カテゴリー「村上春樹現象の深層」の11件の記事

2016年5月14日 (土)

芥川賞選考委員・島田雅彦氏が中国で行った不思議な政治的発言

前の記事に関連した記事である。

歴代のノーベル文学賞受賞作家の政治を題材とした緊迫感漲る純文学諸作品と、島田雅彦氏のいう今の日本の「悪政下」で日本の最も著名な文学賞である芥川賞の選考委員を2010年下半期から今に至るまで平穏無事に務めおおせることができ、また、多くの優秀な研究者がポスドクで苦労している中で大学教授にまでなりおおせている彼の諸作品とを比較してみてほしい。

今の日本文学を代表しているのがどのような人々で、彼らが日本文学をどうしてしまったか、日本をどうしようとしているかがが鮮明になるだろう。

ウィキペディアより引用する。

中国・北京で2015年6月12日に開幕した日中韓作家の第3回東アジア文学フォーラムに日本側団長として出席した島田氏は「日本は現在、歴史上最もよくない首相(安倍晋三)が執権している」と批判、「日本の多くの作家の考えであり、愚かな政治家がばらまいた対立の種を和解に変えるために寄与する考え」と文学フォーラムの意味を語ったと中央日報にて報道される。
ウィキペディアの執筆者. “島田雅彦”. ウィキペディア日本語版. 2016-03-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B3%B6%E7%94%B0%E9%9B%85%E5%BD%A6&oldid=59110356, (参照 2016-05-14).

検索すれば、簡単にソースの確認ができるので、目を疑うこの記述は嘘ではない。

それほどの悪政下で亡命もせずに恵まれた地位を享受しているこうした人々にとって、今の日本ほど暮らしやすい国が他にあるとは想像もできないが、どうか島田氏には「日本の抵抗左派作家」として自身の信念を貫いてほしいものである。

島田氏には、日本よりずっと理想的な国家らしい中国に移住して、そこからご自身の意見と作品とを世界に向けて発信していただきたいと切に願う。

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2014年10月23日 (木)

ついに、村上春樹の検索で当ブログにお見えになる方がゼロに。追記:作家らしいエピソード

一昨日、ついに村上春樹の検索で当ブログにお見えになる方がゼロになりました。

村上春樹関係の記事へのアクセスはありましたが、ブログを開始したのが2006年4月。以下の記事を書いたのが5月でした。

村上春樹を検索して当ブログにお見えになる方が次第に増えて爆発的になり、それから次第に減っていって、検索してお見えになる方がゼロになるまでに、実に8年5ヶ月かかったということです。

わたしがなぜ村上春樹を問題視し、この無名ブログからそれを発信しつづけたかは、当ブログの関連記事や以下の2冊の拙Kindle本をお読みになれば、わかっていただけるのではないかと思っています。

この先、村上春樹ブームが再来するかどうかはわかりませんが、この時点で村上春樹の悪影響というわたしの危惧はかなり和らいだといえます(まあファンの方々には「悪影響」は許せない言葉でしょうが、8年間記事という形で分析してきた結論です)。

ある意味で村上春樹は日本の現代文学を象徴している人物であり、その人物をわたしなりにずっと追い続けたのは、日本文学の将来に関わることだからでした。

ようやくそのつらい分析(昂揚するような分析ではありませんでした)が終わりつつあると思ったところへ(まだ河合隼雄の分析も残していますが)、春樹を潜在的に用意したとも思えるテーマとして、国民的作家と崇められ、信頼され、お札にまでなっている夏目漱石が出てきてしまいました。

萬子媛を書こうと思い、江戸時代から明治時代にかけて調べなければ、出てこなかった視点でした。

ざっと調べたところでは、漱石の作品を、明治時代の神仏分離、廃仏毀釈の観点から分析した論文には見当たりませんでした。

こうした大事な研究を、無名の物書きが孤独に何の報酬もなく、光の当たらないところでやらなければならないというところに、日本の現代文学の荒廃ぶりを目の当たりにしている感じを覚えています。

奮い立ったり、逆に無気力になったりの繰り返しの日々です。

漱石の「こころ」で中断している部分を書き終えたら、ひとまず漱石を離れ(ることは無理かもしれませんが)、初の歴史小説に行きたいと思います。

以前のように、テレビ番組や料理、映画や音楽の記事を書くゆとりがなくなり、めっきりつまらないブログになってしまったと我ながら思います。ごめんなさいね。

今後とも、どうかマダムNのサイトをよろしくお願い致します。

追記:

サイト「IRORIO(イロリオ)」の以下の記事で紹介されたペーター・ハントケ。作家らしいですよね。

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2014年10月11日 (土)

村上春樹と大麻

「村上春樹 大麻」の検索ワードで当ブログにお見えになった方々があったので、ググってみると、以下の記事が出てきた。

  • 村上春樹 酩酊した「ドイツ“大麻”パーティ」の一部始終
  • 仰天! 村上春樹が大麻パーティに参加していた! 酩酊写真も流出

これらの記事によると、それは昔のことであり、また春樹が日本で大麻を吸うことはないそうだ。

今、こうしたことについてきちんと調べたり、書いたりしている時間がないので、少し、雑感だけ。

黒っぽい霧のようなオーラを発散している、催眠性のある小説群だと感じ(わたしの妄想と思っていただいても結構だが)、その流行に危機感を覚えてきたのだが……。

大麻と親和性のありそうな作風に、ハーメルンの笛吹き男のイメージが重なる。

ソフトドラッグを煙草やお酒の害と比較して、合法とすべしと主張する記事を複数読んだが(反対する記事はもっと沢山読んだ)、わたしは絶対に反対で、神秘主義者として書きたいことがある。

正統的な神秘主義の本で、煙草、お酒、麻薬をすすめている本などない。厳格に禁じている。現代科学では知られていない理由があるからだ。

無理のないウォーキングやダイエットでも、ハイになることはできる。良質の高揚感だと思う。

わたしは前世で修行したという記憶を少しだけ保持している神秘主義者で、おそらくはその前世の修行体験が手伝って今生で自然に拓けた感覚により、恍惚となるほどにすばらしい内的な体験をすることがまれにあるのだが、それはあの世に行くまでの楽しみとしてとっておいてもよいと思うことがある。

ましてや、薬物を用いてすばらしいと感じられる体験をしても、所詮、それは幽界体験にすぎないと思われる。麻薬には、高揚感をもたらす状態から悪夢をもたらすオゾマシイ状態へと暗転させる作用があるようだが、高級世界の体験ではそれは考えられないことだからである。

勿論、そもそもが薬物を用いて体験できる高級世界などない。

幽界は主観的な、半物質的世界であり、地上界の延長線上にあるといわれる(場所としてではなく、状態として)。

幽界は、日本神話では黄泉、ギリシア神話ではハーデース、エジプト神話ではアメンティ(沈黙の影の国)、サンスクリットではカーマ・ローカ(ローカは存在世界、カーマは欲望)、スコラ哲学ではリンボ界、神智学ではアストラル界ともいう。

幽界的事象に、神秘主義的意味合いで霊的という言葉を使うことはできない。

仮に、時々ほどほどの快適な体験をする程度で済むとしても、薬物でよい思いをしたいという依存性は霊媒体質を作りやすくする。霊媒体質になれば、どんな危険に巻き込まれるかわからない。

最近流行っているらしい前世療法などの催眠療法についても、わたしは心配だ。正統的な神秘主義ではこれは黒魔術に分類される。

こうしたことについて、きちんと書くとなると、時間がかかりそうだ。

初の歴史小説を優先すべきか。ちょっとニュースやアクセス解析をチェックするつもりが、そのたびに変わったニュースや情報が飛び込んできて、気をとられてしまう。

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2014年10月10日 (金)

ノーベル文学賞は、フランスの作家パトリック・モディアノ氏

ノーベル文学賞が昨日、発表になった。

受賞したのはフランスの作家パトリック・モディアノ氏。

いつだったか、娘と書店の海外コーナーで、『失われた時のカフェで』を手に取り、面白そうねえと話した本の著者だ。

結局話しただけで忘れていた。そのうち図書館から借りて読んでみたい。

失われた時のカフェで
パトリック・モディアノ   (著),    平中 悠一 (翻訳)
出版社: 作品社 (2011/5/2)

暗いブティック通り
パトリック・モディアノ   (著),    平岡 篤頼 (翻訳)
出版社: 白水社 (2005/5/25)

ノーベル賞受賞作家について、もっと知りたい読書家だって少なくないのではなかろうか? NHKで、モディアノ氏の特集を組んでほしいと思う。

人類が文学でどれだけのことをなしうるのか――そんな視点で紹介されるだけで、日本の雰囲気が少しは変わる気がしてしまう。

ノーベル文学賞と村上春樹を安直に結びつけた馬鹿騒ぎには、もう、うんざり。ノーベル賞を、よい作家を知るための情報源の一つとして見ることしか、わたしにはできないから。

ノーベル文学賞が純文学作家から選ばれる理由……他の分野を見れば自ずとわかるが、文学には人間に関する――また、人間が惹き起こす現象に関する――研究の一分野としての側面があるからではないだろうか。

ノーベル文学賞作家が、単に楽しく読める作品を書く、売り上げが凄いといった観点から選ばれていないことは確かだろう。ノーベル文学賞には政治的偏りがあることをいわれたりもするが。

ノーベル賞がまずは推薦から始まり、それがどのような形式でなのかを、わたしは憲法9条騒ぎで知った。日本での馬鹿騒ぎに、損得勘定が凄く働いている気がしていたが、それは推薦者たちの稟性の問題だったわけだ。

憲法9条騒ぎというのは、ノーベル平和賞に、ある人々が憲法9条を保持する日本国民を推薦した出来事である。

その出来事に対して、安倍首相と石破氏は、警戒しつつも自らを抑えた、上品な対応だったようだ。以下、Yahoo!ニュースより一部引用。

Yahoo!ニュース:時事通信 10月10日(金)11時57分配信

石破氏が隣席の首相に「9条が受賞したら誰がもらうのか。政治的ですよね」と水を向けると、首相も「結構、政治的ですよね」と応じた。

文学賞をお祭り騒ぎやギャンブルに貶める人々には、「物欲的ですよね」で済むが、村上春樹騒ぎには左派の思惑が絡んでいて、これも「結構、政治的ですよね」といえる現象であることは明らか。

何にしても、ノーベル賞の候補者や選考過程については、50年間の守秘義務があるそうだから、下馬評で騒いでいるだけのことなのだ。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2014年10月 8日 (水)

明日に迫ったノーベル文学賞の発表と村上春樹の記事へのアクセス数。イスラム国の戦闘に参加しようとした大学生とフィクションの関係。

ノーベル文学賞の発表が明日に迫ったが、6日のYahoo!ニュース(時事通信 18時35分配信)によると、英国ブックメーカー(賭け屋)ラドブロークスの予想では、今年も賭け率5倍で、村上春樹がトップ。

ケニアの作家グギ・ワ・ジオンゴ氏も同率で、他にベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ氏やシリアの詩人アドニス氏らが上位に入っているとか。

では、村上春樹人気は健在なのだろうか? 

なぜ、人気を疑うかといえば、朝日新聞の慰安婦問題謝罪のころから、当ブログにおける村上春樹関係の記事へのアクセス数が激減したからだ。

ノーベル文学賞の結果がどうであれ、この時期にこの少ないアクセス数というのは、昨年までを考えれば、ちょっと考えられない。訪問者が減るのは淋しいが、そのぶん、他のブログの他の作家へのアクセスが増えると思えば、嬉しい。

朝日新聞、村上春樹と並べると、2012年9月28日付で朝日新聞・朝刊に寄稿された村上春樹のエッセー「魂の行き来する道筋」を思い出す。

拙ブログ固有の現象にすぎないことを春樹人気と結びつけ、春樹人気の陰りと独断するわけにもいかないが、朝日新聞の偏向報道が明らかになったことが、村上春樹ブランドに疵をつけたということはありうると思う。

村上春樹人気とは無関係だと思うが、7月21日、92歳になった瀬戸内寂聴の体力的負担が理由で、法話の庵「寂庵 ナルト・サンガ」(徳島県鳴門市。京都市の寂庵の別院)が閉鎖されると報道されたころから、大手出版社が何かおとなしい気がしている。わたしの気のせいだろうか。

村上春樹に戻ると、10月4日にOMIURI ONLINEで、ドイツ紙「ウェルト」が今年の「ウェルト文学賞」を村上春樹に授与すると発表したとのニュースを目にした。これについても、これまでほどには騒がれなかった気がする。

YOMIURI ONLINE(2014年10月04日21時20分)のニュースによると、ウィルト紙は、

一連の作品について「魔法のように多彩なリアリズム」「様々なジャンルを飛び越えている」などと評した。

とのこと。

この評、1982年にノーベル文学賞を受賞したガルシア・マルケスが「魔術的リアリズムの旗手」といわれていることを連想して笑ってしまったが、マルケスの小説はどう読んでも純文学で、村上春樹の小説のように様々なジャンルを飛び越えてはいない。

そういえば、今日のYahoo!ニュース(TBS系(JNN)、1時15分配信のニュース)で、イスラム国の戦闘に参加しようとして警察庁公安部の家宅捜索を受けた北大生がフリージャナリストの取材に応じ、その中で以下のように語っているところがあった。

「社会的地位とかに価値を感じなくなった。ただそれだけ。日本の中で流通しているフィクションにすごく嫌な感情を抱いていて、別個のフィクションの中に行けば、違った発見があると思った。それくらい」(事情聴取を受けた大学生)

日本で流通しているフィクションというのが何を指しているのかは漠然としているが、わが国におけるフィクションのあり方、特に日本独特のファンタジー――村上春樹の作品もその中に含まれる――のおかしさについて考察を重ねてきたわたしには、気になる言葉である。

イスラム国が突きつけてくる、非情な生々しい現実を、「別個のフィクション」とは。まるで、粗悪なフィクション漬けになったために脳が冒された若者のサンプルのようだ。

大学生に取材したフリージャナリストの常岡浩介氏は、大学生には破滅願望があり、シリアは破滅的な場所というイメージがあるだけなのかなと受け取った、と語っていた。

日本国内のイスラム教徒はインタビューで、イスラム国のやっていることはイスラムの教えではないといっていた。大学生の行動に疑問を示していた。

それにしても、大学に行きたくても行けない若者が増えてきた日本で……大学生も大学生だが、学生の渡航を仲介していたとして同志社大学元教授が家宅捜索を受けただなんて、言葉をなくす。

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2014年9月16日 (火)

いお様から頂戴したコメントをご紹介

いお様から先月の16日に、当ブログの以下の記事にコメントを頂戴しましたが、受付停止にしているため、今日になるまで気づきませんでした。

コメントを受付停止にしていますので、ここでご紹介します。

いお

初めまして。コメント受付終了となっていますのに、コメントしてしまい申し訳ございません。
しかも随分昔の記事に…。

大変面白い解説を読ませていただいたので、お礼を言わせて下さい。
私には男性に都合の良い女性ばかり出して、男性に良い想いだけさせる、そして行き当たりばったりの筋しか書けない村上春樹が、ただの普通の男(凡人)にしか見えませんでした。
ですが、マダムN様は彼の凡人以上の不気味さを見抜き、ここで作家としての評価をしておられました。
彼の作品の新しい見方を見つけることができました。

失礼いたしました。
マダムN様の文章に魅力を感じました。
また訪問させていただきます。

わたしにとって、村上春樹の小説が不気味だと感じられる理由には、三点あります。

純文学的技法によって書かれているとは思えない春樹の小説が、純文学扱いされること(ではエンター系かというと、それとも違うように思われる)。また、わたしの神秘主義者としての感性からくるもので、催眠性を感じさせられるところがどうしても薄気味悪く感じられます。

そして、以下の記事を書いたころから、村上春樹が左派のプロパガンダに使われてきたのではないか、という疑念を抱き始めました。

意味の通らない文章を書きがちな大江健三郎がどういうわけかノーベル文学賞を受賞し、左派の広告塔となって久しいですが、ならば同系統の作家として春樹のノーベル文学賞受賞が可能だと思われたとしても不思議なことではないでしょう。

従軍慰安婦、南京事件、靖国参拝はセット物となって、左派の反日プロパガンダに使われてきました。

ところが、今では、従軍慰安婦問題が、朝日新聞の誤報・謝罪から、国家的な――日本の名誉に関わる――問題として大きく扱われるようになりました。

教育現場では盛んに村上春樹の小説や漫画『はだしのゲン』が使われてきたようですが、それらは史料的裏付けに乏しい、反日的な表現を多分に含んでいます。教育現場でそれらを使うのがふさわしいことなのかどうか、検証されるべきではないでしょうか。

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2013年6月 9日 (日)

村上春樹現象の深層 ⑤言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由

村上春樹現象の深層

大学教師に熱愛される村上春樹
村上春樹の浮遊する夢とポルターガイスト体験
マスメディアが媚態を尽くす村上春樹
眠剤を飲むくらいなら純文学小説を読みましょう
⑤言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由

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 村上春樹の人気には色々と引っかかるところがあったのだが、もう一つ、解けない謎があった。アメリカで売れている というのもわたしには意外ではあったが、言論統制が行われている中国、韓国で大ヒットしている理由となると、もっとわからなかった。ソ連時代のようなタイプの言論統制はないだろうが、ロシアでも人気があるようだ。

 以下の過去記事を読んでいただければ、村上春樹の小説がアメリカでどのように売られていたかがわかる。

 
 アメリカ、中国、韓国、ロシア。

 その謎が、最近の緊迫した中国、韓国との関係や、それと関係のある慰安婦問題、南京事件について調べる中で、解けた。

 言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずである。

 わたしのブログは素人が気まぐれに更新している、ささやかな発信基地にすぎないので、当然ながら海外からのアクセスは――世界の色々なところからあるにしても――数的には少ない。AccessAnalyzer.comのアクセス解析を参考にすることが多い。

 以前はそのうち、アメリカを除けば、中国が目立った。韓国からも多かった。それが、言論統制の関係からとしか思えないが、一時期は皆無だった。最近は言論統制をくぐり抜けてくるのか、ゆるくなったのか、だいたい毎日、中国からはある。

 そして、以前も今も、彼らがアクセスしてくるのは、ほとんどが村上春樹に関する記事なのだ。韓国では、軍隊でも大層人気があるらしい。

『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル』はざっと読んでいたが、確か『海辺のカフカ』には第二次大戦中に心的障害を負ったナカタという人物、『ねじまき鳥クロニクル』にはノモンハン事件が出てきたはずだと思い、再読してみた。

 フィクションとはいえ、『ねじまき鳥クロニクル』ではノモンハン事件がもろに出て来るし、南京事件に触れた場面もあるので、巻末には当然、参考文献が少なくとも30冊くらいは挙げられているだろうと思い、見たら(新潮文庫版平成20年29刷)、参考文献は挙げられていたが、2冊だけ。1冊は洋書だった。

 尤も、『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫、平成11年)には、「いろいろなノモンハン関係の資料を読んでいて」とあるので、いろいろと読みはしたのかとも思うが、『ねじまき鳥クロニクル』の内容からすると、春樹がノモンハン事件を分析するために読んだとは思えない。小説での利用を目的とした、盗るための読書だったのではないだろうか。

 純文学の一タイプに、私小説と呼ばれる、自身の体験を素材とした小説がある。村上春樹は私小説が嫌いなようだが、あれは自画像に似たところがあり、自己を客観視しないと、書けないものである。優れた青春文学は日本のものでも、海外のものでも、大抵私小説的技法が用いられている。

 純文学には、人間の理想像を追求する、人間学とでも呼びうるような学究的側面がある。だからこそ、自身を含めて人間を見つめる目はシビアで、人間のうちに潜む、例え理想とはかけ離れた要素であっても見逃さず、白日の下に晒そうとする。

 そのシビアさは反面、人間を誤って断罪しないための温かさでもあって、作家は背景を細かく描き出し、登場人物の心理と行動を丹念に追う。

 以下の過去記事で引用した石川達三の1938年に発表された『生きている兵隊』は、南京事件に関与したとされる第16師団33連隊に取材して書かれたものだが、フィクションとはいえ、全てが歴史的事実であったのかと思わされるくらい、よく調べて書かれている。

 ちなみにバルザックの小説は、現代の経済学者が参考にするほど、正確だという。

『生きている兵隊』では、戦争の諸相が暗いトーンで描かれており、残酷な場面も数々出てくるが、全体からバランス感覚が読みとれ、各場面の隅々まで、石川達三の神経が行き渡っているのが感じられる。

 しかし、村上春樹の『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニカル』では全体にどこか抽象的で、主人公と作家との間に距離感がなく、他の登場人物は狂言回し的である。村上春樹が悪や暴力を描くためにノモンハン事件や南京事件が利用されたという印象を拭えない。それも無造作にである。

 春樹には、色々な本からお気に入りの断片を拾ってきて、アクセサリーのように利用する癖がある。わたしはそのことを、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』で指摘した。

 そのように気ままに拾われて挿入された断片は、本来の性質をとどめていず、春樹自身の断片でしかないのだが、ノモンハン事件であろうと、南京事件であろうと、同じやり方で利用されたのである。

 わたしはざっと読んだとき、そう思ったので、内容を細かに調べはしなかったのだ。

 今回再読して驚いた。

 そして、色々と調べるうちに、日本がいつのまにか新旧の陣営に分かれてしまっていることに気づいたのだった。

 第二次大戦前からの日本を本来の日本として引き継ごうとする旧陣営と、日本を外国や左翼思想の利害のためのいわば植民地として存続させようとする新陣営とである。

 だから旧陣営は、日の丸や国歌を大事にし、その由来を教え、日本の歴史を現在まで一貫したものと考える。戦争の動機と敗戦に至った経緯を丹念に研究する。戦前からの文化、伝統を尊ぶ。

 新陣営は、敗戦後の日本に依拠しているので、日の丸も国歌も日本の歴史も邪魔である。歴史は一応教えるが、それはいわば他国の歴史に対するような感覚で、趣味、あるいはノスタルジーとして教えるだけであり、戦争に関しては、先勝国や左翼など、日本を有効活用したいと思っている勢力の視点で教える(この点に関して彼らの利害は一致する)。

 日本は第二次大戦でアジアが白人の植民地政策から解放されるきっかけをつくったというのに、敗戦によって、植民地に似たものとなり、下手をすれば、敗戦まで続いた日本とは全く別の国になってしまうだろう。

 中国や韓国によく似た国となり(かなり、そうなってしまっている)、ナンのために生きているのかわからない一般国民と搾取する人々で構成された、アジアの最劣等国となってしまうだろう。

 日教組は、左翼思想と反日勢力の拠点ともいうべきものとなってしまっているようだが、わたしは何かおかしいと感じながらもそこまでは知らなかった。だが、相当に劣化した左翼思想を未だにリードしようとする団塊世代がどんな人々であるかはよく知っている。

 GHQ(連合国最高司令官総司令部。1945年、アメリカ政府によって設置された対日占領政策の実施機関。Wikipedia:GHQ)による言論統制の影響を最も強く受けてしまった人々である。左翼思想を支える人々に在日外国人が多いことは、ほぼ確実である。以下はYouTubeの動画へのリンク。

韓国民団の選挙協力に感謝する、民主党野田佳彦議員

ブチギレしたくなる動画3

ソフトバンク 孫正義 の犯した8つの罪

 勿論、団塊世代にも、左翼思想に与しない人は多いのではないかと思うが(現在、旧陣営で中心的役割を果たしているのも、この世代の人々かもしれない)、無意識的に赤とはいわないまでもピンクがかっている人は、この世代と団塊ジュニアには多いだろう。

 現に、村上春樹関係でいただいたコメントは大抵、団塊か団塊ジュニアの人々なのだ。村上春樹は団塊世代に属する人だが、小説が洒落た風俗でコーティングされているため、春樹が新陣営の広告塔であるとは気づかなかった。

 春樹は作中の主人公となって、架空の敵と戦っている。その架空の敵とは、旧日本軍であり、天皇制であり、大東亜共栄圏という思想であり、戦争そのものであり、端的に暴力であり、究極の悪である。これらは皆一緒くたとされてしまっている。

 これでは子供のチャンバラごっこと変わりないのであるが、当の作家自身も、ファンたちもそのことに気づいていない。第一、平均的な知性と良識があれば、村上春樹の小説を読むのはひどく苦痛に感じるはずである。

 わたしは春樹が引用する断片のほとんどを読んだことがあるだけでなく、詳しく調べたことも多いので、引用されている断片が元の作品の全体の中でどのような位置を占めているかがわかる。春樹の引用が冒涜と感じられるのだ。

 わたしは日教組教育によって洗脳されていながらも、戦争に関する以下のような箇所が資料を基に旧日本軍や天皇を客観的に描写したものとは到底思えず、従って風刺とも考えられず、冒涜としか感じられなかった。

……引用ここから……
「日本の神様と外国の神様は親戚どうしなのか、それとも敵なのか?」
「知らねえよ、そんなこと」
「いいか、ホシノちゃん。神様ってのは人の意識にしか存在しないんだ。とくにこの日本においては、良くも悪くも、神様ってのはあくまで融通無碍なものなんだ。その証拠に戦争の前には神様だった天皇は、占領司令官ダグラス・マッカーサー将軍から『もう神様であるのはよしなさい』という指示を受けて、『はい、もう私は普通の人間です』って言って、1946年以降は神様ではなくなってしまった。日本の神様ってのは、それくらい調整のきくものなんだ。安物のパイプをくわえてサングラスをかけたアメリカの軍人にちょいと指示されただけでありかたが変わっちまう。それくらい超ポストモダンなものなんだ。いると思えばいる。いないと思えばいない。そんなもののことをいちいち気にすることはない」

……引用ここまで(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁127-128)……

 わたしはこの箇所を読んで、過日観たロック・オペラ『ジーザズ・クライスト=スーパースター』を思い出した。神の子イエスが磔になる場面では、首吊り自殺したユダが天使(堕天使?)群と共に現れて、歌い踊る。

 キリスト教に対する大変な冒涜ともいえるが、この映画が芸術作品としての品格を感じさせるのは、ユダを通して人間らしい虚心の問いかけがなされており、また磔にされるイエスへの愛がユダの高尚な心の痛みを伴って感じられるからである。

 これはわたしの単なる想像にすぎないが、この場面、春樹は『ジーザズ・クライスト=スーパースター』を参考にしたのではないだろうか。全体にバタ臭すぎて、言葉が浮いているからである。

 語られている天皇に、天皇らしさがない。そのためだろう、ここではカーネル・サンダーズが星野青年に一方的に教えを垂れている――星野青年を洗脳している――場面としか感じられない。これはまさに戦後の日教組教育そのものではないだろうか。ついでにいえば、ギリシャ悲劇のモチーフも浮いている。

 ……引用ここから……
女とすんなり別れたきゃ自衛隊に入るのがいちばんだね。石くんもこいつは覚えておくといいぜ。穴掘りと土嚢積みばかりやらされたのはめげたけどね」
……引用ここまで(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁441)……

 自衛隊員がこんな男ばかりだとしたら、日本のお先は真っ暗である。有事の際、日本人が頼れるのは自衛隊しかないというのに。

……引用ここから……
だいたいきみは自衛隊に入っていたんだろう。国民の税金をつかって鉄砲の撃ち方も教わっただろう。銃剣の研ぎ方だって教わっただろう。兵隊さんじゃないか。殺し方くらい自分の頭で考えろ。
……引用ここまで(新潮文庫版『海辺のカフカ(下)』頁486-487)……

 ここで『海辺のカフカ』のレビューを書くつもりはないので、素朴な疑問を書くだけだが、お亡くなりになったナカタさんの口からサナダ虫みたいに出てきた、蛇と山椒魚とお化けのQちゃんを一つにしたみたいな白いものは、悪の素か何かだろうか? 

 それがわかった人はいないようで、レビューをあれこれ読んでみたが、途中からモゴモゴした文章になって「とにかくよかった」で終わっているものが多い。

 白いものはナンと包丁と(象徴性を帯びた超自然的?な)石で自衛隊あがりの星野青年にやっつけられ、めでたし、めでたし。クサイ臭いは素から絶たなきゃ駄目、って宣伝があったわね~! こんな小説、大人が書くのは難しいと思う、いやホント。脳味噌が風邪ひいちゃったわ。

……引用ここから……
 彼らは半世紀近く前に満州と外蒙古との国境地帯で、草もまともに生えていないような一片の荒野をめぐって熾烈な戦闘を繰り広げたのだ。僕は本田さんから聞くまで、ノモンハン戦争のことなんてほとんど何も知らなかった。でも、それは想像を絶した壮絶な戦いだった。彼らはほとんど徒手空拳で優秀なソ連の機械化部隊に挑みかかり、そして押しつぶされたのだ。〔略〕
「もしわしが耳に負傷をせなんだら、たぶんわしは南方の島に送られて死んでいたことだろう。事実ノモンハンで生き残った兵隊たちの多くは、南方にやられて死んだんだ。ノモンハンは帝国陸軍にとっては生き恥を晒したような戦じゃったし、そこで生き残った兵隊はみんな、いちばん激しい戦場に送られることになったからな。まるでそれはあっちに行って死んでこいというようなものじゃった。ノモンハンででたらめな指揮をやった参謀たちは、あとになって中央で出世した。奴らのあるものは、戦後になって政治家にまでなった。しかしその下で命をかけて戦ったものたちは、ほとんどみんな圧殺されてしもうた」
「どうしてノモンハンの戦争が陸軍にとってそれほど恥ずかしいものだったんですか」と僕は尋ねてみた。「兵隊はみんな激しく勇敢に戦ったんでしょう。沢山の兵隊が死んでいったんでしょう。何故生き残った人たちがそんなに冷遇されなくてはならなかったんですか?」
 でも僕の質問は彼の耳には届かなかったようだ。

……引用ここまで(新潮文庫版『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』頁101-102)……

 徒手空拳でソ連の馬鹿デカそうな戦車に戦いを挑むなんて、まあ凄い! もしかしたら、超能力部隊だったのかしら~? わたしは国際的影響力のある春樹の無知のほうが、よほど恥ずかしい。

 ソ連崩壊からロシアの混乱期にかけて、機密文書が流出し、それらによって、これまでとは様相を異にするノモンハン事件像が形成されたようだ。

 Wikipedia:ノモンハン事件によると「ロシア軍のワルターノフ大佐は、従来非公開だったソ連・モンゴル軍全体の損害(死傷者及び行方不明者)について、日本軍よりも多くの損害を出していたことを明らかにした」という。「ノモンハン事件(ハルハ河戦争)の歴史的研究」という論文が読み応えがある。

 春樹は、よしゃいいのに、南京事件についても書いてくれている。そして、春樹の小説に出てくる主人公はセックスするしか能のないような男ばかりなので、捏造だったといわれる従軍慰安婦問題にありもしないはずのリアリティを添えてしまい、火のないところに煙は立つ状況をつくりだしている可能性がある。

……引用ここから……
南京あたりじゃずいぶんひどいことをしましたよ。うちの部隊でもやりました。何十人も井戸に放り込んで、上から手榴弾を何発か投げ込むんです。その他口では言えんようなこともやりました。少尉殿、この戦争には大義もなんにもありゃしませんぜ、こいつはただの殺しあいです。
……引用ここまで(新潮文庫版『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』頁261)……

 

 南京事件や従軍慰安婦問題は捏造されたものであることが旧陣営やニュートラルな人々の研究で明らかになっているにも拘わらず、それを無視しようとする新陣営の人々を以上のような春樹の小説の断片がどれほど喜ばせたか、想像するに難くない。わたしが前掲の過去記事で引用した石川達三の『生きている兵隊』における南京事件の描写と比較してみてほしい。

 中国、韓国、そしてノモンハン事件を春樹のような解釈で書いて貰ったロシアだって大喜びに違いない。アメリカには勿論、春樹を歓迎する理由があるだろう。 

 その国々の人々が無邪気に楽しむだけであろうと、国家の戦略的視点とは別なのだ。

 村上春樹の小説を愛読する日本人は、気づかないうちに自虐史観を植えつけられ、愚民化教育されている懼れがある。

 で書いたように、存命中の作家で最も多く大学で講義されている作家は村上春樹だという。 

 新陣営に教育されたわたしたちの多くが、玉音放送がどんなものかさえ知らない。戦前・戦中を総合し、戦後の始まりを告げる、日本の象徴及び日本国民統合の象徴たる天皇の貴重な意思表明なのである。この玉音放送をよく知り、真摯に受け止めるだけで、旧陣営はそのまま新陣営となりえたであろうに、それは阻まれた。以下はYouTubeの動画へのリンク。

敗戦の詔勅(玉音放送)

 以下のサイトから、終戦の詔勅(玉音放送の内容)の現代語訳を転載させていただく。

……転載ここから……
<現代語訳文> 

 私は深く世界の大勢と日本の現状について考え、非常の手段によってこの事態を収拾しようと思い、忠義で善良なあなた方臣民に告げる。

 私は帝国政府に米国、英国、中国、ソ連に対してポツダム宣言を受け入れることを通告せしめた。そもそも日本国民の安全を確保し世界の国々と共に栄えその喜びを共にすることは、私の祖先から行ってきたことであって私もそのように努めてきた。先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない。しかしながら、戦闘状態はすでに四年を越え、私の陸海将兵の勇敢な戦闘や、私の官僚・公務員たちの勤勉なはたらき、私の一億国民の努力、それぞれ最善を尽くしたにもかかわらず、戦争における状況はよくならず、世界の情勢も我々には不利に働いている。それだけではない。敵は、 新たに残虐な爆弾を使用して、何の罪もない多くの非戦闘員を殺傷し、その被害はまったく図り知れない。それでもなお戦争を継続すれば、最終的には日本民族の滅亡を招き、そして人類文明おも破壊することになってしまうだろう。そのような事態になったとしたら、私はどうしてわが子とも言える多くの国民を保ち、先祖の霊に謝罪することができようか。これこそが政府にポツダム宣言に応じるようにさせた理由である。

 私は日本とともに終始東亜の植民地解放に協力した友好国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。帝国臣民にして戦場で没し、職場で殉職し、悲惨な最期を遂げた者、またその遺族のことを考えると体中が引き裂かれる思いがする。さらに戦場で負傷し、戦禍にあい、家や職場を失った者の厚生については、私が深く心配するところである。思うに、これから日本の受けるであろう苦難は、大変なものになる。国民たちの負けたくないという気持ちも私はよく知っている。しかし、私はこれから耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。

 私は、ここにこうして国体を守り、忠義で善良なあなた方臣民の真心を信頼し、そして、いつもあなた方臣民とともにある。もし、感情的になって争い事をしたり、同胞同士がいがみあって、国家を混乱におちいらせて世界から信用を失うようなことを私は強く懸念している。国を挙げて一つの家族のように団結し、子孫ともども固く神国日本の不滅を信じ、道は遠く責任は重大であることを自覚し、総力を将来の建設のために傾け、道義心と志操を固く持ち、日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努めなさい。あなた方臣民は私の気持ちを理解しそのようにしてほしい。

 天皇の署名と印璽
 昭和二十年八月十四日

……転載ここまで……

 わたしの世代――他の世代のことはよくわからない――が日教組教育で教わったことから判断すると、玉音放送の中の「先に、米国・英国二国に宣戦を布告したのも、我が帝国の自立と東亜の安定を願ってのものであって、他国の主権を侵害したり、領土を侵犯したりするようなことは、もちろん私の意志ではない」という箇所は、真っ赤な嘘、ということになる。

 しかし、戦争に関する新資料の流出や研究が進む中で、真っ赤な嘘をついていたのがどちらだったのかが明らかになってきている。

 わたしはこれまで、新陣営からの刷り込みは散々受けてきたので、しばらくは旧陣営からの発信に耳を傾けたいと思っている。村上春樹に対する批判は、どちらかの陣営に依拠したものではなく、これまでのように文学観から出たものである。

 以下は、このような現状にあるわたしがYouTubeよりセレクトした動画へのリンク。日本政府がユダヤ人保護を閣議決定していたことは、あまり知られていない。それがあったから、外交官・杉原千畝はユダヤ人にビザを発行できたのだった。

大東亜戦争の真実

人種の平等と世界平和,公正な世界を目指した日本

ユダヤ人保護を日本「閣議決定

ハルノート_太平洋戦争

日米開戦のウラ_1/2

日米開戦のウラ_2/2

ユダヤとコミンテルン_日本が戦争に至った背景

日本人が知らなければならない太平洋戦争の真実 【日本人よ目覚めよう】

大東亜戦争の名言集

まだ太平洋戦争と呼びますか?【大東亜戦争に込められた想い】

海ゆかば The 2nd old Japanese national anthem

世界が語る神風特別攻撃隊―カミカゼはなぜ世界で尊敬されるのか

泣ける【静ちゃんへの手紙】~神風特攻隊員の兄と幼き妹~

航空自衛隊 航空学生の一日 ✈ JASDF Aviation Cadet

※当ブログにおける関連記事

・2013年5月27日 (月)
YouTubeよりセレクト - 慰安婦問題、南京事件 (※29日に追記あり)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/05/youtube---82b7.html

・2013年5月30日 (木)
大東亜共栄圏の夢が破れ、日教組の罪な戦後教育
http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/05/post-6999.html

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

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2013年5月15日 (水)

村上春樹現象の深層 ④眠剤を飲むくらいなら純文学小説を読みましょう

村上春樹現象の深層

大学教師に熱愛される村上春樹
村上春樹の浮遊する夢とポルターガイスト体験
マスメディアが媚態を尽くす村上春樹
④眠剤を飲むくらいなら純文学小説を読みましょう
言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由

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 村上春樹ブームが繰り返されるごとに、純文学のイメージは傷つけられ、下落していくばかりです。

 この現象自体が、村上春樹が書く小説と純文学小説の違いを物語っています。純文学は、村上春樹現象のような商業主義絡みの馬鹿騒ぎが起きる次元とは別の次元に属しています。

 ※京都大百周年記念ホールで行われた村上春樹の「公開インタビュー」の内容には疑問点がいくつかあるので、そのうち記事にしたいと思っています。

 ここで少し書けば、そのうちの一つは、以下の箇所。

1950~70年代、物語小説は差別され、物語というだけでばかにされた。僕は(夏目)漱石のファンだが、漱石も昔は評価が低かった。僕も最初のころはずいぶん批判が多かったが、いつも買ってくれる人がいた。

 団塊の世代の村上春樹とは世代的なずれがありますが、1958年生まれのわたしの記憶する限り、漱石は国語の時間にはめいっぱい出てくるわ、図書館でも書店でも威張っている――重要視されている――わという感じで、いわば日本文学の定番という感じは昔からあったように思うのですが……。

 今、夫が傍にいるので、インタビューしてみます。1949生まれの春樹より2年遅く小学生になった夫は1951年生まれ。

「漱石? 定番中の定番だった。漱石と鴎外は教科書に必ず入っていた。第一親父の代から俺の代を含めて、日本文学全集に漱石が入っていなかった例しはないよ。世界文学全集にだって、日本の巻には漱石は必ず入っているはずだ」と夫。

 そうよね。何で、馬鹿げた嘘を春樹はつくのでしょうか。漱石=春樹=文豪と印象づけるための操作かしら。無意識的なのかもしれませんがね。

 わたしは過去記事でも、文学を音楽にたとえれば、純文学はクラシック、娯楽系はポピュラーになるのではないか、と書いてきました。

 ポピュラー音楽のコンサートではチケットをゲットするのに抽選があることも珍しくないようですが、クラシック音楽のコンサートでは(田舎だからかもしれませんが)博多辺りまで勘定に入れても、過去に一度もそのようなことはありませんでした。

 夫をクラシックのコンサートに連れて行くと、寝てしまい鼾をかくので、悪いけれど、誘わなくなりました。クラシックのコンサートの雰囲気には惹かれるようですが、実際に聴くと、眠りを誘われるようです。家では聴かないので、クラシックコンサートの雰囲気が好きなのでしょうね。

 純文学小説を読み始めると寝てしまう、という方も多いかもしれません。でも、それでいいのではないでしょうか。

 先日、拙著2冊をなるべく多くの人に読んで貰えればと思い、「純文学はいかが?」無料キャンペーンを行いました。

 純文学を読みそうな世代は、電子書籍とはほとんど縁がないと思われるので、全くダウンロードして貰えなくても仕方がないと思っていました。思いがけないダウンロード数には、ほのぼのと嬉しくなりました。

 わたしの小説はジャンル的には間違いなく純文学に分類されると思いますが、未熟な筆遣いですから、自分の作品を「純文学」と声を大にしていうと、怒られそうです。

 わたしの作品を、とはいいません(いえません)が、若い人々にどんどん有名な純文学作品を読んだり眠ったり(?)してほしいと願っています。

 当ブログでは多くの純文学作家・作品を紹介しています。

 眠くなることも多々ある純文学作品を日本人がもっと読むようになれば、それだけで不眠症が減り、眠剤、精神科医、臨床心理士を必要とする人が減るのではないでしょうか?

 また、自他の人生、生活を客観視できる能力を育む純文学作品を子供の頃から多く読ませれば、社会はもっとすこやかに、豊かになるのではないでしょうか? 

 本物の純文学には人間の生を真摯に見つめ、人間社会、大自然、宇宙との関連から人間の生きる意味と理想的なあり方を読み解こうとする作家の不動性が備わっており、そこからくる安定感が、作品の学究的な薫りと相俟って、眠気を誘ったりもするのです。

 ベッドサイドに1冊の純文学がある効用には、大きなものがあるはずです。他の分野と連繋し合う純文学はいわば港であり、純文学作品の不動性はどんな嵐にもびくともしない錨です。

 それは村上春樹の諸著がもたらす不安定感、閉塞感、催眠的な眠気や興奮、利己的なナルシシズムとは対照的な現象です。

 ただ、春樹の小説が純文学ではないのは間違いないにしても(その根拠は拙評論で述べています)、かといって、意識的に読者を楽しませる工夫を凝らす娯楽系(エンター系)小説ともいえない気がします。

 その辺りを探るためにも、近いうちに、前掲の村上春樹の「公開インタビュー」に関する記事は書いておきたいと考えています。(2013年5月15日)

 サンプルをダウンロードできます。
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村上春樹現象の深層 ③マスメディアが媚態を尽くす村上春樹

村上春樹現象の深層

大学教師に熱愛される村上春樹
村上春樹の浮遊する夢とポルターガイスト体験
③マスメディアが媚態を尽くす村上春樹
眠剤を飲むくらいなら純文学小説を読みましょう
言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由

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 過日、村上春樹のイベントがあり、例によって当ブログの訪問者が増えたが、わたしはそれ以降、やる気の出ない日々が続いている。いつものこととはいえ、受ける影響の大きさに我ながら驚いている。

 どうしてこんなにやる気が出ないのだろう?

 村上春樹以外では、ハリー・ポッター騒ぎがうるさかった。その前はエンデかな。そういえば、ハリー・ポッターは世界中であんなに売れたのに、なぜノーベル文学賞騒ぎが起きないのだろう? 児童文学作家が受賞しないわけではない。現に、リンドグレーンが受賞しないことで話題になっていたぐらいだ。

 マスメディアは村上春樹があたかもノーベル文学賞候補であるような騒ぎ方をするが、そもそもノーベル文学賞の場合、候補は発表にならないはずだ。以下の抜粋の下線部分はわたしが引いたものだが、そこを注目していただきたい。

Wikipedia:ノーベル文学賞 「選考」より抜粋

第1回の選考の際にはトルストイが存命で、有力候補とされていたがフランスのアカデミーが推薦した詩人シュリ・プリュドムが選ばれた。 この選考結果に対してスウェーデン国内で一部の作家たちが抗議を行うなど世論の批判があったが、トルストイの主張する無政府主義や宗教批判が受け入れられず、翌年以降も選ばれることは無かった。

1913年には、インドのタゴールがヨーロッパ以外の地域から初めて選ばれた。タゴールはベンガル語で詩を作り、『夕べの歌』の出版以来、高い評価を得ていた。子供の頃から英語を学び、イギリス留学の経験もあるため英語に通じていたタゴールが自分自身で詩を英語に訳したところ、アイルランドの詩人イェイツなどの協力によって英語で出版され、ヨーロッパでも好評を得た。

1914年の選考ではカール・シュピッテラーが候補になっていたが、第一次世界大戦の勃発により授賞は中止された。1916年の11月に、1915年のロマン・ロランと1916年のヴェルネル・フォン・ハイデンスタムの二人への授賞が発表された。式典自体は戦争が終結する1918年まで実施されなかった。

1925年に選ばれた劇作家、バーナード・ショーは当初受賞を拒否していたが、説得により賞を受け、賞金はイギリスにおけるスウェーデン文学の為の財団設立に投じられた。

第二次世界大戦が始まると4年の間、ノーベル文学賞は中止された。1945年に1944年の受賞者ヨハネス・イェンセンと1945年の受賞者ガブリエラ・ミストラルが同時に発表された。1945年の選考ではフランスのポール・ヴァレリーに決まりつつあったが、正式決定前の7月にヴァレリーが死亡した為、ミストラルの南米初の受賞が決まった。

1958年のソ連のボリス・パステルナークは政府からの圧力により、辞退を強要された。パステルナークは1960年に死亡し、1988年に息子がメダルを受け取っている。

サルトルは1964年に選ばれたが、辞退した。サルトルは公的な栄誉を否定しており、過去にもフランス政府による勲章等を辞退していた。公式な声明ではノーベル賞の辞退は個人的な理由としているが、この賞が西側中心のものであることへのサルトルの批判として受け止められた。

日本人では川端康成と大江健三郎の2人が受賞している。このほか、賀川豊彦が1947・1948年の2度候補に挙がっている。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務があり、ノーベル財団のウェブサイトでは1950年までの候補者が公表されている。2009年、朝日新聞がノーベル財団に50年以上経過した過去の情報公開を請求した結果、賀川の後は1958年に谷崎潤一郎と西脇順三郎が候補となっていたことが確認された。さらに、谷崎と西脇は1960 - 1962年にも候補者となっていたことが、公開された日本の外務省公電からの間接的な形で2010年に研究者によって確認され、2013年に読売新聞によるスウェーデン・アカデミーへの情報公開請求の結果としても裏付けられた。また、同じ情報公開請求では1968年に受賞した川端康成が、1961年と1962年に候補者となっていたことも明らかになっている。これ以外に古くは1926年に内田魯庵が野口米次郎を「日本の文芸家からノーベル賞の候補に挙がる最初の人物」と評したのをはじめ、戦後は三島由紀夫、芹沢光治良、井伏鱒二、井上靖、遠藤周作、安部公房、村上春樹らが「候補者」として報道されたことがあるが、いずれも下馬評や過去の受賞者が獲得していた他の文学賞との関連などに基づく類推の域を出るものではなく、現在公表されているノーベル財団の公式な資料に基づくものではない。

 マスメディアは下馬評にすぎないものを、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表であるがごとく、騒ぐのだ。

 マスメディアが頼りにするのは世界最大規模のブックメーカー(賭け屋)、英ラドブロークスであるが、それがどんなものか、ググってみていただきたい。およそ、文学とは縁もゆかりもなさそうなサイトに招き寄せられてしまうことだろう。

 そんな賭け屋の予想にすぎないものをマスメディアは、あたかもスウェーデン・アカデミーの公式発表と一般人に勘違いさせるような情報操作を行い、文豪だの世界的作家だのと喚き立てる。

 ノーベル賞の他の分野では、こんな騒ぎが起きない。それも変ではないだろうか。

 それに、ノーベル文学賞作家である大江健三郎は健在であるはずだが、下馬評くらいで文豪扱いするのであれば、大江健三郎には大がいくつ付く文豪になるのだろう? 大大大文豪くらいかしら。

 そんな大大大文豪をまだ生きていらっしゃるというのに、ほったらかし気味でいいの? 

 マスメディアは民主を持ち上げ、自民を貶めるのが好きだが、マスメディアがこうも熱愛する村上春樹……これは単純な商業主義ではないのではないか。

 文化庁長官だった――わたしには似非ユング学者だったとしか思えない〔※カテゴリー「瀕死の児童文学界」参照〕――河合隼雄との結びつきが村上春樹の権威づけに一役も二役も買っていることは間違いないだろうが、それだけではない……何かもっと大きな、組織ぐるみの勢力が裏で働いている嫌な予感が付き纏う。

 村上春樹現象は韓流ブームに似ている。

 わが国のテレビメディアは韓流の発信基地かとすら思えた一時期があったが、村上春樹に関しては、マスメディアが春樹に媚態を尽くし、村上春樹現象をつくり出す主因となっている。

 かくもマスメディアを操りうるのは誰なのか。一人のドンなのか、組織なのか、と疑問がわくのだ。(2013年5月11日)

 サンプルをダウンロードできます。
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村上春樹現象の深層 ②村上春樹の浮遊する夢とポルターガイスト体験

村上春樹現象の深層

大学教師に熱愛される村上春樹
②村上春樹の浮遊する夢とポルターガイスト体験
マスメディアが媚態を尽くす村上春樹
眠剤を飲むくらいなら純文学小説を読みましょう
言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由

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『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』(新潮文庫、平成11年)を読んでいた。

 村上春樹の新作が出る少し前くらいから、当ブログのアクセス数が増えた。それでも、12日のユニーク訪問者数500弱をピークとしていたから、数千単位だった頃に比べると、さしものハルキ人気にも翳りが見え始めたといったところだろうか。

 それでも日本文化に与えた村上春樹の影響力には無視できないものがあり、それは今後も当分は続くことだろうと思う。

 そう考えながら昨日、病院の帰りに書店に寄ったら、前掲の本が目にとまり、久しぶりに本の購入をした。もし買うのであれば、本当はリンドグレーンの岩波少年文庫版のエーミル・シリーズのうち持っていないものがあるから、それを買いたかったのだが、研究のためには入手する必要があると思い、購入した。

 図書館の本には書き込めないので、安い本であれば、研究に使う本はなるべく入手したいと思っている。490円だった。わたしのKindle本『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』より高い。

 当分先になると思うが、現代日本文学にまで及んだ河合隼雄の影響について、『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』の続編という形で評論を書きたいと考えている。

 そのささやかな準備として購入した次第。

 河合隼雄とのこの対談のあとで村上春樹が何作、作品を発表したのかはまだ調べていないが、春樹の的を射た真摯な質問を河合隼雄はいい加減に交わしているというか、台無しにしているというべきか、うまく対応できていない箇所があちこちに見つかる。

 それに対して、春樹は突っ込んだ質問をしたり、討論を尽くしたりはしていない。優れた先達の意見を謹聴しているという態度に終始している。こんな形で、春樹は河合の影響を受けたとも考えられる。

 その箇所に、わたしの本では沢山線や書き込みがあるのだが、これに関しては、評論を書くときにきちんと示したい。

 書店では、『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』というインタビュー集を立ち読みした。これは図書館から借りる予定だが、その本と『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』からわたしが春樹に関して初めて知ったことの一つは、春樹がほとんど夢を見ないということだった。

 ただ一つだけ見る夢があって、それは空中浮遊の夢だという。わたしの児童文学関係の知り合いにやはり夢を見ないという人があって(その人は一度も夢を見たことがないと言い張った)、一晩に最低でも4つか5つは夢を見る(記憶している)わたしには想像もつかないことで、こんな話を聴くと、何だか怖くなってくる。

 最近は面倒であまり夢日記をつけなくなったが、大学時代から長年夢日記をつけていると、夢というものが自分を包み込む、自分にも自覚できないもっと大きな自分(高位の自分といってよいかもしれない)によって設計され装置化された優れた役目を持つものであることが何となくわかってくる。

 同じ舞台が何度も使われることがある。ほとんどの夢で、わたしは未来に起こる出来事をあらかじめ体験させられる。それは何ともユニークにデフォルメして表現されることが多い。

 夫が見た最近の夢をお話ししたい。みっともない私事であるが、わたしたち夫婦が夫を狙ったストーカーにつき纏われていることを当ブログに以前からお見えになっているかたはご存知だと思う。

 ストーカー本人によると思われる無言電話が11日に、協力者によるセールスを装ったと思われる電話が13日にあった。夫は、その数日前に、以下のような夢を見たとわたしに話した。

 夫はまだ独身で、古い借家に母親と住んでいるという設定。そこへ二人の女性が訪ねて来た。二人の女性への対応を母親に任せたまま、夫はトイレへ行く。便器は汲み取り式で、汚物があからさまに見える。夫は便器の傍に立っているのだが、突然自分の髪の毛がどんどん伸び、背丈以上の長さに達し、その先端が汚物に触れてしまった。

 夫はパニックに駆られ、母親に「鋏を持ってきて!」と叫んでいたという。

 この夫の夢に出てくる二人の女性というのが、2本の電話を警告していたのかどうかはわからないが、示談の時に明確に示したはずの自分の意思を簡単に無視された夫。そして、執念深く自分をつけ狙ってくるストーカーたちに怯える夫。

 そんな夫の心理状態をデフォルメした夢ではないかとわたしは解釈した。もし、そんな夢だったとしたら、いうまでもなく母親とはわたしのことだろう。

 実際に、わたしは結婚以来、妻としてより母親としての役割を担わされてきたと感じている。再びストーカー行為に見舞われれば、警察に通報するまでではないかとわたしは夫にいった。 

 話が逸れてしまったが、夢について長年考察していると、人間の重層構造という考えに行き着かざるをえなくなる。

 肉体の次元では夢は脳と電気的な刺激の問題かもしれないが、ブラヴァツキーが「肉体の影響を受けない、死すべき人間の中に潜む不死の自我の存在を認めなければ、本当の夢の性質と機能を理解することはできません」(『実践的オカルティズム』田中恵美子&ジェフ・クラーク訳、竜王文庫、平成7年)というような、もっと優れた機能が夢には潜んでいると想像せざるをえなくなるのだ。

 夢を見ない人の空想には、遊びを知らないまま大人になった人と同じような極端さ、危うさがあり、それがわたしに村上春樹の作品に警戒心を起こさせる原因の一つとなっているのかもしれない。

『村上春樹、河合隼雄に会いに行く』の中の以下のような部分もひっかかる。

ぼくは、小説ではよく超常現象とか超現実的なことを書くのですが、現実生活ではそういうものを基本的に信じていないのです。

 信じる信じないは信仰の問題であって、科学的に説明できない現象を信仰の問題で片付けることはできないのではないだろうか。春樹にはこのような思考法の甘さがある。

 ただこれにも例外があるそうで、ノモンハンの戦場跡を取材した夜中、ホテルでいわゆるポルターガイストと呼ばれるような現象を体験したらしい。

 夢にしても、超常現象にしても、こんな貧弱な体験しかない人間に限って、白昼夢的、超常現象まがいの空想を垂れ流し、それをそのまま本にしたりして、本物の夢や超常現象の持つ厚みや複雑さを殺してしまうのである。

 暴力について話が交わされ、「暴力性と表現」「日本社会の中の暴力」とページが割かれているのはいいが、暴力を怪獣か何かのように、単純な捉えかたで済ませるのはどうかと思う。

 春樹と河合は、症状と病名をごっちゃにしてしまうのと似た論の進めかたをして平気だ。暴力とは病気でいえば、症状であって、病名ではない。歴史認識の貧弱さ、いい加減さが、このような単純な解釈を呼ぶのではないかと思う。(2013年4月16日)

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