カテゴリー「思想」の167件の記事

2017年3月21日 (火)

ようやく「テロ等準備罪」が閣議決定

2017年3月21日9時10分更新の産経ニュースによると(http://www.sankei.com/affairs/news/170321/afr1703210004-n2.html)、政府は21日、組織的な重大犯罪の計画段階で処罰する「共謀罪」の要件を厳格にした「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案を閣議決定した。

左派が強硬に反対してきた法案だった。わたしは国会中継をよく視聴するほうだが、国会における野党議員の質疑には失笑させられることが多かった。

なぜなら、それら質疑が徹頭徹尾テロの被害者側ではなく、実行者側(実行を疑われる側)に立ったものだったからである。

同じような質疑が繰り返され、単調に感じられるほどだった。では対案は、というと、現行の法律でまかなえるのではないかと彼らはいう。

わが国ばかりか世界を震撼させたテロの実行者オウム真理教に対して、破防法は働かなかったことを思い出す。

当時の首相は村山富市(当時・社会党、現・社民党)、基本的人権に関わることとしてオウムに対しての破防法の適用に慎重な――わたしの考えでは慎重すぎる――態度をとった。何のための破防法なのか、さっぱりわからない。

世論操作で、すっかり宗教、その中でもヨガに罪がなすりつけられたまま、全容の解明には至っていない。

オウム真理教の統一のとれた行動は個人主義的なヨガの修行者の団体らしくなく、むしろ一神教的で、わたしは不思議だった。

また人を人とも思わず、上の命令に盲目的に従い、即物的な実行行為に走るテロリストたちの姿は、フリーメーソンを侵食して共産主義に影響を与えたイルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトが著した秘密結社の内部規律を連想させられる。

この記事を書く前に検索したところ、オウム真理教は朝鮮カルト宗教に操られていた可能性が高いという説を複数閲覧した。

日本国内でヨガの修行者とされる集団が起こした犯罪に、朝鮮カルトの影がちらつく不思議。

そういえば、オウム真理教がロシアから大量に購入したといわれた自動小銃の件はどうなったのだろう? 当時から赤い色がちらつくのも不思議だった。

オウム真理教の教祖、麻原彰晃(本名・松本智津夫)が在日コリアンなのか日本人なのかははっきりしないながら、彼が朝鮮からの渡航者であることは間違いないようである。

ところで、朝鮮半島の動乱の歴史を調べれば、リベラルを好む在日コリアンが日本に多いことは不思議でも何でもない。

まさか、証拠(発掘された遺体や資料など)が厳然と存在する歴史の検証までヘイト扱いされないことを願いたいが、それを心配しなければならないほど、わが国はおかしな国になっている。

しかし、朝鮮半島で起きた「保導連盟事件」を歴史的事実として直視しなければ、在日コリアン問題が解決されることは決してないだろうと思われる。

保導連盟事件について、ウィキペディアより部分的に引用する。

保導連盟事件:ウィキペディア

保導連盟事件(ほどうれんめいじけん)とは、1950年6月25日の朝鮮戦争勃発を受けて、李承晩大統領の命令によって韓国国軍や韓国警察が共産主義からの転向者やその家族を再教育するための統制組織「国民保導連盟」の加盟者や収監中の政治犯や民間人などを大量虐殺した事件。被害者は少なくとも20万人から120万人とする主張もある。1960年の四月革命直後に、この事件の遺族会である全国血虐殺者遺族会が遺族の申告をもとに報告書を作成したが、その報告書は虐殺された人数を114万人としている。
韓国では近年まで事件に触れることもタブー視されており、「虐殺は共産主義者によっておこなわれた」としていた。
(……)
南北朝鮮双方からの虐殺を逃れようとした人々は日本へ避難あるいは密入国し、そのまま在日コリアンとなった者も数多い。


ウィキペディアの執筆者. “保導連盟事件”. ウィキペディア日本語版. 2017-01-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E4%BF%9D%E5%B0%8E%E9%80%A3%E7%9B%9F%E4%BA%8B%E4%BB%B6&oldid=62788238, (参照 2017-01-26).

李承晩大統領の命令による赤狩りから日本に逃れてきた人々が、共産主義の思想に共鳴する人々であったところで不思議ではない。その思想のために追われたのだから。

共産主義は国の枠組みを取っ払って世界政府を樹立するのが目的であるから、朝鮮カルト宗教とは目的が似ているのだという。

そして、朝鮮カルト宗教と共産主義の間にはある仲介が存在するようであるが、それを書くとアメリカの日本に対する影響にまで触れることとなり、長くなるので、興味のあるかたは自分で検索してみてほしい。

ベノナ文書によると、第二次大戦時にアメリカの大統領だったフランクリン・ルーズベルトの政権の中に多数のコミンテルンのスパイがいたというが、そのことが問題を複雑にしていると思う。

そういえば、フランクリン・ルーズベルトはある時点までは……神智学の話にまで話題が広がることになるので、この話は別の記事にしたい。

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2017年3月 3日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ③入定とイデアの意味不明なハルキ的関係

このノートを書く前に再びアマゾンレビューを閲覧した。レビュー数が増えているぶん、批判的なレビューも増えていた。

批判的なレビュアーの中には、ハルキストと呼ばれていた人々も結構含まれている気がする。ハルキバッシングに発展する可能性すらあると思えた。

村上春樹がファンの一部から見放された原因は何だろう?

まだ第一巻を読んでいる途中なのだが、全体をざっと確認したところでは、かつてのムーディなところ、お洒落な趣向、リリシズムなどがそれほど感じられず、よく出てくる性描写にしても乾いた、即物性な印象を受け、どうしたのだろうと思ってしまったほどだ。

南京事件の採り上げかたにしても、ノモンハン事件を作品に採り上げたときのような、相変わらずの無造作さで、この御時世にこれではさすがに日本では左派、反日勢力以外の一般人には受け容れ難いものがあるだろう。

ネット検索中に閲覧した記事で、どなたかが村上春樹は中共のハニートラップにやられたのではないかとお書きになっていて、なるほどと思ってしまった。

すぐに寝て、どこへともなく姿を消す女たちの行動を女性諜報員たちのハニトラと思えば、納得がいく。さすがに一般人も騙されなくなってきた中共の工作を真実と疑わないところからも、そう空想させてしまうところがある。

女性たちの娼婦めいた描きかたは初期の作品から一貫したものではあった。それでも、例えば、『ノルウェイの森』では直子、緑、レイコといった主要な登場人物となっている女性たちにはきちんとした肉づけがなされ、描写は繊細であり、筆力にみずみずしさを感じさせるものがあった。

それがこの作品では、意図的なのかどうか、味も素っ気もない描きかたで、女性たちの魅力のなさという点では、わたしが読んだ中では一番といえるかもしれない。読んでいる途中なので、早計な判断かもしれないが。

しかし、作品をざっと見て、わたしがあっと驚いたのは「入定」が出てくる箇所だった。

萬子媛の入定を知った今のわたしにはあの描きかたは知識不足にとどまらない冒涜に思えたが、唯物論の信奉者の理解ではあれが限界なのだろうか、と勉強になった気がする。

イデアも出てきて、プラトンのイデア論をいくらか参考にしている風でもある。

ところが、プラトンでは永遠の真実在であるイデアが春樹の作品の中では、入定を試みた結果、失敗してお化けになった――とは書かれていないが、あの状態からすると、神秘主義的にはそうである――人物が絵の中の人物を借りて現われ、「あたしは霊であらない。あたしはただのイデアだ。」(村上春樹『騎士団長殺し 第1部顕れるイデア編』新潮社、2017、352頁)とホザくのである。

この記事は書きかけです。

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2017年2月24日 (金)

村上春樹『騎士団長殺し』を読む ①ひ、美しいプラトン用語が第1部のタイトルに!

村上春樹の新作が新潮社から出た。『騎士団長殺し :第1部 顕れるイデア編』『騎士団長殺し :第2部 遷ろうメタファー編』である。

読んでいないのだが、ショックを受けた。

プラトン哲学の中心概念として、あまりにも有名なイデア。それが第一部のタイトルに使われていたから。

以下はウィキペディア「イデア」より。

まず、ギリシア語の語彙体系について若干説明しておくと、ギリシア語では、見るideo系統の用語としては、ideinとeidoがあった。eido の過去形 eidon に由来する「eidos エイドス」という言葉のほうは「形」とか「図形」という意味でごく普通に用いられる言葉であった。
プラトンにおいては、エイドスとイデアは使い分けられており、イデアに特殊な意味が与えられた。

ウィキペディアの執筆者. “イデア”. ウィキペディア日本語版. 2015-12-07. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%A2&oldid=57806205, (参照 2015-12-07).

イデア論は、プラトン中期の著作『パイドーン』で初登場し、『パイドロス』に至るまで積極的に展開され、それ以降は変遷していく。

『パイドーン』では、魂の不死性の証明が試みられている。想起説が証明に用いられ、その想起説の前提として語られるのがイデア論なのだ。

何度読んでも、『パイドーン』の中で語られる、あの世の壮麗な描写には感動させられる。プラトンの作品は読みやすいので、騙されたと思って、読んでみてほしい。『パイドーン』『パイドロス』については、以下の過去記事の、ブラヴァツキーの著作に関するメモの中で若干触れている。

村上春樹がイデアという言葉をどのように使ったのかは知らない。

彼の濁りを感じさせる過去の小説と、明るく清浄なプラトンの『パイドーン』とは似ても似つかず、村上春樹はいつものようにお気に入りの言葉を軽薄な気持ちでムード的に使ったのだろうと想像せざるをえない。

過去記事でも書いたように、創作作業を通して、プラトンのイデア論がわたしには実感としてわかる気がする。プラトンのイデア論は、インスピレーションが訪れたときに、ひじょうにリアルに感じられるのだ。

信じてはいただけないだろうが、これも過去記事で書いたように、わたしには物心ついたころから前世に関するわずかばかりの記憶と、また、あの世の光や空気がどんなものであったかの記憶があった(これは当然、一回ごとに新しくなる肉体の脳の記憶とは考えられないため、霊的な記憶と考えている)。

『パイドーン』で、あの世の光景が描写されているのを読むと、郷愁を抑えることができない。

村上春樹の過去の作品からは、高級世界という意味でのあの世に関する概念を彼が持たないことが察せられる。彼の作品で描かれるのはこの世、及びカーマ・ローカの領域のことに限定されているように思われるのだ。

神智学用語ともなっているサンスクリット語カーマ・ローカは、主観的で見えない半物質的世界をいい、古代ギリシア人のハデス、エジプト人のアメンティに相当する沈黙の影の国のことである。

村上春樹の小説の享楽的、催眠的で怪しげな魅力はそこから来ているように思われ、若い人にはあまりすすめたくないタイプの娯楽小説だとわたしには思えてしまう。

村上春樹のこうした限定的な世界観は、彼が唯物論的世界観しか持ちえていないことを意味しており、それはおそらく彼が左派であることと無関係ではない。

村上春樹『騎士団長殺し』をそのうち読んで感想を書きたいのだが、図書館で借りるか、文庫本になるのを待つことになるだろう。以下は、アマゾンのキンドルストアで販売中の村上春樹を論じた拙電子書籍。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

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2016年12月12日 (月)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」(拙「神秘主義的エッセー」より転載)

以下の文章を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の 当ブログについて に加筆しました。

文学に傾倒してきたので、文学に触れたエッセーが多いのですが、当ブログのエッセーは神秘主義的考察に主眼を置いているため、文学的観点からのアプローチとは作風が異なっているかと思います。

また、前記事でお知らせしたように、当ブログの過去記事をもとに前掲拙ブログに 66 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②インド夜想曲 をアップしましたが、加筆しましたので、当ブログに転載しておきます。


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神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」


「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ(須賀敦子訳)『インド夜想曲』(白水社、1993)を購入して読んだ。

雑誌には「アントニオ・タブッキ・アンソロジー」と題され、6編の作品が邦訳されて載っていた。タブッキの作品を美しい日本語で読めることはありがたかったが、雑誌に掲載されたエッセイや論文には違和感を覚えた。

世の流れが変わってきて、第二次大戦後のリベラルによる情報操作が明るみに出てきたためか、神秘主義者のわたしはいささか被害妄想気味かもしれない。

しかし、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない面は徹底して無視、あるいは排除――漂白といったほうがよいだろうか――してしまおうという意志を読みとったように思ったのは、被害妄想気味になる前の話なのである。

自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、リベラルはタブッキを自分たちの側に力づくで引き寄せようとしているかのように感じられたのだった(自分がリベラルであるという自覚さえない文学者がわが国にはいるのかもしれない)。

堤康徳のエッセイ「タブッキが追いかけた影」には「世界は大きくて多様である。だからこそ美しいのだ」*1 というタブッキの言葉が引用されている。この言葉からタブッキが――リベラルに属していたとしても――いわゆるリベラルとは本質的に異なっていることがわかるのだが……。

リベラルには、多様性を認めないという特徴があるからである。

「タブッキが追いかけた影」にはリベラル的思考の特徴がよく出ているように思うので、さらに見ていくと、広島への原爆投下に関するトリスターノの言葉がタブッキの小説『トリスターノは死ぬ』(2004)から引用されている。

 あの犠牲者たちは不必要だと言われてきた。怪物の頭はすでにドレスデンとベルリンでつぶされていたし、アメリカが日本を屈服させるには通常兵器で充分のはずだったから。だがそれは誤りだ。不必要どころか、勝者にとっては有益そのものだった。あのような方法で新しい主人は自分たちだと世界に理解させたのだからね……。*2

わが国のリベラルは、このようにはいってこなかった。

日本が原爆を落とされたのは日本が悪かったからだとリベラルは主張し、教育し、運動してきた。だから、タブッキのこの引用に相応するような堤の言葉はない。

引用後、堤のエッセイは「トリスターノは、暑い八月に床に伏し、最期のときを待ちながら、八月の原爆の犠牲者に思いをはせる。八月は、タブッキにとって、なによりも死者と深くつながった月なのである」*3 という具合に、引用されたタブッキの文章とは無関係に続く。

谷崎潤一郎の墓のある法然寺を訪ねたときのタブッキの文章も引用されており、タブッキは谷崎の墓石に刻まれた「寂」一文字が印象的だったようだが、ここでも堤は谷崎の『陰翳礼賛』を出しに、陰翳美に対する礼賛から電力不足、さらには原発へと論点をすり替え、反原発運動へとつなげる不自然な印象操作を行っている。

電力不足といえば、家庭での停電と節電しか思い浮かばないところが国家というものを認めたがらないリベラルのお気楽なところである。

電力供給不足が製造業などに与える影響と、そこから懸念される倒産や失業、ひいては国力低下のことなど、どこ吹く風なのだろう。

また、堤のエッセイでは、タブッキが京都にかんするエッセイの冒頭に置いたポーランドの女性詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が部分的に紹介されている。

その詩は、1967年の詩集『百の喜び』所収の「あるホテルで書かれたもの」(Scritto in un allbbergo)と題された作品だそうだ(ピエトロ・マルケザーニのイタリア語訳)。

堤のエッセイで部分的に紹介された詩の後半部を、次に引用する。

ある紳士が
本当の涙を流した。
いにしえの文物の理解者、愛好者が、
山場を迎えた
会場の席上で
叫んだ、
結局、より劣った町はたくさんある!
そしていきなり泣き出した
椅子に坐ったまま。

こうして京都は救われた
広島より格段に美しかったので。
*4

そして、この詩との関連から堤は「この詩が京都の美しさへのオマージュであるとともに、あるいはそれ以上に、京都よりも美しくなかったために原爆の標的にされた広島の悲劇をアイロニカルにうたった挽歌でもあることを、おそらくタブッキは強く意識している」*5 と結論を下す。

「ある紳士」が皮肉を籠めて描写されていることから、詩の趣旨はそうだろうとわたしも思う。

と同時に、現実にこのような感傷的な会議が行われたとは到底思えないので、ジャン=ポール・サルトルの有名な言葉「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」式のリベラルらしいオールオアナッシング、詭弁めいた発想だと呆れる。

尤も、シンボルスカの詩とタブッキのエッセイを全文読んでみなければわからないことで、ただ、ここまでのタブッキの断片的な文章を総合して考えてみると、タブッキの意識はシンボルスカの詩に触発されて、自己の内面に深く向けられていたのではないかという気がする。

ところで、ブララヴァツキーとオルコット大佐が設立した神智学協会を知っている人間であれば、「武力紛争の際の文化財保護条約」のもととなったレーリッヒ条約の存在が第二次大戦中の京都の保護に貢献したことを知っている可能性がある。

このことに関しては、ニコラス・レーリッヒ『アジアの心』(日本アグニ ヨガ協会、1981)に詳しい。

1935年、アメリカ合衆国と二十のラテン・アメリカ諸国が、条約に署名した。レーリッヒ条約の批准ための国際的な仕事は、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる直前まで続けられた。しかし戦争の勃発によってその実施は不可能になった。1948年、インドはレーリッヒ条約と平和の旗を採用した。1955年、ハーグ会議の最終決定に調印した39の加盟国は、レーリッヒ条約に基づいた武装戦争期間中の文化財保護条約を批准した。*6

国際的平和運動であるレーリッヒ協定と平和の旗運動を考え出したニコラス・レーリッヒ(ニコライ・リョーリフ)は、ドイツ系ロシア人の画家で、ストラヴィンスキー『春の祭典』の舞台装飾で著名である。チベット探検でも知られている。また、ブラヴァツキーもそうだったが、レーリッヒ夫妻はモリヤ大師の弟子であり、アグニ・ヨガ協会を設立した。

果たしてタブッキは、このことを知っていただろうか。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska, 1923 - 2012)はウィキペディア「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」によると、ポーランドの詩人、随筆家、翻訳家で、1996年のノーベル文学賞他様々な賞を受賞している。

ウィキペディアから引用する次の文章を読むと、政治思想分野での葛藤が彼女にはあったようである。

最初の詩集が1949年に発行される予定だったが「社会主義の必要条件を満たさない」という理由で検閲に通らなかった。しかしながら、戦後ポーランドの他の知識人らと同様シンボルスカもまた政府のイデオロギーに早くから忠実なままで、政治の嘆願書へ署名してスターリン、レーニンそして社会主義の現実を絶賛した。(……)彼女はまたポーランド統一労働者党の党員となった。しかし、他のポーランドの知識人達が政治から退くのと同様、彼女も次第に政治と疎遠になりイデオロギーから関心を失っていき最初期の政治的作品を捨てた。それでも1966年までは党に残ったが、同時に反体制派と接触するようになった。(……)1981年から1983年までクラクフに編集部をおく月刊誌Pismoの編集者をした。1980年代中、パリのKulturaだけでなく地下出版のArkaにも「スタンチクフナ(Stanczykówna)」の偽名で寄稿することで反体制活動を強めた。*7

タブッキがエッセイの冒頭に置いたシンボルスカの詩は、1967年に出ているようだから、ウィキペディアを参考にすると、「1966年までは党に残った」とあるから、ポーランド統一労働者党員時代に書かれた詩だろうか。

『インド夜想曲』を訳した須賀敦子について、前掲誌では大きく採り上げられている。

優れた翻訳家であるが、須賀敦子の思想がどういったものなのかはよくわからない。

須賀の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセイを読むと、わたしは苛々してくるのである。

須賀の小説の登場人物や須賀の正体を知りたくて、ずいぶん読んだ。読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう須賀について知ることなどどうでもよくなって、遂には読むのをやめた過去があった。

夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀の作品群はそれとは対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

須賀の最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が須賀の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

須賀がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らない。作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像するほかはない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

神秘主義者は総合的に物事を見て判断し、行動するため、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語る。

わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読みとれるかどうかが問題なのだ。

訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品に神智学や神智学協会が登場するというのに、解説に神智学のしの字も出てこないことに疑問を抱いたのだった。

フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては単なる研究対象を超えた、大事な人物だったようだが、そのペソアのことが『インド夜想曲』の中でちらりと出てくる。

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Pessoa ID card foto 1928
From Wikimedia Commons, the free media repository

フェルナンド・ペソア(Fernando António Nogueira de Seabra Pessoa、1888 - 1935)はポルトガルの国民的作家である。

そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。『インド夜想曲』にちらりと出てくるその記述からすると、ペソアの訳を通して小説の主人公は神智学を知ったことになる。

英語版ウィキペディア「Fernando Pessoa」から引用する。

As a mysticist, Pessoa was enthusiast of esotericism, occultism, hermetism, numerology and alchemy. Along with spiritualism and astrology, he also paid attention to neopaganism, theosophy, rosicrucianism and freemasonry, which strongly influenced his literary work.*8

英語版ウィキペディアによると、ペソアは神秘主義者で、秘教主義、オカルト主義、ヘルメス主義、数秘術、錬金術に熱中したようである。スピリチュアリズムや占星術に加えて、彼の文学作品に強く影響を及ぼしたネオパガニズム、神智学、薔薇十字主義、及びフリーメイソンにも注意を払ったという。

薔薇十字団、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。

バルザックは薔薇十字団の団員(バラ十字会の会員)だったようだし、バルザックの父親はフリーメイソンだったという。

西洋人でフリーメーソンだったり、バラ十字会の会員だったりすることは珍しいことではないようで、文学作品にもよく出てくる。

フリーメーソンは複雑なので、少し説明を加えておきたい。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)によると、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型と自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フリーメーソンという石工組合からできた器には、各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られてきたようだが、イルミナティがフリーメーソンを侵食したことは重要である。

植田樹の前掲書によると、1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」*9 。

イルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年には解散させられているにも拘らず、その思想は広く拡散した。再び植田樹の前掲書から引用する。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。*10

「彼ら」というのは、イルミナティの信奉者がパリで急進的な政治傾向の「親友同盟」の主導権を握り、そこから派生したイルミナティ派の「社会主義サークル」に属した人々のことであって、マルキシズムはイルミナティの影響を受けているのである。

ちなみに、共産主義者を弾圧したためか、ナチスを右派と勘違いしている人も多いようだが、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

第二次大戦中、ヨーロッパで神秘主義団体は迫害された。その影響は戦後も続いている。

日本で『オカルト』『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者コリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、わが国における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいるほかはない。

コリン・ウィルソンについて放言してしまった。今本棚にはウィルソンの本は中村保男・中村正明訳『ルドルフ・シュタイナー』(河出書房新社、1994)しか見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――については、いずれ書きたいと考えている。

『ルドルフ・シュタイナー』を読むと、ウィルソンがジャーナリスティックな作家であって、研究家ではなかったことがよくわかる。如何にも、やっつけ仕事という内容だからである。

この本の中で、コリン・ウィルソンがシュタイナーを持ち上げ、ブラヴァツキーを叩いているのは、「本書の出版社からシュタイナーについての本を書かないかともちかけられた」*11からではないかと思う。そう思わされる程度の内容だった。

前掲誌「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかが紹介され、タブッキの作品について周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれている。

しかし、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸している思想を調べるしかない。その思想とはどう作品を読んでも、やはり神智学的な神秘主義哲学であるとわたしは思う。

前掲書201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけだ(見落としがあるかもしれないが)。次に引用する。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。(……)タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあなたは私に打ち明けました。〔古賀弘人訳〕

あまりにささやかな言及ではないだろうか。

ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

もしタブッキが神秘主義者であったとするなら、彼はあたかも思い出すかのように神智学や薔薇十字の影響を受けたはずである。


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*1:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」137頁

*2:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136頁

*3:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136-137頁

*4:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」138-139頁

*5:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」139頁

*6:日本アグニ ヨガ協会,1981,第二部「ニコラス・レーリッヒ略伝」205頁

*7:ウィキペディアの執筆者. “ヴィスワヴァ・シンボルスカ”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AB&oldid=61006606, (参照 2016-09-02).

*8:Fernando Pessoa. (2016, September 23). In Wikipedia, The Free Encyclopedia. Retrieved 11:02, September 23, 2016, from https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Fernando_Pessoa&oldid=740799461

*9:植田,2014,35-36頁

*10:植田,2014,37頁

*11:ウィルソン,中村・中村訳,1994,10-11頁

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2016年12月 3日 (土)

京都の景観に影響を与えた仏教復興運動、アジア主義、そして歌代幸子『音羽「お受験」殺人』から垣間見えるサラリーマン僧侶の労働環境

明治政府による廃仏毀釈、第二次大戦とGHQによる農地改革や洗脳工作などで、わが国の宗教が被った痛手は大きいが、フェノロサや岡倉天心による仏教美術復興運動、また欧米列強の植民地主義に対抗する「アジアは一つ」との目標を掲げたアジア主義……こうした運動がなければ、観光都市京都の姿はどうなっていただろうと思う。

こうした運動についてネット検索、図書館から本を借りるなどしてリサーチしているところだが、前記事で書いたように、このところ新たに判明しかけたことが半端ではなく、整理が追いつかない。

リベラルの影響力が弱まったことは確かで、逆にいえば、これまで如何に彼らが歴史的事実を隠蔽し、歪めてきたかがわかるというものだ。

そして、ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷の的となったのは、前述した仏教美術復興運動とアジア主義に大きな影響を及ぼしたことも理由の一つだろう。

今読んでいる坪内隆彦『アジア英雄伝 日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社、平成20)、戦前から戦後のアジア主義を捉えた『岡倉天心の思想探訪 迷走するアジア主義』(勁草書房、1998)を読んでいるのだが、『アジア英雄伝』には次のように書かれている。

アジア各地の伝統思想、宗教の復興、それと結びついた反植民地主義に与えた神智学の影響の大きさは、もっと重視されても良いのではなかろうか。(坪内,平成20,83頁)

だが、これを知られては、リベラルには都合が悪いのである。

現在のわが国で仏教が置かれた現状の一端を、お受験殺人事件と呼ばれた事件の渾身のリポートである歌代幸子『音羽「お受験」殺人』(新潮社、2002)の記述から垣間見た気がした。

加害者となった女性の夫がサラリーマン僧侶であったことや、当時の職場環境がどんなものであったかが詳しく書かれているのである。

わたしは事件に触発されて2000年5月に「地味な人」を執筆し、織田作之助賞に応募して三次落ちしていた。

拙作に登場する加害者となる女性の夫は流通業界に身を置くサラリーマンで、あの事件を再現しようとした作品ではないが、拙ブログ「マダムNの連載小説」で公開するにあたり、当時、参考資料とした『音羽「お受験」殺人』を再読したのだった。

事件のあらましを『音羽「お受験」殺人』を参考に述べると、1999年11月、東京都文京区に住む35歳の主婦山田みつ子は、当時2歳だった同区在住の会社員の長女若山春奈ちゃんを、寺の境内にある幼稚園に近接した公衆トイレで首を絞めて殺害した。

みつ子は僧侶の夫と5歳の長男、2歳の長女の4人暮らしで若山さん宅と同じ家族構成、子供二人の年齢が同じ、長男は共に同じ幼稚園に通っていた。みつ子は若山さんと幼稚園で顔見知りだった。今でいえば、ママ友である。

犯行当時、春奈ちゃんは文京区の有名国立大附属幼稚園に合格し、みつ子の長女は落ちていた。文京区は都内でも有数の文教地区として知られ、被害者である幼女が合格した幼稚園はその年の競争率が約22倍と都内でトップの人気を誇る名門であるという。

その合否をわけた直後の犯行であったことが「お受験殺人事件」として騒がれる原因となったわけだが、みつ子は受験と事件との関わりを否定し、春奈ちゃんの合格も知らなかったと供述した。

みつ子が犯行の動機について、「(春奈ちゃんの母親との)つきあいの中で、心のぶつかりあいがあった」(歌代、2002、9頁)と述べたことから、人々の事件に対する関心は受験から母親同士の確執へと移った。

事件を報じた朝日新聞、毎日新聞、読売新聞には、全国の主に30代の専業主婦から反響があったという。

事件の悲惨さに憤るものや、容疑者への批判と同時に、多くの主婦たちが、子育てのつらさやストレス、人間関係の難しさを訴えていた。『ひとごとではない』と山田みつ子に自分を重ね合わせる母親たちも少なくなかったのである。(歌代、2002、10頁)。

わたしは当時41歳だったが、事件の衝撃は大きかった。

58歳になったわたしが『音羽「お受験」殺人』を再読して改めて目が留まったのは、みつ子の夫がサラリーマン僧侶であったことや、その職場環境だった。

また、農家だったみつ子の実家が百年続く旧家だったことにも目が留まった。

この事件のやりきれなさは、事件を惹き起こした側に、日本人の古くからの心の拠り所や伝統、日本の歴史などがほの見えるところにある。

前述したことと重なるが、明治時代に神仏分離令が発せられ、国家神道が形成されるに至って、神仏習合が伝統的であった日本人の宗教環境は一変した。

明治政府の政策に伴い発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)の凄まじさは、ウィキペディアの以下の記述を引用するだけで足りるだろう。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
ウィキペディアの執筆者. “廃仏毀釈”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88&oldid=62058078, (参照 2016-11-24).

そして、第二次大戦後にはGHQが発した神道指令によって神祇院が解体、神社本庁が設立され、これによって国家神道は無力化された。仏教も、農地改革によって寺社領が安く買い上げられることによって解体が進められ、これも無力化されたのだった。

再び前掲書『音羽「お受験」殺人』を参考にすると、昭和39年静岡県に生まれたみつ子は、埼玉県立衛生短期大学の看護学科に進んだ(埼玉県立衛生短期大学は1999年に埼玉県立大学短期大学部と校名変更後、2008年に廃止)。

みつ子の卒業論文「看護の立場から人間をどう観るか」の冒頭を、前掲書から引用する。

看護はすべての人間が、その一生において根源的に関わりうける生・老・病・死と直接取り組む領域の仕事である。つまり、肉体的にも精神的にも痛みを持っている時、もう一人の全然別の人間がその苦痛を感じとり、苦痛の追体験をすることから始まった仕事であると言えよう。言い換えれば、人間そのものが人間の生活のあり方や他人を見つめることがなかったなら存続し得なかったと言えるのである。(歌代,2002,56-57頁)

結びは次のような文章となっている。

こうなると、F・Nが述べるように看護はまさにartであって看護婦が生涯努力しつづけて築きあげていくものであり、看護者が生きるということと看護のつながりを考えていくことなのだろう。そして、だからこそ死の前に立たされた医学が無力であるのに対して看護はどこまでもあるのであり、またここからが人間のみがとりくめる問題として本当の看護が問われるのであろう。(歌代,2002,58頁)

文中のF・Nとはフローレンス・ナイチンゲールのことで、論文にはナイチンゲールが著わした『看護覚え書』を通して、彼女の考察がまとめられているという。

あの事件を起こしたのが、このように自覚的で洗練された文章を書いた人物であったことを知ると、二重に衝撃的である。

この短大時代に摂食障害が始まり、看護婦に向かないのではないかとの迷いが生じたみつ子は短大をやめようと考えたほどで、教官や友人に励まされて何とか仕上げた卒論だった。

摂食障害の原因は、郷里の大家族における複雑な人間関係にあるようでもあり(祖父の前妻の子である夫と姑の間で苦労する母親の姿を見て育ち、みつ子は母親には心配をかけまいとするいい子だった)、本人の完全主義的な傾向にあるようにも思われる。

だが、少なくとも短大時代には教官や友人との間に温かな人間関係があったのだろう。

短大卒業後、浜松医科大学付属病院に就職するが、患者の死にショックを受けて退職する。実家に戻って1年8ヶ月、引きこもりの生活をした。摂食障害はそのときにも起きた。自殺未遂も起こしている。

1986年に静岡市内の日本赤十字病院に再就職してからも、摂食障害は起きた。それを克服しようとしてか、三交代のハードな勤務をこなしながら休日にはボランティアの手伝いにも出かけている。

著者は、東京拘置所のみつ子に面会を求めて手紙を書き、それに昔から好きだったという八木重吉の詩を一編添えたという。面会は叶わなかったが、返信には「八木重吉さん私も好きです」(歌代,2002,228頁)との言葉があったそうだ。

わたしも、八木重吉の可憐といってよいような純粋な詩は好きである。

みつ子は読書家だったに違いない。看護師として勤務するには、あまりに感じやすいタイプなのかもしれない。

ただ、わたしのまわりの例からすると、看護師さんで精神的な問題を抱える人は多いようである。わたしが通った高校では、家計の負担を考えて、国立大学の教育学部と看護学校を併願する女子が多かった。

優秀な女性が看護師さんを目指したというイメージがある。

周囲に看護師さんが多いせいか、苦労話を聞く機会も多く、またわたしは心臓疾患による通院歴が長いため、顔見知りになった看護師さんから「一日に8回食事をとるのよ」と聞いて驚いたこともあった(毎回しっかり食べるそうだから、これは摂食障害だろう)。不倫、喫煙、流産、離婚……看護師さんには案外多いと聞く。

このことはつまり、優秀な女性であっても耐えられなくなるほどの過酷さが看護師という職業にはあるということだろう。

みつ子の実家は神道だったそうだが、日赤勤務のときに松原泰道老師の「南無の会」の法話に感動し、長野市の禅寺で開かれた南無行(夏期講習会)に母親と参加している。

法廷で「中学時代から法話を伺ったりするのが好きで、吸い寄せらせるように行った感じです。宗教というより、人間の生き方に関心がありました」(歌代,2002,61頁)と語ったという。

格調高くてわかりやすい解説が魅力的な松原泰道『禅語百選――今日に生きる人間への啓示(NON・BOOK-42)』(祥伝社、昭和47)は、大学時代からのわたしの愛読書である。

「南無行」でボランティアの受付をしていた十歳年上の僧侶が、みつ子の夫となった男性だった。「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」(歌代,2002,61頁)との出会いの印象であったという。

専業主婦は三食昼寝付などといわれ、これほどお気楽な商売はないように思われがちだが、実態はそうではない。

当時は専業主婦の多い時代であった。いい換えれば、女性の多くが専業主婦にならざるをえない社会状況があったということである。

サラリーマンは企業戦士といわれ、妻は銃後の守りであった。夫の仕事には妻の主婦業がしっかり組み込まれていた。

夫と妻と子は一心同体のように扱われ、全部ひっくるめて社会的評価が確定するという風なのだ。やがて社会は変化し、夫の仕事に組み込まれていた夫と子は除外されていくけれど。

会社関係の行事や交際が減った代わりに、考慮されていた勤務や転勤に伴う家族の事情は度外視されるようになっていった。家族のありかたをつくり上げるのが、社会あるいは政治だということがよくわかる。

こうした時代背景を考えてみても、サラリーマン僧侶の妻となったみつ子が置かれた環境は過酷すぎた。

1993年の結婚式直前まで、みつ子は看護師の仕事をやめられなかった(ということは、1986年から1993年までの7年間、日赤の看護師として激務をこなしていたのだろう)。

上京して新婚三日目から、音羽にある禅寺(臨済宗)の副住職の嫁として勤務がスタートした。寺からは6万円の給料が出た(みつ子は専業主婦ではなかったと著者が書いている)。

5時半に起床。6時に、夫と寺に読経に出かけた。6時45分に帰宅して朝食の支度。10時には寺へ出かけてトイレ、書院の掃除。昼に帰宅し、夫の食事の支度。午後も寺へ出かけた。

土・日の週末は、寺で座談会や法事の接待。家事と育児を計算に入れれば、自由時間は皆無だったのではないだろうか。みつ子は、郷里の母親には心配をかけまいとした。

郷里を離れてからも、田植えや稲刈りの頃には実家を訪れて、農作業を手伝ってきた。東京の自宅からは、一人暮しの母親を案じてこまめに電話をかけてきたという。(歌代,2002,37頁)

まるで苦行のような生活であるが、僧侶ではないから僧侶が得る社会的地位は得られない。いっそ彼女自身が尼僧であれば、楽だったのではないかと思えるほどだ。

それでも、みつ子は夫の不安定な立場を気遣い、不満を漏らさなかったという。

夫の立場がどう不安定だったかといえば、彼は、住職の二人の息子が後を継がないために寺の後継者として雇われだのだが、やがて住職の気持ちが変化したのだった。

住職は身内に継がせたいと思うようになったというのである。この後継者問題で住職夫妻との折り合いが悪くなったということらしい。

ひどい話である。

寺の後継者になれないことが最初からわかっていれば、みつ子の夫はそこへは就職しなかった可能性もある。寺を継げないとなると、将来に対する展望がなくなってしまうだろう。住居の問題一つとっても、先で寺を継げるのと継げないのとでは大きく違ってくる。

以下の記事がサラリーマン僧侶の職場環境を知る助けになる。

サイト「給料BANK」の住職・僧侶の給料や初任給を解説した以下の記事、

  • http://kyuryobank.com/kankon/jushoku.htm

読売オンライン「大手小町」における記事、

  • http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0517/4099

お坊さんとの質疑応答サイト「hasunoha」の以下の記事、

  • http://hasunoha.jp/questions/2332

住職の気持ちが変化したらしたで、別の寺に紹介するのが筋ではないだろうか。これでは寺に騙されたも同然ではないか。ブラック企業さながらだ。

新婚当初から夫は部屋にカーテンもつけず、新聞もとらなかった。ゴミの処理の仕方から布団の干し方まで細かく指示したという。

これは、山田夫妻の新居が職場でもあったからではないだろうか。

前掲書には、次のような記述があるからである。

九四年、一月、長男を出産。自宅に戻ると、体調も戻らぬうちから、毎日のように訪ねてくる夫の客にお茶や食事の接待をした。この時の無理がたたって体の具合を悪くし、まもなく再入院している。(歌代,2002,135頁)

みつ子は実家で出産したかったが、住職への気兼ねと夫の食事の心配などから、それができなかったとも書かれている。

築二十余年という八階建ての賃貸マンションは天井の低い昔ながらの造り。四十六平米ほどの2LDKに住み、西側のベランダからは、すぐ裏手を走る首都高速が間近に見える。(歌代,2002,15頁)

このような住居で、赤ん坊が生まれたというのに、一部屋を来客用としてとっておかなくてはならないとしたら大変だ。

うちは、子供が小さかった頃には夫の同僚が狭い家に10人ほども飲みに来たりして、沢山用意したはずの食べ物や氷があっという間になくなり、慌てて暗い中を当時は少なかったコンビニへ走っていったことなど思い出すが、新婚時代に上司2人を招いたときを例外として、気持ち的には気楽だったから、家計さえ気にしなければ、当時は健康でもあったし、結構楽しかったような気もする。

しかし、みつ子が迎えなければならなかった客は、粗相があってはならない、気の張る客だっただろう。

檀家の夫婦によると、みつ子の寺での様子は控えめで、礼儀作法もできていたという。

法事の合間にはお茶をいただくのですが、そんな時もとても気をきかせてくれて、茶碗が空く頃にすっと現れて、お茶を入れてくださる。(歌代,2002,24頁)

旧家の出らしい、そして完全主義者らしいみつ子の姿である。

救いを求め、またみずみずしい関心を抱いて仏教の世界に入ったそこは、表向きの仏教しか存在しない世界だった。

山田夫妻が寺という職場で受けた非情な扱いから、明治時代の廃仏毀釈やGHQによって損なわれた現代日本の宗教の生々しい病態が見えてくる気がする。

仏教の世界ではつらい労働と将来の不安しか得られなかったみつ子が、今度はママ友の世界に救いを求め、かつての夫の身代わりともいえる、「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」と感じられるような友人を探したであろうことは想像に難くない。

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2016年12月 1日 (木)

第二次世界大戦では事実上イルミナティと戦い、敗戦後はイルミナティに育てられ…

このところ、ブログの更新が疎かになっているが、知的欲求が低下しているわけでも、神秘主義的な分野における読書や考察を休止しているわけでもない。

むしろ、情報の氾濫する中で取捨選択に時間をとられている状況といえる。

拙ブログ「マダムNの連載小説」で連載中の純文学小説と、江戸初期から中期にかかるころに祐徳院を主宰した花山院萬子媛をモデルとした短編歴史小説は全く別の時代の話だが、同じ日本という国土を舞台とした小説である。

短編歴史小説の第一稿が出来上がった時点で、これは粗描のような段階のものだから失礼だとは思ったが、過去記事でご報告したように、友人知人、読書好きの親戚、恩師に送ってみた。

ありがたいことにほとんどの方が電話や手紙、葉書などで感想をくださった。参考になり、第二稿にとりかかった。ところが、わたしの中で渦巻く違和感があり、遅々として進まなかった。

それがなんであるのかを率直にいえば、日本人の間に蔓延している唯物論を第一義とする、とても本心からとは思えない態度なのだ。

モデルとした萬子媛は祐徳稲荷神社の創健社として地元ではよく知られた存在で、当時は神仏混交の時代であったから、萬子媛は伏見の稲荷大神の分霊を祀ると共に敬虔な仏教徒でもあり、後に出家して黄檗宗の尼寺を主宰し、死期を悟って断食入定を遂げた。

わたしは物語性をあまり出さず、資料に沿った書き方をしたいと考えた。そして、書きたいと考えたことをとりあえず全て盛ってみたのが第一稿だったというわけで、読みやすいものだとはお世辞にもいえないものだった。

小説には賛否両論寄せられ、それはほぼ半々の割合だった。共感は歴史好き――史実好きといったほうがわかりやすいかもしれない――の人々から主に寄せられ、批判は物語性――ヒューマンドラマ――を重視する人々から主に寄せられたように分析している。

批判の中には、わたしが作品の最後のほうでほのかに匂わせた神秘主義的描写や作品に添えた「はじめに」の中で表白した神秘主義的なプロフィールに対する違和感ないしは反感などもあったのではないかと憶測している。

感想には、宗教的、あるいは神秘主義的なテーマを率直に話題にしたものはなかった。まるで、こうした事柄に対して語ることが禁じられているかのように。歴史的に、物語的に語ることは構わないわけだ。

前世とあの世に関するほのかな霊的記憶があるわたしは、物心ついたときから神秘主義者であるので、日本は違和感のある国であるが、特定の宗教に縛られずに済むという点では暮らしやすい国といえる。

それにしても、現代日本の唯物論的雰囲気はどこから来たのか――この疑問はずっとわたしの中にあり、長いこと解けない難問だった。

それが、民主党が政権を握ったころから徐々に解け始め、トランプ大統領の誕生が確実になった今、戦後長らく主導権を握ってきたリベラルの呪縛が解けかけたかのような世相と連動するかのように、かなり解けたのだ。

端的にいえば、アメリカはリベラル(フランクリン・ルーズベルトが構築したニューディール連合)にのっとられており、戦後GHQを通して日本もそうなったのだ。リベラルの思想はいうまでもなく唯物論である。

アメリカの公式文書ヴェノナファイルによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上のコミンテルンのスパイがいたという。「ハルノート」を書いたハリー・デクスター・ホワイトもその一人である。

コミンテルンとは共産主義政党による国際組織で、第三インターナショナルともいう。モスクワを本部とし、1919年から43年まで存続した。日本共産党はコミンテルン支部として1922年に誕生している。

GHQが仕掛けた洗脳プログラムWGIPについて、一般日本人も知るところとなり、昨年5月に関係書を数冊読んだところだった。江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(文春文庫)』(文藝春秋、1994)についてはもう少し早い2013年12月に読んでいる(2013年12月22日付過去記事)。

そして、アダム・ヴァイスハウプト著(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)』は今年の9月、イルミナティの設立者アダム・ヴァイスハウプトの著作が邦訳版で出ていることを知って読んだ。

未来的ヴィジョンのない、方法論にのみ秀でた、単純な破壊思想には震撼させられた。

ヴァイスハウプトが設立した結社自体は1776年から85年までしか続かなかったが、その思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込んで世界に拡散した。

すなわちイルミナティの思想はテロ組織の原理原則となって今も生きており、マルクス主義もイルミナティの影響を受けているというが、ヴァイスハウプトの著作を読めば、マルクス主義は何てイルミナティの思想にそっくりなんだろうと思う。過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html

さらに、衝撃的な事実を知った。

ソースの確認作業中なので、以下は単なるメモ。

イルミナティの設立に、財閥ロスチャイルド家の基礎を築いたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが資金援助を行ったのだという。

それだけではない、1800年代にはルーズベルト家の一員クリントン・ルーズベルト(セオドア・ルーズベルトとフランクリン・ルーズベルトは親戚)がイルミナティに資金援助を行い、それがマルクス、エンゲルスの著作活動の資金になったというのである。

また1832年、アメリカの名門イェール大学に秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」が設立された。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルが、アルフォンソ・タフト、その息子ウィリアム・ハワード・タフトと共に設立した。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルはロスチャイルドとアヘン貿易を通してつながりがあった。フランクリン・ルーズベルトの祖父ウォーレン・デラノ・ジュニアはラッセルの会社の経営陣の一人だったという。

「スカル・アンド・ボーンズ」にはイルミナティの特徴が取り込まれたらしい。

「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー、ダニエル・ギルマンの教え子にジョン・デューイがいる。ジョン・デューイといえば、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズと共にプラグマティズムを代表する思想家ではないか!

このデューイの教育に関する思想がアメリカのみならず、戦後日本の教育界に大きな影響を及ぼしたのだ。

また「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーには、ヘンリー・スティムソンがいた。

合衆国大統領の第26代セオドア・ルーズベルトによりニューヨーク南地区の連邦検事、第27代ウィリアム・タフトにより陸軍長官、第30代カルビン・クーリッジによりニカラグアに派遣、第31代ハーバート・フーヴァーにより国務長官、第32代フランクリン・ルーズベルトにより陸軍長官に登用され、マンハッタン計画において日本に原爆投下の決定を検討したという暫定委員会の委員長を務めた。

イェール大学出身のアメリカの大統領は多いようだが、トランプに敗れたヒラリー・クリントンもエール大学(ロースクール)出身である。

第二次世界大戦におけるアメリカとの戦いは、イルミナティの目論みの中で行われ、戦後日本はイルミナティに育てられたといっても過言ではないだろう。

このことを知ったショックで、ここ数日ブログが書けなかったというわけである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

以下は、中国を理解する助けになる河添恵子氏の講演の動画。


同じ河添氏が警告するヒラリー・クリントンに関する動画。10月23日に公開されたもの。


江崎道朗氏のお話は、アメリカを知る助けになる。

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2016年11月25日 (金)

戦後、流通業界の基本理念となった左派系思想「経済民主主義」

ちょっと更新が滞ってしまった。

現在、はてなブログ「マダムNの連載小説」で純文学小説を連載中で、ブログの趣旨について述べた「はじめに」で次のように書いている。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。
ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。
つまり、16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものなのです。
こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。当時は、ママカーストという言葉だけでなく、ママ友という言葉もありませんでした。

また、小説の「前書き」では次のように書いている。

日本社会を震撼させた音羽お受験殺人事件(1999年11月22日)に着想を得、2000年5月に脱稿した作品ですが、事件を再現しようとしたわけではありません。
子育て中に底なし沼……にはまってしまう女性もいるに違いないと思われたので、その底なし沼を何とか表現したいと考えました。
2005年になって、たまたま事件現場の近くを訪ねたので、現場に隣接する寺に行ってみました。日中でしたが、寺に面した通りは人通りが少なく、静かでした。娘が受験して途中で落ちた大手出版社が同じ通りにありました。
ワープロで感熱紙にプリントアウトした作品の保存状態が悪く、このままでは読めなくなりそうでしたので、改めて校正しつつ連載形式で公開していく予定です。
「織田作之助賞」で三次落ちした、原稿用紙100枚程度の小説です。

具体的にいうなら、「地味な人」は当時の日本社会の動きの一端を流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して描こうと目論んだ作品である。

流通業が日本社会に与えた影響をテーマに描いた作品には、ノンフィクションの分野では、例えば、佐野眞一の秀逸な作品『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』(日経BP社、1998)』がある。純文学系小説家の作品では知らない。

音羽お受験殺人事件に着想を得た作品というのであれば、「織田作之助賞」に応募した作品の中には結構あったと聞いた。

事件の背景は複雑であるのが普通だから、事件のどういった側面に光を当てて創作しようと思うかで、内容の違いが生まれてくる。

いずれにせよ、受賞したのはあの事件とは何ら接点の感じられなかった作品であり、他の文学賞受賞作品やプロの純文学系作家の作品にもあの事件を考えさせるようなものをわたしは知らない。

わが国の文学界が「純文学など、ない」キャンペーン(純文学弾圧)を盛大に繰り広げた時期があったことを考えれば、仮にこうしたテーマで世に出ることができたとしても、その小説も作家も遅かれ早かれ潰されたに違いない(純文学を弾圧した連中が何者であったかが、今、明らかになってきている)。

「地味な人」を連載しながら改めて、あの時代が如何に日本社会の転換期であったかを考えさせられている。

わたしが流通業界に勤務するサラリーマンとその家族を通して小説を描こうと考えたのは、その世界しかよく知らないということもあったが(わたし自身は総合スーパーの衣料品部、某百貨店の食品部、某百貨店の出張所で働いたことがあるだけだが、夫を通じても流通業界に縁があった)、流通業が如何に日本の法律を変え、街並みを変え、文化に影響を及ぼしてきたかをつくづくと考えさせられたからだった。

応募小説を執筆するときには、夫にお世話になった。夫は流通業界に身を置く一サラリーマンにすぎなかったが、貴重な話を聞き、資料や本などを借りることができたのだった。

100枚内の小説にそう多くのことを盛り込むわけにはいかず、また専門的な説明は極力少なくするようにしたため、今読むと、もう少し説明があったほうがよいと思われる箇所が出てきた。

しかし、本文に加筆しすぎると、別物になってしまい、小説の雰囲気が壊れてしまうだろう。従って、脚注を利用して説明に幅を持たせることにした。

そうやって、連載14回まで終え、15回となって、流通業の基本理念となってきた「経済民主主義」について、脚注で説明を加える必要を覚えた。

流通業界の理論的指導者であった渥美俊一が経済民主主義を唱えたことは有名だ。彼はペガサスクラブを設立した。その影響の大きさを知るには、ウィキペディアの次の解説を引用するだけで足りるだろう。

1962年設立当初のペガサスクラブの主なメンバーは、ダイエーの中内功、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊、ジャスコの岡田卓也、マイカルの西端行雄・岡本常男、ヨークベニマルの大高善兵衛、ユニーの西川俊男、イズミヤの和田満治など30代の若手経営者が中心。会員企業数は急速に伸び、1969年には1,000社を超えた。渥美は、メンバーの経営者を率いて毎年アメリカ視察を行うなど、アメリカの本格的なチェーンストア経営システムを日本に紹介し、流通革命・流通近代化の理論的指導者として、草創期にあった戦後日本を代表する多くのチェーンストア企業を指導した。

ウィキペディアの執筆者. “渥美俊一”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%B8%A5%E7%BE%8E%E4%BF%8A%E4%B8%80&oldid=61114514, (参照 2016-09-11).

経済民主主義について、わたしは応募小説執筆時は詳しく調べなかった。小説では次のように書いている。

「A…という日本のチェーン・ストアの理論的指導者がいてね。彼は《経済民主主義》を唱えるんだ」
「え、ケイザイ何ですって?」
「ケイザイミンシュシュギ。富める者も貧しい者もほしいものは手に入る社会を築こう、という精神のことをいうのさ。国民のすべてがほしいものは手に入る社会を、という意味。それには物価を下げればよいという理論なんだよ。(略)」

執筆しながら、民主主義という言葉が入っているものの、左派臭い理論だと思った。当時はインターネットが今ほど普及していなかったということもあって、疑問はそのままになっていた。

今回調べたところ、オンラインで閲覧できる論文がヒットした。その論文から経済民主主義の成立と歴史を端的に解説した部分を引用させていただく。

フリッツ・ナフタリの『経済民主主義』(1928年)は,ドイツ・ワイマル期の社会民主党系労働組合運動の理論と経験の中から生まれた。その後,ナチズムの時代には歴史の舞台から抹消されたかに見えたが,しかし第2次大戦後には,当初,旧西ドイツのモンタン産業において成立した被用者の同権的共同決定制度が,いまやドイツ資本主義の発展とともに労働者の経営参加及び超経営的参加として企業のなかに定着するとともに,ナフタリの『経済民主主義』は,労働者の同権的参加思想の源流と見なされ,この分野における「古典」(オットー・ブレンナー)としての評価が与えられてきた。

山田高生「カール・レギーンと経済民主主義の生成」成城大學經濟研究 159, 133-146, 2003-01-20 <http://ci.nii.ac.jp/naid/110004028031>(2016/11/12アクセス)

やはり左派系理論である。ダイエー創業者の中内功が毛沢東の心酔者であったことなども有名な話で、流通業界はわたしが想像した以上に左派の影響を受けているようだ。

前掲書『カリスマ 中内功とダイエーの「戦後」』で描かれる中内功にはひじょうに純粋なものが感じられた。

経済民主主義には利点も難点もあるだろう。

ちなみに、ナチスが共産主義者を弾圧したためか、右派と勘違いしている人も多いようだが(安倍首相をヒトラー呼ばわりする左派の人々ってナンだろうか)、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

左派の問題点をわかりやすく指摘した投稿を「余命三年時事日記」で閲覧した。以下に引用させていただく。

1327 11/25アラカルト2
http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2016/11/25/1327-11%ef%bc%8f25%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%88%ef%bc%92/

鬱田高道
余命様、日本再生大和会の皆さま、告発作業お疲れ様です。
 日本の左翼といい、アメリカの反トランプリベラルといい、なぜ左翼は自国を破壊しようとするのか。そしてなぜ彼らは国民国家を無用の存在と考えるのか。左翼の価値観である自由・平等・人権・民主主義・反差別・反戦平和といった概念は、日本やアメリカという国民国家が無くても守れる、むしろ国民の自由や人権を規制し、外国人を差別し、そして武力によって国家間の問題を解決しようとする日本やアメリカやその他の全ての国々がこの地球上から無くなった方が、左翼的価値観をより守れると彼らが考えているからでしょう。
 左翼連中は自らの信じる左翼的価値観を守るために、本能的に国家を敵と認識し、破壊しようとしているのです。しかし本当に国民国家無くして左翼的価値観や世界平和は守れるのでしょうか。
 18世紀の大哲学者であるエマニュエル・カントは、フランス革命後「永遠平和のために」という著書を発表しました。どうすれば永遠の世界平和(カントの言う永遠平和)を実現出来るのかを考察した本ですが、カントはその方法として二つの仮説を提示しています。「世界国家」と「平和連合」です。
世界国家とは、個々の国家を潰して、地球全体を一つの国家とする方法です。
 国家が無くなって地球全体が一つの世界国家になれば、この世から戦争が無くなり、世界平和が実現しそうですが、カントはこの方法を真っ向から否定しています。
 人間は住む土地(つまり国)によってその持っている価値観に違いがあり、一つの世界政府が世界国家全体を画一的に統治すれば、必ず世界中の人々が反発を起こし、それが全世界的な戦争に繋がるからです。世界平和のために建設した世界国家が、世界中で戦争を発生させる原因になっては本末転倒だという訳です。ヨーロッパ版世界国家であるEUが、イギリスの反発と離脱に逢って崩壊の危機に直面しているのを見ても、世界国家は非現実的であるというカントの指摘は正しいと思います。
 カントがその世界国家の代案として提示したのが平和連合です。平和連合とは世界中の国家がその枠組みを維持したまま平和的に連帯し、世界平和を実現する方法です。20世紀の国際連盟や現在の国際連合は、このカントの平和連合のアイデアを下敷きにして生まれた組織です。現在の国際連合が色々問題があってもそれなりに世界平和に貢献し機能しているのを見ても、平和連合こそが現実的な永遠平和の方法であるというカントの指摘は正しいと言えると思います。
 ではカントの言う、住む土地ごとに異なる、人々が持っている特有の価値観、とは何か。それは伝統的価値観、つまり「保守主義」でしょう。カントは保守主義こそが現実的な世界平和の基礎だと言ってるんですね(笑)。
世界平和を守っているのは、本当は自称反戦平和主義者の左翼連中ではなく、我々余命支持者のような保守主義者たちなんです。
世界平和は保守主義を基礎とした国民国家の連帯によって守られている。その現実を否定し、世界中の国民国家を破壊し、世界国家を建設して、人類を全世界的な戦争とテロの泥沼に陥れようとしているのが、自称平和主義で反差別主義者の左翼たちです。まったく愚かとしか言いようの無い連中です。
 国民国家はその国の伝統的な所有者(マジョリティ、多数派)が、差別によってその数的優位を維持しなければ崩壊します。ナチスドイツのユダヤ人虐殺のような過激で非人道的な差別は駄目ですが、国民国家の枠組みを守るための人道的・道徳的な範囲内の差別は必要です。
 地球上の全ての国民国家が崩壊し、世界政府が世界国家を統治する世界とは、ちょっとイメージすれば分かりますが、それは地球全体が一つの独裁国家になった状態です。少なくともそうなる危険性は多分にあると思います。
 左翼よ、なぜ国民国家の破壊と「独裁世界国家」の建設が、世界平和を実現するんだ?
 国会が幾つもの政党に分かれて、お互いにその行動をチェックし批判し合う事で、国の自由や平等や人権や民主主義が守られているように、世界が複数の国に分かれて、お互いにその行動をチェックし合う事で、世界中の自由や平等や人権や民主主義は守れているのではないか?
 地球上から国民国家が消滅すれば、左翼的価値観である自由や平等や人権や民主主義も、この地球上から消えて無くなるのではないか?
 実は国民国家を守ろうとしている我々保守主義者こそが、保守主義だけでなく、世界の左翼的価値観すら守ってあげているのです。
 世界中の左翼連中が行っているのは、ただの無意味な破壊に過ぎません。
 保守主義と国民国家と平和連合(国際連合 )さえ有れば、世界平和も左翼的価値観も自動的に守られるのですから、左翼主義者や左翼政党や左翼マスコミなど、もうこの世に必要無いのかも知れません。
長文、失礼しました。

わたしは左派系思想に強い影響を及ぼしているイルミナティ思想こそが問題だと考えている。以下は当ブログの過去記事より。

...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。...。oо○**○оo。

2016年11月13日 (日)
ドナルド・トランプ米大統領の誕生と戦後体制の瓦解
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/11/post-7bd2.html

トランプ米大統領の誕生で、あちこちで崩れかけていた戦後体制が一気に崩れそうな気配がある。

戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想の入り込んでいるのが問題だった。

1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はひじょうに粗悪なものである。

ヴァイスハウプトの著作の内容自体がひどいものだから、そうならざるをえない。しかし、一方、テロの原理原則となったその方面の方法論だけは秀でていたのだから、イルミナティの思想の危険度は推して知るべし 。以下の過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html
(……)しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。
アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。
ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。
『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。
1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された」(植田,2014,p.284
それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。
(……)

イルミナティの思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込み、やがてイルミナティのラジカルな思想の影響を受けたマルクス主義や新自由主義が世界に拡散したのである。

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2016年11月13日 (日)

ドナルド・トランプ米大統領の誕生と戦後体制の瓦解

※過去記事2本をまとめたものです。

8日に投開票が行われた米大統領選挙は、共和党のドナルド・トランプ候補が民主党候補のヒラリー・クリントンを下した。

わが国のマスコミはクリントン一択であるかのように世論を誘導していたので、疑わしく思っていたら、アメリカ第一主義(自国第一主義)を掲げる不動産王トランプが大統領になってしまった。

トランプには大統領としての資質を疑ってしまう発言もあるが、案外現実を直視した、まともと思われる発言も少なくない。

安倍首相はオバマ大統領の懸念をよそに日露関係を重視してきたように見えるが、これは警戒が必要な日中関係と次期大統領がトランプになる可能性を考えての行動だったのでないだろうか。

本来なら民主党の基盤だった中高年のブルーカラーが、トランプに投票したという。オバマ大統領が如何にそうした層の人々を失望させたかを物語る選挙結果だ。

ヒラリー・クリントンは国務長官時代に私的サーバーを使って機密情報をやりとりしていたという事実が暴露され、これには唖然とさせられた。

それまでは、公務経験のないトランプよりクリントン氏のほうが無難ではないだろうかと思っていたので、わたしにはアメリカの大統領選はもう訳がわからなくなってしまっていた。

ヒラリー・クリントンは以前からISをつくったとか、江沢民と関係が深かったといったようなことがいわれていたので、クリントンが大統領になればなったで、気持ちが悪いと感じていた。

江沢民といえば、法輪功に対する迫害行為を知ったときは戦慄させられた。以下の過去記事を参照されたい。

2015年6月11日 (木)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ①弾圧される人々
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-c356.html

2015年6月13日 (土)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ②ジェノサイドを見て見ぬふりをするしかない日本
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-4872.html

改めてヒラリーについて新情報を含めてざっと整理すると、彼女は戦争によって私利をむさぼる死の商人で、江沢民派と通じ、ISをつくり、日本を抑えつけるために中国の軍拡を後押ししていた……国家機密を私的に利用するために個人サーバーを使わざるをえなかった……何とも恐ろしい女だ。

要するにヒラリー・クリントンは軍産複合体の利益の代弁者だったわけで、私欲のためなら自国も同盟国も売ることを厭わない、正真正銘の売国奴だったのだ。

ただ、ヒラリーが大統領になったらUFO情報が開示されるのではないかという期待があったので、この点ではちょっと残念な気もする(彼女にはUFOに関する発言がある)。

いずれにしても、トランプが大統領としてどのような政策を実践しようとし、アメリカの議会はそれに対してどう反応するのか、今後の動向から目が離せない。

トランプ米大統領の誕生で、あちこちで崩れかけていた戦後体制が一気に崩れそうな気配がある。

戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想が入り込んでいるのが問題だった。

1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はひじょうに粗悪なものである。

ヴァイスハウプトの著作の内容自体がひどいものだから、そうならざるをえない。しかし、一方、テロの原理原則となったその方面の方法論だけは秀でていたのだから、イルミナティの思想の危険度は推して知るべし 。以下の過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html
(……)しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。
アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。
ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。
『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。
1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された」(植田,2014,p.284
それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。
(……)

イルミナティの思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込み、やがてイルミナティのラジカルな思想の影響を受けたマルクス主義や新自由主義が世界に拡散したのである。

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2016年11月11日 (金)

戦後体制の瓦解。今後の創作予定。

最近、当ブログの更新が不活発ですが、連載中の小説「地味な人」に関連して書きかけていた過去記事を一旦下書きに戻して加筆しているためです。

というより、加筆するための記事の構築――というほどのものは書けそうになく、単なるメモにすぎないのですが――に時間がかかります。

それが終われば、萬子媛の小説に戻る予定です。

あちこちで崩れかけていた戦後体制がトランプ米大統領の誕生で、一気に崩れそうな気配。戦後体制を築いたのはいわゆるリベラルといわれる人々で、この中にイルミナティの思想が入り込んでいるのが問題でした。

わたしが調べたところによると、1776年、アダム・ヴァイスハウプトによってつくられたイルミナティ結社の思想はフリーメーソンを侵食し、マルクス主義や新自由主義となって世界に拡散したのです。

この件については、いずれまた書きたいと考えています。トルストイ『戦争と平和』関連で書いていた過去記事は、これもメモですが、まだリサーチ半ばで休止中です。

それにしても、人は見かけによりませんね。大統領選に敗れたヒラリー・クリントン女史のことです。

江沢民派と通じていた死の商人、ISをつくり、日本を抑えつけるために中国の軍拡を後押ししていた……国家機密を私的に利用するために個人サーバーを使わざるをえなかった……恐ろしい女。信じられます?

要するに、ヒラリー・クリントン女史は軍産複合体の利益の代弁者だったわけです。

最後に文学に話を戻せば、児童文学作品のミス・ビアンカ シリーズの最初の一冊を読んだので、この感想も書きたいところ。

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2016年10月13日 (木)

歴史短編1のために #29 萬子媛遺愛の品々 ④御化粧袋、貝合わせ、鉄鉢

祐徳博物館での個人的なメモです。

御遺物メモの続き。

漆に蒔絵[まきえ]が施されたシックな調度は婚礼調度だろう。鎌倉時代くらいを起点とした婚礼調度は、江戸時代初期には道具類が体系化され、豪華なものになっていたという。

印籠
室町時代に明から輸入された長方形の小型の容器には当初は印を入れたらしいが、江戸時代には薬入れやアクセサリーとして流行ったとか。

御化粧袋
お化粧袋は赤地に牡丹模様、それに市松模様のバンドがついていて、現代感覚の目で見ても洒落ている。

以下のノートは、谷田有史・村田孝子『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(三樹書房、2015)を読みながらとったものだが、引用する。本の監修者である谷田氏はたばこと塩の博物館学芸員、村田氏はポーラ文化研究所シニア研究員。

2015年10月31日 (土)
歴史短編1のために #18 江戸時代のおしゃれを作り上げたもの
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/10/18-8d71.html
江戸時代には多くの育児書が書かれていたと書いたが、美容読本なども書かれ、読まれていた。
房州砂に竜脳や丁子、白檀などの香料で香りづけした歯磨き粉、石鹸の代わりの糠や粗い粉。糠を銭湯で売っている様子が浮世絵に描かれているらしい。糠はタンパク質や脂肪を含んでいて、天然のクリームとなった。糠袋は母が時々使っていたが、江戸時代からあったのか……。
萬子媛は江戸時代初期から中期にかかるくらいの人なので(1625年 - 1705年)、初期に注目して本から拾えば、洗顔のあとには化粧水。花露屋から発売されていた「花の露」が有名だった。これは天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしい。
この花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったという。萬子媛が二十歳のころには創業していたというわけか。おしゃれなネーミングだなあ。萬子媛も使ったのかしら、花の露。
お歯黒は『源氏物語』『堤中納言物語』にも書かれた日本で一番古い化粧とされているという。お歯黒は歯槽膿漏、虫歯予防に役立っていたそうだ。

井原西鶴『好色一代男』(巻二)に確かに、花の露屋の五郎吉という香具売の少年が登場する。

つゞきて桐[きり]の鋏箱[はさみばこ]の上に小帳[こちょう]・十露盤[そろばん]をかさね、利口[りこう]さう成男[をとこの]行は、人の目に立ぬやうにこしらえて、みるほどうつくしき風情[ぜい]也。「是なん香具賣[かうぐうり]」と申。こゝろうつりてよび返し、沈香[ぢんかう]など入[いる]のよし申て、調[とゝのえ]て、とやかく隙[ひま]の入こそ笑[をか]し。「御用[ごよう]もあらば重而」と立かへる程[ほど]に、宿[やど]もとをきけば、「芝神明[しばしんめい]の前[まへ]、花の露屋[つゆや]の五郎吉、親かた十左衛門」とぞ申。(麻生磯次・冨士昭雄『対訳西鶴全集 一  好色一代男』明治書院、昭和58新版、64頁)

人目に立たないこしらえながら美しい風情の少年は、香具だけを売っていたのではないようだ。

貝合わせ
貝櫃(貝合わせを入れる箱)

上流社会の嫁入り道具中必需品であった」と説明があった。
平安時代を連想させる美しい貝合わせ。実物が見られて、感激した。貝殻の内側に金箔が貼られ、絵が描かれていて、美しい。

ウィキペディア「貝合わせ」
貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる日本の遊び。本来の貝合わせは、合わせものの一つとして貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びであった。

江戸時代の貝合わせ
江戸時代の貝合わせは、内側を蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する。ハマグリなどの二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、裏返した貝殻のペアを選ぶようにして遊んだ。
また、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。貝の内側に描かれるのは自然の風物や土佐一門風の公家の男女が多く、対になる貝には同じく対になる絵が描かれた。美しく装飾された合貝を納めた貝桶は八角形の形をしており二個一対であった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれた。婚礼行列が婚家に到着すると、まず初めに貝桶を新婦側から婚家側に引き渡す「貝桶渡し」の儀式が行われた。貝桶渡しは家老などの重臣が担当し、大名家の婚礼に置いて重要な儀式であった。
金箔が使われている。

ウィキペディアの執筆者. “貝合わせ”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%B2%9D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&oldid=60679944, (参照 2016-08-06).

雁[かり]が音の琴
万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。

小説を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れたのだが、萬子媛は本当に箏を弾かれていたようである。ちなみに琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝(琴には柱がない)、小説にはどちらの表現を使うかで迷う。

ウィキペディア「筝」
一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。
ウィキペディアの執筆者. “箏”. ウィキペディア日本語版. 2016-04-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%8F&oldid=59361089, (参照 2016-04-15).

藩主 御火鉢 参勤交代用湯沸[わかし]
参勤交代時に用いられたという湯沸が興味深かった。

御茶道具
紺地に龍が描かれているものがあった。

鉄鉢
鉄鉢は「てっぱつ」と読むようだ。

托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち。(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)

出家前と後の遺愛品が混じって展示されていたので、僧侶時代の遺愛品であることに気づくとハッとしたが(御袈裟)、鉄鉢は辞書を引かなければ、僧侶時代のものであることに気づかなかっただろう。

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