カテゴリー「神秘主義」の235件の記事

2017年3月18日 (土)

17日に、循環器クリニック受診。家で尿管結石に奮闘。

最近体調がいいので、うっかり受診を忘れるところだった。検査日で、血液検査の結果は当日は出ないが、いつも潜血反応プラスだった尿は綺麗だったそうで、心電図も綺麗だとか。

尿路結石ができやすいのだが、実は1週間くらい前に結石が出た。その数日前から腰がだるかったり、下腹部が痛んだりして、強い残尿感を覚えるようになった。

以前であれば慌てて泌尿器科を受診しただろう。結石であることはわかっているので、それがいつもと違って大きくて自然排出できない場合以外は水分を多めにとり、出てくるのを待つ。

自然排出できない場合は専門医にかかるしかない。結石によって閉塞してしまうと、尿路感染症を起こしたり、長期間続くと腎臓が拡張して水腎症を起こし、ついには腎臓の組織を損傷してしまうらしい。

結石が出口に詰まって尿が出なくなったときは、慌てた。物凄く痛いし、排尿は行いたい――で、脂汗が出てしまった。救急車を呼ぼうかとさえ思ったが、身動きできず、病院に行く図がどうしても想像できない。

石さえ出ればいいのだ。

出したいものを出せないというのは、恐怖だ。力を入れると星が目の前に出てくるほどに痛かった。結石は出なかったものの、隙間から上方に尿が飛んだ(女性の身にとっては驚かされる現象)。

何度も力を入れて結石の隙間から少しずつ飛ばしていくと(?)、拡張していた膀胱が縮小していったらしく、楽になった。そのときは結石がとれなかったので、残尿感は消えないまま、日常生活を送った。

排尿のたびに痛くて尿はスムーズに出てくれなかったが、それを何回か繰り返しているうちに結石がとれた(らしい)。

今回は泌尿器科を受診したほうがよかったのかもしれない。しかし、結石の痛みがあるときは病院に行くのも大変だ。

以下は神秘主義的な覚え書きを含むので、苦手なかたはスルーしていただきたい。

結石のせいで、尿道が傷ついたらしく、沁みるような痛みがあったので、わたしは傷む部分に向けていつもの神秘主義な方法を試してみた。過去記事でも書いた。傷の治りが早いと期待して。ちょっと引用してみる。

  • 2017年1月18日 (水)
    グキッ! ひー!
    http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/01/post-a4af.html
    前世で行っていたヨガ的技法を自然に行っていることがある。腰痛に対処するために白い光を患部に送ったときはまず目を閉じて眉間のチャクラに注意を集中し、その意識を喉のチャクラへと落とし込み、さらにはその意識を胸のチャクラから溢れ出た白い光に溶け込ませて、それを患部に向けて放った。
    患部に集中的に光を注ぐだけでなく、浄化の白い光が全身をめぐり、迸るところも想像したほうがよいと思う。体のどこかで起きたことは全身的な現象であるからだ。
    全て、想像力のなせるわざだが、見える人間には見えるこうした浄化の白い光は現実的な優れた治療薬ともなるだろう。

これは前世で身につけたと思われる我流のやりかたなので、積極的におすすめするわけにはいかないが、最近メールをいただいた竜王会・神智学協会の会員N氏は、似た方法を神秘主義者の文献で読んだとお書きになっていた。

わたしはエレナ・レーリッヒの『ハート』に、次のように書かれているのを再発見した。「治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。(……)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。」(アグニ・ヨガ協会編『ハート(平成17年9月1日コピー本復刻)』田中恵美子訳、竜王文庫、平成17)

わたしはこれまでに例外的に数回、遠方に送ってみたがある。

結石を排出したことをクリニックの先生にお話しすると、「今日は尿はとても綺麗だよ。前回は潜血プラスだったけれど」とちょっと不思議そうにおっしゃった。

そう、何年も潜血プラスでなかったことはないほど、尿検査のたびに潜血プラスで、原因ははっきりしなかった。

最近、腰痛とか結石とかの痛みから前述した神秘主義的な方法を試みる機会があり、それは全身的に作用することを期待した方法であるせいか、体調がよく、検査結果がいい。まあ、季節が体調に合っているお陰かもしれないけれど。

薬はいつもの通り。

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2017年3月 3日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ③入定とイデアの意味不明なハルキ的関係

このノートを書く前に再びアマゾンレビューを閲覧した。レビュー数が増えているぶん、批判的なレビューも増えていた。

批判的なレビュアーの中には、ハルキストと呼ばれていた人々も結構含まれている気がする。ハルキバッシングに発展する可能性すらあると思えた。

村上春樹がファンの一部から見放された原因は何だろう?

まだ第一巻を読んでいる途中なのだが、全体をざっと確認したところでは、かつてのムーディなところ、お洒落な趣向、リリシズムなどがそれほど感じられず、よく出てくる性描写にしても乾いた、即物性な印象を受け、どうしたのだろうと思ってしまったほどだ。

南京事件の採り上げかたにしても、ノモンハン事件を作品に採り上げたときのような、相変わらずの無造作さで、この御時世にこれではさすがに日本では左派、反日勢力以外の一般人には受け容れ難いものがあるだろう。

ネット検索中に閲覧した記事で、どなたかが村上春樹は中共のハニートラップにやられたのではないかとお書きになっていて、なるほどと思ってしまった。

すぐに寝て、どこへともなく姿を消す女たちの行動を女性諜報員たちのハニトラと思えば、納得がいく。さすがに一般人も騙されなくなってきた中共の工作を真実と疑わないところからも、そう空想させてしまうところがある。

女性たちの娼婦めいた描きかたは初期の作品から一貫したものではあった。それでも、例えば、『ノルウェイの森』では直子、緑、レイコといった主要な登場人物となっている女性たちにはきちんとした肉づけがなされ、描写は繊細であり、筆力にみずみずしさを感じさせるものがあった。

それがこの作品では、意図的なのかどうか、味も素っ気もない描きかたで、女性たちの魅力のなさという点では、わたしが読んだ中では一番といえるかもしれない。読んでいる途中なので、早計な判断かもしれないが。

しかし、作品をざっと見て、わたしがあっと驚いたのは「入定」が出てくる箇所だった。

萬子媛の入定を知った今のわたしにはあの描きかたは知識不足にとどまらない冒涜に思えたが、唯物論の信奉者の理解ではあれが限界なのだろうか、と勉強になった気がする。

イデアも出てきて、プラトンのイデア論をいくらか参考にしている風でもある。

ところが、プラトンでは永遠の真実在であるイデアが春樹の作品の中では、入定を試みた結果、失敗してお化けになった――とは書かれていないが、あの状態からすると、神秘主義的にはそうである――人物が絵の中の人物を借りて現われ、「あたしは霊であらない。あたしはただのイデアだ。」(村上春樹『騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編』新潮社、2017、352頁)とホザくのである。

この記事は書きかけです。

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2017年2月24日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ①ひ、美しいプラトン用語が第1部のタイトルに!

村上春樹の新作が新潮社から出た。『騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編』『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』である。

読んでいないのだが、ショックを受けた。

プラトン哲学の中心概念として、あまりにも有名なイデア。それが第一部のタイトルに使われていたから。

以下はウィキペディア「イデア」より。

まず、ギリシア語の語彙体系について若干説明しておくと、ギリシア語では、見るideo系統の用語としては、ideinとeidoがあった。eido の過去形 eidon に由来する「eidos エイドス」という言葉のほうは「形」とか「図形」という意味でごく普通に用いられる言葉であった。
プラトンにおいては、エイドスとイデアは使い分けられており、イデアに特殊な意味が与えられた。

ウィキペディアの執筆者. “イデア”. ウィキペディア日本語版. 2015-12-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2&oldid=57806205, (参照 2015-12-07).

イデア論は、プラトン中期の著作『パイドーン』で初登場し、『パイドロス』に至るまで積極的に展開され、それ以降は変遷していく。

『パイドーン』では、魂の不死性の証明が試みられている。想起説が証明に用いられ、その想起説の前提として語られるのがイデア論なのだ。

何度読んでも、『パイドーン』の中で語られる、あの世の壮麗な描写には感動させられる。プラトンの作品は読みやすいので、騙されたと思って、読んでみてほしい。『パイドーン』『パイドロス』については、以下の過去記事の、ブラヴァツキーの著作に関するメモの中で若干触れている。

村上春樹がイデアという言葉をどのように使ったのかは知らない。

彼の濁りを感じさせる過去の小説と、明るく清浄なプラトンの『パイドーン』とは似ても似つかず、村上春樹はいつものようにお気に入りの言葉を軽薄な気持ちでムード的に使ったのだろうと想像せざるをえない。

過去記事でも書いたように、創作作業を通して、プラトンのイデア論がわたしには実感としてわかる気がする。プラトンのイデア論は、インスピレーションが訪れたときに、ひじょうにリアルに感じられるのだ。

信じてはいただけないだろうが、これも過去記事で書いたように、わたしには物心ついたころから前世に関するわずかばかりの記憶と、また、あの世の光や空気がどんなものであったかの記憶があった(これは当然、一回ごとに新しくなる肉体の脳の記憶とは考えられないため、霊的な記憶と考えている)。

『パイドーン』で、あの世の光景が描写されているのを読むと、郷愁を抑えることができない。

村上春樹の過去の作品からは、高級世界という意味でのあの世に関する概念を彼が持たないことが察せられる。彼の作品で描かれるのはこの世、及びカーマ・ローカの領域のことに限定されているように思われるのだ。

神智学用語ともなっているサンスクリット語カーマ・ローカは、主観的で見えない半物質的世界をいい、古代ギリシア人のハデス、エジプト人のアメンティに相当する沈黙の影の国のことである。

村上春樹の小説の享楽的、催眠的で怪しげな魅力はそこから来ているように思われ、若い人にはあまりすすめたくないタイプの娯楽小説だとわたしには思えてしまう。

村上春樹のこうした限定的な世界観は、彼が唯物論的世界観しか持ちえていないことを意味しており、それはおそらく彼が左派であることと無関係ではない。

村上春樹『騎士団長殺し』をそのうち読んで感想を書きたいのだが、図書館で借りるか、文庫本になるのを待つことになるだろう。以下は、アマゾンのキンドルストアで販売中の村上春樹を論じた拙電子書籍。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

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2017年1月18日 (水)

グキッ! ひー!

昨日、ゴミ箱にポリ袋をつけるという何気ない動作をしていたときに、どうした弾みでか、腰がグキッ! となって、痛みが走った。

ひー、ぎっくり腰か? いや、下手をしたらそうなる……と思いながら、ソロソロと炬燵へと移動。

何とか座ったのはいいが、立とうとすると腰に強い痛みが走り、立ち上がれない。腰への思わぬ衝撃のためドッと疲れたので、横になろうとした。しかし、これもできなかった。

循環器クリニックに出かける予定で、なるべく家事を済ませておこうとバタバタしていたときのグキッ!だった。これでは循環器クリニックへ行くより、整形外科に行くほうが先だと思った。

日赤の整形外科へ行くのが間遠くなったというのに、これで予約外の緊急受診したりしたら、先生から呆れられるだろうな、と思う。第一、整形外科へ行くのも、支度するのさえ、腰の半端ない痛みと不安定感から動くのが怖くて、容易でなかった。

こんなとき、わたしはいつのころからか、ごく当たり前のように、患部に霊的な白い光を放射することで切り抜けてきた。わたしの経験では精神力が物をいうので、うまくいくとは限らない。

で、しばしそれを行うと、まだ不安定ながら何とか動くことができるようになったので、横向きになって寝てしばらく体を休めたあと、循環器クリニックへ出かけた(心電図をとって貰うときにお世話になる臨床検査技師さんとお話しした受診記録は、次の記事で)。

腰に痛みは残っており、不安定感もあったので、ぶり返したり本格的なぎっくり腰になったりする心配があると思った。

コルセットがあれば助かるが、ない。一番よいのは患部へ続けて白い光を放射することだとわかっているが、物ぐさなわたしには一心集中が億劫で、痛みが和らぐと、その気になれなくなってしまう。

とはいえ、前世の習慣からこうしたヨガ的技法を自然に用いてしまうところがわたしにはある。それなのに、ヨガの学習はほとんどやってこなかった。

竜王会ではヨガと神智学が二本の柱になっていると思うが、機関誌に掲載されるヨガ関係のものは不勉強になりがちだったのだ。

過去記事でも書いたように、ほんのわずかだが、わたしにはあの世と前世の霊的記憶があった。前世では修行僧の男性として生き、老人になってから人生を終えたのである。

前世でできなかった――すっかりないがしろにしていた――主に女性に課せられてきた役割を果たして、この方面の実際的な経験を積むということが、今生の課題としてあると自覚している。

あの世からこの世のためにボランティアをなさっている萬子媛がどんな風にその壮麗な仕事をなさっているかを感じて、改めて女性的な細やかな注意力、持続力、忍耐、何より母性的な香しい優しさがどんなに必要であるかを悟った。

死んだ後にあの世を楽しむだけで満足することもできるだろうが(おおかたの人はおそらく、そう)、人類の慰安や進化に積極的に関与したいと思うのであれば、大先輩方があの世でいくつも組織なさっているようなボランティア団体の一つに身を置くのがいいかもしれない。

神智学関係の方々があの世でも、そうしたボランティア団体の一つを組織していることは間違いない。

そうした方々に見守られてきたのを感じていながら、半世紀以上生きてきた今もわたしはこの世で何をしたらいいのかわかっているような、いないような具合だ。

前世で開いた――に違いない――チャクラを今生では自然に開けるのに任せることにしたのだが、それは竜王会における故田中先生の方針に重なるところでもあると思う。

ヨガの師として仰ぐことのできる三浦先生のような方がいらっしゃらない限り、それが賢明なことだろうと考えている。

といっても、前世で行っていたヨガ的技法を自然に行っていることがある。腰痛に対処するために白い光を患部に送ったときはまず目を閉じて眉間のチャクラに注意を集中し、その意識を喉のチャクラへと落とし込み、さらにはその意識を胸のチャクラから溢れ出た白い光に溶け込ませて、それを患部に向けて放った。

患部に集中的に光を注ぐだけでなく、浄化の白い光が全身をめぐり、迸るところも想像したほうがよいと思う。体のどこかで起きたことは全身的な現象であるからだ。

全て、想像力のなせるわざだが、見える人間には見えるこうした浄化の白い光は現実的な優れた治療薬ともなるだろう。

病気なども、ヨガの技法で治してしまうこともできると感じているが、病気である程度レベルを落としていなければ、わたしは不浄なこの世に耐えられない。病気を飼っているようなものだが、このままでいいと思っているわけではない。

腰の具合はかなり改善したが、念のために整形外科を受診したほうがいいかなあ。

最近、竜王会の会員のお一人からメールをいただいたのは、もう少し三浦先生のご著書を学習せよとのあの世の方々からのお達しだろうか?

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2016年12月12日 (月)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」(拙「神秘主義的エッセー」より転載)

以下の文章を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の 当ブログについて に加筆しました。

文学に傾倒してきたので、文学に触れたエッセーが多いのですが、当ブログのエッセーは神秘主義的考察に主眼を置いているため、文学的観点からのアプローチとは作風が異なっているかと思います。

また、前記事でお知らせしたように、当ブログの過去記事をもとに前掲拙ブログに 66 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②インド夜想曲 をアップしましたが、加筆しましたので、当ブログに転載しておきます。


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神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」


「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ(須賀敦子訳)『インド夜想曲』(白水社、1993)を購入して読んだ。

雑誌には「アントニオ・タブッキ・アンソロジー」と題され、6編の作品が邦訳されて載っていた。タブッキの作品を美しい日本語で読めることはありがたかったが、雑誌に掲載されたエッセイや論文には違和感を覚えた。

世の流れが変わってきて、第二次大戦後のリベラルによる情報操作が明るみに出てきたためか、神秘主義者のわたしはいささか被害妄想気味かもしれない。

しかし、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない面は徹底して無視、あるいは排除――漂白といったほうがよいだろうか――してしまおうという意志を読みとったように思ったのは、被害妄想気味になる前の話なのである。

自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、リベラルはタブッキを自分たちの側に力づくで引き寄せようとしているかのように感じられたのだった(自分がリベラルであるという自覚さえない文学者がわが国にはいるのかもしれない)。

堤康徳のエッセイ「タブッキが追いかけた影」には「世界は大きくて多様である。だからこそ美しいのだ」*1 というタブッキの言葉が引用されている。この言葉からタブッキが――リベラルに属していたとしても――いわゆるリベラルとは本質的に異なっていることがわかるのだが……。

リベラルには、多様性を認めないという特徴があるからである。

「タブッキが追いかけた影」にはリベラル的思考の特徴がよく出ているように思うので、さらに見ていくと、広島への原爆投下に関するトリスターノの言葉がタブッキの小説『トリスターノは死ぬ』(2004)から引用されている。

 あの犠牲者たちは不必要だと言われてきた。怪物の頭はすでにドレスデンとベルリンでつぶされていたし、アメリカが日本を屈服させるには通常兵器で充分のはずだったから。だがそれは誤りだ。不必要どころか、勝者にとっては有益そのものだった。あのような方法で新しい主人は自分たちだと世界に理解させたのだからね……。*2

わが国のリベラルは、このようにはいってこなかった。

日本が原爆を落とされたのは日本が悪かったからだとリベラルは主張し、教育し、運動してきた。だから、タブッキのこの引用に相応するような堤の言葉はない。

引用後、堤のエッセイは「トリスターノは、暑い八月に床に伏し、最期のときを待ちながら、八月の原爆の犠牲者に思いをはせる。八月は、タブッキにとって、なによりも死者と深くつながった月なのである」*3 という具合に、引用されたタブッキの文章とは無関係に続く。

谷崎潤一郎の墓のある法然寺を訪ねたときのタブッキの文章も引用されており、タブッキは谷崎の墓石に刻まれた「寂」一文字が印象的だったようだが、ここでも堤は谷崎の『陰翳礼賛』を出しに、陰翳美に対する礼賛から電力不足、さらには原発へと論点をすり替え、反原発運動へとつなげる不自然な印象操作を行っている。

電力不足といえば、家庭での停電と節電しか思い浮かばないところが国家というものを認めたがらないリベラルのお気楽なところである。

電力供給不足が製造業などに与える影響と、そこから懸念される倒産や失業、ひいては国力低下のことなど、どこ吹く風なのだろう。

また、堤のエッセイでは、タブッキが京都にかんするエッセイの冒頭に置いたポーランドの女性詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が部分的に紹介されている。

その詩は、1967年の詩集『百の喜び』所収の「あるホテルで書かれたもの」(Scritto in un allbbergo)と題された作品だそうだ(ピエトロ・マルケザーニのイタリア語訳)。

堤のエッセイで部分的に紹介された詩の後半部を、次に引用する。

ある紳士が
本当の涙を流した。
いにしえの文物の理解者、愛好者が、
山場を迎えた
会場の席上で
叫んだ、
結局、より劣った町はたくさんある!
そしていきなり泣き出した
椅子に坐ったまま。

こうして京都は救われた
広島より格段に美しかったので。
*4

そして、この詩との関連から堤は「この詩が京都の美しさへのオマージュであるとともに、あるいはそれ以上に、京都よりも美しくなかったために原爆の標的にされた広島の悲劇をアイロニカルにうたった挽歌でもあることを、おそらくタブッキは強く意識している」*5 と結論を下す。

「ある紳士」が皮肉を籠めて描写されていることから、詩の趣旨はそうだろうとわたしも思う。

と同時に、現実にこのような感傷的な会議が行われたとは到底思えないので、ジャン=ポール・サルトルの有名な言葉「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」式のリベラルらしいオールオアナッシング、詭弁めいた発想だと呆れる。

尤も、シンボルスカの詩とタブッキのエッセイを全文読んでみなければわからないことで、ただ、ここまでのタブッキの断片的な文章を総合して考えてみると、タブッキの意識はシンボルスカの詩に触発されて、自己の内面に深く向けられていたのではないかという気がする。

ところで、ブララヴァツキーとオルコット大佐が設立した神智学協会を知っている人間であれば、「武力紛争の際の文化財保護条約」のもととなったレーリッヒ条約の存在が第二次大戦中の京都の保護に貢献したことを知っている可能性がある。

このことに関しては、ニコラス・レーリッヒ『アジアの心』(日本アグニ ヨガ協会、1981)に詳しい。

1935年、アメリカ合衆国と二十のラテン・アメリカ諸国が、条約に署名した。レーリッヒ条約の批准ための国際的な仕事は、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる直前まで続けられた。しかし戦争の勃発によってその実施は不可能になった。1948年、インドはレーリッヒ条約と平和の旗を採用した。1955年、ハーグ会議の最終決定に調印した39の加盟国は、レーリッヒ条約に基づいた武装戦争期間中の文化財保護条約を批准した。*6

国際的平和運動であるレーリッヒ協定と平和の旗運動を考え出したニコラス・レーリッヒ(ニコライ・リョーリフ)は、ドイツ系ロシア人の画家で、ストラヴィンスキー『春の祭典』の舞台装飾で著名である。チベット探検でも知られている。また、ブラヴァツキーもそうだったが、レーリッヒ夫妻はモリヤ大師の弟子であり、アグニ・ヨガ協会を設立した。

果たしてタブッキは、このことを知っていただろうか。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska, 1923 - 2012)はウィキペディア「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」によると、ポーランドの詩人、随筆家、翻訳家で、1996年のノーベル文学賞他様々な賞を受賞している。

ウィキペディアから引用する次の文章を読むと、政治思想分野での葛藤が彼女にはあったようである。

最初の詩集が1949年に発行される予定だったが「社会主義の必要条件を満たさない」という理由で検閲に通らなかった。しかしながら、戦後ポーランドの他の知識人らと同様シンボルスカもまた政府のイデオロギーに早くから忠実なままで、政治の嘆願書へ署名してスターリン、レーニンそして社会主義の現実を絶賛した。(……)彼女はまたポーランド統一労働者党の党員となった。しかし、他のポーランドの知識人達が政治から退くのと同様、彼女も次第に政治と疎遠になりイデオロギーから関心を失っていき最初期の政治的作品を捨てた。それでも1966年までは党に残ったが、同時に反体制派と接触するようになった。(……)1981年から1983年までクラクフに編集部をおく月刊誌Pismoの編集者をした。1980年代中、パリのKulturaだけでなく地下出版のArkaにも「スタンチクフナ(Stanczykówna)」の偽名で寄稿することで反体制活動を強めた。*7

タブッキがエッセイの冒頭に置いたシンボルスカの詩は、1967年に出ているようだから、ウィキペディアを参考にすると、「1966年までは党に残った」とあるから、ポーランド統一労働者党員時代に書かれた詩だろうか。

『インド夜想曲』を訳した須賀敦子について、前掲誌では大きく採り上げられている。

優れた翻訳家であるが、須賀敦子の思想がどういったものなのかはよくわからない。

須賀の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセイを読むと、わたしは苛々してくるのである。

須賀の小説の登場人物や須賀の正体を知りたくて、ずいぶん読んだ。読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう須賀について知ることなどどうでもよくなって、遂には読むのをやめた過去があった。

夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀の作品群はそれとは対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

須賀の最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が須賀の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

須賀がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らない。作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像するほかはない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

神秘主義者は総合的に物事を見て判断し、行動するため、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語る。

わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読みとれるかどうかが問題なのだ。

訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品に神智学や神智学協会が登場するというのに、解説に神智学のしの字も出てこないことに疑問を抱いたのだった。

フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては単なる研究対象を超えた、大事な人物だったようだが、そのペソアのことが『インド夜想曲』の中でちらりと出てくる。

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Pessoa ID card foto 1928
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フェルナンド・ペソア(Fernando António Nogueira de Seabra Pessoa、1888 - 1935)はポルトガルの国民的作家である。

そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。『インド夜想曲』にちらりと出てくるその記述からすると、ペソアの訳を通して小説の主人公は神智学を知ったことになる。

英語版ウィキペディア「Fernando Pessoa」から引用する。

As a mysticist, Pessoa was enthusiast of esotericism, occultism, hermetism, numerology and alchemy. Along with spiritualism and astrology, he also paid attention to neopaganism, theosophy, rosicrucianism and freemasonry, which strongly influenced his literary work.*8

英語版ウィキペディアによると、ペソアは神秘主義者で、秘教主義、オカルト主義、ヘルメス主義、数秘術、錬金術に熱中したようである。スピリチュアリズムや占星術に加えて、彼の文学作品に強く影響を及ぼしたネオパガニズム、神智学、薔薇十字主義、及びフリーメイソンにも注意を払ったという。

薔薇十字団、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。

バルザックは薔薇十字団の団員(バラ十字会の会員)だったようだし、バルザックの父親はフリーメイソンだったという。

西洋人でフリーメーソンだったり、バラ十字会の会員だったりすることは珍しいことではないようで、文学作品にもよく出てくる。

フリーメーソンは複雑なので、少し説明を加えておきたい。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)によると、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型と自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フリーメーソンという石工組合からできた器には、各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られてきたようだが、イルミナティがフリーメーソンを侵食したことは重要である。

植田樹の前掲書によると、1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」*9 。

イルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年には解散させられているにも拘らず、その思想は広く拡散した。再び植田樹の前掲書から引用する。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。*10

「彼ら」というのは、イルミナティの信奉者がパリで急進的な政治傾向の「親友同盟」の主導権を握り、そこから派生したイルミナティ派の「社会主義サークル」に属した人々のことであって、マルキシズムはイルミナティの影響を受けているのである。

ちなみに、共産主義者を弾圧したためか、ナチスを右派と勘違いしている人も多いようだが、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

第二次大戦中、ヨーロッパで神秘主義団体は迫害された。その影響は戦後も続いている。

日本で『オカルト』『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者コリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、わが国における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいるほかはない。

コリン・ウィルソンについて放言してしまった。今本棚にはウィルソンの本は中村保男・中村正明訳『ルドルフ・シュタイナー』(河出書房新社、1994)しか見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――については、いずれ書きたいと考えている。

『ルドルフ・シュタイナー』を読むと、ウィルソンがジャーナリスティックな作家であって、研究家ではなかったことがよくわかる。如何にも、やっつけ仕事という内容だからである。

この本の中で、コリン・ウィルソンがシュタイナーを持ち上げ、ブラヴァツキーを叩いているのは、「本書の出版社からシュタイナーについての本を書かないかともちかけられた」*11からではないかと思う。そう思わされる程度の内容だった。

前掲誌「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかが紹介され、タブッキの作品について周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれている。

しかし、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸している思想を調べるしかない。その思想とはどう作品を読んでも、やはり神智学的な神秘主義哲学であるとわたしは思う。

前掲書201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけだ(見落としがあるかもしれないが)。次に引用する。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。(……)タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあなたは私に打ち明けました。〔古賀弘人訳〕

あまりにささやかな言及ではないだろうか。

ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

もしタブッキが神秘主義者であったとするなら、彼はあたかも思い出すかのように神智学や薔薇十字の影響を受けたはずである。


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*1:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」137頁

*2:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136頁

*3:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136-137頁

*4:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」138-139頁

*5:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」139頁

*6:日本アグニ ヨガ協会,1981,第二部「ニコラス・レーリッヒ略伝」205頁

*7:ウィキペディアの執筆者. “ヴィスワヴァ・シンボルスカ”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AB&oldid=61006606, (参照 2016-09-02).

*8:Fernando Pessoa. (2016, September 23). In Wikipedia, The Free Encyclopedia. Retrieved 11:02, September 23, 2016, from https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Fernando_Pessoa&oldid=740799461

*9:植田,2014,35-36頁

*10:植田,2014,37頁

*11:ウィルソン,中村・中村訳,1994,10-11頁

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2016年10月11日 (火)

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました。

許可もいただかずにそのメールを掲載するわけにはいかないので、わたしの返事を掲載します。

Y様、ありがとうございます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

Y様

メール拝読しました。

バチカンの教皇庁文化評議会と教皇庁諸宗教対話評議会が2003年に発表した「『ニューエイジ』についての考察」という論文とそれを収めた邦訳書があることは知りませんでした。

これはカトリック教会の公式文書ですね?

すぐにでも目を通したいところですが、残念ながら利用している二つの図書館には置かれていないようなので、金銭的余裕のできたときに購入したいと考えています。

ご紹介のブログを閲覧したところでは、「ニューエイジ」という用語の出典については書かれていても、漠然とした定義のように思えますが、本ではどのように定義され、どのような批判が展開されているのか、甚だ興味があります。

わたしは無知な一神智学徒にすぎませんが、あまりにブラヴァツキーバッシングがひどいので、彼女の論文のどこが攻撃されているのかを調べたところ、これまでのところではすべてのケースでろくに読まれてもいないことがわかり、個人のブログでそれに対する疑問を表明することが適切なことだとは思っていませんが、火のないところに煙が立ちすぎている恐ろしさを感じて自分なりの調査を進めていたところでした。

わたしはブラヴァツキーがイエス・キリストを批判した文章を一行も読んだことがなく、「『天国の奥義』と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違い(略)」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、24頁)という彼女の言葉に表されているように、ブラヴァツキーの批判はあくまでイエスの教えを私物化し、歪めようとするキリスト教会に対する批判です。

火のない煙では焼き芋を作ることもできないので、今後も地味な調査を続けていきたいと思っています。

御礼があとになりましたが、この度は貴重な情報をありがとうございます。

マダムN

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2016年10月 6日 (木)

トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

フリーメーソンに関する本は翻訳物を含めていろいろと読んできたが、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)ほどフリーメーソンの歴史に詳しい本は少ないと思う。ベストといってよい本かもしれない。長年の疑問がこの本を読んで、ほぼ解けた気がするほどである。

ロシアを動かした秘密結社: フリーメーソンと革命家の系譜
植田 樹(著)

出版社: 彩流社(2014/5/22)


「フリーメーソン」という単語の用い方にばらつきがあって、この単語の意味するところがわたしには曖昧であり、フリーメーソンと呼ばれるものに対する基本的な理解すらできていないという苛立ちのようなものがあったのだが、本には次のように書かれている。

「フリーメーソン」とは熟練した石工職人の組合=「自由な石工の組合」と「その組合員」という英語の単語(freemason)が原義となっている。これがその後に様々な秘密結社の組織や団体、制度を表す普通名詞(freemasonry)という単語として使われることになった。本書では「フリーメーソン」という単語を便宜的に集団的名称や制度、個々の団員のいずれにも用いることにする。(植田,2014,p.13)

本によると、フリーは自由な(free)、メーソンは石工(mason)で、「自由身分の石工」、すなわち「特定の領主や寺院に縛られず各地の建設現場を渡り歩き、契約によって仕事をする職人」を指した。962年にイングランドのヨークで石材を扱う職人たちの集会が開かれた、という最古の記録が残されているという。

巨大な石造建築には物理学や幾何学など、時代の最先端の科学知識と合理精神が必要であり、建設現場の責任者は最高レベルの知識人だった。伝授する知識や技術を仲間内の秘密にしておく必要から、排他的な職能ギルドが結成されることになる。

自立した石工の職能ギルドは、親方、職人、徒弟からなる階級制の組織と掟を持つ集団となり、16世紀には石工組合の社会的地位と名声に惹きつけられて、こうした業種とは無縁な人々が加わるようになった。

18世紀初めには、上流階級の知識人たちが集うサロンめいたものとなり、1714年にロンドンで「ロンドン大本部(London Grand lodge)」が結成され、これが近代フリーメーソンのおこりとなった。

初期のフリーメーソンは14世紀に書かれた石工組合の内部規則、集会の際に歌われる歌、祈禱、伝説などをまとめた「古い訓戒(Old Charges)」の写本を手引きとしていたらしいが、1723年に牧師ジェームズ・アンダーソンらが新たに「憲章」を編纂した。

このアンダーソン憲章は結社の起源を聖書時代に遡らせていたが、それは信仰上の権威づけを行うためだった。憲章では神への信仰(「至高の存在の信仰」と表現され、キリスト教以外の一神教の異教――ユダヤ教やイスラム教――も容認)、霊魂不滅の信念を基本とした。

独自の徳性を磨く目標として、兄弟愛(友愛)、善行、真理の追求が掲げられていた。信仰、希望、慈愛を三つの理想として説くこともあった。会員同士は「兄弟」と呼び合った。

こうしたフリーメーソンの兄弟愛、友愛とは本来は仲間内だけの友情や相互扶助を意味したもので、無限定の対象に向けられる博愛とは違うらしい。

また、アンダーソン憲章は、会員たちが宗教や政治、国家間の問題を結社内で論じることを禁じ、これがイギリス型正統派フリーメーソンの伝統を形成したという。しかし、後にはこれとは正反対の非正統派集団が生まれた。

以上は『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』からノートしたものだが、フリーメーソン独特の秘密めいたところや友愛の限定的な性質、またアンダーソン憲章が神への信仰を基本としながらキリスト教に限定せずにユダヤ教やイスラム教も容認しているあたりは、なるほど、如何にも石工組合から出たものだとの印象を与えられる。

復習しておくが、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フランス革命の推進者の多くがフリーメーソンだった。国王ルイ16世の従兄弟オルレアン公フィリップ、ラファイエット、ミラボー、モンテスキューなど。また、ナポレオン・ボナパルトは会員ではなかったが、彼の4人の兄弟は全員フリーメーソンだったというから驚かされる(ジョセフとルイは王位についた)。フランスの社会派作家エミール・ゾラもフリーメーソンであったと本には書かれていた。

プロイセン王フリードリヒ大王。イギリスのジョージ4世・6世、エドワード7世・8世、宰相ウィンストン・チャーチル。

アメリカでは1733年にボストンに最初の結社が作られた。独立運動の指導者たち、初代大統領ジョージ・ワシントン、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマン、セオドル・ルーズヴェルト、リンドン・ジョンソンなどはフリーメーソンで、アメリカがよくフリーメーソン国家だといわれるのも頷ける。

ニューヨークの「自由の女神像」はフランスのフリーメーソンからニューヨークのフリーメーソンへの贈り物だったとされるそうで、アメリカ合衆国の国璽(印章)、1ドル紙幣にはフリーメーソンのシンボリックな画像「万物を見通す眼」が描かれている。

1904年のトルコ革命、1917年に発生したロシアの二月革命にもフリーメーソンは深く関与したらしい。

また、石工組合起源ではない、騎士団起源のフリーメーソンも広く存在したという。「騎士団の多くは政治に関わらず、真理や倫理の探求を強調することでフリーメーソン組織とは一線を画する立場をとっている」(植田,2014,p.26)

「聖ヨハネ・マルタ騎士団」、「神殿[テンプル]騎士団」、ドイツの「バラ十字騎士団」「東方聖堂騎士団」。

1910年ごろ組織された「ゲルマン騎士団」はグノーシス派の秘教と秘儀を継承したとするオカルティックな結社で、フリーメーソンをユダヤ人の邪悪な陰謀と見なして敵視、アーリア人至上主義の人種差別思想を唱え、剣と鉤十字を組み合わせたシンボルを用いた。

この騎士団は「トゥーレ協会」を通じてヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の思想的骨格となったそうだ。

ウィキペディアによると、トゥーレ協会はゲルマン騎士団の非公式バイエルン支部として設立された(ウィキペディアの執筆者. “トゥーレ協会”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%8D%94%E4%BC%9A&oldid=58757184, (参照 2016-10-05).

錬金術とバラ十字系にはドイツの「黄金バラ十字団」、パウカリウスを師としたフランスの神秘思想家ルイ・クロド・サン・マルタンが組織した「マルチネス派」があった。サン・マルタンは、バルザックの小説『谷間の百合』に登場する。

1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」。(植田,2014,pp.35-36)

過去記事で書いたように、植田氏の本にもイルミナティが本来、フリーメーソンの結社ではなかったと書かれている。

イルミナティ抜きで、この結社の誕生後に展開し始めた様々なテロ活動を考えることはできない。結社としてのイルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年に解散させられたが、イルミナティの思想は広く拡散したのだ。

本には次のように書かれている。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。(植田,2014,p.37)

イルミナティについて知ったとき、思想の類似性からマルキシズムを連想せずにいられなかった。やはり、マルクスはイルミナティの影響を受けていた。

ロシアにおいて、フリーメーソンは興隆し、幾世紀にも渡って影響を与えたという。

フリーメーソンを浸蝕したイルミナティは啓明結社とも邦訳され、工藤精一郎訳『戦争と平和』でもそのように訳されていた。

しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。

アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。

ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。

『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。

 1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。
 そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された。
(植田,2014,p.284)

それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。

フリーメーソンが用いたロッジという言葉は神智学協会でも用いられるが、「ロッジ(lodge)」は本来は建設現場での仮小屋を意味したという。これが転じてフリーメーソンの集会所、さらには結社そのものを指すようになったそうだ。

わたしの中でフリーメーソンという組織がどんなものなのかが曖昧だったためにこれまではわからなかったが、神智学協会とフリーメーソンの違いがはっきりした気がする。

最初にあったのが中身(イニシエート方によって示された源泉と、託された具体的な知識)だった神智学協会と、石工組合という名の器だったフリーメーソンとの違いである。フリーメーソンという器には各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られたようである。

こうした比較からすれば、神智学協会には宗教組織に似たところがあるが、階級制とは無縁なところはサロンに似ているし、確認作業や進歩が期待されている点では研究室に近い。

イルミナティ思想の影響を受けたリベラルが第二次大戦後、世界中に蔓延したために、伝統的な宗教・哲学、またその中心に存在してきた神秘主義が何より彼らの攻撃の的となってきたことが今やわたしには明らかとなった。

イルミナティ思想の影響を受けていることすら知らないリベラルもいるだろう。ヴァイスハウプトの著作について、ここでは内容に則した考察を行わないが、時間のあるときに改めて見ていきたいと考えている。

ブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったボリス・ド・ジルコフの言葉を過去記事でも紹介したが、ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、神智学協会について次のように述べている。

 過去に、あるいは新たに出版された著作から、又同様のことはHPBによる他の著作に関しても言えることであるが、『シークレット・ドクトリン』の主要な源泉は、集合的にはその伝達者がHPB自身であったアデプト同胞団であり、個人的にはこの同胞団に属する複数のイニシエート達であったことは明白である。そして、その方々は、伝統的に秘密とされていた知識の一部を今、我々のこの時代に明かす道を選ばれたのである。
 乗り物、あるいは器、人間が作り、故に不完全な器ではあるが、この様な真実を広く浸み渡らせるための機関が、アデプト集団の直接指導のもとに1875年創立された神智学協会である。多くの失敗や欠点をものともせず、無知や混乱に満ちたこの世界において、時代を超えるグプタ・ヴィディヤーの教えの最も優れた唱道者として、神智学運動は今もなお存続している。
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.131)

アデプトとは「イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す」(H・P・ブラヴァツキー著、田中恵美子訳『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、用語解説p.14)。グプタ・ヴィディヤーとは、霊的で神聖な知識をいう。

ブラヴァツキーの著作(論文)を正面切って論破した学術的な論文にわたしはまだ出合ったことがなく、そのような論文が存在するという情報に接したこともない。

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2016年9月25日 (日)

シュタイナーのブランド、ヴェレダの「カレンドラケアクリーム」が娘の肌トラブルに嬉しい効果

秋になると、夏とは肌の状態が違ってきますね。

敏感肌のわたしは以下の記事を書いたころからずっと化粧水はドクターブロナーの「マジック トナー」を使ってきました。わたしには一年通して使える化粧水です。

それに保湿クリームとして「マジック クリーミーゲル」を組み合わせ、さらに真冬の乾燥対策にはニベア、それでも足りなければ、やはりドクターブロナーの「マジック オーガニックバーム」を使って、無事に冬を乗り切りました。

ところが、「マジック クリーミーゲル」が切れるころに再注文しようとすると、アマゾンの扱いがありませんでした(今確認したら、Charm beauty の販売・発送でアマゾンに出ていました)。 

ニベアでしのげる間はしのぎ、春が深まって、ニベアがくどく感じられ、肌にかゆみが出てきて慌てましたが、娘がすすめてくれた「エバメール ゲルクリーム  50g」をマジック クリーミーゲルの代わりに使ってみました。

これは肌にとても優しく、快適に使えています。

これから乾燥が進むことを考えると、マジック オーガニックバーム以上にぴったりくるものがないだろうかと考え始めました。肌がてかるわりには、わたしの乾燥肌にはやや保湿力が足りないと感じることがあったのです。その代わりに、ヴェレダ(WELEDA)かホープスを使ってみようかなと現時点では考えています。

ところで、今年に入ってから、娘の肌の状態がめちゃくちゃに崩れてしまいました。娘は勤務する書店の閉店、異動などで大変な時期がありました。

特に閉店になる前の処理に追われた時期は大変で(結局ほとんどがサービス残業。流通業はそんなもの)、異動に伴う人員の確保が充分に行われないまま、職場環境は最悪なまでにピリピリしていたようで、それは人間関係からくるストレスへと発展し、このまま無事には済まないだろうな、とわたしは身構えたほどでした。

そのつらい時期を何とか乗り切り、幸い異動になってからは職場環境もよくなったようで、こちらもホッとしました。しかし、そのホッしたころに娘の肌のコンディションが一気に悪化。

大学時代に迎えた厄年にも娘は一人暮らしの中で人間関係からくるストレスを募らせ、市立病院の皮膚科から出されるステロイドやプロトピックを使い続けた挙句に、お手上げの状態に。

そのときに調剤薬局で貰った漢方クリニックの広告。投薬と検査で効果と結果が判明しやすい西洋医療とは違って、当たりはずれのありそうな漢方に頼っていいものかどうか、娘から相談されたわたしは途方に暮れました。

頼りになるはずのわたしの勘は、心配しすぎると、働かなくなります。そこでタロットカードをやってみると、その漢方医は名医と出ました。何度占っても同じような結果でした。娘もわたしもタロット占いの結果を盲信したわけではありませんが、とりあえず娘は行ってみることに。

そして、何年かかかりましたが、娘はステロイド要らずの綺麗な肌になりました。

そのときのことを過去記事から拾ってみました。

アレクサンドリア木星王さんの本にあったスプレッドで、占う対象ががどんな人物かを何枚ものカードで見るスプレッドでやってみたところ、すばらしいカードばかりが出た。
どんなカードが出たかはあまり覚えていないが、大アルカナが多く出て、統一のとれたカードの中に、『隠者』と『魔術師』があったことは覚えている。また、困難を覚えつつも全身全霊で治療に当たってくださっている現状が、カードから読みとれた。
わたしは娘に「隠れた名医という風に出たわよ。続けてみてもいいんじゃない?」といったが、自身の占いには常に懐疑的なので、藁にも縋るとはこのことだったろう。
その頃、息子が、当時住んでいた日田市の某クリニックを受診した。8年ほど前のことなので、記憶がはっきりしないが、娘も受診した気がする。そこへ替わることを考えたのかもしれない〔※娘に確認したところ、やはり娘も、替わることも考えて一度だけ、お試し受診したとのことだった。〕

そこのお医者さんが当時、漢方医の会の係をされていて(そのお医者さんは医療の西漢折衷を模索していられた)、九州地区の漢方医に詳しかった。
そのお医者さんから、娘のかかっている漢方医が九州で1番か2番の名医だと教わった。
娘は「地味なクリニックだよ? 確かに上品で頭のよさそうな先生だけど、最初にわたしの湿疹を見たときなんか、『ひー!』と両手を上げて悲鳴をあげ、後ろに下がったりしたんだよ」と不審気にいった。  
そのうち、皮膚からの感染症か何かで入院するはめになるかも……と素人目にも危惧されたほどだった娘のぼろぼろな皮膚がすっかり綺麗になった今から考えてみると、あのお医者さんの言葉は当たっていたと思う。

治ると、通院をやめたくなるもので、娘はいつのまにか行かなくなりました。学生時代はすぐ近くでしたが、ここからは通院には遠いということもありました。

以後、娘の肌の状態は何年も大丈夫でしたが、またまた厄年にこの事態。

娘は天秤座に土星があるので、西洋占星術でいえば、課題は人間関係にあります。課題を克服できたとき、娘は人間関係を調整するベテランになるのでしょう。

大学時代の厄年にも、三十代の厄年にも、人間関係のストレスから肌状態を悪化させた娘。

娘は今回も漢方の先生に頼るしかないと思い、通院を始めました。再診の2回目にわたしもついて行きました。こぢんまりとしたクリニック内がとても心地よく、清潔に見えました。掃除が行き届いていることに加えて、先生のオーラの美しさが浸透しているのではないかと思いました。

ところが、今回は前回以上に漢方の効果がなかなか出ません。先生も「うーん、なかなか難しいねえ」とおっしゃったとか。接客業ですから娘は焦り、保湿剤をあれこれ試したりしていました。そうこうするうちに、休日には服を見るのが好きな娘が、それもできないくらい肌がぼろぼろに。

今回は漢方マジックは効かないのだろうか、とわたしも焦りました。娘には案外割り切りのよい面があって、「自分には見えないから、鏡さえ見なければ気にならない」といい、職場の方々もそれとなく気遣いながら普段通りに接してくださっている様子が窺えて、ありがたいと思いました。

前回はジクジクした湿疹で、浸出液が出て大変でした。しかし、顔には出ていませんでした。今回は皮膚がぽろぽろ剥がれている状態で、湿疹が出たのが悪いことに主に顔。

娘はネット検索の結果、「むしろこの状態ではオイルやクリームを塗らないほうが快方に向かうみたいよ」との結論を出しました。どの保湿剤も合わないので、半分匙を投げていたのかもしれません。

が、いくら待っても一向に快方に向かう兆候がありませんでした。もうステロイドしかないのだろうか、と思ったほどでした。

小説の改稿に必要な取材のために出かけた祐徳稲荷神社では、萬子媛に娘の皮膚がよくなりますように、とのお願いもしました。

その後、いよいよ漢方だけではだめそうだと思い、ネット検索したら、たまたまアントロボゾフィーの創設者シュタイナーのブランドに出合いました。

シュタイナーは神智学の影響を受けた人で、わたしはシュタイナーの神智学に対する理解度や彼独自の哲学体系には疑問がありましたが、神秘主義者として風格がある人物であることには間違いなく、教育や医療方面への貢献があったことも知っていました。

アマゾンに出ていた「カレンドラケアクリーム」をわたしの独断で注文し(注文した翌日に届きました)、娘にすすめると、最初は乗り気でなさそうでしたが、使い始めてすぐに、「うん、これいい。保湿力がしっかりある」といい、驚く速さで肌の状態がよくなりました。

脱ステロイドにおすすめ、というレビューがありましたが、そうかもしれないと思いました。大学時代にこのクリームに出合えていれば、ステロイドやプロトピックに頼らずに済んだかもしれなません。

といっても肌の状態は人によって違い、同じ人間であってもそのときによって違うので、いつも合うとはかぎりませんけれど。事実、合わないというレビューもありました。

現在娘は漢方の通院を続けながら、ヴェレダとホープスを肌の状態に合わせて使い分けています。

ホープスの「ホープスリリーフクリーム」はヴェレダの「カレンドラケアクリーム」より、保湿力という点で軽めの使用感であるとのこと。娘の肌は現在、ほぼ綺麗になり、服を見る楽しみも戻ってきました。

ヴェレダ カレンドラケアクリーム 25g
ヴェレダ(WELEDA)
原産国: スイス
内容量: 25g
ASIN: B00AZF24YK

正規代理店】ホープスリリーフクリーム60g
ホープス
メーカー型番: Hope's Relief Cream
ASIN: B0091FT9I4

わたしはヴェレダの「スキンフード」を、娘にすすめられてお試ししているところです。

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東急ハンズで娘がヘアケアをヴェレダに変えるかどうかで迷い、お試しや旅行によい「ヴェレダ ボディ&ヘアケアセット」を購入しました。以下のものが入っています。

  • オーガニック シャンプー(ドライ・ダメージヘア用) 10mL×2包
  • オーガニック ヘアコンディショナー 10mL×2包
  • シトラス クリーミーボディウォッシュ 20mL
  • ワイルドローズ クリーミーボディウォッシュ 20mL
  • シトラス ボディミルク 20mL
  • ワイルドローズ ボディミルク 20mL
  • スキンフード 10mLml

この中の「スキンフード」をお試し用に貰ったのです。

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娘の肌の件では神秘主義にずいぶん助けられたように思います。

アントロポゾフィーのシュタイナーに限らず、神智学者やその他の神秘主義者の著作にも、健康に役立ちそうなことがあれこれ書かれています。これからはそうした面にも積極的に関心を向けて、第一に自分の健康に役立てなければと思ったりしています(前にも同じことを書いたような……)。

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2016年9月23日 (金)

フリーメーソンだったマルク・シャガール

上田繁樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)に次のような記述があり、シャガールが26歳のころ、フリーメーソンになったことがわかる。シャガールの作品を考えるときには、フリーメーソンの思想の影響も考えるべきだろう。

ユダヤ人画家マルク・シャガールは一九一三年に西部のヴィチェブスク(現ベラルーシ領)の結社に入団した記録が残る。(上田,2014,p.224)

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下の記事に、追記としてこのことを加筆した。


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2016年9月15日 (木)

メーテルリンクの心霊主義に重点を置いた神智学批判と、風評の原因

返却日が迫っているので、モーリス・メーテルリンク(鷲尾浩訳)『メーテルリンク全集 第2巻(復刻版)』(本の友社、1989)を読んでおかなければならないと思い、無理をして大体読んだ。

モーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck, 1862 - 1949)は童話劇『青い鳥(L'Oiseau bleu)』で有名なベルギーの作家である。1911年にノーベル文学賞を受賞した。

『メーテルリンク全集 第2巻(復刻版)』は大正10年4月に冬夏社から発行された『マーテルリンク全集――第二巻』の復刻版で、旧字体なのである。「山道」「死後の生活」「蜜蜂の生活」が収録されている。

「蜜蜂の生活」はモーリス・メーテルリンク(山下和夫・橋本綱訳)『蜜蜂の生活』(工作舎、2000)で読み、これは形而上学的な考察を交えた蜜蜂の生態観察記で、大層面白かった。

「死後の生活」はモーリス・メーテルリンク(山崎剛訳)『死後の存続』(めるくまーる、2004)と同じ作品であるようだ。大正時代の訳は美しいが、旧字体に閉口し、頭に入ってきにくいので、できるならこちらの新しい訳で読みたかった。

カトリック教禁書目録に指定された問題作である。残念ながら、よく利用する県立にも市立にも置かれていなかった。

そういうわけで復刻版で読んだ「死後の生活」だが、ブラヴァツキーの神智学説に対する批判――というより、もっと広い括りの東洋思想を含む神秘主義全般に対しての批判というべきかもしれない――が目に留まった。

ごく自然に輪廻転生とか因果応報といった仏教語に子供のころから馴染んできた日本人と、西洋人との違いを感じざるをえなかった。

神智学ウィキ(Theosophy Wiki)でメーテルリンクを閲覧していたので、メーテルリンクはブラヴァツキーと後の神智学者たちの諸作品に精通しており、彼はそれらに対して評価し、また批判を行った――という予備知識がわたしにはあった。

メーテルリンクには多くの著作があり、わたしが読んだのはその中の一部にすぎない。だから、これを書いた当時、メーテルリンクがどの程度ブラヴァツキーと後の神智学者たちの著作を読んでいたのかはわからない。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えない。上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受ける。

ネット検索でメーテルリンクがSPR(心霊現象研究協会)フランス支部のメンバーだったとの情報に接したが、ソースの確認ができなかった。確かにウィリアム・ジェームズ、ホジソンの実験をメーテルリンクは詳しく紹介していて、神智学協会に対するような距離は感じられなかったので、そうかなとは思っていた。

メーテルリンクの真正面から死を見つめる、率直で真摯な姿勢には好感が持てる。例えば、次のような考察にはハッとさせられる(引用の旧字体は新字体に改めた)。

それでは吾々は、死と、事件の恐怖にとらわれず、想像の恐怖から離脱して、それのみの、あるが儘の姿で眺めようではないか。吾々は先ずそれに先立ち、そしてそれに属しない一切のものから免れよう。吾々は最後の病気の苦悩を死に属するものに数える。それは正当でない、病気と病気の果に来るものとの間には何等共通点は無い。病気はその一部となすもので、死の一部となすものではない。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.10)

死の考察は安楽死の問題にも通ずるような内容を通り、次の小結論へと至る。

いつかは生命が、より賢明になって、時が来れば、自分が自分の限界に達したのを知り、あたかも夕べが自分の勤めの終ったことを知って黙って引きさがる様に、黙って別離[わか]れ行く時が来るであろう。一度医師や病人が彼等の知るべきことを知ったならば、何故に死の来着が眠りのそれの様に喜ばしいものであってはならないのかということの自然科学的乃至形而上学的理由は毫も無いことになろう。おそらく、他に心を煩わすべき何事も無かろうからして最も深い法悦やより美しい夢が死を囲繞して見られるであろうとさへ考えられる。兎に角、か様に死をしてそれに先立つものを振り捨てさせた上は、それを恐怖なくして眺めて、後に来るものの道を照らすことがより容易であろう。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.17-18)

このあと、メーテルリンクは埋葬の形を考察し、火葬と土葬の違いが死の姿をも違うものにしてしまうことを確認して、次の小結論へと至る。

其故に、死に特有な恐怖というものは一つしかない。それはそれが吾々を投げ込むところの未知の世界の恐怖である。それに面するに際しては、吾々は時を移さず吾々の心から既成宗教が吾々の心に残しておいた一切を取り除こうではないか。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.20-21)

メーテルリンクはパスカルを批判し、このことをもってキリスト教を性急に退ける。キリスト教のみならず既成宗教を束にして退けたつもりらしい。そして、わたしたちがやがては行くべく定められている未知の世界が恐ろしいものかどうかを知ることに、四つの解決策があるという。

諸宗教の圏外に、これに対して四つの解決がある。それは全くの絶滅、今日通りの意識を以ての生存、何等の意識なき生存、および最後に、偏在的意識における、もしくは吾等が此の世界で所有するそれとは異った意識をもっての生存である。(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.30)

しかし、メーテルリンクは意識と無限を考察しながら、支離滅裂になっていくようにわたしには思われた。

考察が死を超えて拡がったとき、依拠していたSPRの心霊主義的世界観と、自己流の形而上学的、思弁的な思索、また切なる願望とがメーテルリンクの頭の中で交じり合い、渦巻き、収拾がつかないものとなっているにも拘らず、解決を急ぎ、結論づけようとする。

最後の問題に入る前に、彼は接神学(神智学)と新交霊学(心霊学)を研究してみるという。

「第四章 接神学上の仮説」、及び「第五章 新交霊術上の仮説――霊怪」「第六章 死者との交通」「第七章 十字通信」「第八章 再生」「第九章 吾等の意識の運命」「第十章 無限の二面」「第十一章 吾等の無限の中の吾等の運命」「第十二章 結論」がそれである。

神智学には第四章の7ページだけが割かれている。輪廻説に神智学説を代表させ、アンニイ・ベザント(アニー・ベザント)に神智学者を代表させて批判し、神智学上の仮説は「感傷的な論議にすぎない」と批判し、退けている。

それに対して、結論を含む140ページがSPR(心霊現象研究協会)の説に沿った考察となっている。

メーテルリンクは断言する。

 新接神学の注目すべき宣伝者アンニイ・ベザント夫人の次の言葉は尤もである。
『更生説ほど偉大な智慧の祖先を背後に有する学説は無い。最も賢明なる人間の意見をか程に味方につけている物はない。マックス、ミュラが行った様に、人道の最大の哲学達がそれ程完全に一致している学説はない。』
 これは皆全く真実である。けれども今日の吾等の疑り深い信仰心を征服する為には他の証拠を要する。私は近代新接神学者達の主な著作を探したが一としてそれを発見しなかった。彼等はただ最も漠とした独断的言説を繰返すに止まるのである。彼等の最大の言説主要なそして、容赦なく言えば、彼等が依拠する唯一つの言説は感情的なものにすぎない。
(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活p.56)

SPRのメンバーであったような人々がどれほど執拗に証拠を求めたかが、このメーテルリンクの言葉だけからしても察するに余りある。

神智学協会の目的は次のように掲げられている。

1. 人種、肌の色、宗教の差別をせず、人類の普遍的同胞団の核を作ること。

2. アーリア人及び他の民族の聖典の研究、世界の宗教及び科学の研究を増進すること。及び古代アジアの文献、即ちバラモン、仏教、ゾロアスターの哲学の重要性を証明すること。

3. あらゆる面で、自然の秘められた神秘を探究し、また特に人間に潜在するサイキック及び霊的な能力を研究すること。

(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版〈1987初版〉、p.48)

3 のような目的があったにせよ、ブラヴァツキーが降霊会を開いて心霊現象の本質を解き明かそうとしたり、アニー・ベザントとリードビーターが過度なまでにサイキック及び霊的な研究に取り組んだのも、彼らの要求に追い立てられた一面があっただろうことは容易に考えられる。

第四章の章末に註がある。ホジソン・リポートの虚偽性は1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれたのだが、当時の風評がどのようなものであったかを物語っていると思われるので、引用しておきたい。

註――新接神学の運動およびその最初の効果に関する適確な真実を知ろうという読者は、心霊研究会によって印度に特派されたホヂソン博士が公平な、厳密な探究の後に発表した驚くべき報告を研究して見なければならぬ。その中で博士はかの有名なブラヴアトスキイ夫人や新接神学派全体の明白なそして縷々稚劣な欺瞞を、手際よく、暴露している。(研究報告第三巻 二○一頁より四○○頁まで。接神学上の諸現象に関するホヂソンの報告)
(メーテルリンク,鷲尾訳,1989,死後の生活pp.60-61)

ところで、ブラヴァツキーの神智学論文は、漠とした、感情的な独断的言説なのだろうか? 彼女はH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)のはしがきで述べている。

今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた一貫した全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。というのは、この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,はしがきp.138)

証拠をせがまれたので、「もっと進んだ学徒」からの手紙を公開したら、ホジソン・レポートのねたにされてしまったというわけだろう。

科学音痴のわたしだが、科学番組を観るのは好きだ。『シークレット・ドクトリン』に出てくる説を連想させる新説に出合える期待があって、楽しいからである。

『シークレット・ドクトリン』が1888年に書かれたとはとても思えない(それに比べて、当時のSPRの心霊論議はさすがに時代を感じさせる)。最近ではダークマターの番組を視聴して、『シークレット・ドクトリン』の記述を思い浮かべずにはいられなかった。

きりのよいところで区切ることのできる光と闇に関する解説があったので、引用してみたいと思う。この文章が漠とした、感情的な独断的言説なのかどうかご判断いただきたい。

 ‟ 暗黒は父・母であり、光は息子 ”と東洋の古い諺はいう。光はその原因となる源から来るという以外は想像もできない。そして原初の光の場合には理性や論理による説明を強く要求されても、その源はわからないので、知的観点から、私達は“ 闇 ”と呼んでいる。借りものの、どこからか映された光はその源が何であっても一時的なマーヤー的な性格のものでしかあり得ない。だから闇は光の源が現れたり、消えたりする永遠の母体である。この私達の世界では闇を光にするのに、闇に加えるものは何もなく、光を闇にするのに、光に加えるものは何もない。闇と光とは交替のできるものであり、科学的に光は闇の一つの現れ方であり、逆も真である。従って、両方とも同じ本体の現象である。この本体は科学的な心にとっては絶対的闇であり、一般的神秘家の知覚力には灰色の薄明かりにしかすぎない。だが、イニシエートの霊的な眼には絶対光である。闇に輝く光をどの程度まで洞察するかは、私達の視力如何による。私達にとっての光は、ある昆虫にとっては闇であり、透視家の眼は普通の眼には暗黒としか見えない所で光を見る。全宇宙が眠りにおちた時、つまり原初の唯一の元素に戻った時には、光輝の中心も、光を認める眼もなかった。その闇が必然的に無際限の一切を満たしていた。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,スタンザⅠpp.245-246)

『シークレット・ドクトリン』では、一太陽プララヤ後の地球惑星体系と其のまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている。

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