カテゴリー「山岸凉子」の13件の記事

2016年12月27日 (火)

正月に読む楽しみ、山岸先生の『『レベレーション』第2巻、政治情報誌『ジャパニズム34』。

まだこれからの年賀状。アマゾンに注文していた互換インクカートリッジは届きました。まだ試してはいません。馬鹿に大きな箱でした……

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今日は窓拭きと家具磨きで力尽きました。何とか注連縄を飾り終えました。

昨日は家族で、ちょっとした家具を買いにホームセンターへ出かけました。夫の部屋に引き出しが何段かついたチェストを買うのが目的でしたが、わたしがパソコンをするときに使っている椅子も、手頃なのがあれば、買い替えたいと思いました。

この街に引っ越してきてから買った椅子です。その頃はパソコンを娘と共有していました。パソコンデスクは引っ越し前から使っていたものがありました。

椅子を買う必要があり、安いのでいいから椅子を買ってきて、とまだ定年前でホームセンター勤務だった夫に頼むと、一番安かったという2,000円の椅子を買ってきました。高いのを買ってきて、といえば、夫はそうしたでしょう。

その2,000円の椅子は娘には座り心地が悪かったみたいで、ドーナツ型のクッションをお尻の下に敷いたりしていました。わたしはお尻の筋肉が丈夫なのか、支障なくその椅子を使っていました。

共有していたパソコンがだめになり、各自のノートパソコンを持つようになったとき、娘はパソコンデスクと椅子をわたし専用にしていいといいました。椅子が嫌なようでした。そのとき、椅子を買い替えようかと娘と話したのに、なぜか買い替えないままになっていました。

おそらく娘がその椅子を使わなくなった一方では、わたしは問題なく使えていたためでしょう。

創作に没頭して徹夜したりしたときはお尻の筋肉が強張った感じがしましたが、それが椅子のせいだとは思いませんでした。

ところが椅子が破れたとき、板と布の間に挟まれたスポンジのあまりの薄さに、娘のお尻がこれに耐えられなかったのも、さしものわたしのお尻にも徹夜すると問題が生じたのもなるほど……と思いました。

それに、この椅子にはちょっと危険なところがあったのです。背もたれに体をあずけてしまうと、ひっくり返ってしまうことがあるのですね。幸い運動神経がよかったために(?)、難を逃れたことが何回かありました。

で、今度はもう少し座り心地のよい椅子にしました。ついでに、3,000円くらいのブックカートも買いました。執筆中の資料をまとめて置ける台がほしかったのです。

ブックカートは移動させられるので、便利そうです。ただ、狭いので、邪魔になりそうな気もします。わたしが使わなくても、誰かが使うでしょう。

椅子とブックカート……これで、これまでとは違って、名作が書けるかもしれません!

ホームセンターで担当してくれた人と夫は、飲み仲間でした。その人が大阪に転勤になったため、その集まりはなくなったのです。が、その人は大阪に馴染めなくて、こちらに転勤願いを出して戻ってきました。

安くしていただいたお陰で、「かもめのジョナサン」へ行けました。

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お正月に読むつもりで、山岸先生の『レベレーション(啓示)』第2巻と政治情報雑誌『ジャパニズム』を購入しました。

山岸先生のレベレーションはどう展開するのか、ドキドキします。

レベレーション(啓示)(2) (モーニング KC) コミック
山岸 凉子 (著)
出版社: 講談社 (2016/12/22)

余命ブログで知った余命さんの対談と漫画が掲載されている『ジャパニズム34』。新連載の山野車輸『余命三年時事漫画』だけ先に読みました。

前半の余命一族に起きた出来事の描写は凄惨です。後半の現代になったところで、パイプ加えて登場する三代目余命さんのまあカッコいいこと! 興味深い内容で、続きが待ち遠しい。

余命ブログが削除されてしまったときのことは、忘れられません。

『ジャパニズム34』はアマゾンの売れ筋ランキングで、社会・政治カテゴリーの上位につけています。おや、動画で有名なKAZUYAくんの記事もあるようですね。

ジャパニズム34
出版社: 青林堂 (2016/12/10)

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2015年1月 3日 (土)

山岸凉子「レベレーション―啓示―」第1回を読んで

週刊 モーニング 2015年 1/15号 [雑誌]
出版社: 講談社; 週刊版 (2014/12/25)

どうです、このジャンヌ・ダルク。力のこもった表紙絵からも、山岸凉子先生の復活が充分に感じられるというものです。

「テレプシコーラ」終了後、もう一つパッとしなかった山岸先生。美内すずえ先生の「ガラスの仮面」は一向に完結せず、40年ぶりに出た池田理代子先生の「ベルサイユのばら」新刊のオスカルの顔は変。

一世を風靡した先生方も、さすがに、もうお年というべきなのだろうか……と淋しく思っていたところへ、山岸先生、新連載の朗報。そして、このジャンヌ・ダルク。いや、山岸先生はまだいける!と確信した次第。

以下、ネタバレあり、注意!

第1回では、まず刑場に曳かれていくジャンヌの姿がクローズアップされ、そこから場面が変わって、13歳のジャンヌが暮らす村の様子、時代背景が描かれます。

勘が鋭そうなジャンヌは、結婚した姉カトリーヌが一見軟弱そうな夫に暴力をふるわれているのではないかと案じますが、そんな折、教会の方から光が射し、ジャンヌが初めての啓示を享ける、ある絶頂感が描かれます。

完全なネタバレになってしまうので、最終ページに書かれたジャンヌの言葉は書きませんが、この言葉は読むに値します。光――啓示――の性質がどんなものであったかを、山岸凉子が科学風に分析しているのです。

ジャンヌは初めて浴びた超自然的な、自分を招いた光のことを刑場に曳かれながら思い出しています。

思い出しているジャンヌと、思い出されているジャンヌの表情の違い……。

思い出しているジャンヌの表情は、いわゆる世に流布されている聖女ジャンヌ像とは違う、すさんだ、痛ましい内面をさらけ出しています。

山岸凉子がどんなジャンヌ像を創り上げようとしているのか、興味深いところです。

これはレビューから離れますが、わたしには昔からキリスト教について個人的に抱いている疑問があって、それは殉教という概念です。

神(または、それに準ずる聖なる存在)がある人物にあることをするように命じ(あるいは懇願し)、命令(懇願)に従ってそれを行えば、天国のご褒美が与えられる――しかし、その前に受難があるという、このパターンがわたしにはどうしてもわからないのですね。

他の宗教者にも、信ずるところに命を賭け、結果的にそれで命を落とすことがかつてあっただろうし、今もあるでしょう。現に、チベット自治区での出来事として、中国の圧政に対して抗議の焼身自殺を行う僧侶たちのことが報道されることがあります。

そうした僧侶たちの行為を、受難とは呼ばない気がします。あくまで、彼らが自らの信念と責任に基づいて行う抗議の自殺なのではないでしょうか。

自殺という手段がよいものではないことは、僧侶自らわかってのことでしょう。この世への絶望感から追い詰められた僧侶たちは、自らを犠牲にし、つかのま燃え盛る松明となることで人々の良識に訴えかけようとするのでしょうか。

それは、あまりにも痛ましく、怖ろしい、宗教者の純粋すぎる愚行と映ります。

ルルドで聖母体験をしたベルナデッタを描いたルネ・ローランサン『ベルナデッタ』(ミルサン&五十嵐茂雄共訳、ドン・ボスコ社、1982年3版)はわたしの愛読書ですが、拷問や刑死ではなかったとはいえ、死に至るまでの凄まじいばかりのベルナデッタの病苦はわたしには怖ろしいと感じられ、上記パターンに当てはまるような気がします。

なぜ愛読書かというと、あちこちに挟まれたベルナデッタの写真の顔と、素朴でありながら率直で理知的、時にユーモアを湛えている言葉が好きだからです。

ジャンヌ・ダルクについて書かれた本もこれまでに数冊読みましたが、ジャンヌがいったとされる言葉には、ベルナデッタとの共通点が見られるように思いました。

すなわち素朴さ(飾り気のなさ)、率直、理知的、機知という点です。

1412年生まれのジャンヌは、読み書きの教育を受けていなかったようです。日本では室町時代です。1844年生まれのベルナデッタは、学校や修道院などで教育を受けました。日本では江戸幕府の第12代征夷大将軍、徳川家慶の時代です。

聖なる存在に接していながら(大天使ミシェル、聖カトリーヌ、聖マルグリットの姿を幻視し、「声」を聴いたとされます)、否、接したゆえにとさえ思われるジャンヌの受難。

利用され、捨てられる。

イエスでさえ十字架上で、今際のきわに「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と叫ばれたとマタイ、マルコは伝えています。

神秘主義的(神智学的)に解釈すると、人間であれば、どんなにできた人物であれ、高級な界から低級な界を内的に行き来しながら生きています。その七つの界に対応できる七つの本質が、人間には備わっているといわれます。

イエス、ジャンヌ、ベルナデッタにしても、この世に生きていたからには同じで、下の界に意識があるときほど、人間の内なる神性は弱められ、苦しむでしょう。十字架上のイエスはその弱い人間としての素顔をさらけ出したのではないかと考えられます。

その逆に、高級我としての内なる人間は聖なる存在と同格と考えられるので、依頼されたときは同格の立場だったともいえるのではないでしょうか。

が、何にせよ、キリスト教の神、聖なる存在がわたしには度を超えて強制的、お節介(?)に感じられてしまうのですね。

召命され、目的が達せられたあとに無残に捨てられるという、この現象は何なのだろう、とずっと疑問に思ってきました。

レビューが横道に逸れてしまいましたが、その解明の手がかりを「レベレーション」にちょっと期待したくなったわたしです。

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2011年6月10日 (金)

気になる『ケサラン・パサラン』第5回、欄外のコメント

 『テレプシコーラ』の再開が待たれる山岸凉子先生だが、現在連載中の『ケサラン・パサラン』の欄外に気になる政治コメントがあった。

 『パエトーン』[無料配信中⇒http://www.usio.co.jp/html/paetone/index.htmlなどで、原発の怖ろしさ、問題点を真摯に追及してきた山岸先生であるから、脱原発の必要性を訴えられるのは当然だろうが、ただ、そのことと菅政権支持とは別問題であると思う。

“浜岡原発停止は英断です! 菅首相”

 うーん、わたしは山岸先生の大ファンだし、計画的脱原発は必要だと考えている一人だが、一緒にエールを送る気にはなれない。

 以下は、国会中継を観たあとにわたしが書いた記事からの抜粋。

2011年5月13日 (金)
本日の国会中継(参院予算委):自民篇
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/05/post-0fb4.html

 麻生政権はIAEAの勧告を受けて福島第一原発1号機のメンテナンス費用を21年度予算に盛り込んだ。しかし、民主政権に変わって、このメンテナンス費用は事業仕分けで削減され、菅内閣はIAEAの勧告を無視してメンテナンスしないまま、今年2月に使用延長の承認をした。衛藤氏はこのことにも触れていた。

 また、浜岡原発の停止について、菅総理の判断が正しいかどうかはわからないが、そのやりかたには問題があると指摘していた。

 川口順子氏は、内閣は法律に基づいて仕事を行うものなのに、「法律に基づかないで、いろんなことをやられる菅総理」と指摘。

 上に抜粋したことからもわかるように、菅政権がIAEAの勧告を無視して福島第一原発1号機のメンテナンスをせずに使用延長の承認をしたことと浜岡原発の停止命令とは、表裏一体の言行なのだ。

 何より、川口氏がいったような「法律に基づかないで、いろんなことをやられる菅総理」の問題は、民主主義の根幹に関わる重大問題だ。

 菅首相には政治家としての基本的認識が欠如している、そのことが問題なのだ。菅首相自身が、いつ暴走するかわからない原発をシンボライズしているようにすらわたしには想える。

 かつて新自由主義政策を突貫工事で推し進めた自民党の小泉元首相が、菅首相と似た独断的政治を行った。どんな政党であろうと、こうした独裁者が出てきたのでは、おかしくなってしまう。明日が予測不可能なものとなって、国は方向性を見失う。

 それにしても、今回の原発事故で、原発が悪魔の産物とさえ思えてきて、そんな側面があることは否定できない事実だが、しかし一方では、産業革命以降、エネルギー源として化石燃料が重視され、戦争の原因ともなってきたため、先進国が勇み足で原発推進に傾いたことは、愚かながら歴史の流れだったとも思える。

 炭鉱労働者の悲劇はよく知られているところだ。イラン・イラク戦争以前から中東情勢は不安定で、タンカーの乗り組み員だった父はそれこそ命がけで石油をとりに行っていた時期があった(それでなくとも航海には大きな危険がつきまとう)。今後、原発に依存できないとなると、中東情勢がますます気にかかるようになるだろう。このところ一気に注目を集め、わたしを含め多くの人々に薔薇色の夢を描かせている太陽光発電だが、この分野はまだこれからで、いずれにしてもエネルギー問題には慎重さと計画性が要求されるところだ。

 コメントが気になったので、こんなワタクシ的記事を書いてしまったが、上にリンクさせていただいた『パエトーン』という作品では、原発の問題点がよく整理されているので、おすすめ。


当ブログにおける関連記事

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2011年2月 8日 (火)

山岸凉子の新連載『ケサラン・パサラン』がスタート!

 雑誌「ダ・ヴィンチ」3月号から、山岸凉子先生の新連載『ケサラン・パサラン』がスタートした。

 読みながら、わくわくする気持ちと、どんな作風なのかを探る気持ちとが交錯する。家を買うという事情が描かれる初回。冒頭の場面のあの文章の魔法(※ネタバレになるので、あえて字を薄くしておこう)という言葉からすると、これはもしかしたら『妖精王』の系譜か?

 軽みのある心地よいムードが漂っているから、どオカルト系ではなさそうな感じがするが、軽やかなムードが暗転するスリリングな展開も多いから、まだわからない。ただ、『テレプシコーラ』のような求道物ではなさそうだ。

 『テレプシコーラ』といえば、2月号で『テレプシコーラ』第2部完結記念インタビューと銘打たれた山岸先生へのロングインタビューが掲載されていた。

 その内容は、山岸先生のような輝かしいプロ中のプロと、わたしのような浮かばれないアマチュアの物書きという違いはあっても、同じ創作する人間として、共感をそそられ、勉強になる言葉が散りばめられた、お買い得な号だった。その中から以下に抜粋。

「六花ちゃんが一番脆弱な性格なのは結局、作者のわたしの性格です。情けない(苦笑)。バレリーナというのは本当は勝ち続けていくのが使命なので、勝ち続けること=ギスギスすることだとは思わないのです。どちらかというと負けた人の方がギスギスになっちゃうものなんです。これでいいんだろうかと振り返るのは負けた人で、勝ち続けている人は一度も振り返らない。そこが凄いというか大変なところで、そういう世界では六花ちゃんのような子は一見勝ち目はないように見える。でもネガティブな人間こそがものを創るのです。落ち込んだ時こそ人はものを発想するといいます。……」

「六花ちゃんには何もないところからものを作り出せるという武器があった。だから誰かと競い合って勝ち抜いていく必要がないのです、本当は。そして、そういう人が一番強い」 

 これはまさに創作の奥義だ。何て、たおやか、かつ力強い言葉なのだろう。これは老子哲学に通じる珠玉の言葉だ。

 それにしても、六花ちゃんが山岸先生だとは知らなかった! むしろ、それとは対極に位置するようなクールな御方かと思っていた。何だか嬉しくなってしまうと共に、ああでもそうでなければ、あのおいらかで、しなやかな六花を誕生させることはできなかっただろう……と深々と納得した。ならば、先生は六花に最高の想いを籠められたのに違いない。

 さらに嬉しいことには、『テレプシコーラ』第3部が期待できそうなお話まで飛び出しているではないか!

 『ケサラン・パサラン』を楽しませていただきながら、『テレプシコーラ』第3部のスタートを、それとなく待ちたい。

関連記事:

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2010年10月11日 (月)

お知らせ:音楽専用ブログ開設。ここ数日アクセスの多いノーベル文学賞、山岸凉子関係の記事について。

新しいサイトのお知らせです(また増やしてしまいました)。

眠られぬ夜に
http://noixdecoco.seesaa.net/
音楽ブログ。You Tubeから動画をお借りし、好きな曲について語ります。

You Tubeから動画をお借りして、ついべたべたとブログに貼り付けてしまいましたが、こんなことを続けているとブログが重くなって開きにくくなる心配がありますので、それ専用のブログを作ることにしました。

うっかり、そのうち規約違反で削除対象になるような動画を貼りつけてしまい、アクセスできなくなるものも出て来るかもしれませんが、なるべく時間の経過したものをお借りして予防したいと思っています。

これまでに紹介した曲は以下。紹介といっても、今のところ貼り付けているだけですが。そのうち、(音楽の専門的なことはわからないので)作曲家や演奏家の人生とか時代背景とか及ぼした影響などといった、別の角度から気が向いたときに調べて記せればと思っています(願望)。

カーペンターズ「Yesterday Once More」
http://noixdecoco.seesaa.net/article/165312408.html

鮫島有美子「小さな木の実」
http://noixdecoco.seesaa.net/article/165314436.html

パッヘルベル「カノン」、ヘンデル「オンブラ・マイ・フ」、バッハ「主よ人の望みの喜びよ」
http://noixdecoco.seesaa.net/article/165331798.html

ヴィヴァルディ「ラ・フォリア」
http://noixdecoco.seesaa.net/article/165333010.html

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

ところで、ここ数日、ノーベル文学賞、山岸凉子関係の検索でお見えになるかたが多いです。以下の記事をご参照ください。

2010年10月 7日 (木)
ノーベル文学賞は、ペルーの作家マリオ・バルガス・リョサ氏
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/10/post-bdc8.html

2010年9月10日 (金)
山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/09/post-afa7.html

バルガス・リョサの著書は未読なので、いずれ読んで感想を書きたいと思っています。『緑の家』を購入済みですが、最初に、ゴーギャンと関係のありそうな『楽園への道』を図書館から借りるなり購入するなりして読んでみたいと考えています。9日付、朝日新聞朝刊の文化欄に野谷文昭氏の「ノーベル文学賞バルガスリョサ氏の魅力」と題された、わかりやすい紹介文が掲載されていました。 

山岸凉子『テレプシコーラ』の番外編は読みましたが、特につけ加えるべき点はないと思えましたので、新しい記事は予定していません。最終回を読んで時間が経ってみると、やはり、尻すぼみとなって終わってしまった感は拭えず、ファンの一人として大変惜しい気がしています。それでも、よい作品でしたね。存分に楽しませていただきました。山岸先生、ありがとうございました

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2010年9月10日 (金)

山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想

 以下、ネタバレを含みます。 

 テレプシコーラ第2部が、第30回で最終回を迎えた。

 母親がバレエ教室を主宰する家庭に育った六花は、幼い頃から姉の千花と一緒にバレエの練習に励んできた。

 第1部は、自身のコンプレックスと姉の死という二つの人生の山を乗り越えた六花が、コリオグラファー(振付家)に対する適性を自覚したところで終わっていた。第2部は、高校1年――16歳――になった六花がローザンヌ国際バレエコンクールに参加し、風邪のために途中棄権を余儀なくされたにも拘らず、振付奨励賞を受賞、六花にその賞を出したN氏のHバレエ学校へ入学しようとするところで終わった。

 第1部が六花のコリオグラファーへの予感を描いた激動編だったとすれば、第2部はコリオグラファーへの門出を描いた飛翔編だったとでもいおうか……。

 『アラベスク』連載時にロマン主義的だった若き山岸凉子は、年月を経て開始された『テレプシコーラ』連載時には実証主義的となっていて、第1部には時事問題がふんだんに盛られていた。

 その一つが児童ポルノの問題で、須藤空美はその問題と絡んで出てきた少女だった。第2部に登場したローラ・チャンは、中国系アメリカ人ということになっているが、第1部で一家蒸発して姿をくらました空美を連想させる点が多々あった。

 第2部の主役ははたして風邪だろうか――と思えたほど、ローザンヌ国際バレエコンクールへ日本から向かった一行のうち、行動を共にする3人は、茜、六花、管野先生の順に風邪に見舞われた。

 しかし、それが第1部のような悲劇に重なることはなく、ストーリーはさして緩急をつけないまま、もたもたと進行し、そのもたつき加減がどこかユーモラスですらあった。

 結局、第2部では舞台がローザンヌ国際バレエコンクールに限定され、六花のコリオグラファーへの道筋をつけることにのみ目的が絞られていたかのようにして終わった。

 緊張感に満ち、危険を孕んで、読者に息つく間も与えなかった第1部から、第2部へと移行したとたんに、風向きが変わったといいたくなるくらいにムードが一変していたのだ。

 第1部で張られていた様々な伏線は放置され、ローラが須藤空美だったのかどうかさえ、杳として知れないままだった。

 ローラはゴールドメダルを獲得し、パリ・オペラ座バレエ学校への入学を選択する。彼女は将来、振付家となった六花とコンビを組んで活躍するバレリーナとなるだろうことが充分予想されはするのだが、空美か否かという真相は藪の中だ。

 第1部で前面に出て死闘を繰り広げた、強烈な個性と競争力を秘めた登場人物たちは第2部では背景へと退けられ、ユニークでどこかおっとりとした3人――六花、管野先生、茜――にスポットライトが当てられていた。してみると、彼女たちこそが「春の海ひねもすのたりのたりかな」ともいうべきムードを招いていたのだろう。

 なるほど、そのムードはローラの過去を暴き立てることとは相容れない。

 一読直後は、もし『テレプシコーラ』が第2部で完結を見たのだとすれば、竜頭蛇尾の感は否めないと思ったのだが、いくらか時間が経ってみると、第2部のよさが感じられてきた。

 弱肉強食ともいえるような冷厳な世界から、ケ・セラ・セラとでもいいたげな世界へ連れ出されて、この世というものの裏表を見せられたかのようだ。不思議な味わいの第2部だった。

 そして、第2部は、まぎれもなく第1部が産み落とした子供と読める。

 第1部では、ともすれば、自殺した姉の千花と一緒に宿命の渦へと呑み込まれそうだった六花は、試練のなかで力をつけ、自分の人生を支配できるまでに成長していたのだ。他者の思惑の錯綜する混沌とした世界は、六花の柔軟な意識がおいらかに包み込む世界へと変容していたわけなのだった。

 『アラベスク』第1部・第2部、『テレプシコーラ』第1部・第2へと続いてきた山岸凉子のバレエ漫画は、各部それぞれが趣の異なる花を咲かせて見事だったと思う。

関連記事

2006年10月19日 (木)
『テレプシコーラ』の千花から連想した『アルゴノオト』の井亀あおい
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/10/post_f4b1.html

2007年11月16日 (金)
いよいよ山岸凉子『テレプシコーラ』第2部が始まった!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/11/post_78c1.html

2008年8月10日 (日)
山岸凉子『テレプシコーラ』第2部・第9回を読んで
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/08/post_f2a9.html

2006年4月25日 (火)
レニングラード国立バレエ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/04/post_b8af.html

2010年5月 1日 (土)
シネマ『パリ・オペラ座のすべて』を観て~芸術に関する国家的制度の違いに目から鱗
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-c3d8.html

2011年2月 8日 (火)
山岸凉子の新連載『ケサラン・パサラン』がスタート!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/02/post-ac34.html

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2009年8月30日 (日)

『ガラスの仮面 44』を読んで

「ガラスの仮面 44<br />
 」を読んで

 花とゆめCOMICS『ガラスの仮面 44』(美内すずえ著、白泉社)を、一昨日娘が買ってきました。

 わあ、と喜びながらも、一昨日は読みませんでした。当の娘も。

「今日はだめ、受け付けない」と、わたしたちはいい、揃って次の日の夜に読んだのでした。

 面白いことは読む前からわかりきったことですが、絵柄も内容も濃いので、わたしたちには心の準備が必要だったのです。

 で、昨夜読んだ44は、そのうち、こういうことが起きるのでは……とわたしが想像したような展開となっていました。ドラマが動いたということですね。

 ネタバレになるので、それ以上は書きませんが、どうでもいい疑問を一つ。

 美内先生からは医学的知識が欠落しているのでは?

 なぜって、しきりに血を吐く月影先生は肺結核かと思いきや心臓病だったし、それに……。

 ただ、このアバウトさが美内先生の魅力の一つともいえますね。

 昔、「はるかなる風と光」を読んだときの、身内を走り抜けた清冽な感動は忘れられません。何て雄大な物語なのだろう、と思いました。

 美内先生の作品では、物語のなかでどんなに暗い悲惨なことが進行していようとも、常に健康感の充溢があります。病人のわたしには、この上なく良質のパワーをいただけるといった感じです。

 わたしは「テレプシコーラ」の山岸凉子先生の大ファンでもありますが、スケールという点では、両者、比較できない大きさを持ち、山岸先生の作風は周到、緻密で、純文学的な深みと洗練を感じさせ、美内先生の作風は霊感的な高揚感を伴う、大河ドラマのような起伏を感じさせます。

 ガラスの仮面、次巻が待ち遠しい限りです。

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2009年5月 9日 (土)

わあ、テレプのファイルだ〜!

わあ、テレプのファイルだ〜!
 娘が『ダ・ヴィンチ』を買い、付録の『テレプシコーラ』オリジナルクリアファイルをくれました。

 何挟もうかな〜(わくわく)。51歳でも、嬉しいものは嬉しいのです。

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2008年11月17日 (月)

ホームページ収録のお知らせ

 山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』に関する記事を、ホームページ「バルザックの女弟子になりたい!」に収録しました。

 『テレプシコーラ』については今後もノートをとることと思いますので、Notes:山岸凉子『舞姫 テレプシコーラ』と題して収録しました(こちら)。

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2008年8月10日 (日)

山岸凉子『テレプシコーラ』第2部・第9回を読んで

Link 山岸凉子『テレプシコーラ』最終回の感想

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

 「ダ・ヴィンチ2008月10月号」掲載の山岸凉子著『テレプシコーラ』第2部の弟9回を読みました。ネタバレの可能性がありますので、それが平気なかたのみ、以下の続きを読むをクリックくださいね。 

               

続きを読む "山岸凉子『テレプシコーラ』第2部・第9回を読んで"

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