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2018年4月19日 (木)

椿山滋「雨、嫌いやねん」(『日曜作家 第22号』)を読んで

休刊中の『日田文學』の同人仲間だった椿山滋(ペンネーム)さんがタウンマガジン『なかつ  VOL.209』(2018年3月1日発行)をお送りくださったことを以下の過去記事に書きました。

2018年2月27日 (火)
椿山さん、タウンマガジンありがとうございます
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/02/post-0fa5.html

今度は季刊文芸誌『日曜作家 第22号』をお送りくださいました。御礼を申し上げると共に、意欲的な創作活動に敬意を表します。

短編小説のタイトルは「雨、嫌いやねん」。

感想は、ネタバレになります。

これまでの椿山さんの作品の中でも、特に安定した筆力を感じさせられました。平易な言葉が使われていますが、それらが選び抜かれたものであることが、流れるような文章からわかります。

ストーリーを紹介しますと、主人公・逸郎の母親が倒れる場面から話が始まります。71歳の母親は五日後に亡くなります。

母親が倒れたとき、逸郎はその原因が自分の帰省にあったのではないかとの自責の念に駆られます。

私立大学卒業後も就職せずにバンド活動を続け、29歳のときにはメジャーデビューの話が聞こえ始めていたところ、新メンバーとして迎えた女性をめぐって内輪もめがあり、バンドは解散してしまいました。

その女性と同棲していた逸郎は彼女と共に新メンバーを募り、バンド活動を再開したものの、思うような結果は出せず、女性とも別れた逸郎は6年前の36歳のときに、音楽から完全に遠ざかりました。

逸郎は様々な職業を転々とするうち、抑うつ神経症になって、帰省したのでした。

5年前に、父親も亡くなっていました。狭量で神経質、短気で臆病な父親に逸郎は自分が似ていると感じています。四つ上で46歳になる兄はそこそこの会社に勤めていましたが、リストラに遭います。自分のために兄に大学進学を諦めさせたという自責の念も、逸郎にはありました。

兄は父親に反対されて結婚せず、逸郎と同じく独身でした。優しい、しっかり者の兄と、その兄に甘え依存する弟の逸郎。弟を心配する兄の焦慮、弟の情けない様子が丁寧に描かれていきます。

逸郎はやけを起こし、ちょっとした狂言自殺をはかります。夢の中で前を行く母親に追いつけなかった逸郎は、自分に呼びかける兄の声で意識を回復しました。「起きなくていい、そのまま寝てろ」と言う兄の声は慈悲に満ちていました。

その兄はしかし、その同じ時刻に交通事故を起こして病院にいたことが、看護師の緊急電話からわかります。

病院にいるという兄に死なんといてくれと訴えかけ、「おれは寄生虫やない。おれは寄生虫やない。なぁ、兄ちゃん、聞いてるか? おれは寄生虫やないで。ちゃんと働くで」と半泣きになった逸郎が転がるようにして部屋を出るところで、小説は終わります。

プロになれない物書きは、主人公・逸郎が目指していた音楽の世界での成功を文学の世界でのことに置き換えて読むでしょう。わたしには恐ろしい小説でした。

考えてみれば、音楽や文学の世界に限らず、どの世界においても、逸郎は星の数ほど存在します。

その逸郎の存在価値を認める家族は、友人は、知人は、いないのでしょうか。彼のベースギターの音は、一番身近な家族には聴こえなかったのでしょうか。

その点が充分には描かれていないために、聴こえなかったとしか思えず、逸郎の存在は救いようのないものになっています。

家族は逸郎が見た音楽の夢のために被害を被った人々であるといえますが、一方では逸郎もまた、音楽がわからない家族の無神経さの被害者であるともいえます。

芸術の世界であれ、どの世界であれ、スポットライトを浴びて活躍できるのは一握りの人々にしかすぎません。その一握りの人々だけでは当然ながらその世界は成り立たないわけですが、逸郎はその自覚に欠け、成功を目的としすぎていたのではないでしょうか。敗残者っぷりが半端ではありませんから。

バンド活動中のベースを弾く逸郎の様子が効果的に挿入されていたとしたら、小説はまた違った雰囲気になったでしょうね。

「最後のほうは意地だけでつづけていたようなもんやった」としても、逸郎が10年以上生きた音楽の世界について具体的に知りたいと読者であるわたしは思いましたが、あえてそれをせず、作者は世間の目となって無慈悲に(安易に)逸郎を断罪しているように思えました。

いやー、わたしにはホント、怖ろしい小説でした。ちゃんとした感想になっていず、すみません。

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2018年4月14日 (土)

ヤコブ・ベーメに関するメモ(16日にメモ追加、まだ書きかけ)

トルストイ『戦争と平和』にはバラ十字系ロシア・フリーメーソンの記述があるので、その関連から神智学の本でバラ十字についてざっと調べたあとは、神秘家、錬金術師、神智学者とされるヤコブ・ベーメはバラ十字であったとバラ十字会のオフィシャルサイトにあったので、家にあった邦訳版のベーメの本を読んでいた。

ヤコブ・ベーメについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説「ベーメ(Jacob Boehme」には「神秘家であって、偉大な哲学者であり、最も優れた神智学徒の一人である。1575年頃、ドイツのゲルリッツ市の近くに生まれ、1624年に50歳近くで没した。村の学校で読み書きを習ったあと、ゲルリッツの貧しい靴屋の徒弟となった。全く驚嘆すべき力のある天性の透視家であった。科学教育を受けず、その知識もなかったが、多くの本を書いた。今、それらの著作には科学的真理がたくさん含まれているのが証明されている」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.56)と始まって、1頁まるごと使って解説されている。一方では、「この偉大な神智学徒が300年後に生まれていたとすれば、それを別の言い方で表現したであろう」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.57)とも書かれている。

ヤコブ・ベーメの邦訳版著作が1冊だけ、我が家の本棚にあった。教文館刊行の「キリスト教神秘主義著作集」の中の1冊で、第13巻がヤコブ・ベーメである。

めったに邦訳版の出ることのないベーメの貴重な著作であることは、これを購入した30年ほど前のわたしにもわかっていた。

が、わたしは2人の子供の子育て真っ最中、純文学の賞狙いで熱くなっていたころだったので、当時5,000円というのは高額に感じられ――今もそうだが――、もう1冊同じシリーズの17巻に入っているサン・マルタンとどちらにすべきか、大いに迷った。

どちらか1冊しか買えないとなると、ベーメだろうか。神秘家、錬金術師として有名なベーメの著作がどんなものであるのか、触れてみたい。サン・マルタンはまたの機会に。作家の端くれにでもなれたら、自分の小遣いくらいは稼げるようになるだろうから――と当時のわたしは思った。

作家の端くれにもなれなかったわたしには今でも購入できるサン・マルタンはやはり、高価だ(アマゾンで見ると、7,020円)。ベーメは中古品しかない。この街の県立図書館にこのシリーズは置かれていないようだ。

サン・マルタンに対する興味は、バルザックの著作に度々出てくるところから来ていた(バルザックはバラ十字だった)。サン・マルタンがバラ十字の祖の一人とされている哲学者ということは知らなかったので、むしろ今のほうが強く惹かれる。そのうち中古品でも購入して読んでみなくてはと思う。

ロシア文学のすばらしさを知らない文学好きはいないと思うが、そのすばらしさがどこから来ているのか、わたしにはずっと謎だった。

今、ロシア思想界を席巻したといわれるほどにバラ十字系フリーメーソンの影響が強かったことを思うとき、ロシア文学の研究にはバラ十字の研究も加えられるべきではないかと思う。

世界的文豪とされる作家の作品にはほぼ例外なく、神秘主義の芳香がある。純文学から神秘主義的要素を削ぎ落してしまっては、純文学自体が死んでしまうのだ。

これまでにも書いてきたことだが、第二次大戦後の日本では、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果として左翼が勢力を伸ばし、学術研究においても彼らが主導的立場をとることになった。彼らの唯物史観に障る分野の研究はなおざりにされてきたという実情があるのだ。

拙神秘主義エッセーブログの「20 バルザックと神秘主義と現代」でも引用したが、『バルザック全集 弟三巻』(東京創元社、1994・8版)の解説で、安土正夫氏が次のようなことをお書きになっている。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」 は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

神秘主義に対するマルキストの誹謗中傷は、今やそっくり彼らに返っていったのではないだろうか。

話をヤコブ・ベーメに戻そう。

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ヤコブ・ベーメ(1575年 - 1624年)
From Wikimedia Commons, the free media repository

『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収「神智学書簡」を読むと、ベーメの作品とされるものがどのように書かれたのか、また最初は単なる覚書として、次には方々の質問に答えようとして何冊か本を書いたがために、誹謗中傷や迫害を受けたことがわかる。

第12の手紙には次のように書かれている。

私の書いたのは、いろんな本を勉強して学んだ知識や学問によるのではなく、わたしの内部に開かれた私自身という本から書いたものです。つまり、神の高貴な像(すなわち神の似姿である人間)という本を読む恵みが与えられたのでした。(……)
主の霊がそのうちに働かない者が、神に関する事柄をどうして判断できましょうか。(……)社会的な地位などに関係なく人間のうちにあって判断を下す神の霊、目に見ることのない神の霊の助けなしには、だれひとり真理と主の御心をとらえることはできません。素人もドクトルも同じことです。
(ベーメ,南原,1989,pp.276-278)

べーメはごく平凡に日々を過ごしていたわけではなく、イエス・キリストの御心を一途に求めた人であった。ある日、それに対する応答を自らのうちに得たということのようである。

神のミステリウムについて何か知ろうとは、少しも望まなかったし、いわんや如何に探し如何にして求めたらよいか、何一つわかりませんでした。何一つわきまえぬ素人のように、私は、無知そのものでした。私が求めたのは、ひたすらイエス・キリストの御心だけ。(……)こうして心をつくして探し求めるうちに(はげしい苦悩におちいりましたが、そこから逃げ出してすべてを放棄するよりはむしろ死んだ方がましだとまで思ううちに)、扉が開き、15分間のうちに、大学で何年も学ぶよりもはるかに多くのことを見、そして知ったのでした。まことに不思議なことで、なぜまたそうなったのか自分でも分からなかった。私の心は、ただ神の御業をたたえるばかりでした。…(ベーメ,南原,1989,p.274)

ゲルリッツ市参議宛の第54の手紙には、自分や妻子に加えられる迫害から守ってほしいという切実な訴えが綴られている。ベーメの書いたものは巷で評判になり、賛否を巻き起こしたのだろう。

このささやかな本のなかで、神から賜物を授かった私の個人的ないきさつが記されておりますが、それは身分も高く、学問もある方々の依頼を断り切れず書きましたもので、いくたりかの方々の心を動かすことがあったとみえて、さる高貴な貴族の方が、愛の心から印刷させたのでございます。…(ベーメ,南原,1989,p.298)

ベーメを理解し、支援したのは、バラ十字であった人々が中心であっただろう。というのも、一般人にはベーメの作品は凡そ理解できないものであったに違いないからである。

バラ十字の最初の著作は1614年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)のカッセルで、第二の著作は1615年にやはりカッセルで、第三の著作は1616年にシュトララースブルクで上梓されている。

バラ十字がその存在を世に知らしめ、活動を表立って活発化させた時期と、ベーメの著作が世に出た時期とが重なる。

『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」(p.57)には、バラ十字会員はテウルギー師の後継者だと書かれている。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でIv)によると、キリスト教時代の神働術(theurgy)の最初の一派は、アレクサンドリアの新プラトン主義者イアンブリコスによって創設された。

しかし、エジプト、アッシリア、バビロニアの神殿では聖なる秘儀において神々の召喚が行われ、その役割を荷った司祭は最早期の太古の時代から神働術師と呼ばれていたという。

もしそうだとすると、バラ十字の起源は太古に遡ることになる。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』ベールの前で(lv)によると、神働術師はあらゆる偉大な国々の〈至聖所〉の秘教的教えに関する専門家だった。

イアンブリコスについて過去記事にもいくらか書いていたので、そこから引用する。

『神智学の鍵』の用語解説「イアンブリコス(Iamblichus)」には、イアンブリコスは「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)とある。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』によると、神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。… (ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でlvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

ALCHEMIST(錬金術師)はアラビア語に由来し、「これはたぶん、Kemet あるいは Kem,つまりエジプトという名前がもとになっている」(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxi)とブラヴァツキーは解説する。

ロベルトゥス・デ・フルクティブス(ロバート・フラッド)、パラケルスス、トマス・ヴォーン(エウゲニウス・フィラレテス)、ファン・ヘルモントらのような中世の薔薇十字団の団員たちは皆、錬金術師で、彼らはあらゆる無機物の中に隠された霊を探し求めた。

錬金術師を大法螺吹きのペテン師だと悪くいう者もいたが、ロジャー・ベーコン、アグリッパ、ヘンリー・クーンラート、化学の秘密のいくつかをヨーロッパに伝えたアラビア人ゲベルのような人たちに対しては詐欺師扱いも愚か者扱いもできまい。デモクリトスの原子論を基礎として物理科学を改革しつつある科学者たちは、アプデラのデモクリトスが錬金術師だったことを都合よく忘れている――とブラヴァツキーはいう。

また、ブラヴァツキーは次のようにもいって、錬金術師たちがどのような人々であったかに注意を促す。

自然に関する秘密の作業に一定方向にあれほど入り込んでいける人は,すばらしい理性の持主であり,研究を重ねてヘルメス哲学者になったに違いない,ということも都合よく忘れているのである。(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxii)

前述したように、ベーメの最初の著作『Aurorat(アウローラ)』は1612年に著された。切々と訴える具体的な文面から、ベーメが大変な日々を過ごしたことがわかる。

はじめて書いた本(アウローラ)は天からの授かりもので、私ひとりのために覚え書きのつもりで書き綴り、ひとには見せる考えはなかったところ、神のかくれたるおぼしめしか、いつか手許を離れ、牧師長様のお目に触れることとなったその次第は、尊敬おく能わざる参議のよく御存じのところと愚考します。私自身そのころ何一つわきまえず、たどたどしい言葉で、哲学、錬金術、神智学の根底について書き記し、それが人の目にふれるとは夢にも思いませんでした。牧師長様は、まさに他ならぬこの本を、私の意図に反してとり上げ、中傷してとどまるところを知らず、私は、キリストの名を辱めないために、ひたすら忍耐を重ねたのでございます。
しかるにお役所に呼ばれ、理由を述べて申し開きをせざるを得ない羽目になりましたとき、牧師長様は、今後一切筆をとり、ものを書かぬよう命ぜられ、私もそれをよしとしたのでございます。神がこの私を用いて何を為さんとおぼしめしているのか、その神の道がそのころの私にはまだわからなかったのでございます。とまれ、私の沈黙とひきかえに、牧師長様ならびに副牧師の方々は説教壇では私のことを言わぬと御約束なさったにもかかわらず、その後もひきつゞき中傷を受け、およそ根も葉もないあらぬことを申され、そのため町中の人々はそれを信じて、私ばかりか妻子も、さらし物となり、気違い同様の扱いを受けたのでこざいます。(……)
私の授かったものを検証するには、一般の人々ではなく、博士、牧師、学問のある貴族の方々が必要なのでございます。…(ベーメ,南原,1989,pp.296-300)

ヤコブ・ベーメの著作を読むと、ああやはりこれは神智学の著作だと思わざるをえない。ヤコブ・ベーメ(南原実訳)『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』(教文館、1989)の「シグナトゥーラ・レールム ――万物の誕生としるしについて――」の中の宇宙発生、天地誕生の下りからしてそうだ。

今日も時間切れ。ごはんの用意を含む家事があるので、中断します。今日は久しぶりに炒り豆腐をしようかな、アジを焼き、水菜とハムを和えて。それと、味噌汁かスープ
pp.38-39。ここにはあとで続きを書きます。

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2018年4月10日 (火)

小泉八雲原作、小林正樹監督作品「怪談」。原田伊織『明治維新という過ち』。

録画していた邦画を、夫が見始めました。『怪談』というタイトルでした。

オカルト映画は嫌いですし、映画を観るのは疲れるので、一緒に見るつもりはありませんでした。ところが、別のことをしながら何気なく見ると、まるで舞台劇のような、セットにこだわりを感じさせる映画で、どこか能楽を意識したような芸術的な感じがしたので、興味が湧き、一緒に見始めました。

「古い映画みたいだけれど、いつの?」と尋ねると、「昭和40年だよ」と夫。その時点では、小泉八雲の短編集から4編を選んでオムニバス形式で映画化したものだとは知りませんでした。

三國連太郎、仲代達矢、志村喬、丹波哲郎といった男優が若い姿で登場しました。女優陣も豪華で、新珠三千代、岸恵子、奈良岡朋子、杉村春子など。

「皆若くて新鮮な気がするけれど、年齢を重ねてからのほうが魅力的に見えない? 若いころは何だか皆、のっぺりしてるように見えるんだけれど」というと、夫も「そうだねー!」と同意。勿論、役柄もあるのだろうけれど、皆さんよい年齢の重ね方をなさったことが窺えます。

わたしは、3時間の映画が長いとは感じなかったほど、『怪談』の映像に惹きつけられました。夫はわたしほどには感激しなかったようでしたが、最後まで観ていました。

『怪談』(東宝、1965)
監督・小林正樹
原作・小泉八雲『怪談』中、「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品

第一話「黒髪」
武士(三國連太郎)
妻(新珠三千代)

第二話「雪女」
木こり・巳之吉(仲代達矢)
雪女(岸恵子)

第三話「耳無芳一の話」
盲目の琵琶法師・芳一(中村嘉葎雄)
住職(志村喬)
甲冑の武士(丹波哲郎)

第四話「茶碗の中」
関内(中村翫右衛門)
関内の妹(奈良岡朋子)
作者(滝沢修)
おかみさん(杉村春子)

特に第三話「耳無芳一の話」は耽美調な映像で、気に入りました。微動だにせず、端然と座している平家の幽霊たち。

鈍色、青、燃え上がるようなオレンジ、赤といった色彩の変化の中から浮かび上がる壇ノ浦の合戦の様子。中村正義「源平海戦絵巻」が挟まれています。琵琶の音があれほど豊かで、迫力があるとは。

「インドとか東南アジアの楽器を連想させるわね」というと、「うん、そっちから来たんじゃない?」と夫。

第一話「黒髪」が一番オカルト映画っぽく、夫に捨てられて実はとうの昔に死んでいた前妻の髪の毛が生きもののように動き出す最後のほうは怖くなって両手で顔を覆ってしまったので、全部観た気がしませんでした。

第二話「雪女」は雪女が歩いたり走ったりしすぎる気がしましたが、雪女と知らずに恋して暮らし、子をなす、その暮らしが美しく、最後は怖いというより悲痛で、美しく仕上がっていると思いました。雪女役が若かりし頃の岸恵子だと気づいたのはわたしでしたが、なかなかわかりませんでした。

第四話「茶碗の中」だけカラーが違っていました。明治時代の出だしから話は江戸時代に遡り、武家屋敷の中が素敵でした。これくらい、素敵なはずですよね。

大河ドラマで『西郷どん』が放送されています。鈴木亮平が好きなので、久しぶりに観ようと思ったのですが、つまなくて、すぐに挫折しました。最近の大河ドラマも朝ドラも昔の日本人はいつも顔が薄汚れていたように描かれる―――それだけで、もう見る気がしません。

その代わりに、娘が購入した磯田道史『素顔の西郷隆盛(新潮新書)』(新潮社、2018)、原田伊織『明治維新という過ち(講談社文庫)』(講談社、2017)を読みました。

明治維新に肯定的な前者と否定的な後者で、2冊は対照的です。テレビで観る磯田氏のお話は面白くて、いつも楽しませて貰っていますが、話がつながらないので、途中が抜け落ちているのではと思うことがありました。著作にも結構それがある気がします。

原田氏の著作を読み、もしこのようなことであったとすると、廃仏毀釈という出来事もなるほどと思えましたが、衝撃的な内容です。まだ判断できません。他にも出ているようなので、何冊か読んでみたいと思っています。感想は、そのうちに。

話が戻りますけれど、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「雪女」「耳無芳一の話」は青空文庫にあります。小泉八雲の小説は文章が綺麗ですね。

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2018年4月 6日 (金)

トルストイ『戦争と平和』… 2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

目から鱗のオンライン論文に出合った。

『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン
著者: 笠間, 啓治
発行日: 1995年
出版者: 北海道大学スラブ研究センター
誌名: スラヴ研究(Slavic Studies)
, 42: 41-59
URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

この論文によると、『戦争と平和』は1805年から1812年の歴史的動乱に生きたロシア・インテリゲンチャの精神的苦悩と魂の遍歴をテーマにしている。主人公ピエールは煩悶から抜け出す第一歩をフリーメーソンとしての活動に見い出し、フリーメーソンの中で精神的な成長を遂げる。

そして、「19世紀初頭のロシアはフリーメイスンの活動のもっとも盛んな時期に当っていた。この時期のロシアを描写するには、フリーメイスンの要素を抜きにしては考えられない」という。

しかも、このロシア・フリーメーソンとは、ドイツからもたらされた中世神秘思想ローゼンクロイツェル系だというのである。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz、 1378-1484)はバラ十字団の創立者とされる伝説的人物だが、ローゼンクロイツェルというのはクリスチャン・ローゼンクロイツのことで、バラ十字系ということだろうか。

中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と論文には書かれている。

ピエールが魅了され、フリーメーソンになるきっかけとなった老人が出てくる。読みながらわたしも思わず魅了されたその老人は、ロシアが19世紀初頭のフリーメーソンの再興期を迎えたとき、ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた人物であるという。

『戦争と平和』に登場する人物は多いが、主要人物にはこのようにモデルがいて、その人々がフリーメーソンであったというのだから、驚かされる。

この当時のロシアにおいては、フリーメイスンであることはけっして秘密事項ではなかった。フリーメイスンの集会での議事録や出席者の名簿は、当局に報告するのが慣例になっていた」が、王政打倒を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたために当局が警戒感から目を光らせるようになり、1822年に禁止令が公布されることになったのだった。

論文には、禁止令の施行後も「フリーメイスンたちの純粋の理論的討議は一部の人たちによって続けられていた」とあるので、イルミナティの革命思想の影響も禁止令の影響も受けなかったフリーメーソンはロシアに存在し続けたということだろうか。

28歳のときにイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトは、バイエルン選帝侯領インゴルシュタットの出身である。バイエルン選帝侯領とは、神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身である。現ドイツ・バイエルン州の一部に当る。カトリックのイエズス会の家系に生まれた。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だった。教会法はカノン法ともいわれる、カトリック教会が定めた法である。ヴァイスハウプトは教会法を教授する神学者であったにも拘わらず、反カトリックであった。1776年には啓蒙主義的なサークルを作り、サークルはのちにイルミナティと名称を改めた。

ウィキペディア「イルミナティ」には、「1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。ヴァイスハウプトはミュンヘンでフリーメイソンと出会い、共感するところがあったためにフリーメイソンリーに入会した」*1とある。

だとすると、イルミナティとフリーメーソンは全く別の組織だが、バイエルンでイルミナティをつくったヴァイスハウプトがフリーメーソンになったことでその影響がフリーメーソンに及び、フリーメーソンでありながらイルミナティにも入る者が出てきたということになる。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の「はじめに」には、次のようなことが書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、フリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし「両者の意図と目的は一致しない」となった。このことをルートヴィヒ・クリスティアン・フォン・グロルマン〔1741-1809、ギーセンの法学者〕という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍[あまね]く浸透しており、至るところで活動していると見られていた。

この文章からは、イルミナティがどのようにしてフリーメーソンを侵食していったかの様子がわかるだけでなく、本来のフリーメーソンは宗教――それはキリスト教のようだが――と親和関係にあったことがわかる。

そして、イルミナティは禁止されたが、まるで強力な伝染病か何かのような世界的拡がりを見せていたようである。「禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた」とも、「はじめに」には書かれている。

前掲書『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』は、25冊のヴァイスハウプトの著作中9番目に書かれ(このとき、ヴァイスハウプトは38歳である)、彼の全著作中唯一邦訳された著作である。1787年に上梓された『イルミナティの新システム――全位階と装置の詳説――』を抄訳し、再編集したものだという。

この邦訳版は「秘密結社の組織論」を付録とした4章で構成されているのだが、4章は「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」というタイトルの下に、神秘主義が全否定されている。論拠薄弱なので(この内容に関してはこのあと見ていきたい)、わたしには単なるこきおろしとしか読めなかった。

ヴァイスハウプトはこのような反神秘主義でありながら、神秘主義の性格を持つフリーメーソンになったわけである。

ヴァイスハウプトの思想がどのようなものであれ、反カトリックでありながら――次第にそうなったのかもしれないが――教会法の教授を務め、反神秘主義でありながらフリーメーソンになるという不穏分子的性格が彼にあることは確かである。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』によると、バイエルン選帝侯が1784年6月22日にミュンヘンでイルミナティに出した禁令には、犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまで定められていたという。

ところが、ヴァイスハウプトはリベラルな公爵エルンスト2世の下に逃れ、ザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯年金を得て恵まれた82歳の生涯を終えたらしい。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』の「はじめに」に、ヴァイスハウプトの次のような言葉が紹介されている。

そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fürst)と国家を不必要とする。そうでなければ何のためなのか。

短絡的な結論づけはヴァイスハウプトの文章の特徴である。

いずれにせよ、反王政で、既存の国家政府を否定する思想の持ち主でありながら、宮中顧問官になってぬくぬくと生涯を終えたヴァイスハウプト……これを二枚舌、ご都合主義、二重基準、ダブルスタンダードといわずに、何といおう?

アダム・ヴァイスハウプトの行動にも思想にもこうしたダブルスタンダードが潜んでいて、それが人を狂わせる、最も危険な要素であるとわたしには思われる。狂った人々によって、組織が国家が狂うこともありえるのだ。

アグニ・ヨガの教えを伝達したエレナ・レーリッヒ(1879-1955)は、神智学協会を創立したブラヴァツキーの後継者といわれる人だが、エレナ・レーリッヒ(アグニ・ヨガ協会編、ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(竜王文庫、2012校正版)*2には、その後のフリーメーソンがどうなっていったかを物語る記述がある。ブラヴァツキーもエレナ・レーリッヒもロシア人である。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。*3…

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。*4…

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害なフリーメーソンの支部というのは、イルミナティに乗っ取られた支部の姿だろうか。何しろイルミナティは、1822年の帝政ロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

尤も、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、その原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソン結社が政治を目的とした組織ではないということ、またフリーメーソンは支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はそれまでに書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、マンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。


*1:ウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2018-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=67669253, (参照 2018-03-11).

*2:「至上我の光」500号(平成10年5月号)~527号(平成12年7月号)に渡って掲載されたものをその順に編集したもの。原本はⅠ、Ⅱの2巻本。

*3:レーリッヒ,クラーク訳,2012,p.73

*4:レーリッヒ,クラーク訳,2012,pp.126-127

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トルストイ『戦争と平和』… 1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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フリーメーソン結社を侵食し、マルクス主義やテロ組織に影響を及ぼしたとされるアダム・ヴァイスハウプトの思想については、既にエッセー「イルミナティ用語としての『市民』」において、いくらか考察済みである。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)によると、イルミナティ(Illuminatenorden イルミナーテンオルデン)は、1776年にインゴルシュタットの町(現在の南ドイツ、バイエルン州の州都ミュンヘンから北に100キロメートルくらい行ったところにある都市)でアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt,1748 - 1830)によって創立された。イルミナティは1784年、バイエルン公国の禁令で表面上は壊滅した。

が、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)を参考にすれば、そのときには既にフリーメーソン結社を侵食していたばかりか、イルミナティの原理原則はマルクス主義やテロ組織に取り入れられたようである。

前掲エッセーで公開を約束したエッセーが当エッセーで、ロシアのバラ十字系フリーメーソン結社がイルミナティに侵食される過程を克明に描いたレフ・トルストイ『戦争と平和』に関するものである。

ロシアの文豪トルストイを知らない人はあまりいないだろうが、ウィキペディア「レフ・トルストイ」から冒頭を次に引用しておく。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой[ヘルプ/ファイル], ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる
*1

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

トルストイの代表作『戦争と平和』は、1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知』に発表された長編歴史小説である。

この作品をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで2016年9月1日に放送された。

録画しておき、3日に分けて観た。つけっぱなしにしがちな国会中継を除けば、わたしは普段テレビは観ても15分から1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理なのだった。

この映画は過去にも放送されているが、断片的にしか見ていなかった。

NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。

オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエール、メル・ファーラーのアンドレイ。メル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまった(何て、そっくりなのだろう!)

『風と共に去りぬ』は、1936年に上梓されたマーガレット・ミッチェルの同名(Gone With the Wind)の長編時代小説を映画化したものなのだが、セットも似ている気がして、『戦争と平和』がちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使ったとは考えにくい。1939年というと、昭和14年である。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは呆れてしまう。

ヘプバーンの『戦争と平和』は如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

新潮社の『戦争と平和』と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになったのだ。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)が気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さである。

こちらも、テレビで放映されたものを観た記憶があった。テレビ初放映は1974年、日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

「最近」ソ連版を見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に観ていたからに違いない。

こちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーン)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できなかった。

また、時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗く(舞踏会の場面もそうなのだ)、幻想的で美しいとはいえ、わかりづらい。

ハリウッド版もソ連版も、最後の方はドタバタ終わってしまっていた気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

魅力的なのは、ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面で、ソ連版では圧巻だった。

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても南北戦争に見えてしまう。映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国だ。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだと思う。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画ですら敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないのではないだろうか。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の中の一場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が次のような会話を交わす。

… ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
*2…

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入した……。

『ぼくらの出帆』にあるように、第二次大戦で1945年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告し、日本の降伏後も侵攻してきて野蛮そのものの振る舞いをした兵隊は、ロシア皇帝の兵隊ではなかった。普通の百姓からなる兵隊でもなかった。マルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとするヨシフ・スターリンの兵隊だったのである。

そういえば、どちらの映画にも出てこなかったが、トルストイの歴史小説『戦争と平和』ではフリーメーソンが長々と描写されていることを御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソン結社での入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

著者のトルストイがフリーメーソンだったかどうかは、はっきりしない。当時のロシア政府が入会を禁止していたからである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかはともかく、禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。尤も、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深く影響を及ぼしていることは確かである。

ピエールがフリーメーソンの思想に距離を置こうとする場面は出てくるのだが、その後も小説の終わる間際まで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面などが出てくるのである。

秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

その一方で、トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行っただけとも考えられるし、一時期フリーメーソンになったことがあったということもありそうだ。


*1:ウィキペディアの執筆者. “レフ・トルストイ”. ウィキペディア日本語版. 2018-02-08. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4&oldid=67280698, (参照 2018-02-08).

*2:那須田,1993,pp.75-76

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2018年3月19日 (月)

「79 ブラヴァツキーがニューエイジの祖とまつり上げられた過程が…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

当ブログにアップした過去記事二本を合わせ、加筆訂正したものです。ライン以下の「続き」に転載しておきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "「79 ブラヴァツキーがニューエイジの祖とまつり上げられた過程が…」を神秘主義エッセーブログにアップしました"

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杉本良男「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読んで

数日前に、オンライン論文、杉本良男「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005966>(2018年3月17日アクセス)を閲覧したので、以下の過去記事の内容と合わせて、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたいと考えている。

2018年3月 9日 (金)
杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/03/post-bba5.html

ブラヴァツキーはH・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 上 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』(筑摩書房「ちくま学芸文庫」、2003)第一部第一信の中の「イギリス人の猜疑心」という節で、次のように書いている。

このように、自分の弱点を微に入り細を穿ってしゃべりながら、なおインド在住のイギリス人たちは、外国からの無邪気な観光客全員に、スパイの嫌疑をかけるのです。ロシアの芸術家でピアニストのオルガ・デュポン嬢が、二年ほど前訪印し、全国ツアーを行ったとき秘密警察員二十人がその行く先々に影のごとくつきまといました。(……)今ここに一団がやってきました。生粋のヤンキーであるアメリカ人の大佐、ロンドンからきた二人のイギリス人――狂信的な愛国者ですが自由主義者――それからロシア生まれのアメリカ市民、という構成です。この最後のメンバーに警察全体がいかに緊張したか! このグループが、未知の世界に関する哲学的な思索にしか関心がなく、浮世の政治に興味がないばかりか、問題のロシア生まれの旅行者は、政治のイロハもわからないことを分らせようとしても無駄でしょう。(ブラヴァツキー,加藤訳,2003,pp.032-033)

自分にかけられたスパイ疑惑について、ブラヴァツキー自身はこのように書いているわけである。

「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読む限りでは、杉本氏の関心がダークな政治的駆け引きと陰謀論にあると思われるし、当時のチベットにおける複雑な国際政治情勢を考えると、ブラヴァツキースパイ説をテーマとしたくなるのはわかる。

だが、他人の著作からの引用をつないで成り立っているような自身の論文の中で杉本氏は、前掲書『インド紀行』を採り上げておきながら、それをまともに読んだ形跡がないのが研究者の姿勢として疑問を抱かせる。

ブラヴァツキーの行動を研究していながら、肝心のブラヴァツキーの著作がろくに読まれていないことは、この論文からも容易にわかる。

だが、結局のところ杉本氏は、ブラヴァツキースパイ説が「つまり,マダム・スパイ説は,ある意味当たっているが,言葉の正しい意味で国家のスパイではなかったことになる」という結論に落ち着いている。

ただ、杉本氏のこの論文を読んだだけではわたしは逆になぜそういえるのか、論拠薄弱で腑に落ちないところがある。

これはわたしの単なるブラヴァツキー観にすぎないが、スパイになるにはブラヴァツキーはあまりに人間的、情緒豊かで不用心すぎるように思う。『インド幻想紀行』ではブラヴァツキーの考えや内面性が溢れんばかりであり、彼女を知ろうとする上で貴重な著作である。

杉本氏は、ブラヴァツキースパイ説があまり成り立たないとわかると、今度は構造主義的観点から彼女に役割を持たせようとする。

杉本氏はピーター・ゲイの著作から引用して「マルクス主義が宗教を大衆の阿片と言ったが,当時の大英帝国,ドイツなどでは,宗教が中間層の阿片として復活していたという逆転現象がみられるのである」という。

宗教を阿片と見なす、マルクス主義的な一面的解釈を、代表作『シークレット・ドクトリン』の扉に「科学、哲学、宗教の総合」と掲げたブラヴァツキーを語る場に持ち込まれると困惑する。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)の序論には、宗教に関して次のように書かれている。

宗教がものを受け入れすぎるとすれば、唯物主義は何でもかんでも否定するが、それらの間の黄金の中点を固守する者、物ごとの永遠の正義を信ずる者は賢明である。(……)“真理に勝る宗教(又は法則)なし”これは神智学協会によって採用されたベナレスのマハーラジャーのモットーである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク,1989,「序論」p.177)

「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」を読んだ時点までは、杉本氏の論文がマルクス主義の見地から書かれたものだとの確信が持てなかったが、ここへ来てマルクス主義全開という感じである。

次のウィスワナーダンの著作からの引用もマルクス主義的解釈で書かれているためか、奇妙な表現となっている。

マダムの神智協会は,心霊のような霊媒を介さずに,手紙や霊気コミュニケーションによって直接交信する手段を使い,心霊主義を霊性と結びつけただけでなく,現代テクノロジーを神秘主義に結びつけた功績があるとする。マダムは歴史と物語の境界をあいまいにする可能性をも開き,テクノロジーが幽体分離,錬金術,時空圧縮などの経験を神秘主義と共有できると主張した。

霊気コミュニケーション、時空圧縮とは何だろう? 

ブラヴァツキーは心霊主義を霊性と結びつけたのではなく、心霊主義の誤った考えを指摘したのである。また、歴史と物語の境界をあいまいにしたのではなく、神話や伝承に秘められた意味を探り、探り当てた秘教の智慧を開示して、その歴史的意義を明らかにしたのである。

マルクス主義的――唯物主義的――解釈でブラヴァツキーという人物や行動、またその著作を捉えようとすると、どうしたって無理が生じる。

論文は、ブラヴァツキーが「記号論的存在からイデオロギー的存在へとまつりあげられた過程を詳細に検討するにつけても,マダム・ブラヴァツキーはまことに稀有な存在といえるであろう」と締めくくられている。

わたしは「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」と「闇戦争と隠秘主義:マダム・ブラヴァツキーと不可視の聖地チベット」を読んで、杉本氏のような一部のマルクス主義者――唯物主義者――がどのようにしてブラヴァツキーの虚像をつくり上げ、貶しながらニューエイジの祖にまつり上げたかの過程を見る思いがした。

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2018年3月 9日 (金)

杉本良男氏の論文、及びニューエイジ雑感。『岩波哲学・思想事典』における神智学協会。

オンライン論文、杉本良男「特集 : マダム・ブラヴァツキーのチベット : 序論 」『国立民族学博物館研究報告』<http://doi.org/10.15021/00005962>(2018年3月9日アクセス)を閲覧した。

この論文は序論らしいから、今後の展開を期待したいが、「日本の神智主義研究をリードしてきた吉永進一」とあったので、過去記事で吉永氏の論文について感想を書いたことを思い出した。その感想へのリンクが以下の記事にある。

2017年11月18日 (土)
前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない(加筆あり)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/11/post-070c.html

杉本氏の論文に「神智主義,神智協会がいまだに知的関心の的であることに驚かされた」とあるのを読むと、序論から既に何かブラヴァツキーの近代神智学運動や神智学協会に対する否定的ニュアンスがあるような感じを受ける。

新たな情報に触れることができるのは嬉しいが、この杉本氏にしても、吉永氏にしても、ブラヴァツキーの主要著作を読んだことがあるのかどうか疑問である。他の論文の引用文からは否定的ニュアンスが感じられなかったりすると、余計に残念な気がする。

論文に「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とあったので、ウィキペディア「ニューエイジ」<https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B8&oldid=67581956>を閲覧した。

概要に、ニューエイジが「一般的に、19世紀の心霊主義、ニューソート、神智学の伝統から派生したもの、グノーシス主義、ロマン主義、神智学が現代的に再編されたものであるとみなされている」とある。

そして、「ヨークは、『不便なことに、研究者がニューエイジにアプローチする際、適切で包括的な概説は存在しない』『多くの考えがありながら、運動全体について語ることができる者はいない』と述べている」とあるが、その原因の一つは、ニューエイジに対するブラヴァツキーの影響を指摘しておきながら(杉本氏は前掲のように「マダムを祖と崇めるニューエイジ運動」とまで、いい切っている)、ブラヴァツキーの諸著の研究がアカデミックな場でなされてこなかったところから来ているとわたしなどは思う。

日本では第二次大戦後、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果、左翼が勢力を伸ばした。学術研究においても彼らが主導的立場をとることになったことから、ブラヴァツキーのような東洋思想に新たな光を当てて科学、宗教、哲学の総合という偉業を成し遂げた人物をも放置状態で、彼女の諸論文の学術研究も評価もされないままできているのだ。

研究がなされる場合でも、どこか見下したような視点での周辺的な、悪くすればゴシップ的なアプローチが多く見られ、こうした研究が学術研究という名に値するかどうか、甚だ疑問である。

彼らの研究自体がニューエイジの影響を感じさせる、恣意的な特徴を持っているようにわたしには思える。

まずはブラヴァツキーの代表的著作の研究がなされるべきで、それがなされずして影響も何も考察できるわけがない。

ブラヴァツキーの代表的著作の研究には古代ギリシア哲学をはじめとするブラヴァツキーが生きた時代までの哲学の基礎教養が必要で、左翼思想に染まった学者たちにこれらを身につけることが可能なのかどうか……

ニューエイジという潮流には、非学術的、ファンタスティック――というより妄想的といべきかもしれないが――な要素、左翼思想(ニューエイジの特徴らしい世界政府樹立の推進は、アダム・ヴァイスハウプトを祖とするイルミナティが希求したところのもので、マルクス主義に取り込まれた)、心霊主義(ピプノセラピーには無知からくる催眠術の安易な利用があり――ピプノセラピスト本人が如何に善良であろうとも黒魔術となってしまう――、それによる降霊術がその正体である)、金銭的利益を目的とした商業利用が潜んでいるように思われる。

いずれも、ブラヴァツキーの思想には存在しない要素である。

他にもウィキペディアにはいろいろなことが書かれているが、火遊びにも似た軽率な「霊や異次元の存在との交流(交霊・チャネリング)」は心霊主義者を連想させる行為であり、「病気や貧困・悪は実在せず、心の病気または幻影であるという考え」はブラヴァツキーの時代に存在したクリスチャンサイエンティストとメンタルサイエンティスト達の考えである。

「『精神的な豊かさが物質的な豊かさに直結する』、端的に言うと「『精神が物質化する』という考え方」は、民間信仰によく見られる現世利益的考え方である。

ブラヴァツキーの神智学はアリス・ベイリー、シュタイナーの思想とは違うが、これらの区別もつかないままに、大衆的に取り入れられ、民間信仰となった面があるといえるのかもしれない(調べてみないと、わからない)。

左翼が、左翼的解釈で、神智学協会の影響を受けた人々の思想をムード的に取り入れてニューエイジの形成に使った、といえそうな気もする。

というのも、ニューエイジという括りはヒッピー・ムーブメントを連想させるからで、様々な思想、文化芸術のムード的、無節操な取り入れ方が似ている。

アニメーション監督の宮崎駿は筋金入りの左翼として有名であるが、彼のアニメは充分にニューエイジ的なのではないだろうか。

ところで、日本ではおそらく哲学・思想事典の最高峰に挙げられるであろう『岩波哲学・思想事典』では、神智学協会――事典では神智協会――について、どのように書かれているのだろうか。

気になり、読んでみて安堵した。執筆者は歴史学者で、南アジア近現代史が専門の藤井毅氏である。

神智協会について、創設から各地に支部、連携団体が結成されたこと、「A・ベサント夫人の参加によりインドの合法的自治運動や民族的教育を積極的に支持するようになったが,M.K.ガンディーの登場とともに退潮した」こと、一時期J.クリシュナムルティーも籍を置いたことが述べられている。

残る三分の一ほどの記述を、以下に引用しておく。

 宇宙と存在の全ては相互に関わり合いを持つ一体で,偏在する同一の源に発し,目的と意味を持ち秩序ある形で顕現するとした.
 宗教・哲学・科学の統合を目指し,未解明の自然法則と人間の潜在能力の研究が重視された.この点で先行する神智思想を継承するが,個々の宗教伝統が持つ団体の価値観を尊重し,人種・信条・性別・カーストなどに基づく差別を乗り越えて人類同胞の実現を図り,南アジアの精神復興に寄与したことで特異な役割を果たすことになった.インド古典学の研究に多大な貢献をなしたばかりか,オルコットは仏教を受け入れ,セイロンにおける仏教復興を刺激した.人智学を唱えたR.シュタイナーにも影響を与えた.
〔藤井毅〕(廣松渉 ・編集 『岩波哲学・思想事典』岩波書店 ,1998,「神智協会」p.831)

ちなみに、ブラヴァツキーは政治活動について、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)で以下のように述べている。

協会としては、政治に関係することを注意深く避けています。(……)神智学協会は最高の意味での国際的な組織です。協会の会員は人類の改善という唯一の目的で協力して働く、あらゆる人種、宗教、思想の男女から成っています。しかし、協会としては国民的、党派政治には絶対に参加しません。(……)国際的な組織ですから。その上、政治活動は必然的に、時や個人の特異性でいろいろと変わらなければなりません。神智学協会の会員は神智学徒として当然、神智学の原則を承認しています。でなければ、彼等は協会に入るはずはありません。しかし、会員達はすべての問題で意見が一致するということにはなりません。協会としては、会員全体に共通のこと、即ち神智学自体と関係するものだけを一緒に実行することができます。個人としては、神智学の原理に違反せず、協会を傷つけない限り、政治的思想や活動は完全に各自の自由に任せられています。(ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.227-228)

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2018年2月27日 (火)

椿山さん、タウンマガジンありがとうございます

休刊中の『日田文學』の同人仲間だった椿山滋(ペンネーム)さんがタウンマガジン『なかつ  VOL.209』(2018年3月1日発行)をお送りくださいました。

同人仲間とはいっても、合評会・懇親会でお目にかかったことはなかったので、お顔もご経歴も存じ上げませんでした。

1ページ丸ごと使って、椿山さんの御自宅の書斎を背景にした白黒写真(書棚の本のタイトルがくっきり写っていればいいのにと思いました)、プロフィール、文学歴、奥様のこと、創作に関するエピソードなど紹介されており、椿山さんを知るにはお得な(?)1冊となっています。

記事のタイトルは、「夢は直木賞 16年間書き続ける」。

第46回九州芸術祭文学賞大分地区優秀作を受賞、「恋待ち商店街の素敵な面々」で第18回長塚節文学賞候補、2年ほど前から関西系の季刊文芸誌「日曜作家」の同人。

親しみの感じられる平易な文章で市井に生きる人々の生活ぶりが活写され、そこにある出来事が起って、そのことに心を揺さぶられる主人公の内面的変化が丁寧に描写される――といった作風が印象に残っています。日本文学の伝統を受け継ぐ作風といえるでしょう。

わが家にある『日田文學』のバックナンバーから椿山さんの作品を拾ってみました。

いんちき商法で物を売りつけるブラックな会社に入社してしまった主人公の感覚の変化と、その商売から足を洗うまでを描いた『リセット』(51号)。

痛ましい死に方をした愛犬が神様の温情により女性の体を5日間だけ借り、可愛がられて幸福だった思いを伝えにくる『神様の思惑』(52号)。

同性愛者である女性の内面の動きを追った『リワインド――このドアを開けて』(53号)。

43歳の若さで事故死した妻と毎夜、心の中で対話して忠告を受けとる男性の身辺雑記『おかえり』(55号)。

転職を繰り返す主人公に疲れて離婚した元妻が末期がんになり、再会を求めてくる『彼岸花』(56号)。

80歳になる父親が認知症になり、病気から来る行動に振り回される家族の悲痛な思いを繊細に捉えた『紫陽花日和』(57号)。

様々な趣向が凝らしてあっても、どの作品も例外なく読者が想定できる範囲内の結末に落ち着くように読めるのですが、それが作者の人生観であり、美意識であり、思想であるからだとわたしには思えます。

どの作品も良識を感じさせる品のよい仕上がりになっていることからも、そのようにいえるという気がします。

椿山さんのご文運と今後の一層のご活躍をお祈り致します。

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2018年2月24日 (土)

21日に還暦の贈り物。バルザック『リュジェリーの秘密』(春風社)と、久々のインスピレーション。

亀記事ですし(数学の問題集とバルザックの小説に熱中して、アッという間に時間が経ってしまいました)、自分のための覚書になりますが、2月21日に60歳の誕生日を迎え、家族と妹から還暦のお祝いに心のこもった贈り物を貰いました。

息子が贈ってくれたポールスミスのハンドバッグは、わたしがここ数年「こんなハンドバックがほしいなあ」と想い描いていたようなもので、驚きました。使いやすそうで、カッコよくて。娘とデパートの店員さんのアドバイスがあったと知り、ああそれで……と納得しました。

小さなカードの文面に「今後も文芸、学究を深めますよう」とあり、ありがたくて感涙。

住居問題がようやく片付きそうですが、これも息子のお陰なのです。息子は仕事柄出張が多く、夜はベルギーとの間で行われるWeb会議などあって、多忙そうです。

子供たちのためにも、気を引き締めてよい老後にしなくてはと思っています。

娘は色々なものを贈ってくれ、その一つは花束で、マゼンダ、紫、薄ピンク、白の花々を使って、華やかながら落ち着きのある女性をイメージさせるようなものに仕上げられています。そのような女性になりたいものです!

また、贈り物の中には本もあり、その本ではバルザックのカトリーヌ・メディシスを題材にした作品がメインとなっています。

バルザック王国の裏庭から――『リュジェリーの秘密』と他の作品集
宇多直久 (著, 翻訳)
出版社: 春風社 (2017/4/14)
ISBN-10: 4861105447
ISBN-13: 978-4861105449

この宇多直久による新訳『リュジェリーの秘密』は、東京創元社・昭和50年初版の『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』に収録されている四編の作品のうちの一編と同じものです。

バルザック全集 23
バルザック (著),‎ 渡辺 一夫 (翻訳)
出版社: 東京創元社 (1975/01)
ISBN-10: 4488019234
ISBN-13: 978-4488019235

『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』は序章、第一部 カルヴァン派の殉教者、第二部 リュグジエリ兄弟の告白、第三部 二つの夢――と四つの部分から構成されており、これらは別個の作品が原題『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究 Etudes philosophiques sur Catherine de Medicis 』に収められたものだということです。

『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』は『ルイ・ランベール』や『絶対の探求』と共にバルザックの大構想からなる La Comédie humaine に属する「哲学的研究」の一部を占めています。

解説に「『序章』は、現在の日本の一般読者にとって、非常に難解ではないかと思っている」とあるように、わたしにも難解で、積読になってしまっていました。

ところが、娘が贈ってくれた本では『リュジェリーの秘密』(前掲書『バルザック全集 23』では「第二部 リュグジエリ兄弟の告白」に当ります)を核として、関連するバルザックの小品、手紙類、エッセーなどが収められており、『リュジェリーの秘密』が嫌でも目に入る構成となっています。この作品は読みやすいです。

前掲書『バルザック全集 23』の解説に戻ると、『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』について、次のように書かれています。

バルザックの『カトリーヌ・ド・メディシス』は、同じ種類の歴史小説や歴史劇のなかに伍しても些も見劣りがしないし、更に、他の作品が作者の叙情を核としている場合が多いのに対して、作者バルザックの「史観」或いは「歴史哲学」とでもいうべきものを軸としている点で、異色があり、バルザックがこの作品に『哲学研究』という名を冠しているのも、故なしとしない。(バルザック全集 23 、9~10頁)

ここを再読したとき、久しぶりにわたしに、稲妻がひらめくようにインスピレーションが訪れました。

そうだ、わたしが書きたいのはいわゆる大衆受けするお茶の間劇場的な歴史小説(実は現代的視点で書かれているという点で、歴史に舞台を借りただけの現代小説)ではなく、バルザックが書いたような歴史の核を形成する宗教・哲学的な部分を照射した歴史哲学小説なのだと思いました。

大それた望みだとは思いますが、わたしが本当に書きたいのはこれに尽きます。

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が進まなかったのは、取材の成果が間を置いて、少しずつ表れたということもありますが、何をどう書くかについて、葛藤があったからでした。もう5年もこの小説のことで悶々としてきたのでした。

それでも投げ出したいとは決して思いません。

バルザックの小説が見事なのは一般読者――一般読者といっても、バルザックの小説を当時愛読したのは貴族、ブルジョア、知識人層でしょうが――受けする要素も抜かりなく織り込まれているという点です。

『リュジェリーの秘密』については、また改めて書くことになるだろうと思います。

そういえば、久々にアマゾンのリポートを見たところ、このところ日本とアメリカで本が4冊売れ、誕生日に拙児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードして読んでくださった方があったようで、嬉しいです。ありがとうございます。

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