カテゴリー「歴史」の316件の記事

2018年6月 4日 (月)

歴史短編1のために #36 神社に参拝する僧侶たち(「神と仏のゴチャマゼ千年…」 - NHK「歴史秘話ヒストリア」2018.5.30

5月30日のNHK「歴史秘話ヒストリア」は「神と仏のゴチャマゼ千年 謎解き!ニッポンの信仰心」というタイトルだった。

神仏習合の長い歴史を振り返り、その後の明治期に起きた廃仏毀釈と、その中で生き残った神仏習合の事例や復活した風習などを紹介していた。

その中に、興福寺の僧侶たちがその装束のまま春日大社に参拝する一場面があった。「そうよ、こんな風なのよ」とわたしは口走った。

というのも、祐徳稲荷神社で御祈願をお願いしたときに、わたしは同じような情景を内的鏡で見ていたからである。そのときのことを拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の 74 で次のように書いている。

神事のとき、萬子媛はどのような位置で、どのような行動をなさっていたのだろうか。厄除け祈願をお願いしたときのことが参考になるだろうか?

これはあくまでわたしの神秘主義的感性が捉えた――内的鏡にほのかに映った――萬子媛をはじめとする、この世にあったときは尼僧であったと思われる方々の御祈願時の様子なのであるが、わたしはそうしたこの世ならざる方々が御神楽殿での御祈願時にそこへお見えになるとは想像もしていなかった。

そのときまで萬子媛のことしか念頭になく、御祈願のときにもし萬子媛をわたしの内的鏡が捉えることがあるとしたら前方に捉えるのではないかと想像していた。というのは、そのときに萬子媛の臨在があるとすれば、神主さんに寄り添うような形をとられるのではないかと漠然と想像していたからだった。

事実は違った。萬子媛をはじめとする尼僧の方々――生前は尼僧であったとわたしが推測する方々――は、御祈願を受けるわたしたち家族のすぐ背後に整然と並ばれたのであった。

端然とした雰囲気の中にも、日ごろの馴染んだ行為であることが窺えるような、物柔らかな自然な感じがあり、整然と並ばれたといっても、軍隊式を連想させるような硬さは全くなかった。

わたしの内的鏡にほのかに映った美しい情景からは、江戸時代初期から中期かけて、神事というものがごく自然に仏事や日々の生活に溶け込んでいた様子が窺えた。神事も仏事もどちらもこよなく敬虔に、当たり前のこととして行われていたに違いない。

同じ記事に、村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995)で見た、江戸期の神事に参列している僧侶たちのことを書いたが、どれも同じ神仏習合の風習を伝えるものだ。

番組では、1941年に滋賀県の日吉神社の社殿の床下の土中から発見された懸仏[かけぼとけ]なども紹介していた。

懸仏とは、銅などの円板に浮彫の仏像を付けたもので、柱や壁にかけて礼拝するものだそうだが、それら懸仏が「廃仏毀釈」からの生き残りとして紹介された。

娘と視聴していて思わず「わぁ可愛らしい」と同時に声を上げたほど、おぼろげに浮かび上がった仏様が如何にも尊く、可憐な御姿に見えた。これを彫り、拝んだ人々の思いがそのようなものであったからだろう。イコンを連想させた。

番組の参考文献として挙げられた著作

  • 『神道とは何か 神と仏の日本史』(伊藤 聡 中公新書)
  • 『古代仏教をよみなおす』(吉田一彦 吉川弘文館)
  • 『神仏習合』(義江彰夫 岩波新書)
  • 『神道・儒教・仏教 ―江戸思想史のなかの三教』(森 和也) 

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2018年4月11日 (水)

歴史短編1のために #35 冷泉家の乞巧奠 (七夕祭)

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした次のエッセーで、藤原俊成、その子・定家、俊成の孫・藤原俊成女に言及した。

78 祐徳稲荷神社参詣記 ➄扇面和歌から明らかになる宗教観
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/01/18/174234

萬子媛をモデルとした第二稿が滞っている。結婚前の萬子媛を描写しようとしても、公家のお姫様の暮らしぶりというのがうまく想像できず、それが一番の障壁となっていた。

例えば、御遺物の中に貝合わせ、貝櫃(貝合わせを入れる箱)があって、萬子媛も貝合わせという遊びをなさることもあったのだろうと思ったが、その情景が具体的なものとして浮かんでこなかった。

四季折々の行事。それは公家にとっては仕事、任務であったと知識ではわかっていても、やはり具体的な情景が浮かんでこなかった。

そうしたところへ、深夜BSプレミアムで「京都 冷泉家の八百年」(初回放送:2003年)が放送されていた。冷泉家は、藤原俊成、藤原定家の流れを汲む家系である。

[BSプレミアム]
2018年4月11日(水) 午前0:45~午前2:26 [火曜深夜](101分)
京都 冷泉家の八百年~和歌の心、日本の美を守り伝えて~(初回放送:2003年)
鎌倉時代に始まる公家で、歌道の伝承者でもある冷泉(れいぜい)家。現存する唯一の公家屋敷の中の雅な日々を1年間に渡って記録した。

歌の家・冷泉家に今に伝えられる古式ゆかしい四季折々の行事がドキュメンタリータッチで紹介されていた。

気づいたときにはすでに始まっていたため(慌てて録画した)、いくらか見損なったのが残念であったけれど、貝合わせなどの場面もあって参考になった。

旧暦7月7日に行われる七夕の行事「乞巧奠[きっこうでん〕」が圧巻だった。こうした行事は、冷泉家が運営する財団の予算で行われるという。

南庭に、彦星、織姫に供える祭壇「星の座」が設けられ、織姫に捧げる五色の布と糸、星を映して見るための角盥〔つのだらい〕、琵琶、琴、秋草、海の幸・山の幸などが配置された。

襖や障子は外され、部屋と庭が一つとなる。日が落ちるころ、雅楽が奏でられ、祭壇の灯明が灯される。そして、夜のとばりが下りたなかで、星に和歌が捧げられるのだ。

そのあと、遊興の座「当座式(流れの座)」が設けられる。座敷に天の川に見立てた白布を敷き、それを挟んで狩衣・袿袴姿の男女が向かい合って座る。男女は即興で恋の歌を交わし合う。

冷泉家には、初雪を藤原俊成の木像に供える慣わしがあるという。91歳で亡くなるときに、俊成は高熱にうなされた。息子の定家が氷室に人をやり、雪を持ってこさせた。その雪を「ああ、おいしい」と喜んで食べ、亡くなった。明月記にそのように書いてあるそうだ。

俊成の木像は生々しい表情で、まるで生きているみたいにわたしには見えた。子孫の行く末を案じて「春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ」という歌を詠んだ俊成。

子孫の行く末というのが、歌の行く末であるのだと、木像の俊成のお顔を見てわかった。

萬子媛をモデルとした小説から離れすぎると、優しく呼び戻される気がする。

ヤコブ・ベーメの本を夜中読んでいたせいで、眠い。アバター&インターポットのキラポチ、数学のお勉強が眠すぎてできないかも。

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2018年4月 6日 (金)

トルストイ『戦争と平和』… 2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

目から鱗のオンライン論文に出合った。

『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン
著者: 笠間, 啓治
発行日: 1995年
出版者: 北海道大学スラブ研究センター
誌名: スラヴ研究(Slavic Studies)
, 42: 41-59
URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

この論文によると、『戦争と平和』は1805年から1812年の歴史的動乱に生きたロシア・インテリゲンチャの精神的苦悩と魂の遍歴をテーマにしている。主人公ピエールは煩悶から抜け出す第一歩をフリーメーソンとしての活動に見い出し、フリーメーソンの中で精神的な成長を遂げる。

そして、「19世紀初頭のロシアはフリーメイスンの活動のもっとも盛んな時期に当っていた。この時期のロシアを描写するには、フリーメイスンの要素を抜きにしては考えられない」という。

しかも、このロシア・フリーメーソンとは、ドイツからもたらされた中世神秘思想ローゼンクロイツェル系だというのである。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz、 1378-1484)はバラ十字団の創立者とされる伝説的人物だが、ローゼンクロイツェルというのはクリスチャン・ローゼンクロイツのことで、バラ十字系ということだろうか。

中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と論文には書かれている。

ピエールが魅了され、フリーメーソンになるきっかけとなった老人が出てくる。読みながらわたしも思わず魅了されたその老人は、ロシアが19世紀初頭のフリーメーソンの再興期を迎えたとき、ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた人物であるという。

『戦争と平和』に登場する人物は多いが、主要人物にはこのようにモデルがいて、その人々がフリーメーソンであったというのだから、驚かされる。

この当時のロシアにおいては、フリーメイスンであることはけっして秘密事項ではなかった。フリーメイスンの集会での議事録や出席者の名簿は、当局に報告するのが慣例になっていた」が、王政打倒を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたために当局が警戒感から目を光らせるようになり、1822年に禁止令が公布されることになったのだった。

論文には、禁止令の施行後も「フリーメイスンたちの純粋の理論的討議は一部の人たちによって続けられていた」とあるので、イルミナティの革命思想の影響も禁止令の影響も受けなかったフリーメーソンはロシアに存在し続けたということだろうか。

28歳のときにイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトは、バイエルン選帝侯領インゴルシュタットの出身である。バイエルン選帝侯領とは、神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身である。現ドイツ・バイエルン州の一部に当る。カトリックのイエズス会の家系に生まれた。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だった。教会法はカノン法ともいわれる、カトリック教会が定めた法である。ヴァイスハウプトは教会法を教授する神学者であったにも拘わらず、反カトリックであった。1776年には啓蒙主義的なサークルを作り、サークルはのちにイルミナティと名称を改めた。

ウィキペディア「イルミナティ」には、「1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。ヴァイスハウプトはミュンヘンでフリーメイソンと出会い、共感するところがあったためにフリーメイソンリーに入会した」*1とある。

だとすると、イルミナティとフリーメーソンは全く別の組織だが、バイエルンでイルミナティをつくったヴァイスハウプトがフリーメーソンになったことでその影響がフリーメーソンに及び、フリーメーソンでありながらイルミナティにも入る者が出てきたということになる。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の「はじめに」には、次のようなことが書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、フリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし「両者の意図と目的は一致しない」となった。このことをルートヴィヒ・クリスティアン・フォン・グロルマン〔1741-1809、ギーセンの法学者〕という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍[あまね]く浸透しており、至るところで活動していると見られていた。

この文章からは、イルミナティがどのようにしてフリーメーソンを侵食していったかの様子がわかるだけでなく、本来のフリーメーソンは宗教――それはキリスト教のようだが――と親和関係にあったことがわかる。

そして、イルミナティは禁止されたが、まるで強力な伝染病か何かのような世界的拡がりを見せていたようである。「禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた」とも、「はじめに」には書かれている。

前掲書『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』は、25冊のヴァイスハウプトの著作中9番目に書かれ(このとき、ヴァイスハウプトは38歳である)、彼の全著作中唯一邦訳された著作である。1787年に上梓された『イルミナティの新システム――全位階と装置の詳説――』を抄訳し、再編集したものだという。

この邦訳版は「秘密結社の組織論」を付録とした4章で構成されているのだが、4章は「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」というタイトルの下に、神秘主義が全否定されている。論拠薄弱なので(この内容に関してはこのあと見ていきたい)、わたしには単なるこきおろしとしか読めなかった。

ヴァイスハウプトはこのような反神秘主義でありながら、神秘主義の性格を持つフリーメーソンになったわけである。

ヴァイスハウプトの思想がどのようなものであれ、反カトリックでありながら――次第にそうなったのかもしれないが――教会法の教授を務め、反神秘主義でありながらフリーメーソンになるという不穏分子的性格が彼にあることは確かである。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』によると、バイエルン選帝侯が1784年6月22日にミュンヘンでイルミナティに出した禁令には、犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまで定められていたという。

ところが、ヴァイスハウプトはリベラルな公爵エルンスト2世の下に逃れ、ザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯年金を得て恵まれた82歳の生涯を終えたらしい。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』の「はじめに」に、ヴァイスハウプトの次のような言葉が紹介されている。

そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fürst)と国家を不必要とする。そうでなければ何のためなのか。

短絡的な結論づけはヴァイスハウプトの文章の特徴である。

いずれにせよ、反王政で、既存の国家政府を否定する思想の持ち主でありながら、宮中顧問官になってぬくぬくと生涯を終えたヴァイスハウプト……これを二枚舌、ご都合主義、二重基準、ダブルスタンダードといわずに、何といおう?

アダム・ヴァイスハウプトの行動にも思想にもこうしたダブルスタンダードが潜んでいて、それが人を狂わせる、最も危険な要素であるとわたしには思われる。狂った人々によって、組織が国家が狂うこともありえるのだ。

アグニ・ヨガの教えを伝達したエレナ・レーリッヒ(1879-1955)は、神智学協会を創立したブラヴァツキーの後継者といわれる人だが、エレナ・レーリッヒ(アグニ・ヨガ協会編、ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(竜王文庫、2012校正版)*2には、その後のフリーメーソンがどうなっていったかを物語る記述がある。ブラヴァツキーもエレナ・レーリッヒもロシア人である。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。*3…

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。*4…

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害なフリーメーソンの支部というのは、イルミナティに乗っ取られた支部の姿だろうか。何しろイルミナティは、1822年の帝政ロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

尤も、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、その原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソン結社が政治を目的とした組織ではないということ、またフリーメーソンは支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はそれまでに書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、マンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。


*1:ウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2018-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=67669253, (参照 2018-03-11).

*2:「至上我の光」500号(平成10年5月号)~527号(平成12年7月号)に渡って掲載されたものをその順に編集したもの。原本はⅠ、Ⅱの2巻本。

*3:レーリッヒ,クラーク訳,2012,p.73

*4:レーリッヒ,クラーク訳,2012,pp.126-127

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トルストイ『戦争と平和』… 1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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フリーメーソン結社を侵食し、マルクス主義やテロ組織に影響を及ぼしたとされるアダム・ヴァイスハウプトの思想については、既にエッセー「イルミナティ用語としての『市民』」において、いくらか考察済みである。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)によると、イルミナティ(Illuminatenorden イルミナーテンオルデン)は、1776年にインゴルシュタットの町(現在の南ドイツ、バイエルン州の州都ミュンヘンから北に100キロメートルくらい行ったところにある都市)でアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt,1748 - 1830)によって創立された。イルミナティは1784年、バイエルン公国の禁令で表面上は壊滅した。

が、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)を参考にすれば、そのときには既にフリーメーソン結社を侵食していたばかりか、イルミナティの原理原則はマルクス主義やテロ組織に取り入れられたようである。

前掲エッセーで公開を約束したエッセーが当エッセーで、ロシアのバラ十字系フリーメーソン結社がイルミナティに侵食される過程を克明に描いたレフ・トルストイ『戦争と平和』に関するものである。

ロシアの文豪トルストイを知らない人はあまりいないだろうが、ウィキペディア「レフ・トルストイ」から冒頭を次に引用しておく。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой[ヘルプ/ファイル], ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる
*1

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

トルストイの代表作『戦争と平和』は、1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知』に発表された長編歴史小説である。

この作品をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで2016年9月1日に放送された。

録画しておき、3日に分けて観た。つけっぱなしにしがちな国会中継を除けば、わたしは普段テレビは観ても15分から1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理なのだった。

この映画は過去にも放送されているが、断片的にしか見ていなかった。

NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。

オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエール、メル・ファーラーのアンドレイ。メル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまった(何て、そっくりなのだろう!)

『風と共に去りぬ』は、1936年に上梓されたマーガレット・ミッチェルの同名(Gone With the Wind)の長編時代小説を映画化したものなのだが、セットも似ている気がして、『戦争と平和』がちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使ったとは考えにくい。1939年というと、昭和14年である。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは呆れてしまう。

ヘプバーンの『戦争と平和』は如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

新潮社の『戦争と平和』と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになったのだ。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)が気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さである。

こちらも、テレビで放映されたものを観た記憶があった。テレビ初放映は1974年、日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

「最近」ソ連版を見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に観ていたからに違いない。

こちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーン)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できなかった。

また、時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗く(舞踏会の場面もそうなのだ)、幻想的で美しいとはいえ、わかりづらい。

ハリウッド版もソ連版も、最後の方はドタバタ終わってしまっていた気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

魅力的なのは、ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面で、ソ連版では圧巻だった。

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても南北戦争に見えてしまう。映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国だ。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだと思う。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画ですら敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないのではないだろうか。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の中の一場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が次のような会話を交わす。

… ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
*2…

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入した……。

『ぼくらの出帆』にあるように、第二次大戦で1945年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告し、日本の降伏後も侵攻してきて野蛮そのものの振る舞いをした兵隊は、ロシア皇帝の兵隊ではなかった。普通の百姓からなる兵隊でもなかった。マルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとするヨシフ・スターリンの兵隊だったのである。

そういえば、どちらの映画にも出てこなかったが、トルストイの歴史小説『戦争と平和』ではフリーメーソンが長々と描写されていることを御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソン結社での入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

著者のトルストイがフリーメーソンだったかどうかは、はっきりしない。当時のロシア政府が入会を禁止していたからである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかはともかく、禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。尤も、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深く影響を及ぼしていることは確かである。

ピエールがフリーメーソンの思想に距離を置こうとする場面は出てくるのだが、その後も小説の終わる間際まで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面などが出てくるのである。

秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

その一方で、トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行っただけとも考えられるし、一時期フリーメーソンになったことがあったということもありそうだ。


*1:ウィキペディアの執筆者. “レフ・トルストイ”. ウィキペディア日本語版. 2018-02-08. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4&oldid=67280698, (参照 2018-02-08).

*2:那須田,1993,pp.75-76

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2018年3月 9日 (金)

杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。

オンライン論文、杉本良男「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005962>(2018年3月9日アクセス)を閲覧した。

この論文は序論らしいから、今後の展開を期待したいが、「日本の神智主義研究をリードしてきた吉永進一」とあったので、過去記事で吉永氏の論文について感想を書いたことを思い出した。その感想へのリンクが以下の記事にある。

2017年11月18日 (土)
前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/11/post-070c.html

杉本氏の論文に「神智主義,神智協会がいまだに知的関心の的であることに驚かされた」とあるのを読むと、序論から既に何かブラヴァツキーの近代神智学運動や神智学協会に対する否定的ニュアンスがあるような感じを受ける。

新たな情報に触れることができるのは嬉しいが、この杉本氏にしても、吉永氏にしても、ブラヴァツキーの主要著作を読んだことがあるのかどうか疑問である。他の論文の引用文からは否定的ニュアンスが感じられなかったりすると、余計に残念な気がする。

論文に「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とあったので、ウィキペディア「ニューエイジ」<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8&oldid=67581956>を閲覧した。

概要に、ニューエイジが「一般的に、19世紀の心霊主義、ニューソート、神智学の伝統から派生したもの、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている」とある。

そして、「ヨークは、『不便なことに、研究者がニューエイジにアプローチする際、適切で包括的な概説は存在しない』『多くの考えがありながら、運動全体について語ることができる者はいない』と述べている」とあるが、その原因の一つは、ニューエイジに対するブラヴァツキーの影響を指摘しておきながら(杉本氏は前掲のように「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とまで、いい切っている)、ブラヴァツキーの諸著の研究がアカデミックな場でなされてこなかったところから来ているとわたしなどは思う。

日本では第二次大戦後、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果、左翼が勢力を伸ばした。学術研究においても彼らが主導的立場をとることになったことから、ブラヴァツキーのような東洋思想に新たな光を当てて科学、宗教、哲学の総合という偉業を成し遂げた人物をも放置状態で、彼女の諸論文の学術研究も評価もされないままできているのだ。

研究がなされる場合でも、どこか見下したような視点での周辺的な、悪くすればゴシップ的なアプローチが多く見られ、こうした研究が学術研究という名に値するかどうか、甚だ疑問である。

彼らの研究自体がニューエイジの影響を感じさせる、恣意的な特徴を持っているようにわたしには思える。

まずはブラヴァツキーの代表的著作の研究がなされるべきで、それがなされずして影響も何も考察できるわけがない。

ブラヴァツキーの代表的著作の研究には古代ギリシア哲学をはじめとするブラヴァツキーが生きた時代までの哲学の基礎教養が必要で、左翼思想に染まった学者たちにこれらを身につけることが可能なのかどうか……

ニューエイジという潮流には、非学術的、ファンタスティック――というより妄想的といべきかもしれないが――な要素、左翼思想(ニューエイジの特徴らしい世界政府樹立の推進は、アダム・ヴァイスハウプトを祖とするイルミナティが希求したところのもので、マルクス主義に取り込まれた)、心霊主義(ピプノセラピーには無知からくる催眠術の安易な利用があり――ピプノセラピスト本人が如何に善良であろうとも黒魔術となってしまう――、それによる降霊術がその正体である)、金銭的利益を目的とした商業利用が潜んでいるように思われる。

いずれも、ブラヴァツキーの思想には存在しない要素である。

他にもウィキペディアにはいろいろなことが書かれているが、火遊びにも似た軽率な「霊や異次元の存在との交流(交霊・チャネリング)」は心霊主義者を連想させる行為であり、「病気や貧困・悪は実在せず、心の病気または幻影であるという考え」はブラヴァツキーの時代に存在したクリスチャンサイエンティストとメンタルサイエンティスト達の考えである。

「『精神的な豊かさが物質的な豊かさに直結する』、端的に言うと「『精神が物質化する』という考え方」は、民間信仰によく見られる現世利益的考え方である。

ブラヴァツキーの神智学はアリス・ベイリー、シュタイナーの思想とは違うが、これらの区別もつかないままに、大衆的に取り入れられ、民間信仰となった面があるといえるのかもしれない(調べてみないと、わからない)。

左翼が、左翼的解釈で、神智学協会の影響を受けた人々の思想をムード的に取り入れてニューエイジの形成に使った、といえそうな気もする。

というのも、ニューエイジという括りはヒッピー・ムーブメントを連想させるからで、様々な思想、文化芸術のムード的、無節操な取り入れ方が似ている。

アニメーション監督の宮崎駿は筋金入りの左翼として有名であるが、彼のアニメは充分にニューエイジ的なのではないだろうか。

ところで、日本ではおそらく哲学・思想事典の最高峰に挙げられるであろう『岩波哲学・思想事典』では、神智学協会――事典では神智協会――について、どのように書かれているのだろうか。

気になり、読んでみて安堵した。執筆者は歴史学者で、南アジア近現代史が専門の藤井毅氏である。

神智協会について、創設から各地に支部、連携団体が結成されたこと、「A・ベサント夫人の参加によりインドの合法的自治運動や民族的教育を積極的に支持するようになったが,M.K.ガンディーの登場とともに退潮した」こと、一時期J.クリシュナムルティーも籍を置いたことが述べられている。

残る三分の一ほどの記述を、以下に引用しておく。

 宇宙と存在の全ては相互に関わり合いを持つ一体で,偏在する同一の源に発し,目的と意味を持ち秩序ある形で顕現するとした.
 宗教・哲学・科学の統合を目指し,未解明の自然法則と人間の潜在能力の研究が重視された.この点で先行する神智思想を継承するが,個々の宗教伝統が持つ団体の価値観を尊重し,人種・信条・性別・カーストなどに基づく差別を乗り越えて人類同胞の実現を図り,南アジアの精神復興に寄与したことで特異な役割を果たすことになった.インド古典学の研究に多大な貢献をなしたばかりか,オルコットは仏教を受け入れ,セイロンにおける仏教復興を刺激した.人智学を唱えたR.シュタイナーにも影響を与えた.
〔藤井毅〕(廣松渉 ・編集 『岩波哲学・思想事典』岩波書店 ,1998,「神智協会」p.831)

ちなみに、ブラヴァツキーは政治活動について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)で以下のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。(ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228)

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2018年2月 5日 (月)

歴史短編1のために #34 鹿島鍋島家の御殿医

萬子媛をモデルとした小説のためのノートというよりは個人的な覚書なのだが、鹿島鍋島家に関する事柄が入っているので、ノートに加えることにした。

亡き母の友人で、現在は博多にお住いのキクヨさんから年に一、二度電話がある。

83歳の高齢で、ここ数年、腰痛やパーキンソン病による歩行の不自由などがあり、お体がつらそうだ。

キクヨさんは鹿島鍋島藩の御殿医の家系の人で、萬子媛をモデルとした小説の第一稿を「あなた、面白かったわよ! 三回読んじゃった」といってくださった貴重な読者だ。

2016年5月 9日 (月)
御殿医の子孫から聞いた萬子媛の歴史短編の感想
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/05/post-7a1a.html

小説をこのままでいいとは思っていないが、もしこれを大衆向きの歴史小説にしたら、キクヨさんも、キクヨさんと同じように作品を喜んでくれた人々も離れて行ってしまうに違いない。

「小説はどうなった?」と気がかりそうなお声。「第二稿に入るところです」といった。

自分の書いたこの小説を通し、わたしはキクヨさんと年齢を越えて――おこがましいかもしれないけれど――本当の友人になれた気がする。

まず、以前と比較して、ナイーヴそのもののお声が違う。それまではガードのようなもの、警戒心のようなものが感じられた。わたしという人間の正体がもう一つわからず、気が許せないという風に感じられていた。

ところが、下書きに近い代物であるにも拘わらず、第一稿の小説を内容的に受け容れ、共感を寄せてくださったことを感じ、神秘主義的な表現をも快く捉えてくださったことがわかった。その一点といっていいかもしれない。わたしが他人との絆を感じられるのは。

職業作家にはなれなくとも、創作を続けてきてよかった。本当に。

わたしはキクヨさんが我が家に手製のプリンや抜群に美味しい煮物を持って遊びに来られていたころから、キクヨさんと友人になりたいと思っていた。キクヨさんは勿論、母を訪ねて見えていたのだった。

キクヨさんは父親を亡くしたあと、母親に仕え、親戚のために心を砕き、長く独身だった。中年になってから、博多にお住いの大学教授のところへお嫁に行かれた。

数年後にご主人が亡くなり、しばらくはひとり暮らしを続けて血のつながらない孫の面倒を楽しそうに見たりなさっていたが、やがて身辺を整理してホームに入られた。

見かけは普通のおばさんだったが、わたしはキクヨさんの秘められた知性に、子供のころから敏感に気づいていた。人知れず冷たく光っている宝石のような孤独や、持って生まれた類まれな純粋さにも気づいていた。

でも、わたしはキクヨさんの堅いガードを解けず、友人にはしていただけなかった。ずっと、そうだった。馬鹿なことをしてはよく注意され、プライドに障ることをいってしまってはしっぺ返しを食らうことなどあって、わたしには手強い人だった。それでも、キクヨさんが大好きだった。だから、母が亡くなった後も連絡を取り続けた。

昨年、わたしは中学時代からの友人2人と別れた。友人として純粋に愛されているとは思えないところが決定的になったからだった。その代わりに、古くから知ってはいたが、友人とはいえなかった人と友人になれたのだった。

萬子媛は長生きされたが、お子さんがたを亡くしたあとで病気になられたようだ。上のお子さんを看取り(下のお子さんは鍋島光茂公に仕えて佐賀に住んでいた21歳のときに亡くなり、急死だった)、萬子媛を診察し治療したのはキクヨさんの御先祖様だったに違いない。

「トンさん(殿様)」と呼ばれた鍋島直紹公が健在だったころのお話だったと思うが、そのころまでは鹿島鍋島家の集まりが催されていて、御殿医の子孫のやはり医師だったキクヨさんの叔父様が紋付羽織袴で出席なさっていたという。

昨年、祐徳博物館に、佐賀錦のお守り袋を寄贈したとおっしゃった。「あまりに綺麗なので」とキクヨさん。直紹公の御祖母様のものだった、とおっしゃったかな。あまりに長電話で、鹿島鍋島家の話がいろいろと出てきたものだから、わからなくなってしまった。祐徳博物館に行ったときに拝見しよう。

鹿島鍋島家の菩提寺である普明寺を見学した話をキクヨさんにすると、わたしには荒れ果てているように見えたけれど、奉仕活動で定期的に清掃されているそうだ。キクヨさんの叔父様は年に二回は必ずお墓参りに普明寺に出かけられたという。普明寺にあるのは、キクヨさんの御先祖様が代々治療を施し、看取った方々のお墓だ。

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2018年1月23日 (火)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』(メイベル・コリンズ著、星野未来訳、Kindle版)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』がKindle版で出ています。

睡蓮の牧歌
Kindle版
メイベル・コリンズ (著),‎ 星野 未来 (翻訳)
ASIN: B07959C7V7

物語の面白さに釣られて、本好きの人なら最後まで一気読みしてしまうでしょう。

それでいて、読んだ後に確かなものが残り、まるで目に見えない宝物を手に入れたかのような満足感をもたらしてくれます。

神秘主義的な芸術作品にしか見られない、しっかりした構成、繊細な描写、永遠性に根差しているかのような格調の高さを感じさせます。

それというのも、知る人ぞ知る、著者が神智学作家として有名なメイベル・コリンズ(Mabel Collins,1851年9月9日 - 1927年3月31日)ですから、並みの読書体験では済まないというわけなのです。

以下、ネタバレありなので、これから読もうとされているかたはご注意ください

祭司見習いの少年が神殿の門をくぐるところから物語は始まります。そのうち白い女神(睡蓮の女神)が、さらに間を置いて黒い女神が登場します。描写が、どちらも圧倒的です。

生と死の神秘が万華鏡のように散りばめられるなかで、白い女神と黒い女神が、白い祭司と黒い祭司が、光と闇が戦いを繰り広げる様は、一人の人間に起きる内面劇でもあることを、訳者あとがきに引用された著者の言葉は示唆しています。

同じく訳者あとがきで引用されたバラモンの神智学徒スバ・ロウは、この物語の舞台となった古代エジプトがこの頃どうであったかを解説しています。彼らの宗教は純粋さを失い、退廃し始め、黒魔術が利己的かつ非道な目的に使われていたようです。

わたしはメイベル・コリンズのこの作品 The Idyll of the White Lotus (1890) を「白蓮の田園詩」というタイトルで、竜王会の機関誌「至上我の光」に田中恵美子先生が翻訳連載されていたのを、当時楽しみにしていました。

それについて過去記事(2006年8月4の記事)に書いているので、引用します。

神智学を教えていただいた田中先生が竜王会の機関誌に『白蓮の田園詩』という題で邦訳連載されたのをわたしは最初に読み(単行本化はされていません)、その後、「書肆 風の薔薇」発行の『蓮華の書』(西川隆範)という邦訳本を書店で見つけて即座に購入しました。これも美しい訳です。
それはエジプトの神殿を舞台とした物語で、魂の旅路を描いたといえる作品です。
いつ頃からか、ファンタジーものが大層流行っていますが、本来神秘主義のものであるところの神聖なシンボルやイメージ、エピソードなどが玩具のように扱われ、流通する実態をわたしは痛ましいことだと感じてきました。
それらが玩具であるなら The Idyll of the White Lotus は命の糧というにふさわしい作品だとわたしは思います。

今回改めて田中恵美子、西川隆範、星野未来という三者の翻訳で読み、原書は未読なので、あくまで翻訳を通してですが、三者三様の特徴と魅力に気づかされました。

田中訳からは逐語訳的な入念さと、行間から迸る清浄な情熱が感じられます。

西川訳では歴史仮名遣が使われています。そうした工夫と調和している流麗な文体が美しく、古代エジプトの出来事がエキゾチックでありながら、どこか日本の古典を読んでいるかのような親しみをもたらされます。

ただ、訳者あとがきによると、仏訳版を基とし、独訳版が参照されているようで、そのためなのか、あるいは一般向きということが考慮されているためなのか、その辺りのことはわかりませんが、神智学色が消えています。

また、第ニの書(第二部)、第四章の最後の部分に田中訳と星野訳では存在する蓮華の女王の赦しの場面がありません(田中訳では白蓮の女王、星野訳では白い睡蓮の女神)。

星野訳は田中訳、西川訳と比較すると、現代的な文章ですが、気品があります。田中訳と同様の入念さも備えています。

同じ星野訳によるH・P・ブラヴァツキー『新訳 沈黙の声』を読んだときもそうであったように(過去記事参照)、文章から音楽的な調べが感じられました。三者の中では、星野訳が最も文学的だという印象をわたしは受けました。

現代感覚で読める邦訳版『睡蓮の牧歌』と合わせて、人類の歴史の謎に迫るH・P・ブラヴァツキーの著作『ベールをとったイシス』『シークレット・ドクトリン』を読めば、満足度はこの上なく高まることでしょう。

ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中です。これに関する過去記事はこちらです。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

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2018年1月14日 (日)

歴史短編1のために #33 扇面和歌を通して考察したこと②

#31 扇面和歌を通して考察したこと

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

祐徳博物館には、「祐徳院殿御遺物」が展示されており、御遺物には解説が付けられている。その解説の中に萬子媛が二十一代巻頭和歌を愛読されていたとあった。

二十一代集(勅撰和歌集)とは、平安時代に勅撰和歌集として最初に編纂された古今和歌集(905)から室町時代に編纂された新続古今和歌集(1439)までの534年間に編纂された21の勅撰和歌集のことで、合わせて23万44首といわれる。

二十一代集は、平安時代から室町時代までの文化史が歌という形式で表現されたものということもできる。そこからは日本人の精神構造が読みとれるばすで、宗教観の変遷などもわかることだろう。

二十一代集の巻頭和歌を愛読された萬子媛は、和歌そのものを愛されたといってよいのではないかと思う。

特に藤原俊成女(皇太后宮太夫俊成女、俊成卿女の名で歌壇で活躍)の歌を愛されたのか、扇面に記された藤原俊成女の歌がある。記されたのは元禄9年(1696)ということだから、萬子媛出家後の71歳のころのものだ。

昔の日本人の宗教観は凛としている。洗練された美しさがあり、知的である。

平安時代末期に後白河法皇によって編まれた歌謡集『梁塵秘抄』を読んだときに思ったことだが、森羅万象に宿る神性、神仏一如、輪廻観、一切皆成仏といった宗教観が貴族から庶民層にまで浸透しているかのようだ(拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」 74 を参照されたい)。

こうした宗教観は鎌倉時代初期の勅撰和歌集『新古今和歌集』にも通底しており、森羅万象に宿る神性、神仏一如(19神祇,1878,1879,1880)、輪廻観(19神祇,1902)、一切皆成仏(20釈教,1928)といった宗教観が読みとれる。

この複合的、統一感のある宗教観こそが歌謡集から勅撰和歌集まで、そこに集められた歌に凛とした気品と陰翳と知的洗練をもたらしたのだと考えられる。

江戸初期から中期にかかるころに生きた萬子媛が二十一代巻頭和歌を愛読されていたということは、二十一代集に通底する宗教観を萬子媛も共有していたということではないかと思う。

注目したいのは、『新古今和歌集』巻第十九神祇歌1898の歌である。作者は皇太后宮大夫俊成(藤原俊成,1114 - 1204)。萬子媛が扇面に記した歌の作者は藤原俊成女であるが、俊成は藤原俊成女の母方の祖父に当る。『新古今和歌集』の撰者の一人であった藤原定家は俊成の子である。

『日本古典文書12 古今和歌集・新古今和歌集』(訳者代表・窪田空穂、1990)より歌、訳及び解説を引用する。

春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ
(この春日野の、公卿の家筋を暗示するおどろの路の、埋もれ水のごとく世に沈んでいる自分である。今はとにかく、せめて子孫なりとも、わが祈りの験[しるし]をもって、世に現わし栄達させ給え。「春日野」は春日神社を示し、自身も藤原氏でその神の末であることとを余情とした詞。「おどろ」は、草むらの甚だしいもので、「路」の状態とするとともに、公卿の位地を示す語。)(皇太后宮大夫俊成,窪田訳,1990,p.443)

子孫の出世を願う、切実ながらいささか世俗臭のする歌だと考えられるが、俊成は藤原北家の人で、萬子媛も藤原北家の花山院の出であるから、神のしるしどころか、文字通り祐徳稲荷神社の神様の一柱となられた萬子媛は子孫の栄達を祈った俊成の願いを最高に叶えた子孫といえるのではあるまいか。

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2018年1月12日 (金)

山岸凉子『レベレーション(啓示)3』(講談社、2017)を読んで

昨年末に娘が山岸先生の『レベレーション』第3巻を買って来てくれた。

フランスの国民的ヒロイン、ジャンヌ・ダルク(1412 - 1431)を描く『レベレーション』。山岸先生の力量を印象づける力強い筆致で、第1巻がスタートした。

わたしはワタクシ的期待感を籠めて、それの感想を書いた。

2015年1月 3日 (土)
山岸凉子「レベレーション―啓示―」第1回を読んで
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/01/post-dc53.html

年が明けてから今巻を読み、第2巻を読んだときも思ったように、次の巻を読むまではまだ感想を書けないような気がしている。……といいながら結構書いてしまったので、ネタバレありです、ご注意ください。

というのも、歴史的見地からすると、ジャンヌの今巻での活躍は最高潮に達していたものの、第1巻冒頭に描かれたジャンヌの表情から推測すれば、この後――4巻から――の暗転する状況とそこから起きるジャンヌの内面劇こそがこの作品でのクライマックスにふさわしいものと考えられるからだ。

山岸凉子『レベレーション(啓示)3』
出版社: 講談社 (2017/12/21)
ISBN-10: 4065106192
ISBN-13: 978-4065106198

百年戦争のただなかにあったフランスで、国王シャルル6世の発狂後、ヴァロア朝支持のアルマニャック派(シャルル6世の弟のオルレアン公ルイ)とイギリスと結んだブルゴーニュ派(叔父のブルゴーニュ公フィリップ2世)が対立し、内戦が拡大していた。

王太子シャルル7世(1403 - 1461,第4代国王シャルル6世と王妃イザボー・ド・バヴィエールの五男。フランス・ヴァロワ朝の第5代国王となる)は、神の啓示を受けたと主張するジャンヌ・ダルクを信じて兵を出す。

オルレアンへ向かったジャンヌ・ダルクは破竹の勢いでイギリス軍の包囲網を破り、オルレアンを解放した。

戦いの場面が連続する割には、今巻はむしろ単調な印象を受けた。

山岸先生は複雑な歴史の流れを説明するのに忙しかったように感じられ、そこから単調な印象がもたらされたのかもしれない。あるいは、神意を享けて動揺していたジャンヌの内面が、ここではさほどの困惑も迷いもなく、安定していたために、そう感じられたのかもしれない。

ただ、精神状態が安定していたからこそ、人々が戦いの中で告解もせずに死んでいったことに対するジャンヌの敵味方を区別しない純粋な悲しみは、人間的心情の華と表現したくなるほどの可憐な印象を与える。山岸先生の手腕が光る。

ちょっと記憶しておきたいのは、ジャンヌが負傷する場面だ。

神意を享けた行動であったにもかかわらず負傷してしまったことに対する恐怖心と傷の痛みから泣いてしまうジャンヌに、聖カトリーヌが出現して(ジャンヌにしか見えない)、恐怖せずに済むだけの根拠を与え、慰める。「そこには大事な臓器がひとつもない 痛くない」と。

人間とは異なる大局的見地に立ってお告げや慰めを与えようとする神的存在のみが持ち得るような、大らかな威厳を感じさせる聖カトリーヌ。圧倒的でありながら、どこかおぼろげな存在感だ。

聖カトリーヌは聖カタリナ(アレクサンドリアの聖カタリナ)のフランス名。

ウィキペディア:アレクサンドリアのカタリナ

聖カトリーヌの両手は抱擁するのをかろうじてとどめているかのような、微妙な開き方をしている。美しい場面である。

一方、ジャンヌ・ダルクに神の啓示を与えたのは、フランスの守護天使(人ではないが、守護聖人)とされる大天使聖ミカエルであったと考えられている。

第1巻で、ジャンヌに神の啓示を与える大天使聖ミカエルは、威圧するような体の大きさで、圧倒的、冷たいといってよいくらいに威厳がありながらも、やはりおぼろげな印象を与える繊細なタッチで描かれている。

第3巻までを、神的存在(大天使聖ミカエル、聖カトリーヌ)とジャンヌの蜜月時代といって差し支えないだろう。それは今後も続くのだろうか。

オルレアンでの勝利の後も、ジャンヌは神意に駆り立てられ、ランスでのシャルル7世の戴冠式を急ごうとする。そこで今巻は終わった。

このあと、シャルル7世の戴冠式が実際に執り行われるが、事態は暗転し、ジャンヌに悲劇が訪れることを歴史は物語っている。

第1巻冒頭でのジャンヌは事態が暗転した後のジャンヌで、処刑を告げられ、火刑場へと引き立てられていくところだ。

ランスへ向かったジャンヌが火刑場に向かうまでを、そして向かった後のジャンヌを山岸先生はどう料理するのだろう? 

『レベレーション』が何巻で完結するのかは知らないけれど、とりあえずは第4巻がとても待ち遠しい。 

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2017年12月11日 (月)

下調べに終わった萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿、しかし収穫は大きい

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿は、下調べで終わった今年でした。

しかし、収穫は大きかったように思います。

現代感覚で、当時の人々の信仰心というものを考えていたときは何も見えてきませんでしたが、取材や史料漁り、また自身の神秘主義的な感性を通して見た世界は、現代感覚で描かれた歴史小説の世界とは別世界といえました。

萬子媛は文化形成に携わる専門家の家系――公家――の出ですが、当時の公家が経済的に困窮し、活躍の場のなさといった問題点を抱えていたとしても(以下の過去記事参照)、その役割の重要さや意識の高さには見るべきものがあると思います。

初の歴史小説 (39)後陽成天皇の憂鬱 ②猪熊事件の背景にある公家の境遇    
http://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/39-ea87.html

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノートからエッセーにまとめたものを公開しています(無造作なまとめかたではありますが)。

祐徳稲荷神社の創建者、鹿島藩主鍋島直朝公夫人萬子媛に興味のあるかたは、のぞいてみてください。

神秘主義的な捉え方を基調としたエッセーですが、わたしは宗教とは本来このようなものだと思っています。萬子媛について調べる過程で、その確信が強まりました。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/10/210502

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

72 祐徳稲荷神社参詣記(複数の取材) ③2017年6月8日
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710

74 祐徳稲荷参詣記 ④神仏習合
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/09/18/194428

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