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2019年10月18日 (金)

「98 軌道修正したらしい、2019年発表のノーベル文学賞」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

目次

  1. ノーベル文学賞が迷走した3年間
  2. 2019年発表のノーベル学賞は2年分
  3. 2014年の「IRORIO」の記事で見た、ペーター・ハントケに関する記事
  4. ペーター・ハントケは映画「ベルリン・天使の詩」の脚本でも知られる、オーストリアの作家
  5. オルガ・トカルチュクはポーランドの小説家、エッセイスト
  6. 図書館から借りたトカルチュクの2冊、ハントケの4冊
  7. オルガ・トカルチュクの手法に対する疑問
  8. ペーター・ハントケ『左ききの女』のクリアな世界、真摯な創作姿勢

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加筆、訂正した7,8を転載しておきます。青字が主な加筆、訂正箇所です。元記事は加筆、訂正済みです。

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7.オルガ・トカルチュクの手法に対する疑問

オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』について、訳者あとがきには「本書を構成する111の挿話は、主人公の日常生活、日記、伝説、聖人伝、料理のレシピ、隣人のうわさ話など、それぞれが独立したものでありながら、互いがゆるやかに連関している」*4と解説されている。

独立したものを、なぜバラバラの断章にしてパラレルな形式にするのかわからない。連載物を掲載した雑誌を発行された順に綴じたような、不親切な体裁なのだ。

例えば、パトハリス修道士の物語はまとまって読むほうがわかりやすいだろうに、キノコのレシピや日記などの間に挟まれている。

わたしには必然性が感じられず、全体としてまとまりのない、統一されない内容のものを、統一感のある、意味のある集積に見せかけるためのまやかしの手法に思えた。

出典も、わざとわからなくしているのだとしか思えない。これも、作者がコレクションした文章の寄せ集めをオリジナル性の高いものに見せかけるための誤魔化しではないだろうか。

引用箇所や参考文献がどことわかるように明記してあれば、作者の改変や潤色がどの程度加わっているのか、いないのか、その引用や参考の仕方が適切なのかどうかを調べることができるのだが、それができず、わが国で流行っているパクリと見分けのつかない、フランス語で誤魔化した「オマージュ」という怪しい手法を連想して、わたしは苛立ってしまう。

というのも、「家」をモチーフとしたカリール・ジブラーンの詩の一部は、トカルチュクの小説の扉に置かれているときとジブラーンの詩の中に置かれているときとでは、別物としか思えないからだ。異なる観点から「家」というモチーフが使われ、「家」は異なる意味合いを持っているということである。

また、例えば、『逃亡派』に出てくる「ショパンの心臓」の話は実話だが、作者の解剖学趣味とショパンの心臓の話は全く意味合いの異なるもので、この作品の中に目玉商品のように置かれるのは、わたしの感覚からすれば、ショパンに対する冒涜でしかない。

作品から見る限り、トカルチュクは自然科学的というよりは即物的で、決して宗教的でも、神秘主義的でもない。ご都合主義的な、ごたまぜのスピリチュアル風俗に生きる人なのだ。

わたしがトカルチュクの作品に神経質になってしまうのは、ジェイムズ・ジョイスの恣意的な手法を連想してしまうからで、その手法に対する不審感をエッセー「96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」及び「97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点」で表明した。

ただ、わたしにはオルガ・トカルチュクの作品を読み込んでいる時間的ゆとりがないので、ジョイスの手法に似て見えるという点だけ、指摘しておきたい。

8.ペーター・ハントケ『左ききの女』のクリアな世界、真摯な創作姿勢

ぺーター・ハントケの作品は、池田香代子訳で、『左ききの女』(同学社、1989)を読んだところだ。読み始めると先が気になって、一気に読み通した。

絶対音感という音楽用語があるけれど、これは絶対情感の世界とでもいうべきか、よくも悪くも夾雑物が一切ないクリアな世界である。邦訳文はそれを的確に感じとらせてくれ、読みやすい。

孤独がテーマなのだろう。

女主人公マリアンネには子供が一人いて、彼女は夫ブルーノに別居したい旨を告げる。

小説だが、映像的で、ほぼ会話と描写から成立しており、ハントケが脚本家でもあるという肩書きはなるほどと思わせられる。

女主人公の孤独だけでなく、登場人物全員の孤独が捉えられている。客観的視点を持ちながら、作者は自身を登場人物全員に重ねている。

別居した夫が、腹立ちまぎれにマリアンネにいう。

君はどんどん年をとっていく。たいしたことじゃないわ、とかなんとかいいながら。そしてある日首を吊るんだ。墓に入っても、君の生きざまにお似合いの下品な臭いをぷんぷんさせる。その日まで、君はどうやって過ごすんだ? おおかた、ぼけっと坐りこんで爪でも噛んでるのが落ちだ。そうだろ?*5

ハントケの母親は1971年に自殺しており、このことを扱ったという『幸せではないが、もういい』が出たのは、翌1972年のことだった。『左ききの女』が出たのは1976年である。

女性の孤独を濃密に扱ったこの作品にも、母親のことが投影されているのではないだろうか。図書館にペーター・ハントケ(元吉瑞枝訳)『幸せではないが、もういい』(同学社、2002)がなくて残念だ。いずれ読みたいと思っている。

作者の視点は小説に登場する子供の視点と重なりながらマリアンネを観察し分析し、彼女の輪郭を顕微鏡にかけるかのように外側から克明に描写する。

マリアンネがおかしくなりそうなクライマックスで、彼女の父親が登場し、よい味を出す。父親は往年の流行作家で、今は雑文書きとなっている。この父親に娘のマリアンネは似ており、彼は娘の指標となりうる人物なのだ。

父親の登場で、マリアンネは救われたといっていいだろう。

作者ハントケは無力な子供シュテファンとしてマリアンネを見つめる一方では、滋味に溢れた物書きの父親となって、マリアンネを見つめる。

息詰まるようなストーリー展開であるにも拘わらず、途中で読むのが嫌にならないのは、作者の真摯さ、誠実さ、人間的な温かさが読者にも伝わってくるからだろう。

マリアンネが父親に再会して再生のきっかけを掴むように、読者も作者から言葉にできない何か確かなものを受けとる。

それは孤独を課題として引き受けて身じろぎもしない、作者の誠実な創作姿勢及び不撓不屈の精神性であるかもしれない。

父親と別れたマリアンネは、息子と山登りをする。風景描写が美しい。

下の方では煤に点々と汚れていた積雪もこのあたりでは純白だった。犬の足跡に代わって鹿の足跡があった。
 二人は下生えをかきわけて登って行った。いたるところ鳥の声に満ちていた。雪解け水が小さな流れを作って音たてていた。樫の幹からか細い枝が生え、干涸らびた葉が数枚そよいでいた。白樺の幹には白い樹皮が縞模様をなして垂れ下がり、震えていた。
 二人は木立が疎らになったところを行き過ぎた。空き地の縁には鹿が群れていた。それほど深くもない雪からは枯れ草の先がのぞき、草になびいていた。*6

頂上で、焼いたじゃがいもを食べ、魔法瓶の熱いコーヒーを飲みながら母子は思い出を語り、ふとマリアンネはイエス・キリストの十字架への道行きのいろんな留[りゅう]のシーンを描いた絵の話をする。その話が印象的だ。

『イエス、十字架より下ろさる』はほとんど真っ黒で、その次の最後の留、イエスがお墓に葬られるシーンはまた真っ白なの。そこからがおかしな話なんだけど、お母さんはゆっくりと絵の前を歩いていたのね。その最後の真っ白の絵の前に立ったとき、突然、白い絵と重なってほとんど真っ黒のさっきの絵が、数秒間残像になって見えた。それから真っ白な絵が見えた。*7

このような、宗教に属するモチーフは、作品の中でふいに顔を出す。

宗教がマリアンネにとってかけがえのないものであり、彼女の意識が純粋に向かう対象であって、日々の営みの通奏低音となっていることがわかる。読者にその感覚の共有を強いるようなものではない。ハントケは読者を信頼して、彼の大切なものを女主人公に分かち与えたのだ。

その後、父親を除く大人の登場人物がマリアンネに誘われて集合し、ホームパーティーとなる。夫ブルーノ、マリアンネの友達で教師をしているフランツィスカ、マリアンネがブルーノのセーターを買ったブティックの女性店員、マリアンネを翻訳者として雇っている社長とその運転手、マリアンネに言い寄る俳優――といった人々である。

各人が自分の孤独を身の内に宿したまま大団円を迎え、パーティーは御開きとなる。

これは未だ初期の作品で、後半部は幾分緊張感が緩み、結末を急ぎすぎた感もあるが、純文学作品らしい手応えのある作品である。

ひとまず、ノーベル文学賞が軌道修正したことに万歳といいたい。おめでとうございます、ペーター・ハントケ。疑問点はあるけれど、おめでとうございます、オルガ・トカルチュク。

*4:小椋彩、P.378
*5:ハントケ,池田訳,1989,pp.82-83
*6:ハントケ,池田訳,1989,pp.119-120
*7:ハントケ,池田訳,1989,pp.123

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2019年9月25日 (水)

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新、43。萬子媛の小説に関すること。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

目次

  1. 「講談社新社長」「青い鳥文庫」に関する新聞記事
  2. 拙読書体験
  3. ベルテ・ブラット(石丸静雄訳)『アンネは美しく』(偕成社、1970)

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エッセーブログを更新し、続けて「44」として以下の記事を収録するために、その過去記事を再読。2007年の古い記事で、何を書いたかすっかり忘れていただけに、自分の文章に驚かされました。「ああ、いつか新作能の脚本を書いてみたいなあ」なんて、大それたことを書いているのです。

2007年10月17日 (水)
能『船弁慶』を観て
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/10/post_6c22.html

能に詳しいわけでもないのに恥ずかしいことを書いて……と思いながら、記事に加筆するために小学館と岩波の『謡曲集』2冊を開きました。すると、熱心にそれらの本を読んでいたころの記憶が甦りました。

確かに、能を含む古典にはまっていたこのころであれば、新作能の脚本を書けそうな気がしたのもわかるような気がしました。そして、今回連想したのは、第二稿に一向に入れない、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説のことです。

歴史小説にするには、何か、そぐわないものがあるのです。

わたしは神秘主義者として萬子媛を通して感じることのできた高雅な現象を書きたいのであって、よくわかりもしない萬子媛の生前のあれやこれやではないのです。

いや、あれやこれやにも興味があるから研究ノートを当ブログにアップし、そのまとめをエッセーとして「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録してきたわけですが、そのノートは、萬子媛の高雅な現象を表現できてこそ存在価値があるのです(エッセーは「萬子媛研究」といったような形にまとめたいと考えます)。

その表現にふさわしい形式は、新作能以外にありえない気がしてきました。

古典にはまっていない現在、新作能を書けそうな気がしません。勉強すれば、書けるでしょうか。とりあえず、戯曲にしてみてはどうでしょう。戯曲なら書いたことがあるので、書けるはずです。新作能ならなおいいでしょうが、それはハードルが高いかもしれません。

とりあえず戯曲にしてみようかと思った瞬間、脳裏に百花繚乱の景色が匂うばかりに広がりました。新作能の本を数冊、図書館から借りて読んでみたいと思います。

「The Essays of Maki Naotsuka」に収録しようと思っていた前掲記事は、加筆して「マダムNの神秘主義的エッセー」のほうに収録する予定です。

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ところで、最近、わたしのパソコンにもWindows 10 の新大型アップデート「May 2019 Update (バージョン1903)」が提供されたのですが、それ以降、Microsoft Edgeでサイトを閲覧していると、よくEdgeがフリーズするようになりました。Chrome、Firefoxでは正常に動作するのですよ。

タスクマネージャーでEdgeを閉じても、立ち上げるとまたフリーズしたままの元の画面が出てきます。再起動しても、シャットダウンしても、Edgeを立ち上げると、同じ元のフリーズしたままの画面。

困ったと思い、ググったら、Edgeの設定をリセットしたらいいことがわかりました。

「スタート」メニューの歯車(設定)」をクリック→「Windowsの設定」画面で「アプリ」をクリック→「アプリと機能」画面で「Microsoft Edge」をクリック→「詳細オプション」をクリック→「Microsoft Edge」画面で「リセット」をクリック。

そうすると、閲覧の履歴などのデータが削除されます。わたしの場合は今回、この方法で改善しました。

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2019年8月23日 (金)

神秘主義エッセーブログ「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に加筆しました

マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

別記事にしようかと迷いながら、加筆を重ねています。加筆部分を転載しておきます。

目次

  1. 絵画によるマグダラのマリアの競演
  2. 東方教会が伝える、誇り高く行動的なマグダラのマリア(主の復活の第一証人、方々へ伝道、ローマ第二代皇帝にイエスの冤罪を直訴)
  3. イエスが結婚していたとする説
  4. イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)
  5. イエス一家の棺の発見
  6. 「フィリポ言行録」について

イエス一家の棺の発見
2019年8月22日における追記 1: イエス一家の棺の発見

前章「イエスの愛しておられた者とは誰か?(横になって食事するローマ式だった最後の晩餐)」で、わたしは最後の晩餐でイエスに寄り添っていた「イエスの愛しておられた者」が誰なのかを推測した。

その人物が、イエスの最も高位の愛弟子であり、妻でもあったマグダラのマリアであってはなぜいけないのか、と書いた。そのように書きながらも、疑問を拭いきれなかった。

最後の晩餐だからといって、妻が師でもある夫の胸に寄り添うのは行き過ぎのような気がしていたのだった。だが、それが成人男性であるとすれば、もっと異常な場面であると思われ、従ってマグダラのマリアと考えざるをえないと思っていたのだ。

疑問を払拭する著書に出合ったので、追記しておきたい。

7月のある日、図書館から借りた10冊の中に、シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ペルグリーノ(沢田博訳)『キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌』(イースト・プレス、2007)が混じっていた。何となく借りた、内容にはほとんど期待していなかった本だった。

ところが、わたしには面白いどころの本ではなかった。

1980年代に、エルサレムで2000年前の墓が発見されていたという。納骨洞にあった10個の骨棺は、イエス(ヨセフの息子イエス)、マグダラのマリア(師として知られたマリアムネ)、2人の子供であると思われる男の子ユダ(イエスの息子ユダ)他、新約聖書に登場するイエスの家族のものだというのである。

1世紀ごろのユダヤ社会では、イエスもマリアもユダも他の家族の名もありふれたものだったが、これだけの名が一つの家族に集まる可能性は600に一つにすぎないらしい。

このドキュメンタリーから、ジェームズ・キャメロン監督によるテレビ用のドキュメンタリー番組が制作された。

わたしは『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタとなったマイケル・ベイジェント &ヘンリー・リンカーン&リチャード・リー『レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説』(柏書房、1997)を面白く読み、『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした児童小説の参考にもしていた。

それなのに、どういうわけか、『キリストの棺』も、日本でも放送されたというドキュメンタリー番組も(ググったらフランスの動画サイトで出てきた)、全く知らなかったのである。

当時の新聞記事が出てきた。

「『キリストに妻子』、ジェームズ・キャメロンのドキュメンタリーが波紋 - 米国」『AFPBB News』。2007年2月27日 11:45 発信地:米国、URL: https://www.afpbb.com/articles/-/2187431

わたしは興奮した。何と、著書の内容が欠けていたピースの役割を果たし、イエスの物語を辻褄の合う物語にしてくれたのである!

最初、あまり『キリストの棺』を読む気がしなかったのは、マグダラのマリアが南フランスで亡くなったと思っていたからだった。

ところが、『キリストの棺』によると、わたしが未読の新約聖書外典『フィリポ言行録』に、ローマ帝国の迫害を逃れて一旦フランスへ渡ったマグダラのマリアが兄フィリポと共に小アジアへ伝道の旅に出、後にエルサレムへ戻ったという記述があるというのである。

マリアには、マルタという姉とラザロという弟がいたのではなかったか? 兄もいたのだろうか。

もし、『フィリポ言行録』の記述が本当であれば、彼女の骨棺がエルサレムで発見されても不思議ではないことになる。

『キリストの棺』によると、「マリアムネ」と「イエス」の骨片はそれぞれの骨棺の底に残っていた。

細胞核から抽出したDNAは、損傷がひどくて、分析に適さなかった。母方の家系を探るのに使える、細胞質に存在するミトコンドリアDNAの抽出に成功し、それによると、マリアムネすなわちマグダラのマリアとイエスは母と子ではなく、兄弟でもないと判明した。つまり、他人である。

他人でありながら同じ墓から出てくるケースは、夫婦以外に考えられないという。

イエスにユダという名の息子がいたという推定については、著者達はその根拠を新約聖書に求め、『マルコによる福音書』に出てくる次の若者がそうではないかという。

ある若者が素はだに亜麻布だけをまとって、イエズスの後についていたが、人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げ去った。*10

異様な記述だと思っていた。裸で逃げる? 著書によると、大人が素肌に薄い亜麻布のシャツだけを身につけているなど考えられないが、子供ならありえたそうだ。

また、『ヨハネによる福音書』で、イエスの十字架の傍らに女性達に混じって立っている「愛する弟子」も、イエスの息子ユダだと著者達は考えた。

ところで、イエズスの十字架の傍らには、その母と母の姉妹、クロバの妻マリアとマグダラのマリアがたたずんでいた。イエズスは、母とそのそばに立っている愛する弟子とを見て、母に、「婦人よ、これはあなたの子です」と仰せになった。それから弟子には、「この方は、あなたのお母さんです」と仰せになった。そのときから、この弟子はイエズスの母を自分の家に引き取った。*11

著者達は、聖書ではマグダラのマリアと聖母マリアが意図的に混同されている、とする説を紹介している。意図的な混同は、マグダラのマリアとイエスの本当の関係を隠すためだという。

この場合、ヨハネの福音書に言う「母」は実のところ「妻」マグダラであり、死にゆくイエスは愛する妻に「息子を頼む」というメッセージを残したとも解釈できる。*12

『ヨハネによる福音書』のこの箇所にも、わたしはずっと違和感を覚えていた。女性達の中に男性の弟子が一人だけ混じっている不自然さ。その弟子に、イエスはなぜ自分の母親を押し付けることができたのだろう。弟子の正体が皆目わからなかった。

だが、女性達の家族的な雰囲気の中に混じっているのが子供だったとすれば、納得がいく。この子は父親であるイエスが心配でたまらなかったのだろうし、子供であれば、祖母と母がいるところに一緒にいてもおかしくない。

いずれにしても、最後の晩餐でイエスの胸に寄り添っていたのが幼い息子であったとすれば、何と納得がいくことだろう! 自身の死とエルサレムの崩壊を予感していたイエスは、後継ぎである息子を抱き寄せて、最後の食事をしたのではないだろうか。

ところで、中世に著わされた聖人伝説集、ヤコブス・デ・ウォラギネの『黄金伝説』にはマグダラのマリア伝説がある。舵のない船で海に流されたマリア一行が南フランスに漂着したという伝説なのだが、その中に領主夫妻の子として出てくる、愛くるしい男の子がわたしは忘れられなかった。

ヤコブス・デ・ウォラギネ(前田敬作&山口裕訳)『平凡社ライブラリー 578 黄金伝説 2』(平凡社、2006)では、マリアの出自について、次のように書かれている。

マグダラのマリアは、〈マグダラ城〉とあだ名されていた。門地は、たいへんよかった。王族の出だったのである。父の名はシュロス、母はエウカリアといった。弟のラザロ、姉のマルタとともに、ゲネサレト湖から2マイルのところにあるマグダラ城とイェルサレム近郊のベタニア村と、さらにイェルサレム市に大きな地所を所有していた。しかし、全財産を3人で分けたので、マリアはマグダラを所有して、地名が名前ともなり、ラザロはイェルサレムを、マルタはベタニアを所有することになった。

マグダラのマリアは王族の出で、マグダラの領主だったという。マグダラは古代におけるガリラヤの都市の一つである。

彼女はイエスの死後14年目に、南フランスに船で漂着した。

そして、奇妙なことに、マグダラのマリア一行の漂着後、すぐに子宝物語が始まるのである。『黄金伝説』から、ざっと紹介しておこう。

偽神に子宝をさずかる願をかけようとしたマルセイユの領主は、マリアにとめられ、キリスト教の信仰を説かれた。領主は、マリアの信仰が真実であるか確かめたいといい出し、マリアはそれに対して、聖ペテロに会うようにと促す。領主は、マリアに男の子をさずけてくれたならそうするという。夫人はみごもる。

ペテロに会いに行くという領主に、身重の夫人は無理について行く。マリアはお守りの十字架をふたりの肩に縫いつける。一昼夜航海したとき、嵐に遭い、夫人は船の中で男児を産み落とした後で死ぬ。困った領主は、母の乳房を求めて泣く赤ん坊と亡骸を岩礁に置き去りにする。

ローマのペテロに会いにいった領主は、2年間をペテロと共に過ごす。帰途、赤ん坊と亡骸を置いた岩の島に寄ると、赤ん坊は愛くるしく育っていて、領主が妻のことをマグダラのマリアに祈るうちに、妻はまるで『眠れる森の美女』のように目を開ける……

これはどう考えても不自然な話だが、イエスとマグダラのマリアの間に子供がいたという秘密を潜ませようとしたための不自然さなのかもしれない。

イエス、聖母マリア、マグダラのマリアのものと考えられている骨棺について、『キリストの棺』から、もう少し詳しく紹介しておくと、イエスのものと考えられる骨棺は10個の骨棺のうち最も簡素であったという。

それには、「YESHUA BAR YOSEF(ヨセフの息子イエス)」というアラム文字の刻印があった。しかも、先頭の Y の字の前には、文字より大きな「X」マークが刻まれていた。

それが何であるか、著者達は旧約聖書のエゼキエル書(9・4)に根拠を求め、アラム語やヘブライ語のアルファベットで最後に来る文字「タウ」と推定する。

その「X」に似た文字は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*13によれば、「それ自体で何かの終わりを、また同時に新しい何かの始まりを意味していた」というのである。

 イエスのミトコンドリアDNAは、2000年前のヨルダン川流域に住んでいたセム族のそれに酷似していた。ギリシャやインドに由来する遺伝子も観察できたが、圧倒的にセム族の痕跡が強い。
 イエスやマグダラのマリアはどんな顔をしていたのだろう。確かなことは誰にもわからないが、マセソン博士によれば、髪と目は黒かった可能性が高い。イエスの髪にはウェーブがかかり、アフリカの人のように「縮れて」いただろう。*14

聖母マリアのものだとされる骨棺には、「マリア」の名がヘブライ文字で刻まれていた。「マリア(Maria)」は聖書に出てくる「ミリアム」のラテン語バージョン。ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*15によると、「ただしヘブライ語の綴りではなく、ラテン語での発音をそのままなぞっていた」そうだ。

マグダラのマリアのものだとされる棺には、「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれていた。

Marat(マラ)はアラム語で「主」または「師」を意味し、男性形も女性形も同形。Mariamne(マリアムネ)は、ヘブライ語Miriam(ミリアム)のギリシア語バージョンだという。

マグダラのマリアはガリラヤ湖周辺の生まれで、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ*16によると、「イエスの教団を経済的に支える存在」であり、土地柄からも彼女はおそらくバイリンガルで、ヘブライ語とアラム語に加えてギリシア語にも通じていたと考えられるそうだ。

ギリシア語ができたからこそ、マグダラのマリアはギリシア語圏であった小アジア(アナトリア)で、師と呼ばれるほどの活躍ができたのだろう。

ちなみに、旧約聖書は概ねヘブライ語で記されている。イエス時代のパレスチナで使われていたのはアラム語であった。新約聖書にもイエスの言葉としていくらかアラム語が出てくる。新約聖書はギリシア語で記された。

「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺は、ヤコボヴィッチ&ペルグリー*17によると、「バラの花弁をあしらったロゼッタ文様で美しく飾られて」いた。

 

「フィリポ言行録」について
2019年8月22日における追記 2: 「フィリポ言行録」について

シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ベルクリーノ(沢田博訳)『キリストの棺』(イースト・プレス、2007)には、初期キリスト教の文献にたびたび引用されているが、わずかな断片が残るのみだった「フィリポ言行録」がよみがえったという、次のような興味深い記述がある。

1976年、フランス人のフランソワ・ボボンとベルトラン・ブービエがアトス山のクセノフォントス修道院の車庫に眠る文献の中から、「フィリポ言行録」のほぼ完全な写本を発見したのである。4世紀ごろのテキストにもとづく、14世紀の写本とされている。
 2000年6月、ボボンらはアトス山版「フィリポ言行録」のフランス語訳を完成し、世に問うた。そしてマグダラのマリアが使徒フィリポの妹であり、「マリアムネ」と呼ばれていたことを明らかにした。マグダラのマリアに関する限り、「フィリポ言行録」は新約聖書をはるかにしのぐ情報の宝庫だった。*18

英語版ウィキペディアによると、フランソワ・ボボン(FrançoisBovon 1938年3月13日 - 2013年11月1日)はスイスのローザンヌ生まれ。聖書学者、初期キリスト教の歴史家。ハーバード神学校宗教史の名誉教授。
François Bovon - Wikipedia

フランス語版ウィキペディアによると、ベルトラン・ブービエ(Bertrand Hermann Bouvier  1929年11月6日 - )はスイスのチューリヒ生まれ。ジュネーブ大学文学部の名誉教授。
Bertrand Bouvier — Wikipédia

残念ながら、『フィリポ言行録』はまだ邦訳されていないようだ。

マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール(藤井留美&村田綾子訳)『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(日経ナショナル ジオグラフィック社、2006)には、マグダラのマリアが登場する文書として、新約聖書の福音書、ペトロの福音書の他に注目すべき文書群――マリアの福音書、トマスの福音書、フィリポの福音書、救い主との対話、ピスティス・ソフィア、マニ教詩篇集「ヘラクレイデスの詩篇」が紹介されている。

これらに「フィリポ言行録」が加わって、いよいよマグダラのマリアの存在感、文書類の内容の統一感が際立ってくる。それにつれて、新約聖書に登場する人々のよくわからなかった異様、異常と思われた行動も理解できるものとなっていく。

 

*10:マルコ14.51-52,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.171

*11:ヨハネ19.25-27,フランシスコ会聖書研究所訳,1984,p.388

*12:ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ,2007,p.305

*13:2007,pp.293-294

*14:ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ,2007,p.262

*15:2007,p.38

*16:2007,p.168

*17:2007,p.50

*18:ヤコボビッチ&ベルクリーノ,沢田訳,2007,p.160

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2019年6月19日 (水)

「97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスの…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

当ブログで公開した記事に手を加えたものですが、加筆、訂正しましたので、以下に転載しておきます。

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97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 


なぜ、ジェイムズ・ジョイス(ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス James Augustine Aloysius Joyce,1882 - 1941)がブラヴァツキー夫人(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー Helena Petrovna Blavatsky,1831 - 1891)を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。

わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。

彼は様々な知識を、概念を、頭がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。

詩的(?)な小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。

わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治(1909 - 1948)を、あるいはフィッツジェラルド(フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド Francis Scott Key Fitzgerald, 1896 - 1940)を連想した。

アイルランドのダブリン南郊ラスガー*1の子沢山の家庭に生まれたジョイスは、評伝によると、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。

カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。

ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。*2

ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。

しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。

わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。*3

こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。

一方では、ジョイスの人気の秘密が彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。わたしがジョイスから太宰治やフィッツジェラルドを連想するのもそのためだ。

ジョイスが性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。

青年期のジョイスは家を罵倒したりしながらも、両親をはじめとする家族に期待され、学んだりフラフラしたりする自由を与えられている。

物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。

ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。*4

この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。

というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル(ジョージ・ウィリアム・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)、イェイツ(ウィリアム・バトラー・イェイツ William Butler Yeats, 1865 - 1939)、グレゴリー夫人(イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932)らの恩恵を被っているはずだからである。

ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。

また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。

評伝にみる限り、ジェイムズは謙虚な礼儀正しい人物とはおよそいいがたい。しかし、破天荒、豪放磊落というには変に憶病である。

評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。

31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。

40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。

作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。

なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。

ノラとの間では紆余曲折あったようだ。

ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。*5

が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」*6という感動的な言葉を綴っている。

死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアには奇行が目立ったが、それは精神を病んでいたためで、このとき彼女はリヴリの病院に入院していた。溺愛する娘を心配しながらの出発だった。

フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。

ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。*7

新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。

ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。

父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。

ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。

一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。そのわりには、馬鹿に高く評価されている気がする。

エッセー 96「ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」でみたように、結城英雄氏がオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*8で、「文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる」とお書きになっているところからすると、こうした文学現象は――村上春樹現象がそうであったように――多分に作られたものであった。

それが物書きとして幸福なことなのか、不幸なことなのかは、わたしにはわからない。しかし、文学にとっては明らかに不幸なことであった。しかも、不幸は――被害は、というべきだろうか――文学の分野に留まらない。

茶化しや悪ふざけというには悪意の感じられる、捏造された、誤解を招くジョイスの表現のために、迷惑を被った人物や事柄は多いと思われる。ブラヴァツキー夫人及びその思想が被った迷惑は、その一例である。

評伝でみる限り、酒を飲みすぎた感のあるジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。

ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。

そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。

そして、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)によると、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」*9は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。

その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。

この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。

なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学では、自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を、前掲書『神智学の鍵』から引用しておきたい。

自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。*10

 

*1:ジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」参照

*2:オブライエン,井川訳,2002,p.14

*3:オブライエン,井川訳,2002,p.7

*4:オブライエン,井川訳,2002,p.16

*5:オブライエン,井川訳,2002,p.200

*6:オブライエン,井川訳,2002,p.196

*7:オブライエン,井川訳,2002,p.204

*8:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,「用語解説」p.24

*10:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.142

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2019年6月 4日 (火)

神秘主義エッセーブログ「96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で…」に加筆しました

加筆は青字部分です。目次8。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で茶化されたブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

ジョイスの幼児性が物悲しい

ところで、ジョイスはヴァージニア・ウルフ同様、意識の流れという技法を使ったといわれている。ウルフの小説は確かにそのような実験ごころと何かに到達しようとする祈りのような意志を感じさせる。一方、ジョイスの場合は遊びにしかなっていないとわたしには思える。

例えば 18 のペネロペイア。句読点のない、主人公ブルームの妻モリーの独白が455頁から563頁まで続く。意識の流れがこんなに不自然なものであるはずがない。ヴァージニア・ウルフの技法とは似て非なるものだ。

ジョイスは糞尿好き、卑猥好きで、わたしは読みながらうんざりするが、丸谷才一氏はそうした傾向にも、解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」で好意的な考察を加え、ユリシーズで最も重要なのは言語遊戯だという。「対象のきたなさと言葉の藝の洗練との対立は、ただ息を呑むしかない」*14そうである。

ヴァージニア・ウルフをはじめとするブルムベリー・グループの作家、イギリスの読者は『ユリシーズ』を嫌がったそうで、それはこの糞尿譚のせいではないかと思っていたそうだ。理性的な作家であれば、それが作品を嫌う一番の原因となることはないのではないか。不快に感じてしまうこのような箇所を、わたしなら飛ばすだけだ。

合成語、造語も得意だったらしい。脚注から引用した前掲のyogibogeybox(降霊術用びっくり箱)はそうだが、電話、エレベーター、水道設備、水洗便所という4つの単語を「神智学者が好きなサンスクリット用語めかした綴り字で書いて、ダブリンの文学者たちが AE やイェイツを含めてマダム・ブラヴァツキーに心酔してゐるのをからかったもの」*15もある。

ジョイスのからかいはともかく、当時のダブリンに、ブラヴァツキー夫人の神智学に心酔していた真摯な文学者たちがいたという情報がもたらされたことは、ありがたい。ウィリアム・バトラー・イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。わたしは未読だが、彼には日本の能楽の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』などもある。

氷川玲二氏の解説「ダブリン気質」の次の記述は、ジョイスの言語遊戯に彼の屈折した感情があったことを推測させる。

ただしそれに関しても彼は狷介孤独だった。たとえば目下流行のアイリッシュ・ルネサンス(アイルランド文芸復興運動)とやらにも何だか馴染めない。人並みに多少ゲール語をかじってみたりしたけれど、なにしろこれは現在ではアイルランド西部の田舎でしか通用しない言葉だし、それによって表現できる事柄の範囲も狭い。*16

ジョイスは、アイルランド文芸復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人*17らの恩恵を被りながらも、結城英雄氏のオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*18によると、彼らと対立していたという。

それは、出自の違いによるところもあったらしい。彼らがアイルランドの支配層であったイギリス系アイルランド人のプロテスタント教徒であったのに対し、ジョイスは土着のカトリック教徒だった。

今日のアイルランドにおけるイェイツ批判の背景にあるのは,プロテスタントとカトリック,イギリス系アイルランド人と土着のケルト人という,19世紀後半から顕在化していた対立図式である。批判者のほとんどがカトリックの側に属していることからして,南北に分裂したアイルランドの現状を映し出している。文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる。*19

結城英雄氏は、「ジョイスもイェイツも,アイルランドという地方性を越え,ヨーロッパ文明を包括する普遍性を希求していたのである」*20とお書きになっているが、普遍性を希求していたにしてはジョイスのフィルターは自身の好悪の念で曇りすぎているのではないだろうか。

丸谷才一氏によると、ジョイスの語彙は、専門語、学術語から、俗語、卑語、幼児語、誓語(罵り言葉)、擬音語にまで及ぶという。「言語の多様性へのかういう執着は、長編小説を、 辞書と競争 させようといふもので、この企てもまた明らかに言葉遊びの一種であり、そしてこの遊びは当然、 百科事典と競争 歴史事典と競争 地名事典と競争 する段階へ進む」*21そうだ。

何が当然なんだか……わたしは、ジョイスと関わるのはもう充分である。ブラヴァツキー夫人が病身に鞭打ち、どれほどの思いで執筆に向かっていたかを伝記と著書を通して知っているためか、何か物哀しい気分にさえなった。

*14:丸谷,1997,p.585

*15:丸谷,1997,p.583

*16:氷川,1997,p.637

*17:イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932 アイルランドの劇作家・詩人

*18:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*19:結城,2014,pp.59-60

*20:結城,2014,p.69

*21:丸谷,1997,p.587

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2019年6月 2日 (日)

「96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

前の記事に加筆、訂正したものです。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で茶化されたブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

目次

  1. ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を読むことになったきっかけ
  2. モダニズム作家であったジョイス
  3. ユリシーズの構成と内容
  4. ブラヴァツキー夫人の神智学が茶化され、歪められて……
  5. ジョイスには真理も真実も必要なかった
  6. いろんな手口を心得ている婆さん?
  7. 神智学協会関係者が5名登場する場面
  8. ジョイスの幼児性が物悲しい

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2019年5月 9日 (木)

「95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告」を神秘主義エッセーブログにアップしました

今日も、iPadでの更新です。

パソコンのバッテリーはまだ届きません。バッテリー交換くらいでは直らないだろうけど。パソコン再開がはてしなく、遠い……

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたエッセーは、当ブログの過去記事2本をまとめたものです。

95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/05/09/202238

マインドフルネスというのが流行っているんですってね。何のことかわからなかったので、最近まで書店員だった娘に訊くと、「スピリチュアル系の瞑想みたいなものじゃないかな。怪しげな本がいっぱい出ているよ」とのこと。

ウィキペディアを見ると、心理学と関係がありそうですね。前世療法に呆れたばかりなのに、まあ次から次へと。

神秘主義的要素を取り込むのであれば、生半可な知識はとても危険です。

水をさすつもりはありませんが、瞑想の危険性も知っておいたほうがいいですよ。

 

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2019年3月24日 (日)

エッセーブログの 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」の 41「ゴッホが求めたもの」に加筆しました。

加筆したのは、目次 7 の一部と 8 の全部です。

目次

  1. ゴッホ全油彩画
  2. 国立西洋美術館で出合ったゴッホの「ばら」
  3. パンのオブジェ
  4. 入魂の絵の数々
  5. ああ、馬鹿な男たち……!
  6. はっきり言って、ゴッホは可愛い
  7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人
  8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察
  9. 2019年3月23日における追記:ゴッホの画集から感じられた不純物の正体

以下に、7と8を全文(画像を除き)、引用しておきます。

7. ゴッホとゴーギャンにおけるジヌー夫人

 ここで、ゴッホとゴーギャンの話題に戻ろう。画集には、ジヌー夫人という中年女性を描いた両者の絵が収録されていた。これが同じ女性だろうか、と思うくらいの違いがそこにはある。

 ゴーギャンの描いたジヌー夫人の絵からは、彼がタヒチへ行ってしまった謎が読み取れるような気がする。絵の向かって右前方にカフェの女主人ジヌー夫人が、どこか皮肉っぽさを湛えた艶っぽい笑みを口の端に浮かべ、左頬杖をついて座っている。背景には玉突き台、その後ろに顔はよくわからないながらキツネのように目の端が吊り上がった客たち、奥に平板に塗りこまれた赤い壁。

 ジヌー夫人はしたたかそうで、腹黒そうで、気に入りの客には情け深そうでもある、如何にもカフェの女主人という感じの女性に描かれている。それ以上の人間でもそれ以下の人間でもないという、大雑把に値踏みしたような描き方だ。

 ただ、見ようによってはジヌー夫人は地母神のようにも見える。なかなかどうして、動かそうとしても動かしえない安定感が彼女には備わっているのだ。タヒチへ行って、この安定感をゴーギャンは発展させたかったのかもしれないし、あるいは逆に、ねっとりと濃厚な、底意地の悪そうにも見えるこの女性は、彼の嫌悪する社会そのものの象徴である可能性もあった。

 事実、ゴーギャンは、これを描いたアルルという土地を嫌い、去ったのだから。いずれにしても、ゴーギャンを知ろうとするうえで、興味深い絵ではある。

 他方、ゴッホのジヌー夫人。この絵に関しては、あまり説明を要しない気がする。ゴッホのジヌー夫人は、精神性の勝った、思慮深げな女性に見える。とことん精神的な描き方だ。理想をこめた描き方といってもいいかもしれない。

 というのも、ゴッホのジヌー夫人はカフェの女主人には見えないからだ。婦人会の会長か何かに見える。ゴッホは大変な読書家だったが、ジヌー夫人もそうだったのだろうか。単なる装飾として置かれたのだろうか。

 ちなみに、『ゴッホの手紙〔全三冊〕』(硲伊之助訳、岩波文庫 - 岩波書店、1955・1961・1970)に収められた書簡には、ボードレール、ドーデ、ロチ、ゾラ、バルザック、ゴンクール兄弟、モーパッサン、フロベール、リシュパン、トルストイ、ストウ、ディケンズ、ラマルチーヌ、ヴォルテールといった作家の作品に言及がある。特に、バルザック、ゾラ、モーパッサンは好きだったようだ。

 また、宗教書、歴史書も好んだ。牧師の家に生まれ、画家を志す前は聖職者を志した来歴からすると、宗教書への関心は当然かもしれないが、ゴッホの読書の仕方は信仰者としてのそれというよりは、いわゆる知識人的読み方ではないだろうか。書簡には、次に引用するような考察が出てくる。

 君はルーテルの伝記を読んだことがないのか。クラナッハもデュレルも、ホルバインもその影響を受けた。その――人格は――中世の高い光だった。
 君と同意見で太陽王は嫌いだ――なんだか燈明消しのような気がするルイ十四世――あんなソロモン王をメソジスト教徒にしたような奴は、何につけてもやっかいだったにちがいない。僕はソロモン王はきらいだしメソジスト教徒はなおさらなんだ――ソロモン王は偽善的異教徒らしいし、他の様式を模倣したその建築は全く尊敬できない、文章もきらいだ、異教徒はもっとすぐれたものを残している。
*5 エミル・ベルナール編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(上)』(岩波文庫 - 岩波書店、1955、p.123)

 その後もゴッホはジヌー夫人を描いていて、これらはさらに彼の理解度だか理想度だかはわからないが、それが高まった感のある、善良そのもののジヌー夫人だ。

 1890年以降のジヌー夫人は、ゴーギャンの素描を基に制作されたものらしい。ウィキペディア「アルルの女(ジヌー夫人)」に、次のような解説がある。

 1890年以降の別バージョンの構図はポール・ゴーギャンが1888年に描いた素描が基とされ、ゴッホの筆による同様の構図の絵が複数(4点とされる)ある。そのうちで特に傑作とされるものが、衣服がピンク色の1点である(他の3点は衣服が黒い暗色である)。
*6 「アルルの女 (ジヌー夫人)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年10月10日 13:40 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

 テオが所有していたプライベートコレクションの絵は、落札されたのが丁度このエッセーを書いたころの2006年5月で、2002年刊行の『ゴッホ全油彩画』には、モノクロで撮影された小さな写真「アルルの女(ジヌー夫人)1890年2月(サン・レミ)油彩、カンヴァス 66×54 ㎝ F 543,JH 1895 所在不明」として掲載されている。

 精神的な美点を際立たせるような描き方で、彼女は純朴な、それでいながら理智的でもある綺麗な笑みをほのかに見せて、こちらを見ている。柔和さの頂点に達した修道女といった雰囲気さえ湛えている。

 ゴッホは他人との交わりに、心から精神的なものを求めた人であったに違いない。まことに、いじらしい。社会人として生き抜くには、それが甘さ、弱点となった可能性も否定できないだろう。

 ゴッホ、ゴーギャン、両者が描くジヌー夫人の違いは、彼らが求めたものの違いでもあるのだろう。

 あたかも、ゴーギャンのジヌー夫人が肉体を、ゴッホのジヌー夫人が精神をシンボライズしているかのような、劇的なまでの相違がそこにはあった。彼らの衝突には、肉体と精神の相克を見るようなシンボリックなものがある気がする。

 縛りの中に息づきながら何かを求め続けるゴッホを、無能な安住者とばかりに足蹴にして、が、その縛りに徹底抗戦を挑むというより、逃走を企てたマッチョだったのか弱かったのかよくわからない男ゴーギャン。

 最晩年には、タヒチよりもっと辺鄙なマルキーズ諸島に暮らし、地域の政治論争に加わったりしたそうだが、何か奇異な感じを受ける。

 ゴーギャンは実際には、どんな人間だったのだろうか?  そして本当のところ彼は何を求めたのか、別のエッセーで、彼の軌跡も追ってみたいと考えている。

8. 物質的不幸と死に関するゴッホの独創的考察

 ゴッホの死の真相はわからないままだ。画商であった弟テオの経済的援助を受けていたゴッホだったが、家庭ができたテオの負担を軽くするために自殺したのだろうか。

 ゴッホが単純な人でなかったことは間違いない。テオ宛ての書簡に、物質的不幸と死に関するゴッホの考察があるので、長くなるが、引用しておきたい。

 すべての芸術家、詩人、音楽家、画家たちが物質的に不幸なのは確かに不可思議な現象だ――たとえ幸福でも――君が最近ギュイ・ド・モーパッサンについて語ったことはなおそれを裏づけている。これは永遠の謎に触れることだ。われわれに生命の全部が見えるのか、或いは死以前の半分だけしかわれわれは知らないのか。
 多くの画家たちは――敢て彼らについて語れば――死んで埋められていても、その作品を通じて次代から数代あとまでの語り草になる。
 それだけで総てなのか、又はもっとほかに何かあるのか、絵かきの生涯にとって恐らく死は彼らが遭遇する最大の苦難ではあるまい。
 僕としては、それがどんなものだか知りたいとも思わないが、いつも星を見つめていると、地図の上の町や村を表示する黒点が夢を与えるように、簡単に夢見心地になってしまう。どうしてそう考えてはいけないのだろう、蒼穹の光点がなぜフランス地図の黒点以下なのだろう。
 汽車に乗ってタラスコンやルアンへ行くように、われわれは星へ行くのに死を選ぶのかもしれない。
 生きているあいだに星の世界へ行けないのと、死んでしまったら汽車に乗れないのとは、この推理のうち、たしかに本当のことだ。
 要するに、コレラや、砂粒状結石、肺病、癌が、汽船や乗合馬車や汽車が地上の交通機関であるように、天上の交通機関だと考えられないこともない。
 老衰で静かに死ぬのは歩いてゆく方だ。
*7 J・v・ゴッホ-ボンゲル編(硲伊之助訳)『ゴッホの手紙(中)』(岩波文庫 - 岩波書店、1961、pp.127-128)

 ゴッホは1890年7月29日に37歳で、弟テオはその後を追うように翌1891年、33歳で死去した。残した業績の大きさを考えれば、短命であったことに、改めて驚かされる。

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エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。39、40、41。

エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」を更新しました。

39 芥川賞候補、川上未映子の詩『私はゴッホにゆうたりたい』を読む 2007.7.7 
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/013245

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40 末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読む 2019.3.19
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/23/021037

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41 ゴッホが求めたもの 2006.5.11・14
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/24/080954

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2019年3月22日 (金)

「94 祐徳稲荷神社参詣記(10)」を神秘主義エッセーブログにアップしました。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

 94 祐徳稲荷神社参詣記 (10)萬子媛入寂後に届いた鍋島直條の訃報:『鹿島藩日記 第二巻』
 https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/03/21/212607

目次

  1. 飛脚が東奔西走
  2. 鍋島直條の死
  3. 『鹿島藩日記』に記された赤穂事件

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