カテゴリー「文化・芸術」の897件の記事

2019年4月 4日 (木)

子守唄について その壱

わたしはよく童謡が聴きたくなる。神経的、精神的疲労感を覚えているときに童謡を聴くと、心が洗われるようで、疲れがとれるからだ。

特に好きな童謡は『夏は来ぬ』かな。

好きな童謡歌手は、芹洋子さん。温かみのある歌声にどれだけ癒されてきたことか。

芹洋子さんは1992年に交通事故で記憶喪失になられたそうだが、リハビリを経て復活され、現在もお元気でご活躍中。Twitterもある。

芹 洋子 〜 Yoko Seri 〜
@seri_yoko

で、たまたま芹さんの童謡を聴いていたときだったと思うが、YouTubeで別の歌手の『島原の子守唄』が出てきた。

子守唄といえば、島原の子守唄、五木の子守唄、竹田の子守唄をわたしは真っ先に思い出す。これらはどれも涙なくしては聴けないものばかりで、雰囲気がよく似ている。日本の子守唄はどうしてこれほどやりきれないものばかりなのだろう、日本の過去は暗かった……と何となく思っていた。

どれも古くからの伝承をもとにしたもので、古い時代のことが描かれているのだと思い込んでいたのだった。

ところが、じっと歌詞を聴いていると、何か変だと思われてきた。(続)

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2019年2月18日 (月)

神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親、パメラ・リンドン・トラヴァース

このところの一連の記事を神秘主義エッセーブログにまとめ、萬子媛の小説ノートをアップしてようと思っていたところ、またしても新たな課題が出現した。

また小説に入るのが延びるが、これは嬉しい課題で、大雑把にでもまとめておきたい。

神智学の影響を受けたパメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)とその作品について、である。

実は昨日、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を娘と観た。夫は「アクアマン」を観た。面白かったそうだ。

わたしも還暦を過ぎ、「シニア割引」を利用できるようになったため、一人で映画を安く観ることができるようになった。これまでは「夫婦50割引」を利用していて、夫の好みに合わせていた。

「アクアマン」も観たい気がしたが、児童文学作品の映画化となると、どう映画化されたのか気にかかり、その関心から観たいと思うことが多い。

前作、1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(原題: Mary Poppins)は、テレビで視聴した記憶がある程度だった。ジュリー・アンドリュースが大好きなので、「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「2ペンスを鳩に」「お砂糖ひとさじで」など、劇中の名曲を集めたLPレコードを持っていた。

で、昨日観た「メリー・ポピンズ リターンズ」だが、前半は夢見心地にさせてくれる美しい映像に加えて、メリー役の綺麗なエミリー・ブラントが頑張っているところ、子供たちの可愛らしさが好ましく、楽しめたが、後半になると原作にも前作にもない、説教臭さやストーリーのあざとさが見えてきて、警戒心が出てきてしまった。

前作の記憶が曖昧だったので、はっきりとしたことはいえないながら、こんなに赤い――リベラルっぽい――印象の映画だったかなと疑問が湧いたのだった。

「くるみ割り人形と秘密の王国」もそうだったが、最近のハリウッド映画は、底抜けに楽しませてくれない。

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

前作の舞台は1910年のロンドン。

続編リターンズの舞台は、25年後のロンドン。

その時代はガス灯、大恐慌時代のロンドンで、ガス灯掃除人の白人たちが貧困暮らしを強いられている風だ。長女ジェーンは前作の母親がそうであったように社会活動をしている。母親が女性参政権運動をしていたのに対して、ジェーンは労働者の支援活動をしている。弟マイケルは妻を亡くし、経済的窮地に陥っていた。

ところが、その1935年のロンドンでは――ありえなかったことだが――黒人が弁護士を勤めていたり、銀行の案内係を勤めていたりと見事に社会進出を果たしている。一方、白人間では、依然として、ひどい格差があるようだ。

キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr. 1929 - 1968)がアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し、アメリカ各地で公民権運動が盛り上がる中、“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行ったのは1963年のことだった。

インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙されたキング牧師は、徹底した「非暴力主義」を貫いたことで、有名である。ガンディーは過去記事でも書いたように神智学協会の影響を受けている。

ガス灯の時代に黒人の社会進出が実現しているかのような、ちぐはぐな描きかたになったのは、イデオロギーを感じさせない原作の映画の続編にイデオロギーを捻じ込んだためだろうか。

そうではなく、たぶん、リターンズで描かれた社会は1935年のロンドンではなく、現代のロンドンあるいはアメリカなのだ。

原作のメアリー・ポピンズも、映画の前作メリー・ポピンズも、時の政治体制外にいるニュートラルな存在で、そのポピンズから見れば、ブルジョアであるバンクス夫妻の子供たちは貧困者だったのだ。

よい家に住み、よい服を着、御馳走を食べなれている子供たちは、ある意味で、懐の寒い庶民の子供たちと同じくらいか、それ以上に貧しかったのである。鳩にあげる餌の代金2ペンスさえ自由にならなかったのだから。厳格なうえにケチな父親のせいで。

社会活動に忙しい母親のせいで、愛情にも飢えていた。メリーに映るバンクス家の子供たちはある意味で貧しい、愛情に飢えた子供たちだったのだ。

バンクス氏は首を宣告されたときになって、メアリー・ポピンズの魔法の言葉を思い出して愉快になったことで金銭欲から解放される。それを見届けるのを待っていたように、前作のメアリーは去っていった。

子供達がバンクス氏に差し出した小遣いが、続編のリターンズでは、何と投資としての効果を生み、いつしか莫大な儲けとなって、マイケルの窮地を救い、一家は家を手放さずに済む。

そして、この続編のメリーはブルジョアジーの味方である。家族を抱えているに違いない大勢のガス灯掃除人(自転車アクロバット野郎)をビックベンにロック・クライミングさせて平気だ。

どんな義理があって、大勢の貧しいガス灯掃除人達はバンクス家のために命を賭けてロック・クライミングしなければならなかったのだろう? 労働者の団結を謳い、支配者に隷属させる構図が透けて見える。

皆が公園で風船遊び(?)に興じた4年後の1939年に、現実の世界では大戦の火蓋が切られた。

原作、前作に比べて、メリーの魔法は人々に気晴らしをもたらすだけのただの余興となっていた。

続編リターンズからはグローバリズムの肯定、共産主義礼賛が嫌でも見てとれ、ハリウッドはかつてソ連共産主義者で赤かったが今は中国共産党の影響で赤いという河添恵子さんの指摘が正しいことを感じさせられた。穿った見方だろうか。

以下の動画は、【Front Japan 桜】ハリウッドの反トランプは親中国共産党!? / 「蛍の光」とセンタ ー試験問題 / 北方領土問題、何かが動く?[桜H31/1/23]。

映画の原作となったトラヴァースの本を図書館から借りた。児童図書を借りるのは、子供が本を借りようとするのを邪魔するようで悪い気がするが、幸い同じ本が何冊もあって、新しい本以外は眠っていることがわかった。映画の影響か、新しい『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は貸出中。

眠っている何冊かの本の中から一冊借りた。新品のように綺麗だ。大人たちが昔ほどには純文系の児童図書を子供に読ませなくなっているのだろうか。書店員だった娘は、そんな風にいっていた(現在は転職して病院勤め)。

「メアリー・ポピンズ」シリーズは全10巻である。

  • 1934年(35歳)第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)
  • 1935年(36歳)第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)
  • 1943年(44歳)第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)
  • 1952年(53歳)第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)
  • 1962年(63歳)第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)
  • 1968年(69歳)第6巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』
  • 1969年(70歳)第7巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)
  • 1975年(76歳)第8巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery Book with a Story)
  • 1982年(83歳)第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)
  • 1988年(89歳)第10巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)

借りた本は以下。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

まだこれから読むところなので、どの程度の加筆になるかはわからない。神秘主義エッセーブログにアップする予定。

トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers』に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読である。神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるが、トラヴァースが神智学の影響を受けていたとは知らなかった。

グルジェフといえば、ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888 - 1923)も、グルジェフの影響を受けていたのではなかったか。マンスフィールドは、ヴァージニア・ウルフがライバル視した短編小説の名手であった。

「メリー・ポピンズ リターンズ」の描きかたに疑問を抱かなければ、トラヴァースについて特に調べることもなく、神智学の影響についても知らないままだっただろう。

それにしても、神智学協会の影響による文化的業績が片っ端から赤く染められていっているようで、嫌な感じがする。

このところ児童文学作品に触れる時間がなく、飢えていた。萬子媛の小説が遅れるけれど、しばしトラヴァースの作品に純粋に浸ってみたい。

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2018年10月28日 (日)

歴史短編1のために #48 黄檗文化(煎茶道、普茶料理)に鍋島焼が使用されていたことを裏付けるニュース

萬子媛が娘時代を過ごされた江戸時代前期の公家町について、わかっていることがあれば知りたいと思った。図書館検索で、こうした情報に接することができそうな資料を検索したが、思うように出て来なかった。

24日の深夜、「公家町 江戸初期」でネット検索すると、2018年2月21日に発信された、次のような思いがけないニュースがヒットした。

京都市文化財保護審議会(井上満郎会長)は21日、京都迎賓館(上京区)の建設に伴う公家町遺跡出土品2件555点を含む10件を市文化財に指定・登録するよう、市に答申した。京都迎賓館関連の発掘調査では初の指定。[略]発掘調査は1997~2002年、豊臣秀吉が安土桃山時代に公家屋敷を集約させた公家町跡の一角で実施。[略]杉之坊の281点は、当時最先端の文化だった煎茶の道具や茶碗をはじめ、高級な肥前磁器の色絵ふた付き鉢、輸入陶磁器など。[略]市文化財保護課は「いずれも江戸前期に門跡・公家が所持した高級磁器の実態や、公家と町衆の生活を比較する上で重要な資料」としている。

京都新聞(2018年02月21日 22時38分)「公家町遺跡出土品など指定・登録へ 京都文化財保護審」<https://www.kyoto-np.co.jp/local/article/20180221000159>(2018年10月28日アクセス)

このニュースは、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」で書いた、次のような記述の裏付けとなるものではないだろうか。

72 祐徳稲荷神社参詣記 (3)2017年6月8日 (収穫ある複数の取材)
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/08/06/205710

隠元隆琦の渡来は1654年のことで、隠元は63歳であった。1625年生まれの萬子媛は、このとき29歳である。黄檗宗がもたらした文化は「黄檗文化」と呼ばれる。
ウィキペディアによると、「隠元には、後水尾法皇を始めとする皇族、幕府要人を始めとする各地の大名、多くの商人たちが競って帰依した」
*1という。

隠元隆琦は普茶料理という中国式の精進料理を伝え、日本における煎茶道の開祖となった。

有田を中心として焼かれる磁器は有田焼と呼ばれるが、伊万里港から積み出されていたため、伊万里焼とも呼ばれる。これとは別に、大川内山にあった鍋島藩直営の窯で焼かれた献上用の高級磁器は鍋島焼と呼ばれた。

萬子媛が生きていた江戸初期から中期にかけて、黄檗宗が流行り、人々は普茶料理に親しんだ。そして、これはまだわたしの憶測にすぎないが、佐賀藩の有田で焼かれた磁器及び献上用の鍋島焼は、普茶料理に使用されたのではないだろうか。

21歳で早世した萬子媛の次男・式部朝清は佐賀藩2代藩主・鍋島光茂(1632生 - 1700没)に仕え、佐賀に住み、光茂の信頼厚く「親類同格」の扱いを受けていた。

光茂は三家格式を定めることで、蓮池藩・小城藩・鹿島藩の三支藩を完全な統制下に置いた。古今伝授を受けるほどに和歌を好み、彼は『葉隠』の語り手となる山本常朝の主君であった。また、寛文2年(1662)、幕府に先んじて殉死を禁止している。

明敏な頭脳を持ち、政治的、文化的に先取的動きを見せる光茂が黄檗宗、煎茶道と関係が浅かったとは考えられないし、彼は鍋島焼とも関係が深い。鍋島焼との関係の深さは、元禄6年(1693)に光茂が有田皿山代官に与えた手頭(指示書)からも明らかである。

黄檗宗は幕府の鎖国政策の下で流行した。鍋島藩で焼かれた磁器は、江戸時代に花開いた黄檗文化の形成に関係していたとわたしは考えている。もしこの憶測が正しければ、鍋島藩は黄檗文化の流布に一役買っていたことになる。

*1:「隠元隆き」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年11月27日 (日) 07:35 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

写真を見ると、様々な食器がある。

前掲ニュースと関連した催し物(平成30年7月14日~平成30年11月25日)の記事も出てきた。

 平成29年度の京都市有形文化財に「公家町遺跡(安禅寺杉之坊)出土品」と「公家町遺跡(櫛笥家)出土品」が指定されました。そこでこのたび、京都市考古資料館では、文化財指定を記念して平成30年度前期特別展示「お公家さんのうつわ − 京都御苑出土の古伊万里を中心に − 」を開催する運びとなりました。
 指定品は、京都御苑内における京都迎賓館の建設工事に先立って1997~2002年に実施された発掘調査で出土した遺物の一部です。

[略]
 今回、有形文化財に認定された資料は、公家町遺跡出土遺物群のうちの安禅寺杉之坊の穴蔵と櫛笥家の土坑から出土したものです。いずれも、京都市内では類例の少ない古伊万里(肥前磁器)が多数含まれており、江戸時代前期の公家屋敷で用いられた焼き物の実態を伝えています。

京都考古学資料館「平成30年度前期特別展示『お公家さんのうつわ』開催について 」<https://www.kyoto-arc.or.jp/blog/jp-mus-exhibition/2935.html?cat=11>(2018年10月28日アクセス)

このような出土品がなかったために、矢部良明『世界をときめかした伊万里焼』(角川書店、2000)の中の次のような記述が生まれざるをえなかった。

鹿島藩初代藩主を務めた鍋島勝茂(1580-1657)か二代藩主光茂(1632-1700)の時代であったか、鍋島藩が支配する伊万里焼の製品をもって、徳川政権の長である将軍から諸大名、そして貴紳たちに進上することが考えられた。
 後世の記録であるから伝承の範囲のこととはなるが、その鍋島焼の創業は、寛永五年(1628)のことという。もしこの伝承が正しければ、鍋島焼開窯は鍋島勝茂の采配によると考えなくてはならないが、残念なことに当時の史料では証明されていない。
(矢部,2000,p.108)

図書館に返してしまったので、再度借りて確認しなくてはならないが、『伊万里市史 第二巻 陶磁器編 古唐津・鍋島』に、その時代の進上にまつわるエピソードが紹介されていた。

メモしようと思いながら忘れてしまったのは、鍋島焼が黄檗文化に関係していたというには、その進上にまつわるエピソードと、前掲書にもある鍋島光茂が元禄六年(1693)に有田皿山の代官に出した「指令文書」(矢部,2000,p.114)の存在だけでは証拠として弱いと思ったからだった。

黄檗文化と鍋島焼の結びつきを専門家にお尋ねしたときに、その結びつきを否定なさったことを考え合わせて、確かに史料、出土品共に乏しすぎる――と思い、何とはなしの失意の中で、本を返してしまった。

それ以上の追究を諦め、所詮は素人芸の小説なのだから、フィクションでどう書こうが問題ない……と半ば投げやりな気持ちでいたときに、このニュースに出くわしたのである。

鍋島焼についてはもう少し詳しく書いておきたいが、とりあえず、このノートはここまで。

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2018年8月12日 (日)

「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観劇して

インターネットでの拡散はOKのようなので、下手なレビューを書きます。ネタバレありなので、これから観劇なさるかたはご注意ください。

金平糖企画主宰、時枝霙さんを採り上げた記事がネット検索で出てきたので、リンクしておきます。

クローズアップ 2018  輝きの女たち
いつも行く美容院や飲食店を舞台に公演
演劇、朗読、写真、文章など多彩に表現
時枝 霙さん
金平糖企画主宰

http://www.josei-oita.jp/2018_7h.html

「医師と表現者の二足のわらじ。演劇、朗読、文章、写真など活動は多彩」と前掲記事にあり、驚かされます。

以下は、「金平糖企画」のツイッターです。

金平糖企画 @confettiplannin
舞台作品をつくったり、ライブをします。9/23.24熊本DENGEKI参戦。諫早独楽劇場シアターバー10月。

https://twitter.com/confettiplannin

8月8日、「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観に行きました。

貸店舗での舞台と客席の境界を設けない上演で、全体に実験的要素が感じられる劇でした。

舞台はアパレルショップ。舞台装置は極めてシンプルで、境目のない舞台からドアに向かう空間が舞台の延長として活用され、能楽でいう橋掛りの役目を持っていました。

音響はレトロ調、近距離からの照明は迫力がありました。

店主役によって吊り下げられていくハンガーには折鶴がぶら下がり、床には折り紙が巻き散らされます。それらは服に見立てられているようでした。

登場人物は、アパレルショップの店主、アルバイトの女子学生(長身のスリムな男性が演じていました)、女性客、沈黙したまま片隅に蹲っている首にギブスをつけた怪我人。

台詞はしばしば詩のようで、客と店主が会話を交わすとき、客が失恋を独白するときなどに、学生がバックミュージックのように髪、爪、血液などの人体に関する自然科学的な台詞を詩の朗読のようにいう場面があり、不思議な雰囲気を創り出していました。

客が学生と一緒に駆け回りながら、床にまき散らされた折り紙を掴んではまき散らす場面は圧巻で、絶望感に囚われた女性に合う服はどうしても見つかりません。

ストーリーらしいストーリー、結末らしい結末はなく、別の客がアパレルショップへやってきて(片隅に蹲っていた怪我人との二役。演じていたのは時枝さん)、店主と新しい客が、前の客と全く同じ会話を交わすところで、存在しない幕が下りました。

アパレルショップは、エンドレスに循環する宇宙的な営みをシンボライズしているようでもありました。

娘の友人の演技には磨きがかかっていました。アパレルショップへの訪問者(客)を過去のトラウマから自分探しの旅(?)へと誘う店主の役を、品よくこなしていました。

この品のよさこそが、劇中で日常と非日常を違和感なく一体化させていた重要な要素に思えました。

「試着室」からはよい意味でのアマチュアリズムというべきか、ひじょうにナイーヴな芸術性というべきか、純粋志向が感じられ、いささか古い用語を用いるならば、「不条理」なテーマへの純粋すぎるくらいのアプローチが印象的でした。

不条理という言葉は、今の若い人々には馴染みのない言葉かもしれませんが、アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)の哲学的エッセー「シーシュポスの神話」で有名になった実存主義の用語で、人間存在の根源的曖昧さ、無意味さ、非論理性に由来する絶望的状況を意味する言葉です。

ここからは蛇足になりますが、わたしの大学のころ――40年ほども昔の話になります――には、第二次大戦後にフランスからサルトルなどによって広まった実存主義はまだ流行っていました。否今でも哲学的主流はこのあたりに停滞していて、現代哲学は唯物論に依拠して局部的、細部的分析に終始しているように思えます。

ちなみに、カミュは自分では実存主義者ではないとしていますが、その思想傾向からすれば、実存主義者に分類されていいと思われます。

カミュに発見された女性哲学者シモーヌ・ヴェイユは晩年、キリスト教的神秘主義思想を独自に深めていきますが、しばしば実存主義哲学者に分類されます。

実存主義はマルクス主義の影響を受けた思想で、唯物論的であり、マルクス主義の流行とも相俟って一世を風靡したのでした。

しかし、一端、唯物論的袋小路へ入り込んでしまうと、自家中毒を起こし、下手をすれば阿片中毒者のような廃人になってしまう危険性さえあります。村上春樹のムーディ、曖昧模糊とした小説はこうした不条理哲学の子供、ただしカミュの作品が持つ聡明さ、誠実さを欠いた子供といえます。

戦後、日本人はGHQによる洗脳工作(WGIP)や公職追放(注)などもあって、唯物主義、物質主義が優勢となりました。こうしたことに起因する現代日本の問題点が演劇という形式で真摯に表現されているという点で――それが意図されたわけではなかったのかもしれませんが――、「試着室」は興味深い作品でした。

(注)
わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まりました。20万人以上もの公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれます。

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2018年4月11日 (水)

歴史短編1のために #35 冷泉家の乞巧奠 (七夕祭)

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした次のエッセーで、藤原俊成、その子・定家、俊成の孫・藤原俊成女に言及した。

78 祐徳稲荷神社参詣記 ➄扇面和歌から明らかになる宗教観
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/01/18/174234

萬子媛をモデルとした第二稿が滞っている。結婚前の萬子媛を描写しようとしても、公家のお姫様の暮らしぶりというのがうまく想像できず、それが一番の障壁となっていた。

例えば、御遺物の中に貝合わせ、貝櫃(貝合わせを入れる箱)があって、萬子媛も貝合わせという遊びをなさることもあったのだろうと思ったが、その情景が具体的なものとして浮かんでこなかった。

四季折々の行事。それは公家にとっては仕事、任務であったと知識ではわかっていても、やはり具体的な情景が浮かんでこなかった。

そうしたところへ、深夜BSプレミアムで「京都 冷泉家の八百年」(初回放送:2003年)が放送されていた。冷泉家は、藤原俊成、藤原定家の流れを汲む家系である。

[BSプレミアム]
2018年4月11日(水) 午前0:45~午前2:26 [火曜深夜](101分)
京都 冷泉家の八百年~和歌の心、日本の美を守り伝えて~(初回放送:2003年)
鎌倉時代に始まる公家で、歌道の伝承者でもある冷泉(れいぜい)家。現存する唯一の公家屋敷の中の雅な日々を1年間に渡って記録した。

歌の家・冷泉家に今に伝えられる古式ゆかしい四季折々の行事がドキュメンタリータッチで紹介されていた。

気づいたときにはすでに始まっていたため(慌てて録画した)、いくらか見損なったのが残念であったけれど、貝合わせなどの場面もあって参考になった。

旧暦7月7日に行われる七夕の行事「乞巧奠[きっこうでん〕」が圧巻だった。こうした行事は、冷泉家が運営する財団の予算で行われるという。

南庭に、彦星、織姫に供える祭壇「星の座」が設けられ、織姫に捧げる五色の布と糸、星を映して見るための角盥〔つのだらい〕、琵琶、琴、秋草、海の幸・山の幸などが配置された。

襖や障子は外され、部屋と庭が一つとなる。日が落ちるころ、雅楽が奏でられ、祭壇の灯明が灯される。そして、夜のとばりが下りたなかで、星に和歌が捧げられるのだ。

そのあと、遊興の座「当座式(流れの座)」が設けられる。座敷に天の川に見立てた白布を敷き、それを挟んで狩衣・袿袴姿の男女が向かい合って座る。男女は即興で恋の歌を交わし合う。

冷泉家には、初雪を藤原俊成の木像に供える慣わしがあるという。91歳で亡くなるときに、俊成は高熱にうなされた。息子の定家が氷室に人をやり、雪を持ってこさせた。その雪を「ああ、おいしい」と喜んで食べ、亡くなった。明月記にそのように書いてあるそうだ。

俊成の木像は生々しい表情で、まるで生きているみたいにわたしには見えた。子孫の行く末を案じて「春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ」という歌を詠んだ俊成。

子孫の行く末というのが、歌の行く末であるのだと、木像の俊成のお顔を見てわかった。

萬子媛をモデルとした小説から離れすぎると、優しく呼び戻される気がする。

ヤコブ・ベーメの本を夜中読んでいたせいで、眠い。アバター&インターポットのキラポチ、数学のお勉強が眠すぎてできないかも。

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2017年6月13日 (火)

萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺(法泉寺)に電話取材しました

8日、祐徳稲荷神社に参詣し、翌日、以下の記事を書きました。

動揺したことがあったために、すぐにはまとまった文章が書けなかったのですが、気持ちの整理もついたので、まとめにかかろうとしました。

が、まだわからないことがあり、電話で取材するのは失礼かもしれないと思いつつ、決行。萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺・法泉寺に電話取材しました。

その結果、さらなる驚き、という以上の衝撃に見舞われました。今回の一連の取材を通して、廃仏毀釈の爪痕をまざまざと見たように感じたのでした。

黄檗宗で断食入定が行われていたのかどうかが知りたいと思い、いっそ大本山にお尋ねしてみようと思い、電話したのでした。ご回答いただいたのは、宝物館の和尚様でした。

電話するまでは、密教の影響で、萬子媛が断食入定を実行されたのではないかと考えていたのです。尤も、黄檗宗は密教の影響も受けているようですけれど、萬子媛の断食入定は特異な例ではないかと憶測していました。

黄檗宗でも行われていたようです。いつごろまで何人断食入定をしたのか(現代では法律上不可能です)、記録が残っているのかどうかを知りたかったのですが、はっきりと記録されているわけではないのかもしれません。何度か同じ質問をしたのですが、はぐらかされてしまいました。

黄檗宗は中国の明朝の仏教が日本に伝えられたものです。その明朝で、また日本でも行われていた過酷な修行法を伺いました。

例えば、手に包帯をぐるぐる巻きにしてそれに油をさし、火をつけ、それを燈明代わりに、お経を読むのだそうです。

ひ、とわたしは心の中で悲鳴を上げ、「火傷では済まない場合もあるのではありませんか?」というと、「そういえば、どこそこに指を燈明代わりにした坊さんがおったな……」と事もなげに萬福寺の和尚様。いつの時代のお話なのでしょうか、恐ろしくて聞けませんでした。

明朝では(日本でも?)、自らの血で仏画を描いたり、写経をしたりということも流行ったとか。

そして、断食入定はそうした過酷な修行法の一つと位置づけられていたようです。

穀類を断ち、水だけを飲んで、骨皮筋衛門になる――と和尚様はおっしゃいました――修行を木食[もくじき]入道というそうです。

そして山の斜面みたいなところに入って、「つまり生き埋めになるわけですわ。息だけはできるようにしてな」と和尚様。

「水は飲めるのでしょうか? 生き埋めになったあと」とわたし。飲めるそうです。毎日お経を読み、水を飲んで、入寂のときまで……。

と、ここまで萬福寺の和尚様から伺ったことをメモしました。

まだまとめる段階にはないので(写真を挿入しながらきちんとまとめたいと思っています)、忘れないうちに、とりあえずメモしておきます。

鹿島の祐徳稲荷神社に舞台を戻すと、博物館のかたに教わって見学した岩本社には、萬子媛に仕えた尼さんがお祀りしてあるというお話でした。技芸の神様だそうです。

ところで、わたしは過去記事で次のようなことを書きました。

2016年8月18日 (木)
歴史短編1のために #27 萬子媛遺愛の品々 ②入定について。印象的な御袈裟。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/08/27-1e00.html

萬子媛があの世でボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、参拝するたびに、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の大勢の方々を感じるからだ。
その大勢の方々というのは、萬子媛が禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた尼僧たちを中心とする方々ではないだろうか。
わたしの神秘主義的感性が捉えた萬子媛にはどこか深窓の麗人のような趣があり、無垢で高雅で率直な高級霊の雰囲気が伝わってくる。
それに対して、萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性達の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性たちは生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。
萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来たときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ。
何にしても、萬子媛の一番近くにいる女性は身辺の護衛でも司っていそうな、シャープな雰囲気のある女性なのだ。わたしの内的鏡にほのかに映った気がする程度のものなのだが、萬子媛の圧倒的な雰囲気とはまた別種の矜持と気品とがまぎれもなく感じられて、興味深い。

過去記事で出てくる萬子媛の近くに控える矜持を感じさせる女性的な存在が、岩本社に祀られている尼僧ではないかと想像したくなります。

時代も下って、鍋島藩の家臣の家に育ったと聞く母方の祖母ですら、鹿島にお嫁に来るとき――有名な軍人さんが仲人だったというから、それくらいの時代――には、3人の側に仕えていた人々と一緒にお嫁に来たと従姉がいっていたことから考えれば、萬子媛には当然そうした方々がいらっしゃって、一緒に京都から鹿島に下られたことは確かでしょう。

その尼僧が技芸の神様として祀られているということは、生前、その方面の指導で優れていたからではないでしょうか。こうしたことからも、京都から萬子媛と一緒に下ってきた人ではないかと思えます。

37歳で京都の花山院から肥前鹿島にお嫁に来られた萬子媛。萬子媛は1625年生まれですから、このとき1662年(寛文2年)。今は2017年。2017年−1662年=355年。

何と、355年も萬子媛に仕えていらっしゃるというわけです。

355年後つまり出家後も、さらには死んでからも、同じように萬子媛に仕えているのだとすれば、それは萬子媛が黄檗禅の、また霊的な分野における師匠あるいはリーダーとして理想的な存在であり続けているからでしょう。

この世でグループを形成した人々は、あの世でも同じグループに属することがあるようです。その逆もいえるでしょう。

尼僧に神格が与えられ、技芸の神様とされていることから考えると、神社での祭事を連想させられます。明治の廃仏毀釈までは、仏事と神事がどちらも怠りなく行われていたということではないでしょうか。

岩本社を見学した後、普明寺を見学しました。案内図も撮ってきたので、まとめには挿入します。

普明寺は鍋島直朝公の長男である断橋(鍋島直孝)の開基により、桂厳明幢禅師が開山となり創建されたお寺です。

寺域全体を竜に見立てて建物や施設が配置されているとか。相当に奥行きのある敷地には草木が生い茂っていて、竹林などもあり、石仏が沢山あって、建物も立派でした。

ただ全体が自然に抱かれすぎているというか、率直にいえば、苔むして荒れていました。鹿島市は田舎ですが、祐徳稲荷神社のすぐ近くにあれほどの自然が手つかずで存在しているとは想像もしませんでした。

普明寺も、同じ敷地内の手前のほうにある普明寺の子院である法泉寺も、廃寺のように見えました。

でも、電話で萬福寺の和尚様はおっしゃいました。「普明寺に、去年の夏にお経をあげに行ったがよ」

(あの物凄いところへ?)と、失礼ながら思ってしまいました。江戸時代にはさぞ威容を誇ったであろう普明寺の背後が墓地になっているようですが、藪蚊が凄くて、そこへは行きませんでした。

でも、あそこにいた間、もう日が落ちかけて、爽やかな風が強く吹いていたので、すばらしい散策ともなりました。風が静まると、藪蚊がとまりに来るので、とまっているところを何匹か退治したり退治し損なったりしました。

それなのに、車に戻って体を調べてみると、一箇所も蚊に刺されていませんでした。夫も娘もそうでした。この時期の藪蚊は血を吸わないのでしょうか。

もしかしたら、萬子媛のお墓が神社の石壁社とは別に普明寺にあるのかもしれないと思いつつ、帰途についたのでした。

萬福寺の和尚様は、わたしが調査しているようなことに詳しいかたを何人か教えてくださいました。そのうちのお一人のご著書は読んだことがありました。

しかし、「総合的に知っている人はいない。佐賀も殿さんが沢山、黄檗の寺院を作った。祐徳稲荷もそうじゃが」と和尚様。

「普明寺は、相当に苔むしているように見えました。綺麗になれば、一般人も行きやすくなると思いますけれど」と磊落な和尚様の雰囲気に甘えて、ついいってしまうと、「あんたが、あんたが人のため、世のため。自分がやるか、やらないかをいうことに価値がある」と和尚様。

「わたしは黄檗宗の僧侶として断食入定を遂げられた祐徳院様に魅せられ、黄檗宗について知りたいと思いました。いろいろと教えていただいて、ありがとうございました」といいました。

法泉寺に電話したのは、田中保善『鹿島市史 真実の記録』(田中保善、1990)に、次のような記述があったからでした。

祐徳院と稲荷社は世間の信仰を集め、御霊験あらたかで有名になり参詣人も多く興盛になったが、明治を迎えて神仏混淆のお寺は明治政府の『神仏判然令』により神仏を分離して廃仏毀釈が実施されるようになった。ここでは仏像や仏具一切を普明寺に移して神社のみとした。普明寺では仏像仏具類は完備しており、普明寺の末寺の法泉寺に祐徳院の寺の物を全部移して現在大切に保管している。(田中,1990,pp.151-152)

祐徳博物館の職員は「祐徳院にあった物は普明寺に移されたということのようですよ」とおっしゃいました。前述したように普明寺も法泉寺も同じ敷地内にあり、法泉寺は普明寺の子院なのです。

しかし、法泉寺に電話でお尋ねしたところでは、禅寺だった祐徳院の物は何一つないというお話でした。萬子媛のお墓もないそうです。

「ここは藩主の菩提寺で、藩主と正室のかたしかお墓はありません。祐徳院様は後室なので、ここにはないのです」とのことでした。以下のオンライン論文にも、そのようなことが書かれています。

高橋研一(鹿島市民図書館 学芸員)「鍋島直彬の先祖史蹟顕彰事業 ~先祖の史蹟を訪ねた直彬」<http://kcc.lolipop.jp/_src/sc1250/82d382e982b382c692t96k8du8989985e81i8dc58fi81j.pdf>(2017/6/13アクセス)

他の大名家のお墓をきちんと調べていかなければなりませんが、夫婦が対になった墓所の配置は鍋島家の特徴的な墓の作り方といえるかもしれません」とも書かれています。

同じ正室であっても、先に嫁いだ正室だけが藩主と同じ墓地に眠る権利があったということのようですね。

そして、前掲論文の次のような記述に胸を打たれました。

普明寺の場合、菩提寺だったので非常に多くの子院が建てられています。当時の景観で言うと、ここから祐徳稲荷神社まで山伝いに子院がつながっていました。祐徳稲荷神社の前身も元々は祐徳院といって、普明寺の子院でした。

どんなに壮観だったことでしょう!

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2017年4月22日 (土)

杉田久女、川端茅舎、三橋鷹女、松本たかしの春の句を紹介

当ブログで以前、杉田久女、川端茅舎、三橋鷹女、松本たかしの俳句を紹介していました。その後、「マダムNの俳句紹介」へと紹介の場を移し、気が向いたときに記事を更新してきました。

久しぶりに更新したのですが、当ブログでも紹介したくなりました。過去記事で紹介した句もありますが、再度。

………………………………

 三橋鷹女

あすが来てゐるたんぽぽの花びらに

花買はな雪解け窓を押し開き

………………

 松本たかし

人来ねば鼓打ちけり花の雨

めりがちの鼓締め打つ花の雨

春愁や稽古鼓を仮枕

座敷には鼓出されて花に月

チチポポと鼓打たうよ花月夜


………………

 杉田久女

掃きよせてある花屑も貴妃桜

風に落つ貴妃桜房のまゝ

花房の吹かれまろべる露台かな

むれ落ちて貴妃桜房のまゝ

むれ落ちて貴妃桜尚あせず

きざはしを降りる沓なし貴妃桜


………………

 川端茅舎

山高みこのもかのもに花の雲

花の雲鳩は五色に舞ひあそぶ

(け)ちらして落花とあがる雀かな

花吹雪瀧つ岩ねのかゞやきぬ


 ■ 引用・参考文献

 『三橋鷹女全集』(立風書房、1989年)
 『川端茅舎 松本たかし集 現代俳句の世界3』(朝日新聞社〈朝日文庫〉、1985年)
 『杉田久女全集』(立風書房、1989年)

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2017年4月13日 (木)

ブログを続けるメリット、デメリット

当ブログを開設したのは2006年4月で、11年が経過した。ブログを始めたころはブログ文化が花盛りで、私的な事情や内面を率直に吐露した内容のブログは珍しくなかった。

わたしは小説を書いてきたし、また神秘主義者でもあるので、その観点から私的な事情や内面をも一つのサンプルと捉える傾向があるため、そうしたものを含めて全てをメモしておきたいという思いが強い。

こうしたことから、わたしはブログ文化に自然に溶け込んで多くを書き、また様々なブログから教わったり、慰めを得たりとブログ文化を享受してきた。

しかし、フェイスブック、ツイッターが流行り出してからはブロガーが減った気がする。

私的な事情や内面を率直に吐露したブログが減ってくると、こうしたことを続けている自分のブログが浮いているような気がしてきた。

神秘主義、小説にジャンルを絞ったブログを別個に立ち上げたのは、あれこれ書きすぎている当ブログに恥じらいを覚えるようになったということも理由の一つとして挙げられる。

これだけいろんなことを書いているにも拘わらず、閲覧者は自分が読みたいところだけ、自分が読みたいように読む。

わたしもそうであって、それは閲覧者の自由なのだが、時々マナー違反とも思えるメールを頂戴することがあり、そんなときにはブログを閉鎖してしまいたくなったりするのだ。

つい最近も、そういうことがあった。

ある問い合わせを受け、普通にメールしたはずが、数回のやりとりの間にその人からのメールが完全にラブレターになってしまったのである。

怖ろしい。最初にメールをいただいたときから、何かねちっこい雰囲気が伝わってきたので、警戒はしていたのだが。

ブログを読んで、その人はわたしについて熟知したような感じを抱いたのだろう。だからといって、わたしがその人について知らなければならない義務などない。

違ったタイプの不愉快なメールをいただくことも、時々ある。逆に、こちらが浄化されるようなきよらかな雰囲気と共に礼儀正しいメールが届くこともある。勿論、雰囲気だけが届くこともある。

ねちっこい雰囲気には個性がない。性別さえ、わからないことがあるほどだ。

しかし、きよらかな雰囲気にはきよらかという共通点がありながらも個性の刻印があり、その雰囲気を届けてくださったのが男性か女性かもはっきりわかる。

私的なことを書きすぎたブログを閉鎖してしまいたいという思いを止めるのは、そうした快い体験だ。

時々ブログに綴ってきた政治や文学に関する雑感も、断片的なものだが、11年の間にはわが国におけるそれらの流れがわかるような記録となっていて、それなりに貴重ではないかと思う。

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2017年2月 7日 (火)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』感想メモ1

作家の卵を続けているうちに、他人の作品の構造が嫌でも見えるようになる。

資料を参考にしている部分とそうでない部分。

資料がうまく消化され、それが創作にうまく生かされていないと、異なる地層を見るような違和感がある。

そこが創作の難しいところで、歴史小説初体験のわたしの悩みでもある。消化するのが難しいとあって、資料そのものを損ないたくないために、引用という形で資料を用いる箇所が多くなった初稿であった。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』はまだ3分の1程度読んだところなのだが、資料を参考にしていると思われる部分とそうでないオリジナルと思われる部分とに、異なる地層を見るような違和感がある。

本日読んだ最後の頁は162頁で、その頁の次の引用部分などは作者が表現に工夫した独自性の高い部分だろう。

「なんという迫力。/ 曲は後半のクライマックスに向かって突き進んでいた。きらびやかなメロディ、凄まじい和音の連打と加速。ピアノから、いや、ステージ上の大きな直方体の空間全体から、音の壁が飛び出してくるかのようだ。/ 観客は、その音圧に、飛び出してくる音楽に吹き飛ばされまいと、席で踏ん張って必死に耐えている。むろん、耐えているのは、驚異的な演奏を聴いている衝撃に対してであり、それは形容しがたい無類の快楽でもあるのだ。地響きにも似た分厚いトレモロが、正面から剛速球で顔を、眼を、全身を打ってくる。」を読んで、いくら形容しがたいからといって、ここまで物理的な表現を重ねられると、スポ根コミック『巨人の星』を連想してしまう。

生演奏を視聴する醍醐味は、演奏者の生活ぶりや肉体的強みと弱点、内面などが透けて見えるところである。

アルゲリッチはすばらしかったが、テレビで観るのとそれほど大きな違いを感じなかった。

中村紘子の指の体操のような(技術に終始したような)、内容の痩せた演奏には愕然とさせられた。テレビで視聴していたNHK『ピアノのおけいこ』はよかったし、舞台でのチャーミングなスピーチとよく似合っていた可愛らしい衣装は忘れがたいけれど。

中村紘子のエッセーがあれほど秀逸なのに演奏が無味乾燥に感じられたのはなぜだろう、とずっと考えている。もしかしたら、彼女には左派的、唯物論的考えかたがあって、そのせいだったのだろうか……と最近は考えたりしている。

思想が何もない人間など考えられず(凡人であっても、その時代と地域で支配的となっている思想の影響は受ける)、思想が曲の理解に影響しないはずはない。

テレビで観るよりずっと白人ぽく見えたフジ子・ヘミングの曲に対する深い解釈と瞑想的な趣も、生でないとわからなかった。それだけに、フジ子はソロ向きで、オーケストラとの共演には向かないのではないだろうか。中村紘子はその逆だろう。

以上は勿論、わたしの勝手な印象にすぎない。

いずれにしても、絵に描いたような天才はいないのだとわたしには感じられる。だからこそ、演奏家が、人間が、いとおしく、興味深い。

絵に描いた餅のようでない小説が読みたかったわたしは既に『蜜蜂と遠雷』に失望しつつあるが、文字通り絵にしたらいいかもしれない。

「ガラスの仮面」はストップしたままだが、美内すずえに漫画にして貰えば、ぴったりかもしれない。映画にもよさそうだ。

白髪三千丈式の馬鹿馬鹿しい表現や、ステレオタイプの登場人物たちと現実には存在しえないスーパー天才ぶりなども上手に肉づけされて、広告通りの名作になるかもしれない。

参考文献の記載がないので、作者がどのような本を参考にしたのかはわからないが、わたしが魅力を覚えたとしたら、そうした資料的部分である。

クラシック音楽の名エッセーは多い。わたしの印象に特に残っているのは、中村紘子『チャイコフスキー・コンクール―― ピアニストが聴く現代』(中央公論社、1991)や『ピアニストという蛮族がいる』(中央公論社、2009)、あるいは奥田昭則『母と神童―五嶋節物語』(小学館、1998)などである。

題名は失念したが、グレン・グルールドの評伝、吉田秀和のエッセーも記憶に残る。まだ読んでいない、青柳いづみこのエッセーを読んでみたい。

小説では何といっても、『ジャン・クリストフ』である。読み返そうとして、あまりの厚さ、内容の濃さに、すぐには読み返せないと思った。ブラヴァツキー「不思議なヴァイオリン」(『夢魔物語』所収。田中恵美子訳、竜王文庫、1997)も忘れられない。

「不思議なヴァイオリン」はピアノの名手であったブラヴァツキーが神秘主義的教訓を籠めた作品で、手っ取り早くいうと、悪魔に魂を売り渡したヴァイオリニストの話である。恐ろしい演奏の場面を描いた部分を147頁から引用してみると、

すみません、中断しますが、この記事は書きかけです。

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2016年11月 4日 (金)

演劇を鑑賞した昨夜

昨夜、演劇を鑑賞しました。県民芸術祭文化祭ジャンル別行事として開催された演劇の会設立10周年記念公演です。

娘の年下の友人が出るので、娘と一緒に出かけたのでした。お花を、と思い、駅で花屋さんに寄ると、花瓶に挿さなくても長持ちするように作られた花束があったので、ささやかながらそれを贈ることにしました。

初舞台と聴いていたこともあって、胸がドキドキしました。

初舞台の初々しさと彼女の研究心が一つとなって、『ヴェニスの商人』のユダヤ商人シャイロックの娘の役をすばらしいものにしていました。

シェイクスピアの原作とはいくぶん違っていました。ユダヤ人シャイロックは悪漢というより、キリスト教徒に虐められる哀れな老人という印象のものとなっていて、シャイロックを演じたかたの卓越した演技力もあって同情を誘いました。

シャイロックの娘は駆け落ちの相手と父親との間で煩悶し、劇の最後のところで泣き顔を隠すように舞台の袖に走り去る姿が何とも清楚で、舞台に花を添えていました。娘と一緒に贈った、ピンク色を基調にした花束を連想しました。

その最後の場面がなければ、単なる老人虐め物語になっていたところでした。

私事になりますが、大学祭で、文芸部は創作劇を行うのが恒例となっていました。わたしも恥ずかしながら出演し、あれは1年生のときだったか、着物姿で「わたいは孕んでやるんだ、闇を孕んでやるんだよう!」という台詞をいうのが恥ずかしかった記憶があります。

今だと、もう少し内面的な表現ができたかもしれないと思います。

娘の友人は初舞台なのに、複雑な内面をさりげなく表現できていて感心しました。今後も続けられるのかどうかはわかりませんが、できたらまた来年も観劇したいものだと思いました。

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