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2019年7月の12件の記事

2019年7月30日 (火)

ディープインパクト、急逝

ディープインパクトが急逝したという。実際に見たことはなかったけれど、大好きだった。

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2019年7月28日 (日)

(承前)「フィリポ言行録」について

シンハ・ヤコボビッチ&チャールズ・ベルクリーノ(沢田博訳)『キリストの棺』(イースト・プレス、2007)には、初期キリスト教の文献にたびたび引用されていますが、わずかな断片が残るのみだった「フィリポ言行録」がよみがえったという、次のような興味深い記述があります。

1976年、フランス人のフランソワ・ボボンとベルトラン・ブービエがアトス山のクセノフォントス修道院の車庫に眠る文献の中から、「フィリポ言行録」のほぼ完全な写本を発見したのである。4世紀ごろのテキストにもとづく、14世紀の写本とされている。
 2000年6月、ボボンらはアトス山版「フィリポ言行録」のフランス語訳を完成し、世に問うた。そしてマグダラのマリアが使徒フィリポの妹であり、「マリアムネ」と呼ばれていたことを明らかにした。マグダラのマリアに関する限り、「フィリポ言行録」は新約聖書をはるかにしのぐ情報の宝庫だった。(ヤコボビッチ&ベルクリーノ,沢田訳,2007,p.160)

英語版ウィキペディアによると、フランソワ・ボボン(FrançoisBovon 1938年3月13日 - 2013年11月1日)はスイスのローザンヌ生まれ。聖書学者、初期キリスト教の歴史家。ハーバード神学校宗教史の名誉教授。

フランス語版ウィキペディアによると、ベルトラン・ブービエ(Bertrand Hermann Bouvier  1929年11月6日 - )はスイスのチューリヒ生まれ。ジュネーブ大学文学部の名誉教授。

残念ながら、『フィリポ言行録』はまだ邦訳されていないようです。

前掲フランス語版ウィキペディア「ベルトラン・ブービエ」によると、ブービエには次のような著作があり、フィリポ言行録関連の著作と思われます。

Actes de l’apôtre Philippe. Introduction, traduction et notes, par Frédéric Amsler, Bertrand Bouvier et François Bovon (Apocryphes 8), Turnhout: Brepols, 1996.
・"Actes de Philippe", par Frédéric Amsler, Bertrand Bouvier et François Bovon, in: François Bovon et Pierre Geoltrain (éditeurs),Écrits apocryphes chrétiens, I (La Pléiade 442), Paris, Gallimard, 1997, p. 1179-1320.
Acta Philippi, Textus, édition critique en collaboration avec François Bovon et Frédéric Amsler, vol. 11 du Corpus Christianorum: Series Apocryphorum, Bruxelles, Brepols, 1999.

アマゾンフランスで、次の本が購入可能のよう。わたしは日本のアカウントしか持っていないので(アメリカのアカウントを持っていると、フランスなどでもお買い物できて便利でしょうね)、無理ですが(購入したところで読めないでしょうし)。邦訳版が出るのを首を長くして待つばかり。

Actes de l'apôtre Philippe Broché – 19 août 1996
de Bertrand Bouvier (Auteur), François Bovon (Auteur), Frédéric Amsler (Auteur)
Editeur : Brepols; Édition : 01 (19 août 1996)
Collection : Apocryphes
Langue : Français
ISBN-10: 2503504221
ISBN-13: 978-2503504223

マービン・マイヤー&エスター・A・デ・ブール(藤井留美&村田綾子訳)『イエスが愛した聖女 マグダラのマリア』(日経ナショナル ジオグラフィック社、2006)には、マグダラのマリアが登場する文書として、新約聖書の福音書、ペトロの福音書の他に注目すべき文書群――マリアの福音書、トマスの福音書、フィリポの福音書、救い主との対話、ピスティス・ソフィア、マニ教詩篇集「ヘラクレイデスの詩篇」が紹介されています。

これらに「フィリポ言行録」が加わって、いよいよマグダラのマリアの存在感、文書類の内容の統一感が際立ってきます。それにつれて、新約聖書に登場する人々のよくわからなかった異様、異常と思われた行動も理解できるものとなっていきます。

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2019年7月26日 (金)

『キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌』を読んでいるところです(加筆あり、緑文字。8月21日に追記、青文字)

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今夏も無事に収穫できたバジルでバジルソースを作り、コーヒーを淹れることと麺を茹でることに特化したわが家のシェフである夫がパスタを茹で、バジルパスタの出来上がり。

と、タイトルとは無関係の話題でした。

まだ二つの記事が書きかけで、それに関する本を再度、図書館から借りました(メアリー・ポピンズの1・2巻は何度も借りて悪いので、ついに購入しました。所有しておきたい本でした)。

その図書館から借りた10冊の中に、以下の本が混じっていました。何となく借りた、内容にはほとんど期待していなかった本でした。

キリストの棺 世界を震撼させた新発見の全貌
シンハ・ヤコボビッチ/チャールズ・ペルグリーノ (著), ジェームズ・キャメロン (編集), 沢田 博 (翻訳)
出版社: イースト・プレス; 1版 (2007/6/20)

ところが、わたしには面白いどころの本ではありませんでした。

1980年代にエルサレムで2000年前の墓が発見されていたそうです。そして、納骨洞にあった10個の骨棺は、イエス(ヨセフの息子イエス)、マグダラのマリア(師として知られたマリアムネ)、2人の子供であると思われる男の子ユダ(イエスの息子ユダ)、他に新約聖書に登場するイエスの家族のものだというのです。

1世紀ごろのユダヤ社会では、イエスもマリアもユダも他の家族の名もありふれたものでしたが、これだけの名が一つの家族に集まる可能性は600に一つにすぎないとか。

このドキュメンタリーから、ジェームズ・キャメロン監督によるテレビ用のドキュメンタリー番組が制作されました。

わたしは『ダ・ヴィンチ・コード』の元ネタとなった以下の本を読み、大変に面白く、また『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした児童小説の参考にしたのですが、『キリストの棺』も、日本でも放送されたというドキュメンタリー番組も(ググったらフランスの動画サイトで出てきました)、全く知りませんでした。

レンヌ=ル=シャトーの謎―イエスの血脈と聖杯伝説 (叢書ラウルス)
マイケル ベイジェント (著), ヘンリー リンカーン (著), リチャード リー (著), Michael Baigent (原著), Henry
出版社: 柏書房 (1997/7/1)

当時の新聞記事が出てきました。

「キリストに妻子」、ジェームズ・キャメロンのドキュメンタリーが波紋 - 米国
2007年2月27日 11:45 発信地:米国 [ 北米 米国 ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187431

キリストの墓発見か、TVドキュメンタリーに反響 - イスラエル
2007年2月27日 15:51 発信地:イスラエル [ 中東・北アフリカ イスラエル ]
https://www.afpbb.com/articles/-/2187570?pid=1376916

わたしが興奮したのは、わたしにとって辻褄が完全にあったからです。

グノーシス文書とされる新約聖書外典『マリアによる福音書』『トマスによる福音書』などから、マグダラのマリアがイエスの最高の愛弟子であり、妻でもあったことを新約聖書の記述とも合わせて確信し、最後の晩餐のときにイエスの胸に寄り添っていた弟子は彼女なのではないかと憶測していました。

2000年前の骨棺の中には、「師として知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺がありました。マリアムネはミリアムのギリシア語形、つまりマリアのことだとか。

マグダラのマリアは、正教会でも、主の復活を伝える第一証人として伝道の旅をしたと伝えられていますから、師として知られていたとしても不思議ではありません。

ただ、最後の晩餐だからといって、妻がラビ(師)である夫の胸に寄り添うのは行き過ぎのような気がしていました。でも、それが成人男性であるとすれば、もっと異常な場面であると思われ、従ってマグダラのマリアと考えざるをえないと思っていたのでした。

また、ヤコブス・デ・ウォラギネ『黄金伝説』に出てくるマグダラのマリアに関する伝説の中で、舵のない船で海に流されたマリア一行が南フランスに漂着したという伝説と、その伝説に領主夫妻の子として出てくる、愛くるしい男の子が忘れられませんでした。

2010年4月 1日 (木)
Notes:不思議な接着剤 #50/マグダラのマリアに育てられた男の子
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes50-2ea0.html

2010年4月 5日 (月)
Notes:不思議な接着剤 #51 二つの嵐とマグダラのマリアの安否
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/04/notes51-7d04.html

わたしが最初、あまり『キリストの棺』を読む気がしなかったのは、マグダラのマリアは南フランスで亡くなったと思っていたからでした。

ところが、本によると、新約聖書外典『フィリポ言行録』には、ローマ帝国の迫害を逃れていったんフランスへ渡ったマグダラのマリアは、兄フィリポと共に小アジアへ伝道の旅に出、後にエルサレムへ戻ったという記述があるというのです。

確認しておきたいと思いました。もしそれが本当であれば、彼女の骨棺がエルサレムで発見されても不思議ではありません。

マグダラのマリアとされる古い骨のサンプルに核まれる核のDNAは損傷がひどくて使えなかったそうですが、もっと小さなミトコンドリアDNAの抽出には成功し、それによるとイエスとマグダラのマリアとされる骨からは、2人が母と子ではなく、兄弟でもないと判明したとか。

他人でありながら同じ墓から出てくるケースは夫婦以外に考えられないそうです。

またもし、イエスにユダという名の息子がいたという推定について、その根拠を新約聖書に求めるとするなら、『マルコ伝』に出てくる若者がそうではないかというのです。

イエスが捕らえられるときに、素肌に亜麻布だけを纏った若者が追いすがったのです。人々が逮捕しようとすると、亜麻布を捨てて裸で逃げたとマルコ伝ではあります。

異様な記述だと思っていましたが、大人が素肌に薄い亜麻布のシャツだけを身につけているなど考えられないけれど、子供ならありえたそうです。

最後の晩餐でイエスの胸に寄り添っていたのが幼い息子であったとすれば、何と納得がいくことでしょう! 自身の死とエルサレムの崩壊を予感していたイエスは、後継ぎである息子を抱き寄せて最後の食事をしたのではないでしょうか。

『キリストの棺』はまだ読んでいる途中です。いずれにせよ、拙『マダムNの神秘主義的エッセー』の以下の記事は改稿の必要がありそうです。

49 絵画に見る様々なマグダラのマリア
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/05/05/025512

追記:

イエス、聖母マリア、マグダラのマリアのものと考えられている骨棺について、『キリストの棺』を参考にもう少し詳しく書いておくと、イエスのものと考えられる骨棺は10個の骨棺のうち最も簡素だったそうです。

それには、「YESHUA BAR YOSEF(ヨセフの息子イエス)」というアラム文字の刻印がありました。しかも、先頭の Y の字の前には、文字より大きな「X」マークが刻まれていました。

それが何であるかは、『キリストの棺』では、旧約聖書のエゼキエル書(9・4)に根拠を求め、アラム語やヘブライ語のアルファベットで最後に来る文字「タウ」だとしています。

その「X」に似た文字は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,pp.293-294)によれば、「それ自体で何かの終わりを、また同時に新しい何かの始まりを意味していた」と考えられるそうです。

聖母マリアのものだとされる骨棺には、ヘブライ文字らしきもので「マリア」と刻まれていました。ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.38)によると、「ただしヘブライ語の綴りではなく、ラテン語での発音をそのままなぞっていた」とあります。

マグダラのマリアのものだとされる棺には、「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれていました。

Marat(マラ)はアラム語で「主」または「師」を意味し、男性形も女性形も同形。Mariamne(マリアムネ)は、ヘブライ語Miriam(ミリアム)のギリシア語バージョンだそうです。

マグダラのマリアはガリラヤ湖周辺の生まれで、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.168)によると、「イエスの教団を経済的に支える存在」であり、地域柄、彼女はバイリンガルでギリシア語ができ、ヘブライ語、アラム語、ギリシア語を使いこなしていたと考えられるようです。

だからこそ、マグダラのマリアはギリシア語圏であった小アジア(アナトリア)で、師と呼ばれるほどの活動ができたのでしょう。

ちなみに、旧約聖書はヘブライ語で記されています。イエス時代のパレスチナで使われていたのはアラム語です。新約聖書にもイエスの言葉としていくつかアラム語が出てきます、新約聖書はギリシア語で記されました。

「マラとして知られたマリアムネ」と刻まれた骨棺は、ヤコボヴィッチ&ペルグリーノ(2007,p.50)によると、「バラの花弁をあしらったロゼッタ文様で美しく飾られて」いました。

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2019年7月21日 (日)

第161回(2019年上半期)芥川受賞作家、今村夏子の文学的成立条件を欠いた世界

以下の過去記事で、第159回(2018年上半期)芥川賞を受賞した 高橋弘希「送り火」の感想の続きを書きかけ、放置してしまっていた。

2018年9月 3日 (月)
リンチを遊びとすり替える芥川賞受賞作家。それは犯罪者心理だ(作品「送り火」を文章から考察する)。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/09/post-fdd8.html

感想の続きを書くには作品を読み返すことが必要だったが、作中の凄惨な場面を思うと、読み返すことがわたしにはできなかった。

第160回(2018年下半期)の上田岳弘「ニムロッド」、町屋良平「1R1分34秒」は読んでいない。

第161回(2019年上半期)の芥川賞が7月17日、今村夏子「むらさきのスカートの女」に決定した。

そのうち図書館から借りて読むつもりだったが、書店に出かけたら、今村夏子氏の単行本『父と私の桜尾通り商店街』から2作品を収録した「take free」の小冊子が置かれていた。

いただいていいのでしょうか、と心弾む思いで清算カウンターで尋ね、どうぞ、との返事を貰い、小冊子を持って帰った。

芥川賞受賞作には失望することの連続だったが、もしかしたら名作、あるいは名作とはいえないまでも光る鉱石のような作品に出合えるかもしれないという期待は、常にある。

小冊子に収録されているのは、単行本収録作品「白いセーター」「ルルちゃん」「ひょうたんの精」「せとのママの誕生日」「モグラハウスの扉」「父と私の桜尾通り商店街」のうち、「ひょうたんの精」と「父と私の桜尾通り商店街」である。

簡単な感想を書いておく。一部ネタバレありです、未読のかたはご注意ください。

ひょうたんの精

登場人物の内面が描かれない。掘り下げられない。背景描写もほとんどない。

ストーリーだけで成立させようとした小説で、作者が手の内を明かさないというただそのことで、作品を謎めいて見せる詐欺まがいの手法がとられている。

唯物主義的価値観が生んだ索漠とした、登場人物が作者に操られるだけの世界。

登場人物は狂言回し的に利用されているだけである。

もはや文学とも思えない。

なるみ先輩という主要人物は、超がつくくらいの「すごいデブ」だった。その後、一時期は「チアリーダーいち美人でスレンダー」だったのだが、現在は一般的「すごいデブ」である。

「チアリーダーいち美人でスレンダー」だった一時期というのは実は、なるみ先輩が寄生虫としかいいようのない「七福神」に寄生された不健康な時代だった。しかし、一方では、その時期はチアリーダーとして輝いてもいられた健康な時代だったともいえる。

作者は、スト―リーを自分に都合よく進めるためか無意識的にか、健康と不健康を混同させ、論理的整合性を無視している。

「大玉ころがしをする」大玉に譬えられるほど太っていた、なるみ先輩。その異常な太りかたは、わたしのような医学に無知な人間にも、あるホルモン系の病気を真っ先に連想させる。

病的なほどではない太りかたであれば、栄養の偏りやストレスなどを原因として考える。

だが、この短編の世界で、医学的観点や医療、現実的なダイエット法などが登場人物にもたらされることはない。

もたらされるのは、七福神グッズの装いの凝らされた寄生虫である。それをもたらしたのは、蝉を常食する、ホームレスとも見なされる神社の女性「住職」である。

その寄生虫を、ネットの知識から得た文言によって駆除することで、なるみ先輩は不健康な「スレンダー」から一般的「すごいデブ」にまで太り具合を回復する。

小説の最後で作者は、痩せた人間はあたかもこの寄生虫に寄生された不健康な人間であるかのような見方をオチとして用意している。

作者のお手軽なオチは一方的に読者に押し付けられるだけなので、それを何らかの象徴的考察や警告、ましてやユーモアと捉えるには内容があまりにも薄っぺらで一方的で、説得力をもたらす展開が完全に欠落している。

作者がただ書きたいことを書いているとしか捉えることはできず、文学作品としての成立条件をさえ欠いているように思える。趣味の世界といえばいいのだろうか。

父と私の桜尾通り商店街

「父と私の桜尾通り商店街」も「ひょうたんの精」と同工異曲の小説だった。

感じのよい新しいパン屋さん(女性)は、おそらく、古くからのパン屋であった父を亡くした娘(主人公であり語り手でもある)がアルバイトに応募すれば、採用するだろう。

そして今後、新しいパン屋さんは主人公にストーカーされ続ける運命を辿るのだろうか……

何しろ、「ストーカー規制法」も警官も存在しないのではないかと思わせられる、天意も正義も真の人情も存在を許さない、作者の都合で操作されるだけの人工的世界なのである。

この、最後で足をひっかけられるような、底意地の悪い結末を読んだあとに作者、今村夏子氏の記者会見を視聴すると、芥川龍之介の作品を読んだことがないという彼女の無邪気な文学的無知は、もしかしたら、無知に見せかけた、意図的な芥川の権威落としではないか――という、穿った見方もできるような気がする。

両作品には「いじめ」の問題がまぎれもなく存在している。しかしながら、作者は「いじめ」に光を当てようとはしていない。逆に、いじめの世界を作り出すことに執心している。嬉々として。これが文学だろうか。

芥川賞受賞作品「むらさきのスカートの女」を図書館から借りる気がしなくなった。

芥川賞は、どこまで日本文学の伝統を破壊するつもりなのだろうか。知的、精神的に低下しつつある日本人にわが国の文学界の与えるものが七福神の装いを凝らした寄生虫では……

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2019年7月17日 (水)

久々に、kindle出版に関することで慌てました

新生銀行から「外為被仕向送金事務手数料の改定のお知らせ」というメールが届きました。

新生銀行の口座は、kindle出版のために開設した口座です。

過去記事で確認したところ、2013年2月11日、KDPでの登録用に開設した新生銀行の口座の初期設定を済ませてからKindleダイレクト・パブリッシングへ行き、口座情報を記入し、アカウント登録が完了。翌12日に児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をkindleストアで販売したようです。

なぜkindle出版を始めるに当たり、新生銀行の口座を開設したかというと、ロイヤリティ(売上)を受け取るための銀行口座が必要で、当時、被仕向送金手数料(外国送金の受取にかかる手数料)が只だったのは新生銀行とシティバンクだけでした。

調べてみると、シティバンクは富裕層向けの銀行という感じ……それで、わたしのような一般のkindle出版者には新生銀行しか選択肢がなかったのですね。

で、メールによると、受取通貨米ドルの場合、改定前は無料だった手数料が、改定後は USD 18.00 になるとのことでした。

こ、これは一大事!

少ないわたしのロイヤリティでは、手数料のほうが上回ってしまうではありませんか。

頭の中が物凄いスピードで回転し始め、わたしは早くもkindle出版に代わる作品発表の手段を模索していました。

しばらくして、このような大事件をkindle出版者のどなたかが報じていないはずはないと思い直し、ググると、以下のサイトに拍子抜けするような朗報が……

Kindle本のロイヤリティ収入を受取るのにおすすめの銀行は?(被仕向送金手数料が無料)」『電書ログ』
更新日:2018年12月12日
https://ebook-blog.com/best-bank-account-for-kdp/

その記事によると、Amazonは海外の銀行からではなく、日本の銀行から日本のKDPユーザーに送金するようになったため、現在では「被仕向送金手数料」はかからないということです。

新生銀行しか選択肢がなかったのは「一昔前」のことだとか。今では国内のどの銀行口座を使っても、被仕向送金手数料はかからないそうです。

ここ何年もkindle出版していなかったため、情報が更新されず、古いままでした。

次に出版するのは萬子媛をモデルとした歴史小説(あるいは評伝のような形式になるかもしれません)が完成したときだと思いますが、時々はKDPの情報に接するようにしなければ……と反省した次第です。

そういえば、アメリカのkindleストアでの売上に適用される米国源泉徴収税を回避しようとして、頑張ったこともありましたっけ。

ちなみに、米国源泉徴収税はアメリカのkindleストアで本が販売された場合にのみ、その本の売り上げに対して発生します。日本を含むその他のストアで売り上げが発生した場合には、米国源泉徴収税は差し引かれません。

当時、米国源泉徴収税を免除して貰うための手続きを行い、アメリカからファクスで届いたEIN(米国納税者番号)をKDPの「税に関する情報」に記入したのが2014年12月。

そして「保存」をクリックして情報を更新したところ表示された、「源泉徴収率:0%」の表示がまぶしかったのですが、その後、EINではなく、TIN(Taxpayer ID Number)が必要となった時点で、もういいやと思いました。

アメリカのkindleストアでのささやかな売上に重くのしかかる30%の米国源泉徴収税ですが、そもそも売上、すなわち儲け自体がささやかなものなのです。少額の利益のためにあんなに面倒臭いことをするのは、割に合いません。

TINを取得しなければ大きな利益がふいになると思えるほどアメリカのkindleストアで売れるようになったら(?)、取得のために頑張ることにしようと思いました。

KDPの拙管理画面からレポートを見ると、確かに、Amazon.comでの売上のみ、源泉徴収税がしっかり差し引かれていますね。

TINを持っていない場合は日本のマイナンバーが使えるという情報に複数接しましたが、以下のサイトの記事によると、これは誤りのようです。

KDPからの回答・キンドル電子出版における二重課税の問題について」『皇室ブログ・でれでれ草』
https://hiromihiromi.sakura.ne.jp/01/?p=29923

 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

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2019年7月14日 (日)

創作が滞っています。脳死について。

萬子媛をモデルとした歴史小説を忘れたわけではないのですが、臓器ビジネス及びブラヴァツキー夫人の心臓に関する記事を神秘主義エッセーブログにアップしようと資料漁りをし、メアリー・ポピンズの物語への神智学の影響を調べかけたところで、予定が滞っています。

どちらもちょっと書いておくつもりだったのが、そのちょっと書くだけでも難しくて書きあぐねていました。

メアリー・ポピンズのシリーズの最初の二冊に神智学の影響が見られ、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』では赤ん坊のアナベルが鳥たちに自分は闇の中から来たという場面があります。はじまりはそこからとアナベルはいうのです。

それに続けてアナベルは色々なことをいい、総合すると神智学の影響は疑いのないものとなりますが、この闇の性格が旧約聖書に出てくる闇や子宮の中の闇とはどう違うのかを説明しようとすると、厄介で、つい後回しに。

先に臓器ビジネスに関する記事の続きを書こうとして、渾身のルポ、城山英巳『中国臓器市場』(新潮社、2008)を読むと、もう衝撃を受けるばかり。これで11年も前の作品です。ルポは、日本人ブローカーとの出会いの話から始まります。

脳死移植はキリスト教社会で発達したもので、儒教的考えの残る中国では日本と同じように両親から授かった自分の体を完全な状態で火葬したいという伝統的価値観が浸透しているため、臓器提供に積極的でないとあります。

それなのになぜ、中国がアメリカに次ぐ移植大国となったのか(11年も前に既にそうです)。以下のニュースには、2020年には中国が世界一の臓器移植大国になるとあります。2017年、中国人体臓器提供・移植委員会の黄潔夫委員長の弁です。

中国、2020年に世界一の臓器移植大国に―中国メディア
人民網日本語版 配信日時:2017年8月9日(水) 5時50分
https://www.recordchina.co.jp/b186821-s10-c30-d0035.html
「中国には現在、1900人あまりの臓器提供・移植コーディネーターがおり、近く5千人にまで増やす計画だ。現在、臓器移植手術を実施している病院は173軒あるが、年内に200軒、2020年までに300軒まで増やすことを目指している」。

日本では、本人が提供拒否の意思を示していない限りは家族の同意が得られれば脳死移植が認められるようになり、また高額医療制度が利用できるようになったりしていますが、このまま臓器移植の道を突っ走っていいのでしょうか。

ブラヴァツキー夫人の心臓に関する言葉を引用するまでもなく、小松美彦・市野川容孝、田中智彦編『いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植(岩波ブックレット782)』(岩波書店、2010)を読むと、脳死移植に疑問が湧きます。

脳死者から臓器を切り出すときには麻酔や筋肉弛緩剤が投与されるそうです。「脳死者に深くメスを入れただけで、脈拍や血圧が急上昇するばかりか、暴れ出して摘出手術どころではなくなってしまうからです」(15頁)とあります。

ずいぶん活発な死体ですね。科学に無知な人間は、驚かされることばかりです。次のようなニュース記事もあります。

心肺停止後、5分は意識がある!? 最新の脳神経学で分かった「死」
ニューズウィーク日本版 2018年3月6日(火)19時30分
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2018/03/5-40.php
心肺停止後、5分は意識がある!? 最新の脳神経学で分かった「死」
心臓が止まったり生命の兆しが見られなくなったりした後でも、脳内では3〜5分間ほど脳細胞や神経細胞が活動していることが分かった。

ブラヴァツキー夫人は、心臓に最後に死ぬ点があると書いており、ヨギが土中に埋められ肉体のすべての部分が死んでしまっても、この点が生きている限り、ヨギは復活することができると書いています。

心肺の停止が先か脳の活動の停止が先か……いずれにしても、最後に死ぬ一点が生きている限りは、ブラヴァツキー夫人の説に従えば、死んだように見えていたとしても、それは死ではないということになります。

ブラヴァツキー夫人のような日本でいえば江戸末期に生まれ明治時代に亡くなった人の説を持ってくるまでもなく、現代科学においてもこれほど不確かな「死」。臓器の必要に駆られて死んだかどうかわからないものを死と決めつけなければならないとしたら、これほど非科学的な話もないでしょう。

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フレンチトースト、鮭の塩煮

フレンチトーストはめったに作らず、作るとしても我流でした。昔はインターネットなんてなかったから、フレンチトーストのレシピを載せた料理の本を持ってなければ、自然の流れで我流。

うちは夫が朝ごパンの人なので(炊き込みご飯の余りがあるときはそれを食べたがるけれど)、食パンは常備品です。

その食パンが硬くなってしまいました。賞味期限は過ぎていて、黴こそ生えていないけれど、霧吹きで水分補ってトーストしたくらいでは……うーん。ちなみに、食パンの保存には冷凍がいいそうですね。冷凍しておけばよかったと思っても、あとの祭りでした。

そこで、思いついたのがフレンチトースト。娘が休日でゆったり時間が流れていたということもあり、家族が悦んでくれるような美味しいフレンチトーストを作ろうと思い、ググりました。以下のレシピを参考にしました。

「フレンチトーストレシピ8選!道具やパン、焼き方、トッピングまで【永久保存版】」『メシ通』(2016-03-08)
 URL:https://www.hotpepper.jp/mesitsu/entry/homarecipe/1603001

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皿からはみ出そうな、美味しいフレンチトーストの出来上がり♪ ふわふわしっとりで、フレンチトーストって何て美味しいんだろうと思いました。バターとはつみつのトッピングはなくても美味しいです。むしろないほうが、わたしは好きですが、娘はあったほうがいいといいました。

これにサラダとスープ、夫が淹れてくれるコーヒーがあれば、何だか優雅な朝ごパン。

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過去記事でも紹介した、みないきぬこ『はじめてのストウブ』(池田書店、2018)のレシピ「鮭の塩煮」を作りました。

冷蔵庫にあった銀鮭を使ったのですが、脂分の多い銀鮭よりも白鮭のほうが合うように思いました。レシピの鮭は紅鮭かな。ストウブで煮ると、とてもふっくら仕上がります。

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2019年7月12日 (金)

緊迫感のあった安倍総理の街頭演説。ハイタッチはできなかったけれど……。

娘から前日、「安倍総理の街頭演説が明日(11日)あるよ。ポスターが貼ってあった」と聞き、3年前のことを思い出しました。わたしは、そのときと全く同じことを考え、迷いました。

2016年6月14日 (火)
街頭演説会で目撃した安倍首相、ハイタッチしたときの手の感触
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/06/post-39fb.html
自民党の党員ではないし、自民党が移民政策に舵を取り出したことには断固反対です。
また、「1億総活躍社会」にも反対で、結婚している2人のうちどちらか一方は家庭にいて、家庭生活を充実させ、地域や日本文化を豊かにすることができるような政策転換を求めたいのです。
このままでは治安は悪化する一方、家族や地域のつながりはバラバラになるばかり、日本文化は内部から崩壊してしまいます。

新自由主義政策が推し進められる中、安倍総理はそれを懸命に修正しようと頑張ってこられましたが、穴の開いたバケツに水ではないかと思ってしまいます。どこかで方向転換が必要だとしか思えません。

新自由主義もグローバリズムも共産主義も、所詮は国際金融家が作り出したプロジェクト名のようなものにすぎず、人類は彼らに操られてきた……という説が堂々と、国内外の識者たちによって語られるようになりました。以前であれば、出典はオカルト情報誌『ムー』かしらと思ったでしょう。

方向転換が必要だとしても、難しい問題です。

安倍総理の街頭演説は、経済問題と安全保障問題が主なテーマでした。憲法に自衛隊を明記する必要性を訴えて、説得力がありました。緊迫感に満ちた、迫力のある演説でした。今の日本を守ってくれる政治家は安倍総理以外にいないと思われました。

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ガラケーで撮ったので、ズームアップしてもこれで精一杯でした。かなりボケてしまいました。「皆さん、どんどん写真を撮って、SNSなどで拡散してください」とおっしゃっていたので、遠慮なく、撮ることができました。

安倍総理が応援なさったのは、自民現職の礒崎陽輔氏(61)です。総理の向かって右側にいらっしゃいます。

安倍総理の今回のハイタッチは前回より時間的に短く、わたしは前方の右端にいたので、お顔はよく見えたものの、ハイタッチは無理でした。その代わりにといってはナンですが、オーラが見えました。

そのかたの高級我が見せてくださったとしか思えないようなありありとした見えかたではなく、一般的な見えかたでもと申しましょうか。世間ではこの手前に見えるオーラ(発散物)を見て(オーラは奥が深いのです)、あれこれアドバイスしているようですね。

確かに、この段階のオーラを見ると、知的傾向や精神状態がある程度わかるようにも思えますが、何しろオーラは奥が深いものなのに、よくあれこれいえるものだなと思ってしまいます。

同一人物のオーラであっても、奥の領域のオーラに比べると、これは紺碧の空の遥か下界に見える雲のようなものかもしれませんが、それでも肉眼で見える色彩とは違い、ある一つの色で表現できたとしても、透明度や精妙度は千差万別です。

わたしには主に三つの色が見えました。一つの色が基調をなしており、もう一つの色がそれに微妙に溶けあったり浮かび上がったりしていて、残る一つの色はオーラというより想念形体というべきもので、特徴的な形体をしていました。この想念形体は一時的に見えました。

しかし、オーラに関することは個人情報(?)に類することだと思うので、このような抽象的な書きかたはできても、特定の個人と結び付けて具体的な色や形体を公開することはできません(例外的に、個人名を特定せずに言及したことはありましたが)。

オーラや想念形体の色は、色自らが雄弁にその意味を語っているように思えますが、神智学叢書の中のアニー・ベサントとリードビーターによる著書が参考になります。

過去記事でも紹介しましたが、アニー・ベサントとC・W・リードビーターの共著による“Thought‐Forms”(田中恵美子訳『―想念形体―思いは生きている』神智学協会日本ロッジ、1983)には、観察された沢山の想念形体のイラストがあり、解説がほどこされています。

それによると、あらゆる想念形体が出来る場合には、思いの特性は色を、思いの性質は形を、思いの確実さは輪郭の明瞭さを決定するという三つの一般的な原則があるそうです。

政治の話題がいつのまにか神秘主義的話題に。

2017年11月22日 (水)
リードビーターの講演の様子がわかる貴重な動画。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/11/post-dee3.html

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2019年7月 9日 (火)

評論『村上春樹と近年の…』をお買い上げいただき、ありがとうございます!(村上春樹が中国の若者にもたらした影響を考える)

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

7月9日ごろ、お買い上げいただいたようです。『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、80冊お買い上げいただいたことになります。

  • オーストラリア……1冊
  • ブラジル……1冊
  • カナダ……1冊
  • 日本……35冊
  • アメリカ……33冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

当評論は、今年に入って初めてアメリカでお買い上げいただきました。昨年までは、もう少しお買い上げいただいていました。

村上春樹現象はやはり作られたものだった……との思いを強くしています。いくら作られようが、それは一向に構わないと思います。お祭り騒ぎは楽しいものでもありますから。

問題は、お祭りのその性質です。

村上春樹現象によって日本文学が被った影響は、大きいものでした。

この現象は評論家によってきちんと分析されるべき性質のものであるはずが、村上春樹やその作品を持ち上げる評論家ばかりが目立ちました。日本文学の危機を感じずにいられなかったわたしは、素人の物書きでありながら、書かずにはいられなかったのでした。

以前は、当ブログで公開している小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味悪さ」にかなりのアクセスがあり、中国からもとても多かったのです。中国にお住いの日本人だったのかどうかはわかりませんが。

それが、中国共産党によるインターネットに対する情報統制が強化されたためか、ある時点から中国からのアクセスがほぼなくなりました。

わたしは以下の過去記事で、村上春樹『海辺のカフカ』『ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編』の文章を引用して、大まかに二つのことを指摘しました。

2013年6月 9日 (日)
村上春樹現象の深層 ⑤言論統制が行われている中国・韓国で、村上春樹がヒットを続ける理由
http://elder.tea-nifty.com/blog/2013/06/post-b601.html

言論統制が行われている国でヒットするには、その国の国益にかなっていなければならないはずである。

村上春樹の小説を愛読する日本人は、気づかないうちに自虐史観を植えつけられ、愚民化教育されている懼れがある。

中国の若者に村上春樹の作品が及ぼした影響はどのようなものだったのだろうか、と考えるこのごろです。中国通の評論家に、そのあたりを深く考察していただきたいものだと思います。

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2019年7月 7日 (日)

岩波少年文庫の総選挙。お小遣いで初めて買った小説、ベルテ・ブラット(石丸静雄訳)『アンネは美しく』(偕成社、1970)

ツイッターで岩波少年文庫の総選挙(?)があっていたので、わたしもツイートしました。

ただ、考えてみると、子供のころに岩波少年文庫の本を読んだ記憶がありません。創刊は1950年で、わたしが生まれたのは1958年の2月ですから、書店や学校の図書室あるいは市の図書館によく行っていたことから考えると、不思議でした。

リンドグレーンの作品は、『長くつ下のピッピ』を家で買って貰った講談社「世界の名作図書館」に収録されていたもので読み、続編や他のリンドグレーンの作品(やかまし村、やねの上のカールソン、名探偵カッレなど)は小学校の図書室で読んだように思いますが、全てハードカバーでした。

ウィキペディア「岩波少年文庫」

岩波少年文庫(いわなみしょうねんぶんこ)は、日本の出版社・岩波書店が出版している児童文学の叢書である。小B6判・並製。

沿革
1950年12月25日創刊。初回の刊行はスティーブンスン『宝島』、ウェブスター『あしながおじさん』、ディケンズ『クリスマス・キャロル』、ハムズン『小さい牛追い』、ケストナー『ふたりのロッテ』の5冊であった。当初の装丁はソフトカバーであったが、1954年にハードカバー化された。ケースもしっかりした厚紙であった。
1961年12月16日までに第一期(全100点、121冊)・第二期(全72冊)合計193冊の刊行が完了。以後、児童書については単行本および、岩波少年少女文学全集全30巻(1960〜1963年)、個人全集の刊行に力が入れられ、岩波少年文庫の新刊は10年余り刊行されなかった。
1974年、第一次オイルショック による物価高騰の影響を受け、ソフトカバーの軽装版で新刊の刊行を再開。1983年までに全68冊が刊行された。
1985年には創刊35周年を迎え、4色刷のカバーの新装版が発行された。この時、背表紙の色が対象年齢別に、ピンク(小学生中級〜)、黄色(小学生上級〜)、水色(中学生〜)の3種に色分けされた。その後、1991年までに全51冊が刊行された。
1995年には創刊45周年を記念して新刊の刊行を再開。これ以降、新刊の刊行は継続している。2000年には創刊50周年を迎え、左右の幅を7mm広げた新しい判型が採用された。
2010年には創刊60周年を迎えており、総発行点数は約400、総発行部数は約3,100万部に達している。

「岩波少年文庫」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月12日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

謎が解けました。

1961年に第一期・第二期の刊行が完了したとき、わたしは3歳です。その後ブランクがあり、再び刊行の再開されたのが1974年。わたしは16歳になっていました。

再開後の岩波少年文庫の本が書店や図書館に並ぶころにはもう高校生ですから、岩波少年文庫ではなく、岩波文庫や新潮文庫などの本を読むようになっていたはずです。それで、子供のころは岩波少年文庫の本とあまり接点がなかったのでしょう。

話は変わりますが、わたしが初めてお小遣いで買った小説は、ノルウェーの女性作家ベルテ・ブラット著、石丸静雄訳『アンネは美しく』(偕成社、1970)でした。中学一年生のときだったと思います。定価430円とあります。

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宝物となって、今も書棚にあります。絵が物語るように、堅実で情感豊かな16歳の少女アンネが18歳になるまでを描いた、ジュニア小説です。

ノルウェー西部のフィヨルドの奥で育ったアンネは、牧師夫人の仲介で都会に出、住み込みの女中のアルバイトをしながら高校を卒業するまでの顛末が純愛をテーマとして描かれます。

最新設備を備えた都会の家で、アンネは田舎娘としての頓珍漢な行動で周囲を苛立たせますが、彼女にはバイオリンと編み物の特技がありました。

編み物をして生活費の不足を賄い、音楽一家と知り合ってからはバイオリンの腕が生きます。しかも、アンネは容貌が整っていて、特待生を目指すほど優秀でした。

わたしは当時、読みながら自分とアンネを比べて、あまりに大人びた、しっかりしたアンネに感心しながらも、話ができすぎているとも思いました。

編み物はわたしが中学校のころ、バレンタインデーに男子に贈るマフラーを編むのが流行っていました。マフラーくらいは編めたとしても、それで生活費を稼ぐなど想像できませんでしたし、楽器にしても、ピアノを習ってはいましたが、わたしは音大を目指している友人とは心構え自体が違うだけでなく、アンネは一日に何時間も練習している友人とも違って、さほど練習もせずに人前にバイオリニストとして立てるほどの腕前でした。

アンネには様々な苦労がありますが、音楽一家に育った青年イエスと恋に落ち、その恋は大小の起伏を交えながらゆっくりと育っていきます。小説は、二人の明るい前途を暗示して終わります。訳者の解説を読むと、続編もあるようです。

アンネはイエスと結婚して音楽の町ザルツブルクに住み、子供に恵まれ、パリで音楽の修行を続けようとするイエスのために奮闘するようです。

登場人物がヨーロッパのあちこちへ移動するのが不思議で、ヨーロッパ全体が一つの国のようだと思ったことを覚えています。

『アンネは美しく』は、『赤毛のアン』の系統に属する作品ではないかと思います。

こういうと顰蹙を買うかもしれませんが、わたしはアンはわざとらしく、騒々しく思えて、あまり好きになれませんでした。率直で、生真面目で、駆け引きなど思いつきもしない、静かなアンネのほうが好きでした。

自分の性格がアンかアンネのどちらかに似ていたために、アンが嫌いだったのかどうかはわかりませんが、自分の子供っぽさに自覚があったのは確かで、アンネの静穏な魅力に惹かれ、大人っぽい判断力と行動にあこがれたのでしょう。

訳者の石丸静雄氏の経歴をウィキペディアで見ると、石丸氏は佐賀県生まれで、『ニルスのふしぎな旅』を著したセルマ・ラーゲンレーフの神秘主義的な小説『幻の馬車』(角川文庫、初版1959、再版1990)の訳者でもあられるようです。原文がどのようであるかは知りませんが、邦訳の美しさは印象に残っています。

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2019年7月 4日 (木)

姪・妹宅へ、新築祝いにストウブを。捨てられた児童文学全集 ( ;∀;)

南九州は雨がひどいようです。

最近の梅雨は、梅雨の域を超えていますね。

夫の勤務時間が勤務先の都合によりここ数日変則的で、病院勤務の娘と夕飯の時間が合わず、夕飯を二度作るはめになったため、おさんどんで日が暮れて……という感じでした。

最近ようやく、ストウブでごはんが上手に炊けるようになりました。これまで失敗していた原因は二つ。

炊く前に米を浸水させていなかったことと、充分沸騰させないで弱火にしてしまっていたことでした。

みないきぬこさんの本に学んでからは失敗がありません。

はじめてのストウブ-素材別シンプルおいしいレシピ
みない きぬこ (著)
出版社: 池田書店 (2012/9/12)

一台目の「ピコ・ココットラウンド 22cm ブラック」で作っても、二台目の「ラ ・ココット de GOHAN M サックスブルー」で作っても美味しく炊き上がります。

炊き込みご飯などは、翌朝も食べたいので、ココットラウンド 22cm で作ることが多くなり、ご飯を炊くために購入したココット de GOHAN M は16㎝ と小ぶりなので使い勝手がよく、下ごしらえにはもっぱらこれ。味噌汁もこれ。煮物にもよく、二台あって正解。

前に、以下のレシピを参考に、枝豆がなかったのでグリンピースで作った炊き込みご飯。

【STAUB】たらこと枝豆の炊き込みご飯
【ストウブラココットdeGOHAN Sサイズ】で作る炊き込みごはんです。 ストウブで炊くとごはんがふっくら。 たらこの塩気がアクセントです。

数日前に22㎝で、レシピ通りに枝豆を使って作りました。グリンピースとの組み合わせも悪くありませんでしたが、明太子には枝豆のほうがより合うように思いました。

枝豆を蒸すのに、ココット de GOHAN を使いました。

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家族に好評です。炊飯器でも作れるはずです、おすすめです。調理器具を洗いながら娘に感想を聞いても返事がないので、聞こえなかったのかなと思っていると、しばらくして、「美味しすぎて、しゃべる余裕がなかった。上品な味わいで、釜飯屋さんのみたい」との答え。

米はレシピより多い、2合半。辛子明太子は太めのを一腹使いました。もう一腹あったのですが、2合半にはそれでちょうどでした。

ちなみに、ご飯にのせた大きめの二片は飾りのためで、下のほうの明太子はもう少し小さく砕いています。ストウブで炊くと、明太子がふっくら。粒が生きている! 生でいただくのとは別の美味しさがあります。

姪夫婦が新築したのですが、最初は姪一家だけで住むはずが、計画が変わって妹夫婦が一緒に住むことになり、造りをそれに合わせて変えたとか。

姪には女の子が二人いて、下の子はまだ赤ちゃん。新築祝いには何がいいか教えて、といって、しばらくしても返事がないので電話をすると、迷っているとのこと。ほしかった蘭の鉢植えは貰ったとか。

絵、観葉植物、児童文学全集……など、あれこれ候補を挙げているうちに「鍋は?」というと、妹は今持っている鍋を全て挙げて「実は、圧力鍋がほしいと思ったりしていたんだけど、上手に使える自信がなくて迷っていた」とのこと。

ちなみに料理は妹が担当しているようです。最近の女子は外で働く人が多いせいか、わたしたち世代と比べると、家事をしなくなっているようですね。勿論個人差があるようです。妹は料理が上手なほうです。

わたしは妹であればストウブが使いこなせるのではないか……大人4人、子供2人には24㎝のストウブなんかいいかもしれないと思い、とりあえずネットで見てほしいといいました。送るのであれば使ってほしいので、圧力鍋とどちらがいいかよく考えてほしいと思ったのでした。

後日電話し、「どう、圧力鍋にする?」と訊くと、「ストウブかな」と興奮気味。ストウブに決定。ストウブ熱を感染させたみたいです。

公式サイトから送りたいと思い閲覧すると、ラッピングは選べるようで、それも素敵なラッピングですが、新築祝いなので熨斗を付けたいと思いましたし、代引きは使えないだろうからクレジットになると思えば、わたしはクレジットのネット登録はしたくなく(するとすれば、それ専用のものを作りたいので、そう考えると面倒)、百貨店の通販サイトを探すことにしました。

いつも利用しているアマゾンのレビューを見ると、シリアルナンバーがついていなかったとか、不良品が届いたなどの書き込みが気になったので、公式か百貨店からと思ったのでした。

三越の通販サイトにストウブがあり、熨斗が選べます。ふと、よく行く百貨店にはないだろうかと思い、電話で訊くと、24㎝は赤系と緑があるとのこと。

姪の好みなら赤です。が、赤は火災を連想させるので新築祝いには避けたほうがいいと聞くので、バジルグリーンにしようと思い、とっておいて貰うことにしました。

その日のうちに百貨店へ行きました。店員さんと対面して商品を確認できるのは、やはり安心です。熨斗を選び、シリアルナンバーと説明書が添付されていることを確認しました。バジルグリーンはなかなか綺麗で、食卓に合いそうです。

妹は「わたしたちは一部屋貰って住ませて貰うだけで、娘たちの家よ」といっていたので、宛名を姪のご主人にしました。熨斗の名は夫のフルネームで。

妹に報告して、「綺麗なお家で、美味しい料理を沢山作ってちょうだい」というと、ワクワク感が伝わってきました。手入れが必要なことや重いことなどは前もって話してあるのですが、「ネットでストウブについて学習しておいて」と念を押しました。

妹は、教科書的なわたしと比べると、勘で料理をするほうなのです。ストウブは、勘だけでは難物なところがあると思います。注意深く、要領のよい人であれば、説明書だけでも充分かもしれませんが。

新しい家はまだ臭いがあったり、乾燥したりで(加湿器を置いても全員喉を傷めたとか)、快適とはいえないそうです。断捨離も大変だったとか。婚礼ダンスも捨てたといっていました。

気になって、「もしかしたら児童文学全集も?」と訊くと、「ごめーん、相談するつもりだったんだけど、押し入れに仕舞っておいたら黴てしまって……」と妹。

馬鹿。涙が出ました。

昔だったら、たぶん姉妹喧嘩しています。あんな全集はもう二度と出ない可能性が高いのです。

独身の頃はわたしほどではなくても本好きだったのに、今では読まなくなった妹。その価値がわからなくなったのかもしれません。全員歌が好きで、よくカラオケにも行くといっていたから、趣味の違い、生き方の違いということで、それはそれでいいでしょう。

でも、児童文学全集は黴が生えていてもいいから、好きな巻だけでも引き取りたかった……宝のひょうたん……無人島の小ロビンソンたち……パール街の少年たち……

前に返すつもりで何冊か送って貰ったけれど、もう返さない。全部わたしのものにしておけばよかった、と未練がましいわたしです。ジュニア版世界の文学全集も必要ない気がして妹に送らなかったのだけれど、これももうわたしのものです。本は読まれなければ、ただのゴミなのです。わたしには、愛する本は自分以上の存在です。

そういえば、命をかけてナチスから図書館の本を守った人々の話が明林堂の書棚に並んでいて、読んでみたいと思いました。図書館にないか、探してみよう。現在、記事を書く資料とするために、読むのもつらい『中国臓器市場』を読んでいます。つらすぎて、進みません。2008年に出された、渾身のルポです。

2010年8月14日 (土)
「世界の名作図書館」全52巻(講談社、1966-70) - 収録作品一覧
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/08/521966-70-fe50.html

2016年3月10日 (木)
『ジュニア版 世界の文学(全35巻)』(岩崎書店,1967–1969)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/03/351967196920061.html

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2019年7月 1日 (月)

ヒゲの隊長さんが、隊長さんに「期待すること」を問いかけていらっしゃいます

 

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