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2019年10月 3日 (木)

あらすじ、できました。新作能を読んだ感想。

昨日、萬子媛のイメージ像をシテ(主人公)とした新作能(三番目物)のおおまかなあらすじができた。そのノートは、次の記事にアップする。

何しろ、能を観たのは3回だけで、あとはテレビでの鑑賞、謡曲集の読書くらい。それで、新作能を書こうというのだから、無知とは怖ろしいものだ。あらすじができたあとで、せっせと勉強することなる。その勉強によって、あらすじ自体が変わる可能性はある。

母がお謡を習っていたのに、無関心で、からかっていただけだったことが悔やまれる。母が生きていたら、教わることも多かっただろうにと思う。

当市には能楽堂があり、3回観た舞台のうち1回はこの能楽堂で観たものだ。

舞台を観なくてはと思う。ホームページを観たが、今年中にはそれらしいものがない。何にせよ、ここの能楽堂と福岡の大濠公園能楽堂の催事情報はこまめにチェックする必要がある。能鑑賞貯金もしなくては。その貯金箱の一つを、一昨日夫がうっかり割ってしまったわ (T^T) 

石牟礼道子『石牟礼道子全集 不知火 第16巻』(藤原書店、2013)の中のエッセイで、石牟礼氏の「台本を書くまでにお能といえば二度しか見たことがありませんでした」(75頁)という記述に救われる思いがした。

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  • 瀬戸内寂聴の新作能 虵 夢浮橋
  • 石牟礼道子全集・不知火 第16巻 〔新作 能・狂言・歌謡ほか〕 (石牟礼道子全集・不知火(全17巻・別巻一))
  • 多田富雄新作能全集

以上の本のうち、読んだ作品の感想を書いておこう。

瀬戸内寂聴「虵」

鎌倉時代前期の仏教説話集、鴨長明編『発心集』の中の説話「母、女[むすめ]を妬[ねた]み、手の指虵[くちなは]に成る事」を基にした新作能である。

「発心集」の説話を紹介すると、娘のある女が年下の男と結婚し、老いの不安から娘と男を強いて夫婦にしたまではよかったが、女は一室でのどかに隠居するどころか、嫉妬のあまり両手の親指がくちなわになってしまうという話。

惑乱した娘は尼に、男は法師に、女も尼になる。それでようやく女の指は元の指になり、後には京で乞食になったという。

両手の親指がくちなわになるというグロテスクさ。娘も男も女のいいなりで、狂言回しに使われているだけだ。

女が後に乞食になったとあるのは、どういうことだろう? 

女が尼になったのは怪奇現象を起こした指を元に戻すことだけが目的で、純粋な信仰心などはなく、目的達成後に尼をやめたということなのか。

尼であれば托鉢であって、乞食とはいうまい。それとも、この「乞食」とは仏教用語「こつじき」、すなわち托鉢のことなのだろうか。こつじきが転じて物乞いする行為「乞食」となった。

尼としての矜持を感じさせる暮らしであれば、いずれにせよ、その部分だけが強調されることはないだろう。

俗人が俗欲に終始した、実も花もないお話。

瀬戸内氏は、男を仏師にすることで、作品の俗っぽさを一層強めている。能の形式上、男と女は成仏した格好だが、成仏はしていまい。

それが小説「虵」になると、表現がリアルであるだけにいよいよ救いがたい結末となっている。尼となった女が老い、見世物小屋でくちなわの指を見世物にしていたというエピソードが語られるのだ。

能舞台となれば美しいのかもしれないが、作品として読むと、あまりにも救いがなさすぎる。登場人物の魅力が微塵も感じられない。

石牟礼道子「不知火」

石牟礼道子氏の新作能「不知火」は流麗な文章で、情緒に満ちて美しいというだけでなく、偏頗な文明に対する作者の危機意識が伝わってくる。入魂の作品という印象を受けた。この曲が水俣で演じられることは意義深いことだろう。

たが、わたしにはこのストーリーがうまく理解できない。

竜神の娘・不知火[しらぬひ]には、海霊[うみだま]の宮の斎女として久遠の命が与えられているにも拘わらず、生類の定命衰滅に向かえば、不知火の命もこれに殉ずるという。

竜神の息子・常若は父に命じられて生類の世を遍歴し終えた。

姉と弟は海と陸からこの世の水脈を豊かにすることに携わってきたが、この世の初めからあった真水が霊性を徐々に喪い、生類を養う力が衰えて、姉弟共に身毒が極まり、余命わずかとなった。

慕い逢う二人は、息絶え絶えとなりながら、恋路が浜に辿り着く。そして姉のほうは死んだ(弟も?)。

こうした一切を見ているのは、隠亡[おんぼう]の尉[じょう](じつは末世に顕れる菩薩)。

わたしには二人の勤めの内容がよくわからない。人間の罪業が重なったために毒変した海を浚えて浄化するとあるから、いわば濾過装置のような役割を果たしてきたということだろうか? 竜神の子たちの勤めかたにしては、人間の労働臭い。苦役そのものである。

そして、亡き妻を含む竜神一家は、末世の菩薩の秘命の下に働いてきたというのである。

その菩薩の助力もあって不知火は生き返り、二人の結婚を祝うために中国から楽祖(じつは木石の怪にして魍魎の祖)が招かれる。

楽祖が磯の石を手にとって打ち鳴らせば、浜で惨死した猫たち、百獣が神猫となり、胡蝶となり、舞う、橘香る夜となる……海も陸も再生したのだろう。

水俣病問題は産業における人為的ミスに社会的要因が絡んで被害が拡大し、社会問題となった。

その問題を石牟礼氏は現世と来世が重なり合う宇宙空間、悠久の時間の流れの中に直に置こうとしたため、一つの作品として見るとき、整合性のとれない部分が出てきたように思う。

多田富雄新作能全集

脳死(「無明の弁」)、朝鮮人の強制連行(「望恨歌」※最近の検証により、朝鮮人の強制連行はなかったことが判明した―ブログ管理人N)、原爆投下(「原爆忌」「長崎の聖母」)、相対性原理を題材とした能(「一石仙人」)、沖縄戦(「沖縄残月記」)、横浜に因んだ能(「横浜三時空」)、白州正子さんを題材とした能(「花供養」)、(「生死の川――高瀬舟考」)、子供能チャレンジのための能(「蜘蛛族の逆襲――子供能の試み」)。

時事的な題材が多い。構成も文章も端正だが、これらの能は地上界から一歩も出ていないような感じがする。異世界に触れることによる浄化現象は期待できない。

まだざっと読んだだけなので、読み込めばまた違った感想が生まれるのかもしれない。そのときは別の記事にしたい。

ただ、能に関して右も左もわからないわたしのような人間には、参考になる。能舞台を観たあとで購入したのかどうかは覚えていないが、多田富雄 監修『あらすじで読む 名作能50』(世界文化社、2005)を再読している。わかりやすい。

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