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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこの『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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2017年10月22日 (日)

「歴史短編1のために #31」に追加(メモ)。インターポット・アバター。

ノート31に加筆すべきだが、選挙に行き、そのまま家族で出かけるため、今日は時間がとれそうにない。追加したいことをざっとメモしておこう。

息子が送ってきてくれたお菓子の写真もアップしたい(ドイツのベルリンに出張だったのだが、お菓子はフィンランド空港で買ったとのこと。フィンランド航空を利用したため、フィンランドで乗り継ぎがあったとか)

今日はインターポットのキラポチできないかも。間に合わせたいのだけれど……何だかキラポチが家事の一つみたいになってしまった。小説をアップしておられるかたがあったり(リンクからブログにお邪魔して拝読している)、面白いつぶやきに出合ったりもし、勿論日々変化する庭や部屋を鑑賞することも結構楽しいのだ。

以下、メモ。

井上敏幸・中尾友香梨『文人大名鍋島直條の詩箋巻』(佐賀大学地域歴史文化センター、2014)によると、梅嶺、鳳岡、竹洞は直條にとって、黄檗禅、漢文学、漢詩文の師であったらしい。また次のように書かれている。

「直條の十五歳という年は、鹿島藩第四代藩主となることが決定し、人生の方向が定められた年であったと同時に、和歌・漢詩文・禅の道に邁進する文人大名の出発点であったことが確認できるのである。」

この引用はオンライン論文からだが、前に本を図書館から借りた。再度借りて熟読したい。

前掲書によると、兄格峰も、弟直條も度々大病にかかったという。弟以上に病弱だった兄は直朝の後継者(鹿島藩主)とはならず弟に譲り、自身は黄檗禅にあこがれ、仏道へ身を投ずることとなった。

直朝の息子たちは和歌・漢詩文・禅を好んだが、そこには萬子媛の大きな影響があったのではないかと思われる。そのこころざしは如何にも純粋であり、そのような清浄、自由な学術的雰囲気が萬子媛によって醸成されていたものと見ることができよう。

萬子媛がおなかを痛めた2人の子供はいずれも病死。義理の子供たちも病弱だったとあって、萬子媛は大変だっただろう。

高齢出産や長命だったことからして、萬子媛のほうは生涯を通じて強壮な人だったのかと思っていたのだが、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の記述によると、萬子媛自身も出家するまでは病弱だったようだ。特に子供たちを亡くしたあとの病気。『祐徳開山瑞顔大師行業記』から引用しておきたい。

後鳥羽院歌壇で活躍した3人の女性歌人――式子内親王、宮内卿、俊成卿女についてもう少し本から引用し、加筆しておきたい。

夭折歌人・宮内卿の透明感のある明晰な歌を読んでいると、わたしが詩人と呼んでいた亡くなった女友達の詩を連想する。

健保元年二月七日、四十三歳の俊成卿女は、出家して天王寺に参籠[さんろう]した(『明月記』)。けれどもこれは遁世の出家ではなく、夫通具への別れと独立の宣言であった(森本元子)。中世においては、夫存命中の妻の自由出家は婚姻の解消を意味し、出家によって世俗女性を縛る制約から放たれ、自由な立場を手に入れた。俊成卿女の出家はまさにこれにあたるものであろう。(田渕,2014,p202)

この文章の引用のあと、「萬子媛の場合も、夫存命中の出家であった。息子の急死がきっかけだったのだろうが、俊成卿女の出家のような意味合いも含まれていたのかもしれない」とわたしは書いたが、萬子媛の入った祐徳院が鹿島藩主・直條の経済的援助に頼っていたことは間違いない。

しかし、出家によって、どうやら重荷だったらしい親戚づき合い(『祐徳開山…』から引用)からは解放されただろうし、精神的な自由を手に入れて、自分の望む生きかたができたことには大きな意義があっただろう。

とはいえ、死後も大衆に仕えるという千手観音さまのような、わたしのような凡人にはとても考えられない険しい道を選択なさったわけだ……

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2017年10月21日 (土)

歴史短編1のために #31 扇面和歌を通して考察したこと

何度も同じことを書くようだが、初めて当ブログにお見えになるかたもいらっしゃるので、萬子媛をご存じない方にためにざっと書いておくと……

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萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。

祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。

1687年、式部朝清、21歳で没。朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、62歳。1705年閏4月10日、80歳で没。断食入定による死であった。

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神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(俊成卿女[しゅんぜいきょうじょ])の歌が揮毫されている。

実家である花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9(1696)年――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、俊成卿女の次の歌である。

梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

俊成卿女は藤原定家の姪だった。

田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今和歌集(角川選書536)』(KADOKAWA、2014)によると、平安末期から鴨倉初期に歌壇を先導した歌人が藤原俊成で、定家はその子、俊成卿女は孫娘に当たる。

俊成卿女は父の政治的不運により、祖父母に引きとられ、俊成夫妻の膝下[しっか]で定家らと共に育てられたという。しかし、定家と俊成卿女の間には確執が生じたようだ。前掲書に詳しく書かれている。

平安末期から鎌倉初期にかけて在位(1183 - 1198)した第82代後鳥羽天皇(1180生 - 1239崩御)は、院政時代に後鳥羽院歌壇を形成した。

その後鳥羽院の招きに応じ、活躍した女性歌人が、式子内親王[しきしないしんのう]、宮内卿[くないきょう]、俊成卿女だった。

それぞれに際立った個性があり、わたしは三人共好きだ。特に進取の気性に富んだ式子内親王の生きかたや歌には心惹かれる。

『異端の皇女と女房歌人』によると、式子には、禁忌を気にせず、加持祈祷を信じない一面があったらしい。式子は晩年三度も呪詛や託宣の事件に巻き込まれたというから、周辺のそうした傾向にうんざりしていたのかもしれない。

『新古今集』の歌は技巧的だというふうに、国語の授業でだか古文の授業でだか習った覚えがあった。だが、その意味をわたしはあまりわかっていなかったようだ。授業では、そこまで詳しくは習わなかった気もする。

前掲書『異端の皇女と女房歌人』によれば、作者自身の体験や感情を核とした平安時代までの和歌とは異なり、院政期からは宮廷和歌において、題詠歌が主流をなしたのだそうだ。

題詠とは、あらかじめ設定された題によって和歌を詠むことであり、題がそれぞれもっている本意(詠むべき主題)をふまえて、本意によって表現史的に様式化された美的観念を、虚構を土台に詠歌することである。(略)歌の作者は、いわばその詠歌主体の人物になりかわって、歌を詠む。物語の作者が、物語中の人物になりかわって歌を詠むことと、ある意味で似ている。(田渕,2014,pp.59-60)

それにしても、授業でも習った『新古今集』の中の式子の「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」という情熱的な歌が、「男歌=男性が詠歌主体の歌」だと論証されていると知って、驚いた。いわば、男装して詠まれた歌だという。

式子の恋歌には男歌が多いらしい。勿論、女歌もあるから、鑑賞する場合は二重、三重に注意が必要になる。

『異端の皇女と女房歌人』に、俊成卿女について興味深いことが書かれていた。

健保元年二月七日、四十三歳の俊成卿女は、出家して天王寺に参籠[さんろう]した(『明月記』)。けれどもこれは遁世の出家ではなく、夫通具への別れと独立の宣言であった(森本元子)。中世においては、夫存命中の妻の自由出家は婚姻の解消を意味し、出家によって世俗女性を縛る制約から放たれ、自由な立場を手に入れた。俊成卿女の出家はまさにこれにあたるものであろう。(田渕,2014,p202)

萬子媛の場合も、夫存命中の出家であった。息子の急死がきっかけだったのだろうが、俊成卿女の出家のような意味合いも含まれていたのかもしれない。いずれにせよ、萬子媛は俊成卿女の歌を愛したようだ。

また、俊成卿女は『源氏物語』の注釈・研究を行ったという。断片的に残っているその内容からすると、それは「非常に学術的・考証的な内容」であり、女房歌人というよりも古典学者のような相貌[そうぼう]を見せている」(田渕,2014,p216)

萬子媛も才媛であり、鍋島藩において、その影響には大きなものがあった。

俊成卿女は80余歳で没したとされる。萬子媛は80歳で、国の安泰を祈願して断食入定した。

定家も俊成卿女も藤原北家の人で、花山院家は藤原北家だから、萬子媛にとっては『新古今集』という存在そのものが望郷の念を誘うものだったのかもしれない。

そういえば、『源氏物語』を著した紫式部も藤原北家(傍流)の人だった。

ウィキペディア「藤原北家」
右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。

ウィキペディアの執筆者. “藤原北家”. ウィキペディア日本語版. 2017-09-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%8C%97%E5%AE%B6&oldid=65515383, (参照 2017-09-15).

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。

修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、萬子媛の亡くなりかたや『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述から考えると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったはずだ。

その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

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2017年10月18日 (水)

カズオ・イシグロ『日の名残り』を、とりあえずざっと

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』(早川書房、2001)を、とりあえずざっと読んだ。

イギリス政界の大物ダーリントン卿に仕える執事スティーブンのモノローグを通して、第一次・第二次大戦の反省(?)がなされる

執事の前の主人ダーリントン卿は、イギリスの戦争対策の失敗を象徴する存在として描かれている。

卿は紳士的であったがゆえに宥和政策を推進する立場で動いた。その見通しに甘さがあったために、性善説に基づいたような行動がナチスに利用され、ヒトラーのドイツ帝国勃興を招いたという見方だ。

執事はダーリントン卿を支持し続け、卿の失脚ののちも慕い続けるが、ここには作者のいささか単純で皮肉な見方が潜んでいるはずである。

でなければ、このような一面的な書き方にはならないはずだ。勧善懲悪の世界観から一歩も出ていない。

その見方を骨格にして、あれこれ工夫を凝らし、お手軽な大英帝国凋落の物語に仕上げているという印象を受けた。

このような、今の時代であればこそ通りやすい歴史的解釈の安易な利用を純文学であれば決してしない。むしろ、あの時代について、独自の調査・取材をし、そこに新たな発見があったときに初めて創作に着手しようとするのだ。

イギリスが大英帝国時代を持つしたたかな国であることを知らない人間は、まずいないだろう。

皮肉としてであれ、本当の思いからであれ、第二次大戦前から激動の時代を主人と共に生きた執事の品格を自ずと浮かび上がらせるには、描くべき歴史的背景をあまりに端折りすぎだ。

イギリスという国が紙切れみたいに薄っぺらに感じられてしまうではないか。イギリスという国の重厚でしたたかな側面が何も感じられない。

「高貴な本能」を利用されてしまうダーリントン卿は、イギリス紳士というより、お人好しな日本人みたいだ。イシグロ氏の身近にいたのが日本人だったから、イギリス紳士が日本人になってしまうのだろうか。

この作品は、ハーレクインロマンスを連想させられる文章で書かれた、執事のマナー読本みたいだ。ただ、そこにも手抜きが感じられ、執事の仕事内容がもう一つはっきりしない。

そして、ハーレクインロマンスでは盛り上がる箇所で、この本ではわざとらしく欠落をこしらえている。

技巧なのか、歴史的背景の説明同様、面倒なことは飛ばすことにしているのか。

人物も場面も描きかたが薄っぺらすぎて、登場人物に会話させるためのアイテムでしかなく、執事は仕える相手がイギリス紳士からアメリカ人の富豪に変更になったとはいえ、現役の執事とも思えない、執事のモノローグというよりボケかけた人の寝言みたいだ。

前回のボブ・ディランのときから、ノーベル文学賞が純文学作品からエンターテイメント系の作品に授与されるものへと変節した。

それならそれで、賞の対象になりそうな面白い作品がごまんとある中で、イシグロ氏の作品というのがわたしには納得できない。

ところで、『日の名残り』ではデュポンが意味ありげに出てくるが、あのデュポンだろうか?

もしあのデュポンだとすると、説明がないため、デュポンが戦争で果たした役割について知らない人は、なぜここでデュポンが出てきたのかがわからないのではあるまいか。黒シャツ隊についても同様。いくら執事のモノローグという設定だとしても、説明を省略しすぎる。

ウィキペディア「デュポン」より引用しておく。

エルテールの祖父はユグノーの時計職人で、父は経済学者で政府の官僚にもなったピエール・サムエル・デュポン・ド・ヌムール(Pierre Samuel du Pont de Nemours)であった。フランス革命を避けて、1799年に一家でアメリカに移住したエルテールは、アントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。当時アメリカで生産されていた黒色火薬はきわめて粗悪であったため、ビジネスは成功した。徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取り、南北戦争で巨利をあげた。やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するようになった。第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しワシントン州ハンフォード・サイト、テネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。

ウィキペディアの執筆者. “デュポン”. ウィキペディア日本語版. 2017-09-04. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%83%B3&oldid=65371259, (参照 2017-09-04).

萬子媛関連の資料となりそうな本を図書館から借り、早く読みたいがために『日の名残り』をまだざっとしか読んでいない状況。読み込んで考えが変わる可能性もまだある。

『日の名残り』をちゃんと読んだら、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下のエッセーに加筆するつもりだ。

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2017年10月15日 (日)

「ガラスの靴すべり台」ゲット! ノーベル文学賞作家に関する考察は続く。

インターポット

ほしかった「ガラスの靴すべり台」をゲットできました。庭に設置してみると、デカッ!

正面からだとごちゃごちゃしていてわかりづらいので、向かって左側面に当たる方から撮影してみました。

ガラスの靴のそばにいるのは、やはり最近ゲットした「おばけほうき 水色リボン」です。庭中隈なく掃除してくれるので、助かっています。こんな箒、リアルでほしいわ~。

アバ嬢が滑るところも目撃できました。ガラスの靴すべり台にのったところを撮影。

最近他にゲットできたのは、「空飛ぶ家」「丸太の柵 花飾」「ハロウィンブッシュA コウモリ」「おばけポット 紫」です。

アバ嬢が初めて散歩から金の箱を持ち帰ってくれて、中から「二階建てのお菓子の家 クッキー」が出てきたときは感激しましたよ。

あとほしいのは、「3つ屋根のおばけマンション」「ワインとパンのバスケット」「コイコイ白猫シルエット」「魔女の帽子ライド」です。

ずっとほしいと思い続けている「コイコイどこかの森」、あと二つ。

三つで完成するアイテムですが、一つしかゲットできていないので、完成させたいのです。

が、ビンゴゲームの途中でいねむりしてしまうほど開かないか、いきなりの死神の出現で即死、またはダラダラと延命させられた挙句の放置……で、ゲットできない日々でした。あと2日しかありませんが、これはもう諦めています。

第二稿に入った歴史小説のヒロインのモデルである萬子媛が愛された和歌について、今夜メモしておきたいと思っていましたが、娘に頼んだカズオ・イシグロ氏の本『日の名残り』を持ち帰ってくるそうなので、そちらを読むのが先になるかもしれません。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした以下の記事で、ノーベル文学賞に対する不審感をあらわにしてしまいましたが、イシグロ氏の代表作を読んでいなかったので、何か新発見があればまた書きます。

図書館から借りるつもりでしたが、いつになると順番が回って来るのかわからないと思ったので、購入しました。こうやって資料集めにお金がかかり、本当に買いたい本がなかなか買えない状況には泣きたい思い。

そうやってまで評論書いて、得るものがあるのかどうかはさっぱりわかりませんが(体力と時間とお金が消えて行くだけのような気もします。そのまま行き着く先は死でしょうね、ハハハ…)、プロの評論家がまともな仕事をしてくれないでしょう。草の根レベルであっても、ノーベル文学賞の変節について検証されるべきだと思うのです。

ノーベル文学賞といえば、メーテルリンクの『青い鳥』。

戯曲として書かれた原作を堀口大學氏の訳で読み、子供向きに書き直されたものではわからなかった驚くべき発見がいろいろとあり、あの原作から離れて、少なくとも日本では――世界の状況は知りません――青い鳥という一種の甘美で切ない共同幻想(?)が形成されてきたのではないかと思いました。

翻訳家として名高い堀口氏の解説の効果も、大きかったのかもしれません。原作を知らない人も多いのではないでしょうか。夫は知らなかったといいました。

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2017年10月12日 (木)

メーテルリンク『青い鳥』の罪な象徴性について

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。

ブラヴァツキーの神智学を批判したメーテルリンクの文章を考察することで、メーテルリンクの思想の一端が明らかとなったように思う。

わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。

さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)

ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。

医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)

娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。

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2017年10月 6日 (金)

カズオ・イシグロ氏の受賞ではっきりした、ノーベル文学賞の変節

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞の受賞者に選ばれた。NHK NEWSWEBの記事より引用する。

スウェーデンのストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。

イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。

1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞、ブッカー賞を受賞しています。

また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。

NHK NEWSWEB(2017年10月5日 20時03分)「ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 英国の小説家」<http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171005/k10011169111000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002>(2017年10月6日アクセス)

ノーベル文学賞の選考委員会のいう「力強い感情の小説」という言葉の意味を、わたしは理解できない。登場人物の感情表現が巧みだということか? それとも、作者の感情が充溢した作品であるということか。

後者であれば、いわゆる文学という芸術作品にはなりにくい感傷小説である可能性がある。

また「私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」という文章も解せない表現だ。翻訳の問題なのだろうか。

世界とつながっているというわたしたちの思いが幻想にすぎないことを、作者が何らかの闇を描くことで明らかにした――というのであれば、まだわかるが。

作者は何の闇を描いたのか。そのことがなぜ、世界とつながっているというわたしたちの思いを否定させるのか? こうしたことが納得のいくように伝えられなければ、授賞理由はよくわからないままだ。

Yahoo!ニュースに、「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」というインタビュー記事があり、その中で、「イシグロ作品は広く読まれていながら『文学』の香りがあるように感じます。ご自身が考える『文学』のあるべき要素とはどんなものですか?」という問いに対して、イシグロ氏は次のように答えている。

それほど堅苦しく考えなくてもいいと思いますよ。つまり「文学」と、「娯楽作」「大衆作」を分け隔てることもないのかなと、私は思っているんです。大学の勉強などでは人工的に線引きをすることもありますが、現代のそういう場所で「文学」と呼ばれているものは、過去においては「ポップ」だったんですから。

Yahoo!ニュース(2017年10月6日12時15分),渥美志保(映画ライター)「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」<https://news.yahoo.co.jp/byline/atsumishiho/20171006-00076589/>(2017年10月6日アクセス)

2015年まで、ノーベル文学賞は純文学作品を対象としていたが、2016年になって突然ポピュラー音楽の作詞を対象とし、2017年の今年は娯楽作・大衆作を対象としたようである。

カズオ・イシグロ氏の本は書店の目立つ位置に置かれていることが多いので、わたしは何度となく手にとりながら、読んだことがない。

ぱらぱらとめくってみて、娯楽作・大衆作と思ったのである。

反日左派によって席巻されたわが国の文学界で、世に出られない物書きとして草の根的(?)な創作活動を続けているわたしには読まなければならない純文学作品のことで頭がいっぱいなので、元の位置にそっと戻してきたのだった。

実際に読んでみなくてはわからない――そのうち読んでみたいと思っている――が、前掲のインタビューの内容自体がイシグロ氏の諸作品がジャンルとしては文学(日本流にいえば、いわゆる純文学)に分類されるタイプの作品ではなく、娯楽作・大衆作に分類される性質のものであることを物語っている。

純文学には学術的、芸術的という特徴があるゆえに、ノーベル文学賞は理系のノーベル賞と釣り合いのとれるものであった。ところが、昨年から文学賞に関していえば、人気コンテストになってしまったのだった。

純文学は文学の土台をつくる研究部門といってよい分野だから、純文学が衰退すれば、娯楽作・大衆作も衰退を免れない。

音楽に例えれば、クラシック音楽が衰退してポピュラー音楽だけが存在する世界を想像してみればよい。

純文学が衰退することによる、人々の言語能力や思考能力の低下、また伝統の継承や優れた文化醸成への悪影響なども懸念される。

一体、ノーベル文学賞に何が起きたのか?

産経ニュースの記事によると、イシグロ氏と村上春樹は互いにファンであることを公言しているという。

ノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロ氏。毎年、有力候補に名前が挙がる村上春樹氏とは、互いにファンを“公言”していることでも知られる。

産経ニュース(2017年10月5日21時27分)「カズオ・イシグロ氏と村上春樹氏、互いにファンを公言」<http://www.sankei.com/life/news/171005/lif1710050041-n1.html>(2017年10月6日アクセス)

以下のエッセーは、昨年の10月16日に拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に公開したものである。ライン以下に折り畳んで再掲しておく。

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2017年10月 2日 (月)

友情について、再び

旧友からまたメールがあった。目的は今度も温泉旅行へのお誘いだろう。

40年近く年賀状のやりとりだけであったのに(それも彼女とはしばしば音信不通になったため、心配させられた)、わたしが友情の賞味期限も過ぎたと思い、年賀状のやりたりもやめようと思ったときになって、なぜか急に連絡をしてくるようになり(近くに引っ越してきたからというが、中間地点で会ったとしても博多で、片道2時間近くかかる)、しつこく温泉旅行に誘ってくる。

飲み友達がほしいのだろう。

昔のような友情が復活するかどうかに懸念があったので、まずは博多で、他の友人を交えた4人で会ったのは正解だった。

彼女を含む2人が姑臭く(底意地悪く)なっていた。新興宗教に熱中している友人だけが無事だった(意地悪でなく、ごく普通だった)。大学時代の友人の中にやはり、あからさまに意地悪になった人が1人いて、いずれも衝撃だった。

昔をなつかしみ、温かな友情に浸ることを期待して博多へ出かけたのに、ひどい仕打ちである。

こちらの気持ちが昂揚して話に熱が入りかけたところで、すっと冷ややかな顔つきで横を向き、別の話を切り出す。その意地悪そうな顔には戦慄させられた。

もっとも、もう1人の友人が目立ってそうして、彼女はそれに連動した反応をするという風だった。

親しみのこもった雑談の中での一瞬の早業である。独身時代であれば、気のせいだろうか、それとも何か不愉快なことを自分がいったからだろうかと考え込んだところだろうが、もうだまされない。

意地悪というのはそのようになされるものだということを、さすがにこの年齢となっては学習済みなのだ。

上に挙げた大学時代からの友人1人を含む3人には昔から、気のせいだろうか、いや、話に熱中するあまり、うっかりわたしを仲間外れにしてしまうのだろう――とこちらを思わせる特有の癖があった。

バルザックが次のように表現している。

やがて夫人は私とはなんの関係もない、この土地柄のこと、収穫のこと、ぶどう畑のことなどを話しだしました。一家の女主人のこうしたやり方は、当人の教養のなさを示すものか、相手を会話から閉めだして、軽蔑を見せつけようとしている証拠です。しかし夫人の場合には、それもただひたすら困惑のなさしめるわざでした。(バルザック『谷間の百合』石井晴一訳、昭和48年、46頁)

注意不足から、相手に意地悪と受け取られても仕方のない言動をとってしまうことは誰にだってある。

しかし、それが明らかに意図的に繰り返される場合は教養のなさか意地悪かのどちらかだろうが、わたしには3人の場合がそのどちらに当たるのかがよくわからなかったので、そうした面は見て見ぬふりをして友人づき合いを続けていたのだった。

年月が回答を出した。意地悪からだった。隠れていた面が露わになった。

3人は嫁いびりをする姑そっくりになっていたけれど、考えてみれば、3人共、姑にはなっていない。

昔、わたしはお金持ちのお嬢さんであったそうだ(それほどだったとは知らなかった。普通だと思っていた)。今は貧乏人らしい。

わたしという彼女たちの友人であるはずの人間に対して、こうした類型化を3人が3人とも嬉々として行い(貧乏だと判断して奢ってくれるというならまだしも)、経済的優越を匂わせて、露骨に意地悪をしてくるようになったというわけだ。

彼女たちは拝金主義者なのだろう。唯物的、打算的ではあっても、リベラルではない。人類の思想の歴史を紐解き、いずれかの思想に共鳴するといったタイプの人々ではない。ある意味で素朴な人々なのだ。

まあ自分が貧乏であることを否定はしないが、別に貯金通帳を見せたわけでもないのに、せっかちに貧乏認定するのだから、とにかく見下せる人間を作りたいのだろう。

第一、貧乏と見下されるなど、定年後も働いて、普通に暮らせるくらいの収入を得てくれている夫に申し訳が立たない。わたしにもう少し体力があり、外で働ければ、もっと豊かになれるだろうが、専業主婦だからこそできている、有意義なことも沢山ある。

倹約し、健康を考えた美味しい料理を提供し、国会中継を視聴して日本が変にならないように見守り、伝統文化に関心を持ち、考えの足りない人のぶんまでよく考え、吞兵衛でないことでも家計に貢献している。

そもそも、貧乏はそんなに恥ずべきことだろうか。神秘主義者にとっては貧乏は少しも恥ずべきことではない。

イエスの言葉にもあるではないか。「貧しいあなたがたは幸いである。神の国はあなたがたのものである」(フランシスコ会聖書研究所訳、中央出版社、初版1980、改訂初版1984)

それに3人共、ご主人がアル中気味だったり、ギャンブル中気味だったり、精神的安定を欠くなどして、彼女たちがそれほど金銭的に安心できる状態にないことは、当人たちからもたらされる情報からわかることだ。

不安感が意地悪な行為を助長させるのだろうか。

しかし、この3人以外の友人たちも、中年期までに苦渋をなめなかった人は1人もいないといってよいくらだ。皆それぞれに苦労している。

この世が魂の教育の場、魂を洗練させる場であると主張する神秘主義の立場から見て、それはこの世がそのような仕組みになっているからだと思わざるをえない。

つらい思いをしてきたからといって、友人たち全員が意地悪になったわけでは決してない。幸いにも、意地悪になった――いや、おそらく元々意地悪だった――のは3人だけだ。他の友人たちには昔も今もそんなところは微塵もない。

意地悪な3人とは、今後友人づき合いをするつもりはない。正確ないいかたをするなら、本当の友人であったことなど一度もなかったのだと思う。

社会生活では意地悪な人ともつき合わざるをえないことがよくある。でも、友人は自由に選択できるはずだ。そうでなければ、友人とはいえない。

互いに相手を好きであれば、誤解や行き違いがあったとしても、何とかなるものだ。

最良の友人といえた、長年統合失調症で苦しんだ友人はもう亡くなったが、彼女との友情は今もわたしの宝物だ。なかなか会えないけれど、他の友人たちとの友情も大事にしたい。

関連記事:

2017年7月18日 (火)
息子の土産話。温まった旧交を冷やす、女友達との価値観の違い。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/07/post-1cc5.html

2017年7月29日 (土)
友情について
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/07/post-b891.html

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2017年9月17日 (日)

歴史短編1のために #30 神仏習合(加筆あり)

神秘主義エッセーブログに入れようと思って過去ノートに加筆したものですが、先にこちらにアップしておきます。

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数年前から、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説に取り組んでいる。第一稿で粗描を試み、第二稿に入ったところだ。

萬子媛が入られた黄檗禅系祐徳院は、取材の結果、庵のような小規模の建物ではなく、もっと大きな建物だったと推測されるので、小説の冒頭部分は書き直さなければならない。

祐徳院は法泉寺と同じく普明寺の子院だったから、法泉寺くらいはあったのではないかと思う。普明寺は法泉寺の1.5倍くらいの大きさに見えた。

祐徳院の門には、普明寺の門のところにあったのと同じ「不許葷酒入山門(葷酒の山門に入るを許さず)」と記された碑があったであろう。

不許葷酒入山門とは、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味である。(→ウィキペディア「禁葷食」

萬子媛の義理の息子で、大名であった直條の執筆とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』(祐徳稲荷神社蔵)を読むと、祐徳院に所属する尼僧の外出、俗客の往来を許さず、その他の規則は大変厳しかった(森厳という言葉が使われている)とあるのが、碑文にぴったりくる。

そして、神事のほうも、滞りなく行われていたに違いない。江戸時代までの神仏習合は現代日本の神仏習合とは様相が違っていたのではないだろうかと考えて、それをどのように描けばいいのかわからず、わたしは何ヶ月も悶々としていた。

例えば、出家後の萬子媛は神事にどのように参加されていたのだろうか……と考えたとき、思い出したのは前に図書館から借りて読んだ『英彦山修験道絵巻』だった。

村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995)は江戸時代に作られた「彦山大権現松会祭礼絵巻」に関する著作である。絵巻が作られたのは有誉が座主のときであった。

有誉の母は花山院定好の娘――つまり、萬子媛の姉だったと思われる。萬子媛の兄弟姉妹については拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72 に書いている。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している。

絵巻に描かれた神事の情景の中に、神職の格好をした人や一般の参列者の他に僧侶姿の参列者の描かれていた記憶がある。

萬子媛と一緒に京都から下ってきたと想像される、萬子媛に仕えていたという尼僧が技芸神として祀られている(拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72  参照)ことから考えると、神事の際に行われる神楽舞の振り付けなどはその人が指導したのではないかとわたしは考えている。

神事のとき、萬子媛はどのような位置で、どのような行動をなさっていたのだろうか。

厄除け祈願をお願いしたときのことが参考になるだろうか?

これはあくまでわたしの神秘主義的感性が捉えた――内的鏡にほのかに映った――萬子媛をはじめとする、この世にあったときは尼僧であったと思われる方々の御祈願時の様子なのであるが、わたしはそうしたこの世ならざる方々が御神楽殿での御祈願時にそこへお見えになるとは想像もしていなかった。

そのときまで萬子媛のことしか念頭になく、御祈願のときにもし萬子媛をわたしの内的鏡が捉えることがあるとしたら前方に捉えるのではないかと想像していた。というのは、そのときに萬子媛の臨在があるとすれば、神主さんに寄り添うような形をとられるのではないかと漠然と想像していたからだった。

事実は違った。萬子媛をはじめとする尼僧の方々――生前は尼僧であったとわたしが推測する方々――は、御祈願を受けるわたしたち家族のすぐ背後に整然と並ばれたのであった。拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録の以下のエッセーを参照されたい。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日

端然とした雰囲気の中にも、日ごろの馴染んだ行為であることが窺えるような、物柔らかな自然な感じがあり、整然と並ばれたといっても、軍隊式を連想させるような硬さは全くなかった。

わたしの内的鏡にほのかに映った美しい情景からは、江戸時代初期から中期かけて、神事というものがごく自然に仏事や日々の生活に溶け込んでいた様子が窺えた。神事も仏事もどちらもこよなく敬虔に、当たり前のこととして行われていたに違いない。

わたしがここでいう内的鏡とは、物質の鏡とは異なり、対象が生者であろうがこの世ならざる者であろうが、対象としたものの内面性や雰囲気を精緻に捉える鏡なのだ。姿は、ほの昏い湖面に映るかのような、ほのかに映る程度である。

オーラが時には肉眼で見えるどんな色彩よりも鮮明に生き生きとして見えるのとは、違う。オーラを見るときは肉眼で見るように見る。内的鏡で見るときは自らの心が鏡のようにも目のようにもなって、内的鏡を内的視力で見るという感じなのだ。

どちらも神秘主義的能力だと思うが、使い勝手(?)が異なる。神秘主義の文献によく鏡という表現が出てくるのを、なるほどと思うようになった。この内的鏡をいつごろからか、心が清澄であるときにごく自然に使っている自分に気づくことがある。

話が逸れたが、『梁塵秘抄』は平安時代末期に後白河院(1127生 - 1192没)によって編まれた歌謡集であるが、ここでは神事と仏事の習合が見られ、そこからは純粋というだけでなく、格調高いといえるような信仰心が汲みとれる。

江戸時代もおそらくそうで、明治時代に神仏分離令が出されるまで、そうしたところは変わらなかったのではないだろうか。

臼田勘五郎&新間進一 校注・訳『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』(小学館、1976初版、1989第14版)によると、『梁塵秘抄』は『梁塵秘抄二十巻後白河院勅撰』といい、20巻であったらしい。

20巻のうち、10巻が音律の秘伝や芸歴などを記した口伝集、残りの10巻が歌詞集であったそうだが、大半が失われてしまった。現存するのは巻第一断簡の長歌[ながうた]・小柳[こやなぎ]・今様と、巻第二の法文歌[ほうもんうた]・四句神歌[しくのかみうた]・二句神歌[にくのうみうた]である。

ただ、法文歌と四句神歌とで合計400首を超えるというから、それだけでも結構なボリュームだ。

ここで、前掲書『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』の『梁塵秘抄』から歌と訳を引用しておこう。

法文歌のうち最も有名なのは、格調高い響きを持つ次の歌だろう。

仏は常にいませども 現[うつつ]ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁[あかつき]に ほのかに夢に見えたまふ
 仏はお亡くなりになることなく常にいらっしゃるのだが、お姿を拝することができない。それが尊く思われる。しかし、人の物音のしない静かな暁には、かすかに夢の中にお姿を現わされる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.204-205

次の法文歌と神歌には同趣意の主張が含まれている。神仏と人の違いに萎縮するようなところは微塵もない。いずれは神仏に成る我が身、ならねばならない我が身との自覚があってこその矜持だろう。

仏は昔は人なりき われらも終[つひ]には仏なり 三身仏性[さんしんぶつしやう][ぐ]せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
 仏も遠い昔にはわれらと同じ人であった。われらも最後には成仏することができるのだ。三身仏性を本来備えている身であると知らないで、仏道をなおざりにしているのが、悲しいことに思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.257-258

ちはやぶる神 神にましますものならば あはれと思[おぼ]しめせ 神も昔は人ぞかし
 (ちはやぶる)神よ、ほんとうに神でいらっしゃるならば、私の訴えをかわいそうだとお思いになってください。神も昔は人であられたのですよ。臼田&新間 校注・訳,1989,p.317

権現に直訴するかのような、迫力と切実さを感じさせる神歌もある。

花の都を振り捨てて くれくれ参るは朧[おぼろ]げか かつは権現[ごんげん]御覧[ごらん]ぜよ 青蓮[しやうれん]の眼[まなこ]をあざやかに
 花の都を振り捨てて、暗い気持で参詣するのは、なみたいていの志だろうか。権現[ごんげん]よ、一方では私の志をもよくよくごらんください。その青蓮[しようれん]の眼[まなこ]をかっと見開いて。臼田&新間 校注・訳,1989,p.266

次の神歌について「日吉山王[ひえさんのう]を舞台に、神仏習合思想の要約を巧みに歌謡化した感じ」と解説されているが、正にそんな趣の歌だ。

仏法弘[ひろ]むとて 天台麓[てんだいふもと]に迹[あと]を垂れおはします 光を和[やは]らげて塵[ちり]となし 東の宮とぞ斎[いは]はれおはします
 わが国に仏の教えをひろめようというので、この比叡山の麓に、釈迦如来[しやかによらい]以下の仏や菩薩[ぼさつ]たちが、二十一社の神々となり化現されて、鎮座しておられる。威光を隠して俗世に交わり、東方の尊い神社として、祀[まつ]られていらっしゃる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.261

四句神歌のうち雑[ぞう](主として世俗的な民謡風の歌を集めたもの)に分類された次の歌は、最初に挙げた法文歌と並んで『梁塵秘抄』を代表する歌であり、解釈は様々あるようだが、清冽な信仰心が通奏低音となっているがゆえに、えもいわれぬ歌となっているのではないだろうか。

遊びをせんとや生[う]まれけむ 戯[たはぶれ]れせんとや生[む]まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺[ゆ]るがるれ
 遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのであろうか。それとも戯れをしようとして生まれてきたのであろうか。無心に遊んでいる子どもたちの声を聞いていると、自分の体までが自然と動き出すように思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.293

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2017年9月 7日 (木)

文学界のち的発言集 ①島田雅彦氏、平野啓一郎氏、山中恒氏

記事のタイトルの「ち的」の「ち」に知、痴、どちらの漢字がしっくりくるか、ご自身でご判断ください。

島田雅彦氏のツイッターが最近、炎上したようだ。

2017年8月29日19時14分の島田氏のツイート

PAC3に116億、Jアラートに92億を払うより、金正恩に小遣いやって懐柔し、日本を射程から外してもらう方が安上がりで確実なミサイル防衛になったりして。ロシアや中国はそれくらいの裏技を使っているだろう。

Shimada_twitter_20170829

https://twitter.com/SdaMhiko/status/902716208599797760

島田雅彦氏は1961年生まれの小説家である。また、法政大学国際文化学部教授であり、2010年下半期より芥川賞選考委員を務めている。

イスラム過激派アイシルによる日本人拘束事件が起きたとき、日本政府はテロに屈しない方針を固めたのではなかったか。

芥川賞選考委員、大学教授という社会的地位にある、知的エリート、知識人と呼ばれるべき、それゆえに責任を帯びているはずの人間が甚だしく知性を欠いた、ヤクザの一味であるようなことを平気でのたまう。

島田氏は過去にも問題発言を行っている。

平野啓一郎氏のツイッターも、やはり最近炎上したようである。


Hirana_twitter20170830

https://twitter.com/hiranok/status/903046626234605569

「今月、首相が公邸に泊まったのは25、28両日のみ。いずれも翌早朝に北朝鮮がミサイルを発射しており、事前に兆候を察知していたとみられる。25日は夜の会合などを入れず、28日夜も公邸内で自民党役員らと会食したのみ。出席者の1人は『首相はあまり酒を飲まなかった』と話していた」という8月30日18時15分配信のニュース(時事通信)に対して、平野氏は「腐ってる。」とツイートした。

平野啓一郎氏は1975年生まれの小説家で、1998年『日蝕』で『新潮』デビュー。デビュー時には三島由紀夫の再来ともてはやされた。翌1999年には、『日蝕』で第120回芥川賞を最年少とされる23歳で受賞。

どうしてこうした人々は、北朝鮮がミサイルを飛ばすと、安倍首相の一挙一動、一言一句をにケチをつけ、攻撃しようとするのだろう?

北朝鮮の暴挙に対して、作家らしい抗議声明を出してもいいところを、そうした援護射撃どころか、寝首を掻こうとしているようにしか思えない。もし首相の行動に問題があると思うのなら(どこに問題があるのか、わたしにはわからない)、作家らしい文章で疑問を呈するべきだろう。

ああ恥ずかしい……

平野氏関連の過去記事は以下。

こうした人々が純文学界を占拠しているのだ。尤も、日本の純文学はもう虫の息だ……まだ息があるとは思うのだ、そう思いたい。

彼らがいっていることと同系統の発言を、 1931年生まれの児童文学作家――ウィキペディアを見ると、児童よみもの作家と呼ぶべきなのだろう――である山中恒氏の動画で聴き、衝撃を覚えた。

ウィキペディア「山中恒」より引用

「児童文学作家」と呼ばれることを好まず、「児童よみもの作家」と称している。理由はデビュー当時「児童文学者」を称した人々の純文学的な作風への反発に加え、戦争中に戦争協力的な作品を書いた当時の児童文学作家が、戦後あっさりと「民主」的な作風に乗り換えたことに対する反発もあるとされる。

ウィキペディアの執筆者. “山中恒”. ウィキペディア日本語版. 2017-02-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%81%92&oldid=62872532, (参照 2017-02-02).

以下の過去記事をきちんと書き直そうと思い、 児童文学界の重鎮と思われる山中恒氏の論文を再読し、講演動画を探したのだった。

山中恒氏のオンライン論文は以下のリンク先のページで公開されている。わが国の児童文学界について知ろうと思えば、これらの論文を読まずに済ませるわけにはいかないだろう。

課題図書の存立構造・抜粋(.htm版)/.txt版 初出『教育労働研究2』(1973・10社会評論社) 所収『児童読物よ、よみがえれ』(1979・10 晶文社)
課題図書の存立構造(全文)/.txt版 (山中恒)初出『教育労働研究2』(1973・10社会評論社) 所収『児童読物よ、よみがえれ』(1979・10 晶文社)

『子どもの本のねがい』(NHK出版協会 1974)
『児童読物よ、よみがえれ』(晶文社 1978)

http://www.hico.jp/ronnjya/08y/yamanakah.htm

課題図書の存立構造」を読むと、日本の児童文学界が共産系のおらが村になった経緯がわかる。ひじょうに参考になる論文だが、気になる点がいくつかあった。いずれ前掲過去記事を書き直すときにそれについても触れるつもりである。

衝撃を受けた動画というのは、2016年3月6日(日)、東京都町田市の町田市民文学館ことばらんどにて開催された山中恒講演会「子どもの本のねがい ―児童読物作家として」を収録したものである。

動画のUPL https://youtu.be/-JHsxTIen6k

動画の中で、山中氏は次のようなことをいっている。

いじめの国家的範囲に拡がっていくのが戦争だってこと考えていくとね、いじめっていうのは撲滅しなきゃいけないし、必ずいじめやったらね、しっぺ返しがくるんだってことをね、子供にも知って貰いたいし、今申し上げたようにね戦争っていうのは、一旦始まっちゃったらどうにもならないんですよ。

今になって北朝鮮や中国の悪口いうけどもね、どうしてアメリカの悪口いわないの?

「いじめの国家的範囲に拡がったのが戦争」という幼稚な考えかたには、心底驚かされた。子供の時の戦争体験が強烈すぎて、また栄養不足などもあり、脳の発達がそこで止まってしまったのではないだろうか、と真剣に考えてしまった。

「今になって北朝鮮や中国の悪口いうけどもね、どうしてアメリカの悪口いわないの?」というのは講演の中に出てくるもので、子供の言葉ではない。

北朝鮮や中国が日本の脅威になった今だからこそ、北朝鮮、中国の批判をするのではないのだろうか。

共産主義者以外の人間はアメリカの批判をしないというのは認識不足だと思うが、普通の日本人であれば、アメリカが同盟国であることを認識している。それに対して、中国、北朝鮮のミサイルは現に日本に向いているのだ。

危機管理意識がいわせる批判であって、悪口などという生易しいレベルのことではないはずだ。戦争の恐ろしさを知っていると講演でアピールしている人間が日本の危機的状況下でこちらにミサイルを向けている相手を見ず、自国のみ凝視しているのが異常である。

この人は戦時中子供であったために、戦争下の特殊な状況に置かれていた日本――戦時下ではどの国もそうである――がずっと昔から、そして敗戦後もずっとそのような日本であるような妄想を抱いているのではないだろうか。

子供が不都合なこと、理不尽なことは全て親のせいだと思うような、何か痛々しいところさえある。その親の代表、シンボリックな父親が安倍首相というわけなのだろう。

とにかく、日本が危機的状況にあることは間違いない。以下の本はおすすめ。スイス人の危機管理能力は凄い。この本を読めば、日本人がどんなに無防備であるかがよくわかる。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる
原書房編集部 (翻訳)
単行本: 320ページ
出版社: 原書房; 新装版 (2003/7/7)
ISBN-10: 4562036672
ISBN-13: 978-4562036677

アマゾンの商品説明から引用させていただく。

商品の説明
内容紹介
本書はスイス政府がその住民と国土を戦争・災害から守るためのマニュアルとして、全国の各家庭に一冊ずつ配ったものの翻訳である。官民それぞれが平時から準備すべき事柄が簡潔に具体的にまとめられ非常に参考になる。この1冊で、戦争や災害などの、想定されるさまざまな局面と状況に対応できる!


【内容目次】

平和

われわれは危険な状態にあるのだろうか
深く考えてみると
祖国
国の自由と国民それぞれの自由
国家がうまく機能するために
良心の自由
理想と現実
受諾できない解決方法
自由に決定すること
将来のことはわからない
全面戦争には全面防衛を
国土の防衛と女性
予備品の保存
民間防災の組織
避難所
民間防災体制における連絡
警報部隊
核兵器
生物兵器
化学兵器
堰堤の破壊
緊急持ち出し品
被災者の救援
消化活動
救助活動
救護班と応急手当
心理的な国土防衛

戦争の危険

燃料の統制、配給
民間防災合同演習
心理的な国土防衛
食料の割当、配給
地域防衛隊と軍事経済
軍隊の部分的動員
全面動員
連邦内閣に与えられた大権
徴発
沈黙すべきことを知る
民間自警団の配備
妨害工作とスパイ
死刑
配給
頑張ること
原爆による隣国の脅迫
放射能に対する防護
被監禁者と亡命者
危険が差し迫っている
警戒を倍加せよ
防衛

戦争

奇襲
国防軍と民間防災組織の活動開始
戦時国際法
最後まで頑張る
用心
戦いか、死か

戦争のもう一つの様相

敵は同調者を求めている
外国の宣伝の力
経済的戦争

革命闘争の道具
革命闘争の目標
破壊活動
政治生活の混乱
テロ・クーデター・外国の介入

レジスタンス(抵抗活動)

抵抗の権利
占領
抵抗活動の組織化
消極的抵抗
人々の権利
無益な怒り
宣伝と精神的抵抗
解放のための秘密の戦い
解放のための公然たる闘い
解放

知識のしおり

避難所の装備
医療衛生用品
救急用カバン
2週間分の必要物資
2ヶ月分の必要物資
だれが協力するか? どこで?

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