カテゴリー「神秘主義」の287件の記事

2019年5月23日 (木)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (2) (※書きかけです)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-f68a49.html

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パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006、p.43)によると、「グルジェフの死後1952年に出版されたトラヴァースのメアリー・ポピンスの物語の第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park、53歳)にはグルジェフの考え方が織り込まれているという。

また、晩年に出版された第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane、1982年、83歳)、第10巻『メアリー・ポピンズとおとなりさん』(Mary Poppins and the House Next Door、1988、89歳)では、森によると(2006,p53)、ますます「グルジェフの神知学」の影響が大きくなるそうだ。

当記事は神智学の影響を受けたというトラヴァースの代表作であるメアリー・ポピンズの物語にどの程度、ブラヴァツキーの神智学の影響が窺えるかを調べるのが目的であるから、神智学の流れを汲むというグルジェフに踏み込むのは別の機会にしたいと思う。

ブラヴァツキーの神智学の観点から読むと、確かに、いわゆる神智学の影響が色濃く感じられるのは初期のメアリー・ポピンズの物語中第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins、1934年、35歳) 、第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back、1935年、36歳) である。

53歳で出版された『公園のメアリー・ポピンズ』は洗練された作品となっており、トラヴァースの児童文学作家としての成熟が感じられる。神秘主義的な作風であるが、格別に神智学を感じさせられる箇所は見つけられなかった。グルジェフの思想のオリジナルな部分からの影響がそれだけ強いということだろうか。

『さくら通りのメアリー・ポピンズ』と『メアリー・ポピンズとおとなりさん』には、いくらか筆の衰えを感じさせられるものがあった。

しかしながら、この2作品には幻想的というより夢幻的といったほうがいいような趣があり、現実と異世界の境界が曖昧で、このころ既にトラヴァースは異世界の住人となっていたようですらあって、夢見心地で書かれたような何か朧げな、恬淡とした味わいがある。

以上のことから、当記事で採り上げるべき作品は初期の前掲2作品ということになる。ロマンティックなところのある『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は過去記事で採り上げたから、ここでは『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を採り上げたい。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになるわけだが、そのアナベルがゆりかごの中で、ムクドリの問いかけに答えて、自らの起源を語る。

私見によると、この場面でアナベルが語る3箇所に、神智学色が濃厚に表れているのである。引用する。ここに2箇所ある。

「話しておやり、アナベル!」と、親どりが、しゃがれ声でいいました。
 アナベルは、毛布の下で、手を動かしました。
「わたしは、土と空と火と水なの。」と、しずかにいいました。「わたしは闇[やみ]のなかからきたの。なんでも、はじまりはそこなの。」(トラヴァース,林訳,2001,p175)

旧約聖書の創世記にも「闇」が出てくるが、アナベルが語る「闇」とは重要度が異なる印象である。聖書から見てみよう。

❗❗ すみませんが、ちょっと中断します。まだ途中ですが、アップしておきます。この記事は書きかけです。

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2019年4月20日 (土)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 

パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)で彼女が受けた思想的影響をざっと見ていくと、AE(George William Russell  ジョージ・ラッセル,1867-1935)を通じて「マダム・ブラバツキの神知学協会」を知ったトラヴァースは「はじめは疑問をいだいていた」が、『ニュー・イングリッシュ・ウィクリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1873-1934)の話を聞き、「積極的な信奉者に変わった」。

1933年、AEを通じてオイレジと知り合ったトラヴァースは、1年の交流の間にオイレジの編集する前掲誌の劇評家となり、またオイレジを通じてジョージ・イワノヴィチ・グルジェフ(George Ivanovitch Gurdjieff,1866-1949)に出会ったのだった。オイレジはグルジェフの布教活動をしていたのである。

「マダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky,1831-1891)の神知学の流れをくむ」グルジェフは、彼の提唱する「仕事」を通じ、「知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとること」で「本来的自己(霊性)」に目覚め、「それが神性と同じであることを認識し救済に至る」という思想を説いていた。

※グルジェフについては無知で、現時点では未知の人物であるため、評伝をそのまま引用する。ブラヴァツキーの神智学に関する著者の解説は割愛させていただいたが、わたしには違和感があった。

トラヴァースはグルジェフの教えに共鳴した。グルジェフの死後出版された『公園のメアリー・ポピンズ』には、グルジェフの考えが盛り込まれているという。

1963年に京都を訪れたトラヴァースは「アメリカ人で日本人と結婚し、禅の修行を積んだ」ルース・ササキという女性から教えを受けた。また「グルジェフ派のグループの会合にはリーダー格として参加し、インド人の導師クリシュナムルチ(Krishnamurti)をグルジェフの再来として崇拝した」。

1963年、トラヴァースはディズニーによるミュージカル映画『メアリー・ポピンズ』の制作に顧問として参加する。映画は1964年に封切られたが、それはトラヴァースの期待を裏切るものだった。

「エドワード朝の平凡な主婦」のバンクス夫人が「婦人参政権論者」に仕立てられ、「行儀をわきまえているはずの」メアリーのスカートが舞い上がって下着が見え、「アニメ化されたペンギンがファンタジーを損なう」などであった。バートと絵のなかに入る「外出日」が目玉扱いされているのも不満だった。

最もトラヴァースを失望させたのは、「メアリー・ポピンズがただの使用人になってしまい、作品の特徴である神秘性が感じられない」ところであった。

以上、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)16~46頁を参考・引用させていただいた。

トラヴァースはケルトの文芸復興運動とも関わりが深そうなので、その方面からも見る必要があるだろうが、ここではただ、神智学の影響を色濃く感じさせる部分を拾うに留めたい。過去記事では『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を見ていった。

メアリーが子どもたちの世話役として勤務するバンクス家には、4人の子どもがいた。ジェイン、マイケル、双子のジョンとバーバラである。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになる。

 

❗上でトラヴァースが受けた思想的影響をざっと見たので、このあと『帰ってきた』で、神智学の影響を色濃く感じさせる箇所を引用する予定です。パソコンをつかえないため、iPadで書いており、時間がかかるため、途中ですが、アップしておきます。

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2019年4月16日 (火)

これはショック、ノートルダム大聖堂が……。大聖堂復興に貢献したユーゴ―の文学作品。

<ここから引用>
パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂1。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。 (……)
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。
全長127.50m、身廊の高さは32.50m、幅は12.50mと、それまでにない壮大なスケールの大聖堂が完成した。全体の色合いから、白い貴婦人とも称されている。 (……)
1789年のフランス革命以降、自由思想を信奉し宗教を批判する市民により、大聖堂は「理性の神殿」とみなされ、破壊活動、略奪が繰り返されていた。1793年には西正面の3つの扉口および、王のギャラリーにあった彫刻の頭部が地上に落とされた。ノートルダムの歴史を語る装飾が削り取られ、大聖堂は廃墟と化した。
その後、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』の出版が、国民全体に大聖堂復興運動の意義を訴えることに成功し、1843年、ついに政府が大聖堂の全体的補修を決定した。(……)
2019年4月15日の夕方に大規模火災が発生し、屋根の尖塔が崩落した。フランスのメディアでは、現地で実施されていた改修工事による火災の可能性があると報じられている。 建物内の美術品や聖遺物は、全て搬出された。
<ここまで引用>
「ノートルダム大聖堂 (パリ)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年4月15日 23:00 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

ノートルダム大聖堂の歴史は知らなかった。ノートルダムが聖母マリアを指すことは知っていたが、キリスト者ではないわたしには真っ先にユーゴ―の有名な文学作品『ノートルダムのせむし男』(ノートルダム・ド・パリ)が連想された。

しかし、その作品が大聖堂復興運動や修復に大きく関わっていたとは知らなかった。

そもそも革命以降、ノートルダム大聖堂が廃墟と化していた時期があったことなど、知らない人も多いのではないだろうか。今、ふと思い出したが、ユーゴ―は確かフリーメイソンではなかったか。

<ここから引用>
ヴィクトル・ユーゴー(1802年生) - 作家。著書は『レ・ミゼラブル』など。政治活動家(中年期以降)。ユーゴーはメイソンのDr. Henry Hopkinsに対して自分がフリーメイソンリーに所属していることを認めた。ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』は、メイソンの象徴で満ちている。同小説の「Ceci tuera cela(これがあれを滅ぼすだろう)」の章は、疑う余地なくメイソンリーが反映されている。『レ・ミゼラブル』における秘密結社「ABC(ア・ベ・セー)の友」は、実在の政治的秘密結社「人権協会」がモデルであるが、メイソンリーに類似する。ユーゴーは1871年にルクセンブルク大公国のロッジ「Enfans de la Concorde fortifiée」のメイソンたちと接触した。ユーゴーがメイソンでないという文献もある。
<ここまで引用>
「フリーメイソン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年4月9日 02:13 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

フリーメイソンは本来は神秘主義的な性格を持つ博愛的な団体で、各結社により個性があった。

ところが、1777年に反神秘主義者であったアダム・ヴァイスハウプトがフリーメーソンとなり、彼のラディカルな思想(ヴァイスハウプトはこれに先立つ1776年にイルミナティ教団を立ち上げている)によってフリーメーソン結社を侵食し始めた。

81 トルストイ『戦争と平和』… ②ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ: マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/04/05/151342

フランス革命には、イルミナティ系フリーメーソンが関わっていたといわれる。

本来のフリーメーソンであれば、暴力革命に賛成するはずがない。ユーゴ―はフリーメーソンだったと思われるが、作品から見る限り、反イルミナティだったとしか思えない。改めて、ユーゴ―について調べる必要を覚える。

いずれにせよ、ユーゴ―は「聖母マリア」を救った。明治期の廃仏毀釈によって破壊され尽くされようとしていた仏教美術を救った一人、フェノロサは近代神智学の影響を受けていた。神秘主義者たちによって貴重な文化遺産が救われてきたことは、あまり知られていない。

キリスト者にとっては聖母マリアの象徴であり、文学を愛する人間にとっては文学の象徴でもあったノートルダム大聖堂があんなことになり、ノーベル文学賞が滅茶苦茶になって……哀惜の念に堪えない。

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2019年4月11日 (木)

歯医者さんは、いくつになっても怖い。事前に見た歯医者さんの夢。

歯茎から出血するのは嫌ですよね。わたしは虫歯より嫌です。

歯を磨くと、時々どこからともなく出血するようになり、口の中を自分で調べてもその箇所がわかりませんでした。

虫歯のような痛みはないので、歯槽膿漏(現在では歯周病、または歯周疾患と呼ぶそうですね)に違いなく、歯医者さんに行くのをサボっていたせいで、歯槽膿漏が進んだのだと思いました。そう思えば、ますます行くのが怖くなり、あれこれ用事や出費が重なったこともあって(それを口実に)行くのが遅れました。

ようやく今日歯医者さんに診ていただいて、真相(?)がわかりました。歯槽膿漏は歯槽膿漏でしたが、全体としては大したことはないそうで(虫歯はなし)、ただ、ある個所だけはよくないとのこと。

そして、その原因を作っているのが横向きに生えた親知らずとのことでした。渡していただいた手鏡で見ると、右奥歯の先に、親知らずが確かに四角く白く見えます(あまりに奥すぎて、自分では見つけられませんでした)。

これが横に伸びようとして、奥歯を押し、歯並びにまで影響を与え、この部分の歯磨きを困難にして、その奥歯の箇所が歯槽膿漏状態となったらしいのです。

親知らずを抜かなければ、それが邪魔になって奥歯の歯磨きは無理で、この部分の歯槽膿漏が進み、大事な奥歯に影響するのだとか。来週の前半に親知らずを抜いていただくことにしました。切開して抜くのだそうです。

歯科衛生士さんから、歯磨きが下手だと叱られました。磨き残しがあるそうです。前に行った別の歯医者さんで、歯磨きが上手だと褒められたため、慢心していたのかもしれません。自分ではしっかり磨いているつもりでしたが……。

食事、おやつなど、何か食べるごとに磨かなければならないそうです。「エナメル質がどうのとかいいますが……」とお尋ねすると、すぐに磨かない弊害のほうがそれに勝るのだとか。抜歯の前に、磨きかたたを教わることになりました。

今日は、歯と歯茎の状態を調べていただき、その後、歯のクリーニング(これ痛い)。親知らずの状態を調べるためのレントゲンを4枚。

歯医者さんがおっしゃるには、年とるごとに歯は全体として前に押し出されていくそうです。そのとき、歯茎が丈夫かどうかで違ってくるのだとか。

喘息があるので(服用している心臓の薬の副作用だろうと、以前かかっていた呼吸器クリニックでも循環器クリニックでもいわれています。それでも、その薬に代わる副作用のない薬は見つけられず、服用するメリットのほうがわたしの場合は大きいようです)、薬がどうのと受付でいわれましたが、頭がぼーとして覚えていません。抜歯の前日から飲むようにと処方された薬をきちんと飲めば、間違いないでしょう。抜歯後は安静にして、翌日、消毒で受診。抜糸はもっと後。

そういえば、数日前に歯医者さんで治療を受けている夢を見ました。夢で見た先生のお顔は実物そっくりでしたが、ホームページで見ていたからでしょうね。ただ、夢を見たときは謎と思われた光景がありました。

夢の中で、わたしは窓際の診察台に座っています。窓がまるで掛け軸代わりのように、そこに三行くらいに渡って流麗に書かれた筆文字が見え、それが三つの窓に書かれていました。

実際には、今日、歯医者さんでわたしが座ったのは壁際の診察台でした。窓際にも診察台があり、そこで抜歯が行われていたために、わたしは怖いもの見たさの気分で、全身を耳にしていました。

そして、わたしの座っていた壁際に、色紙が三枚立てかけてあって、筆文字でそれぞれ、何か書かれていたのでした。二枚は古典的な文章で、もう一枚は相田みつをの詩でした。

夢って面白いですね。

ところで、これは神秘主義的話題になりますが、わたしは歯も、例のわが胸の奥から迸る光で治せないか頑張ってみましたが、歯は無理でした。岩をオーラの光で動かすようなものでしょうからね。降参して、おとなしく歯医者さんに歯と歯茎を委ねたというわけです。

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2019年3月 8日 (金)

P.L.トラヴァースにおける近代神智学の影響を考察する ①みんなおなじ

過去記事に書いたことだが、繰り返していうと、トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers(現代英米児童文学評伝叢書)』(KTC中央出版、2006)に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William
Russell, 1867 -
1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard
Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena
P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich
Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読であるし、神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるけれど、トラヴァースがブラヴァツキーの神智学の影響を受けていると思わせられる箇所をP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」シリーズから拾ってみたい。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』で、ジェインとマイケルはメアリー・ポピンズのお誕生日に動物園へ行く。檻の中には動物の代わりに人間が入っていて、動物はみんな外へ出ている。キング・コブラがいう。

<ここから引用>
たべることも、たべられることも、しょせん、おなじことであるかもしれない。わたくしの分別では、そのように思われるのです。わたくしどもは、すべて、おなじものでつくられているのです。いいですか、わたくしたちは、ジャングルで、あなたがたは、町で、できていてもですよ。おなじ物質が、わたくしどもをつくりあげているのです――頭のうえの木も、足のしたの石も、鳥も、けものも、星も、わたくしたちはみんなかわりはないのです。すべて、おなじところにむかって、うごいているのです。
<ここまで引用>
(トラヴァース、林訳、2003,pp.249-250)

「おなじものでつくられている」というキング・コブラの言葉から連想されるのは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)に出てくる次の文章である。

<ここから引用>
無限で不死不生の唯一の宇宙元素だけが存在し、その他のものすべて、即ち大宇宙的結果から小宇宙的結果に至るまで、又超人から人間や人間より下の存在に至るまで、簡単に言えば、客観的存在のすべては、その唯一のものが多種多様に分化した諸面であり、今は相関関係(correlation)といわれている変形であることをもし学徒が覚えているならば、最初の主な難点はなくなり、オカルト宇宙論に熟達することができるだろう。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.293)

よほど大事な教えなのだ、同じ教えが言葉を変えて幾度も繰り返されるのだから。

<ここから引用>
星から鉱物原子に至るまで、最高のディヤーニ・チョーハンから最少の油虫に至るまで、完全な意味で、大自然の複合物の各構成部分の究極的エッセンスが根本的に統一していることは、オカルト科学の唯一の基本である。それが霊的世界または知的界、物質界のいずれに当てはめられても違いはない。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.352)

ということは、神智学で叩き込まれるこの教えがその人の思考形態を根本から支えていない限り、その人が神智学の影響を受けたということはできないに違いない。トラヴァースはこの基本を押さえていた。

「子どもも、ヘビも、星も、石も――みんなおなじ。」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)というキング・コブラのシューシューいう声が低くなってきて、身をゆすり、ゆすられているような心地よさのなかで、「なかばかくした、やわらかい光」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)がふたりの顔にあたる。「よくねて、夢でもみているよう――ふたりとも。」(トラヴァース、林訳、2003,p.252)といったひくい声がキング・コブラの声だったのか、おかあさんが毛布をなおしながらいったのか。ジェインとマイケルは夢うつつである。

「なかばかくした、やわらかい光」というのは月の光だろうか、それとも別の神秘的な――例えばオーラの光とか――だろうか? トラヴァースはしばしばこのような紗のかかったような、直截的でない繊細な表現をとり、それが作品を陰翳に富む、謎めいた、神秘がかったものにしている。

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2019年2月27日 (水)

大学時代からの女友達の死

大学で同じ法学部だった女友達が昨年の12月29日に、61歳で亡くなった。詳しいことはわからない。彼女を含む同じ法学部の4人でグループを作り親しくしていたが、その中の別の女友達から電話があって知った。

年賀状が来なかったので案じていたところ、年賀欠礼状(喪中はがき)が届いたという。わたしも同様に気にかかり、今年に入ってから何度か彼女から貰った木目込み人形に目をやっていた。

拙神秘主義エッセーブログの以下の記事で書いたように、亡くなった女友達が「もしわたしに何かあったら、きっとこの人形の髪がのびるから」といったことを思い出したからだった。

16 学生時代の思い出 2006.10.19: マダムNの神秘主義的エッセー
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/17/160231

彼女手製の木目込み人形は、他の人形と一緒にガラスケースに飾っていた。取り出してよく見たい気もしたけれど、縁起でもないと思って、その気持ちを押しとどめた。

数年前、彼女の身体に関する思わしくない夢を見た。その夢が象徴的なものなのかどうかの見当もつかず、エッセーで書いたように気軽に電話し合う仲ではなくなっていたため、電話することはしなかった。そのときに電話をかけてみるべきだったと後悔しても、もう遅い。

彼女については、詩人と呼んだ女友達同様に、死の予兆も死後の訪問も何も感じなかった。これが普通のことに違いない。仮に別れの挨拶に来てくれていたとしても、普通の人にはわたしも普通の反応をするようだから、気づかなかった可能性が高い。

死後にやってきて、その存在をありありと感じさせた人々は特殊な人々だったといってよい。わたしは神秘主義者であるゆえに、その人々にはその人々に合わせて神秘主義的応対をしたのである。自分でも気づかぬうちに。

女友達と電話で話したあと、ガラスケースから木目込み人形を取り出した。感極まって人形を抱きしめ、「なぜ、こんなに早く死んじゃったの? ちゃんと仲直りもしないうちに。そのうち、きっと会おうと思っていたのに」といいながら、人形の髪を撫でた。

甘く、人懐こく、どこか謎めいて響く声で「Nちゃん」とわたしに呼びかけた人は彼女以外にいない。

しぱらくして、彼女の言葉を思い出し、人形の髪が伸びていないか、つくづくと眺めた。何しろ、人形の髪は元から長い。いくらか不揃いに見え、あちこち髪の毛が飛び出ているように見えるのも、人形の髪を強く撫でたせいかもしれなかった。

わたしは人形に、武者人形らしく、兜をかぶせてきりりと紐を結び、ガラスケースに戻して彼女の冥福を祈った。

夜、仕事から帰宅した娘が、集合ポストに届いていた年賀欠礼状を持ってきた。わたしはもう一人の女友達に電話し、先に女友達と話した内容を伝えた。

文章を書き慣れているからといわれ、わたしがまとめて御香典を送ることになったが、「そんな文章は書き慣れないわよ」といった。そのうち三人でお参りできれば……と全員が思っている。

ところで、もう一人の女友達は悪名高い出版社から、高くついた絵本を出していた。そのころは憑かれたように賞を欲していたけれど、すっかり元の彼女に戻り、純粋に創作している風で、嬉しかった。彼女の秘めている美質が作品に反映されるのを待つ楽しみができた。

創作の話など長く会話しているうちにいくらか悲しみが癒えた気がしたが、電話を切ると、喉元まで涙が溜まっているかのようで苦しい。その涙が出ないので、何か灼けつくように苦しい。詩人と呼んだ女友達の訃報に接したときも、涙が出なくて苦しかった。それと関係あるのかどうか、メニエールのような症状が出た。

年取ったせいか、コントロールが悪くなって、とめどもなく涙が流れるか出ないかのどちらかなのだ。

神秘主義エッセーブログを更新しました。

93 詩人と呼んだ女友達の命日が近づいたこのときに書く、死者たちに関する断章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/02/27/084017

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2019年2月22日 (金)

魔法というにはあまりにも自然で美しい、原作のメアリー・ポピンズ

1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」の原作であるメアリー・ポピンズのシリーズから邦訳された以下の本を図書館から借りたことは、過去記事で書いた。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

一昨日から鍋にかまけていて、まだ読了できていない。『さくら通りのメアリー・ポピンズ』『メアリー・ポピンズとお隣さん』は83歳、89歳のときの上梓とあって、さすがに筆の衰えを感じさせられるところがあり、どちらもスケッチ風の作品となっている(年齢を考えれば、その筆力には感心させられる)。

子供のころ、最初のほうの保証人がどうのというくだりで「わあ面倒臭そうなお話……」と思い込んで読む気が失せた『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を改めて読み、子供のころはつまらない箇所に躓いていたものだと呆れた。

還暦を過ぎた年齢になってちゃんと読んで、メアリーにすっかり魅了されてしまったのだった。『不思議の国のアリス』も同様に子供のころに躓いた作品だった。

2010年5月 6日 (木)
アメリカンな『アリス・イン・ワンダーランド』とルイス・キャロルの世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-141c.html

この記事を書いたころはまだ、ハリウッド映画は全然変ではなかったなあ。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は正真正銘の純文学作品であり、メアリーの心情が繊細に表現され、子供たちの描写は細やかで、まるで本当に生きているかのようだ。邦訳がすばらしい。

わたしはすっかり子供たちの一人になってしまって、メアリーの動作に釘付けになっていた。「ねるまえに一さじ」と書いた紙の貼ってある大きなびん。

子供たちと同様、わたしもそれを飲むのを一旦は拒絶した。

ところが、「マイケルは、息をとめて、目をつぶり、グッとのみました。おいしい味が、口じゅうにひろがりました、舌をまわして、あじわいました。そして、のみこむと、うれしそうに、にっこり笑いました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)という文章を読み、興奮してきた。

苦くはなく、ストロベリー・アイスの味がするようだ。マイケルはもっととせがむが、メアリーはきつい顔をしてジェインのぶんをついでいた。「それは、銀や緑や、黄色に光って、スプーンに流れこみました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)と文章は続き、ジェインはライム・ジュース・コーディアルだわ、という。ライム・ジュースのような味なのだろう。

ふたごのちびちゃんたち、赤ん坊のジョンとバーバラも飲ませて貰って、バーバラなんかは、まるでネコみたいに喉を鳴らして満足そうだ。わたしにも、ねえ、わたしにもちょうだい。メアリー・ポピンズ!

それからメアリー・ポピンズは、もう一さじついで、しずかにじぶんでのみました。『ラム・パンチ。』といって、舌をならして、びんのせんをしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.24)

わたしは飲ませて貰えず、そのことが本気で残念に思われるほど、物語の世界に完全に入り込んでいた。不思議な飲み物の場面一つとっても、ひじょうに丹念に描かれている。

メアリーの恋人らしい画家兼マッチ売りのバードが描いた絵の中に、メアリーとバートが入っていく過程は、「メリー・ポピンズ リターンズ」の中でメアリーや子供たちが壺の絵の中に入っていくそれとは比較にならないくらい自然な成り行きでありながら、原作は映画にはない神秘性と詩情を湛えている。

その前の場面で、バートは絵が売れず、メアリーをお茶に誘えなかったと書かれていた。メアリーはバートにいった。「けっこうよ、バート。気にすることはないわ。お茶にいかないほうが、いいくらい。どっちかというと、おなかにもたれるから――ほんとよ」(トラヴァース,林訳,2003,p.25)

バートは、白い手袋をはめたメアリー・ポピンズの手をとると、かたく、にぎりしめました。そしてふたりは、ならんで、かきならべた絵の列にそって歩きだしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

絵の描写も細やかだ。その絵を見たメアリーはいう。「『まあ、バート。すばらしいじゃないの!』そして、そのいいかたは、その絵が、ほんとなら王立美術館にかざるのがあたりまえなのに、というようにきこえました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

メアリーがバートの絵に心酔していればこそ、バートの誘いにのったメアリーは彼と絵の世界に入ることができたのだろう。それは、魔法というにはあまりにも自然で、美しい。

<ここから引用>
そこは、なんてあおあおとしていて、なんてしずかなのでしょう! そして、足もとの芝生は、なんとまたやわらかで、こまやかなことでしょう! ふたりは、とても、ほんとうだとは思えませんでした。しかし、緑の枝は、下をくぐろうとすれば、帽子にあたって、さわさわ音をたてましたし、歩いてゆくくつのまわりには、いろいろの小さな花が、まつわりつくようでした。ふたりは、おどろいて顔を見あわせました。
<ここまで引用>
(トラヴァース,林訳,2003,pp.36-37)

恋人たちはそこで、現実の世界では叶わなかったお茶の時間を楽しむ。

原作は映画と比較すれば本当に自然な感じで、バンクス夫妻は長短併せ持つ普通の人々だ。バンクス夫人は映画とは違って、リベラルな社会活動などしていず、家にいる。

普通の人々が脇を固めているからこそ、闖入者達の風変りっぷりが際立つのだ。

神智学の影響は作品全体から感じられた。特にそのように思えた箇所を引用しておきたいが、それはまとめの段階で。これから、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を読む。

ところで、鍋にかまけていたと先述した。これは次の記事で。

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2019年2月18日 (月)

神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親、パメラ・リンドン・トラヴァース

このところの一連の記事を神秘主義エッセーブログにまとめ、萬子媛の小説ノートをアップしてようと思っていたところ、またしても新たな課題が出現した。

また小説に入るのが延びるが、これは嬉しい課題で、大雑把にでもまとめておきたい。

神智学の影響を受けたパメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)とその作品について、である。

実は昨日、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を娘と観た。夫は「アクアマン」を観た。面白かったそうだ。

わたしも還暦を過ぎ、「シニア割引」を利用できるようになったため、一人で映画を安く観ることができるようになった。これまでは「夫婦50割引」を利用していて、夫の好みに合わせていた。

「アクアマン」も観たい気がしたが、児童文学作品の映画化となると、どう映画化されたのか気にかかり、その関心から観たいと思うことが多い。

前作、1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(原題: Mary Poppins)は、テレビで視聴した記憶がある程度だった。ジュリー・アンドリュースが大好きなので、「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「2ペンスを鳩に」「お砂糖ひとさじで」など、劇中の名曲を集めたLPレコードを持っていた。

で、昨日観た「メリー・ポピンズ リターンズ」だが、前半は夢見心地にさせてくれる美しい映像に加えて、メリー役の綺麗なエミリー・ブラントが頑張っているところ、子供たちの可愛らしさが好ましく、楽しめたが、後半になると原作にも前作にもない、説教臭さやストーリーのあざとさが見えてきて、警戒心が出てきてしまった。

前作の記憶が曖昧だったので、はっきりとしたことはいえないながら、こんなに赤い――リベラルっぽい――印象の映画だったかなと疑問が湧いたのだった。

「くるみ割り人形と秘密の王国」もそうだったが、最近のハリウッド映画は、底抜けに楽しませてくれない。

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

前作の舞台は1910年のロンドン。

続編リターンズの舞台は、25年後のロンドン。

その時代はガス灯、大恐慌時代のロンドンで、ガス灯掃除人の白人たちが貧困暮らしを強いられている風だ。長女ジェーンは前作の母親がそうであったように社会活動をしている。母親が女性参政権運動をしていたのに対して、ジェーンは労働者の支援活動をしている。弟マイケルは妻を亡くし、経済的窮地に陥っていた。

ところが、その1935年のロンドンでは――ありえなかったことだが――黒人が弁護士を勤めていたり、銀行の案内係を勤めていたりと見事に社会進出を果たしている。一方、白人間では、依然として、ひどい格差があるようだ。

キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr. 1929 - 1968)がアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し、アメリカ各地で公民権運動が盛り上がる中、“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行ったのは1963年のことだった。

インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙されたキング牧師は、徹底した「非暴力主義」を貫いたことで、有名である。ガンディーは過去記事でも書いたように神智学協会の影響を受けている。

ガス灯の時代に黒人の社会進出が実現しているかのような、ちぐはぐな描きかたになったのは、イデオロギーを感じさせない原作の映画の続編にイデオロギーを捻じ込んだためだろうか。

そうではなく、たぶん、リターンズで描かれた社会は1935年のロンドンではなく、現代のロンドンあるいはアメリカなのだ。

原作のメアリー・ポピンズも、映画の前作メリー・ポピンズも、時の政治体制外にいるニュートラルな存在で、そのポピンズから見れば、ブルジョアであるバンクス夫妻の子供たちは貧困者だったのだ。

よい家に住み、よい服を着、御馳走を食べなれている子供たちは、ある意味で、懐の寒い庶民の子供たちと同じくらいか、それ以上に貧しかったのである。鳩にあげる餌の代金2ペンスさえ自由にならなかったのだから。厳格なうえにケチな父親のせいで。

社会活動に忙しい母親のせいで、愛情にも飢えていた。メリーに映るバンクス家の子供たちはある意味で貧しい、愛情に飢えた子供たちだったのだ。

バンクス氏は首を宣告されたときになって、メアリー・ポピンズの魔法の言葉を思い出して愉快になったことで金銭欲から解放される。それを見届けるのを待っていたように、前作のメアリーは去っていった。

子供達がバンクス氏に差し出した小遣いが、続編のリターンズでは、何と投資としての効果を生み、いつしか莫大な儲けとなって、マイケルの窮地を救い、一家は家を手放さずに済む。

そして、この続編のメリーはブルジョアジーの味方である。家族を抱えているに違いない大勢のガス灯掃除人(自転車アクロバット野郎)をビックベンにロック・クライミングさせて平気だ。

どんな義理があって、大勢の貧しいガス灯掃除人達はバンクス家のために命を賭けてロック・クライミングしなければならなかったのだろう? 労働者の団結を謳い、支配者に隷属させる構図が透けて見える。

皆が公園で風船遊び(?)に興じた4年後の1939年に、現実の世界では大戦の火蓋が切られた。

原作、前作に比べて、メリーの魔法は人々に気晴らしをもたらすだけのただの余興となっていた。

続編リターンズからはグローバリズムの肯定、共産主義礼賛が嫌でも見てとれ、ハリウッドはかつてソ連共産主義者で赤かったが今は中国共産党の影響で赤いという河添恵子さんの指摘が正しいことを感じさせられた。穿った見方だろうか。

以下の動画は、【Front Japan 桜】ハリウッドの反トランプは親中国共産党!? / 「蛍の光」とセンタ ー試験問題 / 北方領土問題、何かが動く?[桜H31/1/23]。

映画の原作となったトラヴァースの本を図書館から借りた。児童図書を借りるのは、子供が本を借りようとするのを邪魔するようで悪い気がするが、幸い同じ本が何冊もあって、新しい本以外は眠っていることがわかった。映画の影響か、新しい『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は貸出中。

眠っている何冊かの本の中から一冊借りた。新品のように綺麗だ。大人たちが昔ほどには純文系の児童図書を子供に読ませなくなっているのだろうか。書店員だった娘は、そんな風にいっていた(現在は転職して病院勤め)。

「メアリー・ポピンズ」シリーズは全10巻である。

  • 1934年(35歳)第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)
  • 1935年(36歳)第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)
  • 1943年(44歳)第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)
  • 1952年(53歳)第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)
  • 1962年(63歳)第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)
  • 1968年(69歳)第6巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』
  • 1969年(70歳)第7巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)
  • 1975年(76歳)第8巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery Book with a Story)
  • 1982年(83歳)第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)
  • 1988年(89歳)第10巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)

借りた本は以下。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

まだこれから読むところなので、どの程度の加筆になるかはわからない。神秘主義エッセーブログにアップする予定。

トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers』に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読である。神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるが、トラヴァースが神智学の影響を受けていたとは知らなかった。

グルジェフといえば、ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888 - 1923)も、グルジェフの影響を受けていたのではなかったか。マンスフィールドは、ヴァージニア・ウルフがライバル視した短編小説の名手であった。

「メリー・ポピンズ リターンズ」の描きかたに疑問を抱かなければ、トラヴァースについて特に調べることもなく、神智学の影響についても知らないままだっただろう。

それにしても、神智学協会の影響による文化的業績が片っ端から赤く染められていっているようで、嫌な感じがする。

このところ児童文学作品に触れる時間がなく、飢えていた。萬子媛の小説が遅れるけれど、しばしトラヴァースの作品に純粋に浸ってみたい。

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2019年2月13日 (水)

病気、瞑想について、ひじょうに慎重だったブラヴァツキー。全くの黒魔術である前世療法。

この記事は、一昨日書いたことの続き、あるいは補足になる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)によると、1888年、神智学協会の秘教部門が創立された。

ブラヴァツキーの死後、彼女が秘密厳守として部門に授けた教えを、ある弟子達が誓いを破って公開した。近年、「秘教部門の教え」は、同題の単行本として出版され、『ブラヴァツキー文集』の第12巻にも出ており、前掲書『実践的オカルティズム』の第三部「『秘教部門の教え』より」は、そのわずかな一部だそうだ。

秘教部門は前掲書によると、神智学協会を創立当時の線に戻すために、「勇敢な魂の持ち主達の選ばれたグループ、本当の霊的進歩と魂の智慧を渇望している信念の堅いわずかな男女」の間で「同胞愛的結合を増進することにより、神智学協会全体の未来の成長を正しい方向に向けるよう助ける」目的で、創立された。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.148)

この秘教部門の段階は、実践的オカルティズム即ちラージャ・ヨーガを学ぶための見習いの段階とある。ラージャ・ヨーガとは、「瞑想によって悟りの境地に入る修行法。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』はこの根本聖典である。(略)」(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,「用語解説」p.27)

「いくつかの例外的な場合以外は、学徒は物質化現象の起こし方を教えられることはなく、いかなる魔術的な能力を発達させることも許されない」。「秘教部門の本当の部門長はある大師である。H・P・ブラヴァツキーはこの部門のためのこの方の代弁者である」。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,pp.145-146)

このような記述からすると、『実践的オカルティズム』で紹介された第三部「『秘教部門の教え』より」で述べられていることは、ある大師のお言葉と考えてよい。

必読書として、シークレット・ドクトリン、バガヴァッド・ギーター、道の光、パタンジャリのヨーガ哲学、三種類の雑誌が挙げられている。

21条からなる「秘教部門の規則」の中に、飲食に関する注意がある。「あらゆる種類のワイン、酒、アルコール飲料、麻酔性または麻酔性の薬を飲むことは厳重に禁止」、それが守られなければ、全てが台無しになるという。このようなものはすべて、「脳と特に第三の目即ち松果腺に直接有害な作用をする」からだ。煙草は「あまり多量に吸わなければ禁じられていない」(乱用は当然ながら有害)とある。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156)

食事については「肉食は禁じられてはいないが、野菜、魚で健康を維持できるなら、そのような食事を勧める」とある。その理由は「肉食は情欲性質を強め、所有欲を強める」ため、「低級性質との戦い」が一層難しくなるからである。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.157)

また、病気の治癒に関することで、次のように述べられている箇所がある(下線引用者)。

<ここから引用>
自分の仕事上の用務や社会的な関係の管理、人生の出来事についての命令や指導を願ってはならないし、自分のためであろうと、他人の場合であろうと、病気の治癒についての指示を願ってはならない。与えられた教えについての質問だけが受け入れられ、答えられる。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156)

心身を清浄に保つための心得が述べられているが、下線部分からすると、病気に関することはプライベートな問題としてタッチされていなかったようだ。

「倫理、科学、哲学に関する質疑応答」という副題を持つ、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987・初版、1995・改版)には、菜食主義について語られた箇所で、次のようなことが書かれている。

<ここから引用>
 もう一つ聞かせて下さい。秘教部門の会員達が病気になった時は、食べ物はどうしますか?
 もちろん、いちばんよい医者の忠告に従います。私達はけっしてこの点に厳格なルールを押しつけはしないことがまだお分かりになりませんか? このような問題については、私達は理性的な見方をしており、狂信的ではないことをしっかりと覚えておいて下さい。もし病気や長い習慣でどうしても肉がなければ生きられないというなら、どうして食べさせないなどということがありましょう? 肉食は罪ではありません。少し進歩を遅らせるだけです。なぜなら、結局、純粋に肉体的な作用や機能よりも、人間が考えたり感じたりすること、その人が心にいだいている望み、また心の中に根づき成長させているもののほうがずっと重要ですから。

<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1987,p.253)

前掲書『実践的オカルティズム』の中で、ブラヴァツキーは無知な瞑想に対して、次のように警告している。

<ここから引用>
本当の瞑想についての表面的で歪められた知識しかもたずに「ヨーガのための座禅を組む」ことは、ほとんど例外なく悲惨な結果を生じる。十中八、九学徒は霊媒的な能力を開発させるか、時間を無駄にして瞑想とその理論が嫌いになるかどちらかである。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192)

近年流行しているらしい前世療法は催眠療法の一種のようだが、同書の中で、催眠術は黒魔術だとはっきり述べられている。

<ここから引用>
実際は、生体解剖者という温厚な紳士達や医学博士号をもつ催眠術師達も同じ黒魔術を行っているのだが、ヴードゥー教徒やドュグパ達は意識的黒魔術師であるのに対して、フランスの神経病学者のシャルコー氏やリシュ氏のような方々は無意識的な魔法使いである。どちらも、よかれあしかれ黒魔術での努力の実りを取り入れなければならないが、西洋の医師達が黒魔術から得られる利益や楽しみを受けず、罰や汚名だけを被るのは気の毒なことだ。このような学派で実行されている催眠術や生体解剖らはヴードゥー教やドュグパがもっているような知識はないが、全くの黒魔術なのである。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192)

関連記事に、拙「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 77 「前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない」がある。

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2019年2月12日 (火)

五十肩の再発と回復の経緯を三浦先生の著書で確認してみる。ブラヴァツキーの病気と貧乏。

このところ、雑用で忙しかったのに加え、五十肩――もう六十だが――を再発(何回目かな)したということもあって、記事の更新が間延びした。

今回の五十肩の再発は左肩で、無理な動かしをしたのか、再発の数日前からおかしかった。用心すればよかったのだが、忙しさの中で、注意を怠った。その結果、左肩が激しく痛み出し、腕がほんの少ししか上がらなくなった。

家事に手間取る。皿を食器棚の上の棚に上げるとき、洗濯物を干すときは踏み台が必要。着衣に手間取る。就寝時は、左肩が落ちると痛いので、クッションがいる。

炎症が悪化するのも時間の問題と思われた。今回のはひどくなりそうだとの予感がした。

わたしは一旦五十肩を発症して成り行きに任せれば、下手をすれば、2年ぐらい整形外科に通う羽目になるのだ。重症といわれ、手術が検討されたこともあった。

このことと、骨に異常が表れやすい副甲状腺機能亢進症の疑いで内科で経過観察していただいていることとが関係あるのかどうかは不明。

五十肩の最初の発症は2006年だった。後に右肩もなったが、左肩から始まったようだ。

2006年6月 2日 (金)
整形外科受診 - 左の肩関節周囲炎(五十肩)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_8164.html

別件で年に一度、整形外科で経過観察していただいており、それが来月の予定なのだが、受診日まで我慢できそうにないと思い、「どうしよう?」と夫に相談した。「うーん、受診したら?」と夫。「そうだ、あれ、やってみようかな」とわたし。「あれって?」と夫。「あれったら、あれよ」とわたし。夫にはわたしの試みがわかっている。

過去記事で何度か書いたように、想像の白い光を患部に放射するのだ。

2017年12月18日 (月)
腰痛のその後、最強のオーラビーム?
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/post-1.html

昔確認したように(「枕許からのレポート」参照)、ハートが清浄な光の源泉であることは確かである。

光源と書くべきかもしれないが、光が水のように迸るさま、溢れて充満するさまには、源泉という表現のほうが合う。その光は単純な肉体的不具合にとてもよく効く。

放射してしばらくは、あまり効き目が感じられなかった。徐々に回復してきて、数時間後には夫に左腕を上げてみせることができた。調子に乗ってブンブン振り回したら、また少しおかしくなったので、再度放射。翌日には普通に戻っていた。

いい加減に、この辺で、回復した経緯をヨガの本で確認しておくべきだと思った。

ヘレナ・レーリッヒの本は示唆的で、精神的に昂揚してくるような美しい表現で著されているが、霊的治療に関しては抽象的だ。

<ここから引用>
治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。
(略)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。
<ここまで引用>
(アグニ・ヨガ協会編(田中恵美子訳)『ハート』平成17年9月1日コピー本復刻、竜王文庫、2005、p.51)

他に、具体的に技法を解説した本はなかっただろうか……長尾雅人編『中公バックス 世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』(中央公論社、1979)所収、パタンジャリ「ヨーガ根本聖典(ヨーガ・スートラ)」を読んだ。うーん。そうだ、三浦先生の本だと思い、本棚を漁る(漁らなくてはならないほど不勉強だった。反省……)。

序に「本書『大直感力』はヨガの聖典をもととし、且つヨガの代表的文献を実証とし、初歩の呼吸から説いて、ヨガ(統一)瞑想の最高級までを説くものであります」と書かれているように、三浦関造『大直感力』(竜王文庫、1959・初版、1979・11版)は、本格的なヨガの技法の奥義書である。

わたしは三浦先生のような師匠にこの世で出会わない限り、この中の技法を試みる勇気はないが、竜王会には、教えを受け継ぎ、綜合ヨガのヨギ――実践者――の育成を行っている会員がおられる。

わたしがハートの光を患部に放射するやりかたは、痛みに耐えられないと思う中でいつしか自分で自然に行うようになったものなので、このやりかたの裏付けとなる文章を三浦先生の著作の中で見つけられたら、これが科学的な原理に則ったものであることがわかり、安心できるような気がする。そして、それをブログに書くくらいのことは、三浦先生に許していただけるのではないだろうか。

以下に書くことは、あくまでわたしのやりかたにすぎない。

前述したように、ハートが清浄な光の源泉であることは確かだ。胸の奥から白い光が部屋いっぱいに溢れ出て、その光に浴していることは、わたしにはよくあることだから。

ハートの一点から光を患部に送ろうと決意するとき、わたしの意識は頭頂にある。そこがなぜか涼しくなるのだ。患部がどこかを探るとき、意識は額に移っている。ここが患部だと思ったとき、意識はさらに喉に移っている。そして、思いを定めるとき、意識は自然に胸に移動して、そこから光を患部に向けて放つ。

果たして、ちゃんと読まなければと思いつつ、あまり読んでいなかった三浦関造『マニ光明ヨガ』(竜王文庫、1959・初版、1981・5版)を紐解くと、その中の一文が目に留まった。

もしかしたら、自分では忘れていても、以前に先生の本で読んだその記述がわたしの記憶にあり、痛みの中でその記憶が甦って実行したのかもしれない。あるいは、田中先生がご存命だったころに大会で学んだのかもしれない。あるいは、前世の自分が行っていたことなのかもしれない。

いずれにせよ、次の一文がわたしの方法に合致するように思われるのだ。

<ここから引用>
頭の中心マニから光明エネルギーを発して、眉間から甲状腺を通り、心臓の中心に送り、今度は反対にそれを頭の中心に返へす。これを数度くりかへして最後に胸腺から全身に発散させることは、イエスが「全身光に満さる」といわれたことで、これで以て体内の欠点を正す。
<ここまで引用>
(三浦関造『マニ光明ヨガ』竜王文庫、1981・5版)

中心マニとは、チャクラでいえばササスハラと説明されている。頭の中心と書かれているが、わたしは頭頂付近に微妙な点があることを感じる。そこがむず痒かったり、涼しかったり、振り絞られるような気のすることがある。

<ここから引用>
チャクラ  Chakra
 サンスクリット語で輪を意味し,人間のエーテル複体の表面にある一連の車輪状の渦を指す。或いは脊柱に相応する管腔内に位置する。エネルギーの流入及び流出の焦点(中心)であり,力を貯える。主な中心が七つあり,肉体の内分泌腺に相応している。

<ここまで引用>
(竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980、p.40)

眉間に位置するのはアジナー。喉に位置するのはカンサ(またはヴィシュダ)。心臓に位置するのはアナハタ。

他に、マニピュラ、スワジスターナ、ムラダーナといった全部で七つのチャクラがある。

わたしが自分の患部に送っていた光を全身に発散させれば、体内の欠点を正すことができると三浦先生はお書きになっている。

不具合の起きている心臓にこそ、真っ先にハートの光を送るべきかもしれないが、わたしには心臓の不具合の原因がはっきりわかっており、自分ではその原因をどうすることもできないので、心臓に関しては目下医療に頼っている。

心臓といえば、ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)には、ブラヴァツキーが自分の心臓と肝臓の病気について書いた悲痛な文章を思い出す。

<ここから引用>
「私には二つの致命的な病気があります。心臓と肝臓の病気です」と彼女はシネットに書きました。「心臓はいつ破裂するかもしれませんし、肝臓は二、三日で私をあの世へ送ることでしょう。これはみな、この五年間、絶え間ない苦闘と心配と抑圧された情緒のためです。グラッドストーンのような偉い人だったら、詐欺師と言われても笑いとばすでしょうが、私にはどうしてもそういうことはできません」
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.293-294)

ブラヴァツキーが今なお誹謗中傷に晒されていることを思えば、何ともいえない気持ちにさせられる言葉だが、彼女が自分の貧乏について率直に語った言葉も、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』には出てくる。

ブラヴァツキーの妹ヴェラは姉と同じ著述家だった。ヴェラは議論好きで、あるとき次のようにいった。

<ここから引用>
「ねえ、お姉さんがよく幻姿を見せているのを私は見て来ましたが、貴女が本当に物質的なものがつくれるとは信じていませんよ」
「いいですよ、貴女がそんな愚にもつかないことを信じようと信じまいと、私の知ったことではありません」
「愚にもつかないことではありません! もし、貴女に金や宝石をつくれるなら、私と貴女を金持ちにすることが出来ます。例えば、私達は安いアパートを探すことはないでしょう。私達は一番いいものだけを持つべきです」
 ヘレナは笑いました。「それは魔法、黒魔術でしょう。それは害があるだけですよ」
「充分なお金があって、何の害になるの?」
 ヘレナは煙草の籠のある所へ行き、きゃしゃな手で煙草を巻きはじめました。
「ヴェラ、この人生で貧乏なのは、貴女と私のカルマに過ぎませんよ。もし私達が金持になる為に、神聖な力を使ったなら、今生だけでなく、おそらく未来の何世紀も二人とも破滅するでしょう」
「では、もしそういうものが害となるなら、貴女が他の人達に与えたといわれている贈り物はどうなの?」
「ねえ、わからないの? 僅かなつまらぬものをつくっても、誰も金持ちにはしませんよ。でも、馬鹿な物質主義者に人間の中にひそむ神の意志の可能性を示すことは出来るでしょう」

<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.335-336)

ここでのヴェラとのやりとりから、ブラヴァツキーが自分のカルマをどう考え、どう対処したか、また、オカルティックな実験をどのような意図で行ったかがわかる。

ブラヴァツキーを指導したアデプト(イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通されたかた)のお一人であったK・H大師は、ブラヴァツキーについてシネットに次のようにお書きになった。

<ここから引用> 
わたしは君に誓うが、彼女は決して詐欺師ではなかったし、わざと嘘を言ったことはあったためしがない。また彼女は崇高な誓いをたてて誓ったので、度々困ったことはあるが、沢山のことを秘密にしてかくさねばならなかったのである。彼女は現象を起こすことが出来るし、実際に行った。それは彼女の生れつきの力に、長い年月の規則正しい訓練が加わったもので、彼女の現象は高い秘伝をうけた弟子達の或る者よりも、時にはすばらしく、ずっと完全である。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,p.322) 

並外れた人物であったブラヴァツキーが、如何に雄々しく、また人間的に多くの困難に耐えたかが『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を読むと、よくわかる。

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