カテゴリー「児童文学」の172件の記事

2017年10月12日 (木)

メーテルリンク『青い鳥』の罪な象徴性について

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。

ブラヴァツキーの神智学を批判したメーテルリンクの文章を考察することで、メーテルリンクの思想の一端が明らかとなったように思う。

わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。

さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)

ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。

医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)

娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。

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2016年8月24日 (水)

神智学的なメーテルリンクと瀬戸内寂聴『般若心経』の解説動画に関する、ちょっとしたメモ(追記あり)

萬子媛の小説の手直しの合間に読もうと思って、神智学的な作品を書いたメーテルリンクの『限りなく幸福へ』『蜜蜂の生活』『花の知恵』を図書館から借りています。

メーテルリンクについては改めて書きたいと考えています。蜜蜂は好きな昆虫なので、何冊か本を読みましたが、『蜜蜂の生活』は凄く面白い。蜜蜂の結婚については詳しくなかったのです。蜜蜂の結婚は恐ろしくもあります。

『限りなく幸福へ』では長々とバルザックの作品『ピエレット』について書かれています。『花の知恵』には思わず抜き書きしたくなる文章があちこちにあります。『青い鳥』しか知らなかったので、驚きです。

今回は借りてきませんでしたが、モーリス・メーテルリンク (山崎剛訳)『死後の存続 』(めるくまーる、2004)はぜひ読みたいと考えています。カトリック教禁書目録に入れられた問題作です。目次は以下。

死に対する不当な扱い
存在の消滅
死後の意識の存続
神智学の仮説
新しい交霊術の仮説・霊たちの出現
死者との対話
クロス交信
再生
意識のたどる道
二つの顔を持つ無限
無限における人間の運命

神智学の影響を受けた作家たちをざっと調べてきましたが、いずれ一冊のKindle本にできればと思っています。当分はリサーチが続きそうですけれど。

萬子媛の小説を手直しする過程で、般若経典が浮かびあがってきました。

で、『般若心経』を覚えるつもりで、覚えるのによそさうな動画を求めてYouTubeに行くと、瀬戸内寂聴の解説動画が出てきました。

過去記事で、 「イエスの教えがユダヤ教の聖書と切り離すことができないように、ゴータマ・ブッダの教えもヒンドゥー教がベースにあるはずで、そこから読み解かなければ、読み誤るのではないかという気がします」と書いたのは、実は瀬戸内寂聴の解説に違和感を覚えたからでした。これについては、次の萬子媛ノートで。

瀬戸内寂聴が文学界に強大な影響力を及ぼしていなければ、解説動画を視聴することもなかったでしょう。以下の過去記事は6年以上前に情報量の少ない中で書いたものですが、瀬戸内寂聴の文学界に及ぼす影響について書いたものです。

上記記事と以下の記事には重なる部分があります。

追記:
メーテルリンクの著作を何冊か読んだ感想としては、彼は神秘主義者というよりは形而上学的であると思いました。近代神智学には批判的であり、SPR(心霊現象研究協会)の見解に依拠するエッセーを書いています。SPRは神智学協会の自由な雰囲気から生まれた協会でしたが、神智学協会にとっては鬼子といってよい側面があります。

ライン以下の続きに、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー「心霊主義に傾斜したメーテルリンクの神智学批判と、風評の原因」を転載しておきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "神智学的なメーテルリンクと瀬戸内寂聴『般若心経』の解説動画に関する、ちょっとしたメモ(追記あり)"

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2016年8月 9日 (火)

読みたいブッツァーティの本。白樺並木の島で読書(リヴリー)。

オリンピックも、高校野球も始まりましたね。それにしても毎日、暑い!  どうか、ご自愛くださいますように。

拾った、リヴリーのトーテムポール「リヴリーポール」。「ここには本がないよ。ここいらの探検は明るいうちにした。探検記書くノートもないなんてさ」とうちのリヴリー。

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同じく拾った「「白樺並木の島」。この島とリヴリーポールは、この期間の特別な拾い物です。 濃い薔薇色の「鳥籠の椅子」は、サーバー障害への対応で貰ったヤミ―を使い、ヤミ箱で買いました。

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オレンジのカバーをつけた本は、ティーノ・ブッツァーティ(川端則子訳)『古森のひみつ』(岩波少年文庫、2016)です。わたしが読むつもりだったのですが、うちのリヴに「よかったら、先に読ませてくれる?」とせがまれました。読むのが速いので、貸してあげましょう。

ひさしぶりのお客さま。ハナマキですね。立派な帽子を被っていますよ。木陰でふたりは夢の中。

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翌日昼間に模様替えし、夜行ってみたらハナマキは椅子の上で本棚に鼻を押し付けて寝ていました。うちのリヴは色が白くなって、半分透明に見えますね。(10日21:35)。

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いや、リヴリーを離れてもホントにわたしは『古森』が読みたいのですが(同じブッツァーティの大人向きの小説が面白かったので)、他に読むものがあってお預け状態です。オリンピックも観たいし。

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2016年7月 7日 (木)

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』を観て。神智学に何らかの関心を持っていたルイス・キャロル。

昨日の不調は遊び疲れから来たものだった。

月一回、家族でカルディコーヒーファームへコーヒー豆を買いに行くことが恒例の行事となっている。そのときに観たい映画があれば、観ることにしている。

夫に比べたらあまり観たい映画がないわたしと娘は商業施設内をブラついたり、お茶を飲んだりすることのほうが多いが、今回はあった。『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』。『アリス・イン・ワンダーランド』の続編である。

2本の映画はうまい具合につながっていた。続編となる本作は、ルイス・キャロルの原作からはますます遠ざかっていたけれど、楽しめた。上映方式は2Dと3D。3Dで観たかったが、映画代のことを考え、2Dで我慢した。

映画については少し触れるだけにしておこうと思うが、ネタバレありdanger

『アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅』
原題……Alice Through the Looking

監督……ジェームズ・ボビン
脚本
……リンダ・ウールヴァートン
原案
……ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』
製作総指揮
……ティム・バートン
出演者
……ミア・ワシコウスカ,ジョニー・デップ,ヘレナ・ボナム=カーター,アン・ハサウェイ,サシャ・バロン・コーエン
音楽
……ダニー・エルフマン
主題歌
……『ジャスト・ライク・ファイア』 - P!nk
撮影
……スチュアート・ドライバーグ
編集
……アンドリュー・ワイスブラム
製作年
……2016年
製作国
……アメリカ
配給
……ディズニー
上映時間
……113分
上映方式
……2D/3D

マッドハッターと家族の再会、女王姉妹の絆の回復のためにアリスが時間を超えて働く……手短にいえば、そのようなお話。

前編では結婚を拒否したアリス。本作のアリスは未亡人となった母親が切実な思いから娘に押し付ける世間体及び女性らしい安定した生き方を冒険後に受け入れかけるが、土壇場で母親のほうがそれらを蹴飛ばす。

母娘で意気揚々と、手放さなかった船に乗り込む結末は清々しい。嵐が来たらひとたまりもないかもしれないリスクを恐れない強さがあって。続々編も観たいものだ。

前編を観たとき、赤の女王の頭の形はなぜハート形に膨張しているのかと不思議に思っていた。その謎が本作で解ける。

前編ではアン・ハサウェイ演ずる白の女王の存在感が際立っていた。本作ではオーストラリア出身の女優ミア・ワシコウスカ演ずる主人公アリス・キングスレーが存在感を増していた。

わたしは帽子職人マッドハッター演ずるジョニー・デップが好きで、デップ独特の物柔らかに訴えかけるかのような人懐こい表情にはほろりとさせられるのだが、今回もその表情を見せてくれて安心した。

サシャ・バロン・コーエン演ずるタイムもなかなか魅力的で、目が離せなかった。ヘレナ・ボナム=カーター演ずる赤の女王は今回も弾けた、味のある演技をしていた。

子役達が素晴らしい演技をしていた。前編と本作がよくつながっていたように、子役と大人の役者もよくつながっているように見えた。それにしても、日本の子役のようなわざとらしさが全くないのはどういう工夫によるのだろう?

映像が美しくて、夢のようだった。海賊とやり合う航海シーンや遊園地のような楽しいシーンがあったので、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『チャーリーとチョコレート工場』を連想した。

嫌な事件がよく起きる昨今、こういう映画を観るとホッとする。以下にディズニー公式YouTubeチャンネルの予告編を貼っておく。

そういえば、原作者のルイス・キャロルについて書くつもりで、そのままになっていた。神智学の影響を受けた人々を探している中で、ルイス・キャロルが神智学に関心を持っていたことがわかった。

神智学ウィキによると、彼は心霊現象研究協会の会員で、神智学に何らかの関心を持っていた(A・P・シネットのEsoteric Buddhism(『エソテリック ブディズム』)のコピーを所有していたといわれている)。→Lewis Carroll,http://www.theosophy.wiki/en/Lewis_Carroll(2016/7/7アクセス)

心霊現象研究協会(SPR)は神智学協会の会員だったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤースが友人達とつくった会だった。

心霊現象研究協会の会員によって公開されたホジソン・リポートはブラヴァツキーが誹謗中傷される原因を作ったが、ホジソン・リポートの虚偽性は1977年に心霊現象研究協会の別の会員ヴァーノン・ハリソンによって暴かれた。

ブラヴァツキーが生きていたそのころ、神智学協会はロンドンの社交界の流行になり、指導的な知識人や科学者、文学者達が訪れていた。→ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981、p.265)参照。

サロンのようなオープンな雰囲気があったようだから、様々な人々が神智学協会に興味を持ち、訪れたようである。ルイス・キャロルもその中の一人だったのだろうか。あるいは、神智学協会との接触のある心霊現象研究協会の会員を通じて神智学論文のコピーを入手したのかもしれない。

ホジソン・リポートを根拠に、心霊現象研究協会を神智学協会の上位に位置付けて対立構造を煽るような書かれかたをされることも多いが、実際には心霊現象研究協会は神智学協会の知的で自由な、開かれた雰囲気のなかから生まれた会であった。

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2016年5月28日 (土)

神智学の影響下で著された『青い鳥』(モーリス・メーテルリンク)、『オズの魔法使い』(ライマン・フランク・ボーム)

神智学の影響を受けた作家たちについて調べているのだが、また2人見つかった。

『青い鳥 (L'Oiseau bleu)』で1911年にノーベル文学賞を受賞したベルギーの作家モーリス・メーテルリンク、『オズの魔法使い(The Wonderful Wizard of Oz)』の著者であるアメリカの作家ライマン・フランク・ボームだ。

メーテルリンクの作品はカトリック教禁書目録に入れられた。

追記:

メーテルリンクを調べ、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事にしました。

63 心霊主義に傾斜したメーテルリンクの神智学批判と、風評の原因
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/09/15/161504

過去記事で紹介したアメリカの神智学協会の動画で、「Theosophy Wiki」が紹介されていた。

メーテルリンクとボームを検索してみると、出てきた。神智学の影響を受けた作家を調べるのに使えそうだ。

  • モーリス・メーテルリンク
    http://www.theosophy.wiki/w-en/index.php?title=Maurice_Maeterlinck&oldid=26749
  • ライマン・フランク・ボーム
    http://www.theosophy.wiki/w-en/index.php?title=L._Frank_Baum&oldid=23497

『青い鳥』『オズの魔法使い』の小論はそのうち書く。

こんなことばっかりやっているから、本の整理が進まないわけなのだ。

コリン・ウィルソンの『ルドルフ・シュタイナー』もつい断片的に再読してしまい、ブラヴァツキーに対するあまりにも知識不足、理解力不足の記述に改めて呆れ、ウィルソンがシュタイナーを贔屓した理由を調査するというのが宿題として残った。シュタイナーについて書くように依頼を受けたというが、それで原稿料が入るからというだけではないだろうから。

ウィルソンの貧弱な記述からすると、部分的に慌てて読んだ程度ではないかしら。締め切りが迫り、原稿料はなるべく早くほしかったとかで。シュタイナーはともかく、ブラヴァツキーの本ほど、急いで読むのに適していない本はないのだけれど。

結局、処分できそうな本は、よほど傷んでいて同じものがもう1冊ある本くらいだ。夫とはやはり好みや考え方に似たところがあるのか、互いに独身のころ買ったものなどで同じ本が結構ある。

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オズの魔法使い (ハヤカワ文庫 NV (81))
ライマン・フランク・ボーム (著), 新井 苑子 (イラスト), Lyman Frank Baum (原著), 佐藤 高子 (翻訳)
出版社: 早川書房 (1974/11/30)
ISBN-10: 4150400814
ISBN-13: 978-4150400811

ハヤカワ文庫のオズの魔法使いシリーズはAmazonでは中古しかない巻がある。復刊ドットコムからも完訳・全15巻が出ていて、こちらは子供向き。

完訳 オズの魔法使い 《オズの魔法使いシリーズ1》
ライマン・フランク・ボーム (著),  サカイノビー (イラスト), 宮坂宏美 (翻訳)
出版社: 復刊ドットコム (2011/9/30)
ISBN-10: 4835447654
ISBN-13: 978-4835447650

話は変わるが、東洋ナッツ「トン 有機3種のレーズンS 80g」が美味しい。

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2016年5月25日 (水)

カルディコーヒーファームで。観たい映画。サンドイッチの島で(リヴリー)。

月に1回ほどカルディコーヒーファームへ出かけて、200g入りコーヒー豆を3袋買うのがすっかり習慣化しています。

6月19日の父の日はまだ先ですが、「ファーザーズブレンドFather's Blend」という父の日限定炭焼ブレンドというのが出ていたので、1袋はそれにしました。生豆生産国名はグアテマラ、インドネシア、ブラジル他となっています。

「スモーキーな炭焼きの香り、しっかりとした苦みとやさしい甘さを持ち味とした父の日限定ブレンド」と説明があります。

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娘が好物の杏仁豆腐。3等分して、ちょうどいいくらい。

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オランダ産「ヘクター チーズラウンズクリスピーワッフル」が出ていたので、買いました。家族全員これが好きです。

ゴーダチーズ味の薄く焼き上げたワッフルで、ほどよい塩味です。軽い食感ですが、案外腹持ちがいいですよ。わたしは間食をしなくなったので、朝ごパンの代わりにいただきます。

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イタリア産「フルッタチェレスチィーナ レモンマーマレード」もリピート。甘さ控えめで、ジャムとソースの中間的な液体っぽさがあります。パン、ヨーグルトにかけると、爽やかな美味しさで最高。

面白い映画があれば観たいと思いましたが、大抵何かは観るものがある夫でさえ「観たいものが何もない。ビデオになって100円で出ていたとしても、どれも観ない」昨日でした。チラシを貰ってきました。

チラシの中で観たいと思ったのは、『アリス・イン・ワンダーランド~時間の旅~』(全国公開は2016年7月1日)。

マッド・ハッター役のジョニー・デップ、赤の女王役のヘレナ・ボナム・カーター、白の女王役のアン・ハサウェイが好演した『アリス・イン・ワンダーランド』の続編です。

2016年8月11日に全国で公開されるディズニーの新作映画『ジャングル・ブック』も観たい気がします。原作はラドヤード・キップリングの同名小説。人間は実写、ジャングルの動物たちはCGで再現されるのだとか。

『ジャングル・ブック』には、子供のころに読んで虜になりました。キップリングはノーベル文学賞を受賞しています。ウィキペディアから引用します。

ラドヤード・キップリング

ジョゼフ・ラドヤード・キップリング (Joseph Rudyard Kipling, 1865年12月30日 - 1936年1月18日) は、イギリスの小説家、詩人で、イギリス統治下のインドを舞台にした作品、児童文学で知られる。ボンベイ (ムンバイ) 生まれ。19世紀末から20世紀初頭のイギリスで最も人気のある作家の一人で、代表作に小説『ジャングル・ブック』『少年キム』、詩『マンダレー』など。「短編小説技巧の革新者」とみなされ、児童向け作品は古典として愛され続けており、作品は「多彩で光り輝く物語の贈り物」と言われる。1907年にノーベル文学賞を、41歳の史上最年少で、イギリス人としては最初に受賞。他にイギリス桂冠詩人、爵位などを打診されたが辞退している。

ウィキペディアの執筆者. “ラドヤード・キップリング”. ウィキペディア日本語版. 2016-05-22. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%A9%E3%83%89%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0&oldid=59813075, (参照 2016-05-24).

ジャングル・ブック (岩波少年文庫) 
ラドヤード・キプリング (著), 五十嵐 大介 (イラスト), 三辺 律子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/5/16)
ISBN-10: 4001142252
ISBN-13: 978-4001142259

ジュディ・フォスター監督作品『マネーモンスター』(全国公開は2016年6月10日)もちょっと気になります。

全米高視聴率の財テクTV番組がジャックされる――という内容だとか。ジュディ・フォスターの監督としての成長が如何ほどか確認したい気がしますが、観に行く余裕がありません。

ところで、無料で楽しませていただいているリヴリーアイランドで「サンドイッチ島」をゲットしました。家出人のピグミー、ネオピグミーが滞在中。

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遊び疲れて全員寝ているところが、何ともいえないかわゆさ!

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2016年3月17日 (木)

『長くつ下のピッピ』の挿絵で有名なイングリッド・ヴァン・ニイマン

最近、グーグル先生の翻訳を頼りに海外版ウィキペディアをあれこれ閲覧するようになったが、アストリッド・リンドグレーン『長くつ下のピッピ』の挿絵を最初に担当したイングリッド・ヴァン・ニイマンについて何も知らなかったことに気づき、スウェーデン語版でニイマンについて閲覧して自殺との記述に衝撃を受け、次いでデンマーク語版でも閲覧した。

イングリッド・ヴァン・ニイマン(Ingrid Vang Nyman)、1916年8月21日生まれのデンマークのイラストレーター。<Ingrid Vang Nyman. (2014, maj 3). Wikipedia, Den frie encyklopædi. Hentet 22:36, marts 16, 2016 fra https://da.wikipedia.org/w/index.php?title=Ingrid_Vang_Nyman&oldid=7586312.

デンマーク王立美術アカデミー中退。画家・イラストレーター・詩人のアルネ・ナイマンと結婚、息子が生まれる。一家は42年にストックホルムに移住。1944年に離婚。

45年からリンドグレーンの「長くつ下のピッピ」シリーズの挿絵を手がける。59年12月13日に経済、健康問題から自殺した。

初めて、ニイマンの挿絵でピッピを見たとき、それまでに馴染んできたピッピの落ち着きのある挿絵と比べて幼くて、天真爛漫、とてもパワフルな印象であることに驚かされた。

このピッピなら、地球を持ち上げることだってできそうだ(逆立ちしたら誰にだってできる?)。

こんにちは、長くつ下のピッピ
アストリッド・リンドグレーン (著),イングリッド・ニイマン (イラスト),いしいとしこ (翻訳)
出版社: 徳間書店 (2004/2/17)

ピッピ、南の島で大かつやく
アストリッド・リンドグレーン (著),イングリッド・ニイマン (イラスト),いしいとしこ (翻訳)
出版社: 徳間書店 (2006/06)

ピッピ、公園でわるものたいじ
アストリッド リンドグレーン (著),イングリッド・ヴァン ニイマン (イラスト),いしいとしこ (翻訳)
出版社: 徳間書店 (2009/05)

ピッピ、お買い物にいく
アストリッド リンドグレーン (著),イングリッド・ヴァン ニイマン (イラスト),いしいとしこ (翻訳)
出版社: 徳間書店 (2015/6/11)

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2016年3月10日 (木)

『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969) 2006.10.2

当ブログにおける過去記事に加筆した記事をエッセーとして拙エッセーブログ「The Essays of Maki Naotsuka」に収録したものですが、ここに再掲します。

エッセーでは『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969)の一覧を本の巻末広告から転載させていただきました。また、当ブログでも紹介していますが(サイドバー)、講談社『世界の名作図書館』全52巻の詳しい一覧がサイト「翻訳作品集成(Japanese Translation List) ameqlist」に置かれていましたので、リンクを張らせていただきました。

『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店)、『世界の名作図書館(全52巻)』(講談社)に関する検索ワードで当ブログにお見えになる方は多いのです。毎日のようにあります。

小学校から中学校にかけて読むにふさわしいこうした全集が今ではあまり出なくなったのが残念な状況です。

でも、一覧があれば、どんな本を与えればいいかを考える指針となるでしょう。

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ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969) 2006.10.2

 昭和42年(1967)から44年(1969)にかけて、岩崎書店から『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』が刊行されました。定価各380円とあります。 

 その中の(山本和夫編)『世界名詩集(ジュニア版 世界の文学 35)』(岩崎書店,1969)によって、わたしは詩のすばらしさを知りました。

ジュニア版 世界の文学(全35巻)

①ジェーン・エア(C・ブロンテ,花岡花子訳)

②レ・ミゼラブル(ユーゴー,江口清訳)

③猟人日記(ツルゲーネフ,神戸淳吉訳)

④赤い小鳥(スタインベック,白木茂訳)

⑤ジキル博士とハイド氏(スティーブンソン,白木茂訳)

⑥女の一生(モーパッサン,足沢良子訳)

⑦月と6ペンス(モーム,加藤輝男訳)

⑧三国志(羅 貫中,山本和夫訳)

⑨罪と罰(ドストエフスキイ,平井芳夫訳)

⑩シラノ・ド・ベルジュラック(ロスタン,中山知子訳)

⑪白 鯨(メルビル,亀山竜樹訳)

⑫阿Q正伝(魯迅,西本鶏介訳)

⑬初 恋(バルザック,調佳智雄訳)

⑭即興詩人(アンデルセン,岡上鈴江訳)

⑮血と砂(イバニエス,土家由岐雄訳)

⑯⑰静かなドン(上・下)(ショーロフ,松谷さやか訳)

⑱⑲ジャン・クリストフ(上・下)(ロラン,保永貞夫訳)

⑳若きウェルテルの悩み(ゲーテ,塩谷太郎訳)

㉑春の嵐(ヘッセ,山本藤枝訳)

㉒椿 姫(デュマ,庄野誠一訳)

㉓母(ゴーリキイ,石山正三訳)

㉔息子と母(ローレンス,飯島淳秀訳)

㉕アルト・ハイデルベルク(フェルスター,山本藤枝訳)

㉖アッシャー家の没落(ポー,久米元一訳)

㉗武器よさらば(ヘミングウェイ,山本和夫訳)

㉘せまき門(ジイド,那須辰造訳)

㉙タラス・ブーリバ(ゴーゴリ,袋一平訳)

㉚はじめての舞踏会(マンスフィールド,白木茂訳)

㉛緑の舘(ハドソン,榎林哲訳)

㉜㉝戦争と平和(上・下)(トルストイ,和久利誓一訳)

㉞みずうみ(シュトルム,植田敏郎訳)

㉟世界名詩集(山本和夫編)

 このシリーズはジュニア向けの文学全集として、本当によく編集されたものだったと思います。娘が中学生になる頃に同じものを買ってやりたいと思い、岩崎書店に電話をしましたが、昔のもので、もうありませんとのことでした。

 これと同じようないいものは、どこにもありませんでした。実家にしか。妹との共有のものでしたが、うちの子供たちがこの『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』、妹の子供たちが講談社から刊行された『世界の名作図書館』全52巻(講談社,1966-1970)によい時期に達していたことと考え合わせて、わたしが岩崎書店の全集、妹が講談社の全集をそれぞれの家に持ち帰りました。

 講談社『世界の名作図書館』全52巻の一覧がサイト「翻訳作品集成(Japanese Translation List) ameqlist」に置かれています。

ameqlist 
 Producer:雨宮孝(Amemiya Takashi) 

講談社(KodanSha)/世界の名作図書館 全52巻 1966-1970年 

 結局、どちらの子供たちもあまり読まなかったのが残念ですが、現在では、このいずれかに匹敵するほどの児童向け、ジュニア向けのものは残念ながら出ていないようです。児童、ジュニア向けのよい文学全集が出版されるよう、文科省は力を入れるというわけにはいかないのでしょうか。

 抽象的な事柄を血肉化し、生きた事例として見せてくれる教科書として、世界の名作といわれるような文学作品に勝るものはないと思います。

 ただ巷で人間を眺めているだけでは、その人生まではなかなか見えてこないものです。それを知るには、先人たちが心の中までつぶさに開示して見せてくれ、渾身の力をこめて人生について語ってくれた薫り高い文学作品を読むのが一番なのではないでしょうか。

 子供はそのような文学作品の中で様々な人生模様を見、恋愛の仕方を学び、理想的な生きかたを模索するでしょう。

 命の尊さ――などといわれても、ぴんとこなくて当たり前なのではないでしょうか。よき文学作品を読めば、そのことが叩き込まれます。生きた水となって土壌に滲み込みます。逆にいえば、そのような文学作品がよき文学作品ということなのでしょうね。

 話が脱線しましたが、詩に目覚めたわたしが自分のお小遣いで買った詩集は、(深尾須磨子編)『世界の詩集12 世界女流名詩集』(角川書店、1970)でした。中学1年生のときでした。それはまさに大人の女性の世界の薫りでした。その中でも、格別な大人の女性の薫りに陶然とさせてくれたのがガブリエラ・ミストラル((ガブリエラ・ミストラル(Gabriela Mistral, 1889年4月7日 - 1957年1月10日)))でした。

 ガブリエラ・ミストラルはラテンアメリカに初めてノーベル文学賞をもたらしたチリの国民的詩人で、教育者、外交官としても知られ、「ラテンアメリカの母」といわれました。

 詩集は、「女に生まれて」「恋愛と結婚」「あこがれ・孤独・別離」「自然――四季おりおりの詩」「時と永遠」「世界の苦悩――平和への祈り」というカテゴリーに分けられていますが、ミストラルの詩は1編にその全てを網羅しているような詩です。

拙サイト「マダムNの神秘主義的エッセー」にミストラルに関するエッセーがあります。

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2016年3月 8日 (火)

エッセーブログ「The Essays of Maki Notsuka」を更新。

昨日ご報告したブログを更新しました。

5 秋に寄せて 2006.8.15
http://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/07/233857

6 児童文学作品を通して見る母親の幸不幸 2006.8.17
http://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/08/101955

7 梨とピノッキオ 2006.8.28
http://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/08/150600

引用文や採り上げた文学作品、作者について調べ直したり、パブリックドメインの写真を探したりしていると、結構時間を食います。

もう一つの拙エッセーブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」(このタイトル、もう少し何とかならないかと思っていますが)を開設してから、日本語でググっても全然出てこない情報が外国語版のウィキペディアにあっさり出ていたりすることから、英語版、フランス語版、ドイツ語版あたりを頻繁に利用するようになりました。

グーグル先生――クーグルの翻訳機能――大活躍。でも、結局辞書で調べたりして馬鹿に時間がかかることも。うちにあるのは漢和辞典、英語の辞書以外は、フランス語、イタリア語(娘が所有)、スペイン語の辞書があります。これに簡単なドイツ語の辞書もあれば安心。

ウィキペディアでは英語版、ドイツ語版、フランス語版の順に記事数が多いようですし、文学関係ではこれらの国々の作家の邦訳版が多いので。

今回、『ピノッキオ』の最初の挿絵を初めて見て、驚きました。いや、前にもどこかで見た気もしますが、木切れでできたピノッキオといえど、トスカーナ大公国フィレンツェ出身の上品な坊やなんだなと思いました(作品にそう書いてあるわけではありませんが、作者カルロ・コッローディがそこ出身ですから)。恐れ入りました、という感じです。

わたしにはエンリコ・マッツァンティが描いたピノッキオは大人に見えますが、百歩譲って子供だとして、小学校高学年の年齢に見えます。もっと幼いイメージがありました。

256pxpinocchio

ピノッキオ
Le avventure di Pinocchio visto da Enrico Mazzanti, Firenze, 1883
From Wikimedia Commons, the free media repository

これとは逆に、数年前に初めて見た『長くつしたのピッピ』の初版本の挿絵があまりに幼い印象で、驚いたことも。勉強しながらエッセーブログを更新しているという感じです。

歴史小説でも神秘主義関係でも勉強することばかりだし、勉強疲れしたと思うことが最近あります。何せ貧弱な脳味噌なので。

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2015年10月28日 (水)

新訳『北風のうしろの国』、ジョージ・マクドナルドとC・S・ルイス

 ※新ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にも収録しました。漱石にかんするエッセーは①のみの収録にとどまっています。なかなか時間がとれないため、続きの収録には時間がかかりそうです。

33 新訳『北風のうしろの国』、ジョージ・マクドナルドとC・S・ルイス

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

ジョージ・マクドナルドの“At the Back of the North Wind ”(1871)を初めて読んだのは、子供のころに買って貰った児童文学全集の次の本でだった。

世界の名作図書館〈9〉北風のうしろの国へ・まほうのベット
マクドナルド (著), ノートン (著),  山室 静 (翻訳), 田谷 多枝子 (翻訳), 白木 茂 (翻訳)
出版社: 講談社 (1968/1/1)

好きな児童文学作品は数多くあるけれど、一番好きな作品を選ぶとしたら、ジョージ・マクドナルドのこの作品になる。

作品全体から薫る神秘性、内面描写の繊細さ、著者の偉大さを感じさせる「北風」の謎めいた、深みのある魅力に惹きつけられた。

子供のころ姉妹共に馴染んだ本を結婚するときに持って出るのは妹に悪い気がしたので置いて出て、今は結婚して孫もある妹が所有している。

妹の孫――わたしからすれば姪孫――がもう少し大きくなったら読むだろうか?

妹の子供2人――わたしの甥と姪――には児童文学全集を好んだような形跡がない。それなら、わたしが貰えばよかったと思い、「魔法つかいのリーキーさん」が収録された4巻を送って貰ったのだった。

泣くと眉が赤くなる、赤ちゃんなのに落ち着いた風なところのある姪孫が本好きになったら、リーキーさんを貸してやろう。「北風のうしろの国へ」を読んでどう思ったか、訊こう。

好きな児童文学の話ができる小さな友達がいれば、楽しいに違いない。でも、あの子も児童文学とはあまり縁のない子になるのかもしれない。

1981年、ハヤカワ文庫で出ているのを知り、購入した。ハヤカワ名作セレクションとして2005年に再び出たようで、これは今も購入できるようなので、表紙画像からAmazonに行けるようにリンクしておく。

北風のうしろの国 (ハヤカワ文庫 FT ハヤカワ名作セレクション)
ジョージ・マクドナルド (著), アーサー・ヒューズ (イラスト), 中村 妙子 (翻訳)
出版社: 早川書房 (2005/9/22)

以下はAmazonからの引用。

商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

「北風と一緒なら誰だって寒くなんかないのよ」―美しい女の姿をした北風の精は、ダイアモンド少年を幻想的な世界へと誘った。夜のロンドンの空へ、嵐の海上へ、そして北風のうしろの国へ…。その不思議な国から戻った少年は、想像力の翼を広げ、産業革命期の生活に疲れた人々に、優しさを取り戻させてゆく。C.S.ルイスやJ.R.R.トールキンらによって開花した英国ファンタジイの、偉大なる先駆者による古典的名作。

その後、太平出版社から「マクドナルド童話全集 全12巻」が出た。図書館から借りて読んだ。

以下に全巻のタイトル、訳者などを紹介しておく(1978~1979年版を参照)。

  1. 王女とゴブリン(村上光彦訳、淵上昭広絵、1978)
  2. 王女とカーディー少年(白柳美彦訳、竹川功三郎絵、1978)
  3. きえてしまった王女(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978) 
  4. ふんわり王女(萩美枝訳、ラスロップ,D.P.・本庄久子絵、1978) 
  5. 巨人の心臓(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)
  6. 妖精のすきなお酒(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)  
  7. ふしぎふしぎ妖精の国(田谷多枝子訳、本庄久子絵、1978)
  8. 昼の少年と夜の少女(田谷多枝子訳 岩淵慶造絵、1978) 
  9. 金の鍵(田谷多枝子訳、岩淵慶造絵、1978)         
  10. 北風のうしろの国(田谷多枝子訳、真島節子絵、1978)   
  11. かげの国(田谷多枝子訳、竹川功三郎絵、1978)       
  12. おとぎの国へ(村上光彦訳、岩淵慶造絵、1979)

「北風のうしろの国」は田谷多枝子訳で第10巻に収録されている。

そして、新訳で出た北風である。

これまでに出た「北風」の訳でどの翻訳家のものがベストかはわたしにはわからないが、新訳版ではアーサー・ヒューズの挿絵を存分に楽しむことができる。「訳者あとがき」で紹介されていたマクドナルドに関するエピソードや「北風」の創作秘話なども新鮮だった。

北風のうしろの国(上) (岩波少年文庫 227)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)

以下はAmazonからの引用。

商品の説明
内容紹介

御者の息子ダイヤモンドは、美しい女性の姿をした北風に抱かれ、夜のロンドンの空や、嵐の海をかけめぐる。そして北風のうしろにある不思議な世界へ。もどってきた幼い少年は、そこで聞いた楽しい川の歌を口ずさみながら、貧しい暮らしにあえぐ家族や友人を助け励まし続けるのだった。イギリスファンタジーの名作を新訳で。

北風のうしろの国(下) (岩波少年文庫 228)
ジョージ・マクドナルド (著), 脇 明子 (翻訳)
出版社: 岩波書店 (2015/10/17)

「北風のうしろの国」の著者ジョージ・マクドナルドについて、ウィキペディアより引用する。

ジョージ・マクドナルド: ウィキペディア

ジョージ・マクドナルド(George MacDonald, 1824年12月10日 - 1905年9月18日)は、スコットランドの小説家、詩人、聖職者。
日本では、『リリス』などの幻想文学や、『お姫さまとゴブリンの物語』などの児童向けファンタジーの作者として知られる。
今日ではさほどの知名度は無いが、彼の作品(特に童話とファンタジー小説)はW・H・オーデン、J・R・R・トールキン、C・S・ルイス、マデレイン・レングルらといった作家たちに賞賛されている。例えば、C・S・ルイスはマクドナルドを自分の「師匠」と呼び、その作品を読んだ経験を次のように語っている。「ある日、駅の売店で『ファンタステス』を手に取り、読み始めた。二三時間後、私は自分が大いなるフロンティアを横断し終わったことに気付いた」。G・K・チェスタートンは『お姫さまとゴブリンの物語』を「私という存在を変えた」本だと述べている。マーク・トウェインも、当初こそマクドナルドを嫌っていたものの、彼と友誼を結んだ。

「今日ではさほどの知名度は無い」とあるが、本当だろうか? ファンタジーの父といわれているマクドナルドであるが?

C・S・ルイスがマクドナルドを「師匠」と呼び、“Phantastes: A Fairie Romance for Men and Women” 1858(蜂谷昭雄訳『ファンタスティス(ちくま文庫)』筑摩書房、1999年を参照)で序文を書いているが、この序文は問題だと思う。

C・S・ルイスについて分析してみたいと思いながら中断した過去があった。

前掲の過去記事で次のように書いている。

当世風何でもありのファンタジーはルイスが元祖ではないだろうか。ルイスの功罪をざっとながらでもまとめておきたい気がする。

 『ナルニア国ものがたり』を読むと、イデオロギー的構成に驚かされると共に、ギリシア神話、創世記、神秘主義などから借りてきたキャラクターや概念などの甚だしい乱用が目にあまる。それらを借りてきたことが問題なのではなく、意味の書き換えを行い、イデオロギーに利用したことが問題なのだ。

ジャンルは違うが、権威あるいろいろな書物から言葉や文章を借りてきてアクセサリー的に私用する村上春樹の作品に似たところがある(元の意味合いが完全に失われるだけでは済まない。別の意味づけがなされてしまう)。

ルイスはジョージ・マクドナルドの影響を受けたそうだが、とてもそうは思えない。アリストテレスがプラトンの哲学を無意味なものにしてしまったのと同じようなことが、ルイスとマクドナルドにもいえ、ルイスはマクドナルドのファンタジー――その敬虔な神秘性――をすっかり無意味なものにしてしまったとわたしには思える。

C・S・ルイスについては改めて批評を書きたいが、今は検証している時間がない。ただルイスがマクドナルドを天才と持ち上げる一方ではどんなことを書いたかを示すための引用をしておきたい。

 もし文学を言葉をば媒体とする芸術と定義するならば、確かにマクドナルドは一流には――多分二流にすら――位[くらい]しない。 (略) 総じて彼の書きものの木目[きめ]は平凡で、時には不器用である。悪しき説教壇的伝統がそこにはまつわりついている。時には非国教主義的冗漫さがあり、時には華麗な装飾に対する古きスコットランド的偏愛がある。 (略) 時にはノヴァーリスからつまんできた過度の甘さがある。 (略) マグドナルドが最も得意とするのは幻想〔ファンタジー〕――寓意的と神話創成的との中間に漂う幻想――である。 (略) われわれに立ちはだかる問題は、この芸術――神話創成の芸術――が文芸の一種か否かということである。 (MacDonald、蜂谷訳、1999、序pp.13-14)

このような序文は「序文」に「位しない」とわたしは思う。読者に、マクドナルドは序文の執筆者――つまりC・S・ルイス――より下位の作家という先入観をもたらすからである。

このルイスの偏向した、偉そうなマクドナルド観に影響されている日本人は多いのではないかと思われる。なぜなら、マクドナルドに関してルイスに似たようなことを書いている記事をインターネット検索で多く閲覧したからである。

マクドナルドを「師匠」といいながら、児童文学作家としてマクドナルドを自分より下に位置づけようとした嫌らしさを感じる。持ち上げ方、貶し方が尋常ではない。

「師匠」の作品に影響されたわりにはルイスの作品には技巧的な工夫に長けたところはあっても、「師匠」の作品を奥深く、輝かしいものにしている神秘性や高潔な人間性とは無縁の二流品にすぎない。

ルイスは、自分のほうが文学的にマクドナルドより優れているといいたいようだが、彼は自分とは異なるタイプの文体、技法を容認できなかったというだけの話であると思えるし(ルイスは一体何様なのだろう?)、また前掲の拙記事「C.S.ルイスの功罪を問うてみたい気がしている」に書いたような理由で、文学的でないのはルイスのほうこそ、そうである可能性が高いとわたしは考えている(ルイスの言葉を借りていえば、ルイスの作品はまあ「文芸の一種」ではあるのだろうが)。

そして、イデオロギー色の濃いC・S・ルイスには、マクドナルドという人間に備わり、作品にも宿った神秘性に惹かれながらも、その本質が理解できなかったのではないかと思われる。

このC・S・ルイスは、神秘主義をまともに批評できずに誹謗中傷するに終わった――わりには馬鹿に知名度の高い――プラグマティズムのウィリアム・ジェームズやゲノンを連想させる。共通点がある。以下に関連記事を挙げておく。

神秘主義者の仕事には、それを叩く人間がどこからか必ず配置されることになっているのかと想像したくなってくる。

マクドナルドを讃えながら、一方ではどこかしら特権的な口吻でマクドナルドの「非国教主義的冗漫さ」を批判するルイスであるが、ルイスがそのように書くとき、彼が「国教主義的簡潔さ」を上位に置き、そこから大上段に構えて発言していることがわかる。

このような態度が文学的といえるだろうか。

C・S・ルイスの思想について、ウィキペディアから引用してみよう。

C・S・ルイス: ウイキペディア

信仰と著作

幼少の頃はアイルランド国教会に基づくキリスト教を信仰していた。14歳の時に無神論に転じ、神話やオカルトに興味を持ち始める。その後様々な書物や大学時代の友人の影響を受け、31歳で同じ聖公会系のイングランド国教会の下で再びキリスト教信仰を始めた。『奇跡』(Miracles, 1947)『悪魔の手紙』『キリスト教の精髄』『喜びのおとずれ』などの神学書や自叙伝、ラジオ講演などを通じて、信徒伝道者としてキリスト教信仰を伝えている。
著作には詩集、神学論文集などがあるが、特に有名なものは『ナルニア国ものがたり』全7巻である。神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露。スイスの弁証法神学者カール・バルトから、激しい反撥を受けた。1957年には『さいごの戦い』でカーネギー賞を受賞している。
米国聖公会では聖人に叙せられており、命日である11月22日が祝聖日とされている。

イングランド国教会についても、ウイキペディアで確認しておこう。

イングランド国教会: ウィキペディア

イングランド国教会(イングランドこっきょうかい、英: Church of England)は、16世紀のイングランド王国で成立したキリスト教会の名称、かつ世界に広がる聖公会(アングリカン・コミュニオン)のうち最初に成立し、その母体となった教会。 (略)
もともとはカトリック教会の一部であったが、16世紀のイングランド王ヘンリー8世からエリザベス1世の時代にかけてローマ教皇庁から離れ、独立した教会となった。プロテスタントに分類されることもあるが、他プロテスタント諸派とは異なり、教義上の問題でなく、政治的問題(ヘンリー8世の離婚問題)が原因となってローマ・カトリックから分裂したため、典礼的にはカトリックとの共通点が多い。イングランド(イギリス)の統治者が教会の首長(Defender of the Faith、直訳は『信仰の擁護者』)であるということが最大の特徴である。

ルイスは「神学者としても著名で、『ナルニア国ものがたり』にもその片鱗が現れているような新プラトン主義的な見解をラジオの連続講義でも披露」とあるが、確かにルイスは「ナルニア国ものがたり」第7巻、瀬田貞二訳『さいごのたたかい(岩波少年文庫 040)』(岩波書店、1986年初版、2008年新版)で、「かかわりのあるよいナルニアのいっさい、親しい生きもののすべては、あの戸をふみこえて、まことのナルニアにひっこしてきたんだ」(Lewis、瀬戸訳、2008、pp.283-284)、「これはすべて、プラトンのいうところだ。あのギリシアのすぐれた哲学者プラトンの本に、すっかり出ているよ。やれやれ、いまの学校では、いったい何を教えているのかな?」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.284)と書いて、まことのナルニアがプラトンのいうイデア界であることを示唆している。

だが、ルイスのイデア界はあくまでキリスト教に取り込まれ、即物的な劣化を起こした、およそプラトンのイデア界とは異なる幼稚な唯物論的世界観にすぎない。

だからルイスが如何に言葉を尽くして「まことのナルニア」が「はるかにいみの深いおもむきがありました」(Lewis、瀬戸訳、2008、p.285)と説明しようが、両者の違いを読者に伝えることはできなかった。C・S・ルイスの児童文学作品はアトラクション的なのである。

ここにマクドナルドとの本質的な違いがある。

マクドナルドは『北風のうしろの国』の主人公であるダイヤモンド少年に、別の世界の空気を伝えさせることに成功している。ルイスの指摘する「冗漫さ」はわたしには別の世界の空気を伝えるための技法と思われる。

というのも、“The Light Princess”1867(『軽いお姫さま(妖精文庫)』富山太佳夫・富山芳子編、1999年を参照)などには、「北風のうしろの国」にあるような冗漫さがないからである。

しかし、「北風のうしろの国」では、「軽いお姫さま」を連想させる「ヒノヒカリ姫」*という小話が挿入され、子どもっぽい長い歌詞が挿入されていたり、まだ翼のつぼみでしかない飛ぶのには使えない小さな翼を肩のあたりではばたかせている天使たちが星をほる話が出てきたりする。

*ジョージ・マクドナルド、脇明子訳『北風のうしろの国 下(岩波少年文庫228)』(岩波文庫、2015年、第28章ヒノヒカリ姫pp.125-165)

こうした悠長、閑雅な世界と、御者の仕事をしているダイヤモンド少年の過酷な現実とがコントラストをなしている。冗漫にも感じられる描写が挿入されているからこそ、コントラストが際立つのである。

では、ルイスに「非国教主義的」といわせるマクドナルドの思想は如何なるものであったのだろうか。

George_macdonald_1860s

George MacDonald,1860s.
From Wikimedia Commons, the free media repository

それはひとことでいえば、万人救済主義(Universal Reconciliation)的なものであったようである。

ジョージ・マクドナルドはカルヴァン主義の会衆派教会に属する家で生まれ育ち、牧師になったが、カルヴァン主義に馴染めなかった。

カルヴァン主義がどんな思想であるかというと、1618年のドルトレヒト会議で決められたドルト信仰基準はカルヴァン主義の特徴を5つの特質として明確にしたものだといわれている。ウィキペディアから引用すると、それは次のようなものである。

ドルト信仰基準: ウィキペディア

  1. 全的堕落(Total depravity) - 堕落後の人間はすべて全的に腐敗しており、自らの意志で神に仕えることを選び取れない。
  2. 無条件的選び(Unconditional election) - 神は無条件に特定の人間を救いに、特定の人間を破滅に選んでいる(予定説)。
  3. 制限的・限定的贖罪(Limited atonement) - キリストの贖いは、救いに選ばれた者だけのためにある。
  4. 不可抵抗的恩恵(Irresistible grace) - 予定された人間は、神の恵みを拒否することができない。
  5. 聖徒の堅忍(Perseverance of the saints) - いったん予定された人間は、最後まで堅く立って耐え忍び、必ず救われる。

マクドナルドがどんな牧師ぶりを示したかを、英語版ウィキペディアから引用してみる。

George MacDonald: Wikipedia

In 1850 he was appointed pastor of Trinity Congregational Church, Arundel, but his sermons (preaching God's universal love and the possibility that none would, ultimately, fail to unite with God) met with little favour and his salary was cut in half.

1850年にマクドナルドはアランデルの三位一体会衆派教会の牧師に任命されたが、彼の説教(神の普遍的な愛と最終的には誰もが神と一つになることができるという教え)はほとんど支持を得られず、給料は半分に減らされてしまったのであった。

マクドナルドは予定説で知られるカルヴァン主義の世界観には納得できなかった。そして万人救済主義的思想に親近感を抱いたのだろう。以下はウィキペディアから。

万人救済主義: ウィキペディア

万人救済主義(ユニバーサリズム、英語:Universal Reconciliation、Christian Universalism)はキリスト教の非主流派思想のひとつ。これは、すべてが神のあわれみによって救済を受けるという教理、信仰である。すべての人が、結局は救済を経験するとし、イエス・キリストの苦しみと十字架が、すべての人を和解させ、罪の贖いを得させると断言する。 (略)
万人救済主義は地獄の問題と密接に関係がある。救済に至る方法や状態に関して様々な信仰と見解があるけれども、すべての万人救済主義者は、究極的にすべての人の和解と救済に終わると結論する。
万人救済の教理、信仰についての論争は歴史的に活発に行われてきた。初期において万人救済主義の教理はさかんであった。しかし、キリスト教の成長にともない、それは廃れていった。今日の多くのキリスト教教派は万人救済主義に否定的な立場を取っている。

歴史
古代にはオリゲネスの思想に見られ、近代のカール・バルトも万人救済を唱えたとされている。
万人救済主義とはキリスト教信仰の有る無しに関わらず、全人類がすでに救われているという思想である。これに対しキリスト教において正統とされてきた神学はアウグスティヌスらが唱え、19世紀までキリスト教会で主流であった排他主義(Exclusivism)である。これは信者のみが救われるという神学である。

初期の歴史
ダマスカスの周辺の初期のクリスチャン共同体が万人救済の教義を提唱したと信じられている。様々な神学者が初期キリスト教において万人救済主義の立場に立った。アレクサンドリアのクレメンス、オリゲネスらである。

万人救済主義はクレメンスやオリゲネスによって知られるようだ。

オリゲネスはキリスト教会の聖職者であったが、アンモニオス・サッカスの弟子であった。アンモニオス・サッカスは新プラトン主義の創立者である。神智学という名称はアンモニオス・サッカスとその弟子たちから始まった。クレメンスはプラトン派に所属したアンモニオス・サッカスの弟子である。神父であり、キリスト教哲学者であった。

このようなことを、わたしはブラヴァツキーの『神智学の鍵』の用語解説で初めて知った。オリゲネスもクレメンスも名前くらいは知っていたが。

マクドナルドが神秘主義的だとは思っていたけれど、その思想を遡るうちに神智学に辿り着いたのだから驚きである。

オリゲネス、クレメンスについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、昭和62年初版、平成7年改版)の「用語解説」より引用しておく。

オリゲネス(Origenea Adamantius,Origen)
2世紀末におそらくアフリカで生まれたキリスト教会の聖職者であるが、この人についてはほとんど知られていない。というのはオリゲネスの伝記的断片はエウセピオスの権威のもとに後世に託されたが、エウセピオスはどの時代にも見られなかったほどの紛れもない曲解者であったからである。エウセピオスはオリゲネスの手紙100通を収集したが、それらは現在、散逸してしまっているという。神智学徒にとってオリゲネスの著作の中でいちばん興味深いのは、『霊魂先在説』である。彼はアンモニオス・サッカスの弟子で、この偉大な哲学の師匠の講義に長く出席していた。 (Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.23)

クレメンス・アレクサンドリノス(Clemens Alexandrinus)
 新プラトン派に所属し、アンモニオス・サッカスの弟子。神父で、多くの本を書いた。西暦2~3世紀のアレクサンドリアの数少ないキリスト教哲学者の一人である。
(Blavatsky、田中訳、平成7、用語解説p.29)

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