カテゴリー「イベント・行事」の59件の記事

2017年1月 1日 (日)

謹んで新年のお慶びを申し上げます(2017年酉年)

謹んで新年のお慶びを申し上げます

新しい年がすばらしい年でありますよう
心からお祈り申し上げます

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Pixabay

初日の出を、これまで生きてきた中で一番堪能することができました。

道路、あるいは建物の通路、または窓など、様々な場所から初日の出を拝んできました。

今年は通路でそのときを待機しながら、「もしかしたらここの非常階段からならよく見えるのでは……?」と考え、そちらへと移動。

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結構高さがあるので、非常階段の踊り場に立っているのは少々怖いのです。

当市の日の出時間は 7:17:02 となっていました。山の間から見える時間はそれより遅くなるようで、山の間から曙光が迸ったときには、30分近くになっていました。

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このとき、お日さまは完全に山の上に出ていたのですが、ガラケーで撮った写真を見ると、出る途中のように見えますね。デジカメにすればよかったなあ。

真正面に初日の出を拝むことができ、まるで、踊り場が観客席のようでした。

このあと、少し家事をしてから、炬燵でうとうとしたのですね。すると、夢の中でも初日の出を拝むことができました。

建物の間から巨大な純白のお日さまが、真っ白な輝かしい光を辺りに燦然と投げかけながら昇っていきます。夢の中の出来事とあって、お日さまもファンタジックなまでに華やかです。

「あら、さっき日の出を拝んだんじゃなかったっけ? でも、これは間違いなく、日の出だから、これこそが初日の出なのね……」と夢の中のわたしはすばらしい太陽の光に感激しつつも混乱していました。

うちのリヴたちは初湯に浸かりに来ています。

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2016年11月21日 (月)

わあ、リラックマのおかず皿だ~!

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娘が「これ使う?」といって、リラックマのお皿を見せました。

「わあ、可愛い! どうしたの?」とわたし。「コンビニで貰ったよ」と娘。

写真では鮭に隠れてよく見えませんが、リラックマの上にLAWSONとあります。

LAWSONで、『秋のリラックマフェア』(キャンペーン期間:2016年9月16日金~12月5日月)をやっているとか。

このお皿もっとほしい、といったら、「リラックマのおかず皿」はシール40枚で貰えるそうで、「会社の人に貰ったりしてようやく集めたんだから、もう無理」だそう。

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上の写真はちょっとムーディに加工しすぎて、はっきりしないので、もう一枚アップ。鮭が生々しいですが、リラックマもはっきりしました。鮭をのせる前に撮ればよかったのですが……

娘はリラックマのお皿で鮭をいただいていました。リラックマ効果で、より美味しかったでしょうね。

詳しいことは、ローソンのホームページに出ています。

 

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2016年11月 4日 (金)

演劇を鑑賞した昨夜

昨夜、演劇を鑑賞しました。県民芸術祭文化祭ジャンル別行事として開催された演劇の会設立10周年記念公演です。

娘の年下の友人が出るので、娘と一緒に出かけたのでした。お花を、と思い、駅で花屋さんに寄ると、花瓶に挿さなくても長持ちするように作られた花束があったので、ささやかながらそれを贈ることにしました。

初舞台と聴いていたこともあって、胸がドキドキしました。

初舞台の初々しさと彼女の研究心が一つとなって、『ヴェニスの商人』のユダヤ商人シャイロックの娘の役をすばらしいものにしていました。

シェイクスピアの原作とはいくぶん違っていました。ユダヤ人シャイロックは悪漢というより、キリスト教徒に虐められる哀れな老人という印象のものとなっていて、シャイロックを演じたかたの卓越した演技力もあって同情を誘いました。

シャイロックの娘は駆け落ちの相手と父親との間で煩悶し、劇の最後のところで泣き顔を隠すように舞台の袖に走り去る姿が何とも清楚で、舞台に花を添えていました。娘と一緒に贈った、ピンク色を基調にした花束を連想しました。

その最後の場面がなければ、単なる老人虐め物語になっていたところでした。

私事になりますが、大学祭で、文芸部は創作劇を行うのが恒例となっていました。わたしも恥ずかしながら出演し、あれは1年生のときだったか、着物姿で「わたいは孕んでやるんだ、闇を孕んでやるんだよう!」という台詞をいうのが恥ずかしかった記憶があります。

今だと、もう少し内面的な表現ができたかもしれないと思います。

娘の友人は初舞台なのに、複雑な内面をさりげなく表現できていて感心しました。今後も続けられるのかどうかはわかりませんが、できたらまた来年も観劇したいものだと思いました。

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2016年10月18日 (火)

2016年に、実質的終焉を告げたノーベル文学賞

10月14日付記事「ボブ・デイランがノーベル文学賞を受賞。快さを伴ったイデオロギーにすぎないあの歌詞群に?」を閉じ、代わりにそれに加筆した拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の記事をこちらに再掲しておきます。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

純文学なんてない、という奇怪な純文学排斥運動がわが国で行われるようになった時期と、村上春樹がもてはやされるようになった時期はだいたい重なっていたように思う。

私事になるが、わたしは1998年度の織田作之助賞第15回で「救われなかった男の物語」(結果発表誌『文學界』1999年2月号)、2005年度の第22回で「台風」(結果発表誌『文學界』2006年5月号)が最終候補になった。

第22回の授賞式で、選考委員のお一人だった三枝和子先生の講演があり、その講演の中で先生が「純文学はわたしはあると思っています」とおっしゃって、その理由を述べられたのを鮮明に覚えている。

わたしはその講演を聴きながら、激しく泣いていた。

何者らかの陰謀――としかわたしには思えなかった――によって純文学の存在そのものが攻撃され、それがわが国における純文学の終わりの始まりだと思われたということと、もうこの国では自分はプロの作家にはなれないという予感とが交じり合い、頭の中で渦巻いていたのだった。

それを遡ること、7年前の1998年、第15回受賞式のときにはまだわたしは文学界を信じていた。

受賞式後のパーティーで三枝先生から、ようやく見つけたという表情で、強く光る美しい目で見据えられながら「あなたの頭はわたしと同じく、男ね」といわれたことを覚えている。

三枝先生のあの目は男性的というより、性を超越した哲学者の目だった。ギリシア在住の経験があった先生にはプラトンを諧謔的に描いた作品がおありになる。

三枝先生は2003年にお亡くなりになった。わたしはお亡くなりになったことをあとになって知ったが、先生の臨終を察知していた。印象的な夢を見たのである。余談になるので、この話は別の機会に書きたい。

その後、2006年に村上春樹がチェコのフランツ・カフカ賞(2001年創設)を受賞したのをきっかけとして、彼がノーベル文学賞にノミネートされたというデマがしきりに流されるようになった(ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務がある*1)。それに伴い、文学には無関係なイベントや乱痴気騒ぎなども起きるようになった。

そして、芥川賞受賞作品からは、人間性の追求という学究的側面と豊かな情操を持つ純文学の特徴が失われ、さりとて読者を楽しませることに徹した大衆文学の特徴もない、もはや文学作品といってよいのかどうかもわからないものとなり果てて、異様な臭気が放たれるようになった。

こうした純文学の凋落に至る一連の出来事は、敗戦後の複雑な事情を抱えるわが国だから発生した、いわばわが国固有の不幸な出来事だと思っていた。拙作『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を参照されたい。*2

日本で起きたようなことが、ノーベル文学賞という国際的な舞台で起きるとは予想しなかった。翻訳文学から推測する限りでは、世界では純文学に分類されるような文学作品は依然として一定の水準を保っているように思われていたからである。

ノーベル文学賞が、国際的に通用する意味合いにおいてのリベラルな傾向を持つ作家に授与されてきたことは過去の受賞者一覧を一瞥すれば、わかることである。

作品の内容から窺われる観察力、認識力、分析力、洞察力、教養の度合い、情操に訴える力、普遍的意義という点で、わたしが首を傾げてしまう大江健三郎のような作家に授与されることがあったにせよ、ノーベル文学賞が優れた文学作品に授与されるという国際的な共通認識は2015年までは不動のものであった。

しかし、2016年、ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、突然別物になった。シンガーソングライターのボブ・ディランに授与されることになったのだ。作家を志す人間には怖ろしい出来事である。ノーベル文学賞の裏事情を知りたいと切に願う。(※現時点まで、ボブはノーベル文学賞の受賞に関して沈黙している)

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。ボブにノーベル文学賞が授与されるのであれば、デヴィッド・ボウイにそうされたって、おかしくはない。いや、ボウイが生きていればだが。ボブ・デイランも年とった。皺がいっぱいだ。締めはジャニス・ジョプリンといこう。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

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Alfred Nobel(1833 - 1896),c. 1883
From Wikimedia Commons, the free media repository

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』*3 所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実
[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの詩を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(「パン」)*4

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。   

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘
[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩「LES ROSES 薔薇」からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)*5

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。
  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)*6

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえわからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。一度でも、こういうことがあったら、御仕舞だ。

もうノーベル賞は理系に限定すべきである。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。


*1:ウィキペディアの執筆者. “ノーベル文学賞”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E&oldid=61533301, (参照 2016-10-15).

*2:直塚万季『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)』(Kindle版、2013年、ASIN: B00BV46D64)

*3:安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981

*4:『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993

*5:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢp.745

*6:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅥp.746

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2016年8月23日 (火)

安倍首相のマリオ姿

亀反応ですみませんが、リオデジャネイロオリンピックも終わりましたね。

閉会式でマリオ姿の安倍首相が土管の中から登場し、話題になっているようです。YouTubeでその部分の動画を見つけました。

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2016年7月11日 (月)

青山繁晴さん、御当選おめでとうございます!(参院選2016)

過去記事で紹介した自民の新人、青山繁晴氏が比例2位で当選。

団体・組織の票を全て断わり、「週刊文春」には虚偽の含まれる記事で妨害されながらも(7月5日に記者達を刑事告発)、青山氏は強かったのです。

「今第一にお考えになっていることは」との質問に「拉致被害者の救出」と答えていた青山氏。国会での発言が楽しみです。どうか、お体を大事に、日本国民のために頑張っていただきたいと思います。

サイト「NAVER まとめ」に元気がいただけそうな、まとめがありました。

  • 日本一工作員に狙われている男(?)青山繁晴さんの最強伝説
    http://matome.naver.jp/odai/2134789001652392901
  • 「当選はゴールではない」万歳三唱をしない自民党・青山繁晴氏見事当選
    http://matome.naver.jp/odai/2146816191663286301

わたしが居住する選挙区に関しては、九州は保守系が強いという伝統に反してさすがは眉毛の人を出しただけのことはあるおクニ柄だと思いました。ドクター出身なら、ジェネリック問題をないことにしないでほしいですね。

それにしても、今回は沖縄並みか……(絶句)。南シナ海のことを考えると、沖縄は本当に危ないですね。ああ、中共の軍靴の音が聴こえてきそう。

12日にオランダ・ハーグの仲裁裁判所で、フィリピンが南シナ海を巡る中国の主張は認められないとして申し立てた訴訟の判決が出ます(南シナ海の9割に主権が及ぶと中国は一方的かつ根拠なく主張)。

中国は早くも仲裁裁判所の判決を無視する方針を打ち出しています。こんなヤクザな国が国連の常任理事国って……ほほほ……。

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2016年6月28日 (火)

「謹厳実直」を絵に描いたような菅義偉官房長官の輝くような笑顔、雨の中の街頭演説会

(参院選2016)

土砂降りに近い中、菅義偉官房長官の街頭演説会が行われました。安倍首相、小泉進次郎氏に続く来県でした。

実物はテレビで見た印象とは異なるという面白さから、わたしはまた出かけました。わが国の今後を案じ、行かずにいられなかったという側面もありました。

実は、演説会の締め括りに次回の街頭演説会の予告があるから……というのが一番の理由として挙げられますけれど。

休日だった娘も一緒でした。今回の娘はアミュプラザで服を見るついでに……というものでした。駅前広場が会場だったのです。

悪天候、緊急来県ということもあって、集まった聴衆はそう多くはありませんでしたが、熱心な人々が結集したというムードがありました。

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テレビでの菅義偉官房長官は少し神経質に見えていましたが、眉を開いた明るい表情でした。

小柄でありながら存在感があり、物腰柔らか、「謹厳実直」を絵に描いたような人物に見えました。首相の女房役として、菅官房長官は最高のはまり役に思えます。

数字などで根拠を示さずに口先だけの批判に終始して、対案を出すこともしない民進党、共産党の無責任に静かなる怒りを覚えておられる様子で、最近の北朝鮮によるミサイル発射など、今の日本が置かれた危機的状況を具体的に示されました。

実際に菅義偉官房長官のお顔を見ると、本当に危機的状況なのだということがストレートに伝わってきます。

このような状況に毎日神経を使い、日本のために働いてくださっているということが、安倍首相や菅義偉官房長官の深みのある表情を見るとわかり、またテレビを視聴するだけでは伝わってきにくい胸のうちや人情の機微を感じることができて感動しました。

菅官房長官の演説が行われる前に、来歴紹介がありました。それによると、菅官房長官はイチゴ農家に生まれ、高校卒業後に上京して段ボール工場で働き、苦学して大学に行かれたとか。

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演説後、菅官房長官は雨の中を聴衆と握手してくださいました。わたしは沢山の傘に阻まれて残念ながら握手はできませんでしたが、すぐ近くでお顔を見ることができました。

輝くような笑顔!

味わい深い、優しい、よいお顔をなさっていました。

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2016年6月26日 (日)

父親の大衆受けするカリスマ性とパフォーマンスを連想させた、小泉進次郎氏の街頭演説会

(参院選2016)

安倍首相の街頭演説会に意外性と魅力があったので、味をしめたわたしは病を押して(?)、続いて来県した小泉進次郎 自民党農林部会長の街頭演説会にも出かけました。

安倍首相のときに比べると人数も少なく、全体に緩いムードでした。

今回も意外性はありました。メディアで報じられる「小泉くん」のカッコよさに釣られ、父親の小泉純一郎元首相とは全然違ったタイプにわたしには見えていたのですが、実物に接して「ああ父親の血筋だ」と思わされました。勿論、政治家としての資質や考えは別に考えるべきでしょう。

大衆受けするカリスマ性、街頭の聴衆を惹きつける応援団長風で芸人風でもあるようなパフォーマンスは、父親そっくり。

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小泉進次郎氏の硬質で割れるような声に興ざめしたわたしは、小泉元首相が大嫌いとあって(自民党をぶっ壊すといって、日本社会の骨組みに致命的な打撃を与えてしまったから)、一気にトーンダウン。帰ろうかなと思ったほどでした。

おなかの中が真っ白に見えた安倍首相とは違って、おなかの中が読めない印象も受けました。小泉進次郎氏はとてもストレートな印象なのに、なぜそう思えたのか自分でもわかりません。

安倍首相が別格の人と感じられたのとは違い、小泉氏は案外どこにでもいそうで――だからこそ大衆受けするのでしょう――まだ若いということもあるのかもしれませんが、人間的には粗削りに見えました。

ですが、政策となると、これは別問題です。前掲の過去記事に書いたように、わたしには安倍首相の政策には到底賛成できないと思えるものがあります。

同じ自民党ですから小泉進次郎氏が安倍首相と政策面で共通しているのは当然ですが、彼独自の考えもあるはずで、その点はリサーチ不足でよくわかりません。

ただ、参院選が初選挙となるという高校生にフランクに語りかけたあと、聴衆全員に選挙の大切さや人口減少を前向きに捉えることの意義をわかりやすく、力強く訴えかける姿には感動を覚えました。

小泉進次郎氏に魅力を感じた聴衆も多かったことでしょう。今後の成長を期待したいところです。

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不調だったのに出かけたツケが回り、昨夜から今日にかけて不整脈に悩まされています。

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2016年6月14日 (火)

街頭演説会で目撃した安倍首相、ハイタッチしたときの手の感触

(参院選2016)

安倍首相の自民党総裁としての街頭演説会がわたしの住む街で行われました。

その日の朝、娘が何気なく、安倍首相の街頭演説会の広告を見たよといい、わたしはちょっと迷ったものの好奇心を抑えられなくなって行ってきました。

自民党の党員ではないし、自民党が移民政策に舵を取り出したことには断固反対です。

また、「1億総活躍社会」にも反対で、結婚している2人のうちどちらか一方は家庭にいて、家庭生活を充実させ、地域や日本文化を豊かにすることができるような政策転換を求めたいのです。

このままでは治安は悪化する一方、家族や地域のつながりはバラバラになるばかり、日本文化は内部から崩壊してしまいます。

以前、海江田氏の街頭演説を偶然博多に出かけたときに見ましたが、テレビで視聴するイメージとは異なり、想像していた以上にがっしりとして大柄、声も割れるようで、威圧感を覚えたほどでした。

安倍首相はどうだろうか、と期待に胸が高鳴りました。

その安倍首相の声はテレビで聴くよりも明瞭でよく通り、濁りのないさわやかな印象でした(テレビではわたしにはやや濁って聴こえ、聴き取りにくいときがあります)。他の方々の演説も声が通り、演説によどみがありませんでしたが、別格の感じを受けました。

政治家って、どなたも歌手みたいに声量があるんだなと感心しました。

顔は遠目にはよく見えませんでしたが、安倍首相は演説終了後に一周して聴衆とハイタッチしてくださいました。

想像したように大柄といってよい体躯、顔色はテレビで見たときより明るい健康的な色(テレビではわたしにはいくらか黒ずんで見えていました)、そして何というか……変な感想かもしれませんが、すれたところの全くない、無垢な印象を受けたことに驚きました。

よく視聴する国会中継から、安倍首相がいつも誠実な受け答えをし、表情も上品であることから段々好感度が高まっていったのですが、このとき、わたしには安倍首相がとても柔らかな澄んだ空気に包まれて見えました。

演説のときの堂々とした安定感のある果敢なリーダーという印象とはまた対照的な、きよらかな乙女のようなイメージが湧いてしまいました(そういえば安倍首相は乙女座ですね)。

邪気のない雰囲気に接して、心が洗われるようでした。

安倍首相の機微に触れ、またハイタッチしたときの手の大きく、柔らかな、温かな感触と相まって、左派の誹謗中傷に騙されなかった自身の確かな感性に自信を覚えた次第でした。

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そういえば、斜め後ろにいた25歳くらいの若い女性がすすり泣いておられたので、具合でも悪いのかと驚いて尋ねたら、横から母親らしい人が「ずっと安倍総理にお目にかかりたいといっていたのです。実際に拝見して感動しただけですから、ご心配なく」とおっしゃいました。

休日で午前中に用事があった娘もいくらか遅れて演説会に来ていたことが携帯に電話があってわかり、合流。娘も好奇心から来てしまったようです。こんなところはやはり親子ですね。娘のいた場所は人が多くて、ハイタッチできなかったとか。

「育ちがよさそうだったねー、謙虚できちんとしていて好感度高いよ」との娘の感想でした。そう、わたしの感想も一言でいえば、そうなります。娘の表現のほうが的確でした。

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2016年5月10日 (火)

娘とペア、スーパーハッカの傘(母の日の贈り物)

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「母の日」に娘が贈ってくれた「スーパーハッカ(SUPER HAKKA)」の傘です。

こんなに綺麗な傘を持つのは、生まれて初めてです。バーゲンで安く出ている傘しか購入したことがなく、その中にこのような凝った傘を見かけたことはありません。

スーパーハッカは何年か前からの娘のお気に入りです。わたしは娘と一緒出かけたときに行くくらいですが、手作り風のちょっとしたところに心憎い工夫が凝らしてあって、大抵どの服からか目が離せなくなります。

娘は服や小物に関心が高く、、自分の趣味に合致しなければ決して買いません。

わたしは大雑把なほうで、他人から見て見苦しくなければOK(自分の判断なので、見苦しいことも多々あるとは思います)。生地が傷んだりしてから、とりあえず代わりのものを……という感じで買うことがほとんど。

若いころから書店か図書館(要するに本のあるところ)にさえいれば幸せなので、服を見るのが好きな母に欠伸を噛み殺しながら付き合ったものですが、娘はお洒落な母に似ています(というより女性はお洒落なのが普通でしょうね)。

贅沢はできないため、娘は本当に気に入ったものを選ぼうとする中で趣味が洗練されたのか、高価なものに目を奪われがちで全体のバランスがもう一つだった母より(わたしは母を観察して暇つぶししていました。嫌な娘ですね)、娘のほうがセンスがいいと思います。

母が生きていたらさぞ娘と意気投合して、買い物に出かけただろうと思います。でも、娘について行った先で素敵なものを見ると、わあいいなあと思うくらいの感性はわたしにもありますよ。

たぶんこの傘、現役の傘が壊れて引退するまではもったいなくて飾ってしまうと思います。娘が「傘としては高価なほうではないと思うよ」といいますが。

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スワンを見て、今読んでいるブラヴァツキー(ジェフ・クラーク訳)『沈黙の声』(UTRYU PUBLISHING ,2015)にブラフマンがスワンに譬えられて出てくるのを思い出しました。そう思うと、よけいに飾ってしまいそう。

でも、雨に打たれるスワンを見たい気もします。

娘が電話してきて、緑と青とどっちがいい? 決めかねている」というので、「お金に余裕があれば、ペアにすれば」と提案。それで、ペアになったのでした。

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確かにこちらも素敵です。わたしたちは緑だと思い、娘は緑が好きなので、こちらのほうがいくらか地味だと思ったのですが、わたしは好きな青に。

ところが、ホームページの商品案内には「イエロー」とありました。抹茶色に近い若草色に見えます。淡い感じの優しい色合い。

スーパーハッカの商品には、年齢を問わない上品さがあります。売り場では結構年配の人を見かけます。もちろん若い人にも人気があります。

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  • HAKKA公式オンラインショップ
    http://hakka-online.jp/

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