カテゴリー「美術」の31件の記事

2016年10月 3日 (月)

自分の顔の変化から連想したピーテル・ブリューデル「乾草づくり」

中学時代からの友人2人と11月以降、博多で会うことになった。友人はもう一人いるのだが、東京在住なので来られない。

九州の異なる三県から集まるとなると、博多で会うのが一番便利だ。

ずいぶん久しぶりに会うことになるので、前に連絡をとったときに一人に「顔変わった?」と訊いたら、「整形したわけじゃないから、変わってないわよ」との返事。

いや、整形してなくったって……。

わたしは変わった。夫が不品行を働いたときから明らかに顔が変わっていき、不細工になったと思う。自分でいうのもナンだが、独身のころは可愛いといわれたほうで、それまでは無難に年を重ねていた。

それが、何か顔にされたかのような忌まわしい爪痕が残り、表情が何より違う。

顔の部品がバラバラになったのをかろうじてまとめたものの、元の形には戻せなかったといった変化と、表情から濁りと険がもうどうしても消えなくなってしまったのだ。

年をとったための単なる劣化とは明らかに違い(それもあるけれど)、これは精神面から来たものだろう。日本の文学界への不信感と、老年になってから新たな自立を迫られそうな生活不安が嫌な表情の変化をいよいよ強めた。

幸か不幸か、結婚してから険が見られるようになった顔の例は周囲に結構見つかる。そうなった決定的な原因は様々かもしれないが……

わたしは中野孝次『新装版 ブリューゲルへの旅』(河出書房新社、1993)の中の次のような解説を思い出した。「乾草づくり」と題された絵の解説の一部である。

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ピーテル・ブリューデル(1525/1530–1569) 、乾草づくり、1565

女たちはたぶん、祖母、娘、母だろう。娘はあどけないまるい顔を、ほほえみかけるように、こっちに向けている。(……)よく見れば画面の諧調のもととなっている三人の女たちも、ブリューゲルの他の人物の醜さに通じる人生の重さ、苦しさの痕跡を免れているわけではなかった。母親らしい中年女は、あどけない顔をこっちに向けている娘の傍で、きっと前方に目を据えている。かつては娘と同じようにみずみずしくまるかった顔は、いまは骨ばり、逞しくなり、疑り深いその目は、もう何事にもだまされぬぞ、甘い良いことなどこの世に期待していないぞ、といっているかのようだ。老婆は、喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動ぶりで、前を見ている。画家はまるでこの三人の女によって、一人の女の一生を暗示しているかのようである。そしてそれが語る言葉は、「生ハ険シ」だ。(中野,1993,pp123-125)

この本をいつ購入したかは記憶にないが、出版年からすると、わたしはまだ若かったはずだ。そのとき、解説に鮮やかな印象を与えられたことを覚えているが、絵に描かれた母と祖母の表情の変化に関してはまだ他人事であったと思う。

今は絵に描かれた母のようであるわたしの顔も、やがては祖母のような「喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動」な表情になるのだろうか。そのときにはもう棺桶に片足を突っ込んでいるのだろう。

そういえば、最近、美容整形が流行しすぎている気がする。

別人のように見える女優さんや、同じような系統の顔をした美貌の女優さんが増えた。最初はハーフが増えたのかと思ったのだが、どうやら美容整形を受ける人が増えたということのようだ。

この街にも美容整形外科は多い。顔を変えすぎたためのアイデンティティーの問題が生じることはないのだろうか。

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2016年9月23日 (金)

フリーメーソンだったマルク・シャガール

上田繁樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)に次のような記述があり、シャガールが26歳のころ、フリーメーソンになったことがわかる。シャガールの作品を考えるときには、フリーメーソンの思想の影響も考えるべきだろう。

ユダヤ人画家マルク・シャガールは一九一三年に西部のヴィチェブスク(現ベラルーシ領)の結社に入団した記録が残る。(上田,2014,p.224)

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事に、追記としてこのことを加筆した。


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2016年2月23日 (火)

クレーのパブリック・ドメイン作品と表紙変更。様々なマグダラのマリア。

パウル・クリーのパブリック・ドメイン作品を――畏れ多いことだが――電子書籍の表紙絵にお借りした。

クレーを知らない人は少ないと思うが、その作品は高い芸術性を秘めながらも親しみやすく、ググってみると、小物、文房具、アクセサリー、Tシャツのプリントなどにもよく使われているようだ。

わたしは大学時代からクレーが好きで、その頃に購入した画集を今も時々眺めている。ウィキペディアからクレーについて引用してみる。

パウル・クレー(Paul Klee、1879年12月18日 - 1940年6月29日)は20世紀のスイスの画家、美術理論家。
ワシリー・カンディンスキーらとともに青騎士グループを結成し、バウハウスでも教鞭をとった。その作風は表現主義、超現実主義などのいずれにも属さない、独特のものである。

ウィキペディアの執筆者. “パウル・クレー”. ウィキペディア日本語版. 2015-09-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%91%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC&oldid=56757860, (参照 2016-02-23).

短編児童小説『卵の正体』にお借りしたクレーの「mehr Vogel (als Engel)」と名づけられたドローイング。

一見、子供の落書きのようにも見えるが、この雰囲気はクレーにしか出せないものだろう。

『卵の正体』は掌編というべき短編児童小説だが、もっと長い続編の計画がある。

純文学の短編小説『昼下がりのカタルシス』にお借りしたクレーの「Magdalena Before The Conversion」。回心前のマグダラのマリア。これは何ともいえない表情のマグダラのマリアだ。

他に、マグダラのマリアをモチーフにしたパブリック・ドメイン作品を拾ってみた。

聖書の人物によって衣服の色がおおむね定まっており、聖母が青や紺色の衣やマントを着るのに対し、マグダラのマリアは緑色の下衣、朱色のマントを身につける事が多い。
ウィキペディアの執筆者. “マグダラのマリア”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=58566782, (参照 2016-02-23).

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16世紀に描かれたマグダラのマリア。円光がまるで麦藁帽子のように見える(?)。

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『マグダラのマリアの浄化』(ホセ・デ・リベーラ)、1636。バレンシア出身のバロック画家リペーラ。

1678年頃に制作されたバルトロメ・エステバン・ムリーリョ「無原罪のお宿り」は似た構図。リベーラの影響を受けたのだろう。マグダラのマリアと聖母マリアというテーマの違いがあるけれど。

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次の1660~65頃に制作された「無原罪のお宿り(エスコリアルの無原罪のお宿り)」は清浄そのものといってよいのか、清純そのものといってよいのかわからないが、比類ない美しさを湛えている。クリックするとdown大きくなります。

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ムリーリョは沢山の無原罪のお宿りを制作しているが、マグダラのマリアも複数制作している。

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ムリーリョの聖マグダラのマリア。1650~55頃の制作。一般女性の渾身の祈りという感じ。

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エル・グレコの悔悛するマグダラのマリア。1576~1577頃の制作。衣類の色に注目。清浄なブルー、白、紺といった色合い。画家の筆は悔悛直後のマグダラのマリアを捉えたのだろうか。

髑髏が聖書(?)に置かれている。よくマグダラのマリアと一緒に描かれる髑髏だが、イエスはゴルゴダの丘で磔刑死した。

ゴルゴダとはアラム語Golgothaで、頭蓋骨を意味するという。

頭蓋骨の形をした丘でイエスは磔刑に処されたのだ。イエスの死を見届けたマグダラのマリアが頭蓋骨(髑髏)と共に描かれるのは、そうした意味からなのか?

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ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの悔悛するマグダラのマリア。1593~1652頃の制作。独特の雰囲気。膝の上に髑髏あり。髑髏の代わりに猫でもいいような気がする。

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現代女性風だと思ったら、やはり時代が下った19世紀、アリ・シェフェールによるマグダラのマリアだった。

他にも様々なマグダラのマリアが描かれてきたが、次に紹介する正教会のマグダラのマリアのイコン(14~17世紀)を観たとき、決定版はこれだと思った。

Maria_magdalene_icon

一般人でない感じが出ているのは、これが一番ではないだろうか。マグダラのマリアがイエスに最後まで付き従った志操堅固な弟子だったことからすると(他の弟子たちは怖じ気づいて逃げてしまった)……場所柄からも……

萬子媛の肖像画を連想してしまった。

正教会でマグダラのマリアはどのように語り伝えられているのか、ウィキペディアから引用しておく。

正教会での伝承の概略

マグダラのマリアについて、福音書に記載の無い伝承は以下の通りである。
主の升天後、生神女(聖母マリア)や使徒達とともに常に祈り、広くエルサレム中に主の復活を伝え、第一の証人となった。
神の道を伝えるために、方々を旅した。
ローマへ行き、皇帝ティベリウスに会って紅い鶏卵を献上し、ハリストス(キリスト)の復活を伝え、主の十字架の死を物語り、ピラトによるイイスス・ハリストスの死刑は不法であったと皇帝に訴えた。ユダヤ人には、貧しい者が祝賀・敬意の気持ちを示す際に鶏卵を贈る習慣があり、この習慣に則ってマグダラのマリアが皇帝に紅卵を献上してから、復活の記憶(復活大祭)に鶏卵を贈る習慣が始まった。

ウィキペディアの執筆者. “マグダラのマリア”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-10. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9E%E3%82%B0%E3%83%80%E3%83%A9%E3%81%AE%E3%83%9E%E3%83%AA%E3%82%A2&oldid=58566782, (参照 2016-02-27).

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レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐より、部分。 イエスの向かってすぐ左隣に位置する女性的な風貌の人物は使徒ヨハネとされているが、一説ではマグダラのマリアともいわれている。

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2015年9月13日 (日)

画家ニコ・ピロスマニの映画がこの冬やってくる・・・!

メールをくださった方にリンドグレーンの記事をお約束しましたが、次に書く予定です。もう少しお待ちくださいね。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

グルジア映画の名作『ピロスマニ』が、『放浪の画家ピロスマニ』という邦題で再上映されるという。デジタル・リマスター版だそうである。

11月21日から、東京の岩波ホール他、全国で順次公開されるとのこと。これは観たいなあ。

37年ぶりの再上映だとか。わたしは大学時代、文芸部の男女数人で観に行った。計算すると、そのとき二十歳だったことになる。

『ジプシーは空に消える』との贅沢な二本立てだった。どちらもすばらしくて、しばらくは感動のあまり口がきけなかったほど。全員そんな風だった。

ジプシーのほうはサントラ盤LPを購入して擦り切れるまで聴き、その後、DVDも購入した。

ウィキメディア・コモンズでピロスマニの絵を観て、昔も思ったがアンリ・ルソーの絵に似ていると思い、ふたりの絵を紹介した動画で見比べてみた。

ピロスマニ
https://youtu.be/kTa2IcczJkM?list=PLisHMnPZ0ZadykE0Vz6_C0AD026cLr-TR

アンリ・ルソー
https://youtu.be/-Bv6b299xkk?list=PL048007512120E1A7

うーん、似ているけれど違う、当然ながら。

ニコ・ピロスマニ:Wikipedia
ニコ・ピロスマニ(Niko Pirosmani, 本名ニコ・ピロスマナシヴィリ Niko Pirosmanashvili, グルジア語 ნიკო ფიროსმანაშვილი、1862年 - 1918年4月9日)

アンリ・ルソー:Wikipedia
アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソー(Henri Julien Félix Rousseau、1844年5月21日 - 1910年9月2日)

ピロスマニの描く動物は、何て可愛い顔をしているのだろう。少年の表情も潔い感じでなかなかいい。

Niko_pirosmani_a_little_boy_riding_
Niko Pirosmani. ''A Little Boy Riding a Donkey''.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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2015年7月 5日 (日)

電子書籍とパブリックドメインの絵 ②カンディンスキーと神智学、アントロポゾフィー(人智学) ※6日に追記あり

前掲記事で、国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」から引用したように、「没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる」。

ワシリー・カンディンスキー:Wikipedia 

ワシリー・カンディンスキー(Василий Васильевич Кандинский、Wassily Kandinsky、Vassily Kandinsky[1]、1866年12月4日(ユリウス暦)/12月16日(グレゴリオ暦) - 1944年12月13日)は、ロシア出身の画家であり、美術理論家であった。一般に、抽象絵画の創始者とされる。ドイツ及びフランスでも活躍し、のちに両国の国籍を取得した。

YouTubeで、カンディンスキーの絵画を紹介している以下の動画を視聴した。

今、カンディンスキーに踏み込んでいる時間がないので、ニーナ夫人とカンディンスキーの著作にある人智学、神智学に関する言葉が見つかれば、拾っておこうと思い、ニーナ・カンディンスキー『カンディンスキーとわたし』(土肥美夫&田部淑子訳、みすず書房、1980年)を開くと、ニーナ夫人が以下のような異議を唱えている記述にぶつかった。

カンディンスキーが人智学者[アントロポゾーフ]だったという主張は、馬鹿げている。人智学に対して感受力を示しはしたが、それを世界観として身につけたわけではない。誰かに人智学者と呼ばれると、かれはいつも腹を立てた。ミュンヘンの彼の画塾にいたひとりの女生徒が、人智学協会にはいっていたし、またルードルフ・シュタイナーが、一度、かれの協会に入会してくれと、カンディンスキーに頼んだ。しかしカンディンスキーは、断った」(p.347)

カンディンスキーとアントロポゾフィー協会(人智学協会)との間に何があったのかは知らないし、わたしは神智学と人智学の区別もつかないころにシュタイナーの邦訳本を何冊か読んだだけの門外漢にすぎないのだが、それでも、「とんだ、ご挨拶ね!」といいたくなるニーナ夫人の何か嫌悪感に満ちた書き方である。

ここに出ているのはアントロポゾフィーだが、神智学にも火の粉が降りかからずにはすまないだろう。何しろ、カンディンスキーの著作にはブラヴァツキーの著作『神智学の鍵』(原題:The Key to Theosophy)からの引用があるのだから(『カンディンスキー著作集1 抽象芸術論―芸術における精神的なもの―』西田秀穂、美術出版社、2000.8.10新装初版、pp.46-47)。

まるで、アントロポゾフィーが品の欠片もない、安手の新興宗教か何かであるかのように想わせる言い草ではないだろうか。

過去記事でもルドルフ・シュタイナーについては見てきたが、改めてウィキペディアを閲覧した。

ルドルフ・シュタイナー: Wikipedia 

ルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861年2月27日 - 1925年3月30日(満64歳没))は、 オーストリア帝国(1867年にはオーストリア・ハンガリー帝国に、現在のクロアチア)出身の神秘思想家 。アントロポゾフィー(人智学)の創始者。哲学博士。

概略

シュタイナーは20代でゲーテ研究者として世間の注目を浴びた。1900年代からは神秘的な結社神智学協会に所属し、ドイツ支部を任され、一転して物質世界を超えた“超感覚的”(霊的)世界に関する深遠な事柄を語るようになった。「神智学協会」幹部との方向性の違いにより1912年に同協会を脱退し、同年、自ら「アントロポゾフィー協会(人智学協会)」を設立した。「アントロポゾフィー(人智学)」という独自の世界観に基づいてヨーロッパ各地で行った講義は生涯6千回にも及び、多くの人々に影響を与えた。また教育、芸術、医学、農業、建築など、多方面に渡って語った内容は、弟子や賛同者たちにより様々に展開され、実践された。中でも教育の分野において、ヴァルドルフ教育学およびヴァルドルフ学校(シュタイナー学校)が特に世界で展開され、日本でも、世界のヴァルドルフ学校の教員養成で学んだ者を中心にして、彼の教育思想を広める活動を行っている。

その先の「人物の評価」中「シュタイナーは「精神“科学”」という言葉にも表れているように、霊的な事柄についても、理性的な思考を伴った自然科学的な態度で探求するということを、最も重要視していた。この姿勢が降霊術などを用いたり、東洋の神秘主義に傾いて行った神智学協会と袂を分かつことになった原因の一つでもあった」というようなことが書いてあって、またまたわたしは「随分な、ご挨拶じゃない!」といいたくなった。

ブラヴァツキーの神智学に関して、シュタイナーにその程度の理解力しかなかったとはとても思えないが、アントロポゾフィーと神智学が全く別物であることは確かであるとわたしは思う。

シュタイナーの思想は、神智学の影響を受けたキリスト教神秘主義というより、神智学を独自解釈で採り入れた、キリスト教空想主義ともいうべきもので、シュタイナーの独創を感じさせる独特のものである。

わたしは独身時代、オイリュトミーという不思議なダンスを観に行ったことがある。アントロポゾフィーは社会改革の意志を秘め、教育、芸術、建築、医学、農業に影響を及ぼし、キリスト教には外部から助言を与え続けたという。

シュタイナーは28歳のとき、ウィーンの神智学徒フリードリッヒ・エックシュタインと知り合った。39歳のときに、神秘主義に関する連続講義を行っており、このときから神智学への本格的な接近が始まったと考えられる。

シュタイナーが神智学協会の会員になったのは1902年、41歳のときのことである。同年10月には神智学協会ドイツ支部を設立し、同時に事務総長に就任した。ブラヴァツキーは、その11年も前の1891年に死去している(亡くなる前日の夜まで、ペンをとっていたと伝記にある)。

1907年、シュタイナーが46歳のとき、初代会長ヘンリー・スティール・オルコットが死去し、アニー・ベザントが第二代会長に就任した。

アニー・ベザントは社会活動家として知られる懐疑論者であったが、『シークレット・ドクトリン』を読み、ブラヴァツキーに会いに行って魅了され、神智学にはまったのであった。

ベザントは、ブラヴァツキーのような求道的、静的な側面はあまり感じさせない、どちらかというと普通の人で、非常に活動的なタイプであり、組織運営にも優れた手腕を発揮したが、いささか突っ走る傾向にあった。

ベザントが如何に熱血肌で、物事にはまりやすい人物であったかは、サイト「ローカル英雄伝」の「第十四回 アニー・ベザント」に詳しい。

ベザントは、女人禁制だったフリーメーソンリーへ女性が入会できるように運動したり(※女性の参入を認めた英国フリーメーソンの国際組織を創設したが、これは非正規のロッジとされたらしい)、ガンジーと連係しながらインドの独立闘争にはまったり、文学的興味からエピソードを探せば、バーナード・ショーの恋人であったりもした、なかなか面白い人物ではある。

ベザントに欠けていた霊的能力を補う役割を担うかのように、リードビーターが彼女の片腕となった。リードビーターはイギリス国教会の牧師補をしていた1883年、神智学協会に入会。

リードビーターは、南インドのマドラスの浜辺――神智学協会本部の敷地内――で遊んでいた、類いまれな美麗なオーラを放っていた少年クリシュナムリティを発見する。

クリシュナムリティはバラモンの家に生まれているが、ベザントはリードビーターと共にクリシュナムリティにはまり、養子にして現代教育と霊的薫育をほどこし、現代のメシアに育て上げようとした。

ベザントたちの企てをクリシュナムリティが拒んで神智学協会を脱会、そのことが――否ベザントたちの企てそのものが、協会の分裂騒動を惹き起こす。シュタイナーの脱会も、その流れの中にあったといえる。

わたしは何が何だかわからないまま、シュタイナーの著作を読んでいた時期にベザント、リードビーター、クリシュナムルティの著作も片っ端から読んだ。わからないことがあると、ご迷惑も顧みず、当時の神智学協会ニッポン・ロッジの会長であった田中恵美子先生に質問の手紙を書いた。

先生は、それぞれが異なるものであることに注意を促してくださった。

ベザントの著作は初歩的な神智学を学ぶには適しているかもしれないし、おかしな飛躍はないと思う――あくまで当時読んだ記憶に頼っているので、きちんと判断するには再読の必要がある――が、ベザントはブラヴァツキーの著作の部分的理解にとどまっている気がする。

尤も、ブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』『ベールをとったイシス』などを完璧に読みこなせる生身の人間がいるとは、わたしには想像できない。そうするには、ブラヴァツキーを終生見守り続け、大著の完成のために協力した方々と同等の知的・霊的能力が必要だろうから。

リードビーターの著作には――危険水域までは――美しいところがあり、神秘主義者にしか書けない貴重な観察記録があるが、彼が次第に妖しい空想――妄想というべきか――の虜となっていったようにわたしには思われる。リードビーターが構築した体系に、わたしは不浄感を覚えて馴染めなかった。

何にしても、ブラヴァツキーの神智学とは別物である。

クリシュナムルティの著作はわたしにはなぜか空虚に感じられ、どれも読破できなかった。

シュタイナーは、ブラヴァツキーではなく、リードビーターの影響を受けている気がする。

そして、昔、カンディンスキーの絵画を初めて何かで観たとき、わたしはアニーベザントとリードビーターの共著『想念形体 ―思いは生きている―』(原題:Thouht-Forms、田中恵美子訳、神智学協会ニッポンロッジ、昭和58年)を連想したのである。

思いは生きている―想念形体 (神智学叢書)
アニー・ベサント(著), チャールズ・ウエブスター・リードビーター (著),  & 1 その他
単行本: 98ページ
出版社: 竜王文庫 (1994/02)
ISBN-10: 4897413133
ISBN-13: 978-4897413136
発売日: 1994/02

想念形体を見ることのある人には参考になりそうな、豊富なカラー図入りの本である。

ニーナ夫人のアントロポゾフィー否定にも拘わらず、カンディンスキーがリードビーターなどの神智学者の著作やシュタイナーの影響を受けたことは否めないのではないかと思う。

次に紹介する著作は、そうしたわたしの考えを裏付けてくれるような資料を多く含んでいる。リードビーターの前掲書‘Thouht-Forms’も出てくる。

カンディンスキー―抽象絵画と神秘思想 (ヴァールブルクコレクション)
S・リングボム (著), 松本 透 (翻訳)
単行本: 401ページ
出版社: 平凡社 (1995/01)
ISBN-10: 4582238211
ISBN-13: 978-4582238211
発売日: 1995/01

シュタイナーの晩年はナチスの台頭期と重なる。

ウィキペディアには、「国家社会主義の時代(ナチスドイツ時代)には、アントロポゾフィーは、さまざまな規制を加えられ、もとよりその個人主義により、ナチスの全体主義と対立せざるを得ない立場にあり、闘いながら自らを守っていくしかなかった。加えて人は、アントロポゾフィーをフリーメーソンとのつながりで理解した」とある。

世界は、第一次世界大戦(1914年 - 1918年)と第二次世界大戦(1939年 - 1945年)を体験したのだ。

カンディンスキーの絵画は当然ながら、こうした激動の時代との関係からも読み解く必要があるだろう。

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2015年6月 9日 (火)

電子書籍とパブリックドメインの絵 ①アルノルト・ベックリン「死の島」(追記あり)

過去記事で書いたことと重複するが、キンドル本にしたいと思っている電子書籍のこと。

『神秘主義者のカフェテラス』というタイトルがしっくりこないので、変えることにした。

表紙用のフリーフォントをGIMPにいくつか入れたが、それでなくともGIMPには沢山のフォントが入っているので(使わないフォントは消してしまおうと思ったりもしている)、追加したフォントについては、フォント名やダウンロードさせていただいたサイトなどをメモしておかないと、使うときになって、どれをどこから追加したのか、わからなくなる。

表紙の作成に、商用・非商用を問わず完全フリーで使える画像検索サイトの写真素材を利用していたが、パブリックドメインの絵を利用できないかと思い、調べたりしていた。

例えば、「グーテンベルク21」から出ているキンドル本に、グスタフ・クリムト(Gustav Klimt)「ユディト(Judith)」(1901年)が使われている。

毛皮を着たヴィーナス [Kindle版]
マゾッホ (著), 小野武雄 (翻訳)
出版社: グーテンベルク21 (2015/5/15)

紙の本も含めれば、いろいろと見つかりそう。

ちなみに、クリムトは、「接吻」(1908年)などは一度観ると、忘れられないが、わたしは「メーダ・プリマヴェージ」(1912年)なんかが好き。

Gustav Klimt 050

以下のサイトで、パブリックドメインの絵が沢山公開されている。

国立国会図書館のサイト「カレントアウェアネス・ポータル」の2015年1月5日付記事「2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々」によると、
没後70年(カナダ、ニュージーランド、アジア等では没後50年)を経過し、2015年1月1日から著作がパブリックドメインとなった人物に、画家ではワシリー・カンディンスキー(Wassily Kandinsky)、エドヴァルド・ムンク(Edvard Munch)がいる。

2015年から著作がパブリック・ドメインとなった人々

カンディンスキーについては②で書きたい。

以下は、電子書籍作りとは無関係なところで、パブリックドメインの絵の鑑賞時に目に留まった絵。

ヒューゴ・シンベリ(Hugo Simberg)「傷ついた天使」(1903年)。

The Wounded Angel - Hugo Simberg

次の動画はヒューゴ・シンベリ。

アルノルト・ベックリン(Arnold Böcklin)、バーゼル版「死の島」(1880年)。5枚の「死の島」が存在する。

Isola dei Morti IV (Bocklin)

同じく、ベックリン、「聖なる森」(1882年)。

Arnold Böcklin Il bosco sacro

ヒューゴ・シンベリ「傷ついた天使」、アルノルト・ベックリン「死の島」「聖なる森」。どれも美しく、興味を覚えるが、わたしは怖い。

ヒューゴ・シンベリの絵では、傷ついた天使が2人の少年に運ばれていく。天使が出てくるが、ピーテル・ブリューゲル(Pieter Bruegel de Oude)が新約聖書に出てくる出来事を日常生活の中にさりげなく置いたのとは、全く違う印象を受ける。

次の動画はピーテル・ブリューゲル。

ブリューゲルが描いた絵の中には新約聖書の中の惨劇が置かれていることもあるが、そうしたものを含めて、現実世界が聖なる世界を映し出す鏡となっているように思える。

みじめな、危機的状況を孕んだ人間社会を鳥瞰する、意志的な画家の透徹した眼が感じられるのだ。

ヒューゴ・シンベリ「傷ついた天使」の場合は、その逆に、聖なる価値観は現実世界に抵抗できないことを強調しているかのようだ。

ヒューゴ・シンベリの動画に出てくる絵には、死や暴力、あやまち、俗悪または悪を想わせるものが滑稽な形姿で描かれたりもしているが、これらの絵から、それ以上のものをわたしは読みとることができない。

アルノルト・ベックリンの2枚の絵も、美しいが魔性を感じさせる。この人の絵には、ずいぶん怖ろしいものがいろいろとある。

次の動画はアルノルト・ベックリン。

ウィキペディアによると、ベックリンの絵は「第一次世界大戦後のドイツでは、非常に人気があり、一般家庭の多くの家に、複製画が飾られていた。中でも代表作の『死の島』は特に人気が高かったと言われ、複製画の他にポストカードの題材としても盛んに使用された。また『死の島』を真似て描く画家も現れた。アドルフ・ヒトラーも彼の作品を好み、収集していた(代表作である『死の島』の第3作を始め、11点所有していたと言われる)」という。

死の島 (ベックリン):Wikipedia

第一次大戦後のドイツで、ベックリンの「死の島」がインテリに受けただけではなく、一般家庭の多くにこの絵の複製が飾られていたというエピソードは、当時のドイツ市民の単純でない感性と鑑賞眼の高さを教えてくれるが、ドイツ市民が置かれた、ただごとではない――袋小路的な――状況を物語ってもいるかに思われる。

全く性質を異にする、別の絵が飾られていたら……と、想像したくなる。

ベックリンの絵には催眠的なところがあるが、当時のドイツ市民の感性はある面で鈍化していたのか、その危険性が見抜けなくなっていたのかもしれない。催眠性の危険性は、人を霊媒的にしてしまうところにある。

わたしは村上春樹の小説に、同様の催眠性があるのを感じてきた。

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2014年11月 5日 (水)

ユネスコの精神的母胎となった、神智学協会の理念

注文していた本がAmazonから届いた。

ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会
岩間 浩 (著)
出版社: 学苑社 (2008/08)

H・P・ブラヴァツキーがH・S・オルコット大佐と共に設立した神智学協会が20世紀の世界の文化人に多大な影響を及ぼし、後継者のアニー・ベサントがガンジーや詩聖タゴールらと関係を持ちながらインド独立運動で指導的役割を果たしたこと 、また文化財を保護するレーリッヒ条約については知っていたが、教育関係にも大きな役割を果たして、モンテッソーリ教育を発展させ、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことまでは知らなかった。

神智学協会は博愛的、学術的団体〔H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年改版)p.29〕であるので、政治活動はあくまでプライベートな領域である。

また、竜王会を設立して総合ヨガや神智学を日本に紹介した三浦関造氏が兄と共に教育者としても大変有名であったことなど、竜王会、神智学協会の会員でありながら、あまり知らなかった(竜王会の内部部門として存在した神智学協会ニッポン・ロッジ。その初代会長・田中恵美子先生の没後、組織は竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジに分かれた)。

初代事務局長はイギリスのジュリアン・ハクスリ―(在任期間1946年12月 - 1948年12月)。ハクスリー一族の出身で、生物学者、ヒューマニストとして知られる人物だが、弟は作家オルダス・ハクスリー。オルダス・ハクスリ―は神智学協会との深い関係で知られている。

アンネ・フランク、ジャーナリストだったキャサリン・グラハム、Amazon.comの創立者ジェフ・ベゾス、Googleの共同創立者セルゲイ・ブリンとラリー・ペイジ、wikipedia創設者ジミー・ウェールズなども、モンテッソーリ教育の生徒だったという。

明治時代の神仏分離による廃仏毀釈で宗教が骨抜きになり、思想的に混乱した日本。

その日本からイギリスに国費留学して神経衰弱に陥った漱石や、その生徒で、「大なる悲觀は大なる樂觀に一致する」などとカッコつけて厭世観から自殺した藤村操のような人間とは異なる強靱な探究心、スケールの大きさで、日本の宗教思想の再生を試みた三浦関造のような人物もいたのだ。

私事になるが、前世は修行者であの世の光はすばらしかった……というわずかばかりの霊的記憶を持って生まれたわたしを、見えない世界からずっと見守ってくれているうちの中心にいたのがこの方だった。

竜王会に入ろうかどうしようかと迷ってうたた寝しかけたとき、眼前高くぽっかり空いたエメラルドグリーンの円の中から気品の高い方々がこちらを見ていた。その真ん中に写真で見た三浦先生がいらして、「ようやく辿りついたね」と、楽しそうにお笑いになったのだ(そのような幻影、あるいは瞬間的な夢を見たといいかえる方が無難だろうか)。

しかし、竜王会に入ったわたしは三浦先生の諸著作には関心がなく、業績にも興味がなかった。三浦先生の長女、田中先生をただ、ただ慕い、神智学に関する疑問をしきりに手紙に綴って回答を求めた。

そして、日本には仏教があるのに、なぜヨガ? とわたしは疑問に思っていたのだ。その疑問が、初の歴史小説を書くために明治の廃仏毀釈を探ったことで解けたのだった。

仏教思想の本質に触れることは、三浦先生の時代にはもう日本では不可能になっていたのではないだろうか。仏教の源流を求めれば、ヨガに行き着く。

三浦先生のヨガ会得の精華が総合ヨガであり、また三浦先生は神智学に魅せられ、日本に紹介した。ブラヴァツキーの代表作「シークレット・ドクトリン」は、東西の宗教思想が共に源泉としている根源的真理を、仏典の詩編をモチーフに解説している。

三浦先生が達人と呼ぶにふさわしい人物であったことが、綿密な取材を経て本に書かれている。

教育をテーマとしながら、神智学協会が世界に及ぼした計り知れないほどの影響力について、これほど包括的、具体的、検証的に書かれた本はこれまでに出ていなかったのではないだろうか。

「はじめに」から、ユネスコについて、また本が書かれた主な目的が述べられた部分を、紹介しておきたい(pp.2-3)。

ユネスコ(UNESCO)は、戦争の原因は人々の心に根ざすとして、平和な心を育てることなしに、永久的平和はありえないという認識から、人類の教育、科学、文化の発展を目指す国際機関として、国連内に誕生した。その仕事は地味ではあるが、ユネスコは「国連の良心」として、国連の世界平和の実現という大目的に向かって努力している。
 そのユネスコは、どのようにして生まれたのか、それを追求するのが本書の主たる目的である。本書では、国際連盟内の国際知的協力委員会(ICIC)や連盟の外郭団体であった国際教育局(BIE)など、ユネスコの前駆として既に知られている組織の他に、(国際)新教育連盟(NEF)がユネスコ創設に当たり大きな役割を果たしたこと、及びそのNEFを創設したのが神智学協会であったという隠れた事実を浮き彫りにする。この基線の上に、スイス、インド、南アフリカ、日本などでの新教育連盟の展開ぶりを示し、新教育連盟の軌跡の一端を紹介する。また、エンソア、タゴール、モンテッソーリ、レーリヒなど新教育連盟及び神智学協会と密接な関係を有した人々を取り上げ、日本では下中彌三郎、三浦修吾・関造兄弟の新教育運動に影響を与えた人物をケーススタディ的に記述し、かつ、東京の冨士小学校における新教育実践の姿を明らかにする。
 

読了後にきちんとした記事を書きたいが、ざっと目を通してすっかり興奮してしまった。

「ユネスコ憲章」の前文、第1条(目的及び任務)をここで閲覧できる。

神智学の理念を映した、この崇高なユネスコの理念が、日本では日教組の反日愚民教育によってすっかり歪められ、日本の子供たちには本物のユネスコ精神が伝えられなくなってしまっていると思う。

詩聖と称されたタゴールの詩を、わたしは岩崎書店の『ジュニア版 世界の文学 35 世界名詩集』(山本和夫編、昭和44年)で中学1年生のときに読み、魅了された。

タゴールの詩を青空文庫で読むことができる。タゴールは「ギタンジャリ」によって、1913年にノーベル文学賞を受賞している。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」における関連記事:

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2013年12月12日 (木)

「シャガール展」に出かけて

 大学時代、シャガールはとても人気があった。シャガールはその頃から何回か観ているが、なぜかいつも夫と一緒に出かけている。

 そして、12月8日の最終日に出かけた「シャガール展」。

 大分市子育て支援サイトnaanaを参考にさせていただくと、以下のような展示内容。

●油彩
「エッフェル塔と新婚の二人」1928年
「恋人たちとマーガレットの花」1949 - 50年

●版画
「母性」全5点、1926年
「アラビアンナイトからの4つの物語」全12点の内5点、1948年
「バイブル 」全105点、1956年
「悪童物語」全10点、1958年
「ダフニスとクロエ」全42点、1961年
「出エジプト記」全24点、1966年
「サーカス」全38点、1967年
「オデッセイ」全43点、1975年

 広告には、「愛と幻想の色彩画家」とあったが、わたしの中にあったシャガールはまさにそんなイメージだった。

 広告に使われていた「エッフェル塔の二人」という1928年の大きな油絵などはそのイメージにぴったりで、実物は美しかった。豊かな画風でありながら、案外すっきりしているという印象を受けた。

 エッフェル塔を背景に寄り添っている二人は画家とベラ。十字に仕切られた窓の一角から入ってきている緑色のワンピースを着た天使は娘。窓の外に広がる赤い絨毯のような敷地にはエッフェル塔がある。

 シャガールは愛妻家で有名で、特に最初の妻ベラは美貌と知性、霊感に満ちた女性ということで有名だ。シャガール関係の本は何冊か読んだので、何というタイトルの本で読んだか記憶が定かでないが、ベラは自身の死を予知していたという。

『〈愛蔵普及版〉現代世界美術全集 17 シャガール』(集英社、1971年)に、印象的な2枚のベラを描いた絵がある。

 1枚は「黒い手袋をはめた私のフィアンセ」(1909年、カンヴァス、油彩、88×94 バーゼル美術館蔵)というタイトルの絵。やや横向きのベラは紫色のベレー帽を被り、ストレートヘア、長袖の襟のある白い服を着ていて、黒手袋をはめた両手を腰に当てている。若々しく、凜々しい表情で、女性だけれどもダンディだ。ベラはベラ・ローゼンフェルトといい、裕福なユダヤ人宝石商の娘だった。

 もう1枚は「緑衣のベラ」(1934~35年、カンヴァス、油彩、100×81 アムステルダム市立美術館蔵)という年月を経たベラだ。このベラが魅力的なので、画集から、ちょっと写真を撮ってみた(スミマセン……)。

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 成熟を感じさせるベラで、ひじょうに知的そうで、感性も豊かそうな中年女性だ。

 シャガールにとってかけがえのない伴侶であったベラはこの後、1944年9月、シャガールが57歳のときに感染症で急死する。夫妻はニューヨークにいたが、8月にパリが解放されたところだった。ユダヤ人夫妻にとって困難の多かった第二次大戦の時代がやっと過ぎ去ろうとしていたのに。

 シャガールの描く作品のそこここに、目の大きな、凜とした表情の人物があらわれるが、わたしはそれらの人物から、どうしてもベラを連想してしまう。

 シャガールは愛妻の死に打ちのめされるが、では哀悼のうちに一生を終えたかというと、そんなことはなく、その後、二人の女性と一緒になっている。

 英国女性ヴァージニア(ヴァージニア・ハガード)と一緒になった時期があり、男児をもうけている。その関係の破綻後、ヴァヴァ(ヴァランティーヌ・ブロドスキー)と結婚。

 ヴァージニアの存在は今回調べてみるまで、わたしは知らなかった。以下のブログに詳しい。

 シャガールは女性なしではいられない男性だったのだろう。何より画業にとって、女性は霊感の源泉だったようだ。

 とにかくシャガールというと、そうした愛の歓びとそれを喪失した哀しみを描く画家というイメージだったのだが、今回は版画が多く、それも旧約聖書の挿し絵が充実していたことが意外な嬉しさだった。

 わたしは萬子媛をモデルにした歴史小説が終わった後、長編児童小説『不思議な接着剤』の続きを書きたいと考えていて、その題材であるマグダラのマリアとの関連からも、興味深く鑑賞した。

 女性たちとの愛を描くとき、シャガールは開花するようにひろがり、また空高く飛ぶのが好きで、遠心的になるが、聖書を描くときは題材の人物やエピソードに迫るかのように、求心的になる傾向があるように感じられた。

 キリスト教的に形式化された旧約聖書と、ユダヤ人シャガールを通して知る旧約聖書は別物の感がある。

 物語性が豊かなのだ。ギリシア神話と同じような描きかたで、厳然としたものを感じさせながらもユダヤ神話というムードがある。イエスの死後しばらくして(?)生まれたユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフスの『ユダヤ古代誌』のうちの旧約時代篇がそうだ。

 というより、シャガールはヨセフスのようなユダヤ人によって語られる旧約聖書に馴染んでいただろううから、連想させられるのは当然か。

 版画作品でモノクロなのだが、人間も動物も素朴でありながら尊厳を感じさせられる厚みがあり、きりっとした表情。

 以下は、美術展でメモしたシャガールの言葉。

私にとって『聖書』を描くという行為は純粋に詩的なものを描き出すという点で、花束を描く行為とそう違っているわけではない。

 また解説にはこうあった。

ここで紹介する『聖書』は旧約聖書の物語集。ユダヤ人の家庭に生まれたシャガールにとって、最も身近であり重要なテーマのひとつです。〔……〕モーセに導かれたユダヤ人のエジプト脱出の物語は、第二次大戦中のユダヤ民族大虐殺を逃れるため、アメリカに亡命したシャガールの心を捉えたテーマです。

 これは余談だが、バッグから手帳とボールペンを取り出してメモをとろうとすると、係の人が飛んできて、鉛筆を渡し、「ここでは鉛筆しか使えないことになっています。どうぞ、それをずっとお持ちください」といわれた。

 美術展には何度となく行き、その度にメモをとってきたが、こういわれたのは初めてだった。鉛筆以外だと、落書きされたときに大変だからだろうか。念のために紙は自前のものでよいか尋ねると、それは構わないとのことだった。

 ところで、わたしは昔からキリスト教における旧約聖書と新約聖書の関係を怪訝に思ってきたのだが、旧約聖書中最も威光を放つ人物はモーセだろう。そのモーセは紀元前13世紀頃の人とされる。

 モーセはイスラエルの民を率いてエジプトを脱出した。そのころエジプトは第19王朝(紀元前1293年頃 - 紀元前1185年頃)のラムセス2世の時代だったと考えられている。そのころ中国は殷の時代。

 何か語られようと、神話の域でしか考えられないこうした古い時代の物語がまるでイエスの時代のつい昨日であったかのように語られる異様さ。

 イエスが亡くなったのは30年頃とされるが、同じ頃に生まれた前掲のユダヤの歴史家フラウィウス・ヨセフス(37年 - 100年頃)の著書は現代的といってもいいくらいの筆致なのだ。何しろモーセを描くのに、スピーチの手法を採り入れるくらいなのだから。

 その頃、中国ではイエスの死を挟んで前漢から後漢の時代となった。イエスの時代はもう神話の時代と考えるには新しすぎるのだが、キリスト教では歴史が神話に、神話が歴史になっているような倒錯がある。 

 話を「シャガール展」に戻すと、サーカスをテーマとしたものもよかった。以下は美術展でメモしたもの。

私には道化もアクロバットの役者も、みんな悲劇的なまでに人間らしい存在だと思われた。どこかで見た宗教画の中の人物によく似ているような気がした

 愛の性質も、宗教観も、個人の資質が大きく物をいうとはいえ、シャガールの場合、それらは当然ながらユダヤ教の懐から溢れ出たものといえるだろう。その愛も宗教観もキリスト教とはやはりどことなく異質なもので、純朴さが特徴的である。

 キリスト教のそれは如何に崇高であっても、どこか作為的で、作り物めいた感じをどうしても受けてしまうのだ。

 付記1:
 昨日、古い時代のことを考えながらこれを書いていた午後7時頃、仕事帰りの娘から「何か買い物ある?」とメールがあったとき、「帰っておいで、我が子よ」と返信してしまった。娘はしばらく沈黙したあと、爆笑しながら電話してきた。

 一昨日の夜、息子と電話で話したとき、「萬子媛の歴史小説のために貴重な歴史資料を提供してくださった郷土史家が凄いわよ。綿密な作業には驚かされるし、何よりも純粋な姿勢が感じられて心が洗われたの」と話したら、「郷土史家には中学や高校の先生だった人が多いね。郷土史家はあなどれないものだよ。地味な作業を、有名になろうという野望とは無縁に根気よくコツコツ続けているといった感じだよね。不思議なことに、彼らはどの地方にも存在する」と共感を示した。

 付記2:
  ユダヤの神話:Wikipediaに、「「イスラエル人たちが神と結んだ契約については繰り返し語られているが、申命記のそれはアッシリアが属国に結ばせた宗主権条約文と類似の構造を持つことが指摘されている。つまり、大国と属国との契約関係を、イスラエル人は神と自分達との契約に置き換えたのである」とある。これは……。

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2013年9月 3日 (火)

マグダラのマリアの薫り。現在、『茜の帳』『昼下がりのカタルシス』の無料キャンペーン中です。

 最近シリア情勢が気にかかり、ネットニュースにへばりついています。パソコンで作業をすることが多いので(勿論家事もやっていますよ,入浴も欠かさず。入浴ができるかどうかはわたしの健康のバロメーターです)、ちょこちょこアクセスしてしまうのですね。

 午後4時ごろもそうでしたが、ふとTopilo提携メディアサービスには「マリ・クレール スタイル」も入っていたと思い、アクセスしてみました。8月の記事を閲覧し終え、移動しようとしてもう少し前のほうに何か綺麗な気持ちにさせてくれるような記事がないだろうかと思いました。

 シリア情勢の記事にはきついものが多いですから。で、過去記事を見ていったら、「貴婦人と一角獣」の記事があったのです。4月の記事でした。

「貴婦人と一角獣」は中世後期に製作された連作タペストリーです。わたしは「マリ・クレール スタイル」のニュースにリンクした上の記事で、以下のように書きました。

 キリスト教の異端カタリ派を出発点として、マグダラのマリア、グノーシスに興味を持つようになったわたしにとって、中世はやはり異端カタリ派の中世だ。

『ダ・ヴィンチ・コード』の参考文献の一冊として知られるマーガレット・スターバード『マグダラのマリアと聖杯』(和泉裕子訳、英知出版)にまる一章を割いて「貴婦人と一角獣」が採り上げられており、タペストリーの構図に秘められた謎が追究されている。マーガレット・スターバードは、マグダラのマリア研究の第一人者。

 まる一章を割かれたのは、第七章で、以下のように始まっています。

西洋文明に見られる「聖婚」と「失われた花嫁」という二つのテーマに導かれて、本書は異端聖杯信仰の教義によって解明される可能性がある中世美術の謎を探求してきた。ここでぜひとも探求していきたい芸術作品のリストに加えなければならないものに、中世後期の遺物ともいうべき「一角獣」のタペストリーがある。なかでも『貴婦人と一角獣』と呼ばれる連帳のタペストリーは、カタリ教団の何らかの教義を示しているのではないかと言われてきた。この繊細で神秘的な名作の製作者は、アルビジョア派の異端的聖杯信仰に触発され――「花嫁」に敬意を表して――この構図をとったに違いない、そう私は確信している。 ”

 このタペストリーのニュースを知ったのは、無料キャンペーンの始まる1時間ほど前で、始まるまでわたしはマグダラのマリアのことを考えていました。

 キャンペーン中の『昼下がりのカタルシス』には、半ばエッセーのような形でマグダラのマリアが目一杯出てきます。マグダラのマリアがモデルとして登場するのは、中断中の児童文学小説『不思議な接着剤』においてです。『接着剤』のためのリサーチで産み落とした作品が『昼下がりのカタルシス』です。

 電子書籍『茜の帳』の中心人物は祐徳稲荷神社を創建された萬子媛ですが――といっても、幻想小説「茜の帳」には萬子媛が直截的に登場するわけではありません――、エッセーでマグダラのマリアを参照した部分があります。

 キャンペーンの前にマグダラのマリアを連想させられる「貴婦人と一角獣」の記事に触れられて、何かしら清浄な歓びを味わいました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『茜の帳』(幻想短編小説、萬子媛に関するエッセー、俳句)、『昼下がりのカタルシス』(神秘主義小説)の無料キャンペーン、題して静かな時間にキャンペーンを実施中です。

無料キャンペーン期間は、日本時間9月3日午後5時~6日午後5時ごろの3日間となります。無料期間中はダウンロード画面で「kindle購入価格  ¥0 」 と表示されます。

 

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2013年8月 8日 (木)

便利で、楽しいサイト「WEB色見本 原色大辞典 」

 今回、表紙画像を作成するときに、以下のサイトを発見しました。

 どのようなサイトかというと、以下のような質疑応答がなされています。

Q.このサイトは何ですか?
  A.ネットの色辞典です。
カラータグとして使えるRGB16進数とそのカラーサンプルを知ることができます。カラータグをコピーして貼り付けるだけで、さまざまな色をあなたのサイトで再現することができます。

 表紙画像をGIMPなどで作成するとき、カラーパレットで色を適当に選択することが多かったのですが、色名を知ってHTMLタグで指定できれば……と思っていました。さっそく利用させていただきましたが、様々な色と名前を眺めているだけでも楽しいですね。

 以下がサイト内の掲載色一覧。すごいです。

  • 原色大辞典 140色
  • 和色大辞典465色
  • 洋色大辞典 285色
  • web216 216色
  • メトロカラー 22色
  • パステルカラー 300色
  • ビビッドカラー 300色

 ブログにも使えますね。

 この字の色は、オペラです。

 この字の色は、ジョンブリアン

 この字の色は、マドンナブルー。

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