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2019年10月15日 (火)

軌道修正したらしいノーベル文学賞。2018年オルガ・トカルテュク(ポーランド)、2019年ペーター・ハントケ(オーストリア)。

2016年、ノーベル文学賞はシンガーソングライターのボブ・ディラン(アメリカ合衆国)が受賞した。翌2017年もノーベル文学賞は迷走を続けて、純粋な芸術性を目的として創作される純文学の作家ではなく、一般大衆を対象とした娯楽的要素の強い大衆文学の作家として人気の高いカズオ・イシグロ(イギリス)が受賞した。

何しろ、従来とは異なるジャンルへの授与が2年続いたのだから、個々の作品に対する評価は別として、これまでのノーベル文学賞とはいえなかった。

そして、昨年2018年はノーベル文学賞の選考機関スウェーデン・アカデミーに問題が起き、選考・発表が見送られた。もうノーベル文学賞は終わった……とわたしは思い、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で以下のエッセーを公開した。

64 2016年に実質的終焉を告げたノーベル文学賞
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/10/16/191359

75 ノーベル文学賞の変節、及び古代アレクサンドリアにおけるミューズ
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/10/08/150033

だから、今年のノーベル文学賞の発表のことはすっかり忘れていて、ツイッターでそのニュースが流れてきたとき、もうその時期なのかとびっくりした。

2018年 オルガ・トカルテュク(ポーランド)
2019年 ペーター・ハントケ(オーストリア)

以上のような結果だった。

ペーター・ハントケという名には記憶があった。

ペーター・ハントケ(Peter Handke, 1942年12月6日 - )はオーストリア出身の現代作家。小説、戯曲、詩から放送劇、フランス文学の翻訳まで幅広く活動。現在フランスのシャヴィーユ在住。(……)
孤児が言葉を知ることによって社会にとらわれていく様を幾つもの断章を用いて描いた戯曲『カスパー』(1967年)や、殺人者が次第に言葉や社会とのつながりを失っていく小説『ペナルティキックを受けるゴールキーパーの不安』(1970年)など、当初は社会に溶け込めない個人を主題とした実験的なものが多かったが、70年代から80年代から次第に肯定的、総合的な作風へ移行して行き、前年の母親の自殺を扱った『幸せではないが、もういい』(1972年)や、『ゆるやかな帰郷』(1979年)、母方の祖父の故郷スロヴェニアを旅する『反復』(1986年)といった自伝的な作品も手がけるようになった。またヴィム・ヴェンダースと組んでの映画製作が知られており、自作が原作の『ゴールキーパーの不安』(映画は1971年)『まわり道』(同1974年)や『ベルリン・天使の詩』で脚本を書いている。
「ペーター・ハントケ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

映画『ベルリン・天使の詩』で脚本を手がけた人物だという。わたしは観ていないが、映画雑誌「スクリーン」だったか、「ロードショー」だったかで掲載されていたのを覚えている。

オルガ・トカルチュク(ポーランド語: Olga Nawoja Tokarczuk[ɔlga tɔˈkart͡ʂuk] , 1962年1月29日 - )はポーランドの小説家、エッセイスト。スレフフ出身。
ワルシャワ大学で心理学を専攻。1993年にデビュー。文学専門の出版社「ruta」を設立し、2003年以降は執筆に専念する。2008年にポーランド文学最高峰のニケ賞を受賞し、現代ポーランドを代表する作家として注目されるようになった。『逃亡派』で2018年ブッカー国際賞受賞。
「オルガ・トカルチュク」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月10日 14:48 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

オルガ・トカルチュクの作品も未読だった。行きつけの図書館にあったのは、オルガ・トカルチュクは次の2冊。

昼の家、夜の家 (エクス・リブリス)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2010/10/19)

逃亡派 (EXLIBRIS)
オルガ トカルチュク (著), 小椋 彩 (翻訳)
出版社: 白水社 (2014/2/25)

ペーター・ハントケは次の4冊。

左ききの女 (新しいドイツの文学シリーズ)
ペーター ハントケ (著), 池田 香代子 (翻訳)
出版社: 同学社 (1989/11/1)

反復
ペーター・ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳)
出版社: 同学社 (1995/1/1)

空爆下のユーゴスラビアで―涙の下から問いかける (『新しいドイツの文学』シリーズ)
ペーター ハントケ (著), Peter Handke (原著), 元吉 瑞枝 (翻訳)
出版社: 同学社 (2001/07)

ドン・フアン(本人が語る)
ペーター ハントケ (著), 阿部 卓也 (翻訳), 宗宮 朋子 (翻訳)
出版社: 三修社 (2011/10/21)

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オルガ・トカルチュクの『昼の家、夜の家』について、訳者あとがきには「本書を構成する111の挿話は、主人公の日常生活、日記、伝説、聖人伝、料理のレシピ、隣人のうわさ話など、それぞれが独立したものでありながら、互いがゆるやかに連関している」(小椋彩、P.378)と解説されている。

独立したものをなぜバラバラの断章にして、連載形式にするのかわからない。例えば、パトハリス修道士の物語はまとまって読むほうがわかりやすいだろうに、キノコのレシピや日記などの間に挟む。わたしには必然性が感じられず、思わせぶりなだけに思えた。

出典も、わざとわからなくしているのだとしか思えない。

引用箇所や参考文献がどことわかるように明記してあれば、作者の改変や潤色がどの程度加わっているのか、いないのか、その引用や参考の仕方が適切なのかどうかを調べることができるのだが、それができず、わが国で流行っているパクリと見分けのつかない、フランス語で誤魔化した「オマージュ」という怪しい手法を連想して苛立ってしまう。

というのも、カリール・ジブラーンの詩は、トカルチュクの小説の扉に置かれているときと、ジブラーンの詩の中に置かれているときとでは「家」が別物としか思えないからだ。異なる観点から「家」というモチーフが使われ、「家」は異なる意味合いを持っているということである。

また、例えば、『逃亡派』に出てくる「ショパンの心臓」の話は実話だが、作者の内臓趣味とショパンの心臓の話は全く意味合いの異なるもので、この作品の中に目玉商品のように置かれるのは、わたしの感覚からすれば、ショパンに対する冒涜でしかない。

トカルチュクは自然科学的というよりは即物的で、宗教的、神秘主義的というよりはごたまぜのスピリチュアル的な作家なのだ。

わたしがトカルチュクの作品に神経質になってしまうのは、ジェイムズ・ジョイスの恣意的な手法を連想してしまうからで、その手法に対する不審感を拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で書いた。

96 ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

オルガ・トカルチュクの作品を読み込んでいる時間的ゆとりがないので、ジョイスの手法に似て見えるという点だけ、指摘しておきたい。

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ぺーター・ハントケの作品は、池田香代子訳で、『左ききの女』(同学社、1989)のみ読んだ。読み始めると先が気になって、一気読みした。

絶対音感という音楽用語があるけれど、これは絶対情感の世界とでもいうべきか、よくも悪くも夾雑物が一切ないクリアな世界である。邦訳文はそれを的確に感じとらせてくれ、読みやすい。孤独がテーマなのだろう。

※以下、ネタバレあり。これからハントケの小説をお読みになるかたは、ここまでになさってくださいますように。

女主人公マリアンネには子供が一人いて、彼女は夫ブルーノに別居したい旨を告げる。

小説だが、映像的で、ほぼ会話と描写から成立しており、ハントケが脚本家でもあるという肩書きはなるほどと思わせられる。

女主人公の孤独だけでなく、登場人物全員の孤独が捉えられている。

別居した夫が、腹立ちまぎれにマリアンネにいう。

君はどんどん年をとっていく。たいしたことじゃないわ、とかなんとかいいながら。そしてある日首を吊るんだ。墓に入っても、君の生きざまにお似合いの下品な臭いをぷんぷんさせる。その日まで、君はどうやって過ごすんだ? おおかた、ぼけっと坐りこんで爪でも噛んでるのが落ちだ。そうだろ?(ハントケ,池田訳,1989,pp.82-83)

ハントケの母親は1971年に自殺しており、このことを題材としたという『幸せではないが、もういい』が出たのは、翌1972年のことだった。『左ききの女』が出たのは1976年である。

女性の孤独を濃密に扱ったこの作品にも、母親のことが投影されているのではないだろうか。図書館にペーター・ハントケ(元吉瑞枝訳)『幸せではないが、もういい』(同学社、2002)がなくて残念だ。

作者の視点は小説に登場する子供の視点と重なりながらマリアンネを観察し分析し、彼女の輪郭を顕微鏡にかけるかのように外側から克明に描写する。

マリアンネがおかしくなりそうなクライマックスで、彼女の父親が登場し、よい味を出す。父親は往年の流行作家で、今は雑文書きとなっている。この父親に娘のマリアンネは似ており、彼は娘の指標となりうる人物なのだ。

父親の登場で、マリアンネは救われたといっていいだろう。

作者ハントケは無力な子供シュテファンとしてマリアンネを見つめる一方では、滋味に溢れた物書きの父親となって、マリアンネを見つめる。

息詰まるようなストーリー展開であるにも拘わらず、途中で読むのが嫌にならないのは、作者の真摯さ、誠実さ、人間的な温かさが読者にも伝わってくるからだろう。

マリアンネが父親に再会して再生のきっかけを掴むように、読者も作者から言葉にできない何か確かなものを受けとる。

それは孤独を課題として引き受けて身じろぎもしない、作者の誠実な創作姿勢及び、不撓不屈の精神性であるかもしれない。

父親と別れたマリアンネは、息子と山登りをする。風景描写が美しい。

下の方では煤に点々と汚れていた積雪もこのあたりでは純白だった。犬の足跡に代わって鹿の足跡があった。
 二人は下生えをかきわけて登って行った。いたるところ鳥の声に満ちていた。雪解け水が小さな流れを作って音たてていた。樫の幹からか細い枝が生え、干涸らびた葉が数枚そよいでいた。白樺の幹には白い樹皮が縞模様をなして垂れ下がり、震えていた。
 二人は木立が疎らになったところを行き過ぎた。空き地の縁には鹿が群れていた。それほど深くもない雪からは枯れ草の先がのぞき、草になびいていた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.119-120)  

頂上で、焼いたじゃがいもを食べ、魔法瓶の熱いコーヒーを飲みながら母子は思い出を語り、ふとマリアンネはイエス・キリストの十字架への道行きのいろんな留[りゅう]のシーンを描いた絵の話をする。その話が印象的だ。

『イエス、十字架より下ろさる』はほとんど真っ黒で、その次の最後の留、イエスがお墓に葬られるシーンはまた真っ白なの。そこからがおかしな話なんだけど、お母さんはゆっくりと絵の前を歩いていたのね。その最後の真っ白の絵の前に立ったとき、突然、白い絵と重なってほとんど真っ黒のさっきの絵が、数秒間残像になって見えた。それから真っ白な絵が見えた。(ハントケ,池田訳,1989,pp.123)

その後、父親を除く大人の登場人物がマリアンネに誘われて集合し、ホームパーティーとなる。夫ブルーノ、マリアンネの友達で教師をしているフランツィスカ、マリアンネがブルーノのセーターを買ったブティックの女性店員、マリアンネを翻訳者として雇っている社長とその運転手、マリアンネに言い寄る俳優――といった人々である。

各人が自分の孤独を身の内に宿したまま大団円を迎え、パーティーは御開きとなる。

これは未だ初期の作品で、後半部は幾分緊張感が緩み、結末を急ぎすぎた感もあるが、純文学作品らしい手応えのある作品である。

ひとまず、ノーベル文学賞が軌道修正したことに万歳といいたい。おめでとうございます、ペーター・ハントケ。疑問点はあるけれど、おめでとうございます、オルガ・トカルチュク。

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2019年10月 8日 (火)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その15。10月8日午後再開。河村市長の座り込み抗議、赤に白一点のフォーラム。田中保善『泣き虫軍医物語』。

物議を醸し続けている「あいちトリエンナーレ 2019」の企画展「表現の不自由展・その後」ですが、本日――10月8日午後、再開の予定だそうです。

これに異を唱えてきた名古屋市の河村たかし市長が、その再開に合わせて、抗議の座り込みをなさるそうです。また、河村市長は7日、18日が支払い期限の市が負担する開催費用の一部約3380万円について、支払い留保の考えを記者団に明らかにしました。

入場者には教育プログラムを受けさせるのだそうです。このやりかたは石平氏がおっしゃる通り、共産党の洗脳を連想させます。

 

「ひろしまトリエンナーレ2020」のプレイベントにあたる企画展が10月5日、広島県尾道市の離島、百島で始まったそうで、これも大同小異のひどいものであるようです。わたしも、西村氏のご意見に同感です。

あいちトリエンナーレのあり方検討委員会とあいちトリエンナーレ実行委員会が主催する国際フォーラム「『情の時代』における表現の自由と芸術」の第1日「表現の自由と芸術、社会」が2019年10月5日(土)13時から17時まで、愛知芸術文化センターで開かれました。

それを記録した動画の中で、「国家や一部の人々を傷つけたり驚かせたり混乱させるものも表現の自由として保証される」などという、司会者のとんでもない発言がありました。日本国憲法第12条に真っ向から挑戦する発言であり、これはもはや芸術とは無関係なテロリストの発想です。 

第一二条[自由・権利の保持義務、濫用の禁止、利用の責任]この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

フォーラムの最後で良識的な発言がありました。それを司会者が潰した格好でフォーラムは終了し、芸術監督・津田大介氏がオマケの大あくびをしました。

日本人が大東亜戦争と呼び、終戦後、GHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、太平洋戦争などと呼ばれるようになった先の戦争を、左翼がプロパガンダに絶賛活用中です。

彼らの脳内では、その戦争において、大日本帝国軍人は天皇陛下の命により、植民地戦争を繰り広げて残虐行為を行ったということになっています。そして、これら軍人の性の相手を朝鮮人の従軍慰安婦がさせられ、ひどい扱いを受けたということにもなっています。

「表現の不自由展・その後」の展示作品も、この二点に依拠したものです。この二点が覆ってもなお芸術作品として何か優れたものが残る作品が一点でもあるのでしょうか。

そもそも、どなたの御写真であろうが、それを焼いたり踏みつけたりする行為、また死者を冒涜する行為は、日本人の感性には到底馴染まないものです。日本人は古来、礼節を尊ぶ国民性です。

祐徳稲荷神社の創健社、花山院萬子媛に祈って何度となく命を救われたとお書きになっている田中保善氏の御著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、昭和55年)が届きました。

戦争末期の昭和19年7月、町の開業医だった著者が軍医として応召、戦地ボルネオを中心とした体験記録です。

愛媛の古書店からの発送で、310円。経年劣化で中身は黄ばんでいるものの、美品といってよい商品でした。中表紙に付された青年軍医のきりっとした童顔の御写真を見たとき、思い出しました。

小学校だったか中学校だったかは忘れましたが、集団予防接種のとき、見かけたお顔です。上品な、優しそうなお顔。昔のことで、記憶は確かではありませんが……

プロフィールから引用します。

明治42年鹿島市に生まれる。鹿島中学旧制佐賀高を経て昭和10年九州帝大医学部卒、同12年鹿島市で開業。同19年7月応招。同21年4月復員…

まだ読んでいる途中なので、記事を改めてレビューを書きたいと思っています。

ちょっとだけ書いておくと、従軍慰安婦は出てきませんが、慰安婦(公娼)は結構出てきます。日本の娘だけでなく、「朝鮮や台湾の娘もおり、時にはジャワ島から来たジャワ娘もいた」(73頁)とあります。連れてこられたではなく、「来た」とありますよ。

信憑性の薄い河野談話が発表されたのは平成5年(1993)、田中氏の御著書が上梓されたのはそれを遡ること13年、昭和55年(1980)です。率直でユーモラスな筆致が特徴的なこの体験記には、様々なことが赤裸々に書かれています。

慰安婦達との恋愛遊戯のようなこともよくあったようで、田中氏は千代龍という美女に一目惚れ。こんなことを書いて、奥様に叱られなかったでしょうか。千代龍というのは源氏名でしょう。

日本軍がクダット地区を撤退するとき、酋長は部下幹部と共に涙を流して悲しみ、次のように言ったと書かれています。

クダットを撤退するのは思いとどまって下さい。他の新鋭部隊でなく今のあなた達でよい。日本軍がいなくなって、またもし白人が来たら、我々はまた人間扱いはされない。日本軍は私達を同等に扱ってくれた。我々と同じ物を食べ、一緒に同席してくれた。また赤十字をつけた兵隊さんからは我々の仲間が病気を治療してもらって沢山助けられている。どうか日本軍の皆さん、クダットに残っては下さらないでしょうか。日本軍の代わりに白人が来たら、我々はまた奴隷にされてしまいます。(131~132頁)

田中氏のこの御著書だけでも、左翼がしがみついている前掲二点を覆すことができます。「勝てば官軍、負ければ賊軍」といいますけれど、勝った側って、本当に嘘つきですね。

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2019年10月 3日 (木)

萬媛の三番目物ノート ①大まかなあらすじ

わたしは田中保善氏のご著書『鹿島市史 真実の記録』(1990)の中の萬子媛に関する伝記的記述を読み、子供のころから何となく心惹かれていた萬子媛に一層興味を持つようになりました。

わたしなりの萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)として新作能を書いてみたいという大それた望みは先月の25日に生まれたばかりです。アマチュア物書きのわたしがそれを書いたところで何になる、などとは不思議にも全く思いません。書けるかどうかは別として、書いてみたいという強い思いが湧き起こっています。

ワキ(シテの相手役)は、前掲の田中氏がモデルです。

『鹿島市史 真実の記録』には、先の大戦中、軍医として出征した出来事が綴られています。田中氏は出征前、祐徳稲荷神社に参詣したそうです。

倉稲魂大神(田中氏の研究ではインドの夜叉・荼枳尼天だそうです)にお願いすると同時に、「荼枳尼天と同等に神通力を有しておられる萬子姫の霊たる祐徳院殿瑞顔大師に御助け下さいと御願いした。母親に甘えるだだっ子のように罪深き卑怯者の私をどうか御助け下さい。私には母も妻も子供もおります。今度の戦争は敗戦[まけいくさ]で戦死するのが当たり前ですが、何卒御助け下さいと御願いした」(157頁)そうです。

危機一髪で奇跡的に助かったエピソードが五つ紹介されていますが、そのようなことがまだ何回もあったそうです。インディージョーンズより凄い! 例えば次のエピソード。

敵地巡回診察中、敵戦斗機三機に狙われ機銃掃射を受け終に私の腰部に命中したが、私の軍刀の鞘にあたり、鞘はえぐり取られたけれど私の腰は無事で助かった。(158頁)

戦争を知らないわたしが戦争を書くことになるとは想像もしませんでした。

ですが、一応平和とされている現代においても、また田中氏が体験された戦争においても、おそらくは萬子媛はお亡くなりになった江戸時代からずっと今日まで、日本に生きる人間たちを毎日欠かさず見守ってこられたのだと思うと胸が熱くなり、田中氏の劇的な体験を参考にさせていただいて萬子媛を描いてみたいと思うに至りました。

田中氏の他のご著書『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)は未読でした。幸いアマゾンに中古で出ていたので、注文したところです。このご著書も参考にさせていただくことになるだろうと思います。

新作能の曲名は未定です。2007年10月に上梓された絵本『萬媛[まんひめ]』(文:梶田聡実、絵:寺田亜衣・杉本国子・中島健一・古賀沙織、監修:荒木博申、企画:吉岡満雄・佐藤三郎、編集・印刷:サガプリンティング)とかぶるとよくないでしょうから、かぶることにはならないようにしたいと考えています。

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おおまかなあらすじ

開戦の詔勅から時間が経過し、日本軍の敗色が濃くなったころ、○○(ワキ ※ワキの名は未定)に招集礼状が来る。○○は軍医として出征するに際して、神社に参詣し、稲荷大神と萬媛(註1)に加護を祈念する。

○○はかねてより神社の研究をしており、信心は篤かった。○○には守るべき母、妻、子があった。

マニラ丸でボルネオへ向かう途中、船は敵の砲弾を受ける。海中に放り出された○○の目に、天より舞ひ降りて来し白銀の一団(シテ、シテツレ、トモ)が映った。中心のひときわ輝かしい姿が目に入る。

従者のように見える天人の一人(シテツレ)がいう。

自分達は仏果を得た者であるが、(神社に伝えられる)天明8年に京都御所が火災となり、その火が花山院邸に燃え移ったとき、鎮火に現れた白衣の一団とは実は自分達であったのだ――と。

中心の輝かしい御姿(シテ)が、萬媛は自分だと告げる。

後陽成天皇の曾孫女で、左大臣花山院定好公の娘として生まれた萬媛のこの世に在りし日々が語られる。

※在りし日々で採り上げるエピソードに関しては未定

萬媛の入寂と昇天の舞が重なる中、神々しい萬媛の舞に見とれているうちに○○は意識を回復する。そこは、ボルネオのコタブルト(註2)のアバラ屋に日本軍が設けた医務室だった。その後もいくつかの危機を奇跡的に脱し、終戦の詔勅からほどなく復員を果たした○○は、神社に参詣する。

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註1 鹿島市民図書館学芸員T氏によると、剃髪前の萬子媛は「萬媛」と呼ばれていた可能性が高い。

歴史短編1のために #47 落胆と取材の成果 (2)早逝した長男の病名、萬子媛の結婚後の呼び名
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/10/post-55cb.html
日本では、身分の高い人の実名を生存中は呼ぶことをはばかる風習があり、複名(一人物が本姓名以外に複数の呼称を併せもつこと)が多い。滝沢馬琴は没後の法名まで含めると、35の名を持った。ただし、本人は滝沢馬琴という筆名は用いていず、これは明治以降に流布した表記だという。
萬子媛の名が史料に出てきにくいのも、このような日本特有の事情によるものだということが、学芸員のお話を拝聴する中でわかった。結論からいえば、萬子という名はおそらく明治以降に流布した呼び名で、子のつかない「萬」が結婚するときにつけた名であっただろうとのことだった。
萬子媛に関する興味から江戸時代を調べるようになってからというもの、わたしは、男性の複名の多さに閉口させられてきたのだったが、学芸員のお話によると、女性のほうがむしろ名が変わったという。
生まれたとき、髪を上げるとき(成人するとき)、結婚するとき、破談となったとき、病気したときなども、縁起のよい名に変えたそうである。また、女性の名に「子」とつくのは、明治以降のことらしい。
そこから、萬子媛は結婚するときに「萬」と名を変え、結婚後は「御萬」あるいは「萬媛」と呼ばれていたのではないか――というお話だった。

註2 コタブルトはコタッ・ブルッのこと。コタ・ブルッ(Kota Belud)は東マレーシア・ボルネオ島北端のサバ州にある町。「コタ・ブルッ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2017年10月16日 11:04 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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参考資料メモ1

  • 開戦の詔勅、終戦の詔勅
  • 田中保善『泣き虫軍医物語』(毎日新聞社、1980)、『鹿島市史 真実の記録』(1990)
  • 郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察
  • 祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員T氏、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話
  • 三好不二雄(編纂校註)『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社 宮司・鍋島朝純、1979)
  • 新古今和歌集
  • 大和物語
  • 拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」(カテゴリー「祐徳稲荷神社参詣記」)

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拙はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」より

72 祐徳稲荷神社参詣記 (3)2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)

神社という聖域には、実際に萬子媛のような高級霊が地上界を見守っていらっしゃるケースがあるということを、わたしは神秘主義的見地から確認してきた。

萬子媛のようなタイプの修行者をもたなければ、このようなタイプの守護者を日本は持つことがなかったわけである。

わたしはたまたま児童小説『不思議な接着剤』を書くためにマグダラのマリアについて調べていた。すると、時も場所も異なるが、萬子媛と同じように後半生を修行に明け暮れて亡くなり、守護聖人として祀られているマグダラのマリア伝説があるのを知った。

宗教的装いは違っても、古今東西、人間はどこでも似たようなことをやっているわけである。生前に徳のあった人物を慕い、加護を祈念する。そして、驚いたことに、現にそれに応えている萬子媛のようなかたが存在することをわたしは知ったのだった。

この純正ボランティア精神が生じた背景を知りたい。このかたはどんな人生を送られたのか。その環境はどんなものであったのか。思想的影響は? 萬子媛を繙くことは、これまでわたしが知らなかった日本について知ることでもあるのだ……

萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られているが、祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院である。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は日本の三禅宗の一つである黄檗宗の禅寺で、義理の息子・断橋に譲られて萬子媛が主宰した尼十数輩を率いる尼寺であった。

ざっと、萬子媛について復習しておこう。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となる。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。父の花山院定好は別れに臨み、衣食住の守護神として伏見稲荷大社から勧請した邸内安置の稲荷大神の神霊を銅鏡に奉遷し、萬子媛に授けた。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。

1673年、文丸(文麿)、10歳で没。1687年、式部朝清、21歳で没。

朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は翌年の1988年、剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、63歳。1705年閏4月10日、80歳で没。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している……

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78 祐徳稲荷神社参詣記 (5)扇面和歌から明らかになる宗教観

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(藤原俊成女)の歌が揮毫されている。

萬子媛は花山院家の出で、花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9年(1696)――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、藤原俊成女の次の歌である。

梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

藤原俊成女は鎌倉時代前期の歌人で、皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍した。藤原俊成女は藤原定家の姪だった。

田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今和歌集(角川選書536)』(KADOKAWA、2014)によると、平安末期から鴨倉初期に歌壇を先導した歌人が藤原俊成(1114 - 1204)で、定家はその子、藤原俊成女は孫娘に当たる。

藤原俊成女は父の政治的不運により、祖父母に引きとられ、俊成夫妻の膝下[しっか]で定家らと共に育てられたという。しかし、定家と藤原俊成女の間には確執が生じたようだ。

平安末期から鎌倉初期にかけて在位(1183 - 1198)した第82代後鳥羽天皇(1180生 - 1239崩御)は、院政時代に後鳥羽院歌壇を形成した。
その後鳥羽院の招きに応じ、活躍した女性歌人が、式子内親王[しきしないしんのう]、宮内卿[くないきょう]、藤原俊成女だった。

それぞれに際立った個性があり、わたしは三人共好きだ。(略)

幽玄美を提唱して『新古今和歌集』の歌人を育てた藤原俊成、『新古今和歌集』の撰者の一人であった定家、藤原俊成女らは藤原北家の人々で、花山院家は藤原北家だから、萬子媛にとっては『新古今和歌集』という存在そのものが望郷の念を誘うものだったのかもしれない。

そういえば、『源氏物語』を著した紫式部も藤原北家の人だった。藤原北家は右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系で藤原四家の一つである。

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。

修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述からすると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったと考えられる。
その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

萬子媛遺愛の品々の中には、二十一代巻頭和歌の色紙もあった。萬子媛が愛読愛蔵されたものだと解説されていた。

二十一代集(勅撰和歌集)とは、平安時代に勅撰和歌集として最初に編纂された古今和歌集(905)から室町時代に編纂された新続古今和歌集(1439)までの534年間に編纂された21の勅撰和歌集のことで、合わせて23万44首といわれる。

二十一代集は、平安時代から室町時代までの文化史が歌という形式で表現されたものということもできる。そこからは日本人の精神構造が読みとれるばすで、宗教観の変遷などもわかるはずである。

二十一代集の巻頭和歌を愛読された萬子媛は、和歌そのものを愛されたといってよいのではないかと思う。

昔の日本人の宗教観は凛としている。洗練された美しさがあり、知的である。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』を読んだときに思ったことだが、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が貴族から庶民層にまで浸透しているかのようだ(エッセー 74 を参照されたい)。

こうした宗教観は鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』にも通底しており、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が読みとれる。

こうした複合的、統一感のある宗教観こそが歌謡集から勅撰和歌集まで、そこに集められた歌に凛とした気品と陰翳と知的洗練をもたらしたのだと考えられる。

江戸初期から中期にかかるころに生きた萬子媛が二十一代巻頭和歌を愛読されていたということは、二十一代集に通底する宗教観を萬子媛も共有していたということではないかと思う。

ちょっと注目したいのは、次の歌である。作者は前述した皇太后宮大夫俊成(藤原俊成)。

   皇太后宮大夫俊成『新古今和歌集』巻第十九神祇歌
春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ
(この春日野の、公卿の家筋を暗示するおどろの路の、埋もれ水のごとく世に沈んでいる自分である。今はとにかく、せめて子孫なりとも、わが祈りの験[しるし]をもって、世に現わし栄達させ給え。「春日野」は春日神社を示し、自身も藤原氏でその神の末であることとを余情とした詞。「おどろ」は、草むらの甚だしいもので、「路」の状態とするとともに、公卿の位地を示す語。)*10

子孫の出世を願う、切実ながらいささか世俗臭のする歌だと考えられるが、俊成は藤原北家の人で、萬子媛も藤原北家の花山院家の出であるから、神のしるしどころか、文字通り祐徳稲荷神社の神々の中の一柱となられた萬子媛は、子孫の栄達を祈った俊成の願いを最高に叶えた子孫といえるのではあるまいか。

*10:窪田訳,1990,p.443

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あらすじ、できました。新作能を読んだ感想。

昨日、萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)とした新作能(三番目物)のおおまかなあらすじができた。そのノートは、次の記事にアップする。

何しろ、能を観たのは3回だけで、あとはテレビでの鑑賞、謡曲集の読書くらい。それで、新作能を書こうというのだから、無知とは怖ろしいものだ。あらすじができたあとで、せっせと勉強することなる。その勉強によって、あらすじ自体が変わる可能性はある。

母がお謡を習っていたのに、無関心で、からかっていただけだったことが悔やまれる。母が生きていたら、教わることも多かっただろうにと思う。

当市には能楽堂があり、3回観た舞台のうち1回はこの能楽堂で観たものだ。

舞台を観なくてはと思う。ホームページを観たが、今年中にはそれらしいものがない。何にせよ、ここの能楽堂と福岡の大濠公園能楽堂の催事情報はこまめにチェックする必要がある。能鑑賞貯金もしなくては。その貯金箱の一つを、一昨日夫がうっかり割ってしまったわ (T^T) 

石牟礼道子『石牟礼道子全集 不知火 第16巻』(藤原書店、2013)の中のエッセイで、石牟礼氏の「台本を書くまでにお能といえば二度しか見たことがありませんでした」(75頁)という記述に救われる思いがした。

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  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

以上の本のうち、読んだ作品の感想を書いておこう。

瀬戸内寂聴「虵」

鎌倉時代前期の仏教説話集、鴨長明編『発心集』の中の説話「母、女[むすめ]を妬[ねた]み、手の指虵[くちなは]に成る事」を基にした新作能である。

「発心集」の説話を紹介すると、娘のある女が年下の男と結婚し、老いの不安から娘と男を強いて夫婦にしたまではよかったが、女は一室でのどかに隠居するどころか、嫉妬のあまり両手の親指がくちなわになってしまうという話。

惑乱した娘は尼に、男は法師に、女も尼になる。それでようやく女の指は元の指になり、後には京で乞食になったという。

両手の親指がくちなわになるというグロテスクさ。娘も男も女のいいなりで、狂言回しに使われているだけだ。

女が後に乞食になったとあるのは、どういうことだろう? 

女が尼になったのは怪奇現象を起こした指を元に戻すことだけが目的で、純粋な信仰心などはなく、目的達成後に尼をやめたということなのか。

尼であれば托鉢であって、乞食とはいうまい。それとも、この「乞食」とは仏教用語「こつじき」、すなわち托鉢のことなのだろうか。こつじきが転じて物乞いする行為「乞食」となった。

尼としての矜持を感じさせる暮らしであれば、いずれにせよ、その部分だけが強調されることはないだろう。

俗人が俗欲に終始した、実も花もないお話。

瀬戸内氏は、男を仏師にすることで、作品の俗っぽさを一層強めている。能の形式上、男と女は成仏した格好だが、成仏はしていまい。

それが小説「虵」になると、表現がリアルであるだけにいよいよ救いがたい結末となっている。尼となった女が老い、見世物小屋でくちなわの指を見世物にしていたというエピソードが語られるのだ。

能舞台となれば美しいのかもしれないが、作品として読むと、あまりにも救いがなさすぎる。登場人物の魅力が微塵も感じられない。

石牟礼道子「不知火」

石牟礼道子氏の新作能「不知火」は流麗な文章で、情緒に満ちて美しいというだけでなく、偏頗な文明に対する作者の危機意識が伝わってくる。入魂の作品という印象を受けた。この曲が水俣で演じられることは意義深いことだろう。

たが、わたしにはこのストーリーがうまく理解できない。

竜神の娘・不知火[しらぬひ]には、海霊[うみだま]の宮の斎女として久遠の命が与えられているにも拘わらず、生類の定命衰滅に向かえば、不知火の命もこれに殉ずるという。

竜神の息子・常若は父に命じられて生類の世を遍歴し終えた。

姉と弟は海と陸からこの世の水脈を豊かにすることに携わってきたが、この世の初めからあった真水が霊性を徐々に喪い、生類を養う力が衰えて、姉弟共に身毒が極まり、余命わずかとなった。

慕い逢う二人は、息絶え絶えとなりながら、恋路が浜に辿り着く。そして姉のほうは死んだ(弟も?)。

こうした一切を見ているのは、隠亡[おんぼう]の尉[じょう](じつは末世に顕れる菩薩)。

わたしには二人の勤めの内容がよくわからない。人間の罪業が重なったために毒変した海を浚えて浄化するとあるから、いわば濾過装置のような役割を果たしてきたということだろうか? 竜神の子たちの勤めかたにしては、人間の労働臭い。苦役そのものである。

そして、亡き妻を含む竜神一家は、末世の菩薩の秘命の下に働いてきたというのである。

その菩薩の助力もあって不知火は生き返り、二人の結婚を祝うために中国から楽祖(じつは木石の怪にして魍魎の祖)が招かれる。

楽祖が磯の石を手にとって打ち鳴らせば、浜で惨死した猫たち、百獣が神猫となり、胡蝶となり、舞う、橘香る夜となる……海も陸も再生したのだろう。

水俣病問題は産業における人為的ミスに社会的要因が絡んで被害が拡大し、社会問題となった。

その問題を石牟礼氏は現世と来世が重なり合う宇宙空間、悠久の時間の流れの中に直に置こうとしたため、一つの作品として見るとき、整合性のとれない部分が出てきたように思う。

多田富雄新作能全集

脳死(「無明の弁」)、朝鮮人の強制連行(「望恨歌」※最近の検証により、朝鮮人の強制連行はなかったことが判明した―ブログ管理人N)、原爆投下(「原爆忌」「長崎の聖母」)、相対性原理を題材とした能(「一石仙人」)、沖縄戦(「沖縄残月記」)、横浜に因んだ能(「横浜三時空」)、白州正子さんを題材とした能(「花供養」)、(「生死の川――高瀬舟考」)、子供能チャレンジのための能(「蜘蛛族の逆襲――子供能の試み」)。

時事的な題材が多い。構成も文章も端正だが、これらの能は地上界から一歩も出ていないような感じがする。異世界に触れることによる浄化現象は期待できない。

まだざっと読んだだけなので、読み込めばまた違った感想が生まれるのかもしれない。そのときは別の記事にしたい。

ただ、能に関して右も左もわからないわたしのような人間には、参考になる。能舞台を観たあとで購入したのかどうかは覚えていないが、多田富雄 監修『あらすじで読む 名作能50』(世界文化社、2005)を再読している。わかりやすい。

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2019年9月29日 (日)

借りてきた新作能の本、三冊 

最近の過去記事で、わたしは萬子媛をモデルとした作品について、次のようなことを書いた。

歴史小説にするには、何か、そぐわないものがあるのです。
わたしは神秘主義者として萬子媛を通して感じることのできた高雅な現象を書きたいのであって、よくわかりもしない萬子媛の生前のあれやこれやではないのです。
いや、あれやこれやにも興味があるから研究ノートを当ブログにアップし、そのまとめをエッセーとして「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録してきたわけですが、そのノートは、萬子媛の高雅な現象を表現できてこそ存在価値があるのです(エッセーは「萬子媛研究」といったような形にまとめたいと考えます)。
その表現にふさわしい形式は、新作能以外にありえない気がしてきました。

ノートは萬子媛をモデルとした作品が完成するまで、取り続ける予定。前述したように、いずれ「萬子媛研究」のような形にまとめたいと思っている。

ノートには、郷土史家・迎昭典氏から送っていただいた貴重な史料のコピー及び迎氏のご考察、また祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館学芸員T氏、黄檗宗の大本山である萬福寺宝物館の和尚様から伺ったお話など、慎重に扱わなければならない情報があるので、まとめる作業には日数がかかると思う。

新作能を書きたいなどと大それたことを思い、三冊借りて読んでいるところだが、いや、本当に何だか書けそうな気がしてきた。テーマや雰囲気からすれば、過去に書いた「牡丹」という短編は、新作能にすることができるのではないかと思う。

萬子媛をモデルに、そのイメージ像をシテとする新作能を書きたい思いはあるが、まずは戯曲を、と思っている。逸る気持ちを抑えて、まずは新作能の研究からだ。

借りてきた三冊は以下。

  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

瀬戸内寂聴氏を知らない人は少ないだろう。石牟礼道子氏は、2018年にお亡くなりになったが、水俣病を扱った代表作「苦海浄土」でとても有名なかたである。多田富雄氏は免疫学者、文筆家として活躍された。

多田氏の新作能をざっと見ると、脳死、原爆、朝鮮人の強制連行(※最近の検証では強制連行はなかったとされているーブログ管理人N)を扱ったものなど多作なかたである。

力作揃いなのだろうが、わたしが馴染んできた古典の曲とはテーマ自体が違う気がした。

瀬戸内氏の「虵」からまず読んだ。感想は別の記事にします。

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2019年9月17日 (火)

前記事「あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その13」に貼ったツイート「不登校の東大生」に加筆

前記事「あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その13」に「不登校の東大生」のツイートを貼り付けていましたが、コメントを書き込んだので、差し替えました。

コメントをつなげることができると知ったので、つないでみました。ツイッターの登録は2017年ですが、使い始めたのは最近なので、まだ使い慣れません。

書き込んだ拙コメントは以下。

「天皇制は宗教だ!」そうですが、「天皇制」というのはそもそも左翼用語です(1932年にコミンテルンで決定された通称「32年テーゼ」にあった文言を邦訳)。
左翼系「天皇制廃止論」は珍しくもありませんが、東大ブランドを利用するなら、東大の名に恥じない論文を書き、それから動画作成しては。
天皇のありかたを考察すれば、統治者の理想的なありかたとして聖なる不在を説いた老子に行き着かざるをえないとわたしは考えていますが、何にしても、こうした伝統の粋ともいえるテーマを論ずるには、まず膨大な歴史の勉強が必要ですね。宗教の定義も半端ではいけません。

「天皇制は宗教だ!」という文章は、動画の中に貼り付けてありました。

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2019年9月16日 (月)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その13。「開戦の詔勅」から「表現の不自由展・その後」まで、ツイートを時系列に。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

「表現の不自由展・その後」の再開への動きもあるようですが、なぜ、あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」のような日本人を貶めるような催し物が、他ならぬ国内の公共施設を使って行われるようになったのでしょうか。家庭に例えれば、これは家庭内暴力のような事態ではないでしょうか。

歴史的経緯をざっとでも探るためにツイートを使って、大東亜戦争の「開戦の詔勅」から時系列に見ていってみましょう。

太平洋戦争を、日本では大東亜[だいとうあ]戦争と呼んでいました。

大東亜戦争(だいとうあせんそう、旧字体: 大東亞戰爭、英: Greater East Asia War)は、大日本帝国と、中華民国、イギリスやアメリカ合衆国、オランダ、オーストラリアなどの連合国との間に発生した戦争に対する呼称。東條内閣が、昭和12年7月7日勃発の支那事変(日中戦争)も含めて「大東亜戦争」とすると閣議決定した。よって、大東亜戦争の開始は1937年(昭和12年)7月7日である。
「欧米諸国によるアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を設立してアジアの自立を目指す」、という理念と構想を元に始まった大東亜戦争が、アジアの植民地の宗主国を中心に構成された連合国側にとっては都合が悪かったため、終戦後にはGHQによって「戦時用語」として使用が禁止され、「太平洋戦争」などの語がかわって用いられた。
「大東亜戦争」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年8月16日 04:16 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

太平洋戦争は軍国主義の日本によって惹き起こされた侵略戦争だとわたしは学校で教わりました。左翼や在日コリアンは、この説を大層積極的に採用、主張しています。ですが、「開戦の詔勅」にはそのようには書かれていません。

前掲書、玉音放送を伝える会 太田一水『終戦の詔勅』中「開戦の詔勅」<現代語訳文>より引用します。

……引用ここから……
そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇とその偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、帝国の外交の要としているところである。(略)このような事態がこのまま続けば、東アジアの安定に関して我が帝国がはらってきた積年の努力は、ことごとく水の泡となり、帝国の存在も、まさに危機に瀕することになる。ことここに至っては、我が帝国は今や、自存と自衛の為に、決然と立ち上がり、一切の障害を破砕する以外にない。
……引用ここまで……

「ペリリューの戦い」をご存じでしょうか。

パラオの人々に愛される日本兵のエピソードは、戦争における日本のスタンスを物語るものです。パラオ以外にも、韓国、中国は別ですが、アジアには親日国が沢山あります。

苛烈を極める戦争でしたから、思い通りにはいかないことの連続だったでしょうが、基本的に日本兵は、他の場所でもパラオでのような精神性で戦ったのではないでしょうか。

前掲書、玉音放送を伝える会 太田一水『終戦の詔勅』中「終戦の詔勅」<現代語訳文>より引用します。

……引用ここから……
私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。
……引用ここまで…

日本にとって、大東亜戦争はその名の通り、東アジアの植民地を解放するための戦争だったに違いありません。

ところが、戦後、GHQによる洗脳政策「WGIP[ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム]」によって、そうした記憶は日本人から奪われていきました。

「逆・教育勅語」を教わった人間が作り出す世界はというと、日本の現状そのものではありませんか。

倉山氏は「なんだ、戦後民主主義の行き着く先ではないか。。。ついでにアメリカンデモクラシーとか、グローバリズムとか、儒教思想(実は韓非子)も混ざっている。たぶん上の「逆・教育勅語」は、マッカーサーとスターリンと宮沢俊義の合作に違いない」とお書きになっています。

前掲動画「【高橋史朗】ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラムの源流を暴く![桜H27/8/4]」によると、WGIPはロックフェラー財団の援助を受けたイギリスのタビストック研究所と中国の毛沢東の洗脳計画を父母としてアメリカに誕生したようですから、日本人からディープステイト、ネオコン、国際金融資本、共産主義の臭いがぷんぷんするのも当然ですね。

では、日本人は、パラオの人々に愛された大日本帝国時代の日本人とは真逆の人間になってしまったのでしょうか。

確かに、以下の動画で壊れたようにおしゃべりしている東大生は、パラオの人々に愛された日本人とは対照的で、まるでWGIPの輝かしい作品のようにすら見えます。幼児性丸出しの屁理屈が哀れです。東大は国立ですから、このような学生にも税金が使われているわけですね。何て無駄な支出でしょう。

日本の若者が全てこのようになってしまったら日本も終わりですが、幸い、全ての若者がそうなったわけではありません。ごく一部分の若者でしょう。

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」もGHQのWGIPなしには考えられない、ブラックジョークのような悪趣味極まる催し物でした。英霊は、これをどうご覧になったでしょうか。わたしは申し訳ない気持ちでいっぱいになります。

ところで、わたしは神智学徒なので、坪内隆彦『アジア英雄伝 日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社、2008)の中の次の一文に注目しています。

アジア各地の伝統思想、宗教の復興、それと結びついた反植民地主義に与えた神智学の影響の大きさは、もっと重視されても良いのではなかろうか。(坪内,2008,p.83)

このことについて、いずれちゃんと調べたいと思っています。

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2019年8月19日 (月)

原田マハ『楽園のカンヴァス』を読んで気になった、嘘。神秘家だったアンリ・ルソー。

「あいちトリエンナーレ」問題に続いて、古市憲寿「百の夜は跳ねて」のパクリ疑惑など出てきて、夏休みの宿題(?)ができなかった。

家族でショッピングモールへ、恒例となっているコーヒー豆の買い出しに出かけた。夫は映画、わたしと娘はショッピング。帰りに書店に寄った。

美術館勤務の経験があるという、原田マハ『楽園のカンヴァス』(新潮文庫: 新潮社、2014)が目に留まった。アンリ・ルソーの名画「夢」をめぐる美術ミステリーという。ベストセラーらしい。

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アンリ・ルソー(1844 – 1910)「夢」ニューヨーク近代美術館、1910

本物はなかなか観る機会がないけれど、アンリ・ルソーは学生の頃から好きで、40年以上のファンだ。「あいちトリエンナーレ」問題では美術界に疑問が湧いたが、その疑問をいくらか払拭できるかもしれないという期待感も高まった。

この種の売れていそうな本は図書館から借りると大抵汚されていることを思えば、買ってしまおうと思い、買った。手の出ない、ほしい本はいくらでもあるというのに、魔が差したというべきか。

美術畑、また音楽畑の人の文芸作品もそうだが、エッセイなど読むと、文章が洗練されていて、論旨も明快、さすがは芸術家の文章と感心させられることが多いものだ。

ところが、帰宅後、本を開いて、冒頭の一行目を目にしたとたん、早くも読む気が削がれてしまった。わたしとしたことが、冒頭も確認せず、購入してしまったとは。

ここに、しらじらと青い空気をまとった一枚の絵がある。(原田,2014,p.7)

「しらじら」というのは、「しらじらと夜が明ける」というように、夜が次第に明けていくさまを意味することが多いと思うが、如何にも白く見えるさまもいう。興ざめなさまもいう。

しかし、次に「青」とある。一体、白なのか、青なのか。二つを混ぜて水色というわけではあるまい。それとも、何か興ざめな感じがあるのだろうか。そして、その青と形容されたものは空気であって、その空気(雰囲気の意か)を一枚の絵が纏っているのだという。

ここに一枚の絵があることはわかるのだが、その絵がどう見えるのかがもう一つはっきりしない。

先を読めば、「それぞれの身体[からだ]はパウダーをはたいたように白く透明だ」とか「それほどまでに青く、白く、まぶしい画面だ」とあるので、どんな色調の絵であるのかが次第にわかってはくる。

アンリ・ルソーの絵の話なのかと思って読み進めると、そうではなく、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌが1866年に描いた絵なのだそうだ。シャヴァンヌがアンリ・ルソーにこの後、関わってくるのだろうと思ったが、これきりだった。

作者は、大原美術館を小説に出したかったのだろう。ストーリーからすれば、必ずしも必要のない設定に思える。いずれにせよ、冒頭に出てくる絵は、大原美術館所蔵のピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ作「幻想(Fantasy)」である。

なるほど、その絵は、青色と白色が優劣つけ難いあざやかさで、観る者を圧倒する。

実際に観れば、ペガサス、女性、子供のそれぞれの身体はパウダーをはたいたように見えるのだろう。だが、パウダーをはたけば、その部分は他の部分の色合いに比べて白さが際立つか、元の色が殺されて朧気に見えるだろうが、透明には見えない気がする。

作者は、絵の各部分から受けた異なる印象を一気に描写しようとする。それで、自家中毒を起こしたように意味不明な表現となっているのだ。子供が見たものを一気に伝えようとして、息せき切っておしゃべりするときのようだ。

美術畑で働いたことのある人にしては、全体に稚拙な文章である。読みながら、美内すずえの少女漫画を連想した。漫画の原作を想わせる小説なのだ。恩田陸の小説に似ている。

漫画の原作であれば、漫画家が人物に表情をつけて内面まで見せてくれるだろうが、単独で書くからには、作者が内面描写まで行わなければならない。その描写があまりに平板であるため、どの人物にも魅力がない。

あちこち引っかかりながら読み進めると、次の箇所がどうにも気になった。

 画家を知るには、その作品を見ること。何十時間も何百時間もかけて、その作品と向き合うこと。
 そういう意味では、コレクターほど絵に向き合い続ける人間はいないと思うよ。
 キュレーター、研究者、評論家。誰もコレクターの足もとにも及びないだろう。
 ああ、でも、ーー待てよ。コレクター以上に、もっと名画に向き合い続ける人もいるな。
 誰かって? ――美術館の監視員[セキュリティスタッフ]だよ。(原田,2014,pp.10-11)

コレクター、キュレーター、研究者、評論家、監視員では、役割――専門――の違いから、絵を見る姿勢が異なるはずである。それに、時間さえかければいいというものでもあるまい。

作者は、優劣つける必要のないものに、優劣つけようとする。それは、作品のテーマに関わる部分でもそうで、ピカソとルソーを比べ、競わせようとする。

そして、作者は明らかにピカソをルソーの上に位置付けている。美術市場ではそうだからだろう。ルソーをことさら、不遇で評価の定まらない画家であると強調するのは、作者自身が市場――世俗といい換えてもよい――の価値観――を、市場が作り出すヒエラルキーを、高く評価し、信じているからに他ならない。

参考文献の筆頭に、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(平凡社ライブラリー、2006)が挙げられている。わたしは中公文庫(中央公論社)から1993年に出た版で当時読み、大変な感銘を受けた。

だから、原田マハ(2014,p.288)が「史実通りに物語が進めば、ルソーはほとんど誰にも顧みられぬまま、この世を去る」と書いた箇所を読むと、岡谷氏の評伝を読んでいながら、なぜこんな嘘をつくのだろうと思う。

その理由として、わたしは前述したように、ピカソをルソーの上に位置付けるためだと考えたのだった。

岡谷氏によると、ルソーは晩年、真の成功に近づいていたという。「夢」の批評は『ニューヨーク・ヘラルド』をはじめとする21紙に載り、その大半は好意的だった。1910年は、亡くなる前月の8月までに、3,590フランを絵の代金として得た。しかし金は、消えた。最後の恋人レオニーに貢いだためだった。

讃美者も増えていた。

ウーデ、ドローネ、ブリュメルに次いで、この年さらに三人の若い讃美者がルソーに近づく。未来派の画家で、著作家でもあったイタリア人のアンデンゴ・ソフィッチ、セルジュ・フェラの名で知られた、ロシア生まれの画家ヤストルブゾフ、その従妹で、のちにロック・グレーの名でルソーの画集を出版するエッチンゲン男爵夫人である。(岡谷,1993,p.276)

小説はフィクションだからいい加減に書いていい、というわけではない。フィクションであればなおさら、事実を踏まえるべきところはそうすべきである。この場合は、作者は参考文献を毀損している。

作品を彩るはずのニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンと日本人研究者・早川織絵のロマンスは安手な印象で、退屈だった。

ミステリーの部分は作りすぎで、説得力を欠く。

『楽園のカンヴァス』が子供の推薦図書だったとのレビューを読んだ。最近ではライト・ノベルを推薦図書に選ぶのだろうか。昔の大衆小説家のように文章がしっかりしていればいいのだが、この作品における原田マハの文章はチープで粗い。

ここで、『楽園のカンヴァス』を離れようと思う。

今回、岡谷公二『アンリ・ルソー 楽園の謎』(中公文庫: 中央公論社、1993)を再読し、神秘家としてのルソーが印象的だった。ルソーはインタビューの中で、次のようにいう。

私はいつも描く前から、絵をはっきり見るんです。とても複雑な絵の場合だってそうです。ただ描いている間に、自分でもびっくりするようなことが出てきて、それはとても楽しいですね。(岡谷,1993,p.275)

岡谷氏(1993,p.193)によれば、ルソーはフリーメーソンに加入していた。薔薇十字団員、降霊術術者たちとの交わりもあった。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人は1831年に生まれ、1891年に亡くなっている。ルソーは1844年の生まれで、1910年に亡くなった。世代的には案外近い。当時は降霊術が流行っていたのだ。ブラヴァツキー夫人はその降霊術を批判して、心霊主義者たちの攻撃の的となった。

ルソーのお化け話は有名だったそうで、『アンリ・ルソー 楽園の謎』にはわたしを不安にさせる記述がある。幸い、ルソーの芸術の力が勝ったのだろう。死は、ルソーを平和裡に訪れたようである。

ルソーは、臨終まぎわの譫言[うわごと]の中で、父なる神や天使たちの姿を見、「ヴィオラとハープとリュートから成る天上のオーケストラ」のしらべを聞いたと浮かされたようにして語り、また、これから星や青空を描くのだと言ったと伝えられている。(岡谷,1993,p.286)

YouTubeで公開されていた動画 Henri Rousseau "El Aduanero"

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2019年8月15日 (木)

ツイッターで問題となっている、芥川賞候補作「百の夜は跳ねて」(古市憲寿)。8月15日に追記あり、赤字。

芥川賞候補となった古市憲寿「百の夜は跳ねて」がツイッターで話題になっていました。

古市氏の小説の最後に「参考文献」として、『文學界』2012年10月号に掲載された木村友祐氏の短編小説「天空の絵描きたち」が挙げられているそうです。

誰かの小説を読んで、その中の素材に興味を持ち、自分で調べ直して独自の小説を書くということはあると思いますが、その場合、資料として挙げるのは小説ではなく、調べた文献なのではないでしょうか。

以下の、参考にされた小説の作者・木村友祐氏のツイートによると、木村氏が古市氏に窓拭きの達人を紹介したそうなので、その取材をもとに独自の書き方がなされていれば、問題ないはずです。

しかし、選考委員たちの書きぶりからすると、文章表現などのオリジナルな部分が参考に、というより盗られていることを疑います。以下の記事が参考になります。

【追記あり】古市憲寿さんが芥川賞選考委員にいろいろ言われちゃってる件」『はてな匿名ダイアリー』。2019年08月12日、URL: https://anond.hatelabo.jp

わたしは以前から、直木賞作家・恩田陸氏が得意としている「オマージュ」というフランス語でごまかしたパクリに似た手法に疑問を抱いてきました。純文学界にもその手法が「導入」されたのではないかと危惧します。

尤も、文学賞が文学性を競うものではなく、アイディア戦になり下がったのは随分前からのように記憶しています。

2011年8月 8日 (月)
文藝春秋「文學界 平成二十三年八月号」 ‐ 「新人小説月評」に対する私的不信感
http://elder.tea-nifty.com/blog/2011/08/post-723d.html

わたしが「新人小説月評」に関する前掲記事の感想を書いたのが2011年。古市氏に参考にされた木村氏の短編は、2012年の掲載です。同じ商業雑誌『文學界』。

今回の件から、左派に牛耳られた文学界では才能のある作家がなかなか世に出られないだけでなく、その作家たちは飼い殺されて、防衛本能すらなくしているのではないかという別の危惧も生じました。

追記: 木村氏のツイッターを閲覧させていただくと、集英社、新潮社、未来社などの有名出版社から5冊ほども出版しておられました。報われない才能ある普通の日本人作家が世に出られないまま飼殺されて、防衛本能を失くしているのかと勝手に妄想していました。そんな日本人作家を複数知っているものですから、つい。いずれにしても、作品も読まずに、申し訳ありませんでした。こういういい方は語弊があると思いますが、仲間内での出来事であった様子が窺えました。左派村では安倍総理は本当に人気がありませんね。

そういえば、2018年の第159回芥川賞(平成30年上半期)の候補作になった北条裕子『美しい顔』にも盗作疑惑があったような……

2018年、小説『美しい顔』で講談社の第61回群像新人文学賞を受賞。この作品は第159回芥川龍之介賞の候補にも選ばれたが、主要な参考文献を明記しておらず、他の作家の先行作品と類似している箇所が複数あることが指摘され、謝罪文と参考文献が『群像』2018年8月号に掲載されることとなった。
「北条裕子 (小説家)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年11月6日 18:09 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

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2019年8月14日 (水)

あいちトリエンナーレ「表現の不自由展」中止のその後 その9。ついに、国際問題に発展。

カテゴリー「あいちトリエンナーレ」

企画展とは別の展示に参加する米国の報道機関が出品の取り下げを要請し、スイス出身の作家達も展示中止を求める声明を出したとのことです。

これがまともな芸術感覚、国際感覚なのです。

 

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