カテゴリー「美術」の47件の記事

2019年10月 8日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その15。10月8日午後再開。河村市長の座り込み抗議、赤に白一点のフォーラム。田中保善『泣き虫軍医物語』。

物議を醸し続けている「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」ですが、本日――10月8日午後、再開の予定だそうです。

これに異を唱えてきた名古屋市の河村たかし市長が、その再開に合わせて、抗議の座り込みをなさるそうです。また、河村市長は7日、18日が支払い期限の市が負担する開催費用の一部約3380万円について、支払い留保の考えを記者団に明らかにしました。

入場者には教育プログラムを受けさせるのだそうです。このやりかたは石平氏がおっしゃる通り、共産党の洗脳を連想させます。

 

「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントにあたる企画展が10月5日、広島県尾道市の離島、百島で始まったそうで、これも大同小異のひどいものであるようです。わたしも、西村氏のご意見に同感です。

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とあいちトリエンナーレ実行委員会が主催する国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の第1日「表現の自由と芸術、社会」が2019年10月5日(土)13時から17時まで、愛知芸術文化センターで開かれました。

それを記録した動画の中で、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたり混乱させるものも表現の自由として保証される」などという、司会者のとんでもない発言がありました。日本国憲法第12条に真っ向から挑戦する発言であり、これはもはや芸術とは無関係なテロリストの発想です。 

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

フォーラムの最後で良識的な発言がありました。それを司会者が潰した格好でフォーラムは終了し、芸術監督・津田大介氏がオマケの大あくびをしました。

日本人が大東亜戦争と呼び、終戦後、GHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ばれるようになった先の戦争を、左翼がプロパガンダに絶賛活用中です。

彼らの脳内では、その戦争において、大日本帝国軍人は天皇陛下の命により、植民地戦争を繰り広げて残虐行為を行ったということになっています。そして、これら軍人の性の相手を朝鮮人の従軍慰安婦がさせられ、ひどい扱いを受けたということにもなっています。

「表現の不自由展・その後」の展示作品も、この二点に依拠したものです。この二点が覆ってもなお芸術作品として何か優れたものが残る作品が一点でもあるのでしょうか。

そもそも、どなたの御写真であろうが、それを焼いたり踏みつけたりする行為、また死者を冒涜する行為は、日本人の感性には到底馴染まないものです。日本人は古来、礼節を尊ぶ国民性です。

祐徳稲荷神社の創健社、花山院萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっている田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、昭和55年)が届きました。

戦争末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録です。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品でした。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出しました。

小学校だったか中学校だったかは忘れましたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔です。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではありませんが……

プロフィールから引用します。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応招。同21年4月復員…

まだ読んでいる途中なので、記事を改めてレビューを書きたいと思っています。

ちょっとだけ書いておくと、従軍慰安婦は出てきませんが、慰安婦(公娼)は結構出てきます。日本の娘だけでなく、「朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ島から来たジャワ娘もいた」(73頁)とあります。連れてこられたではなく、「来た」とありますよ。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の御著書が上梓されたのはそれを遡ること13年、昭和55年(1980)です。率直でユーモラスな筆致が特徴的なこの体験記には、様々なことが赤裸々に書かれています。

慰安婦達との恋愛遊戯のようなこともよくあったようで、田中氏は千代龍という美女に一目惚れ。こんなことを書いて、奥様に叱られなかったでしょうか。千代龍というのは源氏名でしょう。

日本軍がクダット地区を撤退するとき、酋長は部下幹部と共に涙を流して悲しみ、次のように言ったと書かれています。

クダットを撤退するのは思いとどまって下さい。他の新鋭部隊でなく今のあなた達でよい。日本軍がいなくなって、またもし白人が来たら、我々はまた人間扱いはされない。日本軍は私達を同等に扱ってくれた。我々と同じ物を食べ、一緒に同席してくれた。また赤十字をつけた兵隊さんからは我々の仲間が病気を治療してもらって沢山助けられている。どうか日本軍の皆さん、クダットに残っては下さらないでしょうか。日本軍の代わりに白人が来たら、我々はまた奴隷にされてしまいます。(131~132頁)

田中氏のこの御著書だけでも、左翼がしがみついている前掲二点を覆すことができます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますけれど、勝った側って、本当に嘘つきですね。

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2019年10月 5日 (土)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その14。再開の動きのある中で浮上した、補助金詐欺疑惑。

愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で中止となった企画展「表現の不自由展・その後」ですが、以下の愛知県議会議議員のツイートが示す、不透明な状況下で、再開の動きが出ています。

再開する時期は10月6~8日の方向だということですが、ここへきて、補助金詐欺疑惑が出てきました。

明日は6日ですが、本当に再開されるのでしょうか。メディアはおそらく補助金詐欺疑惑に関してはおおむねスルーでしょう。出版界の現状を伝える以下の貴重なツイート。

あいちトリエンナーレの企画展「表現の不自由展・その後」では、慰安婦像はじめ、昭和天皇、特攻隊を貶める作品が展示されていました。それを再び日本人の目に晒すつもりなのでしょうか。

ここまでするのであれば、日本人が大東亜戦争と呼び、戦後、GHQによって戦時用語として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ぶようになった戦争について、公平に検証すべきです。

否、既に検証は充分なされたといっていい段階にきているのですから、メディアがそれを海外にまで拡散してくれればいいだけの話なのです。反日に染まりきっていて、彼らはそれをしようとはしません。

「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。
「大東亜戦争」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年8月16日 04:16 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

戦争をするに当たっての日本のこうした理念と構想は、開戦の詔勅に簡潔に書かれています。開戦の詔勅、終戦の詔勅の内容を日本人は学校で教わることがありません。

前の記事で書いたように、萬子媛のイメージ像をモデルとした新作能を書いている途中ですが、戦時中、萬子媛に度重なる危機を助けられたとお書きになっている田中保善氏が軍医として行かれたというボルネオについて調べていました。

コタブルトのアバラ屋と書かれている箇所を読むと、ジャングルの中なのだろうかと思い、これは凄惨なボルネオの戦いというイメージにぴったりくるものでした。ですが、クダット県知事公舎、大きな医務室などと書かれていると、整備された地域もあるのだろうと思いました。それは、植民政策を行っていたオランダかイギリスが整備したものを日本軍が占領したのだろうかと思い……当時の状況が全くわからなくなりました。

連合軍の攻撃で悲惨になる前のボルネオの状況を知りたいと思いました。今でもジャングルで有名なボルネオは、ボルネオの戦いで悲惨になる前から悲惨なところだったのでしょうか。

今のボルネオは親日だそうで、特にブルネイがそうだと知り、ウィキペディアを閲覧しました。

第二次世界大戦が始まり、この地を支配していたイギリスを日本軍が排除した結果、1942年より日本の戦時統治が始まり、ブルネイ県が設置される。
木村強がブルネイ県知事として着任した。
木村強は約1年間ブルネイ県知事を勤めて最初に軍部の反対を抑えて、多くのインフラ設備と公共設備投資をして、後のブルネイの経済発展をさせた。後に首狩り族とブルネイで恐れられ、日本軍に抵抗し戦い、その日本軍の兵士も捕まえて首を切ったとされているイバン族を必死に説得して協力させ、ブルネイの発展に作業させた。ブルネイ国王のアマド・タジュディンはイバン族を全滅させようとしたが、木村強は何とかしてイバン族の命を救った。そして1年のブルネイ県知事を終えた。
「ブルネイの歴史」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年8月29日 01:28 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

石油がほしいというだけでは、首狩り族を保護するようなことまではしないでしょう。以下のブログには、詳しいことが書かれています。植民地として利用されるだけで貧しかったボルネイを日本は人道的なやりかたで、豊かなところに変えていきました。日本人がブルネイの人々と一緒に平和な、豊かな場所に変えていったところへ、連合軍が攻撃をしかけてそれを滅茶苦茶にしたというわけです。

「【親日感動秘話】ブルネイを救った伝説の日本人」『にゃんころりんのらくがき』。2016年06月06日 13:47 UTC、URL: https://ameblo.jp/ba7-777/entry-12167914277.html

そういえば最近、ペリリューの戦いで知られるパラオについても調べて、感動したばかりでした。

2019年9月16日 (月)
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その13。「開戦の詔勅」から「表現の不自由展・その後」まで、ツイートを時系列に。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/09/post-dcf82f.html

太平洋戦争について調べるとき、こうした「発見」は沢山出てきます。そうした国々が今も親日であることが、何よりの証拠です。日本人にとって、太平洋戦争はまぎれもなく大東亜戦争だったのです。

戦時中の日本人の美しい行為は、江戸初期生まれの萬子媛が神社という神域から今なお続けておられる行為に重なるものがあります。日本人にはこうした一筋の美しい流れがあり、それを絶やしてはいけないと思います。これほどのものを作り上げた文化は尊重され、継承されるべきものであって、貶められるべきものではありません。

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2019年9月 8日 (日)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その11。芸術監督・津田大介氏及び同展実行委員会による、日本外国特派員協会でのそれぞれの記者会見

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

愛知県で開催中の「あいちトリエンナーレ2019」(2019年8月1日~10月14日)の企画展「表現の不自由展・その後」は2019年8月1日より開催され、8月3日をもって中止されました。

この件で2019年9月2日、芸術監督・津田大介氏及び同展の実行委員会が、日本外国特派員協会でそれぞれ記者会見を開きました。

「表現の不自由展・その後」の内容が芸術作品とはおよそいいがたい、韓国政府の主張に全面的に依拠した政治プロパガンダであることを過去記事で確認しましたが、「表現の不自由展・その後」の実行委員会の会見はこのことを裏付けるものです。

展覧会の目的が「慰安婦」問題、天皇と戦争、植民地支配、憲法9条、政権批判にあることを実行委員会自ら臆面もなく語っているのですから、開いた口が塞がりません。

これだけ露骨な政治プロパガンダであるにも拘わらず、実行委員会にも芸術監督・津田大介氏にも、その自覚がなさそうです。芸術と政治プロパガンダは異なるという基本的認識を欠いているようです。

「表現の不自由展・その後」には組織的検閲や忖度によって表現の機会を奪われてしまった作品が集められたということですが、「検閲」されて表現の機会(発表の機会の間違いではありませんか?)を奪われたはずの作品が、白昼堂々と「表現」されていたという可笑しさ。

今回の中止も、公共施設での開催が問題視されたにすぎません。やりたければ、「検閲」されているわけでもなんでもないのだから、公共施設でないところで、自費で、お好きなようにやってくださいというしかありません。

ところで、馬渕睦夫氏(元駐ウクライナ兼モルドバ大使、元防衛大学校教授、前吉備国際大学教員教授)が「林原チャンネル」2019年9月4日公開の動画で、GHQ占領下における天皇陛下の役割がどのようなものであったのか――日本人は伝統的に天皇陛下をどのように捉えてきたのか――を的確に考察しておられます。

そこから、「表現の不自由展・その後」の内容がこのような日本人の奥底に存在する思いにどれほど無知、無理解なものであり、そのことが多くの日本人を怒らせたのだとわかります。

貴重な動画も、時間が経てば消えてしまうことが多いので、以下に、部分的に文字起こしさせていただきました。

(……)GHQ占領下における天皇陛下の役割は大きかった。それは古事記の神世にまで遡らなくてはならない、日本の伝統的な精神に依っているわけですけれども、陛下が日本の最高の権威としてGHQの下でも、実はGHQの上に君臨しておられたということですね。

天皇陛下が存在されたということがGHQ占領下における日本人の精神を、いわゆる植民地支配下にあった他のアジア、アフリカ諸国のような精神にはならなかったということではないかという気がしてならないんですね。

今日、ということは逆にいえば、わが国は有史以来ずっと独立をしているわけです。わたしたちの生き方そのものが我々の精神の中では生き方がゆがめられていないということですね。このことは実に大きなことだと思います。

これから令和の時代はすでに始まりましたけれども、これから激動の9月からさらに日本を取り巻く環境はさらに悪化していくといいますか、様々な分野での紛争、あるいは闘争といいますかね、そういうものが顕在化していくという風に感じていますけれども、そのときに我々がどうそこを乗り切るかという重大なヒントを与えてくれていると思うんですね。

それは日本の国体の真髄といってもいいんですが、それは日本という国家が天皇陛下を戴く国であるということですね。このことは我々あまり日々は感じていないんですけれども、一旦緩急あらば、やはり天皇陛下が存在しておられる、天皇陛下が国家の安泰と国民の幸せを祈ってくださっている、そういう意味では守ってくださっている、そういう気持ちがわたしたちのDNAの奥底にずっと存在しているわけですね。

わたしたちはその思いにいわば抱かれて、今も今日まで生き延びることができたんだとわたくしは素直にそう思っております。

これを西欧思想かぶれした人は、つまり西欧思想かぶれの人というのは唯物論者ですからね。そういうことが認められないんですね、残念ながら。そういうことを認めてしまうと、彼らが一生懸命今まで勉強してきた西欧思想というものが全く無駄になりますからね。

わたくしは無駄とはいわないけれども、その程度のものだとは思っておりますが、結局日本のいわゆる文壇にしろ、メディアにしろ、政界にしろ、経済界にしろ、教育界にしろ、どうしてもその唯物論思考から逃れられないんですね。

で、そういうことを平成の時代までは唯物的思考で生活してきたと。それが圧倒的な比重を占めてたという風にいえるんじゃないかと思いますね。

ちょっと朝鮮統治との比較から話は飛びましたけれども、問題は戦後の体制の中で、日本は韓国――北朝鮮はちょっと外すにしても――に対して特別扱いを強いられてきたということですね。ここが非常に重要な点なわけです。

簡単にいえば、韓国のほうから見てみますと、韓国は被害者、日本は加害者ということですね。そういう関係に入りますと、日韓が対等な関係になれないわけですね。

同じ独立国として、同じ主権国家として、日本と韓国が対等の関係には今までなってこなかったわけです。それは韓国から見て、日本は加害者、それから韓国は被害者。

ですから、被害者は特別扱いされて当然だという心理が働いていたんだと思いますね。それだけなら今日のような事態には至らなかったんですが、日本のほうも何となく自分たちは加害者であったんじゃないか、だから韓国に対してはいろいろ手厚くしてあげなければならない、そういう気持ちが期せずしてあったんだと思います。

その気持ち自体が悪いとは思いませんけれども、それは個人のレベルの問題と、国際関係、あるいは国と国との問題、あるいは政治の世界では違う効果をーー結果を導き出すことになるわけですね。

我々はなかなかそこまでは予見できなかったわけなんです。韓国が困っていれば戦後助けてあげよう、それ自体は美談のように聞こえますけれども、実はそれが重なって今日のような歪な日韓関係になってしまった、ということではないかと思います。

その責任は勿論韓国にも日本にもあるんですが、もう一つ大きな責任を担った国があるわけなんですね。国というよりは勢力とわたくしはいっておりますが、それは皆さんもうおわかりのように、戦後のアメリカなんですね。

もっといえばオバマ大統領までのアメリカですし、もっといえば、ディープステイトが事実上支配していた戦後のアメリカということになるわけなんです。(……)

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2019年8月31日 (土)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その10。問題の本質に迫る美術史家・田中英道氏。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

九州北部豪雨(自衛隊の皆様のご活躍に、胸がいっぱいになりました!)、白熱する香港問題、国際常識の逸脱甚だしく何やらハーメルンの笛吹き男に似てきた韓国ムン大統領……と、次々に流れてくるニュースにまたしても釘付けとなっていました。

一方、国際問題に発展したものの、彼らの味方なのかマスコミが一向に騒がず、うやむやのうちに沈静化してしまいそうな「あいちトリエンナーレ」問題。

「林原チャンネル」2019年8月11日公開の動画で、美術史専門の田中英道先生が、マルセル・デュシャン(Marcel Duchamp,1887 - 1968)の作品『泉』を話の皮切りに、問題の本質に迫っておられます。

https://youtu.be/Zgv0KAG-4e8

貴重な動画も、時間が経てば消えてしまうことが多いので、以下に、部分的に文字起こしさせていただきました。

芸術が物になっている。それで芸術を否定したつもりになっている。しかし、これはそのグループの単なる内向きの会話にすぎない。ところが彼らにとってはそこしか見ていないものだから、新しいものだと思い込んでいる。こういうことそのものが20世紀の欠点なんです。

一つはそういうことによって、物派は精神的なものを全部を潰したつもりになっている、否定したつもりになっている。これが宗教も否定する、精神も否定する、哲学も、思想も、全部……そういうものが権威だ、権力だ、ということになっているわけね。家族を否定する、破壊する、そういうことに皆通じているわけ。

こんなものは、それを否定した当人たちの生活を一人一人見ていればわかるわけで、そんなもの否定できっこないんですよ。皆さんそれぞれお母さんから生まれてきて、家族になって育っているはずで、やっぱり矛盾しているわけね。

その偽善的な態度そのものが、芸術を作るなどという前提を否定しているわけです。ですから、こんなものは作らなくていいんですよ。……展覧会のあの体たらくというのは、わたくしはですね、今の戦後の芸術のある種の衰退の象徴だろうと。

やはり、こうした問題の根っこにはマルクス主義的唯物論があると思わざるをえません。芸術を否定しながら芸術活動を行うという矛盾は、プロパガンダ、利権のためでしょうね。

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2019年8月19日 (月)

原田マハ『楽園のカンヴァス』を読んで気になった、嘘。神秘家だったアンリ・ルソー。

「あいちトリエンナーレ」問題に続いて、古市憲寿「百の夜は跳ねて」のパクリ疑惑など出てきて、夏休みの宿題(?)ができなかった。

家族でショッピングモールへ、恒例となっているコーヒー豆の買い出しに出かけた。夫は映画、わたしと娘はショッピング。帰りに書店に寄った。

美術館勤務の経験があるという、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫: 新潮社、2014)が目に留まった。アンリ・ルソーの名画「夢」をめぐる美術ミステリーという。ベストセラーらしい。

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アンリ・ルソー(1844 – 1910)「夢」ニューヨーク近代美術館、1910

本物はなかなか観る機会がないけれど、アンリ・ルソーは学生の頃から好きで、40年以上のファンだ。「あいちトリエンナーレ」問題では美術界に疑問が湧いたが、その疑問をいくらか払拭できるかもしれないという期待感も高まった。

この種の売れていそうな本は図書館から借りると大抵汚されていることを思えば、買ってしまおうと思い、買った。手の出ない、ほしい本はいくらでもあるというのに、魔が差したというべきか。

美術畑、また音楽畑の人の文芸作品もそうだが、エッセイなど読むと、文章が洗練されていて、論旨も明快、さすがは芸術家の文章と感心させられることが多いものだ。

ところが、帰宅後、本を開いて、冒頭の一行目を目にしたとたん、早くも読む気が削がれてしまった。わたしとしたことが、冒頭も確認せず、購入してしまったとは。

ここに、しらじらと青い空気をまとった一枚の絵がある。(原田,2014,p.7)

「しらじら」というのは、「しらじらと夜が明ける」というように、夜が次第に明けていくさまを意味することが多いと思うが、如何にも白く見えるさまもいう。興ざめなさまもいう。

しかし、次に「青」とある。一体、白なのか、青なのか。二つを混ぜて水色というわけではあるまい。それとも、何か興ざめな感じがあるのだろうか。そして、その青と形容されたものは空気であって、その空気(雰囲気の意か)を一枚の絵が纏っているのだという。

ここに一枚の絵があることはわかるのだが、その絵がどう見えるのかがもう一つはっきりしない。

先を読めば、「それぞれの身体[からだ]はパウダーをはたいたように白く透明だ」とか「それほどまでに青く、白く、まぶしい画面だ」とあるので、どんな色調の絵であるのかが次第にわかってはくる。

アンリ・ルソーの絵の話なのかと思って読み進めると、そうではなく、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが1866年に描いた絵なのだそうだ。シャヴァンヌがアンリ・ルソーにこの後、関わってくるのだろうと思ったが、これきりだった。

作者は、大原美術館を小説に出したかったのだろう。ストーリーからすれば、必ずしも必要のない設定に思える。いずれにせよ、冒頭に出てくる絵は、大原美術館所蔵のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ作「幻想(Fantasy)」である。

なるほど、その絵は、青色と白色が優劣つけ難いあざやかさで、観る者を圧倒する。

実際に観れば、ペガサス、女性、子供のそれぞれの身体はパウダーをはたいたように見えるのだろう。だが、パウダーをはたけば、その部分は他の部分の色合いに比べて白さが際立つか、元の色が殺されて朧気に見えるだろうが、透明には見えない気がする。

作者は、絵の各部分から受けた異なる印象を一気に描写しようとする。それで、自家中毒を起こしたように意味不明な表現となっているのだ。子供が見たものを一気に伝えようとして、息せき切っておしゃべりするときのようだ。

美術畑で働いたことのある人にしては、全体に稚拙な文章である。読みながら、美内すずえの少女漫画を連想した。漫画の原作を想わせる小説なのだ。恩田陸の小説に似ている。

漫画の原作であれば、漫画家が人物に表情をつけて内面まで見せてくれるだろうが、単独で書くからには、作者が内面描写まで行わなければならない。その描写があまりに平板であるため、どの人物にも魅力がない。

あちこち引っかかりながら読み進めると、次の箇所がどうにも気になった。

 画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。
 そういう意味では、コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいないと思うよ。
 キュレーター、研究者、評論家。誰もコレクターの足もとにも及びないだろう。
 ああ、でも、ーー待てよ。コレクター以上に、もっと名画に向き合い続ける人もいるな。
 誰かって? ――美術館の監視員[セキュリティスタッフ]だよ。(原田,2014,pp.10-11)

コレクター、キュレーター、研究者、評論家、監視員では、役割――専門――の違いから、絵を見る姿勢が異なるはずである。それに、時間さえかければいいというものでもあるまい。

作者は、優劣つける必要のないものに、優劣つけようとする。それは、作品のテーマに関わる部分でもそうで、ピカソとルソーを比べ、競わせようとする。

そして、作者は明らかにピカソをルソーの上に位置付けている。美術市場ではそうだからだろう。ルソーをことさら、不遇で評価の定まらない画家であると強調するのは、作者自身が市場――世俗といい換えてもよい――の価値観――を、市場が作り出すヒエラルキーを、高く評価し、信じているからに他ならない。

参考文献の筆頭に、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社ライブラリー、2006)が挙げられている。わたしは中公文庫(中央公論社)から1993年に出た版で当時読み、大変な感銘を受けた。

だから、原田マハ(2014,p.288)が「史実通りに物語が進めば、ルソーはほとんど誰にも顧みられぬまま、この世を去る」と書いた箇所を読むと、岡谷氏の評伝を読んでいながら、なぜこんな嘘をつくのだろうと思う。

その理由として、わたしは前述したように、ピカソをルソーの上に位置付けるためだと考えたのだった。

岡谷氏によると、ルソーは晩年、真の成功に近づいていたという。「夢」の批評は『ニューヨーク・ヘラルド』をはじめとする21紙に載り、その大半は好意的だった。1910年は、亡くなる前月の8月までに、3,590フランを絵の代金として得た。しかし金は、消えた。最後の恋人レオニーに貢いだためだった。

讃美者も増えていた。

ウーデ、ドローネ、ブリュメルに次いで、この年さらに三人の若い讃美者がルソーに近づく。未来派の画家で、著作家でもあったイタリア人のアンデンゴ・ソフィッチ、セルジュ・フェラの名で知られた、ロシア生まれの画家ヤストルブゾフ、その従妹で、のちにロック・グレーの名でルソーの画集を出版するエッチンゲン男爵夫人である。(岡谷,1993,p.276)

小説はフィクションだからいい加減に書いていい、というわけではない。フィクションであればなおさら、事実を踏まえるべきところはそうすべきである。この場合は、作者は参考文献を毀損している。

作品を彩るはずのニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと日本人研究者・早川織絵のロマンスは安手な印象で、退屈だった。

ミステリーの部分は作りすぎで、説得力を欠く。

『楽園のカンヴァス』が子供の推薦図書だったとのレビューを読んだ。最近ではライト・ノベルを推薦図書に選ぶのだろうか。昔の大衆小説家のように文章がしっかりしていればいいのだが、この作品における原田マハの文章はチープで粗い。

ここで、『楽園のカンヴァス』を離れようと思う。

今回、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(中公文庫: 中央公論社、1993)を再読し、神秘家としてのルソーが印象的だった。ルソーはインタビューの中で、次のようにいう。

私はいつも描く前から、絵をはっきり見るんです。とても複雑な絵の場合だってそうです。ただ描いている間に、自分でもびっくりするようなことが出てきて、それはとても楽しいですね。(岡谷,1993,p.275)

岡谷氏(1993,p.193)によれば、ルソーはフリーメーソンに加入していた。薔薇十字団員、降霊術術者たちとの交わりもあった。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は1831年に生まれ、1891年に亡くなっている。ルソーは1844年の生まれで、1910年に亡くなった。世代的には案外近い。当時は降霊術が流行っていたのだ。ブラヴァツキー夫人はその降霊術を批判して、心霊主義者たちの攻撃の的となった。

ルソーのお化け話は有名だったそうで、『アンリ・ルソー 楽園の謎』にはわたしを不安にさせる記述がある。幸い、ルソーの芸術の力が勝ったのだろう。死は、ルソーを平和裡に訪れたようである。

ルソーは、臨終まぎわの譫言[うわごと]の中で、父なる神や天使たちの姿を見、「ヴィオラとハープとリュートから成る天上のオーケストラ」のしらべを聞いたと浮かされたようにして語り、また、これから星や青空を描くのだと言ったと伝えられている。(岡谷,1993,p.286)

YouTubeで公開されていた動画 Henri Rousseau "El Aduanero"

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2019年8月12日 (月)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その8。河村たかし名古屋市長が国会での公開議論希望。

河村たかし名古屋市長が「私と大村知事を国会に呼んでほしい」「公開の場で徹底的に説明・議論したい」「表現の自由は無制限ではない」とおっしゃっています。

大村愛知県知事は河村名古屋知事の呼びかけに応じるべきです。

国会での議論が実現しますように!

また、芸術の各分野が左派に乗っとられている現実があるのかもしれません。音楽界も上層部は乗っとられているとツイートなさっているかたがありました。芸術活動をなさっている方々は、理不尽な現実があれば、どうか声をあげてください。このままでは日本の芸術も文化も駄目になってしまいます。

以下のわたしのツイートですが、文豪の前に「優れた」は不要でした。文豪の中に含まれる要素ですので。あとで気がついて、削除して書き直そうと思いましたが、既に「いいね」してくださっている方々がいらしたので、そのままにしています。

「サイレント盆ダンス」というのも、わたしにはショックでした。盆踊りは死者を供養するための伝統行事です。単なるお楽しみイベントではないのですから、わたしもこれは文化破壊だと思います。ニュースでの共犯めいた採り上げ方が嫌らしい。

 

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2019年8月10日 (土)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その7。2016年には芸術の名の下に動物虐待。

『あいちトリエンナーレ2019』での芸術を騙った反日プロバガンダ「表現の不自由展」は、ガソリン脅迫男が逮捕された後も再開の動きはありません。メディアは、比較的無難と思うのか、慰安婦像のみ前面に出して報道しています。

いっそ再開され、「表現の不自由展」の実態が全国民にあらわになればいいのにと思いましたが、再開を悪用される危険もあるので(公共施設での反日プロパガンダを一旦禁止した後に許可する――結局許可した――という悪しき前例をつくってしまうことになります)、禁止のままが正解でしょうね。

夏休みの宿題(?)が四つもあります。で、トリエンナーレ問題の経過が気になって貼り付いていたツイッターから離れようと思い、その前の軽いチェックのつもりでツイッターを見ると、前掲のツイートが流れてきて、絶句。

2016年のあいちトリエンナーレの展示物の中に、ラウラ・リマ「4階建てのビル室内で小鳥を100羽放し飼い、来場者は鳥のための空間に入っていく体験」というコンセプトの作品があったとのことで、実態は芸術とはかけ離れた動物虐待だったようです。

通報を受けた鳥のレスキュー団体TSUBASAさんが行動してくださったそうです。

通報してくださったと思われるかたのブログ記事が出てきました。「作品」がどのような状態にあったのかがよくわかります。

あいちトリエンナーレ豊橋、ラウラ・リマ作品を見て小鳥たち①」『みかりんのすきなもの』。2016年10月09日 12:07:16、URL: https://ameblo.jp/mika-kikilala/entry-12207606115.html

あいちトリエンナーレ豊橋、ラウラ・リマ作品を見て小鳥たち②」『みかりんのすきなもの』。2016年10月09日 12:33:02、URL: https://ameblo.jp/mika-kikilala/entry-12207794768.html

通報を受けて、緊急対応をしてくださったTSUBASAさんのブログ記事です。

あいちトリエンナーレ2016」での緊急対応」『鳥の保護活動/TSUBASAみらくる日記』URL: https://www.tsubasa.ne.jp/2017/01/28/rescue-aichitriennale/

当時のニュース記事が出てきました。

希少動物の鳥、無許可で芸術作品に 愛知の国際芸術祭」『朝日新聞デジタル』。10月17日 21:08、URL: https://www.asahi.com/articles/ASJBK6DHFJBKOIPE02R.html
愛知県で開催中の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2016」の参加作品に、「種の保存法」で義務づけられた環境相許可を取らずに調達した鳥が3羽含まれていたことが分かった。この作品は素材として約100羽の小鳥を4階建てビルに放って展示し、約20羽が死んだり外に逃げたりしていた。(後略)

管理のずさんさに驚かされます。これが高額の公金を投じ、国際芸術祭という名で行われるイベントなのですから、呆れます。次のようなツイートもありました。

国会で問題とすべきレベルの不透明さですね。

昨日はメアリー・ポピンズの物語で有名なトラヴァースの誕生日だったとか。夏休みの四つの宿題のうちの一つが、メアリー・ポピンズ物語です。

ツイッターからべたべた貼り付けて、申し訳ありません。読みにくいでしょうね。引用に便利なので、つい。「宿題」に集中すれば、ツイッターを見る時間が減り、自ずからツイートの貼り付けもなくなりますので、ご安心を。

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2019年8月 9日 (金)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その6。いっそ展示を再開して、鑑賞会を開いては?

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」に怒り、脅迫ファクスを送った男性は逮捕されたようだし、再開したら? という意見が出始めたようです。わたしもしばらく考え、その意見に賛成の気持ちです。せっかくの祭典なのですから、このまま終わらせるのはもったいないではありませんか。

大村愛知県知事は、弁護士である吉村大阪府知事に対して、憲法論争をふっかけました。表現の自由を保障した憲法21条を理解していないと批判したのです。少なからず、わたしは驚きましたね。

わたしは素人ですが、ネット上で憲法を閲覧できますし、手元に古い小六法もあるので、21条を見てみましょう。

第二一条[集会・結社・表現の自由、検閲の禁止、通信の秘密] 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
➁検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

大村愛知県知事には、この21条しか頭にないようですが、憲法は全部で103条あるのです。

今回の件では、現場を視察した河村名古屋市長が「表現の不自由展」の内容は公的空間にはふさわしくないと判断し、展示の中止を要請されたのであって、吉村大阪府知事も同意見。さらに、大村愛知県知事が展示内容を容認したとして、知事として不適格ではないかとの考えを表明されたのでした。

特に問題となった展示物は、曼荼羅や頭蓋骨などとコラージュした昭和天皇の御真影を燃やす映像作品、「平和の少女像」(慰安婦像)、「馬鹿な日本人の墓」と題された、星条旗を下敷きに、上に特攻隊のために寄せ書きされた日の丸を貼り付けた祠です。

専門的なことはわからないのですが、これらの展示物は、憲法第1条、第12条に反しているように思えます。

第一条[天皇の地位・国民主権 ]天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

Img_0340_1

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

これらの展示物が反日プロパガンダと見なされるのは、全て、歴史認識で摩擦のある韓国側の視点で作られているからです。芸術は自己主張ではありません。私利私欲を離れた客観的な視点が欠けていては、芸術作品とはいえません。

以下の過去記事で、わたしは次のように書きました。

2019年8月 2日 (金)
「平和の少女像」(慰安婦像)と「ライダイハンの母子像」を芸術的観点から比較してみる
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/08/post-fda191.html
「ライダンハンの母子像」は、嘆きと美が絶妙に織り成された、優れた芸術的表現となっていますね。女性であったがゆえの悲劇を感じさせます。
一方、「平和の少女像」は、説明がなければ、ただ不機嫌そうな少女としかわかりません。少女の不機嫌が伝わってはきますが、伝わってくる内容は極めて漠然としたものです。「平和の少女像」というタイトルがちぐはぐな印象を与えます。芸術作品といえるだけの条件を欠いているように思えます。

芸術作品とは、自らを含む全人類の良心と美意識に訴えかけようとするものです。そのような像を制作するには、人間として成熟していなければ、無理です。

「表現の不自由展」の展示物はどれもこれも子供っぽく、がらくたのように見えてしまいます。そのレベルの、およそ芸術とはいえない作品群ということであり、憲法を持ち出すまでもない話です。

実際には、検閲されたわけでも、表現の自由を禁止されたわけでもないのだから、芸術監督が自費で借りた場所で、好きなだけ展示すればいいのです。

それから、展示物の中には、日本とアメリカの国旗を軽率に使用しているものがありました。ツイッターでは、それに対して、刑法第92条を挙げておられるかたもありました。

(外国国章損壊等)
第九二条 外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。
2 前項の罪は、外国政府の請求がなければ公訴を提起することができない。

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2019年8月 7日 (水)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その5。津田氏のゲンロン仲間、東浩紀氏は「文學界」(文藝春秋)新人賞の選考委員。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

これはツイッターにも書いたことですが、「あいちトリエンナーレ」津田大介氏(芸術監督)のゲンロン仲間である東浩紀氏は、何と「文學界新人賞」(文藝春秋)の選考委員です。ずっと購読していなかったので、これまで気づきませんでした。

言論をゲンロンとカタカナ書きにしたのは、揶揄しているわけではありません。

ウィキペディア「ゲンロン」によると、2010年東浩紀氏は、インテリアデザイナーで建築家の浅子佳英、空間デザイナーの李明喜らと共に東京都新宿区四谷に合同会社コンテクチュアズ(Contectures, LLC.)として設立しており、2011年に代表に就任、2012年に株式会社ゲンロンに社名変更、社外取締役として津田大介・福嶋麻衣子を迎えています。

「文學界新人賞」を受賞した作品の多くが芥川賞候補になります。文藝春秋社内の日本文学振興会によって選考が行われるからです。

一昔前、「文學界」には、およそ文学的でない左翼知識人である柄谷行人の論文がよく載っていて辟易させられました。東浩紀氏はその柄谷氏の出来の悪い弟子らしいですね。その頃「文學界」では、すさんだ作風の在日文学も大流行りで、これにも辟易させられ、わたしは定期購読をやめました。

細井秀雄氏が編集長だったころは、文芸評論家であり保守論客であった江藤淳氏の作品がよく掲載されていました。江藤淳『占領軍の検閲と戦後日本 閉された言語空間』(文春文庫 - 文藝春秋、1994)は日本人必読の書です。

その細井氏から、「九州芸術祭文学賞」で地区優秀作をとったわたしの作品について、懇親会の席でですが、「ああいったことは書かんがいい」と忠告されました。大したことは書いていなかったんですけれどね。その後、「織田作之助賞」で最終候補になったときの懇親会だったか、その席で「今後は児童文学作品を書こうと思っています」というと、心底ホッとした表情をなさいました。

そのころは、文學界の舞台裏をろくに知りませんでした。文学仲間を通して情報を集めた今では、下手に賞なんかとらなくてよかったと思っています。尤も、才能に乏しいので、その心配はいらなかったのでしょうが。

現在、純文学界に在日外国人でも帰化人でもない日本人作家は何割くらいいるのでしょうか、疑問です。

最近では特に、日本文化を貶めているとしか思えない、文学作品の体すら成していない作品が芥川賞をとる傾向にあります。日本人であろうと、外国人であろうと、日本文化を愛する人間にはとても作りえないようなストーリー、無神経な表現が頻出しています。

前出の細井氏は現在、平山周吉という筆名で、作家活動をなさっているようです。アマゾンに読んでみたいと思う作品がありました。幸い図書館にあるようなので、借りて読んでみたいと思います、購入するには、専業主婦のわたしには高価ですから。3,996円。

江藤淳は甦える
平山 周吉 (著)
出版社: 新潮社 (2019/4/25)
ISBN-10: 4103524715
ISBN-13: 978-4103524717

今思えば、江藤淳氏が生きていらしたころは、文学界、日本の言論空間は、まだしもまともでした。

次のツイートで紹介されている動画内容は結構怖い、その次のツイートで出ている情報にはなるほどねと思わせられます。

こうした人々に好き放題されたら、日本は本当に日本ではなくなってしまいます。

芸術家でない大したキャリアもない津田氏がなぜ、こんな大役を任せられたのでしょうか? 反日ネットワークの存在を考えれば、別に不思議ではない気もしますが、武田邦彦氏の語る動画が出てきました。

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2019年8月 6日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その4。津田氏に発表の場を奪われていた作家たち。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

あいちトリエンナーレが芸術祭の呈をなしていないことに呆れていましたが、以下のツイートによって真相がわかりました。

どうやら津田大介氏は学芸員が選んだ約80組の作家の展示をやめさせ、その代わりに反日プロパガンダ作品を展示したようです。

80人の作家が晴れがましい発表の機会を奪われたということでしょうか? 「表現の自由」を奪われたのは、学芸員と作家の方々ではありませんか!

学芸員の方々も、発表の機会を奪われた作家の方々も、どうか声を上げてください。

全体がおかしかったのではなく、本来展示されるはずの人々が津田大介氏に代表される反日ネットワークにその場を奪われていたということなのです。

発表の機会を奪われるということがどれほどのことか、分野は異なりますが、同じ創作者としてわたしには想像がつきます。このようなことがなければ、この展示を足掛かりにして世界に羽ばたけるような才能の持ち主だっていらしたかもしれません。

同じようなことが、日本の各分野で起きてきた可能性があります。メディア、法曹界、文学界のおかしさには気づいていましたが、美術界(アート界)もそうだったのですね。

今こそ、日本を愛する人々――日本人であれ外国人であれ、真に日本を愛する人々――は一丸となって、日本を正常化させようではありませんか! 

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