カテゴリー「能楽」の5件の記事

2019年10月 3日 (木)

萬媛の三番目物ノート ①大まかなあらすじ

わたしは田中保善氏のご著書『鹿島市史 真実の記録』(1990)の中の萬子媛に関する伝記的記述を読み、子供のころから何となく心惹かれていた萬子媛に一層興味を持つようになりました。

わたしなりの萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)として新作能を書いてみたいという大それた望みは先月の25日に生まれたばかりです。アマチュア物書きのわたしがそれを書いたところで何になる、などとは不思議にも全く思いません。書けるかどうかは別として、書いてみたいという強い思いが湧き起こっています。

ワキ(シテの相手役)は、前掲の田中氏がモデルです。

『鹿島市史 真実の記録』には、先の大戦中、軍医として出征した出来事が綴られています。田中氏は出征前、祐徳稲荷神社に参詣したそうです。

倉稲魂大神(田中氏の研究ではインドの夜叉・荼枳尼天だそうです)にお願いすると同時に、「荼枳尼天と同等に神通力を有しておられる萬子姫の霊たる祐徳院殿瑞顔大師に御助け下さいと御願いした。母親に甘えるだだっ子のように罪深き卑怯者の私をどうか御助け下さい。私には母も妻も子供もおります。今度の戦争は敗戦[まけいくさ]で戦死するのが当たり前ですが、何卒御助け下さいと御願いした」(157頁)そうです。

危機一髪で奇跡的に助かったエピソードが五つ紹介されていますが、そのようなことがまだ何回もあったそうです。インディージョーンズより凄い! 例えば次のエピソード。

敵地巡回診察中、敵戦斗機三機に狙われ機銃掃射を受け終に私の腰部に命中したが、私の軍刀の鞘にあたり、鞘はえぐり取られたけれど私の腰は無事で助かった。(158頁)

戦争を知らないわたしが戦争を書くことになるとは想像もしませんでした。

ですが、一応平和とされている現代においても、また田中氏が体験された戦争においても、おそらくは萬子媛はお亡くなりになった江戸時代からずっと今日まで、日本に生きる人間たちを毎日欠かさず見守ってこられたのだと思うと胸が熱くなり、田中氏の劇的な体験を参考にさせていただいて萬子媛を描いてみたいと思うに至りました。

田中氏の他のご著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)は未読でした。幸いアマゾンに中古で出ていたので、注文したところです。このご著書も参考にさせていただくことになるだろうと思います。

新作能の曲名は未定です。2007年10月に上梓された絵本『萬媛[まんひめ]』(文:梶田聡実、絵:寺田亜衣・杉本国子・中島健一・古賀沙織、監修:荒木博申、企画:吉岡満雄・佐藤三郎、編集・印刷:サガプリンティング)とかぶるとよくないでしょうから、かぶることにはならないようにしたいと考えています。

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おおまかなあらすじ

開戦の詔勅から時間が経過し、日本軍の敗色が濃くなったころ、○○(ワキ ※ワキの名は未定)に招集礼状が来る。○○は軍医として出征するに際して、神社に参詣し、稲荷大神と萬媛(註1)に加護を祈念する。

○○はかねてより神社の研究をしており、信心は篤かった。○○には守るべき母、妻、子があった。

マニラ丸でボルネオへ向かう途中、船は敵の砲弾を受ける。海中に放り出された○○の目に、天より舞ひ降りて来し白銀の一団(シテ、シテツレ、トモ)が映った。中心のひときわ輝かしい姿が目に入る。

従者のように見える天人の一人(シテツレ)がいう。

自分達は仏果を得た者であるが、(神社に伝えられる)天明8年に京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移ったとき、鎮火に現れた白衣の一団とは実は自分達であったのだ――と。

中心の輝かしい御姿(シテ)が、萬媛は自分だと告げる。

後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘として生まれた萬媛のこの世に在りし日々が語られる。

※在りし日々で採り上げるエピソードに関しては未定

萬媛の入寂と昇天の舞が重なる中、神々しい萬媛の舞に見とれているうちに○○は意識を回復する。そこは、ボルネオのコタブルト(註2)のアバラ屋に日本軍が設けた医務室だった。その後もいくつかの危機を奇跡的に脱し、終戦の詔勅からほどなく復員を果たした○○は、神社に参詣する。

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註1 鹿島市民図書館学芸員T氏によると、剃髪前の萬子媛は「萬媛」と呼ばれていた可能性が高い。

歴史短編1のために #47 落胆と取材の成果 (2)早逝した長男の病名、萬子媛の結婚後の呼び名
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/10/post-55cb.html
日本では、身分の高い人の実名を生存中は呼ぶことをはばかる風習があり、複名(一人物が本姓名以外に複数の呼称を併せもつこと)が多い。滝沢馬琴は没後の法名まで含めると、35の名を持った。ただし、本人は滝沢馬琴という筆名は用いていず、これは明治以降に流布した表記だという。
萬子媛の名が史料に出てきにくいのも、このような日本特有の事情によるものだということが、学芸員のお話を拝聴する中でわかった。結論からいえば、萬子という名はおそらく明治以降に流布した呼び名で、子のつかない「萬」が結婚するときにつけた名であっただろうとのことだった。
萬子媛に関する興味から江戸時代を調べるようになってからというもの、わたしは、男性の複名の多さに閉口させられてきたのだったが、学芸員のお話によると、女性のほうがむしろ名が変わったという。
生まれたとき、髪を上げるとき(成人するとき)、結婚するとき、破談となったとき、病気したときなども、縁起のよい名に変えたそうである。また、女性の名に「子」とつくのは、明治以降のことらしい。
そこから、萬子媛は結婚するときに「萬」と名を変え、結婚後は「御萬」あるいは「萬媛」と呼ばれていたのではないか――というお話だった。

註2 コタブルトはコタッ・ブルッのこと。コタ・ブルッ(Kota Belud)は東マレーシア・ボルネオ島北端のサバ州にある町。「コタ・ブルッ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年10月16日 11:04 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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参考資料メモ1

  • 開戦の詔勅、終戦の詔勅
  • 田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)、『鹿島市史 真実の記録』(1990)
  • 郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察
  • 祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員T氏、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話
  • 三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)
  • 新古今和歌集
  • 大和物語
  • 拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」(カテゴリー「祐徳稲荷神社参詣記」)

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拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」より

72 祐徳稲荷神社参詣記 (3)2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)

神社という聖域には、実際に萬子媛のような高級霊が地上界を見守っていらっしゃるケースがあるということを、わたしは神秘主義的見地から確認してきた。

萬子媛のようなタイプの修行者をもたなければ、このようなタイプの守護者を日本は持つことがなかったわけである。

わたしはたまたま児童小説『不思議な接着剤』を書くためにマグダラのマリアについて調べていた。すると、時も場所も異なるが、萬子媛と同じように後半生を修行に明け暮れて亡くなり、守護聖人として祀られているマグダラのマリア伝説があるのを知った。

宗教的装いは違っても、古今東西、人間はどこでも似たようなことをやっているわけである。生前に徳のあった人物を慕い、加護を祈念する。そして、驚いたことに、現にそれに応えている萬子媛のようなかたが存在することをわたしは知ったのだった。

この純正ボランティア精神が生じた背景を知りたい。このかたはどんな人生を送られたのか。その環境はどんなものであったのか。思想的影響は? 萬子媛を繙くことは、これまでわたしが知らなかった日本について知ることでもあるのだ……

萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られているが、祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院である。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は日本の三禅宗の一つである黄檗宗の禅寺で、義理の息子・断橋に譲られて萬子媛が主宰した尼十数輩を率いる尼寺であった。

ざっと、萬子媛について復習しておこう。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となる。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。

1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。

朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している……

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78 祐徳稲荷神社参詣記 (5)扇面和歌から明らかになる宗教観

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(藤原俊成女)の歌が揮毫されている。

萬子媛は花山院家の出で、花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9年(1696)――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、藤原俊成女の次の歌である。

梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

藤原俊成女は鎌倉時代前期の歌人で、皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍した。藤原俊成女は藤原定家の姪だった。

田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今和歌集(角川選書536)』(KADOKAWA、2014)によると、平安末期から鴨倉初期に歌壇を先導した歌人が藤原俊成(1114 - 1204)で、定家はその子、藤原俊成女は孫娘に当たる。

藤原俊成女は父の政治的不運により、祖父母に引きとられ、俊成夫妻の膝下[しっか]で定家らと共に育てられたという。しかし、定家と藤原俊成女の間には確執が生じたようだ。

平安末期から鎌倉初期にかけて在位(1183 - 1198)した第82代後鳥羽天皇(1180生 - 1239崩御)は、院政時代に後鳥羽院歌壇を形成した。
その後鳥羽院の招きに応じ、活躍した女性歌人が、式子内親王[しきしないしんのう]、宮内卿[くないきょう]、藤原俊成女だった。

それぞれに際立った個性があり、わたしは三人共好きだ。(略)

幽玄美を提唱して『新古今和歌集』の歌人を育てた藤原俊成、『新古今和歌集』の撰者の一人であった定家、藤原俊成女らは藤原北家の人々で、花山院家は藤原北家だから、萬子媛にとっては『新古今和歌集』という存在そのものが望郷の念を誘うものだったのかもしれない。

そういえば、『源氏物語』を著した紫式部も藤原北家の人だった。藤原北家は右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系で藤原四家の一つである。

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。

修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述からすると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったと考えられる。
その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

萬子媛遺愛の品々の中には、二十一代巻頭和歌の色紙もあった。萬子媛が愛読愛蔵されたものだと解説されていた。

二十一代集(勅撰和歌集)とは、平安時代に勅撰和歌集として最初に編纂された古今和歌集(905)から室町時代に編纂された新続古今和歌集(1439)までの534年間に編纂された21の勅撰和歌集のことで、合わせて23万44首といわれる。

二十一代集は、平安時代から室町時代までの文化史が歌という形式で表現されたものということもできる。そこからは日本人の精神構造が読みとれるばすで、宗教観の変遷などもわかるはずである。

二十一代集の巻頭和歌を愛読された萬子媛は、和歌そのものを愛されたといってよいのではないかと思う。

昔の日本人の宗教観は凛としている。洗練された美しさがあり、知的である。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』を読んだときに思ったことだが、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が貴族から庶民層にまで浸透しているかのようだ(エッセー 74 を参照されたい)。

こうした宗教観は鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』にも通底しており、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が読みとれる。

こうした複合的、統一感のある宗教観こそが歌謡集から勅撰和歌集まで、そこに集められた歌に凛とした気品と陰翳と知的洗練をもたらしたのだと考えられる。

江戸初期から中期にかかるころに生きた萬子媛が二十一代巻頭和歌を愛読されていたということは、二十一代集に通底する宗教観を萬子媛も共有していたということではないかと思う。

ちょっと注目したいのは、次の歌である。作者は前述した皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)。

   皇太后宮大夫俊成『新古今和歌集』巻第十九神祇歌
春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ
(この春日野の、公卿の家筋を暗示するおどろの路の、埋もれ水のごとく世に沈んでいる自分である。今はとにかく、せめて子孫なりとも、わが祈りの験[しるし]をもって、世に現わし栄達させ給え。「春日野」は春日神社を示し、自身も藤原氏でその神の末であることとを余情とした詞。「おどろ」は、草むらの甚だしいもので、「路」の状態とするとともに、公卿の位地を示す語。)*10

子孫の出世を願う、切実ながらいささか世俗臭のする歌だと考えられるが、俊成は藤原北家の人で、萬子媛も藤原北家の花山院家の出であるから、神のしるしどころか、文字通り祐徳稲荷神社の神々の中の一柱となられた萬子媛は、子孫の栄達を祈った俊成の願いを最高に叶えた子孫といえるのではあるまいか。

*10:窪田訳,1990,p.443

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あらすじ、できました。新作能を読んだ感想。

昨日、萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)とした新作能(三番目物)のおおまかなあらすじができた。そのノートは、次の記事にアップする。

何しろ、能を観たのは3回だけで、あとはテレビでの鑑賞、謡曲集の読書くらい。それで、新作能を書こうというのだから、無知とは怖ろしいものだ。あらすじができたあとで、せっせと勉強することなる。その勉強によって、あらすじ自体が変わる可能性はある。

母がお謡を習っていたのに、無関心で、からかっていただけだったことが悔やまれる。母が生きていたら、教わることも多かっただろうにと思う。

当市には能楽堂があり、3回観た舞台のうち1回はこの能楽堂で観たものだ。

舞台を観なくてはと思う。ホームページを観たが、今年中にはそれらしいものがない。何にせよ、ここの能楽堂と福岡の大濠公園能楽堂の催事情報はこまめにチェックする必要がある。能鑑賞貯金もしなくては。その貯金箱の一つを、一昨日夫がうっかり割ってしまったわ (T^T) 

石牟礼道子『石牟礼道子全集 不知火 第16巻』(藤原書店、2013)の中のエッセイで、石牟礼氏の「台本を書くまでにお能といえば二度しか見たことがありませんでした」(75頁)という記述に救われる思いがした。

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  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

以上の本のうち、読んだ作品の感想を書いておこう。

瀬戸内寂聴「虵」

鎌倉時代前期の仏教説話集、鴨長明編『発心集』の中の説話「母、女[むすめ]を妬[ねた]み、手の指虵[くちなは]に成る事」を基にした新作能である。

「発心集」の説話を紹介すると、娘のある女が年下の男と結婚し、老いの不安から娘と男を強いて夫婦にしたまではよかったが、女は一室でのどかに隠居するどころか、嫉妬のあまり両手の親指がくちなわになってしまうという話。

惑乱した娘は尼に、男は法師に、女も尼になる。それでようやく女の指は元の指になり、後には京で乞食になったという。

両手の親指がくちなわになるというグロテスクさ。娘も男も女のいいなりで、狂言回しに使われているだけだ。

女が後に乞食になったとあるのは、どういうことだろう? 

女が尼になったのは怪奇現象を起こした指を元に戻すことだけが目的で、純粋な信仰心などはなく、目的達成後に尼をやめたということなのか。

尼であれば托鉢であって、乞食とはいうまい。それとも、この「乞食」とは仏教用語「こつじき」、すなわち托鉢のことなのだろうか。こつじきが転じて物乞いする行為「乞食」となった。

尼としての矜持を感じさせる暮らしであれば、いずれにせよ、その部分だけが強調されることはないだろう。

俗人が俗欲に終始した、実も花もないお話。

瀬戸内氏は、男を仏師にすることで、作品の俗っぽさを一層強めている。能の形式上、男と女は成仏した格好だが、成仏はしていまい。

それが小説「虵」になると、表現がリアルであるだけにいよいよ救いがたい結末となっている。尼となった女が老い、見世物小屋でくちなわの指を見世物にしていたというエピソードが語られるのだ。

能舞台となれば美しいのかもしれないが、作品として読むと、あまりにも救いがなさすぎる。登場人物の魅力が微塵も感じられない。

石牟礼道子「不知火」

石牟礼道子氏の新作能「不知火」は流麗な文章で、情緒に満ちて美しいというだけでなく、偏頗な文明に対する作者の危機意識が伝わってくる。入魂の作品という印象を受けた。この曲が水俣で演じられることは意義深いことだろう。

たが、わたしにはこのストーリーがうまく理解できない。

竜神の娘・不知火[しらぬひ]には、海霊[うみだま]の宮の斎女として久遠の命が与えられているにも拘わらず、生類の定命衰滅に向かえば、不知火の命もこれに殉ずるという。

竜神の息子・常若は父に命じられて生類の世を遍歴し終えた。

姉と弟は海と陸からこの世の水脈を豊かにすることに携わってきたが、この世の初めからあった真水が霊性を徐々に喪い、生類を養う力が衰えて、姉弟共に身毒が極まり、余命わずかとなった。

慕い逢う二人は、息絶え絶えとなりながら、恋路が浜に辿り着く。そして姉のほうは死んだ(弟も?)。

こうした一切を見ているのは、隠亡[おんぼう]の尉[じょう](じつは末世に顕れる菩薩)。

わたしには二人の勤めの内容がよくわからない。人間の罪業が重なったために毒変した海を浚えて浄化するとあるから、いわば濾過装置のような役割を果たしてきたということだろうか? 竜神の子たちの勤めかたにしては、人間の労働臭い。苦役そのものである。

そして、亡き妻を含む竜神一家は、末世の菩薩の秘命の下に働いてきたというのである。

その菩薩の助力もあって不知火は生き返り、二人の結婚を祝うために中国から楽祖(じつは木石の怪にして魍魎の祖)が招かれる。

楽祖が磯の石を手にとって打ち鳴らせば、浜で惨死した猫たち、百獣が神猫となり、胡蝶となり、舞う、橘香る夜となる……海も陸も再生したのだろう。

水俣病問題は産業における人為的ミスに社会的要因が絡んで被害が拡大し、社会問題となった。

その問題を石牟礼氏は現世と来世が重なり合う宇宙空間、悠久の時間の流れの中に直に置こうとしたため、一つの作品として見るとき、整合性のとれない部分が出てきたように思う。

多田富雄新作能全集

脳死(「無明の弁」)、朝鮮人の強制連行(「望恨歌」※最近の検証により、朝鮮人の強制連行はなかったことが判明した―ブログ管理人N)、原爆投下(「原爆忌」「長崎の聖母」)、相対性原理を題材とした能(「一石仙人」)、沖縄戦(「沖縄残月記」)、横浜に因んだ能(「横浜三時空」)、白州正子さんを題材とした能(「花供養」)、(「生死の川――高瀬舟考」)、子供能チャレンジのための能(「蜘蛛族の逆襲――子供能の試み」)。

時事的な題材が多い。構成も文章も端正だが、これらの能は地上界から一歩も出ていないような感じがする。異世界に触れることによる浄化現象は期待できない。

まだざっと読んだだけなので、読み込めばまた違った感想が生まれるのかもしれない。そのときは別の記事にしたい。

ただ、能に関して右も左もわからないわたしのような人間には、参考になる。能舞台を観たあとで購入したのかどうかは覚えていないが、多田富雄 監修『あらすじで読む 名作能50』(世界文化社、2005)を再読している。わかりやすい。

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2019年9月29日 (日)

借りてきた新作能の本、三冊 

最近の過去記事で、わたしは萬子媛をモデルとした作品について、次のようなことを書いた。

歴史小説にするには、何か、そぐわないものがあるのです。
わたしは神秘主義者として萬子媛を通して感じることのできた高雅な現象を書きたいのであって、よくわかりもしない萬子媛の生前のあれやこれやではないのです。
いや、あれやこれやにも興味があるから研究ノートを当ブログにアップし、そのまとめをエッセーとして「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録してきたわけですが、そのノートは、萬子媛の高雅な現象を表現できてこそ存在価値があるのです(エッセーは「萬子媛研究」といったような形にまとめたいと考えます)。
その表現にふさわしい形式は、新作能以外にありえない気がしてきました。

ノートは萬子媛をモデルとした作品が完成するまで、取り続ける予定。前述したように、いずれ「萬子媛研究」のような形にまとめたいと思っている。

ノートには、郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察、また祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員T氏、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話など、慎重に扱わなければならない情報があるので、まとめる作業には日数がかかると思う。

新作能を書きたいなどと大それたことを思い、三冊借りて読んでいるところだが、いや、本当に何だか書けそうな気がしてきた。テーマや雰囲気からすれば、過去に書いた「牡丹」という短編は、新作能にすることができるのではないかと思う。

萬子媛をモデルに、そのイメージ像をシテとする新作能を書きたい思いはあるが、まずは戯曲を、と思っている。逸る気持ちを抑えて、まずは新作能の研究からだ。

借りてきた三冊は以下。

  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

瀬戸内寂聴氏を知らない人は少ないだろう。石牟礼道子氏は、2018年にお亡くなりになったが、水俣病を扱った代表作「苦海浄土」でとても有名なかたである。多田富雄氏は免疫学者、文筆家として活躍された。

多田氏の新作能をざっと見ると、脳死、原爆、朝鮮人の強制連行(※最近の検証では強制連行はなかったとされているーブログ管理人N)を扱ったものなど多作なかたである。

力作揃いなのだろうが、わたしが馴染んできた古典の曲とはテーマ自体が違う気がした。

瀬戸内氏の「虵」からまず読んだ。感想は別の記事にします。

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2019年8月11日 (日)

このような文豪が、昭和のころはまだ日本にも存在していた

フォローさせていただいている「古典bot」から、谷崎潤一郎の名随筆『陰影礼賛』が流れてきました。その前に見たときには、ドストエフスキー「罪と罰」が流れてきました。

「古典bot」はよくまとめてあります。感動した作品が目についたときは自分も何か書きたいと思い、本棚から探して頁をめくりましたが、ラスコリーニコフ、ソーニャはじめ、主たる登場人物のことがそれは濃やかに描かれているではありませんか。

昔読んだときはドストエフスキーが饒舌すぎる気もしていました。ですが、ここまで描かなければ、生きている人としての厚みは出てこないということが改めてわかり、感嘆しました。安易な感想は書けなくなってしまいました。

登場人物が、本当に生きている人みたいなのです。優れた作家のものは、押しなべてこんな風ですね。

谷崎潤一郎の小説は、技巧に走りすぎる気がしていました。その感想は今も変わらないのですが、昭和の頃はまだ――谷崎は昭和40年に79歳で亡くなりました――このような文豪が日本にも存在していたのだと思うと、泣けてきました。

左派にのっとられてしまって、けがれ痩せてしまい、支離滅裂となった日本文学の今日のありさまを過去の日本の文豪たちはあの世でどう見ていられるのでしょう?

『陰影礼賛』は名随筆なので、おすすめです。世阿弥『風姿花伝』『花鏡』を合わせて読めば、えもいわれぬ日本美の極意を授かることができますよ、きっと。

ところで、今年は「高校生の読書感想文におすすめの本」を書く余裕がありませんでした。以下のカテゴリーへのリンクをクリックしていただければ、過去の高校生の読書感想文におすすめの本をご覧いただけます。

カテゴリー「◇高校生の読書感想文におすすめの本」の10件の記事

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2007年10月17日 (水)

能『船弁慶』を観て

 この市に引っ越してきたときに、能楽堂があることに驚きました。

 九州で能楽堂といえば、他には福岡の大濠公園能楽堂があるくらいではないでしょうか。

 わたしが初の能体験をしたのは30代の頃で、福岡県飯塚市にあるホールで『杜若』を観、夢心地に誘われました。

 それに触発されて、思わず当ブログで公開している掌編「杜若幻想」「牡丹」を書いたほどです。

※現在はKindle版『直塚万季 幻想短篇集(1)』として販売中です。→ https://www.amazon.co.jp/dp/B00JBORIOM

 世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』を読んでもう恍惚となり、ますますのめり込んで、前出の大濠公園能楽堂にも出かけたりしましたが、その後パッタリ行けませんでした。

 この街に能楽堂があると知り、行きたいと心は逸りましたが、またのめり込むことにでもなれば、楽しい反面辛いな、という思いもありました。

 でも、昨日、ついに出かけてしまったのですね。40代も終ろうとするときになって……。

 ああ、いつか新作能の脚本を書いてみたいなあ。

 などといえば、ろくに能のことを知りもしないくせにと叱られそうですが、神秘主義者のわたしにはぴったりくる世界ですし、古典、新作、どちらの脚本を読んでみても、大した長さではなく、俳句と同じで、ある型にはめ込めばよい気楽さがありそうで(などといっては、ますます叱られそう)、文体も頑張れば何とかなるのではないでしょうか。数年間、しっかり勉強し、取り組めば。

 前置きが長くなりましたが、能を鑑賞して不思議なのは、いつまでも、その余韻が消えないときがあることです。どれもそうというわけではありません。『杜若』の装束の薫るような美しさは、今もはっきりと記憶にあります。

 今回鑑賞した曲目は、見所の多い『船弁慶』でした。それが、舞台を観ているときは、あの一瞬、この一瞬が印象に残った程度で、実はわたしは舞台に失望していたのでした。

 シテ(主役)が予想外に小柄で、まるで女性のよう。芸も大人しすぎるように思えたのです。前シテは静(源義経の恋人、静御前)、後シテは平知盛の怨霊で、演じたのは同じ人です。

 長身の役者が凛々しい静と勇壮な怨霊を演ずるーーといった類の派手な芸を勝手に期待していたわたしは、期待が裏切られた恨めしさを覚えながら能楽堂を出、がっかりして帰宅したのでした。

 ところが、不思議なことに、時間が経つごとに、橋掛かりに佇む前シテの無言の姿が、いじらしい、かけがえのないものとして脳裏に浮かび上がるのです。繰り返し、何度も。

  それとダブるように、後シテが物柔らかな舞の中からこちらに面を向けたときの狂気の表情が露わになり、戦慄させられます。否、能面が表情を変えるわけはないので、気の触れた人の金光りする目を確かに見たような錯覚を覚えたということになります。

 そして、それに被さるように、後シテの絢爛豪華な装束の白銀の輝きが、意識にクローズアップされるのでした。その白銀の輝きは、あたかも浄化の焔のようです。

 感激は、何て遅れてやってきたのでしょう! でも、神秘主義では、高貴な影響力ほど、鈍重できめの粗いこの現実世界(物質世界)で実現するのに、時間がかかるといいます。固定観念に囚われていたわたしが、シテを演じた役者の芸をすばらしいと感じるには、時間が必要だったのでしょう。

 わたしは自分が期待したタイプではない役者から、期待したようでない『船弁慶』の解釈を贈られて困惑し、一旦は拒絶したけれど、時間が経ってそれを受け入たというわけです。結果的に、新しい感覚を身につけることができたような気がしています。いくらか生まれ変わった気がするほど……。シテを演じた武田志房氏、すばらしい能楽師ですね。

 義経は子供が演じますが、子方を演じた鷹尾雄紀くんは、小学校の中学年くらいでしょうか。子供とは思えない落ち着きで、上手でした。顔立ちもなかなかのハンサムボーイで、将来が楽しみです。「その時義経少しも騒がず」というセリフ、可愛らしかったなあ。

 船頭を演じた野村万禄氏は、狂言『附子』のシテとしても活躍されましたが、一緒に出かけた娘とわたしは万禄氏に魅了され、ずっと彼を褒めていて、「でも、船弁慶のシテはもう一つだったわね。重要無形文化財保持者だなんて、本当かしら」なんて、武田氏には失礼なことをいっていたのでした。

 それが、あとになって武田氏に……。写真は、受付でいただいたパンフレット「日本の古典 能・狂言 九州公演」にあった『船弁慶』後シテ 武田志房氏です。

 ちなみに、入場料は、一般・全席自由で4,000円、学生席で1,000円でした。

 『船弁慶』のあらすじを、「NHK 日本の伝統芸能 能・狂言鑑賞入門」(日本放送出版協会、平成2年)から紹介しておきます。

 源義経は、讒言によって頼朝から疑われ、兄弟不和となります。そこで西国へ落ちのびるため、弁慶ら家来を作って津の国大物浦へ到着します。そこに静御前が義経を慕って来たので、弁慶は義経の了解を得て静を訪ねます。

義経に帰京を言い渡された静は、別れの悲しさに涙します。名残の酒宴が催され、静は勧められるままに、中国の越王勾践と陶朱公の故事をひきつつ、別れの舞を舞い、泣く泣く一行を見送ります。

 別れの悲しさに出発をためらう義経をはげまし、弁慶は出航を命じます。船が海上に出たところで、にわかに風が変わり波が押し寄せます。船頭が必死で船を操っていると、海上に平家一門の幽霊が現れます。

中でも平知盛の怨霊は、自分が沈んだように義経をも海に沈めようと、長刀を持って襲いかかって来ます。義経は少しも騒がず、刀を抜いて知盛の怨霊と戦います。

そこを弁慶が押し隔て、相手は亡霊だからと言い、数珠を揉んで神仏に祈ると、知盛の怨霊はしだいに遠ざかり、ついに見えなくなってしまうのでした。

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