カテゴリー「文学 №2(自作関連)」の612件の記事

2018年4月11日 (水)

歴史短編1のために #35 冷泉家の乞巧奠 (七夕祭)

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした次のエッセーで、藤原俊成、その子・定家、俊成の孫・藤原俊成女に言及した。

78 祐徳稲荷神社参詣記 ➄扇面和歌から明らかになる宗教観
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/01/18/174234

萬子媛をモデルとした第二稿が滞っている。結婚前の萬子媛を描写しようとしても、公家のお姫様の暮らしぶりというのがうまく想像できず、それが一番の障壁となっていた。

例えば、御遺物の中に貝合わせ、貝櫃(貝合わせを入れる箱)があって、萬子媛も貝合わせという遊びをなさることもあったのだろうと思ったが、その情景が具体的なものとして浮かんでこなかった。

四季折々の行事。それは公家にとっては仕事、任務であったと知識ではわかっていても、やはり具体的な情景が浮かんでこなかった。

そうしたところへ、深夜BSプレミアムで「京都 冷泉家の八百年」(初回放送:2003年)が放送されていた。冷泉家は、藤原俊成、藤原定家の流れを汲む家系である。

[BSプレミアム]
2018年4月11日(水) 午前0:45~午前2:26 [火曜深夜](101分)
京都 冷泉家の八百年~和歌の心、日本の美を守り伝えて~(初回放送:2003年)
鎌倉時代に始まる公家で、歌道の伝承者でもある冷泉(れいぜい)家。現存する唯一の公家屋敷の中の雅な日々を1年間に渡って記録した。

歌の家・冷泉家に今に伝えられる古式ゆかしい四季折々の行事がドキュメンタリータッチで紹介されていた。

気づいたときにはすでに始まっていたため(慌てて録画した)、いくらか見損なったのが残念であったけれど、貝合わせなどの場面もあって参考になった。

旧暦7月7日に行われる七夕の行事「乞巧奠[きっこうでん〕」が圧巻だった。こうした行事は、冷泉家が運営する財団の予算で行われるという。

南庭に、彦星、織姫に供える祭壇「星の座」が設けられ、織姫に捧げる五色の布と糸、星を映して見るための角盥〔つのだらい〕、琵琶、琴、秋草、海の幸・山の幸などが配置された。

襖や障子は外され、部屋と庭が一つとなる。日が落ちるころ、雅楽が奏でられ、祭壇の灯明が灯される。そして、夜のとばりが下りたなかで、星に和歌が捧げられるのだ。

そのあと、遊興の座「当座式(流れの座)」が設けられる。座敷に天の川に見立てた白布を敷き、それを挟んで狩衣・袿袴姿の男女が向かい合って座る。男女は即興で恋の歌を交わし合う。

冷泉家には、初雪を藤原俊成の木像に供える慣わしがあるという。91歳で亡くなるときに、俊成は高熱にうなされた。息子の定家が氷室に人をやり、雪を持ってこさせた。その雪を「ああ、おいしい」と喜んで食べ、亡くなった。明月記にそのように書いてあるそうだ。

俊成の木像は生々しい表情で、まるで生きているみたいにわたしには見えた。子孫の行く末を案じて「春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ」という歌を詠んだ俊成。

子孫の行く末というのが、歌の行く末であるのだと、木像の俊成のお顔を見てわかった。

萬子媛をモデルとした小説から離れすぎると、優しく呼び戻される気がする。

ヤコブ・ベーメの本を夜中読んでいたせいで、眠い。アバター&インターポットのキラポチ、数学のお勉強が眠すぎてできないかも。

|

2018年4月 7日 (土)

時間がまるで足りない

「トルストイ『戦争と平和』… 3」を神秘主義エッセーブログにアップしようとして、それはだいたい当ブログにアップした記事のままでいいと思っていたのだが、改めてじっくり読み直すと、これだはだめだとの感じがしきりとし出した。これはやはり、加筆する必要がある。

それというのも、2 で引用させていただいた論文の中で、バラ十字とフリーメーソンの関わりが出ていた。

1970年刊行の新潮社版トルストイ『戦争と平和』を注意深く読むと、主人公がフリーメーソンとなるきっかけをつくるフリーメーソンの長老について、このフリーメーソンである長老が「ノヴィコフの時代からの有名なフリーメーソンの会員で、マルチニストの一人であった」と書かれている。

本文の中で手がかりといえば、この箇所だけだが、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)にノヴィコフとマルチネス派についての記述があるので、これを手がかりにもっと調べて、この点について到達できるところまでは到達したい。

マルチネス派は、マルティネス・ド・パスカーリ(1717-1774)とその弟子ルイ・クロード・ド・サンマルタン(1743-1803)の思想をさすが、のちにはサン・マルタンの思想を指すようになったという。

サン・マルタンはバラ十字の祖の一人であるそうで、サン・マルタンといえば、バルザックである。バラ十字であったとされるヤコブ・ベーメの本を取り出して読んでみると、この本の読みづらさの大きな部分が翻訳の問題にある――というより、日本語とドイツ語の違いにあるとわかった。

この本をいくらかは読み、人文書院版ホールの『カバラと薔薇十字団』を読み、なんてやっていると、ああもう、いくら時間があっても足りない。ブラヴァツキーの神智学の本にも出ているので、それも。まるでジャングルに踏み込むかのようだ。

|

2018年4月 6日 (金)

トルストイ『戦争と平和』… 2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

………………………………

エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

………………………………

2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

目から鱗のオンライン論文に出合った。

『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン
著者: 笠間, 啓治
発行日: 1995年
出版者: 北海道大学スラブ研究センター
誌名: スラヴ研究(Slavic Studies)
, 42: 41-59
URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

この論文によると、『戦争と平和』は1805年から1812年の歴史的動乱に生きたロシア・インテリゲンチャの精神的苦悩と魂の遍歴をテーマにしている。主人公ピエールは煩悶から抜け出す第一歩をフリーメーソンとしての活動に見い出し、フリーメーソンの中で精神的な成長を遂げる。

そして、「19世紀初頭のロシアはフリーメイスンの活動のもっとも盛んな時期に当っていた。この時期のロシアを描写するには、フリーメイスンの要素を抜きにしては考えられない」という。

しかも、このロシア・フリーメーソンとは、ドイツからもたらされた中世神秘思想ローゼンクロイツェル系だというのである。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz、 1378-1484)はバラ十字団の創立者とされる伝説的人物だが、ローゼンクロイツェルというのはクリスチャン・ローゼンクロイツのことで、バラ十字系ということだろうか。

中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と論文には書かれている。

ピエールが魅了され、フリーメーソンになるきっかけとなった老人が出てくる。読みながらわたしも思わず魅了されたその老人は、ロシアが19世紀初頭のフリーメーソンの再興期を迎えたとき、ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた人物であるという。

『戦争と平和』に登場する人物は多いが、主要人物にはこのようにモデルがいて、その人々がフリーメーソンであったというのだから、驚かされる。

この当時のロシアにおいては、フリーメイスンであることはけっして秘密事項ではなかった。フリーメイスンの集会での議事録や出席者の名簿は、当局に報告するのが慣例になっていた」が、王政打倒を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたために当局が警戒感から目を光らせるようになり、1822年に禁止令が公布されることになったのだった。

論文には、禁止令の施行後も「フリーメイスンたちの純粋の理論的討議は一部の人たちによって続けられていた」とあるので、イルミナティの革命思想の影響も禁止令の影響も受けなかったフリーメーソンはロシアに存在し続けたということだろうか。

28歳のときにイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトは、バイエルン選帝侯領インゴルシュタットの出身である。バイエルン選帝侯領とは、神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身である。現ドイツ・バイエルン州の一部に当る。カトリックのイエズス会の家系に生まれた。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だった。教会法はカノン法ともいわれる、カトリック教会が定めた法である。ヴァイスハウプトは教会法を教授する神学者であったにも拘わらず、反カトリックであった。1776年には啓蒙主義的なサークルを作り、サークルはのちにイルミナティと名称を改めた。

ウィキペディア「イルミナティ」には、「1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。ヴァイスハウプトはミュンヘンでフリーメイソンと出会い、共感するところがあったためにフリーメイソンリーに入会した」*1とある。

だとすると、イルミナティとフリーメーソンは全く別の組織だが、バイエルンでイルミナティをつくったヴァイスハウプトがフリーメーソンになったことでその影響がフリーメーソンに及び、フリーメーソンでありながらイルミナティにも入る者が出てきたということになる。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の「はじめに」には、次のようなことが書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、フリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし「両者の意図と目的は一致しない」となった。このことをルートヴィヒ・クリスティアン・フォン・グロルマン〔1741-1809、ギーセンの法学者〕という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍[あまね]く浸透しており、至るところで活動していると見られていた。

この文章からは、イルミナティがどのようにしてフリーメーソンを侵食していったかの様子がわかるだけでなく、本来のフリーメーソンは宗教――それはキリスト教のようだが――と親和関係にあったことがわかる。

そして、イルミナティは禁止されたが、まるで強力な伝染病か何かのような世界的拡がりを見せていたようである。「禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた」とも、「はじめに」には書かれている。

前掲書『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』は、25冊のヴァイスハウプトの著作中9番目に書かれ(このとき、ヴァイスハウプトは38歳である)、彼の全著作中唯一邦訳された著作である。1787年に上梓された『イルミナティの新システム――全位階と装置の詳説――』を抄訳し、再編集したものだという。

この邦訳版は「秘密結社の組織論」を付録とした4章で構成されているのだが、4章は「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」というタイトルの下に、神秘主義が全否定されている。論拠薄弱なので(この内容に関してはこのあと見ていきたい)、わたしには単なるこきおろしとしか読めなかった。

ヴァイスハウプトはこのような反神秘主義でありながら、神秘主義の性格を持つフリーメーソンになったわけである。

ヴァイスハウプトの思想がどのようなものであれ、反カトリックでありながら――次第にそうなったのかもしれないが――教会法の教授を務め、反神秘主義でありながらフリーメーソンになるという不穏分子的性格が彼にあることは確かである。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』によると、バイエルン選帝侯が1784年6月22日にミュンヘンでイルミナティに出した禁令には、犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまで定められていたという。

ところが、ヴァイスハウプトはリベラルな公爵エルンスト2世の下に逃れ、ザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯年金を得て恵まれた82歳の生涯を終えたらしい。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』の「はじめに」に、ヴァイスハウプトの次のような言葉が紹介されている。

そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fürst)と国家を不必要とする。そうでなければ何のためなのか。

短絡的な結論づけはヴァイスハウプトの文章の特徴である。

いずれにせよ、反王政で、既存の国家政府を否定する思想の持ち主でありながら、宮中顧問官になってぬくぬくと生涯を終えたヴァイスハウプト……これを二枚舌、ご都合主義、二重基準、ダブルスタンダードといわずに、何といおう?

アダム・ヴァイスハウプトの行動にも思想にもこうしたダブルスタンダードが潜んでいて、それが人を狂わせる、最も危険な要素であるとわたしには思われる。狂った人々によって、組織が国家が狂うこともありえるのだ。

アグニ・ヨガの教えを伝達したエレナ・レーリッヒ(1879-1955)は、神智学協会を創立したブラヴァツキーの後継者といわれる人だが、エレナ・レーリッヒ(アグニ・ヨガ協会編、ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(竜王文庫、2012校正版)*2には、その後のフリーメーソンがどうなっていったかを物語る記述がある。ブラヴァツキーもエレナ・レーリッヒもロシア人である。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。*3…

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。*4…

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害なフリーメーソンの支部というのは、イルミナティに乗っ取られた支部の姿だろうか。何しろイルミナティは、1822年の帝政ロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

尤も、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、その原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソン結社が政治を目的とした組織ではないということ、またフリーメーソンは支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はそれまでに書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、マンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。


*1:ウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2018-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=67669253, (参照 2018-03-11).

*2:「至上我の光」500号(平成10年5月号)~527号(平成12年7月号)に渡って掲載されたものをその順に編集したもの。原本はⅠ、Ⅱの2巻本。

*3:レーリッヒ,クラーク訳,2012,p.73

*4:レーリッヒ,クラーク訳,2012,pp.126-127

|

トルストイ『戦争と平和』… 1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

………………………………………………………………

フリーメーソン結社を侵食し、マルクス主義やテロ組織に影響を及ぼしたとされるアダム・ヴァイスハウプトの思想については、既にエッセー「イルミナティ用語としての『市民』」において、いくらか考察済みである。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)によると、イルミナティ(Illuminatenorden イルミナーテンオルデン)は、1776年にインゴルシュタットの町(現在の南ドイツ、バイエルン州の州都ミュンヘンから北に100キロメートルくらい行ったところにある都市)でアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt,1748 - 1830)によって創立された。イルミナティは1784年、バイエルン公国の禁令で表面上は壊滅した。

が、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)を参考にすれば、そのときには既にフリーメーソン結社を侵食していたばかりか、イルミナティの原理原則はマルクス主義やテロ組織に取り入れられたようである。

前掲エッセーで公開を約束したエッセーが当エッセーで、ロシアのバラ十字系フリーメーソン結社がイルミナティに侵食される過程を克明に描いたレフ・トルストイ『戦争と平和』に関するものである。

ロシアの文豪トルストイを知らない人はあまりいないだろうが、ウィキペディア「レフ・トルストイ」から冒頭を次に引用しておく。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой[ヘルプ/ファイル], ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる
*1

………………………………

エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

………………………………

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

トルストイの代表作『戦争と平和』は、1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知』に発表された長編歴史小説である。

この作品をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで2016年9月1日に放送された。

録画しておき、3日に分けて観た。つけっぱなしにしがちな国会中継を除けば、わたしは普段テレビは観ても15分から1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理なのだった。

この映画は過去にも放送されているが、断片的にしか見ていなかった。

NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。

オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエール、メル・ファーラーのアンドレイ。メル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまった(何て、そっくりなのだろう!)

『風と共に去りぬ』は、1936年に上梓されたマーガレット・ミッチェルの同名(Gone With the Wind)の長編時代小説を映画化したものなのだが、セットも似ている気がして、『戦争と平和』がちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使ったとは考えにくい。1939年というと、昭和14年である。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは呆れてしまう。

ヘプバーンの『戦争と平和』は如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

新潮社の『戦争と平和』と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになったのだ。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)が気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さである。

こちらも、テレビで放映されたものを観た記憶があった。テレビ初放映は1974年、日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

「最近」ソ連版を見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に観ていたからに違いない。

こちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーン)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できなかった。

また、時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗く(舞踏会の場面もそうなのだ)、幻想的で美しいとはいえ、わかりづらい。

ハリウッド版もソ連版も、最後の方はドタバタ終わってしまっていた気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

魅力的なのは、ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面で、ソ連版では圧巻だった。

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても南北戦争に見えてしまう。映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国だ。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだと思う。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画ですら敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないのではないだろうか。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の中の一場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が次のような会話を交わす。

… ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
*2…

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入した……。

『ぼくらの出帆』にあるように、第二次大戦で1945年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告し、日本の降伏後も侵攻してきて野蛮そのものの振る舞いをした兵隊は、ロシア皇帝の兵隊ではなかった。普通の百姓からなる兵隊でもなかった。マルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとするヨシフ・スターリンの兵隊だったのである。

そういえば、どちらの映画にも出てこなかったが、トルストイの歴史小説『戦争と平和』ではフリーメーソンが長々と描写されていることを御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソン結社での入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

著者のトルストイがフリーメーソンだったかどうかは、はっきりしない。当時のロシア政府が入会を禁止していたからである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかはともかく、禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。尤も、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深く影響を及ぼしていることは確かである。

ピエールがフリーメーソンの思想に距離を置こうとする場面は出てくるのだが、その後も小説の終わる間際まで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面などが出てくるのである。

秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

その一方で、トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行っただけとも考えられるし、一時期フリーメーソンになったことがあったということもありそうだ。


*1:ウィキペディアの執筆者. “レフ・トルストイ”. ウィキペディア日本語版. 2018-02-08. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4&oldid=67280698, (参照 2018-02-08).

*2:那須田,1993,pp.75-76

|

2018年3月17日 (土)

最近の創作状況

数日前に、オンライン論文、杉本良男「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005966>(2018年3月17日アクセス)を閲覧したので、以下の過去記事の内容と合わせて、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたいと考えている。

2018年3月 9日 (金)
杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/03/post-bba5.html

最近読んだトンケの児童小説、読んでいる途中のバルザックの歴史小説(あまりの面白さに興奮させられる)についても書きたいが、その時間がとれるかどうか。もういくら何でも萬子媛の小説に入らなくてはならないから。

|

2018年2月24日 (土)

21日に還暦の贈り物。バルザック『リュジェリーの秘密』(春風社)と、久々のインスピレーション。

亀記事ですし(数学の問題集とバルザックの小説に熱中して、アッという間に時間が経ってしまいました)、自分のための覚書になりますが、2月21日に60歳の誕生日を迎え、家族と妹から還暦のお祝いに心のこもった贈り物を貰いました。

息子が贈ってくれたポールスミスのハンドバッグは、わたしがここ数年「こんなハンドバックがほしいなあ」と想い描いていたようなもので、驚きました。使いやすそうで、カッコよくて。娘とデパートの店員さんのアドバイスがあったと知り、ああそれで……と納得しました。

小さなカードの文面に「今後も文芸、学究を深めますよう」とあり、ありがたくて感涙。

住居問題がようやく片付きそうですが、これも息子のお陰なのです。息子は仕事柄出張が多く、夜はベルギーとの間で行われるWeb会議などあって、多忙そうです。

子供たちのためにも、気を引き締めてよい老後にしなくてはと思っています。

娘は色々なものを贈ってくれ、その一つは花束で、マゼンダ、紫、薄ピンク、白の花々を使って、華やかながら落ち着きのある女性をイメージさせるようなものに仕上げられています。そのような女性になりたいものです!

また、贈り物の中には本もあり、その本ではバルザックのカトリーヌ・メディシスを題材にした作品がメインとなっています。

バルザック王国の裏庭から――『リュジェリーの秘密』と他の作品集
宇多直久 (著, 翻訳)
出版社: 春風社 (2017/4/14)
ISBN-10: 4861105447
ISBN-13: 978-4861105449

この宇多直久による新訳『リュジェリーの秘密』は、東京創元社・昭和50年初版の『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』に収録されている四編の作品のうちの一編と同じものです。

バルザック全集 23
バルザック (著),‎ 渡辺 一夫 (翻訳)
出版社: 東京創元社 (1975/01)
ISBN-10: 4488019234
ISBN-13: 978-4488019235

『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』は序章、第一部 カルヴァン派の殉教者、第二部 リュグジエリ兄弟の告白、第三部 二つの夢――と四つの部分から構成されており、これらは別個の作品が原題『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究 Etudes philosophiques sur Catherine de Medicis 』に収められたものだということです。

『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』は『ルイ・ランベール』や『絶対の探求』と共にバルザックの大構想からなる La Comédie humaine に属する「哲学的研究」の一部を占めています。

解説に「『序章』は、現在の日本の一般読者にとって、非常に難解ではないかと思っている」とあるように、わたしにも難解で、積読になってしまっていました。

ところが、娘が贈ってくれた本では『リュジェリーの秘密』(前掲書『バルザック全集 23』では「第二部 リュグジエリ兄弟の告白」に当ります)を核として、関連するバルザックの小品、手紙類、エッセーなどが収められており、『リュジェリーの秘密』が嫌でも目に入る構成となっています。この作品は読みやすいです。

前掲書『バルザック全集 23』の解説に戻ると、『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』について、次のように書かれています。

バルザックの『カトリーヌ・ド・メディシス』は、同じ種類の歴史小説や歴史劇のなかに伍しても些も見劣りがしないし、更に、他の作品が作者の叙情を核としている場合が多いのに対して、作者バルザックの「史観」或いは「歴史哲学」とでもいうべきものを軸としている点で、異色があり、バルザックがこの作品に『哲学研究』という名を冠しているのも、故なしとしない。(バルザック全集 23 、9~10頁)

ここを再読したとき、久しぶりにわたしに、稲妻がひらめくようにインスピレーションが訪れました。

そうだ、わたしが書きたいのはいわゆる大衆受けするお茶の間劇場的な歴史小説(実は現代的視点で書かれているという点で、歴史に舞台を借りただけの現代小説)ではなく、バルザックが書いたような歴史の核を形成する宗教・哲学的な部分を照射した歴史哲学小説なのだと思いました。

大それた望みだとは思いますが、わたしが本当に書きたいのはこれに尽きます。

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が進まなかったのは、取材の成果が間を置いて、少しずつ表れたということもありますが、何をどう書くかについて、葛藤があったからでした。もう5年もこの小説のことで悶々としてきたのでした。

それでも投げ出したいとは決して思いません。

バルザックの小説が見事なのは一般読者――一般読者といっても、バルザックの小説を当時愛読したのは貴族、ブルジョア、知識人層でしょうが――受けする要素も抜かりなく織り込まれているという点です。

『リュジェリーの秘密』については、また改めて書くことになるだろうと思います。

そういえば、久々にアマゾンのリポートを見たところ、このところ日本とアメリカで本が4冊売れ、誕生日に拙児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードして読んでくださった方があったようで、嬉しいです。ありがとうございます。

|

2018年2月 5日 (月)

歴史短編1のために #34 鹿島鍋島家の御殿医

萬子媛をモデルとした小説のためのノートというよりは個人的な覚書なのだが、鹿島鍋島家に関する事柄が入っているので、ノートに加えることにした。

亡き母の友人で、現在は博多にお住いのキクヨさんから年に一、二度電話がある。

83歳の高齢で、ここ数年、腰痛やパーキンソン病による歩行の不自由などがあり、お体がつらそうだ。

キクヨさんは鹿島鍋島藩の御殿医の家系の人で、萬子媛をモデルとした小説の第一稿を「あなた、面白かったわよ! 三回読んじゃった」といってくださった貴重な読者だ。

2016年5月 9日 (月)
御殿医の子孫から聞いた萬子媛の歴史短編の感想
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/05/post-7a1a.html

小説をこのままでいいとは思っていないが、もしこれを大衆向きの歴史小説にしたら、キクヨさんも、キクヨさんと同じように作品を喜んでくれた人々も離れて行ってしまうに違いない。

「小説はどうなった?」と気がかりそうなお声。「第二稿に入るところです」といった。

自分の書いたこの小説を通し、わたしはキクヨさんと年齢を越えて――おこがましいかもしれないけれど――本当の友人になれた気がする。

まず、以前と比較して、ナイーヴそのもののお声が違う。それまではガードのようなもの、警戒心のようなものが感じられた。わたしという人間の正体がもう一つわからず、気が許せないという風に感じられていた。

ところが、下書きに近い代物であるにも拘わらず、第一稿の小説を内容的に受け容れ、共感を寄せてくださったことを感じ、神秘主義的な表現をも快く捉えてくださったことがわかった。その一点といっていいかもしれない。わたしが他人との絆を感じられるのは。

職業作家にはなれなくとも、創作を続けてきてよかった。本当に。

わたしはキクヨさんが我が家に手製のプリンや抜群に美味しい煮物を持って遊びに来られていたころから、キクヨさんと友人になりたいと思っていた。キクヨさんは勿論、母を訪ねて見えていたのだった。

キクヨさんは父親を亡くしたあと、母親に仕え、親戚のために心を砕き、長く独身だった。中年になってから、博多にお住いの大学教授のところへお嫁に行かれた。

数年後にご主人が亡くなり、しばらくはひとり暮らしを続けて血のつながらない孫の面倒を楽しそうに見たりなさっていたが、やがて身辺を整理してホームに入られた。

見かけは普通のおばさんだったが、わたしはキクヨさんの秘められた知性に、子供のころから敏感に気づいていた。人知れず冷たく光っている宝石のような孤独や、持って生まれた類まれな純粋さにも気づいていた。

でも、わたしはキクヨさんの堅いガードを解けず、友人にはしていただけなかった。ずっと、そうだった。馬鹿なことをしてはよく注意され、プライドに障ることをいってしまってはしっぺ返しを食らうことなどあって、わたしには手強い人だった。それでも、キクヨさんが大好きだった。だから、母が亡くなった後も連絡を取り続けた。

昨年、わたしは中学時代からの友人2人と別れた。友人として純粋に愛されているとは思えないところが決定的になったからだった。その代わりに、古くから知ってはいたが、友人とはいえなかった人と友人になれたのだった。

萬子媛は長生きされたが、お子さんがたを亡くしたあとで病気になられたようだ。上のお子さんを看取り(下のお子さんは鍋島光茂公に仕えて佐賀に住んでいた21歳のときに亡くなり、急死だった)、萬子媛を診察し治療したのはキクヨさんの御先祖様だったに違いない。

「トンさん(殿様)」と呼ばれた鍋島直紹公が健在だったころのお話だったと思うが、そのころまでは鹿島鍋島家の集まりが催されていて、御殿医の子孫のやはり医師だったキクヨさんの叔父様が紋付羽織袴で出席なさっていたという。

昨年、祐徳博物館に、佐賀錦のお守り袋を寄贈したとおっしゃった。「あまりに綺麗なので」とキクヨさん。直紹公の御祖母様のものだった、とおっしゃったかな。あまりに長電話で、鹿島鍋島家の話がいろいろと出てきたものだから、わからなくなってしまった。祐徳博物館に行ったときに拝見しよう。

鹿島鍋島家の菩提寺である普明寺を見学した話をキクヨさんにすると、わたしには荒れ果てているように見えたけれど、奉仕活動で定期的に清掃されているそうだ。キクヨさんの叔父様は年に二回は必ずお墓参りに普明寺に出かけられたという。普明寺にあるのは、キクヨさんの御先祖様が代々治療を施し、看取った方々のお墓だ。

|

2018年2月 2日 (金)

『卑弥呼…』『気まぐれに…』『村上春樹と近年の…』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

昨年の10月5日で、ご報告がとまっていました。まとめてご報告します。

前回に続いてアメリカのキンドルストアで『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)を昨年の11月19日ごろ、お買い上げいただきました。ありがどうございます! 7冊目のお買い上げでした。

日本のキンドルストアで『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を昨年の12月20日ごろ、お買い上げいただきました。ありがとうございます! 17冊目のお買い上げでした。

ブラジルのキンドルストアで昨年の11月29日ごろ、アメリカのキンドルストアで昨年の12日13日、今年の1月20日、1月28日ごろ、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただきました。ありがとうございます! 

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで76冊お買い上げいただいたことになります。

  • ブラジル……1冊
  • カナダ……1冊
  • 日本……34冊
  • アメリカ……31冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。わたしの電子著書一覧を御覧いただけます。

直塚万季のページ

|

2017年12月23日 (土)

電子書籍、及び中断している連載小説について

電子書籍のブームが去り、エンター系の皆さんに教わってセルフパブリッシングを始め、無料キャンペーンを頻繁に行って盛り上がっていたわたしだったが、停滞気味だった。

無料キャンペーンでは、純文学小説なども1冊につき300近くダウンロードしていただいたことを思い出す。キャンペーンの効果で有料本も売れた。

無料キャンペーンを続けるには、新刊を次々に出さなくてはあまり意味がない。ところが電子書籍の作成には時間がかかる。その間は新しい作品が書けない。

ジレンマの中で、電子書籍の作成をしばらく休んで創作に没頭することにしたのだった。

昨年の6月に『結婚という不可逆的な現象』を出してから新刊を出していないということもあるだろうが、コンスタントに毎月売れていたわたしの電子書籍は夏から秋にかけて閑古鳥が鳴いていた。

10月5日にようやく1冊売れた。続いてまた1冊売れたと思ったら、これは払戻し(不注意か意図的なものかはわからなかったが、過去に明らかに意図的と感じられたケースがあり、アマゾンにメールしたことがあった)。

その後、それまでは毎日確認していた販売データを見に行くのが億劫になり、先月は忘却の彼方。

今日になってふと思い出し、「どうせ売れていないだろう」と思い、確認してみると、何と売れていた。11月にアメリカとブラジルで。今月もアメリカと日本で。

わたしにとっては子供のような電子書籍。放置はいけないと反省した。

萬子媛をモデルとした歴史小説を電子書籍化するまでは他の作品の電子書籍化は無理かもしれないが、あいだで、エッセー集と児童小説を1冊ずつ出せたらと考えている。

アマゾンキンドルの拙著者ページはこちら

それから、2016年10月に始めた拙ブログ「マダムNの連載小説」が止まっている。

実際に起きた事件に触発されて昔書いた小説(あくまで触発されただけで、作品は完全なフィクション)があるのだが、ワープロで感熱紙に印字した原稿しかなかったため、作品の保存のためにブログ連載後に電子書籍化する予定で連載を始めたものだった。

加筆しながら連載していたのだが、更新するのがもう何だか苦しくなってしまったのだった。今のわたしには書けないと思うと、一層保存しておきたいとは思うのだが、苦しい。続けられるときに続けていこうと思う。

続けて読んでくださっていた方が数人おられたようなので、まことに申し訳ない。更新したときは当ブログでもお知らせします。

その小説「地味な人」のインデックスページはこちら

|

2017年12月11日 (月)

下調べに終わった萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿、しかし収穫は大きい

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿は、下調べで終わった今年でした。

しかし、収穫は大きかったように思います。

現代感覚で、当時の人々の信仰心というものを考えていたときは何も見えてきませんでしたが、取材や史料漁り、また自身の神秘主義的な感性を通して見た世界は、現代感覚で描かれた歴史小説の世界とは別世界といえました。

萬子媛は文化形成に携わる専門家の家系――公家――の出ですが、当時の公家が経済的に困窮し、活躍の場のなさといった問題点を抱えていたとしても(以下の過去記事参照)、その役割の重要さや意識の高さには見るべきものがあると思います。

初の歴史小説 (39)後陽成天皇の憂鬱 ②猪熊事件の背景にある公家の境遇    
http://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/39-ea87.html

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノートからエッセーにまとめたものを公開しています(無造作なまとめかたではありますが)。

祐徳稲荷神社の創建者、鹿島藩主鍋島直朝公夫人萬子媛に興味のあるかたは、のぞいてみてください。

神秘主義的な捉え方を基調としたエッセーですが、わたしは宗教とは本来このようなものだと思っています。萬子媛について調べる過程で、その確信が強まりました。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/10/210502

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

72 祐徳稲荷神社参詣記(複数の取材) ③2017年6月8日
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710

74 祐徳稲荷参詣記 ④神仏習合
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/09/18/194428

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Livly | Notes:アストリッド・リンドグレーン | Notes:アントニオ・タブッキ | Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | Notes:不思議な接着剤 | Notes:卑弥呼 | Notes:国会中継 | Notes:夏目漱石 | Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) | Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) | Notes:源氏物語 | Notes:百年文庫(ポプラ社) | Theosophy(神智学) | top page | ◆マダムNの電子書籍一覧 | ◇高校生の読書感想文におすすめの本 | ★シネマ・インデックス | ★マダムNの文芸作品一覧 | ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 | ☆☆紹介記事 | ☆マダムNのサイト総合案内 | ☆メールフォーム | おすすめKindle本 | おすすめYouTube | おすすめサイト | お出かけ | お知らせ | ぬいぐるみ・人形 | やきもの | よみさんの3D作品 | アクセス解析 | アニメ・コミック | アバター | イベント・行事 | イングリット・フジコ・ヘミング | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 | エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 | エッセー「宇佐神宮にて」 | エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 | エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 | エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 | エッセー「百年前の子供たち」 | エッセー「精神安定剤」の思い出」 | エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 | オペラ・バレエ・コンサート | オルハン・パムク | カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) | ガブリエラ・ミストラル | クッキング | グルメ | コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 | シネマ | シモーヌ・ヴェイユ | ショッピング | テレビ | ニュース | ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 | バルザック | パソコン・インターネット | マダムNのYouTube | マダムNの他サイト情報 | マリア・テレジア | メモ帳Ⅰ | メモ帳Ⅱ | ライナー・マリア・リルケ | 俳句 | 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) | 健康 №2(体調)  | 健康 №3(受診) | 健康 №4(入院) | 健康 №5(お役立ち情報etc) | 健康 №6(ダイエット) | 健康 №7(ジェネリック問題) | 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) | 健康№8(携帯型心電計) | 児童文学 | 児童文学作品「すみれ色の帽子」 | 写真集「秋芳洞」 | 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 占星術・タロット | 友人の詩/行織沢子小詩集 | 地域 | | 夫の定年 | 季節 | 家庭での出来事 | 山岸凉子 | 思想 | 恩田陸の怪しい手法オマージュ | 息子の就活 | 息子関連 | 手記「枕許からのレポート」 | 文化・芸術 | 文学 №1(総合・研究)  | 文学 №2(自作関連) | 日記・コラム・つぶやき | 時事・世相 | 書籍・雑誌 | 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) | 村上春樹 | 村上春樹現象の深層 | 東京旅行2012年 | 植物あるいは動物 | 検索ワードに反応してみました | 歴史 | 瀕死の児童文学界 | 父の問題 | 珈琲 | 神戸旅行2015 | 神秘主義 | 福島第一原発関連 | 科学 | 経済・政治・国際 | 美術 | 能楽 | 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 | 自作短編童話「風の女王」 | 自作童話「不思議な接着剤」 | 芥川賞・直木賞 | 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 | 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 | 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 | 評論・文学論 | | 連載小説「地味な人」 | 電子書籍 | 音楽