カテゴリー「マダムNの他サイト情報」の178件の記事

2019年5月 9日 (木)

「95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告」を神秘主義エッセーブログにアップしました

今日も、iPadでの更新です。

パソコンのバッテリーはまだ届きません。バッテリー交換くらいでは直らないだろうけど。パソコン再開がはてしなく、遠い……

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたエッセーは、当ブログの過去記事2本をまとめたものです。

95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/05/09/202238

マインドフルネスというのが流行っているんですってね。何のことかわからなかったので、最近まで書店員だった娘に訊くと、「スピリチュアル系の瞑想みたいなものじゃないかな。怪しげな本がいっぱい出ているよ」とのこと。

ウィキペディアを見ると、心理学と関係がありそうですね。前世療法に呆れたばかりなのに、まあ次から次へと。

神秘主義的要素を取り込むのであれば、生半可な知識はとても危険です。

水をさすつもりはありませんが、瞑想の危険性も知っておいたほうがいいですよ。

 

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2019年3月24日 (日)

エッセーブログの 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」の 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました。

加筆したのは、目次 7 の一部と 8 の全部です。

目次

  1. ゴッホ全油彩画
  2. 国立西洋美術館で出合ったゴッホの「ばら」
  3. パンのオブジェ
  4. 入魂の絵の数々
  5. ああ、馬鹿な男たち……!
  6. はっきり言って、ゴッホは可愛い
  7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人
  8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察
  9. 2019年3月23日における追記:ゴッホの画集から感じられた不純物の正体

以下に、7と8を全文(画像を除き)、引用しておきます。

7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人

 ここで、ゴッホとゴーギャンの話題に戻ろう。画集には、ジヌー夫人という中年女性を描いた両者の絵が収録されていた。これが同じ女性だろうか、と思うくらいの違いがそこにはある。

 ゴーギャンの描いたジヌー夫人の絵からは、彼がタヒチへ行ってしまった謎が読み取れるような気がする。絵の向かって右前方にカフェの女主人ジヌー夫人が、どこか皮肉っぽさを湛えた艶っぽい笑みを口の端に浮かべ、左頬杖をついて座っている。背景には玉突き台、その後ろに顔はよくわからないながらキツネのように目の端が吊り上がった客たち、奥に平板に塗りこまれた赤い壁。

 ジヌー夫人はしたたかそうで、腹黒そうで、気に入りの客には情け深そうでもある、如何にもカフェの女主人という感じの女性に描かれている。それ以上の人間でもそれ以下の人間でもないという、大雑把に値踏みしたような描き方だ。

 ただ、見ようによってはジヌー夫人は地母神のようにも見える。なかなかどうして、動かそうとしても動かしえない安定感が彼女には備わっているのだ。タヒチへ行って、この安定感をゴーギャンは発展させたかったのかもしれないし、あるいは逆に、ねっとりと濃厚な、底意地の悪そうにも見えるこの女性は、彼の嫌悪する社会そのものの象徴である可能性もあった。

 事実、ゴーギャンは、これを描いたアルルという土地を嫌い、去ったのだから。いずれにしても、ゴーギャンを知ろうとするうえで、興味深い絵ではある。

 他方、ゴッホのジヌー夫人。この絵に関しては、あまり説明を要しない気がする。ゴッホのジヌー夫人は、精神性の勝った、思慮深げな女性に見える。とことん精神的な描き方だ。理想をこめた描き方といってもいいかもしれない。

 というのも、ゴッホのジヌー夫人はカフェの女主人には見えないからだ。婦人会の会長か何かに見える。ゴッホは大変な読書家だったが、ジヌー夫人もそうだったのだろうか。単なる装飾として置かれたのだろうか。

 ちなみに、『ゴッホの手紙〔全三冊〕』(硲伊之助訳、岩波文庫 - 岩波書店、1955・1961・1970)に収められた書簡には、ボードレール、ドーデ、ロチ、ゾラ、バルザック、ゴンクール兄弟、モーパッサン、フロベール、リシュパン、トルストイ、ストウ、ディケンズ、ラマルチーヌ、ヴォルテールといった作家の作品に言及がある。特に、バルザック、ゾラ、モーパッサンは好きだったようだ。

 また、宗教書、歴史書も好んだ。牧師の家に生まれ、画家を志す前は聖職者を志した来歴からすると、宗教書への関心は当然かもしれないが、ゴッホの読書の仕方は信仰者としてのそれというよりは、いわゆる知識人的読み方ではないだろうか。書簡には、次に引用するような考察が出てくる。

 君はルーテルの伝記を読んだことがないのか。クラナッハもデュレルも、ホルバインもその影響を受けた。その――人格は――中世の高い光だった。
 君と同意見で太陽王は嫌いだ――なんだか燈明消しのような気がするルイ十四世――あんなソロモン王をメソジスト教徒にしたような奴は、何につけてもやっかいだったにちがいない。僕はソロモン王はきらいだしメソジスト教徒はなおさらなんだ――ソロモン王は偽善的異教徒らしいし、他の様式を模倣したその建築は全く尊敬できない、文章もきらいだ、異教徒はもっとすぐれたものを残している。
*5 エミル・ベルナール編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(上)』(岩波文庫 - 岩波書店、1955、p.123)

 その後もゴッホはジヌー夫人を描いていて、これらはさらに彼の理解度だか理想度だかはわからないが、それが高まった感のある、善良そのもののジヌー夫人だ。

 1890年以降のジヌー夫人は、ゴーギャンの素描を基に制作されたものらしい。ウィキペディア「アルルの女(ジヌー夫人)」に、次のような解説がある。

 1890年以降の別バージョンの構図はポール・ゴーギャンが1888年に描いた素描が基とされ、ゴッホの筆による同様の構図の絵が複数(4点とされる)ある。そのうちで特に傑作とされるものが、衣服がピンク色の1点である(他の3点は衣服が黒い暗色である)。
*6 「アルルの女 (ジヌー夫人)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年10月10日 13:40 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

 テオが所有していたプライベートコレクションの絵は、落札されたのが丁度このエッセーを書いたころの2006年5月で、2002年刊行の『ゴッホ全油彩画』には、モノクロで撮影された小さな写真「アルルの女(ジヌー夫人)1890年2月(サン・レミ)油彩、カンヴァス 66×54 ㎝ F 543,JH 1895 所在不明」として掲載されている。

 精神的な美点を際立たせるような描き方で、彼女は純朴な、それでいながら理智的でもある綺麗な笑みをほのかに見せて、こちらを見ている。柔和さの頂点に達した修道女といった雰囲気さえ湛えている。

 ゴッホは他人との交わりに、心から精神的なものを求めた人であったに違いない。まことに、いじらしい。社会人として生き抜くには、それが甘さ、弱点となった可能性も否定できないだろう。

 ゴッホ、ゴーギャン、両者が描くジヌー夫人の違いは、彼らが求めたものの違いでもあるのだろう。

 あたかも、ゴーギャンのジヌー夫人が肉体を、ゴッホのジヌー夫人が精神をシンボライズしているかのような、劇的なまでの相違がそこにはあった。彼らの衝突には、肉体と精神の相克を見るようなシンボリックなものがある気がする。

 縛りの中に息づきながら何かを求め続けるゴッホを、無能な安住者とばかりに足蹴にして、が、その縛りに徹底抗戦を挑むというより、逃走を企てたマッチョだったのか弱かったのかよくわからない男ゴーギャン。

 最晩年には、タヒチよりもっと辺鄙なマルキーズ諸島に暮らし、地域の政治論争に加わったりしたそうだが、何か奇異な感じを受ける。

 ゴーギャンは実際には、どんな人間だったのだろうか?  そして本当のところ彼は何を求めたのか、別のエッセーで、彼の軌跡も追ってみたいと考えている。

8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察

 ゴッホの死の真相はわからないままだ。画商であった弟テオの経済的援助を受けていたゴッホだったが、家庭ができたテオの負担を軽くするために自殺したのだろうか。

 ゴッホが単純な人でなかったことは間違いない。テオ宛ての書簡に、物質的不幸と死に関するゴッホの考察があるので、長くなるが、引用しておきたい。

 すべての芸術家、詩人、音楽家、画家たちが物質的に不幸なのは確かに不可思議な現象だ――たとえ幸福でも――君が最近ギュイ・ド・モーパッサンについて語ったことはなおそれを裏づけている。これは永遠の謎に触れることだ。われわれに生命の全部が見えるのか、或いは死以前の半分だけしかわれわれは知らないのか。
 多くの画家たちは――敢て彼らについて語れば――死んで埋められていても、その作品を通じて次代から数代あとまでの語り草になる。
 それだけで総てなのか、又はもっとほかに何かあるのか、絵かきの生涯にとって恐らく死は彼らが遭遇する最大の苦難ではあるまい。
 僕としては、それがどんなものだか知りたいとも思わないが、いつも星を見つめていると、地図の上の町や村を表示する黒点が夢を与えるように、簡単に夢見心地になってしまう。どうしてそう考えてはいけないのだろう、蒼穹の光点がなぜフランス地図の黒点以下なのだろう。
 汽車に乗ってタラスコンやルアンへ行くように、われわれは星へ行くのに死を選ぶのかもしれない。
 生きているあいだに星の世界へ行けないのと、死んでしまったら汽車に乗れないのとは、この推理のうち、たしかに本当のことだ。
 要するに、コレラや、砂粒状結石、肺病、癌が、汽船や乗合馬車や汽車が地上の交通機関であるように、天上の交通機関だと考えられないこともない。
 老衰で静かに死ぬのは歩いてゆく方だ。
*7 J・v・ゴッホ-ボンゲル編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(中)』(岩波文庫 - 岩波書店、1961、pp.127-128)

 ゴッホは1890年7月29日に37歳で、弟テオはその後を追うように翌1891年、33歳で死去した。残した業績の大きさを考えれば、短命であったことに、改めて驚かされる。

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エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。39、40、41。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

39 芥川賞候補、川上未映子の詩『私はゴッホにゆうたりたい』を読む 2007.7.7 
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/013245

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40 末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読む 2019.3.19
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/021037

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41 ゴッホが求めたもの 2006.5.11・14
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/24/080954

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2019年3月22日 (金)

「94 祐徳稲荷神社参詣記(10)」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

 94 祐徳稲荷神社参詣記 (10)萬子媛入寂後に届いた鍋島直條の訃報:『鹿島藩日記 第二巻』
 https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/21/212607

目次

  1. 飛脚が東奔西走
  2. 鍋島直條の死
  3. 『鹿島藩日記』に記された赤穂事件

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2019年3月18日 (月)

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。38。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

38 フジコ・ヘミング (2)ベーゼンドルファーとの微妙な相性 2007.5.21・27
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/18/005310

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2019年1月25日 (金)

はてなブログで運営している二つのブログを更新しました

別の年の記事もいくらかは「The Essays of Maki Naotsuka」に収録していますが、だいたい古い記事から収録することにしています。2006年分がようやく終わりました。

古い記事になるほど、日記風、私的な記事となっており、読み返すのも恥ずかしいのですが、物書きの目で見た場合、まとまりは悪いながら、貴重なことを書いていると思えるものは古い記事に多いのです。

どれくらい拾えるかはわかりませんが、コツコツ収録作業をしていきます。

The Essays of Maki Naotsuka
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/

マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/

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2019年1月21日 (月)

神秘主義エッセーブログ「40 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の・・・」に追記

「40 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人」に加筆しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

 40 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ②三浦関造の雛たちに危いまなざしを向ける人
 https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/12/28/161348

加筆部分は青字です。

ヨガを恣意的に解釈し、それだけの準備が整っていないにも拘わらず、ヨガの行法を自己流に採り入れて遂には自己崩壊したオウム真理教の麻原だったが、ヨガに関しては、そのようにならないようにと竜王会ではずっと警告が続けられてきた(竜王会には、教えを受け継ぎ、綜合ヨガのヨギ――実践者――の育成を行っている会員がいらっしゃることを明記しておかなくてはならない)

竜王文庫では、2010年ごろから重要な著作が相次いで上梓されている。神秘主義分野における信頼のおける出版社として、今後その貴重さは一般にも浸透していくのではないだろうか。

■ H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)

■ H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)

■ 岩間浩編著『綜合ヨガ創始者 三浦関造の生涯』(竜王文庫、2016)

■ H・P・ブラヴァツキー(忠源訳)『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』(竜王文庫、2018)

■ C・G・ユング(老松克博訳)『ゾシモスのヴィジョン ――古代ギリシアの錬金術師による夢見の指南書』(竜王文庫:竜ブックス、2018)

この著作群に、昨年12月に上梓されたばかりの岩間浩編著『綜合ヨガ創始者 三浦関造の生涯 続編』(竜王文庫、2018)が加わる。

2016年の『綜合ヨガ創始者 三浦関造の生涯』の続編に当るもので、三浦関造全開といった内容だ。会員のわたしには三浦先生が一層身近に感じられると同時に、その巨大な足跡からまぶしすぎるほどに感じられた。

三浦関造の霊的体験と霊的治療は独学によるものなのだろうか、という疑問がかねてよりあったが、岩間先生の綿密な調査、研究により、三浦関造、また田中恵美子が影響を受けた人々が浮かびあがっている。

そして、その中のお一人は戦後日本のありかたを決定づけたといえるような、重要な役割を果たされたようだ。

そのかたがいなければ、下手をすれば日本はただの植民地のような、経済活動だけが活発な国になってしまっていたかもしれないと思うと、背筋が寒くなった。現に世界には、そのようになってしまった国がいくらでもある。

詩人・三浦関造に新たな光が当てられていることも、詩が好きなわたしには嬉しい。岩間先生には『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社,2008)という著作もおありになる。

もう少し、記事を改めて書きたい。

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2019年1月15日 (火)

(拙神秘主義エッセーブログより)C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義

拙「マダムNの神秘主義エッセー」を更新しました。当ブログに、再掲します。

C・G・ユングの恣意的な方法論と伝統的な神秘主義
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/01/13/170110

目次

  1. ユングに対する強い疑念
  2. ユングは神秘主義者ではなかった
  3. ユング派のキリスト者
  4. ブラヴァツキーの夢についての質疑応答
  5. 贈り物のような夢

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出典:Pixabay

1. ユングに対する強い疑念

昨年11月のこと、竜王会の機関誌が入った封筒にC・G・ユング(老松克博訳)『ゾシモスのヴィジョン ――古代ギリシアの錬金術師による夢見の指南書』(竜王文庫:竜ブックス、平成30年10月)が入っていた。

ユング派分析家で大学教授でいらっしゃる老松氏が以前訳されたH・P・ブラヴァツキーの著書に比べると、大学の授業で使われるテキストのような体裁に見えた。実際に授業で使われるのかもしれない。

学生時代にユングに魅せられたわたしは、独身時代を通して『ユング自伝』『心理学と錬金術』『人間と象徴』など――気ままに――読んだ。何か高級な知識の薫りがした。

40年ほども昔に、錬金術やグノーシス主義への架け橋となってくれるような、学術的体裁を備えた邦訳書が他に存在しただろうか。ああ、そうだ、シモーヌ・ヴェイユがいた。広大な世界への案内人となってくれたのは、この二人くらいではなかったか。

しかし、『ゾシモスのヴィジョン』や、C・G・ユング(ヤッフェ編、河合隼雄&藤縄昭&出井淑子訳) 『ユング自伝 2 ―思い出・夢・思想―』(みすず書房 、1973)、C・G・ユング(池田紘一・鎌田道雄 共訳)『心理学と錬金術Ⅰ』(人文書院、1976) など、ユングの著作を久しぶりに読むと、ユングに対して強い疑念が湧いた。

それは以前から抱いていた疑念だったのが、それが抑えきれないほどのものとなったため、ユングに関する本で、これまでに読んだものとは視点を異にするものがないかネット検索し、読んでみたいと思う次のような 3 冊を見つけた。

  • リチャード・ノル(老松克博訳)『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』 ( 新曜社、1999)
  • リチャード・ノル(月森左知安堵&高田有現訳)『ユング・カルト―カリスマ的運動の起源』(創土社、2011・新装版)
  • ソヌ・シャムダサーニ(河合俊雄監訳、田中康裕&竹中 菜苗&小木曽由佳訳)『ユング伝記のフィクションと真相』(創元社、2011)

『ユングという名の「神」―秘められた生と教義』の訳者も老松氏。アマゾンの商品の説明「出版社からのコメント」には、次のようなことが書かれている。

<ここから引用>
ユングという名の〈神〉 ドイツ民主主義・神秘主義の申し子として自らをキリストに代わる救世主と信じたユング、ロックフェラー財閥の役割、反ユダヤ主義とナチズムへの接近の真実等々、これまで未公開の資料を博捜してユングの生涯と教義を脱構築したユングの生涯と教義を脱構築した読書界震撼の研究です。
<ここまで引用>

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カール・グスタフ・ユング
出典:Wikimedia Commons

ウィキペディア「カール・グスタフ・ユング」*1に、フロイトらと袂を分かち、チューリヒ大学医学部の私講師の職も辞任したユングが「1916年には石油王ジョン・ロックフェラーの四女イーディス・ロックフェラー・マコーミック(en, 1872年 - 1932年)の助力で「心理学クラブ」を設立して、分析心理学の確立に努める。このクラブには、ヘルマン・ヘッセも訪れている」とある。

「影の支配者」といわれる大富豪ロックフェラー財閥だが、ユングがロックフェラーと関係があったとは、無知なわたしは今日まで知らなかった。前掲書は幸い図書館にあるようだから、借りて読む予定だ。ヘッセについては、拙「マダムNの覚書」に過去記事がある。

<ここから引用>
昨夜、ヘッセの『デミアン』を再読した。思春期に読んで変な小説と思ったのは過たない見方だった。何とも気持ちの悪い小説なのだ。
ヘッセはなるほどグノーシスをかじった節があるが、体系の一部分を拡大解釈した間違った捉え方で、危険きわまりない。
ヘッセは平和主義者で通っているようだが、『デミアン』の後半部などはヒトラーの登場を用意したとしか思えないし(それが自覚できるほど、知的だったとは思えない)、知識人としてきちんと分析すべきところで酔っていたり、夢想していたりする。(略)
ヘッセはグノーシスに興味を持っただけでなく、東洋哲学に親昵した作家かと思っていた。しかし、彼にはキリスト教的定型思考法が叩き込まれていて、東洋哲学……その核心といえる神秘主義を理解することは難しかったのではないだろうか。サリンジャーを連想させられる捉え方だ。これでは、何もかも、戯画化したような幼稚な、否むしろ有害なものになってしまう(両者、大真面目なだけに厄介だ。また彼らの信奉者も多いだけに……)。
西洋人にも、バルザック、ホフマン、ラーゲンレーヴ、ジョージ・マクドナルドのように神秘主義が血肉となっていた人はいくらでもいるのだから、西洋人としての限界というわけではない。あくまで個人としての限界なのだろう。
*2
<ここまで引用>

最近の別の過去記事で、次のようなことも書いている。

<ここから引用>
「無意識」が唯物論者に対する妥協的工夫なのか、ユング自身唯物論者の要素が強かったのか、よくわからないところがあります――その両方だと思われます――が、死後の世界への言及、霊的観点からの考察のない神秘主義者の著作などというものはまず存在しません。
「無意識」にこれらを含めるような含めたくないような論考は乱暴といえるくらいに独自的すぎて、錬金術を含む神秘主義の研究者・応用者としての適性をいささか疑ってしまいます。
いずれにしても、晩年の思想の頂点が『ユング自伝 2 ―思い出・夢・思想― 』で書かれた「死後の生命」のようなものだとすると、神秘主義に長く関わった人としては、変な人だという気にさせられるのです。これが知的誠実さということなのでしょうか。どこか、ウィリアム・ジェームズとの共通点を感じさせます。
*3
<ここまで引用>

2. ユングは神秘主義者ではなかった

注意しておくべきことは、ユングは豊富な超常的体験の持ち主であるにも拘わらず、錬金術などの神秘主義に対する恣意的なアプローチの仕方から見ると、彼は神秘主義者ではないということである。というのも、神秘主義は時代の趨勢によって見え隠れしながらも、その本質は極めて伝統的なものだからである。

東西の神秘主義は表現は違っていても、同じようなことをいう。それは、神秘主義の思想を形成するものが、現代科学では証明されていなかったとしても、古代から受け継がれてきた科学的な知識だからだ。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)の序文には、次のようなことが述べられている

<ここから引用>
ブラヴァツキーの言っている「オカルティズム」は当然、心霊現象や「超自然的なこと」を漠然と指す現代の「オカルト」とは全く違う意味である。夫人のいうオカルティズムは、人類と同じくらい古い「科学中の科学」で、人間の最高の成就である。神聖な科学は近代科学と同様に、普遍的真理を探求するために厳密な方法を用いるので、科学と言える。しかし、道具と教育という面において、神聖な科学と世俗的な近代科学は大いに異なる。
 物理的な研究をするために近代科学は様々な装置に頼るが、神聖な科学は物理的及び非物理的な観察をするには、主に、清められた人間の心の認識力に頼る(一人の観察は幾代もの先輩達の観察と照らし合わせて神聖さが確かめられる)。
(略)はるか昔から神聖な科学の伝統を守ってきた国際的な組織がある。ブラヴァツキーはこれを簡単に「同胞団」と言う。
<ここまで引用>

序文の解説を裏付けるようなブラヴァツキーの言葉を、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)のはしがきに見出すことができる。

<ここから引用>
今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた一貫した全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。というのは、この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである。*4
<ここまで引用>

当然ながら、このような書かれ方をした著作が信用できるかどうかという問題が発生するわけだが、わたしたちが自分で実験したわけではない科学のいろいろな説を頭から否定しないのは、首尾一貫した方法論に一応の信頼を置いているからだ。もっとも、右へ倣えしているだけのことも多い。

ただ、ここでは単に、ブラヴァツキーが神秘主義の伝統に連なる人であったのに対してユングはそうではなかった、ということをはっきりさせておきたい。

ブラヴァツキーは前掲の言葉に、次のような言葉を続けている。

<ここから引用>
ここで述べられている沢山な事実の公表は、的はずれで空想的な推論が行われてきたために必要とされるようになったのである。つまり近年、多くの神智学徒や神秘主義の学徒が、自分に伝えられた僅かな事実をもとにして、自分だけが完全だと思い込む空論的な思想体系をつくり上げようと、夢中になっているからである。*5
<ここまで引用>

ウィリアム・ジェームズが近代科学の権威を纏い神秘主義を外面的に眺めて神秘主義がわかったつもりでいたように、ユングも神秘主義の佇まいを眺め、神秘主義の庭で拾ったものを蒐集して神秘主義がわかったつもりになったのだろう、近代科学的心理学者として蒐集物を好きなように利用した。

そして、ブラヴァツキーの言葉を借りれば、「自分だけが完全だと思い込む空論的な思想体系をつくり上げた」としかわたしには思えない。

3. ユング派のキリスト者

『ユング自伝 2 ―思い出・夢・思想― 』を読むと、カルマや死後の世界についてのユングの考えの貧弱さ、幼稚さに驚かされる。この人は本当に東洋思想を含む神秘主義を研究した人なのだろうかという疑問さえ湧くのだが、ユングが神秘主義者でなかったことを考えれば、さほど不思議なことではないのかもしれない。

このようなユングが錬金術の知識を流用したことに、懸念を覚えないわけにはいかない。科学(秘教科学)からの逸脱の懸念があるからで、思わぬ危険に人を晒さないかが心配になるのだ。

そして、『ユング自伝 2 ―思い出・夢・思想― 』から引用する次のような文章を読むと、ユングの目標がキリスト教の枠内を一歩も出なかったばかりか、彼の分析心理学を受け入れるということがユング派のキリスト者になることなのだとわかる。

<ここから引用>
創造神のイメージの中の避けがたい内的な矛盾は、自己の統合性と全体性の中に、錬金術師のいう対立物の結合、あるいは神秘的な結合として、調和させることができる。自己の体験をもった上では、調和させるものは、もはや今までのように、対立する「神」と「人」とではなく、これら対立するものが神のイメージそれ自身の中に含まれたものとなる。これが神性な礼拝、神に対して人間の捧げうる礼拝の意味であり、闇から光が生じ、造物主はその創造を意識化し、人間は自分自身を意識化することになる。
 これが人間の目標、あるいはひとつの目標である。これは創造の図式の中に人間を意味深く組み入れ、同時に、その上に意味を与える。
*6
<ここまで引用>

C・G・ユング(池田紘一&鎌田道雄訳)『心理学と錬金術Ⅰ』(人文書院、1976) の「第一部 錬金術に見られる宗教心理学的問題」はユングの分析心理学を概要する内容となっている。それによると、ユングの治療の主眼は自身との対決にある。

<ここから引用>
 人格の暗黒の半身である影との対決は、治療がある程度徹底したものであれば、必ず自然に生じてくる。この問題は教会における罪の問題と同じくらいに重要なものである。影とのあからさまな葛藤は不可避であると同時に、実に厄介な代物である。「そんなことをして一体どうなさるつもりですか」と私はこれまでに何度も尋ねられた。私は何もしない。私にできることは、いわば神を信頼してただひたすら待つことだけである。*7
<ここまで引用>

治療をすることで対決が生じてくるのであれば、それは治療をしたからであって、対決が自然に生じてくるということにはならない。ユングが行った治療とは、治癒に導くために患者に葛藤を強いるものだといえる。

そもそも、人格に暗黒の半身があるのかどうか疑問である。これは、神智学でいうカーマ(サンスクリット語で欲望)に当ると考えるべきだろうか。いずれにしても、この方法はキリスト教における告解を連想させられる。

自分が患者を葛藤に追い込んでおきながら、自然にそうなったとしらばくれたかと思えば、それが不可避で厄介なものだと断言し、挙句には自分は神を信頼して患者が葛藤から解放されるのを待つのだという。「獅子は我が子を千尋の谷に落とす」という諺を思わせるような、スパルタ教育めいた治療である。余談だが、実際には獅子(ライオン)は、うっかりして谷に落ちた子がいれば、すぐに救いに行くそうだ。

患者が存在している社会は、ユングにいわせれば、「現代的な意識が定義できないものは、何もかも精神病と見なされる」*8ような世界である。現実社会で精神病者でなくなるために、患者は自分では考えてもみなかった体験をしなければならないというわけだ。それも夢という、自分ではコントロールしがたい舞台で。それは、現実社会で被害妄想的となった患者を別の妄想へと連れ出すことにはならないのだろうか。

ユングは心という言葉を、明確に定義しないまま多用する。ドイツ語の原文ではどのような単語が使われているのだろうか。

渡辺学「ユングにおける心と体験世界: 自我と非我との相互関係をめぐって」*9から次に引用する。

<ここから引用>
心理学者C・G・ユングにとって、その中心概念となるものは心(Psyche)である。ところが、ユングにおいてその概念はきわめて曖昧に使われている。(略)ユングには広義の心をさししめすことばが数多くある—―心(Psyche)、魂(Seele)、アニマ(Anima)、アニムス(Animus)、精神あるいは霊(Geist)、自我(Ich)、意識(Bewußtsein)、無意識(Unbewußtsein)、コンプレックス(Komplex)、元型(Archetypus)、ペネソナ(Persona)など――が、場合によってユングがかなり曖昧に使っていることは否定できない。
 まず、概して言えることは、心(Psyche)が最広義の概念だということである。

<ここまで引用>

このような曖昧さは、神智学の分類法ではありえない。人間を含めて宇宙のあらゆる生命、また宇宙そのものも「七本質」から成っていると神智学が教えるとき、その定義は極めて厳密である。

4. ブラヴァツキーの夢についての質疑応答

ところで、ブラヴァツキーは夢について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)の中で詳細に語っている。

<ここから引用>
 夢を見ている間は、どんな「本質」が働いているのですか?

 普通の夢はとりたてて意味のない幻といわれるべきもので、本当の夢と区別しなければなりませんが、普通の夢の間に活動している本質はカーマです。カーマとは人格我の座であり睡眠中の低級マナスの記憶により目覚まされ、混沌とした働きをする欲望の座です。

 「低級マナス」とは何ですか?

 それは普通動物魂といわれているもので、ヘブライ人のカバリストのいうネフェシェです。低級マナスとは、高級マナス即ち永久の自我から発する光線であり、人間の心を形成する「本質」です。(略)カーマと「動物魂」の組み合わさった働きは全く機械的です。カーマと動物魂の中で活動しているのは理性ではなく、本能です。体の睡眠中、カーマと低級マナスは様々な神経中枢から機械的に電気ショックを受けたり送り出したりしています。それらのショックは、脳に弱い印象しか与えず、もちろん、記憶は秩序も順序もなしに、そのショックを記録します。(略)「夢」のこの面は十分に観察され、十分正確に、近代生理学及び生物学の本に説明されています。(略)科学にとって全く未開拓な領域は、本当の夢と高級自我の経験です。*10
<ここまで引用>

質疑応答の最後に、ブラヴァツキーは夢は大ざっぱに七つに分けることができ、その一つひとつをさらに分けることができると述べている。

<ここから引用>
(1)予言的な夢。これは高級我によって印象づけられる夢で、一般に単純で明白です。声が聞こえるか、未来の出来事が予見されます。

(2)寓意的な夢、または脳によって捉えられ、空想力によって歪められた実在をかすかに覗いたもの。このような夢は一般に一部だけが当っているにすぎません。

(3)善悪いずれかのアデプトやメスメル術師や、自分の意志を私達に果たさせようと一生懸命になっている強力な心の持ち主の思いによって送られた夢

(4)回顧的な夢、過去生の出来事の夢。

(5)自分自身で印象を受けることのできない人々のための警告の夢。

(6)混乱した夢。その原因は前に述べました。

(7)消化や心配事のような外部的原因による単なる空想や混沌としたイメージの夢。*11
<ここまで引用>

この質疑応答は22頁に渡って記録されている。夢に関する、ひじょうに貴重な記録となっている。

霊媒体質が如何に睡眠を危険なものにするかがわかるし、大酒飲みの前後不覚の無感覚状態となった睡眠が不眠より悪いものであるかがわかる。

心理学に役立ちそうな情報が満載であるが、完全な理解を伴うのでなければ、ないほうがよい知識なのかもしれない。

5. 贈り物のような夢

わたしは昨年の秋、長老と呼ぶことにしている前世の自分(エッセー 0 「当ブログについて」参照)と執筆中の歴史小説のモデルである萬子媛が、わたしを保護者のように見下ろしながら会話している夢を見た。

輝かしいまなざしをした、老いても精悍そうな男性僧侶と美しい萬子媛が、微笑みを交えながら和やかに言葉を交わしている。
二人の姿が見えるわけではないのだが、なぜかそのような姿だとわかる。
「祐徳稲荷では、あなたはあのときのわたしからお逃げになったのですね? モリヤ大師の――弟子集団の一員だった――あのときのわたしから。あなたもあのとき、あの中にいらしたはずだ」
萬子媛の言葉はわからなかったが、男性僧侶に対する神妙で繊細な反応はそれとなく伝わってきた。そして、何か男性僧侶に尋ねられたようだ。男性僧侶は答えた。 「ええ。この子が今生でのわたしの化身です。よくやってくれています」

それだけの夢だったが、長老の信頼感に満ちて誇らしげに響いた「よくやってくれています」という言葉が、主婦として、物書きとして、ひとりの人間としての自分を思うとき、後悔と後ろめたさとコンプレックスに打ちのめされそうになるのが常であるわたしの心をどれだけ慰め、力づけてくれたことか。まるで、贈り物のような夢だった。

わたしは夢占いの本を読むのが好きだが、自分の夢を自分の好きなように解釈したいし、そうする権利と自由があるはずだと考えている。だが、この夢については、意味のわからないまま、そっとしておこうと思う。

*1:『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年11月24日 09:44 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

*2:「ヘッセはおバカだ」(2009年12月4日):マダムNの覚書<http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/12/post-c9f6.html>

*3:「神秘主義エッセーブログの記事「34」に手を加えるに当たって、考えたこと」(2018年12月11日):マダムNの覚書<http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/12/post-7d37.html>

*4:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,はしがきp.138

*5:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,はしがきp.138

*6:ユング,河合&藤縄&出井訳,1973,p.189

*7:ユング,池田&鎌田訳,1976,p.52

*8:ユング,池田&鎌田訳,1976,p.54

*9:「倫理学」2、1984-03-30、pp.87-96、筑波大学倫理学原論研究会 URL: http://hdl.handle.net/2241/15028(2019年1月13日アクセス)

*10:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,「二 夢――ブラヴァツキー・ロッジの議事録より」pp.207-208

*11:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,「二 夢――ブラヴァツキー・ロッジの議事録より」pp.226-227

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2018年12月16日 (日)

「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2019」をBlogger!ブログで公開中

「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2019」をBloggerブログ「Nのめもちょう」で公開中です。

「https化」済みなので、おすすめ記事はそちらのほうがいいかと。ココログも5月以降https対応(選択式)のようなので、それ以降にこちらにもアップするかもしれません。

当初はYahoo!ブログ「Noixの手帖」へご案内していましたが、2019年12月15日をもってYahoo!ブログのサービスが終了になるので、Bloggerブログで新たに「Nのめもちょう」を立ち上げ、そちらへご案内することにしたのでした。

ただ、https化してしまうと、ガラケーでは表示されなくなることが多いんですよね。

また、https化されていたとしても、内容とは関係なく、怪しいサイトが沢山あるのも問題です。

https化によって、収益型のビジネスサイトばかりが前面に出てきて、良質の文化的なサイト(豊富な内容のサイトほどhttps化されていないものが多い)や、本音を吐露し、流行に左右されない記事を公開している個人ブログが検索にヒットしにくくなり、不満が高まります。と、愚痴になってしまいました。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

Nのめもちょう
https://n2019memo.blogspot.com/

  おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2019
https://n2019memo.blogspot.com/2019/03/2019.html

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神秘主義エッセーブログ「90」に加筆

目次 4 の文章に加筆したので、その部分を引用しておきます。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

目次

  1. 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」
  2. ホフマンの原作は、結構不気味ともいえるお話
  3. 原作のストーリー
  4. 神秘主義者の難しい立脚点と要求されるバランス感覚
  5. ホフマンの生涯

神秘主義者の難しい立脚点と要求されるバランス感覚

原作に登場するドロッセルマイアーおじさんの態度の曖昧さ――あちらの世界にこちらの世界の人間を連れ去るエージェントのようにすら見える――は、おそらくホフマンその人の曖昧さであって、どちらの世界も真なることを知っている神秘主義者の難しい立脚点を表わしていると見ることができる。

それを裏付けるようなホフマンの言葉が、ホフマン(大島かおり訳)『黄金の壺/マドモワゼル・ド・スキュデリ』(光文社古典新訳文庫,2009)の解説で紹介されている。

自分はあまりにも多くの現実にからめとられている、と彼は言う。そして「髙い領域へ人を導く天国の梯子[はしご]はその脚を現実生活の中に据えていなければならない」*4(ホフマン,大島訳,2009,「解説」p.392)

そのためには、バランス感覚が要求されるだろう。

一口であちらの世界といっても、低級な世界から高級な世界まで――ぴんからきりまで――性質の異なる精妙な世界が存在するからである。

物質界に一番近い目に見えない世界をブラヴァツキーの神智学ではアストラル界、あるいはカーマ・ローカというが、スコラ哲学ではリンボ界、昔の言葉で黄泉の国ともいう。アストラル界は主観的空間の中にあり、五感を超えたものだが、それでも存在しているとブラヴァツキーは解説している。マリーが入り込んだ魅惑的で危険な世界はこのアストラル界を連想させる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995・改版)の用語解説「幻覚(Hallucination)」には注目すべき解説がある。省ける部分などないのだが、長いので、部分的に引用する。

幻覚(Hallucination)
(前略)様々な幻覚を起こすのはこのアストラル光の波動であるが、幻覚は医者が説明するように、いつもただ無意味で空想的な夢というわけではない。存在しないもの、つまりアストラル波動に印象づけられていないものは、誰も見ることができない。(中略)酔っぱらいも透視家も、霊媒もアデプトも、それぞれのヴィジョンをアストラル光の中で見ているのである。ただ、酔っぱらいや、狂人や、トレーニングを受けていない霊媒や脳脊髄炎の患者は、ヴィジョンをコントロールすることができないので、仕方なしにごちゃまぜのヴィジョンを無意識のうちに呼び起こしているが、一方、アデプトやトレーニングを経ている透視家は、このようなヴィジョンを選択し、コントロールして見ることができる。(後略)*5(ブラヴァツキー,田中訳,1995,「用語解説」pp.30-31 )

アストラル光とは何であるか、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)の用語解説「アストラル光(Astral light))より引用する。

アストラル光(Astral light)
物質の地球を取り巻くエネルギー場。(中略)二面の鏡のように、上の世界を反映すると同時に、物質界に起こることをすべて記憶する。一般の透視家が見るいわゆる「アカ―シック・レコード」は、アストラル光に記録されたものである。そうしたイメージは幻想的で人間の心を迷わせるようなもので、またアストラル光の波状運動は蛇の動きに似ているので、「大蛇」や「サタン」と呼ばれる。*6(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,「用語解説」p.3)

文学もそのなかに含まれる芸術と人間との関係をいえば、上質の芸術作品がもたらしてくれる美を通して高級界との絆を深める情操を育むことこそが大事で、刺激が強すぎる影響力からはマリーのような児童の場合、保護してやるべきではないだろうか。

神秘主義的観点から見れば、これはあくまでわたしの考えにすぎないが、ドロッセルマイアーおじさんは無責任というだけでなく、危険な人物ですらあると思う。ホフマンはなぜあのような結末にしたのだろう?

これを読んだ用心深い母親は、ドロッセルマイアーおじさんのような人物にはちょっと警戒心を働かせるようになるのではないだろうか。ただ、前述したように、やりすぎたと思ったからこそ、ドロッセルマイアーおじさんはマリーの「空想」を否定したに違いない。

このような問題を考えるとき、助けになるのは神秘主義で、それも近代的な言葉で明快に解説されたブラヴァツキーの著作ほど頼りになるものはない。

ホフマンの作品には美が溢れ、高い世界へのあこがれをそそるものがあるという点で貴重だと思うが、現代日本で出版されている子供向けの著作には有害と思えるようなものがずいぶんあるように思えて、危惧せざるをえない。

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