カテゴリー「シネマ」の85件の記事

2016年11月12日 (土)

7日の外出時から今日まで、少し不調。映画『インフェルノ』。

7日に家族で商業施設へ出かけ、映画を観た。

トム・ハンクス主演のシリーズ第3弾『インフェルノ』。イタリアのフィレンツェ、ヴェネツィア、トルコのイスタンブールが舞台となっていた。

人口増加を解決するために人類の半分を滅ぼすウィルスをつくった狂信的化学者ゾブリスト。映画の冒頭で死亡した彼の計画を実行しようとする一味から世界を守ろうとする、ハーヴァード大学教授ロバート・ラングトン。

『ダ・ヴィンチ・コード』のような歴史ミステリー的要素や、イルミナティの出てくる『天使と悪魔』(この映画、今観たら違った感想を抱くかもしれない)のようなオカルティックな要素はなく、ダンテの『神曲』(わたしはこれつまらなかった)に謎を絡めたりしているが、ミステリーアクション映画という感じで、それはそれで楽しめた。

ロマンス(老人同志のほのかな恋、というところが今回は異色ではあった)、家族の温かな思い出といったまとめかたが如何にもアメリカ映画的で、単純で、わたしはだからアメリカ映画が好きだ。

で、健康の話題に移る。この外出のときから腹部膨満感、じわっとくる軽い胸痛といった、心臓がくたびれたときによく起きる症状が出ている。

おなかパンパン、体が腫れぼったく、尿が出にくい、止まりにくい咳、といつもの症状が出揃った。今日は静かにしていたせいか、回復傾向。

強い胸痛や圧迫感は出ていないので、ニトロを使わずに様子を見ている。携帯心電計を当ててみた。

K_20161112405

今日の午前4時05分。目が覚め、腹部膨満感のため何となく苦しくて眠れないので、パソコンをしていた。冠攣縮性狭心症の発作は出ていなかったが、前触れ的な感じあり。結果メッセージは「拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」。

I_20161112535

そのあとの5時35分。発作の前触れ的症状はこちらの方がはっきりしており、腹部膨満感も続いていた。結果メッセージは「心拍が遅めで、拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」。

K_201611121529

これは午後3時29分。その後も幸いニトロを使うほどの症状は出ず、このときの結果メッセージには「拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです」とは表示されているが、体調はよくなっていた。

でもまだ警戒が必要。40日に1回くらいの割合で、5日から10日ほどの不調期がやってくる。前回の不調期から6日までは体調がよかったので、このままいけるかと思っていたのだけれど。

大抵、外出後に体調が崩れるが、外出しても崩れないこともあるので、不調の波がやってくるころに外出すると、覿面といった感じで形で出るのだろう。

|

2016年9月 5日 (月)

トルストイ『戦争と平和』 ①映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

文豪トルストイの代表作をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで9月1日に放送された。

録画しておいたのを3日に分けて観た。普段テレビは15分からせいぜい長く観ても1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理だと思った。

過去にも放送されているが、断片的にしか見ていない。

  • NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
  • フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
  • テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。ただ、オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエールにメル・ファーラーのアンドレイが加わると、このメル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまい(そっくり!)、セットも似ている気がして、ちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使うのは無理がありそう。

1939年というと、昭和14年。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは……!

3回に分けて観たせいか、ヘプバーンの『戦争と平和』が長いとは全然感じられなかった。如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

途中、新潮社版『戦争と平和』(これ、夫の蔵書。わたしのは文庫だが、夫の単行本を愛読している。夫はコレクションしただけなので、綺麗)と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。

ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになった。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)はどうだったかが気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さ。

こちらも、テレビで放映されたものを断片的に観た記憶があった。テレビ初放映は1974年。日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

何となく「最近」ソ連版をちらっと見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に視聴したからに違いない。YouTubeにロシア語版がアップされている。

やはりこちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーンかな)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できない。

時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗くて(舞踏会の場面もそう。幻想的で美しいが)、ノートパソコンで観るYouTubeの小さな画面では老眼にこたえるので、所々映画の雰囲気を確認するために観ただけだ。

ハリウッド版も、ソ連版も、どちらも最後の方はドタバタ終わってしまう気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面が、ソ連版では圧巻だった。

Battle_of_borodino

Artist: Louis Lejeunet(ルイ・ルジューン)
Title: Battle of Moscow, 7th September 1812
Date: 1822

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても「あっ南北戦争」と思ってしまう。

映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国である。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだ。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画で観ても敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないと思う。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。まあ当時の日本に生きていたら、もう何でもいいから早く終わってほしいと思っただろうけれど。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の次の場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が会話する場面から引用する。

 ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
(那須田,1993,pp.75-76)

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗し、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入……。

そういえば、『戦争と平和』ではフリーメーソンについて長々と描写されているのだが、御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないのかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソンでの入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかははっきりしない。その理由は、当時のロシア政府が入会を禁止していたことにあるという。

レフ・トルストイ(1828年生) - 作家。著書は主人公(ピエール)がメイソンリーに入会する『戦争と平和』など。『10,000 Famous Freemasons』は、多くの者がトルストイをメイソンだと考えているが当時のロシア政府が入会を禁止していた、と記述している。当局のその措置のためトルストイはメイソンでないとの説もある。

ウィキペディアの執筆者. “フリーメイソン”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-19. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3&oldid=60821276, (参照 2016-09-05).

禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。もっとも、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深い影響を与えていることは確かだと思う。

ピエールがフリーメーソンの思想に心の中でいくらか距離を置くような場面は出てくるのだが、その後も小説の終わりかけまで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面が出てくるのである。

トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行ったとも考えられる。でも、秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

トルストイの下の方に「マルク・シャガール(1887年生、1912年入会) - 画家。作品は『私と村』『誕生日』など」とあって、シャガールもフリーメーソンだったと知った。

|

2016年7月 7日 (木)

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』を観て。神智学に何らかの関心を持っていたルイス・キャロル。

昨日の不調は遊び疲れから来たものだった。

月一回、家族でカルディコーヒーファームへコーヒー豆を買いに行くことが恒例の行事となっている。そのときに観たい映画があれば、観ることにしている。

夫に比べたらあまり観たい映画がないわたしと娘は商業施設内をブラついたり、お茶を飲んだりすることのほうが多いが、今回はあった。『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』。『アリス・イン・ワンダーランド』の続編である。

2本の映画はうまい具合につながっていた。続編となる本作は、ルイス・キャロルの原作からはますます遠ざかっていたけれど、楽しめた。上映方式は2Dと3D。3Dで観たかったが、映画代のことを考え、2Dで我慢した。

映画については少し触れるだけにしておこうと思うが、ネタバレありdanger

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』
原題……Alice Through the Looking

監督……ジェームズ・ボビン
脚本
……リンダ・ウールヴァートン
原案
……ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
製作総指揮
……ティム・バートン
出演者
……ミア・ワシコウスカ,ジョニー・デップ,ヘレナ・ボナム=カーター,アン・ハサウェイ,サシャ・バロン・コーエン
音楽
……ダニー・エルフマン
主題歌
……『ジャスト・ライク・ファイア』 - P!nk
撮影
……スチュアート・ドライバーグ
編集
……アンドリュー・ワイスブラム
製作年
……2016年
製作国
……アメリカ
配給
……ディズニー
上映時間
……113分
上映方式
……2D/3D

マッドハッターと家族の再会、女王姉妹の絆の回復のためにアリスが時間を超えて働く……手短にいえば、そのようなお話。

前編では結婚を拒否したアリス。本作のアリスは未亡人となった母親が切実な思いから娘に押し付ける世間体及び女性らしい安定した生き方を冒険後に受け入れかけるが、土壇場で母親のほうがそれらを蹴飛ばす。

母娘で意気揚々と、手放さなかった船に乗り込む結末は清々しい。嵐が来たらひとたまりもないかもしれないリスクを恐れない強さがあって。続々編も観たいものだ。

前編を観たとき、赤の女王の頭の形はなぜハート形に膨張しているのかと不思議に思っていた。その謎が本作で解ける。

前編ではアン・ハサウェイ演ずる白の女王の存在感が際立っていた。本作ではオーストラリア出身の女優ミア・ワシコウスカ演ずる主人公アリス・キングスレーが存在感を増していた。

わたしは帽子職人マッドハッター演ずるジョニー・デップが好きで、デップ独特の物柔らかに訴えかけるかのような人懐こい表情にはほろりとさせられるのだが、今回もその表情を見せてくれて安心した。

サシャ・バロン・コーエン演ずるタイムもなかなか魅力的で、目が離せなかった。ヘレナ・ボナム=カーター演ずる赤の女王は今回も弾けた、味のある演技をしていた。

子役達が素晴らしい演技をしていた。前編と本作がよくつながっていたように、子役と大人の役者もよくつながっているように見えた。それにしても、日本の子役のようなわざとらしさが全くないのはどういう工夫によるのだろう?

映像が美しくて、夢のようだった。海賊とやり合う航海シーンや遊園地のような楽しいシーンがあったので、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『チャーリーとチョコレート工場』を連想した。

嫌な事件がよく起きる昨今、こういう映画を観るとホッとする。以下にディズニー公式YouTubeチャンネルの予告編を貼っておく。

そういえば、原作者のルイス・キャロルについて書くつもりで、そのままになっていた。神智学の影響を受けた人々を探している中で、ルイス・キャロルが神智学に関心を持っていたことがわかった。

神智学ウィキによると、彼は心霊現象研究協会の会員で、神智学に何らかの関心を持っていた(A・P・シネットのEsoteric Buddhism(『エソテリック ブディズム』)のコピーを所有していたといわれている)。→Lewis Carroll,http://www.theosophy.wiki/en/Lewis_Carroll(2016/7/7アクセス)

心霊現象研究協会(SPR)は神智学協会の会員だったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースが友人達とつくった会だった。

心霊現象研究協会の会員によって公開されたホジソン・リポートはブラヴァツキーが誹謗中傷される原因を作ったが、ホジソン・リポートの虚偽性は1977年に心霊現象研究協会の別の会員ヴァーノン・ハリソンによって暴かれた。

ブラヴァツキーが生きていたそのころ、神智学協会はロンドンの社交界の流行になり、指導的な知識人や科学者、文学者達が訪れていた。→ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981、p.265)参照。

サロンのようなオープンな雰囲気があったようだから、様々な人々が神智学協会に興味を持ち、訪れたようである。ルイス・キャロルもその中の一人だったのだろうか。あるいは、神智学協会との接触のある心霊現象研究協会の会員を通じて神智学論文のコピーを入手したのかもしれない。

ホジソン・リポートを根拠に、心霊現象研究協会を神智学協会の上位に位置付けて対立構造を煽るような書かれかたをされることも多いが、実際には心霊現象研究協会は神智学協会の知的で自由な、開かれた雰囲気のなかから生まれた会であった。

|

2016年5月25日 (水)

カルディコーヒーファームで。観たい映画。サンドイッチの島で(リヴリー)。

月に1回ほどカルディコーヒーファームへ出かけて、200g入りコーヒー豆を3袋買うのがすっかり習慣化しています。

6月19日の父の日はまだ先ですが、「ファーザーズブレンドFather's Blend」という父の日限定炭焼ブレンドというのが出ていたので、1袋はそれにしました。生豆生産国名はグアテマラ、インドネシア、ブラジル他となっています。

「スモーキーな炭焼きの香り、しっかりとした苦みとやさしい甘さを持ち味とした父の日限定ブレンド」と説明があります。

20160524182635_2

娘が好物の杏仁豆腐。3等分して、ちょうどいいくらい。

20160524182718_2

オランダ産「ヘクター チーズラウンズクリスピーワッフル」が出ていたので、買いました。家族全員これが好きです。

ゴーダチーズ味の薄く焼き上げたワッフルで、ほどよい塩味です。軽い食感ですが、案外腹持ちがいいですよ。わたしは間食をしなくなったので、朝ごパンの代わりにいただきます。

20160524225941_2

イタリア産「フルッタチェレスチィーナ レモンマーマレード」もリピート。甘さ控えめで、ジャムとソースの中間的な液体っぽさがあります。パン、ヨーグルトにかけると、爽やかな美味しさで最高。

面白い映画があれば観たいと思いましたが、大抵何かは観るものがある夫でさえ「観たいものが何もない。ビデオになって100円で出ていたとしても、どれも観ない」昨日でした。チラシを貰ってきました。

チラシの中で観たいと思ったのは、『アリス・イン・ワンダーランド~時間の旅~』(全国公開は2016年7月1日)。

マッド・ハッター役のジョニー・デップ、赤の女王役のヘレナ・ボナム・カーター、白の女王役のアン・ハサウェイが好演した『アリス・イン・ワンダーランド』の続編です。

2016年8月11日に全国で公開されるディズニーの新作映画『ジャングル・ブック』も観たい気がします。原作はラドヤード・キップリングの同名小説。人間は実写、ジャングルの動物たちはCGで再現されるのだとか。

『ジャングル・ブック』には、子供のころに読んで虜になりました。キップリングはノーベル文学賞を受賞しています。ウィキペディアから引用します。

ラドヤード・キップリング

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日) は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している。

ウィキペディアの執筆者. “ラドヤード・キップリング”. ウィキペディア日本語版. 2016-05-22. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=59813075, (参照 2016-05-24).

ジャングル・ブック (岩波少年文庫) 
ラドヤード・キプリング (著), 五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/5/16)
ISBN-10: 4001142252
ISBN-13: 978-4001142259

ジュディ・フォスター監督作品『マネーモンスター』(全国公開は2016年6月10日)もちょっと気になります。

全米高視聴率の財テクTV番組がジャックされる――という内容だとか。ジュディ・フォスターの監督としての成長が如何ほどか確認したい気がしますが、観に行く余裕がありません。

ところで、無料で楽しませていただいているリヴリーアイランドで「サンドイッチ島」をゲットしました。家出人のピグミー、ネオピグミーが滞在中。

2016525b_2

遊び疲れて全員寝ているところが、何ともいえないかわゆさ!

2016525e


『Livly Island』は、GMOゲームポット株式会社の商標です。
『Livly Island』に関わる著作権その他一切の知的財産権は、GMOゲームポット株式会社に属します。
このサイトは『Livly Island』およびGMOゲームポット株式会社とは一切関係がありません。
www.livly.com

 



|

2016年5月11日 (水)

ウィリアム・ジェームズに対する疑義、神智学協会国際本部7代会長だったラーダ・バーニアのインド舞踊

辺境、泡沫ブログの一つである当ブログだが、最近、神智学協会、竜王会に関する記事をアップしているためかこの方面に関心のある方々のアクセスが増えたようだ。

58歳になるわたしは学生時代から純文学作家を志し、神智学への興味もそのころからで、さらにいえば、物心ついたときには前世やあの世についてのわずかばかりの記憶が既存のものとして自分の中に存在し、明らかに一般的とはいえない意識で人生を歩んできたといえる。

わたしの中で作家の卵としての生き方と神秘主義者としてのそれに区別が全くないために、左派が権勢を振るうわが国の文学界で作家志望を貫こうとすると、圧迫感、違和感、欠乏感が付きまとい、それに対する決め手を欠いた生き方にはゆとりも安定感もなく、長年集会への参加すらままならない。

だから、何か訊きたいことがおありの方は直接オフィシャルサイトでお問い合わせになってください。

毎年の更新でかろうじて会員となっているにすぎない人間が書きすぎているような気もするが、自身を一人の神秘主義者として見た場合、日々の神秘主義的な発見を自分のような人間が書かなければ誰が書くのかという思いがある。

わたしのブログはこうした思いから綴る個人的、私的な覚書であることをお断りしておきたい。同じ断り書きを繰り返すのはブログの性質上、最初から順を追って閲覧していただくわけではないからである。

今、H・P・ブラヴァツキー『沈黙の声』をジェフ・クラーク訳と星野未来訳とで読んでいる。一方で読んでよくわからなかったところを他方で読むとわかったりするので、わたしには両方が必要だ。

新訳 沈黙の声  Kindle版
星野 未来 (翻訳)
出版社: 星野 未来 (2016/2/10)
ASIN: B01BN85EBM

沈黙の声 オンデマンド(ペーパーバック)
H・P・ブラヴァツキー (著)

出版社: UTRYU PUBLISHING (2015/9/3)
ASIN: B0156B9RLU

すばらしい本で、わたしは読んでいると、本に触発されて自身の胸の辺りから尽きせぬ泉のように出てくる白い光で部屋の中がいっぱいになる。

またブラヴァツキーによる注や訳者による注を読むと、とても勉強になる。この点では特にジェフ・クラーク訳では、初心者から高度な知識を求める者にまで対応できるだけの訳者解説、補注、用語解説が手厚く加えられているので、本格的な学習にはおすすめである。

音楽的な美しさを持つ星野未来訳は、暗誦するのによさそうだ。

ところで、現代哲学・心理学が依拠しているといってもよいウィリアム・ジェームズ(William James,1842年1月11日 - 1910年8月26日)の講義録であるW・ジェイムズ(桝田啓三郎訳)『宗教的経験の諸相(下)〔全2冊〕』(岩波書店(岩波文庫),2015)の「第十六・十七講 神秘主義」には『沈黙の声』からの引用がある。

そして、そこではクロロフイルム、エーテルといった麻酔剤による幻覚も、また聖人と呼ばれようが玉石混交と思われる信仰者たちによる様々な段階の内的経験も精査を経ないまま同一のもの、同一の神秘的経験として扱われている。

神秘主義に対するジェームズのアプローチ法は次のようなものである。

神秘的状態に関する私の論じ方が光を投げるか、それとも暗〔かげ〕を投ずることになるのか、私は知らない。というのは、私自身の性質として、神秘な状態を享楽することが私には全然できないといっていいくらいなのであって、私としてはその状態についてはただ間接的にしか語れないからである。しかし、たとえ問題をこうして外面的に眺めるほかないにしても、私はできるだけ客観的また受容的であるつもりである。 (ジェイムズ,2015,p.182)

神秘な状態を享楽? 

前置きであるにも関わらず、早くもジェームズは「神秘的状態」とは「享楽」する性質のものであるかのように唐突に断定し、その口吻からはそうすることで彼が自らを神秘主義者たちより上位に置き、自分こそ洗練されたストイックな、そして誠実な論じ方をする人物であると印象づけるための心理操作を行っているように感じられる。

『プラグマティズム』でも、同様の読者に先入観をもたらす儀式があったことを思い出す。

ジェームズは暗を投じ、哲学・心理学を混乱、停滞に陥れたとわたしは思う。

ジェームズがいくら客観的また受容的であるつもりであったとしても、これでは神秘的経験を持たない人間の主観的見方の域を出ないはずである。しかしながら、学会は世間はそうは受けとらず、ジェームズの主観的見解は大変な権威を帯びるようになって今に至っている。

神秘主義者ヘレナ・レーリッヒは書いている。

アルコール中毒や阿片中毒は、火の世界に近づこうとする醜い試みである。もし三昧が高級の火の自然な現れだとすると、アルコールの炎はその火を破壊する者である。麻薬は火に接近しているような幻影を起こすというのは本当だが、実際は、アグニの本当のエネルギーの獲得を長いこと邪魔するのである。

ヘレナ・レーリッヒ(田中恵美子訳)『アグニ・ヨガの教え』竜王文庫(コピー本),1996,p.58

レーリッヒはアルコールや薬物による経験を「幻影」と呼び、神秘主義的経験とは厳然と区別している。

ここで今日は時間がなくなったが、ウィリアム・ジェームズについては今後も書きたいと考えている。

動画検索中たまたまラーダ・バーニア神智学協会国際本部インド・アディヤール7代会長(1923 – 2013,1980年から33年間会長を務めた)の若かりし日の舞踊姿を捉えた動画に出合った。

1951年にリリースされたジャン・ルノワール監督による映画『河(The River)』の中の一場面である。

激しい動きの中に優美さがあって、素敵な舞踊だと思う。今後クリシュナを思い浮かべるときは、クリシュナのイメージにこの舞踊が重なりそうだ。

次の動画は追悼動画だろうか。

ラーダ・バーニアは三度来日され、わたしは講演会に行きたいと思いながら行けなかった。

ラーダ・バーニア(高橋孝子訳,高橋直継監修,ジェフ・クラーク注記)『他に道なし: 霊的生活の探求』(宇宙パブリッシング,電子書籍版2014)の中の「ラーダ・バーニア女史の功績」によると、ラーダは12歳で神智学協会に入会、協会が設立した国立女子高校に通い、三代会長ジョージ・アランデールの妻ルキミニ・デーヴィが創立したインド舞踊学校カラクシェトラの最初の卒業生となった。

戦後、二代会長アニー・ベサントが創立に関わったバナーラス・ヒンドゥー大学でサンスクリット語を研究したという。

神智学協会に純粋培養されたような人だったのだ。

そうした意味ではクリシュナムルティに似た境遇といえるのかもしれない。『他に道なし』を読んで、クリシュナムルティの著作を読んでいるような錯覚を覚えたのも道理な話だと思った。クリシュナムルティはラーダの親友だったそうだ。

他に道なし: 霊的生活の探求 Kindle版
ラーダ・バーニア (著), 高橋 孝子 (翻訳)

出版社: UTYU PUBLISHING; 1版 (2014/4/27)
ASIN: B00JZCZR8E

現・第8代国際本部会長ティム・ボイド(Tim Boyd)のアメリカ集会の動画も出てきた。集会では国際本部のあるインドのアディヤールへの旅行が紹介されている。

ボイド会長はチベット問題にも取り組んでおられるようだ。

当ブログにおける関連記事:

|

2016年1月20日 (水)

なかなか面白かったアクション・スリラー「アンノウン」

掌編、完成。

昨夜、BS-TBSでやっていたリーアム・ニーソン主演のアクション・スリラー「アンノウン」が意外な面白さで、つい最後まで観てしまった。

何となく面白そうな予感がして夫も観るかもしれないと思い、録画して正解。わたしたち夫婦にはなかなか受けた映画となった。

舞台はベルリン――というのがムード的によかった。

で、それで満足して寝てしまい、今日までに完成させる予定の掌編にエンジンがかからず、午後になってようやくエンジンがかかってドタバタと仕上げた。

といっても改稿したものだった。捨てられない1編なので、今度こそ電子書籍にと思うが、掌編がもう少し溜まらないと、掌編集も出せない。

シネマトゥデイの「アンノウン」予告動画は⇒ここ

|

2016年1月 1日 (金)

BSプレミアムシネマ「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」が放送中

NHKBSで、プレミアムシネマ「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」が放送中です。17時20分~19時28分。アン・リー監督

ヤン・マーテルのベストセラー小説『パイの物語』を映画化したものです。レンタルのDVDで観ましたが、印象的な映画でした。

沈没事故のために16歳の少年が動物たち――最終的は一頭のトラ――と漂流することになる冒険ファンタジーです。思いがけない後日談からこの物語を心理学的に読み解くことも可能だと気づかされますが、冒険自体に惹きつけられます。

幻想的なシーンが圧巻です。映画はもう始まっていますが、おすすめ。

2013年9月8日の過去記事から感想を引用しておきます。

『ライフ―オブ―パイ トラと漂流した227日』をレンタルのDVDで観て、楽しい時間を過ごしました。
何と2度も観てしまいました。サバイバル物でありながら、主人公の内面世界が宗教的、哲学的な色彩で描かれ、幻想的なシーンがとても美しい映画でした。最後のところで、実は全てが主人公の空想で、別の現実があったともとれる結末になっているところが何ともいえない小気味のよさでした。
どちらともとれるように、よく伏線が張られていました。
監督はアン・リーという台湾の映画監督。原作は、カナダの小説家ヤン・マーテル著『パイの物語』。

パイの物語(上) (竹書房文庫)
ヤン・マーテル (著), 唐沢 則幸 (翻訳)
出版社: 竹書房 (2012/11/22)

パイの物語(下) (竹書房文庫)
ヤン・マーテル (著), 唐沢 則幸 (翻訳)
出版社: 竹書房 (2012/11/22)

|

2015年9月13日 (日)

画家ニコ・ピロスマニの映画がこの冬やってくる・・・!

メールをくださった方にリンドグレーンの記事をお約束しましたが、次に書く予定です。もう少しお待ちくださいね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

グルジア映画の名作『ピロスマニ』が、『放浪の画家ピロスマニ』という邦題で再上映されるという。デジタル・リマスター版だそうである。

11月21日から、東京の岩波ホール他、全国で順次公開されるとのこと。これは観たいなあ。

37年ぶりの再上映だとか。わたしは大学時代、文芸部の男女数人で観に行った。計算すると、そのとき二十歳だったことになる。

『ジプシーは空に消える』との贅沢な二本立てだった。どちらもすばらしくて、しばらくは感動のあまり口がきけなかったほど。全員そんな風だった。

ジプシーのほうはサントラ盤LPを購入して擦り切れるまで聴き、その後、DVDも購入した。

ウィキメディア・コモンズでピロスマニの絵を観て、昔も思ったがアンリ・ルソーの絵に似ていると思い、ふたりの絵を紹介した動画で見比べてみた。

ピロスマニ
https://youtu.be/kTa2IcczJkM?list=PLisHMnPZ0ZadykE0Vz6_C0AD026cLr-TR

アンリ・ルソー
https://youtu.be/-Bv6b299xkk?list=PL048007512120E1A7

うーん、似ているけれど違う、当然ながら。

ニコ・ピロスマニ:Wikipedia
ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili, グルジア語 ნიკო ფიროსმანაშვილი、1862年 - 1918年4月9日)

アンリ・ルソー:Wikipedia
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau、1844年5月21日 - 1910年9月2日)

ピロスマニの描く動物は、何て可愛い顔をしているのだろう。少年の表情も潔い感じでなかなかいい。

Niko_pirosmani_a_little_boy_riding_
Niko Pirosmani. ''A Little Boy Riding a Donkey''.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

|

2015年7月13日 (月)

祐徳稲荷神社がタイで有名ですって(追記:タイ映画「タイムライン」)

眠れないので、5時からの地震解説を見ようと思い、テレビをつけたところ、祐徳稲荷神社がタイで有名になり、観光スポットとなって、沢山の観光客が訪れているというニュース。

映画のロケで、佐賀が有名になったのだそうです。

祐徳稲荷神社も、ロケの舞台となったようです。

「佐賀は静かで、伝統ある食材が楽しめる」と、タイからの観光客は話していました。

よし、タイでも読んで貰えるような祐徳院(花山院萬子媛)の小説を書こう!

追記:

映画というのは、タイ­王国の映画「タイムライン(Timeline)」。佐賀県フィルムコミッションの誘致活動が実ったということのようです。

佐賀県フィルムコミッション ‐Staff Blog」に詳しく書かれています。以下がその記事。

監督はノンシィー・ニミブット。

主役を演じているのは、ジャリンポーン・ジュンキアットと男優ジラユ・タンスィースック。

タイ王国国内での劇場公開は、映画がラブストーリーだけあって、2014年2月14日のバレンタインデーだったそうです。

ロケは祐徳稲荷神社の他に、唐津、呼子、大川内山etc……で行われたとか。

「タイムライン」は2007年に日本でも公開された『レター 僕を忘れないで』の続編なんだそうです。

予告動画を視聴すると、祐徳稲荷神社で柏手を打っている場面が出てきます。

|

2015年2月15日 (日)

シネマ『バベットの晩餐会』を観て 追記:文学の話へと脱線「マッチ売りの少女」とリンドグレーンの2編

録画しておいた、BS2プレミアムシネマ『バベットの晩餐会』を観た。

1987年度アカデミー賞外国語映画賞受賞

原題:Babettes Gaestebud
監督:ガブリエル・アクセル
原作者:カレン・ブリクセン
脚本:ガブリエル・アクセル
音楽:ペア・ノアゴー
製作年/製作国/内容時間:1987年/デンマーク/104分
出演:
バベット=ステファーヌ・オードラン、マーチーネ=ビルギッテ・フェダースピール、フィリパ=ボディル・キュア、娘時代のマーチーネ=ヴィーベケ・ハストルプ、娘時代のフィリパ=ハンネ・ステンスゴー、ローレンス=ヤール・キューレ、青年時代のローレンス=グドマール・ヴィーヴェソン、アシール・パパン=ジャン=フィリップ・ラフォン

以下、気ままな感想ですが、ネタバレありですので、ご注意ください!

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

デンマークの漁村に、牧師と、その娘である姉妹が暮らしていた。

清貧といってよい暮らしで、牧師一家と同じように貧しく慎ましく暮らす信者たち相手に、姉妹は奉仕の日々を送っていた。姉妹は美しく、優しかったが、敬虔、信仰という言葉が服を着て動いているような、教条的なところもあった。

姉妹に、ロマンスが芽生えかけたことはあった。姉マーチーネは士官ローレンスとの間に、妹フィリパはオペラ歌手アシール・パパンとの間に。だが、姉妹は牧師館の奉仕に生きて老いた。

1871年9月のこと、パリ・コミューンを逃れた女性がオペラ歌手の紹介で、父亡きあと、姉妹だけで暮らす牧師館にやってきた。パリは市街戦の様相を呈し、女性の夫と子供は殺されたと紹介状に書かれていた。

女性は料理人で、名はバベットだという。

最初は受け入れを拒んだ姉妹だったが、無給で家政婦として雇って貰って構わないという言葉に、バベットを牧師館に置くことにした。

バベットのお陰で姉妹は家の仕事から解放され、信者たちに尽くす時間がたっぷりとれるようになる。

14年経ったとき、天の配剤のように宝籤が当たった。バベットは宝籤の購入を、フランスとのただ一つのつながりと冗談めかしていっていた。

大金らしいので(1万フラン)、彼女はそのお金でパリに帰り、料理人に復帰することもできたのではないだろうか。

しかし、バベットはそうしなかった。

姉妹が企画している牧師の生誕100周年を祝う記念日に、本格的なフランス料理を一度だけ、作らせてほしいと申し出るのだ。姉妹はコーヒーと簡単な夕食を出すだけのつもりだったが、バベットの切なる懇願に、譲歩した。

海亀は直前まで生きていた。それがスープとなる。まとめて購入されたウズラも籠の中で生きていたが、ウズラのパイになる。パイにスライスして入れられていた黒いものはトリュフだろうか? 料理に合わせて出される様々な、由緒ありそうなワイン、シャンパン。ケーキはモロゾフで食べたアーモンドケーキに似て見える。すばらしい果物。イチジク、美味しそう。食後のコーヒーはデミタス・カップに注がれる。対のように、小さなグラスのワイン。

かつて姉に恋したローレンスは将軍となり、経験を積んで料理も評価できる人間となっていた。晩餐会の席で、彼は料理をなつかしむように絶賛し、バベットの経歴を明かす。

「パリにいた頃、競馬大会で勝ち――、騎兵隊の仲間が祝ってくれた。場所は高級レストラン、カフェ・アングレ。驚いたことに料理長は女性でね。そこで食べたウズラのパイは創作料理だった。主催者のガリフェ将軍が料理長のことをこう話してくれた。特別な才能があるんだと。料理を恋愛に変身させる才能さ。恋愛となった料理を食べれば、肉体の欲望と精神の欲望は区別できない」

台所でてんてこ舞いのバベットには、将軍の絶賛が伝わったようだ。12人分で1万フランになるフランス料理のフルコースに、バベットは宝籤で得たお金を使い切ったのだった。

それは彼女の選択であり、将軍が晩餐会でいったように、選択が問題ではなく、神の恵みは無限だと悟ったからだろう。

バベットは、政変のために家族を亡くし、高級レストランの料理長の地位を失い、パリを追われた。料理の腕を発揮する場もない他国の寒村に生きる羽目になった、何とも気の毒な境遇であった。

ところが、晩餐会が終わったあと、台所で1人コーヒーを飲むバベットの凜々しく、美しい、どこか勝利を収めた将軍のような安堵の表情を見ると、彼女はパリの居場所をとり上げられた代わりに、デンマークの寒村をまるごと贈られたのではないかと思えてくる。

彼女は見事にそれを料理したのではないだろうか。

村の信者たちは14年経つうちに、バベットの価値観をどこかで受け入れるようになっていたのだと思う。 

14年もバベットと一緒にいたのだから、彼らは元のままの彼らではないはずだ。棺桶に片足を突っ込む年齢に達して怒りっぽくなっている信者たちではあったのだが、気づかないうちにバベット色に染まっていたのではないだろうか。晩餐会は、その集大成といってもよいひとときだったと思える。

現に、バベットの味に慣れた老人が描かれていた。老人は夕食を牧師の館から届けて貰っていた。バベットが食材の調達のためにパリに帰省していた間、老人には以前のような食事が届けられるのだが、彼はその味に耐えがたい表情をするのである。

バベットは牧師館の屋根裏部屋を提供され、家政婦として料理も任されてきたのだが、彼女は清貧にふさわしい食事の意義を崩さないまま、目立たないように食生活の改善、革命を成し遂げていたのである。

牧師館で食べる料理について、初めてマーチーネに教わり、それを食べてみたときのバベットの表情は印象的だった。

無造作に切って茹でた干しヒラメ。ちぎったパンをビールでどろどろになるまで煮る、おかゆのようなビールパン。バベットの口には合わなかったに違いないが、その表情は分析的、プロフェッショナルなものだった。

次の場面で、早くもバベットは買い物に出ていた。オニオンとシュガーを買っていた。その次の場面では、姉妹にお茶を出しているバベットがいた。シュガーは、お茶のためのものだったのだろうか。オニオンはどう使われたのだろうか。

寒空の下、野に出てハーブを摘むバベットの姿はとうてい忘れられないものだった。その姿からは、厳しい境遇となった彼女の失意、孤独感、また意志力と内に篭もった祈りなどが感じられるような気がした。

バベットは14年間、料理人としての華の舞台が得えられないまま、黙々と生き、ハーブを摘んできたのだろう。ハーブは慎ましやかな料理を活気づけたに違いない。

夕刻の鐘の音を1人聴きながら、涙を流すバベットも描かれていた。

漁村で魚を売る男も、食料品店を営む男も、バベットの影響は免れられない。腐った魚、傷んだベーコンを売ると、見破られるのだ。彼女は人知れず、村全体の意識を高めていったのではないだろうか。

フィリパが嘆くようにいう。「私たちのためにお金を全部使うなんて」
バベットは毅然と答える。「私のためでもあります」
マーチーネが心配そうに、不思議そうにいう。「一生貧しく暮らすなんて」
バベットは誇らしげに答える。「芸術家は貧しくありません」

バベット役のステファーヌ・オードランは、知的で、意志的で、美しかった。

適当なストーリー紹介とまとまりのない感想になってしまったが、わたしはこの映画を観て、勇気づけられたような気がした。バベットのように強くなりたい。

結婚して長い時が経ち、独身時代親しかった人々との絆が一つ、また一つと壊れていく気がしている。人は望む、望まないに拘わらず、影響し合って、一緒にいる相手に合った人間になっていく。

昔ながらのなつかしい感覚が継続していることを感じられる関係もあるが、違和感を覚えるようになった関係の方が多い。影響を与え合う機会の減ったことが一番の原因だろう。

昔、彼女はこんなに無神経なことはいわなかったのに……などと思うわたしがいる。お互いさまなのだろうが。

世間の人々は経済力や社会的地位で相手を見ていることが多いと思うときが、いつごろからか、よくある。わたしも無意識的にそうしているのだろうが、親しい間柄でありながら、そうした上下関係で見るというのがわたしにはよくわからない。

親しくないからなのかもしれない。親しいと思っているのは、わたしだけだったのかもしれない。

もう昨年の出来事になるのだが、「昔は、大きな家で暮らしていたのにね」と、いった女友達。

確かに結婚してからは夫の転勤もあったし(家賃を払うくらいなら買おうかという話が出たこともあったが、転勤を断ってまで落ち着きたいと思える場所には行かなかった)、わたしは外で仕事をしなかったから、いつもお金がなく、住まいでは苦労してきた。それでも、ちょっといい気味という気配が彼女から漂って驚いた。

別に喧嘩をしていたわけではない。賑やかに会話しているときの一コマにすぎなかったので、「えっ?」と思ったものの、忘れていたほどなのだが、時間が経つほどに気にかかる出来事として甦る。

友人関係を解消すべきか。

といっても、連絡しなければ、消えていく関係にすぎず、おそらく、わたしのほうで執着があるだけなのだ。昔、彼女が書いた童話を忘れられないのである。そのころの彼女のそうした一面に、いつまでも執着がある。だから、創作を始めたと聞いたときは本当に嬉しかった。しかし……その彼女は、わたしの知らなかった彼女だった。

彼女にとって、今のわたしは人生の敗残者と映っているようだ。才能もないくせに、文学なんかやって馬鹿ね、文学なんてやれるような経済力のある相手との結婚だったの、と彼女はいいたいようだった。

いってやれば、よかった。文学に生きすぎて、貧乏であることに気づかなかった、と。否、いってわかるような人であれば、あんなことをいいはいないだろう。清貧に生きているマーチーネの言葉とは違う。

友人は努力家で、早期退職する前から創作を始めているが、最初から賞をとりたいようだった。そして、社会的地位を得て退職した夫を見返したい様子。

純粋に文学に打ち込む反面、世に出たいとか、いろいろ打算的なことをずっと考えてきたわたしではあるが、彼女は大学時代にはもっと純粋に童話を書き、わたしに見せてくれた。

元々それほど読書の習慣のある人ではなかった。創作を本格的に始めたわりには、ほとんど読まないらしい。

打算的な(現実的な、というべきか)、冷たい言葉を平気で口にするようになった彼女の変化がショックであるが、逆から考えれば、大学時代、わたし――というより文学――の影響で彼女は繊細で純粋だったのかもしれないと思える。

また、わたしが友情を、作品を、純粋に歓迎したので、彼女は昔、そうしたのではないだろうか。彼女の夫は、花より団子の人なのだろう。

文学は、芸術は、やはりいいものだと思う。彼女は書く以前に読む必要がありそうだ。文学を何かの手段にする前に、文学を知り、楽しんでほしいと願うが、それは彼女次第だ。

原作者カレン・ブリクセンには興味が湧いたので、図書館から借りて読んでみたい。

追記:

ウィキペディアによると、カレン・ブリクセン(Baroness Karen von Blixen-Finecke, 1885年4月17日 - 1962年9月7日)は、20世紀のデンマークを代表する小説家。作家活動は1933年に48歳からと遅いが、翌1934年にアメリカで出版したイサク・ディーネセン名義の作品「七つのゴシック物語」で早くも成功を収めている。

作家として成功するまでは、「父方の親戚のスウェーデン貴族のブロア・ブリクセンと結婚し、翌年ケニアに移住。夫婦でコーヒー農園を経営するが、まもなく結婚生活が破綻(夫に移された梅毒は生涯の病になった)し、離婚。単身での経営を試みるがあえなく失敗し、1931年にデンマークに帰国した」とウィキにあり、紆余曲折あった様子が窺える。

「バベットの晩餐会」は1958年に出版された『運命譚(Anecdotes of Destiny)』の中の一編。

同じ物書きとして思うのは、「バベットの晩餐会」が無名の物書きによって書かれた作品ではなく(そもそも、そのような人物の作品が世に出て残ることはほぼないだろう)、功成り名遂げた作家によって書かれたという事実だ。

映画に感動しながらも、物書きの一人としてはそのことが引っかかり、物にならない物書きの人生――どうやら、それはわたしの人生らしい――が一層つらいものに感じられる気もしている。

そのこととは違うことかもしれないが、アンデルセンが「マッチ売りの少女」を書いたのは滞在中のお城であったこととか、極貧の少年少女が描かれた短編「小さいきょうだい」「ボダイジュがかなでるとき」は、セレブのリンドグレーンによって書かれたこととかを思うとき、わたしは複雑な気持ちになる。

*『小さいきょうだい-四つのものがたり(Sunnanäng ) 1959年』に収録されている作品。日本では1969年に大塚勇三訳『リンドグレーン作品集 14 小さいきょうだい』として出版されている。

石井登志子訳『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』(ヤコブ・フォシェッル監修、岩波書店、2007年)を読んで初めて、それまで断片的にしか知らなかったリンドグレーンの人生全体を鳥瞰できた。

両親は農場が軌道に乗るまで苦労したかもしれないが、あのころのスウェーデンの時代背景を考えると、彼女は何しろ農場主の娘で、父親は酪農業組合、雄牛協会、種馬協会を結成した活動的な事業家でもあり、娘のリンドグレーンが苦労した様子はアルバムからは窺えない。

ラッセを産んだ件では苦労しただろうが、一生を共にしたくない男の子供を妊娠し、その男と一生を共にしない選択の自由がともかくもあり、女性の権利拡張運動の闘士(職業は弁護士)エヴァ・アンデンの援助も受けられて……と、確かに一時的な苦労はあったようだが、自由奔放な女性がしたいようにしたという印象を強く受ける。ラッセは、実父から3万クローナの遺産を受けとっている。

ちなみに、ラッセが大学受験資格に合格したときの写真を見ると、どちらかというと、いかつい男性的な容貌のリンドグレーンとは対照的な、女性的といってよいようなハンサムボーイだ。

それまでに読んだリンドグレーンの作品解説や伝記的なものからは地味な境遇が想像されていたが、いや、とんでもなかった!

想像とは違っていたが(違っていたからこそ、というべきか)、リンドグレーンや周囲に写っているものがとっても素敵なので、昨年、娘に誕生祝いに何がほしいかと訊かれたとき、迷わず、リンドグレーンのアルバムを挙げたのだった。

だから勿論、わたしは、アンデルセンやリンドグレーンが有名だったり、お金持ちだったり、自由奔放だったりしたからどうのとケチをつけたいわけではない。

無名で貧乏だと、取材もままならないから、有名でお金持ちのほうがいいに決まっているし、自由でなくては書きたいように書けないから、環境的に自由なムードがあり、気質的にも自由奔放なくらいがいいと思う。

ただ、「マッチ売りの少女」にも、「小さいきょうだい」「ボダイジュがかなでるとき」にも、どことなく貼り付いたような不自然さを覚えていたので、つい、どんな環境で書かれたかを探りたくもなったのだった。

アンデルセンの「マッチ売りの少女」はよく読めば、不思議な話なのである。

このことについては、YouTube(聴く、文学エッセイシリーズ)の最初の動画「マッチ売りの少女」のお話と日本の現状 2014/02/07」の中で触れているので、以下に抜粋してみたい(このシリーズ、続けるつもりが頓挫している。あまりに話すのが下手なので。まあ、その練習の意図もあって始めたわけではあるが)。

「マッチ売りの少女」を読んでいました。このお話をご存知ない方は少ないんじゃないかと思いますが、アンデルセンの童話です。アンデルセンは1805年に生まれ1875年に亡くなったデンマークの作家です。日本でいえば、生まれたのは江戸時代で、亡くなったのは明治8年ということになります。

貧しい少女が雪の降る大晦日に、マッチを売りに出かけます。マッチを売ってお金を持って帰らないと、お父さんからぶたれてしまうのですね。ところが、マッチは売れませんでした。夜になってしまって、とても寒いんです。風がピューピュー吹いて、雪も降っていますから。

少女は、マッチを擦って、その炎で温まろうとしたわけです。そうしたときに、美しい幻がいろいろ見えました。ストーブや、美味しい食べ物、クリスマスツリーなんかが見えて、終いには亡くなったお祖母さんが見えたのです。その幻が消えそうになったとき、少女はお祖母さんに、自分も連れて行ってちょうだい、といって、お祖母さんと一緒に天へと昇っていきました。翌日、街の人々は、少女が凍えて亡くなっているという現実を見るわけですね。

そういう救いのないお話ですけれど、今の世の中にはこういう現実は、残念ながら沢山あって、この日本ですら、起きるようになってきたのが怖ろしい話です。

わたしは昔は、こういう悲惨な出来事というのは――こういうお話を読むと、ひじょうに心が痛みますけれど――遠い昔の外国のお話という捉え方をしていたわけですが、日本もだんだんと社会的に難しい状況となってきて、時々ニュースで餓死したとかね、目にしますよね。〔略〕

改めて思ったんですけれど、この少女は――まだ小さいということもあるのかもしれませんが――気立てがいいですよね。お母さんがこの間まで履いていたスリッパを少女が履いて無くしたとありますから、お母さんはどうしたんでしょう。この間までお母さんに可愛がられた雰囲気が少女にはありますよね。マッチ売りにも慣れていないみたいだし。お母さんが亡くなったとしたら、幻にお母さんが出て来ないのは不自然ですから、家を出たとかで、お父さんはやけっぱちなんでしょうか。それにしては家があばら屋みたいなのは変で、何にしてもお父さんは廃人っぽいですね。

夫に愛想をつかしたお母さんが少女もそのうち引き取るつもりで、下の子だけ連れて家を出たとか、想像したくなりますが、そこまでの情報をアンデルセンはここでは書き込んでいません。

アンデルセンがどういう意図で書いたかは知らないが、「マッチ売りの少女」が少女の貧しさ、恵まれない子の悲惨を訴えた物語にしては、その肝心のマッチ売りの少女が貧しさにも、商売にも慣れていず、すれた感じがないという不思議さがあるのだ。

そういえば、カレン・ブリクセンもアンデルセンも、同じデンマークの作家である。

リンドグレーンの2編についても、不可解な点や解釈に迷うところがあるので、いずれ考察してみたいと考えている。

『愛蔵版アルバム アストリッド・リンドグレーン』には作品解釈の手がかりになるようなことが多く書かれている。「はるかな国の兄弟」の謎はそれで大部分が解けた。

わたしが深読みしたより、単純に――シンプルにというべきか――書かれていた。それでも、まだ謎の部分がある。これについても、いずれまた。

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Livly | Notes:アストリッド・リンドグレーン | Notes:アントニオ・タブッキ | Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | Notes:不思議な接着剤 | Notes:卑弥呼 | Notes:国会中継 | Notes:夏目漱石 | Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) | Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) | Notes:源氏物語 | Notes:百年文庫(ポプラ社) | Theosophy(神智学) | top page | ◆マダムNの電子書籍一覧 | ◇高校生の読書感想文におすすめの本 | ★シネマ・インデックス | ★マダムNの文芸作品一覧 | ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 | ☆☆紹介記事 | ☆マダムNのサイト総合案内 | ☆メールフォーム | おすすめKindle本 | おすすめYouTube | おすすめサイト | お出かけ | お知らせ | ぬいぐるみ・人形 | やきもの | よみさんの3D作品 | アクセス解析 | アニメ・コミック | イベント・行事 | イングリット・フジコ・ヘミング | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 | エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 | エッセー「宇佐神宮にて」 | エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 | エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 | エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 | エッセー「百年前の子供たち」 | エッセー「精神安定剤」の思い出」 | エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 | オペラ・バレエ・コンサート | オルハン・パムク | カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) | ガブリエラ・ミストラル | クッキング | グルメ | コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 | シネマ | シモーヌ・ヴェイユ | ショッピング | テレビ | ニュース | ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 | バルザック | パソコン・インターネット | マダムNのYouTube | マダムNの他サイト情報 | マリア・テレジア | メモ帳Ⅰ | メモ帳Ⅱ | ライナー・マリア・リルケ | 俳句 | 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) | 健康 №2(体調)  | 健康 №3(受診) | 健康 №4(入院) | 健康 №5(お役立ち情報etc) | 健康 №6(ダイエット) | 健康 №7(ジェネリック問題) | 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) | 健康№8(携帯型心電計) | 児童文学 | 児童文学作品「すみれ色の帽子」 | 写真集「秋芳洞」 | 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 占星術・タロット | 友人の詩/行織沢子小詩集 | 地域 | | 夫の定年 | 季節 | 家庭での出来事 | 山岸凉子 | 思想 | 恩田陸の怪しい手法オマージュ | 息子の就活 | 息子関連 | 手記「枕許からのレポート」 | 文化・芸術 | 文学 №1(総合・研究)  | 文学 №2(自作関連) | 日記・コラム・つぶやき | 時事・世相 | 書籍・雑誌 | 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) | 村上春樹 | 村上春樹現象の深層 | 東京旅行2012年 | 植物あるいは動物 | 検索ワードに反応してみました | 歴史 | 瀕死の児童文学界 | 父の問題 | 珈琲 | 神戸旅行2015 | 神秘主義 | 福島第一原発関連 | 科学 | 経済・政治・国際 | 美術 | 能楽 | 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 | 自作短編童話「風の女王」 | 自作童話「不思議な接着剤」 | 芥川賞・直木賞 | 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 | 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 | 評論・文学論 | | 連載小説「地味な人」 | 電子書籍 | 音楽