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2009年10月26日 (月)

宇佐神宮にて

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☆以下は、2007年1月30日(火)公開の記事を訂正したものです。

  およそ10年ぶりに出かけた宇佐神宮でした。

 阿吽の狛犬に出迎えられて、鳥居をくぐりました。狛犬の体に毛のようなものが見え、芸が細かいなあと思い、近づいてよく見ますと、筋状に生えた暗緑色の苔でした。

 本殿までこんなに距離があったかしら、と思ったくらいに境内は広く感じられました。宇佐神宮はイチイガシの森に抱擁されています。前に来たときにいた白馬はいませんでした。

 ここで、杉田久女の句をご紹介しましょう。

    宇佐神宮 五句

うらゝかや斎(いつ)き祀れる瓊(たま)の帯
藤挿頭(かざ)す宇佐の女(によ)禰宜は今在さず
丹の欄にさへづる鳥も惜春譜
雉鳴くや宇佐の盤境(いはさか)禰宜ひとり
春惜しむ納蘇利の面ンは青丹さび

 杉田久女は『息長帯姫命の瓊のみ帯について』という題の随筆の中で、「神殿の朱の御扉中に奉安してある」という「(聖武天皇奉献による)神功皇后の御物と申し奉る古い唐錦の御帯」について書いています。

 久女が、古実にくわしい禰宜から聞いたのだということです。

 神功皇后といえば、現代人のわれわれからすれば架空の存在としか想えないスーパーウーマンですが、日本書記の神功皇后の巻には、魏志倭人伝の記述が不自然なかたちで挿入されていたりして、中国の正史に残っているために抹消しようがない卑弥呼という存在の大きさ、格の高さ、業績を天皇家に取り込もうとあがいた作為の跡が透けて見えますね~。

 逆の見方からすれば、魏に朝貢した邪馬壹国の女王卑弥呼と壹与は、その時代に倭国で大いに勢力のあったはずの大和朝廷とは別の王国に属していた人々ということになるわけです。そして、魏志倭人伝によると、その女王国に敵対していたのが男王卑弥弓呼の君臨する狗奴国。

 それにしても、まぎらわしい名だわねえ。。。卑弥呼に卑弥弓呼だなんて。

 いずれにしても、大和朝廷の作為が見え見えの神功皇后ではありますが、この架空の人物には実在の人物であった卑弥呼、あるいは卑弥呼の後継者であった壹与が、屈折したかたちで、断片的に、投影されていると考えて間違いはなさそうです。

 で、その神功皇后のものだという帯は「こげ茶の地に、草花模様があり、それに五色の小い瓊を所々にぬひつけた誠に高貴なみ帯」だということです。また久女は、同じ随筆の中で次のようなことも書いています。

宇佐の女禰宜は昔は大変な勢力があつたけれども、鎌倉時代に廃絶したものゝ如く、今も女禰宜の奥屋敷跡などいひつたえるものが宇佐の古い築地町の中などにはさまつてゐます。

 鎌倉時代に廃絶されるまで、宇佐の女神官には大変な勢力があった……? うーん、様々な連想を誘う一文です。  

P1040007   上宮本殿。下宮もそうですが、3棟からなります。向かって左から、一之御殿、二之御殿、三之御殿。

 本殿の建築について、「神社紀行特装版 宇佐神宮」(薗田稔監修、学習研究社)には下記のように書かれています。

現在の本殿は江戸時代末期の再建であるが、古い神社建築のひとつとされる八幡造りの祖型を伝えるものといわれ、国宝に指定されている。

3つの本殿とも、前方の外院と後方の内院をもつ。外院には椅子が置かれ、昼間、神が腰掛けられるところ。夜は内院で休まれる。

P1040008_3 P1040006_3  祭神は、一之御殿が八幡大神、二之御殿が比売大神(ひめおおかみ)、三之御殿が神功皇后。

 八幡大神は応神天皇のことで、神功皇后は応神天皇の母神です。  

 主祭神は八幡大神なのですが、どうしたって、注目せざるをえない二之御殿。

 この二之御殿の祭神、比売大神については、宗像三神のこととされていますけれど、諸説あるようでして、歴史を遡れば、「八幡さまのあらわれる以前の古い神様、地主神とされている」ということになるようです。

 この二之御殿だけが、今回参拝したときも、前に何度か参拝したときも締まっていました。 それだけでなく、かたく閉ざされた扉の両側には、厳しい監視人の姿(お人形)が。。。

20070118151159 20070118151209  これらの写真はわたしの撮影で、ぼけていますが、格子の向こう側にいらっしゃるのがその監視人です。

 あの人たちって、ここから誰かが侵入しようとするのを防ごうとしているというより、中からの脱出劇を阻止しようとしているような顔してるわ~。あたかも、この奥に一柱の女神様が囚われの身となっていらっしゃるような感じさえ受けるのですね。

P1040004  左の写真にあるように、下宮にある二之御殿は閉ざされていませんでした。

 宇佐神宮は神仏習合の宮として有名ですが、それ以前に道教との深い関わりを感じさせる宮でもあります。

 大陸渡来の道教を継承しつつ、仏教との融合に力を尽くした8世紀の宇佐の僧法蓮を、前出の「神社紀行特装版 宇佐神宮」から紹介させていただきたいと思います。 

 日本書記には、豊国の奇巫(あやしきかんなぎ)と豊国法師なる人物が、天皇の病を治すため豊国から宮中に招かれたと記す。ふたりは大陸渡来の道教的な巫術、医術を行うシャーマンであったと思われる。

 その流れを継ぎ、8世紀の宇佐にあらわれたのが宇佐国造家出身と思われる僧法蓮であった。『続日本紀』によれば、法蓮は優れた医術・巫術により朝廷から土地や宇佐君の姓を賜っている。

法蓮は宇佐の古代仏教の指導者であり、720年(養老4)、八幡神の守護による隼人の反乱鎮圧と、それを契機に開始された日本で最初の神仏習合的な放生会にも重要な役割を演じ、朝廷と宇佐神宮を結んだ人物と考えられる。

  ここで、宇佐神宮の由来と歴史をウィキペディアから、紹介させていただきます。

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由来と歴史

社伝等によれば、欽明天皇32年(571年)、宇佐郡厩峯と菱形池の間に鍛冶翁(かじおう)降り立ち、大神比義(おおがのひき)が祈ると三才童児となり、「我は、誉田天皇廣幡八幡麻呂(註:応神天皇のこと)、護国霊験の大菩薩」と託宣があった(扶桑略記 東大寺要録、宮寺禄事抄)と言われている。

そして遅くとも社殿を新たに建て替えたと考えられている和銅元年(708年)頃までには大神比義と関係がある大神一族が大和朝廷より宇佐の地にやってきて、あるいは大和朝廷と手を結んで、神仏習合、八幡神創出を行ったと考えられている。

また、宇佐神宮は三つの巨石を比売大神の顕現として祀る御許山山頂の奥宮・大元(おおもと)(=御許:おもと)神社の麓に位置し、豪族宇佐氏の磐座信仰が当初の形態であろうと言われている。

そこに、当初は香春岳山麓に住み、その後、現在の中津市大貞薦神社で神官もしくは巫女を務めていたと思われる、渡来系のスサノオの子、五十猛命(いそたける)が始祖と言われている辛嶋氏が比売大神信仰を持ち込み、後に宇佐辛嶋郷に住んで、辛嶋郷周辺に稲積六(いなずみろく)神社(単に稲積神社とも表記。宇佐市中561)、乙咩(おとめ)神社(宇佐市下乙女宮本1343)、さらに酒井泉神社(宇佐市辛島泉1)、郡瀬(ごうぜ)神社(昔の表記は瀬社(せしゃ)。宇佐市樋田字瀬社187-1)と社殿を建築した。

崇峻天皇(588 - 592年)の御代に鷹居社(たかいしゃ)(宇佐市上田字1435)が建てられ、和銅5年(712年)には官幣社となり、辛嶋勝乙目が祝(はふり)、意布売(おふめ)が禰宜(ねぎ)となって栄える[1]。宇佐にある葛原古墳は辛島勝氏の墓である、という説がある。

社殿は、宇佐亀山に神亀2年(725年)、一之殿を建立、天平元年(729年)には二之殿、弘仁14年(823年)には三之殿が造立され、現在の形式の本殿が完成したと言い伝えられている。

東大寺造営の際に宮司等が託宣を携えて都にのぼり、造営を支援したことから中央との結びつきを強め、宇佐神宮は伊勢神宮に次ぐ皇室第二の宗廟として崇拝の対象となり繁栄した。

宇佐神宮の神職を束ねる大宮司は、宇佐神宮を顕した大神比義の子孫(中央から派遣された氏族ともされる)の大神氏が務めた。後に菟沙津彦らの子孫・宇佐氏と大神氏の祝が大宮司職を継承し宮成氏と三氏で祭祀を行ってきた。現在では祝氏、宇佐氏、宮成氏は祭祀を離れ、終戦直後には宇佐氏の流れと云われる阿蘇神社宮司の到津(いとうづ)氏が継承し、祭祀を行っていたが、平成16年(2004年)ごろより到津宮司に代わって代務者が置かれるようになった。

平成18年(2006年)には代々宮司家に替わって、中津市薦神社宮司である池永公比古氏が79代宇佐神宮宮司に就任した。これは異例のことであり、到津克子(いとうづよしこ)禰宜への橋渡しととらえるむきもあった。ところが、池永宮司が平成20年に急死したため、平成21年に神社本庁は大分県神社庁長の穴井伸久氏を80代宮司に選出した[2]が、これに反対して、宇佐神宮の責任役員会と氏子総代会は到津克子氏の80代宮司就任を決め、神社本庁からの離脱届を出す騒ぎになった[3]。

宇佐神宮の元宮は、福岡県築上郡築上町にある矢幡八幡宮(豊前綾幡郷矢幡八幡宮。現在の金富神社。矢幡氏が社家として代々宮司を務める。)であるとする説がある。 また、宇佐神宮にある由緒書き「八幡宇佐宮御託宣集」には筑前国穂波郡の大分八幡宮は、宇佐八幡宮の本宮であり、箱崎宮の元宮であると明記されている。

「宇佐神宮」(2009年5月27日 (水) 10:42 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E4%BD%90%E7%A5%9E%E5%AE%AE

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  ところで、口伝をもとに書かれた『宇佐家伝承 古伝が語る古代史』(宇佐公康、1990年、木耳社)には、驚くべきことが書かれていて、神功皇后の皇子誉田天皇は応神天皇ではないというのです。

 誉田天皇は皇后と武内宿禰の不義密通によってできた子供で、のちに神功皇后は誉田天皇とともに、豊前国田川郡香春岳の麓、勾金(今の香春町勾金)に幽閉されてこの地で亡くなり、誉田天皇もまた4歳にして亡くなったということです。

 そして、その勾金の地に葬られ、大神比儀によって弔われた……とのこと。わたしが初めて邪馬壹国に興味を持った頃に住んでいたのは、香春岳が見えるアパートでした。

 では、記紀に描かれた応神天皇は誰かというと、神武天皇が東遷の途上で滞在した菟狭国の菟狭津彦命の妻、菟狭津媛命を娶って生まれた宇佐都臣命が常世織姫命に娶って生まれた宇佐押人ということになるそうです。

 つまり、誉田天皇≠応神天皇、宇佐押人=応神天皇だという主張です。

 神武天皇が応神天皇のグランパだとすると、あいだがずいぶん飛ぶわねえ、と思いますが、宇佐家の伝承によると、神武天皇の後は景行天皇になるようです。そして卑弥呼は、神武天皇と菟狭津媛命のあいだに生まれた御諸別命の子か孫にあたり、その卑弥呼の国は、今の広島県安芸郡にある多家神社を中心とした地域であろうとのことです。

 神功皇后が架空の人物であったとしても、そこに卑弥呼、もしくは壹与に関する何らかの情報が隠されている可能性を想像すれば、当初香春岳山麓に住み、のちに比売大神信仰を宇佐神宮に持ち込んだとされる辛嶋氏の行動には考えさせられるものがあります。

 信仰を持ち込んだといいますが、それを純粋に観念的なものと考えていいものかどうかは疑問で、古代、新しい信仰を他郷に持ち込むには何らかの物証といいますか、何か高貴な存在の遺品とか遺骨とか、ご利益や威光をもたらしそうな、信仰につながる品物があったのではないかと想像するのですね。

 たとえば、国を滅ぼされて幽閉されたまま亡くなった女王についての言い伝えと、その滅ぼされた国の宗教のあかしとなるような、たとえば貴い鏡などを一緒に持ち込んだとか、ね。

  高齢で自然死したと思われる卑弥呼の後継者壹与の時代に何かがあり、女王国が徹底的に壊滅させられたとすれば、その国の中心はわたしが考えていた今の宇佐市ではなかったのかもしれない、と考えたりもします。

 大野佑司氏が『卑弥呼と邪馬壹国は消されていた』(小学館スクウェア、2004年)の中で書かれているように、邪馬壹国は大分市にあったのかもしれませんね。わたしがいるこの街に……。

 その著書によりますと、大分市では、弥生時代の後期に、九州の他の地方では見られない銅鏡の破壊やムラの消滅があったということです。

 確かに、大分市からはあまりにも何も発見されないことが、わたしの意識にはずっと引っかかっていました。そして、現在の宮崎県と思われる日向の地を出発した神武天皇の最初の上陸地点が、大分市を飛び越えた国東半島の宇佐であることに疑問があったのですね。

 でも、どういうわけか、わたしは、ここが邪馬壹国であったかもしれないなどとは思いつきもしませんでした。大分市については、これから、わたしも自分なりに調べてみたいと考えています。

  卑弥呼や宇佐神宮について書き出せばきりがありませんので、とりあえず、今日はここまでにしておきます。

P1040005  手を触れれば長寿が授かるという木に、わたしも触れてきました。

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●Notes:卑弥呼⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/notes_1/index.html

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