カテゴリー「家庭での出来事」の393件の記事

2018年8月12日 (日)

「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観劇して

インターネットでの拡散はOKのようなので、下手なレビューを書きます。ネタバレありなので、これから観劇なさるかたはご注意ください。

金平糖企画主宰、時枝霙さんを採り上げた記事がネット検索で出てきたので、リンクしておきます。

クローズアップ 2018  輝きの女たち
いつも行く美容院や飲食店を舞台に公演
演劇、朗読、写真、文章など多彩に表現
時枝 霙さん
金平糖企画主宰

http://www.josei-oita.jp/2018_7h.html

「医師と表現者の二足のわらじ。演劇、朗読、文章、写真など活動は多彩」と前掲記事にあり、驚かされます。

以下は、「金平糖企画」のツイッターです。

金平糖企画 @confettiplannin
舞台作品をつくったり、ライブをします。9/23.24熊本DENGEKI参戦。諫早独楽劇場シアターバー10月。

https://twitter.com/confettiplannin

8月8日、「試着室」(金平糖企画新作公演、作・演出 時枝霙)を観に行きました。

貸店舗での舞台と客席の境界を設けない上演で、全体に実験的要素が感じられる劇でした。

舞台はアパレルショップ。舞台装置は極めてシンプルで、境目のない舞台からドアに向かう空間が舞台の延長として活用され、能楽でいう橋掛りの役目を持っていました。

音響はレトロ調、近距離からの照明は迫力がありました。

店主役によって吊り下げられていくハンガーには折鶴がぶら下がり、床には折り紙が巻き散らされます。それらは服に見立てられているようでした。

登場人物は、アパレルショップの店主、アルバイトの女子学生(長身のスリムな男性が演じていました)、女性客、沈黙したまま片隅に蹲っている首にギブスをつけた怪我人。

台詞はしばしば詩のようで、客と店主が会話を交わすとき、客が失恋を独白するときなどに、学生がバックミュージックのように髪、爪、血液などの人体に関する自然科学的な台詞を詩の朗読のようにいう場面があり、不思議な雰囲気を創り出していました。

客が学生と一緒に駆け回りながら、床にまき散らされた折り紙を掴んではまき散らす場面は圧巻で、絶望感に囚われた女性に合う服はどうしても見つかりません。

ストーリーらしいストーリー、結末らしい結末はなく、別の客がアパレルショップへやってきて(片隅に蹲っていた怪我人との二役。演じていたのは時枝さん)、店主と新しい客が、前の客と全く同じ会話を交わすところで、存在しない幕が下りました。

アパレルショップは、エンドレスに循環する宇宙的な営みをシンボライズしているようでもありました。

娘の友人の演技には磨きがかかっていました。アパレルショップへの訪問者(客)を過去のトラウマから自分探しの旅(?)へと誘う店主の役を、品よくこなしていました。

この品のよさこそが、劇中で日常と非日常を違和感なく一体化させていた重要な要素に思えました。

「試着室」からはよい意味でのアマチュアリズムというべきか、ひじょうにナイーヴな芸術性というべきか、純粋志向が感じられ、いささか古い用語を用いるならば、「不条理」なテーマへの純粋すぎるくらいのアプローチが印象的でした。

不条理という言葉は、今の若い人々には馴染みのない言葉かもしれませんが、アルベール・カミュ(Albert Camus,1913 - 1960)の哲学的エッセー「シーシュポスの神話」で有名になった実存主義の用語で、人間存在の根源的曖昧さ、無意味さ、非論理性に由来する絶望的状況を意味する言葉です。

ここからは蛇足になりますが、わたしの大学のころ――40年ほども昔の話になります――には、第二次大戦後にフランスからサルトルなどによって広まった実存主義はまだ流行っていました。否今でも哲学的主流はこのあたりに停滞していて、現代哲学は唯物論に依拠して局部的、細部的分析に終始しているように思えます。

ちなみに、カミュは自分では実存主義者ではないとしていますが、その思想傾向からすれば、実存主義者に分類されていいと思われます。

カミュに発見された女性哲学者シモーヌ・ヴェイユは晩年、キリスト教的神秘主義思想を独自に深めていきますが、しばしば実存主義哲学者に分類されます。

実存主義はマルクス主義の影響を受けた思想で、唯物論的であり、マルクス主義の流行とも相俟って一世を風靡したのでした。

しかし、一端、唯物論的袋小路へ入り込んでしまうと、自家中毒を起こし、下手をすれば阿片中毒者のような廃人になってしまう危険性さえあります。村上春樹のムーディ、曖昧模糊とした小説はこうした不条理哲学の子供、ただしカミュの作品が持つ聡明さ、誠実さを欠いた子供といえます。

戦後、日本人はGHQによる洗脳工作(WGIP)や公職追放(注)などもあって、唯物主義、物質主義が優勢となりました。こうしたことに起因する現代日本の問題点が演劇という形式で真摯に表現されているという点で――それが意図されたわけではなかったのかもしれませんが――、「試着室」は興味深い作品でした。

(注)
わが国では、第二次大戦後のGHQの占領政策によってマルクス主義の影響力が高まりました。20万人以上もの公職追放によって空きのできた教育、研究、行政機関などのポストにフランクフルト学派の流れを汲むラディカルなマルキストたちが大勢ついたといわれます。

|

2018年7月31日 (火)

ヨットを走らせる、よみくん(アバター&インターポット)。今日中に済ませたいメモの整理。

お友だちのよみくんとうちのアバター2人が各人気持ちよさそうにしていたので、思わず写真に撮りました。下のほうにちらっと見えている青い人物はというと……

魔法のランプから出てきた魔人です。

ところで、萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が遅れています。まだメモの整理もついていない段階で、予定通りに明日から小説を書き出すのは無理です。

今日は休日の夫がペペロンチーノを夕食に作ってくれるというので、その整理をやってしまわなければ。夫に任せきりというわけにはいかないでしょうが、助かります。では、では。今日中に整理がつきますように(わたしのいう「今日」とは明日の朝6時までをいいます)。

|

2018年7月25日 (水)

余華の対談(「三田文學」2018年冬季号)。拙児童小説『すみれ色の帽子』を読んだ従姉の感想。

従姉から電話があった数日後、わたしはアマゾンのサービスで電子書籍にしたKindle版の児童小説をプリントアウトして送りました(以下の過去記事参照)。

2018年7月 5日 (木)
悪質な自費出版系ビジネスと、餌食になりかけた従姉の児童書に対する失望感
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/07/post-9c6e.html

PDF形式でプリントアウトしたら、分厚くなりました。なぜ、そんなものを送ったかというと、従姉が失望してしまった児童書がどんなものであったのか詳細は聞いていませんが、想像がつきました。そうしたものと同類の作品を書いていると思われたくなかったからです。

そんなわたしの作品には賛否両論寄せられます。自分では同類とは思っていないのですが、従姉は同類と思うかもしれませんでした。

同類だとしたら、世間的にはわたしはプロ作家並みの児童小説を書いているということになるでしょう。従姉が誉めてくれるとすれば、わたしは世には出られない自身の境遇を納得することになるのです。

昔からわたしの作品に関心を示してくれる唯一の人が、この従姉でした。従姉はわたし宛の葉書に次のように書いてきました。

‟すみれ色の帽子”一気に読みました。瞳ちゃんとK…ちゃん(※瞳は主人公。K…ちゃんは従姉の孫娘)がオーバーラップして、Nちゃん(※わたしのこと)、K…ちゃんのことしっているのかなと思う位! 文章が綺麗で、読んだ後、心の中が澄み切ったようでした。他の本も楽しみです。

作品が従姉に嫌われなくてよかった、とホッとしました。出版の件は後日報告とあったので、従姉の息子さんと知人の女性で制作された絵本は出版の運びとなるのかもしれません。良心的な出版社から出してほしいものです。

出版する場合、数社に見積もりを出して貰い、比較して決めることを電話では従姉にすすめました。文学仲間はそうしています。

自費出版は髙い買い物になるので、最低5年くらいは試行錯誤を重ねてよいものへと作品を高めていき、それから出版しても遅くないような気がしますが、思い立ったが吉日ともいいますから、外野からあれこれ干渉すべきことではないと考えます。

わたしもそろそろ紙の本を出したいけれど、一生出すことはないままに終わるでしょうね。幸い只で出せる電子書籍サービスがありますし、何より神秘主義者ですので、世に知られることがないままに終わったとしても、創作を通して、きよらかな、澄んだ思いを発散させることだけでも、意義のあることだと知っています。

神秘主義者としてもう一つわかっていることは、文学、つまり芸術は、宗教的修行と同じ求道の道だということです。

その道を歩きながら神秘主義的ないくらかの霊的能力はわたしに目覚めてきたものであって、それは決して霊媒的な低級能力、先祖返りの能力ではないと感じています。その道をしっかり歩いている限りにおいては、安全性の高い道であると確信します。

ただ、霊媒的な低級能力、いわゆる左手の道へと逸れてしまう危険性は宗教的修行の場合と同じく芸術活動にもあって――否、普通に生きているつもりの人々にもその危険性は人間である限りつき纏うものでしょうが――、その危険性をわたしが現実のものとして感じたのは賞狙いに没頭していたときでした。

それについては、統合失調症を患う天才型詩人を友人の目で描いた拙日記体小説『詩人の死』(Kindle版)に書きました。

 神秘主義ではよく知られていることだが、霊的に敏感になると、他の生きものの内面的な声(思い)をキャッチしてしまうことがある。人間や動物に限定されたものではない。時には、妖精、妖怪、眷族などという名で呼ばれてきたような、肉眼では見えない生きものの思いも。精神状態が澄明であれば、その発信元の正体が正しくわかるし、自我をコントロールする能力が備わっていれば、不必要なものは感じずに済む。
 普段は、自然にコントロールできているわたしでも、文学賞の応募作品のことで頭がいっぱいになっていたときに、恐ろしいというか、愚かしい体験をしたことがあった。賞に対する期待で狂わんばかりになったわたしは雑念でいっぱいになり、自分で自分の雑念をキャッチするようになってしまったのだった。
 普段であれば、自分の内面の声(思い)と、外部からやってくる声(思い)を混同することはない。例えば、わたしの作品を読んで何か感じてくれている人がいる場合、その思いが強ければ(あるいはわたしと波長が合いやすければ)、どれほど距離を隔てていようが、その声は映像に似た雰囲気を伴って瞬時にわたしの元に届く。わたしはハッとするが、参考程度に留めておく。ところが、雑念でいっぱいになると、わたしは雑念でできた繭に籠もったような状態になり、その繭が外部の声をキャッチするのを妨げる。それどころか、自身の内面の声を、外部からやってきた声と勘違いするようになるのだ。
 賞というものは、世に出る可能性への期待を高めてくれる魅力的な存在である。それだけに、心構えが甘ければ、それは擬似ギャンブルとなり、人を気違いに似た存在にしてしまう危険性を秘めていると思う。
 酔っぱらうことや恋愛も、同様の高度な雑念状態を作り出すという点で、いささか危険なシロモノだと思われる。恋愛は高尚な性質を伴うこともあるから、だめとはいえないものだろうけれど。アルコールは、大方の神秘主義文献では禁じられている。
 わたしは専門家ではないから、統合失調症について、詳しいことはわからない。が、神秘主義的観点から推測できることもある。
 賞への期待で狂わんばかりになったときのわたしと、妄想でいっぱいになり、現実と妄想の区別がつかなくなったときの詔子さんは、構造的に似ている。そんなときの彼女は妄想という繭に籠もっている状態にあり、外部からの働きかけが届かなくなっている。彼女は自らの妄想を通して全てを見る。そうなると、妄想は雪だるま式に膨れ上がって、混乱が混乱を呼び、悪循環を作り上げてしまうのだ。
*

*直塚万季『詩人の死』Kindle版、2013年、ASIN: B00C9F6KZI

ところで、わたしは今年還暦という年齢になりましたが、二十代で竜王文庫の書物を通してブラヴァツキーの近代神智学を知りました。

創作を通してハートの力を育み、不勉強な一会員ですけれど、竜王会、神智学協会ニッポンロッジから出ている機関誌や書物を読むことによって総合力、分析力を培おうと自分なりに努力を続けてきました。

そうした道の歩みの中で、いわば霊的な次元で何かを察知することは珍しくありませんが、江戸初期に生まれ、江戸中期にさしかかるころに黄檗宗の僧侶として亡くなった――祐徳院と生前から慕われ続けてきた――萬子媛のようなかたに巡り合うことができたのは、めったにない貴重な体験であると思っています。

萬子媛について知ろうとすることは日本の宗教史を深く覗き見ることでもありました。萬子媛は日本の宗教史に咲いた一輪の香り高い花であるとわたしは見ています。

萬子媛をモデルとした小説の第二稿に入りましたが、計画が思うように進まず、おのれの非力を感じざるをえません。それでも、時間はかかってもこれは自分がやり遂げるしかない仕事だと思い、今後、集中度を高めていきたいと考えています。

萬子媛が帰依した黄檗宗(禅宗の一派)は、日本に招請された明朝の禅僧、隠元隆琦によって開かれました。隠元は明朝の文化、文物を伝え、煎茶道の開祖ともされています。

古来、この例からもわかるように、わが国には中国から優れた文化、文物が伝えられてきました。しかし、現在の中国をメディアを通して見るとき、これはどうしたことだろうとわたしは絶望的な気持ちに囚われます。

でも、動画で法輪功の舞台を視聴したとき、中国本来の――といういいかたは語弊があるかもしれませんが――歴史が甦るような感動を覚えました。

2015年6月11日 (木)
失われたと思っていた中国五千年の芳香 ①弾圧される人々
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/06/post-c356.html

また、現代の中国人作家、余華の対談を「三田文學(第97巻 第132号 冬季号)」(関根謙編集、2018年2月)で読み、日本の純文学が衰退しているこのときに、中国に生まれて育った中国人作家、それでいながら中共色に染まっていない余華という人物が作家らしさを好ましく発散していることに驚きを覚えました。中国における文学状況がどのように推移したかもわかる、貴重な対談となっています。

恥ずかしながら、中共のいわゆる御用作家ではない余華のような中国の現代作家をわたしは知りませんでした。対談の中で印象的だった余華の言葉を引用します。

<ここから引用>
かつて日本の記者に、川端康成が私の一人目の先生だと言ったら、彼らは大いに驚きました。私の小説と川端康成のそれとの違いが大き過ぎると言うのです。確かにそうですよね。そのとき彼らに比喩の話をしました。一人の作家が別の作家に影響を与えるのは、日光が樹木に影響を与えるようなものです。樹木は日光の影響を受けて成長するとき、樹木のスタイルで成長します。日光のスタイルで成長するわけではありません。(306頁)
<ここまで引用>

図書館から余華のエッセー集と小説、そして台湾の現代作家である甘耀明の小説を借りました。読まなければならない本が沢山あるので、読む時間がとれるかどうかはわかりませんが、読んだら感想を書きたいと思っています。

ほんとうの中国の話をしよう
余 華 (著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2012/10/13)
言語: 日本語
ISBN-10: 4309206077
ISBN-13: 978-4309206073

中国では書けない中国の話
余華 (著), 飯塚容 (翻訳)
出版社: 河出書房新社 (2017/8/22)
ISBN-10: 4309207324
ISBN-13: 978-4309207322

活きる
余 華 (著, 原著), 飯塚 容 (翻訳)
出版社: 角川書店 (2002/03)
ISBN-10: 4047914118
ISBN-13: 978-4047914117

神秘列車 (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2015/6/24)
ISBN-10: 4560090408
ISBN-13: 978-4560090404

鬼殺し(上) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090483
ISBN-13: 978-4560090480

鬼殺し(下) (エクス・リブリス)
甘耀明 (著), 白水 紀子 (翻訳)
出版社: 白水社 (2016/12/28)
ISBN-10: 4560090491
ISBN-13: 978-4560090497

|

2018年7月17日 (火)

わあ、嬉しい!

従姉にKindle版の電子書籍をプリントアウトして、送っていました。

葉書で返事が来て、『すみれ色の帽子』の感想が書かれており、嬉しくなりました。読んでくれたんだなあ、としみじみ。

家族や親戚であっても、自作を読んで貰うのは敷居が高いものです。身近な人間だからこそ、勇気が要る部分もあります。

その感想の紹介は記事を改めて。

|

2018年7月 9日 (月)

まだ御礼のメールもしていないのですが。読みたい本だらけ。

まだ御礼のメールもしていないのですが、椿山滋さんが『民主文学 2018年8月号』(日本民主主義文学会、2018年8月)を送ってくださいました。

本格的なブロレタリア系文芸同人誌ですね。神秘主義者のわたしが不用意に読んでいいのだろうかと思ってしまいますが、文学作品はどこに発表されていようと、文学作品として読み、感想があれば書く、というスタンスですので、今拝読しているところです。

前掲誌「支部誌・同人誌評」の冒頭で評者が「『民主文学』本誌に掲載されるのは民主文学的作品(この定義自体が曖昧なのだが)に限定されるという誤解があるが、掲載されるかどうかはジャンルではなく、社会と人間の真実にせまる、その作品の芸術的評価による」(136頁)という第25回全国研究集会での話を伝えておられ、このスタンスには共鳴するところです。

椿山さんの作品は『今夜は鍋にしましょうよ』。

『二年目の春』という正統的なプロレタリア文学作品を興味深く拝読したので(これほど正統的なプロレタリア文学作品の書き手は激減しているのではないでしょうか)、知識不足もあって簡単な感想になると思いますが、椿山さんの作品も記事を改めて感想を書きたいと思っています。

娘が購入したタブッキの本も読みたいし、図書館から借りた10冊の本も読みたい。この中の本についてもちょっと書いておきたいことがあります。三田文學に掲載されていた対談で興味を持った中国人作家の本についてです。この中国人作家はプロレタリア系の人ではなく、自由主義的な思想の人のようです。

トルストイ『戦争と平和』のエッセーの続きを書き、萬子媛に関する鹿島市民図書館の学芸員に取材したメモをまとめ、萬子媛の小説第二稿のプロット作りに本格的に取り組まなければならないのですが、できるでしょうか。

|

2018年7月 5日 (木)

悪質な自費出版系ビジネスと、餌食になりかけた従姉の児童書に対する失望感

東京在住の従姉から、相談の電話がかかってきました。従姉といっても、年が離れていて、彼女はしっかり高齢の域です。

従姉の四十代の息子さん――わたしからすれば従甥――が絵心のある知人の女性と組んで、絵本を作り、それを新聞の広告で見た賞に応募したというのです。従姉の声は明るく、弾んでいました。

息子さんが趣味でイラストを描いているという話を聞いたことはありましたが、童話を書くと聞いたことはなかったので、ビギナーズラックだろうかと多才さに呆れる思いで、「わあ、すごいじゃない。入賞したのね」というと、「ううん、そういうわけではないんだけれど、それがねNちゃん……」と従姉が話し出したので、悪い予感がしたところ、案の定でした。

悪質な自費出版ビジネスのまさに餌食となる寸前のところで、運よく、彼女はわたしに電話をかけてきたのでした。

以前、2人――1人は大学時代の女友達、もう1人は別の大学時代の女友達の兄君――がわたしの周辺で、餌食になっていました。それを知ったのは、餌食になった後でした。

息子さんは絵本、女友達も絵本、兄君は美術評論です。

息子さんは、落選した作品の感想を聞きたいと思って、賞を開催した出版社に電話をかけたとか。

このことだけでも、一般的な賞ではありえない展開です。「応募要項、選考過程に関する問い合わせには応じない」と明記されているのが普通だからです。

従姉もその息子さんも、上品な人たちです。主催者側から何の働きかけもないのに、自分のほうから積極的に――あるいは厚かましく――電話して落選理由を聞くなど、ちょっと考えられません。

問題の出版社のオフィシャルサイトへ行き、賞の募集要項を見ると、前掲の記述があるではありませんか。

しかし、その次の箇所に、応募者には有料出版の提案をさせていただく場合があると明記されています。

もう一度従姉に尋ねなければ詳細はわかりませんが、落選通知に応募者側から電話をかけたくなるような何かが書かれていたのではないかと憶測したくなります。

息子さんは出版社へ出かけて行き(おそらく交通費は自費でしょうね)、2時間話したということです。

出版社側は息子さんの才能を称賛し、将来的な成功を匂わせたようです。

そして、出版社からの提案は1,000部の自費出版、それにかかる費用は出血大サービス(?)で170万円とのことです。

全く、人を馬鹿にした話ではありませんか。それほど見どころのある優れた作品であれば、なぜ受賞対象とならなかったのでしょうか。そんなお宝の持主の許へ、なぜ編集者は自ら馳せ参じないのでしょうか。

大金を奪われることになるかもしれない危ない話にうぶな一般人がつい釣られてしまいそうになるのは、結婚詐欺と似た手口で、よい気持ちにさせられるからでしょうし、またマルチ商法と似た手口で、投資的な利益を予想――実際には妄想――させられるからでしょう。

文学の世界で――一向に勝ち目のない――現実的な戦いを強いられてきたわたしたち作家の卵は、そんなうまい話が転がっているはずがないことを熟知しています。幸か不幸か、文学界の裏側まで、かなり見透せるだけの神通力を身につけるに至っています。

こんな詐欺まがいの商売がいつまでも、いつまでも通用するのは法的不備に原因があるのでしょうか、文学界の衰退にこそ、その原因を求めるべきでしょうか。

息子さんは障害者や引きこもりのいるクラスを受け持つ高校教師として、寝る時間をも削って18年間奮闘してきたとか。障害を持つ生徒さんを武蔵野美大、多摩美大に合格させ、そのときだけは報われた思いを味わったのだとか。

ところが、学校の考えかたが変わり、息子さんはその方針転換に疑問を覚え、心身の疲労が溜まって、遂に退職、入院してしまいました。

そして療養を経て再就職の準備をしているのだそうですが、その合間に可愛い姪のために童話を書いたのだそうです。おそらく、本当に純粋な気持ちで初創作したのでしょう。

従姉がいうには、その孫――息子さんにとっては姪、わたしにとっては従姪孫――のために書店に本を探しに行くのだけれど、そこに置かれている沢山の児童書に全く感心できないのだそうです。

「もう、本当になぜ、こんな……」と従姉はいいながら絶句するのです。従姉も絵心のある人ですから、書店が安っぽい挿絵のついた三文児童小説に溢れかえって見えたのでしょう。

「まだ、うちの息子の作品のほうがましに思えたのよ」と従姉。従姉が息子さんに応募を勧めたのかもしれません。

息子さんは出版など考えたこともなかったとのことですが、出版社の提案が高額な自費出版であったにも拘わらず、迷いが生じ、わたしに訊いてみてくれないかと従姉にいったのだとか。

出版対象が絵本ですから、よいものであれば、この金額でも高いとはいえないのかもしれません。問題は、息子さんが自分では出版を考えてもいなかったのに、その気にさせられたというこの一点に尽きます。

従姉と息子さんが出版とはこんなものかもしれないと勘違いしている証拠には、この時点では従姉の声には翳りがなく、澄んだ雰囲気を湛えていました。

「チャンスの神は前髪しかない」という諺があります。息子さんは、チャンスの神の前髪を掴むべきかどうかで、迷っていたと思われます。

「そこは悪名高い自費出版系出版社だから、そこから出すのはやめておいたほうがいいと思う。自費出版するとしたら、何社かに見積もりを出して貰って、比較したほうがいいわね」というと、従姉の雰囲気の翳るのが伝わってきました。

弱り目に祟り目というべき出来事ですが、わたしが知り得た問題の出版社の情報を伝えなければ、従姉も息子さんも、挿絵を描いてくれた女性も、現実的な被害を被る可能性があります。

「ネットで検索してみて。作品は、今は大事にとっておいたほうがいいんじゃないかな。再就職が決まって気持ちにゆとりができてから、出版のことは考えても遅いということはないと思うのよ」とわたし。

そういいながら、動悸がしてきました。わたしには心臓弁膜症、不整脈、冠攣縮性狭心症の持病がありますが、案外感情の起伏が不整脈や冠攣縮性狭心症の発作を招くことは少ないのです。

気温の差や疲労が最も影響します。ですが、このところ、暑くなって心臓のポンプ機能が低下気味なのか、足やおなかが腫れぼったく、尿が出にくいという症状があったところへ、大腸がんのステージ3で症状は安定しているという幼馴染みに電話して、相変わらずのホスピス志向と自分勝手な解釈――亡くなった母親が寂しがって呼んでいるという思い込み――を聞かされているときに、ふいに動悸がしてきました。

そのあと胸が苦しくなったのでニトロを舌下し、従姉たちのことを考えてまた動悸がしてきたので、従姉はまだ何か話したそうでしたが、時間がない風を装ってこちらから電話を切りました。

ここ数日でニトロペンの使用量が5錠。ちょっと使いすぎですね。でも、ニトロで心臓が元気になることは確かです。

電話を切る前に、息子さんの作品を読みたいとわたしは従姉におねだりしました。そして、わたしも自作の児童小説を送ることにしました。昔から、わたしを応援してくれる唯一の人がこの従姉なのです。

今日、PDF形式でプリントアウトしたのは、電子書籍にしている作品――すみれ色の帽子、田中さんちにやってきたペガサス、マドレーヌとわたし、ぬけ出した木馬、ぼくが病院で見た夢、卵の正体――です。分厚くなってしまい、レターパックには入りきりません。

『田中さんちにやってきたペガサス』は作曲家志望の父親とその息子を中心にした児童小説ですが、従姉の娘さん――息子さんの妹です――は国立[くにたち]音大(作曲)を出て、音楽教室に勤めています。もし、娘さんが読むと、音楽に無知な、お馬鹿なことを書いているかもしれません。

従姉に送る拙児童小説には、おすすめの児童書についての手紙も添えようと思います。

|

2018年6月30日 (土)

息子の帰省中に作った料理メモとお土産。大根おろしアート?

息子がちょっとだけ帰省したので(午前中から一泊)、作った料理をメモしておこうと思います。山形産――だったかな――サクランボが二パックで1,000円(+税)で出ていました。

日本のサクランボはずいぶん高いイメージだったけれど、安くなりましたね。でも、アメリカンチェリーだと量がこの倍はあるかもと思い、売り場を探して見つけましたが、量的にはむしろ少なく見えました。日本産を購入。

このサクランボを最初に出しました。完熟といってよい状態の上品な甘さで、美味でしたよ。

  • 明太子パスタ
    辛子明太子、酒、しょうゆ、オリーブ油、白胡椒、バター。
    好みで、刻み海苔、小葱、大葉、レモン。
  • 卵焼きの中華風スープ
    鍋で卵焼きを作り、そこへ熱したスープストック(わたしは万能スープの素「味覇(ウェイパァー)」を使います)をカップ5注ぎ、塩と薄口しょうゆ各小さじ1で味を調えます。器に盛り、刻んだ葱を散らします。

お昼ごはんには夫にパスタを茹でて貰って、明太子パスタにしました。

わたしは大きなボールに、明太子、オリーブオイル、酒、しょうゆ、白胡椒、バターを入れておくだけです。好みで各人かけることができるように、小皿に小葱、大葉、レモン、刻み海苔を用意しました。

明太子パスタを息子に作ったのは初めてでした。ミートソース、カルボナーラ、ナポリタンなどは作りましたけれど、スーパーにこしの強いイタリアのパスタを見るようになったのはいつからだったでしょう?

本場イタリア風のパスタが流行り出したのは、息子が大学生になって他県のアパートで一人暮らし始めた後からだったのでしょうね。それ以前は日本製のパスタしか見かけず、ほんの少し茹ですぎただけで、べちゃっとなるので、4人分のパスタを茹でるのが苦痛でした。

パスタの中ではスパゲッティとマカロニしか知らず、パスタという用語もスパゲッティがパスタの一種ということも知りませんでした。息子は明太子パスタを気に入ってくれたようです。

  • ビール
    由布の森ビール」(ビールスタイル:ヴァイツェン/アルコール度数:5/容量:330ml/原材料:麦芽、ホップ、酵母、金箔/製造者名:くじゅう高原開発公社)

    ベルギービール(フルーツビール)「Liefmans リーフマンス」(品目:発泡酒/アルコール度数:3.8/容量:250ml/原材料:ホップ、さくらんぼ、フルーツジュース〈ストロベリー、ラズベリー、チェリー、ブルーベリー、エルダーベリー〉、香料、糖類、酵母、甘味料〈アセスルファムK〉/醸造所名:Brouwerij Liefmanst リーフマンス醸造所/原産国:ベルギー/輸入者:小西酒造)

    ベルギービール「Duvel デュベル」(ビールスタイル:ストロング・ゴールデン・エール/アルコール度数:8.5/容量:330ml/原材料:麦芽、ホップ、糖類、酵母/製造所名:Duvel Moortgat デュベル・モルトガット/原産国:ベルギー/輸入者:小西酒造)
  • サラダ
    サニーレタス
    ロマネスコ
    とうもろこし(皮を剥いだトウモロコシ2本に塩をまぶしてラップでくるみ、600wの電子レンジで5分。粗熱がとれたら各3等分)
    プチトマト
    ブロッコリースプラウト
    赤パプリカ
    チーズ
    チキン(脇雅世先生レシピ「チキンのパリパリ焼き」→レシピはここ
  • アボカドスープ
    アボカド、牛乳、はつみつ(黒胡椒をばらっと振るのを忘れました)
    よく作りますが、洒落ていて、栄養価が高く、デザートといってもいい一品なので、重宝します。 
  • メインディッシュのクリスピーカツレツ
    トンカツを作る要領で下ごしらえをし(叩いて筋切りをした豚ロース厚切りに塩胡椒し、小麦粉、とき卵、粉チーズを混ぜたパン粉をつけ、サラダ油を均一にかける)、魚焼きグリルで焼きます。これ、とっても美味しいだけでなく、余分な脂が下に落ちるのでヘルシー感がありますよ。

    2018630k_2

  • ごはん
    カリカリちりめんじゃ

    カリカリちりめんじゃこ(50gのちりめんじゃこをフライパンできつね色になるまで炒め、小さじ1のしょうゆを回しかけて混ぜます。
    白菜漬、ふりかけ

お酒は、休日に晩酌する夫が一番飲みます。友人達と飲むが、一人では飲まない息子。会社の友人達とカラオケ、食事のときに少し飲む娘。神秘主義者のわたしは正月の屠蘇、クリスマスのワイン、息子が帰省したときにほんの少し飲む程度。

暑いのでワインではなく(それに、息子はワインがあまり好きではないとか)、ビールを買うことにしましたが、息子と縁のある国、ベルギーのビールを二種類と、この県のビールを一種類買うことにしました。

どれも好評でした。わたしはフルーツビール「リーフマンス」を飲んでみました。ワインというよりもジュースで割ったようなビールでしたが、ジュースや甘口ワインのべたつく感じは全くなくてとても飲みやすく(アルコール度数も低い)、後味にはビールの性格が好ましく出てほろ苦さが口に残ります。

さっぱりとしていて、フルーティーで、飲みやすい、女性におすすめのフルーツビールです。とても気に入りました。

2018630b

息子のお土産「たこいかせんべい から揚」(タカギエンタープライズTK 越前海鮮倶楽部)と虎屋の羊羹「おもかげ」を背景に、ビール――空瓶ですけれど――を撮りました。

「たこいかせんべい から揚げ」は、食べ出したらとまりません。

海鮮煎餅専門店 越前海鮮倶楽部|公式通販サイト
http://www.senbei.biz/

虎屋という名前は知っていましたが、室町時代の創業というのは知りませんでした。オフィシャルサイトの「とらやの歴史」を閲覧すると、興味深いものがあります。

とらやの和菓子|株式会社 虎屋
https://www.toraya-group.co.jp/

羊羹「おもかげ」は黒砂糖風味とあります。味わうのはこれからなので、楽しみです。

翌日の朝、息子は9時前に家を出ました。他県での学会は午後からだそうで、充分間に合うとか。朝は軽めがいいとのことで、ごはんにちょっとずつのおかず。

2018630d

最近は、焼き魚に添える大根おろしを猫の形に整えるのが流行っているようですが、知りませんでした。たまたまそういうのが出てきたのでググったら、かわゆい猫の大根おろしが沢山出てきて、びっくり。

猫だけでなく、スヌーピー大根おろしとか、アルパカ大根おろしとか、カエル大根おろし……と様々出てきます。大根おろしアートというそうですね。ここで紹介されている大根おろしアート作品は凄い。→ここ

わたしもそのうち、猫の大根おろし、作ってみようかな。

2018630n

20180629090756_c

2018629_3

味噌汁の実は絹豆腐とオクラ。オクラがポリ袋に沢山入って安かったので、オクラ好きのわたしは迷わずゲット。生のまま刻んでも、炒めても、揚げても、味噌汁に入れても美味しいオクラ。

サラダはグリーンボール、スモークチキン、オリーヴの実、キーウイ。

出し巻き卵も作りたくなり、アッと思い出しました。電気コンロの劣化のためIHクッキングヒーターに取り替えてから快適に料理できていますが、材質によりいくつか使えない調理器具が出てきて、その一つが長方形の玉子焼き器だったのですね。

買い替えがまだで、円いフライパンでも作れますが、やめておきました。あれこれ作りすぎると、重い朝食になって眠くなったらいけませんしね。

息子は、焼き魚に添えた大根おろしとか、焼き茄子に添えたおろし生姜などが嬉しい、一人暮らしでは自炊したとしても面倒だからといいました。

こうしたものは貴重な日本の文化ですね。結婚したとしても、共働きが当たり前になり、家にいる人間が少なくなると、日常的な生活の知恵や季節の行事、美意識や社会観を形成するような様々な習慣、その中には遊戯や昔話なども勿論含まれるでしょうが、文化の継承ができるのだろうかと心配になります。

大根おろしアートは楽しいけれど、こうした流れの中では何か物悲しくなるものがあったりもします。

息子は晴れ男なのか、予報で雨の降る確率が高そうだった息子の滞在中は天気がよく、息子が家を出たら、天気が崩れて雨になりました。

息子は、秋にまたヨーロッパ出張があります。今度は東欧だそうで、わたしはその国の作家の作品が頭に浮かんだりしました。実際に行けば、どんなだろうと想像したりします。息子が行くのは観光地としても有名なところですが、今は世界情勢が不安定なので、どこへ行くと聞いても心配になります。国内にいてさえ、不穏な事件や自然災害などで、もはや安全だと安心できるところはないような気もしますけれど。

|

2018年6月16日 (土)

ここ数日……幼馴染みのことで

ここ数日、直腸がんを患っている幼馴染みのYちゃんのことで頭がいっぱいになり、葛藤が起きて何も手につかず、インターポットのビンゴばかりしていたら、50位内にランキング入りしてしまった。神秘主義者にあるまじき……

彼女に電話をかけたとき、留守電になっていたので、大腸がんの名医のいる久留米大病院で手術を受けているとばかり思っていた。彼女はパソコンも携帯電話もしないので、わたしからは連絡がとりにくい。

しばらくしてかかってきた彼女からの電話では、京都時代(彼女は、京都生まれの男性と結婚して京都に住んでいた時期があった。その後、離婚した)の友人の伝[つて]で、京大病院でセカンドオピニオンを受けていたという。

セカンドオピニオンの結果は、最初の見立てと同じステージ3――直腸がんのステージは4まで――だそうだが、人工肛門になるとの説明だったとのこと。

セカンドオピニオンを受けた医師の名を訊いてググったら、大腸がんの名医とあった。セカンドオピニオンの後で、その名医から治療を受けたのかと思いきや、そのつもりはなかったそうで、退院、帰宅後に三軒ほどのホスピスの面接・診察を予約したのだという。

そのうちの一軒では、既に面接と診察を終えたのだそうだ。わたしは心底がっかりした。

彼女は10年ほど前に、顔面神経痛で九大病院に入院した。そのとき、同室に直腸がんの若い患者がいて、尿に便が混じり、泣いていたという。手術前だったのか、手術の失敗でそうなったのか、詳しいことはわからないそうだが、彼女は手術の失敗だと思っていたそうだ。

そんな思いをするより、緩和ケアだけで尊厳ある最期を迎えたいと幼馴染みはいう。

わたしは彼女との連絡がとれない間に、かなりの数の専門サイトと患者のブログを閲覧していた。

その中の患者ブログの一つに、治療を放置したらどうなるか医師に尋ねたら、腫瘍が腸管を突き破って尿から便が出たり、肛門から尿が出たり、また排便がめちゃくちゃになる――と答えが返ってきたとあった。

10年前に幼馴染が同室になった女性に起きた出来事が手術前のことだったのか、後だったのかは判然としないにせよ、放置すれば、そうなることがあるようだ。

尿に便がまじるなど、悶絶する痛みだろう。膀胱炎や結石ですら、わたしは泣きたくなるのに、恐ろしい。

セカンドオピニオンでも、ホスピスでの検査でも、最初に受けた検査のときから悪くなってはいないといわれたそうだ。手術すれば、根治できる可能性があるといわれたとも彼女はいっていた。

いずれホスピスに行くとしても、尿に便が混じるようなリスクを避けるために、手術を受けてからにしてはどうかとわたしはいった。それに、それに、うまくいけば根治できるかもしれないではないか。

大腸がんは消化器のがんの中で一番治りやすく、手術で病巣をとりきれれば、治癒率は75パーセントを超えていると専門サイトにあった。手術前か後に尿に便がまじって泣いていた女性を幼馴染みが見たのは、10年も前の話だ。

永久人工肛門になったとしても、内田春菊さんのように明るく、前向きに生きている人がいる。人工肛門をつけた写真が公開されている記事を見たが、おヘソにはピアス、その横にお洒落にさえ見える人工肛門が装着されていた。⇒ここ

しかし、幼馴染みは死に際を美しく飾ることにしか、関心が向いていない。

現時点では痛くも痒くもないことが、積極的な治療への嫌悪感を誘うのかもしれない。彼女のお母様がホスピスであまり苦しまない最期を迎えたことも、ホスピスへの評価が高まる理由だろう。

ただ、お母様は高齢だった。弱っていた。がんの種類が違う。幼馴染みはまだ間もなく還暦を迎えるという年齢であり、がんはあっても、他はどこも悪くないという。

そんなに体力のある体で、治療さえしなければ、苦しまずに死ねると思うほうが変だとわたしは思ってしまう。逆の見方をすれば、現時点での彼女には大変な治療に耐える体力があるということだ。

手術をすれば必ず失敗すると悲観的な一方では、手術しなくても尿に便が混じる事態になることは絶対になく安らかに死ねると楽観的であり、物事の見方にバランスがとれていない。幼馴染のそのバランスのとれない希望的観測がわたしには不安だ。

「わたしには家族がいないから」とも幼馴染みはいう。「元気になって、一緒に遊ぼうよって、いっているじゃない。わたしは準家族にもなれないの?」といったが、こんな風にいわれてしまった。「いくら友人だからといって、本人の考えを尊重せずに、自分の考えを押し付けるのはどうかと思う」

他の友人たちは皆、彼女の考えに敬意を払い、励ましてくれるそうだ。天涯孤独のようなことをいっていたけれど、友人は多いようだ。わたしは二軍かな。押しつけがましくて、上品になれないで、悪うございました。

「その人達は、皆、直腸がんのことに詳しいの?」と訊くと、「あまり詳しくないと思う。大腸がんに種類があるのも知らないみたい」と、彼女は軽く笑いながらいった。

「どうして、そんなに早く死にたいのよ?」と訊くと、「一度は死ななくてはならないから。これをいい機会だと思って、今済ませられるのならば、今済ませたい」と彼女。

「お母様がYちゃんにマンションや、80歳まで楽に暮らせるくらいのお金を残してくださったのは、早く死ぬためなの?」といい、わたしはわたしの母と一緒に電話局へと出かけていく幼馴染みのお母様を、彼女と窓から眺めていた子供のころのことを思い出していた。

「わたしたちは、自分に欠乏しているものを映し出す鏡よ。Yちゃんには家族がいない。わたしにはお金がない。そのために、もう一つ幸福ではない。わたしはがんになんかなったら、今あるお金でどこまで治療できるだろうとまず考えざるをえないのよ。治療できるお金が潤沢にあるということは、とても恵まれたことでしょ。それは、治療しなさいということではないかとわたしは思う。それに、わたしはYちゃんとこうして話すだけでも幸福な気分になれるのだけれど、Yちゃんはそうじゃないのね」といったが、返事がなかった。じっと聴いてくれているのはわかった。

一昨年会って、話したり書いたりする能力をなくしていっているとしか思えなかった中学校時代からの友人二人の話をすると、まだ若いのに? と幼馴染みは驚いた。

「昔のお年寄りみたいに、親や子供がいくつになったかとか、今どこにいるかとか、そんなことばかり訊いてきて、そこから話が何も展開しないのよ。仕事をしていたり、結婚もしているのに。御主人との会話がほとんどないんだって。その癖、変な意地悪はしてくるのよ。Yちゃんは本を読むの?」と訊くと、本は大好きなのだそうだ。やはり読書は頭の老化を防いでくれるようだ。

また、特定の宗教には関心がないそうだが、ブッダの話などは好きだという。「死ぬ前にはNちゃんに会いたい」と彼女。

「会いたければ、あなたのほうから来て。わたしは小説を書かなきゃならないから、忙しいのよ」とわたしはやや突き放したようにいった。そして、「今体調が悪くなくて、本好きなら、何か送るから、気が向いたら読んで。嫌なら、読まなければいいだけの話」とつけ加えた。

じっと死ぬのを待っている人なんて、わたしは見るに耐えられない。そんな人に、会いたいくない。たとえ、幼馴染みでも。

調べているうちに、萬子媛が断食入定なさったのかどうかははっきりしなくなったが、仮にそうなさったとして、その死を待つありかたは、幼馴染みとは対照的だったろう。

何にせよ、江戸時代の半ばごろに亡くなった萬子媛が、あの世でボランティア集団を率いて今も神社という神域で活動なさっていることは間違いない。あの世からこの世へ、毎日出勤なさっているのだ。凡人、否、凡霊にはそのようなことはできない。

わたしは内田春菊さんの記事と、昔書いたわたしの手記「枕許からのレポート」及び萬子媛のエッセーをコピーして送った。萬子媛のエッセーは、改めて読み返すと、説明不足でわかりにくかったり、表現がおかしかったりするところが見つかった。

自身の神秘主義的な側面を幼馴染みに話したことはなかったので、驚くかもしれない。読んでくれればの話だが。彼女の周囲には幸い複数の――彼女の意思を尊重し、励ましてくれる、名医に伝もある――友人達がいるようだから、もうこちらから連絡することはないだろう。わたしには、末期でもないのにホスピスを志向する幼馴染みを受け入れることができないのだ。

|

2018年5月17日 (木)

西城秀樹の死。幼馴染の病気を考える今、役立っている男友達の病気情報

西城秀樹が亡くなったとのニュースに、ショック。高校時代にファンだったのです。中学時代に大好きになって、自殺後も忘れられない田宮二郎ほどではなかったけれど。

西城秀樹の楽曲の中では、初期のころの「恋の約束」が一番好きです。

秀樹は過去に二度、脳梗塞になり、そして昨日亡くなったようです。脳梗塞後、リハビリに励む様子が伝えられ、前向きで何事にも全身全霊で立ち向かう秀樹らしいその姿が素敵でした。

秀樹の脳梗塞は、脳梗塞の中でも半数近くを占め、日本では最も多いというラクナ梗塞というものだったそうです。原因は高血圧。

冠攣縮性狭心症と心臓弁膜症があり、心房細動を抗不整脈剤サンリズムで予防しているわたしには脳梗塞のリスクは常にあるはずで、他人事ではないと思えます。

そういえば、先週の土曜日に循環器クリニックを受診していながら、記録しそびれています。大して書くことがなかったとしても、思いがけない記述があとで役に立つことがあるので、書いておかなくては。

紙に書く日記だと続いた試しがありませんでしたが(文学のことは精力的に書いても……)、ブログに書くようになってからは続いています。同じ病気のかたには参考になることもあるかと思っています。ジェネリック関係の記事にはアクセスが多いです。

話は変わりますが、わたしは大腸がん――直腸がん――になった幼馴染みからの精密検査の報告を待っていました。「わたしのほうから連絡するから」と彼女がいったので。

それが、なかなか連絡がないので、日曜日にこちらから電話をかけてみました。以下は、幼馴染のことを書いた過去記事です。

2018年4月21日 (土)
散歩中にワタメを弔う(リヴリーアイランド)。幼馴染のこと(その2)。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/04/post-d9cc.html

電話をかけるなら、病院の外来がお休みの日のほうがいいと思いました。平日だと、病院に出かけている可能性があります。でも、お休みの日だと、彼女を心配する他の友人が来ていたりするかもしれないので、電話するにも躊躇するものがありました。

でも、気になって、気になって、かけてみました。

幸い、彼女がすぐに電話に出ました。今電話で話すことに差し支えはないとのことで、ホッとしながら尋ねました。

「結果報告を待っていたのよ、どうだったの? それから、お菓子ありがとう。この間電話を切るときに御礼がどうのといっていたから、そんなのいらないっていったのに。こちらからお見舞いしなきゃならないところなのに。でもありがとう、物凄くおいしかった。大好きなアンリ・シャンパンティエのに似ていると思ってググったら、同じ会社のものだったのね」

結果報告を聞きたいけれど、聞きたくない気持ちから、早口でまくし立ててしまいました。がんなんかの話ではなく、別の楽しい話ができたらどんなにいいかと思いましたが、現実的にならなくてはと自身を叱咤しつつ自分が宣告を受ける気持ちになりました。

「Nちゃんに、これ以上迷惑をかけるのが悪いと思って。病気のことなんて、自分か自分の家族がそうなって初めて、知りたいと思うものよね」と彼女。

「そりゃそうね。病気のことなんて、まっぴらよね。現実的な対応のために、渋々知ろうとするわね。でも、Yちゃんは家族ではないけれど、幼馴染だし、何にしても、もう遅いよ。知ってしまったんだから」とわたし。

こう明け透けにいえば非難されそうですが、本当に、迷惑な話だともいえます。疎遠だった人に限って、鼻息荒く近づいてきて、自分が末期がんだとか、他の重い話を突きつけてきます。こういった人々は、こちらから求めているときにはなぜか音信不通であることが多いのです。

友情とは名ばかりで、単にわたしを使えると思っている人々なのでしょう。彼らの相手をするのであれば、その前に、ボランティアをするつもりかどうか自分に尋ねてみる必要があります。

でも、幼馴染みの場合はこういった人々とはやはり違う。

子供のころは共に電話交換手の母親を持つ鍵っ子として――うちの場合は外国航路の船員の父も留守がちだったので、家政婦さんに来て貰っていたため、正確にいえばわたしと妹は時々鍵っ子でした――姉妹のように育ち、高校、大学が別だったために疎遠になったとはいっても、互いに年賀状を欠かしたことはありませんでした。

それに、彼女には自分の行動が他人に与える影響を洞察しようとする知性と優しさがあります。重い話をするときも、科学とか文学とかのテーマであるかのように、真摯に、興味深そうに話すので、思わず引き込まれるものがありました。そして、「結果は……震度3……」などと、うっかりいってしまうユニークなところがあります。

わたしは、自分のいい間違いに気づいた彼女と一緒に思わず笑ってしまいました。

「ああ、よかった。4ではなかったのね。3だとすると、開腹手術? 人工肛門つけることになるの?」とわたしは尋ねました。残念ながらリンパ節にも転移が見られ、遠隔転移はなそさうだけれど、正確なところは開けてみなければわからないとのこと。

人工肛門にはならずに済むぎりぎりのところだそうで、ただしこれも手術中の判断で人工肛門になる可能性もあるとのことでした。

以前、わたしは大腸がんのことに無知でした。が、夫が虫垂炎から盛り上がった無害の肉芽を腫瘍と間違えられ、13年ほど前にそのころ住んでいた大分県日田市から近いK大学病院で摘出手術を受けました。

大腸がん、それも深刻な事態かもしれないといわれ、娘が就活の真っ最中で金銭的にも気持ち的にも余裕のない中、どうしようと思い悩みました。

幸い、腹腔鏡下で手術してみると、悪性腫瘍ではなく、良性腫瘍ですらなくて、虫垂炎の炎症に反応してできた健気な肉芽でした。

結果的には虫垂炎の手術となったわけでしたが、最初に受診した胃腸科クリニックの先生が名医ランキング入りするような有名な先生に紹介してくださって、当時は田舎ではまだ珍しかった腹腔鏡手術を受けることができました。

摘出された肉芽は、標本になってからもどんどん縮んでいったそうで、見せていただいたときは小さく萎んでいました。

でも、このケースは誤診だったともいえるわけで、精密検査のために虫垂炎の手術が遅れて腹膜炎にでもなっていたら大変なところでした。有名な先生にお任せしているからといって、安心しきるのはいけませんね。

そのとき、同室に直腸がんのご老人がいらして、人工肛門を外す手術を受けるための入院だと聞きました。食欲旺盛で、元気いっぱいのご老人でした。このとき、直腸がんのことにいくらか詳しくなりました。

さらには、大学時代の男友達が2014年にステージⅣ(5年生存率18%弱)の直腸がんになりました。互いに結婚式には出席し合いましたが、年賀状の返事はあったりなかったりで、疎遠になっていました。

男友達は愚痴の聴き役を欲していたようで、2016年までメール交換しました。彼には恩がありました。わたしが大学を卒業しようとするころ、腎不全から脳浮腫が起きて倒れた母に付き添ってたときに―――就職がふいになりました――、見舞いに来て励まして貰ったという恩があったのです。

友情半分、ボランティア半分でメールの相手をしていたものの、受け止めるのがもう重くて、悲鳴を上げていました。誰だって、自分に無関係な病気の話を洪水のように聞かされれば悲鳴を上げるでしょうよ。

わたしは彼の話の一方的な受け皿にすぎないと思えましたし、いくら友情――とボランティア――から出たメール交換とはいえ、奥様がこうしたメール交換を御存じかどうか、御存じだとしたら快く思われているどうかに疑問がありました。

互いに結婚している身であることを考え、互いの配偶者への配慮からメールを遠慮しようとわたしのほうから提案しました。同時に、ブログの開設を勧めました。同じ患者同士コメントを書き合い、励まし合ったり、情報交換したりできる闘病ブログは有意義です。

彼の闘病ブログは――写真などあって――生々しすぎたので、そのうち花の写真など載せたいと彼がいったことに期待して、記事数が増えたら彼の許可をとって当ブログで紹介させていただくつもりでした。わたしのブログの訪問者は第一に料理、第二に文学、第三に神秘主義、第四に心臓の話題を好まれるので、バランスを考えて、時期を見ることにしたのでした。

でも、彼はこのようなわたしの提案とやりかたに、たぶん怒ったのでしょう。安否確認くらいに今後は留めましょう、というわたしの提案はふいになり、その後の安否は不明です。メール交換をやめた時点では、がんは再発していず、かなりハードな仕事もしていました。

亡くなったという感じを受けたことはありません。ただ、これまでにわたしに別れの挨拶に見えたのは、夫の叔父さんを除けば、生前に宗教はバラバラですが、生と死を一つのものと捉え、霊的なことに関心を持っていた人々です。

お一人は神智学、お一人は浄土真宗、お一人はキリスト教(カトリック)に生前心を寄せておられ、各人がその方面の知識を豊富にお持ちでした。このようないいかたは語弊があるかもしれませんが、霊的に通の方々でしたので、その存在感も並みではなく、ひよっ子の神秘主義者にすぎないわたしにも察知しやすかったのではないかと考えています。

男友達が独自の信仰なり、神秘主義的な考えなりを持っていたのかどうか、わたしは知りません。でも持っていたとしたら、気づいたでしょう。だとすると、仮に彼がわたしに別れの挨拶に見えたとしても、気づくことができない可能性は大です。

メール交換していたときは、正直いって、直腸だの人工肛門だの、手術、抗癌剤治療といった話にもう溺れてしまいそうで、辟易していました。なぜわたしがこんな聞き役を務めなければならないのかと怒りさえ湧いたほどでした。

ですが、彼のメールやブログでの経過報告が貴重な情報となって今、とても役立っています。感謝しています。

幼馴染みの報告にも悲鳴を上げましたが、男友達の教育(?)のお陰か、ある意味で幼馴染み本人より大腸がんについて部分的に詳しくなっている自分に気づきました。

彼女は、精密検査を受けたがん専門病院の先生との相性が悪く、積極的な治療は受けないことにした、ホスピスの面接を受けたというのです。

尤も、ホスピスには今の時点では入れず、もう一軒病院を回って治療を受けることを勧められたとか。彼女と相性の悪いがん専門病院の先生はセカンドオピニオンには協力してくれるそうですが、もし積極的な治療を受けたくないというのであれば、経過観察と痛みの緩和を目的とした通院も可能ではあるということでした。

幼馴染みは離婚後、長いことお母様との二人暮らしで、パソコンも携帯電話もやりません。そのせいで、かんに対するイメージが旧体然としているように思えました。10年ほど前から人はがんでは容易に死ななくなった気がする、とわたしはいいました。勿論、亡くなる人も多いでしょうが、かん治療の進歩には著しいものがあるのではないでしょうか。

わたしは、ステージ4で手術を受けて頑張っている男友達の話をしました。幼馴染は勇気を貰ったようです。

彼女はセカンドオピニオンを受けることにしたようで、二つの大学病院を考えています。そのうちの一つは夫が虫垂と肉芽の摘出手術を受け、男友達ががん治療を受けていた病院で、こちらのほうがむしろ交通の便がいいくらいとのことで、こちらに行くことになるのかもしれません。

わたしはまた彼女の連絡を待つだけです。自分のほうから連絡してくれるでしょうか?

|

2018年4月21日 (土)

マリモが出てきました!

夫が、変な顔をしていうのです。「出てきた……」

「何が?」と訊くと、「マリモが」と夫。

2018年4月20日 (金)
ひどいじゃない、マリモが……
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/04/post-6d1d.html

夫がわたしに無断で、わたしが14年飼ってきた4個のマリモのうち1個を、熱帯魚の水槽に入れたのです。

数時間見ていても熱帯魚の住人たちはマリモに何の関心も示さなかったので、夫はそのままでも大丈夫だと思い、壜に戻さずに出勤したのだとか。帰宅後に見たとき、マリモは消え失せていました(そう見えました)。

それが何と、昨夜2人でいくら見てもなかったマリモが、水換えしているときにふと見たら、最初に置いた位置にあったというのです。

既に、夫はマリモを壜に戻していました。前の記事を書いた後、何だか疲れたので、わたしは仮眠をとっていました。夫は声をかけたらしいのですが、わたしが起きなかったので、壜に戻したとか。

水流で、わたしたちが探さなかった水草の中に転がっていたのが、また水流で元の位置に戻ったとしか考えられません。

いや、もしかしたら、コリドラスが毬代わりにしていたのかもしれませんね。不思議です、何にしても。あれほど見たのに。

でも、マリモが熱帯魚の水槽にいた証拠には、マリモの壜が生臭いのです。「お帰り、水槽の旅はどうだった?」とわたしはマリモに話しかけました。

代わりのマリモを買うようにと、夫が2,000円のアマゾンギフト券を午前中に買ってきてくれていました。代わりのものを買う気になれなかったので、まだ注文していませんでした。

ギフト券は夫に返しました。「反省しています」と夫。「二度としないでよ」とわたしは念を押しました。

|

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Livly | Notes:アストリッド・リンドグレーン | Notes:アントニオ・タブッキ | Notes:グノーシス・原始キリスト教・異端カタリ派 | Notes:不思議な接着剤 | Notes:卑弥呼 | Notes:国会中継 | Notes:夏目漱石 | Notes:江戸初期五景1(萬子ひめ) | Notes:江戸初期五景2(天海・崇伝) | Notes:源氏物語 | Notes:百年文庫(ポプラ社) | Theosophy(神智学) | top page | ◆マダムNの電子書籍一覧 | ◇高校生の読書感想文におすすめの本 | ★シネマ・インデックス | ★マダムNの文芸作品一覧 | ★当サイトで紹介した作家、思想家一覧 | ☆☆紹介記事 | ☆マダムNのサイト総合案内 | ☆メールフォーム | おすすめKindle本 | おすすめYouTube | おすすめサイト | お出かけ | お知らせ | ぬいぐるみ・人形 | やきもの | よみさんの3D作品 | アクセス解析 | アニメ・コミック | アバター | イベント・行事 | イングリット・フジコ・ヘミング | ウェブログ・ココログ関連 | ウォーキング | エッセー「バルザックと神秘主義と現代」 | エッセー「卑弥呼をめぐる私的考察」 | エッセー「宇佐神宮にて」 | エッセー「文学賞落選、夢の中のプードル」 | エッセー「映画『ヒトラー最期の12日間』を観て」 | エッセー「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」 | エッセー「百年前の子供たち」 | エッセー「精神安定剤」の思い出」 | エッセー「自己流の危険な断食の思い出」 | オペラ・バレエ・コンサート | オルハン・パムク | カリール・ジブラン(カーリル・ギブラン) | ガブリエラ・ミストラル | クッキング | グルメ | コラム「新聞記事『少女漫画の過激な性表現は問題?』について」 | シネマ | シモーヌ・ヴェイユ | ショッピング | テレビ | ニュース | ハウツー「読書のコツを少しだけ伝授します」 | バルザック | パソコン・インターネット | マダムNのYouTube | マダムNの他サイト情報 | マリア・テレジア | メモ帳Ⅰ | メモ帳Ⅱ | ライナー・マリア・リルケ | 俳句 | 健康 №1(治療中の疾患と服用中の薬) | 健康 №2(体調)  | 健康 №3(受診) | 健康 №4(入院) | 健康 №5(お役立ち情報etc) | 健康 №6(ダイエット) | 健康 №7(ジェネリック問題) | 健康 №8(日記から拾った過去の健康に関する記録) | 健康№8(携帯型心電計) | 児童文学 | 児童文学作品「すみれ色の帽子」 | 写真集「秋芳洞」 | 創作関連(賞応募、同人誌etc) | 占星術・タロット | 友人の詩/行織沢子小詩集 | 地域 | | 夫の定年 | 季節 | 家庭での出来事 | 山岸凉子 | 思想 | 恩田陸の怪しい手法オマージュ | 息子の就活 | 息子関連 | 手記「枕許からのレポート」 | 文化・芸術 | 文学 №1(総合・研究)  | 文学 №2(自作関連) | 日記・コラム・つぶやき | 時事・世相 | 書籍・雑誌 | 未来予知・予測(未来人2062氏、JJ氏…) | 村上春樹 | 村上春樹現象の深層 | 東京旅行2012年 | 植物あるいは動物 | 検索ワードに反応してみました | 歴史 | 瀕死の児童文学界 | 父の問題 | 珈琲 | 神戸旅行2015 | 神秘主義 | 福島第一原発関連 | 科学 | 経済・政治・国際 | 美術 | 能楽 | 自作小説「あけぼの―邪馬台国物語―」 | 自作短編童話「風の女王」 | 自作童話「不思議な接着剤」 | 芥川賞・三田文學新人賞・織田作之助青春賞 | 萬子媛 - 祐徳稲荷神社 | 薔薇に寄せて☆リルケの詩篇『薔薇』のご紹介 | 評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』 | 評論・文学論 | | 連載小説「地味な人」 | 電子書籍 | 音楽