が定まり、落ち着きが備わって、貫禄が出て来たころではないかと想像する。

元禄11年(1698)に黄檗僧の正装をした萬子媛の肖像画が描かれている。このとき73歳。

謹厳そのもののお顔だが、わたしが神秘主義的に感じとった萬子媛は、さすがは「神様」として祀られているだけあって、圧倒的なパワーの持ち主であり、おそらくは生前もそうであったように温かな人柄と微に入り細を穿つ洞察力を持ちながら、一方ではユーモアを好みそうなタイプの方だと感じた。

そして、生前も、あの世でボランティア集団を組織して300年以上も奉仕活動をなさっている今も、とても率直な方なのではないだろうか。

『祐徳開山瑞顔大師行業記』に、親戚がうるさくてなかなか出家できなかった……と萬子媛がもう1人の義理の息子で、僧侶になった断橋(直孝)に打ち明けたようなことが書かれていて、つい笑ってしまった。生前から率直な方だったんだと納得した次第。

人間、死んでもそう変わるものではないというが、本当にそうだという気がする。またあの世では具体的に、実際に、この世のために奉仕している方々がいらっしゃるということが萬子媛の存在とあり方で本当にわかった。

それで、わたしは萬子媛が怖くなく、たちまち大好きになってしまったのだ。もしわたしが江戸時代に生まれ、萬子媛の禅院で修行生活を送ったとしたら、優しさ、面白さ、楽しさ――などの豊かな情緒が萬子媛からは格調高く伝わってくる――よりも、厳格さをより痛烈に感じることになったのだろうか。

わたしの萬子媛に関する神秘主義的記録は拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事を参照されたい。

ノートのテーマから逸れたが、村人の暮らしには江戸幕府の政策が反映している。江戸を設計した2人の黒衣の宰相を分析するために、まずは天海をざっと調べ、昔買った『臨済録』を崇伝や萬子媛の宗教に関係することから読んだ。

そういえば、郷土史家が萬子媛の夫、直朝公の宗教観について、重大なことをお書きになっていた。次のノートで、年表からの自然災害の抜き書きや、そのことを改めてノートしておこう。天台宗の僧侶であった天海が創唱した「山王一実神道」もノートしなくては。『臨済録』からも抜き書きしておきたい箇所がある(これは創作のためというより、神秘主義的興味からだが)。

ところで、昨日はデップ様主演の映画『ブラックスキャンダル』を家族で観に行った。ギャングが登場するので(デップ様演ずるジェームズ・ホワイティ・バルジャーはアイルランド系の移民だが、ボストンにおけるアイルランド・マフィアのドンで、イタリア・マフィアと対立している)、残酷な場面が多く、半分くらいは両手の人差し指で耳に栓をし(効き目なし)、目を閉じていた。

政界、FBIを巻き込んだスキャンダルへと発展するが、実話がもととなっているのである。その興味がなければ、いくらデップ様の演技が迫力あったとはいえ、観たことを後悔したかもしれない。

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2016年2月 6日 (土)

岩波文庫版『臨済録』、ヴァージニア・ウルフのみすず書房版『自分だけの部屋』再読

萬子媛は黄檗宗の僧侶だったが、黄檗宗は臨済宗、曹洞宗に次ぐ禅宗の一派で、名称は唐の禅僧・黄檗希運に由来し、黄檗は臨済義玄の師であった。臨済義玄は臨済宗の開祖である。

これから書こうとしている二人の黒衣の宰相、天海は天台宗の僧侶、以心崇伝は臨済宗の僧侶である。

本棚を探していたら『臨済録』が出てきたので、再読。昔読んだときより、神智学の学習が当時より進んだ今はわかりやすく感じる。記事を別にしてざっとノートしておきたい。

ヴァージニア・ウルフ(川本静子訳)『自分だけの部屋』(みすず書房、1988年初版、2013年新装版)の本のカバー裏面には次のように書かれている。

「女性が小説なり詩なりを書こうとするなら、年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋を持つ必要がある」(V・ウルフ) 
 経済的自立と精神的独立を主張し、想像力の飛翔と軽妙な語り口によって、女性の受難史を明らかにしたフェミニズム批判の聖典。

講演の草稿が元となったこのエッセーは、フェミニズム運動にとって、大変有名な本なのである。

わたしの読後感は時代の変化によるものなのか、自身の変化によるものなのか、若いころに読んだときと違ってきている。昔はぼんやりと読み、漠然とした疑問を覚えた程度だった。わたしの母が社会で働く女性だったから、あまり興味が湧かなかったのかもしれない。

今、ヴァージニアの主張をその通りとは思うが、よくも悪くもそのような環境で書かれる作品は年に500ポンドの収入とドアに鍵のかかる部屋の傾向を帯びると思えるし、ある意味で、そのような女性は男性だと思うのである。田舎を出て都会に行った男性が都会の人間になってしまうように。

勿論、女性の環境を向上させることは大事であるが、社会に出て働くことが好きな女性も本当なら家庭に入りたい女性も、育児を他人にほぼ丸投げして社会で働かざるをえない現代日本の異常な状況を見るとき、フェミニズム運動の方向性に疑問が湧くのである。

家庭に入った女性たちがどれだけ暮らしを多彩なものにし、弱いものを保護し助け、貴重な文化の継承をなしてきたことか。こうした業績は無視されるべきでも軽んじられるべきでもない。

ヴァージニアの知性美は彼女の政治がかった意見以上の発言力を持ち、両性の相克を遥かに凌駕している。一方、社会改良だけではどうにもならないと悟ったベザントは人類の根源的なテーマを求めて神智学へ向かった。

エッセー「44 ヴァージニア・ウルフの知性美と唯物主義的極点」に加筆しておこうと思う。

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2016年1月24日 (日)

歴史短編にご感想をお寄せいただいた皆様、ありがとうございます!

萬子媛の歴史短編を書き、内々で読んでいただこうと年末の慌ただしい時期になって20人ほどにお送りしました。

ご迷惑おかけしたにも拘わらず、お電話、お便り、お年賀などで感想を伝えていただいたり、「これから拝読します、ありがとう」といっていただいたりしました。

昨日は京都の方が介護中にもかかわらず、重厚な封書をお送りくださり、恐縮した次第です。特にとんでもない誤字の指摘、ありがたいと思いました、冷や汗が出ました。

皆様のご感想や、それとない反応など、全てが参考になりました。

感謝の気持ちでいっぱいです。当ブログをご閲覧くださっているかどうかはわかりませんが、改めて、御礼申し上げます。

難しいと感じた方も少なくなかったようで、難しく書いたつもりはないんだけれどなと困惑してしまいました。その方々の読書傾向をお尋ねすると、今わが国で流行っているミステリーが多いですね。

そんな作品が書ければ応募できる賞も多く、読んでいただくにも抵抗感がないかもしれないと思いました。わたしも、海外物ですが、ミステリーに熱中していた時期があるので、そんな読書の楽しみを持っている方々へ愚作を送るなど、野暮なことをしてしまったと思いました。

が、後の祭りというか、いや実は確信犯といおうか、歓迎されないとわかっていてお送りした次第でした

こちらに伝わってくる迷惑度で、一般読書人の反応がだいたいわかると思ったのです。

礼儀正しい方ばかりなので、露骨に伝わってくるわけではありませんが、何となくわかったところによれば、結構迷惑だったみたいで、申し訳ありませんでしたm(_ _)m

それでも、萬子媛に魅了されて周辺の人物に感情移入しながら読んでくださった方々があったことは望外の喜びでした。

そして、そうした方々のご感想は案外共通していて、背景が細々と描かれている中から萬子媛が浮かび上がってくるのだから削らなくていい――むしろ削ったら萬子媛が萬子媛でなくなる――というものでした。

それとは対照的に、歴史小説らしい作品を好む方々にとっては、余分な記述が多く、主人公の感情・考えの表出は少なくて、物語性に乏しいというものでした。

実は意外なことに、郷土史家のご感想を中立的なものだとすれば、こうした2つの対照的なご感想は現在のところ半々なのです。

肯定的なご感想は皆無かもしれないと覚悟していただけに、予想外でした。またシビアな反応を予想していた方々からは好反応が、もしかしたら肯定的なご感想をいただけるかもしれないと期待していた方々からはシビアなご感想をいただいて驚きました。

萬子媛の小説を「江戸初期五景」の五つの短編の一つとして改稿するか、長編に組み込むのかはまだ決めていません。残る四つの短編はエッセーにしてしまって、萬子媛の小説を改稿するための資料とする考えも浮上しています。

というのも、「江戸初期五景」の2番目の作品で二人の黒衣の宰相を主人公にしたいと考えていたのですが、萬子媛に感じたような魅力を彼らにも感じられるかどうかが微妙なところだからです。

萬子媛の小説の場合は、萬子媛その方に霊感的なシンパシーを感じるという思ってもみなかった出来事が執筆の動機となっていて、史料のコピーや研究資料を郷土史家が提供してくださるという幸運にも恵まれました。

そのことを考えると、改稿するにせよ長編化するにせよ、何としても萬子媛の小説は世に出すべきと思えます。落選を確認したら本格的に改稿して別の賞に応募し、作品を世に出す機会を可能な限り追求すべきとも思えます。

残念なことには該当する賞は少なく、現在応募中の賞もミステリーと時代物が中心であるようです。発表以前から応募作品を落選したものとして考えているのはそのためです(勿論、作品の公開は控えていますが)。

話が逸れましたが、2番目の作品は1番目の作品とは事情が違い、古文書に当たったり取材に歩いたりする余裕はないので、出版されている書籍を孫引き的に参考にさせていただくことになります。

それで、2番目の作品は研究論文的なものにはしたくてもできませんから、物語性の高い作品にせざるを得ません。主人公に魅力を感じなければ、わたしには書けそうにありませんが、今のところは先に述べたように微妙なのです。

ただ萬子媛の小説の改稿や長編化には、江戸初期五景のテーマとして考えていることを調べ、どのような形であれ作品化しておく必要があると感じています。

無知なわたし自身に、江戸初期がどんなものだったかをそのような形で教える必要があるからです。その過程を経なければ、萬子媛の小説を深化させることもできません。

どこかで賞がとれたら一番いいのですが、今はわたしには「江戸初期五景」の完成や長編化など、到底不可能な仕事に思えています。第一、老後が不安なのに、こんなことをしていいのかという思いが脳裏をよぎります。

執筆は案外体力を使うので、それをやめ、外で働けるような健康体になることを目指して摂生一途に努めるべきではないかと。

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2016年1月23日 (土)

江戸初期五景2 #2 英彦山。鍋島光茂の人間関係。

即身仏に至る修行で有名なのは密教で、修験道はその密教や山岳信仰と関係が深い。

萬子媛は僧侶となった義理の息子の指導を仰いで黄檗宗を信仰し、断食入定したが、英彦山座主に嫁いだ姉を通して修験道の影響を受けたといったことはなかったのだろうか?

カテゴリー「Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ)」の過去ノートでも採り上げたが、村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995年)は江戸時代に作られた「彦山大権現松会祭礼絵巻」に関する優れた著作である。

絵巻が作られたのは有誉が座主だったときで、この著作には有誉の父が亮有、母は花山院定好の娘だと書かれている。亮有の弟は愛宕家(おたぎけ)を創立し、宰相まで昇進したらしい。

愛宕家は、村上源氏中院庶流の公家である。家格は羽林家。

亮有の父は有清である。ウィキペディアによると、有清の三男で亮有の弟の通福は中院通純の猶子となっているのである(ウィキペディアの執筆者. “愛宕家”. ウィキペディア日本語版. 2016-01-03. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%84%9B%E5%AE%95%E5%AE%B6&oldid=58108751, (参照 2016-01-23).

猶子(ゆうし)とは兄弟・親類や他人の子と親子関係を結ぶ制度である。

中院通純について念のためにウィキペディアで調べてみると、鍋島光茂が出てきて驚いた。この肥前国佐賀藩2代藩主・鍋島光茂という人物は神出鬼没というか、よく出てくる。

鍋島光茂の母は奥平松平忠明の娘・ムリ(恵照院)であり、松平忠明の母は徳川家康の娘・亀姫(盛徳院)である。そうした血筋も与って、光茂は人間関係が広かったのかもしれない。

ウィキペディアからの以下の引用を緑字にしたが、光茂関連だけ赤字にした。

中院通純(なかのいん みちずみ、慶長17年8月28日(1612年9月23日) - 承応2年2月8日(1653年3月7日))は、江戸時代前期から中期の公卿。父は内大臣中院通村。母は新発田藩主溝口秀勝の娘。室は権大納言高倉永慶の娘。子に内大臣中院通茂、権中納言野宮定縁、甘姫(鍋島光茂室)、猶子に権大納言愛宕通福がいる。
ウィキペディアの執筆者. “中院通純”. ウィキペディア日本語版. 2011-12-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%B8%AD%E9%99%A2%E9%80%9A%E7%B4%94&oldid=40550182, (参照 2016-01-23). 

甘姫は光茂の継室である。正室は上杉定勝の娘・虎姫(柳線院)。

中院通純の娘・甘姫(栄正院)は越前松平光通の養女とウィキペディアにあったので、松平光通について調べてみると、松平光通は越前福井藩の4代藩主で結城秀康の孫。結城秀康は徳川家康の次男である。

松平光通の正室は越前松平光長の娘・国姫(清池院殿法譽性龍大禅定尼)。国姫は京都の公家からも賞賛されるほどの和歌の達人だったという。

ところが、国姫は祖母・勝姫(2代将軍・徳川秀忠の娘)の期待通りに跡継ぎの男児を産めないことを苦にして35歳で自殺している。光通も3年後に39歳で自殺した。

鍋島光茂の長男で佐賀藩3代藩主・鍋島綱茂の正室は越前松平光通の娘・布与(寂光院)である。光茂の和歌好きをふと連想させられる。

話が英彦山から逸れたが、2015年11月19日付西日本新聞朝刊に江戸期の繁栄を裏付けるとする英彦山に関する記事があったので、引用する。

 日本三大修験道場の一つ、福岡、大分県境の英彦山(1199メートル)に800軒超の建物跡があることを、福岡県添田町がレーザー測量で確認した。英彦山は江戸時代、「英彦山三千 八百坊」とうたわれるほど栄え、その数字は人口3千人、800坊を意味するとされてきたが、詳細は不明だった。今回の調査で国内最大規模の山伏集落の姿が初めて克明になった。

 測量は山頂から中腹までの約6・9平方キロで実施。上空から40センチ四方ごとにレーザーを照射して地表の高低差を測定し、山伏が暮らした宿坊や仏堂などがあったとみられる平たん面を800余カ所確認した。集落に通じる古道や「窟」と呼ばれる修行場の岩穴も見つかった。(以下、略) =2015/11/19付 西日本新聞朝刊=

日田市に住んでいたころ、車でよく英彦山を通ったので、鬱蒼とした山容を思い浮かべて本当に江戸時代、そんなに宗教的繁栄を極めていたのだろうか……と半信半疑だったが、それが裏付けられたわけである。

以下のタイトルのオンライン論文は、英彦山を知るために役立つ。

  • 第2章 添田町の維持向上すべき歴史的風致

修験道の法流は、室町期には真言宗系の当山派と天台宗系の本山派に分かれた。

江戸幕府は、慶長18年(1613年)に修験道法度を定め、諸国の修験者を真言宗系の当山派、天台宗系の本山派のいずれかに分属させた。

英彦山の場合はどうであったか、ウィキペディアより引用する。

12世紀より天台宗に属し、西国修験道の一大拠点として栄えた。元弘3年(1333年)、後伏見天皇の第八皇子・長助法親王(後の助有法親王)を座主に迎えて以降、座主はそれまでの輪番制から世襲制となった。(……)元禄9年(1696年)に天台修験の別格本山となった。
ウィキペディアの執筆者. “英彦山神宮”. ウィキペディア日本語版. 2015-11-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%8B%B1%E5%BD%A6%E5%B1%B1%E7%A5%9E%E5%AE%AE&oldid=57587458, (参照 2016-01-23). 

徳川家康のブレーンであった2人の黒衣の宰相のうちの一人、天海は山王一実神道を創唱した。#3で、それがどんなものであったか、図書館から借りた以下の貴重な本からざっとメモしておきたいと思う。

『天海僧正と東照権現―第49回企画展』(栃木県立博物館、1994年)

ところで、過去記事に書いたことと重なるが、萬子媛の短編を書いているときに、数多く聴いた梵唄の動画が印象的で、忘れられなくなった。それらの唄を通して信仰が生きている感じがするといおうか。今の日本の仏教からはあまり感じられない類いの精気があるといおうか。過去記事で、そのうちのいくつかを紹介した。

しかし、これらがどこからアップされたのかがわからない。台湾か香港だろうと思った。調べるうちに、中国共産党の弾圧を逃れた僧侶たちが台湾に逃れ、香港や他のアジアの国々にはそこで育くまれた僧侶が布教に渡ったということのようだ。

日本の台湾統治時代に日本仏教の影響もあったようだが、大陸系の中国仏教が中心だろう。萬子媛が生きた江戸初期、黄檗宗は大陸から渡ってきた明僧が開いた。

参考になりそうなオンライン論文を見つけた。以下のタイトル。

  • 佛光山からみる,台湾仏教と日本の関係 (<特集>台湾における日本認識)

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2016年1月 6日 (水)

「江戸初期五景2」の準備として台湾仏教を調べ始めたが、まだ不整脈あってフラフラ

萬子媛の短編を書いているときに、数多く聴いた梵唄の動画が印象的で、忘れられなくなった。それらの唄を通して信仰が生きている感じがするといおうか。今の日本の仏教からはあまり感じられない類いの精気があるといおうか。過去記事で、そのうちのいくつかを紹介した。

しかし、これらがどこからアップされたのかがわからない。台湾か香港だろうと思った。調べるうちに、中国共産党の弾圧を逃れた僧侶たちが台湾に逃れ、香港や他のアジアの国々にはそこで育くまれた僧侶が布教に渡ったということのようだ。

日本の台湾統治時代に日本仏教の影響もあったようだが、大陸系の中国仏教が中心だろう。萬子媛が生きた江戸初期、黄檗宗は大陸から渡ってきた明僧が開いた。

参考になりそうなオンライン論文を見つけた。

それを読みかけたところで、脳貧血っぽい感じになり、集中できなくなったので、脈を調べてみると、強弱があり、ときどき止まっては打ち始めという具合。いや、実際に止まったわけではないのだろうが……ナンカもうサンリズム使うよりニトロ使うほうがいい気がしてしまう。

昨日電話で話した東京住まいの従姉(今年で71歳)が、わたしの母が亡くなったときにショックでひと月不整脈が止まらなかったといっていた。

そうそう従姉からは母方の祖母の出身校や、その祖母が亡くなったときの三つか四つくらいのときの記憶が鮮明にあるという話を聞いた。さらには父の再婚にまつわる重大な話も(今更聞いても遅かったが……)。

心臓の発作を起こして死亡した祖母。その祖母の長女で従姉の母であった、つまりわたしの伯母も心臓の発作を起こして死亡した。母方は心臓に弱点があるようだが、そのあとは皆治療を受けながら長生きしている。だから、わたしも長生きするのだろう。嫌だなあ。と神秘主義者の口でいうことだろうか。

台湾仏教に関するノートと従姉から聞いた話を別々の記事にしたいが今日は無理かも。従姉から聞いた話は訪問者に何の関わりもない興味の持てない話かもしれないが、当ブログは個人的な覚書でもあるため、お許しを。

年末に以下の本を借りてきていたので読むつもりだったが、返却するまでには無理かも。『チェーホフのこと』と『ガレー船徒刑囚の回想』はだいたい読んだ。タブッキの『イタリア広場』『フランス・プロテスタントの反乱』は前にも借りたが、今度もちゃんと読まずに返してしまうかも。娘が『イタリア広場』かクレジオ『嵐』を買うかで迷っていたが、『嵐』にした。次作に入る前にその『嵐』も借りて読むつもりだったが、無理そう。

木曜日だった男 一つの悪夢 (光文社古典新訳文庫)
チェスタトン (著), 南條 竹則 (翻訳)
出版社: 光文社 (2008/5/20)

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家 ゾラ傑作短篇集 (光文社古典新訳文庫)
ゾラ (著), 國分 俊宏 (翻訳)
出版社: 光文社 (2015/6/11)

イタリア広場
アントニオ タブッキ (著), 村松 真理子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2009/09)

チェーホフのこと (チェーホフ・コレクション)
ボリース ザイツェフ (著), 近藤 昌夫 (翻訳)
出版社: 未知谷 (2014/3/1)

フランス・プロテスタントの反乱――カミザール戦争の記録
カヴァリエ (著), 二宮 フサ (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2012/2/17)

ガレー船徒刑囚の回想 (岩波文庫)
ジャン・マルテーユ (著), 木崎 喜代治 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (1996/9/17)

パリ(上) (エクス・リブリス・クラシックス)
エミール ゾラ (著), 竹中 のぞみ (翻訳)
出版社: 白水社 (2010/11/30)

パリ(下) (エクス・リブリス・クラシックス)
エミール ゾラ (著), 竹中 のぞみ (翻訳)
出版社: 白水社 (2010/11/30)

政界の導者 天海・崇伝 (日本の名僧)
圭室 文雄 (編集)
出版社: 吉川弘文館 (2004/06)

『政界の導者 天海・崇伝 (日本の名僧) 』は次作の短編のために購入の必要がありそう。本文も貴重だが、巻末の参考文献もとても貴重だ。それらの参考文献が図書館にある限りは借りて目を通したい。

以下の動画の、フーガみたいな形式の読経は何度聴いても凄い。一糸乱れず。聴いていると気持ちが落ち着く。貼りつけていいのかな……恐る恐る……。女性版(?)もアップされていた。「芋掘りエコロジー」と聴こえてしまうところがあるが(罰当たりなことを書いてすみません)、その部分はどんな意味なのだろう。最近こうした動画ばかり視聴していたせいか、テレビで観るマツコ・デラックスが仏像に見えたり、仏像がマツコ・デラックスに見えたりする。

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2015年12月 8日 (火)

江戸初期五景2 #1 天海と崇伝

2人の黒衣の宰相、天海と崇伝は江戸時代をデザインしたといってもいいくらいの人物で、幕府に及ぼした影響力は計り知れないほどだ。

天海は天台宗の僧、崇伝は禅僧である。

短編2では天海・崇伝にスポットライトを当てることにした。このうちのどちらかを主人公にするかもしれないし、2人を主人公にするかもしれない。あるいは第3の人物を立てる可能性もある。

わたしは萬子媛を中心に置いた歴史小説を執筆するにあたり、短編5編をまず執筆して、それをあとで長編に纏める予定で計画を進めていた。

そのままの計画で行くかもしれないし、5編の短編はそのままの形で『江戸初期五景』(仮題)という題のもとに収録するということも考えている。まだ結論は出ていない。

何はともあれ、第1の短編は何とか書き上げた。残る4編で採り上げたいのは、天海・崇伝、林家、外国勢力との関係、公家と武家で、これらはどうしても外せない。他に採り上げたいものが出てきたときは短編のどれかに織り込むことになる。

外国勢力との関係では短編1で島原の乱、鎖国政策における四口、オランダ東インド会社と伊万里焼などについて書き込みたかったが、割愛せざるをえなかった。黄檗宗も短編2か、林家にスポットライトを当てた短編か、あるいは外国勢力との関係を描く短編かでもっと書くことにしたい。

江戸幕府はキリスト教を生理的に嫌って黄檗宗を依怙贔屓したというわけではない。
黄檗宗も、キリスト教と同じように最初は警戒されていたのである。幕府の警戒感がキリスト教に対しては高まり、黄檗宗に関しては和らいで好待遇へと変化した。

なぜか?

それは「江戸初期五景」に収録予定の萬子媛をヒロインとした短編1に書いているので、今ここでは回答しない。

武家、公家を描く短編では、慶安の変(由井正雪の乱)、猪熊事件はぜひ採り上げたい。

猪熊事件のきっかけとなったのは、以下のノートにも書いたように、花山院定好の兄だった。

佐賀でも似たような事件が起きており、興味深い。

萬子媛の父方伯父に当たる花山院忠長は猪熊事件に関係したかどで蝦夷松前藩へ流された。

忠長は、萬子媛の母方曾祖父に当たる後陽成天皇の女官と密通するというようなことをやってのけたのであった。

それがきっかけとなって「猪熊事件」が起きたのだ。花山院忠長は流刑となった先で京文化を伝えている。また、忠長のその息子は天海の弟子となった(公海)

どうです、萬子媛のまわりの人物とうまく絡むでしょ。

花山院忠長が流されたのが松前というので、思い出した。6月に家族旅行で神戸に行き、神戸市立博物館でプラハ国立美術工芸博物館所蔵「輝きの静と動ボヘミアン・グラス」を観たときのことを。

伊万里焼の地図皿も見たのだが、一度見れば忘れられない奇抜な地図だった。

天保期に製造されたものなのだが、小人国、女護国という不思議な国が書かれていたのだ。そのような国があると、信じられていたのか、ファンタジーなのか。沖縄が四国より大きく描かれ、北海道には松前しかないように描かれたりもしていた。松前が馬鹿デカかった。

そんな皿が複数枚あった。

伊万里焼といえば、伊万里焼の一様式である鍋島焼(藩窯で高級磁器を焼いた)は佐賀二代藩主・鍋島光茂と関係が深い。光茂が皿山代官に与えた厳しい指示書の写しが残っているのである。

光茂は萬子媛の第二子・朝清を厚遇した。朝清は若い身空で急死し、母親の萬子媛を慟哭させ、それが萬子媛の出家につながった。

あちこちで萬子媛のまわりの人物と絡むので、萬子媛を無理に挿入しなくとも、5編の短編のどこかには萬子媛が自然に登場することになるのだ。

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