カテゴリー「神秘主義」の278件の記事

2018年10月10日 (水)

シモーヌ・ヴェイユと母セルマとガリマール書店の〈希望〉叢書

10月5日に「アルベール・カミュのシモーヌ・ヴェイユに関する文章」というタイトルの記事をアップしましたが、ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に収録するに当たり、大幅に加筆を行いましたので、過去記事を削除し、前掲ブログにアップしたエッセー 86 「シモーヌ・ヴェイユと母セルマとガリマール書店の〈希望〉叢書」を転載します。

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シモーヌ・ヴェイユ(不詳)
出典:Wikimedia Commons

図書館から借りた『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』(編集発行人・鈴木宏、水声社、2017)に、アルベール・カミュがシモーヌ・ヴェイユに関して書いた短い文章が収録されていた。

アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)はフランス領アルジェリアの出身で、純文学小説『異邦人』、哲学的エッセー『シーシュポスの神話』で有名になったフランスの作家である。カミュは不条理という言葉を『シーシュポスの神話』で鮮烈に用い、その後、この言葉は実存主義の用語となった。不条理とは、人間存在の根源的曖昧さ、無意味さ、非論理性に由来する絶望的状況を意味する言葉とされる。

わたしの大学のころ――40年ほども昔の話になる――には、第二次大戦後にフランスからサルトルなどによって広まった実存主義はまだ流行っていた。

否、今でも哲学的主流はこのあたりに停滞していて、現代哲学は唯物論に依拠して局部的、細部的分析に終始しているのではないだろうか。

カミュは自分では実存主義者ではないとしているが、その思想傾向からすれば、実存主義者に分類されていいと思われる。

カミュに発見されたといってよい女性哲学者シモーヌ・ヴェイユ(Simone Weil, 1909 - 1943)はパリでユダヤ系の両親から生まれ、晩年、キリスト教的神秘主義思想を独自に深めていったが、しばしば実存主義哲学者に分類される。だが、そのシモーヌも、ジャン・ヴァールへの手紙で次のように書いて、実存主義に警戒心を抱いていたようである。シモーヌ・ペトルマン(田辺保訳)『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ Ⅱ』(勁草書房、1978)より、引用する。

<ここから引用>
わたしは、《実存主義》的な思想の流れは、自分の知るかぎりにおいて、どうやらよくないものの側に属するように思えますことを、あなたに隠しておくことができません。それは、その名が何であれ、ノアが受け入れ、伝えてきた啓示とは異種の思想の側に、すなわち、力の側に属するように思われます。*1
<ここまで引用>

実存主義はマルクス主義の影響を受けた思想で、唯物論的であり、マルクス主義の流行とも相俟って一世を風靡した。しかし、一端、唯物論的袋小路へ入り込んでしまうと、自家中毒を起こし、下手をすれば阿片中毒者のような廃人になってしまう危険性さえある。

村上春樹のムーディ、曖昧模糊とした小説はこうした不条理哲学の子供――ただし、カミュの作品が持つ聡明さ、誠実さを欠いた子供といえる。戦後、日本はGHQによる洗脳工作(WGIP)や公職追放*2などもあって、唯物主義、物質主義が優勢となったのだった。

わたしが「カミュに発見されたといってよい女性哲学者シモーヌ・ヴェイユ」と先に述べたのは、シモーヌ・ヴェイユ(田辺保訳)『超自然的認識』(勁草書房、1976)の訳者あとがきで述べられている、次の文章を根拠としたものだった。

<ここから引用>
ガリマール社版のシモーヌ・ヴェイユの著作はほとんどすべて、本書と同じ「希望[エスポワール]」双書に収められているが、この双書はアルベール・カミュ(1913―60)によって創設された。第二次大戦下の英国において、34歳で死んだ、当時まったく無名だったといっていいシモーヌ・ヴェイユを、戦後のフランスの思想界に紹介した大きい功績は、当然第一にカミュに帰せられるべきであるが、本書の編集も(明記されてはいないが)、カミュであるとみなすことは充分に可能である。*3
<ここまで引用>

現在60歳のわたしが、『超自然的認識』によってシモーヌ・ヴェイユの思想に触れたのは大学時代だった。この本には「プロローグ」というタイトルで、シモーヌ・ヴェイユの有名な美しい断章が紹介されていた。『超自然的認識』の新装版がアマゾンに出ていたので、紹介しておく。

超自然的認識
シモーヌ・ヴェイユ (著), 田辺 保 (翻訳)
出版社: 勁草書房; 改装版 (2014/5/1)
ISBN-10: 4326154292
ISBN-13: 978-4326154296

『超自然的認識』を読んだときから、シモーヌの作品の邦訳版を読み漁り、またシモーヌとカミュとの接点を求めて、あれこれ読んだ。カミュがシモーヌを発見した人物であることを雄弁に物語っているような文章には、出合えなかった。

邦訳されていないだけだと思っていたのだが、『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』(編集発行人・鈴木宏、水声社、2017)に収録されたアルベール・カミュの文章、及び解説を読んで、シモーヌの母セルマの関与が浮かび上がってきた。

訳出されたカミュの文章は、竹内修一氏の解説によると、『NRF出版案内』1949年6月号に発表された「シモーヌ・ヴェイユ」と題された文章だという。

カミュがシモーヌの発見者であるにしては、その文章の内容からしてシモーヌを高く評価していることに間違いはないにせよ、短いというだけでなく、いささか精彩を欠くものであるようにわたしには思える。竹内氏は述べている。

<ここから引用>
1943年8月、ロンドン郊外のサナトリウムで死したとき一般の人々にはほとんど知られていなかったシモーヌ・ヴェイユが、戦後これほど有名になるためには、彼女が「生涯のあいだ頑なに拒否した「第一級の地位」を獲得するためには、みずからが監修していたガリマール書店の〈希望〉叢書から彼女の著作を次々に刊行したカミュの功績があったのである。*4
<ここまで引用>

ところが、この叢書が1946年3月に創刊されたとき、カミュはヴェイユのことをほとんど知らなかったばかりか、シモーヌの遺作の出版は全く予定されていなかったというのだ。

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シモーヌ・ヴェイユの歴史的・政治的著作の初版のカバー
出典:Wikimedia Commons

カミュの文章「シモーヌ・ヴェイユ」は本来なら〈希望〉叢書の9冊目の書物『根をもつこと』のための序文として書かれたものだった。それがヴェイユの遺産相続者――シモーヌの父母なのか、兄アンドレなのかは不明――の依頼によるものか、あるいは何らかのトラブルによって、この文章は別個に発表された。『根をもつこと』は序文も注釈もなしに出版されたのだそうだ。

1960年にカミュが自動車事故で死んだとき、〈希望〉叢書24作品のうちの7つの作品がシモーヌ・ヴェイユの著作だった。カミュの死後も2つのシモーヌの作品が出版された。

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シモーヌ・ヴェイユの署名
出典:Wikimedia Commons

竹内氏の解説中、ギー・バッセによれば、〈希望〉叢書から出版されるシモーヌの著作に無署名の「刊行者のノート」が付されたとすれば、それはカミュではなく、母セルマが作成したものだという。

シモーヌ・ヴェイユの兄アンドレ・ヴェイユの娘で、シモーヌの姪に当たるシルヴィ・ヴェイユ(1942 - )は自著(稲葉延子訳)『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』(春秋社、2011)の中で、シモーヌの死後、アンドレと両親との間にシモーヌの死や彼女の自筆原稿をめぐって亀裂が生じたと述べている。シモーヌの死後、ヴェイユ夫妻の残りの人生は娘の原稿を後世に残すための清書に費やされたそうだ。

シルヴィはその著書で、「父はこの分析が正しいのかどうかはわからないが、自分の母親がシモーヌの内に、母親がいなくてはならない状態をつくりあげ、それが原因でシモーヌは死んだと見做していた」*5と述べている。

また、エッセー 22 「グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ 』を読了後に」で採り上げたフランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイは、シモーヌの摂食障害――拒食症の傾向――に迫っている。

これはわたしの憶測にすぎないが、シモーヌ・ヴェイユの母セルマは、豊かな財力によってカミュが監修していたガリマール書店の〈希望〉叢書の9つの出版枠を買い取ったのではないだろうか。

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シモーヌ・ヴェイユの墓
出典:Wikimedia Commons

我が身に自ら拘束帯をつけたかのような、ストイックすぎる生きかたをしたシモーヌ・ヴェイユ。高純度の思想を書き残したシモーヌと母セルマを思うとき、一卵性親子と呼ばれた美空ひばり(加藤和枝)と母・加藤喜美枝を連想してしまう。

セルマには、シモーヌをプロデュースしたステージママのような一面があったように思う。シモーヌは哲学者となり、兄のアンドレは高名な数学者となった。

『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ Ⅰ・Ⅱ』『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』を読むと、セルマの並外れた母親ぶりに圧倒される。

わたしはエッセー 23 「ミクロス・ヴェトー(今村純子訳)『シモーヌ・ヴェイユの哲学―その形而上学的転回』から透けて見えるキリスト教ブランド」で、次のように書いた。

<ここから引用>
シモーヌ・ヴェイユは、おそらく母親の偏愛――シモーヌ・ヴェイユが理想とする愛とはあまりにもかけ離れたものを含む現象――を感じ、その呪縛性を知りつつも、それをそっとしておき、恭順の意さえ示している。キリスト教に対する態度も同じだったように思える。

彼女はキリスト教というブランドを非難しつつも、それに屈し、媚びてさえいる。その恭順の姿勢ゆえに、シモーヌ・ヴェイユという優等生は西洋キリスト教社会では一種聖女扱いされてきたということがいえると思う。
<ここまで引用>

シルヴィ(稲葉訳,2011,pp.157-159)によると、セルマは演劇的な人物だった。シモーヌの死後は聖女の母という役を演じて能力を開花させ、修道女のような態でシモーヌの賞賛者である限られた数人の聖職者たちと亡き娘の部屋に籠っていたという。

シルヴィ(稲葉訳,2011,pp.157-176)はまた、17歳のセルマが母親ジェルトルード宛の手紙に「使用人と類する人たち」に対する嫌悪感を綴ったこと、その同じ人物が第一次大戦後ほどなくヴァカンスで過ごした豪奢なホテルのサロンにあるピアノで「革命家インターナショナル」を笑いながら自慢げに演奏し、組合主義者の教師となったシモーヌが右翼メディアに「赤い聖処女」と採り上げられたときには、その赤い聖処女の母という役回りに愉悦していたという事実が信じられないと語る。

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シモーヌ・ヴェイユと生徒(ル・ピュイ)
出典:Wikimedia Commons

完全主義者で所有欲が強く、演劇的で矛盾に満ち、絶え間なくシモーヌを見守った――ある意味で操ったとさえいえる――セルマは、どこか世俗キリスト教と重なる。

『詳伝 シモーヌ・ヴェイユ Ⅱ』の著者シモーヌ・ペトルマンは、ヴェイユの最も親密な友人の一人であったそうだが、「日本語版によせて」の最後に、次のように書いている。

<ここから引用>
シモーヌ・ヴェイユは宗教問題に深い関心を寄せていましたが、それはキリスト教の限界を越えるものだったことを、もう一度思い出しておきたいと思います。特に彼女は、禅仏教に強い興味を示していました。フランスにおいて、禅なんてほとんどまったく知られずにいた時代のことでした。
*6
<ここまで引用>

その禅とは、鈴木大拙の著書を通したものだったと考えてよい。シモーヌ・ヴェイユは、ペトルマン宛の手紙で次のように書いている。

<ここから引用>
英語で書かれた、禅仏教に関する、哲学者鈴木テイタロー[大拙、仏教哲学者]の著書をおすすめします。とてもおもしろいわよ。*7
<ここまで引用>

エッセー 24 「ルネ・ゲノンからシモーヌ・ヴェイユがどんな影響を受けたかを調べる必要あり」で書いたように、鈴木大拙は神智学協会の会員だったから、シモーヌ・ヴェイユは大拙の著作を通して近代神智学思想に触れたといえるかもしれない。

しかし、その同じシモーヌ・ヴェイユがルネ・ゲノンという、極めて混乱した宗教観と貧弱な哲学しか持ち合わせないばかりか、近代神智学の母と謳われるブラヴァツキーの代表的著作すらろくに読んだ形跡がないにも拘わらず、神智学批判を行った――これは誹謗中傷というべきだろう――人物の著作の愛読者だったそうだから、わたしはあれほどまでに輝かしい知性の持主のシモーヌがなぜ……と、違和感を覚えずにはいられない。

それは、シルヴィが祖母セルマに感じたのと同じような、信じられない思いである。

…………………………

*1:ペトルマン,田辺訳,1978,p.370

*2:わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。20万人以上もの公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

*3:ヴェイユ,田辺訳,1976,訳者あとがきpp.409-410

*4:『別冊水声通信 シモーヌ・ヴェイユ』(編集発行・鈴木宏、水声社、2017、p.49)

*5:シルヴィ、稲葉訳、2011、p.152

*6:ペトルマン,田辺訳,1978,日本語版によせてp.433

*7:ペトルマン,田辺訳,1978,p.323

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2018年10月 4日 (木)

落胆と取材の成果 (1)祐徳稲荷神社での私的心理劇

昨日、祐徳稲荷神社に出かけました。

そのときにまた貴重な取材ができ、二つの疑問がほぼ解けました。祐徳博物館の職員のかた、鹿島市民図書館の学芸員のかたには今回もお世話になりました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

萬子媛の死後、祐徳院がどうなったのかなど知りたいことは沢山残っているのですが、わたしが書こうとしている歴史小説にはもうこれ以上のリサーチは必要ないと思うので、とりあえずお試し期間(?)としてひと月、創作に集中する予定です。第二稿を書けるかどうかのお試し期間です。

写真は娘がスマホで撮りました。縮小以外の修正は加えずにアップします。

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祐徳博物館横の駐車場に車を止め、橋を渡りました。午後の2時を回ったくらいの時間でした。せせらぎに心が和みました。参拝客はそれなりにいましたが、娘はいないところをうまく撮ってくれています。

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なぜか、金色の鯉が夫に懐いて(?)、しきりに寄ってきました。夫が熱帯魚を飼っているからでしょうか。

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階段を上り、萬子媛のお社「石壁社」にも参拝しました。

ああでも、今回はどこもかしこも空っぽでした!  御神楽殿での御祈願の間も、そうでした。石壁社へ参拝した後はすっかり意気消沈して、泣きたいぐらいでした。

あのかたがたの気韻に溢れる気配を感じることができないと、こんなに空っぽに感じるんですね。勿論、これはわたしの感じかたにすぎません。

昨年参拝したときは、博物館を優先したために、萬子媛ご一行が一日のお勤めを終えて御帰りになるところが――もう雲の辺り――地上から何となくわかり、そのときに萬子媛の放たれた霊的な光が辺りを一変させて、わたしは天国にいるような高揚感を覚えました。そのときのことは、以下のエッセーに控えめに書いています。

72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日 (収穫ある複数の取材) : マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710
<ここから引用>
博物館の近くの駐車場に夫が車を止め、降りて本殿や石壁社のあるあたりに目を向けたとき、傾きかけた日が燦然と射して、あまりの美しさにしばらく見とれてしまった。
日を受けた樹々の緑の輝きがあまりに美しいので、「まるで天国みたいに綺麗ね、こんなに綺麗に見えるのは初めてよ」と娘にいうと、娘は怪訝な顔をした。
何て綺麗なんだろう、ずっとここにいたいと思ったほどだった。後で、もっと傾いた日を受けて、それでもまだ輝いている樹々の緑を見たときの平凡な印象とは、落差があった。あの美しさは、お帰りになる萬子媛のオーラの輝きが日の輝きに混じっていたからだとしか思えない。

<ここまで引用>

お勤めを放棄なさるはずはないので、まだ「夕焼け小焼け」が響き渡る時間以前に何も感じられないということは、わたしが感じられないというだけのことだったと想像するしかありません(尤も、感じられないという人が大多数でしょうけれど)。

なぜ? 母親を求める乳児のように、わたしは萬子媛の霊的存在を求めましたが、何も感じられませんでした。

家で早朝、娘に起こされてそちらを見ると(萬子媛についてまだわからないことを、明け方近くまでかかってまとめていて寝坊しました)、娘とわたしの間の空間に、金色に輝く大きな楕円形の光が見えました。2014年に見た短冊状の光とは形状が違いましたが、共通点が感じられたので、萬子媛のメッセージかしらと思いました。以下は2014年のときのことを書いたエッセーからの引用です。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年: マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/10/210502
<ここから引用>
しばらく熱中してふと顔を挙げると、目の前の空間に金色の短冊状のものが棚引くのが見えた。
これは肉眼には見えないもので、神智学でいう透視力が目覚めてきてからこうした類のものが次第に見えるようになった。いつからその透視力が目覚めてきたかといえば、大学時代から「枕許からのレポート」(エッセー34「枕許からのレポート」参照)を書いた頃にかけてだったように思う。
文通をしてくださった神智学の先生――先生は多くの人々と文通をなさっていた――がお亡くなりにあと、先生はあの世に行かれる前に透明になったお体で挨拶に来てくださったのだが、その後しばらくしてから空間に星のようにきらめく色つきの光の点を見るようになった。
空間はわたしには見えない世界からのメッセージボードのようなもので、それまでにもいろいろと見えることはあったが、ある種の規則性を持ったものが見えるようになったのはそれ以降だった。
それが何なのかはわからないが、先生からの、あるいは見えない世界からの助言ではないかと想像している。
金色の短冊はそれとは異なった。それを目にすると同時に「急いで」と優しくいわれたような気がした。萬子媛のお使いかな、と思った。

楕円形の光の意味はわかりませんでしたが(急いで、と今回もおっしゃったのでしょうか)、萬子媛は今回の御祈願のときも2016年のときのように臨在を感じさせてくださるに違いないと、自ずから期待が高まりました。

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日: マダムNの神秘主義的エッセー 
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355
<ここから引用>
御祈願していただいている間中ずっと、わたしは背後に、萬子媛を中心にして、生きているときは女性であったと思える方々が端然と立っていられるのをほのかに感じていた。すぐ後ろにいらっしゃるのが萬子媛だとなぜかわかった。
<ここまで引用>

夫の運転する車で佐賀へ向かっているとき、高速道路の両脇に植えられた木々が、葉の間から光がこぼれているだけの現象とはとても思えない、沢山の大粒のダイヤモンドのような実をつけているかのようにキラキラと輝いている非現実的な光景を助手席からうっとりと眺めていましたが、帰りの車の中で夫と娘に尋ねたところ、気づかなかったといいました。

あのような輝かしい木々を見て気づかないはずはないと思うので、あれは萬子媛が贈ってくださった光景だったのでしょう。でも、お会いできなかった……あえて、そうなさったのでしょうね。

御祈願のときに心の中で、わたしはまずは一年間見守っていただいたお礼を述べたあとで、わたしが萬子媛の小説を書くことはあまりにつつしみのないことではないかということを第一にお尋ねしたかったし、そのあとも沢山の質問を思い浮かべる予定でした。それに答えてくださるはずはありませんが、気配で伝わって来るものがあるだろうと計算していました。

神様にお目にかかるというのに、何て打算的だったのでしょう。実はその自覚はあったので、お目にかかれないかもしれないという虞れも一方ではありました。それが的中したのでした。

これまでのことがわたしの妄想でないことだけは、はっきりしました。あのような高貴な気配やオーラを、わたしが自分でつくり出す――想像する――など、とてもできない芸当だからです。尤も、それを他人に証明できないという点では同じですけれど。

もう萬子媛をモデルとした歴史小説は書けない気がしていました。祐徳博物館に行くのが何だかつらい気さえしました。でも、遠くてめったに来られないので、萬子媛の肖像画にお目にかかってから帰ろうと思いました。(2)へ

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2018年9月20日 (木)

勝本華蓮『尼さんはつらいよ』(新潮新書、2012)を読んで

図書館から『尼さんはつらいよ』という本を借りた。

尼さんはつらいよ (新潮新書)
勝本 華蓮 (著)
出版社: 新潮社 (2012/01)
ISBN-10: 4106104539
ISBN-13: 978-4106104534

尼僧の環境がどのようなものであるかを中心に、現代日本における仏教社会の裏事情が活写された、興味深くも脱力感に襲われるような内容だった。

著者は、在家出身で、広告関係の仕事で成功していたが、ある仏教者との出会いがきっかけとなって仏教にのめり込む。会社を畳んで比叡山に転居し、佛教大学と叡山学院に学んだ。三年後に、京都の天台宗青蓮院門跡で得度。佛教大学卒業後、尼寺に入り、そこで現実をつぶさに見、幻滅して尼寺を出た。その後、仏教研究者(専攻はパーリ仏教)の道を歩んで現在に至るようである。年齢はわたしと近く、著者(1995年大阪府生まれ)は三つ上になる。

パーリ仏教は上座仏教(上座部仏教)、南伝仏教ともいわれるようだが、昔は小乗仏教といった気がしてウィキペディア「上座部仏教」を閲覧すると、小乗仏教という呼称はパーリ仏教側の自称でないため、不適切であるということになったらしい。

本には、上座仏教圏のスリランカ、タイ、大乗仏教のチベット仏教の話や、尼僧の活動が目立つという台湾、香港の話も出てきた。そういえば、YouTubeで梵唄を検索したとき、台湾か香港からのアップと思われる仏教音楽の動画が沢山出てきて、驚かされたことがあった。

本の核心に触れると、日本の尼寺は絶滅の危機に瀕しているらしい。

尼寺における、あまりに俗っぽいエピソードの数々が紹介されている。全ての尼寺がそんな風ではないのだろうが、著者自身の体験が報告されているのだから、その一端が描かれていることは間違いない。

尼寺が絶滅の危機に瀕している原因を、著者は「なぜ尼寺に弟子が来ないか、来ても続かないか、その理由は、日本が豊かになったからである。生活や教育目的で寺を頼る必要がないのである。そういった福祉は、国家や公共団体が面倒をみてくれる」(42頁)といった表層的社会事情に帰している。

しかし、いくら物質的に豊かになったとしても(今の日本はもはやそうではなくなっているといえる)、人間が老病死を完全に克服しない限りは宗教は需要があるはずである。

歴史的原因を探れば、明治期の廃仏毀釈、第二次大戦後のGHQによる占領政策、フランクフルト学派によるマルクス主義の隠れた強い影響を見過ごすことはできない。これらによって、日本の仏教が壊滅的ダメージを被ったことは間違いないのだ。

本には、著者の神秘主義的能力の萌芽と思われる体験や、心霊現象といったほうがよいようなエピソードがいくつか挟み込まれていたが、こうしたことに関する知識は著者が身を置いた世界では全然得られないのだと思われて、この点でも何だか脱力感を覚えた。

江戸中期に亡くなった萬子媛のような筋金入りの尼僧は、今の日本では望むべくもないということか。

以下の過去記事で紹介した本では、まだ萬子媛の頃の名残が感じられたのだが……

2015年1月19日 (月)
歴史短編1のために #12 尼門跡寺院
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/01/12-293c.html

あやめ艸日記―御寺御所大聖寺門跡花山院慈薫尼公
花山院 慈薫 (著), バーバラ ルーシュ (編集), 桂 美千代 (編集), ジャニーン バイチマン (翻訳), ベス ケーリ (翻訳)
出版社: 淡交社 (2009/1/30)
ISBN-10: 4473035697
ISBN-13: 978-4473035691

前掲記事で引用した編者バーバラ・ルーシュの文章を再度、引用してみたい。

<ここから引用>
このような経験を積み重ねてゆくにつれ、尼門跡寺院という制度があることがわかってきました。この制度は、日本の真なる文化財の一つともいえますが、十九世紀の廃仏毀釈令によってほとんど破壊されてしまいました。尼門跡寺院というのは、何かを抑えつけるところではなく、逆に解き放つところといえる存在であり、もしこのような場が存在しなかったら、日本のきわめて高い文化的教養をもった女性たちが幾世紀にもわたって活躍できなかっただろうと思われます。皇室由来の寺院におられた尼僧様たちが、和歌の古典的な形態をみがき上げ、『源氏物語』に関する文化、さらに茶道、華道、香道、年中行事などの保存にお勤めになられたのでございます。
<ここまで引用>

尼門跡とは皇女や貴族の息女が住職となる寺院で、随筆集『あやめ艸日記』の執筆者、花山院慈薫(臨済宗大聖寺二十七代門跡 1910 - 2006)は31代・花山院家正(1834 - 1840年)の娘。萬子媛は、21代・花山院定好の娘だった。

和歌には、拙神秘主義エッセーブログ「78 祐徳稲荷神社参詣記 ⑤扇面和歌から明らかになる宗教観」でみたように、日本人の宗教観が薫り高く織り込まれてきたのだ。

その貴い伝統を、左翼歌人の俵万智が壊した。

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2018年9月18日 (火)

「コイコイはやぶさ」をゲット(インターポット)。ある私的自覚。

ビンゴルームに宇宙シリーズが現われてから、「コイコイはやぶさ」が出るのを待ち望んでいました。世界で初めてサンプルリターンに成功した小惑星探査機「はやぶさ」の奇跡的な地球帰還物語をテレビで視聴して以来、はやぶさのファンなのです。

「コイコイはやぶさ」が登場してからは何度もチャレンジし、ビンゴ券がどんどん減っていきました。

病院や体調不良などもあり、キラポチがおろそかになり(申し訳ありません)、その結果としてみのる木の実の数も少なく、「コイコイはやぶさ」をゲットするには、ランキングにチャレンジしてビンゴ券、死神退治の杖5コ、変化の杖10コを貰うしかないと思いました。

ランキングにチャレンジを始めたのが遅かったこともあって、上位アイテムは無理。せめて死神退治の杖はほしいと思い、昨日は家事以外の時間をビンゴに費やしました。その結果またキラポチがおろそかに(重ねてお詫び申し上げます)。

ところが、ビンゴ券200枚貰っても、死神続出で、報酬「死神退治の杖 5コ」まで行き着けません。

沢山持っていて増やす必要のない「おでかけの草笛」ですが、それが唯一ビンゴ券1枚でチャレンジできるので(他のは2枚必要)、ひたすらそればかり続けてポイントを稼ぎました。

しかし、「お尋ね者ポスター 1コ」を貰った後、「スコア 14698 pt」で――深夜――力尽きました。

「死神退治の杖 5コ」貰うには15000 pt必要です。302ポイント足りませんでした。ランキングの順位は113位でした。ビンゴ券2枚、死神の杖1コが、この時点での全財産でした。

18日の朝9時29分までには時間があったので、達成イベントの「みんなでウエスタンシート7000ゲットする」が達成すれば、ビンゴ券20枚貰えるので、まだ可能性はあると思いました。朝になっても達成はまだでしたが、期待しながら朝の家事に励みました。

ついに、時間切れになりました(9時45分の達成でした)。

その後、前掲の「みんなで…‥」の20枚を貰い、それを使ってビンゴ券を少し稼ぎ、はやぶさにチャレンジ。あと7日ありますが、はやぶさは無理かもしれないと思い、半ば諦めて夫とおしゃべりしながら気楽にビンゴ。

おしゃべりに夢中になってふと見ると、何とビンゴと死神が同時に出現しているではありませんか。しかも、表示されているビンゴ商品はまぎれもない「コイコイはやぶさ」。

迷わず死神の杖を使い、めでたくゲット。ああ死神の杖を昨日のうちに使ってしまわなくてよかった……と思いました。たった1本しかない死神の杖を使ってでも、ランキングポイントを増やしたい瞬間が何度あったことか。

実は、インターポットを始めてから一番ほしいと思ったアイテムは、はやぶさでした。キラするときにはやぶさに出合うと、見とれました。

萬子媛の小説は、藩日記を読んだことで新たに判明したことなどあって、ストーリーの見直しから始めなくてはなりません。その藩日記ノートも、もう少し書いておきたいことがあります。

インターポットのはやぶさを見ると、胸が熱くなります。励みになりそう。

はやぶさは小惑星イトカワのサンプルを採集した後、重大なトラブルの発生により地球への帰還が絶望視されましたが、奇跡的ともいえるサンプルリターンに成功し、役目を果たしたはやぶさの本体は大気中で燃えて失われました。

庭の写真にはガーガーちゃんが写り込んでいますが、はやぶさの向かって右下にイトカワ、前方に天王星が写っています。

わたしははやぶさの爪の垢(?)を飲みたい。ここからはインターポットの話題から離れます。

近代神智学運動の母ブラヴァツキー夫人の周囲には、能力の高い低いの違いはあったでしょうが、神秘主義的能力に目覚めた人々がかなりいたようです。

その当時、わたしがそれらの人々の中に混じっていたとしたとしたら、今感じている疎外感や欠乏感、違和感に悩まされることも、蔑視されることもなかったでしょう。

彼らは、ブラヴァツキーの論文を部分的にでも自分で検証することができたからこそ、ブラヴァツキーの論文の正当性が骨身に滲みてわかり、その福音的価値を確信できたのだと思うのです。

神秘主義的感性は誰にでも存在するもので、それが曇りなく発揮されるかそうでないかの違いがあるだけだと思いますが、わたしの感性はブラヴァツキーのような清澄な人々と曇っている人々との中間域にあると感じています。

主にその中間域にあって迷いや悩みを抱えている人々とブラヴァツキーのような優れた人々によって著された書物との間の架け橋をつくりたいと思い、稚拙ながらこれまで当ブログや「マダムNの神秘主義的エッセー」などで語りかけてきました。

これからも、命のある限り、そうしていけたらと考えています。

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2018年9月15日 (土)

9月14日に、循環器クリニックを受診。思い出した、心臓カテーテルの名医のオーラ。

検査日で、いつものように尿検査、血液検査(4本)、胸部レントゲン、心電図(普通のと長めのと2種類)。

先月くらいから、日々の健康に関しては放置気味だった「マダムNの体調ノート」にメモしている。当ブログは文学、神秘主義、時々料理が中心になっているので、受診記録以外はそちらに記録したほうが自分にとって効率的なので。

朝、バタバタしながら、ブログを開いて、メモ帳に発作が起きたときの日付とタイトルを写した。「8月13日朝1・夕1、8月14日夕1、8月26日朝1・夕1」。

処置室で看護師さんから発作のときのことを訊かれたとき、わたしはすかさずバッグからメモ帳(表紙の色はブラック。格好よくて、結構気に入っている)を取り出し、読み上げると、「ちゃんとメモしているんですね」と褒められた。人から褒められるなんてことはめったにないので、嬉しかった……

看護師さんはカルテに、わたしのメモの内容を写しておられた。

診察室での先生のご様子、会話は、デジャヴみたいだった。

心電図を丹念に見、胸部レントゲンで心胸比を出しておられ、そのあと、発作のときのことを訊かれたので、お話しする。その間に、脈、聴診。

心電図や胸部レントゲンの説明はないままに、「Nさん、血管造影したことはあったっけ?」とお尋ねになった。先生、リピートなさるんですね、と思いつつ、いいえ、と答えた。

このクリニックではできない検査だそうで、県立、医大、A…病院など、総合病院の名を五つほど挙げられたあとで、ふっと思い出したように何か明るいお顔になって「O…循環器病院でもやっている……」とおっしゃった。

日赤に別件で検査入院したとき、25日間も入院したため、長居していた同室の人達とはすっかり仲良しになり、合宿しているような気分になったものだった。その中には情報通もいらして、その人が「この県ではNさんがかかっている先生と、О…循環器病院の先生が一、二を争う名医らしいよ。わたしのかかっている先生がおっしゃっていた」と教えてくれた。

「検査は痛いのでしょうか」とお尋ねすると、「痛くないよ。手首からカテーテルを通して、麻酔で眠っている間に終わるよ」と先生。局部麻酔ではないのだろうか。

心臓カテーテル検査をすることになるのかなと思っていると、「でも、Nさんはコレステロールは髙くないからねえ……」と先生。

実際には時々基準値をオーバすることがあるのだが、「コレステロールが基準値内だったら、動脈硬化になる心配はいらないのでしょう?」とお尋ねすると、「それがそうでもないんだよ。安心するわけにはいかない」と先生。うーん、医学音痴のわたしには、訳がわからない。

結局、具体的な検査入院の話にはならなかったが、先生が迷っておられることは確かだ。夫の転勤でこの街に住みつき、喘息発作が起きて飛び込んだ呼吸器クリニックの先生からこのクリニックに紹介していただいて、初受診したのは平成17(2005)年3月29日のことだった。

その間、発作をご報告したことは数え切れないほどあったのだが、血管造影検査のことを先生が続けておっしゃったことはなかった。心臓の写真と心電図からその必要を感じておられるとしか思えないのだが、何もおっしゃらないので、真相はわからない。わたしの思い過ごしかもしれない。

検査には当然ながらリスクも伴うので、もし先生がわたしに検査を受けさせることを迷っておられるのだとしたら、それが理由ではないかと想像する。何にせよ、総合病院に勤務なさっていたころは、多くの心臓手術を手がけた先生が迷っておられるのだとしたら、それだけの理由があるに違いない。わたしは先生に粛々と(?)従うまでだ。

一応、造影剤を使う心臓カテーテル検査と費用について調べた。先生は二泊三日とおっしゃったが、一泊二日、日帰りでも行われているようだ。

結構お金は飛ぶ。検査がよりよき治療――心臓の症状の改善――に結びつけばいいのだが、合併症だけおまけについてくる結果になることだって、覚悟しておかなくてはならないだろう。

何にせよ、年内に検査入院ということはなさそうだ。

胸の圧迫感や浮腫みが出たときにニトロの使用を迷うことを、リピートしてお尋ねしたら、前回と同じように先生は使うなとはおっしゃらなかったが、「使いすぎると効かなくなるよ」と注意をされ、「でも、我慢できないと、使うよね……」とおっしゃった。

その通りです! 受診後、休日で家にいた夫に迎えに来て貰い(一緒に、最近、近くにできたケンタッキーに行くため)、ケンタッキーで昼食をとったあとスーパーに寄って帰宅したら、疲れて胸の圧迫感が出た。我慢できなくなり、使ってしまった……

そういえば、昔、頻脈の原因を知りたい、そのとき受けていた治療が適切かどうか知りたい、もっと楽になりたいと思って病院ジプシーしていたときに、小倉にあるK…病院を受診し、たまたま心臓カテーテルを日本で初めて行った有名なお医者様、N…先生の診察を受けたことがあった。

検査室で運動負荷心電図をとって貰い、先生は脈を診て話を聞いてくださった。

で、カテゴリー違いの話になるが、わたしはごくたまに他人のオーラをまざまざと目撃することがあり、先生のオーラも目撃した。

N…先生は小柄で、ちょっとお笑い系かと思えるようなユニークな感じに見えた。ところが、優雅といってよいくらい上品に見える瞬間もあって、印象的なかただった。

そのときわたしに見えたN…先生のオーラはブルー系で、その色合いははっとするほどに精妙で美しかった。治療以上に、あのオーラに癒される患者も多いのではないだろうか。

ウィキペディアを見ると、その後、小倉のK…病院から京都大学医学部に教授として移られたようだ。

クリニックの先生は、N…先生が小倉のK…病院にいらっしゃったころではないかと思うが、その病院に勤務したこともおありのようだ。以前、壁に貼ってあった先生の略歴を見たとき、そのように書かれていたことを思い出した。

心臓の薬(60日分)

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • シグマート錠5mg 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ヘルベッサーRカプセル100mg 1回1Cap 朝・夕食後
  • アイトロール錠20mg 1回1錠 朝・夕食後
  • ニトロペン舌下錠0.3mg   1回1錠×10回分

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 30日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤、吸入薬) 1個 吸入

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2018年9月11日 (火)

鹿島藩日記第二巻ノート (7)祐徳院における尼僧達 その2

自分のための単なる読書ノートです。あとでまとめて拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、「祐徳稲荷神社参詣記」の続きとしてアップします。

『鹿島藩日記 第二巻』(祐徳稲荷神社、昭和54)

その1の続き。

「蘭契」という名が出てくるのは、宝永二年閏四月廿日(1705年6月11日)の日記(『鹿島藩日記第二巻』416頁)である。

素人解読なので間違っているかもしれないが(※あまり参考にしないでくださいね。原文に当ってください)、大体次のようなことが書かれているのではないかと思う。

佐賀の御親類方より勝屋伊右衛門まで、祐徳院様の御中陰は何日より何日まで御執行でしょうかとの問い合わせがあり、こちらに言ってよこされた。それについて、外記より蘭契まで伺ったところ、御中陰というのはなく、御葬礼が行われたことで、儀式は済みました。(……)尼達と相談して申し上げますが、殊に山中ということもありますので、御名代などを送って寄越すには及びません、伊右衛門よりそのようにお口添え下さるのがよいでしょう、とのこと。

わたしの憶測でしかないが、蘭契という尼僧が萬子媛亡き後、代表者的、長的な役割を果たしたのではないだろうか。その代表者に、外記が問い合わせたと考えるのが自然だと思う。

その蘭契という人物が、祐徳博物館で伺った、萬子媛に仕えて岩本社に祀られたという尼僧かどうかはわからない。(以下のリンク先参照のこと)

72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710

萬子媛の葬礼は簡素だったようだが、五月十五日(1705年7月5日)の日記に書かれた三十五日についても、格峯(鍋島直孝、断橋)が恵達(慧達)、石柱を同行して祐徳院に一泊し、御霊供膳と皆に振る舞う料理を用意させているが、目立った儀式はなかった模様だ。

もし、萬子媛の葬礼のときの布施の記録に名のあった僧侶達の中で、蘭契からが祐徳院に属した尼僧達だとすれば、17 名(蘭契、満堂、蔵山、亮澤、大拙、瑞山、眠山、石林、観渓、英仲、梅点、旭山、仙倫、全貞、禅国、智覚、𫀈要)。萬子媛がいらっしゃったときは総勢 18 名だったことになる。

萬子媛が亡くなる前年までのことが書かれた、萬子媛の略伝といってよい『祐徳開山瑞顔大師行業記』には、萬子媛が尼十数輩を率いたとあるので、人数的には合う。

求道者らしいストイックな暮らしをなさっていたと想像できる祐徳院所属の尼僧達。五月十五日に料理を振る舞うことで、格峯は尼僧達をねぎらったのだろうか。

彼女達がその後どうなられたかが気になるところだ。

ところが、わたしは神秘主義者として知っている。江戸時代に亡くなった彼女達は、あの世で、萬子媛を長とするボランティア集団を形成し、中心的役割を果たしておられるのだ。

カルマに障らないような、高度なボランティアを手がけておられることが窺える。

萬子媛は太陽さながら、豊麗なオーラを放射されるのだが、その光が如何にすばらしいものであったとしても、そのやりかたはわたしが神秘主義者として竜王会、神智学協会ニッポン・ロッジで理論的に学び、また前世での男性僧侶としての修行や今生での独習から会得した技法と同じだと思う。

それは、この世でもあの世でも通じるやりかたなのだとわかった。誰もができるやりかたのはずだ。この世の出来事に囚われ、その技法を磨くことを怠ってきたけれど、このことが確信できただけでも、わたしにとっては大きな進歩だ。

萬子媛をモデルにした小説を完成できるかどうはわからないが、頑張ってみたい。

日記には元禄14年3月14日 (1701年4月21日)に起きた赤穂事件について記されているので、次のノートで採り上げたい。わたしの興味を惹いたのは、日記の解説にあった次の箇所である。

<ここから引用>
元禄十一年の『御在府日記』によると、鹿島藩江戸藩邸では、吉良上野介の希望によって、二三度にわたって有田焼の水差しや香爐などを送っている。(鹿島藩日記 第二巻』祐徳稲荷神社、昭和54年、「解説」2頁)
<ここまで引用>

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2018年8月28日 (火)

神事、そして文学に対する冒涜でしかない高橋弘希「送り火」(第159回平成30年上半期)

ノーベル文学賞は終わった感があるが、『文藝春秋』(平成30年9月号)に発表された高橋弘希「送り火」(第159回平成30年上半期)を読んで、芥川賞もとうとうここまで冒涜的、おぞましいシロモノを日本社会に送り出すようになったか、と脱力感を覚える中で思った。

書きかけだった「鹿島藩日記第二巻ノート (6)祐徳院における尼僧達」の続きがまだだし、トルストイ『戦争と平和』に関するエッセーも「マダムNの神秘主義的エッセー」に連載中で時間がないのに、今日はこれを読まされた(絶賛されていたのだから、「読まされた」だ)。

高橋氏の文章は描写力があって素晴らしいそうだが、誉めすぎだ。描写力というほどの印象的な描写はなく、くどくどしく説明が重ねられているだけで、どちらかというと平板な文章である。

ただ、過去記事で書いたように、わたしは文学界に新星が現れたと確信したので、日本文学が終わったとは思っていない。この希望の光がなければ、不快感、絶望感で今日は何もできなかったかもしれない。

2018年5月12日 (土)
「三田文學」(第24回三田文学新人賞)から新星あらわる
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/05/24-98ca.html

選評の中では、高橋のぶ子「青春と暴力」だけがまともで、他の選考委員の選評は批評能力以前に常識を疑う。

高樹氏の選評のタイトルに青春とあるが、複数の中学生、そして後半は複数の大人が主体となるリンチ事件(殺人になったかどうかがストーリー上は不明)を長々と描いたものが、青春文学などであるはずがない。

しかも、このリンチ事件には神事を――ミサの倒錯であるかのような黒ミサに匹敵するおぞましさで――絡めてあるのだ。虚構なら、何を書いてもいいというわけではないだろう。

実際にも報道されることのある、凄惨なリンチ事件を神秘主義的に見れば、凶悪な低級霊の憑依事例といえそうであるが、話が文学から離れるので、これ以上は追究しない。

ただ、果たして「送り火」が文学といえるだけの資格を備えているかどうかといえば、微妙である。

高樹氏の選評に同感の部分を以下に引用したい(前掲誌309~310頁)。高樹氏が選考委員の中にいてくれたことは芥川賞にとって、わずかな救いだった。そうでなければ、芥川賞の名を辱めただけで終わっただろう。

<ここから引用>
けれど受賞作「送り火」の十五歳の少年は、ひたすら理不尽な暴力の被害者でしかない。この少年の肉体的心理的な血祭りが、作者によって、どんな位置づけと意味を持っているのだろう。それが見いだせなくて、私は受賞に反対した。〔略〕文学が読者を不快にしても構わない。その必要が在るかないかだ。読み終わり、目をそむけながら、それで何? と呟いた。それで何? の答えが無ければ、この暴力は文学ではなく警察に任せれば良いことになる。
<ここまで引用>

懸念されるのは、あれだけの冒涜、暴力を描きながら(そこでは平板な文章が活気づいている)、受賞者インタビューに「暴力性と言われますけど、自分としては男の子たちが皆でお祭りでワイワイしている様子を描こうと思ったのが最初です」という自覚のなさだったことである。

村上春樹の創作姿勢にも、わたしは同様の疑問を覚えた。過去記事「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ(Ⅲ)」から以下に引用する。

<ここから引用>
 ネットで、『海辺のカフカ』について新潮社が作者の村上春樹にインタビューした記事を見つけた。そこで「この小説はいくつかの話がばらばらに始まって、それぞれに進んで、絡み合っていくわけですが、設計図みたいなものは最初からあったのですか?」という問いに答えて、彼は次のように答えている。
いや、そういうものは何もないんです。ただいくつかの話を同時的に書き始めて、それがそれぞれ勝手に進んでいくだけ。なんにも考えていない。最後がどうなるとか、いくつかの話がどう結びつくかということは、自分でもぜんぜんわかりません。物語的に言えば、先のことなんて予測もつかない。
 『ノルウェイの森』が『海辺のカフカ』と同じような書き方をされたかどうかはわからないが、わたしには同じご都合主義の臭いがする。『海辺のカフカ』を読みながら、本当にわたしが憔悴してしまうのは、死屍累々の光景が拡大され、即物的な描写が目を覆うばかりにリアルなものになっているからだ。以下は、そのごく一部分だ。
ジョニー・ウォーカーは目を細めて、猫の頭をしばらくのあいだ優しく撫でていた。そして人指し指の先を、猫のやわらかい腹の上で上下させた。それからメスを持ち、何の予告もなく、ためらいもなく、若い雄猫の腹を一直線に裂いた。それは一瞬の出来事だった。腹がぱっくりと縦に割れ、中から赤い色をした内臓がこぼれるように出てきた。猫は口を開けて悲鳴を上げようとしたが、声はほとんど出てこなかった。舌が痺れているのだろう。口もうまく開かないようだった。しかしその目は疑いの余地なく、激しい苦痛に歪んでいた。
このような息も詰まる残酷な場面が、何の設計図もなしに書かれ、無造作に出てくるというのだから驚く。作品が全体として現実とも幻覚ともつかない雰囲気に包まれており、主人公がまだ15歳の少年ということを考えると、作者の筆遣いの無軌道さには不審の念すら湧いてくる。

<ここまで引用>

神秘主義的に考えれば、作家が質〔たち〕の悪い低級霊に憑依され、そのような低級霊の影響下で書かれた作品が流行病のように広がることだって、ある。売れているからといって、有名な賞を受賞しているからといって、油断してはならない。娯楽や慰めのために読む本の影響を、わたしたちは学問的な読書のとき以上に受けると思うべきだ。

勿論、村上氏や高橋氏を霊媒作家というのではない。作家の姿勢次第で、読者は思わぬところへ導かれることがあるということを警告したいだけだ。

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2018年8月 8日 (水)

歴史短編1のために #38 核心的な取材 ②萬子媛の死を記録した本が届いた

貴重な本を届けていただき、祐徳博物館には感謝の気持ちでいっぱいです。

・‥…☆・‥…☆・‥…☆

今日は他に用事があるので、とりあえず、ざっとメモしておこう。漢文が苦手なので、まだ「祐徳院」と出てくる箇所をチェックしただけ。

当時の雰囲気に引き込まれ、「萬子媛、死なないで!」と心の中で叫びながら、藩日記を辿っていた。

現実(?)には萬子媛は現在、この世のどなたよりも生き生きと、オーラの威光に満ち、あの世のかたとして神社という形式を最大限に活用し、毎日あの世からこの世に通って、千手観音のようにボランティア集団のリーダーとして活動なさっていることが、神秘主義的感受性に恵まれた人間にはわかるはずだ。先祖返りにすぎない霊媒能力ではおそらく、あの高貴、精妙な存在感はわからないだろう。

しかしながら、肉身としての萬子媛は、宝永二年(1705)閏四月十二日に逝去された。

祐徳稲荷神社のオフィシャルサイトには、次のように書かれている。

齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました。

祐徳博物館の女性職員がおっしゃるには、寿蔵で萬子媛が断食の行を積まれたことは間違いないだろうとのこと。

身体が弱ってからも、断食の行を続けられたのかどうかはわからない。断食の行が御老体に堪えたのかどうかもわからない。

いずれにしても、萬子媛は宝永二年三月六日ごろにはお加減が悪かった。それからほぼ毎日、閏四月十日に「今夜五ツ時、祐徳院様(花山院定好女萬子 鍋島直朝後室)御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」(『鹿島藩日記 第二巻』祐徳稲荷神社、1979、398頁)と記されるまで、萬子媛の容体に関する記述が繰り返されている(前掲書366~398頁)。

この「今夜五ツ時、祐徳院様(花山院定好女萬子 鍋島直朝後室)御逝去之吉、外記(岡村へ、番助(田中)。石丸作左衛門より申来」という藩日記からの抜粋は、郷土史家の迎昭典氏からいただいたコピーの中にあった。

藩日記にははっきりと「御病気」という言葉が出てくるから、萬子媛が何らかの病気に罹られたことは間違いない。

そして、おそらくは「断橋和尚年譜」(井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一編『肥前鹿島円福寺普明禅寺誌』佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2016)の中の断橋和尚の追悼詩に「末梢(最期)疑うらくはこれ熟眠し去るかと」(92頁)と描かれたように、一進一退を繰り返しながら、最期は昏睡状態に陥り、そのまま逝かれたのだろう。

鹿島市民図書館の学芸員は取材の中で「石壁亭そのものは祐徳院様が来る前から断橋和尚が既に作っていて、観音様を線刻したような何か黄檗宗の信仰の対象となっているようなところ――洞穴を、自らのお墓に定められたということだと思います」とおっしゃったが、現在の萬子媛の活動を考えると、観音様のようになることを一途に祈念しつつの断食行であり、死であったのに違いない。

2018年8月 4日 (土)
歴史短編1のために #37 核心的な取材 ①インタビュー
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/08/36-d6f8.html

また、学芸員は「尼寺としての在り方はたぶん、祐徳院さんが死んで10年20年くらいしか持たなかった……比較的早い段階で男性の方が入るということに。祐徳院さんが京都から連れてきたような人たちや祐徳院に女中として仕えたような人たち――祐徳院に入って一緒に修行したような人たち――が、やはり祐徳院と直接の接点を持っている人たちが死に絶えていくと、新しい尼さんを供給するということができなかった」とおっしゃった。

ところで、わたしは拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に「萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性的な方々の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性的な方々は生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性的な方は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来られたときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ」と書いている。

71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/06/30/172355

学芸員のお言葉は、わたしの感性が捉えた萬子媛とその周囲にいる人々の雰囲気に符号するものがある。中心的役割を果たしている人々を囲むようにボランティアなさっている方々はもっと沢山いらっしゃるように感じられるのだが、あの世で新たに参加なさった方々なのだろうか。

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2018年7月25日 (水)

余華の対談(「三田文學」2018年冬季号)。拙児童小説『すみれ色の帽子』を読んだ従姉の感想。

従姉から電話があった数日後、わたしはアマゾンのサービスで電子書籍にしたKindle版の児童小説をプリントアウトして送りました(以下の過去記事参照)。

2018年7月 5日 (木)
悪質な自費出版系ビジネスと、餌食になりかけた従姉の児童書に対する失望感
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/07/post-9c6e.html

PDF形式でプリントアウトしたら、分厚くなりました。なぜ、そんなものを送ったかというと、従姉が失望してしまった児童書がどんなものであったのか詳細は聞いていませんが、想像がつきました。そうしたものと同類の作品を書いていると思われたくなかったからです。

そんなわたしの作品には賛否両論寄せられます。自分では同類とは思っていないのですが、従姉は同類と思うかもしれませんでした。

同類だとしたら、世間的にはわたしはプロ作家並みの児童小説を書いているということになるでしょう。従姉が誉めてくれるとすれば、わたしは世には出られない自身の境遇を納得することになるのです。

昔からわたしの作品に関心を示してくれる唯一の人が、この従姉でした。従姉はわたし宛の葉書に次のように書いてきました。

‟すみれ色の帽子”一気に読みました。瞳ちゃんとK…ちゃん(※瞳は主人公。K…ちゃんは従姉の孫娘)がオーバーラップして、Nちゃん(※わたしのこと)、K…ちゃんのことしっているのかなと思う位! 文章が綺麗で、読んだ後、心の中が澄み切ったようでした。他の本も楽しみです。

作品が従姉に嫌われなくてよかった、とホッとしました。出版の件は後日報告とあったので、従姉の息子さんと知人の女性で制作された絵本は出版の運びとなるのかもしれません。良心的な出版社から出してほしいものです。

出版する場合、数社に見積もりを出して貰い、比較して決めることを電話では従姉にすすめました。文学仲間はそうしています。

自費出版は髙い買い物になるので、最低5年くらいは試行錯誤を重ねてよいものへと作品を高めていき、それから出版しても遅くないような気がしますが、思い立ったが吉日ともいいますから、外野からあれこれ干渉すべきことではないと考えます。

わたしもそろそろ紙の本を出したいけれど、一生出すことはないままに終わるでしょうね。幸い只で出せる電子書籍サービスがありますし、何より神秘主義者ですので、世に知られることがないままに終わったとしても、創作を通して、きよらかな、澄んだ思いを発散させることだけでも、意義のあることだと知っています。

神秘主義者としてもう一つわかっていることは、文学、つまり芸術は、宗教的修行と同じ求道の道だということです。

その道を歩きながら神秘主義的ないくらかの霊的能力はわたしに目覚めてきたものであって、それは決して霊媒的な低級能力、先祖返りの能力ではないと感じています。その道をしっかり歩いている限りにおいては、安全性の高い道であると確信します。

ただ、霊媒的な低級能力、いわゆる左手の道へと逸れてしまう危険性は宗教的修行の場合と同じく芸術活動にもあって――否、普通に生きているつもりの人々にもその危険性は人間である限りつき纏うものでしょうが――、その危険性をわたしが現実のものとして感じたのは賞狙いに没頭していたときでした。

それについては、統合失調症を患う天才型詩人を友人の目で描いた拙日記体小説『詩人の死』(Kindle版)に書きました。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。
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*直塚万季『詩人の死』Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI

ところで、わたしは今年還暦という年齢になりましたが、二十代で竜王文庫の書物を通してブラヴァツキーの近代神智学を知りました。

創作を通してハートの力を育み、不勉強な一会員ですけれど、竜王会、神智学協会ニッポンロッジから出ている機関誌や書物を読むことによって総合力、分析力を培おうと自分なりに努力を続けてきました。

そうした道の歩みの中で、いわば霊的な次元で何かを察知することは珍しくありませんが、江戸初期に生まれ、江戸中期にさしかかるころに黄檗宗の僧侶として亡くなった――祐徳院と生前から慕われ続けてきた――萬子媛のようなかたに巡り合うことができたのは、めったにない貴重な体験であると思っています。

萬子媛について知ろうとすることは日本の宗教史を深く覗き見ることでもありました。萬子媛は日本の宗教史に咲いた一輪の香り高い花であるとわたしは見ています。

萬子媛をモデルとした小説の第二稿に入りましたが、計画が思うように進まず、おのれの非力を感じざるをえません。それでも、時間はかかってもこれは自分がやり遂げるしかない仕事だと思い、今後、集中度を高めていきたいと考えています。

萬子媛が帰依した黄檗宗(禅宗の一派)は、日本に招請された明朝の禅僧、隠元隆琦によって開かれました。隠元は明朝の文化、文物を伝え、煎茶道の開祖ともされています。

古来、この例からもわかるように、わが国には中国から優れた文化、文物が伝えられてきました。しかし、現在の中国をメディアを通して見るとき、これはどうしたことだろうとわたしは絶望的な気持ちに囚われます。

でも、動画で法輪功の舞台を視聴したとき、中国本来の――といういいかたは語弊があるかもしれませんが――歴史が甦るような感動を覚えました。

2015年6月11日 (木)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ①弾圧される人々
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-c356.html

また、現代の中国人作家、余華の対談を「三田文學(第97巻 第132号 冬季号)」(関根謙編集、2018年2月)で読み、日本の純文学が衰退しているこのときに、中国に生まれて育った中国人作家、それでいながら中共色に染まっていない余華という人物が作家らしさを好ましく発散していることに驚きを覚えました。中国における文学状況がどのように推移したかもわかる、貴重な対談となっています。

恥ずかしながら、中共のいわゆる御用作家ではない余華のような中国の現代作家をわたしは知りませんでした。対談の中で印象的だった余華の言葉を引用します。

<ここから引用>
かつて日本の記者に、川端康成が私の一人目の先生だと言ったら、彼らは大いに驚きました。私の小説と川端康成のそれとの違いが大き過ぎると言うのです。確かにそうですよね。そのとき彼らに比喩の話をしました。一人の作家が別の作家に影響を与えるのは、日光が樹木に影響を与えるようなものです。樹木は日光の影響を受けて成長するとき、樹木のスタイルで成長します。日光のスタイルで成長するわけではありません。(306頁)
<ここまで引用>

図書館から余華のエッセー集と小説、そして台湾の現代作家である甘耀明の小説を借りました。読まなければならない本が沢山あるので、読む時間がとれるかどうかはわかりませんが、読んだら感想を書きたいと思っています。

ほんとうの中国の話をしよう
余 華 (著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2012/10/13)
言語: 日本語
ISBN-10: 4309206077
ISBN-13: 978-4309206073

中国では書けない中国の話
余華 (著), 飯塚容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2017/8/22)
ISBN-10: 4309207324
ISBN-13: 978-4309207322

活きる
余 華 (著, 原著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 角川書店 (2002/03)
ISBN-10: 4047914118
ISBN-13: 978-4047914117

神秘列車 (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2015/6/24)
ISBN-10: 4560090408
ISBN-13: 978-4560090404

鬼殺し(上) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090483
ISBN-13: 978-4560090480

鬼殺し(下) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090491
ISBN-13: 978-4560090497

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2018年6月25日 (月)

H.P.ブラヴァツキー(忠源訳)『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』(竜王文庫、2018)を読んで

アマゾンに書き込んだ拙レビューを転載します。

 シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
 H.P.ブラヴァツキー (著), 忠 源 (翻訳)
 出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
 ISBN-10: 4897416205
 ISBN-13: 978-4897416205

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)

霊(モナド)・魂(知性)・肉の三つの面から総合的に捉えられた人類発生論
★★★★★

まだ読み込んだとはいえませんが、この著作が貴重な、またこの上なく面白いものであることには間違いないと思われますので、おすすめです。

ブラヴァツキーの著作を読むと、人類の知的遺産の薫りがして、作品の中に破壊されたアレクサンドリア図書館までもがまるごと存在しているかのような感動を覚えずにはいられません。

肉体的、物質的な面に限定された観点からではない、霊(モナド)・魂(知性)・肉――七本質――の三つの面から総合的に捉えられた人類発生論ですから、宇宙発生論同様、この『第2巻 第1部人類発生論』の内容も深遠です。

『シークレット・ドクトリン』がブラヴァツキーの渾身の執筆作業を通じて、大師がたの監修のもとに人類に贈られた科学、宗教、哲学を統合する一大著作であるとすれば、それは現人類にとって、自分を知るための最高の教科書であるはずで、その記述が深遠、難解であるのも当然のことでしょう。

宇宙発生論を復習すると、目に見える惑星には自分を含めて七つの仲間球があり、一つの惑星チェーンを構成します(四番目のものが最も濃密、目に見える実体のある球体です)。惑星上の生命の源モナドはその七つの球体をまわり――一環(ラウンド)といいます――、七回まわります(七環あります)。

わたしたちは第四環の第四球体である物質地球(D球)上に存在しており、第5〈根本〉人種期にあります。第6、第7と続きます。

「人間は――動物の姿をした神だが――〈物質的自然界〉の進化だけによる結果であり得るのか?」(106頁)というテーマが壮大な宇宙と地球的ドラマを見せながら展開される中でも、月と地球の関係など、本当に神秘的な記述でありながら、なるほどと納得させられるだけの根拠が感じられます。

月から来たモナドである月ピトリ達(月の主方)のアストラル的な影(チャーヤー)であり、自生であった第1人種。滲出生であった第2人種。卵生、二重性(雌雄同体)であった第3人種。その終わりに、性の分離が起きます。

人間の性の分離後における半神的な人間の最初の子孫がアトランティス人で、このアトランティスの巨人達が第4人種でした。

レムリア、アトランティスに関する記述は圧巻です。古代の宗教・哲学、神話、寓話、伝説、伝承がかくもダイナミックに甦るとは。

わたしは昔、学研から出ていたオカルト情報誌「ムー」でアトランティス伝説を知り、その後アトランティスについて書かれたプラトンの未完の作品『クリティアス』を読みました。この度、美しい、わかりやすい日本語で、ブラヴァツキーの筆が醸し出す精緻、荘重な雰囲気を味わいながらアトランティスに関することを読める幸福感はまた一入でした。

プラトンは、アトランティスに関することをファンタジーとして書いたわけではありませんでした。新プラトン学派とも呼ばれた古代神智学徒の流れを汲む近代神智学徒ブラヴァツキーにアトランティスに関する記述があったとしても、不思議なことではありません。

初めてこの本を開いたのは、2017年のクリスマスでした。クリスマスに、旧約聖書に登場するノアがアトランティス人として語られるくだりを読むのは、格別の面白さに感じられたものです。

「訳者 あとがき」で『シークレット・ドクトリンの第1巻 宇宙発生論』を平成元年に上梓された第二代竜王文庫社長で綜合ヨガ竜王会第二代会長、神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長でもあった田中恵美子先生による訳者はしがきが紹介されており、その中で『シークレット・ドクトリン』の構成について、次のような説明がなされています。

<ここから引用>
『シークレット・ドクトリン』の原典の第一巻は第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈、第2部「シンボリズム」、第3部「補遺」となっています。又、二巻は第1部「人類発生論」スタンザと註釈、第2部「世界の宗教とシンボリズム」、第3部「補遺」となっています。
<ここまで引用>

第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈に関しては、以下の邦訳版をアマゾンで購入できます。

    シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
    H・P・ブラヴァツキー (著),‎ 田中恵美子 (翻訳),‎ ジェフ・クラーク (翻訳)
    出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)
    ISBN-10: 4907255004
    ISBN-13: 978-4907255008

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