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2019年6月の16件の記事

2019年6月29日 (土)

河野外相のユニークなお写真。プーチン大統領の言葉「リベラルの理念は時代遅れ」。

河野外相のツイッターが面白くて、つい頻繁に見てしまいます。外交の舞台裏がわかり、外相の人間的魅力も伝わってきて、楽しいのです。

河野談話で有名な河野洋平氏の息子さんが外務大臣に任命されたときは、心配でした。

朝日新聞の捏造(虚偽に基づいた吉田清治氏の証言を多数掲載。2014年12月23日朝刊37頁で訂正、謝罪)と河野談話により、韓国の女性が従軍慰安婦として日本軍に強制連行されたかのような事実誤認の問題が発生しました。このことを最大限に外交利用した韓国の行為が、日本の国益を損ね、品位を汚したからです。

河野太郎外相は、条約破りをして徴用工問題を発生させた韓国に対して、しっかりやってくださっていると思います。

ですが、反日に勤しみ続ける韓国の大統領は現在、北と一心同体となろうとするかのような、危険な動きを見せているではありませんか。危機管理の観点からも、もっとレベルを上げた措置をとっていいのではないかと不安な思いで見守っています。

プーチン大統領のこの言葉は意外で、新鮮な印象でした。馬淵睦夫氏のおっしゃっていたことは本当だったんだ、と思いました。

世の中が超スピードで再編成に向けて動いているかのようで、めまぐるしさを覚えます。

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2019年6月28日 (金)

購入して助かっているもの(吸引式パソコンクーラー、ザルとボールセット、みないきぬこ『はじめてのストウブ』)

トラブル続きだったパソコンはお陰様で順調に使えています。

が、内蔵ファンの異音はバッテリーの交換でしずまったものの、室温が高くなってきたころから、一旦内蔵ファンが回転し出すと、以前より音が高い気がしていました。

見て貰うべきかどうか迷いながら、PCクーラーで凌げないかとアマゾンへ。仮に見て貰って問題なくなったとしても、熱に弱いパソコン。夏場は対策が必要……それなら対策は早いほうが……と思いました。

パソコンの下から冷やすタイプのクーラー、冷却パッドが一般的なのか、沢山出てきました。四つ、五つのファンがついています。決めかねていると、別のタイプのクーラーが出てきました。

「吸引式で、排気口に装着させ、直接内部からの熱を吸い出す」という小型冷却ファンでした。

どちらがいいか、相当迷いました。値段は同じ3,000円くらい。決め手になったのは、「日本製モーター」という商品説明でしょうか。最近、日本製であることを謳った商品が増えてきたように思います。

豊富だった欧米の商品がやや品薄? 比較的安く買える割に高級感のある欧米製か、安かろう悪かろうの中韓製のどちらかを選ぶことになることが多かったのですが、以前はその間で全く元気がなかった日本製がこのところ巻き返しているように見えます。百貨店などでも同じ傾向を感じるので、わたしの気のせいではないかもしれません。

評価の高かった冷却パッドは商品説明の日本文に中国語が混じっていました。購入することに決めた吸引式のものは、モーター以外は日本製ではないのかもしれませんし、値段が同じくらいなので、どこ製であろうと変わりないのかもしれません。でも、PCクーラーはせめてモーターだけでも国内でがんばって作ってほしいので、購入してみることにしたのでした。

レビューに、背面に排気口があると装着させるのが難しいというものがあったので心配でしたが、何とかなるだろうと思いました。

OPOLAR LC06吸引式ノートPC冷却ファン 任天堂 Nintendo Switch冷却ノートクーラー pcクーラーファン コンパクト 静音 温度が表示され ファンスピード調整ができ ノートPCの冷却台 ニンテンドースイッチの冷却
OPOLAR

で、今のところ、とても助かっています。ただ、両方試してみないと、敷くタイプと吸引式のどちらのタイプがいいかわかりませんが、これは試してみる価値ありですよ。

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背面につけると、やや沈みますが、ぴったりになるように何か下に敷けば、問題ありません。

PC放熱口の温度を自動的に測定し、温度が上がると、自動的に冷却してくれる優れもの。吸引式ファンの音が高くなったと思って温度を見ると、38度くらいになっています。この子を装着する前は、内蔵ファンが騒音立てて回っていました。今はこれくらいだと、内蔵ファンは静かなままです。

しばらくすると、温度が29度~33度くらいに安定して、吸引式ファンの音が小さくなり、止まります。パソコンをスリープにすると、温度表示が消えます。

この子を常駐させてからは、パソコンを使うときのストレスからかなり解放されました。高速回転するときの音は結構しますが、内蔵ファンに負担がかからないと思うと、気になりません。

リス ザルとボールセット リベラリスタ ボールコランダーセット S ホワイト
リス

1月に購入してから、これを使わない日はないといっていいくらい。

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材質:PP
原産国:日本
耐熱温度:約140度
容量:約1.2L(ボール) Sサイズ

※Lサイズもあります。容量:約2.6L(ボール) Lサイズ

「洗う・水を切る・電子レンジで加熱するが1つで行える便利なボールとコランダーのセット」と商品説明にあります。

わたしはサラダを作るとき、たっぷりのキャベツの千切りや千切ったレタスを耐熱ガラスの保存容器に入れ、食卓に出す直前まで冷やしていました。耐熱ガラスは清潔感があって好きなのですが、割ってしまったことがあり、それに代わるものがないか探していました。これがありました。

冷蔵庫で冷やしている間に、不十分だった水切りまでしてくれます。蓋付きというのも嬉しい。電子レンジで加熱することもできるのですから、本当に便利で、料理する日はまず使っています。

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最近、「ココット・デ・ゴハン」で作って美味しかった炊き込みごはん。みないきぬこさんのレシピ「ホタテとレタスのエスニックごはん」を参考にしました。尤も、レタスがなかったので、ピーマン(レシピでは赤ピーマン)を多めに入れました。写真では香菜(パクチー)がたっぷりのっていますが、家族全員苦手なので、のせませんでした。

別物になることがわかっていながら、ホタテ水煮缶とナンプラーを使った味つけが美味しそうで、作ってみたのでした。予想に違わず、美味でした!

みないきぬこさんの解説で、白いごはんも上手に炊けるようになりました。

一台目のストウブ「ノワール2世」(わたしが勝手につけた愛称)を購入後、しばらくしてこの本を買いましたが、同時購入でもよかったかなと思っています(二台目は「マドモアゼル」あるいは「青い子」と呼んでいます)。

ストウブ料理には時間、水加減、蓋の開け閉めにコツが入り、自分だけでそれを会得するには時間がかかります。『はじめてのストウブ』は、レシピ数は多くはありませんが、わかりやすく説明されており、味付けもわたしには満足のいくものでした。ストウブ初心者にはぴったりの一冊、おすすめです。

はじめてのストウブ-素材別シンプルおいしいレシピ
みない きぬこ (著)
出版社: 池田書店 (2012/9/12)

プランターで育っているバジルの出来がもう一つで、なかなかバジルソースが作れません。

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とりあえず、ガパオライスを作り、次にモッツァレラチーズを使ったカプレーゼを作りました。

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2019年6月27日 (木)

735年前の昨日(6月26日)、「ハーメルンの笛吹き男」の伝説となった事件が。このところの読書について。

735年前の昨日(6月26日)、「ハーメルンの笛吹き男」の伝説となった事件が起きたそうです。歴史学作品、『ハーメルンの笛吹き男 - 伝説とその世界』(平凡社・1974、ちくま文庫・1988)は当時のドイツ・ハーメルン市の環境、世相を鋭く考察し、またそこに生きる人々をその心情に分け入るかのように繊細、温かみのある視線で描写して秀逸でした。

相当に人気のある作品のようですね。ひっそりとやっているTwitterで昨日が事件の起きた日と知り、つぶやいたところ、記事を書く前に見た時点で、いつもは無反応なことの多いリツイート、いいねが「リツイート 606、いいね 1,143」(当記事を書く前の時点)と表示され、驚きました。

大本の筑摩書房の『ハーメルンの笛吹き男」のツイートでは「リツイート 2,011、いいね 5,592」となっていました。

少しは拡散に協力できたかな。

話は変わりますが、大阪での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)が明日開幕しますね。

前回のブログのアップから日が開いたのは、臓器移植に関する本を借りて読んでいたからです。例によって、メアリー・ポピンズに関する記事の続きと萬子媛をモデルとした小説のノートを放置したまま。

当ブログ内ランキングで以下の記事がランクインしたということもありますが、今現在も進行中のジェノサイドに中共の臓器ビジネスが深く関わっていることが相次ぐ報道で明らかとなって、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にもアップしておきたいと思い、調べていたというわけでした。

2019年6月15日 (土)
香港デモと中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/06/post-3bace0.html

わが国でも、脳死と臓器移植に関する本は沢山出ています。読みたいと思っている本を以下に挙げますが、これらは出ている本の一部です。利用している図書館2か所には、一番最後に挙げた本はありませんでした。この中で前に読んだことのあったのは、立花隆『脳死』だけです。

脳死と臓器移植―日本で移植はなぜできないか
中山 太郎 (著)
出版社: サイマル出版会 (1989/04)

脳死・臓器移植と人権 (人権ライブラリイ)
加藤 一郎 (著), 太田 和夫 (著), 竹内 一夫 (著), 新美 育文 (著)
出版社: 有斐閣; 増補版 (1986/07)

脳死
立花 隆 (著)
出版社: 中央公論社 (1986/10)

脳死・臓器移植と日本社会―死と死後を決める作法
ぬで島 次郎 (著)
出版社: 弘文堂 (1991/05)

脳死と臓器移殖
水野 肇 (著)
出版社: 紀伊國屋書店 (1991/05)

日本人はなぜ脳死・臓器移植を拒むのか
荻原 真 (著)
出版社: 新曜社 (1992/08)

脳死と臓器移植―医療界の合意は成立したか (岩波ブックレット)
脳死臓器移植を考えるシンポジウム実行委員会 (著)
出版社: 岩波書店 (1995/2/20)

死は共鳴する―脳死・臓器移植の深みへ
小松 美彦 (著)
出版社: 勁草書房 (1996/6/1)

なぜ日本では臓器移植がむずかしいのか―経済・法律・倫理の側面から
須藤 正親 (著), 高月 義照 (著), 池田 良彦 (著)
出版社: 東海大学出版会 (1999/3/1)

検証脳死・臓器移植―透明な医療をどう確保するか (岩波ブックレット)
平野 恭子 (著)
出版社: 岩波書店 (2000/1/20)

臓器移植と脳死―日本法の特色と背景 (成分堂新書)
中山 研一 (著)
出版社: 成文堂 (2001/8/1)

脳死・臓器移植、何が問題か―「死ぬ権利と生命の価値」論を軸に
篠原 睦治 (著)
現代書館 (2001/11)

脳死・臓器移植の本当の話 (PHP新書)
小松 美彦 (著)
出版社: PHP研究所 (2004/5/1)

脳死と臓器移植の医療人類学
M.ロック (著), 坂川 雅子 (翻訳)
出版社: みすず書房 (2004/6/26)

命は誰のものか (ディスカヴァー携書)
香川 知晶 (著)
出版社: ディスカヴァー・トゥエンティワン (2009/8/5)

生命倫理の源流――戦後日本社会とバイオエシックス
香川 知晶 (編集), 小松 美彦 (編集)
出版社: 岩波書店 (2014/3/26)

いのちの選択――今、考えたい脳死・臓器移植 (岩波ブックレット 782)
小松 美彦 (著, 編集), 市野川 容孝 (編集), 田中 智彦 (編集)
出版社: 岩波書店 (2010/5/8)

移植医療 (岩波新書)
〓島(ぬでしま) 次郎 (著), 出河 雅彦 (著)
出版社: 岩波書店 (2014/6/21)

脳死・臓器移植と向き合うために―医療者・レシピエント・ドナー家族への聞き取り調査から
保岡 啓子 (著)
出版社: 晃洋書房 (2019/2/10)

中国臓器市場
城山 英巳 (著)
出版社: 新潮社 (2008/07)

China 2049
マイケル・ピルズベリー (著), 森本 敏 (解説), 野中 香方子 (翻訳)
出版社: 日経BP (2015/9/3)

中国の移植犯罪 国家による臓器狩り
デービッド・マタス (著), トルステン・トレイ (著), 謝冠園 (監修)
出版社: 自由社; 初版 (2013/10/25)

また、ブラヴァツキー夫人の心臓に関する論文を、夫人関係の多くの著作、論文、紀行、小説、手紙、新聞記事、雑誌記事、伝記……などをオンライン公開している以下のサイトに行って、閲覧したりしていました。何というお宝でしょう!

Google先生の翻訳機能に頼りきりの読書ですが、面白いものばかりでもう止まりません。夫人が巻き込まれた事件についての資料、夫人の身近にいた人々が書き残したものなども揃っています。物凄いボリュームで、Google先生酷使して読んだとしても、生きているうちに読み終えることは不可能でしょう。

夢中でむさぼり、2日ほど徹夜に近い熱中の仕方で、何だか頭がぼーっとなりました。改めて、ブラヴァツキー夫人は並外れた、偉大な人物であることがわかりました。この件についてはいずれまた。

Blavatsky Study Center
http://www.blavatskyarchives.com/

サイトの存在は知っていましたが、ざっと確認したことがある程度だったのです。

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よみさんの初アニメーション(3D動画)

よみさんの初アニメーション。短いアニメーションでも結構な作業量のようです。現在、この骸骨に肉をのせる作業をやっているみたいです。

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2019年6月19日 (水)

ストウブ二台目、美味しい炊き込みごはんができました

一台目のストウブは「ココット ラウンド ブラック 22cm」でした。

2019年2月23日 (土)
ストウブ鍋、試行錯誤
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/02/post-c59e.html

鋳物ホーロー鍋ストウブは、すっかり我が家に溶け込んでいます。

定年退職後の夫が夜間フロント&警備で勤務するホテルの厨房にも、ストウブがいくつか出ていることがあるそうです。出ているストウブの色や大きさがそのときによって違うので、何台もあるのではないかといっていました。食事の美味しいことで有名なホテルなのです。

わたしは炊き込みごはんをよく作るので、ごはん炊きに特化し、煮物の調理にも適しているという「ココット・デ・ゴハン」があったらいいなと思うようになりました。

白いごはんは炊飯器で美味しく炊けるのですが、具沢山の炊き込みごはんになると、ごはんの部分に生煮えが出たり、全体にべちゃっとした仕上がりになったりします。

ラウンドはおかず作りで塞がっていることが多く、22cmは我が家のごはんを炊くにはちょっと大きい。大きいせいか、炊きかたが下手なせいか、ごはんに炊きむらの出ることがあります。

ストウブで炊くごはんは、「お米を洗って浸水し、火にかけて沸騰したらかき混ぜて弱火で10分、蒸らして10分で出来上がります」と公式サイトの説明にある通りに作ればだいたい美味しく仕上がるはずだと思うのですが、わたしが失敗するときというのは、充分に沸騰しないうちに弱火にしてしまったときのように思います。

わたしは蓋をせずにグツグツ沸騰するのを待ち、かき混ぜて蓋をしますが、時間がないときなど、つい、いくらか沸騰した時点で蓋をしてしまいます。満遍なく沸騰してから弱火にすれば、間違いないような気がします。

鍋にしては高い買い物ですが、それだけの満足感をもたらしてくれています。ラウンドで作った炊き込みごはんは、具の一つ一つの味が際立っています。蒸したり煮たりした食材の一つ一つが味わえて、本当に美味しい。

家族もストウブが大好きになり(わたし以上かも)、新しいストウブの購入には賛成してくれました。煮物を作るのに、煮るための水があまり要らないので(食材によっては無水も可)、小さいラウンドがほしくなっていたのですが、「ココット・デ・ゴハン」だと、 M が 16cm、S が12cmとこぶりです。

S サイズは白米1合(180cc)、M サイズは2合(360cc)。M サイズを購入することにしました。

アマゾンへ見に行くと、色や大きさで値段が様々です。次に、公式サイトへ行きました。公式サイトには新商品やお得な商品が出ています。今回はツヴィリング J.A. ヘンケルス ジャパン株式会社の公式サイトから「ラ ・ココット de GOHAN M サックスブルー」を購入。

1合から美味しいご飯を、と開発された鋳物ホーロー鍋「ラ・ココット de GOHAN」は、1合から米粒が立った絶品ごはんを炊くことが可能だそうです。 M は、2合炊きにちょうどいいサイズですが、アマゾンのレビューを見ると、3合までいけるようです。ガスの直火、オーブン、IH(100V、200V)にも対応(電子レンジは使用不可)だとか。

支払いはクレジッドカード決済もしくは代金引換決済の2種類より選択。代引手数料324円(税込)。10,800円(税込)以上お買い上げの場合は送料無料、10,800円(税込)未満の場合は、一律540円(税込)の送料、沖縄・離島への配送は一律1,620円(税込)とのこと。

わたしは代引で頼みました。ポイントが初回から使えました。次回の買い物があるかどうかわからないので、さっそく使わせていただきました。

ラ ・ココット de GOHAN M サックスブルー ¥ 16,416
クーポン、ポイント ¥ -300
代金引換手数料 ¥ 324
合計金額 ¥ 16,440

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「おお可愛い!」と夫。「マドモアゼルだね」と娘。

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美味しい炊き込みごはんができました。鶏モモ肉、ニンジン、ゴボウ、タケノコ、シイタケ、油揚げと、昔ながらの炊き込みごはん。ごはんも、具材も、生きている! 炊き込みごはんにすると、2合でも具のボリュームで、うちは翌朝のぶんまであります。

公式サイトに、「ココット・デ・ゴハン M」で作る、4人分のジャンバラヤ、ホタテごはん、鯛めしのレシピが載っています。息子が帰省したときも、「ココット・デ・ゴハン M」でいけそう。「ココット・デ・ゴハン S」で作る2人分のレシピ、「簡単トマトリゾット」も美味しそうです。

「ココット・デ・ゴハン S」は特に一人暮らしのかたに重宝がられているようです。ブログ散策時に、そうした記事を見かけることがあります。

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「97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスの…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/18/200850

当ブログで公開した記事に手を加えたものですが、加筆、訂正しましたので、以下に転載しておきます。

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97 ジェイムズ・ジョイス (2)評伝にみるジョイスのキリスト教色、また作品の問題点 


なぜ、ジェイムズ・ジョイス(ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス James Augustine Aloysius Joyce,1882 - 1941)がブラヴァツキー夫人(ヘレナ・ペトロヴナ・ブラヴァツキー Helena Petrovna Blavatsky,1831 - 1891)を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。

わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。

彼は様々な知識を、概念を、頭がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。

詩的(?)な小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。

わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治(1909 - 1948)を、あるいはフィッツジェラルド(フランシス・スコット・キー・フィッツジェラルド Francis Scott Key Fitzgerald, 1896 - 1940)を連想した。

アイルランドのダブリン南郊ラスガー*1の子沢山の家庭に生まれたジョイスは、評伝によると、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。

カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。

ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。*2

ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。

しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。

わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。*3

こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。

一方では、ジョイスの人気の秘密が彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。わたしがジョイスから太宰治やフィッツジェラルドを連想するのもそのためだ。

ジョイスが性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。

青年期のジョイスは家を罵倒したりしながらも、両親をはじめとする家族に期待され、学んだりフラフラしたりする自由を与えられている。

物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。

ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。*4

この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。

というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル(ジョージ・ウィリアム・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)、イェイツ(ウィリアム・バトラー・イェイツ William Butler Yeats, 1865 - 1939)、グレゴリー夫人(イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932)らの恩恵を被っているはずだからである。

ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。

また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。

評伝にみる限り、ジェイムズは謙虚な礼儀正しい人物とはおよそいいがたい。しかし、破天荒、豪放磊落というには変に憶病である。

評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。

31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。

40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。

作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。

なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。

ノラとの間では紆余曲折あったようだ。

ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。*5

が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」*6という感動的な言葉を綴っている。

死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアには奇行が目立ったが、それは精神を病んでいたためで、このとき彼女はリヴリの病院に入院していた。溺愛する娘を心配しながらの出発だった。

フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。

ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。*7

新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。

ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。

父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。

ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。

一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。そのわりには、馬鹿に高く評価されている気がする。

エッセー 96「ジェイムズ・ジョイス (1)『ユリシーズ』に描かれた、ブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名」でみたように、結城英雄氏がオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*8で、「文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる」とお書きになっているところからすると、こうした文学現象は――村上春樹現象がそうであったように――多分に作られたものであった。

それが物書きとして幸福なことなのか、不幸なことなのかは、わたしにはわからない。しかし、文学にとっては明らかに不幸なことであった。しかも、不幸は――被害は、というべきだろうか――文学の分野に留まらない。

茶化しや悪ふざけというには悪意の感じられる、捏造された、誤解を招くジョイスの表現のために、迷惑を被った人物や事柄は多いと思われる。ブラヴァツキー夫人及びその思想が被った迷惑は、その一例である。

評伝でみる限り、酒を飲みすぎた感のあるジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。

ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。

そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。

そして、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)によると、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」*9は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。

その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。

この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。

なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学では、自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を、前掲書『神智学の鍵』から引用しておきたい。

自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。*10

 

*1:ジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」参照

*2:オブライエン,井川訳,2002,p.14

*3:オブライエン,井川訳,2002,p.7

*4:オブライエン,井川訳,2002,p.16

*5:オブライエン,井川訳,2002,p.200

*6:オブライエン,井川訳,2002,p.196

*7:オブライエン,井川訳,2002,p.204

*8:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*9:ブラヴァツキー,田中訳,1995,「用語解説」p.24

*10:ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.142

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2019年6月17日 (月)

エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んで(加筆あり)

当記事には加筆、訂正しました。こちらhttp://elder.tea-nifty.com/blog/2019/06/post-900f8d.html

なぜ、ジョイスがブラヴァツキー夫人を、神智学関係者を、神智学用語を茶化したのかがどうしても気になって、エドナ・オブライエン(井川ちとせ訳)『ペンギン評伝双書 ジェイムズ・ジョイス』(岩波書店、2002)を読んだ。

わたしのジョイスに関する見方は、オブライエンの評伝によって、裏付けられた気がする。

彼は様々な知識を、概念を、頭の中がパンクするくらいに蓄えたが、それらは断片のままで、纏まりを欠き、深められることもないまま、頭の中で極彩色を放ちながら散乱している状態にあったのではないだろうか。

詩的(?)小説家として、彼はそれらに勝手なイメージを付与し、いわば音律的感覚で、利己的に利用した。

わたしはジョイスの評伝を読みながら、太宰治を、あるいはフィッツジェラルドを連想した。

アイルランドの子沢山の家庭に生まれたジョイスは、幼少時には「おひさまジム」と呼ばれた可愛がられる子で、イエズス会の学校に入ってからは、まるで現代日本の児童のように、ある少年の意地悪と司祭(教師)の無理解が発端となり、養護室通学をしたりした。

カトリックの壮麗な内装や典礼に魅了され、聖母マリアを憧憬したが、司祭によって語られるありとあらゆる罰や灼熱の地獄に関する説教に恐怖し、その恐怖体験から終生逃れられなかったようである。

ジョイスは十代ですでにカトリック教会とは決別していたが、ある意味では決して信仰を離れることはなかった。離れられなかったのだ。母や司祭に教え込まれたことはあまりに強烈だった。(オブライエン,井川訳,2002,p.14)

ジョイスは、家庭の経済事情で学校を何度か変わる。優等生で、将来は聖職者になると思われていたほど敬虔だった。ジョイスの創作は早い時期に始まり、彼が作家になることを予想していた司祭もいた。

しかし、その後、ジョイスは変貌する。反抗期に入ったのかもしれない。

わずか数年のあいだに彼に起こった変化は、サムライのごとき決断によるものだった。それは子どもらしい優しさから冷淡な無関心へ、臆病ゆえの敬神から不信と反逆への移行であった。(オブライエン,井川訳,2002,p.7)

こうした反抗期が、人生の終焉まで続いたようだ。わたしがジョイスの作品を読んで感じた幼稚さは、こうしたところから来ているのではないだろうか。

しかし、成人した後も反抗期を引き摺るというのは、どう考えても知的な何かが足りない。彼の作品が如実にそのことを物語っている。

一方、ジョイスの人気の秘密が、彼のこうした、ある種の永遠の若さにあるのではないかとも思わせられる。

性に目覚めたのは12歳のときで、集英社版『ユリシーズ Ⅲ』年譜によると、14歳で娼婦との体験を持った。早熟すぎて(只というわけでもないだろうに)、このあたりの記述はわたしには信じられない。

青年期のジョイスは家を罵倒しながらも、両親をはじめとする家族に期待され、フラフラする自由を与えられている。

物書きとしてのジョイスは、ダブリンに根付けなかった。

ダブリンでは彼は周縁に追いやられ、嘲られ、文芸サークルからも締め出された。ジョイスはその都市を、徹底的に作り直してやろうと決めた。(オブライエン,井川訳,2002,p.16)

この記述は、ジョイスの主観ではないかと少々疑う。

というのも、ジョイスはアイルランド文学復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人らの恩恵を被っているはずだからである。

また、『ユリシーズ』でジョイスはブラヴァツキー夫人のことをあくどく、見てきたように書いているが、二人に接点があったはずはないのである。純粋に、空想の産物である。

ただ、22歳のジョイスが20歳のノラ・バーナクルと駆け落ちする資金集めにイェイツ、グレゴリー夫人に無心したときは、その申し出を断られていることから考えれば(グレゴリー夫人はあとで金を送ってやっている)、彼の逆恨みがあったのかもしれない。

評伝及びジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅲ』(集英社、1997)巻末の「ジェイムズ・ジョイス年譜」を参考にすると、ノラとアイルランドを出発したジョイスはイタリア領プーラ(現在はクロアチア共和国のプーラ)のベルリッツ校に英語教師の職に就いたのを皮切りに、23歳でトリエステのベツリッツ校に転任。24歳でローマに移って銀行に職を得(父がダブリン市長に書いて貰った手紙のおかげ)、25歳でトリエステのベツリッツ校に復職。27歳で映画館ヴォルタ座を開館(翌年潰れた)。

31歳でレヴォルテッラ高等商業学校(後のトリエステ大学)にポストを得、33歳でジョイス一家は(長女ルチア、息子ジョルジオ)はチューリヒに移住。1919年、ジョイス37歳のとき、アイルランド独立戦争が始まっている。一家でトリエステに戻り、レヴォルテッラ高等商業学校に復職。

40歳のとき、アイルランド自由国成立。49歳のとき、ロンドンで妻ノーラと結婚式を行っている。1939年、57歳のとき、第二次大戦勃発。南仏に移住。58歳で、チューリヒに移住。翌1941年、1月13日に十二指腸潰瘍穿孔で死去。

作品の発表については早くから発表舞台にも、出版にも恵まれていたように思える。

なぜかジョイスには孤独癖があり、恨みがましく、僻みっぽかったようだが、常に協力者が都合よく現れていて、世渡りは上手だったとしか思えない。甘え上手だったのかもしれない。

ノラとの間では紆余曲折あったようだ。

ジョイスはノラと別れず、それどころか、ますます依存するようになっていた。スチュアート・アルバートは、一年ほど前の悶着を回想している。ジョイス夫人がホテルに移るために荷物をまとめていると、ジョイスが椅子に丸くなり、ひとりでは自分のこともできない、彼女がいないとだめだと言い、それに対してノラは、川に身投げしたらどうかと言ったというのだ。(オブライエン,井川訳,2002,p.200)

が、ノラは添い遂げ、彼の死後ノラは自分の妹に宛てた手紙で「かわいそうなジム、彼はとても素晴らしいひとだった」(オブライエン,井川訳,2002,p.196)という感動的な言葉を綴っている。

死の前年にスイスに移住したのは占領下のフランスにいるのが危険になったからだった。長女ルチアは長年精神を病んでリヴリの病院に入院しており、溺愛する娘を心配しながらの出発だった。

フルンタン墓地で行われた葬儀はささやかだった。

ポール・ルッジェロは司祭を呼んではどうかと提案したが、ノラは、ジムに対して自分にはそれはできないと言った。(オブライエン,井川訳,2002,p.204)

新約聖書「ルカによる福音書」に「放蕩息子」(15:11 - 32)という例え話がある。

ある人に二人の息子があり、弟のほうが父に生前分与を要求する。その財産を持って遠い国に旅立った弟は、放蕩で身を持ち崩し、飢えて帰郷する。

父はその弟を温かく迎え、弟は改心の言葉を父に告げて、もう自分に子と呼ばれる資格はないという。しかし、父は祝宴を開いた。

ジョイスは、キリスト教の観点では帰還した放蕩息子なのだろうか。唯物主義者の観点では、ジョイスは自由に正直に生き、世界を諧謔的に眺めた才能豊かな小説家だろうか。

一神秘主義者の観点から眺めると、ある特殊な知力はずば抜けていたにせよ、落ち着いて物事の考えられない、バランス感覚と高貴さに結び付くような高級なタイプの知力の不足した人に見える。ジョイスが死後、あの世でどのような状態にあるかは浅学のわたしにはわからない。

ところで、死んだ人を眺めると、この世にはどうも、死んだはずなのに死んでいない人々がいるようである。

そのような人々のあの世での霊的な体は、死人さながらの昏睡状態にあるようだ。

そして、彼らの強すぎる欲望のために崩壊しきれない遺物、カーマ・ルーパと呼ばれる「物質に関するあらゆる精神的、肉体的欲望と思いによって作られた主観的な形体」(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、「用語解説」24頁)は、時にこの世の人々に憑依してまでも、欲望を存続させようとする吸血鬼となる。

その強すぎる欲望の対象の筆頭に来るのがアルコール、麻薬ではあるまいか。

神智学の観点では、この世に有害物質を置き土産とする放蕩息子たちは、自らの意志であの世に――霊的価値観に――目覚めるしかない。人は完全に自由であり、天国も地獄も自分で創り出す世界にすぎないからだ(客観世界であるこの世が地獄である以外は)。

なぜ、この世が、この世だけが地獄というかといえば、神智学徒は自我の賞罰をカルマとの関係で考えるからである。ブラヴァツキー夫人の言葉を引用しておきたい。

自我の前世の罪が罰せられるのは、自我のために用意されているこの再生においてです。新しい人生は、この神秘で容赦のない、しかも公平さと賢明さで絶対に誤りのない法則によって選ばれ、用意されるのです。自我が投げ込まれるのは、芝居がかった焔や尻尾や角のあるばかばかしい悪魔達のいる想像上の地獄ではなく、この地上です。つまり、自分が罪を犯したこの世界でこそ、あらゆる悪い思いと行いを贖[あがな]わなければなりません。自分の蒔いた通りに刈り取るのです。(H・P・ブラヴァツキー『神智学の鍵』田中恵美子訳、神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、142頁)

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2019年6月15日 (土)

香港デモと中共の闇の深さ、そしてブラヴァツキー夫人の心臓に関する注目すべき美しい文章

※ 昨日アップした記事に加筆し、再公開するものです。

ブログを通して窺える行橋市議会議員小坪しんやさんのご活躍には、いつも感心させられています。

今、香港が大変な状況にありますが、小坪さんのブログの記事に寄せられたコメントを読んで、複雑な気持ちになりました。

わたしの香港加油の気持ちに変わりはありません。何にしても、一国二制度は、少なくとも2047年までは法的に有効なはず。有効でなければならないはずです。

複雑な気持ちにさせられた、日出処の天子さんのコメントを転載させていただきます。

【第二の天安門】守るべき民に、武器を向けたCHINA共産党に強く抗議する。: 行橋市議会議員 小坪しんやのHP
https://samurai20.jp/2019/06/china-10/

日出処の天子  のコメント:
2019年6月14日 12:51 AM
単純な二択脳では、この騒動は理解不可能。

香港とお隣の深センは江沢民は率いる上海派閥のテリトリーです。
リーマンショック以降、ウォール街は建物はNYに残したものの本拠地を深センに移して香港を舞台にマネロンに精を出して来た。

北京派は昨年あたりまで江沢民派の制圧に力を注いできましたが、米国民主党と金融街を背景に持つ資産50兆~100兆の江沢民上海派には力及ばずの処でしょう。

『一国二制度』と言う治外法権地域を作って、国内投資の7割を香港に集中させ、マネロンしてきた江沢民派が米国クリントン財閥と組んで法輪功、チベット、ウィグルの人々を弾圧し臓器売買にも勤しんできた。
米国民主党支持基盤の東の金融と西のIT企業がそれに協力して、収容所の監視カメラの導入技術提供を推進。
チベット、ウィグル、法輪功の弾圧は江沢民派であり、ファーウェイも江沢民派が擁する企業である。

香港の学生たちに銃やらゴム弾を向けて制圧している警官に扮した江沢民派の国安部員の画像や動画を世界に流布し、いかにも北京派の横暴な香港デモ弾圧のように見せかけている。
中国で凶悪犯罪を犯しても、香港に脱出すれば逮捕出来ない。 香港市民は、偽りの民主主義に踊らされてる。

トランプ大統領は、デモを支持していない。
トランプ大統領は香港の独立や中国からの離脱を望んでいない。 台湾は、地政学に米国の核心的利益です。 双方の事情は異なる。

香港のデモは、北京(習近平) vs 上海(江沢民)である。 香港の人々は踊らされている。

ソロスは、ダボス会議の時点で、既にGAFAによる搾取の限界を感じ取ってる。
もう燃やす段階に入ったのでは?
キンペーがこれをしのげるのか?
中国が燃えて、アジアが混乱で分断されると、 EUの欧州中央銀行周辺の危ない連中が息を吹き返す・・・イラン情勢も・・・・。

江沢民派による法輪功弾圧の実態、それが臓器ビジネスへとつながっていることを知ったときの驚き。

儲けと、臓器ビジネスを支える病院、スタッフなどにかかる経費のためにも、臓器移植をどんどんしなければならないそうです。それには臓器がいくらあっても足りません。

臓器移植の実態を伝える記事の写真で見たところでは、臓器移植のためのとても立派な病院がいくつもあるようでした。日本人はお得意さまですってね。

「チャイナ“臓器狩り” 日本は最大の顧客か」『産経ニュース』2017年7月28日12:00、URL:https://www.sankei.com/premium/news/170728/prm1707280005-n1.html

そして、大規模なウィグル人の拘束とハイテクを駆使した管理……もうこれは有名ですね。

政治犯は臓器の鮮度を保つために、生きながら臓器を抜き取られているという話もあります。

こうした情報は以前は作り話とされていた時期すらありましたが、現在ではそうではありません。多くの情報が発信されています。

例えばBBC(英国放送協会が制作する報道番組)は2018年10月8日、『誰を信じるべきか? 中国の臓器移植』(Who to Believe? China’s Organ Transplants)という番組で、中共の臓器移植産業の闇に迫っています(YouTubeで視聴できます)。

以下の動画は、2019年1月27日に公開された林原チャンネル「ノンフィクション作家・河添恵子#11-2★中国臓器狩りの真実◉人道を超えた臓器売買&移植手術の実態」です。

以下の動画は2018年8月27日に公開されたNTDTVJP「メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺」です。

臓器移植は唯物主義の観点から進められてきたものです。日本では、臓器移植法の改正後は家族の承諾だけで臓器提供が可能になり、15歳未満の者からの脳死下での臓器提供が可能になっています。

ウィキペディア「臓器の移植に関する法律」

2009年の法改正により、2010年1月17日からは、臓器を提供する意思表示に併せて、親族に対し臓器を優先的に提供する意思を書面により表示できることになった。また2010年7月17日からは、本人の臓器提供の意思が不明な場合にも、家族の承諾があれば臓器提供が可能となった。これにより15歳未満の者からの脳死下での臓器提供も可能になった。
「臓器の移植に関する法律」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月22日 13:23 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

2009年改正の経緯を見ると、衆議院での審議において、ABCD案のうちA案が可決されたのですが、意外なことに共産党が審議不十分として全員棄権し、自民党議員を中心にA案賛成者が多く、賛成263人・反対167人でA案が可決され、衆議院を通過しています。

戦後日本人が如何に唯物主義者になってしまっているかがわかりますね。

尤も、衆議院での審議については「2009年5月に世界保健機関(WHO)総会において、臓器不正売買を目的に、移植ツーリズムの原則禁止や、生体移植、組織移植をめぐるガイドラインを決議する見込みになったことから、2009年になって、改正の機運が出てきている」とありますから、自民党議員には臓器移植希望者が移植ツーリズムへ流れることを防ぐために、国内での臓器移植の機会を高めたいという思惑があったのかもしれません。

いずれにしても、現行法では脳死判定が行われて死が確定するのです。しかし、そもそも脳死判定で本当に人の死を確定できるのでしょうか。

こうした分野においては、だまされたと思って神秘主義者のいいぶんも聴いていただきたいものです。極めて限定的な唯物主義的観点からでは、重大な見落としのある可能性があります。

生きながら臓器を抜き取られるなど、誰だってまっぴら御免でしょう。もし脳死が本当は死を意味しないとすれば、現行法下で日本人はとんでもない過ちを犯していることになりますよ。

ブラヴァツキー夫人による、現在は一般公開されている神智学論文集第12巻に収められている秘教部門の教えには、「心臓の中に、肉体の一番最後に死ぬ一点がある……」という注目すべき美しい文章があります。

ヘレナ・レーリッヒによる『ハート(アグニ・ヨガ叢書 第8輯)』(田中恵美子訳、アグニ・ヨガ協会、竜王文庫、2005・コピー本復刻)の註にそこからの引用があるので、以下に引用しておきます。

心臓の中に、肉体の一番最後に死ぬ一点がある。この点は小さな紫色の光で示され、生命の座で、すべての中心でブラフマーである。胎児の中に最初に生まれる点であり、最後に死ぬものである。(略)この点は潜在的に知性や生命やエネルギーや意識を含める。生きている間、その点は火あるいはオパールのような閃光で輝き、虹の七色を放つ。脳が知的意識の中心であると同様に心臓は霊的意識の中心である。(ブラヴァツキー,田中訳,2005,pp.176-177)

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2019年6月13日 (木)

香港における民主主義の危機

香港が「逃亡犯条例法」をめぐって、大変な事態となっています。

この法案には日本も無関心でいるわけにはいきません。条例は香港在住の外国人にも適用されるからです。

2019年6月13日付読売新聞朝刊には、「外務省によると、香港には2017年10月現在で日系企業約1400社が進出し、在留邦人数は約2万5000人に及ぶ」とあります。

香港における民主主義の危機、すなわち一国二制度の危機です。今後の世界情勢を決定しかねない際どい局面です。外務省海外安全ホームページに「香港:『逃亡犯罪人条例等改正案』に反対する抗議活動に関する注意喚起」という情報も公開されました。

 

問題となっている法案についてご存じないかたは、以下の解説を閲覧なさるといいです。

以下のツイートには、防具をつけていない海外記者をデモ参加者が気遣って、防具をつけてやっている動画があります。香港の人々(今回のデモの参加者というべきかもしれませんが)は民度が高いですね。

2017年3月に中国へ温泉探査に行った日本人男性がスパイ容疑で拘束され、先月(2019年5月)、実刑判決(国家機密情報窃盗罪で懲役5年6月と財産3万元(約48万円)没収をいい渡されました。

この男性は70歳代だそうですが、定年退職後の再雇用か、あるいは思うような職がなくて温泉探査の仕事に就いた可能性だってあります。誰にでも、起こりうることです。

2017年当時のニュース記事からの引用です。

日本政府関係者によると、拘束されたのは、いずれも中国側の要請で温泉開発調査をしていた技術指導者だった。うち4人が勤務する日本地下探査(千葉・船橋市)の佐々木吾郎社長は、「初めて(現地に)行ってるわけではありませんから、例えば、軍事施設的なものをカメラで撮るとか、立ち入り禁止に立ち入るとか、そういう可能性はほぼないと思います」という。
2017年5月23日付「J-CASTテレビウォッチ(モーニングショー)」『中国の依頼で温泉開発調査に行った邦人技術者6人が拘束 スパイ容疑の可能性も』https://www.j-cast.com/tv/2017/05/23298625.html

2015年以降、中国では少なくとも9人の日本人がスパイ罪などで起訴されており、今回の男性を含め、これまでに6人が実刑判決をいい渡されているとか。

国は見ているだけです。戦後70年以上経つのに、自衛隊の位置づけさえ曖昧で、スパイ防止法すらないのですから、日本には手も足も出ないのでしょう。中共下にある中国は怖ろしい国です。

一般人の冤罪に対する不安だけでなく、中共の側近、否トップですら身の安全に不安があるようですから。臓器ビジネスに関する情報に接したときには背筋が寒くなりました。

香港のデモには、トップに挙げたツイート以外にも、人民解放軍が投入されているようだとの情報は昨日の時点から頻りに発信されています。

以前ウィグル自治区に関する動画を見ていたとき、人民解放軍が少年を囲んで袋叩きにしているものがありました。ああ、あれにそっくりだと思った動画が今回の香港デモのツイートの動画にあったので、信憑性があるように思います。

香港、台湾は、古きよき中国を思わせてくれる希望の地です。思想によって、人間は本当に変わるのです。香港加油!

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2019年6月11日 (火)

上皇后陛下が診断された「血液の逆流」

宮内庁の7日の発表で、上皇后陛下の症状が報じられたときから、もしかしたら心臓弁膜症ではないかと思っていた。記述された症状に覚えがあったので。

上皇后陛下は84歳のご高齢。これまでの激務を思えば、本当に大事になさっていただきたいと思う。

心臓の病気を持っていると、どうしても疲れやすい。そこを押して無理をすると、動悸、息切れ、不整脈が起きる。気候も影響する。

自分のことになるが、この時期はどうしてもエアコンの掃除や衣類の整理などの家事が増え、創作にまで手が届かなかったりもする。

普段は家事の合間にブログを書いたり、創作のための資料を確認したりといったことをやって、深夜、本格的な作業に入る。そして、昼間に仮眠。

ところが、近頃は余分な家事のためにくたびれて寝てしまい、深夜の集中作業がなかなかできず(今日はブログを書いている)、焦る、焦る。焦っても仕方がないのだが。

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2019年6月10日 (月)

戦後日本の文学を支え続けてこられた優れた昭和の作家、田辺聖子さんが逝去された

ウィキペディア「田辺聖子」より

田辺 聖子 (たなべ せいこ、1928年3月27日 - 2019年6月6日)は、日本の小説家。
大阪府大阪市生まれ。淀之水高等女学校を経て樟蔭女子専門学校(現大阪樟蔭女子大学)国文科卒。恋愛小説などを中心に活動し、第50回芥川龍之介賞など数多くの文学賞を授与されている。文化勲章受章者。 (中略)
幼少時は古典文学に親しみ、多くの少女小説を愛読した。戦時中は愛国心にあふれた軍国少女としての時代を過ごし、戦争で死ぬことを本望としていた。1943年『少女の友』の作文欄で川端康成の選により掲載された「さら」が最初の活字作品。敗戦後ではその反動と喪失感から複雑な思いを抱く中、古典文学の世界に癒しを見出した。大阪の金物問屋に就職で勤める傍ら文芸同人の『文芸首都』『大阪文学』に参加、『花狩』がラジオドラマに採用され放送作家となった時期もある。1956年『虹』で大阪市民文芸賞受賞し本格的な作家活動に入り、恋愛をテーマにした小説や大阪弁を用いた一種の方言文学の制作に取り組んだ。1964年に『感傷旅行』で第50回芥川賞に選出され、若手女流作家の寵児となる。以降は人気作家として多くの執筆依頼を受ける様になるが、純文学の賞である芥川賞の受賞者としての立場を枷に感じ、後年に「直木賞の方が欲しかった」と冗談含みで語っている。1987年の第97回直木賞から2004年第132回まで直木賞の選考委員を務めた。 (後略)
「田辺聖子」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年6月10日 05:47 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

戦後日本の文学を支え続けてこられた、優れた昭和の作家がまた一人逝ってしまわれた。深い喪失感を覚えずにはいられない。

何といってもわたしが忘れられない田辺聖子さんの作品は、閨秀俳人・杉田久女の評伝『花衣ぬぐやまつわる… わが愛の杉田久女』。

花衣ぬぐやまつわる… 上 わが愛の杉田久女 (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

花衣ぬぐやまつわる… 下 わが愛の杉田久女 (集英社文庫) 文庫 – 1990/6/20
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1990/6/20)

微に入り細を穿った描写により、久女の人生と心の機微が余すところなく伝わってきた。俳句のすばらしさも同時に伝わってきて、自分でも句作をするようになった。以下は、以前大宰府に行ったときに詠んだ下手俳句。

大宰府は底冷えの町久女の忌

古典の教養、社会を鳥瞰し人性を見抜く眼力、絶妙なバランス感覚、そうしたところから生まれる確かな筆力。

わたしは賞狙いをしていたころ、執筆に疲れたら『猫なで日記』を読んだ。賞狙いというギャンブルのために人生が狂わなかったのは、田辺聖子さんの作品のお陰かもしれない。

猫なで日記 私の創作ノート (集英社文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: 集英社 (1991/1/18)

賞狙いは不発に終わったが、「芸術は長く人生は短し」で、わが創作人生はようやく中盤に差しかかったところだ。

大衆に絶大に支持される田辺聖子さんは、芥川賞作家である。「田辺先生の文章の確かさはな、出発点が純文学だったところにあるんや」と、文学を教えていただいた横井三保さん(織田作之助賞を主宰する大阪文学振興会事務局長。関西文学散歩の会代表)は以前おっしゃった。

感傷旅行 Tanabe Seiko Col (ポプラ文庫)
田辺 聖子 (著)
出版社: ポプラ社 (2009/2/2)

田辺聖子さんはスヌーピーのぬいぐるみがお好きで、ぬいぐるみ好きのわたしはその点でも、いたく共感を覚えたものだった。

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2019年6月 7日 (金)

余った塩鮭をフレークに

昨日の夕飯に塩鮭を焼きました。5切れ入っていたので、全部焼き、2枚をほぐしてタッパーに入れ、冷蔵庫へ。

朝、そのほぐした鮭にお酒としょうゆを振り、フライパンで炒りました。みりんを加えてもいいでしょうね。

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ご飯は雑穀米入り。上にのせたのは、明太子海苔。いただいたものなのですが、これだけでご飯がいけます。

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塩鮭が5切れ入りのときは、これまで2切れ冷凍していました。今後は冷凍の出番がなくなるかも。

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2019年6月 4日 (火)

神秘主義エッセーブログ「96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で…」に加筆しました

加筆は青字部分です。目次8。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で茶化されたブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

ジョイスの幼児性が物悲しい

ところで、ジョイスはヴァージニア・ウルフ同様、意識の流れという技法を使ったといわれている。ウルフの小説は確かにそのような実験ごころと何かに到達しようとする祈りのような意志を感じさせる。一方、ジョイスの場合は遊びにしかなっていないとわたしには思える。

例えば 18 のペネロペイア。句読点のない、主人公ブルームの妻モリーの独白が455頁から563頁まで続く。意識の流れがこんなに不自然なものであるはずがない。ヴァージニア・ウルフの技法とは似て非なるものだ。

ジョイスは糞尿好き、卑猥好きで、わたしは読みながらうんざりするが、丸谷才一氏はそうした傾向にも、解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」で好意的な考察を加え、ユリシーズで最も重要なのは言語遊戯だという。「対象のきたなさと言葉の藝の洗練との対立は、ただ息を呑むしかない」*14そうである。

ヴァージニア・ウルフをはじめとするブルムベリー・グループの作家、イギリスの読者は『ユリシーズ』を嫌がったそうで、それはこの糞尿譚のせいではないかと思っていたそうだ。理性的な作家であれば、それが作品を嫌う一番の原因となることはないのではないか。不快に感じてしまうこのような箇所を、わたしなら飛ばすだけだ。

合成語、造語も得意だったらしい。脚注から引用した前掲のyogibogeybox(降霊術用びっくり箱)はそうだが、電話、エレベーター、水道設備、水洗便所という4つの単語を「神智学者が好きなサンスクリット用語めかした綴り字で書いて、ダブリンの文学者たちが AE やイェイツを含めてマダム・ブラヴァツキーに心酔してゐるのをからかったもの」*15もある。

ジョイスのからかいはともかく、当時のダブリンに、ブラヴァツキー夫人の神智学に心酔していた真摯な文学者たちがいたという情報がもたらされたことは、ありがたい。ウィリアム・バトラー・イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。わたしは未読だが、彼には日本の能楽の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』などもある。

氷川玲二氏の解説「ダブリン気質」の次の記述は、ジョイスの言語遊戯に彼の屈折した感情があったことを推測させる。

ただしそれに関しても彼は狷介孤独だった。たとえば目下流行のアイリッシュ・ルネサンス(アイルランド文芸復興運動)とやらにも何だか馴染めない。人並みに多少ゲール語をかじってみたりしたけれど、なにしろこれは現在ではアイルランド西部の田舎でしか通用しない言葉だし、それによって表現できる事柄の範囲も狭い。*16

ジョイスは、アイルランド文芸復興運動の指導的人物であったラッセル、イェイツ、グレゴリー夫人*17らの恩恵を被りながらも、結城英雄氏のオンライン論文「アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス」*18によると、彼らと対立していたという。

それは、出自の違いによるところもあったらしい。彼らがアイルランドの支配層であったイギリス系アイルランド人のプロテスタント教徒であったのに対し、ジョイスは土着のカトリック教徒だった。

今日のアイルランドにおけるイェイツ批判の背景にあるのは,プロテスタントとカトリック,イギリス系アイルランド人と土着のケルト人という,19世紀後半から顕在化していた対立図式である。批判者のほとんどがカトリックの側に属していることからして,南北に分裂したアイルランドの現状を映し出している。文学における毀誉褒貶は珍しいことではないが,アイルランドのイェイツ批判は,ジョイス賛美と同じく,カトリックや民族主義者による陰謀と思われる。*19

結城英雄氏は、「ジョイスもイェイツも,アイルランドという地方性を越え,ヨーロッパ文明を包括する普遍性を希求していたのである」*20とお書きになっているが、普遍性を希求していたにしてはジョイスのフィルターは自身の好悪の念で曇りすぎているのではないだろうか。

丸谷才一氏によると、ジョイスの語彙は、専門語、学術語から、俗語、卑語、幼児語、誓語(罵り言葉)、擬音語にまで及ぶという。「言語の多様性へのかういう執着は、長編小説を、 辞書と競争 させようといふもので、この企てもまた明らかに言葉遊びの一種であり、そしてこの遊びは当然、 百科事典と競争 歴史事典と競争 地名事典と競争 する段階へ進む」*21そうだ。

何が当然なんだか……わたしは、ジョイスと関わるのはもう充分である。ブラヴァツキー夫人が病身に鞭打ち、どれほどの思いで執筆に向かっていたかを伝記と著書を通して知っているためか、何か物哀しい気分にさえなった。

*14:丸谷,1997,p.585

*15:丸谷,1997,p.583

*16:氷川,1997,p.637

*17:イザベラ・オーガスタ・グレゴリー Lady Isabella Augusta Gregory, 1852 - 1932 アイルランドの劇作家・詩人

*18:結城英雄 . アイルランド文学ルネサンスとジェイムズ・ジョイス(5). 法政大学文学部紀要. 2014-03, 68, p.59 -70. http://hdl.handle.net/10114/9303, (参照 2019-06-04).

*19:結城,2014,pp.59-60

*20:結城,2014,p.69

*21:丸谷,1997,p.587

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2019年6月 3日 (月)

太陽と惑星をモチーフとした、アナスイのペンダント(太陽フレアも表現されている?)

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娘と百貨店に出かけたときは、アナスイの新作ペンダントを一緒に見るのが楽しみでした。この街に来て何年も続いていた、ちょっと幸せな習慣。

それが何と、アナスイの店舗が撤退してしまったのです。

先日、過ぎた母の日のお祝いとして博多行きをプレゼントしてくれた娘でしたが、わたしたちの主要目的は天神でアナスイのペンダントを見ることでした。アナスイに飢えていました。

ツムツムのペンダントのスティッチとプーさんを持っていた娘は、ミッキーがいないと「完成」しないといっていました。お店の人にいって、奥のほうから出して貰い、ミッキーに出合えた悦び!

このツムツムのペンダント、実は、この子たちのお尻がもう何ともいえないほど、かわゆいのです。もったいなくて、見せてあげられないほど。ミッキーはピカピカ光る赤いオムツを履いています。白いオムツを履いたミニーとどちらにするかで、娘はちょっと悩んでいました。

向かって右のペンダントは、太陽と惑星をモチーフに、アナスイの世界観でデザインされたものだとか。中心の白いデカい球体が太陽だそうです。これは、ホワイトチョコレートのようにも見えます。

あでやかで、ユニークな発想が魅力のアナスイらしい新作ペンダントですね。

このペンダントを目にした娘は、今度はツムツムのミッキーとどちらにするかで相当に悩み始めました。年齢からすれば、太陽のペンダントでしょう。

でも、アナスイのペンダントって、可愛いものにも蝶とか光る石とかといった大人っぽいものが必ずくっついているので(個別に外せたりします)、たぶん、わたしみたいな年齢の者がセーター着てつけたって、見逃して貰えます(?)。

それに、娘が主にコレクションしてきたのは動物をモチーフとしたペンダントなので、その傾向からすればミッキーかな、と思います。

かといって、太陽のペンダント、見れば見るほど素敵です。月のペンダントは珍しくないけれど、太陽のペンダントなんて初めて見る気がします。もう出合えないかもしれませんね。それに、娘は日曜日生まれなので、太陽はラッキーグッズ。

迷う娘の傍らで、わたしはお店の人に、自分の住んでいる街からアナスイが撤退してしまった話をしました。すると、九州からはアナスイの店舗が次々と撤退してしまっているらしく、もう九州には福岡と熊本にしか残っていないというのです。北九州からも撤退してしまったとか。

うわぁ、ショック! その言葉を聞いた娘は即、どちらも購入しました。お知らせの葉書が来なくなっていたのですが、お店の人が「送りましょう」といってくださいました。

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天球儀のように回る仕掛けになっています。その外側の光る石たちは太陽系の惑星でしょう。

太陽の表面についている星型のものは、太陽フレアではないでしょか?

写真ではよく見えませんが、太陽には蝶がしっかりとまっています。この蝶で一気に夢の世界になる……ああまさにアナスイだわ、惚れちゃう。

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ブリと野菜の煮びたし。エビとブロッコリーのサラダ。

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ちょっと何だかわかりにくいかもしれませんが、ブリと野菜の煮びたしです。電子レンジの説明書に載っていたレシピを参考にしています。

野菜はパプリカ、椎茸、白ネギです。

レシピは当然ながらオーブンでブリと野菜を焼くようになっているのですが、わたしは最近は時間が短縮できる魚焼きグリルで。

市販のめんつゆ、赤唐辛子を鍋に入れ、煮立ったら火を止めてレモンをいれます。焼けたブリと野菜をその中に入れて10分ほど漬けて味を染み込ませます。

材料を変えたり、揚げびたしにしても。暑くなってくると、よく作ります。

ブロッコリーが最近奇麗なので、よく使います。煮ても、炒めても美味しいですが、サラダに一番使います。

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エビとブロッコリーのサラダ。

ブロッコリーは茹で、エビは酒を振りかけて10分置いたあと、熱湯で色が変わるまで茹でます。ドレッシングはマヨネーズとプレーンヨーグルト、塩こしょうを混ぜます。卵を入れても、美味しいですね。

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2019年6月 2日 (日)

「96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

前の記事に加筆、訂正したものです。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

96 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』で茶化されたブラヴァツキー夫人を含む神智学関係者5名
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/06/02/004130

目次

  1. ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を読むことになったきっかけ
  2. モダニズム作家であったジョイス
  3. ユリシーズの構成と内容
  4. ブラヴァツキー夫人の神智学が茶化され、歪められて……
  5. ジョイスには真理も真実も必要なかった
  6. いろんな手口を心得ている婆さん?
  7. 神智学協会関係者が5名登場する場面
  8. ジョイスの幼児性が物悲しい

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