カテゴリー「文化・芸術」の702件の記事

2009年7月 9日 (木)

私的シネマブームの最後を飾る『マリア・カラスの真実』を夕方から

 ワタクシ的映画ブームの最後を飾る『マリア・カラスの真実』を、夕方から観る予定です。

 今回、これまでに観た中では、映画としてはどうかなと思いますが、『子供の情景』が最も印象に残っています。

 芸術性という点では、圧倒的に『懺悔』。

 『フロスト×ニクソン』『ダウト~あるカトリック学校で~』『リリィ、はちみつ色の秘密』は、中途半端な感じを受けました。どれもそれなりの見応えはありましたが、食い足りなさが残ったのです。

 『フロスト×ニクソン』のニクソンはニクソンらしくなく(あれはブッシュですね。ニクソンを描くと見せてブッシュを炙り出すのが意図だったのかもしれませんが)、フロストの突っ込みがそれほど鋭いとは感じられませんでした。

 『ダウト』のフリン神父は説教時の真剣な顔と夕食時のどんちゃん騒ぎ? が相容れず、ストリープ演ずるシスター・アロイシス校長が何だか甲斐性のない夫に泣かされる主婦に見えてしまいました。

 アロイシス校長がかつては既婚者だったという設定は、何を意味していたのでしょう? 彼女は宗教的閉鎖社会しか知らない女性ではなく、歓楽やセックスや異性について熟知しているわけです。臭いで、フリン神父の享楽気質を嗅ぎとり、黒人生徒を誘惑したに違いないかと感じていたのかもしれません。

 あるいは、学校を明るい開放的なものにし、人種差別をなくしたいというフリン神父の清廉な熱意は本物でありながら、人間的に危ういところのある――本当の悪漢とか変態ではないにしても――癖のある人物として描かれていたのかもしれませんが、そうだとすれば、がっしりした普通のおじさんにしか見えないフリップ・シーモア・ホフマンは演技派ではあっても、役柄的には合っていなかったように思えます。 

 学校の経営状態、組織のピラミッド構造における問題点に興味が逸らされました。学校の閉鎖性をテーマにしていたのだとすれば、アロイシス校長は苦労させられすぎていました。もう少し従業員、いやシスターや下働きの人数が多い学校の校長として描かなかったのは、なぜなのでしょうか? 

 フリン神父が誘惑したかもしれない黒人生徒の母親は、アロイシス校長との対話で、黒人が白人社会の中で生き抜く厳しさを表現して見せましたが、自分の子が生まれつきホモであると確信し、黒人でホモであるということは業病とでも考えているかのような様子は、生徒がまだ小学生くらいの年齢であって、またそうしたことに興味を抱く麻疹のような一時期が大方の人間にはあるだろうことを考えれば、行きすぎにも思えました。

 伏線だらけに思える映画で、伏線が伏線に終わっていたため、すっきりしない感じが残ったばかりか、何かごまかされたような気さえしました。疑惑を描き出すことが目的だったとしても、隠れた真のテーマはあるはずで、それがもう少しこちらに伝わるのでなければ、物足りなさは否めません。

 『リリィ、はちみつ色の秘密』のリリィを演じたダコタ・ファニングは、可愛らしい少女でした。父親と確執のあるリリィを受け入れる黒人三姉妹もそれぞれ魅力的でしたが、彼女たちがどうやってあの成功を手に入れることができたのか、そのあたりのことが描かれていたらよかったのにと残念でした。

 芸術性が高く、徹底度という点でも、『懺悔』は群を抜いていました。グルジア映画の凄さを改めて思い知らされた気がします。それでもわたしは、『子供の情景』に出てきた子供たちが忘れられません。

 さて、今日観る『マリア・カラスの真実』はどうでしょうか? オペラ演出家・映画監督として著名なフランコ・ゼッフィレッリ著『ゼッフィレッリ自伝』(木村博江訳、創元ライブラリ、1998年)には、シャネルの姿が印象的に描かれていましたが、カラスもそうでした。楽しみです。

 話は変わりますが、昨夜、娘が息子と電話で話していて、息子は夏休みが20日とれるらしく、秋芳洞旅行に誘っていました。二人の休みをうまく重ねられればいいなあと思います。息子を伴えば、百科事典を携帯していくようなもので、取材には便利なことこの上もないのですが。

 映画や旅行のことを考えていると、病気のことなど忘れたくなりますが、旅行を楽しくするためにも、体の中で気になるところは、内科受診の際に話してしまえればと思います。そうすると、また検査が増えるでしょうか? U先生も、左なら心配ないとおっしゃるかしらね。自分からお願いした癖に、月曜日の造影CTがもう今から憂鬱です。

|

2009年7月 7日 (火)

取材旅行のプランを練る。おねえ様からのお便り。科学雑誌。

 9月下旬に、ジュゲムブログで連載中の『不思議な接着剤』 のための取材旅行に出かけることになりそうです。娘がつき合ってくれるそうなので、彼女の休みに合わせて……。できたら2泊――新山口駅辺りと萩に1泊ずつ――したいと考えていますが、金欠病のわたしたち、お財布と相談して決めます。

 2泊するとしたら、1泊は萩の泊まりたいお宿、もう1泊はコンフォートホテルなんてプランもいいかなと思っています。

 先日、何とか無事? に終わった裁判ですが、複雑な事情下での出来事だとはいえ、吹っかけられ損だったとしか思えないあの裁判で、口頭弁論出席のための小旅行にお金をかけるのはアホらしかったので、とにかく安くあげたいと思いました。

 それで、コンビニとかファーストフード店とかを連想させるタイプのコンフォートやルートインに泊まってみましたが、簡便な、ありがたいホテルだと思いました。特にコンフォートはおススメです。

 値段が下がってくると、どうしても、場所的な問題、清潔さ、客あしらいなどのどこかに欠点が出がちになるのは仕方のない話ですが、コンフォートは安いのに、大抵便利な場所にあり、清潔で、便利品も揃っています。簡単な朝食も付いています。ウエルカム・コーヒーもあります。

 旅情を味わいたいような場合には、こうしたタイプのホテルは不向きです。

 2泊もする余裕はありませんが、1泊だけですと、秋芳洞の場所柄、交通の便が悪いみたいで、車なしで旅行するわたしたち――というより、健康に難点のあるわたし――には強行軍になりそうなのです。

 今年中には無理かもしれませんが、来年中には『不思議な接着剤』を仕上げたいと思っています。そのためにはこの作品の場合、取材旅行は不可欠です。何度も行けないからこそ、じっくり見てきたいと思うと、2泊は必要かなという気がします。

 『不思議な接着剤は、ホームページ『バルザックの女弟子になりたい!』でもご覧になれます⇒こちらKigenさんのすばらしい素材をお借りして、雰囲気のあるページになりました。

 プロットそのものは企業秘密? ですので、公開できませんが、試行錯誤の記録である『不思議な接着剤』ノートは、同じホームページでご覧になれます⇒こちら

 話題は変わりますが、9つ違うA…おねえ様――とちょっとふざけて呼ぶ癖がつきました――からお便りが届きました。創作活動を通じて知り合った女性で、たまたまですが、わたしは同じ時期に、いずれも同じ9つ離れた丑年の女性と知り合いになりました。皆さん、年女ですね。

 いずれも一本筋の通ったかたがたで、それだけに、わたしのこの珍妙な恥さらしブログをどう思われるか心配でした。温かな言葉が連ねてあって、ホッとしました。

 創作を続けている暮らしは、生涯をかけた旅に出ているようなもので、書いてさえいれば、途中はぐれても、またバッタリ出逢ったりする面白さがあります。

 短気な性分に生まれついたわたしですが、創作を通して、辛抱すること、長い目で見る大切さを教わった気がしています。

 純粋と打算、筋を通すことと合理的、といった要素を、状況に合わせてうまく調合していくコツ……は、まだまだ掴みきれていないかな。バルザックは破天荒に見えながら、この調合が絶妙な錬金術師だったと思います〔実際に彼はバラ十字会員だったようです〕。彼、オノレ(・ド・バルザック)は、おのれの根本目的を決して忘れず、物事の真価を見誤りませんでした。

 わたしは30代から心臓疾患などの病気に悩まされてきましたが、これは創作には必ずしもマイナスにはなりません。健康しか知らないお医者さんよりも、病気を体験したことのあるお医者さんのほうが、患者の気持ちになれる場合と、似たところがあります。

 といっても、創作は体力を必要としますので、あまりに病的とかひ弱なのは明らかなマイナス要素ですね。おねえ様が、「病と共存(?でいいのかしら)しつつ、信を曲げずにいらっしゃる年下の友(と呼んでさし支えないでしょうか)の存在は輝いて見えます」と書いてくださり、この手紙は宝物だわと思いました。

 勝手な引用でごめんなさい。あまりメロドラマ風になるのは好まれない、情の濃やかさとさっぱりした軽妙なところが溶け合っていらっしゃるおねえ様ですので、わたしの感激に呆れられたかもしれませんね。お忙しい毎日と拝察しますが、またいつか、おねえ様の小説、拝読したいです。

 また話題が変わりますが、息子の論文が雑誌に掲載されたら1冊送ってくれる約束で、もうしばらくしたら、手にできるのではないかと思います。

 科学雑誌の権威がネイチャーだということは、門外漢のわたしでも何となく知っていましたが、これには自然科学は全部載るのだそうです。ネイチャーに掲載されるのは大変なことのようで、連名で載るのが普通のこの雑誌に、息子の先生は個人の論文として掲載されたことがおありになるとか。連名のものも勿論あり、この分野における世界的権威というのは、その辺りから出てくるものでもあるのでしょうか。

 息子の論文はネイチャー、サイエンスといった権威筋からすると、マイナーな、物理の中でも化学に近いものだけが載る雑誌に載るのだそうですが、それでも嬉しいことのようで、わたしもその雑誌を手にできる日を待ち焦がれています。貰っても、読むというより、眺めるだけでしょうが。

 その論文では、先生は息子の名を筆頭にしてくださっているのだそうで、息子のような立場で、このような扱いは珍しいことだとか。優秀な先生だからこそ、そんな余裕がおありになるのでしょうね。

 ネイチャーに匹敵するような文芸雑誌は見当たりませんが、文学作品の出来不出来を測るのに模範となるものといえば、世界的なものでは今でもノーベル文学賞でしょうが、もし村上春樹がとれば、どうなるのでしょうか。わが国では、文学作品のレベルを測る装置としては、もうとうに芥川賞は壊れてしまっています。

 そのことを息子に話すと、科学の場合は成果が目に見えやすいから、といいました。オリンピックにおける記録といくらか似たところがあるのかもしれません。

 オリンピックでも、競技によっては芸術点などが勝敗を決める要素となったりして、すっきりしない気持ちを残すことがありますが、文学もその芸術点での評価が割合的に大きくて、難しいところがあるのでしょう。

 そうはいっても、過去の文豪クラスの作家たちの作品を読むと、名作と呼ばれるものには、目には見えない基準が厳然と存在する気がします。商業主義という目には見えない怪物がいなくなれば、寂しい限りでしょうが、今のわが国の状況は明らかに狂っている気がします。

 売れる作家のものを売りたいだけ売る、という方法をとられるということは、逆の見方をすれば、それだけ他の作家のものが出なくなるということでもありますから。

 バカ売れしている作家のものがどんなにいいのか、あるいは悪いのか、本当のところ、わたしにはわかりませんが、その作家のものだけがいいということはありえないということだけは確かです。

 わたしのように、これまでの半世紀間に様々なものが読めてきた世代はまだよいのですが、 若い人たちや子供たちが、商業戦略で、偏りのある読書傾向に呑まれていくのは見るに耐えないなあと感じてしまいます。

 ハンバーガーは美味しいけれど、そればかりでは健康に害が出るように、同じ作家の本ばかり読んでいては、様々な本の味わいがわからなくなるし、物事を見る目にも自ずと偏りが生じてくる気がします。ましてや、それがお酒だと、そればかりでは、人生がほどよく甘美になるどころかアル中に、廃人になります。

○当ブログのおすすめ記事:評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』
                  〔ホームページでもお読みになれます⇒こちら

                  新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について

|

2009年7月 4日 (土)

米軍によるアフガン南部で掃討作戦のニュースと、火曜日に観た映画『子供の情景』

 昨日のニュースで、 米軍がタリバンの拠点地域――南部ヘルマンド州――で大規模掃討作戦を開始したと伝えていた。

 火曜日に観た映画『子供の情景』は、アフガニスタン中部のバーミヤン――タリバンによる大仏破壊が行われた周辺――を舞台としたものだった。

 名作かどうかの判断ができないままラストシーンとなり、制作者の意図にはめられた……と思った瞬間、それにも拘わらず涙が拭きこぼれ、慌ててハンカチで口を押さえたけれど、嗚咽する声が漏れてしまった。

 場内が明るくなったら、呆れ顔の娘が苦笑してわたしを見ていた。「ママったら、そんなに泣いちゃって。あんな現実があそこにあることくらいは知っていたでしょう?」

 知っていたし、子供がとる自然な行動にことさら意味づけをして、流血シーンなしで戦禍を浮かび上がらせようとする手法は、作為的、ルール違反と思わせたくらいだった。

 しかしながら、あの女の子バクタイのひたむきな目……悪餓鬼どものタリバンごっこのなかでとはいえ、「バクタイ、死ぬんだよ。死ねばあとは放っていてもらえる」という隣の家の男の子のアドバイスにも耳を貸さなかった頑固なバクタイが、ついに彼らから逃れるために、「バクタイ、自由になりたいなら、死ね!」という男の子の叫びに自ら死んでいく(死ぬ真似をする)シーン……そこに冒頭の大仏破壊の爆破シーンが重ねられた結末に、わたしの中の澄まし込んだ分別も一緒に吹っ飛んだのだった。

 尤も、大事な人々と死に別れる中でそうなったのか、子育ての中でそうなったのかはわからないが、めっきり涙もろくなった。子供を見れば、どの子も自分の子に見えてしまう始末。

 映画に出た子供たちは、全員現地の子供たちだということだ。ひと口にアフガニスタン人といっても多民族国家を感じさせる容貌の多様さで、バクタイという女の子は蒙古系の顔立ちだった。意志のしっかりしていそうな、対象物をまっすぐに見つめる可愛らしい子。

 強国の利害に翻弄されてきたアフガニスタンだが、自覚しようとしまいと、あの子供たちの現実に、わたしたち日本人の利害の絡んだ思惑が複雑に関わっていることはいうまでもない。

 パンフレットを読むまでわたしは、タリバンの有名な女性に対する権利の制限が、女性は守られるべきものという信念から派生したものだとは知らなかった。これは「イスラムよりもむしろアフガニスタンの伝統的な家父長制から生まれたものと言われている」とか。

 とはいえ、就学・就労の禁止、親族の男性と一緒でなければ外出禁止などといった権利の制限は女性の人間性を剥奪するに等しい。

 パンフレットの鈴木均氏によると、タリバンは「元々はアフガニスタン南部のデーオバンド系の宗教学校に集められていた戦争孤児が中核となり、荒廃したアフガニスタンの世直しを目指した平和的な運動であった。これに1996年頃からサウジアラビア出身のオサーマ・ビンラーディンらの国際テロ組織が合流したことによって、思想的に一挙に急進化していった」そうだ。 

 『子供の情景』の監督ハナ・マフマルバフは、イランの映画一家に育った女性で、映画制作当時は19歳だったという。写真を見ると、落ち着いた感じの理知的な美人だ。

 大人にとっては短い一日が子供の時間では長い長い一日であることを、若い監督ならではの感性で感じとっていたのだろう。バクタイという6歳の女の子の視点で、長い長い昼間が描き尽くされる。

 バクタイはひたむきに学校へ行こうとする。就学年齢に達しているのに行けないということもあったのだろうが、隣の家に住むアッバス――石窟が彼らの住居――がバクタイを羨ましがらせたことが一番の原因だろう。子供がとりそうな行動が自然に描かれていた。

 その学校へ行きたくてたまらないバクタイを、まず学用品不足が阻む。彼女は、家にあった卵をパンに換え、何とかノートを手に入れる。お母さんの――アフガニスタンの女性にとって大切なものだという――口紅が鉛筆の代わりだ。

 次にバクタイを男女別扱いの規則が阻む。教わった女子校は遠かった。女子校を目指すバクタイを、今度はタリバンごっこに熱中する少年たちが阻む。少年たちは、この年齢の少年たちがそうであるように敏捷で、時に大人以上に執拗で、タリバンになりきっている彼らの目つきは真に怖ろしいものだった。

 タリバンごっこという戦争ごっこの一種は、現地の子供たちの遊びがとり入れられたものだという。

 少年たちによれば、口紅は無神論者の物だそうで、バクタイは石投げの刑を宣告される。ノートは破られて、少年たちは紙飛行機を折るのに夢中になる。こんなところは如何にも子供だ。彼らによると、大仏も紙飛行機爆弾で処刑されたらしい。

 そして、バクタイは捕虜にまでなるが、何とか少年たちを交わし、女子校へと急ぐ。

 老人に道を尋ねると、老人はバクタイのノートを破って、紙の舟を折り、川に浮かべる。紙の舟に導かれるようにして辿り着いた女子校で、バクタイは自分より大きな子供たちのクラスへ入り込み、彼女らに阻まれることになる。

 バクタイは何といっても6歳の子供で、学校の規則が身についていない。教室の中で彼女は、半べそをかきながらも、何とか大きい子供たちの間に身をねじり込ませたのはいいが、リンドグレーンの『長くつ下のピッピ』を連想させるような、したい放題をする。

 口紅で、お化粧遊び。唇も頬も真っ赤に塗りたくり、どの子も見違えるほど綺麗になった。黒板に向かっていたため、背後で起きていることに気づかなかった女教師に、ついに出て行くようにいわれてしまう。帰宅する途中、またもやタリバンごっこの少年たちに捕まるわけであるが、女子校へ行って戻るバクタイの背後には、あのバーミヤン遺跡が存在していた。

 らくだ色をした遺跡。バクタイの緑色の衣装と手にした黄色いノートは、遺跡の色に映える。

 わたしは、昨年5月に出かけた『ガンダーラ美術とバーミヤン遺跡展』を思い出した。悔しいことに、そのときわたしは体調が悪くて、思うように展示物を見られなかったが、記憶には残っている。バーミヤン遺跡展では、破壊される前の写真や図面などを鑑賞できた。

 壁画に描かれた飛天は、何ともエキゾチックなものだった。濃い、生き生きとした表情。それは、ギリシア、ローマの影響を強く感じさせるガンダーラ美術とは、全く印象の異なるもので、ササン朝ペルシア及びインドのグプタ系美術の影響が強いものだというが、なるほどと思った。

 そういえば、ハナ・マフマルバフ監督は、バクタイの隣の家の男の子アッバスにアフガニスタンの国民とブッダをイメージさせようとしたとパンフレットにあった。

最後にいじめっ子たちに囲まれて倒れるのも仏像が倒れる、というイメージで撮りました。あの役をやった男の子は、本当に物覚えが悪かったんですよ! 何度教えても間違ってばかりで、何度も何度もやりなおすんですが、泣き出すわけでもないし、ふてくされるわけでもないし。全然表情は変わらなくって、そんなところも「仏像みたい!」って、すごくおかしかったです。

 うーん。アッパスが小細工されていることはわかり、時々浮く気がしていたが、そんな意味づけがなされていたとは……。よくも悪くも、監督の若さを感じさせる映画ではあった。 

|

2009年7月 1日 (水)

判決が下りました

20090701162106_2

 そろそろ地裁から何かいってくるはずだけれど、おかしいなあ、問い合わせてみたほうがいいかしら……などと思っていたところ、先ほど(16時)、その地裁から特別送達。届いたのは、平成21年6月30日付の判決言渡原本でした。

 半年かかった裁判の判決が下ったのです。

         主文
1. 原告らの請求をいずれも棄却する。
2. 訴訟費用は原告らの負担とする。

 とあり、ホッとしました。

 アウトラインは以下のようになっています。

平成21年6月30日判決言渡 同日原本交付 裁判所書記官

平成20年(…)第…号 損害賠償請求事件

口頭弁論終結の日 平成21年5月26日

         判決

         主文
1. 原告らの請求をいずれも棄却する。
2. 訴訟費用は原告らの負担とする。

         事実及び理由
第1 当事者の求めた裁判
  1 請求の趣旨
    (1)~(6)
    2 請求の趣旨に対する答弁(被告ら)
        主文と同旨
第2 当事者の主張
   1 請求原因
    別紙(準備書面(2))のとおり
    2 請求原因に対する否認(原告ら)
    すべて否認ないし争う
第3 判断
  1 原告らの主張する請求原因は、必ずしも明確ではなく、理解し難いところが多々あるものの、要するに、
  ①~⑫
などと主張して、被告らに対し、不法行為(民法709条)による損害賠償をもとめるというもののようである。
  2 そこで、まず、原告B(奥さん)の被告らに対する請求について検討するに、原告らの主張するような事実によって、原告Aの妻である原告B(平成8年…月…日婚姻(甲1))のいかなる権利ないし法律上の利益が侵害されたのか全く明らかでないから、その主張は採用の限りではない。そうすると、原告Bの請求は、その余の判断をなすまでもなく理由がない。なお、前記⑧-1の「無断名義変更に偽装利用」というのは、何を意味するのか不明である。
    なお、原告Bは、被告N(わたし―マダムN)から、精神分裂病であると侮辱されたとも主張するようであるが、確かに、被告Nが原告Bの精神疾患を疑い、原告Aに、専門家に診てもらったらどうかといったことはあるものの、それは家族として心配したためであり(弁論の全趣旨)、これが原告Bを侮辱するようなものであったとはいえない。
  3 次に、原告A(父)の被告らに対する請求について検討するに、原告らの主張は、概ね、被告らとは関係のない事柄を、一方的な思い込みや根拠のない憶測に基づいて、ことさらに被告らと関係付けようとするものであって、以下に述べるとおり、採用し難い。
  (1)①について
~ (12)⑫について
  4 その他、原告らは、縷々主張するが、いずれも被告らの不法行為責任を基礎付けるに足りるようなものはない。
  5 よって、原告らの請求は、いずれも理由がないから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法61条、65条を適用して、主文の通り判決する。

  …地方裁判所民事部

              裁判官 …

 人事異動により、裁判官が交替してからは、すみやかに口頭弁論が終結し、今回の判決となりました。

 交替した裁判官は、被告全員の否認内容をきちんと取り入れた判断を示してくれ(一例として、精神分裂病としてわたしに侮辱されたという奥さんの主張に対するわたしの否認内容を取り入れた判断をご紹介しました)、それでいて、裁判官の口頭弁論の終結宣言に異議を唱えた父夫婦を斟酌し、もう1回だけ口頭弁論の機会を設けるといった原告・被告どちらにも公平感を与える裁判を行ってくれました。

 逆のいいかたをすれば、担当する裁判官によってこうも裁判内容が変わってくるものだろうかという怖ろしさも感じました。

 カテゴリー:父の問題http://elder.tea-nifty.com/blog/cat7780353/index.htmlを閲覧していただければわかっていただけると思いますが、これで父夫婦の問題が解決したわけではありませんで、あれこれ考え出すと不安が際限なくふくらんできます。が当面は、これまでのようになるべく遠巻きに見守るといった姿勢を貫きつつ、柔軟に対応していくしかないだろうと考えています。

 調停、今回の裁判と、父夫婦との関係、問題点をご紹介しながらリポートしてきましたが、このカテゴリーに含まれる記事を公開したことについては迷いがあり、削除すべきだろうかと考えたりもしました。

 そんな折、偶然、「マダムN」というタイトルの記事を閲覧しました。ちょこ6180様が公開されている次のような記事でした。

2009.04.27
マダムN      
http://plaza.rakuten.co.jp/namipannachan/diary/200904270000/#comment

昨夜はとても興味深いブログを発見しました。
マダムNという方のブログです。
興味深いのは、実のお父様と後妻様から姉妹で訴えられてるという内容なのですが、
彼女は文学に非常になじみのある女性らしく、家族間での争いのなかにさえ微妙に現れる家族としての情愛が、優しく暖かく、美しく書かれていて、
なおかつ調停の様子等はきちんと描かれているので、ブログであるのに小説のようで、思わず何時間も読んでしまいました。

 嬉しい記事でした。ちょこ様、ありがとうございました。

|

2009年6月30日 (火)

本日観る予定の2本の映画と先日観た『懺悔』。『ジーンズの少年十字軍』について。

今日はココログがメンテナンスで、その時間が過ぎても記事が反映せず、朝書いた記事を昼間外出中に携帯から投稿していたのですが、結局帰宅後(午後10時)、再投稿しました。で、これを書いている今は、映画2本を既に観ています。それについては、記事を改めて、また。

 いつも年2回(春と秋に1回ずつ)行く予定にしているコンサート・オペラ・バレエ・能楽(などから選択)。春にアルゲリッチを聴きたいと思いつつ行けなかったのですが、それを埋め合わせてくれるかのようにシネマ5で名作の目白押しです。

 『フロスト×ニクソン』『ダウト』『懺悔』を既に観ました。

 『懺悔』はグルジア映画。重厚な作品でした。大学の頃に『ピロスマニ』というグルジア映画を観て圧倒されたことがありましたが、グルジアはよい映画を作る土壌として有名だとか。確かに、そうした伝統の薫りを感じさせられます。

 煮た魚を食べているだけのシーンをあれほど気持ち悪く描けるとは……魚はキリスト(ハリストス)の象徴とされていますが、そうした象徴でしょうか。食べていたのは、神父になりすました悪魔でしたから。悪魔は、スターリン主義による市民弾圧を暗示しているようでもあり、映像の世界を、ロシア正教を核とした文化が裏でがっちりささえていました。おどろおどろしい、それでいて滑稽であり、時折はっとさせる美しさのある映画でした。

 空中に人形の浮かぶ場面では、シャガールの絵画を連想しました。

 全てがヒロインの白昼夢ともとれる極めて観念的、哲学的な、人間という存在の根本にあるものが何であるかを執拗に問いかけてくる世界は、ドストエフスキーの文学を髣髴させました。あの映画が何を意味していたかということより、映画を通じてグルジアの何といいましょうか、こくのある優雅なところのある、とても個性的な文化に触れられたことが新鮮で、観てよかったと思いました。

 テオ・アンゲロプロスのギリシア映画『エレニの旅』とどこかしら似た雰囲気が漂っていたのは、同じ正教の薫りがあるからでしょうか。

 今日観る予定の映画は、アフガニスタンのバーミヤンを舞台とした『子供の情景』とアメリカのベストセラー小説を映画化した『リリィ、はちみつ色の秘密』です。

 どちらにするか娘と迷いましたが、わたしの体調もよいので、どちらも観ることに。ノルウェー映画『ホルテンさんのはじめての冒険』は見損ないました。娘と職場が同じで、大学も同じ市立大だった青年は観たそうで、よかったとか。このあと、『マリア・カラスの真実』を観ることができたら、それで今回の私的映画ブームは終息します。

 テア・ベックマンの『ジーンズの少年十字軍』は歴史の闇に踏み込んだ手応えのある児童文学作品で、なまじな感想では済ませたくない気がしてきました。歴史学者、阿部謹也著の『ハーメルンの笛吹き男』で描かれた世界とは13世紀ドイツという背景柄、重なる部分があり、再読しているところです。

 『ハーメルンの笛吹き男』によると、伝説のもととなった、ハーメルン市で子供たち130人の失踪が起こったのは1284年6月26日〔ヨハネとパウロの日〕とされています。最古の記録は教会のガラス絵に残されていた次の文面。「ヨハネとパウロの日(すなわち6月26日)にハーメルン市内で130人の者がカルワリオ山の方向(すなわち東方)へ向かい、引率者のもとで多くの危険を冒してコッペンまで連れてゆかれ、そこで消え失せた」〔関連記事:http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/09/post_8645.html

 『ジーンズの少年十字軍』で、20世紀のオランダ生まれの15歳の少年ドルフが、タイムマシーンで、ドイツのシュピールスという都市の郊外に降り立ったのは、1212年の洗礼者聖ヨハネの日で、両者には70年以上の開きがあるのですが、両者に描かれた問題には共通する部分があるのです。

 ハーメルン市における子供たちの失踪については諸説あり、それには植民説、少年十字軍という説が含まれています。少年十字軍というと、どうしても口べらしというような苦しい生活事情とか、あるいは奴隷売買という大人の犯罪行為が想像されてしまいますが、『ジーンズの少年十字軍』は奴隷売買という観点から書かれています。

 両著書で、サンタクロースのモデルとして知られる聖人の遺骸が小アジアからイタリアに移された出来事が出てきますが、『ジーンズ』ではそれが効果的に使われていて、わたしは思わず「うまい!」とベックマンに拍手してしまいました。

 『ジーンズ』については、しばらくはメモをとることが続きそうで、感想を書き終えるには時間がかかるでしょう。生者と死者が出てくる舞台劇風の自作小説も進めなくてはなりません。

|

2009年6月28日 (日)

左サイドバーの私的リンク集に、ブクログの「マダムNの本棚」 

 左サイドバーに設けている私的リンク集《こちらへもどうぞ》に、ブクログの「マダムNの本棚」を加えました。⇒http://booklog.jp/users/2021

 読んだ本をどんどん本棚に並べていこうと思います。なるべく感想も……。

 

|

2009年6月27日 (土)

湿っぽい日のつぶやき

 昨日今日と体調がよかったので、テア・ベックマンの児童文学作品『ジーンズの少年十字軍』(西村由美訳、岩波少年文庫)の感想を記事にするつもりだったが、体調がよいならよいで、つい雑用に目が行き、結局それで時間が潰れた。

 先日、循環器クリニックのあとで行ったB調剤薬局で、薬剤師さんに体調が不安定なことを話し、先の不安に駆られて落ち込むといった。

 B調剤薬局の薬剤師さんは何人もいらして、薬に限定された相談以外の話も聞いていただけるのがありがたい。

 薬剤師さんには勿論、不安の内容まではお話ししなかったが、専業主婦であるわたしの一番の悩みというか負い目は、金銭的なことだ。只では死ねないという思いがより一層死への恐怖を掻き立てる。

 考えてもどうしようもないので、先のことはあまり考えないようにしている……というより、考えられないのだが、今後、わたしは治療でどの程度お金を使うのだろうかと考えると、暗澹たるものがある。

 幸い今のところは、あちこちの科にかかっている割には、経過観察が多いためか、時々検査にかかるくらいで、循環器クリニックで処方される薬代がいくらか気になる程度だ。

 昨年の入院も検査入院で、夫の付録である妻型の保険金が思ったより降りたため、入院にかかった費用を引いてもお釣がくるくらいだった。が、入院にはそれ以外のお金がいろいろとかかるし、何より、その検査入院は問題の解決にはつながらなかった。

 それで無罪放免とはならないだけの灰色を帯びたところがわたしの症状にはあり、今後どうなるのか予測不能であることが混沌とした不安を生む。夫の定年後の生活が予測不能である不安ものしかかる。

 体調が悪いと、こうした諸々がわっとばかりに押し寄せてきて、もう何も考えられなくなってからようやく創作に集中できるという風。逆に、体調がいいと、ハイに、楽天的になりすぎ、無駄なことにエネルギーを消費しがちとなる。

 薬剤師さんはわたしに力強く助言してくれた。「体調が悪いときには、また必ず体調がよくなると、確信を持って自分に言い聞かせてください」

 そういえば、宇佐神宮の御神籤にも、病について「気をしっかり持てばよし」とあったっけ。

 気をしっかり持てない原因の一つには、医師が合わないということがあるのかもしれない。名医との評判も高く、人間的にも好感を持ちながら、循環器クリニックの先生をわたしは医師として信頼していない。

 呼吸器クリニックの先生はわたしの喘息を発見してくれた恩人だけれど、喘息の薬フルタイド(吸入ステロイド)は、わたしにはどうしても合わない気がしてしまう。薬を替えたいということはフルタイド主義者の先生を替えたいということだ。

 フルタイドを少し多めに使うと鼻が腫れる。声も以前とは変わってしまって、高音域を出そうとすると掠れる。

 循環器クリニックも呼吸器クリニックも内科でもあるので、たびたび左乳房の下の痛みについては伝えてきたのに、その部分の触診すらない。左側だと何の心配も要らないというのが、わたしには理解できない。

 検査を受けた上でそういわれるのであれば納得できるのだが……。ネットで調べると、その辺りにある臓器は膵臓みたいだが、それ風の消化器症状はないので、昔いわれた慢性膵炎ではない気がする。

 昨日も娘に見て貰い、触っても貰ったが、左乳房の真下が腫れているようだ。食事をとるとその部分が圧迫痛という感じで数時間痛むので(我慢できないような痛みではないが)、このところはずっと1日1食にしている。夕飯をしっかりとっているので、いくらか痩せはしたが、体調は悪くない。痛みも、1日1回になり、楽になった。

 このことについては、来月の内科受診の際にU先生にお話しするつもりだが、その前に肝嚢胞の造影CTを受けることになっていて、それで異常がなければ、先生もやれやれというところだろうに、そこへまた左乳房の下が痛むなどとは如何にもいい出しにくい。

 が、どうしてもわたしは気にかかる。いわなければ。額の腫瘤がすこやかに育っているのも気にかかる。見た目にはわからないが、触るとしっかりしてきた。硬い骨腫だとすれば、ここも手術をすれば、陥没するのだろうか。膝と股関節の不安定さは、何だろう? MRIで何も異常が写っていなければ、このまま過ごさなければならないのだろうか? 

 体はこんな調子だが、文学的には充実している。

 当面は推移を見守るしかない諸々の事柄に気をとられ過ぎて、そのための貴重な時間を削ぐことはやめよう。このつぶやきの記事を書き上げたら、ベックマンの作品に戻りたい。

 『ジーンズの少年十字軍』という名の本を手にしたわたしは、少年十字軍という歴史上最も、といってもいいような愚行をどう解釈し、それをどう児童物に仕立てられるのか、皆目見当がつかず、眉をひそめてしまった。軽々しく採り上げられたのだとしたら許せないという気がした。

 そして期待もせずに読み始めたのだった。子供たちにそこまでは無理だろうと思われる箇所にはたびたび出くわしたが、いや、すばらしかった。それは、少年十字軍のルートの調査、資料調べのすばらしさでもあった。ベックマンの創作には、よい意味で、児童物だからという手加減が一切ない。

 『ジーンズの少年十字軍』を読みながら、阿部謹也著『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫)を連想した。どちらも13世紀のドイツに照明を当てている。

 奴隷売買、魔女裁判という重苦しい歴史上の実際の事件がベックマンの作品には題材として取り込まれている。子供たちを一体、そこでどう生かすのか、どう生かせるのか……ベックマンはわたしの問いに見事に答えてみせた。

 ※予告をすると書かずに終わりそうなので、お約束はしませんが、『ジーンズの少年十字軍』について記事にしたいと考えています。

|

2009年6月23日 (火)

『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に対する仲間うちでの評価

 当ブログに収録している『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』に対する仲間うちでの評判は、まずまずだ。

 同人雑誌の合評会には体調の関係で出席できなかったが、同じ市に住むSさんは褒めてくれたし、今日いただいた発行人Kさんのお手紙には、「Nさんの評論、評判よかったですよ」とあった。

 またSさんが講師を勤めている創作教室の生徒と名乗るかた――団塊世代に近い夫と同じお歳の男性だから、わたしより7歳年上――から一昨日お電話があり、身に余る絶賛を頂戴した。

「世界中探しても、あなたほど適切に村上春樹に関して批評が下せる人はいませんよ。わたしは十何年も前から、村上春樹の作品とマスコミの扱いに関しては不信感を持っていました。読後、彼の作品は倦怠感を誘うが、その原因がわからなかったところを、あなたの評論でわかったような気がしたのです。あなたの評論は広く読まれるべきです。彼の作品は病原菌や公害に似たところがあるとわたしは思っています。よくこれだけ深く掘り下げられたものだと感心しました。非常に冷静に分析を進められていて、しかも女性でしょう、驚きました」

 お電話をいただく前は具合が悪くて横になっていたので、頭がボーッとしてすぐには文学の話題に応じられず、褒められていることがぴんとこなかった。それでいった。

「ありがとうございます。人それぞれで、わたしの批評を村上春樹の作品に対する誹謗中傷と解釈なさるかたもありますよ。わたしが女性で、しかもオバさんだから、作品の正体を見抜けるんじゃないでしょうか。もう少し若ければ、おそらく書けなかったでしょうし、もっと歳をとれば、きっとわたしは意地悪婆さんになるんでしょうね」

 すると、「いいえ、ただオバさん化していくだけの人は多いですが、あなたのような歳のとりかたをする人がいることを思うと、これは一つの希望です」との驚くべきお言葉。

 書いても報われないことばかりが常なので、盆と正月が……というより正月とクリスマスが一緒に来たようだったが、ただ、彼の作品を批評してほしいという申し出はお断りした。その余裕も自信もない。お目にかかりたいともいってくださったので、そのうちSさん行きつけの喫茶店で皆でお会いしましょうといった。

 Sさん行きつけの喫茶店の常連メンバーと聞いているOさんからも、丁寧なお葉書をいただいた。八十路を目の前に……と文面にあったが、Sさんから、Oさんがひじょうに上品な紳士と伺っていた。同人雑誌が休刊になるが、頑張ってくださいという激励の言葉に、わたしがOさんの作品について「静かな湖面にも似た創作姿勢と馥郁とした筆力」と書いたことに対するお礼の言葉が書かれていた。

 わたしの言葉なんかを喜んでくださるOさん、そしてKさん。まだまだ未熟で報われなくて当然のわたしとは異なり、高い評価を受けて当然と思われるこの先輩がたが、創作活動を淡々と送り続けて来られた長い年月を思うと、ナンだか涙が出てしまう。

 昨年の入院中一緒だった読書家らしいMさんに、同人雑誌をお送りしたところ(小説『侵入者』の掲載された号と、今度の評論が掲載された休刊直前の号とを)、すぐにお電話をくださり、わたしの作品を一気に読んだとのこと。お世辞でも嬉しかった。わたしの作品とKさんの作品が印象に残ったそうだ。彼女の友人たちにわたしのことを自慢したそうで、キャリアウーマンで社会的にも活発な活動をしているというそのかたたちにも雑誌を回してくださるとのありがたい言葉だった。

 ところで、70歳近いとはとても思えない、青年のように若々しい雰囲気を持つKさんだが、医業の傍ら俳句に打ち込んでいらっしゃるご様子。

 何と短期間に600句も作ったそうだが、小説からしばし離れ、俳句に新鮮な悦びを見出して作りに作っている最中……といった段階なのだろうか。彫琢は、今しばらくその境地に遊んだあとで、といったところなのかもしれない。Kさんのタイプを思うと、水原秋櫻子の句が連想されるが、わたしは、せっかく確立されたかに見える小説の技法が錆びないうちに戻って、書いてほしい気がしてしまう。若々しいとはいっても、70歳という年齢を思えば、他人事ながら気が急く。

 そして、もし本当に個人誌に加えていただけるとしたら、わたしはKさんの新しい小説と、それ以前に書かれたものの中から珠玉のような作品を選んで小論を書き、それを掲載してほしいと考えている。Kさんの作品にふさわしい評論が書けるだろうか。

 娘はKさんの『雲の影』を一気に読んだ。息子は、ドストエフスキーのことを舞踊家だっけ? というくらい文学音痴なのだが、感性はわたしに似ていて、「詩人」とわたしが呼んでいる学生時代の先輩の詩のよさもわかるところがある。『雲の影』は年老いた恩師との交際を描いた作品で、実はその恩師の特徴が息子の所属していた研究室の先生にいくらか似ていたので、1冊送っていた。 〔『雲の影』の関連記事⇒http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/06/post-9585.html

 息子はそれを放置していたそうだが、たまたま先生に電話をかけたあとで思い出し、読んだそうだ。息子も一気に読んだといった。「次々に言葉が目に飛び込んで来た。本当に似たところがあるね。涙が出た」といった。息子の先生には作品の中の恩師のような哀愁は漂っていないのではないかと思うが(わたしに近い年齢で作品の恩師よりはずっとお若いし、ユニークなかたのようなので)、そう、本当に泣かせる作品だ。

 恩師の人間像と作者の視線の温かさがいつまでも印象に残る。悲劇に終わる作品といってもよいが、恩師を含む数人の登場人物と語り手である「私」のそれぞれの心の綾が妙なる旋律を奏でて、四季の自然もそれに負けじと参加し、まるで文章で演奏される交響曲のよう。悲哀も含めて、これは賛歌だ。

 そういえば、嬉しいことは重なるもので、前掲の「詩人」とわたしが呼んでいる学生時代の先輩〔彼女の作品はこちら〕にまだ書きかけではあるが、童話『不思議な接着剤』と『すみれ色の帽子』を送ったところ、電話をいただいた。

 電話の向こうからこちらをまっすぐに見ているかのような彼女の澄んだ視線が雰囲気的に感じとれる中で、「母親としての体験が生きていると思いました。一つ一つの場面が浮かんできて、アニメにできそうね。横書きなのは……なぜ?」と彼女。

 わたしは下書きの段階であることを改めて断った。彼女はいつもより言葉少なだったが、好感触を得た。初めて、対等に見てくれたのではないだろうか。それから彼女は洞窟の話題から、フランシス・ベーコンの洞窟のイドラの話などをした。登場はまだだが、プランでは造形ができている錬金術師の娘は彼女がモデルなのだ。それを以前にいったが、覚えているだろうか。

 洞窟に囚われている錬金術師の娘は、統合失調症との長い闘いの中で苦しみながら成熟してきた彼女がモデルで、錬金術師の娘は誰の体にも存在するはずの良心(セオソフィー的に表現するなら高級マナス)をシンボライズしたものなのだ。

 秋芳洞は山口県にあるが、山口県の萩が彼女の生まれた土地だ。わたしはその二つを訪ねて、『不思議な接着剤』の続きを書きたい。

|

2009年6月22日 (月)

HP『バルザックの女弟子…」に、自作童話『不思議な接着剤』を5章まで収録

 HP「バルザックの女弟子になりたい!」に、自作童話『不思議な接着剤』を仕上がっているところまで収録しました⇒こちら

 今夏、作品の舞台のモデルとして考えている秋芳洞へ取材へ行ければ、来年中には完成にこぎつけられると予想しています。 

 『不思議な接着剤』は現在、ジュゲムブログ「マダムNの児童文学作品」にて連載中の長編児童文学作品となるはずのもので、シリーズ物にしたいと考えています。

 シリーズの第一巻となるこの物語は、中世西欧風の世界が融けんだ鍾乳洞における、子供たちと錬金術師の娘の冒険譚です。背後に、時空を超えて商売の手を拡げる商社の存在がありますが、この作品ではほんのり姿を感じさせる程度です。

 現時点では、第5章の半ばまで――400字詰原稿用紙換算枚数78枚――収録が終わっています。以下に、第5章までの各章のタイトルを挙げておきます。

1章 おとうさんの部屋で
2章 くっついたピアノ協奏曲
3章 どうすればいいのか、わからない
4章 青い目のネコ 
5章 あしたは、しあさって

|

2009年6月17日 (水)

HP「バルザックの女弟子…」に評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を収録

 HP「バルザックの女弟子になりたい!」に評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を収録しました。

 当ブログでもお読みになれますが、ホームページのほうは字が大きいので、眼のお悪いかた、くつろいでお読みになりたいかたには、おすすめです。

|

2009年6月12日 (金)

送っていただいたお人形をご紹介

P5290202

 大学時代の文芸部の先輩が送ってくださった、奥様が制作されたお人形です。

 奥様、ありがとうございました!

 時々お写真は送っていただいていたのですが、実物のお人形を見ることができて大満足です。

 大きさは掌にすっぽり収まるくらいで、軽いです。生地が絶妙に活用されていることに、驚きました。牛のお人形には黒地に白い水玉模様の生地が使用されているのですが、その水玉が牛の斑になったり、頭から角にかけた部分を担ったりしているのです。

 細かな部分までよく作られていて、牛の鼻の穴、牛の耳と尻尾、梟の尻尾と足など、見ていると楽しくなってきます。ほのぼのとした感じが漂っていて、どのお人形にも表情があり、存在感があります。

P5290210

 今にも語りかけてきそう……。

 それに何と、リクエストしていいんですって!

 ライオン、ラクダ、カンガルー、イルカ、……いろいろと浮かびますが、恐竜なんてのは? 無茶な注文でしょうか。何せ、わたしは裁縫しない人なので、すんなり呑んでいただけそうな注文も、途方もない無理な注文も、区別がつかないのです。

 恐竜のお人形なんて出現したら、わたしの児童文学作品『不思議な接着剤』に出てくる三人の子供たちが、喜ぶでしょうね、きっと。

 よし、駄目元で、先輩にわがままな注文をメールしてみようっと。

| | コメント (0)

2009年6月 6日 (土)

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』

当作品は、文芸同人雑誌『日田文学 57号』(編集人・江川義人、発行人・河津武俊、平成21年5月)に掲載されたものですが、若干の加筆・訂正を行っています。400字詰原稿用紙換算枚数、96枚。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅰ 村上春樹現象

 ここ数年、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれてきた。既に海外でも相当に人気があるという村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだ。
 2006年10月12日に現代トルコの代表的作家であるオルハン・パムクがノーベル文学賞に決定したと報道されたとき、受賞を逃した村上春樹の地元で、恩師や親しいかたがたの残念がっている姿がネットニュースの画面に映し出され、日本的なそのごく普通の穏和な光景に、わたしは何か不思議なものを見たような感慨を覚えた。
 これに先立つ同年5月3日から7日にかけて、わたしはネット上に設けたサイトで村上春樹に関する記事――『村上春樹「ノルウェイの森」の薄気味の悪さ』――を発表していた。アクセス解析によって、毎日、サイトのどの記事に何人の閲覧者があり、どれくらいの時間滞在したのかを知ることができるのだが、村上春樹に関する小論は公開からすぐにヒットを放ち、それが2009年春の今日まで続いている。

 閲覧者の閲覧の動機もアクセス解析の検索ワードによって知ることができるため、閲覧者の内訳は、村上春樹のファン、研究者あるいは読書感想文の参考とする生徒、村上春樹の作品を疑問視したり嫌悪を感じたりしている人々、性的な興味で頭がいっぱいの人々――とおおよそ知ることができるわけである。

 サイトでわたしは、村上春樹だけでなく、国内外の他の多くの作家を紹介している。しかしながら、村上春樹に関する小論ほど閲覧者のある記事は他にはない。いずれにしても、わたしのサイトで見る限りでは、村上春樹がわが国において、大変な関心のもたれ方をされている作家であることは間違いなかった。

 2006年10月には当然、わたしの小論は普段以上にヒットしたのであったが、ノーベル文学賞がオルハン・パムクに授与されたのちも小論はヒットを続けた。その現象にいささか呆れながら、藤原書店の出版物でその名と作品名をたびたび見ていたわたしは、パムクの『わが名は紅』『雪』を注文した。
 二冊の本の始めの部分から、印象的な箇所を紹介しておきたい。

○わたしの名は紅

 いまや死体だ、わたしは。屍だ、この井戸の底で。最後の息を吐いてからかなりになる。心臓もずっと前にとまった。だがあの憎き人殺しのほかにはわたしがどんな目にあったか誰も知らない。奴は、あの卑しい下郎は死んだのを確かめるために、まだ息があるかどうかを調べ、脈をみた。それから脇腹を蹴り上げ井戸のところまで運んでいって下に投げ込んだ。井戸に落ちた時、その前に石で割られた頭蓋骨がバラバラになって、顔も額も頬もつぶれて見分けがつかなくなった。骨も折れて、口の中に血があふれた。
 これで四日になる、家に戻らなくなってから。妻や子供たちはわたしのことを探していることだろう。娘は涙もかれはてて、ぼんやり庭の木戸を眺めていることだろう。皆がわたしの帰りを、わたしが入り口から入ってくるのを待っているに違いない。だが本当に待っているだろうか。それも確かではない。もしかしたら、もういないのに慣れてしまったかもしれない。なんたること! こんな所にいると、以前の生活が元のように続いているかのような気がする。わたしが生まれる前にも、それまで無限の時間があったのだ。わたしが死んだ後も、尽きることの無い時間があるのだ。生きている間はこんなことは少しも考えなかった。明るい光の中で生きていた訳だ、二つの闇の狭間で。
 幸せだった。幸せだったのが今わかる。スルタンの細密画の工房で一番いい仕事はわたしが手がけていた。芸の上でわたしに近い者すらいなかった。工房の外でした仕事は金貨九百枚にもなった。こんなことを考えると死んだことがさらに耐えがたくなる。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

○雪

 雪の静寂だと考えていた、バスの運転手のすぐ後ろに座っていたその男は。もしこれがある詩の書き出しだったら、心の中で感じていたものを雪の静寂と言っただろう。
 自分をエルズルムからカルスに乗せていくバスに、彼はやっと間に合ったのだった。イスタンブルから二日かかった吹雪の中のバス旅のあとで、エルズルムのターミナルに着いた。薄汚い、寒々とした通路でかばんを手に持って、カルスに連れて行ってくれるバスはどこから出るのかと探している時、誰かがすぐ発つバスがあると言ってくれたのだった。〔略〕
 しかし引き返すことなど彼の頭には全くなかった。夜の帳がおりると、地面よりも明るく見える空に目を向けた。ますます大きくなって、風で舞い上がる雪の一片一片を、近づいてくる惨事の兆しとしてではなく、子供時代の幸せと無邪気さがついに戻ってきたしるしとして眺めていた。窓際に座っていた乗客は、子供時代の幸せな年月を過ごした町イスタンブルに、母親が死んだので一週間前に十二年ぶりに戻り、そこで四日間滞在したのだった。そして思いもかけないカルスへの旅に出たのだった。異常なまでに美しく降る雪は、何年ぶりかに見ることができたイスタンブルよりも、より大きな幸せを彼にもたらしていた。彼は詩人だった。何年も前に書いた、トルコの読者にもあまり知られていない詩の中で、雪が一生に一度夢の中でも降ったことを書いていた。

 意表を衝く『わたしは紅』の出だし、雪の気配が次第に濃厚になっていく『雪』の出だし。いずれも瀟洒な筆遣いだ。

 それにしても、愕然としたのは、既に欧州各国の文学賞を受けて世界的ベストセラーになっていたという98年の『わが名は紅』、他に『雪』が藤原書店から上梓されていただけで、トルコで最も権威ある文学賞を受けた82年のデビュー作『ジェヴデット氏と息子たち』も、83年『静かな家』も、85年『白い城』も、90年『黒い書』も、わが国の出版社からは出ていなかったという事実だった。
 一体、わが国の出版事情はどうなっているのかと首を傾げざるをえなかった。ノーベル文学賞が期待されていた村上春樹の諸著書が書店の目立つ場所に溢れていたのに比べ、また何という……。このことで、わが国における出版傾向、書店での扱いが如何にバランスを欠いた、問題を孕んだものであるかが露呈された。《情操》にとって、出版界は間違いなく危機的状況をつくり出しているといえよう。
 この現象を裏書するかのように、訳者の和久井路子さんは、『わたしの名は紅』の訳者あとがきを次のような言葉で締めくくられている。

この優れた作品が、単にトルコ国内で一番有名だとか、ベストセラーだからとかいうのではなく、オルハン・パムクが現代トルコの最高の作家であり、世界中の新聞雑誌の書評欄で数年来取り上げられているがゆえに、この作品を日本の読者に紹介したいとその梗概を日本で数人の編集者に見せたところ、いずれも「素晴らしい作品だ、是非読みたい」といわれたものの、日本の出版界の不況、特に翻訳文学の不振から、「社の事情を考えると今すぐ出版は」とためらわれた中で、藤原社長の慧眼と英断で出版が実現したことに深く感謝申しあげます。

 藤原書店が出してくれていなければ、ノーベル文学賞決定の時点で、オルハン・パムクの本はこの国では一冊も出ていなかったことになる。日本文学も翻訳文学も書店にあふれているというのに、あれはまぼろしだとでもいうのだろうか。 
 ここ数年のノーベル文学賞受賞者及びスウェーデン・アカデミーの授賞理由を、朝日新聞社のニュースサイト・アサヒコムから次に引用させていただく。

2006年 オルハン・パムク
「生まれ故郷の街に漂う憂いを帯びた魂を追い求めた末、文化の衝突と交錯を表現するための新たな境地を見いだした」〔10月12日〕

2007年 ドリス・レッシング
「女性の経験を叙事詩的に描いた。懐疑と激情、予見力をもって、分裂する現代社会を吟味し、題材にした」〔10月11日〕

2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ
「断絶、詩的な冒険、そして官能的な悦楽の作家。支配的な文明との枠を越え、またその裏をかいて人間性を追究した」〔10月9日〕

 村上春樹の名に隠れるかの如く、彼らノーベル文学賞受賞者はいずれも大して話題とならなかった。現在のわが国は、文学的には後進国と考えたほうがいいだろう。この国にいては、ノーベル文学賞受賞作家の作品さえ、満足に読めないのだから。

 この評論では、はじめに前掲のわたしの小論『村上春樹「ノルウェイの森」の薄気味の悪さ』を紹介したのち、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証してみたいと思う。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅱ 小論『村上春樹「ノルウェイの森」の薄気味の悪さ』

 村上春樹の『ノルウェイの森』が発売され、ブームを巻き起こしたとき、わたしの妹もそれを買い、読んで感動したと語った。上下二巻、赤と緑で装丁されたその本を自分で買って読んだのか、妹に借りて読んだのかがどうしても思い出せない。いつの間にか、本はなくなっていた。その後、研究したい気持ちに駆られて既に文庫になっていた『ノルウェイの森』を買った。
 村上春樹の本は、1988年10月に講談社から書き下ろしとして出版された『ダンス・ダンス・ダンス』くらいまでは読んでいる。少女漫画のように読みやすいということ、食べ物・音楽・ファッションなど衣食住に関する描写が心地よく感じられること、それからさらに何か得体の知れない薄気味の悪さがあるという点で、次々に読みたくなったのだった。
 居心地がいいけれど、厨房の奥に底知れない闇があるような、そんな喫茶店を行きつけとしていた時期があったといったら、いいだろうか。あくまで気晴らし、怖いもの見たさといった気分から出かけていたのだ。その喫茶店は、グリムの『ヘンゼルとグレーテル』に出てくるお菓子の家のようでもあり、人さらいのいるサーカス小屋のようでもあり、着飾った女性たちのいる遊郭のようでもあった。
 こんなわたしの読み方、感じ方は特異すぎるだろうか?

 そんな遊びごころも、『ダンス・ダンス・ダンス』を読んだときにさめた。これはとって食われると、本当に恐ろしくなったのだった。とって食うものの正体を見究めるには、きちんと研究する必要があるだろう。ここでは『ノルウェイの』に焦点をあて、感じたことを書いてみたい。 

 文庫本の帯に「限りない喪失と再生を描く究極の恋愛小説」(上)「激しくて、物静かで哀しい、100パーセントの恋愛小説!」(下)と謳われている『ノルウェイの森』。新聞広告でも、『ノルウェイの森』の読者から賛辞が沢山寄せられ、その多くがそのような読み方をしているだろうことを物語っていた。
 だが果たして、この小説は本当に恋愛小説といえるのだろうか? 本当に恋愛小説として読まれているのだろうか? 精神病者の観察記録やポルノグラフィーとして読まれている可能性はないのだろうか? もし本当に恋愛小説として読まれているとするなら、ハーレークインロマンスのようにだろうか、純文学作品のようにだろうか?

 『ノルウェイの森』は、乳の匂いのする独特の雰囲気を持つ小説である。それというのも、作者が、物語の語り手であり主人公でもある《ワタナベ君》を終始、良識的な第一級の人物として扱っていて、万感を籠めた信頼を寄せているからだ。この関係は、息子を溺愛しすぎて、自分の物の見方も息子の物の見方も共に見失った母親のようだ。
 ワタナベ君にわからないことは作者にもわからないし、作者が作品全体を通して読者に語りかけるという純文学作品ならではの読書の妙味や芳醇な味わいなどはこの作品では体験できない。そうしたものは期待するだけ間違っている。そこに読んだままのことしか存在しないのだ。だが、期待させるだけの変に飾った雰囲気をこの作品はまとっている。
 作者と語り手の距離感のなさは、『ノルウェイの森』が日常的な思考域での思いつきを綴り合せたにすぎないことを示している。純文学作品において不可欠な、哲学的構築ということが考慮されていないのだ。ここのところが実は、娯楽作品と芸術作品を分ける分岐点なのだが……。
 村上春樹がカフカ賞を受賞し、さらにノーベル賞受賞の可能性を取り沙汰されるに及んでわたしが驚いたのは、これが理由だった。勿論、ノーベル賞が娯楽小説に与えられる賞に変ったというのであれば、話は別である。

 ところで、ワタナベ君であるが、彼が誰かに似ているとずっとわたしは思っていて、思い出せなかった。ところがつい最近になって、思い出した。ワタナベ君は『源氏物語』に登場する人物中、最も魅力に欠ける男――続編『宇治十帖』に登場する――薫に似ているのだ。
 いや、優柔不断で、恋する女性が最も精神的なつながりを求めているとき、その女性にフェラチオをさせて平然としている男、そして、その場面を美しく謳いあげることすらするような男が魅力的だと大方の人は思うのかもしれない。(さすがに『宇治十帖』では露骨な描写はないが、薫は優柔不断で甚だ頼りないにも拘らず、がめつくとるものはとる、つまりセックスだけはしてしまうような男だ)。
 恋愛小説にセックスの気配が漂うのは当たり前の話だ。それはときに宝物のように扱われ、ときには瘴気を漂わせるに任される。それは微妙なもので、一応恋愛関係にある男女の場合であっても、ふたりの意識に乖離がありすぎる場合のセックスは、悲哀や失望をもたらし、程度が甚だしい場合には強姦に似たものとすらなるだろう。

 どう描かれようと大抵恋愛小説にはなるのだが、『ノルウェイの森』の場合には、そこのところさえ危ぶまれるのだ。なぜなら、作者の意図と作中の女性の意識が甚だずれているように感じられるからだ。
 登場人物である男女ふたりの意識がいくらずれていようと一向に構わないのであるが、ここでも作者とワタナベ君のみ息が合っていて、女性ばかりが蚊帳の外という感じなのだ。恋愛小説で、作中人物が如何に鈍感であろうとも、作者が鈍感であることは許されない。そのような滑稽さ、苛立たしさを感じるのはわたしだけだろうか。
 もう少し丁寧に作品を見ていこう。

 ここで少し話が横道に逸れてしまうが、昨日、文庫本上下で出ていた『海辺のカフカ』を購入した。まだ読み終えてはいないのだが、この時点でもこれだけはいえると思う。これはゲーム本のような書かれ方をしている。要所で、世界的に著名な古今の哲学や文学の本からの引用が行われるが、それらは徹頭徹尾アイテム、便利な道具として使われているのだ。悪用されているといえる。
 プラトンの『饗宴』、バートン版『千夜一夜物語』、フランツ・カフカ『流刑地にて』、夏目漱石『坑夫』、『源氏物語』、ソフォクレス『エレクトラ』『オイディプス王』、T・S・エリオット、上田秋成『雨月物語』、ヘーゲル、アントン・チェーホフ、ジャン・ジャック・ルソー……哲学、文学ばかりではない。音楽も、映画も。
 一面的に引用されたこれらは食い散らされて、本来の持ち味を、意味合いを、薫りを、輝きを失わざるをえない。何という惨憺たる光景であることか! これらについては、一つ一つ細かくチェックしていく必要がある。
 オウム真理教が惹き起こした地下鉄サリン事件の被害者たちへのインタビューを行ったのは、この人だったが、オウム真理教の教祖麻原彰晃(松本智津夫)と村上春樹の物の考え方には共通点がある。先に挙げた引用の仕方などは、まさにそうだ。一方が引用を小説を書くためのアイテムとし、他方が聖典からの引用を説教するためのアイテムとしたという違いがあるだけなのだ。
 自分の話になってしまうが、わたしはもう亡くなってしまわれたが、恩師から引用の仕方で注意を促されたことがあった。
 引用というものは、引用しようとする著作を背負ってなされなければならず、著作全体の意味合いとのバランスを考えてなされなければならないということだった。自分の都合で勝手な引用をしてはいけません、ということだろう。

 ところで、バルザックは、人間を描く場合でも、容貌から生い立ち、時代背景、何を食べ何を着、どんなところに住んでいるかまで細密に描くことから始めた。導入部の長さから退屈だといわれ、現代では敬遠されがちな作家であるが、重厚な作品世界を支えるには、それだけの舞台作りが必要なのだろうと思う。
 村上春樹は人物であろうが状況であろうが、お気に入りを手軽に拾ってくる。そして彼の作品の特徴は断言と断定で、それが日常的な些細な事柄でも思想を語る場合でも、同じ調子で繰り返し行われる。全く同じ調子で――というのが、際立った特徴となっている。一種悟りをひらいた人の言葉であるかのような装飾がほどこされているのだ。
 だが、そうされることによって、読者は制限をもたらされ、読み進むほどに閉塞感を味わうことになる。そして読後に残るのは虚無感、倦怠感だ。

 ただ、わたしが思うには、村上春樹は『ノルウェイの森』を書いた時点ではどちらに行くこともできたはずだった。精神を病む直子の描写は丁寧で繊細、その筆遣いは時に抒情味を帯びて美しくさえあり、わたしの友人に統合失調症の女性がいるけれど、病態の特徴がよく捉えられていると思う。この場合も、捉え方が一面的にすぎる嫌いはあるのだが。

 ここで話を元に戻して、『ノルウェイの森』の主な登場人物を挙げてみたい。 

  『ノルウェイの森』の主な登場人物

  • ワタナベ君
     主人公。神戸高校を出、東京の私大に進学。
  • キズキ
     主人公の高校時代の友人。高校在学中に自殺。動機は不明。
  • 直子
     主人公に恋される女性。キズキの幼ななじみであり、恋人でもあった。東京の女子大に進学するが、精神を病むようになる。療養施設に入るが、やがて自殺。
  • 永沢
     主人公が寮で知り合いになったハイセンスな年上の男性。東大卒業後、外務省。その後ドイツへ。
  • ハツミ
     永沢の恋人。永沢がドイツへ行ったあと「ふと思いついたみたいに」自殺。

  •  主人公と大学が同じで、同じ授業を受講したことから恋人同士になる。実家は書店を経営していたが、父親が亡くなり、姉と決めて店を閉じる。
  • レイコ
     精神療養施設で直子の同室者。ピアニストを志すが挫折。ピアノ教師をしていたときに教え子の少女の悪意から社会的迷惑を被り、精神を病む。 

 主な登場人物を一応挙げてみたが、いざ挙げようとして戸惑った。というのも、主な登場人物ともそうではないともどちらともいえない登場人物が多いからだ。
 例えば、小説の始まりの部分で、37歳になった主人公がドイツのハンブルク行きの飛行機の中でBGМ『ノルウェイの森』を聴いて動揺を覚え、顔を覆う場面に登場するスチュワーデス。主人公を気遣って言葉をかけるのだが、一度離れたあとで再び主人公のもとへやってきて、隣に腰を下ろしてまで気遣う。

「大丈夫です、ありがとう。ちょっと哀しくなっただけだから」と主人公がいうと、スチュワーデスは「そういうこと私にもときどきありますよ。よくわかります」といい、立ち上がって素敵な微笑を主人公に向ける。

 このスチュワーデスがなぜ主な登場人物ともそうでないともいえないのかというと、『ノルウェイの森』に登場する女性はほぼ全員がこのスチュワーデスと同質の役割を担っていて、主人公の慰安――性的処理が含まれる場合もある――を司る存在であり、そういった意味において象徴的な存在ともいえるからなのだ。
 女性たちは過剰なまでに、ときには異様なまでに主人公に理解を示す存在として描かれる。ある女性で足りなければ別の女性が追加され、それでも足りなければさらに追加されるという風だ。物語のスタート地点にスチュワーデスがいるとするなら、ラスト地点でタオルをひろげて主人公を待つのはレイコという女性だ。主人公にとって必要がなくなれば、彼女たちはタイミングよくどこへともなく消えていったり、死んでいったりする。 

  『ノルウェイの森』はリアリズムの手法で書かれているといわれるが、これでもそうといえるのだろうか。現実には、物事はそう都合よく運ばないものだと思う。頁を多く割いて語られ、主人公を最も悩ませる存在であるはずの直子も自殺して消えていくし、最終的に主人公が女性たちのあいだから選択したといえる――直子と一見対照的に映る――溌剌とした前向きな女性である緑でさえ、同じ運命を辿ることが暗示されていないでもない。
 小説の終わりの部分で、主人公が緑に電話をかける場面が出てくる。主人公は「何もかもを君と二人で最初から始めたい」という。すると緑は長いあいだ電話の向こうで黙り、沈黙を続けたあとで「あなた、今どこにいるの?」と静かな声で問いかける。主人公はそれに対して、答えることができないのだ。自分がどこにいるのか認識できない。認識できないまま緑を呼び続けるという主人公の心象風景だけが描かれて小説は終わっている。
 その後、主人公と緑の仲はどうなったのか。それが読者に明かされることはなく、18年という月日が経過し、初めの飛行機の中の場面となるわけなのだ。緑もまた他の女性たちと同様、消えていったとも考えられる。そう考えれば、この小説は一見ノスタルジックな繊細なムードをまとっているようでありながら、実際には死屍累々たる小説だといえる。勿論、そうしたのは作者以外にありえない。
 男性たちは不必要だからか、極めて存在感に乏しい。主な登場人物として挙げていいのかどうか迷ったくらいだ。わたしは先に、村上春樹の小説は哲学的な構築がなされていず、日常的な思考域の中での思いつきを綴り合わせたにすぎないと放言したけれど、人物の気ままな扱い方からも、そうとしか思えなかった。 

 ネットで、『海辺のカフカ』について新潮社が作者の村上春樹にインタビューした記事を見つけた。そこで「この小説はいくつかの話がばらばらに始まって、それぞれに進んで、絡み合っていくわけですが、設計図みたいなものは最初からあったのですか?」という問いに答えて、彼は次のように答えている。 

いや、そういうものは何もないんです。ただいくつかの話を同時的に書き始めて、それがそれぞれ勝手に進んでいくだけ。なんにも考えていない。最後がどうなるとか、いくつかの話がどう結びつくかということは、自分でもぜんぜんわかりません。物語的に言えば、先のことなんて予測もつかない。

 『ノルウェイの森』が『海辺のカフカ』と同じような書き方をされたかどうかはわからないが、わたしには同じご都合主義の臭いがする。『海辺のカフカ』を読みながら、本当にわたしが憔悴してしまうのは、死屍累々の光景が拡大され、即物的な描写が目を覆うばかりにリアルなものになっているからだ。以下は、そのごく一部分である。

ジョニー・ウォーカーは目を細めて、猫の頭をしばらくのあいだ優しく撫でていた。そして人指し指の先を、猫のやわらかい腹の上で上下させた。それからメスを持ち、何の予告もなく、ためらいもなく、若い雄猫の腹を一直線に裂いた。それは一瞬の出来事だった。腹がぱっくりと縦に割れ、中から赤い色をした内臓がこぼれるように出てきた。猫は口を開けて悲鳴を上げようとしたが、声はほとんど出てこなかった。舌が痺れているのだろう。口もうまく開かないようだった。しかしその目は疑いの余地なく、激しい苦痛に歪んでいた。

 このような息も詰まる残酷な場面が、何の設計図もなしに書かれ、無造作に出てくるというのだから驚く。作品が全体として現実とも幻覚ともつかない雰囲気に包まれており、主人公がまだ15歳の少年ということを考えると、作者の筆遣いの無軌道さには不審の念すら湧いてくる。
 ここでわたしは、『海辺のカフカ』で猫が殺害される場面を読みながら、それに、『ノルウェイの森』で直子がワタナベ君にフェラチオをする場面が奇妙にも重なってしまったことに触れておきたい。 

 恋愛小説には型というものがあり、『ノルウェイの森』とバルザックの『谷間の百合』は類似したスタイルをとっている。『ノルウェイの森』の主人公ワタナベ君も、『谷間の百合』の主人公フェリックスも共に、甚だ障害の多い叶えることが困難な恋愛をする。ワタナベ君の場合は精神を病む直子が相手であり、フェリックスの場合は二人の子持ちの人妻モルソフ夫人(アンリエット)が相手である。
 そして両者が相手を裏切ることは共通しているが、その内容にはかなりの違いがある。フェリックスの場合は単純に肉欲に負けてしまう。モルソフ夫人は敬虔なキリスト教徒で、彼に決して肉体を与えようとしないことから、乗馬とセックスの達人ダドレー夫人との肉欲に溺れてしまうのだ。それが原因で、フェリックスは全てを失くす。彼には仕事が絡んだ社会的な立場の確保、維持ということの大変さが常につきまとっている。モルソフ夫人はこの点でも、こよなき助言者だったから、フェリックスは二重三重の苦境を味わうのだ。
 フェリックスのあやまちに対して、周囲の人間たちは皆、非情すぎるくらいに非情だった。『イブの娘』という別の作品でバルザックは、フェリックスのその後の姿を描いている。その作品では今度はフェリックスが妻に苦杯を嘗めさせられることになるのだが、そのときの彼は人間的に成熟していて経験ゆたかな動きを見せるようだ。ここにかつての愛人ダドレー夫人の復讐が執拗に絡んでくるところも、芸が細かい。
 一方ワタナベ君も肉欲に負けるが、この場合は当の直子にフェラチオをして貰い、直子の恋敵である緑にも手で射精に導いて貰うという奇怪な展開となっている。直子は膣が乾いていてペニスを挿入できない状態にあり、緑に対しては、彼女との希望に満ちた関係を再スタートさせるまで挿入しない決意を固めていたため、どちらとも性交しない結果となったのだった。彼はのうのうと次のように物語る。

僕が最初に思ったのは、直子の手の動かし方とはずいぶん違うなということだった。どちらも優しくて素敵なのだけれど、何かが違っていて、それでまったく別の体験のように感じられてしまうのだ。

 そして、感傷的に完結することができる程度の精神的な痛手を被ったことを別にすれば、彼が健康的で日向的な志向性を持つ緑を選んだことで被った損害は大したことがないように思える。作者は、直子に本当はワタナベ君を愛してはいないということを繰り返しいわせて、主人公を罪の意識から遠ざける仕掛けさえほどこしている。これを直子の恋ごころの綾ととれないこともないが、もしそうだとすると、主人公の鈍感さは歯痒いばかりだ。
 直子が自殺したことの喪失感すら主人公は、直子と療養施設で同室だったレイコから手紙を贈られたりセックスをして貰うことで、慰められる。主人公との最後の夜、直子はどう読んでも、やむなくフェラチオをしたというのにだ。直子は、自分が捨てられようとしていることを予感していたため、乾いていたのではないだろうか。
 いずれにせよ、乾いているにも拘らず直子が自ら性的な行為に及んだのは、自己犠牲から以外は考えられない。『海辺のカフカ』で猫が殺害される場面にこの彼女の自己犠牲が重なるのは、この場面を描くときの作者の姿勢にあるのだろうと思う。この場面を描くときの作者の筆遣いは極めて軽快で、即物的な無邪気さを湛えている。だからこちらも軽く読んでしまうのだが、あとになってなぜか残酷な場面として甦るのだ。

 ただ、こうして直子が不感症になったりならなかったりするのも不自然な話ではある。直子の幼ななじみで元々の恋人だった本当に愛していたというキズキに対しては不感症、直子の二○歳の誕生日にワタナベ君とセックスしたときはそうではないのに(このとき直子にはもう精神疾患の徴候があらわれている)、療養施設ではまた不感症となっている。不感症になったりならなかったりと、作者の勝手な都合で操作されているとしか思えない不自然さだ。
 それに対して、モルソフ夫人が今わの際でフェリックスに対して示す愛欲の念は、わたしには自然に感じられるのだ。以下にその部分を引用(石井晴一訳、新潮文庫、昭和48年)してみたい。

私の目に涙がにじんできました。私は花を眺めるふりをして、つと窓の方に顔を向けました。ビロドー師は急いでそばにやってきて、花束の上に身をかがめながら「涙をお見せになってはいけません」と私の耳にささやきました。
「アンリエット、それでは私たちの谷間がもうおきらいになったのですか」私は自分の不意な動作をつくろうように彼女にいいました。
「いいえ、好きですわ」彼女は甘えるように、私の唇に額をさしだしながら言いました。「でも、あなたがいらっしゃらないと、谷間もひどく物悲しくて……そう、私のひとがいてくれないと」彼女はその燃えるような唇で、私の耳にかるくふれながら、この最後の言葉を溜息のようにささやきました。
 二人の神父の恐ろしい話を上まわる、この狂おしいばかりの愛のしぐさに、私は思わずぞっとさせられました。 

 ぞっとさせられたというフェリックスの言葉に、わたしも共感できる。モルソフ夫人が気品に満ちた女性であることを知っているからだ。同様に、直子も病んでいるとはいえ――病んでいるからこそかもしれないが――精神性の勝った、繊細で、透明感のある女性であることも知っている。だからこそ、心理的に今わの際にあったといっていい状況でフェラチオをする直子にいたたまれなくなるのだ。だが、その痛みを最も感じうるはずの作者が感じていない。

 『ノルウェイの森』は、日本の伝統的な娼婦小説の系譜に連なる作品といえないこともない。近頃では女性自ら、娼婦小説を書くのはどういう訳だろう? そうした男性の性に媚びたような女性作家の作品を見かけると驚いてしまう。
過去においては、純文学系の女性作家の作品といえば、多かれ少なかれフェミニズムの色彩を帯びていた。そう、Ⅳで紹介するドリス・レッシングのように。バランス感覚があれば、必然的にそうならざるをえないのだ。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する

 過去においては、オルハン・パムクがノーベル文学賞に輝いたときがわが国で最も村上春樹にノーベル文学賞の期待が高まった。その年は結局、パムクがスウェーデン・アカデミーという権威に愛でられたわけだが、ブーイングはさほど聴かれなかった。村上春樹を支持する人々は、またの機会を静かに待っているのだろう。
 この章では、絢爛豪華な細密画の舞台裏をミステリー仕立てで描くオルハン・パムクの野心作『わたしの名は紅』の紹介を兼ねたいという思惑から、サイトで公開中のわたしの読書ノートをお目にかけたいと思う。犯人の名はあえて挙げない。

ノート①『わたしの名は紅』を読み始める
 『わたしの名は紅』はなかなか面白い。読むのに豊富な知識があったほうがいいと思わされる作品だが、物語を辿るために必要な知識はそれとなく織り込まれているので、スムーズに読めないということはない。
 学生時代に『コーラン』をざっと読み、イスラム教の神秘主義者・詩人であるルーミーの語録を読んでその典雅さに圧倒された覚えがあるが、何かしらイスラム教の世界は異世界という先入観があった。

 『わたしの名は紅』は証言集のスタイルをとった小説で、証人として登場するのは人間だけでない。屍も犬も、そしてまだそこまで読み進めてはいないのだが、おそらく紅という色も証人として登場するのだろう。
 証言を通してくっきりと人間のかたちが、生活が、生き様が描かれていく。屍の投げ込まれた井戸が匂い、犬のいるコーヒーハウスが匂い、街並みや部屋部屋が匂う。自分もそこに紛れ込んだような不安な気持ちになる。作品の世界がわたしにとって、すでに異世界ではないからだろう。

 村上春樹の嗜好品のような作品を読みながら、主人公や自分の気分にさえ酔っていればいいといった、そんないい加減さが『わたしの名は紅』にはないぶん、読むのにきついということはいえるかもしれない。
 パムクの作品ではその世界に生きざるをえなくなり、その世界を知らないわけにはいかなくなるのだ。生きるとはそういうことだと改めて認識させてくれるような作品なのだ。だが文章にも話の進めかたにも文学作品らしい気品があるので、心地よい。そうした意味ではこちらも嗜好品の性質を兼ね備えている。優れて上質の……。

ノート②『紅』を130頁まで
 
純文学はすたれるばかりかと思っていたが、何のことはない、それは日本だけの話であった。『わたしの名は紅』は只今130頁目だが、推理小説の体裁をとっているその中身はといえば、堂々たる芸術論の展開、これまた展開だ。尤も、バルザックほどの広大で深々とした世界観、様々な人物の魅力を描出する力には欠けるが、そもそも文豪中の文豪バルザックと比較するほうが間違っているのかもしれない。

 パムクの作品に描かれた絢爛豪華な細密画師の世界とは、過去、現在(作中における現在)に活躍する細密画師たちの芸術観――その観念の絢爛豪華さなのだ。芸術観がぶつかり合って殺人事件にまで発展するのだから、わたしにはこたえられない面白さだ。
 わたしはこの本を読むまで、細密画というものがこのようなものだとは知らなかったが、例えば、オリーブというニックネームで呼ばれる細密画師による昔語りの中で出てくる名人はこんなことをいう。   

細密画は真っ直ぐにアラーの神の記憶を求めて、この世を神がご覧になるように描くものなのです。

 これが、オリーブの昔語りに登場する名人の芸術観であり、これを語るオリーブという現役の細密画師の芸術観、宗教観、哲学でもあるわけである。
 細密画師の一族に一番恐れられていることは、目を酷使することによって盲目になることだという。が、一方それは悪いことではなく、全生涯をその美しさに捧げた細密画師にアラーの神が賜る最後の幸せであるという。   

なぜなら、細密画とはアラーの神がどうご覧になるかを絵の中で探し求めることである。そしてその無比なる光景は、厳しい研鑽生活の末に、細密画師が精根尽きて到達する盲目の後に思い出される、盲目の細密画師の記憶によってわかるのだ。年老いた細密画師は、この幻想がわが身におこった時、つまり記憶と盲目の暗闇の中で眼前にアラーの光景が現れた時、傑作を手が自ら紙の上に描くことができるようにと、全生涯を手を慣らすことに費やす。

 こうした細密画の奥義を読むと、世阿弥の『風姿花伝』『花鏡』が連想される。また、わたしがいつか書きたいと思っている鍋島藩秘窯の里のこと……。卑近なところでは谷崎潤一郎の『春琴抄』などが連想される。

ノート③『紅』を165頁まで
 
『わたしの名は紅』(和久井路子訳、藤原書店)は登場人物たちがそれぞれ自分を主張し始め、面白くなってきた。全員の独白で成り立った小説で、技術的にも大変だったろうと思われる。下手をすれば、どの独白も同じ印象を与えてしまうだろうから。

 殺害された細密画師で、すでに屍となった優美さん(というニックネームで呼ばれた)の独白で小説はスタート。当時の細密画師たちの置かれた状況が明らかとなってきて、主人公とおぼしき男女もくっきりと姿をあらわし、なかなか厚みのある世界となってきている。
 登場人物たちの行動、思考はどの一人をとっても単純ではなく、またどこかしら典雅な趣があって、酔わせる。細密画のように細密に描きこまれているのだ。
 例えば、主人公カラが恋するシェキュレという美しい女性は、夫が戦争で行方知れずとなり、その夫の弟ハッサンとカラ(シェキュレの父はカラの義理の叔父にあたり、シェキュレの父はスルタンの命を受けて祝賀本を作成するために細密画師たちを統轄する存在)に恋されているという設定なのだが、すでに夫とのあいだに子供も二人ある彼女の頭の中ではこんな考えが浮かんだりする。

ある夜ハッサンに抱かれて彼と寝たとしても、誰も気がつかなかっただろう。アラーの神のほかには。その方が賢かったかしら。行方不明の夫と似ているし、同じようなものだ。時々こんな馬鹿げた妙な考えがわいてくる。

 一方では彼女はカラに純粋に惹かれてもいるのだが、これらゆれ動く気持ちが不自然ではなく、成熟したこの女性の置かれた生活上の苦境、生き抜くためのあれかこれかの選択と無関係ではないことがよく描きこまれている。

 彼女の二人ある子供たちも同じようには描かれていない。一途に母親を愛慕する六歳の男の子オルハンと、一つしか違わないのに、もう母親との距離を感じさせる上の子シャヴケトとは読んでいてずいぶん感触が異なる。
 母親シェキュレの悩みの中に、可愛いオルハンがたびたび入り込んでくる。

しばらくしてふと見ると、オルハンがわたしのそばに寝ていた。頭を乳房の間に入れると、泣きじゃくりながら涙を流している。強く引き寄せて抱きしめた。
「泣かないで、お母ちゃん」と少しして言った。「お父ちゃんは帰ってくるよ。」
「どうしてそれがわかるの?」
 黙っていた。でもとてもかわいかったので、乳房に押しつけた。いやな事を全て忘れた。

 この可愛いオルハンにしても、母親の喜びと悲しみは、この子の不安や幸福感と不可分な関係にあるがゆえに、絶えず母親の姿を求めさせずにはおかない一面のあることがよく描きこまれている。
 登場人物全てが、このような感情や思想が湧き起こる生活上の確かな背景を持っていて厚みをもって生かされており、そうした意味からいえば、誰一人として作者に尊重されていない人間はいない。いや、人間ばかりか屍、犬、金貨、色にいたるまでそう。 

ノート④『紅』を274頁まで
 「29 わしはお前たちのエニシテだ」は圧巻だった。この章で、優美さんを殺した犯人は、再び同じ罪を犯す。殺されるのはエニシテ、細密画師たちの統括者である。イタリア美術の技法を秘かにとり入れようとしていた。それは、エニシテの次のような芸術観から出たものだった。 

「何ものも純粋ではありえない」とエニシテは言った。「細密画や絵の世界では、傑作が造られた時、あるいはすばらしい絵に歓喜の涙を流したり、総毛立つような美しさを見た時、今まで一緒に用いられなかった二つの異なるものが一緒になって何か新しいすばらしい物を作り出すと確信している。ベフザトやペルシアの絵のすばらしさは、アラビアの絵が蒙古や中国の絵と混じりあったことのおかげである。シャー・タフマスプの一番美しい絵はペルシアの様式とトルクメンの繊細さが一緒になったものだ。今日誰もがインドのアクバル王の細密画の工房を褒め、賛嘆しているならば、それは細密画師にヨーロッパの名人の様式を採るようにと激励したためである。東もアラーのものであり、西もアラーのものである。神よ、わしらを純粋でまじりけないようにと言う者たちからお守りくだされ。」 

 また、エニシテは殺人者である細密画師にこうもいう。

イタリアの名人は誰も、お前ほどの詩心も、信念も、繊細さも、色彩の純粋性ももたない。しかし、彼らの絵はもっと現実味があって、人生そのものにより似ている。

 一方、殺人者はこのようなエニシテの考えにはむしろ与した細密画師だったのだが、自分が殺人者だとエニシテに気づかれたのではないかという不安とある嫉妬、ある怒りから殺害するに至るのだった。
 大きなインク壷が凶器となる。その中には、微かにゆするとそれにつれて色合いが変わる神秘的な紅インクが入っていた。

頭と見たこととわしの記憶と目の全てが、わしの恐怖となって混じり合った。もう何の色も見えない。全て紅色であることがわかった。血だと思ったものは紅インクだった。手についたインクだと思ったものは止まることのない紅い血だった。
 その瞬間、死ぬということが、どんなに不当で理不尽で無慈悲なことに思われたことか!

 このあとこのエニシテという老人は、自分の死や死の直後に起きたことまで語るのである。それが圧巻だった。
 こうした殺人が起きる前の、恋人たち―カラとシェキュレ―の抱擁の場面もなかなかだ。シェキュレは、父親が殺されようとしていることを知らないで愛を堪能している。

ノート⑤『紅』を348頁まで
 『紅』はいよいよ面白くなってきた。

 エニシテの遺体を病人が横たわっているように装わせて後見人とし、その前で結婚式を挙げたカラとシェキュレ。エニシテの死をいつまでも隠してはおけないので、カラは第一にそれを報せるべき人に報せに行く。

 スルタン様はエニシテに注文された本のための資金の出し入れを勘定方長官に任せていたので、死の報せも先ずそこに報せるべきだった。

 オスマン・トルコの支配者スルタンの王宮の描写には、心が躍る。パムクは、16世紀のトルコをまるで見てきたように描く。これ一作書くために、どれくらいの資料に当ったのだろうか。ただ、急に資料集めしたところで、これだけの作品は書けないだろう。

御前会議の広場に入るや否や、深い静けさがあたりを包んだ。胸がどきどきしているのが、額や首の血管からも感じられた。王宮に出入りする人々やエニシテからあれほど聞いていた所は、あたかも天国のような色とりどりの、この上なく、美しい庭園としてわたしの前にあった。しかし、天国に入った人のようには幸せでなく、一種の恐怖、尊敬、畏敬の念を感じた。「この世の礎」であることがいまやよく理解できたスルタン様の、つまらぬ僕である自分を感じた。緑の中を歩く孔雀、水しぶきを上げて音を立てる泉、鎖のついた金のコップ、絹の服を着てあたかも地面に触れていないかのように歩いている御前会議の布告官をうっとりと眺め、スルタン様に仕えることのできる歓喜を感じた。

 エニシテの死を告げたときの勘定方長官の理解ある驚いた眼差しに、カラは洗いざらい話してしまう。エニシテと優美さんが殺されたこと、細密画師の部門で起こった競走意識と嫉妬心……。そしてカラは、エニシテがどのような本を作ろうとしていたかを話す。

「〔略〕予言者様の聖遷からちょうど一千年経った時、イスラム暦の一千年目に、ヴェネチア総督の目に、イスタンブルの強力な軍とイスラムの誇りとともに崇高なるオスマン家の力と富を見せて、畏れを抱かせるような本でした。この世で最も価値のある、一番大事なものを語り描くはずだったのです、この本は。さらにまさに武勇伝に於けるようにスルタン様の肖像画を本の心臓部に置く予定でした。さらに挿絵はヨーロッパの様式や手法を用いたもので、ヴェネチア総督に畏怖と親交の念を引き起こすはずでした。」
「それらは知っておる。崇高なるオスマン家の最も大事なものが犬や木なのか。」と絵を指し示しながら言った。
「亡くなったエニシテは、スルタン様の豊かさは富によってのみ表されるのではなくて、精神的な力、隠れた憂いによって表されると言っていました。」

 エニシテが、優美さんを殺害した犯人として、オリーブとコウノトリと蝶をどんなに疑っていたかをもカラは話してしまう。犯人が誰なのか、まだわたしには見当がつかない。

ノート⑥『紅』を354頁まで
 
『紅』は、死後にこの世とあの世のあいだでエニシテに起きたことを、彼自らが語る章を読んだ。
 パムクはなぜ、このような場面を設定したのだろうか? こうした場面があるのとないのとでは、作品の雰囲気がずいぶん違ってくる。わたしには違和感のない場面だが、一般の日本人にとってはどうなのだろう。最後まで読んでみないことには、パムクの意図が今一つ呑み込めない。
 エニシテの死後の場面には作者の実体験から出たものらしさは感じられず、作り物めいているが、悪くはない。ところどころにリアリティがあり、死後のことを研究した形跡がある。こうした場面は下手な描き方をすれば、滑稽なものになってしまうのだ。死後の世界といえば、プラトンが『パイドーン』で描いたそれは圧巻だ。

ノート⑦『紅』を364頁まで
 名人オスマンが殺人事件を正式に勘定方長官から知らされたときのことを語る章を読んだ。近衛兵の隊長も在室している。隊長はスルタンの名の下に処刑や拷問を実行する人物である。
 オスマンは細密画の工房の頭なのだが、彼は聾桟敷に置かれていた。スルタンは元高官であったエニシテに祝賀本の作成を命じ、エニシテはオスマンの可愛い細密画師たちを使って愚にもつかぬ絵を描かせたばかりか、殺し合いまでさせた。
 オスマンの認識は、こうしたものである。彼は、勘定方長官に事件を知らせて亡きエニシテと自分が潔白であることを訴えたカラ、結婚するために奇妙な動きを見せたカラを、当然ながら快くは思わない。

「彼には尋問で拷問にかけてください」とオスマンはいう。

 オスマンは細密画師の工房に、すでに失望していた。というのも、彼は次のように述懐するからだ。 

わしが頭となっているスルタン様の細密画師の工房では、既に昔のように傑れたものは作られない。さらに悪くなるようにすら見える。全ては衰えて尽きる。一生をこの仕事に心から捧げたにもかかわらず、ヘラトの昔の名人の美しさは、ここではめったに達せなかったことを苦々しく感じている。

 その行き詰まった世界に、イタリア絵画の精神と技法という新しい血を入れることで再生させようとしたエニシテの試みは、オスマンには邪道としか映らなかったようだ。

ノート⑧『紅』を398頁まで
 
さて、カラだが、幸い彼はこの時点では、拷問の真似事をされただけだった。スルタンの命により、彼は細密画師の頭オスマンの手助けをして、殺人犯を見つけなければならなくなった。オスマンを頭とする細密画師の班が殺人犯を見つけ、引き渡すことができなければ、班全員が同罪となるのだった。
 オスマンはカラに、オリーヴ、蝶、コウノトリ――と呼ばれる細密画師の特徴を挙げていく。そのうちの誰かが犯人であることは、間違いないからだ。

 わたしもカラと一緒にオスマンの話を聴いたけれど、どうも特徴がはっきりしない。三人の人物が、本人の語りと他人の語りだけから成り立ち、その語りというのがあまりにも観念的であるため、三人が一人の人物のように想えてしまうためだ。
 パムクは、人間を単純な存在としては描いていない。が、語りから浮かび上がる人物像は観念的というだけにとどまらず、平気で人物設定の矛盾を放置しているように読める。つまり、作者にとって都合のよい描かれかたをしているようにとれるのだ。

 こんな疑問というか不満がわいてしまったが、三人各様の特徴を挙げれば、オリーヴは複雑な人格の持ち主で、美少年愛好癖がある。殺された優美さんは、「気品、洗練、それにあの女性っぽい態度に気を悪くしていた」という犯人の語りから、美しい男性だったことが窺える。オリーヴの好みだったといえるだろう。
 そして、その犯人の語りの中の重大な事実に、犯人がシェキュレを熱愛していたということがある。
 オリーヴが美しい男性の中に恋の叶わぬ美しい女性を見ていた可能性もなくはないが、オリーヴの語りの中に、優美さんの死体が発見される前に訪ねてきたカラのことを「ドアを開けると、今度は彼らではなくて、子供のときの知り合いでとっくに忘れていたカラだった」とあるから、カラに嫉妬し憎悪しているはずの犯人ではないだろうと思う。

 では、犯人はコウノトリか蝶のどちらかということになる。
 コウノトリは特に哲学的なタイプで(全員が哲学的なことをいう)、異教徒の名人――イタリア絵画の巨匠――の様式に一番通じている。
 だが、犯人はエニシテを殺す前にエニシテに、彼によって作らされている本が宗教を冒涜しているのではないかと問う。そのことで夜も眠れないと告白しているのである。そのような男が、コウノトリのように大胆に異教徒の様式に心惹かれたりするだろうか。コウノトリではない。では、残る蝶か?

 蝶は肥満気味で(子供の頃や若いときは美しかったという)、楽観的、おまけに妻帯者である。蝶はいう。「わたしはよく働くし、仕事は好きだ。最近この界隈で一番美しい娘と結婚した。仕事をしていない時は狂おしい愛に耽る」
 こうした本人の語りからは蝶がシェキュレをひそかに熱愛し、殺人まで犯すとは考えにくいが、彼の特徴といえば感覚的であること、色の業師であるということである。
 題名にもなっている『わたしの名は紅』という紅の語りの章が設けられているくらいだから、この作品をミステリーとして読んだ場合、色彩は重要なポイントであるはずだ。

 一見最も素朴なこの蝶という男が、その素朴さゆえの暗転しやすさから、殺人を犯したとは考えられないだろうか。

ノート⑨『紅』を読了
 犯人については、作者が彼と決めたのだから彼なのだろう、という印象。推理小説に足るだけの予備知識が読者に伏せられ、あるいはいい加減さのうちに放置されたまま、犯人が挙がってしまったという感じなのだ。
 蝶、コウノトリ、オリーヴ、誰が犯人であったとしても、読者としては推理が的中したという満足感を覚えるわけにはいかないだろう。誰であってもいい感じだ。作者はそんな書き方しかしていない。

 単純ではない人間の複雑な内面がよく描かれているものの、その人間固有の匂い、その人間固有の内的色合いがもっと強く打ち出されていれば、登場人物同士が時に溶解し合っていくような不行き届きはなくせたのではないかと残念に思われた。
 作品全体においても、そうしたご都合主義、一貫性のなさが何とはなしに感じられ、竜頭蛇尾の感が否めないが、これは厳しい見方をした場合であって、現代書かれた文学作品の中では間違いなく手ごたえのある作品、ノーベル文学賞に選ばれた作家にふさわしい作品といえるだろう。

 どこまでが資料に添ったもので、どこまでが作者の想像力の産物であるのか、わたしには想像もつかないが、16世紀末におけるオスマン・トルコ帝国の首都イスタンブルを舞台に選んで、よくあれだけ重厚、精緻に細密画師の世界が描けたものだと感心する。
 当時のイスタンブルに生きる細密画師たちがペルシアを、イタリアを、インドを、さらには中国をどのように意識していたのかが生々しく描かれている。
 工房の頭で、細密画師たちの父親役をも務めていたといっていい名人オスマンは、工房内部で自らが育んできたものが瓦解するのを目の当たりにし、ついに両目の瞳に針を刺す。
 殺人犯は、カラ、二人の細密画師たちによって、両目の瞳を刺される。この場面でわたしは、作者が影響を受けたという谷崎潤一郎のことを思い出し、『春琴抄』を連想してしまった。この目潰しという点だけとれば、パムクの小説の場合はちょっとわざとらしい。 

細密画とはアラーの神がどうご覧になるかを絵の中で探し求めることである。そしてその無比なる光景は、厳しい研鑽生活の末に、細密画師が精根尽きて到達する盲目の後に思い出される、盲目の細密画師の記憶によってわかるのだ。年老いた細密画師は、この幻想がわが身におこった時、つまり記憶と盲目の暗闇の中で眼前にアラーの光景が現れた時、傑作を手が自ら紙の上に描くことができるようにと、全生涯を手を慣らすことに費やす。

 オリーヴが伝えるこの細密画師の名人セイット・ミラキの言葉から考えても、盲目というのは細密画師にとっては最高の勲章ともなりうる事態なのだ。
 絶望感から、自然が与えてくれる盲目の機会を自ら放棄したオスマン。そして、怒りと恐怖から、かつては仲間であった犯人に、逆しまな価値を付加した盲目を制裁としてもたらしたカラたち。
 彼らの盲目へのこの過剰な拘りが、細密画師たちのそれまでの高度な芸術観や、それらのせめぎあいと相容れず、リアルな彼らの世界を戯画化してしまったようにわたしには感じられるのだ。

 非合法コーヒーハウスの噺し家の造形は、秀逸だった。それにしても、哀れなあの殺され方! 彼に語りのネタを提供していたのは細密画師たちだったのだ。

 『わたしの名は紅』の中で、これは作りすぎでは、と思えた部分は少なくないが、そのうちの一つと感じられながらも、わたしが登場人物の中で一番好きだったシェキュレの下の男の子、可愛いオルハンがこの作品を書いたことがわかる結末部は、作者から贈られたプレゼントのようにも想えた。
 あの可愛らしかったオルハンが、このように絢爛豪華で、さらにはエログロも多少はある複雑な物語を書いたのだと思うと、こちらの気持ちも複雑にはなるけれど。
                                                                                             〔読書ノート、了〕

 以上がわたしの読書ノートであるが、パムクはいくらか作りすぎるところのある作家である。博覧強記といってよいような圧倒的な知識量をもとに織り成される贅沢な作風、しかしそれを支えるのは、意外にも子供のように柔らかな情緒である。パムクが谷崎潤一郎に影響されたというのにも、なるほどと思わせるものがある。
 谷崎は、外国文学の影響を強く受けたがゆえに他国人さながら、距離感のある瑞々しいまなざしを自国の文化に注ぎ、ときにあざといと思われるくらい、技巧を凝らした作風を物した。パムクより、一段と実験的、したたかな作家といえよう。

 パムクが生まれたトルコは第一次大戦の敗北により弱体していたオスマン帝国が崩壊。その後、ムスタファ・ケマル率いる抵抗政権がトルコ共和国を樹立した。
 この政権は近代化の手段として、イスラム色の排除及び西洋化を選択したのだが、西欧化しようとし、次いで第二次大戦の敗北により、アメリカの指揮下で民主化の道を歩んだ日本とは類似点がある。少なくともトルコは、西洋であるゆえに西洋化する必要がなかったドレス・レッシングのイギリスやル・クレジオのフランスよりは日本と似ている。

 画家志望だったオルハン・パムクは、イスタンブール工科大学の学生だったときに建築家にはならないといい出し、母親を心配させた。母親はいう。

〔略〕ヨーロッパでは多くの人が誇り高く、矜持を保つために芸術家になる。なぜならあちらでは、芸術家に対して、水道屋とか職人のようではなくて、とても特別な人のように人々は振舞うから。でも、お前、この国で画家になって、同じ誇りを持つことができる? お前の絵を、こういうことを全くわからない人たちに受け容れてもらうために、売れるための、国家とか金持ちたちの、もっと悪いのは、無知な新聞記者たちのご機嫌を取らなければならなくなる。そんなことがお前にできる?
(オルハン・パムク『イスタンブール――思い出とこの町』和久井路子著、藤原書店、2007年)

 それは敗戦国の宿命なのだろうか。
 日本で起きたことは逆しまな現象だった。
 日本では芸術家をぺこぺこさせなくて済むように、芸術を世俗の側に引き寄せ、「こういうことを全くわからない人たちに」芸術家を選ばせるようにした。
 少なくとも、わが国の文学界で徐々に進行したのは、こうした現象だったといえる。谷崎が生きていた頃、日本の文学界は今より遥かに作家のレベルは高かったのだ。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドリス・レッシング

 2007年にドリス・レッシングがノーベル文学賞を受賞したとき、昔――1987年の岩波文庫版――の『二○世紀イギリス短編選(下)』(小野寺健訳編)で彼女の作品を読んだことをおぼろげに思い出した。
『愛の習慣』という短編である。フェミニストとして名を馳せた人らしく、結婚生活が孕む複雑な要素、その危険性にまでメスが入れられた作品に仕上げられている。

 主人公ジョージの元妻モリーは、彼と同じく労働党でも中心よりやや左寄りで、彼女の戦闘的なフェミニズムにジョージは共鳴していた。彼女がジョージと別れた原因は、彼の浮気だったようだ。愛人のマイラはノンポリで、子供一辺倒の女性だが、離れて暮しているうちにジョージに対する熱は冷めていた。
 60歳になったジョージは、ひとり暮らしの侘しさに耐えられなくなる。そうして、これまでの女性とは全く別のタイプの下っ端女優ボビーと一緒になる。彼にとってのボビーは、「男の子とも女の子ともつかない、頼るものもない哀れなチビ公というか浮浪児」といった類のイメージをとる。
 ボビーには器用なところがあって、いくつかの顔があり、それらを巧みに使い分ける。実際の彼女はチビ公どころか40歳で、年下の愛人までいた。愛人にはジョージには見せない表情を見せるが、愛人とは長くはやっていけないと彼女は踏んでいて、ジョージもそれを解し、二人は旅行に出る。旅先でも相変わらず、ベッドでのボビーは硬い。

 そして、旅行後、彼女はジョージとの暮らしにいよいよ飾り気も演技もなしの我流を持ち込む。彼女には親しい姉がいて、姉を家に呼び、姉とボビーは一体化したかのようだ。
 その姉とは、初めて家に招かれてやってきたとき、ジョージに次のような印象を抱かせた女性だった。

ジョージは結婚式のときちらっと会った時からこの姉が嫌いだったが、こんどこそは初めて、この結婚そのものに猛烈な嫌悪感を覚えた。姉というのはどこか下町に住んでいる中年女で、安っぽくてやりきれなかった。色の黒いきつい顔でフラットの隅々まで嗅ぎまわり、家具を値踏みしながら、物欲しげに肉の薄い鼻をうごめかすのだった。

 姉妹はジョージの家に居座るというより、まるで乗っ取りのような雰囲気を醸し、彼は彼女たちに飲み込まれそうにさえなったかのようだ。ついに体に変調を来たした彼の死(?)を匂わせるところで物語は終わっている。

 この作品は、女性に母性とか愛玩動物とかの価値しか見出さない男性の政治活動の偽善的な実態を暴いたものだろうか? 結婚生活を描きながら、階級差の臭気を放つ政治色の強い作品といってよい。
 娯楽的にはとても読めない息の詰まる作品だが、現実問題を容赦なく織り込む手腕には長けた作家であることに間違いない。文学的な価値はともかく、深刻な政治状況を描きながらもどこかムード的なところのあるパムクより、一層シビアなタイプの作家だといえる。

 村上春樹氏の小説は、パムクやレッシングとは質を全く異にしている。娯楽的な作品なのだ。現実に目を開かせてくれるゆえに苦痛を与えもする手ごたえのある文学作品ではなく、酔わせ、意識を混濁させ、目を閉じさせる眠剤のような作品……その影響は広く、深く、潜在的である。
 現在のわが国で薬物の違法な個人輸入が流行り、薬物中毒が蔓延している傾向と全く無関係とはわたしには思えないのだ。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅴ ル・クレジオの光と風

 2008年、ノーベル文学賞に輝いたジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ。

 行きつけの書店には、単行本は三冊しか見当たらなかったが、2006年発行の「現代詩手帖特集版 ル・クレジオ――地上の夢」(思潮社、2006年)があり、作品としては『地上の見知らぬ少年』『雲の人びと』の抄訳、『宝仏殿』、エッセー『他なるものはすぐそばに』『私がフランス語で書く理由』などを読むことができ、よきル・クレジオの案内書であるようなので、それを買うことにした。その後、集英社文庫から『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』(豊崎光一・佐藤領時訳、1995年)が再版されたので、購入した。

 ル・クレジオの作品からは光と風が姿を現わし、何というかヨーロッパにしか存在しない類の明晰さが感じられる。ヨーロッパの多くの国々が植民地を所有していたことと、無関係ではないと思う。
 残酷なことをし支配し搾取した一方で、彼らはその土地と人々と文明に惹かれ、渇望し、あたかも光や風となってそれらを抱擁したいとでも思っているかのようだ。
 ベトナムと切り離せないデュラス。アフリカと切り離せない詩人ランボー。そして、モーリシャス島に祖先を持ち、父親から影響を受けたことからモーリシャス島と結びつきが深く、またのちに見出したメキシコとも切り離せないル・クレジオ。 

 数編の作品を読んだだけなので、はっきりとしたことはいえないが、ノーベル文学賞にふさわしい作家であるように思った。少なくともル・クレジオは、無責任な作家ではないと感じさせる。
 彼からすると、パムクでさえも、趣味的というか、打算(というのはいいすぎかもしれない。創作する上での遊びごころというべきか)が感じられるほどだ。よくも悪くも、ル・クレジオの文章も方向性も学者的といおうか、探求的といおうか、厳正で、純粋さが漲っている。 

 ル・クレジオの作品を読みながら、チリ生まれのガブリエラ・ミストラル(彼女もノーベル文学賞を受賞している)の詩やエッセーを連想した。ミストラルの作品から感じられるのも、光や風だ。彼らが共通してメキシコ体験を持っていることは、偶然だろうか。メキシコの同じ光と風が、彼らの知性と感性を磨いたのか。彼らの認識の基礎には、しっかりとした、確かめられた何ものかが、存在している。

 彼らの作品からは、同じ成分が検出されるのではないかと思わせる。光や風、大地や水に対するまなざし、また動物や植物に対するまなざしにも似たものを感じさせる。しかしながら、ミストラルが創作において、あくまでも自然体を感じさせるのとは異なり、ル・クレジオの場合は観察から実体へと、どこまでも、観念の操作を用いて入り込もうとするかのようだ。ル・クレジオは、やはりヨーロッパ的知性を感じさせる。

 彼の文章を読むと、浮世の垢が落ちるかのようだ。ただ小説として読めば、いくらか綺麗すぎて、「水清ければ魚棲まず」傾きがある気もする。
 ル・クレジオの確かな観察眼に触れていただくために、ル・クレジオ夫妻の共著『雲の人びと(抄)』(村野美優訳)から、その一部分を紹介しておきたい。

○雲の人びと(抄)

ガッダ台地はまさしく彼が見たとおり、短調で、終わりがなく、ほとんど死を思わせる。人間的な尺度を超えた美しさである。鉱物的なのだ――南へと進むにつれ、植物はドラア川周辺に寄りそい、小さくなり、ずっと貧弱に、ずっと黒くなって、しまいには無に帰してしまう。道路はさまざまな種類の峡谷、筋、溝に沿っている。遠くでは、石だらけの丘が蒼く、幻のようである――ケスタ、デューン、砂の緩斜面。ある場所では、灰色の空の下、まるでそこに栄光があるかのように地面が輝いている。これほど地球の基盤に近く、これほど不滅の堅さ――それはいつの日か巨大で強固な石質隕石の形状になると言われる堅さ――に接していると感じた場所はほかにはない。それなのに、これほど光に、太陽に触れられていると感じた場所はほかにはない。まるで空と大地という二枚の研磨材のあいだに捕われた、巨大なガラスにくっついている虫にでもなったみたいに。
 風の、から空の景色。
 磨り減った国――ある日、この国の海水は、海の底を、むかし浜辺だったところを、水路を、崖に打ちつけられた波の跡を、剥き出しにしたまま退いてしまったのだ。
 水辺はほうぼうにある――そのまっすぐな道を走っていると、水辺は遠くにあらわれて光る。かろやかで空色をした大きくて静かな湖、わたしたちの前で開き、わたしたちの後ろで閉じる、透明な長い腕。それはわたしたちの夢の水辺。これらオアシスのほとりでは、脚の長い水鳥、あるいは家々や人影が見えるのではないかと思われた。「雲の人びと」の伝承は、何何千年も昔、人間がこの景色のなかで、まだ弱々しく儚い影法師にすぎなかった頃に大地を荒らしたあの雨(地質学の調査でも立証された)のことを語っている。山々の塊をもぎ取り、谷を開き、ビルディングのように大きな石の岩を海まで押し流すほど激しかった雨のことを。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

Ⅵ 

 こうして見てきたお蔭で、村上春樹に欠けたものが何であるかが浮かび上がってきたように思う。それは、大人としての当たり前の自覚ではないだろうか。
 近年のノーベル文学賞作家――オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオの三者には社会を鋭く包括的に見つめ、文化を継承しようとする者としての知性と責任感が感じられるのだが、村上春樹からは不思議なくらい、それが感じられない。サリン事件の被害者をインタビューするなど社会的な行動は起こすが、なぜか子供っぽく感じられる。

 観念的という点で、パムクと村上春樹は案外似ていると思う。違いといえば、パムクがよくも悪くも芸術家としての姿勢を強く打ち出そうとしているのに比べて、村上春樹の場合は趣味的といおうか、自分の好み以外のものに対する徹底した無関心と想像力の欠如とが目立つ。大事な点と思われるので、村上春樹の子供っぽさという問題をここで再度採り上げておきたい。
 わたしがどうしても読み見過ごしできなかったのは、Ⅱで採り上げた『ノルウェイの森』の中で、直子が自殺したあとの彼女の両親が描かれる場面であった。両親については、如何に彼らが世間体ばかり気にしていたかという情報だけが、読者にもたらされる。以下は、その部分からの引用である。   

「淋しい葬式でしたね」と僕は言った。「すごくひっそりとして、人も少なくて。家の人は僕が直子が死んだことをどうして知ったのかって、そればかり気にしていて。きっとまわりの人に自殺だってわかるのが嫌だったんですね。本当はお葬式なんて行くべきじゃなかったんですよ。僕はそれですごくひどい気分になっちゃて、すぐ旅行に出ちゃったんです」

 ひどい気分に誘われたのは、こちらの方だった。何と幼い主人公であることか。娘が自殺して、両親が世間体を気にするのは自然なことである。この両親は何の因果か、直子の姉からもかつて自殺されているのだ。世間体を気にすることと、惑乱、哀しみ、絶望が同居できないとでも、主人公は思っているのだろうか。
 この主人公のような立場だと、直子の両親から責めを受けそうで怖ろしく、針の筵に座らされる思いで葬式に出席するのが普通ではないだろうか。主人公はどうも、気軽に出かけ、一緒にさめざめと泣くことを期待していたようである。
 そのあと、直子の両親が世間体ばかり気にしていたことに傷ついて、主人公は旅に出た。1ヶ月間の放浪の旅。主人公は、砂浜で出会った若い漁師に母親が死んで泣いていると嘘をつき、同情される。
 漁師も自分の母親を亡くした話を始めるが、主人公は、そのことに怒りを覚える。その理由がまたふるっている。

それがいったいなんだっていうんだと僕は思った。そして突然この男の首を締めてしまいたいような激しい怒りに駆られた。お前の母親がなんだっていうんだ? 俺は直子を失ったんだ! あれほど美しい肉体がこの世界から消え去ってしまったんだぞ! それなのにどうしてお前はそんな母親の話なんてしているんだ?

 あたかも、自分の悲しみは高級で、漁師の悲しみは下等だといわんばかり。いや、自分と直子は上等の生き物で、漁師とその母親は下等だといわんばかりではないか。このような主人公からは、自分と関係のない人間はどうなってもいいという作者本人の無関心、冷淡な態度が透けて見える。主人公が普通の精神状態にはないということを割り引いて考えてみても、どうにも幼い。

 村上春樹は、人間の基本的な感情の描きかたに欠陥がある。意識してそうしているとは受けとれないだけに、異常な気さえする。お洒落な見かけに騙されてはいけない。わたしは、直子よりも、一見正常で良識的に描かれている主人公のほうがむしろおかしいように思える。壊れた主人公をテーマにしている風でもないだけに、村上春樹の小説は、読めば読むほど読者に不安定感をもたらすはずである。
 この基本的なところがすこやかなオルハン・パムクは、読者に安定感と明るさをもたらしてくれる。それは、作家であるためには不可欠の要素である。だからこそ、作家がどんなに異常なことを書こうが、福音となるのだ。

 ここで、村上春樹の作品を世界的なヒットにつなげた男ジェイ・ルービン――翻訳家・元ハーバード大学日本文学教授――の著書『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(畔柳和代訳、新潮社、2006年)から、学生運動世代の村上春樹がどんな大学生活を送ったかが想像できる一文を引用しておこう。

 翌年、早稲の学生ストライキは、五か月わたり授業をすべてつぶした。だがバリケードが築かれたあとも、村上は集団行動に惹かれることはなかった。彼はセクトの一員としてではなく、つねに自分自身として行動した。「学園紛争に個人的に興味があったから、出入りがあると石を投げたり、殴り合っていた。ただ、バリケードとかデモとか、組織で何かやるようなことは不純だと考えていたから、参加しなかったなあ」。(デモで)「手を繋ぐことを考えただけでぞっとした」と述べている。やがてライバルの過激派グループ同士が衝突するようになり、村上の心はいっそう離れていった。彼はのちに『ノルウェイの森』でキャンパスの過激派たちを風刺する。そのなかに、二人の活動家が授業を乗っ取る場面がある。

 何とまあ、驚くべきことが書かれているではないか。村上春樹は作家としての自覚以前に大人としての自覚を欠いていると感じていたが、ここでは、子供の意識のままで大人になりかけている彼の青年期の姿が浮き彫りになっている。
 わたしが学生だった頃は学生運動の残照があったというくらいだったが、それでも学生運動に関わり――極左翼だったのだろうと思うが――、成田へ出かけ(三里塚闘争)、火炎瓶を投げて逮捕された人を知っている。長く続いた裁判が相当に応えていたようで、憔悴している姿を見たことがあった。その後は逮捕されないような社会の枠内で、活動を続けていると彼の奥さんから聞いたことがある。「彼の活動にあまり賛成はできないけれど、思想を貫いているところは立派だと感心せざるをえないわね」と奥さんはいっていた。
 村上春樹もどう言い訳しようが、学生運動に関わっていたわけである。逮捕されなかったのは、運がよかっただけの話だ。その自覚がない。当時がそうだったというのであればともかく、今尚そのような自覚のなさなのだろう。

  ルービン氏は次のようなリポートもしている。

 芦屋市で過ごした中学時代については、教師に殴られた記憶しかないと書いている。村上は教師たちを嫌い、彼らは勉強しない村上を嫌った。神戸高校に進んでからも勉強はしなかった。ほとんど毎日のように(大好きだが下手な)麻雀をして、女の子と遊び、ジャズ喫茶や映画館に入り浸り、煙草を喫み、学校をさぼり、授業中に小説を読んでいたが、落ちこぼれたことはなかった。
 若いころのこうした経験を見るかぎり、彼は大勢のなかで目立たないままでいてもおかしくなかった。格別ストレスをもたらさない、静かな郊外に暮すいい子だった。

 いえいえルービンさん、あなたの認識は間違っています。村上春樹は当時の日本の基準からいえば、立派な不良です。

  これは重要なことだと思うが、村上春樹には、物事を単純化してレッテルを貼りつける癖がある。オウム事件の暴力も第二次大戦における日本軍の暴力も、あるいはこれは想像の域を出ないが、教師から殴られたという暴力も、春樹の頭の中では一緒くたとなって溶解し合い、同じレッテルが貼られているのではないだろうか。
 暴力沙汰のみならず、何事も、見かけほど単純ではない。原因が複雑に絡んでいることが多く、一緒くたにはできないのだ。文学は本来、単純に見える物事の舞台裏――その複雑な事情――に理智の光を当てるものではなかったか。

 学校の長期休みが近づく頃から、サイトで公開した村上春樹に関するわたしの記事は一段とアクセス数を増やし出す。読書感想文を書かせる高校、大学の教師が多いのだろうか。
 村上春樹はまだ商業主義のさなかにある作家である。文豪と呼ばれる過去の作家の優れた文学作品は数多いのだから、読書慣れしていない生徒たちに危険な読書をさせないでほしいと願わずにはいられない。

  そして、文学という観点からさらに踏み込んでいうなら、パムク、レッシング、ル・クレジオはノーベル文学賞受賞者だけのことはあり、各人が一抱えはありそうな作品世界を構築し、スタイルも洗練されており、また――これが何よりノーベル文学賞というものに欠けてはならないと思われる――思想家としての風格を備えていて、一流作家と呼ぶに足る作家たちだと思う。
 それでもなお、バルザック、ゾラ、プルースト、ゴーゴリ、トルストイ、ドストエフスキー、トーマス・マンといった過去の文豪クラスの人物に比較すると、器が小さくなったというべきか、現代の文学の貧弱さ、つまらなさを改めて考えさせられた。過去の文豪にあった大きさ――その源を、われわれは改めて調査すべきではないかと思うのだ。

 最後に、作家の文学を家に譬えるとすれば、例えばバルザックの作品は広壮な屋敷。手入れの行き届いた庭には果実の輝く樹木、香りのよい花々、動物たちが飼われ、食料庫には新鮮な食べ物がぎっしりと詰まっていて、そこの住人たちや訪問客で賑わっている。
 パムク、レッシング、ル・クレジオの家は現代住宅で、それぞれに意匠を凝らしてあるが、手のかけ方に偏りがある。どの家の冷蔵庫にも食べ物は入っているかいないかで、住人もいるのか不在なのか、わからないという風。
 村上春樹の家はスタイリッシュだが、欠陥住宅である。また、放置状態の庭には古井戸や土蔵なんかが残されている。人間なのか、幽霊なのか、蝋人形なのか、はたまた家庭用スクリーンに映し出された人物なのかがよくわからない曖昧な住人の気で満ちている。頭脳を狂わせるほどに満ちているのだ。冷蔵庫に洒落た食べ物が用意されているが、ご用心! それは人間らしさをまどろませる中毒性の食べ物なのだから。〔了〕

|

2009年6月 1日 (月)

同人のおふたりと、電話で、重厚かつ軽いおしゃべり

 同人雑誌の合評会・懇親会には欠席することにしたが、『雲の影』の感想は伝えたいと思った。

 手紙にしようかとも考えたが、相手の現状を確認しながら感想を伝えるには電話でなければと思い、お電話した。お医者さんって、日曜日もお忙しいのだろうか、と思いつつ。

 当人が出られたので、名を告げ、忙しいようだったらかけ直すというと、「構いませんよ、いや、わたしもあなたにかけようかと思っていた」とのこと。

 それではいよいよ創作の世界から身を消すつもりなのかと緊張し、それを阻止したい思いで感想を滔々と――というより軽薄にペラペラと――捲くし立てた。どういうわけか、重大な場面ではわたしは軽くなってしまう性癖があるのだ。

 勿論いっていることは一応は考えぬいたことなのだが、口調が不真面目な感じになるというか軽くなってしまう。一つには、Kさんの雰囲気が極めてソフトだからかもしれない。

 尤も、過去に出席した親睦会では、わたしよりかなり年上の人が多かったにも拘らず、あまり年齢差を意識しなかった。創作は作者に若々しさを作り出す気がする。Kさんも、団塊の世代くらいにしか見えなかった。

 それでも、礼儀知らずはいけないと思い、気をつけるようにはしているのだが、失礼があるかもしれない。

 感想をいろいろと述べたが、どうやら、わたしが思っていることをそっくりKさんも思っているらしいことがわかった。書き上げた作品の位置づけに関しては自覚がおありで、『雲の影』は、戦前と戦後をつなぐ本邦初の作品という見方で一致した。

 戦前からの自然主義的な私小説の流れをくんで見事な作品群を物してこられたKさんの作風は、流麗でありながら決して美文調ではなく、お医者さんらしい周到な観察眼を感じさせる骨格のしっかりとした、完成度の高いものばかりであった。

 しかし、過去記事でも書いたように、《戦争を知らない子供たち》の一人であり、翻訳文学で育ったわたしのような者からすると、人物が背景のように描かれてしまうことに物足りなさがあった。ただ、これは意図的なものかもしれないとも思われた。

 個人主義、市民意識が西洋物には浸透していて、人物が確かな存在感を放ち、躍動している。作品の方向性としては、分析的、探求的だ。日本の私小説は視点が《私》であっても、シテはあくまで自然を含む環境的なものであって、人物はワキ的存在でしかない。作品の方向性は観賞的とでもいおうか。動と静の文学で、どちらがいい悪いではないと思うが、静だけの文学はもはや古臭いという感じがしてしまう。

 わたしはその点を、過去に舌足らずながら意見し、レオン・サーメリアンの『小説の技法』(西前孝監訳、旺史社、1989年)をお送りするという失礼にまで打って出た。敬服しているからこそ、わたしの考える完璧であってほしいといういささか身勝手な思いからだった。

 それが『雲の影』では完膚なきまでに、人物描写がなされていた。さすがだと感動の震えが起きたほどだった。書こうと思えばこれだけ書ける人であることを考えると、やはりこれまで人物に生彩が欠けているかに思われていたのは、むしろ技法であって、自然がシテで人物がワキだったからだろう。

 その区別が『雲の影』にはなく、これは何といえばいいのだろう、フーガのような作風だった。何という美しさであることか。神秘主義的にいえば、東洋と西洋の結婚だ。わが国の戦前と戦後の結婚だ。

「戦前と戦後をつなぐ作家は出ていませんでした。戦後、日本は浮き草のようになってしまい、文学はアメリカのものを大胆に吸収しましたが、放縦に流れて……文学は国のハートであり、頭脳に関係し、知的情操を担うものですから、もうこの国はめちゃくちゃになってしまっています。脳なんて、ほとんど溶けかけているんじゃないかしら」というと、Kさんは深く同調された。

「それが、『雲の影』でつながったんですよ。評価に時間はかかるかもしれませんが、この国の文学史に残る作品だと思います。ミューズの吐息がかかった作品ですから、必ず生き残りますよ。勿論、これがKさんの努力の賜物であることは承知していますけど」とわたしはいった。

「だから、やめないで。日本文学のために、もう少し基盤を作ってほしいのです。それに、Kさんの文学はここから新たな段階に入ったというのに、今やめるなんて惜しすぎます。わたしが後世の人間であるとしたら、『雲の影』以降の作品を読みたかったと思うでしょう。ご精進がこれまでどれほど大変だったかはお察ししますが、この国が救われるかどうかがかかっています。お仕事が、死後にしか評価されない可能性はあると思いますが、どうか」と、嘆願するようにわたしはいった。わたしは大袈裟なつもりは全くなかった。事実と希望を述べたにすぎないと思っている。

 Kさんはときどき、「ええ、そうですね」と相槌を打ちながら、わたしの言葉を物柔らかに受け止めていた。わかっていただけたようで、ホッとした。

 そして、「ところで、そのうち俳句の個人誌を出そうと考えているのですが、そのときはあなたにも呼びかけようと思っていた。お電話しようかとも思ったのだけど、懇親会のときにお話するつもりだったんです」と意外なことをおっしゃるではないか。

 なあんだ、何もかもやめるというわけではないのですね、驚かさないでください……と力が抜けた。でも、Kさんが小説を続けるという確証は掴めなかった。なぜ俳句? いや、短歌とおっしゃったんだったけ?

 ただ、こちらからお送りする作品は小説でもいいようだ。気に入らなければ、どんどん没にするという話だった。さっぱり呑み込めない話ではあったが、わたしは深入りを避けた。いつかKさんの個人誌に呼ばれるという言葉を今は希望としていたかった。

 Kさんはお医者さんらしく、「それで、あなたの体の具合は?」と訊いてきた。「あの街は遠いでしょ、ちょっと体調的に無理なんです」とわたし。

「1時間半だけどね。声は元気だ。お目にかかりたかったな」といってくださる。「もう少し元気になったら、文学論を交わしに行きますよ」とわたし。「呼ばれれば、こちらから、いつでも行きます」ともいってくださったが、社交辞令と受け止めた。診察の仕事もおありなのに、それは無理だろう。わたしのような若輩者にも対等に接してくださる心遣いが嬉しかった。

 で、わたしの評論『村上春樹と近代のノーベル文学賞作家たち』はなかなかよかったそうだ。「途中までは長々と引用ばっかりで、これは一体どがんなるやろかと思うとったら、最後にはきちんと纏まりがついていた」と、Kさんの方言交じりのユニークな口ぶりの底から匕首が光るような指摘。

「粗い作品であることは承知しています。これを、300枚くらいに膨らませたいんです」とわたし。ただ、内容が結構気に入られたことは感じとれたので、思わず口が滑ってしまった。「実はね、いずれK……論を書きたいと思っているんです」衝撃を覚えたようなKさんの沈黙。ありがたいことに、それは迷惑という感じの沈黙ではなかった。評論の腕を磨いた暁には、本当に書きたい。

 わたしのエールは伝わっただろうか。合評会・懇親会に出かけたとしても、これだけのことを伝えられるとは限らない。勧められたら、つい飲みたくなってしまうお酒……何をしゃべったかも記憶していられなかったかも……。他の同人のかたがたとお目にかかれないのは残念だが。

 ところで、同人雑誌が届くと必ずこの街での小さな合評会にお誘いくださるSさんから、そろそろお電話があるのではないかと思っていたら、お昼を回った頃にあった。

 あちこちの文学賞において百戦練磨のSさんの『鈴石』は、前日に読み込んでいた。

 こういってはナンだが、KさんとSさんの作風は対照的で、ウマが合わないようだ。わたしは同人雑誌でおふたりの作品を同時に読めた旨味を話した。時流に媚びず、そのために作家になれないところも、おふたりは似ているといった。

 高校の先生をしたあとカルチャーセンターで創作の講座を持っているSさんだが、生徒の中から賞をとる人が出てきたらしい。そのうちの一人と会う予定だそうで、「なかなか書ける人ですよ。出て来られませんか?」とおっしゃる。

「1週間は前にいっていただかないと、わたしは無理なんです。何しろ出るのに、時間がかかるんで」とわたし。「えー、同じ市内なのに?」と、お誘いのたびに同じ会話を繰り返している。行きつけの喫茶店がまた変わったようなので、教えて貰った。男性は学生みたいにフットワークが軽くていいなあと思う。まあわたしは特別行動が鈍くなっているのだが……。

 わたしの評論は評価を受けるのではないかといってくださる。「よく勉強されてるなあと思った。今は、評論を書ける人は少ないですよ。群像辺りに出してみては?」とSさん。「賞アレルギーなんです」とわたし。「そんなあ。出したからって、損はしませんよ」とSさん。そりゃ百戦百勝に近いSさんにとっては、そうだろう。わたしの作品は駄目だ。

 Sさんは文学界の裏側もかなりご存知だ。彼の反骨精神が作家デビューを妨げていることは間違いないようだが、そこのところはわたしもスケールは小さいとはいえ、同じ部類に属しているから、こうして電話をくださるのだろう。

 Sさんにいわせれば、わたしの作品は相当に個性的で、変わっているそうだ。そして、「男っぽい粗さがあるからなあ」と、今度はSさんの匕首がきらりと光った。それは認めざるをえないが、完璧な作風を物するおふたりから見れば、そりゃそう見えるだろうと自らをなぐさめた。

「やっぱり、そう見えますか、わたしの作品は。男性的で、荒っぽい?」と改めて訊くと、「顔を見ると、違うのにね」という答え。わたしはSさんにも、評論を300枚に脱皮させる計画について話した。「あなたの作品はすごく個性的だから、個性的な編集者に発見されないと駄目ですね。一旦好いたらどこまでも、という編集者はいると思う」

 出会っていないだけかもしれないと思えば、希望がわく。出会えないのも、作品がもう一つだからだろうと思っている。おふたりの作品の完成度の高さに学ばなくてはならない。

 そにしても、人の好みは違うもので、わたしの小説ではKさんには『侵入者』が意外にも好まれ、Sさんには、これも意外なことに『台風』が好まれているようだった。Kさんは『牡丹』がお嫌いで、Sさんはお好きだ。それを考えれば、自分が思うところの作品を手がけるほうが後悔が少ないという気がする。

 今回のSさんの『鈴石』は、何とも泥臭い、粘っこい、生と性の暗さを追求したような重苦しい、悲惨な、暗澹とさせられる作品だった。ここまでこの方面の追求ができる書き手は貴重だと思われた。

 が、これでは希望がない。ここまで希望がないのは、人物描写が深くないからではないだろうか。境遇の掘り下げと釣り合うだけの人物の掘り下げがなされていないと思った。

 どんなに悲惨なことが描かれていても、バルザックの作品に希望が満ちているのは作者の登場人物に対する理解の深さゆえではないかと考えられる。どんな登場人物も道具として扱われることが決してない。その違いではないかと思うのだ。村上春樹の作品が読後に気だるさを誘うのも、同じ理由からではないかと思う。

 わたしはうまく言葉が見つからないままに、人物描写に不足を感じるということを曖昧に述べた。勿論これは原稿枚数の問題ではない。また、「それにしても、この作品の世界にはリアリティがありますけど、どこまでが資料に添ったものなのだろうかと思ってしまいました」とわたし。彼の創作の秘密が知りたいと以前から思っていた。

「あ、ほとんどが創作です。あんなことがあるはずはないでしょ。勿論、前段階として調べたりはしますけど」とSさん。ああ、そうなんだと拍子抜けした。今回のストーリーでは、しゃれこうべに生えた骨茸という茸が出てきて、それは生前のその人の姿を現わすという言い伝えのある茸なのだ。

 ストーリーテラーSさんの作品にはよく骨が出てくる。骨腫に悩まされているわたしには、よけいに生々しく感じられる。

 作風は全く違うが、作品の完成度の高さ、登場人物の魅力が今一つという点で、KさんとSさんの作品に共通点があった。その点で登場人物の魅力も加えた今回のKさんの作品は、Sさんの作品に1歩先んじたとわたしは思った。

 大きな賞に輝いたKくんの作風はSさんと同じ系譜ですね、というと、「そうですよ。そう思います」という答えが返って来た。SさんはKくんの作品が好きで、応援されているようだ。

 同人雑誌は休刊になるけれど、こうして文学の話のできる仲間ができたことはありがたいことだとしみじみ思った。

|

2009年5月30日 (土)

同人雑誌の中の作品に感涙……

同人雑誌の中の作品に感涙……
 
 昨日、同人雑誌が届いた。休刊になる直前の号にふさわしい、充実した内容のものだと思う。

 何といっても、『雲の影』がすばらしかった。老齢となった恩師との交わりを丁寧に描いた作品で、美しいとしかいいようのない作品……。

 恩師は、『私』が医学生だったときの外科学の先生で、その関係の域を出なかったが、『私』は先生を憧憬し、敬慕していた。

 まるでそのときの思いが叶うかのように、恩師の退官後十年を経て、親しく交わる機会が訪れる。先生の人柄や趣味、家庭的な事情なども知るようになる。恩師との交際におけるエピソードが、次々と空を流れる雲のような筆致で書き連ねられていく。師弟を包む場景のため息の出るような美しさ。

 この作品の美しさとしっかりとした技法が古びることは決してないだろう。なぜ、Kさんは地方文士、地方名士の待遇に甘んじなければならないのだろう? なぜ、この人がわが国で著名な作家ではないのだろうか? 改めて考え込んでしまった。

 そうした辺りを探りたかったからこそ、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を書き、掲載していただいたわけだが、活字になってみると、このわたしの作品ではやっつけ仕事の粗が目立つ。

 過去記事でも書いたように、この作品を300枚の評論に脱皮させる計画があり、それには時間がかかるだろうから、満足のいくものではないが、とりあえず同人雑誌に載せていただいたこれを、当ブログ及びホームページで公開したいと思っている。

 合評会・親睦会には、体調のこともあり、行かないつもりだったが、Kさんの作品を読んで、行きたくなってしまった。明日までに出欠の葉書を投函しなくてはならない。体調のことを考えると、不安。困った。

 よい作品には無条件に、それが磁石であるかのように、引きつけられてしまう。前にもK  さんの『耳納連山』(53号)に引きつけられたのだった。

 それに、Kさんは、休刊に寄せた一文の中で、「休刊を期に、きっぱり文学をやめることを、私は決心した」なんてことを書いていらっしゃる。そんな馬鹿な……。

 唯一、これまでのKさんの作品を読み、わたしが物足りなさを覚えたものがあったとしたら、登場人物の平板さだった。その人物ならではのものを感じさせるまでには意図的にか、無意識的にか描きこまれていなかった。

 『耳納連山』では、一番の登場人物である妻が、あたかも自然の中に溶け込んだかのような濃密な存在感を醸していたが、この妻や他の登場人物の個々の人物描写という点では、従来の作品同様描きこまれていなかった。

 合評会で、わたしはそんなことをいったようないわなかったような気がする。でも、お手紙では確かに書いたと思う。

 それが、この『雲の影』では、魂を宿しているかのような自然を背景に、人が人として成立する条件的なものが、物心両面から細かく描かれていて、奥深い個性を形づくることに成功している。『私』の恩師はとても魅力的に描かれているが、それはKさんの精進の賜物だと思う。

 この作品を読み、真の意味で戦前と戦後をつなぐ架け橋となれるのが、Kさんではないかとわたしは感じた。

 世の評価が遅れることはよくあることだ。命ある限り、投げないでほしい。呼吸器科の医師として患者を生かすことに尽力してきたように、文学でもそうあってほしい。

|

2009年5月26日 (火)

シネマ『天使と悪魔』を観て:追記

シネマ『天使と悪魔』を観て

  実は、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論で扱われた概念は、わたしたち日本人には比較的肌に馴染みやすいものです。

 というのも、この論文は『ジヤーンの書Book of Dzyan』と呼ばれるキウ・ティ=シリーズ〔※『チベット大蔵経』のカンギュル(仏の教説の部門)の中のタントラの部分――H・P『・ブラヴァツキー著『実践的オカルティズム』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成7年)用語解説より〕の最初の巻の一つをもとに書かれているからです。スタンザ形式の詩に注釈をつけるかたちで書かれています。

 注釈には古今東西の科学・宗教・哲学・文学といった分野からの引用が絢爛豪華になされていますが、日本の宇宙発生論として記紀からの引用があったり、わたしの大好きなバルザックの文学作品からの引用もあったりして、興味が尽きません。

 ただわたしには難しすぎて、普段は『シークレット・ドクトリン』というすばらしい書物の存在すら忘れている始末です。何かの折にふと思い出しては紐解いてみて、その圧倒的なスケールと豊かな内容にひととき浸らせて貰っては、浮世の垢をすすぐといった風です。

 で、宇宙の進化COSMIC EVOLUTIONという『ジヤーンの書』から英訳された七つのスタンザがあまりにも美しいので、午前中、恥ずかしながら、ほんの最初の部分だけ、わたしも訳してみました。

1.決して見えないローブにくるまった不滅の親空間は、七つの永遠のあいだ、再びまどろんでいました。
2.時間はありませんでした。継続期間の無限の深みで熟睡していたからです。
3.宇宙魂はありませんでした。それを容れるア・ヒはいなかったからです。
4.至福に至る七つの道はありませんでした。不幸の大いなる原因はありませんでした。それらを生み出し、それに陥る者は一人もいなかったからです。
5.ただ闇だけが一切合切を満たしていました。父と母と息子が再び一つとなったからで、しかも息子は新しい車輪の車を運転しての巡礼の旅にまだ目覚めていなかったからでした。

 せめて9まであるスタンザ1を訳してしまうつもりでしたが、今日のところは5までで時間切れ……。英語力がほぼないも等しい上に、原文が異様に美しい、異様な事態を描いているからということもあるでしょうね。

 実は、午後からまた、過去記事で書いた映画の一つに娘と行きます。『ダウト』。メリル・ストリープ主演。

 では、わたしのお粗末な訳を忘れていただくために、H・P・ブラヴァツキー著『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)からスタンザ1の訳を以下にご紹介します。 

    宇宙の進化

『ジヤーンの書』から翻訳された七つのスタンザ

     スタンザ1

(1)永遠の親は常に目に見えぬ彼女の衣に包まれ、七つの永遠の間、再び深い眠りにおちていた。
(2)時間はなかった。継続の無限のふところで、熟睡していたからである。
(3)宇宙マインドはなかった。宇宙マインドを内に含むア・ヒはいなかったからである。
(4)至福に至る七つの道はなかった。不幸の大原因はなかった。それらを生み出し、それに陥る者は一人もいなかったからである。
(5)暗黒だけが無際限の一切を満たしていた。父と母と息子が、再び一体となったからである。息子は新しい車輪とその車で自分の巡礼の旅にまだ目覚めていなかった。
(6)七人の荘厳な主等と七つの真理は存在するのをやめていた。宇宙即ち必然の息子は、有るが無いそれに吐き出されるため、パラニシュパンナの中に浸されていた。何もなかった。
(7)存在の原因は除かれていた。かつて見えたもので、今は見えぬものが、永遠なる非存在、即ち唯一なるそれの中で休息していた。
(8)存在の唯一の形体だけが、果てしなく無限で、原因なく、夢のない眠りの中に広がっていた。そして宇宙空間の中では、ダン・マの開かれた眼によって感じられる偏在するものにくまなく、生命が無意識に脈打っていた。
(9)しかし、宇宙のアラヤがパラマルータの中におり、大車輪がアヌパパーダカであった時、ダン・マはどこにいたのか?

|

2009年5月24日 (日)

シネマ『天使と悪魔』を観て

 以下、とりとめない書きかただが、ネタバレあり。

゜。°。°。°。°。°。°。°。゜。°。°。°。

 カトリック教は、それ以前の貴重な歴史的資料を焚書にしたり禁書にしたりした。神秘主義者のわたしが『天使と悪魔』のような映画を見ると、どうしてもカトリック教によって損なわれた人類の知的遺産に思いを馳せずにはいられなかった。

 さすがに時代の要請からか、1966年にローマカトリックの禁書目録は廃止された。その目録には(ウィキペディアによれば)デカルトもカントも、わたしの大好きなバルザックも入っていた。エラスムス、キボン、コペルニクスもそう。尤も、カトリック教徒でない者の著作は、審査以前の問題とされたとか。

 時間が中世で止まったままであれば、まだしもだろうが、禁書にすべき書物は増える一方だっただろうから、対応が追いつかなくなったのだろう。

 映画に出て来たヴァチカン市国やローマは、何か壮大な骨董市のように見え、美しいのか不気味なのかわからないぐらいだったが、そうした景観を楽しませてくれるだけでも映画の価値はあると思った。

 イルミナティは、フリーメーソンと関係のあるラジカルな一派だと思っていた。モーツァルトがイルミナティではなかったか。イルミナティはフランス革命に関係したともいわれている。拾い読みしただけだが、映画の原作ダン・ブラウンの『天使と悪魔』(角川文庫、越前敏弥訳)には、わたしの知らなかったことがいろいろと書かれているようだ。

 『科学の祭壇』に生贄を捧げるという、映画では猟奇的に描かれた、あまりに非科学的で大時代がかった発想には気が萎えた。カトリック教の力が衰えた今、あのイルミナティであれば、そこまでしなければならない理由がどこにあるのだろう? イルミナティを使って科学に迎合する司祭たちを血祭りにあげた前教皇侍従カメルレンゴは、キリスト教の問題点を戯画化したような人物ではあった。原作の彼が前教皇の試験管ベビーというのは、ちょっと作りすぎでは……。

 カバラも、バラ十字も、フリーメーソンも、そして神智学も、同じカラーに彩られ、同じようなことをいっているように思えるのは、それが科学だからであり、地下に潜ったり潜らなかったりして(必要でなければモグラじゃあるまいし、潜ったりしないだろうが、時代によっては火あぶりだから)連綿と血脈を保ってきたのも、やはりいわゆる科学的な体質ゆえだろう。 実験結果は引継がれるものだから。

 そして、納得の行くまで実験が繰り返される中で正しさが確かめられては、新たな発見がなされてゆく。『天使と悪魔』に出てくるあのイルミナティのような悪い動機からだけ地下を生き抜くとは限らないのだ。名前を替えたりしながら、神秘主義の本質が科学である限り、人類と同じ長さだけ続いて行くのではないだろうか。

 映画からは話題が逸れるかもしれないが、火は古代から神秘主義者たちにとっては神聖な概念で、彼らは火について語ることを好んだようだ。そして、異端と断じられた彼らは、火によって処刑されたりした。神秘主義者は基本的に折衷主義者で合理主義者のはずだから、殉教と喜びはしなかったに違いない……。

 わたしを魅了する神智学の本にも、そうした犠牲を経て伝えられたものが散りばめられているのだろうと思う。

 古代、色の表現は数が少なかったように、火も、多くの意味を含んだ言葉だった。近代神智学の創始者ブラヴァツキーが書いた『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(田中恵美子&ジャフ・クラーク訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、平成元年)では古代よりは現代のわたしたちにも理解しやすい類の語彙が豊富となり、本編の後に議事録が収められている。その――一太陽プララヤ(※休息期)後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙発生論)だけが扱われた――論文に関する集会での質疑応答から、火に関係した断片を以下にご紹介してみたい。

 様々なコスモスの階層に於ける“火”という用語の色々な意味を教えてください。
 火は五大元素の最も神秘的で、最も神聖なものです。〔略〕オカルト的な意味の火はアイテルであり、アイテルは運動から生じ、運動は永遠の目に見えない暗い火です。光は最高の根源的なアイテルから空間の中の最小の原子に到るまで、自然の中のすべての原動力となり、すべてを支配します。運動自体は永遠であり、顕現世界ではそれは、この世界での電気、直流電気、磁気、肉体的及び精神的な感覚、想念、生命のアルファであり、オメガです。だから私達の世界に於いて、火は単に運動又は生命の現れにしかすぎません。
 バラ十字団のメンバーはあらゆる宇宙的な現象を“生きている幾何学”と呼びました。すべての極性のある作用は元素の極性の繰り返しにすぎないと中世の火の哲学者たちは言いました。というのは、運動は熱を生み出し、運動中のアイテルは熱です。それは速度が減じると寒気が生じます。なぜなら、“寒気とは潜在状態のアイテルである”からです。こうして自然の根本的な状態は三つの陽性のものと三つの陰性のものであり、その六つは原初の光によって総合されます。三つの陰性の状態は〔1〕暗黒と〔2〕寒気と〔3〕真空あるいは虚空です。三つの陽性の状態は〔1〕光(私達の世界の)と〔2〕熱と〔3〕全自然です。こうして火は宇宙の統一体と言えます。いわば燃料のない純粋で宇宙的な火はその普遍性において神です。なぜなら宇宙的な火、あるいはそれを呼び起こす熱は、顕現した自然の物質の各原子にあります。潜在的な火を含まない物、あるいは粒子は宇宙の中に一つもありません。

 〔略〕電気はどういう意味で“実在”と呼ぶことができるでしょうか?
 電気をその原初の力であるフォーハットと呼ぶ時だけです。実際は一つの力しかありませんが、顕現世界では、それは何億もの形で私達の前に現れます。先に言った通り、すべては一つの原初の普遍的な火から発しており、私達の世界では電気はこの火の最も広範な局面の一つです。人を刺すアザミから、人を殺す稲妻にいたるまで、小石の中の火花から体内の血にいたるまで、すべては電気を含み、すべては電気です。しかし、たとえば電燈の中に見られる電気はフォーハットと全く違うものです。電気は物質宇宙の分子的な運動の原因であり、地上界でもその役割を果たします。電気は物質の“本質”の一つです。というのは、ものの均衡が乱れる毎に電気が生じるので、そのものの中のカーマ(欲望)的な要素となります。だから何億もの相で現れる力の元々の原因として、またあまねく及ぶ宇宙的な電気の総計として、フォーハットは一つの“実在”です。
 しかし、実在という用語で何を示しておられるのですか? 電気も一つの実在ではないのですか?
 私は電気を実在とは言いません。実在(entity)という言葉はラテン語のesse“存在する”の語源である“存在”から来ています。だから、一粒の砂から一柱の神に到るまで、他のものから独立したものは何でも実在です。しかし普通の科学的な意味の“電気”は相対的な意味しかありませんので、この場合、フォーハットだけが実在と言えます。

 この集会は、1889年のロンドンで持たれたものだ。日本はこのとき明治時代で、帝国憲法が発布された年。もしブラヴァツキーが現代『シークレット・ドクトリン』を書くとすれば、クオークや反物質といった新しい科学用語も適切な箇所で用いたに違いない。

 健全な? 神秘主義者同士であれば、中世にもこのような会話を、古代の言葉に当時の最新? の用語を交えながら穏やかに、また熱心に話していたに違いない。しかし、そんな楽しいひとときを持つことは異端行為とされ、発覚すれば、魔法使いや魔女として火あぶりにされたりしたのだろう。

|

2009年5月12日 (火)

井上薫著『裁判官の横着』( 中央公論新書)

井上薫著『裁判官の横着』

 書店勤務の娘が、このような本が出ているというので、読んでみたいと思い、買ってきて貰いました。

 中公新書ラクレ 292『裁判官の横着 サボる「法の番人」たち』(井上薫、中央公論新社、2008年)

 著者は、判事職を経た弁護士。

 これは私事ですが、肉親の目では、何らかの精神疾患を疑わざるを得ない父夫婦だけれど、生活がきちんとなされているために、人権保護の観点から病院に連れて行くこともままならず、遠巻きに見守ってきて10年。

 その父夫婦にあらぬ訴えを起こされて一昨年に調停(不成立)、そして現在、同じようなあらぬ訴えを起こされて地裁で裁判中。

 初めての裁判は、驚きと疑問の連続でした(興味がおありのかたは左サイドバーからカテゴリー「父の問題」へどうぞ)。

 交替する前の裁判官が、どう見ても訴状を読んでいないとしか思えなかったことが、その一つでした。

 ネット検索をしてみると、実際にそのような裁判官はいるようでしたが、前掲の著書にも「第二章 訴訟記録を読まない――弁護士に怒られる裁判官」とあります。

 目次をご紹介してしまいますと、

まえがき

第一章 和解を勧める――当事者のため? 自分のため?

第二章 訴訟記録を読まない――弁護士に怒られる裁判官

第三章 法廷での内職――似顔絵、別の事件の起案、居眠り……

第四章 現地検証をしない――想像で判決を書く危うさ

第五章 蛇足判決を書く――長く書けば書くほど楽

第六章 判例に服従する――自分の頭で考えなくなった

第七章 控訴審での一審判決引用――読む人の苦労をまったく考えない

第八章 最高裁判決の三行半――これぞ究極の「横着」

 世の中に藪医者と呼ばれる医者がいることは知っていましたが、藪裁判官がいるかもしれないなどとは考えたことがありませんでした。恐ろしい話です。またこれが恐怖映画の中の出来事ではなく、わが国の現実であるとすると、恐ろしい話では済まさせない重大問題です。

|

2009年5月10日 (日)

あれこれ

 昨日は暑さのせいか、体調悪くて、胸は重く、おなかもパンパンに近かったのですが、今朝は快適なせいか(日中はわかりませんが)、胸は軽く、おなかもいくらか張っている程度で、体重は昨日より1.5キロも減りました。

 考えてみると、昨日のような体調の悪い日に循環器クリニックを受診すべきだったのでしょうが、瞼は鬱陶しく腫れていたし、胸からおなかにかけて苦しく、出かける支度をする気になれませんでした。日によって、体調が全然違います。

 今日は元気なので、エアコンの掃除をしようと思います。

 昨日、詩人(学生時代の文芸部の女性先輩をそう呼んでいます)から、夜、うろたえたような電話。

「わたし、昨夜遅くに電話しました? そして、そのとき、もう二度と電話しない……なんていったかしら?」と彼女。

「そんなこと、なさいませんでしたよ。なぜ?」とわたし。「夜の薬を飲んだあとに、自分がわからなくなって、夢遊病みたいに電話することがあるんですよ」と彼女。

昨夜、遅くに、誰かに電話をかけ、もう電話しないと語気鋭くいった記憶だけが残っているというのです。

 その後、話しているうちに彼女は陽気になりましたが、わたしはそろそろ彼女といくらか距離を置こうと考え出しました。

 というのも、昨日の彼女の電話からは甘える感じが窺え、話しているうちに遠慮のない口ぶりとなり、統合失調症という病気がなければ、そんな打ち解けた関係も楽しいのですが、彼女の場合は親密すぎる関係が出来上がってしまうと、暗転現象を起こすことがあるのです。

 身近で支えて来られたご家族や元夫で親友の男性は、いわば彼女の手持ちのカードとなってしまっていて、自他の区別がつかない存在となることがあります。

 いくらか常に距離を起き、彼女が溶解しえない堅固な他者でいようとしてきたわたしの手法は、彼女にはそのような存在が必要だとの直感から生まれたものです。

 彼女の症状に怯えたり疲労したりして距離を置くのではなく、サポートのために車間距離をとろうとするのですから、このことで彼女に真の孤独を味わわせることはないと思いますが、さりげなく車間距離をとるには結構技術が要ります。

 こんな具合に、30年近く経っても、試行錯誤の友人付き合いです。

 彼女と昨年、博多のツンドラというロシア料理店で、娘も一緒に会いましたが、わたしがトイレに立ったとき、彼女が娘に「お母様のお蔭で、これまで生き延びて来られました」いったそうです。

 そのときわたしは、今後も程よい車間距離をとっていこうと思ったのです。

 昨年彼女に内緒で入院したことは失敗で、車間距離のとりすぎでした。ただの検査入院だから話すほどのことでもないと思ったのは間違いで、長い留守は彼女を困惑させ、失意に陥れたようでした。

 知的な人ですから、入院であれ、裁判であれ、他の込み入った事情であれ、彼女に話して理解できないことは凡そないといってよいくらいなのですから、きちんと話しておくべきことはそうすべきでした。

 物事の核心を話せる貴重さからいっても、魂の渇きを潤してくれる精神性の高さからいっても、わたしにこそ彼女は必要不可欠な存在といってよく、この世から彼女がいなくなることは考えるのも恐ろしいことです。

 互いが生き延びるために、これからもない知恵を絞らなくてはなりません。

 息子は、東京にもだいぶん慣れたみたいです。人事部による全体研修は連休前までで終わり、専門に分かれての技術研修が始まったとか。各部署への配属、勤務地が東京と大阪のどちらになるかは、夏にならないとわからないようです。

 ところで、驚いたことに、息子が入ることを予想し、期待もしていた部署は、何となくなってしまったそうです。それを全くやらなくなったわけではないようですが、4年後ぐらいに再び立ち上げる計画はあるものの、今のところはなく、息子にとっては寂しいものがありそう。それでも、計算科学がやれることは間違いないそうなので、この時勢では、こんなことも仕方のないことでしょう。 

 でも、これで、勤務地がどちらになるのか、全くわからなくなりました。どちらも同じくらいの人数がいるそうですし。

 息子の社会人ドクター計画は変わらないようで、できれば来春から会社勤めをしながら研究室に籍を置きたいとか。いずれにしても、論文のことで、教授とは連絡をとる必要がある様子。

 会社では、技術研修でアメリカ、カナダなど海外に行かされることがあるそうで、ドクターコースへの進学計画を考えても、英語は必要らしく、勉強を始めたとか。

 大学受験では英語がネックでしたが(まあそれで教授に出会えたというトリックスター的なところはありましたが)、その頃に比べると、使う機会も増えて、そんなに苦手ではなくなったようです。それでも、英語をするよりは歴史の本を読んでいたいでしょうね。

 今息子が読んでいる歴史の本の戦後史に、三島由紀夫が兵役逃れの例として採り上げられているそうです。

|

2009年5月 9日 (土)

瞼が腫れて憂鬱。遺跡のこと。

 昨晩は珍しく、朝まで目が覚めず、起きたら、瞼が腫れていました。

 循環器クリニックへ行くつもりだったのですけれど、鏡を見て憂鬱になり、やめました。

 めったに目が腫れることはなかったのに、なぜか今年の春くらいからよく腫れるようになりました。

 アレルギーのせいでしょうか。呼吸器クリニックの受診は2ヶ月に一度なので、まだ先ですけれど、呼吸器クリニックはアレルギーの専門でもあるので、訊いてみようと思います。

 前回の受診時に、鼻炎っぽいときは、フルタイドを吸い込むときに、鼻のほうにまで行くような吸い込みかたをすれば、そちらにもいくらか効果があると教わりました。弱いとはいっても、ステロイドですもの、そりゃ効果はあるだろうなという気はします。

 循環器クリニックへは、12日までに行けば、薬は大丈夫。11日……月曜日の午前中がレッドクロスの整形外科なので、ついでに? そのあと、循環器クリニックへ行こうかな。

 今月は地裁に行かずに済むので、宇佐神宮と映画に行きたいね……と家族で話しています。

 ただ神社へ行くとなると、ロッキングする膝が問題です。整形外科で先生に訊いてみようと思います。

 宇佐神宮へ行こうとしたら、地裁から、初めての特別送達が届いて(1月21日)、それどころではありませんでした。

 娘、息子とは岡山で吉備津神社へ行きましたが、宇佐神宮へ行かないとすっきりしません。

 宇佐神宮の後継者問題がニュースで採り上げられていましたけれど、あれはどうなったのでしょうか。

 宇佐神宮は中国と関係が深いのではないかと思っていたら、それを裏付けるような資料に出合ったのに加えて、わたしの母方の祖母の家系がやまとのあやと関係がありそうだ(つまり中国と関係がありそうだ)とわかり、興味は深まるばかりです。

 卑弥呼の時代、両地域は同じ文化圏に属していたと考えられているからです。

 祖母の家系が中国からの渡来系であったとしても、年代の問題があり、そこまで遡るのは無理があるのかもしれませんが、いずれにしても、両地域は時期を同じくしてかずれてだか、中国との関わりが直接的な形であったことが考えられ、そこに卑弥呼の時代を解く鍵がある気がしています。

 祖母の実家が所有していた時期があったのではないかと想像する土地にある遺跡に、そんなことは全然思っても見なかった頃(昭和61年)に出かけ、強い印象を受けたわたしはそれをエッセー風の小品にしました。その断片をご紹介します。

[環濠内をめぐる。塵一つ落ちていない。「まむしに注意」の立て札が立ち入り禁止区域のあちらこちらにあった。復元された物見やぐらを仰ぎ、高倉倉庫を見、堅穴式住居に入ってみた。炉跡やベッド状遺構といったものを眺める。此処が布や壺や花で飾られていたとしても、わびしいものだ。弥生人の心境になって雨の音を聴く。ガイド・ブックには、この住居跡は弥生時代後期のものとあった。卑弥呼は弥生時代後期に活躍した。うーむ、「ぎ志『倭人伝』」に描かれているゆたかな文化と今わたしがその時代の人として味わっている文化が重ならないではないか。所在ない気分となって、わたしは堅穴式住居から出た。]
[雨の中、墳丘墓展示館がほの明るい。六基のかめ棺が穴の中で浮かびあがっていた。幾層にも土をつき固めた墳丘深く、崩壊したかめ棺があり、かめの中に半ば埋もれたかたちで(レプリカだろうが)銅剣とライト・ブルーの管玉が見える。土肌のなめらかな白さが、豪華だ。かめの内の闇に翠色の光が溶け込んでいる。深々と覗き込んでいたわたしは、ふと思った。かめの中の闇があかしの闇であることを。この闇が失われたものの闇であることを。]
[わたしは改めて、かめの内部を見た。半ば埋もれた、銅剣と管玉を見た。「わたしは高貴に生きたのです」と、闇が語ったのではなかったか。そんな気配をかめ棺の中の品性にわたしは感じ、求めた。求めずにはいられなかった。]

 携帯で書くのは一苦労ですね! なぜか(三国志に出てくる例の)『ぎ』が漢字に変換できませんでした。

 で、あのときわたしは本当に闇が語りかけてきた気がしたのです。気品のある闇……そのときまで、そんな闇をわたしは知りませんでした。これも、いわばmissing linkですね。

 父夫婦の起こした裁判で一緒に被告にされた従兄は、役所に勤めていますが、以前、あの遺跡のお蔭でイベントなど増え、忙しくなったとぼやいていました。

 わたしの母方ばかりか父方もあの土地に関わっていることが、不思議です。尤も、父母は遠縁であった可能性もあり、それほど不思議ではないのかもしれませんが。それでも、精神疾患の疑われる父の集めた書証の中に母方の祖父母の戸籍まであるなんて、偶然というには出来すぎています。

 わたしはいくつもの偶然(実は因縁かも)に導かれるようにして、卑弥呼の時代をリサーチするようになりました。

 その思いの核にあるものは、当ブログでも公開しているエッセー『卑弥呼をめぐる私的考察』にも書いたように、老子哲学の粋が、卑弥呼の時代にはわが国に伝わっていたのではないかというインスピレーションでした。

 生命の尽きるぎりぎりのときまで、アクティブに遊び、現実的な成果をあげることにチャレンジし続ける姿勢が賞賛され、いくらかでもそのための時間を延ばそうとする知的技術ばかりが求められているかのように見える現代日本。

 アメリカ的というべきか、現世利益思想でも本家の中国的というべきか、千葉敦子さん辺りの影響が案外強く、日本人の死生観を変えたのかもしれませんが、いずれにしても日本人の価値観は大きく変化し、得たものもあった代わりに失ったものも大きいという気がしてなりません。そんな中で、卑弥呼の時代の思想的背景を探ることは、わたしには意味のあることに思えるのです。

 気ままな長文になりましたが、卑弥呼関係の記事にはサイドバーから行けます。

|

2009年5月 8日 (金)

ひさしぶりに筑前煮を作りました

ひさしぶりに筑前煮を作りました
 昨日の夕飯に、土井勝先生のレシピを見ながら、久しぶりに『筑前煮』を作りました。

 亡くなった母は土井勝先生の料理の本から多くを学んでいたと思われ、本を購入してから既にいくつか作りましたが、その味は、なつかしい母の味と重なります。

 書店勤務の娘から教えられてわたしが購入した本は、息子さんである同じ料理研究家の土井善晴先生が監修された『土井勝 日本のおかず500選』(テレビ朝日コンテンツ事業部、1995年)です。

 本体価格2,427円。この値段で、わが国の家庭料理の原点にふれることができ、基本をマスターできるのですから、本当に安いと感じます。

 頁をめくっていくだけで、何とも大きな、温かで、ゆるぎないものに抱擁されているような安らぎを覚えます。わたしが料理の本に感動することは珍しくありませんが、涙まで出てきたのは初めてで、自分でも驚きました。

 本の帯には「親から子へと語り継ぎたい日本の味。家庭の味にこだわりつづけた料理研究家土井勝の日本のおかずの集大成」とあります。また、息子さんの「“家庭料理は、ご飯と一緒に食べておいしい味にするように” 父が残した“日本の家庭料理の原点” 時代が変わっても変わらないよさが日本のおかずにはあるのです」という言葉が、一輪の花のように添えられています。

 本の中の一品『きゅうりとたこの酢の物』を作ったときに、茹でだこに酢を振りかけて酢洗いするようにとあり、そうだった、このこまやかさ、丁寧さこそ、わたしが求め、そして忘れかけていたものだったと思いました。

 この記事は携帯からですが、修理に出しているパソコンが戻ってきたら、プチのほうで、土井勝先生の筑前煮のレシピをご紹介しますね。

| | コメント (0)

2009年5月 6日 (水)

続・騙し騙し。ホフマンの『スキュデリー嬢』。

 明日、連休中も騙し騙し使ってきたパソコンを修理に出します。どれくらいで帰宅できるかしら。

 この記事もパソコンで騙し騙し書いていて、普通に使用できてしまうのですが、オーバーワークかなと心配になる頃に案の定、ジーという音がし出すので、修理に出したほうがいいみたいです。

 5年間の保障契約の期間中でもあり、まだ引退には早いと思うので、無事復帰して? 頑張って貰いたいと思っています。

 わたしの心臓もこの連休中はもう一つで、調子が悪いとふくらみがちなおなかも、ふくらんだままです。家族は普通に仕事だし、別に何処へ行くわけでもなかったので、それでもよかったのですが、本当のところ、心臓の不調と腹部のふくらみが関係あるのかどうか、自分ではわかりません。

 前回の循環器クリニック受診の際に、そのことを先生にいってみたのですが、先生はとても念入りに聴診器を当てられて、何か考えていらしたのですが、それについてのお言葉はなく、薬は同じでした。

 昨日は買い物に出かけたのですが、おなかがふくらんでいて、パンツのファスナーが上まで上がりませんでした。調子がよいときは楽々上がることを考えてみると、やっぱり変です。普通に太ってこうなったとは思えません。胸の高さと腹部の高さが同じくらいにまでなっていました。

 ファスナーが上がらなくても、一応落ちてくる心配はなく、上着でごまかせるので出かけましたが、ファッションがこんな壊滅的有様だと買い物も冴えませんでした。

 すっきりとしたおなかのことを書いたのは、先月の17日のことでした。その記事がなければ、本当にわたしのおなかが出ていないことがあるなどとは思えないくらいです。今は、どう見ても妊婦状態ですものね。

 あまり自覚はないのですが、軽い胸の重さ(苦しさ)は慢性的にあり、横になるとよけいに苦しいので、寝るときは頭のほうをかなり高くします。目覚めると、胸は石を入れたみたいですし、肩から両腕まで何だか痛い。

 前の記事のニトロ舌下錠の写真は、それで朝使ったものです。狭心症の発作という感じではなくて、切羽詰った症状はありませんでしたが、具合が悪くなったときは舌下錠を――と前に先生がおっしゃったことを実行。

 1錠では楽にならなかったので、もう1錠。胸の辺りが涼しくはなりましたが、元気いっぱいという感じにはならず、まあ贅沢をいっても仕方がないかという感じです。まだ小旅行の疲れがとれていないのかしらね。

 パソコンが戻ってくる頃には、元気いっぱいになっていたいものです。

 午後、BS2で観た『レモニー・スニケットの世にも不幸せな物語』は、結構面白かったです。

 読もうとして放置状態だった偉才ホフマンの『スキュデリー嬢』(吉田六郎訳、岩波文庫)を、再び読み始めたところですが、ホフマンは面白いですね!

 ホフマンの『クルミわりとネズミの王さま』を子供の頃に読み、めくるめくばかりの煌びやかな作風、手に汗握る展開に、子供ながら呆然とした記憶があります。その『クルミわり』が岩波少年文庫から上田真而子訳で2000年に出て、手元に置いておきたいと思い、購入して数年になります。

 ホフマンは1776年生まれのドイツ・ロマン派の作家として知られているばかりか、画家、音楽家、脚本家でもありましたが、本来は法曹界の人で、ちくま文庫から出ているホフマンの『悪魔の冷酒』(深田甫訳)の解説によると、彼が法律を学んだケーニヒスベルク大学は当時、カントが牙城としていたとか。

新入生にはその哲学や論理学が必須科目となっていたが、ホフマンには関心のもてない講義のようであった。

 ホフマンは閉じこもって自習に励んでいたようで、カント哲学の思想的位置づけはともかくとして、何だかもったいないような話ですね。こんなものかもしれませんが。『クルミわり』の訳者あとがきによると、ホフマンは、

本職の裁判官としても、非常に有能な、しかも権力に屈しない公平な裁きをした人であったようです。

 ところで、今年に入ってから、わたしは精神疾患の疑われる父夫婦から、身に覚えのないことで訴えられました。〔興味を惹かれた方は、左サイドバーにあるカテゴリー《父の問題》をクリックしてご閲覧ください。〕

 ろくに読めもしないような訴状が民事裁判所に受け付けられたこと自体、衝撃的な出来事ではありましたが、それでも、あっというまに裁判は終わるだろうと高をくくっていました。

 それが意に反して、そうはならず、裁判官次第ではどんな運命に落とされるかもしれないという恐怖の体験をすることになりました。そして、まだ裁判中です。でも、裁判官が交替して、雰囲気がずいぶん――よいほうへ――変わったのです。

 これは今の日本における出来事であり、そこにはいろいろな問題が隠れていそうな気がしていますが、ホフマンが描いた世界における裁判といえば……。

 『スキュデリー嬢』はルイ14世統治下のパリが舞台で、火刑裁判所が出てきます。全く、ぞっとさせられる裁判所です。

 スキュデリー嬢は「平素は気品たかく、そのうえ、老人に似ず愛らしさ、上品さ、そのものであった」「品のよい詩と、ルイ14世やマントノン夫人の知遇で知られた人」と作品では描写されていますが、どうも実在した《当世風作家》だったようで、ホフマンはどういうわけで実在した人物をモデルに選んだのでしょうか。

 実在した人物をモデルにしたフィクションと見てよいのでしょうが、そのスキュデリーがどんな事件に巻き込まれ、どんな行動をとることになるのか、今後の展開が楽しみです。 

|

2009年5月 5日 (火)

友人とちょっと重いおしゃべり

 詩人(とわたしが呼んでいる学生時代の先輩)が最近落ち着かず、何だか支離滅裂なことばかりいうし、しきりにわたしに助けを求めてきた。

 わたしは昔から、彼女にとって、藁よりはいくらかましな木片なのだ。

 彼女が藁にも縋るほど心乱れていて、妄想に蹂躙されているときでも、そこまでなる主要な原因が必ずある。これまではそうだった。

 彼女の統合失調症の波から逃げないで、じっくり相手にならなければと思いながらも、わたしはそうすることを避けていた。

 そうなると、彼女は手をほしがる子供と同じだ。

 一昨日の午前中電話があり、出そびれたが、詩人だろうと思った。

 2時間後にまた電話があり、留守電に入れる彼女の声がしたが、わたしは迷いつつも出なかった。彼女らしい礼儀正しい話し方だが、うつろな感じで底知れない陰気さを伴っている。

 彼女はよく聞き取れない声で愚痴をこぼし、次いで忙しいわたしの心配をし、電話してくれといって切った。

 電話してくれといっている、もう逃げられないぞ、勘弁してくれ……相手にならなかったら彼女は自殺するかもしれない(昨年2度未遂があった)。ああご自由に。そこまで知るもんか。わたしのせいじゃない。父たちだって知るもんか。疲れているんだ、わたしは。何だってわたしの周りには、キチガイとかそれに近い人間ばかりいるんだろう。わたしの末路もそこへ行き着くんだろうな……と思った。

 裁判官が替わったことで、今年の2月から専念せざるをえなかった件の解決は近いと思われたが、父たちのことが解決するわけではない。そんな鬱々とした自身の悩みや体調の悪さもあり、詩人の病状がよくないことはわかっていながらも、このところしきりにかかってくる電話が億劫で、わたしは忙しさを口実に無難に応じていた。

 そして、留守電のときは出たくなかったのだ。それが夕方まで続いた。彼女をずっと支えて来られたご家族のお顔が浮かんだ。とりわけ、お母様のお顔が。そのお顔は、わたしの記憶の中では、昔お目にかかったときのままだ。

 夜になり、夕飯の支度が一段落したところで、よし、取り組もうと思い、電話をかけた。木片になる覚悟を決め、一緒に漂ってやるさと思う。

「お待ちしていました」と彼女。

 彼女は敏感な人なので、受け入れ態勢? の整ったわたしの雰囲気を感じとったらしく、やや明るいムード。

「で、彼と会って怖かったんですって? どうしたんですか?」と単刀直入に、興味深げに訊いた。聴く態勢さえ整えば、作家の卵のわたしには興味深くないことなど、およそこの世にない。

 こんなわたしの態度は、彼女を喜ばせる。妄想混じりの彼女の話ではあったが、ポイントを押さえるのに時間はかからなかった。それが、今回の彼女の不安と混乱の核心だろうと思われた。

 だが、その彼女の悩みは彼女に特有な悩みというより、多くの女性に共通する悩みといってよいものだ。それは、男に関する悩みだった。

わたしは毎日それに類したことを考えていると彼女に伝えた。別の男に逃避しようと考えたこともあるが、近頃はどの男も同じに見えてきたと我ながらトボけた口振りでいうと、彼女は噴き出した。

「結婚してからも、別の男性にときめくことがおありになりますの?」と、離婚歴があり、その離婚した男性と交際を続けている彼女は、貴族のような言葉遣いで少女のように訊いてきた。月一の割合であちこちの男にときめいてきたというと、彼女は爆笑し、わたしも噴き出した。

 元々がユーモアに満ちたセンスのよい会話をする人なので、こうなると楽しい。体調のよいとき、彼女は爽やかで素敵な人だが、妄想なのか悪戯なのかわからない会話が混じったりするのも、いくらか刺激的ではある。

 彼女は英語が上手で、近所の子供たちに教えていたが、わたしにある単語をいって、本来はないはずの意味を教えて面白がることがある。他にもわたしの記憶や能力を試されていると感じることが、普段でもよくある。子供みたいに茶目っ気があるのだが、これを書いている今でも、あの単語のことはからかいにしても、八百屋さんの話や秘密裏に行われたという同窓会の話は腑に落ちず、からかわれたのか彼女の妄想から出た話なのか判然としない始末。

 入浴していた娘があがってきた。娘は詩人のファンなので、電話を替わると楽しそうに話していた。

 あとで、「詩人さんの調子が悪いといっていたのに、ずいぶん爆笑していたね」と娘がいった。そう、楽しい会話となって、昨日は電話がなかったから、今回の嵐は過ぎ去ったと思う。

 こんな調子で30年近くやってきた。彼女には病気の波があるが、わたしにも気分の波があり、同情だけでは付き合えない。が、不思議にも赤ん坊が憎めないように、彼女本来の魅力に加えて、病気がもたらしたとしか思えない憎めなさがある。

 同様の何かしら憎めなさが父夫婦にもある。いや、わたしは憎んでもいるのだろうが……。

|

2009年5月 3日 (日)

タイトル未定短編小説のために #1

 同じこの世を生きていても、彼の世を視野に入れて生きる人と、この世でうまく生きることだけを考えて生きる人とでは、生き方がずいぶん違ってくることだろう。

 そのいずれの場合にも、段階が細かくあって、生き方は多種多様だ。同じ人間に見えているだけで、全く異なる生物がこの世を闊歩していると見たほうがいいくらいだろう。

 昨年の夏、レッドクロスに入院中、70歳くらいになる同室の患者さんが、当たり前のような口ぶりで、亡くなった彼女の夫が死後、火葬も何もかも終わったあとで、明らかに彼と感じさせる物音を家の中でたびたび立てた話をした。

 高齢の人々と話していると、こんなことは珍しくない。この世における政治・哲学・宗教・芸術などの流行がどうであれ、人間には本音と建前があるものらしく、大部屋での入院のような寝起きを共にする生活をしていると、建前に本音が溶け込んできて、思いがけない話が聴けるものだ。

 わたしは、人が死んだあと、彼の世に行くまでに、この世のことに整理をつけるための時間が――万人にかどうかは知らない――与えられることは確かだと感じている。

 その期間に起きたことを作品にしたものは少なくない。

 ニルスを書いたセルマ・ラーゲンレーフの『幻の馬車』(石丸静雄訳、角川文庫、昭和34年)はこの系列の佳品だが、おおかたの作品がわたしには嘘臭く感じられる。この世の建前がそんな作品にものさばっていて、つまらない。想像だけで作ると、そうなるのだろう。

 だから、わたしはこの期間に起きたことを題材とした自分にしか書けない作品を書きたい。 これこそmissing link――失われた環――だと思うから。現実以上にスリリングで美しいものは、この世にはないと思う。確かな感受力と描き出す知力・精神力さえあれば、現実は珠となるはずだ。

 第一段階としては、あまりいろんなことを考えず、とりあえずは手持ちの札を確かめることにしたい。知っていることを書いてみよう。料理でいえば、冷蔵庫の中にある食材を確認する作業だ。

|

2009年4月24日 (金)

同人雑誌のゲラが届きました

20090424124220

「この度は、少し無理を申しました」と編集人のお手紙にあり、申し訳ない気持ちになりました。

 勿論無理をいったのはわたしのほうで、ここが休刊になれば、しばらくは自分の作品が活字なることはないだろうと思い、最初からごり押しする決心でした。

 この『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、一応文学評論として読めるだけのまとまりをつけたつもりですが、物凄く書き足りない気持ちです。〔ホームページへの収録はもう少しお待ちください。〕

 そんな折り……昨日のことですが、ブッククラブ会員になっている藤原書店から届いたブックガイドに「河上肇賞」とあるのが目に留まりました。

■審査対象
・12万字~20万字の日本語による未発表の単著論文。
(一部分既発表可。詳細は事務局にお問い合わせください。)
・経済学・文明論・文学評論・時論・思想・歴史の領域で、狭い専門分野にとどまらない広い視野に立ち、今日的な観点に立脚し、散文としても優れた作品。

 とあります。同じブックガイドには、オルハン・パムクの続刊案内もあり、むくむくと意欲が湧いてきました。

 よし、藤原書店主催の河上肇賞を目標にしよう……と思いました。2回ぐらい後の締切を目処に。原稿用紙300枚から500枚というと、わたしの評論にはちょうどよい枚数です。

 その間に新しいノーベル文学賞作家が登場するでしょうから、プランに若干の変更が加わるかもしれませんが、村上春樹、オルハン・パムクに関してもっと書きたいのは勿論、ドリス・レッシング、ル・クレジオ各氏に関して前掲の評論では駆け足でしか触れることができなかったので、思うように掘り下げてみたいと思っています。

 この計画と並行して、当ブログでたびたび触れてきた例の生者と死者が登場する神秘主義的小説と児童文学作品『不思議な接着剤』の完成も目指す考えです。

 実は裁判が終わったら、家計的・体力的に無理をしてでも秋芳洞に出かけるつもりでいます。『接着剤』の計画はそういつまでも引き延ばせません。裁判はもうすぐ終わるのではないかという希望的観測が芽生えてしまっているわけですが、そうならなければ、準備書面と並行して神秘主義的小説を書き進めるだけのことです。

 そして万一裁判が長引くとなると、考えさせられることも増えるでしょうから、そのときはこの裁判に関することを〈一主婦が体験した民事裁判)といった感じのリポート風の作品にしてどこか出版社に持ち込む計画も芽生えてきています。

 こうした計画が全部片づいたら、卑弥呼と伊万里焼に戻ります。そのときまで命があればの話ですけれど。

|

2009年4月22日 (水)

裁判のこと。従姉とおしゃべりしたこと。

 娘がお昼休みに会社のネットで、原告である父たちの書証にあった某弁護士のことを検索したら、昨年*県弁護士会の会長をしていたと出たと電話してきたから、ギョッとして改めて準備書面を見てみた。

 そんな人に依頼しているのかと思って。

 でもよく読んだら、どうも逆に不満を訴えている気がしたのだが、何しろ、何を書いているのだか意味がわかりにくい。違うだろうとは思いつつも、そんな人がついているとしたら、どの方面から考えても大問題だわね……と思い、昨日電話したばかりだったにも拘らず、担当の女性書記官に電話して確認をとってみた。

 女性書記官の解釈では、父たちは、別件で依頼した書類がわたしたち被告のせいで戻されたと主張しているとのこと。

 わたしはついでに、原告らに反論しようにも、訴状も準備書面も読めたものではなく困っていると話した。文章の意味が通らないと書きたいというと、彼女は「それは書かれても構いませんが、訴えが多いですからね、全体的なこととして、争います――で構いません」という。

「それは答弁書に書いたことですが。個別に当たっていかなくてもよろしいのでしょうか?」というと、「そうですね、そうしたら、一つ一つ指摘して否認すると書いたらいいと思いますよ」と女性書記官。

 続けて彼女は、準備書面は裁判官から指示が出たときに出す程度でもいいといった。

 今回の裁判官の宿題は、原告らに対して証拠があるなら全部出しなさいということで、被告に向けたものではなかったから、わたしたち被告は準備書面を出さなくてもいいらしい。

 準備書面を出してもいいが、口頭弁論が終結になる可能性もあり、そうなったら無駄になるのだそうだ。

 そういわれると、これで裁判が終わるのかと楽観したくなるけれど、まだ気を抜くわけにはいくまい。

 ただ昨日あれから女性書記官はこの事件に関して読んだのか、昨日よりは事情がわかっている雰囲気だった。それに、書類は「今、上の裁判官のところにありまして」といっていたから、もしかしたら調べに入ったのかもしれない。

 ボイスレコーダーによる証拠集めの件、その他は、来週の口頭弁論に出てから、それが必要かどうかを決めることにした。

 被告仲間? の叔母に電話をして女性書記官の話を伝えると、たった今、準備書面を出してきたところだといった。昨日彼女は、身の潔白を立証するために関係機関に出向いて質問するなどの行動に出たのだった。

 高齢なのに、上品でしっかりとした叔母は本好きで、今も図書館からよく何冊も借りてきて読んでいる。こんな局面でもへばらず、準備書面のような厄介なものを自分で書けるのは、そうした趣味のお蔭ではないだろうか。

 わたしは叔母をねぎらった。

 何年も親戚とは距離を置きがちだったが、父方の親戚とはこの件でぐっと近しくなった。母方の親戚とは子供の頃から中学くらいまで、ひじょうに親密だったけれど。

 その母方の従姉に一昨日、何となく参っていたわたしは甘えたくなり、電話をした。裁判のことを話した。

 わたしはこの裁判のために父の集めた戸籍抄本で母方の祖母(従姉にとってもそうで、彼女の母はその長女、わたしの母はその末娘で、この姉妹は親子ほど齢が離れていた)の旧姓がわかったということと、やまとのあやの話をした。

 従姉は祖母の旧姓を覚えていた。わたし同様、雄大な話が好きなので、わたしたちの祖先が大陸からやってきたかもしれない話に、大いに盛り上がった。

 そんな雄大な話からすると、ぐっと小さい、日本の近代の話に下るが、祖母が大庄屋の出で、お姫様と呼ばれて育ち、輿にのって警官の家にお嫁に来たという話を子供の頃に誰かから聞いた記憶があった。その話が、わたしはどうもぴんと来なかった。

 が、それは本当の話だそうだ。祖母は*藩の重臣の家に育ったらしい。有名な軍人(彼女の母から名を聞いたそうだが、忘れたとか)が仲人だったという

 警官といっても、管理職で、当時の警官というのは権威があったらしい。祖父母の家に、お手伝いさんは3人いたそうだ。末娘の母が子供の頃に祖父母は亡くなり、母は苦労した。祖母の躾はひじょうに厳しく、また優しかったそうで、男女分け隔てなく、子供たち全員に仕事が割り当てられていたという。

 この祖母は心臓病だったと聞く。従姉の母であるわたしの伯母も心臓病で、二人とも、あるとき突然倒れて亡くなった。だから、わたしもそうではないかと想像しているのだが、今、わたしが心臓疾患で苦しんでいるのも、その祖母や伯母と同じ血かと思えば、まあいいかという気もする。

 尤も、父方の祖母も心臓病だったから、わたしが心臓病でないというのは変なくらいなのかもしれない。父方の祖母も大好きだったから、実は心臓病で少し嬉しい気もしている。死ぬなら、両祖母と同じ病気で死にたい。

 従姉の話で、昔の警官は権威があったという話がどうしてもぴんと来ず、歴史に詳しい息子を例によって事典代わり。息子は次のようにメールで書いてきた。

「確かに警官といっても、管理職は位が違う。昔は警察は内務省直轄だから、多分、内務省の官吏なのでは。戦前は警察署長も県知事も内務省の官吏だから。エリートだったろうな。」

 祖父は、よいエリートだったのだろうか。何だか最近、わたしはいやらしいエリートによく出遭う。

 電話を切ろうとすると、「そんな、裁判のような、小さなこせこせしたことに負けちゃ駄目よ、Nちゃん」と従姉は励ましてくれた。 

|

2009年4月20日 (月)

証拠集めにボイスレコーダー

 体具合が珍しいくらいよかったのに、父夫婦の準備書面を見て具合が悪くなり、心不全の症状が出たためか、またおなかが膨らみ、寝たり起きたりだった。

 健康だった頃のわたし――昔話になってしまうが――でありさえすれば、父たちの準備書面を見たところで今更どうということはないだろうし、今頃はボイスレコーダーを購入して、証拠集めのための小旅行に出ていたところだろう。

 ちょっとしたことで体に響き、寝込んでしまうのは情けないが、いくらか回復したので、鈍いながら行動を開始し、とりあえず担当の女性書記官に以下の3点を問い合わせた。

  1. ボイスレコーダーで証拠となりそうな言葉を録音したものが提出可能か? 可能だとしたら、記録媒体は何が適当か。
  2. 原告らは、被告であるわたしたち姉妹にセカンドハウスありとしており、否認したいが、原告らのその妄想のお蔭で家に押しかけられるなどの被害に遭わずに済んでいる。この場合の対処法を教えてほしい。
  3. 一昨年の調停のときの書記官、調停委員を証人として呼ぶことができるか?

回答は次のようなものだった。

  1. ボイスレコーダー(ICレコーダーなど)で録音したものも証拠品として提出可能。その場合はCD-Rかカセットテープで提出して貰いたい。
  2. セカンドハウスがあることの立証責任は原告にあるから、こちらが採り上げる必要はない。
    ちなみに家に押しかけてくるなどの迷惑をかけられたくなければ、家裁で調停を申し立てることを勧める。
  3. 一昨年の調停のときの書記官や調停委員を証人として呼ぶことは、基本的には裁判所が認めれば自由。

 3.は参考までに訊いてみた。1.は、必要を覚えて尋ねた。

 それというのも、父夫婦は脅迫じみたやりかたで署名させたり、用途を説明せずに署名を集めたりしたようなのだ。それらが証拠として提出されたが、それらは違法に収集された証拠で、証拠として使えないのではないだろうか。

 尤も、それでなくとも、それらが証拠として成立するとは思えないのだが。

 父夫婦は、わたしたちが父の財産を狙って、父がそこに住んでいないことにしようとしているといい、自分がそこに住んでいるという署名を集めた。亡き母の友人からまで!

 そのなかに、妹の友人の両親と、民生委員さんが入っていたので、妹がそのときのことを尋ねたところ、皆、その署名が裁判に使われることを知らされないまま、父がそこに住んでいることは間違いないので、妙な気がしながらサインしてしまったそうだ。

 脅迫じみた署名をさせられたのは父の亡くなった弟の奥さんで、わたしたち姉妹は彼女が父の愛人だという悪質な噂を広めたことになっているという。奥さんが裁判などには関わりたくないと拒んだにも拘らず、父夫婦は彼女を車に連れ込み、強引にサインさせたらしい(何ということを!)。

 彼女は、「亡き夫の兄という関係で、他は一切関係ありません」と書かされている。

 そもそも、わたしたちが父の財産を狙っているという証拠、噂を広めたという証拠を集めなければ意味がないだろうに、父は自作自演のパフォーマンスのために強引に署名を集めた。

 それらが証拠として成立するとは思えないが、被告であるわたしの立場としては、父が違法性のあることをした証拠とするために、そのときの状況を署名した人に語って貰い、録音したものを提出したいと考えている。

 愛人でないと書かされた奥さんはすっかり怯えて電話に出ないことにしているらしいので、葉書を出してみようと思う。そのときのことを話して貰えればと思うが、無理強いはできない。

 それをしたら、父子して彼女にひどいことをすることになる。葉書を書くだけでもひどいことをすることになるのかもしれないが、父のしたことは違法性のある行為で、同じことをさせないためにも、なかったことにはできないと思うのだ。

 女性書記官から質問の回答を引き出すまでには時間がかかった。裁判のスタート時から書記官にはちょっと鈍いところがありそうだと懸念を覚えていたが、その懸念は当たっていたと思う。

 口頭弁論は既に2回終了しているにも拘らず、「ちょっとお尋ねしていいですか?」といって身分関係から訊かれた。各人そのことは準備書面に書いているだけでなく、口頭でも述べたのに。この事件の概要がさっぱり呑み込めていない様子。

 一昨年、全く同じような理由で調停を起こされ、そのときの書記官は訴状を見ても何が何だかさっぱりわからなかったといい、調停委員たちは父夫婦に何らかの精神疾患がありそうだと感想を述べ、不成立に終わった。そのことを女性書記官に何回か話したのに、三歩あるいたら忘れるのか、女性書記官の初めて聴いたような雰囲気は心細い。

 調停のときの男性書記官が、最初から何もかも呑み込んでいるような雰囲気を漂わせていたのとは、あまりにも対照的。

 幸い、女性書記官からは「また何かありましたら、お電話ください」といって貰えたので、今後は時々理由を作って電話し、彼女がこの事件に関してどの程度呑み込めているのか、それとなく確認をとろうと思う。職務怠慢としか思えない怒りっぽい裁判官と彼女の組み合わせで、わたしたちは最悪のコンビに当たったのかもしれない。

 民生委員さんは、父の奥さんが「先生が、こう書いたほうがよいとおっしゃった」というのを聴いている。父夫婦には弁護士が悪知恵をつけているのだろう。訴状や準備書面が正しいスタイルを備え、支離滅裂な内容の中にも妙にまともな言葉や法律用語が混じっているのは、その入れ知恵のせいなのだろう。

 その人が引き受けなければ、今回の裁判は発生しなかったかもしれない。

 調停のときからこの民事裁判まで、地位も権力もお金もありそうな専門家の人々の厭らしさが目につく。わたしたちの本当の敵は、そうした厭らしいものなのかもしれない。

 勝つには、用心と工夫が要りそうだ。

|

2009年4月19日 (日)

いくらか、ましに

いくらか、ましに

 午前3時半。眠れないので、ナルニアを見ていました。

 本来は悪の性質を持つわけではない冬を悪の鋳型にはめていたあの物語と違って(ジョージ・マクドナルドの北風の描き方との違い!)、父夫婦の起こした裁判には悪者が誰もいません。

 妄想の中でとはいえ、父たちは自分たちが正しいと思って「戦って」いるわけですし、訴えられた側のわたしたちには訴状の内容すら理解できないくらい身に覚えのないことなのですから。

 だからこそ、徒労感が募り、特に従兄が仕事も大変とあってやつれが目立ちます。

 父夫婦がある人に話したところによると、最初は今の地裁では裁判できないと断られたらしいのです。他の地裁にも話を持っていって断られ、最終的に東京まで行き、そこで裁判可能な訴状と判断され、再び今の地裁で裁判することになったとのこと。

 今の父夫婦の頭がまともとは思えないので、本当のことなのかどうかはわかりませんが……。

 こんなアホらしい裁判で負けたり、途中で死んだりしたら、本当に犬死です。わたしは実は犬年なんです。

 別にこんな裁判に命をかけるわけではありませんが、元々がぎりぎりの体力で日常生活を送っていたわけですから、オーバーワークとならざるを得ず、この先が思いやられます。

 口頭弁論の日以前にこちらの準備書面を提出できるかどうかわかりませんが、父夫婦の証拠集めの段階で、署名した人が父夫婦に半ば強制的に書かされたと聞いたということは、書こうと思います。事実であれば、これは犯罪か犯罪紛いの行為です。

 このことを考えると、果たして、今度の裁判で悪者はいないのだろうかという疑いが生じてきます。父夫婦を頭がおかしいと決めつけずに、真剣に疑ってかかる必要があるかもしれません。少なくとも、全員に裁判能力があると判断されて裁判がスタートしたわけですから。

 準備書面には、文章が意味をなしていないということ、証拠が証拠になっていないことも、具体例を挙げて丁寧に書きたいと思います。

 原告の反論で間違っているところも、コツコツ指摘していかなければなりません。積極的に証拠を求めていきます。

 ですが、果たして担当の裁判官は、ちゃんと読んでくれるでしょうか。読んで貰えなければ、せっかくの苦心も水の泡です。でもこんな戦は文学賞応募で慣れていて、わたしには鍛えぬかれたものがあります。

 父の奥さんの準備書面に次のような一節がありました。
「二階のルームにはレコード類で呪いとかお金があればあるほどよいという内容のものあり、結婚写真のそばには前妻他界の2ヶ月ほど前4月発行の厚い自殺方法記載本があり、雰囲気の悪さには唖然とさせられました」

 こんなことを書かれると、途方に暮れてしまいます。

 長い長い一生懸命書かれたような準備書面で、読みながら何度も天を仰ぎたくなりました。父夫婦の準備書面を読み出すと、胸が苦しくなり、おなかが張ってきます。ニトロ舌下錠を頼みとしながらの作業です。

 これでまた、しばらくの創作の中断です。

|

2009年4月18日 (土)

30代のM様からいただいたメールをご紹介

20065月3日から7日にかけて当ブログで連載したわたしのエッセー――村上春樹『ノルウェイの森の薄気味の悪さ』――はお陰様で訪問者で賑わい、真摯なコメントも複数頂戴しましたが、現在では迷惑コメント対策のため、コメントの受付を停止しています。

その記事に、最近になって30代のM様からコメントをいただきました。受付停止後ですので、メールをさせていただいたところ、数回のメール交換があり、その中で鋭い指摘をいただいたり、わたしが前掲のエッセーを包含する形で取り組んでいる評論に役立つような参考文献を挙げていただいたり、またハーブに関してもいろいろと教えていただきました。

アクセス解析によりますと、当ブログには、村上春樹の作品に疑問を覚えている方、あるいは心臓疾患の方やハーブに興味のある方が比較的よくお見えになるようです。そこで、M様のメールから一部分ですが、公開の許可をいただきましたので、以下にご紹介します。

私は村上春樹の小説は、資本主義経済によって生み出された化け物だと考えています。

でも近い将来、資本主義社会が終焉を迎え、村上春樹もドン詰まりになるのではないかと。ただしそうなっても 多くの人はその変化を急には受け入れないだろうし、村上春樹のファンだった人たちが覆るとは思えず。。

そういう意味で、なぜ村上春樹はダメなのか?を一般の人から学歴ある方々まで説得する必要がある気がします。

マダムNさんの考察が村上を批判しきれないでいる文学者を圧倒できるといいですね!私はどちらかというと、自分に学歴がないこともから、同じようなレベルの方々を説得できるような論文を書きたいと考えています。しかしなかなか難しいですね。仕上げることができたらご連絡します!

それから さしでがましいようですが、心臓が弱い方はいっさいカフェインを絶ち、ホーソンベリーというハーブがお勧めです。

ハーブティーとして飲用。副作用のない穏やかな効き目があるので、基本的には医師に相談は不要ですが、もし自然療法に理解ある医師でしたら、ぜひ相談してみてくださいね。

一般向けでも良心的な本が少ないけれど存在しますよね。ハーブやアロマはマダム世代の方にお勧めですよ!私は資格を取得、都心のスクールへ通い独学もしましたが、仕事には繋がりませんでした。

以前ラベンダーの話題のブログを見ました。生のハーブもお風呂を沸かす前に花や葉、(茎ごと何本かでも)浮かべると精油成分がでやすく、お手軽です~。

 その後、ハーブに関する補足説明をいただきました。そのまま、紹介させていただきます。

ハーブの作用は紹介した二つは基本的に安全性の高い植物です。

ハーブの中には薬と併用できるものと、できないものがあります。

飲用する場合は注意が必要ですが、ホーソンベリーに関しては私の調べた限りでは、同じ効能、安全性が掲載されています。ラベンダーは、扱いやすい精油としてアロマの中でも、有名ですが、あくまで100%ナチュラルであることが前提となります。生のハーブから抽出される精油は3%未満ですからアロマオイルを使うよりは香りは高くありません。リラクゼーションには十分効果あると思います。

小さなお子さんやペットがいるお宅でのアロマオイルの扱いには注意が必要です。

今回私の紹介したものに関しては、まず、危険性はないです。アロマを含めたハーブ全体の扱いに関しては自己責任で、というのが、この業界の現状です。追加で付け加えていただければ幸いです。『各自、医師と相談するなど自己責任でお願いします。』と。

あと、カフェインに関しては ぶ厚い研究本、薬学博士の本を読み、私も実感してます。心臓に負担がかかるようです。睡眠の質も下げるようです。私は特にドリップしたコーヒー『スタバ』通いも止め、飲み物は なるべく麦茶などにしてます。ホーソンベリーは少々お値段高めですので。私は時々少量購入しています。

効能に関しては個人差もあると思いますが、各自本で確認したり学んでいただければと思います。主な本は 生活の木 というアロマショップで手に入ります。だいたい全国にあると思いますが… 比較的良心的な価格で 広く利用されているお店です。私はよく利用してます。

アロマやハーブを取り入れる際は 通常は予防で利用すると書かれています。しかし、たとえば精神疾患で薬を服用されている方も、アロマの量を通常の半分にして、薬と併用したり、時間をかけて薬の量を減らせることも可能らしいです。

薬を服用している方は急に薬を止めてはいけません。最低でも半年かけて、徐々に減らす、というのは精神疾患の薬に限らずだと私は考えます。

医師に自然療法を尋ねても理解を示すことは少ないでしょう。ですが、私が言いたいことは、強いカフェインが心臓によくない、ということを医者は知らない。だから患者にコーヒーを止めるように言わない。医者は薬を売るのが主な収入源です。だから病気の原因を追求しない。薬は症状をやわらげるが、治療ではないですよね。

ハーブは体質を改善するのに有効で、根本治療を目的としますが時間がかかります。ホーソンベリーの記述は、私の読んだ本には進行した心臓疾患にもはたらきかけると書かれています。著者はドイツの医学博士を含め自然療法の研究者が書いているので私は信頼できると考えます。日本の医者はまだまだ化学療法に傾いているので、おおかたいやな顔をされるでしょう。

 プランターに茂っているラベンダーをどう使っていいのかわかりませんでしたが、そのまま使えるとあったので、さっそく入浴時に湯に浮かべてみました。コーヒーは心臓によくないんですね。生活の木にはよく行くので、ホーソンベリーを試してみたいと思っています。

M様の論文の仕上がりが待ち遠しいです。

続きを読む "30代のM様からいただいたメールをご紹介"

| | トラックバック (0)

2009年4月16日 (木)

ジェイ・ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(畔柳和代訳、新潮社、2006年)を読んでⅠ

20090415131710

 村上春樹の作品を世界的なヒットにつなげた男ジェイ・ルービン。翻訳家、元ハーバード大学日本文学教授。

 ジェイ・ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』(畔柳和代訳、新潮社、2006年)冒頭に、「本書のための調査研究をはじめるにあたり、社会科学研究協議会およびアメリカ学術会議協議会の日本研究のための合同委員会から、全国芸術機構の提供による助成金を受けた」とあった。

 ネット検索したところ、ルービン氏の奥さんは佐賀県の小城出身で、よく佐賀を訪れるという記事が出てきて、びっくり。世界は広いようで、狭い……?

 春樹の生い立ちから作家になるまでの経緯、作品が世界的にヒットするまでの経緯がよくわかる。ルービン氏は日本文学の研究家とあるが、評論能力には不足を感じる。

 とはいえ、この本を読むと、彼が同じ創作スタイルを保っていることが村上春樹の作品を全部読んだわけではないわたしにも、わかる。気分に任せた、自動筆記のような書き方で、そこに主観的な歴史観を注入したような創作法。

大作を構想中だったが、それは恐らく余りにも大作でありすぎたのだ。というのは、それは「不思議な紆余曲折を経てぱっくりとふたつに細胞分裂し、」次の二作の長編『国境の南、太陽の西』(1992)と『ねじまき鳥クロニクル』になったのである。前者は以前の作品で仕残したことの総仕上げとなり、後者は歴史研究の成果を得て、多くの評者たちから村上の傑作と見なされている。

 肝心のルービン氏は二作をどう見ているのか。

 以前の作品で村上春樹が仕残したことの総仕上げという『国境の南、太陽の西』だが、何度読み返しても、ルービン氏のいうセールス・ポイントが作品のどこにあるのか、わたしには呑み込めなかった。

 「資本主義の原理に対して『ノオ』と言った、1980年代後半、70年代初期の反抗的な学生たちの一人でありながら、いまは『より高度な資本主義の原理』に従って機能する世界で生きている」というハジメ。

 バーとジャズ・クラブを経営し、結婚して小さな娘が二人。経済的独立への近道を義父の金によって得たという罪悪感を自覚し、「これはなんだか僕の人生じゃないみたいだな」とふと思ったりするハジメの前に島本さんという幼馴染が現れ、関係を深めていくが、彼女は実在の人物とも幻想の産物ともつかない存在。

 妻に島本さんのことを打ち明けたあとで、「私の考えていることが本当にあなたにわかっていると思う?」と尋ねられ、今度は妻の心へと入っていく。

 ここで購入したばかりの『国境』の最後の辺りを確かめてみると、ハジメを責める妻の言葉は案外生々しい。妻であれば、いいそうな言葉だ。

 ただ、ルービン氏はハジメが妻の心に入っていくと解説しているが、ハジメが妻の心に本当に入っていったようには、わたしには読めない。『ノルウェイの森』のワタナベくんがそうであったように、相変わらずハジメは相手をわかろうとする代わりに、欠落だのたどり着かないだのと自分のことばかり。

 傷ついた妻の言葉の生々しさから判断すると、島本さんのような女性と実際にハジメは浮気をしたのではないだろうか。それにも拘らず、彼はそのことを幻想化して自分をも妻をも欺こうとしたかに思える。わたしにはそうしか読めない。 

 ところで、学生運動世代の村上春樹はどんな大学生活を送ったのだろうか? 以下は、ルービン氏の著作からの引用である。

 翌年、早稲の学生ストライキは、五か月にわたり授業をすべてつぶした。だがバリケードが築かれたあとも、村上は集団行動に惹かれることはなかった。彼はセクトの一員としてではなく、つねに自分自身として行動した。「学園紛争に個人的に興味があったから、出入りがあると石を投げたり、殴り合っていた。ただ、バリケードとかデモとか、組織で何かやるようなことは不純だと考えていたから、参加しなかったなあ」。(デモで)「手を繋ぐことを考えただけでぞっとした」と述べている。やがてライバルの過激派グループ同士が衝突するようになり、村上の心はいっそう離れていった。彼はのちに『ノルウェイの森』でキャンパスの過激派たちを風刺する。そのなかに、二人の活動家が授業を乗っ取る場面がある。

 何とまあ、驚くべきことが書かれているではないか。村上春樹は作家としての自覚以前に大人としての自覚を欠いていると感じていたが、ここでは、子供の意識のままで大人になりかけている彼の青年期の姿が浮き彫りになっている。

 わたしが学生だった頃は学生運動の残照があったというくらいだったが、それでも学生運動に関わり――極左翼だったのだろうと思うが――、成田へ出かけ(三里塚闘争)、火炎瓶を投げて逮捕された人を知っている。長く続いた裁判が相当に応えていたようで、憔悴している姿を見たことがあった。その後は逮捕されないような社会の枠内で、活動を続けていると彼の奥さんから聞いたことがある。「彼の活動にあまり賛成はできないけれど、思想を貫いているところは立派だと感心せざるをえないわね」と奥さんはいっていた。

 村上春樹もどう言い訳しようが、学生運動に関わっていたわけである。逮捕されなかったのは、運がよかっただけの話だ。その自覚がない。当時がそうだったというのであればともかく、 今尚そのような自覚のなさなのだろう。

 ルービン氏は次のようなリポートもしている。

 芦屋市で過ごした中学時代については、教師に殴られた記憶しかないと書いている。村上は教師たちを嫌い、彼らは勉強しない村上を嫌った。神戸高校に進んでからも勉強はしなかった。ほとんど毎日のように(大好きだが下手な)麻雀をして、女の子と遊び、ジャズ喫茶や映画館に入り浸り、煙草を喫み、学校をさぼり、授業中に小説を読んでいたが、落ちこぼれたことはなかった。
 若いころのこうした経験を見るかぎり、彼は大勢のなかで目立たないままでいてもおかしくなかった。格別ストレスをもたらさない、静かな郊外に暮すいい子だった。

 いえいえルービンさん、あなたの認識は間違っています。村上春樹は当時の日本の基準からいえば、立派な不良です。 

 これは重要なことだと思うが、村上春樹には、物事を単純化してレッテルを貼りつける癖がある。オウム事件の暴力も第二次大戦における日本軍の暴力も、あるいはこれは想像の域を出ないが、教師から殴られたという暴力も、春樹の頭の中では一緒くたとなって溶解し合い、同じレッテルが貼られているのではないだろうか。

 暴力沙汰のみならず、何事も、見かけほど単純ではない。原因が複雑に絡んでいることが多く、一緒くたにはできないのだ。文学は本来、単純に見える物事の舞台裏――その複雑な事情――に理智の光を当てるものではなかったか。

 その辺りのことを考えながら、ルービン氏の著作を追って、今度は『ねじまき鳥クロニクル』を見てみたい。〔続〕

関連記事:村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』

|

2009年4月10日 (金)

杉田久女の桜の句をご紹介

 過去記事で予告しました、杉田久女の桜の句を『杉田久女全集第一巻』(杉田久女著、立風書房、1989年)よりご紹介します。三の楊貴妃桜を詠った諸句のうち二番目の句は、名句の多い久女の句の中でも特によく知られた句です。わたしは三の最後を飾る句も好きです。

  桜の句

一 延命寺(小倉郊外) 三句

釣舟の漕ぎ現はれし花の上
花の寺登つて海を見しばかり
花の坂船現はれて海蒼し

二 阿部山五重桜(花衣所載) 四句

傘をうつ牡丹桜の滴かな
うす墨をふくみてさみし雨の花
雨ふくむ淡墨桜みどりがち
花の坂海現はれて凪にけり

三 八幡公会クラブにて 六句

掃きよせてある花屑も貴妃桜
風に落つ貴妃桜房のまゝ
花房の吹かれまろべる露台かな
むれ落ちて貴妃桜房のまゝ
むれ落ちて貴妃桜尚あせず
きざはしを降りる沓なし貴妃桜

|

やはり断章は、あったほうがよかった!

 二つの原稿を比べた。

 やはり、挿入を忘れてしまった断章は、断然あったほうがよい。そういう結論に達した。ああ馬鹿をやってしまった。でも、枚数制限を考えると、どちらにしても削ることになっただろうとは思う。悔しい気持ちで……。

 ホームページには、断章を加えた決定版? を収録したい。パムクからの二つの引用のうち削った一つも回復させて収録しようと思う。

|

2009年4月 6日 (月)

学生時代の友人とめいっぱいおしゃべり

 大学時代の友人で寮で一緒だった友人Mちゃんから電話があり、久しぶりにめいっぱい話せた。この街に住む友人Sちゃんと3人は同じグループで、もう2人加えた5人が寮で仲良しグループだった。

 Mちゃんとは寮時代、一番何でも話していた。彼女は実家が小倉なので、通勤に切り替えるために一足先に寮を出てしまったが、ときどき連絡を取り合って今日まで続いている。

 Mちゃんは仕事を持っているし、友人の多い人であるので、こちらから連絡をとることはよほどの場合以外は控えるようにしているのだが、窮地に陥ったときにはわたしを思い出してくれるらしく、驚きの電話をくれることがあり、またそうでないときにもフッとわたしのことを思い出してくれるらしく、電話をくれることがある。

 包容力のある彼女には何でも話せる雰囲気があり、たまに電話をくれたときはまとめて話を聞いて貰うことが多い。何となく、おかあさんの雰囲気がある人だ。

 そういえば、彼女もSちゃんも水瓶座、わたしは魚座だが、水瓶座の要素が強いとあって、べたべたしない、それでいて親密さを失わない関係を作りやすいのかもしれない。

 今日は、これまでのこと――病気のこと、父のことなど――を訊かれるままにあれこれ話し、彼女の話も聞いた。ああおなかがいっぱい。飢えていたのだ、とっても。Sちゃんもいつもの会う時期にメールをくれたのだが、待って貰っている。父のことが一段落しないと、ゆとりがない事情を話して……。

 MちゃんもSちゃんも実家のおかあさんが健在で、Mちゃんはご主人が単身赴任、2人のお嬢ちゃんも就職や進学で家を離れていて、現在はおかあさんと2人暮らし。Sちゃんのおかあさんはすぐ近くに住んでいて、始終行ったり来たりしている。

 わたしは母親には、母が生きていた頃から飢えていたなあ。共稼ぎだったし、母が病気になってからは甘えるどころではなかったから。文学がずっと、おかあさんのようなものだった。どんなに大切な存在であることか……。 

|

原稿の枚数を減らすつらさ

 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を同人雑誌の編集人に送っていたところ、午前中、電話があった。

 戦慄! 下手をすれば、掲載して貰えないことがあるからだ。第一、すんなり載せて貰えるときは電話がない。

「凄いじゃないですか!」とお褒めの言葉。戦慄! 凄いけれど、カラーが違うから載せられないという言葉もありうる。

 それに編集人の言葉には微妙な含みがあった。それはそうだろう。賞の選考委員を勤めていられる編集人がお読みになれば、無視できない不穏な箇所がわたしの評論にはあるだろうから。

 それに、編集人とわたしは元々文学観が違う。違いすぎるくらいだ。

 でも、掲載はしていただけるようだ。ただ、枚数を15~16枚減らせとおっしゃる。91枚という長さで15~16枚も減らすということは、脚か腕の一本を切り落とせといわれるのに等しい。

 こちらの都合からいうと目を剥く事態だが、編集人の都合からいえば、休刊になる前ということで、作品がどんどん集まり、嬉しい悲鳴なのだそうだ。枚数の問題は、まあいわば同人同士の土地争いだ。

 午前中いっぱいかかって、何とか短くした。身を削ぐつらさがあった。アクの強い言葉、挑発的な言葉はどうしても必要というわけではないので、削いだ。評論としてはスマートになったかもしれないが、勝負服を剥ぎとられたようなものだった。

 引用は、論の組み立てに必要なものを除いてはほぼ削った。ル・クレジオの作品からの引用は論に組み込んだものではなかった。彼のよさを端的に紹介できると思い、2作品から1箇所ずつ引用していたのだが、1箇所のみ残した。

 わたしは編集人にお電話した。

「15~16枚減らせとおっしゃったので、何とか15枚減らしましたけれど」というと、「ええ……」と煮え切らないムードの編集人。

「16枚減らさなきゃだめですか?」と仕方なくわたし。「はい、16枚減らしてください。よろしく」と編集人。

 わたしはうっすら怒りが込みあげてきた。この上、もう片方の手か脚を切り落とせというのか? ル・クレジオのあれを削れというのか? もう1枚削るとなると、そうなってしまう。

「15~16枚とおっしゃいましたよね。それは、15枚でもいいということでしょう?」とわたし。編集人は笑って「わかりました。それでいいでしょう」

「思い出はどうしましょうか。枚数がもったいないですから、わたしはよしましょうか」と若干の皮肉をこめていう。

「いえいえ。どんどん集まってきていますから、出してください。Kくんも出してくれていますよ」

 この心境下で書けば、複雑な思い出を書くことになりそう。

 91枚が76枚になった。痛い。これから何度か見直して、もう1枚削れれば削り、削れなければ削らずに(当たり前のことをいっている)、指示通りフロッピーに入れ、編集人に送ろうと思う。フロッピーなんて、使うのは久しぶりだ。

|

2009年3月30日 (月)

時間のない中で

 小旅行疲れが出ているところへ風邪と生理痛のダブルパンチで、コンディションよくありません。

 原稿の整理に時間がかかり、作業がはかどらない上に、東京のホテルにいる息子とちょっと話をするつもりが、つい長話になってしまい、もう夜!

 ところで、その――今度を最後として休刊する同人雑誌に提出する――作品のことを書いたせいか、コメントをいただきました。村上春樹のエッセーに対するコメントは現在受付停止とさせていただいているため、そのかたへはお詫びと共にコメントに対するこちらの考えなどをしたため、返信しました。

 申し訳ありませんが、今後も、仮に村上春樹に関する記事へコメントを頂戴したとしても、コメントの公開は控えさせていただくことになり、気が向けば、こちらからメールを差し上げる程度の対応になります、ご了承くださいませ。

 で、明日までに原稿を提出できるかどうかは微妙です。タイトルだけは立派なものを考えました。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』。このような評論がなぜ、プロの間から出ないのか、不思議ですね。あるのかもしれませんが、書店によく出かけるわたしの目には触れません。

 時間がありませんので、ざっとですが、再度、村上春樹、パムク、レッシング、クレジオの作品に目を通しました。クレジオは、ご紹介済みだったかどうか忘れましたが、集英社文庫から、昨年の12月に『海を見たことがなかった少年 モンドほか子供たちの物語』の第3刷が出ていましたので、それを購入していました。これは短編集で、未読の作品がありました。

 クレジオの作品を一読したところでは、アメリカの作家カポーティの柔らかなカメラワークにも似た意識のあり様を連想させますが、読み込んでいくと、感触の違いを覚えます。例えば『リュラビー』で、自然描写に物理学が自然から浮き出るかの如く少女の頭脳をフィルターとして出現する辺り、フランスを感じさせます。カポーティも知的な作家ですが、自然描写は、もっとあたたかな人間臭のあるものですね。

 オルハン・パムクについては、本当はもっと読み、考えたいのですが、とりあえずは、雑感というかたちでこれまでに感じたところを書くしかありません。谷崎潤一郎に似た博覧強記を感じさせるところ、自国の文化に寄せる手放しといってよいような関心・情緒(陰性の縛りがありません)についても、考えが途中なのですが、今回はどうやら時間切れです。

 レッシングの乾いた知性、強烈な社会性は他の作品にも共通したものではないかという気がしますが、どうなのでしょう。

 この3者には、社会を鋭く包括的に見つめ、文化を継承しようとする者としての知性と責任感が多かれ少なかれ感じられますが、村上春樹には不思議なくらい、それがありません。サリン事件の被害者をインタビューするなど、社会的な行動は起こしますが、なぜ子供っぽく感じられるのか。彼の諸作品にその原因を求めるのが筋でしょう。

 そうした点で、わたしの村上春樹に関するエッセーは的を射たところがあると考えています。

 これまでにここに書いてきた記事が資料となります。訪問くださるかたがたの視線を太陽の光のように、あるいは月の光のように浴びて、わたしの記事は脱皮するともいえます。

 出だしは、次のようなものになるでしょう。

 ここ数年、村上春樹がノーベル文学賞候補として囁かれてきた。既に海外でも相当に人気があるという村上春樹現象、村上春樹産業とも呼べるようなブームがとめどもなく膨れ上がることを日本中が期待しているかのようだ。

 2006年10月12日に現代トルコの代表的作家であるオルハン・パムクが12日、ノーベル文学賞に決定したと報道されたとき、受賞を逃した村上春樹の地元で、恩師や親しいかたがたの残念がっている姿がネットニュースの画面に映し出され、日本的なそのごく普通の穏和な光景に、わたしは何か不思議なものを見たような感慨を覚えた。

 そして、藤原書店の出版物でその名と作品名をたびたび見ていたわたしは、ブッククラブ会員(年会費2千円)用の葉書で、さっそくパムクの『わが名は紅』を注文した。

 それにしても、愕然としたのは、既に欧州各国の文学賞を受けて世界的ベストセラーになっていたという98年の『わが名は紅』、ほかに『雪』が藤原書店から上梓されているだけで、トルコで最も権威ある文学賞を受けた82年のデビュー作『ジェヴデット氏と息子たち』も、83年『静かな家』も、85年『白い城』も、90年『黒い書』も、わが国の出版社からは出ていなかったという事実だった。

 一体、わが国の出版事情はどうなっているのかと首を傾げざるをえなかった。ノーベル文学賞が期待されていた村上春樹の諸著書が書店の目立つ場所に溢れていたのに比べ、また何という……。このことで、わが国における出版傾向、書店での扱いが如何にバランスを欠いた、問題を孕んだものであるかが露呈された。「知的情操」にとって、出版界は間違いなく危機的状況をつくり出しているといえよう。

 ちなみに、ここ数年のノーベル文学賞受賞者は、次の通りである。

2006年 オルハン・パムク
2007年 ドリス・レッシング
2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ

 村上春樹の名に隠れるかの如く、彼らノーベル文学賞受賞者はいずれも大して話題とならなかった。

|

2009年3月29日 (日)

作品提出を控え大童。息子の引っ越し完了。

 同人雑誌の締め切りは今月末必着ですが、間に合わないかもしれません。31日に速達で送ることになるでしょう。県内だから、運がよければその日に届くかも。

 今日明日は原稿のため、夕飯作りは無理なので、娘に弁当を頼みました。昨夜は何とか作りました。ばたばたと作った割には我ながら美味しい!と思いましたが(後日レシピをご紹介しますね)、夫にごはんをよそおうとして炊飯器を空けたら、なま米~。

 何と、スイッチを入れ忘れていたのでした。夫も年とってきたせいか辛抱強くなり、昔のようにむくれたり、嫌味をいったりということもなく、ごはんが炊き上がるまで、おっとりと待っていてくれました。

 しばしば弁当や外食に頼るようになったのはここ数年の話で、以前はよほど例外的な場合以外、めったにそうしたものの利用はなく、おうちごはんオンリーでした。こうなったのは、わたしの体力低下や便利な場所に住むようになったということもあるでしょうが、子供たちが成長したからということが大きいでしょうね。

 友人たちの家庭も、子供たちが大きい人はざっくばらんになり、そうでない家庭はしっかりと作っているようですから。

 6年間の大学生活でしっかり自炊をしてきた息子は、さすがに就活、学会、引っ越しなどが続くようになってからは外食するようになったとか。「外食は楽だねー。自炊していたときは5時に帰ってきても時間が足りないと感じたし、草臥れていたよ」といいました。

 息子の引越しは、昨日終わったそうです。本人は卒業後もまだ大学の研究室に出かけたりして、これまでいた街のホテルにいますが、明日の早朝、東京へ出発するとか。でも、寮にはぎりぎり31日にしか入れません。そして1日が入社式。ちょっと大変ですね。

 6年間住んだ街や通った大学とお別れすることに、名残惜しさがあるようです。同じような思いを抱える人々からあちこちで声がかかって食事に誘われ、このところ、やたらと人と食事をしていたといいます。

 アパートの大家さんはよくしてくださいましたが、何と敷金が結構戻ってきたとか。こちらでは、戻ってくることは、まずありません。それどころか、さらにとられることもあるほどです。

 でも、そのアパートは特別なのかもしれません。アパート探しは家族でしたのですが、わたしはそこはいいと直感しました。もっと新しくて安いアパートが他にあったのですが、そこは建物格? がよいというか、優しいオーラが出ている風に見えました。

 管理がよいのだろうなと思われた通りのアパートで、水道代が只だったため、シャワー好きの息子が水をふんだんに使っても、水道代の心配は要りませんでした。

 大学にも恵まれました。といっても研究室では結構息子はこまめに掃除や管理をしていたようで、それなりの大変さもあったでしょう。「Nくんがいなくなったら、この研究室はどうなるのかね?」と教授が秘書さんにおっしゃっていたとか。

 今日は、研究室でしてきた仕事の引継ぎをしたそうです。大学の研究室における大変さと今後の大変さはまた性質が違うかもしれませんが、人間関係の面でも、仕事の面でも、マスター生活で学んだことは、今後に充分役立つのではないかと想像しています。

 ところで、同人雑誌に提出予定の作品の話題に戻ると、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」に、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドレス・レッシング、ル・クレジオ雑感を加えてまとめあげようというわけですが、時間の足りなさはどうしようもありません。

 パムク、クレジオをもう少し読みたいと思っていましたが、小旅行疲れが出ているのか、数ページで爆睡してしまう始末。

 パムク、レッシング、クレジオはノーベル文学賞受賞者だけのことはあり、各人が一抱えはありそうな作品世界を築き、スタイルも洗練されており、また――これが何よりノーベル文学賞というものに欠けてはならないと思われる――思想家としての風格を備えていて、一流作家と呼ぶに足る作家たちだとは思いますが、バルザック、ゾラ、プルースト、ゴーゴリ、トルストイ、ドストエフスキー、トーマス・マンといった過去の文豪クラスの人物に比較すると、現代文学の貧弱さ、つまらなさを改めて実感させられます。

 家に譬えるとすると、例えばバルザックの作品は広壮な屋敷。手入れの行き届いた庭、動物たちが飼われ、食料庫には新鮮な食べ物がぎっしりと詰まっていて、そこの住人たちや訪問客で賑わっています。

 パムク、レッシング、ル・クレジオの家は現代住宅で、それぞれに意匠を凝らしてありますが、手のかけかたに偏りがあります。どの家の冷蔵庫にも食べ物はいくらか入っているかいないかで、住人もいるのか不在なのか、わからないという風。

 村上春樹の家はスタイリッシュですが、欠陥住宅です。また、放置状態の庭には古井戸や土蔵なんかが残されていたりします。人間なのか、幽霊なのか、蝋人形なのか、はたまた家庭用スクリーンに映し出された人物なのかがよくわからない曖昧な住人の気で満ちています。冷蔵庫に洒落た食べ物が用意されていますが、中毒性の食べ物です。

 大人度からいえば、バルザック>レッシング、クレジオ>パムク>村上春樹

 その根拠は、「村上春樹とオルハン・パムクについて若干」で書きました。今日明日で、読める作品に仕上がるかどうか……。

|

2009年3月26日 (木)

第2回口頭弁論雑感と瓢箪(原告側の書証)から駒

 10分強の第2回口頭弁論は、弁護士をつけていないわたしたち被告の準備書面の不備を指摘し、いきなりおかしなことをいい始めた原告らに、「いいたいことがあれば、準備書面に書いてきなさい」と命じただけで終わりました。

 わたしたち被告にはやつれが目立ちましたが、原告である父夫婦は若返ったように生き生きとしていました。奥さんの表情は険しく、重たげでしたけれど。父には、調停のときの異常な雰囲気はなく、普通に見えました。

 ぞっとさせられたのは、またしても裁判官が訴状にも準備書面にも目を通していないらしいことがわかったという点でした。

 冷やかな面倒臭そうな表情の裁判官が登場し、裁判が始まりましたが、裁判官は書記官が揃えた準備書面と書証を確認しながら、書記官に「これは日付がない。これには印がないじゃないか。こんなのは、させといてよ。あとで、日付の記入と印を押すの、させなさい」と裁判官。

 印がなかったのはお医者さんの準備書面、日付が欠けていたのは叔母の準備書面でした。わたしの準備書面はスタイルは整っていたようですが、証拠品――乙第1号証、乙第2号証――として提出した記録ノートの写しと調停期日呼出状の写しに、乙第1号証、乙第2号証の記載が欠けていました。

 裁判官から記録ノートの写しを、それが何なのか、日記なのか手帳なのかと訊かれました。わたしは「それについては、準備書面に書いています」と答えました。すると、裁判官は、「今ここで、それは何なのか、訊いているじゃないか」と苦々しげにいいました。

 わたしたちが何かいおうとしても、遮るように「それは準備書面に」という癖に、裁判官が準備書面はおろか訴状の内容すら把握していないのは明らかでした。が、わたしには別に裁判官の職務怠慢を指摘する意図はなく、変な訴状の内容に対応するために、特殊な記録ノートを提出する必要があったので、それがどんなものかを口頭で説明するより、準備書面を見て貰うほうがいいと思い、準備書面に書いていますといったまででした。

「これは……ずいぶん日付が飛んでいるようだが、裁判が始まってから作成したものではないだろうね?」と疑わしげに裁判官。
「いいえ。当時、記録したものです」とわたし。
「何のために?」と裁判官。
「原告らの言動がおかしいと思うようになってから、記録しておこうと思い、ノートを作ったのです。でも、中断してしまいました。現物も持ってきていますよ」とわたし。

 すると、裁判官は何もいいませんでした。そして、調停期日呼出状の写しについても裁判官は尋ねようとしましたが、書記官が駆け寄って、「ああ、それは……」と小声で説明を加えていました。

 それは、前回わたしが裁判官に一昨年の調停の話をし、原告らに精神疾患が疑われると調停委員たちはいい、不成立に終わったというと、そうしたことは準備書面に書くようにと彼はいい、書記官から調停期日呼出状を証拠品として提出するように勧められたから、そうしたものなのです。

 裁判官は、今度は、印のないお医者さんの準備書面に注意を移し、「こういう文書には、印を押すのが常識だろうが」と吐き捨てるようにいいました。

 いきなり訴えられ、弁護士を雇えと書記官にいわれてもそんな理不尽なことに応じるつもりはないわたしたち被告でしたが、突然の素人芸では、準備書面に不備があっても自然なことでしょう。

 わたしはネットと本で調べましたが、証拠品にも乙第○号証と入れるべきかどうかがどうしてもわかりませんでした。下手に証拠品に手を加えたらまずいのかもしれないとも思い、そのままで提出してしまいました。送る前に書記官に確かめて、完璧に処理しておくべきだったとわかりました。

 素人ですから、裁判の進行と共に学ぶほかはないのです。サポート体制もないまま、高額の弁護士費用を捻出できなければ、自力で弁護士と同じレベルでやれ、といわれても土台無理な話です。それがわたしたちのせいでしょうか?

 裁判官が訴状の内容さえ把握してくれていたら、わたしたち被告に対する態度は違ったのではないかと想像します。原告である父夫婦は弁護士に書類作成を依頼しているようですから、スタイルだけは完璧なのでしょう。裁判官の態度は、原告らにはいくぶん柔らかです。

 ネットで調べたところでは、ろくに準備書面も読まないまま偏った判決を下す職務怠慢な裁判官は珍しくないようです。殊に傍聴人の少ない地方の裁判所などで、そうしたことが起きやすいとある弁護士はネットで語り、対策としてなるべく沢山傍聴人を連れて行くようにといっていました。

 そういわれても、10分程度の口頭弁論の傍聴に遠路遥々来てくれるほど他人は暇ではありません。日本の裁判がこんなものだったとは、本当に情けない話です。わたしは法学部でしたが、もっとましなものだと信じきっていました。文学界に幻滅し、今度は法曹界に幻滅したわけです。

 外部の目を入れるために、裁判員制度は必要でしょう。裁判を体験してから、わたしはそのように考えが変わりました。

 原告らは弁護士に作成して貰ったスタイルの完璧な――内容は滅茶苦茶な――書証を大量に持ち込んでいました。一抱えはあるそれのコピーを、書記官は被告全員に配りました。

 父方、母方のわたしの祖父母の代からの一族の戸籍謄本からの抜粋(従兄が提供を拒んだとして原告らはそれを不服としています)、原告の一人である奥さんの戸籍謄本からの抜粋、妹の結納のときの写真(原告らは不審人物が写っているとしていますが、何のことはなく、その人たちは妹のご主人のほうの親戚です)の写し、母と妹の手紙の写し、パスポート、保険、給与明細、船員保険年金、登記関係書類の写し、撤回の印の押された2通の「遺言公正証書」の写し、撤回の印の押されていない「遺言公正証書」の写し、いろいろな人々の名刺、警察本部から届いた封筒の写しまであります。

 何しろ、甲第162号証まであるのですから。

 警察本部からの封筒の写しには、「平成20年2/4午前10時頃面会刑事2人見えた待合室**(※地名)愛人の子がほかにいるやろ」と手書きでありますが、これが何を意味しているのかはわたしには不明。よくこれだけ集めたものだと感心しました。このリサーチ力に文才が加われば、第一級の文学作品を仕上げられるのではないかと想像してしまいました。

 叔母は、この膨大な馬鹿げた資料を見て嘆きの声をあげ、書記官に「わたしはこんなもの、要りません。捨ててください」といいました。すると書記官は、「いえー、お持ちになってください」といいました。わたしたち被告は受けとり証を書かされました。 

 わたしはどこか、やはり、頭のおかしな父の頭のおかしな娘です。おぞましい書証の束がお宝の山に見え、思わず目が輝いてしまいました! なぜって、これのお蔭で、父夫婦が何という弁護士に書類の作成や調査を頼んだかがわかったばかりか、これまでにかかった費用までわかったのです。

 それだけでなく、両親が金持ちだったこともわかりました。わたしには両親が金持ちに思えたり、そうでなく思えたりしていたのです。

 わたしは膀胱神経症のために思うような受験ができませんでした。両親のお金があれば、浪人できたでしょうし、重体の母の付き添いで駄目になった就職にも、両親の金銭的なサポートで再チャレンジできたでしょう。夫が羽目を外して借金をこしらえたときも、夫の両親でなくて、父にお金を借りられたでしょう(まだその頃は再婚前で、父もまともでした)。娘にも振袖ぐらい買ってやれたでしょう。本の1冊くらい出して貰えたかも。

 いえいえ、それは所詮は幻想です。しまり屋の父がそんなことにお金を出すはずがありません。少し貧乏な家の父親がするくらいのことはしてくれても、それ以上は望めなかったはずです。遺産は全部奥さんに行くことになっていますが、それで奥さんは何が不満なのでしょうか。わたしたち姉妹に遺留分があることすら不満なのでしょうか。できれば、わたしたちに死んでほしいのでしょう。

 現在、父には毎月の年金で、夫の給料の倍近くのお金が入っています。仮に貯金がゼロだとしても、普段の暮らしは質素な父夫婦ですから、ひと月でお金が貯まるでしょう。貯金もかなりの額があるに違いないと想像できます。退職金が入ったときに、税金対策をしたほどですものね。だから、遺産を狙われているのではないかという心配も生じたのでしょう。

 馬鹿なわたしは、そんな父に同情までしていたわけです。ああなったのは自業自得です。自分の欲、奥さんの欲のために、彼らは自分たちでおかしくなったのです。そんな彼らに、何の同情が要りますか?

 わたしたちはとにかく、弁護士が背後にいる父夫婦にはいくぶん好意的な裁判官から、おかしな判決をいい渡されないよう用心しなければなりません。前途多難です。どんなに立派な準備書面を作成しても、読んで貰えなければ紙屑と同じですから。しばしば文学賞応募で遭ったのと同じ目に、今度は文学界ではなくて法曹界から遭わされるなんて、御免です。

 今回の裁判の終わりがけに、奥さんが唐突に、わたしたち姉妹が最近父夫婦の家に忍び込んで、発禁になった『自殺のすすめ』を嫌がらせに置いていったといいました。そればかりか、母が亡くなったときに、わたしたち姉妹が彼女に電話をかけて何か(唖然となって、聞き逃してしまいました)をいったといいました。まだ彼女と父が知り合ってもいない頃の話です。

 奥さんは見事な狂い様ですが、原告らの訴えの内容を把握していない裁判官は普通の顔を彼女に向けて、「それは、準備書面に書いてきなさい」といいました。彼は父に、書証が膨らんで仕様がないから、もしあれば今度までにまとめて出してしまうようにといいましたが、訴えの内容を一向に把握していない裁判官自らが準備書面や書証を膨らませているとしか、わたしには思えませんでした。

 ただ、原告らの書証から、知りたかった奥さんの実家の住所がわかりました。彼女の両親は正式に結婚していないようです。30歳近くになって、父方の伯母が彼女を養女にしています。

 また、これは本当に瓢箪から駒ですが、大庄屋だったというわたしの母方の祖母の旧姓がN・・・とわかりました。わたしはそんなことも知らなかったのです。伯母がわたしの名をつけてくれたのですが、祖母の名からとったと聞いていました。ああ祖母の旧姓から一字をとったのだと感動しました。

 珍しい姓で、わたしは初めて目にしました。

 母方の祖母の実家が大庄屋だったとすると、少なくとも農地改革までは、古代史によく出てくるあの辺りの土地も所有していたのではないかと思っていたのですが、ネット検索してみると、あの辺りにN…の名を入れたマンションの物件を紹介しているN…という不動産屋が出てきました。そのN…不動産はやはりあの辺りにありました。

 また、劉邦系の支族にN…があるとネットに出ていましたが、話が雄大すぎてとても本当とは思えず、引っ越しを明日にして忙しいだろうとは思いつつも、歴史に詳しい息子にそのことをメールしてみました。

 すると、以下のようなメールが帰ってきました。

私も〔その名字は〕はじめて聞いたな。ネットで調べると、大蔵氏の庶流に名が出る(大蔵氏で検索すると「日本の名字七千傑」にあたる)。このこと自体は私は確証がとれないけれど、大蔵氏は知っている。大蔵氏と言えば、いわゆる東漢(やまとのあや)で、渡来系であるのは確か。同じ大蔵姓では私が知る限り、秋月氏と原田氏が有名で、どちらも筑前の有力氏族。時代的には室町以降まで勢力があり(近代まで生き残る可能性が高い)、しかも地理的に近い。N…氏自体あまりない名字なので、この曾祖母の家が大蔵姓庶流N…氏であることにまず間違いないと思う。確かだと思う。
そういえば、日田氏も豊後大蔵氏と言うね。

 またこれで何かしら点と点が……いやいや、急ぐのはやめましょう。でも、歴史に興味のあるわたしには、興味深い駒であったことに間違いありません。

 法を司る木星はまた、学問や外国との関わりを司る星でもあります。わたしのホロスコープにある転んでもただでは起きないとは、このことでしょうか。重圧ばかりをもたらすように感じられる今回の裁判沙汰ではありますけれど、一方では親戚とのスキンシップや史学的恵みももたらしてくれました。人生とは何て不思議なものなのでしょう。まさに、事実は小説より奇なりです。

呼関係の記事は左サイドバーにあります。 

|

2009年3月23日 (月)

当サイトで紹介した作家、思想家一覧

         ごく軽く触れたにすぎない人物から評論を試みた人物
             まで、ピックアップしています。
             番号は初出順です。
             日付をクリックしてください、該当する記事に飛びます。

続きを読む "当サイトで紹介した作家、思想家一覧"

|

2009年3月23日 (月)

同人雑誌の主幹からお電話

 一昨日、同人雑誌の主幹からお電話をいただいた。提出作品の件。

 エッセーを考えているとお話しすると、「いやー、あなたには小説を出してほしかったんだけどなあ」とおっしゃる。

 わたしも小説を出したかったが、準備ができていないことをお話しし(さすがに裁判で予定が狂ったことまでは話せない)、何枚くらいまでならオーケーなのかを伺った。

「ああそれは、何枚でもいいですよ」と、主幹は太っ腹。ありがたい。

 村上春樹に関するエッセーに、最近のノーベル文学賞作家の作品に関する雑感も加えてまとめよう。長くてもいいというのは、この上ない恵みだ。

 ただ、いろいろとお話しするなかで、主幹(そして発行人)との文学観を含めた価値観の違いを改めて感じた。普通のおつきあいであれば、それもまた妙味ともなるが、ある文学観をカラーとして打ち出していく同人雑誌では、この違いは微妙な問題を生む。

 主幹はわたしの作風を異色としながらも、好意的に掲載してくださった(といっても、結構シビアなやりとりもあった)。ありがたいと思いつつも、カラーの違いで苦しんだ、同人雑誌体験だった。

 休刊になるのは残念だが、休刊にならなければ自ら離れた可能性もある。物を書くとは、所詮は孤独な作業だ。そこへ帰るだけ。こんなときに、いつも思い出されるのは坂口安吾の『文学のふるさと』。

 有名な結びの部分を以下にご紹介しておきたい。安吾は、これに先立つ部分で、三つの物語をアモラルな物語として紹介している。

 この三つの物語が私たちに伝えてくれる宝石の冷たさのようなものは、なにか、絶対の孤独――生存それ自体が孕んでいる絶対の孤独、そのようなものではないでしょうか。

 この三つの物語には、どうにも、救いがなく、慰めようがありません。鬼瓦を見て泣いている大名に、あなたの奥さんばかりじゃないのだからと言って慰めても石を空中に浮かそうとしているように空しい努力にすぎないでしょうし、また、皆さんの奥さんが美人であるにしても、そのためにこの狂言が理解できないという性質のものでもありません。

 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。この暗黒の孤独には、どうしても救いがない。我々の現身(うつしみ)は、道に迷えば、救いの家を予期して歩くことができる。けれども、この孤独は、いつも曠野を迷うだけで、救いの家を予期することすらもできない。そうして、最後に、むごたらしいこと、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。

 私は文学のふるさと、あるいは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まる――私は、そうも思います。

 アモラルな、この突き放した物語だけが文学だというのではありません。否、私はむしろ、このような物語を、それほど高く評価しません。なぜなら、ふるさとは我々のゆりかごであるけれども、大人の仕事は、決してふるさとへ帰ることではないから。……

 だが、このふるさとの意識・自覚のないところに文学があろうとは思われない。文学のモラルも、その社会性も、このふるさとの上に生育したものでなければ、私は決して信用しない。そして、文学の批評も。私はそのように信じています。

 ―『文学のふるさと』(坂口安吾著「堕落論」集英社文庫、1990年)― 

|

2009年3月21日 (土)

Googleサイト・サービスのすばらしさ。エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」について。

 過去記事で、ウィキを基盤に構築されたGoogleサイトのサービスを利用して試しのホームページ『マダムNの文学工房http://sites.google.com/site/balzaciene/』を作ったと書きましたが、このサービスのあまりの便利さ、操作の快適さに驚嘆しています。それで、今日は夕方になるまで、そこから離れることができませんでした。

 さすがGoogleですね!

 何にそれほど感心したかといいますと、わたしは作品の保管庫としての役割を十全に担えるサービスを探していたのですが、Googleサイト・サービスを利用すると、その目的をストイックなまでに追求できることがわかったのでした。

 それにこのサービスもブログサービスと同じように、簡単にサイトを増やせるではありませんか。

 ただこのサービスは、自らの意匠によるホームページ作りを心ゆくまで楽しむ目的には、合っていないでしょう。定まったスタイルがあるからです。わたしが強調するのは、あくまで保管庫としてのすばらしさです。

 閲覧してくださる方々にも、作品の雰囲気を楽しんでいただくには役不足だと思いますが、わたしにどんな作品があるのかを端的に知りたいというようなときには快適にご利用いただけると思います。

 結局ジオシティーズで作っている『バルザックの女弟子になりたい!』も、Googleサイトで作っている『マダムNの文学工房』も、わたしにはどちらも必要だということですね。並行して収録していけたらと思います。

 このところ、『バルザックの女弟子になりたい!』に作品を収録しながら、作業が遅々として進まないことに疲れを覚えていました。

 当初は、ブログで公開済みの作品であればコピーすればいいから、そのぶんだけでも素早くホームページに収録できると踏んでいたのですが、1ページ作るだけでも、たとえテンプレートは自分で作った雛形を利用するにしても、リンクさせる作業の煩わしさ、ページの名・アドレスなども一から考えて管理する面倒さ……等々に音を上げていました。サイトマップも勿論自分で作るしかありません。うっかりページを削除してしまえば、取り返しがつきません。

 ところが、Googleサイト・サービスを利用すると、こうした問題が一気に解消するのです。

 ちなみに、『マダムNの文学工房』のトップページにお出かけいただき、左サイドに設置したナビゲーションに表示した項目をクリックしていただくだけでも、その便利さがおわかりいただけると思います。

 ナビゲーションのトップに表示したSitemap_Hierarchy_Viewをクリックしていただくと、サイトマップが現れます。この優れたサイトマップは何と自動的に作成されるだけでなく、勿論、編集可能です。展開も折りたたみも自由自在で、好きな項目だけをクリックして展開していくこともできるのです。

 このサービスのうち、わたしは自分の目的に合ったごく一部分の便利さだけしか意識にありませんが、ビジネス向きの多彩な機能が備わっているようです。

 ところで、当ブログでご紹介したり、ちょっと触れさせていただいた人物の一覧を作りたいと考えていることは既にお話ししました。

 そこで、『マダムNの文学工房』では――依然試しの段階ですが――文芸作品の紹介メニューに《コラム・エッセー・評論》という項目を設け(『バルザックの女弟子になりたい!』の文芸一覧で表示した項目の全てを順次設けるつもりです)、作品名と人名の両方で検索できるように形式を整えました。

 人名のハに早速、当ブログで公開したバルザックに関するエッセーの一つを収録してみました。本当に快適な収録感……。

 同人雑誌に提出するために、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を改稿しなければなりませんが、『マダムNの文学工房』に、上記エッセーの他、パムク、ドリス・レッシング、ル・クレジオに関するエッセーも収録し、自己資料として活用するつもりです。

 時間がないときの収録は、いくら収録が便利とはいっても、やはり面倒ですが、資料として活用しようとするときに、ページ移動がスムーズでないと、物凄く苛々しますから。

 提出期限は今月末で必着ですから、裁判に出たあとの数日間が勝負ということになります。パムクなど、最近のノーベル文学賞作家と村上春樹を比べてエッセーの内容を膨らませるには時間が足りず、消極的な改稿のみになるかもしれませんが。

 ですが、一応膨らませることも考えて、自己資料に当たってみたいと考えています。

 当ブログで、エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開以来、アクセス解析によると、毎日複数の閲覧者があります。わたしが書いた中では、一番のヒット作といってよいでしょう。

 その気持ちには、いくぶん複雑なものがあります。

 現在は受付を停止しているコメントをまだ受付させていただいていた頃までは、批判的なコメントがほとんどで、わたしの気持ちの複雑さは深まる一方でした。悪質なコメントもあり、コメントの受付を停止せざるをえませんでした。

 それが、いくらか前の話になりますが、何の気なしにたまたまアクセス解析を細かく見ていたところ、このエッセーにリンクしてくださっているサイト様がぽつぽつあることに気づきました。

 そして、リンク元へ行ってみると、それらは真摯に好意的にわたしのエッセーをご紹介くださっているサイト様ばかりで、嬉しい驚きでした。こうした発見が、次号を最後として休刊となる同人雑誌に村上春樹に関するエッセーを提出しようという思いを固めてくれました。リンクくださっているサイト様には、心から感謝しています。ありがとうございます。

 同人雑誌に掲載して貰えたとしても、ブログを通してほど多くのかたに読んでいただくというわけにはいかないでしょう。ただ、活字にしてみないことには、わたしは自分の作品をもう一つ客観的に見ることができません。エッセーを大きく膨らませることは、そのあとでもできますので、とりあえず、作品としてのまとまりをつけて掲載を働きかけようと思います。 

|

2009年3月13日 (金)

フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、岩波書店)

20090306185428

 生誕100年ということで、岩波書店から 、フランシーヌ・デュ・プレシックス・グレイ著『ペンギン評伝双書 シモーヌ・ヴェイユ』(上野直子訳、2009年2月26日)が出た。

 ヴェイユの秀才ぶり、哲学者アランとの邂逅と薫染、本来の美貌に意義を唱えるかのような服装、赤い乙女と異名をとった社会活動、キリスト教への接近と次第に濃厚となっていった神秘思想への傾斜、風評を呼んだ死にかた、残された諸作品に散りばめられた煌くような思想の断片……哲学には馴染めない一般人にも、人気の高いヴェイユといってよいが、新しく出たこの本は、これまで書かれた評伝類でもさりげなく触れられてはいたが、ヴェイユの摂食障害(拒食症の傾向)を積極的に解明しようとし、科学の光を当てている。

 まだ全部を読んだわけではないが、ヴェイユの育った家庭が、それまでわたしが読んだ評伝類を通して想像していた以上のブルジョア家庭であったことを知った。ヴェイユの父親は内科医で、「何世紀にもわたってストラスブールに定住していたユダヤ人大商人の一族の出」であり、母親は「多くの国で輸出入業を展開していた裕福なユダヤ人実業家一族の出」なのだそうだ。相当にお金持ちの家系なのである。

 また両親の過保護ぶりも詳しく知ることができる。過保護というには病的なほどで、お金がなければ、ここまで過保護になることはできないだろう。ヴェイユには、想像以上の抑圧でもあったのではないだろうか。

 例えば、ノルマンディー海岸でのヴェイユの体験は印象的だが、その背景にも両親の保護が働いていたのだ。彼らは「娘の精神のバランスにこの種の激しい仕事が必要であることを感じとり、一足先にノルマンディーに出向いてシモーヌが漁師の仲間に加えてもらえるように骨折った」のだった。

 これは深刻である。ヴェイユの行動が、両親の過度な介入のためにどこか戯画化されるほどだ。彼女の何事につけ極端な傾向は、両親との関わりのなかで丁寧に見ていく必要があると思える。

 ヴェイユが晩年、キリスト教神秘主義に傾斜したその態度には、明晰さに忍び込むあまやかな霧のような、如何にもキリスト教的盲目性と信仰的ムードが感じられ、わたしが影響を受けてきたブラヴァツキーの神智学のような神秘主義的態度とは明らかに違う。

 例えば、よく彼女の神秘体験として紹介される覚書にあるような体験は、一般的な観点からは特異であるのだろうが、わたしはさりげなく書き残されたその覚書の彼女独特の厳密さとロマンティシズムとが溶け合わさったような美しい表現にこそ注目するのであって、彼女の体験そのものを過度に重要視することには胡散臭さを覚える。その体験ゆえに、聖女といわんばかりの書きかたをしたヴェイユ関係の本は多いように思う。この本でも、切り札のような使われかたをしていて、それはどうかと思ってしまうのだ。

 尤も、こうしたことにわたしが胡散臭さを覚えるのは、わたしがブラヴァツキーの神智学のような筋金入りの神秘主義に浸かっているからであるにすぎない(一般的観点からは、偏見に満ちた異議主張ともとれよう)。わたしが傾倒してきた神秘主義では、肉眼には見えない存在にも知性の光を当てることが重要になってくるため、ヴェイユが書き残したような現象をただありがたがったり、忌み嫌うだけといった態度はとれなくなってくるのだ。

 実は、わたしにも、生涯に一度だけの体験ではなかったかと考えている、当時は天使とも女神とも想われた存在との接触があった。その存在を見たのはありふれた場所で、塾の教室だった。わたしはまざまざと見たのに、わたしのすぐ傍にいた助手仲間にも、塾のオーナーにも、見えなかったらしい。

 わたしたちが仕事をしていたテーブルから、いくらか距離を置いたところに、さりげなくその人は立っていた。掃き溜めに――というとオーナーに失礼になるが、要するにありふれた場所といいたい――鶴、とはこのことかとわたしは思った。

 何という眉目の繊細さ、まなざしの美しさであったろう。その人は、これまで見たこともなかったような素材でできたごく軽やかにフワフワとして見える、薔薇色を帯びたドレスのようなものを纏っていた。ただならぬ美しさ、煌きに満ちたその人は、状況から考えると、おそらく生徒の母親で、パーティーを抜け出してきたとしか想われなかったが、あまりにも場違いな現象に、わたしはどう解釈してよいのかわからなかった。

 我を忘れるほどだったが、かろうじてお辞儀をすると、その人もお辞儀をした。それは、その人がまるでわたしの侍女でもあるかのように遜った、それでいて気高い感じを受ける、この世のものならぬ優雅なお辞儀の仕方だった。

 わたしは、鈍感な助手仲間に注意を促した。彼女は仕事の手を休めて、わたしの見るほうを見、しばらくその方向を注視したあとで不審そうにわたしを見ると、苦笑しただけだった。次いで、塾のオーナーに注意を促したところ、目で叱られた。『何をしているの、早く、仕事をしなさい!』

 その直後に、生徒に注意をとられたということもあって、その人から目を反らした少しの間に、その人はいなくなっていた。後日、喫茶店でそのときのことを助手仲間に問い質したところ、わたしが彼女に注意を促したときのことは覚えていて、そのとき彼女には、わたしが目で示した場所には何も見えず、わたしの行動を変に思ったとのことだった。

 今にして思えば、そのとき、わたしは思想の転換期にいた。大学時代からキリスト教と、それに対峙される形でヨガやいわゆる秘教といわれてきた(門戸が一般に開かれている現在では秘教ではなくなっているのだろうが)神秘主義に惹かれてきて、どちらに行こうかと迷っていた。両者の思想にはダブるところもあるだけに、迷いは深まった。

 あるとき、神父さんたちの宿舎のある黙想の家を訪ねようとしたときのことだった。そこへ出かけるのは、何回目だっただろうか。わたしは庭の像を見ながら歩き、洗礼を受けるかどうか考えていた。そのとき、ある男性的な響きがわたしの内部で響き渡り、驚いて足を止めた。「そこでは、お前の満足は到底得られない!」と声は忠告したのだった。

 人にいえば気違いと思われるので、文章にする以外は人には話さないが、わたしにはあの世の空気と前世に関する微かな記憶があり、子供の頃から見守りを感じてきた。そのひとグループの存在から来る忠告は、小さな頃はわたしには叱責と感じられることが多かったが、次第に干渉が少なくなり、最近ではその存在をほとんど忘れている。見放されたのかと思うこともあるほどだ。

 それで、そのときの忠告もわたしには自然に感じられたのだが、臍曲がりなわたしは、その声をあからさまに無視して、黙想の家のほうへ断固として足を向けた。

 わたしの迷いはその後も深まるばかりだった。そして、卒業間際に母が倒れ、『枕許のレポート』に書いた内的な体験があった。天使か女神かと思うほどに美しい人を見たのは、そのしばらくあとのことだったから、今思えば、神智学ではいわゆる『見えざる助力者』(一般的な言葉では守護霊というべきか)といわれる存在が思想的な節目に現れて、神秘主義への門出を祝福してくれたのだろう。

 わたしはもうお亡くなりになった神智学の先生に、自分の様々なフシギ体験を話した。すると、それは不思議でも何でもないそうで、便宜上神秘主義には神秘とついているが、神智学の辞書に神秘を意味する言葉はなく、人間に解明はされてなくても、全てに科学的な原因があるという。

 尤もなことだとは思ったが、何となくつまらない気がして、相変わらずわたしは自身のフシギ体験をもとに、自分は狂人か特別な人間かという観点で揺れた。幸い先生は長生きされたので、自分を特別視したり蔑視したりする習慣は、先生の手紙で叱責されたり、意見されたり、励まされたりすることで、ほぼなくなった。

 人は凡庸なわたしを見て、ヴェイユの体験とおまえの体験は所詮違うというかもしれない。だが、わたしが見た存在とヴェイユが接した存在に、神と幽霊ほどの甚だしい隔たりはあるまいと考えている。

 こうしたことを書いたのは、ヴェイユの思想のすばらしさはすばらしさとして、一方に苦しさというか、ある限界を感じるところがあるからである。

 このところ、あまり自分の時間がとれないため、今、中途半端にヴェイユのある限界を論じるわけにはいかない。したがって、ここでは、上に書いたものをヒントとして置いておくにとどめたい。

|

2009年3月10日 (火)

ありがたい文芸部OBとの交際

 文芸部時代の先輩と最近になって交際が復活したことを、過去記事で書きました。偶然にも、同じ頃、かなり後輩でお顔も知らないままに、彼が大学生だった頃、作品のやりとりがあったKくんとの交際も復活しました。

 いずれもネットを通じての再交際であることを思えば、ネット社会の恩恵を感じます。わたしは魚座ですが、インターネットは12室にある魚座の管轄領域ですから、ネットの恩恵を受けやすい生まれといえます。

 ネットを通じて作品も読んでいただけ、これがなければ今頃は創作の砂漠地帯で渇きのあまり野垂れ死にしていたかもしれません。ネットには恩恵ばかりではなく、危険な面もありますが、専業主婦のわたしのような自力では狭い世界を拡げにくかった人間にとっては、思ってもみなかった人生における新局面でした。

 そのありがたみも薄れつつあったこの頃でしたが、本当に感謝しなければいけないと感じています。

 で、何をそれほど感激しているかというと、ねだった甲斐があって、先輩の短編2編を拝読したことが第一の理由です。

 正直いって、最近になって創作を再開したという先輩でしたから、急によい作品を書くのは無理だろう、お手並み拝見……とばかりに高を括っていたのですね(生意気な後輩ですよね、すみません)。

 それが、読み出していくらもしないうちに、ああ……と目から鱗が落ちた思いでした。何て汚れのない作品だろうと感じました。それは、自分でも気づかないうちに、その危険性は充分認識していながら、如何に自身が賞をゲットしたい、プロになりたいという我欲に毒されていたのかがはっきりとわかるような汚れのなさ、綺麗さでした。

 砂漠で野垂れ死に寸前の人間がオアシスに辿り着いたような心境で、おなかいっぱい、作品を通してもたらされる新鮮な水を飲みました。昔、文芸部に入部したばかりの頃に、文学の真の味わいを知らされた気がしたときの感動がよみがえりました。

 尤も、わたしは文句の多い人間ですから、感想にはいろいろと書きました(ずいぶん的外れなことも書いた気がします)。ですが、そのようなことは実は些細なことで、文学の根本にはこの汚れのなさが絶対的に必要だと再認識させられたという点で、わたしには忘れがたい2編となることでしょう。

 おまけに現在わたしがはまり込んでいる裁判についても、貴重なアドバイス、情報をいただき、とても参考になりました。さすがは先輩ですね!

 感激の第二の理由は、後輩からいただいたメールでした。2年越しでとり組んでいる作品があると書かれていましたが、文面から昔と変わらぬ瑞々しい意欲が伝わってきて、楽しい刺激をもたらされました。

創作…何と申しますか、最近独自のテキトーな文学観が形成されつつあり、
昔はよく、日常(例えば仕事とか生活とか)に創作が飲み込まれるかどうかという論点で考えていたのですが、
近頃は、文学が日常を飲み込んでしまったなぁ・・・と思います。
なんだそりゃ。。
という感じですが、要するに仕事をやるのも、家族と過ごすのも、皆文学活動の一環としてやっています(笑)。

 と彼はユーモラスに書いていますが、この姿勢こそ文学の神髄ではないでしょうか。同じようなことを考えていても、わたしの硬直した姿勢とは異なり、彼の大らかな姿勢には、これもまた目から鱗が落ちるような思いがしました(あ、勝手な引用でごめんなさいね、Kくん)。

|

2009年3月 9日 (月)

シャネルのアイシャドウ~!

20090309192423 20090309192707_3 娘が誕生日のお祝いに買ってくれたシャネルのアイシャドウです。

 これまではパープル系を控えめに使うことが多かったのですが、最近少し浮く気がしていました。

  51歳という年齢。はっきりいって、病人の顔色をしていることもありますし。

 そこで、ブウラン系をセレクト。 自然でシックな感じ。気に入りました、とっても。

当ブログのおすすめ記事:ポール・モラン著「シャネル―人生を語る」を読む

|

2009年3月 5日 (木)

真夜中に目覚め、現在の健康状態と今後の創作について若干

 このところ、横になっていても(どうかすると、横になるとよけいに)、呼吸が苦しかったりしたが、昨日から今日――まだ真夜中だけれど――にかけて、仰向けになっても気持ちがよくて、すばらしかった。

 胸からの圧迫感も、腹部から? の圧迫感も全然感じられず、元気いっぱいという感じで横になっていられた。こうして起きていると、若干胸の圧迫感を感じ出すが、小旅行の疲れがようやくとれたという感じだ。

 石かと思われた痛みは、前の記事のあと、起きていない。 

 今日はさすがに買い物に出なければならない。料理用のワイン、エルダーフラワーなどは自分で買いたいし、休日の娘が誕生日の前からシャネルのアイシャドウを買ってくれるといっていたので、できればそれも済ませたい。

 シャネルの店員さん、感じがよいので、アイシャドウのつけかたを教わりたいのだが、どういうわけか、このところずっとまぶたが腫れている。これまではどんなに寝ようが、まぶたが腫れるなんてことはなかったのに、いつも腫れている。少しましになった気はしているが、それでもまぶたが重く感じる。

 少し鼻がぐずくずしているので、花粉症かもしれない。アレルギーからまぶたが腫れているのかも……? この腫れたまぶたで習うのは、気が重いなあ。

 とここまで書いて気になり、ネット検索してみたところ、やはりアレルギーが原因でまぶたが腫れることは多いようだ。他に眼の病気や、「 痛みの無い、両方のまぶたの腫れなら、心臓病や腎臓病も疑う必要があります」と書かれている眼科のサイトもあった。

 わたしの場合、心臓病は疑うまでもないので、そのせいかもしれないが、急にまぶたが腫れるようになったのだから、アレルギーの可能性が高いのではないかしら。

 せっかくよくなった体調が今日買い物に行けば、また少し崩れ、裁判のための小旅行でがくっと崩れ、それを立て直すのに、半月かかり……まともに使える日はひと月のうち何日残るのだろうか。

 体調が悪くても準備書面は書けるが、小説や本格的なエッセーとなるとちょっと苦しい。小説は裁判が終わるまで難しいかもしれない。1~2年も続いたら、それこそわたしは父夫婦を呪ってしまうかもしれない。

 1~2年も本格的な創作から遠ざかるわけにはいかないので、次回の裁判後に、今後の創作計画を練り直そう。

 同人雑誌の仲間が大きな賞に輝いたことで、わたしはその賞とは縁がないとはっきりとわかった。彼はずいぶん傾向を研究し対策を重ね、賞に恭順の姿勢を貫いた。その成果が出たのだ。彼が培った実力があれば、出版社のどんな注文にも応じられるだろう。仲間として、心から成功を祈っている。

 そのような努力はわたしにはできない。わがままで、自分勝手な書きかたしかできないのだ。純文学で世に出るのは、今度こそ完全に諦めた。それでも、例の死者と生者が出てくる神秘主義的な短編小説は仕上げたい。児童文学作品を完成させたい。

 準備書面を来週提出したら、そのあと裁判の日まで数日空く。ここに、同人雑誌に送る原稿の改稿(村上春樹に関する例のエッセー)を持ってきたい。裁判後にも、5日間はほしい。その原稿が済めば、今後の創作に関する計画を練るとしよう。

 児童文学作品の舞台へ取材に行けないなら、別の舞台を持ってくることも考えなければならない。でも、やっぱり鍾乳洞にしたいなあ。イメージを重ねてきたから、頭の中には出来上がったものがあるのだ。ほしいのは、取材を通した実感。それはどうしても、あの鍾乳洞の空気、感触を通してでないと、本物のエッセンスとはならない。

 以前出かけたときの古びた記憶では、掻き立てられるものがないのだ。裁判の期間中に何とか決行しようか?

 その『不思議な接着剤』に登場する子供たちの一人、瞳が『すみれ色の帽子』で生き生きとし出したのはいいが、下手をすれば、『不思議な接着剤』の瞳から遊離するかもしれない。『接着剤』を深めるために『すみれ』は存在するのであって、そのような逸脱をわたしは一番恐れる。

 すみれ』に新しい章をプラスするときは、必ず『接着剤』を読み返してそこから出発するようにしよう。

 とりあえずは、取材に行かずに書ける短編だ。綿密な再計画は、裁判のあと、同人雑誌に原稿を送ったあとで。

 そういえば昨日、調剤薬局から電話がかかり、ニトロのペンダントが届いた由。問屋さん経由で手に入れることができたそうで、従って送料は無料とのこと。1,860円だそうだ。夫も今日は休みなので、これは夫にとりに行って貰おう。

|

2009年3月 3日 (火)

雛祭り雑感(杉田久女の句をご紹介)

 雛祭りに寄せて、大学の文芸部時代のⅠ先輩が、奥様とそのお母様が手作りなさったというお雛さまの写真を送ってくださいました。

 よくできていて、感心しました。草の上に置かれたお雛さま、素敵でした。

 Ⅰ先輩は1学年上の先輩なのですが、最近になって偶然、ネット検索時にわたしのブログにご訪問くださり、メールをいただいて以来の交流の再会でした。

 たぶん、後輩の乱調気味のブログには驚かれたことと思いますが、何かと気にかけていただいてありがとうございます。さすが幹事をしていただけあって、面倒見がよいですね、先輩! この場から改めて、御礼を申し上げます。

 51歳になっていても、先輩からメールをいただきますとね、すっかり大学時代の気分に戻っちゃいますよ。

 Ⅰ先輩は、奥様の了解を得て、創作を再開なさったということです。本気ですね! 歴史小説に中心を据えて書き始めた旨伺い、わたしと興味の共通する嬉しさがありました。

 刺激しあい、高めあいながら、互いによいものを完成できるのではないかと思います。これからも、よろしくお願いします。

 話を雛祭りに戻しますと、手作りのよさを感じさせるⅠ先輩の奥様とそのお母様のお雛さまには、心温まるばかりです。しかしながら、雛祭りというと、わたしは微妙な気持ちになるのが常でした。歳時記などを見ても、何とはなしに寂しさを感じさせる句が案外あるように思います。なかには、

闇のなか髪ふり乱す雛もあれ 〔桂信子〕

という怖い句もあったりして…… 

 御祓いのための流し雛が起源というところから、そんなムードを引き摺っているのでしょうか。あるいは、結婚に関するクラシカルな概念を含んだ伝統というものの重み。そこにひそむ雅やかさと瘴気。世俗の観点から見れば、雛祭りという行事には商売の絡んだ金の力が跳躍する一面もあります。

 源氏物語も連想されます。光源氏の手によって、後ろ盾に乏しい貧困気味の境遇から救い出された紫の上でしたが、新しい環境にまだ怯えているなかで、源氏が一緒に雛遊びをしてあげる場面は印象的です。

 今年も、わが家はお雛さまを飾らずじまい。仕事で忙しい娘も、忘れ気味。来年は飾ってあげなければ。亡き母が、当時はまだ赤ん坊だった娘に似ているからと選んでくれていた、真多呂のお雛さま。里帰りしていたわたしはそのお雛さまを、母の死期を予感しながら、道々泣き泣き、玩具屋にとりに行きました。

 娘時代はそれこそ、自分の命を捧げてもいいと思うほど母が好きだったのに、その母を殺したなんて、実の父から、いくらボケているとはいえ、いわれ、裁判でもあれこれ苛まれ、ああ何という壊滅的な今年の雛祭り。

 ただ、わたしは行事に先駆けて、自作の児童文学作品『すみれ色の帽子』に「ひな祭り」という小品を追加していました。自身がつくり出した瞳という名の少女のクールな感性に救われた今年の雛祭りでもありました。

 この雛祭りに、大好きな杉田久女の雛の句をご紹介して、この雑感を終わりたいと思います。

大江戸の雛なつかしむ句会かな
雛菓子に足投げ出せる人形たち
手より手にめで見る人形宵節句
ほゝ笑めば簪(かんざし)のびらや雛の客
幕垂れて玉座くらさや雨の雛
函を出て寄り添ふ雛の御契り
古雛や花のみ衣(けし)の青丹美し
雛愛しわが黒髪をきりて植ゑ
古雛や華やかならず﨟たけれ
髪そぎて﨟たく老いし雛かな
古りつつも雛の眉引匂やかに
紙雛のをみな倒れておはしけり
雛市に見とれて母に遅れがち
雛買うて疲れし母娘食堂へ
瓔珞揺れて雛顔暗し蔵座敷
雛の麻色紙張りまぜ広襖

――杉田久女――

|

2009年3月 2日 (月)

財産をめぐる争いに殉じた老婦人を高雅に描くローデンバックの『肖像の一生』(ちくま文庫)

 思ってもみなかった裁判沙汰に巻き込まれて、戦慄と惑乱の日々? ですが、こんなときに慰めとなってくれるのはこの種のテーマを扱った薫り高い文学作品です。

 かつて味わった作品を所々拾い読みするだけで、母の胸に抱かれたような安らぎを覚えるのです。バルザックの諸作品にはそのようなものが多く含まれていますが、今日ご紹介したいのは、過去記事で名を出したことのあるベルギーの作家ローデンバックの『肖像の一生』〔ローデンバック集成、高橋洋一、ちくま文庫、2005年〕です。

 《骨肉の争い》というには、あまりにも高雅な老婦人を包含する、財産をめぐる死闘を描いた短編小説です。老婦人が孫に代わって財産を守り抜く物語と要約しておきます。

 引用を挟みながら、あらすじをご紹介しましょう。

 ドゥボネール夫人は若くして未亡人になります。ノートル・ダムの教会堂で祈ることが彼女の心の支えとなりますが、ほどなくして夫の不在を埋めるかのように誕生した娘クリティの成長が悦びとなりました。

 しかし、その悦びもつかのまのことでした。すらりとした乙女に成長したクリティが、激情型の軍人に初々しい一途な恋心を抱いて結婚してしまったからでした。夫人にとっては賛成できない結婚でした。

 娘が、いわば夫人の愛情から盗み出されるようにして、彼女のもとを去ったとき、可哀そうなドゥボネール夫人は、一層はっきりと未亡人であり、子供もいなくなった我が身を自覚した。なんという孤独。しかも、愛着を抱き、心からの愛情を注いだその後に、自分の家の中だけでなく、自分の心の中でもひとりぼっちになってしまうとは。贅沢を知っていただけに、貧窮と零落ほど物悲しいものはなかった。幸福を知り、家庭をもっていたならば、孤独ほど最悪なものが何かあるだろうか?
 ドゥボネール夫人の孤独は極まっていた。閑散とした屋敷で、彼女はクリティを求めて、その思い出が蘇り、その死の時が、娘の旅立った現在という時と重なり合う亡き夫の面影求めて、部屋から部屋へと渡り歩いた。クリティも彼女にとっては死んだも同然だった。そして、死者のすべてが、永遠の中では同じ年齢をもっている。不在者はすべて、不在ということからすれば、同じ領域内にいる。

 夫を亡くしたときと同じように、今度も夫人は信仰に救いを求めますが、ひとりとなった今、彼女はペギン会修道女となり、院長の地位にまで昇りつめるのです。ところが、クリティの婿が、気質も、金遣いも荒い男の正体を見せ始め、妻の持参金を使い果たしてしまうと、姑のお金をせびるようになるのでした。

 ドゥボネール夫人は、婿の要求を拒否しました。それは孫に残すべき財産だったからでした。やがて、クリティは報われない結婚生活にやつれて死んでしまいます。

 当然ながら痛手を負ったドゥボネール夫人でしたが、クリティの形見である孫たちを引きとる決心をし、ヴェールを脱ぎ捨て、再び俗世間の人となりました。孫のローズは婿似、ブランシュは亡き娘に瓜ふたつでした。夫人は、ローズが婿と同じ気質になりはしないかと、孫のほんのささいな気短さにも怯えますが、子供たちはすくすくと祖母の傍らで育っていきました。

 そんなとき、長く不在だった婿が、わが子との面会を求めてきます。その面会の場面は圧巻です。婿である男性の気質がよく表現されており、ローデンバックの優れた人物描写が一際光彩を放っている箇所ではないでしょうか。

 大佐はついにやって来た。彼は、ホテルのその部屋へ、だし抜けに入って来た。彼は、普段着を着て、老けこみ、すでに髪には白いものがちらほらとしていた。彼は、ドゥボネール夫人に、冷やかな挨拶をして、幼い娘たちの方に顔を向けた。
「その変な格好は、どうしたのかね」

 小さな娘たちは、頬を赤らめた。祖母は、彼女たちが、初めての聖体拝受を終えたばかりだと説明しようとした。
「さあ、お前たちのつけているそのヴェールをとりなさい」と大佐は言った。そして、彼は、近づき、軍隊の兵士を扱うように、二人を事細かに観察し始め、さらに一人ずつその姿をじっと見つめた。
 ドゥボネール夫人は、震え上がった。
 彼は、自分自身とローズがあまりにも似ていることに心打たれて、とりわけ彼女をじっと見つめた。彼女の黒い髪、鋭く通った鼻筋、つんと澄ました横顔やらが。
「この子は、確かにわたしの娘だ。私には分る」と彼は言った。「しかし、もう一人の子はどうだろうか……」
 そして、彼は、そっけなく、疑い深い様子で、年下のブランシュを見つめた。ドゥボネール夫人は、大佐が彼女の誕生について、まだ純潔で無垢な処女だった哀れなクリティについて信用できないといったことをほのめかしているのだと思って、内心ぞっとした……。
 大佐は、今や、快活な様子で微笑んでいた。
「この小さなブランシュも不器量ではないが、どうも私の本当の娘らしくないな」
 とても親切で優しく、立派で金モールに飾られた父親を期待していた二人の子供たちは、このように手荒な扱いを受けて、泣き出してしまった。 

 わが子を前に、まるで生体解剖でもするような大佐の視線はどうでしょう。聖体拝受を終えたばかりで、二本の聖なる白百合のようになったローズとブランシュ――神聖不可侵のヴェールに包まれた孫たち――を婿に見せたかったドゥボネール夫人でしたが、彼女の価値観は通じませんでした。

 彼の気質はクリティを死に追い遣ったときと同じ気質であり、金遣いの荒さにも変わりがありませんでした。祖母の警戒心は、嫌でも嵩じずにはいられません。

 ドゥボネール夫人は、年をとってきた。彼女の健康は、あまりにも激しい苦悩のせいで悪化していた。密かな不安が、絶えず夫人の心の中を占めていた。もしローズとブランシュが成人に達しないうちに夫人が死んでしまえば、この娘たちは、父親にそばに戻るように無理強いされることだろう。そんなときに、一体誰が知りえようか。彼女たちの存在そのものが保証している心の平穏さという財産、父親が奪い取り、少なくともいつも借金を負い不安定な彼の金銭状態を清算するためにその一部を使ってしまうかもしれない財産のことを。いけない! そんなことがあっていいはずはなかった。ドゥボネール夫人は心を緊張させた。神ご自身さえ、そんな不幸は、望まれていないはずだった。神は、その御意の瞬間まで、二人が成人する年齢までは、夫人を生かしておいてくださるだろう。

 二十歳になってしまえば、安全なのでした。法律が孫たちの財産を、それを奪おうとする肉親から守ってくれるからです。

彼女は、彼のことしか頭になかった。彼女には、金を手に入れるために彼が仕かけて来た言い争いや数々の暴力、物静かなペギン修道院のあの応接室のテーブルを彼がサーベルで叩いたあの瞬間以来、彼について、ほとんど恐怖心とも言える固定観念がつきまとっていた。死の迫り来るのを感じ取っている今となって、またしてもドゥボネール夫人には、無礼にも彼が一方的に帰ってくるのではないかという恐れ、近づいている財産相続を狙って、夫人から娘たちを奪い返そうと彼がだし抜けにやって来るという恐れだけがあった。
 子供たちが成人するその瞬間まで彼女が生き長らえればよいのだが。しかし、誰に死を引き延ばすなどということができようか。自分が墓に納まる日を遠ざけようなどという大それたことを誰が思うであろうか?  ドゥボネール夫人は断固としてそれを望んだ。彼女は、しっかりと祈った。昔かたぎのペギン会修道女としての信仰心が、再び彼女に蘇った。

 そして、夫人は二人の孫たちの成人まで生き延びるという偉業を果たします。案の定、ドゥボネール夫人の死を聞きつけて婿がやってきますが、そのときはもう遅かったのでした。

 その翌々日、祖母の死亡を友だちから知らされていた大佐が、やって来た。今度こそ、彼は、一家の主として家に入ってきて、自分の家同然に、その住まいに落ち着こうとした。命令口調で、彼は、娘たちに出発を急がねばならないこと、家財道具を運び出してもらわなくてはならないことやらを話した。しかし、ローズとブランシュは、二人同時にまるで同じ声で話しているように、自分たちはどこにもついていかないと宣言した。
「私たちは、よく知りあっているじゃないか」。父親はいらいらして言った。
「全然知らないわ」。ローズが答えた。「私たち、おばあちゃまと約束したんですもの」
 そして、ブランシュも、小声で言った。「そうよ私も成人したの。私たちは、二人してこの家にいると誓ったのですもの」
 大佐は、はっとして、頭の中で計算してみた。本当だ。ブランシュも成人に達していた。自分の子供の誕生日もほとんど忘れていた。罪深く哀れな父親。その通り。今では、二人っきりで、何をしようが自由だった。

 少し物語を遡りますが、今や死のうとするドゥボネール夫人に残る幾ばくかの不安や恐怖、それを抱擁する大いなる歓喜……といったものを、ローデンバックは夫人と一体化したかのような生々しさで描いています。軽みが荘重さに溶解したような、絶妙なタッチです。

 感激が強すぎたのか。はたまた、ぎりぎりの猶予、一風変わった延命を与えられていたのに過ぎなかったのか。その日の半ばごろ、彼女は苦しみ出した。彼女は、午後になって、静かに意識が失くなり、夕刻までに時折り眼を開けたりしたが、その瞳には、あたかも、来るのを待ち受けられていた死者以外の何者かが、扉を開けて中に入って来るのを恐れているかのような悪臭のある吐気とか、ちらりと見える苦悶にも似たある種の恐怖、閃きが見受けられた。しかし、部屋の静けさに安心したのか、まだいくらか意識が残っていたこともあって、たわいないうわ言を再び言い始めた。というのも、彼女は、決まり文句のように一本調子で、絶えず繰り返していた。成人したわ、と。救われたり、と危機が去ったときの歌のようにまたも熱狂的に言うのだった。成人したわ! さらには、鳴り方が少しずつ遅くなっていく鐘のあの衰え行く旋律のように、「成人したわ。成人よ」と。それもやがて消滅し、沈黙というふわふわした空気に吸収され、飲みこまれていくのだった……。

 この『肖像の一生』が、白黒つける法律というものの性質をよく呑み込んでいる人物にしか描けない作品であるとわたしには感じられ、ローデンバックは法律を勉強したことがあるのではないかと思いましたが、果たしてそうで、大学で法律学を修め、弁護士修業もしたことが解説で触れられていました。

|

2009年2月25日 (水)

バルザック作『鞠打つ猫の店』

バルザック作『鞠打つ猫の店』

 娘が岩波文庫から出ているバルザックの『ゴプセック・鞠打つ猫の店』(芳川泰久訳)を買ってきました。

 すばらしい活力剤です。

 鞠…のほうは、東京創元社のバルザック全集にも、藤原書店のバルザック「人間喜劇」セレクションにも入っていず、このバルザックの《人間喜劇》第一巻巻頭に置かれた作品を読めないことが残念で仕方がなかったのでした。

 父たちの起こした裁判沙汰は、まるで《人間喜劇》のなかに物語としてありそうな異様さ、おかしさ、せつなさがあります。わたしもその物語における登場人物の一人であるわけで、バルザックであればどう描くのでしょうか。この自ら出演する物語を鑑賞する余裕は、今はありませんが……。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月24日 (火)

裁判の記事に関して

 わたしの裁判の記事に関して、まだ20歳代の若い方から 「近親同士そういったことがあったらと考えると、実にかなしく、また興味深くもあります」という感想をいただきました。

 わたしはその言葉に対して、
「裁判という形には発展しましたが、これは老人問題といっていいかもしれません。憎みあってのことではないので、かえって難しいともいえます。下手をすれば、こちらが生活の基盤を失うことになりかねず、そうすると、父たちを助けることもできなくなるので、この裁判をどう持っていけばいいのかと、真剣にならざるをえません。芸術が現実から霊感を汲み取ることを考えれば、こうした体験こそ重要だと思い、耐えています」とお返事をしました。

 わたしの裁判に関する記事が、閲覧してくださる方々の多くを悲しませていると想像すると、このような記事は公開しないほうがよいだろうか、という迷いが生じます。幸い、メールをくださった若い方は、興味深くもあるとつけ加えてくださいましたが、中には、暗い、心を冷やす記事ばかり公開する『マダムNの覚書』にはもう行きたくないと思われる方もいらっしゃるでしょう。そう思われても当然ですので、わたしとしては、それはそれで仕方がないと割り切るしかありません。

 第1回口頭弁論に出かけたとき、わたしたち親族とは別に被告にさせられてしまった方の奥様から、骨肉の争いといわれ、その言葉はわたしの胸を刺しました。どう言い訳しても、他人の目にはそう映るのだろうと思います。

 ただ、わたしはそれに対する言い訳のために、裁判の記事を公開したいと思ったわけではありません。裁判の記事は、カテゴリー『父の問題』に含まれています。

 骨肉の争いと単純化できない複雑な問題が、この裁判沙汰には潜んでいると感じられるからです。被害者の立場でこの問題を採り上げたわけではなく、作家の卵として採り上げました。また、近く裁判員制度が導入されようとしていますが、実際に被告として裁判の場に引っ張り出された一庶民の素朴な驚きと疑問、そうしたものも記録としてしっかり残していきたいと考えています。

 今後共、『マダムNの覚書』をよろしくお願い致します。

|

2009年2月21日 (土)

猛勉強中φ( ._.)

猛勉強中φ(<br />
 ._.)

 娘が勤務先の書店から買ってきてくれた『よくわかる民事裁判――平凡吉訴訟日記』(山本和彦、有斐閣)は民訴入門というにとどまらない、民訴の歴史、本人訴訟の割合や法テラスといった新しい情報なども織り込まれた贅沢な参考書です。

 平凡吉という土地問題に巻き込まれた一庶民を主人公に設定して、素朴な疑問や実感を日記形式で追いながら、専門的な解説を加えていくユニークな構成となっています。

 第一回口頭弁論に出頭したときの凡吉の戸惑いと疑問は、わたしのそれをそのまま代弁していて驚きました。前もってこの本を読んでおけば、自分の置かれた状況を全体的な視野から捉えられただろうにと思いました。

 庶民には痛すぎる裁判制度というわたしの印象は、この本を読んでも変わりません。

 訴えられて寝耳に水の凡吉は、弁護士費用が高すぎるので法律扶助制度というサポート制度を希望しますが、条件を満たさず、受けられません。この制度が、「貧困者に対する弁護士費用の無利子での融資の制度」にすぎないためです。制度の資金不足により、そうならざるをえないようです。

 この制度への国の補助金は長く1億円前後に据え置かれ、ようやく増加の傾向にあるそうですが、イギリス1700億円(これは凄すぎて、逆に問題がありそう)、ドイツ260億円、フランス240億円に比べると、雀の涙ですね。

 国は、規制緩和に伴って急増するだろう訴えに対処するためにも、本の中の言葉でいえば「豊富な数の弁護士のサービスをリーズナブルな価格で購入できる」よう慌てて法科院などつくり、弁護士を増やそうとしていますが、なかなか思うようには運ばない塩梅。

 善良な一庶民にとって、訴えられるということは有無をいわせぬ取り立てと同じです。実際、わたしは強盗に遭ったような気分に陥ったほどです。弁護士報酬は高額なのだから、訴状のスタイル面だけでなく、内容面も常識的なチェックくらいは行えないものでしょうか。水際作戦は、こういうところでやってほしいものです。

 凡吉は弁護士に頼まなければ勝ち目がないと思い、弁護士を立てます。着手金として基準料金109万のところを、お金がない凡吉のために弁護士はとりあえず50万円要求します。この金額は、わたしが弁護士費用を尋ねたときに、書記官が答えた手付金と同じ金額です。

 凡吉は娘の結婚資金(運よく海外結婚式となり、手付かずで残る)、ボーナス、退職金の前借りで費用を捻出します。わたしは専業主婦ですから、凡吉の真似ができません。

 父夫婦こそ、脅迫、名誉毀損、プライバシーの侵害などでわたしたちを脅かしています。精神疾患を疑わざるをえませんが、法廷では普通人として扱われている以上、この裁判で、反訴という形で損害賠償の請求ができるのではないでしょうか。しかし、証人を呼んで来なければならない大変さがあります。呼ぶこと自体大変ですが、証人への日当など用意しなければなりません。

 調べたところでは、精神鑑定にはお金がかかるようです。2人ですしね。またそうすることで、こちらに別の負担がかかる心配もしています。ここでは触れませんが。

 何にせよ、訴状に書かれた事柄の立証責任は原告にあるはずですから、その責任を強く要求していきたいと思っています。

 土台素人には無理なことをやろうとしているわけですから、精一杯やって、あとは木星と海王星の加護を祈るしかありません。木星は法の、海王星は福祉の守護星です。

 『正当西洋占星術大全』(学習研究社)によれば、わたしのホロスコープのように射手座に土星が入っている場合、「血のつながらない姻戚などから重荷や法律上の心配事を持ち込まれがちです」とあり、当たっています。婚家の趣味的としかいいようのない悪質な嫁いびりにしろ、父の再婚後に起こってきた問題にしろ。

 わたしの木星は海王星と合。金星とは折り合いが悪くて愛情問題では失望しやすい傾向をつくりますが、(水性と合の)太陽ととても相性がよく、冥王星ともよいので、起死回生といいますか、今回のことでも、転んでもただでは起きないでしょう。

 木星は幸運と膨張の星でもあります。腹部は充分、膨張しました。いずれ56歳になって、現在の木星の域から土星の域に移れば、痩せてくるでしょうよ。

 46歳で木星の域に入ってから、もろに木星のテーマに直面させられています。台風被害で示談書を作成し、夫の件で法的なことに発展しかねないある騒動があり、一昨年からは父夫婦に法絡みの難問を持ち込まれています。

 法学部の学生だった頃はまさか30年後に、法廷に月一回レポート提出しなければならなくなるなんて、想像もしませんでした。あと何回なの? 文学に熱中して、法律サボったバツかしら。でも、書く力は別の方面から鍛えられていいかも。子供(小説)も産みたくなってきました。幽霊が証言台に立つという短編を思いつきました……その作品と『台風』『侵入者』で法三部作です。

 叔母さん、準備書面を前に困っているだろうなあ。役所勤めの従兄が面倒を見るでしょうが、彼も多忙だから。

 今夜妹と、証人、精神鑑定の件など、話し合いたいと思っています。書記官への質問は、頭の中を整理してから来週中にでも。

|

2009年2月20日 (金)

姪はアクセサリースタンドに大喜び

 姪に贈ったアクセサリースタンド。

 すぐにメールをくれた姪ですが、今日届いた妹の手紙に「Nは大喜びで、“おばちゃん、センスいいし、大好きheart01”とはしゃいでいました」とあり、くすぐったい気分。

 火曜日の裁判のあとで、駅校内のハンバーグのお店で妹、わたし、娘で食事しながら、うっかり2時間半も過ごしてしまったのですが、姪はわたしが思っていた以上に、勉強、クラブ活動、歌と頑張っているみたいで、嬉しく思いました。

 父夫婦のことは気を重くさせますが、妹とはよく会えるようになり、その点だけはよかったと思わざるをえません。

 わたしたち姉妹が独身だった頃、勿論父は正常でしたが、その頃でさえ、否、母が生きていた頃でさえ、毎日が何とも暗い気分だったことを互いに打ち明けました。妹とは幼い頃から寄り添い、懸命に生きていたという感じでした。

 あの実家の暗さは何だったのでしょうか。妹一家は明るくて屈託なく、わたしの家庭もいろいろとあってさえ、あの引き込まれるような暗さはないのです。

 これまで書いてきた小説に、断片的に表現してはいますが、捉えきれていない何かがあります。

|

2009年2月19日 (木)

わあ、民訴のお勉強って楽しいなあ!

わあ民訴のお勉強って楽しいなあ

 30年ぶりに民訴のお勉強!

 本人訴訟も結構多いようで、ありがたいことにネットにもいろいろと出ています。

 今夜中に、ざっと民訴の流れを頭に叩き込み、明日、循環器クリニックを受診後に書店に寄って、準備書面のhow-toものがないか、漁ってみたいと思います。

 身の潔白を証明さえすればいいというわけではなく、2匹のグレムリンをどう生け捕り、平和的に飼い慣らすか……しかもわたしたち姉妹に負担がなるべくかかってこないようにといった将来的なことをも見据えた戦略的な部分をうまく組み込まなければならないわけで、それが難問です。

 例えば、父夫婦は妹が広壮な別宅を所有していて、そこに住んでいるという妄想を抱いており、訴状にも記載されています。

 そうでないことを立証するのは簡単でしょうが、父夫婦のその妄想のお蔭で現在、妹は彼らの来襲に遭わずに済んでいるわけです。

 ところが妹がそうではないことを準備書面に書いたとすると、それは父夫婦に送られますから、妹は彼らの来襲に怯えなければならなくなります。妹はそうした不安をわたしに訴えました。

 父夫婦に精神障害が疑われるだけに、この訴訟をどう乗り切るかについては、独特の難しさがあります。

 あの若い書記官は少し頼りない気もしますが、わからないことはどんどん訊いて(上記のようなことも)、準備書面を作成したいと思います。

 それにしても、本を読んだ限りでは、裁判官は事件の内容を把握しておくべきであるようです。あのヘボ裁判官……!

|

2009年2月18日 (水)

まずはハンドメードで裁判(自身の弁護)にチャレンジ(するしかない)。

 昨日の裁判疲れで、今日は寝たり起きたりですが、ブログに書いても構わないと思われる範囲内で、忘れないうちに記録しておきたいと思います。

以降の記録は、裁判には全くの無知、右も左もわからない一庶民の単なる覚書に過ぎないことをお断りしておきます。記憶違い、理解不足で、どんな間違ったことを書かないとも限りません。くれぐれも、信頼できる記述として参考になさったりはしませんように。

 地裁は家裁と同じ敷地内にあり、家裁が学校の古い校舎的趣だったとすれば、地裁は比較的新しい校舎という感じで、外観も内部も本当に学校そっくり。

 指示された法廷に入ると、ドアを入ってすぐに裁判官見習いの席があって、青年の裁判官見習いらしい男性が座っていました。そして、裁判官の席に裁判官、その真下に書記官の席があり、裁判官に向かって左側に原告席、右側に被告席。下方が傍聴席となっていました。

 傍聴席には自由に入れます(傍聴希望者が多くて入りきれない場合は整理券が発行されるのでしょう)。今回の損害賠償請求事件とは無関係の娘共々、わたしたち被告は指示されたように傍聴席に入りました。父夫婦は廊下に近い傍聴席に既に着席していました。わたしたち被告は窓際の席へ。

 現れたわたしたちの顔を見たときの父の嬉しそうな顔。それは、このように場には不向きな、身内に会えた喜びの表情でした。ふたりとも、一昨年の夏、家裁で会ったときとほとんど様子は変わっていず、元気そう。身なりもよく、おしゃれでした。確かに、そうした姿を見ていると普通に見えます。

 二つの別の事件に関する口頭弁論が先に行われました。最初の事件は離婚に関するものでしょうか。原告席、被告席に着席したのは、どちらも若手の弁護士という感じ。簡単な確認作業が裁判官との間でなされ、所要時間は10分ほど。次の事件は企業に絡んだものでしょうか。頭がもしゃくしゃなこれも弁護士と思われる中年男性が重そうな記録簿のようなものを抱えて原告席に座り、裁判官との間でごく簡単なやりとり。所要時間はせいぜい5分。

 父夫婦は事前に専門家のアドバイスに従って訴状と準備書面を作成したものと思われますが、本人たちで裁判を進めるようです。何がナンだかわからないまま、濡れ衣を着せられて被告席に引っ張り出されたわたしたち被告も弁護士を代理人とはしていませんでした。素人相手では裁判官もやりにくいのでしょうが、お役人的なエラそうな雰囲気を漂わせていて、態度、口調は冷淡な印象。

 まず、原告、被告席に着席した人間が本人かどうかの確認が行われ、欠席した被告の1人である伯父について理由が訊かれました。

 被告は6人です。欠席した伯父を含めて、5人は身内の人間ばかり。一昨年の調停で顔を合わせたメンバーです。他の1人は、明らかに濡れ衣を着せられた小児科医。

 伯父は高齢で、交通事故後に記憶が曖昧となり、健康状態も悪いために欠席したが、欠席については、事前に書記官から答弁書の提出があれば可能との言葉があったことを被告の1人である従兄が説明しました。

 次回からは、原則として欠席は認められないとのこと。病気などの正当な理由がある場合は、事前に診断書などを提出して許可をとるようにとのことでした。その場合も、延期になるだけなので、いずれにせよ、出席は不可欠です。そして、弁護士以外の代理人は認められないそうです。

 弁護士を雇えない人間は、張ってでも出席しなくてはならないのでしょうか?

 「前もって診断書の提出が必要とおっしゃいますが、わたしは心臓疾患を抱えており、前日までは出席可能な状態であったとしても、当日の朝、発作が起きて出かけられないという場合もありそうなのです。その場合は、欠席が認められますか?」と、裁判官に尋ねてみました。

 その場合は電話でその旨、担当の書記官に連絡し、後で診断書を提出すれば、認められるだろうという回答でした。口頭弁論の日が延びるだけですが。

 法廷では、特定のスタイルに従って事務的な確認作業が流れ作業的に行われるだけ……というわたしの印象です。

 その特定のスタイルを呑み込めている専門家同士で事を進めたいという思いが裁判官、書記官には見え見えで、若い女性の書記官から再三、「被告は人数が多いのですから、弁護士費用を頭数で割れば1人分の負担額は軽くなりますよ」と、暗に、次回からは被告全員で1人の弁護士を代理人とすることを勧められました。

 わたしは嫌ですね。いける限りは、ハンドメードでGO!です。だって、手付金だけで50万円だとの書記官の言葉です。その金額がこの先、どれくらい膨れ上がるものか、想像もできません。裁判というものは金持ちに有利という以上の強圧的な何かがあると感じさせます。 

 仮に身の潔白を証明できたとしても、父に被った被害の損害賠償を求めようと思えば、こちらが訴訟を起こさなければなりません(父夫婦が起こした訴訟と同時進行で進めることはできるそうです)。

 月一度のペースで進められることになるらしいこの裁判が終わるまでに、どれくらいの日数を要するか、従兄が裁判官に尋ねました。このような損害賠償請求事件では通常は半年、内容が複雑であれば1年以上と、はっきりしたことはいえないようです。

 裁判官は、被告全員の答弁書が全て身に覚えがないとなっており、これでは取っ掛かりが掴めず、片方はやったといい、他方はやらないという水掛論となるばかりで、裁判が進められないと困っていました。

 それなら、いくら、訴状や準備書面(口頭弁論は書面で準備されることが必要で、これを準備書面といいます)のスタイルを踏んでいるからといって、内容的にはろくに読めもしないような訴えをなぜ通すのか、という疑問がわきます。反論しようにも訴状が読めないのですから、反論しようがないのです。

 おそらく被告全員にわいたこのような疑問を従兄が代弁して、裁判官に質問しました。裁判官の回答は、スタイルを踏んでいれば、裁判所は中立の立場から、訴えを通さざるをえないというものでした。

 変な中立もあったものです。弁護士と裁判所が儲けるのに都合のよい中立ですね。 

 スタイルさえ踏んでいれば、例え、「被告は、*年*月*日に、魔法で化石から恐竜を甦らせて原告の車を踏みつけさせた、被告は原告に対し1億円支払え」というような荒唐無稽な訴えでも通るというわけです(父夫婦の訴えは、内容的にはこれと大した違いはありません)。

 そして、訴えられた側は、応戦するか、認めて1億円払うかの道しか選べないというわけです。訴えられ損では済ませるわけにはいかない理不尽さが、現行の裁判制度には存在すると感じられてなりません。

 わたしは裁判官にいいました。「一昨年、原告は同じような内容の訴えを家裁に申し立てました。それは不成立に終わりました」

「あなたは原告とはどんな関係にあたるのですか?」と、面倒臭そうに裁判官。「原告は父にあたります」とわたし。「調停とは違い、裁判では、裁判官は何らかの結論を下さなければなりません。不成立ということにはできないのです」と裁判官。

 呑み込みの悪いわたしにも、ようやくわかってきたことがありました。要するに、裁判官は白紙の状態なのです。父夫婦が提出した訴状と準備書面のスタイルを書記官にチェックさせただけで、何の予備知識もないわけです。

 わたしは、裁判官が訴状、準備書面の内容を把握してくれているものと勘違いし、また彼がこの内容では裁判が進められないとして、中断を宣言することを期待していました。

 でも、現実には、裁判官に人間的な対応を期待するわけにはいかないということがわかりました。裁判官は人間というより、コンピュータですね。原告の訴えはインプットされているが、被告の訴えがインプットされていないため、コンピュータは作動しないのです。

 わたしが自分のパソコンにいくら話しかけたところで通じないのと同じで、コンピュータを作動させるためには、入力作業(準備書面の提出)を行わなければなりません。

 次回の口頭弁論までの課題として、被告には、準備書面を事前に提出して原告との身分関係や仲が悪くなった経緯などを書くようにとのこと、また原告には、証拠となる文書なり何なりを提出するようにという指示が裁判官から下されました。

 次回の出頭は1ヶ月後です。

 書記官は弁護士を雇う気がないわたしたちのために、準備書面の書きかたをコピーして被告全員に配ってくれました。

 原告の精神鑑定の請求ができるかどうかを尋ねると、認められれば可能となるが、準備書面には、今後、精神鑑定依頼も検討しているくらいに書いたほうがよいでしょうという書記官のアドバイスでした。

 仮に父夫婦に精神鑑定の必要が認められたとして、そのための費用は当然、こちらが持つことになるのでしょうね。いくらくらいかかるのでしょう。何を書くにも慎重にならなくてはなりません。

 妹から、裁判の前に、父夫婦が某銀行に何度も出向いて、訴状にあるようなあらぬことをいい、業務妨害を行ったと聞いていました。銀行は、訴えることまでは考えていないとか。その銀行には妹の友人が勤めていて、父は彼女と顔見知りでした。わたしと同学年の男性もいるようで、彼はわたしを知っているといっていたそうです。故郷では、どれだけ噂が拡がっていることやら。

 被告の1人である小児科医は高齢であるため、女性が付き添っていました。この女性はたぶん小児科医の後妻です。「訴状は読めたものではありませんでした。わたしはお母さんを知っていましたが、こんな財産をめぐる骨肉の争いに巻き込まれて、本当に迷惑です。今日は病院を休診にしてきたんですよ」と彼女。

「父と争ったことはありません。ご主人と同じ立場です」と、わたしはいいました。この国の法律では、人格は個別のはずです。わたしが彼女に文句をいわれる筋合いはありません。父とわたしが結託でもしているというなら、話は別ですが。

 子が親の犠牲になるのは、過去の時代のことだとわたしは思っています。ホームページに収録中の『救われなかった男の物語』は、それをテーマにした小説です。

 小児科医の先妻は、亡くなった母の友人でした。慎ましやかな、優しい女性でした。ひどい離婚のされかたをしたと聞き、ご主人はひどい人だと思っていましたが、医師は寡黙な男性で、後妻は露骨な女性。女性が主導権を握ってのことかしら。まあどうでもいいことです。

 ただ先妻の女性であれば、まともだった頃の父をご存知のはずで、力になって貰えたかもしれないと思います。力になってくれそうな人は、父が仲違いするか亡くなってしまいました。

 書記官によれば、調停のときの書類は証拠品として提出できるそうです。調停のときの書記官を参考人として招くことができたら、いいのですが。

 訴状のなかに、わたしが原告である父の奥さんを精神分裂病と侮辱したとあり、その件も損害賠償請求の対象となっています。他の記述は読めたものではないので、ここを取っ掛かりにしたいと考えています。

 わたしは父が再婚した早い時期から、奥さんには精神疾患が隠れているのではないかという漠然とした不安がありました。そして、その後、それに間違いないだろうとほぼ確信し、父にお医者に見せたほうがいいのではないか、とこっそりといいました。あくまで、身内としての心配からでした。

 わたしが奥さんの精神疾患を疑ったことが正しいのか間違っているのかはわかりませんが、その動機となった証拠品があります。それはペリカン便で届けられた小包に貼られていた宛名ラベルです。

 それには自筆で、実家の住所のところに奇妙なことが付け加えられていたのです。「ポリス前九電(?)」と。実家の近くには警察関係の建物も九電もありません。電信柱は家を出てすぐの道に立っていますが。本当に奇妙な書き込みに思えました。

 いつか裁判沙汰になることまでは予感しませんでしたが、それまでにもおかしなことがあったため、その記録をとっておこうと思い、わたしはノートを作りました。

 そのノートの書き出しのページに、わたしはその宛名ラベルを貼りつけています。ラベルにある日付は、平成10年12月13日となっていました。

 そのラベルの横にわたしの自筆で、「亡き母の遺留品(その中には父母が結婚したときの記念品の木でできた刀なども入っていた)や、わたしが家に置いてきた本などが送られてくる。小包の件で電話を入れたところ、義母が出、彼女がいうには、亡き母が夜中に出てきて、果物ナイフで、まな板をトントンやっていたとのこと。母の持物やわたしの本が家にあると気持ちが悪いから送ったという」

 父はこの頃は正常で、奥さんと仲よくしながらも、よく叱ったり、宥めたりしていました。わたしたち姉妹との交際もありました。

 この頃、奥さんが、妹にはわたしの、わたしには妹の悪口ととれるようなことをよくいっていました。後に確かめたところでは、奥さんの虚言とわかりましたが、当時はわからず、そのことで、わたしたちは疑心暗鬼となり、姉妹の仲が悪くなったほどでした。

 ノートの次のページには、2件の記述があり、
「H12.5/8 父の友人のMさんに、祖母の葬儀に出席いただいたお礼のハガキを書いたことに対し、父より怒りの電話あり。よけいなことをするなとのこと。Mさんは平服で出席されていた。そのことで父は怒りをぶつけてくる。」

「H12.8/11 妹から電話。実家に電話をかけたら、『もしもし』と言ったとたんに電話を切られたとのこと。(後日)再び実家にかけたら父が出て、Mさんをわたしと妹が共謀して葬儀に連れてきたといって怒ったらしい。お盆に行こうと思い、家にいる日を訊いたが『わからん』という怒った返事が返ってきただけとのこと。」

 この頃、父はひどく怒りっぽくなっていて、交際のあった親しかった人々を次々と切っていっていました。Mさんは、穏やかな紳士で、わたしたち姉妹とも話したことがありました。本当に優しいかたでした。

 わたしが父の友人に葉書を書いたのは、この1回きりです。だんだん変化していく父に不安を覚え、せめてMさんには父の傍にいてほしいという思いが、そんな行動をとらせたのだと思います。

 Mさんは持ち前の優しさから、勿論自発的に、車で1時間以上かかる葬儀にいらしてくださったのでしょう。Mさんが平服で出席なさっていたというのは父の言葉であって、それが事実だったかどうかはわかりません(礼儀正しい日頃のMさんから考えて、平服でというのは不思議な気がします)。

 このあと、こんなことを綴ることが虚しくなり、ノートを中断してしまいましたが、続けていればよかったと思います。

 証拠品になるかどうかはわかりませんが、このノートは提出するつもりです。

 日記にはあれこれ書いていると思うので、以前の記憶を確認するためにも、読み返さねばなりません。

 奥さんは新婚の頃、わたしに、「育ての親は伯母だけど、仲が悪くなって、好きな伯父の遺骨を持って青森の家を飛び出したの。東京に長くいたけど、寒いから大阪に引っ越して、震災で怖くなったから九州に来たのよ」といいました。父と結婚する直前に離婚していているようです。

 彼女は、地区の人の紹介で父と知り合ったときはスーパーでレジを打っていました。乙女座の几帳面そうな女性で、わたしは彼女に病的なものを感じてはいても、決して嫌いではありませんでした。

 夫と同じ年齢で、お母さんというより、お姉さんができたような感覚でした。それで誕生日にプレゼントしたり、正月と盆には実家に帰りましたが、しつこすぎても嫌われると思い、それ以外には、父から何かいってきたときくらいしか連絡しないようにしていました。

 ノートに書いた頃まではそのような交際がありましたが、その後、連絡をとるのが怖くなり、こちらからは連絡しなくなりました。でも、季節の変わり目になると、実家から何かしら怖ろしいことで電話がかかってきました。

 ノートに宛名ラベルを貼りつけたときから、10年が経過しました。その間、わたしたち姉妹には平安というものがありませんでした。

 青森には、奥さんの伯母さんがいるはずですが、夫の遺骨と共に失踪した姪を、気も狂わんばかりに心配しているのではないかという想像がわたしには繰り返し起こって仕方がないのです。

 どうしてこんなことになったのか、昔の奥さんはどんな印象の人だったのか、青森の伯母さんを訪ねてみたいくらいですが、住所も何もわかりません。あの当時でさえ、訊こうとしたら、詮索している、結婚に反対しているととられかねませんでしたから。

|

2009年2月15日 (日)

姪にアクセサリースタンド

 14日の夜、ニトロペン(ニトロ舌下錠)を使ってから、体調がよくなりました。それから考えると、このところの絶? 不調の原因は、またしても宿痾――心臓疾患――だったということでしょうか。

 いずれにしても、機会を見て、肝胆膵内科を受診したいとは思っています。

 何にせよ、体調がよかったので、14日に済ませられなかった用事を済ませに、翌日また出かけました。家賃を振り込むなどの用事もあったのですが、一番の用事は姪にちょっとしたものを買うことでした。

 ちょっとしたものだから、金額的には上限で3,000円。ファッションビル、商店街のお店など、あちこち行きましたが、結局百貨店へ。

 入浴後に頭を包むタオルをそのまま帽子にしたものがあり、なかなかよさそう、と思いましたが、うーん。アロマグッズはどうでしょう。高校生だから、そんな時間がないかも。では、アクセサリーボックスはどうだろう、と思い、探し始めました。

「お小遣いのなかからちょっとしたものを買っては、結構上手におしゃれしているのよ」との妹の言葉を思い出したのです。前にペンダントをあげたとき、喜んでくれたことも思い出されました。

 きっと姪は、お小遣いから買ったアクセサリーをいろいろ持っているのではないでしょうか。だとすると、それをうまく収納・保管するための容器が要ります。もう既に持ってはいるでしょうけれど、贈られでもしない限りは、案外、間に合わせ的なもので済ませてしまうこともあるのでは?

 万単位の高価なジュエリーボックスならいろいろとあって、オルゴールつきのや、書物や楽器や卵を象ったものなどありました。わたしがいいなあと思ったのは、整理箪笥のミニチュアといってよい、レザーで出来たジュエリーボックス。黒とベージュの段が交互に来るように配置されています。値段は8,000円くらい。

 でも今回のちょっとしたもの、という趣旨からは、大幅にはみ出してまいます。

 それにそれはジュエリーボックスなので、ペンダントとかネックレスが棚の中で絡まりそう。その下の陳列棚に、ジュエリーボックスというより、いわゆるアクセサリーボックスがありました。

 箱の中には、ペンダントなどが絡まないように引っかけるところが並んでいて、ピアスや指輪置き場もちゃんとあり、小型ながらよく工夫もされています。木製でさわやかなデザイン、色は若草色。蓋は透明です。取っ手が洒落ていました。値段も、何と2,000円弱。それでいて、安っぽさがありません。

 お店の人に、高校生にも無難かと尋ねると、「ええ、ええ、高校生にもいいと思いますよ。社会人になってからも、自分一人ぶんであれば、これで充分足りると思います」とのこと。

 それに決め、包んで貰っていました。姪はあれを喜んでくれるかしら。歌が好きで、昨年のジュニア対象のコンテストでは、2人のユニットで姪が歌い、いいところまで行ったようです。もう少し華やいだ気分にさせるものをあげたい気もするけれど……と思いながら、ふと見ると、上のほうに、女性を陶器で象った素敵なアクセサリースタンドがありました。

 すんなりとした体に貴婦人のような長いドレスをまとい、丸い玉となった頭部から真珠を模した玉がついた金色の細いアームがいくつも出ています。そこに、ペンダント、ネックレス、ブレスレット、指輪などをかけられるようになっていました。

 眺めるだけで、夢見心地に誘われる優雅さです。まあ、素敵、10,000円は下らないだろうなと思って値段を見ると、何と3,000円弱でした。この安さは何でしょう。円高のお蔭? 尤も、万単位のものから目を移せばナンですが、それだけ見ると、とてもその値段には思えません。

 木製のアクセサリーボックスを包んでくれている人は別のところにいましたから、売り場で、別の人と話しました。「それ、いいでしょう? 珍しいですよね、こういうのは。飾り物としてもいいと思いますよ」と静かながら、おすすめの口調でした。

 それと交換して貰いました。見ようによっては、トロフィーにも見えます。これを見て、華やいだ気分になってほしいと思いました。

 姪は高卒後は就職することに決まっていて、妹は「勉強は嫌いだから、就職のほうがいいと思う」といっていましたが、姪は大学進学を迷っていた時期もありましたから、当人の心はもう揺れてはいないのだろうか、と少し心配になります。

 歌に関しては妹より、外野のわたしのほうが慎重な態度。夫の会社の同僚の奥様で、わたしのママ友であるHちゃんは、歌がとても上手です。若い頃、演歌歌手としてスカウトされたことがあり、そこは名のあるプロダクションで、契約金は当時のお金で2,000万円だったそうですが、それでも将来のことを考えると、ドサ回りが脳裏に浮かび、踏み切れなかったとか。

 わたしの作家志望と姪の歌手志望には、どこか似たところがある気がします。夢を追い続けることに関する懸念材料としては、姪の声は高音部に弱く、それが付け焼刃的な訓練でどうにかなるものかどうか、わたしには専門的なことはわかりません。タレント性はあるかもしれません。

 短大か大学へ進めば、サークル活動、レッスン、バイトなどの時間がとれたりもするでしょうから、この先、歌とどう付き合っていくかをはっきりさせる期間を持つためにも、わたしはそちらを勧めたいところですが、他人の家庭のことにそう口出しはできません。

 奨学金を利用するとしても、お金がかかりますし、今も男の子を重んじがちな郷里の風習を感じないわけにはいきません。難しいところでしょう。

 姪は今、簿記の資格にチャレンジ中のようです。そんな生活のなかでも、たまにグループ(あるいは2人のユニット)で、イベントなどへ出かけて