カテゴリー「文学 №2(自作関連)」の627件の記事

2018年8月18日 (土)

Kindle版児童小説『すみれ色の帽子』『田中さんちにやってきたペガサス』をお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』(ASIN:B00BEMD5ZK)を8月10日ごろ、『すみれ色の帽子』(ASIN:B00FB4K0X2)を8月11日ごろ、KENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただきました。

『田中さんちにやってきたペガサス』をKENPCでお読みいただいたのは今回で9回、お買い上げいただいたのは8冊です。

『すみれ色の帽子』ををKENPCでお読みいただいたのは今回で10回、お買い上げいただいたのは8冊です。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

田中さんちにやってきたペガサス(中編児童小説です)

すみれ色の帽子(日記体児童小説です)

以下は、99円の短編児童小説です。サンプルをダウンロードできます。

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

花の女王

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

以下はシリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。サンプルをダウンロードできます。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。管理人の電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

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2018年8月10日 (金)

8月2日ごろ評論『村上春樹と近年のノーベル…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

8月12日ごろ、オーストラリアのキンドルストアでお買い上げいただいたようです。オーストラリアでのお買い上げは初めてでした。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、77冊お買い上げいただいたことになります。

  • オーストラリア……1冊
  • ブラジル……1冊
  • カナダ……1冊
  • 日本……34冊
  • アメリカ……31冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

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2018年8月 8日 (水)

萬子媛の死を記録した本が届いた

貴重な本を届けていただき、祐徳博物館には感謝の気持ちでいっぱいです。

・‥…☆・‥…☆・‥…☆

今日は他に用事があるので、とりあえず、ざっとメモしておこう。漢文が苦手なので、まだ「祐徳院」という法諱が出てくる箇所をチェックしただけ。

当時の雰囲気に引き込まれ、「萬子媛、死なないで!」と心の中で叫びながら、藩日記を辿っていた。

現実(?)には萬子媛は現在、この世のどなたよりも生き生きと、オーラの威光に満ち、あの世のかたとして神社という形式を最大限に活用し、毎日あの世からこの世に通って、千手観音のようにボランティア集団のリーダーとして活動なさっていることが、神秘主義的感受性に恵まれた人間にはわかるはずだ。先祖返りにすぎない霊媒能力ではおそらく、あの高貴、精妙な存在感はわからないだろう。

しかしながら、肉身としての萬子媛は、宝永二年(1705)閏四月十二日に逝去された。

祐徳稲荷神社のオフィシャルサイトには、次のように書かれている。

齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました。

祐徳博物館の女性職員がおっしゃるには、寿蔵で萬子媛が断食の行を積まれたことは間違いないだろうとのこと。

身体が弱ってからも、断食の行を続けられたのかどうかはわからない。断食の行が御老体に堪えたのかどうかもわからない。

いずれにしても、萬子媛は宝永二年三月六日ごろにはお加減が悪かった。それからほぼ毎日、閏四月十日に「今夜五ツ時、祐徳院様(花山院定好女萬子 鍋島直朝後室)御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」(『鹿島藩日記 第二巻』祐徳稲荷神社、1979、398頁)と記されるまで、萬子媛の容体に関する記述が繰り返されている(前掲書366~398頁)。

この「今夜五ツ時、祐徳院様(花山院定好女萬子 鍋島直朝後室)御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」という藩日記からの抜粋は、郷土史家の迎昭典氏からいただいたコピーの中にあった。

藩日記にははっきりと「御病気」という言葉が出てくるから、萬子媛が何らかの病気に罹られたことは間違いない。

そして、おそらくは「断橋和尚年譜」(井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)の中の断橋和尚の追悼詩に「末梢(最期)疑うらくはこれ熟眠し去るかと」(92頁)と描かれたように、一進一退を繰り返しながら、最期は昏睡状態に陥り、そのまま逝かれたのだろう。

鹿島市民図書館の学芸員は取材の中で「石壁亭そのものは祐徳院様が来る前から断橋和尚が既に作っていて、観音様を線刻したような何か黄檗宗の信仰の対象となっているようなところ――洞穴を、自らのお墓に定められたということだと思います」とおっしゃったが、現在の萬子媛の活動を考えると、観音様のようになることを一途に祈念しつつの断食行であり、死であったのに違いない。

2018年8月 4日 (土)
歴史短編1のために #37 核心的な取材 ①インタビュー
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/36-d6f8.html

また、学芸員は「尼寺としての在り方はたぶん、祐徳院さんが死んで10年20年くらいしか持たなかった……比較的早い段階で男性の方が入るということに。祐徳院さんが京都から連れてきたような人たちや祐徳院に女中として仕えたような人たち――祐徳院に入って一緒に修行したような人たち――が、やはり祐徳院と直接の接点を持っている人たちが死に絶えていくと、新しい尼さんを供給するということができなかった」とおっしゃった。

ところで、わたしは拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に「萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性的な方々の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性的な方々は生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性的な方は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来られたときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ」と書いている。

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

学芸員のお言葉は、わたしの感性が捉えた萬子媛とその周囲にいる人々の雰囲気に符号するものがある。中心的役割を果たしている人々を囲むようにボランティアなさっている方々はもっと沢山いらっしゃるように感じられるのだが、あの世で新たに参加なさった方々なのだろうか。

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2018年8月 4日 (土)

歴史短編1のために #37 核心的な取材 ①インタビュー

インタビューにお答えくださったかたは、鹿島市民図書館の学芸員でいらっしゃいます。歴史小説の第二稿を書くための取材でしたが、ブログ公開の許可をいただいたので、紹介します。貴重な内容だと思います。

鹿島市民図書館学芸員への取材で、わたしが主にご意見をお伺いしたかったのは、萬子媛の断食入定は事実としてあったのか、また黄檗文化の普茶料理や煎茶などに鍋島焼は使われたのか――という二点でした。

わたしの質問で、それを除いても文章の意味が通る箇所は省略しました。

・‥…☆・‥…☆・‥…☆

2018年 6月 5日

● 萬子媛(祐徳院様)の死の前後について

実際のところはわからないというのが正直なところだと思うんですけれど、具体的なことで言うと、祐徳神社さんが祐徳院さん中心にお祀りしていく中で、こういう風な祐徳院さんの最期であったという形でいわれていること、あるいは継承しようとしていることと、実際の史料から伺えることというのは当然乖離するというところだと思うんです。

亡くなる前から準備されて、修行僧として、あるいは民の幸福を祈りながら最期を遂げられたというのは祐徳神社さんにとっては当然、見解としては持っておきたいところですよね。

亡くなられたあとで遺骸を移されたという風に考えるのが、実態に近いことだと思います。生前墓を作るというのは、あの時期でいうと当たり前のように思われていることなので。

―――萬子媛は後妻さんですから、普明寺には入れないということで、あそこに生前墓を作らなければならなかったということもあるのでしょうか。

祐徳院様のお墓は、泰智寺にはたぶんあるとは思うので。それも元々そこにあったものなのか、祐徳神社さんになるときに――神仏分離のときに――移したものなのか……今の神社の境内には墓は置かないということになっているので。

―――石壁社の側に洞穴に蓋をしたような跡がありますよね。そこに御遺骸が埋まったままなのかと思っていました。

当然、ご遺骸本体はそこにあるのだと思います。泰智寺には御遺髪で……御遺骸は土葬で埋められて、御遺髪は普明寺に持ってくるという形態をとっているので、それに準じた扱いになっているのか……

祐徳院さんは鹿島藩の年譜の中でははっきりと出て来ない方にはなってくるので。直條さんの時代に亡くなられているので、直條さんとの血脈の関係もあって、その時期の藩日記はたぶん残ってはいるとは思うので、遺骸、葬儀の様子はどこまで……鹿島藩日記の刊行されているぶんにはたぶん記載があるとは思うので。

ただ先ほど申し上げたように、信仰上の最期のありかたと実際のありかたというところは、どちらをとって語られるか考えるということはちょっと難しいところがあるかなと思います。

伝承というのがですね、祐徳神社そのものが元々祐徳院というお寺の中心だったものが、寛政くらいから稲荷神社という側面が前面に出てくるんですね。

そこから宿場町――、それまでの人里離れた修行場からいろんなところから参拝客を連れてきて門前が形 <成されて、お客さんを誘致してくるときの口上というか伝承というのが、こういうところの霊験がありますよというのを普及して、それで皆さんを佐賀や大牟田や島原といったところから連れてきて宿坊を中心に栄えて行く。江戸時代の途中の段階で、たぶん祐徳院さんに関する伝承というものも形成されていって、それまでの在り方と変わっていく、ということだと思うんですよ。

尼寺としての在り方はたぶん、祐徳院さんが死んで10年20年くらいしか持たなかった……比較的早い段階で男性の方が入るということに。

祐徳院さんが京都から連れてきたような人たちや祐徳院に女中として仕えたような人たち――祐徳院に入って一緒に修行したような人たち――が、やはり祐徳院と直接の接点を持っている人たちが死に絶えていくと、新しい尼さんを供給するということができなかった。

あくまで祐徳院さんとの関わりで入った方ということになってくるので。鹿島のどこからか女の人を連れてきて、黄檗僧として入れるというものでもないと思うので。

黄檗宗の修行が相当厳しいものにはなってくるので、そこらへんに耐えうる女性というところはなかなか、祐徳院さんの信仰心に直接接点を持っていた方以外にはそこまでやり遂げる力というのはなかったのかなというところだとは思うんですよ。

祐徳院さんがお子さんたちを亡くして悲嘆に暮れている様子に直接接した記憶がある人たちは、祐徳院さんの気持ちに最後まで添い遂げようとはされるとは思うんですけれども。そこが直接接点を持たない人たちになると、ちょっと意味合いが変わってしまうのかなというところだと思うんですけれどもね。

―――「断橋和尚年譜」〈※井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』(佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)所収〉の中の「大師、偶[たま]たま痾[やまい]染[うつ]りて起[た]たず」という記述は信憑性があると考えていいのでしょうか。伝染性の病気にかかられたということですよね、この文章の意味は。

そうですね。ぼちぼちそういう年齢にはなられているとは思うので、いろんなところで体調を崩されて、ということだとは思うんですよ。

石壁亭そのものは祐徳院様が来る前から断橋和尚が既に作っていて、観音様を線刻したような何か黄檗宗の信仰の対象となっているようなところ――洞穴を、自らのお墓に定められたということだと思います。

―――「断橋和尚年譜」の中に、断橋和尚の追悼詩が紹介されているのですが、意味のわからない箇所があります。次のような詩です。

「一座さん(※王偏に賛。引用者)玩[がん]たり石壁山。三千刹海、顔を蔵さず。末梢(最期)疑うらくはこれ熟眠し去るかと。鼻息齁々[こうこう]たり生死の間」これは、萬子媛が亡くなったあと、皆で石壁山に集って遺徳を讃えるといった情景を描いたものだと考えていいのでしょうか。

禅宗系のお坊さんは追悼の詩は必ず読まれるので、その中に定型化している文章というものと、個人的な思い入れが強い分についてはその方の生前の様子とか関わりが出てくるということになると思います。

断橋さんの場合、祐徳院さんとは義理のおかあさんであり、黄檗に招いたという密接な関わり方になってくるので、ありきたりの漢詩の定型文というものとは違う形になるかなあと思います。

追悼詩からはこのころから既に神秘的にというか、直接的な描写をしないという形でされていて、最期がどうであったかは明白にはしないというところかなと思うんですよね。

この段階から、神秘的な捉え方があるということだと思います。皇室絡みの人でもあり、開山というような特殊で、これから先そういう風になっていくということであった方であったことは間違いがなかったと思うので、そこらへんの部分でかなとは思うんですよね。

あくまでもこれは桂巌さんはじめ、黄檗の高僧たちがこの葬儀のときに来ているとは思うので、断橋さんというのは鍋島家の関係者であったとしても、黄檗での序列は低い方にはなるので、何十人ものお坊さんがいた中での献詩の一種になるかと思います。

―――黄檗宗は当時はかなりの勢力だったのでしょうね?

このころが全盛期に近い――。

● 黄檗文化と鍋島焼は無関係?

―――鍋島焼というのは黄檗文化に関係があるのでしょうか。普茶料理とかに使われていたのかと。伊万里焼の発展がそのころでしょ、ちょうど。

そういうことはあまり考えたことはなかったのですが、おそらくこの時期のものは中国から持ってきたものを作っている、あるいは復刻するという状態で作っていると思うので、中国のありかたをそのまま再現をするということなので、日本流にアレンジしたものを使うのはもう少しあとかと思うんですよね。

―――萬子媛の息子さんが二十歳くらいのころに亡くなられて、息子さんは、佐賀の殿様のところへ入られていましたよね。その鍋島光茂公が藩窯に出したかなり厳しい指示書が残っているようなのですが。

そのころは長崎を中心とした、あるいは萬福寺を中心として動いている時期なので、佐賀が独自に何かそういったものを、とりたててそれが黄檗に入ってくるというよりは、長崎や京都から直接に黄檗の下へと持ち込まれる、藩を介するということはあまりないかなあとは思うんですけれどね。

―――この時代、若くてポックリと亡くなったりするのは、伝染病とかが多いんでしょうね。

88歳までも長生きする人はしているので。この時期になると、鍋島家の血統を守るために近親婚に近いものがあったりもするので、いろんな条件が重なって、ということだと思います。

江戸で亡くなっている場合は伝染病という可能性は高いと思うんですけれどね。こっちの場合はそこまで人口が多くはないので、伝染病が流行るうんぬんというのは、もうちょっと後になってからかな。

江戸のように人口が密集して、水や何やらが循環できない、綺麗にすることが追いつかないところは発生しやすいんだと思います。明治くらいになってからコレラや赤痢といったものがどんどん流行り出してくる……人々の生活のあり方が自然との調和を超えて循環し出したころに、それまでは自然の循環の中で成り立っていたものが、どんどんどんどん消費の拡大等もあって難しくなっていく時代がくるとは思うんですよね、森林の伐採含めてですね。

森林を伐採して洪水が起きやすくなって、といったことが江戸時代の中期から終わりのころにかけて起こってくるので、そういった中に病気というものも含まれてくるのではないかと思います。

―――祐徳院のあった場所はわからないんでしょうか。

おそらく神楽殿のあたりだったのではないかと。神社を上のほうに作って、下のほうにお寺が広がっていたということだと思います。

―――今の本殿のあるあたりに神社があったということですね。普明寺の子院はいくつもあったのでしょうか。

山沿いにずらっとあったということですけれど、絵図や何やらでそういったものが押さえられているかというと、まだ押さえられていない状況です。

―――お時間を割いていただき、申し訳ありません。ずいぶん深く研究なさっていて、感動しました。ありがとうございました。

・‥…☆・‥…☆・‥…☆

②では、インタビューを参考にして、わたしなりに調べたことを公開します。この調べものの段階で、前にもお世話になった祐徳博物館の女性職員に、これは今日の話になりますが、本の注文についてお尋ねしたことに合わせて、教えていただいたことがありました。

鹿島市民図書館の学芸員に萬子媛の時代の歴史に詳しいかたがいらっしゃると教えてくださったのも、このかたでした。

実は、その本『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社、1979)の注文自体がこれからです。第一巻を購入した昔と値段が変わっていなくて、よかった! 

アマゾンでは、第一巻が45,000円という馬鹿高い値段で出ていて、次巻からは出ていません。博物館で注文できるということで、値段は5,000円だそうです。漢文なので、おおまかな把握すら難儀しそうですが、どうしても確認しておきたいことがあるのです。

祐徳稲荷神社には秋に行く予定です。鹿島市民図書館にそのとき寄って調べるには遅すぎるので、購入できないということであれば、困ったところでした。

ただ、おそらく、その本で確認するまでもなく、萬子媛の最期に関するわたしの結論は学芸員のご意見と同じになりそうです。小説――フィクション――としてどう書くかは、これから考えます。

鍋島焼については、改めて史料探しから始めました。意外なところから参考になりそうな史料に出合いました。伊万里市史編さん委員会編『伊万里市史 陶磁器編 古唐津・鍋島』(伊万里市、2006)。

余談になりますが、夫の母方の祖父は、伊万里市が伊万里町だったころに町長を務めました。その後の昭和29年(1954)、2町7村合併により、伊万里市が発足します。

昨年、図書館で借りた『伊万里市史 現代篇Ⅰ』に、第二次世界大戦直後の大変な時期に町長を務めた夫の祖父が登場しました。市史には、夫の祖父が語ったことや働きぶりが活写されていたのです。

これは家宝とすべきと思い、注文して我が家に一冊、息子に一冊、義父母に一冊送りました。義父母からは大変悦ばれました。

この伊万里市史の中に鍋島焼のことを書いた巻が存在することを思い出したというわけでした。一町長のことがあれほど詳しく書かれているのだから、鍋島焼についてもそのはずだと予測しました。

図書館から借りて、今手元にあります。黄檗宗と鍋島焼の結びつきが書かれていることを期待しましたが、それについては期待外れでした。ですが、やはり鍋島焼の史料の乏しい中で、これほど丹念にアプローチした著作は陶器の専門書にもないのではないかと思えるほどです。

それにしても、一世を風靡したはずの黄檗文化に、方々の文献でほとんど触れられないのはどういうわけでしょう。

『黄檗――OBAKU 京都宇治・萬福寺の名宝と禅の新風』(九州国立博物館、2011)によれば、明朝体[みんちょうたい]は隠元和尚が伝えたもので、原稿用紙も隠元和尚の言葉をまとめた本がもとになっているとか。

普茶料理、あるのが当たり前になっているドリンク――煎茶、いんげん豆、すいか、たけのこ、れんこん。寒天はメイド・イン・ジャパンでも、名付け親は隠元和尚だそうです。普茶料理のごま豆腐はわたしの大好物。鳴り物では木魚の原型である飯梆[はんぽう]、木魚、小鼓[しょうこ]、銅磬[どうけい]、銅羅鼓[どらこ] ……

隠元和尚はまるでサンタクロースのように、明末清初期に再興された臨済禅と中国文化の数々の贈り物を携えて日本にやってきたのでした。

萬子媛に心の中でお尋ねすると、しかるべき時期に必ず回答といえるものに巡り合えるのが不思議です。それでも、次々に知りたいことが出てくるのですが、これで何とか書けそうな気がしてきました。核心的なことすら結論が出ないままでは、書けるはずがなかったのでした。

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2018年7月31日 (火)

ヨットを走らせる、よみくん(アバター&インターポット)。今日中に済ませたいメモの整理。

お友だちのよみくんとうちのアバター2人が各人気持ちよさそうにしていたので、思わず写真に撮りました。下のほうにちらっと見えている青い人物はというと……

魔法のランプから出てきた魔人です。

ところで、萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が遅れています。まだメモの整理もついていない段階で、予定通りに明日から小説を書き出すのは無理です。

今日は休日の夫がペペロンチーノを夕食に作ってくれるというので、その整理をやってしまわなければ。夫に任せきりというわけにはいかないでしょうが、助かります。では、では。今日中に整理がつきますように(わたしのいう「今日」とは明日の朝6時までをいいます)。

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2018年7月25日 (水)

余華の対談(「三田文學」2018年冬季号)。拙児童小説『すみれ色の帽子』を読んだ従姉の感想。

従姉から電話があった数日後、わたしはアマゾンのサービスで電子書籍にしたKindle版の児童小説をプリントアウトして送りました(以下の過去記事参照)。

2018年7月 5日 (木)
悪質な自費出版系ビジネスと、餌食になりかけた従姉の児童書に対する失望感
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/07/post-9c6e.html

PDF形式でプリントアウトしたら、分厚くなりました。なぜ、そんなものを送ったかというと、従姉が失望してしまった児童書がどんなものであったのか詳細は聞いていませんが、想像がつきました。そうしたものと同類の作品を書いていると思われたくなかったからです。

そんなわたしの作品には賛否両論寄せられます。自分では同類とは思っていないのですが、従姉は同類と思うかもしれませんでした。

同類だとしたら、世間的にはわたしはプロ作家並みの児童小説を書いているということになるでしょう。従姉が誉めてくれるとすれば、わたしは世には出られない自身の境遇を納得することになるのです。

昔からわたしの作品に関心を示してくれる唯一の人が、この従姉でした。従姉はわたし宛の葉書に次のように書いてきました。

‟すみれ色の帽子”一気に読みました。瞳ちゃんとK…ちゃん(※瞳は主人公。K…ちゃんは従姉の孫娘)がオーバーラップして、Nちゃん(※わたしのこと)、K…ちゃんのことしっているのかなと思う位! 文章が綺麗で、読んだ後、心の中が澄み切ったようでした。他の本も楽しみです。

作品が従姉に嫌われなくてよかった、とホッとしました。出版の件は後日報告とあったので、従姉の息子さんと知人の女性で制作された絵本は出版の運びとなるのかもしれません。良心的な出版社から出してほしいものです。

出版する場合、数社に見積もりを出して貰い、比較して決めることを電話では従姉にすすめました。文学仲間はそうしています。

自費出版は髙い買い物になるので、最低5年くらいは試行錯誤を重ねてよいものへと作品を高めていき、それから出版しても遅くないような気がしますが、思い立ったが吉日ともいいますから、外野からあれこれ干渉すべきことではないと考えます。

わたしもそろそろ紙の本を出したいけれど、一生出すことはないままに終わるでしょうね。幸い只で出せる電子書籍サービスがありますし、何より神秘主義者ですので、世に知られることがないままに終わったとしても、創作を通して、きよらかな、澄んだ思いを発散させることだけでも、意義のあることだと知っています。

神秘主義者としてもう一つわかっていることは、文学、つまり芸術は、宗教的修行と同じ求道の道だということです。

その道を歩きながら神秘主義的ないくらかの霊的能力はわたしに目覚めてきたものであって、それは決して霊媒的な低級能力、先祖返りの能力ではないと感じています。その道をしっかり歩いている限りにおいては、安全性の高い道であると確信します。

ただ、霊媒的な低級能力、いわゆる左手の道へと逸れてしまう危険性は宗教的修行の場合と同じく芸術活動にもあって――否、普通に生きているつもりの人々にもその危険性は人間である限りつき纏うものでしょうが――、その危険性をわたしが現実のものとして感じたのは賞狙いに没頭していたときでした。

それについては、統合失調症を患う天才型詩人を友人の目で描いた拙日記体小説『詩人の死』(Kindle版)に書きました。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。
*

*直塚万季『詩人の死』Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI

ところで、わたしは今年還暦という年齢になりましたが、二十代で竜王文庫の書物を通してブラヴァツキーの近代神智学を知りました。

創作を通してハートの力を育み、不勉強な一会員ですけれど、竜王会、神智学協会ニッポンロッジから出ている機関誌や書物を読むことによって総合力、分析力を培おうと自分なりに努力を続けてきました。

そうした道の歩みの中で、いわば霊的な次元で何かを察知することは珍しくありませんが、江戸初期に生まれ、江戸中期にさしかかるころに黄檗宗の僧侶として亡くなった――祐徳院と生前から慕われ続けてきた――萬子媛のようなかたに巡り合うことができたのは、めったにない貴重な体験であると思っています。

萬子媛について知ろうとすることは日本の宗教史を深く覗き見ることでもありました。萬子媛は日本の宗教史に咲いた一輪の香り高い花であるとわたしは見ています。

萬子媛をモデルとした小説の第二稿に入りましたが、計画が思うように進まず、おのれの非力を感じざるをえません。それでも、時間はかかってもこれは自分がやり遂げるしかない仕事だと思い、今後、集中度を高めていきたいと考えています。

萬子媛が帰依した黄檗宗(禅宗の一派)は、日本に招請された明朝の禅僧、隠元隆琦によって開かれました。隠元は明朝の文化、文物を伝え、煎茶道の開祖ともされています。

古来、この例からもわかるように、わが国には中国から優れた文化、文物が伝えられてきました。しかし、現在の中国をメディアを通して見るとき、これはどうしたことだろうとわたしは絶望的な気持ちに囚われます。

でも、動画で法輪功の舞台を視聴したとき、中国本来の――といういいかたは語弊があるかもしれませんが――歴史が甦るような感動を覚えました。

2015年6月11日 (木)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ①弾圧される人々
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-c356.html

また、現代の中国人作家、余華の対談を「三田文學(第97巻 第132号 冬季号)」(関根謙編集、2018年2月)で読み、日本の純文学が衰退しているこのときに、中国に生まれて育った中国人作家、それでいながら中共色に染まっていない余華という人物が作家らしさを好ましく発散していることに驚きを覚えました。中国における文学状況がどのように推移したかもわかる、貴重な対談となっています。

恥ずかしながら、中共のいわゆる御用作家ではない余華のような中国の現代作家をわたしは知りませんでした。対談の中で印象的だった余華の言葉を引用します。

<ここから引用>
かつて日本の記者に、川端康成が私の一人目の先生だと言ったら、彼らは大いに驚きました。私の小説と川端康成のそれとの違いが大き過ぎると言うのです。確かにそうですよね。そのとき彼らに比喩の話をしました。一人の作家が別の作家に影響を与えるのは、日光が樹木に影響を与えるようなものです。樹木は日光の影響を受けて成長するとき、樹木のスタイルで成長します。日光のスタイルで成長するわけではありません。(306頁)
<ここまで引用>

図書館から余華のエッセー集と小説、そして台湾の現代作家である甘耀明の小説を借りました。読まなければならない本が沢山あるので、読む時間がとれるかどうかはわかりませんが、読んだら感想を書きたいと思っています。

ほんとうの中国の話をしよう
余 華 (著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2012/10/13)
言語: 日本語
ISBN-10: 4309206077
ISBN-13: 978-4309206073

中国では書けない中国の話
余華 (著), 飯塚容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2017/8/22)
ISBN-10: 4309207324
ISBN-13: 978-4309207322

活きる
余 華 (著, 原著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 角川書店 (2002/03)
ISBN-10: 4047914118
ISBN-13: 978-4047914117

神秘列車 (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2015/6/24)
ISBN-10: 4560090408
ISBN-13: 978-4560090404

鬼殺し(上) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090483
ISBN-13: 978-4560090480

鬼殺し(下) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090491
ISBN-13: 978-4560090497

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2018年6月24日 (日)

評論『気まぐれに…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を6月13日ごろ、お買い上げいただきました。ありがとうございます! 18冊目のお買い上げでした。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。管理人の電子著書一覧を御覧いただけます。

直塚万季のページ

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2018年6月10日 (日)

Kindle版『枕許からのレポート』『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む』にレビューをありがとうございます!

久しぶりにアマゾンの著者ページを見たところ、3件のレビューを頂戴していました。拙Kindle本をお買い上げいただくことはちょくちょくありますが、レビューを頂戴することはめったになかったので、長いこと見ていなかったのですね。

紹介致します。

枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)

T様
5つ星のうち5.0
2017年2月1日

<ここから引用>
神秘体験の不思議


体験したものにしか理解できない世界と思います。私にも同じような体験がありますので少しは理解できます。(実際は体験者はいなく体験だけがあったのですが。)これからいろんな人が直接、神を体験できれば少しは世界平和に貢献できるのではないでしょうか。
<ここまで引用>

神秘主義者を自覚する出発点となった出来事を綴った手記です。まだ神秘主義関係の書物を片っ端から読み漁っていた23歳のときの作品なので、表現に混乱が見られます。それでも、これを超える神秘主義的体験は以後、60歳になる今日までありません。

母に対する個人的、利己的な愛が凄まじい葛藤の中で無私のものとなったこのとき、ハート――心臓のある辺り――が汲めども尽きぬ純白な光の源泉となったのです。神秘体験と名づけるに値する体験だったと考えています。当ブログでもお読みいただけます。

2007年9月30日 (日)
手記『枕許からのレポート』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2007/09/post_e32f.html

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

beeAmazon カスタマー様
5つ星のうち5.0
2018年2月20日

<ここから引用>
短いながらも「純文学」の危機を的確に表現してます。


10年前くらいからの芥川賞の作品をきちんと評価しています。朝吹真理子「きことわ」の日本語表現のおかしさ、などは芥川賞の選考委員が目をつぶって許している気がする。いわゆる文芸誌の新人賞受賞者「使い捨て」についても的を得た批判は鋭い。アマゾンの評価をする人は星一つなら、何故そうなのかくらいのコメントを残すべきである。文芸誌に載る作品も「文学」なのか、ただの「エンターテインメント」なのか区別がつかなくなってきている。著者のその辺の分析も体験者しか書けない説得力がある。200円は安すぎると感じた。

<ここまで引用>

後半部は次のレビュー――投稿の時期はそちらが先――を受けて書かれています。

購入後悔様
5つ星のうち1.0
2017年12月29日

<ここから引用>
市場にのせるレベルの評論ではないです

あまり酷いことは書きたくないですが…
はっきり言って返金して欲しいです。酷すぎます。芥川賞作を批判するというより、文学そのものへのリスペクトを感じません。評論する以上は相当な知識と教養が必要かと思います。これでは創作者に失礼過ぎます(意にも介されないと思うけど)

<ここまで引用>

Kindle本には試し読みのページが設けられていますので、次回からはそのサービスを有効活用して購入なさることをおすすめします。

拙著への反論がありましたら、サイドバー設置のメールフォームにて、ご投稿ください。反論のレベルに達していると判断した場合は――当方の基準によりますが――当ブログで紹介致します。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。管理人の電子著書一覧を御覧いただけます。

直塚万季のページ

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2018年6月 8日 (金)

萬子媛の小説の創作スケジュール

トルストイ『戦争と平和』のエッセーの続きと、萬子媛の小説の取材でお尋ねした鹿島市民図書館の学芸員のお話をまとめておかなければならないが、萬子媛の小説の準備に今月と7月を当て、8月から執筆を始めたい。

ようやく、ここまで来たという思いだ。

カテゴリー「初の歴史小説」を設置したのが、2013年10月10日。

カテゴリーを改め「歴史短編1のために」を設置したのが、2014年11月3日。この時点では「江戸五景」という総題のもとに歴史短編を5編書くつもりで、萬子媛の小説はそのうちの1編になるはずだった。

萬子媛に関して不明点が多く、中~長編にするだけの準備ができないと思い、スケッチ風の短編にまとめあげるのが精々と考えていた。

その不明点を補いたいという意図が働いたのか、萬子媛とつながりのありそうなことをことごとく書き込んで短編に凝縮させた結果、プロットのような短編小説が出来上がった。

短編を書くのに1年近くかかった勘定になるが、そのうちの大半が歴史の勉強や資料漁りに潰えた。

初めて書いた歴史小説は小説とはいえないシロモノで、明らかに消化不良だった。それでも、いくつかの場面は印象的に書けていると思え、それなりの達成感はあった。そうでなければ、もうこの小説のプラン自体に匙を投げていただろう。

昔、純文学小説を書き始めたときに書いた150枚ほどの小説に「あらすじみたいだ」という感想を多く貰った。我ながら、そのときのあらすじのような骨組みだけのような――これをトリートメントというのだろう――小説にそっくりだと思った。

この第一稿は失敗作に終わったが、プロットとしては使える。

作品の感想が届き出したのが2015年12月10日。賛否両論。参考になった。

2016年と17年は、取材と資料読みに潰えた。

今年に入ってからもなかなか第二稿に入る気になれなかった。それは、鹿島市民図書館の学芸員にお尋ねしたようなことが不明点としてわたしの中にわだかまっていたためだ。

現時点でも疑問点がすべて解消されたとはいえない。ただ、これ以上は調べようがないというところまで調べた結果として、気分は爽やかに安定している。ようやく執筆に入れるところまで到達できた。

歴史小説を書くためのスキルが身についていないという不安はある。この感じは、大人向きの純文学小説をずっと書いてきて、ジャンル違いの児童小説を初めて書いてみたときに似ている。

何年間かほとんど書けなかったのに、その後、いつのまにか書けるようになっていた。純文学小説にしても、あの後、あらすじではない小説が書けるようになった。

今回もそうなると信じて、とにかく書こう。ジャンル違いのチャレンジであるために、慣れていないだけなのだ。失敗を懼れるまい。作品になるまで、何度でも書き直せばいいだけなのだから。

テーマの再考、プロット、ストーリー、資料の整理には時間をかけたい。予定より日数がかかるかもしれないが、賞応募の予定はないから、それは構わない。

第一稿はプロットが破綻していたように思う。テーマも熟しきれていなかった。取材や調べものに時間をかけることで、自ずとテーマが定まり、プロットも浮かび上がってきている。

プロットについては、ウィキペディアが参考になる。ウィキペディア「プロット」⇒ここ
  • トリートメント……ストーリーがどのように始まり (設定)、どのような展開 (対立、衝突) があり、どのように終わるのか (解決) を、短編小説 (short story) として非常に手短に要約した文書
  • カード
  • アウトライン……それぞれのシーンを数行で書き出したもの
  • ジャーナル……キャラクターの掘り下げを行うための手記
  • ファーブラ……出来事を起こった時間の順に並べたもの
  • ジュジェート……起こった出来事を語られる順に並べ直したもの

だいたいこれに似たことをやってきたが、わかりやすい。

 ◎枚数
  300枚  

 ◎完成に要する時間
  1年

 ◎年間スケジュール

2018.6.    テーマ、プロット、ストーリー、資料整理

2018.7. 

2018.8.    執筆開始

2018.9.    75枚

2018.10.

2018.11   75枚(150枚)

2018.12.

2019.1.    75枚(225枚)

2019.2.   

2019.3.    75枚(300枚)

2019.4.    調整、手直し、清書

2019.5.   

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2018年6月 5日 (火)

地元の底力を実感(萬子媛の取材に関して)

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿に入ってから、どうしても気になったことがあって、滞っていました。

それについて、佐賀大学地域学歴史文化センターから出ている著作の共編者のお一人にお尋ねできないかと思い、センターにメールで問い合わせたところ、質問のメールを転送していただくにせよ、連絡先を教えていただくにせよ、まずは御本人に問い合わせが必要なのでお待ちを――とのことで、待っていましたが、それから10日以上経過。

放置プレイを疑ったりもしていますが、催促するのもナンなので、疑問点を祐徳博物館にもお尋ねしてみようと思い、電話をかけました。

すると、「そうしたことでしたら、鹿島市民図書館の学芸員に詳しいかたがおられます」ということだったので、電話してみました。

そのお言葉通り、実に、実に詳しいかたでした。郷土史家の迎氏が蒐集された資料のコピーを送ってくださったときにも感動のあまり感涙したのですが、今度も感涙ものでありました。

萬子媛専門の研究家というわけではないでしょうに、お尋ねすると、あらゆる角度からお答えくださいました。萬子媛が生きた時代とその後に続く時代の全容がおぼろげに浮かび上がってきました。

このかたは、実はセンターに問い合わせた著作の共編者のお一人です。どなたにお尋ねすべきかわからなかったので、別のお名前のかたに問い合わせたい旨、センターにメールしたのでしたが、どのかたでもよかったのですね。

質問の内容にはぴったりと思えるかたからお話を聞くことができて、幸運でした。これも萬子媛が見守ってくださっているお陰だと思います。

これで知りたいことは出揃いました。

鹿島市民図書館の学芸員から聞いたお話をうまくまとめる自信はありませんが、ブログに書く許可もいただいたので、記事を改めてノートしておきたいと思います。

お名前は出さないことになりましたが、鹿島市民図書館の〇〇様、本当にお世話になりました。小説の参考になるこということを超えた、スケールの大きな、そして細やかな、貴重なお話をありがとうございました。

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