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2017年11月18日 (土)

前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)

アマゾンに出ていたはずの『神智学の鍵』にまだレビューを書いていなかったと思い、そちらへ行ってみると、中古品の出品が1冊あるだけで、その本には20万円もの高値がついていた(11月10日の時点)。

『神智学の鍵』は、近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの代表作の一つで、神智学の入門書とされてきた。

ブラヴァツキーの著作の実際の価値は値段がつけられないような高価なものに違いないとはいえ、今やブラヴァツキーがゲームのキャラにまでなっていることを考えれば、これは何か皮肉な現象で、彼女の著作に真面目な興味を持つ人が本当に限られてきている現状を思わせられ、そのことを残念に思う。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 70 で紹介した、勉強会の様子が収められた動画でジェフ・クラークさんがおっしゃっていることからすると、神智学協会の会員数は今は三万人くらい。

    大師の御足のもとに①(神智学協会 the Theosophical Society in Japan)
    動画のURL https://youtu.be/UQj6-0zJenQ

1907年から1933年にかけて第二代神智学協会会長を務めたアニー・ベサントが生きていたころは世界的な運動で、何十万人もいたそうだ。

クリシュナムルティをめぐって協会が分裂したことも会員減少の原因となっただろうが、それよりも第二次世界大戦の起きたことが大きかったのではないだろうか。

神智学運動の担い手となっていたのが貴族や知識人だったことから考えると、戦争でそうした階層が没落したことは大きな痛手となったに違いない。

神智学協会の会員はヨーロッパで迫害を受けたことがあったようだし、戦後、唯物主義が優勢になったことなども会員の減少につながっただろう。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ジルコフ「前書きにかえて」によると、1877年に『ベールをとったイシス』が出版された当時、この本は高い評価を受けた。

発行人はニューヨークのブートン。『ベールをとったイシス』は、ブラヴァツキーの著作の中で最も有名な『シークレット・ドクトリン』の前に書かれた、これも代表作の一つである。

ジルコフ「前書きにかえて」には、当時の報道機関の反応が複数引用されている。その中のトップに来ている、当時の最も有能な文芸評論家の一人シェルトン・マッケンジー博士は『フィラデルフィア・プレス』に次のように書いたという。

それは,考えの独創性,研究の徹底性,哲学的説明の深さ,学識の多彩さと広がりといった点で,遠い過去まで遡っても最高に非凡な著作の一つである。*1

こうもまともな批評に接すると、むしろ驚く。

全体的に好意的な報道機関の反応の中で、「批評のなかには,批評家がこの書を読んでいないことがはっきりわかるほど軽薄で偏見に満ちているものもあった」*2という。

この批評傾向は、日本語版ウィキペディア「ヘレナ・P・ブラヴァツキー」「神智学協会」の記述や、そこに参考文献として挙げられた大田俊寛、吉永進一の文章などを連想させられる。前掲ブログにおける次のエッセーを参照していただきたい。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人

56 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ➆吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」から連想したオカルト情報誌とW・ジェームズ

57 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ⑧吉永進一「近代日本における神智学思想の歴史」の中で印象操作される三浦関造

『ベールをとったイシス』が出版されて大成功を収めたのが、1877年。

しかし、質疑応答形式で著されたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)には、1875年にアメリカの心霊主義者による神智学協会への迫害、非難が始まったと書かれている。

英国、フランスの心霊主義者たちもそれに倣った。また牧師達が「『自分に同意しない者は自分の反対者である』という一般原理」により、そしてインドの宣教師達は「キリスト教にほとんど改宗しないインドの教育のある粒ぞろいのバラモン達の多くが協会に入会する様子を見」、憎み、つぶそうとした。

英国の心霊研究会による攻撃は有名だが、『神智学の鍵』にはそれについて、次のように書かれている。

初めは私達は心霊研究会の指導者達とたいへんよい友達でした。しかし、神智学者の現象についての攻撃が『クリスチャン・カレッジ・マガジン』に出て、ある下女の偽りの摘発に支えられた時、心霊研究会は神智学協会で起こった現象をあまりに多く議事録に掲載していたので、身に累を及ぼしたことを知りました。彼等の野心は研究会を権威のある厳密に科学的な団体に見せかけることでした。だから彼等は神智学協会を見捨てることにより、さらに協会を破滅させても自分の位置を保つか、または上流階級の「サドカイ派」即ち物質主義者達によって、だまされやすい神智学徒や心霊主義者達と十把一からげにされるかを、選択せねばなりませんでした。研究会には二つの選択の外に道はなく、私達を捨てることを選びました。*3

英国の心霊研究会に属してブラヴァツキーを攻撃した人々がなぜ神智学協会と接点を持てたかといえば、ブラヴァツキーの集まりにはオープンな、サロンのような雰囲気があったからだと想像できる。ブラヴァツキーは書いている。

神智学協会の会員は一般に、もし、協会の三つの目的に共鳴し実行しようとするならば、どんな宗教や哲学を好もうと好むまいと自由です。この協会は理論的な面ではなく、実践的な面で同胞団という考えを宣布するための博愛的、学術的な団体です。会員達はキリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、ユダヤ教徒、パルシー教徒、仏教徒、バラモン、心霊主義者、唯物論者であっても、少しもかまいません。*4

これほど思想的にオープンであったのは、ほとんどの人々が真に自覚的に何かの思想に生きているわけではなく、その時々の優勢な思潮に染まっているにすぎないとの判断があったからではないだろうか。

唯物主義者といっても、思潮の変化によっては、ある宗教の熱心な信者になるかもしれない。戦前、戦後の日本人の思想的変化を見れば、そのことがよくわかるというものだ。

尤も、『神智学の鍵』でいわれているように、「神智学はあらゆる宗教、絶対的真理のエッセンス」*5であるから、どんな宗教や哲学も、神智学とは接点があるといえる。

古代神智学徒は新プラトン派ともいわれたが、「新プラトン派は大きな団体でいろいろな宗教哲学者達が属していました。私達神智学徒もそうです」*6とブラヴァツキーは書いている。

そして、政治については次のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。*7

前掲ブログのエッセー 20 *8で書いたように、わが国では第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まった。公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれる。

その結果として、日本では唯物主義、物質主義が優勢だが、その反動からかその流れからかスピリチュアルブームが過熱しているようだ。

スピリチュアルブームがいつ、どこで、どのようにして起こったのか、その内容、またわが国でブームとなったプロセスなどについては、よく調べる必要があると思っている。

近年、このスピリチュアルブームに乗って退行催眠による前世療法が流行し、退行催眠を行うピプノセラピストが増えているらしい。サイトや動画でその様子がわかり、わたしは戦慄を禁じ得なかった。

『神智学の鍵』の「用語解説」では、「催眠術(Hhpnotism,希)」について、次のように端的に解説されている。

強い意志力をもった者が、心の弱い者を一種のトランス状態に入れるプロセスに、ブレイド博士がつけた名称。この状態にある者は、催眠術師が暗示する通りになる。有益な目的のために為されない限り、オカルティストはこれを黒魔術と呼ぶであろう。神経の流体の流れを妨げるので、道徳的にも肉体的にもたいへん危険なことである。*9

オカルティズム――オカルトという言葉はダークなイメージを伴うようになってしまったが、神智学用語ではオカルティズムは神聖な科学、秘教科学という意味である――に精通していない限り、有益な目的が何であるかの判断もできないはずで、そこから考えると、現代、巷間で行われている催眠術は全て黒魔術といえる。

催眠療法の歴史と資格などに関する現状がウィキペディア日本語版にまとめられているので、次に引用する。

催眠療法(さいみんりょうほう、英語: hypnotherapy)とは、催眠を用いる精神療法の一種である。
催眠療法は1955年に英国医師会 (British Medical Association) が有効な治療法として認めている。米国医師会 (American Medical Association) も1958年に催眠を有効な治療法として認めている。アメリカ心理学会 (American Psychological Association) と米国歯科医師会もまた催眠を有効な治療法として認めている。日本医師会からの承認は現在は行われていないのが実情である。
(……)催眠はそれ自体安全なため欧米でも国家資格はない。欧米では、催眠療法家が協会を結成し、催眠療法士 (hypnotherapist) を認定する仕組みが一般的になっている。(……)日本では2日間の講座に対して発行されるABH認定「ヒプノセラピスト」を保持しているセラピストが多く存在するが、一般的にこれはプロ資格としては認識されていない。
日本の医師免許取得に催眠療法の理論や技能等は必要とされないが、米国には催眠療法の博士号が存在する。一方、日本では資格としては、日本催眠医学心理学会認定の「催眠技能士」等がある。
*10

米国の精神科医ブライアン・L・ワイスが前世療法の代表的な提唱者であるようだ。「催眠はそれ自体安全なため」とウィキの解説にあるが、ブラヴァツキーの見解はそれとは異なる。「ヒプノセラピスト」という資格が、民間資格とはいえ、たった2日間で取得できるというのだから恐ろしい。

催眠術がどこで行われようが、どのような科学的な装いを凝らされようが、如何に善意であろうが、それはその危険性を熟知しない人々が恣意的に行っているというのがどうやら実態である。

そして、民間資格を取得したピプノセラピストの多くが前世療法を行っているようで、それに関する沢山のサイトや動画を閲覧できる。

前世療法がどのようなものであるかを、ウィキペディア「前世療法」から引用する。

前世療法(ぜんせりょうほう、英: past life therapy)とは、催眠療法の一種であり、人間は死後人間に生まれ変わるという転生論を前提とする。退行催眠により患者の記憶を本人の出産以前まで誘導(=過去生退行)し、心的外傷等を取り除くと主張されている。*11

ある一連の動画では、はじめはごく普通に見えた女性がセラピストの退行催眠によって次第に異常体質を強めていき(霊性を弱められ)、霊媒になっていく過程をつぶさに確認できた。

退行催眠中に「あの世にいるマスター」が側に出現するようになり、彼女を通じて前世の細かな様子を語り、忠告などを行う。

しかし、神智学的にいえば、この「マスター」というのはおそらく、霊媒になってしまった彼女の異常体質に引きつけられた死者の影だろう。

霊媒の末路は悲惨であることも珍しくないようだ。前世療法を行うセラピストにその責任がとれるとは思えない。

前世療法が、装いを変えた降霊術であることは間違いない。

ブラヴァツキーの諸著では催眠術と降霊術に関する深い考察が行われている。彼女は古代から魔術という分野で催眠術も降霊術も行われてきたといった歴史と豊富な事例を示しつつ理論の変遷を語り、また人間の七重の性質といった側面に光を当てて催眠術と降霊術の正体を解き明かし、その危険性を警告しているのである。

『神智学の鍵』の「用語解説」の中の「カーマ・ルーパ(Kãma-rūpa,梵)」「物質化(Materialization)」という項目では、降霊術についてわかりやすい解説がなされている。「物質化(Materialization)」から、後半部分を引用しておく。

死者の「影」即ち「幽霊」についても同じことが言える。影達は我々の周囲にいるが、別の世界にいるから我々が彼等に気づかぬように彼等も我々に気づかない。だが生きている人間の強い願望と、霊媒の異常体質によって状態が整えられると、これらの影は引きつけられる。というより、彼等の世界から我々の世界へ引き下ろされて、客観化される。これが降霊術ネクロマンシーである。これは死者にとってよいことではない。これが自然法則を妨げるということに加えて、生きている人間に大きな害を与える。生きている人間のアストラル体、即ちエーテル複体の物質化は、これとは全く別のことである。このような「アストラル体」は、度々死者の幽霊と間違えられる。というのは、この世の人々の「生き霊エレメンタリー」及び肉体化身していないものや、宇宙エレメンタル達のアストラル形体はカメレオンのように、度々、我々の思いの中に最も強く印象づけられたイメージの形をとって現れるからである。簡単に言うと、いわゆる物質化が行われる降霊術の会では、その現象のイメージを作り出すのはそこに出席している者達と霊媒である。自ら現れる現象は別種のサイキック現象に属する。*12

ところで、ブラヴァツキーを霊媒であるかのように解説している文章をよく見かけるが、これはとんでもない誤りである。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。少し長い引用になるが、重要な事柄であるので、引用しておきたい。 

H・P・ブラヴァツキーが通常の霊媒の状態にあると考え,彼女のオカルト現象をトランス降霊術と解釈した批評家たちの意見は,そこに含まれている諸要素に対する無知と単なる外見についての表面的判断にもとづいている。H・P・ブラヴァツキーが見せたある現象は,ほんものの霊媒が見せるそれに似ていたが,それらの外見の類似性は,次のようなふたりの人間の間に存在する類似性になぞらえることができる。すなわち,自発的な意志や意図で通りを歩いている人と,何が起きているかまったく知らずに夢中遊行している人と,である。ともかく,どちらも歩いていることにかわりはない。
 それゆえ,〈オカルティズム〉においては,単なる霊媒と媒介者をはっきりと区別する。前者は,一貫性のない気まぐれな星辰的諸力の不幸で無力な道具であることが多く,後者は,〈熟達者
アデプトたちの同胞団〉とふつうの人間の間に立つ,完全に自発的でありながらまったく従順かつ協力的で自覚を持った仲介者である。したがって,媒介者は,高度に進化し訓練された人間で,強靭さや生き生きとした活力や霊的な洞察力の備わった個性を持っており,たいていは説得力のある肯定的な人格を通して機能する。H・P・ブラヴァツキーの場合も,きっとそうだったのだろう。(……)通常の霊媒は,多かれ少なかれ調子の悪い心霊学的[心理学的]装置が備わった人間で,星辰的な潮流やエネルギーがたまたま彼ないし彼女に向かってくれば,いつも無意識的に,あるいはせいぜい半意識的に,その餌食や犠牲者になっている。じつのところ,霊媒は,その体の諸原理が高次の霊的な意志や精神マインドのコントロール下にない者,あるいは部分的にしかそうでない者である。そのため,彼の体の低次の部分は,多かれ少なかれ一貫性を欠き,他者の考えや感情によって容易に揺らぐものになってしまう。
 一方、媒介者は,少なくとも自分の意志に関しては自由行為者であり,そのなかで内なる神からの霊的な流れが多少とも不断に働いている者である。それゆえ,そしてまた定義からしても,媒介者は,他のいかなるものの意志にも隷属したり服従したりしない高度なオカルト的訓練を積んだ人であり,心霊化にも自己心霊化にも苦しむことがない。そんなことがあるなら,媒介者でいるにはふさわしくないだろう。何をなすにせよ,彼は自己決定と自由選択の結果としてそれをなす。そして,彼が媒介者として活動することは,本質的に,高次の霊的〈原因〉に対する積極的な奉仕の最も壮大にして崇高な部分である。
*13

『神智学の鍵』における次のブラヴァツキーの説明だけでも、聡明な人には通じる気がする。

古代神智学徒は、無限なものは有限なものには分からない、即ち、有限我には感じられない、しかし、高級な霊的我はエクスタシーの状態で神聖な本質と霊交できると言明しました。近代神智学徒もそう言います。この状態は催眠術のような「物理的、化学的手段」では達成できるものではありません。*14

物質主義に偏重した現代社会の原因を探っていくと、わたしはどうしてもアリストテレスに行き着く。

大学時代にプラトンに心酔したあとで、彼の弟子と思って読んだアリストテレスの著作が師プラトンの著作と全く異なるだけでなく、アリストテレスの哲学に依拠した思想が主流となってしまったお粗末な内実を知ったときの衝撃を、今も忘れられない。

ブラヴァツキーは『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』の中で、「彼はプラトンのことを不正確に伝え、ピタゴラスの教えをほとんど戯画化してしまった」*15といい、長くなるので引用はできないが、その理由を詳しく述べている。

プラトンの説は『シークレット・ドクトリン』『べールをとったイシス』では至るところに出てくる。古代神智学徒が新プラトン派ともいわれたことを思い出そう。プラトンの説は勿論必要があって出てくるのだから、プラトンを知らずにこれらを読むのは無理だとわたしは思うのである。

プラトンに限らず、哲学書も旧・新約聖書もろくに読んだことのない人がブラヴァツキーの著作を読んでも、時間の無駄かもしれない。それでも、ブラヴァツキーの著作に触発されて、そこに引用された本を読むきっかけとなることはあるだろう。それだけでも有意義で、楽しいことだ。

いずれにせよ、ブラヴァツキーの諸著は「人類の改善」という目的を果たすためには必読の書と思える。

ブラヴァツキーは日本でいえば江戸時代から明治時代にかけて生きた人であるが、『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』で、現代社会の物質主義に警鐘を鳴らしていると受けとることもできる、次のようなことを書いている。

彼は忘れているのだ。あらゆる科学のなかで普遍から特殊へと進む唯一のものである幾何学こそ,プラトンが自分の哲学に用いた方法だった,ということを。精密科学がその観察対象を物質的な諸条件に限定してアリストテレスのように進んでいくかぎりは,失敗することはありえない。しかし物質世界は,私たちにとってはてしないものであるにもかかわらず,やはり限定的である。それゆえ,物質主義は,この価値下げされた円のなかを永遠に巡り続けるだろう。その円周が許すところより高くは飛べないのである。ピタゴラスがエジプトの秘義司祭たちから習った宇宙論的な数の理論だけが,この二つの単位を,すなわち物質と霊を和解させ,一方に他方を数学的に証明させることができる。*16

『神智学の鍵』には「神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶化した霊にすぎないと言います」*17とあって、これは神智学の基本的な考え方である。


*1:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.2

*2:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてp.3

*3:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.265

*4:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.29

*5:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.65

*6:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.16

*7:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228

*8:バルザックと神秘主義と現代

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.32-33

*10:ウィキペディアの執筆者. “催眠療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-11-01. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%82%AC%E7%9C%A0%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=66138028, (参照 2017-11-01).

*11:ウィキペディアの執筆者. “前世療法”. ウィキペディア日本語版. 2017-10-17. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%89%8D%E4%B8%96%E7%99%82%E6%B3%95&oldid=65960418, (参照 2017-10-17).

*12:ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.53-54

*13:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,前書きにかえてpp.17-18

*14:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.21

*15:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,ベールの前でp.xix

*16:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.8

*17:ブラヴァツキー,ジルコフ編,老松訳,2010,p.42

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2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこの『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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2017年10月12日 (木)

メーテルリンク『青い鳥』の罪な象徴性について

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。

ブラヴァツキーの神智学を批判したメーテルリンクの文章を考察することで、メーテルリンクの思想の一端が明らかとなったように思う。

わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。

さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)

ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。

医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)

娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。

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2017年9月17日 (日)

歴史短編1のために #30 神仏習合(加筆あり)

神秘主義エッセーブログに入れようと思って過去ノートに加筆したものですが、先にこちらにアップしておきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

数年前から、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説に取り組んでいる。第一稿で粗描を試み、第二稿に入ったところだ。

萬子媛が入られた黄檗禅系祐徳院は、取材の結果、庵のような小規模の建物ではなく、もっと大きな建物だったと推測されるので、小説の冒頭部分は書き直さなければならない。

祐徳院は法泉寺と同じく普明寺の子院だったから、法泉寺くらいはあったのではないかと思う。普明寺は法泉寺の1.5倍くらいの大きさに見えた。

祐徳院の門には、普明寺の門のところにあったのと同じ「不許葷酒入山門(葷酒の山門に入るを許さず)」と記された碑があったであろう。

不許葷酒入山門とは、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味である。(→ウィキペディア「禁葷食」

萬子媛の義理の息子で、大名であった直條の執筆とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』(祐徳稲荷神社蔵)を読むと、祐徳院に所属する尼僧の外出、俗客の往来を許さず、その他の規則は大変厳しかった(森厳という言葉が使われている)とあるのが、碑文にぴったりくる。

そして、神事のほうも、滞りなく行われていたに違いない。江戸時代までの神仏習合は現代日本の神仏習合とは様相が違っていたのではないだろうかと考えて、それをどのように描けばいいのかわからず、わたしは何ヶ月も悶々としていた。

例えば、出家後の萬子媛は神事にどのように参加されていたのだろうか……と考えたとき、思い出したのは前に図書館から借りて読んだ『英彦山修験道絵巻』だった。

村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995)は江戸時代に作られた「彦山大権現松会祭礼絵巻」に関する著作である。絵巻が作られたのは有誉が座主のときであった。

有誉の母は花山院定好の娘――つまり、萬子媛の姉だったと思われる。萬子媛の兄弟姉妹については拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72 に書いている。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している。

絵巻に描かれた神事の情景の中に、神職の格好をした人や一般の参列者の他に僧侶姿の参列者の描かれていた記憶がある。

萬子媛と一緒に京都から下ってきたと想像される、萬子媛に仕えていたという尼僧が技芸神として祀られている(拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72  参照)ことから考えると、神事の際に行われる神楽舞の振り付けなどはその人が指導したのではないかとわたしは考えている。

神事のとき、萬子媛はどのような位置で、どのような行動をなさっていたのだろうか。

厄除け祈願をお願いしたときのことが参考になるだろうか?

これはあくまでわたしの神秘主義的感性が捉えた――内的鏡にほのかに映った――萬子媛をはじめとする、この世にあったときは尼僧であったと思われる方々の御祈願時の様子なのであるが、わたしはそうしたこの世ならざる方々が御神楽殿での御祈願時にそこへお見えになるとは想像もしていなかった。

そのときまで萬子媛のことしか念頭になく、御祈願のときにもし萬子媛をわたしの内的鏡が捉えることがあるとしたら前方に捉えるのではないかと想像していた。というのは、そのときに萬子媛の臨在があるとすれば、神主さんに寄り添うような形をとられるのではないかと漠然と想像していたからだった。

事実は違った。萬子媛をはじめとする尼僧の方々――生前は尼僧であったとわたしが推測する方々――は、御祈願を受けるわたしたち家族のすぐ背後に整然と並ばれたのであった。拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録の以下のエッセーを参照されたい。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日

端然とした雰囲気の中にも、日ごろの馴染んだ行為であることが窺えるような、物柔らかな自然な感じがあり、整然と並ばれたといっても、軍隊式を連想させるような硬さは全くなかった。

わたしの内的鏡にほのかに映った美しい情景からは、江戸時代初期から中期かけて、神事というものがごく自然に仏事や日々の生活に溶け込んでいた様子が窺えた。神事も仏事もどちらもこよなく敬虔に、当たり前のこととして行われていたに違いない。

わたしがここでいう内的鏡とは、物質の鏡とは異なり、対象が生者であろうがこの世ならざる者であろうが、対象としたものの内面性や雰囲気を精緻に捉える鏡なのだ。姿は、ほの昏い湖面に映るかのような、ほのかに映る程度である。

オーラが時には肉眼で見えるどんな色彩よりも鮮明に生き生きとして見えるのとは、違う。オーラを見るときは肉眼で見るように見る。内的鏡で見るときは自らの心が鏡のようにも目のようにもなって、内的鏡を内的視力で見るという感じなのだ。

どちらも神秘主義的能力だと思うが、使い勝手(?)が異なる。神秘主義の文献によく鏡という表現が出てくるのを、なるほどと思うようになった。この内的鏡をいつごろからか、心が清澄であるときにごく自然に使っている自分に気づくことがある。

話が逸れたが、『梁塵秘抄』は平安時代末期に後白河院(1127生 - 1192没)によって編まれた歌謡集であるが、ここでは神事と仏事の習合が見られ、そこからは純粋というだけでなく、格調高いといえるような信仰心が汲みとれる。

江戸時代もおそらくそうで、明治時代に神仏分離令が出されるまで、そうしたところは変わらなかったのではないだろうか。

臼田勘五郎&新間進一 校注・訳『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』(小学館、1976初版、1989第14版)によると、『梁塵秘抄』は『梁塵秘抄二十巻後白河院勅撰』といい、20巻であったらしい。

20巻のうち、10巻が音律の秘伝や芸歴などを記した口伝集、残りの10巻が歌詞集であったそうだが、大半が失われてしまった。現存するのは巻第一断簡の長歌[ながうた]・小柳[こやなぎ]・今様と、巻第二の法文歌[ほうもんうた]・四句神歌[しくのかみうた]・二句神歌[にくのうみうた]である。

ただ、法文歌と四句神歌とで合計400首を超えるというから、それだけでも結構なボリュームだ。

ここで、前掲書『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』の『梁塵秘抄』から歌と訳を引用しておこう。

法文歌のうち最も有名なのは、格調高い響きを持つ次の歌だろう。

仏は常にいませども 現[うつつ]ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁[あかつき]に ほのかに夢に見えたまふ
 仏はお亡くなりになることなく常にいらっしゃるのだが、お姿を拝することができない。それが尊く思われる。しかし、人の物音のしない静かな暁には、かすかに夢の中にお姿を現わされる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.204-205

次の法文歌と神歌には同趣意の主張が含まれている。神仏と人の違いに萎縮するようなところは微塵もない。いずれは神仏に成る我が身、ならねばならない我が身との自覚があってこその矜持だろう。

仏は昔は人なりき われらも終[つひ]には仏なり 三身仏性[さんしんぶつしやう][ぐ]せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
 仏も遠い昔にはわれらと同じ人であった。われらも最後には成仏することができるのだ。三身仏性を本来備えている身であると知らないで、仏道をなおざりにしているのが、悲しいことに思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.257-258

ちはやぶる神 神にましますものならば あはれと思[おぼ]しめせ 神も昔は人ぞかし
 (ちはやぶる)神よ、ほんとうに神でいらっしゃるならば、私の訴えをかわいそうだとお思いになってください。神も昔は人であられたのですよ。臼田&新間 校注・訳,1989,p.317

権現に直訴するかのような、迫力と切実さを感じさせる神歌もある。

花の都を振り捨てて くれくれ参るは朧[おぼろ]げか かつは権現[ごんげん]御覧[ごらん]ぜよ 青蓮[しやうれん]の眼[まなこ]をあざやかに
 花の都を振り捨てて、暗い気持で参詣するのは、なみたいていの志だろうか。権現[ごんげん]よ、一方では私の志をもよくよくごらんください。その青蓮[しようれん]の眼[まなこ]をかっと見開いて。臼田&新間 校注・訳,1989,p.266

次の神歌について「日吉山王[ひえさんのう]を舞台に、神仏習合思想の要約を巧みに歌謡化した感じ」と解説されているが、正にそんな趣の歌だ。

仏法弘[ひろ]むとて 天台麓[てんだいふもと]に迹[あと]を垂れおはします 光を和[やは]らげて塵[ちり]となし 東の宮とぞ斎[いは]はれおはします
 わが国に仏の教えをひろめようというので、この比叡山の麓に、釈迦如来[しやかによらい]以下の仏や菩薩[ぼさつ]たちが、二十一社の神々となり化現されて、鎮座しておられる。威光を隠して俗世に交わり、東方の尊い神社として、祀[まつ]られていらっしゃる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.261

四句神歌のうち雑[ぞう](主として世俗的な民謡風の歌を集めたもの)に分類された次の歌は、最初に挙げた法文歌と並んで『梁塵秘抄』を代表する歌であり、解釈は様々あるようだが、清冽な信仰心が通奏低音となっているがゆえに、えもいわれぬ歌となっているのではないだろうか。

遊びをせんとや生[う]まれけむ 戯[たはぶれ]れせんとや生[む]まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺[ゆ]るがるれ
 遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのであろうか。それとも戯れをしようとして生まれてきたのであろうか。無心に遊んでいる子どもたちの声を聞いていると、自分の体までが自然と動き出すように思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.293

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2017年7月29日 (土)

友情について

このところ、ずっと友情について考えていた。

59歳になったわたしに、今後も友人をつくる機会が訪れるかどうかはわからないけれど、友人をつくるための最良の時は過ぎ去ったのではないかという気がしている。

今のわたしには文学を通して交際の輪が広がった日々が輝いて見える。その輪の中心には神智学を通じて知り合った人々との交際が見えない世界への翼となって、その痕跡をとどめている。

文学仲間とは文学観の違いから口論になったり、仲違いすることもあった。しかし、それは今思えば、何て贅沢な交際に恵まれた日々であったことだろう。

文学仲間とは話が通じないとか、話題に出したいことを相手に遮られて全く出せないということがほとんどなかった。

そうした交際の中でも、わたしが「詩人」と呼んだ今はなき女友達と女性編集者Мさんとは深い会話ができた。

皆が文学に抱擁されていたからこそ、そうした交際が可能だったのではないかと思う。比較的最近になって女性編集者Мさんから電話があり、会いたいという話だったが、わたしはまた口論になりそうな気がして会えないといった。

彼女が応援している作家たちを、彼女と共に応援することはとてもできないと思ったのだ。編集者として包容力がなければ、仕事にならないことはわかっている。

だが、彼女が応援しているこの国でよい地位を得ている作家たちは本当に作家という名に値する人々なのだろうか(勿論値する人々だっているだろうが)。

Мさんとの齟齬も、本を正せば、この国の文学界が左派に牛耳られている異常な状況から来ているとわたしには思える。

葛藤、不運、不遇が、左派に与することのできない物書きを襲い続けてきたのだ。言論の自由は事実上、左派にしか存在しない。独占を真に自由と呼びうるかどうかは疑問のあるところだが。

左派が毛嫌いする神秘主義、その中でも近代神智学運動の母といわれるブラヴァツキーは左派のバッシングの的となってきた。マルクス主義の根拠となっている唯物論の誤りを的確に指摘できる神智学は左派の天敵だからである。

大学生のわたしはプロティノスが神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子とは知らなかったにも拘わらず、哲学者の中ではプラトンに次いでプロティノスに惹かれ、やがてブラヴァツキーの神智学に辿り着いた。

神智学協会ニッポン・ロッジ初代会長であった田中恵美子先生からは、神智学の神髄を教わった。先生がお亡くなりになった今も、わたしは美しい白薔薇を想い浮かべるように、先生の美しかったオーラの色合いを想い浮かべる。

先生と対等に交際するにはわたしには知能も教養も足りなかったが、先生の影響を自分に可能な限り受容させていただいた。

このような、わたしの目に知性美に輝く理想像と映った田中先生のような人と人生の早い時期に出会ってしまったので、先生が亡くなってしまうと、味気ないこの世がいよいよ味気なく映ってしまうようになった。

死後、別れの挨拶に会員達を訪れた先生――同じことを経験した会員が複数いる――は、その後もあの世から見守ってくださっているのを感じる。それでも、生身の先生に大会などでお目にかかることはもうできないのだと思うとこの世は如何にも味気ない。

もし、あの世から地上世界にある神社へと、毎日ボランティアに通っておられる萬子媛のような高級霊と出会わなければ、神秘主義者として生きざるをえないわたしの後半生はどんなに淋しく、虚しく過ぎたことだろう。

あの世にまで広がる交際を可能にしたのは、神智学という神秘主義だ。

文学と神秘主義、この二つの思想に抱擁されて、コミュニケーションの可能性を追求し、その恩恵に浴してきたわたしはいつのまにか、コミュニケーションというものはごく自然に行われるものと錯覚してしまっていた。

ところが、中学時代、高校時代に親しかった友人達と旧交を温める機会を持ったことから、その錯覚が打ち砕かれた。

その中でも、中学から高校にかけて最も親しかったナースになった友人との35年ぶりの再会は意外な展開を迎えた。同じころに幼馴染からもやはり35年ぶりに連絡があり、幸いこちらとは旧交を温めることができた。

二人の違いといえば、幼馴染とは互いに35年間欠かさず年賀状を出し続けて相互に連絡し合っていたが、ナースの友人とは音信不通になったりならなかったりで、その状況に嫌気がさし、もう年賀状を出さないことに決めた矢先の再会だったということである。

幼馴染みは文学好きというわけではないが、長電話の中で「Nちゃん、創作続けている?」と大切なことを問いかけるように尋ねてくれた。創作のことを話したかどうかさえ覚えてなかったので、思いがけない嬉しさだった。

幼馴染みの声は昔と同じように優しく、柔らかに響き、当時と同じようにわたしを癒してくれる。

わたしの創作を励ましてくれるのは、この幼馴染みと東京在住の従姉くらいだ。

いや、もう一人だけいた。大学時代に美術部だった埼玉在住の友人で、彼女は今は喫茶店を経営しており、絵は描いていないという。が、シャガールばりの彼女の絵をわたしは忘れられず、彼女は毎年の年賀状に欠かさずわたしの創作のことを書いてくれるのだ。

誰かと会って話すとき、わたしは相手の喜びの源泉や苦しみの原因を知りたいと思う。そして、相手にも同様にわたしのことを知ってほしいので、万遍なく話題を広げたい。

しかし、考えてみれば、それは高度にコミュニケーションがとれ、相手のことに関心があって初めて可能になることなのだ。

女性同士であっても、相手が好きであれば、相手に関心を持つのが自然である。そして、コミュニケーションは、語彙や表現力が乏しければ、うまくいかない。

博多で三人の友人達と旧交を温めて、とてもなつかしかったものの、むしろわたしにとっては冷やす結果となってしまった。

二人は――ナースの友人には子供はいないにも拘わらず――どこか姑臭くなっていて、なつかしい顔立ちや振る舞い、変わらぬ魅力を湛えた表情の移り変わるある瞬間に何か底意地の悪さといったものを感じさせるのだ。

考えてみれば、昔もそうしたことを感じることがあり、それは気のせいだと思っていた。

だが、おそらく一人は底意地の悪い姑に献身的に仕える重労働の中で、自制心を次第に摩滅させただけでなく、底意地の悪さを姑に学んでしまったのだ。ナースの友人は職場環境によるものだろうか。ナースの中に時々、底意地の悪い人を見かけるときがあるからそう思うだけで、わたしの憶測にすぎない。

わたしが独身時代、金持ちだったのに、今はそうでないのが痛快らしい。金持ちだったのは両親であって、わたしではない。両親の自分勝手には結構苦しめられたし、倒れた母の看病のために就職できなかったにも拘わらず、両親はそのことを意に介していなかった。

好意的でなつかしい友人の振る舞いの中に棘のように意地悪が潜むことに、わたしは耐えられないが、そのときはなつかしさのほうが勝り、再会が嬉しかった。

姑臭くなった友人の一人と二人きりで駅の構内を歩いたとき、幸い昔の彼女が戻ってきた。昔彼女の家に泊めて貰った晩、目を綺羅星のように輝かせながら宇宙への憧れを語った彼女。

そのときの彼女が戻ってきたことを思い出し、交際を深めていけば、姑からの仕打ちの痕跡など、やがて消えて行くのではないかと考えている。その機会があればだが。

ナースの友人とは修復が可能か不可能かという以前に、価値観も友情観も違いすぎるのがわかった。

結局、人間性を損なっていなかったのは新興宗教にはまっている残る一人の友人だけだった。彼女には底意地の悪さは微塵も感じられず、知識欲も旺盛と映った。

おそらく宗教活動を通して、彼女は読書習慣や考える習慣を持ち、それは情操を養う機会ともなったのだ。

その宗教の内容に関してはわたしには共鳴できないところがあるけれど、底意地の悪さというものが本人も気づかない精神的飢餓感から発生しているように思えるとき、宗教が――宗教組織が宗教を何か世俗的な目的のためのアイテムとしていない限りにおいてだが――萎縮しやすい女性の生活に活気と潤いとコミュニケーションの機会を与えてくれるように思われる。

大学時代の友人で、別の新興宗教にはまっている人がいて、彼女にも同じことを感じている。わたしたちは度々電話し合って、様々な事柄について万遍なく話す。暮らしのことから、現在の不安や課題、宗教思想、宇宙について、政治についても。

考えかた、思想の違いも率直に話して、むしろその違いが興味深くて楽しい。彼女にも、底意地の悪さは全く認められない。

そもそも、暮らしに欠けるものを感じ、何か高いものへの欲求や憧れがあるから、二人の友人は入信したのだろうと思う。

聖人ではないのだから、齟齬や不愉快というものは交際にはつきものであって、わが身も顧みず、そのことをどうこういうわけではない。

相手に意地悪と誤解されても仕方のない場面は交際にはよくあることのだが、底意地の悪さというものはこれとは別物で、わたしが問題としたいのはこのことであり、これが意図的であるというところに問題があると思うのだ。

ごく瞬間的な意地悪な素振り、雰囲気、言葉を意図的に親しみの中に混ぜてくる人というのは心底病んでいるだけでなく、その対象とする人を本当には好きではない可能性があると思う。

この悪癖に冒される人達というのは、わたしの知る限り、唯物主義者、現世主義者に多い。それは先述したように、物質偏重からくる飢餓感なのだ。

博多での再会後に彼女のご主人が統合失調症との診断を受けたと知り、わたしはそのことにひどく負担を感じた。統合失調症が大変な病気であることを知っているから、彼女のことが心配になり、こうしたことの全体がわたしには負担と感じられた。

友人としての有効期限は過ぎたとわたしが感じ、整理しかかったときに繰り返し誘いをかけてきて(わたしの体がひどく心配なのだと彼女はいった)、35年ぶりに再会した後、この大変な事態を明かされるとはあんまりだと思った。

しかし一方では、大変な状況下でわたしのことを思い出してくれた彼女に嬉しさを覚え、何か誇らしいような気持ちも起きた。頼りにされているのかもしれないという一方的な思い込みで責任感を刺激された。

わたしには、再婚した奥さんにつられるようにして頭が普通でなくなった父があり、また「詩人」と呼んだ統合失調症の友人がいた。彼女の参考になることを話せそうだった。

コミュニケーションがうまくいかないのを感じたが、彼女のほうではうまく行く必要もないのかもしれない。

彼女の愚痴を聞いて、適度な慰めとなり、陽気な飲み友達となれるのなら、彼女にとって最高の友人となれただろう。ご近所づきあい、気晴らしのアイテムとしての友人関係を求められているだけだとわたしは思った。

ただ、わたしの友人づくりはシビアすぎるのだろう。彼女のほうが標準なのだ。わたしが貪欲に友情に純度の高さを求めすぎるのだ。いつまでも青臭い、お馬鹿さんなのだ。そう、相手が姑臭く感じられるほどに、わたしは若いころから成長がないのかもしれない。

彼女と親しかった高校時代の交際も、考えてみれば、ご近所づきあい風だった。それが彼女の友情観であり、わたしの友情観とは食い違いがあったのだ。だから彼女という友人がいながら底知れない孤独を感じていたのだろう。

高校時代にはそのことがわからなかった。勉強や行事やクラブ活動で忙しい高校時代は、深い話をする機会がないだけだと思っていた。そんなわけはなかったのだ。友情観が一致していたとしたら、ない時間をつくって、あれこれ話したに違いない。

彼女にとって、わたしは重い、変なところのある、面倒な友人だったのではないだろうか。

そんなわたしだが、ご主人を一心に支えている彼女には深い尊敬の念を抱いている。ナースとして優秀な彼女であるからこそ、できることだとも思う。

大地に根差したような彼女の快活さ、バイタリティにわたしは惹かれたのに違いない。くれぐれも無理しすぎないようにと願う。

フルートが上手で、岸洋子「希望」を教えてくれた彼女は本来、芸術に鋭い感性を持つ人だとわたしは思っている。ストレス解消は、アルコールより芸術に頼ってほしい。

何にしても、頭を疑われそうになっては、彼女から逃げ出さないわけにはいかない。何しろ彼女はナースなのだから、怖い。如何に説明しようが、唯物論者で現世主義者である彼女――彼女にその自覚はないだろう――に神秘主義をわかって貰うのは無理な話だ。逃げるが勝ちだ。ごめんね。

結婚するときに、神智学を教わった田中恵美子先生がカーリル・ギブランの
「結婚」に関する詩を邦訳して贈ってくださった。主人との間でいろいろあるたびに、その詩を読み返してきた。

英語版「神智学ウィキ」に、カリール・ジブラン(ハリール・ジブラーン、カーリル・ジブラン)​​の神秘主義は、キリスト教、イスラム教、スーフィズム、ユダヤ教と神智学といった異なる影響が収束したものだと書かれていた。(→ここ

イタリア神智学協会のオフィシャルサイト「著名な神智学者の名前の一部」にもカリール・ジブランの名があった。

過去記事で紹介したカリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)から、「友情について」を再掲しておこう。   

そこでひとりの青年が言った。お話しいただけませんか。友情について。
    アルムスタファは答えて言った。
    君の友人は君の需
(もと)めへの応え。かれは畑。君はそこに愛をもって種まき、感謝をもって刈り取る。
    彼はまた食卓。君の暖炉。
    君は飢えてかれのもとに行き、平和を求めてかれを探すのです。

    友がその考えを語るとき、恐れるな、君自身の心のなかの「否
(いな)」を。そしてまたおさえるな、「然(しか)り」を。
    また、友が黙するとき、君の心は止めてはいけない。かれの心に耳を傾けることを。
    なぜなら友情にあっては、言葉なしに、すべての思い、すべての望み、すべての期待が生まれて、分かち合われるのです。それも喝采を必要としない喜びのうちに。
    君が友から離れるとき、歎いてはならない。
    なぜなら、君がかれのなかで一番愛しているものは、かれのいないときにこそ明らかになるのだから。山は、それを目指す者には、平野からこそ明らかに見えるもの。
    そして友情には、精神を深めることの他にはどんな目的もあらしめるな。
    なぜなら自らの神秘を顕わにする以外のことを求める愛は、愛ではなくて、投げ込まれる網にすぎない。

    そして君の最良のものが友のためであるように。
    もしかれが君の引き綱を知らねばならぬなら、君の満ち潮も知らせてやるように。
    なぜなら、時間をつぶすための友を求めるなら、いったい友とは何だろうか

    時間を生かすための友をこそ常に求めなさい。
    なぜなら、友とは君の需めを満たすもの。君の空虚を満たすためのものではない。
    そして友情の甘美さのうちに笑いがあるように。そしてまた楽しみの分かち合いも。
    なぜなら、小さな事柄の一滴のうちにも、心は自分の朝を見つけてさわやかになるのだから。

    カリール・ジブラン『預言者』(佐久間彪訳、至光社、1984年)

関連記事:

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2017年7月18日 (火)

息子の土産話。温まった旧交を冷やす、女友達との価値観の違い。

昨夜、フランス語圏の国に2週間出張していた息子から電話があり、長電話になった。興味深い話をいろいろと聞くことができた。

古い洋館が研修施設になっていたそうだが、近くに森があり、その森は日本の森や林といったイメージからは遠く、そう大きな森ではないのに、とても暗くて、ヨーロッパのお伽噺によく出てくる魔女でも出てきそうな感じだったとか。

魔女裁判があっていたころ、異端視された人々が森の中で秘密の集会を開く場面を本で読んだことがあったが、隠れるにはぴったりといった雰囲気だそう。

尤も、息子は森に入ったわけではなく、近くを通ったときに見た程度だったようだ。

小さな国の割には放牧地が広大で、牛の群れが無造作に点在していたとか。

森の近くの研修施設も、そこからは離れた研究団地のようなところにあるオフィスも国際色豊か、人々は友好的。

ただその国の礼儀作法で、親しい男女間、女性同士が頬を触れ合う挨拶があり(男性同志ではしない)、女性と頬をくっつけ合う挨拶では固まってしまい、それを察知した相手は次の日から握手に代えてくれたとか。

オフィスには世界中飛び回っているアフリカ出身のキャリアウーマンがいて、その人は大の日本贔屓だそうで、それは青年海外協力隊に親切にして貰ったからだという。

オフィスのある街の住人もとても親切で、フランス語しか通じないレストランで戸惑っていると、隣で食事していたお客さんが通訳を買って出てくれたそうだ。

研修の間もオフィスでも昼食はフランスパンにハム、チーズ、野菜などを挟んだサンドウィッチ。ハーブがきつくて、息子はそれが苦手だったそう。

息子がチョコレートを送ってくれるそうで、娘と楽しみにしている。

暗い森の話のところで、つい魔女裁判を連想してしまったのは、わたしが児童小説に魔女裁判にかけられる女性を登場させたいと思い、いろいろと調べてきたからだった。

そして、ヨーロッパの昔話に見られるような魔女の起源はキリスト教会に異端視されたカタリ派に求められるらしいこと、またカタリ派ではイエスとマグダラのマリアが結婚していたと教えていたらしいことを知った。

『異端カタリ派と転生』(原田武、人文書院、1991)によると、カタリ派は都市部における富裕層の知識人たちによって担われ、栄えたが、弾圧されるにつれて農村部に移り、次第に迷信化、妖術化していった。つまり、どんどん俗化を強めていき、遂には絶えたということである。

イエスとマグダラのマリアの結婚については、拙神秘主義ブログの以下の記事を参照されたい。

これも過去記事で書いたことだが、上山安敏『魔女とキリスト教』(講談社〈講談社学術文庫〉、1998年)によると、魔女裁判が異端審問の延長上に生まれたことは確かであるようだ。

フランスのように教皇庁指揮下の裁判は異端審問、世俗裁判所では魔女裁判――という風に担当が明確であった所もあれば、ドイツのように教皇庁の力が弱くて双方が入り乱れていた所もあって、地域により時代によりまちまちだったようである。

異端者という語を生み、異端審問の開始のきっかけとなったのは、カタリ派だった。カタリ派は、それだけキリスト教会を脅かす存在だったのだ。

現代であれば精神病者に分類されるような人々が訴えられたり、逆に訴えたりするケースは多かったようだ。

一貫して魔女裁判の抑止力となったのは、神秘主義者たちだった。

前掲書『魔女とキリスト教』によると、魔女裁判の衰退に最も影響を与えたのは、ヴァイアーの医学的アプローチ、魔女懐疑論だった。

ヴァイアーはパラケルスス、アグリッパの思想系譜に属する神秘主義者で、彼の師アグリッパは魔女迫害推進派から邪悪な魔術の象徴として攻撃された。

アグリッパは異端視されながら『女性の高貴』など女性賛美の文章を書き(男性優位の社会背景があった。ちなみにカタリ派は男女平等論者だったという)、パリに秘密結社をつくり、メッツ市の法律顧問となって、魔女の嫌疑のかかった老婆の救援に立った。

勿論彼自身も魔女裁判の犠牲となる危険と隣り合わせだったが、個人的に教皇から好意をもたれていたことが幸いしたという。

ヴァイアーは、メランコリーという医学概念を魔女の判定に持ち込んで、魔女は責任能力を有しないことを立証しようとした。

こうした精神病理学の発達で、魔女裁判をリードしてきたフランスの法曹界がその影響を受けるようになったことから、魔女は火炙りにされるよりは拘禁され始め、山火事のようにヨーロッパに拡がった魔女現象は次第に鎮静化したという。

旧交を温めた友人のご主人が統合失調症と診断され、大変なようだ。別の医者は別の診断を下しているという。飲み薬漬け、アル中気味だったのが、療養所に入所したことで、少なくともアルコールとの縁は断っているそうだ。

律儀に夫を支え続けている彼女は立派だ。

が、残念ながら、彼女と前述したような話はできない。

戦後の日本が、共産主義者が大勢入り込んだ進駐軍による愚民政策によって唯物主義、現世主義に大きく傾いたように、彼女の物の考えかたにはその影響が色濃く、それが現代日本における主流なのだから、目下わたしに勝ち目はない。

物心ついたときから神秘主義者であったわたしなどは、現代日本の価値観からすれば、非科学的な時代錯誤の人間と映って当然だ。一方では、これをいってはまずいのかもしれないが、わたしにはむしろ彼女のような人々のほうが古めかしい人々に映る。

高校時代に親しかった彼女に、当時のわたしは自身のほのかな前世やあの世の記憶について、話したことはなかった。話せない雰囲気を感じていたからだろうが、かくも価値観の異なる青春時代における友人関係というものが、互いにとって有意義であったかどうかは微妙なところだろう。

ただ、何にせよ、神秘主義は科学に反する立場をとっているわけではない。オーラが肉体を包んでいるように、神秘主義は科学そのものを包含し、包含する観点から正誤を考察しようとするものなのだ。

近代神智学運動の母H・P・ブラヴァツキーの著書はそのようなもので、その著書には古代から当時知られた科学者に至るまで、多くの科学者、哲学者の説が沢山出てくる。

わたしは友人ににこうした考えを押し付けようとは思わない。彼女が思った以上に現世主義者で、価値観があまりにも異なることがわかったため、高校時代にそうであったように、今後こうした方面の話はしないだろう。

彼女も、彼女のご主人も一定の落ち着きを得たようだし、頼りになる妹さんもいるようだから、元のように距離を保つほうがいいかもしれない。

もっとも、神秘主義の研究を標榜しながら出鱈目な論文を書く学者や、スピリチュアルという名の下に誤った知識を商売道具にしている者など怪しげな人々が沢山いて、神秘主義が誤解されるのも無理はない。

それでも、精神病理学を発達させたのがヴァイアーのような神秘主義者であったことから考えると、神秘主義を排除して唯物的なアプローチを続けたところで、精神医学が停滞を続けるばかりであることは想像できる。

ユングのような神秘主義に関心を持った心理学者も出たが、そのアプローチの仕方はあまりに恣意的なのではないだろうか。

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2017年7月 8日 (土)

大雨から考えさせられた、古代文明社会における魔術とイアンブリコス

凄まじいばかりの大雨には驚かされるばかりで、古代文明社会で魔術の研究が盛んだったのも心情的にわかるような気がした。

古代文明社会では、人智を超えた力を招聘してでも何とかしたいという思いに至るほど、天災による悲劇が数多く発生したに違いない。

近代神智学運動の母P・H・ブラヴァツキーは、半分邦訳版が出ている Isis unveiled ――H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)、H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 下』(竜王文庫、2015)――の中で、古代文明社会で行われた魔術がどのようなものであったかを、歴史的な変遷に沿って理論面から丹念に考察している。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「魔術」には次のように書かれている。

(……)魔術とは現世を越えた天上的な力と交流してこれを意のままに動かし、またより低級な領域の諸力を自在に使用するという科学である。それは隠れた自然の神秘の実際的知識で、ごくわずかな人にしか知られていない。魔術は非常に得がたい知識であり獲得しようとする人はほとんど法則に違反し罪を犯して失敗してしまうからである。古代と中世の神秘家達は魔術を、テウルギー(神々との交流)とゴスティアと自然の魔術の三つのクラスに分類した。(……) (ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.59)

テウルギー(神働術)について多くを書き残し、それを実践したのは、3世紀の新プラトン派に属する神智学者で、イニトエートであったとされるイアンブリコスだった。

彼は「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている。」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)

神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。 (H・P・ブラヴァツキー、ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』竜王文庫、2010、ベールの前でp.lvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

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2017年6月29日 (木)

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

以下の文章を加筆しました。

2017年6月29日における追記


神智学がいうように、人間が七つの本質からなり、オーラの卵と呼ばれる色彩を帯びた卵形の光の中に生きている存在だとすれば、わたしが時々見るオーラと呼ばれる色彩を帯びた放射物を、今はまだ見ることができない人々もいずれは全員が見るようになるはずだと思うのです。

そのオーラが見え始めたのは大学生のころからで、それが比類なく美しいために、物書きの本能として、わたしは描写せずにはいられませんでした。他の神秘主義的な体験についても、自己肥大や商売っ毛からそうしてきたわけではありません。

自分の体験を特別視していないからこそ、描写し、記録し、神智学などの神秘主義関係の書籍と照らし合わせて研究したくなるのです。

自己肥大や商売っ気からなる著作は、記録や試行錯誤の研究というには自信満々で、その内容はわたしには何か遠いものに映ります。

海外には行ったことがないから、他の国ではどうなのかは知りませんが、今の日本社会では、わたしのような人間は「オーラが見えてすみません」くらいの低姿勢でいないと、一般の人々からは精神病患者あるいは詐欺師と疑われかねず、神秘主義と関わっているのに神秘主義的感性には欠けているインテリ――彼らが神秘主義について何かいうと、絵に描いた餅のように響きます――からは霊媒に分類されかねません。

一般の人々や頭でっかちのインテリは、神秘主義の本格的な勉強に入るより、芸術に触れて情操を高めるほうが先かもしれません。情操の発達こそが、健全な感受性を、つまり透視力や透聴力を育むはずだからです。

一足飛びに大師になれるわけではないといわれるのが真実なら、大師になるずっと前に、誰しもいずれはわたしと同じ段階に至るでしょう。

そのとき、神秘主義的体験の記録をとろうと思ったわたしの動機を人々はようやく理解し、聖典や大師方の手の加わった大著作と霊媒の著作との間に、このような成長記録――つまり当ブログに収録していくエッセー――のようなものがあってまあ助かる、と思ってくれるのではないでしょうか。

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2017年6月13日 (火)

萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺(法泉寺)に電話取材しました

8日、祐徳稲荷神社に参詣し、翌日、以下の記事を書きました。

動揺したことがあったために、すぐにはまとまった文章が書けなかったのですが、気持ちの整理もついたので、まとめにかかろうとしました。

が、まだわからないことがあり、電話で取材するのは失礼かもしれないと思いつつ、決行。萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺・法泉寺に電話取材しました。

その結果、さらなる驚き、という以上の衝撃に見舞われました。今回の一連の取材を通して、廃仏毀釈の爪痕をまざまざと見たように感じたのでした。

黄檗宗で断食入定が行われていたのかどうかが知りたいと思い、いっそ大本山にお尋ねしてみようと思い、電話したのでした。ご回答いただいたのは、宝物館の和尚様でした。

電話するまでは、密教の影響で、萬子媛が断食入定を実行されたのではないかと考えていたのです。尤も、黄檗宗は密教の影響も受けているようですけれど、萬子媛の断食入定は特異な例ではないかと憶測していました。

黄檗宗でも行われていたようです。いつごろまで何人断食入定をしたのか(現代では法律上不可能です)、記録が残っているのかどうかを知りたかったのですが、はっきりと記録されているわけではないのかもしれません。何度か同じ質問をしたのですが、はぐらかされてしまいました。

黄檗宗は中国の明朝の仏教が日本に伝えられたものです。その明朝で、また日本でも行われていた過酷な修行法を伺いました。

例えば、手に包帯をぐるぐる巻きにしてそれに油をさし、火をつけ、それを燈明代わりに、お経を読むのだそうです。

ひ、とわたしは心の中で悲鳴を上げ、「火傷では済まない場合もあるのではありませんか?」というと、「そういえば、どこそこに指を燈明代わりにした坊さんがおったな……」と事もなげに萬福寺の和尚様。いつの時代のお話なのでしょうか、恐ろしくて聞けませんでした。

明朝では(日本でも?)、自らの血で仏画を描いたり、写経をしたりということも流行ったとか。

そして、断食入定はそうした過酷な修行法の一つと位置づけられていたようです。

穀類を断ち、水だけを飲んで、骨皮筋衛門になる――と和尚様はおっしゃいました――修行を木食[もくじき]入道というそうです。

そして山の斜面みたいなところに入って、「つまり生き埋めになるわけですわ。息だけはできるようにしてな」と和尚様。

「水は飲めるのでしょうか? 生き埋めになったあと」とわたし。飲めるそうです。毎日お経を読み、水を飲んで、入寂のときまで……。

と、ここまで萬福寺の和尚様から伺ったことをメモしました。

まだまとめる段階にはないので(写真を挿入しながらきちんとまとめたいと思っています)、忘れないうちに、とりあえずメモしておきます。

鹿島の祐徳稲荷神社に舞台を戻すと、博物館のかたに教わって見学した岩本社には、萬子媛に仕えた尼さんがお祀りしてあるというお話でした。技芸の神様だそうです。

ところで、わたしは過去記事で次のようなことを書きました。

2016年8月18日 (木)
歴史短編1のために #27 萬子媛遺愛の品々 ②入定について。印象的な御袈裟。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/08/27-1e00.html

萬子媛があの世でボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、参拝するたびに、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の大勢の方々を感じるからだ。
その大勢の方々というのは、萬子媛が禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた尼僧たちを中心とする方々ではないだろうか。
わたしの神秘主義的感性が捉えた萬子媛にはどこか深窓の麗人のような趣があり、無垢で高雅で率直な高級霊の雰囲気が伝わってくる。
それに対して、萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性達の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性たちは生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。
萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来たときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ。
何にしても、萬子媛の一番近くにいる女性は身辺の護衛でも司っていそうな、シャープな雰囲気のある女性なのだ。わたしの内的鏡にほのかに映った気がする程度のものなのだが、萬子媛の圧倒的な雰囲気とはまた別種の矜持と気品とがまぎれもなく感じられて、興味深い。

過去記事で出てくる萬子媛の近くに控える矜持を感じさせる女性的な存在が、岩本社に祀られている尼僧ではないかと想像したくなります。

時代も下って、鍋島藩の家臣の家に育ったと聞く母方の祖母ですら、鹿島にお嫁に来るとき――有名な軍人さんが仲人だったというから、それくらいの時代――には、3人の側に仕えていた人々と一緒にお嫁に来たと従姉がいっていたことから考えれば、萬子媛には当然そうした方々がいらっしゃって、一緒に京都から鹿島に下られたことは確かでしょう。

その尼僧が技芸の神様として祀られているということは、生前、その方面の指導で優れていたからではないでしょうか。こうしたことからも、京都から萬子媛と一緒に下ってきた人ではないかと思えます。

37歳で京都の花山院から肥前鹿島にお嫁に来られた萬子媛。萬子媛は1625年生まれですから、このとき1662年(寛文2年)。今は2017年。2017年−1662年=355年。

何と、355年も萬子媛に仕えていらっしゃるというわけです。

355年後つまり出家後も、さらには死んでからも、同じように萬子媛に仕えているのだとすれば、それは萬子媛が黄檗禅の、また霊的な分野における師匠あるいはリーダーとして理想的な存在であり続けているからでしょう。

この世でグループを形成した人々は、あの世でも同じグループに属することがあるようです。その逆もいえるでしょう。

尼僧に神格が与えられ、技芸の神様とされていることから考えると、神社での祭事を連想させられます。明治の廃仏毀釈までは、仏事と神事がどちらも怠りなく行われていたということではないでしょうか。

岩本社を見学した後、普明寺を見学しました。案内図も撮ってきたので、まとめには挿入します。

普明寺は鍋島直朝公の長男である断橋(鍋島直孝)の開基により、桂厳明幢禅師が開山となり創建されたお寺です。

寺域全体を竜に見立てて建物や施設が配置されているとか。相当に奥行きのある敷地には草木が生い茂っていて、竹林などもあり、石仏が沢山あって、建物も立派でした。

ただ全体が自然に抱かれすぎているというか、率直にいえば、苔むして荒れていました。鹿島市は田舎ですが、祐徳稲荷神社のすぐ近くにあれほどの自然が手つかずで存在しているとは想像もしませんでした。

普明寺も、同じ敷地内の手前のほうにある普明寺の子院である法泉寺も、廃寺のように見えました。

でも、電話で萬福寺の和尚様はおっしゃいました。「普明寺に、去年の夏にお経をあげに行ったがよ」

(あの物凄いところへ?)と、失礼ながら思ってしまいました。江戸時代にはさぞ威容を誇ったであろう普明寺の背後が墓地になっているようですが、藪蚊が凄くて、そこへは行きませんでした。

でも、あそこにいた間、もう日が落ちかけて、爽やかな風が強く吹いていたので、すばらしい散策ともなりました。風が静まると、藪蚊がとまりに来るので、とまっているところを何匹か退治したり退治し損なったりしました。

それなのに、車に戻って体を調べてみると、一箇所も蚊に刺されていませんでした。夫も娘もそうでした。この時期の藪蚊は血を吸わないのでしょうか。

もしかしたら、萬子媛のお墓が神社の石壁社とは別に普明寺にあるのかもしれないと思いつつ、帰途についたのでした。

萬福寺の和尚様は、わたしが調査しているようなことに詳しいかたを何人か教えてくださいました。そのうちのお一人のご著書は読んだことがありました。

しかし、「総合的に知っている人はいない。佐賀も殿さんが沢山、黄檗の寺院を作った。祐徳稲荷もそうじゃが」と和尚様。

「普明寺は、相当に苔むしているように見えました。綺麗になれば、一般人も行きやすくなると思いますけれど」と磊落な和尚様の雰囲気に甘えて、ついいってしまうと、「あんたが、あんたが人のため、世のため。自分がやるか、やらないかをいうことに価値がある」と和尚様。

「わたしは黄檗宗の僧侶として断食入定を遂げられた祐徳院様に魅せられ、黄檗宗について知りたいと思いました。いろいろと教えていただいて、ありがとうございました」といいました。

法泉寺に電話したのは、田中保善『鹿島市史 真実の記録』(田中保善、1990)に、次のような記述があったからでした。

祐徳院と稲荷社は世間の信仰を集め、御霊験あらたかで有名になり参詣人も多く興盛になったが、明治を迎えて神仏混淆のお寺は明治政府の『神仏判然令』により神仏を分離して廃仏毀釈が実施されるようになった。ここでは仏像や仏具一切を普明寺に移して神社のみとした。普明寺では仏像仏具類は完備しており、普明寺の末寺の法泉寺に祐徳院の寺の物を全部移して現在大切に保管している。(田中,1990,pp.151-152)

祐徳博物館の職員は「祐徳院にあった物は普明寺に移されたということのようですよ」とおっしゃいました。前述したように普明寺も法泉寺も同じ敷地内にあり、法泉寺は普明寺の子院なのです。

しかし、法泉寺に電話でお尋ねしたところでは、禅寺だった祐徳院の物は何一つないというお話でした。萬子媛のお墓もないそうです。

「ここは藩主の菩提寺で、藩主と正室のかたしかお墓はありません。祐徳院様は後室なので、ここにはないのです」とのことでした。以下のオンライン論文にも、そのようなことが書かれています。

高橋研一(鹿島市民図書館 学芸員)「鍋島直彬の先祖史蹟顕彰事業 ~先祖の史蹟を訪ねた直彬」<http://kcc.lolipop.jp/_src/sc1250/82d382e982b382c692t96k8du8989985e81i8dc58fi81j.pdf>(2017/6/13アクセス)

他の大名家のお墓をきちんと調べていかなければなりませんが、夫婦が対になった墓所の配置は鍋島家の特徴的な墓の作り方といえるかもしれません」とも書かれています。

同じ正室であっても、先に嫁いだ正室だけが藩主と同じ墓地に眠る権利があったということのようですね。

そして、前掲論文の次のような記述に胸を打たれました。

普明寺の場合、菩提寺だったので非常に多くの子院が建てられています。当時の景観で言うと、ここから祐徳稲荷神社まで山伝いに子院がつながっていました。祐徳稲荷神社の前身も元々は祐徳院といって、普明寺の子院でした。

どんなに壮観だったことでしょう!

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2017年6月 8日 (木)

今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)から薫る神智学的教養

神智学と縁の深かった父親を持ち、自身も神智学書籍の翻訳などした今東光について、当ブログの過去記事をもとに書いた記事を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした。

ウェブサイトで閲覧した記事には今東光の著作からの引用も多く、参考になったが、本人の著作を読まずに記事を書いて終わらせるわけにはいかないので、加筆するつもりで、現在色々なタイプの今東光の5冊の著作――歴史小説2冊、歴史エッセー、身上相談物2冊――とと、編集者が書いた小伝を読んでいる。

身上相談物を読んで、東光が大好きになってしまった。ああ会ってみたかった。

親に恵まれなくとも、昔の日本には今東光のような慈父であり、またどこか慈母でもあるような人物がいて、魅力的な毒舌口調で相談にのってくれていたのだ。

読んでいて感激の涙が出てくるくらいに、真正面からこの上なく真剣に東光は回答している。

その身上相談を読んでも東光が身につけている物凄い教養とユーモアのセンスは感じとれるのだが、今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)を読むと、その教養から神智学の薫りがするのである。

例えば、聖徳太子。今東光は阿育王(アショーカ王)の善政を評価し、その善政に倣った隋の文帝を評価し、短命だった隋だが、「僕に言わせるとこの文帝の仏教治国策は古代東洋における阿育王の話に次ぐ近代性を有つ国家です」(今,1996,p.59)という。

そして、人民の民度は低く、野蛮と無法とが貧困と同居している日本で、この隣国の仏教治国策を施そうとしたのが聖徳太子だといい、東光は最大級の賛辞を捧げている。

アショーカ王の特色は、彼が熱烈な仏教信者でありながら、他の諸宗教を排斥しなかったところにある。中村元は『古代インド』(講談社、2004)で、それは仏教に、本来このような性格があるからだと述べている。

仏教とは覚者(ブッダ)の教えである。覚者とは万有の真理を会得した人にほかならない。このような覚者は、偏狭な先入見を去って、ありとあらゆるものにその存在理由を求め、主種な思想的立場に対しては、そのよって成立するゆえんを洞察するものであらねばならない。覚者の教えは他の教えと対立することがない。それらを超越してしかも包含しているところのものである。ゆえに仏教それ自身はかならずしも他の思想体系を否認せず、それぞれの意義を十分に承認し、それぞれの長所を生かそうとするものである。(中村,2004,p.193)

わたしはここから神智学の教えを連想するのであるが、アショーカ王は真の仏教信者であったから排他的でない宗教性を持っていたのだろうし、今東光は真の仏教信者であったからこそ、神智学に親和性があったのだろう。あるいは、神智学に親和性のある資質が東光を仏教信者にしたといえるのかもしれない。

アショーカ王はチャンドラグプタの孫だった。過去記事でも書いたことだが、ブラヴァツキーを指導、守護したモリヤ大師のモリヤの名は、同大師の化身であったモリヤ(マウリヤ)王朝の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来たものだといわれている。東光はこのことを知っていただろうか。

東光は神仏分離を次のように批判している。

僕の持論はね、明治初年の神仏分離は稀に見る悪法で、稀に見る悪法で、あのために日本はモラルのバックボーンを喪失したと見るんです。従って神仏は改めて新しく発足し直し、昔ながらに手を握るべきである。これなくして日本はモラルを恢復することが出来ないと主張してるんですどうです、こりゃ名論卓説てえもんでしょう。(今,1996,p.98)

平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に収録された歌では神仏がそれぞれの系譜を純粋に保ちながら渾然一体となっていて、そこからは高い美意識と倫理観が感じられる。

日本人の美意識、倫理観がこのとき既に高度な水準に達していたことを考えるとき、わたしにも、神仏分離は悪法だったとしか思えない。神智学徒であれば、誰しもそう思うだろう。

絶世の美女とされるクレオパトラの知的魅力を、「アレクサンドリア学派の哲学を修めた教養の高い才女」(今,1996,p.39)という風に、アレクサンドリア学派を背景に説くところなども、神智学徒らしさを感じさせる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「アレクサンドリア学派(Alexandrian Philosophers School)」を読むと、アレクサンドリア学派について総合的な知識を得ることができるが、ここに、アレクサンドリア市は「西暦173年にアンモニオス・サッカスが設立した折衷学派即ち新プラトン学派で一層有名になった」(田中,1995,「用語解説」pp.16-17)とあり、質疑応答形式の本文に「神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです」(田中,1665,p.13)とあるように、神智学はアレクサンドリア学派から起こった。

だからアレクサンドリア学派という名称は、神智学徒にとっては特別の響きを持っているはずである。

今東光は嵐のような日教組に対する批判活動を繰り広げていたらしい。「共産主義てえもんは赤色帝国主義だってえ解るときが怖いんだ」(今,1996,p.133)という東光は、その怖さを緻密な歴史研究を通して知っている。

そして、引用する左翼的教育に対する今東光の懸念は、唯物史観とは到底相容れない神智学的歴史観からすれば、当然のものだ。

日本の左翼的教育てえものは、つまり馬鹿を拵[こしら]える教育で、それでねえとインチキなマルクス・レーニン主義を押しつけることが出来ねえんだね。だから日本の歴史も、仏教も何も知らねえ二十世紀人ばかりになってきた。将来、此奴等が大人になって人の親となったら、それこそ歴史の悲劇だろうな。(今,1996,p.19)

東光の懸念は当たってしまった。

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