カテゴリー「ライナー・マリア・リルケ」の5件の記事

2013年4月29日 (月)

カロッサ『指導と信徒』に見る神智学・人知学(アントロポゾフィー)の影響と印象的なリルケの描写 その①ブラヴァツキー

 メモ程度の短い記事にするつもりだったが、カロッサの『指導と信徒』に出てくる神智学、人知学について触れるためには、ブラヴァツキーの神智学についてざっとでも触れないわけにはいかなくなり、今日のところはカロッサにまで行き着かずに終わりそうなので、記事を分けることにした。

 でも、分けてしまうと、わたしは後が続かないことがある。『ハムスター列伝』然り、『最愛の子にブッダと呼ばれたガブリエラ・ミストラル - その豊潤な詩また神智学との関りについて』然り。

 西洋の知識人にブラヴァツキーの影響は広く、深く及んでいるにも拘わらず、調査が進んでいない。誰のせいだろう? わたしも神智学協会の会員である以上は、その責任がある。

 といっても、頭の悪い、お金もない、普通の主婦には大したことができないので、せめて、文学書に目についた神智学の文字には注目して、記事にしておきたいと思った次第。

 以下はウィキペディアより、冒頭を引用。

Wikipedia:へレナ・P・ブラヴァツキー

ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー (Helena Petrovna Blavatsky)、1831年8月12日 – 1891年5月8日) は、神智学を創唱した人物で、神智学協会の設立者。

著書の訳書はH・P・ブラヴァツキーかヘレナ・P・ブラヴァツキーとして出ている。通称ブラヴァツキー夫人。ブラバッキーと誤記されることもある。ドイツ/ロシア系で、ロシア語でのフルネームはエレーナ・ペトローヴナ・ブラヴァーツカヤ (Елена Петровна Блаватская, Eelena Petrovna Blavatskaya) である(ブラヴァーツカヤはブラヴァーツキーの女性形)。旧姓フォン・ハーン (von Hahn)。

神智学はキリスト教・仏教・ヒンドゥー教・古代エジプトの宗教をはじめ、さまざまな宗教や神秘主義思想を折衷したものである。この神智学は、多くの芸術家たちにインスピレーションを与えたことが知られている。例えば、ロシアの作曲家スクリャービンも傾倒したし、イェイツやカンディンスキーにも影響を与えた。

ロシア首相を務めたセルゲイ・ヴィッテ伯爵は従弟である。2人の共通の祖母が、名門ドルゴルーコフ家の公女にして博物学者のエレナ・パヴロヴナ・ドルゴルーコヴァである。

 これ以降、特に在印期について書かれた思想的な部分は、ケチをつけるようで悪いけれど、わたしには執筆者がブラヴァツキーの主要著作さえ読んでいないのではないかと思わざるをえない。

 ウィキペディアには以下のように書かれている。

インドの地において神智学にはより多くのインド思想が導入されてゆくことになった。インド人の神智学協会会員のダモダールやスッバ・ロウなどが協力し、ヒンドゥー教や仏教から様々な教えがとりこまれた。ただし、理解や導入に限界はあり、西洋の神秘学との折衷的な手法が採用された。理解できたり、利用できる思想は取り込むものの、それができない部分はカバラーや新プラトン主義などの考え方で補完する、ということをしたのである。

 これでは折衷というより、ただの寄せ集めにすぎない。ブラヴァツキーがそんな甘い姿勢で協会の設立や執筆に取り組んだのではないことが『神智学の鍵』の序文や『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』のはしがきを読んだだけでわかるのだが……。

 折しも、『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(訳者:田中恵美子 、ジェフ・クラーク )が上梓されたそうだ。1989年に出版された『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論[上]』の改訂版で、「シークレット・ドクトリンの沿革」と「議事録」の章を抜いて再編集してあるとか。

 以下の出版社「宇宙パブリッシング」のホームページからメール注文により、送料無料で購入できるという(近いうちにAmazonからも購入できるようになるそうだ)。

 最初の20ページを、PDFファイルのダウンロードで読むことができる。この部分だけでも、ブラヴァツキーの神智学の薫りが伝わってくる。

 近代神秘主義、オカルティズムはブラヴァツキーのこの著作抜きでは語れないので(それなのに、彼女の著作を読みもしないで、やたらと語る人が多いのはどういうわけか)、480頁の重厚な内容で、4,000円(税別)はお得だと思う。

「シークレット・ドクトリンの沿革」と「議事録」の章が抜かれているため、安くなっているようだ。わたしが購入した初版、第3版は10,000円(税別)だった。紛失を畏れたのと、書き込みで汚くなってはいけないので、高価な本を2冊求めた。原書も一応持っている。

 日田市で台風被害に遭った夜、わたしはブラヴァツキーのこの邦訳版と、わたしにはサファイアのようなオーラが放射されて見える原書、それにバルザックの『幻滅』、着替え、通帳、ハムスターをケージごと持って、ホテルに避難した。

 『シークレット・ドクトリン』のはしがき(この部分はサンプルのダウンロードで読める)に、「この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって」とあり、執筆にアデプト(大師)の助けがあったことをほのめかしているが、こうした部分が攻撃の的となってきたわけだ。

 そんなこと、確かめようのないことで、わたしにはどうだっていい。内容の高貴さは美しいオーラが証明していると思うし、「はしがき」に表れた著者の謙虚さ、志の高さ、ナイーヴさを知るだけで、わたしにとって、この著作はすぐに宝物になったのだった。

 平易な表現でブラヴァツキーの人生を素描したハワード・マーフェット『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(田中恵美子訳、竜王文庫)には、次のような箇所が出てくる。

或る日、伯爵夫人が書斎に入っていくと、床には棄てられた原稿用紙が一ぱい散らかっていました。
「どうしたのですか?」と彼女は聞きました。
「一頁を正確に書こうとして十二回もやって見ました。いつも大師は違っていると言われるのです。何度も書いて、気違いになりそうです。でも成功するまでは休みませんよ。たとえ夜中までかかってもやります。勝手にさせておいてください」
 コンスタンスはコーヒーを持って行き、そのうんざりする仕事をさせておきました。一時間すると、HPBが呼んでいるのが聞こえました。その頁は満足出来るよう、仕上がっていました。

 文中の伯爵夫人というのは、ブラヴァツキーが『シークレット・ドクトリン』を執筆していたとき、協力者として生活を共にしたコンスタンス・ワクトマイスターという名のスウェーデンの伯爵夫人である。

 この如何にも貴婦人らしい気品に満ちた写真の残っているワクトマイスター夫人は、透視力が優れていて、大師が精妙体で現れるのを度々見たり、時には話しているのを聞くことさえできたという。

 わたしも、いわゆる透視力や透聴力といわれる能力が徐々に発達してきたせいで、子供の頃には前世修行者だったという霊的記憶と瞑想の習慣くらいしかなかったのが、大人になってから、いろいろな体験をするようになった。だから、伝記に書かれたようなブラヴァツキーの周囲で起きる様々な現象も、大して珍しいとも思わない。

 わたしにはなぜ、問題の本質――著作の性質――をそっちのけにして、今なお、ブラヴァツキーが霊媒だのペテン師だのと、それ以外のことばかり問題とされるのかがわからない。

 著作がすべてを語るのではないだろうか。「はしがき」で、ブラヴァツキーは著作の目的を次のように書く。

万物の存在は偶発的なものではなく、必然の結果であると証明すること、宇宙体系においての人間の正しい位置を明らかにすること、さらに、あらゆる宗教の基礎である太古の真理を忘却から救い、その基本的統一性を発見すること、最後に、これまで近代科学が取りあげなかった大自然の側面を示すことである。

 考古学の発見や古文書の解読、また科学の発達によって、当時は荒唐無稽に思われたブラヴァツキーの記述の中に、その正当性が明らかになったことがずいぶんあるのではないかと思う。大学の研究室のような専門機関で、ブラヴァツキーの著作は検証される時期に来ているのではないだろうか。

「はしがき」でブラヴァツキーは明かしている。

これらの真理は断じて、啓示としてもたらされたものではないし、筆者は、世界の歴史の中で今はじめて公けにされた神秘的な伝承の啓示者であると主張もしない。この著作の中にあるものは、アジアの偉大な宗教や太古のヨーロッパの宗教の聖典に表されているが、象形文字や象徴のヴェールにかくされて、これまで気づかれないままに散在していた何千巻にも及ぶものから得ている。今、しようとしていることは、最古の教義を集めて、一つの調和のとれた一貫した全体としてまとめることである。筆者が先輩達よりも有利な唯一の点は、個人的な推論や学説をたてる必要がないということである。というのは、この著作は著者自身がもっと進んだ学徒に教えられたことの一部であって、筆者自身の研究と観察による追加はごく僅かだからである。ここで述べられている沢山な事実の公表は、的はずれで空想的な推論が行われてきたために必要とされるようになったのである。つまり近年、多くの神智学徒や神秘主義の学徒が、自分に伝えられた僅かな事実をもとにして、自分だけが完全だと思い込む空想的な思想体系をつくり上げようと、夢中になっているからである。

 ブラヴァツキーは「多くの神智学徒や神秘主義の学徒が、自分に伝えられた僅かな事実をもとにして、自分だけが完全だと思い込む空想的な思想体系をつくり上げようと、夢中になっている」と書いているが、結局後継者であったアニー・ベサント、リードビーター、神智学協会ドイツ支部の分裂後アントロポゾフィー協会を設立したシュタイナーにしても、ブラヴァツキーの観点からすれば、彼女の死後も同様の事態が発生したことになる。

 アニー・ベザントも、シュタイナーも、それぞれに巨大な足跡を残した人々ではあったが。

 カロッサの『指導と信徒』には、神智学と人知学が出てくる箇所がある。区別して訳されているから、人知学とはシュタイナーのアントロポゾフィーのことだろう。

『指導と信徒』は1933年に出ている。シュタイナーは1925年に64歳で亡くなっている。カロッサは1878年に生まれ、1956年9月12日に亡くなっているから、シュタイナーが亡くなったとき、カロッサは47歳。カロッサが神智学やシュタイナーの著作を読んだことがあっただけなのか、神智学協会ドイツ支部あるいはアントロポゾフィー協会と関わりを持ったのかどうかは、『指導と信徒』の中の短い記述からはわからない。

 ただ、その記述からすると、仮にそうした場所へ足を運んだことがあったにせよ、それほど深い関わりを持ったようには思えない。だからこそ、当時のドイツにおける知識人たちに神智学やアントロポゾフィーがどんな印象を与え、影響を及ぼしたのか、探れそうな気がする。

 リルケを医者として診察したときの描写、友人づきあい、またリルケに潜む東方的な影響――ヨガの精神――について書かれた箇所は印象的である。リルケについても、改めてリサーチする必要を覚える。

 カロッサ全集の中から書簡集と日記を図書館から借りたので、それらに神智学、アントロポゾフィー、またリルケについて書かれた箇所がないか、探してみたい。

 ②では神智学、人知学が出てくる箇所を抜き書きしておこう。シュタイナーは第一次世界大戦、カロッサは第一次大戦とナチス下の第二次大戦を体験し、生き死に関する問題が重くのしかかったであろう過酷な時代を生きた。

 ※当ブログにおける関連記事

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2012年10月23日 (火)

こんなんじゃパソコン無理……人差し指のけが。リルケのこと。

こんなんじゃパソコン無理……人差し指のけが

 ブログの記事に頂戴したメールのことを料理中に考えていたら(ザワークラフトを作っていました)、うっかり包丁をすべらせて左人差し指を少し削いでしまいました。

 傷口はまだ生々しい。マキロンだとしみそうなので、紫雲膏を塗っています。

 この程度のプチけがでも、案外不自由ですわ。パソコンはまだこれまでのを使っていますが、明日をもしれぬ……

 カロッサ『指導と信従』(岩波文庫)に、リルケとの交際について描かれた印象深い箇所があり(112頁―134頁)、リルケで当ブログにお見えになるかたがたも多いので、かいつまんで紹介しようと思ったのですが、しばらくお待ちくださいね。

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2012年5月25日 (金)

フィレンツェの読書人

 5月1日に、娘がメールで文通していると書いた。

娘は、フィレンツェに住む書店経営をしているイタリア人とメールで文通している。
その人はローマ字で日本語を独学しているそうで、ローマ字で綴った日本語混じりのイタリア語文を娘に寄越す。娘はそれを解読し、たどたどしいイタリア語文とローマ字綴りの日本語文で返事している。
その人は、最近イタリア語訳『坊ちゃん』を読了したとのこと。面白かったそうだ。

 その後、娘が『源氏物語』のことを話題に出すと、その人――M氏――は、『源氏物語』は「モルト ベッロ」と感嘆し、だが、長くて難しいと書いてきたそうだ。M氏は本当に『源氏物語』を読み続けている様子。そして、M氏の国であるイタリアの作家では、イタロ・カルヴィーノ、ディーノ・ブッツァーティ、カルロ・エミリオ・ガッダが好きだという。

 カルロ・エミリオ・ガッダについては知らなかった。ジュンク堂書店で、娘と一緒に水声社から出ている『メルラーナ街の混沌たる殺人事件』を見た。分厚い。パラパラとめくってみただけだけれど、単なるミステリーではない。実験的な作品で、しかも大家の作品という風格が漂っている。1959年にクラウディア・カルディナーレ主演で映画化されているようだ。映画のタイトルは「刑事」。

 イタロ・カルヴィーノ、ディーノ・ブッツァーティについてはウィキに解説があるので、以下に引用。

  • イタロ・カルヴィーノ(Italo Calvino, 1923年10月15日 - 1985年9月19日)は、イタリアの小説家、SF作家、幻想文学作家、児童文学作家、文学者、評論家。20世紀イタリアの国民的作家とされ、多彩な作風で「文学の魔術師」とも呼ばれる。
  • ディーノ・ブッツァーティ(Dino Buzzati、1906年10月16日 - 1972年1月28日)は、イタリアの作家、ジャーナリスト、画家。 短編集 Sessanta racconti で1958年にストレーガ賞を受賞。 短編小説の名手として知られる。そのほか、詩、舞台美術、評論、漫画も手がける。
    カルヴィーノと並んで20世紀イタリア文学を代表する作家である。幻想的、不条理な作風からイタリアのカフカと称されることがある。

 さすがはレオナルド・ダ・ヴィンチを生んだ国だけあって、作家も多才だ。カルヴィーノにはあれこれ手を出してみたが、マルコヴァルドさん以外は、難解というか読みにくいというか、才気の迸りについていけないところがあって、読みこなすまではいかない。ブッツァーティにも独特の雰囲気があって、入院前に『七階』を読んでぞっとして以来、忘れられない作家となっている。娘はフィレンツェの読書人に刺激を受けたらしく、今、ブッツァーティを読んでいる。

 ところで、わたしは今ホーフマンスタールとリルケが交わした書簡を読んでいる。
 この中に、「『救われたヴェネチア』を繰り返し読ませていただき、喜び、かつたいへん驚嘆いたした次第です」とリルケが書いているのを読み、おや、と思った。

 岩波文庫版ホフマンスタール『チャンドス卿の手紙 他十篇』の解説に、「『手紙』発表の1902年にははやくもイギリスの作家オトウェイの作品の改作『救われたヴェネチア』(1905初演)に手がつけられる」とある。

 トマス・オトウェイに『救われたヴェニス(または、暴かれた陰謀)』(Venice Preserv'd, or A Plot Discover'd)という作品があるのだ。

 わたしはこのオトウェイの『救われたヴェネチア(ヴェニス)』とシモーヌ・ヴェイユの『救われたヴェネチア』に悩まされ続けてきた。

 まだ大学生だったとき、リーブルだったか、書店でヴェイユの戯曲『救われたヴェネチア』の邦訳書を見たとき、これはヴェイユの写したものが本人の作品と間違えられているのではないか、と大変なことをさしたる根拠もなしに思った。

 出版を目的として書かれたわけではなかったヴェイユのノートには、他から写したと思われる断章、詩などが沢山挟まっていたという事情を考え、未完とはいえ、いきなり完成度の高い戯曲を書き、それ以後は戯曲を書いた形跡がないというのはあまりに不自然な気がしたからにすぎない。

 そうした疑問を覚えてすぐに、他の人物名の『救われたヴェネチア』があることを確認したと思う。だが、オトウェイの『救われたヴェネチア』を読んだわけではなかったから、単に題名を同じくする別作品と考えることもできた。というより、そう考えないほうがおかしい。

 オトウェイの『救われたヴェネチア』をわたしは読めないにしても、有名な作品のようだから、翻訳者が何も知らず、区別もせずに、オトウェイの『救われたヴェネチア』をヴェイユのものとして出すはずがないではないか。なぜ、ヴェイユに戯曲という形式の作品があることをわたしは疑いたくなったのだろう? 

 ジャック・カボー『シモーヌ・ヴェーユ 最後の日々』(山崎庸一郎訳、みすず書房、1978年)を図書館から借りてきた。

 この中に、シモーヌ・ヴェイユの墓に15年も飾りも碑文もなかったことが書かれていて、もしわたしが先にグレイ『シモーヌ・ヴェイユ』や、シモーヌ・ヴェイユの姪シルヴィ・ヴェイユによって書かれた『アンドレとシモーヌ ヴェイユ家の物語』を読んでいなければ、戯曲をヴェイユのオリジナル作品かどうかを疑ったように、ここでも立ち止まり、無意味な思案を重ねたことだろう。

 グレイの評伝には、シモーヌ・ヴェイユの両親が娘の墓を訪ねる気持ちにはなれなかったと書かれている。そして、彼らが別のやりかたで娘を偲び続け、彼らの人生は娘の原稿を後世のために清書するだけに費されたとも書かれている。シルヴィはそれが祖父母の仕事だと思っていたという。

 シモーヌ・ヴェイユの人生には、母親に愛されすぎたがゆえの不自然さがいろいろとあって、謎めいた翳をつくり出している。最近またシモーヌ・ヴェイユが注目を集めているようで、わたしも再び出版年に関係なく、気が向いたものから読み始めた。まだちゃんと読んでいないヴェイユの『救われたヴェネチア』も読もうと思う。

 当ブログにおけるシモーヌ・ヴェイユ関連記事

 リルケとホーフマンスタール。
 リルケが宇宙的な深みと規模のものを、そこから来る響きと均整とを絶えず意識し参照しながら、自己及び他者また事物の内側へと深く潜入していったのに比較すれば、ホーフマンスタールは現世を存分に意識する立派な教養人の域を出ないというわたしの印象。作品からも書簡からも。
 『文芸書簡』の解説の副題に「交流と反発の軌跡」とあるが、リルケがホーフマンスタールとの交際で満たされなかったのは当然と思われる。ホーフマンスタールは明らかにリルケを避けている。以下はリルケの書簡からの抜粋。

[引用ここから]……
 ときには、あなたに直接、わたしのことをせめて一、二枚に書きまとめて、お伝えしようと企ててみましたが、なにせわたしのほうから申しあげることはほとんどなにもないのです。この地では、無類の孤独といった状態にありまして、まことに肝に銘じておりますものの、孤独であることこそわたしの本来の作業であるのです。
……[引用ここまで]

 ふとトーマス・マンの『トニオ・クレーゲル』『ヴェニスに死す』を連想した。偉大なほう――というと語弊があるけれど――が、多く愛したほうが、充分には容れられず(容量の違いを考えよ)、みじめであり、苦しみも孤独感も深いのだ。 

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2010年3月10日 (水)

購入予定の本 その一…山崎栄治関係

 先日から何度か、リルケの詩篇『薔薇』の訳者・山崎栄治について、短い記事を書いてきた。

 山崎自身が詩人であったことを知り、彼の詩集は勿論、評伝などもあれば読んでみたいと思ったが、利用している図書館の検索では訳者としての名しかヒットしなかった。

 ネット検索したところ、過去記事で書いたが、影山恒男『立原道造と山崎栄治――困難な時代の蜜房 』(双文社、2004年)が購入できるとわかり、書店勤務の娘に取り寄せを頼んでいた。

 その娘から電話があり、山崎が同人だった『同時代』の山崎栄治追悼特集号(発行所=黒の会、発売所=法政大学出版局、1993年1月)を取り寄せられそうだが、どうするかという話だった。

 年月を経ているため、表紙の色が褪せているという。それくらいは何でもない。『立原道造と山崎栄治――困難な時代の蜜房 』の注文を取り消し、同人誌の追悼号を取り寄せて貰うことにした。

 立原道造との関りも知りたくないわけではないが、正直いって、大学時代に購入して読んだ立原の甘い詩には、わたしは何の興味も惹かれなかった。読むとすれば、追悼号のほうを読みたい。

 娘が書店員として慣れてきて、わたしの資料集めによい働きをしてくれる。お金がないのを知っているので、より目的に合ったものを調べて調整してくれ、助かっている。

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2006年8月12日 (土)

死者の行動について、ちょっとだけ

 お盆ということで、帰省しているかたも多いのではないだろうか。お盆は、死者たちを話題にするにはふさわしい。とはいえ、お盆に、死者たちはどうするのか、どんな行動をとるのかを、わたしは知らない。

 わたしが知っているのは、死んだあと初七日までのあいだに、どんな行動をとった死者がいたかということだけだ。

 それが死者の一般的な行動の特徴にあたるのか、死者全てにおけるものなのか、そうではなくて特異なものだったのかは、わたしにはわからない。参考となりそうな事例は全部で5例ほどあるが、サンプルにできるだけの、死者のオーラを目撃したことから自分なりに確証をつかんだといえる例といえば、たったの2例に限られるのだ。

 神秘主義は明らかにこのことについて熟知している癖に、紗をかけたような物言いをするので、どうにも曖昧なのだ。生きている人間には、そんな知識はあまりもたらさないほうがいいだけの何らかの理由があってのことに違いないけれど……。

 だから、わたしがどんなことをいおうが、他人は妄言として片付けることができるのだし、誤診を犯しやすいわたしにしてみれば、むしろそのほうが都合がよい。

 ブログの右サイドバーで予告したエッセー「わが家を訪れた2人の死者たち」を書き上げるだけの踏ん切りがまだつかないのだが、せっかくのお盆。死者についてちょっとだけ語ってみたい。

 リルケの『或る女友達のために』(※『鎮魂歌』所収)という詩は神秘的な作品で、彼はその中で死者(産褥熱で死んだ女友達)の訪れに対する彼自身の戸惑いをあらわに表現している。

私はあなたがもっと進んでいると思っていたどんなほかの女のひとよりももっと多くのものを変容したそのあなたが迷って帰ってきたのにわたしはとまどいを感じる(『新潮世界文学32』より抜粋、引用。富士川英郎訳)

 リルケが、それと感じただけなのか、幽霊を見たのか、あるいはオーラを見たのかはわからないが、女友達が死んだあとで彼の家を訪問したのを彼は知り、その女友達が、日本流にいえば、成仏できずにさ迷っているのだと思い、ショックを受けたのだろう。

 わたしはサンプルのうちの初めの事例のとき、死者が迷って帰ってきたのだとは思わなかったけれど、葬式に出席したあと(厳密にはお寺に急いでいたときから)、ときどき死者の存在を感じ、死者の思いが伝わってくる感じを味わうたび、ブラヴァツキーの『神智学の鍵』を思い出した。

 そこには、死んだ人の霊が生きている人と交流できる例外的な場合は死後、2、3日の間とあった。したがって、その間を過ぎてもまだ死者の存在を感じたりするのは妄想だと考えた。

 死者が身近にいるように感じられるのは、妄想なのだ。そもそも、いっさいが妄想だったのだ。そう考えて気を抜き、わたしは人様には見せられないだらしない日々を過ごしていた(悲しみのあまり、食っちゃ寝を繰り返していた)。

 そうしたところ、ある瞬間、死者の呆れた感じが伝わってき、次いで苛立ちが伝わってきた。それと相反する母性的な感じも伝わってきた。そうこうした感じを、わたしは蝿でも追い払うように打ち消そうとした。

 ところが、ついに死者の、生前と変わらぬ美麗なオーラまで目撃するに及んで、これは自分の妄想で片付けられることではないと実感したのだった。ちょくちょく感じてきた死者の気配を感じなくなったのは、死後1週間近くも経過してからだった。

 その年の暮れ、ブラヴァツキーの著書にたびたび出てくる、ピュタゴラス派の思想が流れ込んでいるとされるカバラにいくらかでも近づきになりたくて、箱崎惣一著『カバラとユダヤ神秘思想の系譜』(青土社)を読んでいた。

 そのなかで『ゾハル』の説話が紹介されていて、こんな一文があった

(死後)7日間のあいだ霊魂は彼の家と墓地の間を行き来している。〔略〕7日をすぎて死体が腐敗し始めると、霊魂は(指定された)場所へ赴くという。 

 これを読んだ時点では、カバラの説をとるべきか、ブラヴァツキーの説をとるべきか、どちらもとるべきではないのか、わからなかったが、上記のサンプルとなった事例を体験した結果、この点に関してはわたしはカバラの説をとることにしたのだった。

 ブラヴァツキーのいうことが信用できないということでは、決してない。ただ彼女は、一般公開するには早いと思われる事柄については、アレンジを加えたり、ぼかしたりした形跡があるので、信仰書的に一言一句を信じるということはわたしはしていない(たとえば、人間の7本質に関することがそうだ。オーリック・エッグについては、神智学協会内部に形成された秘教部門にだけ伝えられた事柄だった。現在では一般公開されている)。

 いずれにせよ、初七日の供養というのは、死者にとっても生者にとっても意味のあることに違いないとわたしは思う。

 もし、わたしたちが死んだとして、あの世に赴くまでのある限られた時間を、透明人間として過ごすのだとしたら、どうだろうか。楽しいような気もするが、生きている人々のあらわな姿を目撃して失望したり、彼らに働きかけようとしてできずに落胆するかもしれない。

 煩悩を断て、という仏教の教えは、死の裏舞台を知る人々の老婆心から出たものであるようにさえ思えてくる。

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