カテゴリー「息子関連」の87件の記事

2015年6月15日 (月)

神戸旅行2015 ①久しぶりの家族旅行

家族旅行中

東京方面から合流した息子、娘とわたしたち夫婦での家族旅行は本当に久しぶりです。

夫と息子、長年のこだわりがまるでなかったかのように、ずっと話しています。

よくあんなに話すことがあるわね、と娘と呆れるほどです。

嬉しいのは勿論ですが、男心って、わかりません。

2つの部屋の間にはドアがあり、行き来できます。

二人は時々来てなにか話して、また二人になり、話しています。

写真は、昨日の夕方、神戸オリエンタルホテルの最上階にあるフロントで撮りました。

神戸港が見えます。

大阪の伊丹空港からリムジンバスに乗って、神戸三宮で降りました。

伊丹空港でリムジンバスの乗車券を自販機で買ったとき、自販機が「発見しました!」といったので、「えっ? なにを発見したの?」と思いましたが、「発券しました!」の聞き間違いでしょうか。

ホテルは旧居留地にあり、三宮、元町を散策するのに便利です。

神戸へ来るのは4度目ですが、いつも大阪のついでに寄るという感じで、前回は慌ただしく異人館めぐりをしました。

昨日は、神戸市立博物館に行き、プラハ国立美術工芸博物館所蔵「輝きの静と動ボヘミアン・グラス」を観ました。

中世に製造されたビーカーに描かれた絵は、タロットカードの絵を連想させました。

水晶のようにきらめくボヘミアン・グラス。水晶で製造されたものも展示されていました。

乳白色を帯びたものは陶磁器と間違いそうでしたが、柔らかな、透明感のある感じが陶磁器とは違っていました。

ウランを加えて製造されたものは、黄色い輝きを放っていました。

ウランといっても、人体に影響しない使われかたなんでしょうね。

伊万里焼の地図皿も観ました。天保期に製造された地図皿には、小人国、女護国という不思議な国が書かれていました。

そのような国があると、信じられていたのでしょうか。ファンタジーなんでしょうか。

沖縄が四国より大きく描かれ、北海道には松前しかないように描かれたりしています。

博物館を出たあと、UCCコーヒー博物館に行く予定でしたが、間に合いませんでした。

ゴンチャロフがプロデュースするカフェ「ガルニエ」でランチしました。

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2014年10月27日 (月)

息子のイタリア出張

1週間ほどイタリアのローマに出張していた息子が帰宅し、昨晩電話をかけてきた。

最初、娘と1時間半ほど話し、次にわたしとやはり1時間半ほど話した(話したいことを話すと、偶然それくらいの時間になった)。

息子は電話を切るときに今日も仕事といっていたので、休みとばかり思っていたわたしは疲れさせたのではないかと心配になったが、海外に出かけたときは大抵、疲れた様子がない。

普段は会社で遅くまで仕事をし、食事は外食かコンビニ弁当(近くにHotto Mottoなどのお弁当屋さんはない)、休日や有休を使って大学の研究室へ行くときなど――会社と大学の博士課程を掛け持ちしている――はいつも安ホテルに泊まっている息子には、むしろ海外出張のときに泊まる普通のシティホテルやその土地での食事、仕事のスケジュールなどが体に優しいものだからだろう。

息子が出かけたのは会社で行っている仕事の分野における専門家の集まりで、主催者はベルギーの会社。前に行ったオランダでの集まりもそうで、会場はヨーロッパを転々としているらしい。

前回アメリカのサンフランシスコに行ったときは大きな化学会で、そのとき息子はポスター発表をしたといっていた。

今回のローマの集まりでは、英語で30分ほど講演をしたそうだ。

主催者の手違いで、後から送った修正した資料ではなく、修正前のものを渡されたため、用意した講演内容に狂いが生じ、困ったそうだが、強気で押し通したとか。

ナポリの大学から学生が講演を聴きに来ていたという。主催した会社の社長が運動好きで、講演会、長い時間続くパーティー、行きたい人は夜でも行く観光……と出席した人々が例外なく夜更かしをした翌朝、マラソン大会を催した。

息子はとてもつき合いきれないと思い、出なかったそうだが、外人のスタミナには感心したようだ。息子の会社からは4人行ったそうだが、今回は割合に市内を観光をする時間がとれたらしい。

息子は、バチカン市国南東端にあるカトリック教会の総本山、サン・ピエトロ大聖堂に圧倒された。何より、天井の高さに圧倒された。どうやって造ったんだろうと思ったよ、としきりにいった。

システィーナ礼拝堂は壮麗だが、観光客がいなければ、教会らしい落ち着いた雰囲気だと思うと息子はいった。ミケランジェロの天井画は落ち着いた色調だったとか。

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(Photo:GianniG46)

あるテレビ番組で、ミケランジェロが足場を組み、仰向けになったまま、顔に滴り落ちてくる絵の具を物ともせず、描いている様子を再現していたわよ、とわたしはいった。

すると、息子は「足場を組むったってさ、物凄い高さなんだよ。見当もつかないな」といった。そういわれてみると、わたしも不思議になってくる。足場を組むだけでも、大変な作業だろう。高所恐怖症にはできない仕事に違いない。

コンビニ間隔で教会があり、そのどれもが凄かったという。ステンドグラスにも圧倒されたようだ。あそこに住んでいたら、嫌でもカトリック教徒にならざるをえないと思うよ、と息子はいった。

そういえば、もう何年も前の話になるが、義父母は義妹母子とドバイからクールーズの旅に出た。ローマにも行き、義父の感想は「寺ばかり」という一言だった。寺とは教会のことだろう。

カトリック教会だらけの国。イタリアの神秘主義者たちは、どう生きていたのだろう?と思ってしまう。

文盲であることが普通だった中世ヨーロッパの民衆には、キリスト教を理解するために絵が必要だった。

しかし、原田武著『異端カタリ派と転生』(人文書院、1992年)によると、北イタリアのロンバルディア地方、南フランスのラングドックで栄えた異端カタリ派は、土地の言葉に翻訳された独自の聖書を持ち、集会のたびに福音書が朗読、解説されたという。

カタリ派には裕福な知識層が多かったというのも頷ける。当時は相当なインテリでなければ、聖書を読むことすらできなかった。ましてや、継承した思想を育み、カトリックに対抗することなど、ひじょうに特異な事態で、そこからカタリ派の独自性と隠れた歴史が透けて見えてくる気がする。

息子の話を聴いていると、『不思議な接着剤1: 冒険前夜』の続きを書くためには、ローマぐらい見ておかなくては、と思ってしまう(まあ無理だけれど)。

トレビの泉は工事中だったそうだ。コロッセオ――円形競技場――は巨大。外から見ただけだそうだが、それだけでもローマ帝国の威容が伝わってきたよ、と息子は心底感嘆したようにいった。如何にも廃墟という感じらしいが……。

カラカラ浴場の遺構も、浴場という現代の概念を超えた壮大なものらしい。それでいて、残った壁画、床のタイルなど見ながら、そこに佇んでいると、どこかしら日本の浴場を連想させる雰囲気があって親しみが湧いたそうだ。ヤマザキマリのお風呂漫画『テルマエ・ロマエ』の着想をなるほど……と思わせるものがあったとか。

街のいたるところに遺跡が転がっているという。遺跡と共存というより、ローマ帝国時代の遺跡を邪魔しないように造られた街――と、息子には映った。遺跡が暮らしの邪魔になっているように見える場所もあったという。

遺跡を見て、息子は天井の高さにつくづく驚いたようで、「ああいったものを造るために、奴隷がずいぶん死んだだろうね」といった。教会でも天井の高さに驚いたようだから、ローマのいにしえの建築物の天井の高さは、よほど印象的なものなのだろう。そうした建築物と一体化した沢山の彫像も凄かったそうで。

遺跡の壁が印象的だったとも息子はいう。あるテレビ番組で、ローマ帝国の優れたコンクリート技術があのような壮大な建築を可能にしたといっていたわよ、とわたしは話した。

ローマを強いて日本に例えれば、雰囲気的には京都というより奈良。都会度は岡山市くらい。そこに教会と遺跡がいたるところにある風景を連想すればいいというが、わたしはうまく想像できなかった。

書店のことを尋ねると、日本のような大型書店は見かけなかった、日本の書店のように本がぎっしりとは置かれていないという印象を受けたようだ。展示品のような感じで、平台に表紙を見せておかれている本が多かったという。アメリカのサンフランシスコで行った書店も、日本のようにぎっしり――という本の置き方ではなかったとか。

食べ物では、パスタがとても美味しかったそうで。コーヒーは特に感動したとかはなく、スーパーで買い物をしたが、ちょっと食べる程度の物は日本の物のほうが好み。

ウェイターはユニーク、一般的な店員は無表情。観光客が多かったが、それを除けば、街中ではオバサンの比率が高い気がした。ドイツ――オランダに行ったときに、フランクフルトにちょっとだけ行った――のオバサンの静的な感じと比較すれば、動的、活動的な感じだったとか。

バイキングで何か取ろうとしたら、陽気なウェイターから「ホー! それとるの? 今日はせっかく新鮮な魚介類が入っているのに」と、英語と身振り手振りで海鮮パスタをすすめられ、それを食べたら、とても美味しかったという。

レストランでジュースを注文しようとしたら、そこでもウェイターから、「え、エスプレッソ?」といわれ、「うんにゃ、わしはジュースじゃ」というと、さらにウェイターが「ん、カプチーノだって?」としつこくアピールしたので、カプチーノにしたのだそうだ。

強引だけれど、愉快な感じで、少しも嫌みなところがなく、ジュースじゃなくて自慢のコーヒーを飲んでほしい!という精神に溢れていたから、それじゃカプチーノにしてみようかなと息子は思ったとか。

フェレロのチョコとパスタをお土産に買ってきてくれたそうだ。

フェレロはイタリア老舗チョコレートブランドで、息子のオランダ土産のフェレロにはメイド・イン・ドイツとあった。今度のはさすがにメイド・イン・イタリーかな。「ガーデン」という銀色の包みのココナッツクリームが香るチョコが忘れられなかったのだけれど、あれ、入っているかしら。

エスプレッソ専用のコーヒー豆を手にとり、お土産に追加を迷ったが、「道具がないと、これ使えないな」と思い、戻したそうで、それは残念。エスプレッソメーカーがうちには2台もあるのに……。その代わり、ホテルの部屋に備え付けられたインスタントコーヒーを数スティック入れてくれたそうだ。

ホテルにあった、そんなちょっとしたものを入れてくれるのは嬉しい。

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2014年8月22日 (金)

息子のサンフランシスコ土産

過日、サンフランシスコに出張した息子でしたが、お土産が届きました。

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オランダに出かけたときは、チョコレートと現地のお金を送ってくれたのですが、今回はギラデリのチョコレート2箱とビーフジャーキー、現地のお金を送ってくれました。

海外旅行をしたことのないわたしと娘には、外国のお金は珍しくて、見ているだけで楽しい気分になるのですね。

金色とオレンジ色の箱には、ソフトキャラメルが中に入ったミルクチョコレートが詰まっていました。ダイエット継続中のわたしですが、息子のお土産は例外的に自分に許可。

味がリンツのチョコレートに似ていると思い、ギラデリについてググってみると、ギラデリはアメリカの代表的な老舗チョコレートブランドで、「1852年、イタリアから来たドミンゴ・ギラデリ(Domingo Ghirardelli) によって創業され、現在はスイスに本社を置くリンツ&シュプルングリー社 (Lindt & Sprüngli) の子会社となっている」(ギラデリ:Wikipedia)とありました。

ギラデリのチョコレートは、サンフランシスコ土産の定番であるようです。

青いアソートのほうは、後日のお楽しみ!

ビーフジャーキーには煮付けにしたような味がついていました。

ギラデリのチョコレートはアマゾン、楽天に出ています。

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2014年8月15日 (金)

息子のサンフランシスコ小噺

海外旅行、海外滞在が全く珍しくなくなったこのごろなので、息子の海外出張の話は自分のための家族の記録。

オランダに出張したときも学会に行ったのかと思っていたのだが、それは学会ではなく、会社で行っている仕事の分野における専門家の集まりだったとか。200人くらい。

今回のサンフランシスコへの出張は上司とふたり、アメリカの大きな化学会に出るためで、その集まりでは出席者は1万人を超えていた。

息子が空港に降り立ったとき、アメリカのカラフルなお菓子によく使われている甘い香料が匂った気がした。坂の街で、日本ではあまり見かけない類いの植物が印象的だった。

街中のこぢんまりとしたレストランで、息子はステーキを注文した。レアかミディアムかと訊かれたけれど、息子はウェルダンと答えた。

実は息子が出発する前に、ステーキはミディアムでも血がにじむと思うから、ウェルダンにしたほうがいいと思うわよ――とわたしがメールしておいたので、それを思い出したらしい。

夫は、定年退職するまでいた会社でアメリカ研修に出かけ、ロサンゼルス、ダラス、アトランタへ行った。そのときステーキハウスで、ミディアムを注文した同僚たちを「こんな生々しい肉は無理」と泣かせた。

肉好きの夫はウェルダンで注文したデカいステーキを平らげただけでなく、同僚たちのステーキも平らげてやったと手柄のように話していた。

息子はしっかり焼いた肉でないと苦手なので、忠告しておいたのだった。ウェルダンでも赤い色は残っていたそうだが、シンプルに塩だけ振って食べる、厚みが半端でないステーキはまあまあ美味しかったそうだ。

ステーキの横に、巨大な蒸しジャガイモがごろんとのっかっており、このジャガイモを律儀に食べたらステーキが入らないと息子は思った。

オランダであった専門家の集まりでは男性は皆スーツ姿で、きちんとしたものだったそうだが、サンフランシスコの学会では相当にアバウトで、Tシャツ、ジーンズ姿は普通といってよいくらい。外の芝生でならまだしも、会場の床に平気で座ってパソコンを叩いている人たちも目についた。

ポスター発表は日本からポスターを持っていくのが大変だと息子は出発前にいっていたが、その肝心のポスター発表ではテーマ的なずれがあって、受けはもう一つだったと感じたそうだ。

学会では世界各国から人々がやってきていたが、街中で目についたのは中国人だった。中国人はかなり多い。

歩いていると、1ブロックごとに物乞いがいた。物乞いにはアジア人は見当たらず、黒人の物乞いがよく目についた。

アメリカでは通りが違うだけで怖いところだったりすると夫がいっていたので、ツアーで行くわけではない息子たちの旅がわたしは心配だった。幸い、10年ほどサンフランシスコにいた人が会社にいて、その人が危険な場所に印を入れた地図を作ってくれたのだそうだ。

オランダに行ったときはヨーロッパにいるという、これまでとは異なる感覚があった。日本がアメリカナイズされているせいか、サンフランシスでは日本にいるような感じがした。日本人も多かった。

ホテルは歴史のあるよいホテルだったが、オランダのホテルのほうが落ち着けた。尤も、普段、自分では――大学へ行くときなど――リーズナブルなビジネスホテルばかり利用している息子にとって、宿泊するホテルがシティホテルというだけでも嬉しいようだ。

オランダのホテルの話からはオランダの話になってしまった。息子にとっては、オランダのほうが印象深かった様子。秋に予定されているイタリアでの集まりも、専門家の集まりだそうだ。

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2014年8月10日 (日)

わたしもそろそろ脱皮を

最近、世界情勢が不穏で、謎の航空機事故が続いたりもしたので、息子の海外出張が心配になり、メールすると、電話がありました。

今度の会社の出張先はアメリカで開催される大きな化学学会で、息子は大学で研究した成果をポスター発表するようです。

海外出張は、オランダ・ドイツ、韓国に続いて3回目。秋にはイタリアが決まっているそうです。

「わたしも外国行きたいなあ」というと、「一度は行っておいたほうがいいよ。作品の世界も拡がるだろうし」と息子。

「そうするわよ。お金さえあればね」とわたし。「出してあげるよ、*くらいでよければ」と息子。わたしは一瞬フリーズしましたが、「もしそれ貰えたら、全部家計に入れてしまいそう。カツカツの暮らしじゃあね」というと、息子は冗談と思ったのか、楽しそうに笑いました。

ド・カツカツの暮らしを学生時代に経験している息子には、わたしのいうカツカツなんて、冗談にしか聴こえなくて当然です。

息子は時にO型(血液型)らしい大らかなことをいうときがあるのですが、わたしは聴かなかったことにしています。

いえ、過去には本気にして、これまで息子に甘えたこともありましたが(一緒に旅行したときに宿代を持って貰ったり)、大学の修士課程時代、アルバイトと学業でどれだけ大変だったか……、また会社に入ってからの仕事の大変さや、その仕事の合間を縫って大学の博士課程に通う努力を思えば、息子にはこれ以上、決して甘えるわけにはいかないと思います。

ストイックに目的を絞って生きている息子の厳しい――が、たまにズッコケたり、試練に遭ったりしながら脱皮していく生き方を見ると、胸のすく思いがします。

わたしもそろそろ脱皮したい、しっかりとした歴史小説を書くことで、それが果たせないかと自らに期待をかけてみようと思うのです。わたしも一度くらいは、子供たちに胸のすく思いをさせてみたいものです。

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2014年7月 6日 (日)

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』のルビ振り、ようやく終わり! 初の協同作業へ向けて始動。

『不思議な接着剤 (1) 冒険への道』のルビ振りがようやく終わりました。

ルビ振りやり出すと、創作が停滞する泥沼に填まるような気がしますが、電子出版であれ、子供向きの本を自分で出そうと思えば、避けられないことかと。

冒険物語、前夜――といった内容ですが、これを出してからでないと、初の歴史小説に本格的に取り組む覚悟ができませんでした。

表紙はyomiさんが提供してくださりそうなので、変更になりそうです。本当に提供していただけるとすれば、わたしにとっては初の協同作業ということになり、ちょっぴり興奮しています。

息子は夏にアメリカ、秋にイタリア出張が決定したとか。社会人として働きながら大学のドクターコースに籍を置いていますが(物理寄りの化学で、ちょっとマイナーな研究領域)、会社の仕事と大学での研究とがリンクするようになり、出張は学会に出るためだとか。

わたしもイタリアに行けたらなあ。そうしたら、『不思議な接着剤』(2)を書くための参考になりそうなんですが。息子は観光で行くわけではないので、どんな感想が聞けるかはわかりませんが、歴史好きの息子が捉えたイタリアの印象、少しは期待したくなります。

『不思議な接着剤』の陰の主役、時空を超えて商売の手を拡げるアルケミーグループが関係する物語はシリーズにしたいと考えている児童小説です。

『不思議な接着剤』(1)(2)は三人の子供たちが主人公。主人公の一人、瞳という少女の視点で描いた日記体児童小説を既に電子出版しています。『不思議な接着剤』とリンクする部分はあるのですが、カラーが異なります。

サンプルをダウンロードできます。
    ↓

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2014年4月17日 (木)

久しぶりに石の旅行か? 同じ市に住む女友達。息子の夏の出張。

 ウロカルン錠を飲み始めてから、結石が下りてくる気配がなくなっていたのだが、ここ3日、一昨日は左下腹、昨日は右脇腹、今日は左下腹と右脇腹に時々痛みが起きる。

 腎結石が下りてきたのではないかと思う。左と右が同時に痛くなったのは初めてだ。左の痛みは間違いない。右は何かが支えているような異物感で、もしかしたら違うのかもしれない。

 1錠を1日3回で予防できていた。一昨日から服用を倍(本来の飲み方)に増やしてみたが、だめだ。

 左は昨日は痛みが消えていたので、出てくれたと思っていた。同じ石が痛まない位置に入り込んでいたのか、新しいものなのかはわからない。これ以上痛むと困る。

 少し先の話になるが、同じ市に住む女友達と連休明けに会う約束をした。楽しみだ。石の痛みに邪魔されたくない。ウロカルンさえ飲んでおけばと思っていたのに。

 心房細動の予防で飲み始めたサンリズムは効いているからありがたいが、これもググるといつまで効いてくれるか心配になる。不整脈で体が弱り、2~3日に一度しか入浴できないくらいにまでなっていたのが、サンリズム効果で以来毎日入浴できている。

 姪の結婚式は真夏だから、心臓と結石、どちらも心配。留袖を着たいが、体への負担を考えると、洋装のほうがいい。妹は洋装でもいいのでは、といってくれる。最近は近い親戚でも洋装が増えているようで、妹もご主人のほうの姪御さんの結婚式では洋装にしたといっていたし……うーん。

 息子はその前日からアメリカの化学学会のため、1週間出かけるから無理だという。上司と一緒だそうだが、大学での研究と会社でやっていることとの2回、ポスター発表をするらしい。

 姪の結婚に招待されるわよ、とメールしたときは休日を利用して大学にいた。アメリカ全土から化学者が集まる大きな化学学会らしい。

 姪の結婚式で息子にも会えると思っていたので、ちょっぴり残念だ。が、大学の研究と会社の仕事がリンクするようになったことはよかったなあと思う。

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2014年2月 5日 (水)

初の動画体験でわかったこと。気温差でうなじの皮膚が。息子の出張予定、夫の親友の小説。

 初の動画体験は刺激的でした。まだわからないことも多いのですが、面白いですよ。楽器が弾けたり、朗読が上手だったりするかたは、YouTubeにどんどん動画をアップなさったらいいと思います。

 YouTubeに動画をアップする際に、Googleで登録した名前が表示されてしまうのは何とかならないだろうか、と思い、ググってみたところ、YouTube用のチャンネル登録ができることを知りました。

 以下の記事で詳しく説明されています。

 YouTubeでは動画を編集でき、BGMをつけたり、テキストを貼り付けたりできるようになっています。まだそういったことは試していないのですが、便利ですよね。

 動画のプライバシー設定は、公開、限定公開、非公開から選べます。

 文学に関する動画を作るといっても、どういったものを作るのかは漠然とした段階です。これまでに読んだ本の紹介、作品論、作家論、神秘主義思想と児童文学の関係といったことも私的講座風に論じてみたいと思っていますが、それには原稿が必要で、時間がかかかるでしょう。

 初の歴史小説を書く合間には、お試し二弾として自作キンドル本の宣伝動画など作ってみたい気がしています。第三弾として「おすすめ読書感想文によい本」を作りましょうか。

 ここからは私的メモです。

 昨夜、息子が電話してきて、娘と話し、わたしとも少し話しました。一昨年は出張でオランダとドイツ、昨年は韓国に出かけましたが、今年はアメリカのサンフランシスコに行くかもしれないといっていました。

 息子はまだ大学の博士課程に席を置いたままですが、仕事と大学でやっていることがリンクするようになり、サンフランシスコにも会社の出張で学会に出席するためだそうですが、大学でやっていることの参考にするためでもあるとか。

 就職せずに博士課程に進み、ポスドクになるか、会社に就職して社会人ドクターになるかで迷った息子は後者の道を選択しました。大学の研究とリンクする仕事を希望したため、就職活動は困難を極めました。

 幸運にも希望するような部署のある会社に就職ができたと思ったら、不運なことに、何と入社した日にその部署がほぼ潰されてしまったことを知ったのでした。怒った息子。一時は退職も考えたようです。

 その部署は本当に潰されてしまったのではなく、細々と続いていました。息子は別の部署で仕事をしていました。その別の部署にようやく慣れ、楽しくなってきた頃に、昨年だったでしょうか、ほぼ潰れていた部署が完全復活を果たし、そこへ配属されることになったのでした。

 海外は安全でないところも多いので、海外出張と聞くと心配になりますが、まあ今は日本にいても本当に安全とはいえなくなってきた気がします。

 夫は流通業に勤務していた頃、研修旅行でアメリカのダラス、ロサンジェルス、アトランタに行っています。郊外型のホームセンターを視察するのが目的でした。あの頃のアメリカは力がありましたね。

 身近な人間から旅行の話を根掘り葉掘り聞くのはわたしの趣味です。

 自身が一度も海外旅行の経験がないので。ホロスコープには海外との縁が出ているのになあと思ってしまいます。キンドル本はアメリカの自己出版サービス(アマゾンKDP)を利用させていただいて海外でも売っているわけですから、これも海外との縁があるといえないこともないでしょうが、何だか寂しいわね、これっぽちの縁じゃ。

 サイト→キンドル本→YouTubeと興味が拡散していきます。こうした流行に乗りつつもマイペースで創作を進めなければと思っています。キンドル本にする予定の『気まぐれに芥川賞作品を読む ①2007 - 2012』で、なぜか引っかかっています。

 そういえば、夫の中学時代からの親友が小説を書いているそうです。とても真面目な、男らしい、優しい人で、夫に泣かされたとき、彼が今度何かあれば自分のところに来ていいといってくださいました。夫は昔から彼を尊敬していて、同学年だったにも拘わらず、兄のような存在です。

 彼は✕1なのですが、その原因は仕事が忙しすぎる彼を奥さんが浮気をしているのだと誤解したことだったと夫から聞かされました。北九州の家を売りに出していたのが売れ、今は博多で息子さんとマンション暮らしをなさっています。

 定年後に始めた畑仕事がマンション暮らしになってからはできなくなったので、小説を書き始めたのだそうです。読みたくてたまりません。送っていただくよう、夫を急かしています。もう4篇も完成作があるのだそうです。

 河津さんの小説のことも忘れたわけではありませんが、今回送っていただいた本の内容はわたしには理解しにくいもので、解釈に迷いがあり、感想を書かないままになってしまっているのは申し訳ないことです。

 気温差の激しいここ数日です。わたしはうなじの皮膚がまずいことになっています。それに、これは気温差とは関係ないでしょうが、ウロカルン錠を3日飲みやめると、結石と思しき腹痛が起きるのには悩まされています。

 あなた様も、どうかご自愛くださいませ。

 東京都知事選、どうなるのでしょうね。

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2014年1月30日 (木)

初の歴史小説 (25)萬子媛の子供たち。90歳過ぎて挙兵した龍造寺家兼。

 昨夜、息子と電話で話したときに、萬子媛の話題になった。

 息子は洋の東西を問わず、歴史好きで、漢文なども若いわりには好きなほうだ。

 何しろ息子は職場の自分のスペースの壁に、漢文を貼り付けているくらいだから。同僚からは「おまえ、それ、呪文みたいで不気味だからやめろ」といわれ、上司は「ほお、漢文か。なつかしいな」といって通り過ぎたとか。

 で、郷土史家から送っていただいた資料をコピーして息子にも送っていた。郷土史家が古文書からコピーされた漢文の文書などを見てみたいのではないかと思ったのだった。

 息子は全部に目を通したようだった。

 萬子媛が37歳で結婚し、39歳、42歳で出産したということについて、郷土史家は「如何にも高齢出産のような気がしています。39歳での初産にちょっと、違和感がなくもありません」と疑問を呈しておられるが、息子もそう思ったという。

 萬子媛の実子とされている男子2人は萬子媛が産んだ子ではないのではないか、と息子はいう。

 直條が著述したとされる「祐徳開山瑞顔大師行業記」に「大師生子男二人長曰文丸法号淡月幽照次曰式部名朝清法号仁屋宗寛とあるので、それを信じるしかないとわたしは思うといった。 

 ただ、江戸時代には女性の出戻りや再婚は珍しくなかったというから、鍋島直朝とは再婚で、もしかしたら、最初の結婚のときに子を産んだ可能性もあるとわたしは考えたりした。

 もし再婚であれば、格式の高い家に生まれた萬子媛が肥前鹿島鍋島藩主に継室として嫁いだというのも頷ける気がする――息子もわたしもそう考えた。勿論、これは憶測の域を出ない。

 小説としてフィクションをかなり入れるとすれば、この辺り、再婚だったという風に持っていくかもしれない。

 直朝との結婚後に萬子媛が産んだ最初の子、文丸は寛文4年に生まれ、10歳で亡くなった。

 郷土史家が「直朝公御年譜」から抜き書きし、解説してくださったところによると、寛文12年(1672年)、文丸は船で上京し、祖父花山院定好に初めて会っている。直朝の参勤交代の帰国を待って、京都から淀川を下って大阪に出、そこから同船して帰郷した。

 そして、延宝元年7月25日(1673年)に亡くなったのだった。文丸の死に先立ち、側室の子中将が同年2月5日に、花山院定好が同年7月4日に亡くなっている。

 文丸がおじいちゃん(萬子媛の父)に会えたことを、萬子媛は悦んだだろう。それなのに、翌年、二人共亡くなってしまった……。

 萬子媛の2番目の子、式部朝清は、寛文7年8月29日(1667年)に生まれた。佐賀藩2代藩主鍋島光茂に仕え、佐賀に住んだ。光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。親類同格とは佐賀藩主の格付けで、三家、親類、親類同格、家老、着座、侍の順。

 朝清が破格の待遇を受けたことに、萬子媛は誇らしい思いだったろう。光茂の信頼が厚かったというが、破格の待遇を受けた理由は朝清の優秀さが買われたのだろうか。萬子媛の実家の格式の高さも影響しているのだろうか。

 しかし、その朝清は貞享4年9月20日(1687年)、21歳で急死した。

 朝清は、萬子媛の義理の息子に当たる承応元年3月4日(1652年)生まれの直孝(断橋和尚)とは15歳、明暦元年2月2日(1655年)生まれの直條とは12歳の年齢差があった。義理の息子たちにとって、朝清は可愛い義理の弟という感じだったのだろうか。

 萬子媛にとっての義理の息子たちを産んだ彦千代は21歳で直朝に嫁ぎ、万治3年7月23日(1660年)、32歳で亡くなっている。子供たち――直孝、直條――は8歳と5歳である。心残りであっただろう。

 その彦千代の母は、龍造寺政家の娘だった。

 高齢で龍造寺氏を再興した龍造寺家兼の孫が龍造寺隆信。その子が政家、江上家種(江上武種の養子)、後藤家信、玉鶴姫(蒲池鎮漣室)である。

 少弐氏の家臣によって子、孫を謀殺されながらも龍造寺氏を再興した家兼は90歳を超えていたというから、凄い。息子がその話に詳しく、心底驚嘆したように話し、わたしも家兼のバイタリティーと執念に圧倒された。

「90過ぎて子も孫もことごとく殺されてしまったりすると、それだけでガックリきてポックリ逝くんじゃない? 90過ぎて兵を挙げるなんて、普通、ありえないよ」と息子。

 家兼は「曾孫の龍造寺胤信を還俗させ、後事を託すと、間もなく波乱に富んだ93年の人生を安らかに終えた」という(参考⇒龍造寺家兼:Wikipedia)。

 曾孫胤信は、お寺に入れられていて、助かったのだった。が、その後、政家とその子の高房の代で、大名としての龍造寺宗家は断絶する。

 ちなみに――これもWikipediaで閲覧したことだが――幻想小説家の夢野久作は龍造寺隆信の子孫だそうだ。夢野久作の父、杉山茂丸はかなりの大物(参考⇒杉山茂丸:Wikipedia)。わたしの母方の祖母の家系は江上氏と関係があるようなので、祖先が夢野久作の祖先と人間関係があったような感じがあって嬉しい(?)。

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2013年12月31日 (火)

ヤッター、苺半額♪

 日田市で行われた高校の同窓会に出席したあとホテルにいた息子と、深夜、午後4時まで、電話で話していた。

 酔っ払っていると、何だか可愛い。

 わたしが郷土史家から提供していただいた古文書のコピーに息子は興味を示したので、送った。息子なら、こうしたものを楽しんでくれるのではないかと思う。

 妹一家と新年に会う予定だったが、都合が合わず、この計画は残念ながら見送りとなった。

 妹たちが来たときに作るつもりだったオープンサンドの一部を、今作ることにした(作っている途中で、この記事のアップ)。年越し蕎麦は夫が茹でてくれるそうだ。

 フランスパンの薄切りに練乳を引いて苺をのせたいので、娘に頼んだところ、他の用事でデパートに寄った娘が地下に行くと、そこでは馬鹿高かったそうだ。

 スーパーに回ってくれた娘から電話があり、値段を訊くと、やはり普段と比べると高い。ちょうどそんな話をしているときに、お店の人が苺売り場にやって来たらしい。「あ、今半額になったよ」と娘。わあい。

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 久しぶりに使うコンビーフ缶、缶ではなくなっていて、びっくり。

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 ちなみに、娘はコミックを夫に手伝って貰って130冊ものコミックをブックオフに売りに行ったのだった。それで2,500円ほどだったとか。ちなみに娘のコミックはまだまだ唸るほどある。

 あと1回、今年中に記事の更新、できるかしら。

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