カテゴリー「神秘主義」の257件の記事

2018年1月23日 (火)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』(メイベル・コリンズ著、星野未来訳、Kindle版)

古代エジプトを舞台とした壮麗な物語『睡蓮の牧歌』がKindle版で出ています。

睡蓮の牧歌
Kindle版
メイベル・コリンズ (著),‎ 星野 未来 (翻訳)
ASIN: B07959C7V7

物語の面白さに釣られて、本好きの人なら最後まで一気読みしてしまうでしょう。

それでいて、読んだ後に確かなものが残り、まるで目に見えない宝物を手に入れたかのような満足感をもたらしてくれます。

神秘主義的な芸術作品にしか見られない、しっかりした構成、繊細な描写、永遠性に根差しているかのような格調の高さを感じさせます。

それというのも、知る人ぞ知る、著者が神智学作家として有名なメイベル・コリンズ(Mabel Collins,1851年9月9日 - 1927年3月31日)ですから、並みの読書体験では済まないというわけなのです。

以下、ネタバレありなので、これから読もうとされているかたはご注意ください

祭司見習いの少年が神殿の門をくぐるところから物語は始まります。そのうち白い女神(睡蓮の女神)が、さらに間を置いて黒い女神が登場します。描写が、どちらも圧倒的です。

生と死の神秘が万華鏡のように散りばめられるなかで、白い女神と黒い女神が、白い祭司と黒い祭司が、光と闇が戦いを繰り広げる様は、一人の人間に起きる内面劇でもあることを、訳者あとがきに引用された著者の言葉は示唆しています。

同じく訳者あとがきで引用されたバラモンの神智学徒スバ・ロウは、この物語の舞台となった古代エジプトがこの頃どうであったかを解説しています。彼らの宗教は純粋さを失い、退廃し始め、黒魔術が利己的かつ非道な目的に使われていたようです。

わたしはメイベル・コリンズのこの作品 The Idyll of the White Lotus (1890) を「白蓮の田園詩」というタイトルで、竜王会の機関誌「至上我の光」に田中恵美子先生が翻訳連載されていたのを、当時楽しみにしていました。

それについて過去記事(2006年8月4の記事)に書いているので、引用します。

神智学を教えていただいた田中先生が竜王会の機関誌に『白蓮の田園詩』という題で邦訳連載されたのをわたしは最初に読み(単行本化はされていません)、その後、「書肆 風の薔薇」発行の『蓮華の書』(西川隆範)という邦訳本を書店で見つけて即座に購入しました。これも美しい訳です。
それはエジプトの神殿を舞台とした物語で、魂の旅路を描いたといえる作品です。
いつ頃からか、ファンタジーものが大層流行っていますが、本来神秘主義のものであるところの神聖なシンボルやイメージ、エピソードなどが玩具のように扱われ、流通する実態をわたしは痛ましいことだと感じてきました。
それらが玩具であるなら The Idyll of the White Lotus は命の糧というにふさわしい作品だとわたしは思います。

今回改めて田中恵美子、西川隆範、星野未来という三者の翻訳で読み、原書は未読なので、あくまで翻訳を通してですが、三者三様の特徴と魅力に気づかされました。

田中訳からは逐語訳的な入念さと、行間から迸る清浄な情熱が感じられます。

西川訳では歴史仮名遣が使われています。そうした工夫と調和している流麗な文体が美しく、古代エジプトの出来事がエキゾチックでありながら、どこか日本の古典を読んでいるかのような親しみをもたらされます。

ただ、訳者あとがきによると、仏訳版を基とし、独訳版が参照されているようで、そのためなのか、あるいは一般向きということが考慮されているためなのか、その辺りのことはわかりませんが、神智学色が消えています。

また、第ニの書(第二部)、第四章の最後の部分に田中訳と星野訳では存在する蓮華の女王の赦しの場面がありません(田中訳では白蓮の女王、星野訳では白い睡蓮の女神)。

星野訳は田中訳、西川訳と比較すると、現代的な文章ですが、気品があります。田中訳と同様の入念さも備えています。

同じ星野訳によるH・P・ブラヴァツキー『新訳 沈黙の声』を読んだときもそうであったように(過去記事参照)、文章から音楽的な調べが感じられました。三者の中では、星野訳が最も文学的だという印象をわたしは受けました。

現代感覚で読める邦訳版『睡蓮の牧歌』と合わせて、人類の歴史の謎に迫るH・P・ブラヴァツキーの著作『ベールをとったイシス』『シークレット・ドクトリン』を読めば、満足度はこの上なく高まることでしょう。

ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中です。これに関する過去記事はこちらです。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

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2018年1月 8日 (月)

ブラヴァツキー『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』が予約受付中ですよ!

アマゾンへ行ってみたら、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作中最も有名な著作『シークレット・ドクトリン』の第2巻 第1部 人類発生論が予約受付中になっていました。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論 (神智学叢書)
単行本
H.P.ブラヴァツキー (著),‎ 忠 源 (翻訳)
出版社: 竜王文庫 (2018/1/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

昨年のクリスマスのころに竜王会の会員にこの本が届けられ、わたしは興奮のただなかでざっと読み、以下の過去記事を書きました。

2017年12月25日 (月)
素敵なクリスマスプレゼント、『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/2-1-daa6.html

ちゃんとしたレビューを書きたいと思いながら、年末年始の慌ただしさのために時間がとれず、読破できていませんが、この本が貴重な、またこの上なく面白いものであることには間違いないと思われますので、おすすめです。

ブラヴァツキーの著作を読むと、人類の知的遺産の薫りがして、本の中に破壊されたアレクサンドリア図書館までもがまるごと存在しているかのような感動を覚えずにはいられません。

学研から出ていたオカルト情報誌『ムー』でアトランティス伝説を知り、その後アトランティスについて書かれたプラトンの未完の作品『クリティアス』を読みましたが、美しい日本語でブラヴァツキーの筆が醸し出す精緻、荘重な雰囲気を味わいながらアトランティスに関することを読める楽しさと幸福感はまた格別です。

「訳者 あとがき」で『シークレット・ドクトリンの第1巻 宇宙発生論』を平成元年に上梓された第二代竜王文庫社長で綜合ヨガ竜王会第二代会長、神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長でもあった田中恵美子先生による訳者はしがきが紹介されており、その中で『シークレット・ドクトリン』の構成について、次のような説明がなされています。

『シークレット・ドクトリン』の原典の第一巻は第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈、第2部「シンボリズム」、第3部「補遺」となっています。又、二巻は第1部「人類発生論」スタンザと註釈、第2部「世界の宗教とシンボリズム」、第3部「補遺」となっています。

第1部「宇宙発生論」スタンザとその註釈に関しては、以下の邦訳版をアマゾンで購入できます。

シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》
単行本(ソフトカバー)
H・P・ブラヴァツキー (著),‎ 田中恵美子 (翻訳),‎ ジェフ・クラーク (翻訳)
出版社: 宇宙パブリッシング; 第1版 (2013/4/15)
ISBN-10: 4907255004
ISBN-13: 978-4907255008

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2017年12月25日 (月)

素敵なクリスマスプレゼント、『シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論』

竜王文庫の原様から、竜王会の会員に素敵なクリスマスプレゼントが届いた。

シークレット・ドクトリン 第2巻 第1部 人類発生論
忠源 (著),‎ ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (著)
出版社: 竜王文庫 (2017/11/1)
ISBN-10: 4897416205
ISBN-13: 978-4897416205

出版までの28年に及ぶ翻訳作業、4年に及ぶ校正作業……難産の末にようやく生まれた著作を贈ってくださったのだ……。出版にはずいぶんお金もかかっただろうと思うと、胸が痛くなった。

夕飯の用意もそこそこに済ませて読み耽り、そのまま自分の食事は手つかずのまま、朝になってしまったほど夢中になった。

宇宙発生論から人類発生論へと同質の香るような格調の高さ、重厚さが一貫して感じられることに驚きを覚え、デヴァチャン――極楽――にいらっしゃるであろう故田中先生がお喜びだろうと思った。

レムリア、アトランティスに関する豊富な記述は圧巻である。ブラヴァツキーに対する批判にはアトランティスに関する記述をインチキとするものがしばしば目につくが、そうした単純すぎる批判は全体を読んでのことだろうか?

人種に関するこれも豊富な記述から、人種差別との批判も生まれているが、そうした短絡的な批判もどうかと思われる。いずれきちんとした感想を書きたい。

プラトン『ティマイオス』がしばしば引用されているので、わたしはそれとアトランティス伝説で有名な『クリティアス』を収録したプラトン(岸見一郎訳)『ティマイオス/クリティアス』(白澤社、2015)を再読中だ。

プラトンはアトランティスに関することをファンタジーとして書いたわけではなかった。

新プラトン学派とも呼ばれた古代神智学徒の流れを汲む近代神智学徒ブラヴァツキーにアトランティスに関する記述があったとしても、何も不思議はないとわたしは思う。

膠着言語という言語の形態論上の分類法があり、それに日本語が含まれるということを初めて知った。夫は膠着言語について知っていて、講義までしてくれた。さすが年の功(わたしより七つ上)。

『人類発生論』に膠着言語が一部のアトランティス人種で話されていたとあるのには驚いた。

クリスマスに、旧約聖書に登場するノアがアトランティス人だったというくだりを読むのは、格別の面白さに感じられた。

クリスマスに、拙ブログ「マダムNの神秘主義的なエッセー」の中で人気のある以下の記事をおすすめしておきます。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

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2017年12月18日 (月)

腰痛のその後、最強のオーラビーム?(19日に追記あり)

前の記事で書いた腰痛は、寝るころになると、ひどくなっていた。

極めてそろそろとしか歩けず、咳をすると腰に響いた。炬燵から立ったり座ったりするのもひと苦労で、疲れるので横になりたくても、思うように横になれない。

首枕を痛む左腰付近に当て、何とか眠った。ひと眠りして目を覚ますと、腰から背中にかけて強張り、痛む。

これはまずい、もう整形外科を受診するしかないと思った。

しかし痛みに弱いわたしは、時間の経過と共にその痛みに耐えられなくなり、奥の手を使うしかないと判断した。

そう、想像の白い光を痛む患部に放射するのだ。

同様の試みを過去記事で書いている。日付の新しい順に拾ってみると、2017年3月18日は結石のために傷ついた痛みに対して。2017年1月18日は今回と同様の腰痛に対して。2015年7月28日は五十肩の痛みに対する他人から光の贈り物があったことを感じ、感謝している。

復習しておきたい箇所を自分のために引用しておく。

2017年3月18日 (土)
17日に、循環器クリニック受診。家で尿管結石に奮闘。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/03/17-e798.html
治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。(……)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17、51頁)

2017年1月18日 (水)
グキッ! ひー!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/01/post-a4af.html

2015年7月28日 (火)
いつか来た道・・・五十肩
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/07/post-ef51.html
人間の体は七重構造になっており、肉体以外は透視力では光として見え、オーラと呼ばれる。思いも光なので(本体が光でないものなど、どこにもないのだが)、オーラに影響を与えうるのだ。それが濃密な肉体にまで浸透するのは難しいが、やってみる価値はある。
痛む部分に、想像の純白の光を放射するのだ。緑色を加えるのもいいかもしれない。
わたしはそうやって、病院に行く余裕がなく、痛みが極まって切羽詰まったとき(冷や汗が出たのを覚えている)、痛みが鎮静して病院に行かずに済んだことがある。
虫垂炎ではないかと思ったときと、痛みと痺れで靴下も履けなくなって椎間板ヘルニアになったのではないかと疑ったときだが、実際はどうだったのかはわからない。
外科的な症状の場合に、よりわかりやすく効き目を確認できる気がする。で、今回もやったかというと、まだやってない。冷や汗が出るほど切羽詰まらないと、億劫でやる気が起きないのだ。例外的に他人に試みたことはあるけれど、まずやらない。
相当な集中力と想像力を必要とするので。
でも、肉体に耐えがたい苦痛を感じたとき、勿論すぐに救急車を呼ぶか病院に急ぐべきだが、助けが得られるまでの苦痛に満ちた時間に、想像の高貴な純白の光を患部に放射してみることをおススメしておく。何もしないよりは絶対にいいと思う。

一念岩をも通す、ということわざがある。バイブルにも似たようなイエスの言葉がある。

この一念というのは、わたしの解釈では、力むことではなく、リラックスして自らを清浄な精神状態に置き、最高度の想像力を発揮することではないかと考えている。一方、欲望を果たすために念を凝らすというやりかたは、黒魔術に通じるのではないだろうか。

清浄な純白の光を想像することは案外難しい。自己の内面が浄化されないとその想像は未完に終わるからだ。

充分なまでに想像できたとき、内なる清浄な光が迸ってくる。自らを幸福にし、迷いを鎮める、治癒力を秘めた光が。

オーラが見えることのあるわたしには、自らのうちに光が充満し、それが溢れてくるのを見た。ここまでいくと、何らかの効果が現れることは経験済みだ。必ずしも患部に向けて放射する必要はないような気さえする。放射するほうが患部の改善にはより効果的とはいえるのかもしれない。

朝になって「オーラビームやってみた」と家族にいい、普通に歩いてみせると、2人は同時に「オオッ!」と驚きのを放った。夫が感動して、目玉焼きを二つも作ってくれた(両目焼きというのかしら)。

20171218102921_b

腰はまだ完全によくなったわけではないので、これを続けるといいと思うが、痛みから解放されると、とたんにやる気がなくなってしまうのがいけない。

ちょうど1年前にも同様の経験をしていた。そのときも大掃除で鳩対策した柵の掃除を不自然な姿勢で行ったはずだ。年末年始の疲労も重なったところへ、不安定になった腰によくない動作をしたことで、腰痛が起きたに違いない。

神秘主義では肉体が馬に喩えられることがよくある。肉体を自分とは別の生き物と思い、思いやりを持って大切に扱わなければならない。わたしにはそれがなかなかできない。若いころは頑強だったために、無茶をする癖がついてしまっているのだ。

過去に、婦人科系で前癌病変といわれたときも改善して、治療の必要のなくなったことがあった。

心臓病にオーラビーム(?)すればいいのに、と自分で自分にいい聞かせることがあるのだけれど、面倒臭がってやらないわたしがいる。心臓病は普段は痛くないし、痛みが出たときのためにはニトロがあるから。

しかし、患部に想像の白い光を放射するというこの方法はお金もかからないし、その気になれば誰にでも短時間でできることなので、チャレンジしてみる価値はあると思う。

まあでも、わたしは他人には強いておすすめはしない。この不浄な世に生きていて、病気にならないほうが不自然だし、あの世はすばらしいところだとわたしは確信しているから。

ただ、せっかく生まれてきたのだから、なるべく粘って生き、可能な限りきよらかに生きるように心がけるほうが、先々のことを想えば、効率のよい(?)生きかただろうとは思うのだ。

19日における追記:

記事アップ後に2回、腰に想像の白い光を放射した(ヘレナ・レーリッヒの言葉に従えばハートの流れを患部に送った)。想像と書くが、上記した如くにそれは見える者には見える現象なのだ。

腰の痛みはもう残っていない。だが、アイロンで仕上げても微かに残る折皺のように、腰の患部にはダメージの痕跡がうっすらと残っている気がする。昨夜、仕事帰りの娘はバスを降りたあと駅から「湿布、買ってこなくていいの?」と電話してきた。必要ないとわたしは答えた。また腰痛は起きるかもしれないが、ハートの流れを患部に送るほうが湿布よりも効果的に思えるから断ったのだった。再び痛みが起きたそのときに、ハートの流れを患部に送りうるだけの精神状態になれるかどうかが問題だとはいえ……。

前掲書『ハート』には次のようなことも書かれている。「重病だけでなく、初期のものでもハートによる治療は特に有効である。現在ではこの治療法はほとんど忘れられているが、これは輸血と同じくらい強力である。なぜなら、不快な血液の低級な混合などせずに、ハートの影響を通して、精妙なエネルギーを送るからである」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17、49頁)

繰り返しになるが、病気や怪我で体が傷ついたとき、優れた医者の忠告に従うことが大前提としてある。

当ブログにおける関連記事:

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2017年11月29日 (水)

歴史短編1のために #32 『断橋和尚年譜』に描かれた萬子媛①

『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』(編集=井上敏幸・伊香賀隆・高橋研一、発行=佐賀大学地域学歴史文化研究センター)には21の著作が収められている。鍋島直條の著作とされている――署名には別人の名があるので、代筆によるものと思われる――『祐徳開山瑞顔大師行業記』もそのうちの一つだ。

その中に、『断橋和尚年譜』というのがあって、昨日これを読み、発見があった。

『断橋和尚年譜』の執筆者は元徳大愚、執筆年は享保6年(1721)。

原文は漢文で、書き下し文が添えられているのだが、わたしにはその書き下し文すら難しく感じられるため、そのうち『断橋和尚年譜』もちゃんと読まなければと思いつつ、放置してしまっていたのだった。

それが昨夜『断橋和尚年譜』を読み、なぜもっと早く読まなかったのだろうと思った。

断橋は、萬子の夫・直朝の長男で、後継として大名になった直條の兄に当たる。病弱だったために大名とならず、出家した。

『断橋和尚年譜』はこの断橋の小伝といってよい作品で、断橋の生き方自体に神秘主義者のわたしとしては興味深いものがある。

というのも、度々霊夢を見たと書かれていて、その内容に圧倒されるのである。何とも荘厳なのだ。わたしはまるで、神智学の文献を読んでいるような気がした。

断橋の夢には神仏習合のきらびやかさがあって、中にはお告げと思われるものもある。

しかし、断橋和尚は知的な人であったようで(黄檗禅がそうしたものでもあったのだろう)、夢には妄想の変形にすぎないものと神的なものとがあると解釈し、夢がどちらの性質のものであるかということを熟考して、見た夢について他人に語らなかったことも多かったようだ。

『断橋和尚年譜』中、萬子媛に関する記述は4箇所ある。瑞顔大師とあるのは萬子媛のことである。萬子媛の小伝『祐徳開山瑞顔大師行業記』に「大師、諱[いみな]は実麟[じつりん]、号は瑞顔[ずいがん]、洛陽(京都)の人なり」(『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』72頁)とある。

注目したのは、1689年と1705年に萬子媛の誕生祝を行ったと記されている箇所だった。

1705年の場合は、「猛春十八日」に「耋齢(80歳)の誕を祝する」と書かれている。

旧暦では1月から3月までを春(猛春・仲春・季春)、4月から6月までを夏(孟夏・仲夏・季夏)、7月から9月までを秋(孟秋・仲秋・季秋)、10月から12月までを冬(猛冬・仲冬・季冬)とし、1月を睦月、正月、猛春、早緑月、太郎月、初空月などと称する。

旧暦1月18日に萬子媛の80歳を祝うパーティーが行われたのだろう。

そしてまた、「この歳の夏、大師、偶[たま]たま痾[やまい]染[うつ]りて起[た]たず。四月初十日を以て、畢[つい]に本院に帰寂す。全身を送り、石壁停傍の岩窟中に葬る」(『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』92頁)と書かれているではないか。

この記述からすると、萬子媛は4月にたまたま伝染病に罹り、それが原因で亡くなって、亡骸を石壁停傍の岩窟中に葬ったように思わせられる。

しかし、祐徳稲荷神社の公式ウェブサイトの「石壁社[せきへきしゃ]・水鏡[みずかがみ]」の「ご祭神|萬子媛(祐徳院殿)」には、「齢80歳になられた宝永2年、石壁山山腹のこの場所に巌を穿ち寿蔵を築かせ、同年四月工事が完成するやここに安座して、断食の行を積みつつ邦家の安泰を祈願して入定(命を全うすること)されました」<https://www.yutokusan.jp/sanpai/sekiheki.php>(2017年11月29日アクセス)とあり、他の史料や伝説の存在からも、萬子媛の断食入定はまず間違いのないところだろう。

黄檗宗の大本山・萬福寺(宝物館)への電話取材からも、断食入定が修行法の一つとして存在していたことが確認できている。(拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」中、「72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日(収穫ある複数の取材)」を参照されたい →ここ

元禄17年(1704)に直條によって著されたとされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』には、萬子媛の断食入定に関連した次のような記述がある(書き下し文から引用する)。

大師、今[こん]歳[さい]、春秋[しゅんじゅう](年令)七十有九、自[みずか]ら残生の久しく存すべからざるを念(おも)う。乃[すなわ]ち(そこで)、院後の石壁亭の側に就[お]いて、自らの寿蔵(生前につくる墓)を造り、以[もっ]て百年の後に備う。この日、工竣[おわ]り、余にこれを視んことを請う。(『肥前鹿島円福山普明禅寺誌』73頁)

79歳になった萬子媛は自分が長くないことを悟り、断食入定の準備として、石壁と称されるあずまやの側に生前墓を築かせ、直條に視察を要請したのだ。

そして、翌年80歳の祝いを終えた後の閏4月に、断食入定を実行した。萬子媛は、最後の気力・体力を振り絞って大事業に挑まれたのだろう。

次のような経緯を経て、萬子媛の死は訪れたと思われる(前掲拙ブログ収録のエッセー 72 から引用する)。

萬子媛は寿蔵に入ったあと、水はお飲みになった可能性が高い。

毎日お経を唱え、水を飲んで、入寂のときまで……。

郷土史家・迎昭典氏が提供してくださった資料の中に『鹿島藩日記』からの抜粋があり、それには入寂を伝える様子が生々しく記されている。

鹿島藩日記抜粋  宝永二年(1705年)以下()内はすべて注書き
 閏四月十日

一 今夜五ツ時、祐徳院様御逝去之由、外記(岡村)へ、番助(田中)・石丸作左衛門より申来。

迎氏の解説によれば、祐徳院様(萬子媛)の入寂は、宝永2年(1705)閏4月10日(太陽暦にすれば宝永2年6月1日)のことだった。この年は4月が2回あり、閏4月の前に4月があったという。

『断橋和尚年譜』からわかったことは、義理の息子・断橋も萬子媛同様に、神秘主義的体験を持つ僧侶であったということである。

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2017年11月18日 (土)

前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)

アマゾンに出ていたはずの『神智学の鍵』にまだレビューを書いていなかったと思い、そちらへ行ってみると、中古品の出品が1冊あるだけで、その本には20万円もの高値がついていた(11月10日の時点)。

『神智学の鍵』は、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作の一つで、神智学の入門書とされてきた。

ブラヴァツキーの著作の実際の価値は値段がつけられないような高価なものに違いないとはいえ、今やブラヴァツキーがゲームのキャラにまでなっていることを考えれば、これは何か皮肉な現象で、彼女の著作に真面目な興味を持つ人が本当に限られてきている現状を思わせられ、そのことを残念に思う。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 70 で紹介した、勉強会の様子が収められた動画でジェフ・クラークさんがおっしゃっていることからすると、神智学協会の会員数は今は三万人くらい。

    大師の御足のもとに①(神智学協会 the Theosophical Society in Japan)
    動画のURL https://youtu.be/UQj6-0zJenQ

1907年から1933年にかけて第二代神智学協会会長を務めたアニー・ベサントが生きていたころは世界的な運動で、何十万人もいたそうだ。

クリシュナムルティをめぐって協会が分裂したことも会員減少の原因となっただろうが、それよりも第二次世界大戦の起きたことが大きかったのではないだろうか。

神智学運動の担い手となっていたのが貴族や知識人だったことから考えると、戦争でそうした階層が没落したことは大きな痛手となったに違いない。

神智学協会の会員はヨーロッパで迫害を受けたことがあったようだし、戦後、唯物主義が優勢になったことなども会員の減少につながっただろう。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ジルコフ「前書きにかえて」によると、1877年に『ベールをとったイシス』が出版された当時、この本は高い評価を受けた。

発行人はニューヨークのブートン。『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。

ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである。*1

こうもまともな批評に接すると、むしろ驚く。

全体的に好意的な報道機関の反応の中で、「批評のなかには,批評家がこの書を読んでいないことがはっきりわかるほど軽薄で偏見に満ちているものもあった」*2という。

この批評傾向は、日本語版ウィキペディア「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」「神智学協会」の記述や、そこに参考文献として挙げられた大田俊寛、吉永進一の文章などを連想させられる。前掲ブログにおける次のエッセーを参照していただきたい。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人

56 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ➆吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」から連想したオカルト情報誌とW・ジェームズ

57 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ⑧吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」の中で印象操作される三浦関造

『ベールをとったイシス』が出版されて大成功を収めたのが、1877年。

しかし、質疑応答形式で著されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)には、1875年にアメリカの心霊主義者による神智学協会への迫害、非難が始まったと書かれている。

英国、フランスの心霊主義者たちもそれに倣った。また牧師達が「『自分に同意しない者は自分の反対者である』という一般原理」により、そしてインドの宣教師達は「キリスト教にほとんど改宗しないインドの教育のある粒ぞろいのバラモン達の多くが協会に入会する様子を見」、憎み、つぶそうとした。

英国の心霊研究会による攻撃は有名だが、『神智学の鍵』にはそれについて、次のように書かれている。

初めは私達は心霊研究会の指導者達とたいへんよい友達でした。しかし、神智学者の現象についての攻撃が『クリスチャン・カレッジ・マガジン』に出て、ある下女の偽りの摘発に支えられた時、心霊研究会は神智学協会で起こった現象をあまりに多く議事録に掲載していたので、身に累を及ぼしたことを知りました。彼等の野心は研究会を権威のある厳密に科学的な団体に見せかけることでした。だから彼等は神智学協会を見捨てることにより、さらに協会を破滅させても自分の位置を保つか、または上流階級の「サドカイ派」即ち物質主義者達によって、だまされやすい神智学徒や心霊主義者達と十把一からげにされるかを、選択せねばなりませんでした。研究会には二つの選択の外に道はなく、私達を捨てることを選びました。*3

英国の心霊研究会に属してブラヴァツキーを攻撃した人々がなぜ神智学協会と接点を持てたかといえば、ブラヴァツキーの集まりにはオープンな、サロンのような雰囲気があったからだと想像できる。ブラヴァツキーは書いている。

神智学協会の会員は一般に、もし、協会の三つの目的に共鳴し実行しようとするならば、どんな宗教や哲学を好もうと好むまいと自由です。この協会は理論的な面ではなく、実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体です。会員達はキリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、ユダヤ教徒、パルシー教徒、仏教徒、バラモン、心霊主義者、唯物論者であっても、少しもかまいません。*4

これほど思想的にオープンであったのは、ほとんどの人々が真に自覚的に何かの思想に生きているわけではなく、その時々の優勢な思潮に染まっているにすぎないとの判断があったからではないだろうか。

唯物主義者といっても、思潮の変化によっては、ある宗教の熱心な信者になるかもしれない。戦前、戦後の日本人の思想的変化を見れば、そのことがよくわかるというものだ。

尤も、『神智学の鍵』でいわれているように、「神智学はあらゆる宗教、絶対的真理のエッセンス」*5であるから、どんな宗教や哲学も、神智学とは接点があるといえる。

古代神智学徒は新プラトン派ともいわれたが、「新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです」*6とブラヴァツキーは書いている。

そして、政治については次のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。*7

前掲ブログのエッセー 20 *8で書いたように、わが国では第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

その結果として、日本では唯物主義、物質主義が優勢だが、その反動からかその流れからかスピリチュアルブームが過熱しているようだ。

スピリチュアルブームがいつ、どこで、どのようにして起こったのか、その内容、またわが国でブームとなったプロセスなどについては、よく調べる必要があると思っている。

近年、このスピリチュアルブームに乗って退行催眠による前世療法が流行し、退行催眠を行うピプノセラピストが増えているらしい。サイトや動画でその様子がわかり、わたしは戦慄を禁じ得なかった。

『神智学の鍵』の「用語解説」では、「催眠術(Hhpnotism,希)」について、次のように端的に解説されている。

強い意志力をもった者が、心の弱い者を一種のトランス状態に入れるプロセスに、ブレイド博士がつけた名称。この状態にある者は、催眠術師が暗示する通りになる。有益な目的のために為されない限り、オカルティストはこれを黒魔術と呼ぶであろう。神経の流体の流れを妨げるので、道徳的にも肉体的にもたいへん危険なことである。*9

オカルティズム――オカルトという言葉はダークなイメージを伴うようになってしまったが、神智学用語ではオカルティズムは神聖な科学、秘教科学という意味である――に精通していない限り、有益な目的が何であるかの判断もできないはずで、そこから考えると、現代、巷間で行われている催眠術は全て黒魔術といえる。

催眠療法の歴史と資格などに関する現状がウィキペディア日本語版にまとめられているので、次に引用する。

催眠療法(さいみんりょうほう、英語: hypnotherapy)とは、催眠を用いる精神療法の一種である。
催眠療法は1955年に英国医師会 (British Medical Association) が有効な治療法として認めている。米国医師会 (American Medical Association) も1958年に催眠を有効な治療法として認めている。アメリカ心理学会 (American Psychological Association) と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めている。日本医師会からの承認は現在は行われていないのが実情である。
(……)催眠はそれ自体安全なため欧米でも国家資格はない。欧米では、催眠療法家が協会を結成し、催眠療法士 (hypnotherapist) を認定する仕組みが一般的になっている。(……)日本では2日間の講座に対して発行されるABH認定「ヒプノセラピスト」を保持しているセラピストが多く存在するが、一般的にこれはプロ資格としては認識されていない。
日本の医師免許取得に催眠療法の理論や技能等は必要とされないが、米国には催眠療法の博士号が存在する。一方、日本では資格としては、日本催眠医学心理学会認定の「催眠技能士」等がある。
*10

米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の代表的な提唱者であるようだ。「催眠はそれ自体安全なため」とウィキの解説にあるが、ブラヴァツキーの見解はそれとは異なる。「ヒプノセラピスト」という資格が、民間資格とはいえ、たった2日間で取得できるというのだから恐ろしい。

催眠術がどこで行われようが、どのような科学的な装いを凝らされようが、如何に善意であろうが、それはその危険性を熟知しない人々が恣意的に行っているというのがどうやら実態である。

そして、民間資格を取得したピプノセラピストの多くが前世療法を行っているようで、それに関する沢山のサイトや動画を閲覧できる。

前世療法がどのようなものであるかを、ウィキペディア「前世療法」から引用する。

前世療法(ぜんせりょうほう、英: past life therapy)とは、催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提とする。退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導(=過去生退行)し、心的外傷等を取り除くと主張されている。*11

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。

退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

しかし、神智学的にいえば、この「マスター」というのはおそらく、霊媒になってしまった彼女の異常体質に引きつけられた死者の影だろう。

霊媒の末路は悲惨であることも珍しくないようだ。前世療法を行うセラピストにその責任がとれるとは思えない。

前世療法が、装いを変えた降霊術であることは間違いない。

ブラヴァツキーの諸著では催眠術と降霊術に関する深い考察が行われている。彼女は古代から魔術という分野で催眠術も降霊術も行われてきたといった歴史と豊富な事例を示しつつ理論の変遷を語り、また人間の七重の性質といった側面に光を当てて催眠術と降霊術の正体を解き明かし、その危険性を警告しているのである。

『神智学の鍵』の「用語解説」の中の「カーマ・ルーパ(Kãma-rūpa,梵)」「物質化(Materialization)」という項目では、降霊術についてわかりやすい解説がなされている。「物質化(Materialization)」から、後半部分を引用しておく。

死者の「影」即ち「幽霊」についても同じことが言える。影達は我々の周囲にいるが、別の世界にいるから我々が彼等に気づかぬように彼等も我々に気づかない。だが生きている人間の強い願望と、霊媒の異常体質によって状態が整えられると、これらの影は引きつけられる。というより、彼等の世界から我々の世界へ引き下ろされて、客観化される。これが降霊術ネクロマンシーである。これは死者にとってよいことではない。これが自然法則を妨げるということに加えて、生きている人間に大きな害を与える。生きている人間のアストラル体、即ちエーテル複体の物質化は、これとは全く別のことである。このような「アストラル体」は、度々死者の幽霊と間違えられる。というのは、この世の人々の「生き霊エレメンタリー」及び肉体化身していないものや、宇宙エレメンタル達のアストラル形体はカメレオンのように、度々、我々の思いの中に最も強く印象づけられたイメージの形をとって現れるからである。簡単に言うと、いわゆる物質化が行われる降霊術の会では、その現象のイメージを作り出すのはそこに出席している者達と霊媒である。自ら現れる現象は別種のサイキック現象に属する。*12

ところで、ブラヴァツキーを霊媒であるかのように解説している文章をよく見かけるが、これはとんでもない誤りである。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。少し長い引用になるが、重要な事柄であるので、引用しておきたい。 

H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
 それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者
アデプトたちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(……)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神マインドのコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
 一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。
*13

『神智学の鍵』における次のブラヴァツキーの説明だけでも、聡明な人には通じる気がする。

古代神智学徒は、無限なものは有限なものには分からない、即ち、有限我には感じられない、しかし、高級な霊的我はエクスタシーの状態で神聖な本質と霊交できると言明しました。近代神智学徒もそう言います。この状態は催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できるものではありません。*14

物質主義に偏重した現代社会の原因を探っていくと、わたしはどうしてもアリストテレスに行き着く。

大学時代にプラトンに心酔したあとで、彼の弟子と思って読んだアリストテレスの著作が師プラトンの著作と全く異なるだけでなく、アリストテレスの哲学に依拠した思想が主流となってしまったお粗末な内実を知ったときの衝撃を、今も忘れられない。

ブラヴァツキーは『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』の中で、「彼はプラトンのことを不正確に伝え、ピタゴラスの教えをほとんど戯画化してしまった」*15といい、長くなるので引用はできないが、その理由を詳しく述べている。

プラトンの説は『シークレット・ドクトリン』『べールをとったイシス』では至るところに出てくる。古代神智学徒が新プラトン派ともいわれたことを思い出そう。プラトンの説は勿論必要があって出てくるのだから、プラトンを知らずにこれらを読むのは無理だとわたしは思うのである。

プラトンに限らず、哲学書も旧・新約聖書もろくに読んだことのない人がブラヴァツキーの著作を読んでも、時間の無駄かもしれない。それでも、ブラヴァツキーの著作に触発されて、そこに引用された本を読むきっかけとなることはあるだろう。それだけでも有意義で、楽しいことだ。

いずれにせよ、ブラヴァツキーの諸著は「人類の改善」という目的を果たすためには必読の書と思える。

ブラヴァツキーは日本でいえば江戸時代から明治時代にかけて生きた人であるが、『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』で、現代社会の物質主義に警鐘を鳴らしていると受けとることもできる、次のようなことを書いている。

彼は忘れているのだ。あらゆる科学のなかで普遍から特殊へと進む唯一のものである幾何学こそ,プラトンが自分の哲学に用いた方法だった,ということを。精密科学がその観察対象を物質的な諸条件に限定してアリストテレスのように進んでいくかぎりは,失敗することはありえない。しかし物質世界は,私たちにとってはてしないものであるにもかかわらず,やはり限定的である。それゆえ,物質主義は,この価値下げされた円のなかを永遠に巡り続けるだろう。その円周が許すところより高くは飛べないのである。ピタゴラスがエジプトの秘義司祭たちから習った宇宙論的な数の理論だけが,この二つの単位を,すなわち物質と霊を和解させ,一方に他方を数学的に証明させることができる。*16

『神智学の鍵』には「神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います」*17とあって、これは神智学の基本的な考え方である。


*1:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.2

*2:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.3

*3:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.265

*4:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.29

*5:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.65

*6:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.16

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228

*8:バルザックと神秘主義と現代

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.32-33

*10:ウィキペディアの執筆者. “催眠療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-11-01. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%82%AC%E7%9C%A0%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=66138028, (参照 2017-11-01).

*11:ウィキペディアの執筆者. “前世療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-10-17. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%89%8D%E4%B8%96%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=65960418, (参照 2017-10-17).

*12:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.53-54

*13:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18

*14:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.21

*15:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,ベールの前でp.xix

*16:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.8

*17:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.42

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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

ただ、『シークレット・ドクトリン』の最新版であるジルコフ版から訳出されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の凡例には「原典『シークレット・ドクトリン』(英文)は四巻になる予定であったが、“第三巻”と“第三巻”は結局出版されなかった」と明記されているのです。このあたりの複雑な事情については冒頭に掲げられたジルコフによる「『シークレット・ドクトリン』の沿革」(松田佳子訳)に詳しく書かれています。
そして、ジルコフは「数年もの間多くの論議をかもした」第三巻、第四巻に関しては、「以上、我々は様々な意見を引用してきたが、第三巻、第四巻の原稿存在に関しはっきりとした是非は下せない」と結論づけています。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこのアニー・ベサントの編集による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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2017年10月12日 (木)

メーテルリンク『青い鳥』の罪な象徴性について

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。

ブラヴァツキーの神智学を批判したメーテルリンクの文章を考察することで、メーテルリンクの思想の一端が明らかとなったように思う。

わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。

さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)

ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。

医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)

娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。

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2017年9月17日 (日)

歴史短編1のために #30 神仏習合(加筆あり)

神秘主義エッセーブログに入れようと思って過去ノートに加筆したものですが、先にこちらにアップしておきます。

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数年前から、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説に取り組んでいる。第一稿で粗描を試み、第二稿に入ったところだ。

萬子媛が入られた黄檗禅系祐徳院は、取材の結果、庵のような小規模の建物ではなく、もっと大きな建物だったと推測されるので、小説の冒頭部分は書き直さなければならない。

祐徳院は法泉寺と同じく普明寺の子院だったから、法泉寺くらいはあったのではないかと思う。普明寺は法泉寺の1.5倍くらいの大きさに見えた。

祐徳院の門には、普明寺の門のところにあったのと同じ「不許葷酒入山門(葷酒の山門に入るを許さず)」と記された碑があったであろう。

不許葷酒入山門とは、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味である。(→ウィキペディア「禁葷食」

萬子媛の義理の息子で、大名であった直條の執筆とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』(祐徳稲荷神社蔵)を読むと、祐徳院に所属する尼僧の外出、俗客の往来を許さず、その他の規則は大変厳しかった(森厳という言葉が使われている)とあるのが、碑文にぴったりくる。

そして、神事のほうも、滞りなく行われていたに違いない。江戸時代までの神仏習合は現代日本の神仏習合とは様相が違っていたのではないだろうかと考えて、それをどのように描けばいいのかわからず、わたしは何ヶ月も悶々としていた。

例えば、出家後の萬子媛は神事にどのように参加されていたのだろうか……と考えたとき、思い出したのは前に図書館から借りて読んだ『英彦山修験道絵巻』だった。

村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995)は江戸時代に作られた「彦山大権現松会祭礼絵巻」に関する著作である。絵巻が作られたのは有誉が座主のときであった。

有誉の母は花山院定好の娘――つまり、萬子媛の姉だったと思われる。萬子媛の兄弟姉妹については拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72 に書いている。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している。

絵巻に描かれた神事の情景の中に、神職の格好をした人や一般の参列者の他に僧侶姿の参列者の描かれていた記憶がある。

萬子媛と一緒に京都から下ってきたと想像される、萬子媛に仕えていたという尼僧が技芸神として祀られている(拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72  参照)ことから考えると、神事の際に行われる神楽舞の振り付けなどはその人が指導したのではないかとわたしは考えている。

神事のとき、萬子媛はどのような位置で、どのような行動をなさっていたのだろうか。

厄除け祈願をお願いしたときのことが参考になるだろうか?

これはあくまでわたしの神秘主義的感性が捉えた――内的鏡にほのかに映った――萬子媛をはじめとする、この世にあったときは尼僧であったと思われる方々の御祈願時の様子なのであるが、わたしはそうしたこの世ならざる方々が御神楽殿での御祈願時にそこへお見えになるとは想像もしていなかった。

そのときまで萬子媛のことしか念頭になく、御祈願のときにもし萬子媛をわたしの内的鏡が捉えることがあるとしたら前方に捉えるのではないかと想像していた。というのは、そのときに萬子媛の臨在があるとすれば、神主さんに寄り添うような形をとられるのではないかと漠然と想像していたからだった。

事実は違った。萬子媛をはじめとする尼僧の方々――生前は尼僧であったとわたしが推測する方々――は、御祈願を受けるわたしたち家族のすぐ背後に整然と並ばれたのであった。拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録の以下のエッセーを参照されたい。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日

端然とした雰囲気の中にも、日ごろの馴染んだ行為であることが窺えるような、物柔らかな自然な感じがあり、整然と並ばれたといっても、軍隊式を連想させるような硬さは全くなかった。

わたしの内的鏡にほのかに映った美しい情景からは、江戸時代初期から中期かけて、神事というものがごく自然に仏事や日々の生活に溶け込んでいた様子が窺えた。神事も仏事もどちらもこよなく敬虔に、当たり前のこととして行われていたに違いない。

わたしがここでいう内的鏡とは、物質の鏡とは異なり、対象が生者であろうがこの世ならざる者であろうが、対象としたものの内面性や雰囲気を精緻に捉える鏡なのだ。姿は、ほの昏い湖面に映るかのような、ほのかに映る程度である。

オーラが時には肉眼で見えるどんな色彩よりも鮮明に生き生きとして見えるのとは、違う。オーラを見るときは肉眼で見るように見る。内的鏡で見るときは自らの心が鏡のようにも目のようにもなって、内的鏡を内的視力で見るという感じなのだ。

どちらも神秘主義的能力だと思うが、使い勝手(?)が異なる。神秘主義の文献によく鏡という表現が出てくるのを、なるほどと思うようになった。この内的鏡をいつごろからか、心が清澄であるときにごく自然に使っている自分に気づくことがある。

話が逸れたが、『梁塵秘抄』は平安時代末期に後白河院(1127生 - 1192没)によって編まれた歌謡集であるが、ここでは神事と仏事の習合が見られ、そこからは純粋というだけでなく、格調高いといえるような信仰心が汲みとれる。

江戸時代もおそらくそうで、明治時代に神仏分離令が出されるまで、そうしたところは変わらなかったのではないだろうか。

臼田勘五郎&新間進一 校注・訳『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』(小学館、1976初版、1989第14版)によると、『梁塵秘抄』は『梁塵秘抄二十巻後白河院勅撰』といい、20巻であったらしい。

20巻のうち、10巻が音律の秘伝や芸歴などを記した口伝集、残りの10巻が歌詞集であったそうだが、大半が失われてしまった。現存するのは巻第一断簡の長歌[ながうた]・小柳[こやなぎ]・今様と、巻第二の法文歌[ほうもんうた]・四句神歌[しくのかみうた]・二句神歌[にくのうみうた]である。

ただ、法文歌と四句神歌とで合計400首を超えるというから、それだけでも結構なボリュームだ。

ここで、前掲書『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』の『梁塵秘抄』から歌と訳を引用しておこう。

法文歌のうち最も有名なのは、格調高い響きを持つ次の歌だろう。

仏は常にいませども 現[うつつ]ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁[あかつき]に ほのかに夢に見えたまふ
 仏はお亡くなりになることなく常にいらっしゃるのだが、お姿を拝することができない。それが尊く思われる。しかし、人の物音のしない静かな暁には、かすかに夢の中にお姿を現わされる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.204-205

次の法文歌と神歌には同趣意の主張が含まれている。神仏と人の違いに萎縮するようなところは微塵もない。いずれは神仏に成る我が身、ならねばならない我が身との自覚があってこその矜持だろう。

仏は昔は人なりき われらも終[つひ]には仏なり 三身仏性[さんしんぶつしやう][ぐ]せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
 仏も遠い昔にはわれらと同じ人であった。われらも最後には成仏することができるのだ。三身仏性を本来備えている身であると知らないで、仏道をなおざりにしているのが、悲しいことに思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.257-258

ちはやぶる神 神にましますものならば あはれと思[おぼ]しめせ 神も昔は人ぞかし
 (ちはやぶる)神よ、ほんとうに神でいらっしゃるならば、私の訴えをかわいそうだとお思いになってください。神も昔は人であられたのですよ。臼田&新間 校注・訳,1989,p.317

権現に直訴するかのような、迫力と切実さを感じさせる神歌もある。

花の都を振り捨てて くれくれ参るは朧[おぼろ]げか かつは権現[ごんげん]御覧[ごらん]ぜよ 青蓮[しやうれん]の眼[まなこ]をあざやかに
 花の都を振り捨てて、暗い気持で参詣するのは、なみたいていの志だろうか。権現[ごんげん]よ、一方では私の志をもよくよくごらんください。その青蓮[しようれん]の眼[まなこ]をかっと見開いて。臼田&新間 校注・訳,1989,p.266

次の神歌について「日吉山王[ひえさんのう]を舞台に、神仏習合思想の要約を巧みに歌謡化した感じ」と解説されているが、正にそんな趣の歌だ。

仏法弘[ひろ]むとて 天台麓[てんだいふもと]に迹[あと]を垂れおはします 光を和[やは]らげて塵[ちり]となし 東の宮とぞ斎[いは]はれおはします
 わが国に仏の教えをひろめようというので、この比叡山の麓に、釈迦如来[しやかによらい]以下の仏や菩薩[ぼさつ]たちが、二十一社の神々となり化現されて、鎮座しておられる。威光を隠して俗世に交わり、東方の尊い神社として、祀[まつ]られていらっしゃる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.261

四句神歌のうち雑[ぞう](主として世俗的な民謡風の歌を集めたもの)に分類された次の歌は、最初に挙げた法文歌と並んで『梁塵秘抄』を代表する歌であり、解釈は様々あるようだが、清冽な信仰心が通奏低音となっているがゆえに、えもいわれぬ歌となっているのではないだろうか。

遊びをせんとや生[う]まれけむ 戯[たはぶれ]れせんとや生[む]まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺[ゆ]るがるれ
 遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのであろうか。それとも戯れをしようとして生まれてきたのであろうか。無心に遊んでいる子どもたちの声を聞いていると、自分の体までが自然と動き出すように思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.293

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2017年7月29日 (土)

友情について

このところ、ずっと友情について考えていた。

59歳になったわたしに、今後も友人をつくる機会が訪れるかどうかはわからないけれど、友人をつくるための最良の時は過ぎ去ったのではないかという気がしている。

今のわたしには文学を通して交際の輪が広がった日々が輝いて見える。その輪の中心には神智学を通じて知り合った人々との交際が見えない世界への翼となって、その痕跡をとどめている。

文学仲間とは文学観の違いから口論になったり、仲違いすることもあった。しかし、それは今思えば、何て贅沢な交際に恵まれた日々であったことだろう。

文学仲間とは話が通じないとか、話題に出したいことを相手に遮られて全く出せないということがほとんどなかった。

そうした交際の中でも、わたしが「詩人」と呼んだ今はなき女友達と女性編集者Мさんとは深い会話ができた。

皆が文学に抱擁されていたからこそ、そうした交際が可能だったのではないかと思う。比較的最近になって女性編集者Мさんから電話があり、会いたいという話だったが、わたしはまた口論になりそうな気がして会えないといった。

彼女が応援している作家たちを、彼女と共に応援することはとてもできないと思ったのだ。編集者として包容力がなければ、仕事にならないことはわかっている。

だが、彼女が応援しているこの国でよい地位を得ている作家たちは本当に作家という名に値する人々なのだろうか(勿論値する人々だっているだろうが)。

Мさんとの齟齬も、本を正せば、この国の文学界が左派に牛耳られている異常な状況から来ているとわたしには思える。

葛藤、不運、不遇が、左派に与することのできない物書きを襲い続けてきたのだ。言論の自由は事実上、左派にしか存在しない。独占を真に自由と呼びうるかどうかは疑問のあるところだが。

左派が毛嫌いする神秘主義、その中でも近代神智学運動の母といわれるブラヴァツキーは左派のバッシングの的となってきた。マルクス主義の根拠となっている唯物論の誤りを的確に指摘できる神智学は左派の天敵だからである。

大学生のわたしはプロティノスが神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子とは知らなかったにも拘わらず、哲学者の中ではプラトンに次いでプロティノスに惹かれ、やがてブラヴァツキーの神智学に辿り着いた。

神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長であった田中恵美子先生からは、神智学の神髄を教わった。先生がお亡くなりになった今も、わたしは美しい白薔薇を想い浮かべるように、先生の美しかったオーラの色合いを想い浮かべる。

先生と対等に交際するにはわたしには知能も教養も足りなかったが、先生の影響を自分に可能な限り受容させていただいた。

このような、わたしの目に知性美に輝く理想像と映った田中先生のような人と人生の早い時期に出会ってしまったので、先生が亡くなってしまうと、味気ないこの世がいよいよ味気なく映ってしまうようになった。

死後、別れの挨拶に会員達を訪れた先生――同じことを経験した会員が複数いる――は、その後もあの世から見守ってくださっているのを感じる。それでも、生身の先生に大会などでお目にかかることはもうできないのだと思うとこの世は如何にも味気ない。

もし、あの世から地上世界にある神社へと、毎日ボランティアに通っておられる萬子媛のような高級霊と出会わなければ、神秘主義者として生きざるをえないわたしの後半生はどんなに淋しく、虚しく過ぎたことだろう。

あの世にまで広がる交際を可能にしたのは、神智学という神秘主義だ。

文学と神秘主義、この二つの思想に抱擁されて、コミュニケーションの可能性を追求し、その恩恵に浴してきたわたしはいつのまにか、コミュニケーションというものはごく自然に行われるものと錯覚してしまっていた。

ところが、中学時代、高校時代に親しかった友人達と旧交を温める機会を持ったことから、その錯覚が打ち砕かれた。

その中でも、中学から高校にかけて最も親しかったナースになった友人との35年ぶりの再会は意外な展開を迎えた。同じころに幼馴染からもやはり35年ぶりに連絡があり、幸いこちらとは旧交を温めることができた。

二人の違いといえば、幼馴染とは互いに35年間欠かさず年賀状を出し続けて相互に連絡し合っていたが、ナースの友人とは音信不通になったりならなかったりで、その状況に嫌気がさし、もう年賀状を出さないことに決めた矢先の再会だったということである。

幼馴染みは文学好きというわけではないが、長電話の中で「Nちゃん、創作続けている?」と大切なことを問いかけるように尋ねてくれた。創作のことを話したかどうかさえ覚えてなかったので、思いがけない嬉しさだった。

幼馴染みの声は昔と同じように優しく、柔らかに響き、当時と同じようにわたしを癒してくれる。

わたしの創作を励ましてくれるのは、この幼馴染みと東京在住の従姉くらいだ。

いや、もう一人だけいた。大学時代に美術部だった埼玉在住の友人で、彼女は今は喫茶店を経営しており、絵は描いていないという。が、シャガールばりの彼女の絵をわたしは忘れられず、彼女は毎年の年賀状に欠かさずわたしの創作のことを書いてくれるのだ。

誰かと会って話すとき、わたしは相手の喜びの源泉や苦しみの原因を知りたいと思う。そして、相手にも同様にわたしのことを知ってほしいので、万遍なく話題を広げたい。

しかし、考えてみれば、それは高度にコミュニケーションがとれ、相手のことに関心があって初めて可能になることなのだ。

女性同士であっても、相手が好きであれば、相手に関心を持つのが自然である。そして、コミュニケーションは、語彙や表現力が乏しければ、うまくいかない。

博多で三人の友人達と旧交を温めて、とてもなつかしかったものの、むしろわたしにとっては冷やす結果となってしまった。

二人は――ナースの友人には子供はいないにも拘わらず――どこか姑臭くなっていて、なつかしい顔立ちや振る舞い、変わらぬ魅力を湛えた表情の移り変わるある瞬間に何か底意地の悪さといったものを感じさせるのだ。

考えてみれば、昔もそうしたことを感じることがあり、それは気のせいだと思っていた。

だが、おそらく一人は底意地の悪い姑に献身的に仕える重労働の中で、自制心を次第に摩滅させただけでなく、底意地の悪さを姑に学んでしまったのだ。ナースの友人は職場環境によるものだろうか。ナースの中に時々、底意地の悪い人を見かけるときがあるからそう思うだけで、わたしの憶測にすぎない。

わたしが独身時代、金持ちだったのに、今はそうでないのが痛快らしい。金持ちだったのは両親であって、わたしではない。両親の自分勝手には結構苦しめられたし、倒れた母の看病のために就職できなかったにも拘わらず、両親はそのことを意に介していなかった。

好意的でなつかしい友人の振る舞いの中に棘のように意地悪が潜むことに、わたしは耐えられないが、そのときはなつかしさのほうが勝り、再会が嬉しかった。

姑臭くなった友人の一人と二人きりで駅の構内を歩いたとき、幸い昔の彼女が戻ってきた。昔彼女の家に泊めて貰った晩、目を綺羅星のように輝かせながら宇宙への憧れを語った彼女。

そのときの彼女が戻ってきたことを思い出し、交際を深めていけば、姑からの仕打ちの痕跡など、やがて消えて行くのではないかと考えている。その機会があればだが。

ナースの友人とは修復が可能か不可能かという以前に、価値観も友情観も違いすぎるのがわかった。

結局、人間性を損なっていなかったのは新興宗教にはまっている残る一人の友人だけだった。彼女には底意地の悪さは微塵も感じられず、知識欲も旺盛と映った。

おそらく宗教活動を通して、彼女は読書習慣や考える習慣を持ち、それは情操を養う機会ともなったのだ。

その宗教の内容に関してはわたしには共鳴できないところがあるけれど、底意地の悪さというものが本人も気づかない精神的飢餓感から発生しているように思えるとき、宗教が――宗教組織が宗教を何か世俗的な目的のためのアイテムとしていない限りにおいてだが――萎縮しやすい女性の生活に活気と潤いとコミュニケーションの機会を与えてくれるように思われる。

大学時代の友人で、別の新興宗教にはまっている人がいて、彼女にも同じことを感じている。わたしたちは度々電話し合って、様々な事柄について万遍なく話す。暮らしのことから、現在の不安や課題、宗教思想、宇宙について、政治についても。

考えかた、思想の違いも率直に話して、むしろその違いが興味深くて楽しい。彼女にも、底意地の悪さは全く認められない。

そもそも、暮らしに欠けるものを感じ、何か高いものへの欲求や憧れがあるから、二人の友人は入信したのだろうと思う。

聖人ではないのだから、齟齬や不愉快というものは交際にはつきものであって、わが身も顧みず、そのことをどうこういうわけではない。

相手に意地悪と誤解されても仕方のない場面は交際にはよくあることのだが、底意地の悪さというものはこれとは別物で、わたしが問題としたいのはこのことであり、これが意図的であるというところに問題があると思うのだ。

ごく瞬間的な意地悪な素振り、雰囲気、言葉を意図的に親しみの中に混ぜてくる人というのは心底病んでいるだけでなく、その対象とする人を本当には好きではない可能性があると思う。

この悪癖に冒される人達というのは、わたしの知る限り、唯物主義者、現世主義者に多い。それは先述したように、物質偏重からくる飢餓感なのだ。

博多での再会後に彼女のご主人が統合失調症との診断を受けたと知り、わたしはそのことにひどく負担を感じた。統合失調症が大変な病気であることを知っているから、彼女のことが心配になり、こうしたことの全体がわたしには負担と感じられた。

友人としての有効期限は過ぎたとわたしが感じ、整理しかかったときに繰り返し誘いをかけてきて(わたしの体がひどく心配なのだと彼女はいった)、35年ぶりに再会した後、この大変な事態を明かされるとはあんまりだと思った。

しかし一方では、大変な状況下でわたしのことを思い出してくれた彼女に嬉しさを覚え、何か誇らしいような気持ちも起きた。頼りにされているのかもしれないという一方的な思い込みで責任感を刺激された。

わたしには、再婚した奥さんにつられるようにして頭が普通でなくなった父があり、また「詩人」と呼んだ統合失調症の友人がいた。彼女の参考になることを話せそうだった。

コミュニケーションがうまくいかないのを感じたが、彼女のほうではうまく行く必要もないのかもしれない。

彼女の愚痴を聞いて、適度な慰めとなり、陽気な飲み友達となれるのなら、彼女にとって最高の友人となれただろう。ご近所づきあい、気晴らしのアイテムとしての友人関係を求められているだけだとわたしは思った。

ただ、わたしの友人づくりはシビアすぎるのだろう。彼女のほうが標準なのだ。わたしが貪欲に友情に純度の高さを求めすぎるのだ。いつまでも青臭い、お馬鹿さんなのだ。そう、相手が姑臭く感じられるほどに、わたしは若いころから成長がないのかもしれない。

彼女と親しかった高校時代の交際も、考えてみれば、ご近所づきあい風だった。それが彼女の友情観であり、わたしの友情観とは食い違いがあったのだ。だから彼女という友人がいながら底知れない孤独を感じていたのだろう。

高校時代にはそのことがわからなかった。勉強や行事やクラブ活動で忙しい高校時代は、深い話をする機会がないだけだと思っていた。そんなわけはなかったのだ。友情観が一致していたとしたら、ない時間をつくって、あれこれ話したに違いない。

彼女にとって、わたしは重い、変なところのある、面倒な友人だったのではないだろうか。

そんなわたしだが、ご主人を一心に支えている彼女には深い尊敬の念を抱いている。ナースとして優秀な彼女であるからこそ、できることだとも思う。

大地に根差したような彼女の快活さ、バイタリティにわたしは惹かれたのに違いない。くれぐれも無理しすぎないようにと願う。

フルートが上手で、岸洋子「希望」を教えてくれた彼女は本来、芸術に鋭い感性を持つ人だとわたしは思っている。ストレス解消は、アルコールより芸術に頼ってほしい。

何にしても、頭を疑われそうになっては、彼女から逃げ出さないわけにはいかない。何しろ彼女はナースなのだから、怖い。如何に説明しようが、唯物論者で現世主義者である彼女――彼女にその自覚はないだろう――に神秘主義をわかって貰うのは無理な話だ。逃げるが勝ちだ。ごめんね。

結婚するときに、神智学を教わった田中恵美子先生がカーリル・ギブランの
「結婚」に関する詩を邦訳して贈ってくださった。主人との間でいろいろあるたびに、その詩を読み返してきた。

英語版「神智学ウィキ」に、カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン、カーリル・ジブラン)​​の神秘主義は、キリスト教、イスラム教、スーフィズム、ユダヤ教と神智学といった異なる影響が収束したものだと書かれていた。(→ここ

イタリア神智学協会のオフィシャルサイト「著名な神智学者の名前の一部」にもカリール・ジブランの名があった。

過去記事で紹介したカリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)から、「友情について」を再掲しておこう。   

そこでひとりの青年が言った。お話しいただけませんか。友情について。
    アルムスタファは答えて言った。
    君の友人は君の需
(もと)めへの応え。かれは畑。君はそこに愛をもって種まき、感謝をもって刈り取る。
    彼はまた食卓。君の暖炉。
    君は飢えてかれのもとに行き、平和を求めてかれを探すのです。

    友がその考えを語るとき、恐れるな、君自身の心のなかの「否
(いな)」を。そしてまたおさえるな、「然(しか)り」を。
    また、友が黙するとき、君の心は止めてはいけない。かれの心に耳を傾けることを。
    なぜなら友情にあっては、言葉なしに、すべての思い、すべての望み、すべての期待が生まれて、分かち合われるのです。それも喝采を必要としない喜びのうちに。
    君が友から離れるとき、歎いてはならない。
    なぜなら、君がかれのなかで一番愛しているものは、かれのいないときにこそ明らかになるのだから。山は、それを目指す者には、平野からこそ明らかに見えるもの。
    そして友情には、精神を深めることの他にはどんな目的もあらしめるな。
    なぜなら自らの神秘を顕わにする以外のことを求める愛は、愛ではなくて、投げ込まれる網にすぎない。

    そして君の最良のものが友のためであるように。
    もしかれが君の引き綱を知らねばならぬなら、君の満ち潮も知らせてやるように。
    なぜなら、時間をつぶすための友を求めるなら、いったい友とは何だろうか

    時間を生かすための友をこそ常に求めなさい。
    なぜなら、友とは君の需めを満たすもの。君の空虚を満たすためのものではない。
    そして友情の甘美さのうちに笑いがあるように。そしてまた楽しみの分かち合いも。
    なぜなら、小さな事柄の一滴のうちにも、心は自分の朝を見つけてさわやかになるのだから。

    カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)

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