カテゴリー「歴史」の296件の記事

2017年5月 4日 (木)

Notes:不思議な接着剤#95 ナザレ人

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)に注目すべきことが書かれている。この第三巻は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだという。

ブラヴァツキーは次のように書いている。

『新約聖書』、『使徒行伝』そして『使徒書簡』集が――いかにイエスの歴史像の真実に迫るとしても――すべて象徴的、比喩的な発言であること、また「キリスト教の創設者はイエスではなくパウロであった」こと、しかしそれはいずれにしても、正式な教会キリスト教ではなかったこともまた真実である。「弟子たちがキリスト教徒と初めて呼ばれたのは、アンテオケにおいてであった」ことを『使徒行伝』は伝える。それまで彼らはそう呼ばれなかったし、その後も長い間、単にナザレ人と呼ばれた。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.262)

また、「ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,p.265)であって、パウロが「秘儀参入者」の階級に属していたと書き、その根拠を示している。パウロが目指した教義は次のようなものだったという。

パウロにとって、キリストは個人でなく、具体化された理念である。『だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者であり』この人は、秘儀参入者のように、生まれ変わったのだ。なぜなら主は霊――人間の霊――だからである。パウロは、イエスに会ったことはなかったけれども、イエスの教えの底に横たわる秘密の理念を理解していた唯一の使徒であった」「しかしパウロ自身は無謬ではなく完全でもなかった」「新しく広やかな改革、人類全体を包むことのできる改革をスタートすることに心を傾けていた彼は、自身の教義を本心から、時代の知恵のはるか上位、古代の密儀や最終的な『エポプタイ』(秘儀の伝授)より上に本心で設定した」(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.264-265)

ペテロは秘儀参入者ではなく、ユダヤのカバリストであった。

このような方向で、ギリシアの秘儀とカバラという確かなガイドを目の前にして探索をすすめるならば、パウロがペテロ、ヨハネおよびヤコブによりあのように迫害され憎悪される秘められた理由を発見するのは容易であろう。『黙示録』の著者は、生粋のユダヤ人カバリストであり、異教の秘儀に対する先祖伝来の憎悪を全身に漲らせていた(註『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない。イエスの存命中における彼の嫉妬はペテロにまで広がった。(ブラヴァツキー,加藤訳,2016,pp.266-268)

この第三巻(上)は、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)と重なる部分も多く、『ベールをとったイシス』に補足した巻ということもできそうだ。

原始キリスト教を研究するには、『ベールをとったイシス』同様に欠かせない著作であると思う。

「『ヨハネによる福音書』がヨハネによって書かれたものでなく、プラトン主義者、あるいは新プラトン学派に属するグノーシス主義者の一人によって書かれたことは言うまでもない」と前掲書の註に書かれていた文章から、カタリ派がヨハネ福音書を偏愛していた事実を思い出した。

ナザレ人はカルデアのテウルギストつまり秘儀参入者の階級だった、とブラヴァツキーは書いている。

新バビロニア(カルデア人が築いた王国で、カルデア王国ともいう。紀元前625 - 紀元前539)の王ネブカドネザル2世により紀元前597年に滅ぼされたユダ王国のユダヤ人たちは、バビロンに捕囚された(ダビデ王によって統一された統一イスラエル王国は、ソロモン王の死後、紀元前930年頃に分裂し、北のイスラエル王国は紀元前722年、アッシリア帝国に滅ばされている)。

その地で、ユダヤ人は圧倒的なバビロニア文化(カルデア人は天文学・占星術に優れていた)の影響を受ける一方では、それに抗して律法を重視する(エルサレムの町も神殿も失っていたため)ユダヤ教を確立した。

ブラヴァツキーはこうも書いている。ノート92から引用する。

アリストテレスの時代には物質主義が優勢な思潮となって、霊性と信仰は頽廃した。秘儀そのものが甚だしく変質し、熟達者[アデプト]と秘儀参入者[イニシエート]は侵略者の武力で散り散りになり、その後継者と子孫は少数だった(ジルコフ編,老松訳,2010,pp.18-19)とブラヴァツキーはいう。

エジプトの「聖なる書記や秘儀祭司は,地上をさすらう者となった。彼らは聖なる秘儀の冒涜を恐れて,ヘルメス学的な宗団――後にエッセネ派Eseenesとして知られるようになる――のなかに隠れ家を探さざるをえず,その秘儀知識はかつてなかったほどに深く埋もれた」(ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.19)

エッセネ派はノート91で書いたように、ユダヤ人の一派であって、グノーシス派、ピタゴラス派、ヘルメス学的集団、あるいは初期キリスト教徒であったとブラヴァツキーは述べているのだ。
(……)

ウィキペディアからナグ・ハマディ文書について引用すると、写本の多くはグノーシス主義の教えに関するものであるが、グノーシス主義だけでなくヘルメス思想に分類される写本やプラトンの『国家』の抄訳も含まれている。(……)調査によって、ナグ・ハマディ写本に含まれるイエスの語録が1898年に発見されたオクシリンコス・パピルスの内容と共通することがわかっている。そして、このイエスの語録は初期キリスト教においてさかんに引用されたものと同じであるとみなされる(ウィキペディアの執筆者. “ナグ・ハマディ写本”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-23. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8A%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%83%9E%E3%83%87%E3%82%A3%E5%86%99%E6%9C%AC&oldid=58723955, (参照 2016-02-29).)とあることからもわかるように、エッセネ派に関するブラヴァツキーの記述はまるでナグ・ハマディ文書の内容を述べたかのようである。

当ブログにおける関連記事:

| | トラックバック (0)

2017年4月25日 (火)

左派の源流となったイルミナティ ①創立者アダム・ヴァイスハウプトの天敵、神智学(26日に再加筆あり)

当記事は、過去記事「左派のグランパ、アダム・ヴァイスハウプト(イルミナティ創立者) ①天敵のプラトン系神智学」に加筆したものです。

…………………………

世界中に浸透した左派の影響力を、ここ数年で思い知らされた気がする。共産圏の人々と左派だけが影響されているのではなかった。

左派の原理原則となってきたのが、1776年に現在の南ドイツでイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトの著作であることを知ったときの驚き。

イルミナティなんて、オカルト情報誌『ムー』が情報提供する都市伝説にすぎないと思っていたから。左派の中のどれくらいの人々が、ヴァイスハウプトの思想について知っているのだろうか。

サイト「隠された真実」から、引用させていただく。

結社結成の日、ヴァイスハウプトは『Novus Ordo Seclorum』というタイトルの本を出版している。このラテン語の意味は「新世界秩序」。
ヴァイスハウプトの掲げたイルミナティの行動綱領は以下の通り。

  1. すべての既成政府の廃絶とイルミナティの統括する世界単一政府の樹立。
 2. 私有財産と遺産相続の撤廃。

 3. 愛国心と民族意識の根絶。

 4. 家族制度と結婚制度の撤廃と、子供のコミューン教育の実現。

すべての宗教の撤廃。

これらの行動網領が、後の共産主義の原型となった。

<https://sites.google.com/site/uranenpyou/home/illuminati>(2017/4/20アクセス)

イルミナティの行動綱領を著作で確かめられないのは惜しいが(『Novus Ordo Seclorum』も邦訳してほしい)、邦訳版の出ているアダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦・解説、芳賀和敏・訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(ベストセラーズ、2013)を読んで、この行動綱領の出てきた背景――、つまりヴァイスハウプトの思想を検証することは可能である。

イルミナティの行動綱領を、共産主義がそっくり借用したようである。ならば、いささか遅きに失した感はあるけれど、共産主義の本質を知るためにイルミナティの原典を学術研究する必要があるのではないだろうか。

夫は保守系カラーの大学で――当然、その大学ではマイナーだった――マルクス経済学を専攻したが、ゼミでイルミナティのイの字も聞いたことはなかったそうだ。

ちなみに夫の政治思想自体は、バランスを重んじるところから、一般日本人に多い中道右派といったところだろうか。わたしも政治思想的にはそうだが、わたしの場合は神秘主義者であるために、物事の判断の基準が一般人とは異なる場合がある。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)によると(35頁)、秘密結社「イルミナティ教団(Iluminati)」が1776年、パヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)で、大学の哲学教授アダム・ヴァイスハウプトによって、組織された。

『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の「訳者あとがき」には、ヴァイスハウプトの学位、肩書きについて、次のように書かれている。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタットに生まれ、この地の大学で哲学博士の学位を得た後、法学の員外教授をへて弱冠25歳で法学部の教会法正教授となっている。専攻分野は、はっきりと哲学であった彼が法学部正教授となった経緯は不明であるが、父親が(彼が5歳のときにすでに没している)インゴルシュタットの法律学の正教授であったことと関係があるかもしれない。正教授(プロフェソル・オルディナリス)といえば今日の我が大学教授とは比べものにならないほどのステータスである。さらに25歳といえばかなり俊足のエリートというべきか。しかも教会法といえばカノン法、カトリックの教会法ではないか(教会法に対して世俗法といえばローマ法で、この二つの法を法学生は学ぶのである)。この分野の正教授がカトリックに楯突いたのだ」(ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、「訳者あとがき」211~212頁)

前掲書『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』によると、イルミナティは、「『理性に支配される独裁的な共和政治』をめざす社会改革を唱えた。組織は軍隊組織のような下位の会員の上位者への絶対服従、部外者への秘密保持、会話や通信における会員同士の間での偽名と暗号の使用を義務づけ、狭量な民族主義や愛国心を否定する国際主義を唱えていた。また『目的達成のためならあらゆる手段が正当化される』と説いていた」(植田、2014、36頁)

イルミナティは本来フリーメーソンの結社ではなかったが、1782年にフリーメーソンの作家フォン・クニッゲ男爵が加入したのを契機に文豪ゲーテ、ドイツ諸侯、貴族ら多くのフリーメーソン会員が加わった結果、イルミナティの結社とフリーメーソンは会員構成で一体化してしまった。

こうしてイルミナティの結社はフリーメーソンの一組織に混淆、変容していき、クニッゲは追放され、大方の貴族が去った一方では、残ったイルミナティの結社員は急進的な政治傾向を強めていった。

パヴァリア選挙侯カルル・テオドルによって、1785年、イルミナティの結社は解散させられた。しかし、「この秘密結社の思想や掟は組織の解散後も各国の革命結社の規範の雛形として取り入れられていく。フランス革命の源流の一つにもなった」(植田、2014、36頁)

イルミナティの思想はイタリア統一運動にも取り込まれた。その中心的役割を荷ったのはカルボナリ党で、フリーメーソンとイルミナティ団の組織や規範を取り込んでいた。ロシアの無政府主義の革命家バクーニンも、この組織に関わった一時期があった。

イルミナティの信奉者はその後、パリで急進的な政治傾向の『親友同盟』の主導権を握り、そこからイルミナティ派の『社会主義サークル』が派生した。

彼らの規律は二十世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを『共産主義思想を実現するための最初の革命的組織』と評した」(植田、2014、37頁)

このようにカール・マルクスは、パリで派生したイルミナティ派の社会主義サークルを共産主義の源流として評価しているのである。

左派によってヴァイスハウプトの思想は拡散していったのだが、その工作の陰険、周到、執拗であるさまが露骨に目につき出したのは、日本では民主党政権のころからだった。

海外、特にアメリカではそれがわが国以上の猛威であったと知ったのは、ようやく今度のトランプ大統領誕生のころからだった。

こうした現象を、自分なりにいくらかでも分析し、整理してしまわなければ、落ち着いて創作に向かえない。第二次世界大戦後にGHQによって左傾化させられたわが国の大学の研究室でイルミナティが研究されるようになるには、まだ時間がかかるだろうから。

なぜ左派がイルミナティを研究してこなかったのかは疑問であるが、イルミナティを研究するにはイルミナティの攻撃の対象となったキリスト教や神秘主義をも研究せざるをえないからではないかと思う。それらをヴァイスハウプトに無条件に従って全否定するほうが結束が乱れないことは確かであり、しかし、もしそうだとすれば、それは盲目的信仰以外の何ものでもない。

ヴァイスハウプトがあたかも天敵であるかのように攻撃したのが、プラトンの流れを汲む神智学だった。もっとも、その神智学とはブラヴァツキー以前の神智学である。

1748年に生まれたヴァイスハウプトは、1830年に死去している。近代神智学運動の母となったブラヴァツキーが南ロシアで生まれたのは、その翌年の1831年のことだからである。

ヴァイスハウプトは『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の中で、教会法の正教授に就任した人物とも思えない悪態をついている。何しろ章のタイトルが「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」である。

あんこの足りないくそ坊主どもの戯れ言に他ならぬ現代の伝説というかメルヘンがある。これは、哲学というジャンルに、継承されている。というよりは異なる教説としてあからさまに、表明され含まれているものなのだ。この学説ほど、誤ったものは人間悟性の歴史のなかで他にない。こんなものに熱狂するのは、グノーシス派、折衷派、カバラ主義者くらいで、この連中の先には度はずれた大バカ、腐れ頭人間が待っている。後代の神知学者や神秘主義者は、桁外れのおバカ加減では誰にもひけを取らず、何人たりともこいつらに並ぶのはまだしも、凌駕するなどとんでもない。なんといっても馬鹿さ加減こそやつらの本領なのだから。このセクトは、そのご同類であるグノーシス派とユダヤ派のカバラ姉妹があることと並んで、たくさん麗しい性格の著作がある。身の毛のよだついやらしさの極致なのだが、これらは、いずれ偽造か古代の人物、その名のでっち上げで、連中の絵空事が受け入れられ、おおいに賞賛されるように目論まれていた。たとえばモーセ、アブラハム、ヘルメース、オルペウス、ゾロアスター、ピタビラス等など。(ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、170頁)

大した騒ぎである。神秘主義をこのように嫌う人物が薔薇十字団系のロッジなどもあるフリーメーソンの結社に入ったのは、組織をのっとるためという目的以外には考えられない。

ウィキペディア「イルミナティ」には次のように書かれている。

1777年、ヴァイスハオプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かったウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2017-02-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=63134666, (参照 2017-02-24).

『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』には、現代の編者F・W・シュミットによって書かれた「はじめに」がおかれている。それには、次のように書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、折に触れてフリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし『両者の意図と目的は一致しない』となった。このことをルートヴィヒ・アドルフ・クリスティアン・フォン・グロルマン[1741-1809 ギーセンの法学者]という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍(あまね)く浸透しており、至る所で活動していると見られていた」((ヴァイスハウプト、芳賀訳、2013、シュミット「はじめに」37~38頁)

トルストイは『戦争と平和』で、ロシアのフリーメーソンのロッジがイルミナティにのっとられる過程をよく描いていると思う。

ヴァイスハウプトは『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』の中で、プラトンを最も罵倒している。『ティマイオス』しか読んでいないかのような、長い引用と短絡的な解釈が特徴的である。

尤も、『ティマイオス』は重要な作品らしい。大学時代にシモーヌ・ヴェイユの著作で『ティマイオス』を知り、そのころから読みたかったのだが、果たせていなかった。文庫では出ていなかったのだ。

ヴァイスハウプトには、プラトン用語の意味がよく呑み込めていないのではないか。反抗期の少年のように字面だけを読んで納得できないと、すぐに断罪し、悪態をつくのである。それをそっくり真似て、左派がブラヴァツキーをバッシングする。純粋理性を重んじているようなことを書きながら、行動が伴っていない気がする。

ブラヴァツキーの著作ではあちこちでプラトンが出てくる。『ティマイオス』にも言及があるので、ヴァイスハウプト、ブラヴァツキー、シモーヌ・ヴェイユが『ティマイオス』をどう読んだかの比較をしたくなった。

改めて、『ティマイオス』が邦訳で出ていないか、図書館検索で調べると、利用している二つの図書館にはなかった。

アマゾンで調べると、プラトン( 種山恭子・田之頭安彦訳)『プラトン全集〈12〉ティマイオス・クリティアス 』(岩波書店、1975)が中古で21,393円! もう1冊、プラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』(白澤社、2015)が2,376円。

翻訳者である岸見氏は、『ティマイオス/クリティアス』の発売元である白澤社ブログの記事「岸見一郎訳『ティマイオス/クリティアス』刊行の経緯」によると、「ギリシア哲学研究の大家・故藤澤令夫氏に師事しただけではなく、岩波版『プラトン全集』の『ティマイオス』の訳者・故種山恭子氏の教えもうけた」かただとか。

夫が誕生日に贈ってくれた図書券を使って購入することにした。注文したばかりで、まだ届いていない。読んだら、続きを書きたい。予定が目白押しなので、また間が空くかもしれないけれど。

当ブログにおける関連記事:

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年9月 8日 (木)
トルストイ『戦争と平和』 ③イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-7878.html

2016年9月 6日 (火)
トルストイ『戦争と平和』 ②ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-a87e.html

2016年9月 5日 (月)
トルストイ『戦争と平和』 ①映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-c450.html

|

2017年3月21日 (火)

ようやく「テロ等準備罪」が閣議決定

2017年3月21日9時10分更新の産経ニュースによると(http://www.sankei.com/affairs/news/170321/afr1703210004-n2.html)、政府は21日、組織的な重大犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の要件を厳格にした「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を閣議決定した。

左派が強硬に反対してきた法案だった。わたしは国会中継をよく視聴するほうだが、国会における野党議員の質疑には失笑させられることが多かった。

なぜなら、それら質疑が徹頭徹尾テロの被害者側ではなく、実行者側(実行を疑われる側)に立ったものだったからである。

同じような質疑が繰り返され、単調に感じられるほどだった。では対案は、というと、現行の法律でまかなえるのではないかと彼らはいう。

わが国ばかりか世界を震撼させたテロの実行者オウム真理教に対して、破防法は働かなかったことを思い出す。

当時の首相は村山富市(当時・社会党、現・社民党)、基本的人権に関わることとしてオウムに対しての破防法の適用に慎重な――わたしの考えでは慎重すぎる――態度をとった。何のための破防法なのか、さっぱりわからない。

世論操作で、すっかり宗教、その中でもヨガに罪がなすりつけられたまま、全容の解明には至っていない。

オウム真理教の統一のとれた行動は個人主義的なヨガの修行者の団体らしくなく、むしろ一神教的で、わたしは不思議だった。

また人を人とも思わず、上の命令に盲目的に従い、即物的な実行行為に走るテロリストたちの姿は、フリーメーソンを侵食して共産主義に影響を与えたイルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトが著した秘密結社の内部規律を連想させられる。

この記事を書く前に検索したところ、オウム真理教は朝鮮カルト宗教に操られていた可能性が高いという説を複数閲覧した。

日本国内でヨガの修行者とされる集団が起こした犯罪に、朝鮮カルトの影がちらつく不思議。

そういえば、オウム真理教がロシアから大量に購入したといわれた自動小銃の件はどうなったのだろう? 当時から赤い色がちらつくのも不思議だった。

オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)が在日コリアンなのか日本人なのかははっきりしないながら、彼が朝鮮からの渡航者であることは間違いないようである。

ところで、朝鮮半島の動乱の歴史を調べれば、リベラルを好む在日コリアンが日本に多いことは不思議でも何でもない。

まさか、証拠(発掘された遺体や資料など)が厳然と存在する歴史の検証までヘイト扱いされないことを願いたいが、それを心配しなければならないほど、わが国はおかしな国になっている。

しかし、朝鮮半島で起きた「保導連盟事件」を歴史的事実として直視しなければ、在日コリアン問題が解決されることは決してないだろうと思われる。

保導連盟事件について、ウィキペディアより部分的に引用する。

保導連盟事件:ウィキペディア

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある。1960年の四月革命直後に、この事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。
(……)
南北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は日本へ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。


ウィキペディアの執筆者. “保導連盟事件”. ウィキペディア日本語版. 2017-01-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=62788238, (参照 2017-01-26).

李承晩大統領の命令による赤狩りから日本に逃れてきた人々が、共産主義の思想に共鳴する人々であったところで不思議ではない。その思想のために追われたのだから。

共産主義は国の枠組みを取っ払って世界政府を樹立するのが目的であるから、朝鮮カルト宗教とは目的が似ているのだという。

そして、朝鮮カルト宗教と共産主義の間にはある仲介が存在するようであるが、それを書くとアメリカの日本に対する影響にまで触れることとなり、長くなるので、興味のあるかたは自分で検索してみてほしい。

ベノナ文書によると、第二次大戦時にアメリカの大統領だったフランクリン・ルーズベルトの政権の中に多数のコミンテルンのスパイがいたというが、そのことが問題を複雑にしていると思う。

そういえば、フランクリン・ルーズベルトはある時点までは……神智学の話にまで話題が広がることになるので、この話は別の記事にしたい。

|

2017年3月 3日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ③入定とイデアの意味不明なハルキ的関係

このノートを書く前に再びアマゾンレビューを閲覧した。レビュー数が増えているぶん、批判的なレビューも増えていた。

批判的なレビュアーの中には、ハルキストと呼ばれていた人々も結構含まれている気がする。ハルキバッシングに発展する可能性すらあると思えた。

村上春樹がファンの一部から見放された原因は何だろう?

まだ第一巻を読んでいる途中なのだが、全体をざっと確認したところでは、かつてのムーディなところ、お洒落な趣向、リリシズムなどがそれほど感じられず、よく出てくる性描写にしても乾いた、即物性な印象を受け、どうしたのだろうと思ってしまったほどだ。

南京事件の採り上げかたにしても、ノモンハン事件を作品に採り上げたときのような、相変わらずの無造作さで、この御時世にこれではさすがに日本では左派、反日勢力以外の一般人には受け容れ難いものがあるだろう。

ネット検索中に閲覧した記事で、どなたかが村上春樹は中共のハニートラップにやられたのではないかとお書きになっていて、なるほどと思ってしまった。

すぐに寝て、どこへともなく姿を消す女たちの行動を女性諜報員たちのハニトラと思えば、納得がいく。さすがに一般人も騙されなくなってきた中共の工作を真実と疑わないところからも、そう空想させてしまうところがある。

女性たちの娼婦めいた描きかたは初期の作品から一貫したものではあった。それでも、例えば、『ノルウェイの森』では直子、緑、レイコといった主要な登場人物となっている女性たちにはきちんとした肉づけがなされ、描写は繊細であり、筆力にみずみずしさを感じさせるものがあった。

それがこの作品では、意図的なのかどうか、味も素っ気もない描きかたで、女性たちの魅力のなさという点では、わたしが読んだ中では一番といえるかもしれない。読んでいる途中なので、早計な判断かもしれないが。

しかし、作品をざっと見て、わたしがあっと驚いたのは「入定」が出てくる箇所だった。

萬子媛の入定を知った今のわたしにはあの描きかたは知識不足にとどまらない冒涜に思えたが、唯物論の信奉者の理解ではあれが限界なのだろうか、と勉強になった気がする。

イデアも出てきて、プラトンのイデア論をいくらか参考にしている風でもある。

ところが、プラトンでは永遠の真実在であるイデアが春樹の作品の中では、入定を試みた結果、失敗してお化けになった――とは書かれていないが、あの状態からすると、神秘主義的にはそうである――人物が絵の中の人物を借りて現われ、「あたしは霊であらない。あたしはただのイデアだ。」(村上春樹『騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編』新潮社、2017、352頁)とホザくのである。

この記事は書きかけです。

|

2017年3月 1日 (水)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ②気になった百田尚樹氏のツイート

村上春樹の新刊『騎士団長殺し』に関する百田尚樹氏の以下のツイートが話題になっているようだ。

百田尚樹
2017.2.24
https://twitter.com/hyakutanaoki/status/835382251378503680
村上春樹氏の新刊『騎士団長殺し』の中に、「日本軍は南京で大虐殺をした」という文章があるらしい。これでまた彼の本は中国でベストセラーになるね。
中国は日本の誇る大作家も「南京大虐殺」を認めているということを世界に広めるためにも、村上氏にノーベル賞を取らせようと応援するかもしれない。

百田氏のツイートを閲覧する前の2月23日木曜日、NHK『クローズアップ現代+』は「新作速報!村上春樹フィーバーに迫る」というタイトルで村上春樹の新作を紹介し、ファンだけでなく、春樹の作品に批判的なアンチにも光を当てていた。

といっても、番組に登場したアンチはわたしにはファンと区別がつかなかった。さらに、キャスターが村上春樹のことを「唯一無二の存在」とまで表現していて、驚かされた。

書店勤務の娘に春樹の本が売れているかどうか尋ねると、売れているという。

百田氏のツイートが気になり、検索してみたところ、百田氏同様に春樹の作品の「南京大虐殺」に憤っているブログ記事やレビューが出てきた。

しかし、作品のどこにどう書かれているのかがわからなかった。きちんとした評論にはなかなか出合えない。

どんな内容なのか、確認しておきたい気持ちに駆られたが、図書館から借りるとしたら当分先になるだろうと思った。

左派は日本の文学界を握るために純文学作家潰しをやった(「純文学なんてない」キャンペーン、村上春樹キャンペーン)――と過去記事でわたしは書いた。

左派のための御用評論家しかいなくなった文学界には、村上春樹をまともに論じられる評論家がいなくなった。

言論が自由なはずのこの日本で、なぜか抵抗作家を続けてきたわたしなどが問題意識に駆られてブログや電子書籍で世に訴えようとしたところで、所詮は無力感に覆われるだけなのだが、自国の作家の問題点を海外の評論家にしか指摘できなくなったとき、そのときこそ日本文学は終焉を迎えるのだとわたしは考えている。

そして、本来、芸術としての文学――それをわたしは純文学と呼んでいる――にはアマもプロも関係がないと思っている。

だから、世に出られない物書きでありながら、文学について考察を続けてきて、過日も無理して恩田陸『蜜蜂と遠雷』を購入したのだった。感想メモを評論に仕上げないうちにまた、この事態だ。

夫の定年後、本はなるべく図書館から借りるようにしてきたわたしは、春樹の新作にまで手が届きそうになかった。

折しも、2台あるエアコンのうち1台が壊れた。11年使っているものなので、そろそろ寿命かもしれないとは思っていた。買い替えるとなると、家計に打撃である。延長した10年の保証は切れている。

「運よく修理できたら、ハルキを買おうかなあ。エアコンを買うのに比べたら、それくらいの贅沢、してもいいよね?」と家族にいうと、「買えば?」と返事が返ってきた。

幸い、ギアの取り替えで済むという。ギアは15,000円かかるらしい。それに出張費を加えると、20,000円超えるはずだ。

それが、負けてくださいとお願いしたわけでもないのに、「お安くしておきます」といって、何と10,000円にしてくれたのだ。これはもう、本を買って評論を書かなければバチが当たると思い、購入した。

「南京大虐殺」については確認しなくてはならないが、もしかしたら、春樹の新作に文学的成熟が見られるかもしれないし、わたしには考えにくいこととはいえ、感動させられる可能性だってある……と思う。

とはいえ、萬子媛の小説に入りたいので、きちんとした評論を書くだけの時間がない。とりあえず、ざっと書いておくことになりそうだ。

参考のためにアマゾンなどのレビューを閲覧すると、やはり「南京大虐殺」について書かれたレビューがいくつかあった。これまでになく、冷ややかなレビューが目につき、驚いた。

以下の過去記事を書いたころ、春樹作品の左派的要素に触れた評論やレビューはあまり見かけず、こうした記事を書くにも勇気が要った。4年経ち、変われば変わるものである。

以下は、アマゾンのキンドルストアで販売中の村上春樹を論じた拙電子書籍。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

|

2017年2月21日 (火)

夫の祖父の働きぶりが窺える市史 ①カラーが異なる2人の祖父

本日はわたしの誕生日で、恐ろしいことに59歳になった。

しかし、嬉しいことに、注文した『伊万里市史 現代篇Ⅰ』(伊万里市史編さん委員会、平成18)3冊と、無償頒布していただけるという『肥前鹿島円福山普明寺禅寺誌』(佐賀大学地域学歴史文化研究センター、平成28)が届いた。

どちらも図書館から借りてみて、ぜひ購入したいと思った書籍で、『肥前鹿島円福山普明寺禅寺誌』は萬子媛の小説の貴重な資料となりそうだ。『肥前鹿島円福山普明寺禅寺誌』については別の記事にする。

『伊万里市史 現代篇Ⅰ』からは、夫の母方の祖父Iが佐賀県の当時は町だった伊万里で町長をしていたころのことが窺えるので、これは家宝とすべきものだと思い(そちらの家系は絶えそうだということなので、尚更)、義母と息子にも送ろうと思い、3冊注文していたのだった。

佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社を創建した萬子媛のことを小説にしたいと考え、あれこれ調べていたところ、思わぬところからわたしの母方の祖母の祖先に関する情報を得た。

父方の祖先に関しては、本家がしっかりしているので、かなりのことがわかりそうな気がするが、ご無沙汰していながらいきなり祖先の話はしにくいので、こちらは保留中である。

夫の祖先のことも知りたいと思っていた。夫の父方の祖父は唐津出身で、確実な話ではないが、祖先は松浦水軍(松浦党)だったという。過去記事で書いたように、長年かかってようやく成仏してくれたのは、この祖父――わたしからすれば義祖父――Zであった。

Zは百姓が嫌で、子供たちを置いて旅芸人になり、座長を務めた。子供たちは出て行った父を恨み、自分たちで頑張らなければと結束したという。Zは劇団員の一人で髪結いであった女性と再婚した(前妻とは死別)。この女性が夫の父方の祖母であり、その子が夫の父である。

ZとI というカラーの異なる夫の2人の祖父がどうやって知り合ったのか、夫は知らないそうだが、後にZはIから、旅館の経営を任された。

Zは、前妻との間に3人の子供を儲けている。そのうちの1人は戦死し、1人は父が棄てたも同然の農家を立派に継いだ。もう1人は町議会議員になった。

夫の母方の祖父Iは、伊万里市が伊万里町だったころに町長を務めた。その後、昭和29年(1954)に2町7村合併により、伊万里市が発足。

選挙運動が大変だったということは義母から、またIが町長を辞めたあとに消防長を務めていたことは夫から聞いていたが、その程度のことしかわからなかった。

Iは養子だった。養子に行った先が旅館を3軒所有し、企業の役員なども務めていたらしい資産家で、夫の母方の祖母となるIの結婚相手は神戸の貿易商の娘である。

「ねえ、ねえ。もしかしたら、おじいさんは関西あたりの名のある人物の落胤だったんじゃないの?」とわたし。
「うーん、どうだろうねえ。自分のことは一切話さない人だったからなあ。若いころに『青島の戦い』に行って飛行機に乗ったというのも、人から聞いた話だよ」

『青島の戦い』とは第一次世界大戦中の戦闘であるが、どんなものだったかをウィキペディアで閲覧すると、第二次世界大戦とは全く様相が異なる。この時代に投入されたモーリス・ファルマン式水上機の写真など見ると、「わあ、おじいさんがこれに乗ったの~?」と驚かされる。⇒ウィキペディア「青島の戦い」

昨日が市議会議員選挙の日だったこともあって、夫との間で、町長をしていた夫の祖父Iの話になった。

「どんな町長さんだったの? どんな時代に町長をしていたの?」とわたし。さあ、と夫。

夫はおじいちゃん子だったが、なついていたのは祖父Z。祖父Iは怖かったそうで、あまりなついていたという感じではない。しかし、怖いというのは厳格という意味らしく、夫は祖父Iをとても尊敬しており、夫にとって祖父Iに関することは一種の聖域といってよいくらいだとわたしは感じていた。

残っている写真はとても立派だ。毅然とした表情だが、柔和な感じも混じっていて、魅力がある。胸には勲章がいっぱい。

伊万里の歴史を扱った書籍に祖父Iのことがあるのではないかとわたしは考えた。

伊万里市のホームページの《刊行物》に『伊万里市史』の案内が出ていた。

約10年の歳月をかけて、平成18年度末に本編12巻、副読本1冊の発刊を完了」したそうで、各巻のタイトルは次のようになっている。

1.『陶磁器編 古伊万里』
2.『陶磁器編 古唐津・鍋島』
3.『自然・地理編』
4.『教育・人物編』
5.『民俗・生活・宗教編』
6.『建築編』
7.『映像編』(全市編・地域編)
8.『原始・古代・中世編 』
9.『近世・近代編』
10.『現代編 I 』
11.『現代編 II 』
12.『資料編』
13.副読本『絵図・地図に見る伊万里』

『原始・古代・中世編』には松浦党のことが書かれているようだし、『現代編 I 』には伊万里町が市になるころのことが書かれているようなので、一気に夫の2人の祖父のことがわかると思い、図書館から借りることにした。『陶磁器編 古唐津・鍋島』 も借りた。

想像した以上に、『現代編 I 』からは第二次世界大戦直後の大変な時期に町長を務めたIの働きぶりが伝わってきた。   

|

2017年1月 9日 (月)

正月気分の体調。ジャンヌ・ダルク。キャベツと焼豚のからし酢和え。

明けてから昨日くらいまで、心臓の調子が不安定だった。

軽い胸の圧迫感、血圧の低下、眩暈……といった症状から不調期に突入するのがいつものこと。

暑い間は血圧が低くて上が80くらいだったのが、11月の循環器クリニック受診のときには上は140だった。

寒くなってからはだいたいそれくらいか、もう少し高めの血圧で推移していたのではないかと思う。若いころに高血圧だったので、血圧は徹底管理したことがある。といっても、その頃は上がり下がりが激しくて一定しなかった。

心臓の薬が増えるにつれ、この種の薬には降圧作用があるのが普通だから、低血圧になり、それが当たり前になった――とはいえ、心臓の調子と関係があるのか、胸の圧迫感がちょくちょく起きてニトロの使用を迷うときは大抵低血圧になっている気がしている。

だから暑い間は眠くてたまらない。ここへニトロを使うと、ニトロにも降圧作用があるので、気を抜くと、気絶したように寝てしまうことがあるほど。

暑いと、頻脈にもなりやすいので、わたしは冬のほうが比較的体調はいい。しかし、周期的に冠攣縮性狭心症の発作はやってくる。胸の圧迫感、眩暈、おなかの調子も悪くなる。

いや、今回は食べすぎもあっただろう。正月気分で、食べ過ぎた。胃腸の調子がおかしくなり、空腹時にむかむかするようになった。それで、いつもの心臓の薬に、自己判断で薬局から購入したビオフェルミンを服用。

軽い圧迫感や胸痛が起きたときには静かに体を休めるようにしたら、これまでのところニトロを使わずに済んでいる。

ニトロの副作用は血圧が下がることくらいだから、積極的に使っていいようだが、血圧が下がりすぎると、眠くて、だるくて、生活の質が低下してしまうので、なるべくなら使いたくないのだ。

こんな感じの体調でスタートした。

山岸先生の『レベレーション』第2巻は読んだ。面白かったので、感想を書こうと思っているが、主人公がジャンヌ・ダルクとなると、改めて調べたいことなど出てきて、すぐにはまとまったものが書けない。

いうまでもなく、ジャンヌ・ダルクは救国の乙女と讃えられるフランスの国民的英雄であり、またカトリック教会の聖人の一人である。

だが、よく考えれば、ジャンヌが生きていたころのフランスはまだ統一がなされていなかったし、イングランド側もフランス側と同じカトリックだった(イングランド国教会の成立は16世紀、ヘンリー8世の治世時)。

だから、ジャンヌに出現した霊達の正体が何なのかがわからなくなってくる。

山岸先生は霊的な現象をジャンヌの側から繊細に描いている。

感想は、またあとで書こう。

20170108212358_2

余った焼豚で作った和え物。サイト「ゼクシィキッチン」の以下のレシピを参考にさせていただいた(リンクはOKのようなので、リンクを張っておきます)。もう一品というときに、おすすめ! キャベツの葉が硬かったので、わたしはさっと茹でた。

|

2016年12月 3日 (土)

京都の景観に影響を与えた仏教復興運動、アジア主義、そして歌代幸子『音羽「お受験」殺人』から垣間見えるサラリーマン僧侶の労働環境

明治政府による廃仏毀釈、第二次大戦とGHQによる農地改革や洗脳工作などで、わが国の宗教が被った痛手は大きいが、フェノロサや岡倉天心による仏教美術復興運動、また欧米列強の植民地主義に対抗する「アジアは一つ」との目標を掲げたアジア主義……こうした運動がなければ、観光都市京都の姿はどうなっていただろうと思う。

こうした運動についてネット検索、図書館から本を借りるなどしてリサーチしているところだが、前記事で書いたように、このところ新たに判明しかけたことが半端ではなく、整理が追いつかない。

リベラルの影響力が弱まったことは確かで、逆にいえば、これまで如何に彼らが歴史的事実を隠蔽し、歪めてきたかがわかるというものだ。

そして、ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷の的となったのは、前述した仏教美術復興運動とアジア主義に大きな影響を及ぼしたことも理由の一つだろう。

今読んでいる坪内隆彦『アジア英雄伝 日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社、平成20)、戦前から戦後のアジア主義を捉えた『岡倉天心の思想探訪 迷走するアジア主義』(勁草書房、1998)を読んでいるのだが、『アジア英雄伝』には次のように書かれている。

アジア各地の伝統思想、宗教の復興、それと結びついた反植民地主義に与えた神智学の影響の大きさは、もっと重視されても良いのではなかろうか。(坪内,平成20,83頁)

だが、これを知られては、リベラルには都合が悪いのである。

現在のわが国で仏教が置かれた現状の一端を、お受験殺人事件と呼ばれた事件の渾身のリポートである歌代幸子『音羽「お受験」殺人』(新潮社、2002)の記述から垣間見た気がした。

加害者となった女性の夫がサラリーマン僧侶であったことや、当時の職場環境がどんなものであったかが詳しく書かれているのである。

わたしは事件に触発されて2000年5月に「地味な人」を執筆し、織田作之助賞に応募して三次落ちしていた。

拙作に登場する加害者となる女性の夫は流通業界に身を置くサラリーマンで、あの事件を再現しようとした作品ではないが、拙ブログ「マダムNの連載小説」で公開するにあたり、当時、参考資料とした『音羽「お受験」殺人』を再読したのだった。

事件のあらましを『音羽「お受験」殺人』を参考に述べると、1999年11月、東京都文京区に住む35歳の主婦山田みつ子は、当時2歳だった同区在住の会社員の長女若山春奈ちゃんを、寺の境内にある幼稚園に近接した公衆トイレで首を絞めて殺害した。

みつ子は僧侶の夫と5歳の長男、2歳の長女の4人暮らしで若山さん宅と同じ家族構成、子供二人の年齢が同じ、長男は共に同じ幼稚園に通っていた。みつ子は若山さんと幼稚園で顔見知りだった。今でいえば、ママ友である。

犯行当時、春奈ちゃんは文京区の有名国立大附属幼稚園に合格し、みつ子の長女は落ちていた。文京区は都内でも有数の文教地区として知られ、被害者である幼女が合格した幼稚園はその年の競争率が約22倍と都内でトップの人気を誇る名門であるという。

その合否をわけた直後の犯行であったことが「お受験殺人事件」として騒がれる原因となったわけだが、みつ子は受験と事件との関わりを否定し、春奈ちゃんの合格も知らなかったと供述した。

みつ子が犯行の動機について、「(春奈ちゃんの母親との)つきあいの中で、心のぶつかりあいがあった」(歌代、2002、9頁)と述べたことから、人々の事件に対する関心は受験から母親同士の確執へと移った。

事件を報じた朝日新聞、毎日新聞、読売新聞には、全国の主に30代の専業主婦から反響があったという。

事件の悲惨さに憤るものや、容疑者への批判と同時に、多くの主婦たちが、子育てのつらさやストレス、人間関係の難しさを訴えていた。『ひとごとではない』と山田みつ子に自分を重ね合わせる母親たちも少なくなかったのである。(歌代、2002、10頁)。

わたしは当時41歳だったが、事件の衝撃は大きかった。

58歳になったわたしが『音羽「お受験」殺人』を再読して改めて目が留まったのは、みつ子の夫がサラリーマン僧侶であったことや、その職場環境だった。

また、農家だったみつ子の実家が百年続く旧家だったことにも目が留まった。

この事件のやりきれなさは、事件を惹き起こした側に、日本人の古くからの心の拠り所や伝統、日本の歴史などがほの見えるところにある。

前述したことと重なるが、明治時代に神仏分離令が発せられ、国家神道が形成されるに至って、神仏習合が伝統的であった日本人の宗教環境は一変した。

明治政府の政策に伴い発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)の凄まじさは、ウィキペディアの以下の記述を引用するだけで足りるだろう。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
ウィキペディアの執筆者. “廃仏毀釈”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88&oldid=62058078, (参照 2016-11-24).

そして、第二次大戦後にはGHQが発した神道指令によって神祇院が解体、神社本庁が設立され、これによって国家神道は無力化された。仏教も、農地改革によって寺社領が安く買い上げられることによって解体が進められ、これも無力化されたのだった。

再び前掲書『音羽「お受験」殺人』を参考にすると、昭和39年静岡県に生まれたみつ子は、埼玉県立衛生短期大学の看護学科に進んだ(埼玉県立衛生短期大学は1999年に埼玉県立大学短期大学部と校名変更後、2008年に廃止)。

みつ子の卒業論文「看護の立場から人間をどう観るか」の冒頭を、前掲書から引用する。

看護はすべての人間が、その一生において根源的に関わりうける生・老・病・死と直接取り組む領域の仕事である。つまり、肉体的にも精神的にも痛みを持っている時、もう一人の全然別の人間がその苦痛を感じとり、苦痛の追体験をすることから始まった仕事であると言えよう。言い換えれば、人間そのものが人間の生活のあり方や他人を見つめることがなかったなら存続し得なかったと言えるのである。(歌代,2002,56-57頁)

結びは次のような文章となっている。

こうなると、F・Nが述べるように看護はまさにartであって看護婦が生涯努力しつづけて築きあげていくものであり、看護者が生きるということと看護のつながりを考えていくことなのだろう。そして、だからこそ死の前に立たされた医学が無力であるのに対して看護はどこまでもあるのであり、またここからが人間のみがとりくめる問題として本当の看護が問われるのであろう。(歌代,2002,58頁)

文中のF・Nとはフローレンス・ナイチンゲールのことで、論文にはナイチンゲールが著わした『看護覚え書』を通して、彼女の考察がまとめられているという。

あの事件を起こしたのが、このように自覚的で洗練された文章を書いた人物であったことを知ると、二重に衝撃的である。

この短大時代に摂食障害が始まり、看護婦に向かないのではないかとの迷いが生じたみつ子は短大をやめようと考えたほどで、教官や友人に励まされて何とか仕上げた卒論だった。

摂食障害の原因は、郷里の大家族における複雑な人間関係にあるようでもあり(祖父の前妻の子である夫と姑の間で苦労する母親の姿を見て育ち、みつ子は母親には心配をかけまいとするいい子だった)、本人の完全主義的な傾向にあるようにも思われる。

だが、少なくとも短大時代には教官や友人との間に温かな人間関係があったのだろう。

短大卒業後、浜松医科大学付属病院に就職するが、患者の死にショックを受けて退職する。実家に戻って1年8ヶ月、引きこもりの生活をした。摂食障害はそのときにも起きた。自殺未遂も起こしている。

1986年に静岡市内の日本赤十字病院に再就職してからも、摂食障害は起きた。それを克服しようとしてか、三交代のハードな勤務をこなしながら休日にはボランティアの手伝いにも出かけている。

著者は、東京拘置所のみつ子に面会を求めて手紙を書き、それに昔から好きだったという八木重吉の詩を一編添えたという。面会は叶わなかったが、返信には「八木重吉さん私も好きです」(歌代,2002,228頁)との言葉があったそうだ。

わたしも、八木重吉の可憐といってよいような純粋な詩は好きである。

みつ子は読書家だったに違いない。看護師として勤務するには、あまりに感じやすいタイプなのかもしれない。

ただ、わたしのまわりの例からすると、看護師さんで精神的な問題を抱える人は多いようである。わたしが通った高校では、家計の負担を考えて、国立大学の教育学部と看護学校を併願する女子が多かった。

優秀な女性が看護師さんを目指したというイメージがある。

周囲に看護師さんが多いせいか、苦労話を聞く機会も多く、またわたしは心臓疾患による通院歴が長いため、顔見知りになった看護師さんから「一日に8回食事をとるのよ」と聞いて驚いたこともあった(毎回しっかり食べるそうだから、これは摂食障害だろう)。不倫、喫煙、流産、離婚……看護師さんには案外多いと聞く。

このことはつまり、優秀な女性であっても耐えられなくなるほどの過酷さが看護師という職業にはあるということだろう。

みつ子の実家は神道だったそうだが、日赤勤務のときに松原泰道老師の「南無の会」の法話に感動し、長野市の禅寺で開かれた南無行(夏期講習会)に母親と参加している。

法廷で「中学時代から法話を伺ったりするのが好きで、吸い寄せらせるように行った感じです。宗教というより、人間の生き方に関心がありました」(歌代,2002,61頁)と語ったという。

格調高くてわかりやすい解説が魅力的な松原泰道『禅語百選――今日に生きる人間への啓示(NON・BOOK-42)』(祥伝社、昭和47)は、大学時代からのわたしの愛読書である。

「南無行」でボランティアの受付をしていた十歳年上の僧侶が、みつ子の夫となった男性だった。「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」(歌代,2002,61頁)との出会いの印象であったという。

専業主婦は三食昼寝付などといわれ、これほどお気楽な商売はないように思われがちだが、実態はそうではない。

当時は専業主婦の多い時代であった。いい換えれば、女性の多くが専業主婦にならざるをえない社会状況があったということである。

サラリーマンは企業戦士といわれ、妻は銃後の守りであった。夫の仕事には妻の主婦業がしっかり組み込まれていた。

夫と妻と子は一心同体のように扱われ、全部ひっくるめて社会的評価が確定するという風なのだ。やがて社会は変化し、夫の仕事に組み込まれていた夫と子は除外されていくけれど。

会社関係の行事や交際が減った代わりに、考慮されていた勤務や転勤に伴う家族の事情は度外視されるようになっていった。家族のありかたをつくり上げるのが、社会あるいは政治だということがよくわかる。

こうした時代背景を考えてみても、サラリーマン僧侶の妻となったみつ子が置かれた環境は過酷すぎた。

1993年の結婚式直前まで、みつ子は看護師の仕事をやめられなかった(ということは、1986年から1993年までの7年間、日赤の看護師として激務をこなしていたのだろう)。

上京して新婚三日目から、音羽にある禅寺(臨済宗)の副住職の嫁として勤務がスタートした。寺からは6万円の給料が出た(みつ子は専業主婦ではなかったと著者が書いている)。

5時半に起床。6時に、夫と寺に読経に出かけた。6時45分に帰宅して朝食の支度。10時には寺へ出かけてトイレ、書院の掃除。昼に帰宅し、夫の食事の支度。午後も寺へ出かけた。

土・日の週末は、寺で座談会や法事の接待。家事と育児を計算に入れれば、自由時間は皆無だったのではないだろうか。みつ子は、郷里の母親には心配をかけまいとした。

郷里を離れてからも、田植えや稲刈りの頃には実家を訪れて、農作業を手伝ってきた。東京の自宅からは、一人暮しの母親を案じてこまめに電話をかけてきたという。(歌代,2002,37頁)

まるで苦行のような生活であるが、僧侶ではないから僧侶が得る社会的地位は得られない。いっそ彼女自身が尼僧であれば、楽だったのではないかと思えるほどだ。

それでも、みつ子は夫の不安定な立場を気遣い、不満を漏らさなかったという。

夫の立場がどう不安定だったかといえば、彼は、住職の二人の息子が後を継がないために寺の後継者として雇われだのだが、やがて住職の気持ちが変化したのだった。

住職は身内に継がせたいと思うようになったというのである。この後継者問題で住職夫妻との折り合いが悪くなったということらしい。

ひどい話である。

寺の後継者になれないことが最初からわかっていれば、みつ子の夫はそこへは就職しなかった可能性もある。寺を継げないとなると、将来に対する展望がなくなってしまうだろう。住居の問題一つとっても、先で寺を継げるのと継げないのとでは大きく違ってくる。

以下の記事がサラリーマン僧侶の職場環境を知る助けになる。

サイト「給料BANK」の住職・僧侶の給料や初任給を解説した以下の記事、

  • http://kyuryobank.com/kankon/jushoku.htm

読売オンライン「大手小町」における記事、

  • http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0517/4099

お坊さんとの質疑応答サイト「hasunoha」の以下の記事、

  • http://hasunoha.jp/questions/2332

住職の気持ちが変化したらしたで、別の寺に紹介するのが筋ではないだろうか。これでは寺に騙されたも同然ではないか。ブラック企業さながらだ。

新婚当初から夫は部屋にカーテンもつけず、新聞もとらなかった。ゴミの処理の仕方から布団の干し方まで細かく指示したという。

これは、山田夫妻の新居が職場でもあったからではないだろうか。

前掲書には、次のような記述があるからである。

九四年、一月、長男を出産。自宅に戻ると、体調も戻らぬうちから、毎日のように訪ねてくる夫の客にお茶や食事の接待をした。この時の無理がたたって体の具合を悪くし、まもなく再入院している。(歌代,2002,135頁)

みつ子は実家で出産したかったが、住職への気兼ねと夫の食事の心配などから、それができなかったとも書かれている。

築二十余年という八階建ての賃貸マンションは天井の低い昔ながらの造り。四十六平米ほどの2LDKに住み、西側のベランダからは、すぐ裏手を走る首都高速が間近に見える。(歌代,2002,15頁)

このような住居で、赤ん坊が生まれたというのに、一部屋を来客用としてとっておかなくてはならないとしたら大変だ。

うちは、子供が小さかった頃には夫の同僚が狭い家に10人ほども飲みに来たりして、沢山用意したはずの食べ物や氷があっという間になくなり、慌てて暗い中を当時は少なかったコンビニへ走っていったことなど思い出すが、新婚時代に上司2人を招いたときを例外として、気持ち的には気楽だったから、家計さえ気にしなければ、当時は健康でもあったし、結構楽しかったような気もする。

しかし、みつ子が迎えなければならなかった客は、粗相があってはならない、気の張る客だっただろう。

檀家の夫婦によると、みつ子の寺での様子は控えめで、礼儀作法もできていたという。

法事の合間にはお茶をいただくのですが、そんな時もとても気をきかせてくれて、茶碗が空く頃にすっと現れて、お茶を入れてくださる。(歌代,2002,24頁)

旧家の出らしい、そして完全主義者らしいみつ子の姿である。

救いを求め、またみずみずしい関心を抱いて仏教の世界に入ったそこは、表向きの仏教しか存在しない世界だった。

山田夫妻が寺という職場で受けた非情な扱いから、明治時代の廃仏毀釈やGHQによって損なわれた現代日本の宗教の生々しい病態が見えてくる気がする。

仏教の世界ではつらい労働と将来の不安しか得られなかったみつ子が、今度はママ友の世界に救いを求め、かつての夫の身代わりともいえる、「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」と感じられるような友人を探したであろうことは想像に難くない。

|

2016年12月 1日 (木)

第二次世界大戦では事実上イルミナティと戦い、敗戦後はイルミナティに育てられ…

このところ、ブログの更新が疎かになっているが、知的欲求が低下しているわけでも、神秘主義的な分野における読書や考察を休止しているわけでもない。

むしろ、情報の氾濫する中で取捨選択に時間をとられている状況といえる。

拙ブログ「マダムNの連載小説」で連載中の純文学小説と、江戸初期から中期にかかるころに祐徳院を主宰した花山院萬子媛をモデルとした短編歴史小説は全く別の時代の話だが、同じ日本という国土を舞台とした小説である。

短編歴史小説の第一稿が出来上がった時点で、これは粗描のような段階のものだから失礼だとは思ったが、過去記事でご報告したように、友人知人、読書好きの親戚、恩師に送ってみた。

ありがたいことにほとんどの方が電話や手紙、葉書などで感想をくださった。参考になり、第二稿にとりかかった。ところが、わたしの中で渦巻く違和感があり、遅々として進まなかった。

それがなんであるのかを率直にいえば、日本人の間に蔓延している唯物論を第一義とする、とても本心からとは思えない態度なのだ。

モデルとした萬子媛は祐徳稲荷神社の創健社として地元ではよく知られた存在で、当時は神仏混交の時代であったから、萬子媛は伏見の稲荷大神の分霊を祀ると共に敬虔な仏教徒でもあり、後に出家して黄檗宗の尼寺を主宰し、死期を悟って断食入定を遂げた。

わたしは物語性をあまり出さず、資料に沿った書き方をしたいと考えた。そして、書きたいと考えたことをとりあえず全て盛ってみたのが第一稿だったというわけで、読みやすいものだとはお世辞にもいえないものだった。

小説には賛否両論寄せられ、それはほぼ半々の割合だった。共感は歴史好き――史実好きといったほうがわかりやすいかもしれない――の人々から主に寄せられ、批判は物語性――ヒューマンドラマ――を重視する人々から主に寄せられたように分析している。

批判の中には、わたしが作品の最後のほうでほのかに匂わせた神秘主義的描写や作品に添えた「はじめに」の中で表白した神秘主義的なプロフィールに対する違和感ないしは反感などもあったのではないかと憶測している。

感想には、宗教的、あるいは神秘主義的なテーマを率直に話題にしたものはなかった。まるで、こうした事柄に対して語ることが禁じられているかのように。歴史的に、物語的に語ることは構わないわけだ。

前世とあの世に関するほのかな霊的記憶があるわたしは、物心ついたときから神秘主義者であるので、日本は違和感のある国であるが、特定の宗教に縛られずに済むという点では暮らしやすい国といえる。

それにしても、現代日本の唯物論的雰囲気はどこから来たのか――この疑問はずっとわたしの中にあり、長いこと解けない難問だった。

それが、民主党が政権を握ったころから徐々に解け始め、トランプ大統領の誕生が確実になった今、戦後長らく主導権を握ってきたリベラルの呪縛が解けかけたかのような世相と連動するかのように、かなり解けたのだ。

端的にいえば、アメリカはリベラル(フランクリン・ルーズベルトが構築したニューディール連合)にのっとられており、戦後GHQを通して日本もそうなったのだ。リベラルの思想はいうまでもなく唯物論である。

アメリカの公式文書ヴェノナファイルによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上のコミンテルンのスパイがいたという。「ハルノート」を書いたハリー・デクスター・ホワイトもその一人である。

コミンテルンとは共産主義政党による国際組織で、第三インターナショナルともいう。モスクワを本部とし、1919年から43年まで存続した。日本共産党はコミンテルン支部として1922年に誕生している。

GHQが仕掛けた洗脳プログラムWGIPについて、一般日本人も知るところとなり、昨年5月に関係書を数冊読んだところだった。江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(文春文庫)』(文藝春秋、1994)についてはもう少し早い2013年12月に読んでいる(2013年12月22日付過去記事)。

そして、アダム・ヴァイスハウプト著(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)』は今年の9月、イルミナティの設立者アダム・ヴァイスハウプトの著作が邦訳版で出ていることを知って読んだ。

未来的ヴィジョンのない、方法論にのみ秀でた、単純な破壊思想には震撼させられた。

ヴァイスハウプトが設立した結社自体は1776年から85年までしか続かなかったが、その思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込んで世界に拡散した。

すなわちイルミナティの思想はテロ組織の原理原則となって今も生きており、マルクス主義もイルミナティの影響を受けているというが、ヴァイスハウプトの著作を読めば、マルクス主義は何てイルミナティの思想にそっくりなんだろうと思う。過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html

さらに、衝撃的な事実を知った。

ソースの確認作業中なので、以下は単なるメモ。

イルミナティの設立に、財閥ロスチャイルド家の基礎を築いたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが資金援助を行ったのだという。

それだけではない、1800年代にはルーズベルト家の一員クリントン・ルーズベルト(セオドア・ルーズベルトとフランクリン・ルーズベルトは親戚)がイルミナティに資金援助を行い、それがマルクス、エンゲルスの著作活動の資金になったというのである。

また1832年、アメリカの名門イェール大学に秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」が設立された。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルが、アルフォンソ・タフト、その息子ウィリアム・ハワード・タフトと共に設立した。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルはロスチャイルドとアヘン貿易を通してつながりがあった。フランクリン・ルーズベルトの祖父ウォーレン・デラノ・ジュニアはラッセルの会社の経営陣の一人だったという。

「スカル・アンド・ボーンズ」にはイルミナティの特徴が取り込まれたらしい。

「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー、ダニエル・ギルマンの教え子にジョン・デューイがいる。ジョン・デューイといえば、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズと共にプラグマティズムを代表する思想家ではないか!

このデューイの教育に関する思想がアメリカのみならず、戦後日本の教育界に大きな影響を及ぼしたのだ。

また「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーには、ヘンリー・スティムソンがいた。

合衆国大統領の第26代セオドア・ルーズベルトによりニューヨーク南地区の連邦検事、第27代ウィリアム・タフトにより陸軍長官、第30代カルビン・クーリッジによりニカラグアに派遣、第31代ハーバート・フーヴァーにより国務長官、第32代フランクリン・ルーズベルトにより陸軍長官に登用され、マンハッタン計画において日本に原爆投下の決定を検討したという暫定委員会の委員長を務めた。

イェール大学出身のアメリカの大統領は多いようだが、トランプに敗れたヒラリー・クリントンもエール大学(ロースクール)出身である。

第二次世界大戦におけるアメリカとの戦いは、イルミナティの目論みの中で行われ、戦後日本はイルミナティに育てられたといっても過言ではないだろう。

このことを知ったショックで、ここ数日ブログが書けなかったというわけである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

以下は、中国を理解する助けになる河添恵子氏の講演の動画。


同じ河添氏が警告するヒラリー・クリントンに関する動画。10月23日に公開されたもの。


江崎道朗氏のお話は、アメリカを知る助けになる。

|

2016年11月25日 (金)

戦後、流通業界の基本理念となった左派系思想「経済民主主義」

ちょっと更新が滞ってしまった。

現在、はてなブログ「マダムNの連載小説」で純文学小説を連載中で、ブログの趣旨について述べた「はじめに」で次のように書いている。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。
ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。
つまり、16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものなのです。
こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。当時は、ママカーストという言葉だけでなく、ママ友という言葉もありませんでした。

また、小説の「前書き」では次のように書いている。

日本社会を震撼させた音羽お受験殺人事件(1999年11月22日)に着想を得、2000年5月に脱稿した作品ですが、事件を再現しようとしたわけではありません。
子育て中に底なし沼……にはまってしまう女性もいるに違いないと思われたので、その底なし沼を何とか表現したいと考えました。
2005年になって、たまたま事件現場の近くを訪ねたので、現場に隣接する寺に行ってみました。日中でしたが、寺に面した通りは人通りが少なく、静かでした。娘が受験して途中で落ちた大手出版社が同じ通りにありました。
ワープロで感熱紙にプリントアウトした作品の保存状態が悪く、このままでは読めなくなりそうでしたので、改めて校正しつつ連載形式で公開していく予定です。
「織田作之助賞」で三次落ちした、原稿用紙100枚程度の小説です。

具体的にいうなら、「地味な人」は当時の日本社会の動きの一端を流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して描こうと目論んだ作品である。

流通業が日本社会に与えた影響をテーマに描いた作品には、ノンフィクションの分野では、例えば、佐野眞一の秀逸な作品『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』(日経BP社、1998)』がある。純文学系小説家の作品では知らない。

音羽お受験殺人事件に着想を得た作品というのであれば、「織田作之助賞」に応募した作品の中には結構あったと聞いた。

事件の背景は複雑であるのが普通だから、事件のどういった側面に光を当てて創作しようと思うかで、内容の違いが生まれてくる。

いずれにせよ、受賞したのはあの事件とは何ら接点の感じられなかった作品であり、他の文学賞受賞作品やプロの純文学系作家の作品にもあの事件を考えさせるようなものをわたしは知らない。

わが国の文学界が「純文学など、ない」キャンペーン(純文学弾圧)を盛大に繰り広げた時期があったことを考えれば、仮にこうしたテーマで世に出ることができたとしても、その小説も作家も遅かれ早かれ潰されたに違いない(純文学を弾圧した連中が何者であったかが、今、明らかになってきている)。

「地味な人」を連載しながら改めて、あの時代が如何に日本社会の転換期であったかを考えさせられている。

わたしが流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して小説を描こうと考えたのは、その世界しかよく知らないということもあったが(わたし自身は総合スーパーの衣料品部、某百貨店の食品部、某百貨店の出張所で働いたことがあるだけだが、夫を通じても流通業界に縁があった)、流通業が如何に日本の法律を変え、街並みを変え、文化に影響を及ぼしてきたかをつくづくと考えさせられたからだった。

応募小説を執筆するときには、夫にお世話になった。夫は流通業界に身を置く一サラリーマンにすぎなかったが、貴重な話を聞き、資料や本などを借りることができたのだった。

100枚内の小説にそう多くのことを盛り込むわけにはいかず、また専門的な説明は極力少なくするようにしたため、今読むと、もう少し説明があったほうがよいと思われる箇所が出てきた。

しかし、本文に加筆しすぎると、別物になってしまい、小説の雰囲気が壊れてしまうだろう。従って、脚注を利用して説明に幅を持たせることにした。

そうやって、連載14回まで終え、15回となって、流通業の基本理念となってきた「経済民主主義」について、脚注で説明を加える必要を覚えた。

流通業界の理論的指導者であった渥美俊一が経済民主主義を唱えたことは有名だ。彼はペガサスクラブを設立した。その影響の大きさを知るには、ウィキペディアの次の解説を引用するだけで足りるだろう。

1962年設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ジャスコの岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニーの西川俊男、イズミヤの和田満治など30代の若手経営者が中心。会員企業数は急速に伸び、1969年には1,000社を超えた。渥美は、メンバーの経営者を率いて毎年アメリカ視察を行うなど、アメリカの本格的なチェーンストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者として、草創期にあった戦後日本を代表する多くのチェーンストア企業を指導した。

ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).

経済民主主義について、わたしは応募小説執筆時は詳しく調べなかった。小説では次のように書いている。

「A…という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は《経済民主主義》を唱えるんだ」
「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればよいという理論なんだよ。(略)」

執筆しながら、民主主義という言葉が入っているものの、左派臭い理論だと思った。当時はインターネットが今ほど普及していなかったということもあって、疑問はそのままになっていた。

今回調べたところ、オンラインで閲覧できる論文がヒットした。その論文から経済民主主義の成立と歴史を端的に解説した部分を引用させていただく。

フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党系労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた。

山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 <http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031>(2016/11/12アクセス)

やはり左派系理論である。ダイエー創業者の中内功が毛沢東の心酔者であったことなども有名な話で、流通業界はわたしが想像した以上に左派の影響を受けているようだ。

前掲書『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』で描かれる中内功にはひじょうに純粋なものが感じられた。

経済民主主義には利点も難点もあるだろう。

ちなみに、ナチスが共産主義者を弾圧したためか、右派と勘違いしている人も多いようだが(安倍首相をヒトラー呼ばわりする左派の人々ってナンだろうか)、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

左派の問題点をわかりやすく指摘した投稿を「余命三年時事日記」で閲覧した。以下に引用させていただく。

1327 11/25アラカルト2
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/11/25/1327-11%ef%bc%8f25%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%ef%bc%92/

鬱田高道
余命様、日本再生大和会の皆さま、告発作業お疲れ様です。
 日本の左翼といい、アメリカの反トランプリベラルといい、なぜ左翼は自国を破壊しようとするのか。そしてなぜ彼らは国民国家を無用の存在と考えるのか。左翼の価値観である自由・平等・人権・民主主義・反差別・反戦平和といった概念は、日本やアメリカという国民国家が無くても守れる、むしろ国民の自由や人権を規制し、外国人を差別し、そして武力によって国家間の問題を解決しようとする日本やアメリカやその他の全ての国々がこの地球上から無くなった方が、左翼的価値観をより守れると彼らが考えているからでしょう。
 左翼連中は自らの信じる左翼的価値観を守るために、本能的に国家を敵と認識し、破壊しようとしているのです。しかし本当に国民国家無くして左翼的価値観や世界平和は守れるのでしょうか。
 18世紀の大哲学者であるエマニュエル・カントは、フランス革命後「永遠平和のために」という著書を発表しました。どうすれば永遠の世界平和(カントの言う永遠平和)を実現出来るのかを考察した本ですが、カントはその方法として二つの仮説を提示しています。「世界国家」と「平和連合」です。
世界国家とは、個々の国家を潰して、地球全体を一つの国家とする方法です。
 国家が無くなって地球全体が一つの世界国家になれば、この世から戦争が無くなり、世界平和が実現しそうですが、カントはこの方法を真っ向から否定しています。
 人間は住む土地(つまり国)によってその持っている価値観に違いがあり、一つの世界政府が世界国家全体を画一的に統治すれば、必ず世界中の人々が反発を起こし、それが全世界的な戦争に繋がるからです。世界平和のために建設した世界国家が、世界中で戦争を発生させる原因になっては本末転倒だという訳です。ヨーロッパ版世界国家であるEUが、イギリスの反発と離脱に逢って崩壊の危機に直面しているのを見ても、世界国家は非現実的であるというカントの指摘は正しいと思います。
 カントがその世界国家の代案として提示したのが平和連合です。平和連合とは世界中の国家がその枠組みを維持したまま平和的に連帯し、世界平和を実現する方法です。20世紀の国際連盟や現在の国際連合は、このカントの平和連合のアイデアを下敷きにして生まれた組織です。現在の国際連合が色々問題があってもそれなりに世界平和に貢献し機能しているのを見ても、平和連合こそが現実的な永遠平和の方法であるというカントの指摘は正しいと言えると思います。
 ではカントの言う、住む土地ごとに異なる、人々が持っている特有の価値観、とは何か。それは伝統的価値観、つまり「保守主義」でしょう。カントは保守主義こそが現実的な世界平和の基礎だと言ってるんですね(笑)。
世界平和を守っているのは、本当は自称反戦平和主義者の左翼連中ではなく、我々余命支持者のような保守主義者たちなんです。
世界平和は保守主義を基礎とした国民国家の連帯によって守られている。その現実を否定し、世界中の国民国家を破壊し、世界国家を建設して、人類を全世界的な戦争とテロの泥沼に陥れようとしているのが、自称平和主義で反差別主義者の左翼たちです。まったく愚かとしか言いようの無い連中です。
 国民国家はその国の伝統的な所有者(マジョリティ、多数派)が、差別によってその数的優位を維持しなければ崩壊します。ナチスドイツのユダヤ人虐殺のような過激で非人道的な差別は駄目ですが、国民国家の枠組みを守るための人道的・道徳的な範囲内の差別は必要です。
 地球上の全ての国民国家が崩壊し、世界政府が世界国家を統治する世界とは、ちょっとイメージすれば分かりますが、それは地球全体が一つの独裁国家になった状態です。少なくともそうなる危険性は多分にあると思います。
 左翼よ、なぜ国民国家の破壊と「独裁世界国家」の建設が、世界平和を実現するんだ?
 国会が幾つもの政党に分かれて、お互いにその行動をチェックし批判し合う事で、国の自由や平等や人権や民主主義が守られているように、世界が複数の国に分かれて、お互いにその行動をチェックし合う事で、世界中の自由や平等や人権や民主主義は守れているのではないか?
 地球上から国民国家が消滅すれば、左翼的価値観である自由や平等や人権や民主主義も、この地球上から消えて無くなるのではないか?
 実は国民国家を守ろうとしている我々保守主義者こそが、保守主義だけでなく、世界の左翼的価値観すら守ってあげているのです。
 世界中の左翼連中が行っているのは、ただの無意味な破壊に過ぎません。
 保守主義と国民国家と平和連合(国際連合 )さえ有れば、世界平和も左翼的価値観も自動的に守られるのですから、左翼主義者や左翼政党や左翼マスコミなど、もうこの世に必要無いのかも知れません。
長文、失礼しました。

わたしは左派系思想に強い影響を及ぼしているイルミナティ思想こそが問題だと考えている。以下は当ブログの過去記事より。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

2016年11月13日 (日)
ドナルド・トランプ米大統領の誕生と戦後体制の瓦解
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/11/post-7bd2.html

トランプ米大統領の誕生で、あちこちで崩れかけていた戦後体制が一気に崩れそうな気配がある。

戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想の入り込んでいるのが問題だった。

1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はひじょうに粗悪なものである。

ヴァイスハウプトの著作の内容自体がひどいものだから、そうならざるをえない。しかし、一方、テロの原理原則となったその方面の方法論だけは秀でていたのだから、イルミナティの思想の危険度は推して知るべし 。以下の過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html
(……)しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。
アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。
ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。
『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。
1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された」(植田,2014,p.284
それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。
(……)

イルミナティの思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込み、やがてイルミナティのラジカルな思想の影響を受けたマルクス主義や新自由主義が世界に拡散したのである。

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Livly | Notes:アストリッド・リンドグレーン | Notes:アントニオ・タブッキ | Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | Notes:不思議な接着剤 | Notes:卑弥呼 | Notes:国会中継 | Notes:夏目漱石 | Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) | Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) | Notes:源氏物語 | Notes:百年文庫(ポプラ社) | Theosophy(神智学) | top page | ◆マダムNの電子書籍一覧 | ◇高校生の読書感想文におすすめの本 | ★シネマ・インデックス | ★マダムNの文芸作品一覧 | ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 | ☆☆紹介記事 | ☆マダムNのサイト総合案内 | ☆メールフォーム | おすすめKindle本 | おすすめYouTube | おすすめサイト | お出かけ | お知らせ | ぬいぐるみ・人形 | やきもの | よみさんの3D作品 | アクセス解析 | アニメ・コミック | イベント・行事 | イングリット・フジコ・ヘミング | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 | エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 | エッセー「宇佐神宮にて」 | エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 | エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 | エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 | エッセー「百年前の子供たち」 | エッセー「精神安定剤」の思い出」 | エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 | オペラ・バレエ・コンサート | オルハン・パムク | カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) | ガブリエラ・ミストラル | クッキング | グルメ | コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 | シネマ | シモーヌ・ヴェイユ | ショッピング | テレビ | ニュース | ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 | バルザック | パソコン・インターネット | マダムNのYouTube | マダムNの他サイト情報 | マリア・テレジア | メモ帳Ⅰ | メモ帳Ⅱ | ライナー・マリア・リルケ | 俳句 | 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) | 健康 №2(体調)  | 健康 №3(受診) | 健康 №4(入院) | 健康 №5(お役立ち情報etc) | 健康 №6(ダイエット) | 健康 №7(ジェネリック問題) | 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) | 健康№8(携帯型心電計) | 児童文学 | 児童文学作品「すみれ色の帽子」 | 写真集「秋芳洞」 | 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 占星術・タロット | 友人の詩/行織沢子小詩集 | 地域 | | 夫の定年 | 季節 | 家庭での出来事 | 山岸凉子 | 思想 | 恩田陸の怪しい手法オマージュ | 息子の就活 | 息子関連 | 手記「枕許からのレポート」 | 文化・芸術 | 文学 №1(総合・研究)  | 文学 №2(自作関連) | 日記・コラム・つぶやき | 時事・世相 | 書籍・雑誌 | 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) | 村上春樹 | 村上春樹現象の深層 | 東京旅行2012年 | 植物あるいは動物 | 検索ワードに反応してみました | 歴史 | 瀕死の児童文学界 | 父の問題 | 珈琲 | 神戸旅行2015 | 神秘主義 | 福島第一原発関連 | 科学 | 経済・政治・国際 | 美術 | 能楽 | 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 | 自作短編童話「風の女王」 | 自作童話「不思議な接着剤」 | 芥川賞・直木賞 | 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 | 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 | 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 | 評論・文学論 | | 連載小説「地味な人」 | 電子書籍 | 音楽