カテゴリー「評論・文学論」の273件の記事

2019年5月26日 (日)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (4) 

森によると(2006,p.18)、トラヴァースとジョージ・ラッセル(AE)の出会いは1925年。ラッセルは57歳、トラヴァースは25歳だった。

森によると(2006,p.18)、ラッセルはトラヴァースを「『娘、助手、徒弟あるいはその三つを合わせたもの』と考え目をかけてくれた」また、「精神世界について、妖精物語や神話の意味、東洋の宗教などについて教えを受けた。AEが重要視していたのは、アイルランドの国家ではなく、そこに広がって存在する精神的な結び付き、霊的な一族であった」。

交友関係はラッセルが1934年に亡くなるまで10年近くに及んだ。森によると(2006,p.29)、ラッセルはトラヴァースの「師でもあり恋人でもあった」。

メアリー・ポピンズ初期の作品にロマンティックなムードが漂っているのも、納得できる。

ウィキペディア英語版、日本語版の「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」には、神智学協会やヘルメス協会は出てきても、グルジェフ関連の記述は見当たらない。ラッセルはグルジェフとは接触がなかったようである。

ウィキペディア日本語版には、ラッセルが神智学団体のまとめ役や相談役も担ったとあり、次のような記述もある。

1880年頃から神智学に興味を持ち始めた。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際にはすぐ加入しなかったが、この組織が神智学協会へと改組されると参加し、さらに1898年にはこの組織を抜けて自らヘルメス協会を復興させた。
「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月24日 15:57 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org)

ウィキペディアのヘルメス協会というのは、The Hermetic Order of the Golden Dawn のことではないかと思う。

「黄金の夜明け団」と邦訳される、英国フリーメーソン系英国薔薇十字協会の3人のメンバーによって創設された神秘主義的結社である。

亡き母に捧げられた「風にのってきたメアリー・ポピンズ」は1934年に出版されたが、「ポピンズ」シリーズの基となった詩や短編が1923年から見られるという。

1935年7月にラッセルが亡くなった3か月後の10月に書き上げられ、同年出版された「帰ってきたメアリー・ぺピンズ」には、最後までこの2巻のことを心配していたラッセルの助言が生きているそうだ。

「ポピンズ」シリーズ初期の1、2巻にラッセルの影響が濃く、アイルランドの妖精物語や神話などに交じって神智学の影響が見られるのもなるほどと思わせられる。

トラヴァースがラッセルを通じてオイレジと知り合ったのは1933年である。1907年に神智学協会との関係を打ち切っているオイレジはこのころ、グルジェフ色に染まっていたと考えられるが、出会いの翌年にオイレジもまた亡くなった。

「帰ってきたメアリー・ポピンズ」に話を戻そう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

以下は未整理のオイレジに関するノート。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」(https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Alfred_Richard_Orage&oldid=897156548)を参照したところでは、アルフレッド・リチャード・オイレジAlfred Richard Orage(1873 - 1934)は、小学校の教師時代に独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)に関わり、その後プラトンを7年間、ニーチェを7年間、マハーバーラタを7年間学んだ。

1890年代後半、従来の社会主義に幻滅したオイレジは神智学に転向。その神智学に対する合理的な批判を著作で行い、それが社説的な反論を呼び起こしたことで、1907年に神智学協会との関係を打ち切った。

オイレジは1907年に週刊誌「ニュー・エイジ(The New Age)」を買い取って、編集者としての腕を振るった。

「ニュー・エイジ」の寄稿者はフェビアン協会のメンバーが多かった。

ウィキペディア「フェビアン協会」(https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%8D%94%E4%BC%9A&oldid=71731569)によると、フェビアン協会(Fabian Society)は1884年にロンドンで設立された。漸進的な社会変革によって教条主義的マルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義(フェビアニズム)と呼ぶ。

独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)、神智学協会1907年に彼はTheosophical Societyとの関係を打ち切った

ファビアン協会のメンバーにはジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw,1856 – 1950)、イーディス・ネズビット、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells,1866 – 1946)など作家もいて、アニー・ベサント(Annie Besant,1847 – 1933 1907から1933年にかけて神智学協会の第2代会長)も初期のメンバーの一人だった。

オイレジはその雑誌の傾向を変化させていく。キャサリン・マンスフィールドも寄稿したようである。

オイレジとグルジェフとの関係には紆余曲折あったようだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

| | コメント (0)

2019年5月24日 (金)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (3) 

ここでちょっと書いておくと、わたしはグルジェフに関する著作を読んだことはなかったが、オカルト情報誌『ムー』でたびたび目にしていた。

また短編小説の名手キャサリン・マンスフィールドが結核末期にグルジェフの施設に駆け込み、そこで亡くなったことをマンスフィールドの年表や伝記を通して知っていた。書店でグルジェフに関する著作を手にとってみたことは何度もあったが、読みたいという衝動が起きなかった。

マンスフィールドについて少し書いておくと、彼女の作品は一幅の絵のように印象的である。登場人物が息を呑むほど精緻に描写され、人生の深みに誘い込まれる。

一例を挙げよう。キャサリン・マンスフィールド(安藤一郎)『マンスフィールド短編集』(新潮社⦅新潮文庫⦆、1979改版)所収「パーカーおばあさんの人生」の次の断章。

「おばあちゃん! おばあちゃん!」小さな孫息子は、ボタンどめの深靴のまま、彼女の膝の上に立った。外の遊びから帰ったばかりだった。
「これ、おばあちゃんのスカートが台なしになっちゃうじゃないか――いけない子だね!」
 だが、孫は彼女の首に手を巻きつけて、頬を彼女の頬にすりつけた。
「おばあちゃん、一ペニーちょうだい!」とねだった。
「あっちへいきなさい、おばあちゃん、お金なんかもってないよ」
「うそ、もってるよ」
「いえ、もってません」
「うそ、もってるよ、一ペニーちょうだい!」
 もうそのとき、彼女は古い、ぐにゃぐにゃになった、古い皮財布をまさぐっていた。
「それなら、お前はおばあちゃんに何をくれる?」
 孫は、ちょっと恥ずかしそうな笑い声をたて、いっそう近くくっついてきた。その瞼がふるえながら、彼女の頬にあたるのを感じた。「なんにも、もってないもの」と彼は小さな声で言った。(マンスフィールド,安藤訳,1979,pp37-38)

言葉を尽くして博愛やかよわい生命のいじらしさを説くよりも、この断章一つ示すほうが効果的なのではあるまいか。

実は、この孫は既に死んでいるのである。これは、パーカーおばあさんの回想なのだ。

この孫が死なずに成長したらどうなっていただろう(とんだ祖母不幸な男に育った可能性だってある)と思ったりするが、マンスフィールドの作品の登場人物には誰にも彼にも未来が閉ざされているようなはかなさが付き纏っている。そこのところがわたしには不自然な気がするというか、物足りないところだった。

マンスフィールドの描写力を羨望したヴァージニア・ウルフのような知的処理がなされないだけに救いがなく、真実の半分が欠落しているような気がしてしまう。

キャサリン・マンスフィールド(崎山正毅&伊沢達雄訳)『幸福・園遊会 他十七篇』(岩波書店《岩波文庫32-356-1》、1969)の巻末「年譜」(マンスフィールド,崎山&伊沢訳,1969,「年譜」p.409)に、彼女が1922年10月、「奇跡を求めてフォンテンヌブローのグルディエフ・インスティテュート(一種の精神療法を唱えるロシア人グルディエフの創立になる)にはいる」とある。翌年の1月9日、34歳で亡くなっている。

グルジェフの著作の邦訳版は次の3冊が出ているようだ。

ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判
G.I.グルジェフ (著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1990/08)

注目すべき人々との出会い 
G.I.グルジェフ (著), 星川 淳 (翻訳)
出版社: めるくまーる (1981/12/1)

生は「私が存在し」て初めて真実となる
G.I. グルジェフ (著), Georgei Ivanovitch Gurdjieff (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1993/08)

残念ながらわたしが利用している図書館にはない。次の4冊がある。

グルジェフ・ワーク―生涯と思想 (mind books)
K.R.スピース (著), 武邑 光裕 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1982/08)

覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵
郷 尚文 (著)
出版社: 市民出版社 (2001/6/1)

回想のグルジェフ―ある弟子の手記
C.S. ノット (著), Charles Stanley Nott (原著), 古川 順弘 (翻訳)
出版社: コスモスライブラリー

グルジェフ伝―神話の解剖
ジェイムズ ムア (著), James Moore (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (2002/3/1)

ネット検索で、グルジェフに関するサイトを発見した。リンク禁止とは書かれていないようなので、紹介しておく。

グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集
http://gurdjieff.la.coocan.jp/index.html

サイトの「生涯に関する叙述」中「1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明」の次の記述を読む限り、グルジェフが神智学の影響を受けたとは到底思えない。

二分化された意識構造から生じる異常性の例として、グルジェフは、「いちおうは目が覚めた状態」にある人々がもっぱら顕在意識の支配下で見せる行動や思考の異常性にも目を留めた。戦争と動乱の絶えない時代にあって、グルジェフはしばしばその現場を目撃したが、もっとありふれた状況のなかでこれについて徹底的に解明するための研究対象としてグルジェフが目を留めたのは、ちょうどそのころロシアやヨーロッパで大流行していた神智学運動やオカルティズムを背景にして、いわゆる「精神世界」に夢中になる人たちが呈する思考と行動における異常性だった。(HC)

グルジェフは、みずからその分野での「専門家」になりすまし、神智学運動やオカルティズムを追求する組織や団体と接触し、この「哀れむべき病気」のさまさまな症例を研究する(HC)。これは「まやかしの研究と実習」として、のちにグルジェフが設立した学院のカリキュラムにも組み込まれた。
Home > Introduction > 生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/life_04.htm

が、接触があったことは間違いないのだろう。

トラヴァースはグルジェフを通してではなく、直接ブラヴァツキーの著作に触れたのではないだろうか。その後、グルジェフに傾倒していったのを物語るように、メアリー・ポピンズの初期の作品にしかブラヴァツキーの神智学を連想させられるような文章は見い出せない。

だが、グルジェフの死後、トラヴァースは、神智学と関係の深かったクリシュナムルティをグルジェフの再来として崇拝したようだから、メアリー・ポピンズの物語が全体として神智学の香気に包まれていても不思議ではない。

前掲サイトから、キャサリン・マンスフィールドの最期から埋葬後までの情報を得ることもでき、貴重である。

キャサリン・マンスフィールドの思い出 (チェスラヴ・チェコヴィッチ回想録より)
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/PDF/quote_0801.pdf

以下は、ウィキペディア「ゲオルギイ・グルジエフ」の解説より引用。

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(ロシア語: Гео́ргий Ива́нович Гурджи́ев, George Ivanovich Gurdjieff、 1866年1月13日? - 1949年10月29日)はアルメニアに生まれ、一般に「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。
ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものである。近年ではもっぱら性格分析に使われている「エニアグラム」は、史実として確認できるかぎりにおいて、グルジエフがこれを世に知らしめた最初の人物である。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。
「ゲオルギイ・グルジエフ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2018年11月17日 06:22 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」を閲覧した限りでは、グルジェフはロシア革命や大戦の激動期を求道的に生き抜く中で独自の思想を展開し、宗教的修行の場を形成したように読める。

「音楽に合わせてのリズム体操、ダルヴィッシュの舞踏、各種のメンタルエクササイズ、呼吸のいろいろな様式の研究」といった記述からわたしに連想されるのは、ブラヴァツキーよりも年齢的に近いシュタイナーなのだが、シュタイナーの名は出てこない。

グルジェフは治療も行ったようだ。記述からすると、これはおそらく磁気治療だろう。

これ以上グルジェフに踏み込む衝動が起きないので、ブラヴァツキーの神智学の影響をメアリー・ポピンズの物語から拾うに留めたい。

ただ、グルジェフの思想は芸術、心理学、ニューエイジ・ムーブメントなどへの影響も大きいようだから、いずれ、もう少し調べることになるかもしれない。何にせよ、ブラヴァツキーがニューエイジの元祖のように祭り上げられながら、なぜ誹謗中傷されるのか、前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」の記述(生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明)からもその原因の一端が窺える気がした。

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』に話を戻そう。

| | コメント (0)

2019年5月23日 (木)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (2) 

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-f68a49.html

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006、p.43)によると、「グルジェフの死後1952年に出版されたトラヴァースのメアリー・ポピンスの物語の第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park、53歳)にはグルジェフの考え方が織り込まれているという。

また、晩年に出版された第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane、1982年、83歳)、第10巻『メアリー・ポピンズとおとなりさん』(Mary Poppins and the House Next Door、1988、89歳)では、森によると(2006,p53)、ますます「グルジェフの神知学」の影響が大きくなるそうだ。

当記事は神智学の影響を受けたというトラヴァースの代表作であるメアリー・ポピンズの物語にどの程度、ブラヴァツキーの神智学の影響が窺えるかを調べるのが目的であるから、神智学の流れを汲むというグルジェフに踏み込むのは別の機会にしたいと思う。

ブラヴァツキーの神智学の観点から読むと、確かに、いわゆる神智学の影響が色濃く感じられるのは初期のメアリー・ポピンズの物語中第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins、1934年、35歳) 、第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back、1935年、36歳) である。

53歳で出版された『公園のメアリー・ポピンズ』は洗練された作品となっており、トラヴァースの児童文学作家としての成熟が感じられる。神秘主義的な作風であるが、格別に神智学を感じさせられる箇所は見つけられなかった。グルジェフの思想のオリジナルな部分からの影響がそれだけ強いということだろうか。

『さくら通りのメアリー・ポピンズ』と『メアリー・ポピンズとおとなりさん』には、いくらか筆の衰えを感じさせられるものがあった。

しかしながら、この2作品には幻想的というより夢幻的といったほうがいいような趣があり、現実と異世界の境界が曖昧で、このころ既にトラヴァースは異世界の住人となっていたようですらあって、夢見心地で書かれたような何か朧げな、恬淡とした味わいがある。

以上のことから、当記事で採り上げるべき作品は初期の前掲2作品ということになる。ロマンティックなところのある『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は過去記事で採り上げたから、ここでは『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を採り上げたい。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになるわけだが、そのアナベルがゆりかごの中で、ムクドリの問いかけに答えて、自らの起源を語る。

私見によると、この場面でアナベルが語る3箇所に、神智学色が濃厚に表れているのである。引用する。ここに2箇所ある。

「話しておやり、アナベル!」と、親どりが、しゃがれ声でいいました。
 アナベルは、毛布の下で、手を動かしました。
「わたしは、土と空と火と水なの。」と、しずかにいいました。「わたしは闇[やみ]のなかからきたの。なんでも、はじまりはそこなの。」(トラヴァース,林訳,2001,p175)

旧約聖書の創世記にも「闇」が出てくるが、アナベルが語る「闇」とは重要度が異なる印象である。聖書から見てみよう。

| | コメント (0)

2019年4月20日 (土)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 

パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)で彼女が受けた思想的影響をざっと見ていくと、AE(George William Russell  ジョージ・ラッセル,1867-1935)を通じて「マダム・ブラバツキの神知学協会」を知ったトラヴァースは「はじめは疑問をいだいていた」が、『ニュー・イングリッシュ・ウィクリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1873-1934)の話を聞き、「積極的な信奉者に変わった」。

1933年、AEを通じてオイレジと知り合ったトラヴァースは、1年の交流の間にオイレジの編集する前掲誌の劇評家となり、またオイレジを通じてジョージ・イワノヴィチ・グルジェフ(George Ivanovitch Gurdjieff,1866-1949)に出会ったのだった。オイレジはグルジェフの布教活動をしていたのである。

「マダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky,1831-1891)の神知学の流れをくむ」グルジェフは、彼の提唱する「仕事」を通じ、「知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとること」で「本来的自己(霊性)」に目覚め、「それが神性と同じであることを認識し救済に至る」という思想を説いていた。

※グルジェフについては無知で、現時点では未知の人物であるため、評伝をそのまま引用する。ブラヴァツキーの神智学に関する著者の解説は割愛させていただいたが、わたしには違和感があった。

トラヴァースはグルジェフの教えに共鳴した。グルジェフの死後出版された『公園のメアリー・ポピンズ』には、グルジェフの考えが盛り込まれているという。

1963年に京都を訪れたトラヴァースは「アメリカ人で日本人と結婚し、禅の修行を積んだ」ルース・ササキという女性から教えを受けた。また「グルジェフ派のグループの会合にはリーダー格として参加し、インド人の導師クリシュナムルチ(Krishnamurti)をグルジェフの再来として崇拝した」。

1963年、トラヴァースはディズニーによるミュージカル映画『メアリー・ポピンズ』の制作に顧問として参加する。映画は1964年に封切られたが、それはトラヴァースの期待を裏切るものだった。

「エドワード朝の平凡な主婦」のバンクス夫人が「婦人参政権論者」に仕立てられ、「行儀をわきまえているはずの」メアリーのスカートが舞い上がって下着が見え、「アニメ化されたペンギンがファンタジーを損なう」などであった。バートと絵のなかに入る「外出日」が目玉扱いされているのも不満だった。

最もトラヴァースを失望させたのは、「メアリー・ポピンズがただの使用人になってしまい、作品の特徴である神秘性が感じられない」ところであった。

以上、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)16~46頁を参考・引用させていただいた。

トラヴァースはケルトの文芸復興運動とも関わりが深そうなので、その方面からも見る必要があるだろうが、ここではただ、神智学の影響を色濃く感じさせる部分を拾うに留めたい。過去記事では『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を見ていった。

メアリーが子どもたちの世話役として勤務するバンクス家には、4人の子どもがいた。ジェイン、マイケル、双子のジョンとバーバラである。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになる。

 

❗上でトラヴァースが受けた思想的影響をざっと見たので、このあと『帰ってきた』で、神智学の影響を色濃く感じさせる箇所を引用する予定です。パソコンをつかえないため、iPadで書いており、時間がかかるため、途中ですが、アップしておきます。

| | コメント (0)

2019年4月16日 (火)

これはショック、ノートルダム大聖堂が……。大聖堂復興に貢献したユーゴ―の文学作品。

<ここから引用>
パリのノートルダム大聖堂(Cathédrale Notre-Dame de Paris、ノートルダム寺院とも) はゴシック建築を代表する建物であり、フランス、パリのシテ島にあるローマ・カトリック教会の大聖堂1。「パリのセーヌ河岸」という名称で、周辺の文化遺産とともに1991年にユネスコの世界遺産に登録された。現在もノートルダム大聖堂は、パリ大司教座聖堂として使用されている。ノートルダムとはフランス語で「我らが貴婦人」すなわち聖母マリアを指す。 (……)
ノートルダムの敷地は、ローマ時代にはユピテル神域であったが、ローマ崩壊後、キリスト教徒はこの地にバシリカを建設した。1163年、司教モーリス・ド・シュリーによって、現在にみられる建築物が着工され、1225年に完成した。ファサードを構成する双塔は1250年に至るまで工事が続けられ、ヴォールトを支えるフライング・バットレスは12世紀に現様式に取り替えられた。最終的な竣工は1345年。
全長127.50m、身廊の高さは32.50m、幅は12.50mと、それまでにない壮大なスケールの大聖堂が完成した。全体の色合いから、白い貴婦人とも称されている。 (……)
1789年のフランス革命以降、自由思想を信奉し宗教を批判する市民により、大聖堂は「理性の神殿」とみなされ、破壊活動、略奪が繰り返されていた。1793年には西正面の3つの扉口および、王のギャラリーにあった彫刻の頭部が地上に落とされた。ノートルダムの歴史を語る装飾が削り取られ、大聖堂は廃墟と化した。
その後、ヴィクトル・ユーゴーの『ノートルダム・ド・パリ』の出版が、国民全体に大聖堂復興運動の意義を訴えることに成功し、1843年、ついに政府が大聖堂の全体的補修を決定した。(……)
2019年4月15日の夕方に大規模火災が発生し、屋根の尖塔が崩落した。フランスのメディアでは、現地で実施されていた改修工事による火災の可能性があると報じられている。 建物内の美術品や聖遺物は、全て搬出された。
<ここまで引用>
「ノートルダム大聖堂 (パリ)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年4月15日 23:00 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

ノートルダム大聖堂の歴史は知らなかった。ノートルダムが聖母マリアを指すことは知っていたが、キリスト者ではないわたしには真っ先にユーゴ―の有名な文学作品『ノートルダムのせむし男』(ノートルダム・ド・パリ)が連想された。

しかし、その作品が大聖堂復興運動や修復に大きく関わっていたとは知らなかった。

そもそも革命以降、ノートルダム大聖堂が廃墟と化していた時期があったことなど、知らない人も多いのではないだろうか。今、ふと思い出したが、ユーゴ―は確かフリーメイソンではなかったか。

<ここから引用>
ヴィクトル・ユーゴー(1802年生) - 作家。著書は『レ・ミゼラブル』など。政治活動家(中年期以降)。ユーゴーはメイソンのDr. Henry Hopkinsに対して自分がフリーメイソンリーに所属していることを認めた。ユーゴーの小説『ノートルダム・ド・パリ』は、メイソンの象徴で満ちている。同小説の「Ceci tuera cela(これがあれを滅ぼすだろう)」の章は、疑う余地なくメイソンリーが反映されている。『レ・ミゼラブル』における秘密結社「ABC(ア・ベ・セー)の友」は、実在の政治的秘密結社「人権協会」がモデルであるが、メイソンリーに類似する。ユーゴーは1871年にルクセンブルク大公国のロッジ「Enfans de la Concorde fortifiée」のメイソンたちと接触した。ユーゴーがメイソンでないという文献もある。
<ここまで引用>
「フリーメイソン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年4月9日 02:13 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

フリーメイソンは本来は神秘主義的な性格を持つ博愛的な団体で、各結社により個性があった。

ところが、1777年に反神秘主義者であったアダム・ヴァイスハウプトがフリーメーソンとなり、彼のラディカルな思想(ヴァイスハウプトはこれに先立つ1776年にイルミナティ教団を立ち上げている)によってフリーメーソン結社を侵食し始めた。

81 トルストイ『戦争と平和』… ②ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ: マダムNの神秘主義的エッセー
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/04/05/151342

フランス革命には、イルミナティ系フリーメーソンが関わっていたといわれる。

本来のフリーメーソンであれば、暴力革命に賛成するはずがない。ユーゴ―はフリーメーソンだったと思われるが、作品から見る限り、反イルミナティだったとしか思えない。改めて、ユーゴ―について調べる必要を覚える。

いずれにせよ、ユーゴ―は「聖母マリア」を救った。明治期の廃仏毀釈によって破壊され尽くされようとしていた仏教美術を救った一人、フェノロサは近代神智学の影響を受けていた。神秘主義者たちによって貴重な文化遺産が救われてきたことは、あまり知られていない。

キリスト者にとっては聖母マリアの象徴であり、文学を愛する人間にとっては文学の象徴でもあったノートルダム大聖堂があんなことになり、ノーベル文学賞が滅茶苦茶になって……哀惜の念に堪えない。

| | コメント (0)

2019年4月15日 (月)

山上億良の子供を思う歌、万葉集を愛でた杉田久女

思いついたことをメモするのに、ツイッターは使えそう。自分本位の使い方になりそうです。

億良は瓜や栗を食べながら子供たちのことを思い、また、その子供たちはどこから来たのだろうか、どんな縁で自分のところへやって来たのだろうか――と、考えている。安眠できないほど、子供たちの面影がちらついているようだ。

反歌は次のような歌。

銀も金も玉も何せむにまされる寶子に如[し]かめやも

億良にとって、子供に勝る宝はないのだ。子煩悩な親心が迸り出ている。

「令和」の出典が万葉集ということで、万葉集を読む年になりそう。読んでいると、学校で習ったものが結構あって、なつかしい。

拙FC2ブログで紹介してきた俳人の一人、杉田久女は万葉集に心酔した時期があったようで、その影響を感じさせられる秀句がある。

防人[さきもり]の妻恋ふ歌や磯菜摘む
元寇の石塁[とりで]はいづこ磯菜摘む
寇まもる石畳はいづこ磯菜摘む
磯菜摘む行手いそがんいざ子ども
(杉田久女『杉田久女全集第一巻』89頁、1989、立風書房)

そういえば、久女も子煩悩な人だったようだ。

俳句界のドンであった高浜虚子との確執などあり、一冊の句集も出さずに亡くなった母の思いを、長女の石昌子さんが叶えた。昭和27年10月20日、角川書店より『杉田久女句集』が刊行されている。

図書館から借りた本の返却が迫ってきた。パソコン、インターネット関係に気をとられて、ほとんど読めなかった。メアリー・ポピンズの三冊目から、神智学の影響を感じさせられる箇所を抜き書きしておきたいのだが。 

| | コメント (0)

2019年3月19日 (火)

末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読んで ※20日に加筆あり、緑字

児童小説、末吉暁子『星に帰った少女』(偕成社、2003改訂版)を読みました。

ネタバレあり、ご注意ください。

佐藤さとる氏の解説によると、イギリスの女流作家フィリッパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』が日本に紹介されたときの影響力は大きく、同じ手法を追う試みがいくつかなされたそうだ。『星に帰った少女』も、直接か間接か影響を受けているかもしれないという。

主人公マミ子がママから貰った古いオーバーのポケットに入っていたバスの回数券を使ってタイムトラベルするというストーリーだから、解説を読む前の作品を読んでいる途中で、わたしもピアスの作品を連想した。

12歳の誕生日の晩、母子家庭でママの帰宅を待つマミ子。マミ子の気持ちにあまり寄り添わない、キャリア志向のママ。古びたオーバーを貰って困惑するマミ子の気持ちも、率直な物言いをするママの気持ちもよく書けている。オーバーはママが大層大事にしていたものだった。

東京からタイムトラベルした、敗戦後間もない昭和24年の海辺の町。富士山が間近に見える。進駐軍が何気なく出てくる。町の様子は丹念に、叙情味ゆたかに描かれ、「昭和」の薫りが郷愁を誘う。

マミ子はその町で、同じ12歳のママ、杏子と出会った……これはもしかしたらピアスにも勝る第一級の児童小説ではないだろうか、とわたしは興奮した。

だが、後半部、その感激は徐々に冷めていき、竜頭蛇尾の印象に終わったことを残念に思う。

ママが再婚を匂わせるようになり、その相手の男性トシさんをマミ子は受け入れていたはずだった。ところが、トシさんといるときのママに違和感を覚え、反発した態度をとってしまう。

その場面の描写は秀逸である。長くなるが、勉強のためにも引用しておこう。

 とつぜん、ふたりのわらい声がきこえた。ふりかえると、ママはその場に立ちどまり、おなかに手をあて、身をよじってわらっている。いっぱいに、ひらかれた赤いくちびる……切れめなしに、あふれでてくるわらい声。
「ママったら、道のまんなかでみっともない……」
 トシさんも、そんなママをたのしそうにみている。両手をポケットにつっこみ、じょうだんでママをわらわせた、とくいの表情をして……。
 ママのあんなわらい声を、一度もみたことがない……。
「そう、あたしは、これまで一度もわらわなかった。だからいままでのぶんも、いっぺんにとりもどしているのよ。」
 かん高いわらい声は、そういっていた。
 マミ子は、きびすをかえして歩きだした。駐車場にはいかず、駅にむかって、どんどん歩いた。
 ふりかえると、絵の具箱をぶちまけたような色彩のなかを、みしらぬ顔、顔がうごめいているだけだった。
(末吉,2003,pp.193-194)

無防備に女としての自分をさらけ出しているママに対するマミ子の生理的な嫌悪感、トシさんに対する敗北感、孤独感といった一連の心の動きが実に巧みに表現されている。

それなのに、そこからの展開は、マミ子の心情を切り捨てた、ママ側に立ったご都合主義の要素が強まるのである。

古びたオーバーは、海で溺死したマミ子の祖母がママにくれたものだった。海での事故は、小学6年生だったときのママ、杏子が母の再婚をうまく受け入れることができなかったことに起因する不幸な事故だった。

つまり、杏子とマミ子は同じ年齢のときに、母親の再婚を受け入れることができないという同じ問題を抱えていたわけである。

海が荒れてきていたのに、杏子は母と再婚相手に無茶をいって、大きな鳥のように見える舟で海に出て行かせた。舟は転覆し、一人しか助けられない再婚相手に娘を助けてくれるように頼み、杏子の母は海に沈んでいった。

作者は、同じ体験をさせることで、それを通過儀礼のように用いて、杏子ができなかった受容をマミ子に果たさせようとする。

祖母を呑み込んだ海にやってきたマミ子は、砂浜で一人、鳥のように見える舟に乗り込む。舟はなぜか海へと動き出し、やがて転覆して、マミ子は海に放り出される。

ここで読者は、オカルティックな忌まわしい現象か、亡き祖母による神秘的な救いかのいずれかを期待するのではないだろうか。

作者は他の救いを用意していた。事前にビーバーみたいな歯をした少年との出会いがあり、その少年に救出されるのである。

海に投げ出されたとき、マミ子の手さげかばんも一緒に海に投げ出された。かばんには12歳のときのママが綴った日記も入っていた(日記にはマミ子との出会いと事故のトラウマが綴られていた)。

日記が海に消え去ったことが、厄落としにでもなったかのようなことをママはいう。あれほどマミ子が貰ったオーバーが大事にされていたわりには、祖母の出番は全くない。

次のようなことをマミ子にいうとき、ママには母性の欠片も見あたらず、子供のように直截的である。

マミ子がいてくれるのが、生きていく支えだったんだけど……でもね、マミ子、いま、ママは、もっと必要な人がいるのよ。ママの足りない部分をおぎなってくれるおとなの人が……
(末吉,2003,p.259)

「マミ子はママにとってかけがえのない娘だけど、トシさんもママにはかけがえのない人なの。」といえば、マミ子の心証も違っただろう。尤も、あなたは不要といわれたも同然のマミ子は、溺れかけた体験が通過儀礼となったらしく、大人びた理解者にバージョンアップ(?)していて、さほど傷つくこともない。作者の思惑通りに、ママの再婚を祝福するのである。おまけのように、そこにはビーバーのような歯をした少年もいる。

めでたし、めでたしで、納得できないのは読者であるわたし一人だけだ。

比べようのないものを、無理に比べる必要があるのだろうか。母性愛と異性愛のどちらが重いか、量ることができるのだろうか。ハッピーエンドがそんなに貴重だろうか。

杏子はかつて母親を失ったように、今度は娘を犠牲にしようとしているように思えてならない。当座の「必要」、そのときの自分の都合だけで物事を判断する、身勝手な人間に思えてならない。

子供をネグレクトしたり、不倫したりする人間は、杏子型の単純な思考回路の持主ではないかとわたしは穿った見方さえしてしまう。

割り切れないものを割り切れないままに、通常の見方とは異なる視点から描くのが純文学だとわたしは考えているので、割り切れないものを切り捨てて茶番劇のような終わり方をしたこの作品が『トムは真夜中の庭で』のような純文学作品だとはわたしには思えない。エンター系かといわれると、そうなのかどうか、わたしにはわからない。

タイムトラベルという技法の用いられかたは、両作品によって、はっきりと異なる。

『トムは真夜中の庭で』では、同じ場所を別の視点から見ることが目的である。そうすることによって、今は失われた庭園が息づき、そこに展開していた――今につながる――人間関係が浮かび上がってくる。タイムトラベルは、歴史を紐解くという本来の役どころに納まっている。

『星に帰った少女』では、タイムトラベルはマミ子の「教育」に用いられている。ママの12歳のときの体験を娘に追体験させ、ママの理解者に育てるための「教育」である。

小学6年生には無理な成熟を促がそうというわけだが、人の成熟は社会を含めた大自然が促すもので、タイムトラベルには土台無理なお役目なのである。

トムはタイムトラベルしたことで、内面的な成長を遂げたようでもあるが、神経過敏になった。タイムトラベルすることによって歴史の思わぬ闇を体験し、精神的損傷を受ける可能性もあったのだ。タイムトラベルは、トムにとってスリリングな冒険だった。

マミ子には、「成熟」という課題が与えられており、タイムトラベルがもたらす過去の歴史はそのために整えられた教育環境にすぎないから、マミ子はタイムトラベルがもたらすかもしれない弊害からはあらかじめ作者によって保護されているのである。

マミ子のタイムトラベルはトムの場合に比べれば小手先の教育対策にすぎず、冒険というよりは修学旅行だろう。

平家物語をモチーフとした末吉暁子『波のそこにも』(偕成社、2015)は、着想の卓抜さ、「水底[みなそこ]の国」のファンタスティックな描写の美しさに心惹かれたが、神秘性がもう一つ感じられず、次第に単調に思われ出した。

わたしの好みから出た感想にすぎないが、美点を考えれば、この作品も『星に帰った少女』同様、残念な作品に思われた。わたしのようなヨチヨチ歩きの物書きからすれば、こんなに長く綺麗な文章で書き通すことができるということだけでも、凄いことだと思うけれど。

割り切れないものを強引に割り、余りは切り捨ててしまってハッピーエンドに納まるパターンは、今のわが国の児童文学にはよく見かけるものだ。それが教科書とされているからだろう。

|

2019年3月 8日 (金)

P.L.トラヴァースにおける近代神智学の影響を考察する ①みんなおなじ

過去記事に書いたことだが、繰り返していうと、トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers(現代英米児童文学評伝叢書)』(KTC中央出版、2006)に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William
Russell, 1867 -
1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard
Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena
P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich
Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読であるし、神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるけれど、トラヴァースがブラヴァツキーの神智学の影響を受けていると思わせられる箇所をP.L.トラヴァースの「メアリー・ポピンズ」シリーズから拾ってみたい。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』で、ジェインとマイケルはメアリー・ポピンズのお誕生日に動物園へ行く。檻の中には動物の代わりに人間が入っていて、動物はみんな外へ出ている。キング・コブラがいう。

<ここから引用>
たべることも、たべられることも、しょせん、おなじことであるかもしれない。わたくしの分別では、そのように思われるのです。わたくしどもは、すべて、おなじものでつくられているのです。いいですか、わたくしたちは、ジャングルで、あなたがたは、町で、できていてもですよ。おなじ物質が、わたくしどもをつくりあげているのです――頭のうえの木も、足のしたの石も、鳥も、けものも、星も、わたくしたちはみんなかわりはないのです。すべて、おなじところにむかって、うごいているのです。
<ここまで引用>
(トラヴァース、林訳、2003,pp.249-250)

「おなじものでつくられている」というキング・コブラの言葉から連想されるのは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)に出てくる次の文章である。

<ここから引用>
無限で不死不生の唯一の宇宙元素だけが存在し、その他のものすべて、即ち大宇宙的結果から小宇宙的結果に至るまで、又超人から人間や人間より下の存在に至るまで、簡単に言えば、客観的存在のすべては、その唯一のものが多種多様に分化した諸面であり、今は相関関係(correlation)といわれている変形であることをもし学徒が覚えているならば、最初の主な難点はなくなり、オカルト宇宙論に熟達することができるだろう。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.293)

よほど大事な教えなのだ、同じ教えが言葉を変えて幾度も繰り返されるのだから。

<ここから引用>
星から鉱物原子に至るまで、最高のディヤーニ・チョーハンから最少の油虫に至るまで、完全な意味で、大自然の複合物の各構成部分の究極的エッセンスが根本的に統一していることは、オカルト科学の唯一の基本である。それが霊的世界または知的界、物質界のいずれに当てはめられても違いはない。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,p.352)

ということは、神智学で叩き込まれるこの教えがその人の思考形態を根本から支えていない限り、その人が神智学の影響を受けたということはできないに違いない。トラヴァースはこの基本を押さえていた。

「子どもも、ヘビも、星も、石も――みんなおなじ。」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)というキング・コブラのシューシューいう声が低くなってきて、身をゆすり、ゆすられているような心地よさのなかで、「なかばかくした、やわらかい光」(トラヴァース、林訳、2003,p.251)がふたりの顔にあたる。「よくねて、夢でもみているよう――ふたりとも。」(トラヴァース、林訳、2003,p.252)といったひくい声がキング・コブラの声だったのか、おかあさんが毛布をなおしながらいったのか。ジェインとマイケルは夢うつつである。

「なかばかくした、やわらかい光」というのは月の光だろうか、それとも別の神秘的な――例えばオーラの光とか――だろうか? トラヴァースはしばしばこのような紗のかかったような、直截的でない繊細な表現をとり、それが作品を陰翳に富む、謎めいた、神秘がかったものにしている。

|

2019年2月22日 (金)

魔法というにはあまりにも自然で美しい、原作のメアリー・ポピンズ

1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」の原作であるメアリー・ポピンズのシリーズから邦訳された以下の本を図書館から借りたことは、過去記事で書いた。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

一昨日から鍋にかまけていて、まだ読了できていない。『さくら通りのメアリー・ポピンズ』『メアリー・ポピンズとお隣さん』は83歳、89歳のときの上梓とあって、さすがに筆の衰えを感じさせられるところがあり、どちらもスケッチ風の作品となっている(年齢を考えれば、その筆力には感心させられる)。

子供のころ、最初のほうの保証人がどうのというくだりで「わあ面倒臭そうなお話……」と思い込んで読む気が失せた『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を改めて読み、子供のころはつまらない箇所に躓いていたものだと呆れた。

還暦を過ぎた年齢になってちゃんと読んで、メアリーにすっかり魅了されてしまったのだった。『不思議の国のアリス』も同様に子供のころに躓いた作品だった。

2010年5月 6日 (木)
アメリカンな『アリス・イン・ワンダーランド』とルイス・キャロルの世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-141c.html

この記事を書いたころはまだ、ハリウッド映画は全然変ではなかったなあ。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は正真正銘の純文学作品であり、メアリーの心情が繊細に表現され、子供たちの描写は細やかで、まるで本当に生きているかのようだ。邦訳がすばらしい。

わたしはすっかり子供たちの一人になってしまって、メアリーの動作に釘付けになっていた。「ねるまえに一さじ」と書いた紙の貼ってある大きなびん。

子供たちと同様、わたしもそれを飲むのを一旦は拒絶した。

ところが、「マイケルは、息をとめて、目をつぶり、グッとのみました。おいしい味が、口じゅうにひろがりました、舌をまわして、あじわいました。そして、のみこむと、うれしそうに、にっこり笑いました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)という文章を読み、興奮してきた。

苦くはなく、ストロベリー・アイスの味がするようだ。マイケルはもっととせがむが、メアリーはきつい顔をしてジェインのぶんをついでいた。「それは、銀や緑や、黄色に光って、スプーンに流れこみました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)と文章は続き、ジェインはライム・ジュース・コーディアルだわ、という。ライム・ジュースのような味なのだろう。

ふたごのちびちゃんたち、赤ん坊のジョンとバーバラも飲ませて貰って、バーバラなんかは、まるでネコみたいに喉を鳴らして満足そうだ。わたしにも、ねえ、わたしにもちょうだい。メアリー・ポピンズ!

それからメアリー・ポピンズは、もう一さじついで、しずかにじぶんでのみました。『ラム・パンチ。』といって、舌をならして、びんのせんをしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.24)

わたしは飲ませて貰えず、そのことが本気で残念に思われるほど、物語の世界に完全に入り込んでいた。不思議な飲み物の場面一つとっても、ひじょうに丹念に描かれている。

メアリーの恋人らしい画家兼マッチ売りのバードが描いた絵の中に、メアリーとバートが入っていく過程は、「メリー・ポピンズ リターンズ」の中でメアリーや子供たちが壺の絵の中に入っていくそれとは比較にならないくらい自然な成り行きでありながら、原作は映画にはない神秘性と詩情を湛えている。

その前の場面で、バートは絵が売れず、メアリーをお茶に誘えなかったと書かれていた。メアリーはバートにいった。「けっこうよ、バート。気にすることはないわ。お茶にいかないほうが、いいくらい。どっちかというと、おなかにもたれるから――ほんとよ」(トラヴァース,林訳,2003,p.25)

バートは、白い手袋をはめたメアリー・ポピンズの手をとると、かたく、にぎりしめました。そしてふたりは、ならんで、かきならべた絵の列にそって歩きだしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

絵の描写も細やかだ。その絵を見たメアリーはいう。「『まあ、バート。すばらしいじゃないの!』そして、そのいいかたは、その絵が、ほんとなら王立美術館にかざるのがあたりまえなのに、というようにきこえました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

メアリーがバートの絵に心酔していればこそ、バートの誘いにのったメアリーは彼と絵の世界に入ることができたのだろう。それは、魔法というにはあまりにも自然で、美しい。

<ここから引用>
そこは、なんてあおあおとしていて、なんてしずかなのでしょう! そして、足もとの芝生は、なんとまたやわらかで、こまやかなことでしょう! ふたりは、とても、ほんとうだとは思えませんでした。しかし、緑の枝は、下をくぐろうとすれば、帽子にあたって、さわさわ音をたてましたし、歩いてゆくくつのまわりには、いろいろの小さな花が、まつわりつくようでした。ふたりは、おどろいて顔を見あわせました。
<ここまで引用>
(トラヴァース,林訳,2003,pp.36-37)

恋人たちはそこで、現実の世界では叶わなかったお茶の時間を楽しむ。

原作は映画と比較すれば本当に自然な感じで、バンクス夫妻は長短併せ持つ普通の人々だ。バンクス夫人は映画とは違って、リベラルな社会活動などしていず、家にいる。

普通の人々が脇を固めているからこそ、闖入者達の風変りっぷりが際立つのだ。

神智学の影響は作品全体から感じられた。特にそのように思えた箇所を引用しておきたいが、それはまとめの段階で。これから、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を読む。

ところで、鍋にかまけていたと先述した。これは次の記事で。

|

2019年2月18日 (月)

神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親、パメラ・リンドン・トラヴァース

このところの一連の記事を神秘主義エッセーブログにまとめ、萬子媛の小説ノートをアップしてようと思っていたところ、またしても新たな課題が出現した。

また小説に入るのが延びるが、これは嬉しい課題で、大雑把にでもまとめておきたい。

神智学の影響を受けたパメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)とその作品について、である。

実は昨日、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を娘と観た。夫は「アクアマン」を観た。面白かったそうだ。

わたしも還暦を過ぎ、「シニア割引」を利用できるようになったため、一人で映画を安く観ることができるようになった。これまでは「夫婦50割引」を利用していて、夫の好みに合わせていた。

「アクアマン」も観たい気がしたが、児童文学作品の映画化となると、どう映画化されたのか気にかかり、その関心から観たいと思うことが多い。

前作、1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(原題: Mary Poppins)は、テレビで視聴した記憶がある程度だった。ジュリー・アンドリュースが大好きなので、「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「2ペンスを鳩に」「お砂糖ひとさじで」など、劇中の名曲を集めたLPレコードを持っていた。

で、昨日観た「メリー・ポピンズ リターンズ」だが、前半は夢見心地にさせてくれる美しい映像に加えて、メリー役の綺麗なエミリー・ブラントが頑張っているところ、子供たちの可愛らしさが好ましく、楽しめたが、後半になると原作にも前作にもない、説教臭さやストーリーのあざとさが見えてきて、警戒心が出てきてしまった。

前作の記憶が曖昧だったので、はっきりとしたことはいえないながら、こんなに赤い――リベラルっぽい――印象の映画だったかなと疑問が湧いたのだった。

「くるみ割り人形と秘密の王国」もそうだったが、最近のハリウッド映画は、底抜けに楽しませてくれない。

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

前作の舞台は1910年のロンドン。

続編リターンズの舞台は、25年後のロンドン。

その時代はガス灯、大恐慌時代のロンドンで、ガス灯掃除人の白人たちが貧困暮らしを強いられている風だ。長女ジェーンは前作の母親がそうであったように社会活動をしている。母親が女性参政権運動をしていたのに対して、ジェーンは労働者の支援活動をしている。弟マイケルは妻を亡くし、経済的窮地に陥っていた。

ところが、その1935年のロンドンでは――ありえなかったことだが――黒人が弁護士を勤めていたり、銀行の案内係を勤めていたりと見事に社会進出を果たしている。一方、白人間では、依然として、ひどい格差があるようだ。

キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr. 1929 - 1968)がアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し、アメリカ各地で公民権運動が盛り上がる中、“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行ったのは1963年のことだった。

インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙されたキング牧師は、徹底した「非暴力主義」を貫いたことで、有名である。ガンディーは過去記事でも書いたように神智学協会の影響を受けている。

ガス灯の時代に黒人の社会進出が実現しているかのような、ちぐはぐな描きかたになったのは、イデオロギーを感じさせない原作の映画の続編にイデオロギーを捻じ込んだためだろうか。

そうではなく、たぶん、リターンズで描かれた社会は1935年のロンドンではなく、現代のロンドンあるいはアメリカなのだ。

原作のメアリー・ポピンズも、映画の前作メリー・ポピンズも、時の政治体制外にいるニュートラルな存在で、そのポピンズから見れば、ブルジョアであるバンクス夫妻の子供たちは貧困者だったのだ。

よい家に住み、よい服を着、御馳走を食べなれている子供たちは、ある意味で、懐の寒い庶民の子供たちと同じくらいか、それ以上に貧しかったのである。鳩にあげる餌の代金2ペンスさえ自由にならなかったのだから。厳格なうえにケチな父親のせいで。

社会活動に忙しい母親のせいで、愛情にも飢えていた。メリーに映るバンクス家の子供たちはある意味で貧しい、愛情に飢えた子供たちだったのだ。

バンクス氏は首を宣告されたときになって、メアリー・ポピンズの魔法の言葉を思い出して愉快になったことで金銭欲から解放される。それを見届けるのを待っていたように、前作のメアリーは去っていった。

子供達がバンクス氏に差し出した小遣いが、続編のリターンズでは、何と投資としての効果を生み、いつしか莫大な儲けとなって、マイケルの窮地を救い、一家は家を手放さずに済む。

そして、この続編のメリーはブルジョアジーの味方である。家族を抱えているに違いない大勢のガス灯掃除人(自転車アクロバット野郎)をビックベンにロック・クライミングさせて平気だ。

どんな義理があって、大勢の貧しいガス灯掃除人達はバンクス家のために命を賭けてロック・クライミングしなければならなかったのだろう? 労働者の団結を謳い、支配者に隷属させる構図が透けて見える。

皆が公園で風船遊び(?)に興じた4年後の1939年に、現実の世界では大戦の火蓋が切られた。

原作、前作に比べて、メリーの魔法は人々に気晴らしをもたらすだけのただの余興となっていた。

続編リターンズからはグローバリズムの肯定、共産主義礼賛が嫌でも見てとれ、ハリウッドはかつてソ連共産主義者で赤かったが今は中国共産党の影響で赤いという河添恵子さんの指摘が正しいことを感じさせられた。穿った見方だろうか。

以下の動画は、【Front Japan 桜】ハリウッドの反トランプは親中国共産党!? / 「蛍の光」とセンタ ー試験問題 / 北方領土問題、何かが動く?[桜H31/1/23]。

映画の原作となったトラヴァースの本を図書館から借りた。児童図書を借りるのは、子供が本を借りようとするのを邪魔するようで悪い気がするが、幸い同じ本が何冊もあって、新しい本以外は眠っていることがわかった。映画の影響か、新しい『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は貸出中。

眠っている何冊かの本の中から一冊借りた。新品のように綺麗だ。大人たちが昔ほどには純文系の児童図書を子供に読ませなくなっているのだろうか。書店員だった娘は、そんな風にいっていた(現在は転職して病院勤め)。

「メアリー・ポピンズ」シリーズは全10巻である。

  • 1934年(35歳)第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)
  • 1935年(36歳)第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)
  • 1943年(44歳)第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)
  • 1952年(53歳)第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)
  • 1962年(63歳)第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)
  • 1968年(69歳)第6巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』
  • 1969年(70歳)第7巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)
  • 1975年(76歳)第8巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery Book with a Story)
  • 1982年(83歳)第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)
  • 1988年(89歳)第10巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)

借りた本は以下。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

まだこれから読むところなので、どの程度の加筆になるかはわからない。神秘主義エッセーブログにアップする予定。

トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers』に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読である。神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるが、トラヴァースが神智学の影響を受けていたとは知らなかった。

グルジェフといえば、ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888 - 1923)も、グルジェフの影響を受けていたのではなかったか。マンスフィールドは、ヴァージニア・ウルフがライバル視した短編小説の名手であった。

「メリー・ポピンズ リターンズ」の描きかたに疑問を抱かなければ、トラヴァースについて特に調べることもなく、神智学の影響についても知らないままだっただろう。

それにしても、神智学協会の影響による文化的業績が片っ端から赤く染められていっているようで、嫌な感じがする。

このところ児童文学作品に触れる時間がなく、飢えていた。萬子媛の小説が遅れるけれど、しばしトラヴァースの作品に純粋に浸ってみたい。

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Livly Notes:アストリッド・リンドグレーン Notes:アントニオ・タブッキ Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 Notes:不思議な接着剤 Notes:卑弥呼 Notes:国会中継 Notes:夏目漱石 Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) Notes:源氏物語 Notes:百年文庫(ポプラ社) Theosophy(神智学) top page ◆マダムNの電子書籍一覧 ◇高校生の読書感想文におすすめの本 ★エッセー・セレクション ★シネマ・インデックス ★マダムNの文芸作品一覧 ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 ☆☆紹介記事 ☆マダムNのサイト総合案内 ☆メールフォーム ☆作品の商業利用、仕事の依頼について おすすめKindle本 おすすめYouTube おすすめサイト お出かけ お知らせ ぬいぐるみ・人形 やきもの よみさんの3D作品 アクセス解析 アニメ・コミック アバター イベント・行事 イングリット・フジコ・ヘミング ウェブログ・ココログ関連 ウォーキング エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 エッセー「宇佐神宮にて」 エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 エッセー「百年前の子供たち」 エッセー「精神安定剤」の思い出」 エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 オペラ・バレエ・コンサート オルハン・パムク カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) ガブリエラ・ミストラル クッキング グルメ コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 シネマ シモーヌ・ヴェイユ ショッピング テレビ ニュース ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 バルザック パソコン・インターネット マダムNのYouTube マダムNの他サイト情報 マリア・テレジア メモ帳Ⅰ メモ帳Ⅱ ライナー・マリア・リルケ 俳句 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) 健康 №2(体調)  健康 №3(受診) 健康 №4(入院) 健康 №5(お役立ち情報etc) 健康 №6(ダイエット) 健康 №7(ジェネリック問題) 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) 健康№8(携帯型心電計) 児童文学 児童文学作品「すみれ色の帽子」 写真集「秋芳洞」 創作関連(賞応募、同人誌etc) 占星術・タロット 友人の詩/行織沢子小詩集 地域 夫の定年 季節 家庭での出来事 山岸凉子 思想 恩田陸の怪しい手法オマージュ 息子の就活 息子関連 手記「枕許からのレポート」 文化・芸術 文学 №1(総合・研究)  文学 №2(自作関連) 日記・コラム・つぶやき 時事・世相 書籍・雑誌 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) 村上春樹 村上春樹現象の深層 東京旅行2012年 植物あるいは動物 検索ワードに反応してみました 歴史 瀕死の児童文学界 父の問題 珈琲 神戸旅行2015 神秘主義 福島第一原発関連 科学 経済・政治・国際 美術 能楽 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 自作短編童話「風の女王」 自作童話「不思議な接着剤」 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 評論・文学論 連載小説「地味な人」 電子書籍 音楽