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2019年5月の19件の記事

2019年5月30日 (木)

悪童の落書きめいたジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(ブラヴァツキーの似顔絵もへのへのもへじに描いた)※何回かの加筆あり

1922年に出版されたジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』は、プルーストの『失われた時を求めて』と並んで、20世紀を代表する世界文学の金字塔といわれている。ちょっと嫌な顔しているけれど、凄いね。

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チューリッヒでのジョイス(1918年頃)
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)


ジェイムズ・オーガスティン・アロイジアス・ジョイス(James Augustine Aloysius Joyce,1882 – 1941)は、アイルランド出身の小説家で、前掲『ユリシーズ』と、その前編にあたる半自伝的小説『若い芸術家の肖像』が有名である。

なぜ急遽、長編『ユリシーズ』を読むことになったかというと、トラヴァースを調べていたことからだ。

トラヴァースが恋したジョージ・ラッセルについて調べていたらジェイムズ・ジョイスが出てきたわけだった。

そして、これも過去記事で書いたオレイジやらマンスフィールドやらが出てきて(マンスフィールドにはジョイスの『ユリシーズ』はわからなかったようだ)、当然ながらヴァージニア・ウルフが含まれるブルームズベリー・グループが出てきた(拙神秘主義エッセーブログの以下の記事参照)。

44 ヴァージニア・ウルフの知性美と唯物主義的極点
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2016/02/04/211114

そして、マンスフィールド関連からグルジェフ、何とルネ・ゲノンまで出てきた。

25 ブラヴァツキー批判の代表格ゲノンの空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/16/070556

いい加減、メアリー・ポピンズはこの辺で……と思いながらも変にジョイスが気になった。

有名な作家ということで、昔から何度となく読もうとしてきたけれど、落ち着きのない作品に思えて、読めなかった。

今回、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』を仕方なく読んでみて(気晴らしにTwitterでつぶやきながら)、難解なのではなく(ブラヴァツキー夫人の著作は難解)、いい加減なので、ちゃんと読めないだけなのだと改めてわかった。

最近の本好きの読書傾向として、「謎解き」をお楽しみにしたいという目的があるようだ。純文学小説まで、謎解きゲームのように読んでしまう……

だから、ジョイスのようなわかりにくい作品は案外好まれるのではないだろうか。

ユリシーズでは、あちこちの思想書、文学書から盗ってきた断章ががらくた市のように並べられている。村上春樹も同じようなことをする。ジョイスのような名人芸ではないが。

ジョイスとプルーストによる世界文学の金字塔といわれる2作品が現れてから、純文学の崩壊が始まったようである。プルーストについてもいずれ書きたいのだが、メリー・ポピンズを終わらせて萬子媛に行かなければ……

ユリシーズ全編に神智学関連のちょっとしたことは出てくるが、突っ込んだ内容のものでは全くない。神智学についてそうなら、他のことについてもそうだということだ。

だが、ユリシーズがオデュッセイアを下敷きにしていることを考えれば、ジェイムズ・ジョイスがブラヴァツキーを必要とした理由もわかる。

おどろおどろしい雰囲気を出したかったからに違いない。神話っぽい、冥界っぽい、魔物っぽい……本当のところ、ユリシーズはオデュッセイアとは似ても似つかない。

そして、難解な哲学など、ジョイスには必要なかった。真理の追究や神聖なインスピレーションとの一体感など、求めてはいなかった。作品はそう告白している。

思想書や文芸書から、作品作りに役立つ断章を気ままに拾いたかっただけなのだ。でも、それはピラミッドから宝物を盗むのと同じ泥棒行為にあたるだけでなく、思想や文学の流れに悪影響を及ぼす。

ただ、実際につきあいのあった人々の言葉を割合忠実に映している部分もあるのではないかと思われる。冴えていると感じられる言葉は、そうした写実的なものではないかと推察している。

ジョイスが真理も真実も求めていなかったことがわかる文章を挙げよう。ジェイムズ・ジョイス(丸谷才一&永川玲二&高松雄一訳)『ユリシーズ Ⅰ』(集英社、1996)より。

ドーソン会館の降霊術用びっくり箱。《覆いを取ったイシス》。ぼくたちはやつらのパーリ語聖典を質に入れようとしたっけ。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.465)

その脚注には次のように書かれている。

337 ドーソン会館 ドーソン通りの貸し事務所。毎週木曜日にラッセルを中心にした集会がこのなかで行われていた。

337 降霊術用びっくり箱 yogibogeybox ジョイスの造語。「ヨガ」yoga と「お化け」bogey をつなげた。「降霊術師の用いる道具一式」くらいの意味。ゴーガティ(マリガンのモデル)は「ボックス」を集会所の意味で使っていたという。

337覆いをとったイシス》 ブラヴァツキー夫人の著書(1876)の題名。

338 やつらのパーリ語聖典 パーリ語は小乗仏教の原典に用いた言葉。前記ブラヴァツキー夫人の著書を茶化して言うのか。実生活でも、ジョイスとゴガーティは神智学協会の集会所に忍び入っていたずらしたことがある(エルマン)。

「降霊術用びっくり箱」という造語から、ラッセルたちがヨガとお化けに関係が深く、降霊術を行っていたかのようなイメージを与えるが、後述するように、ジョイスはブラヴァツキーの神智学に魅了されたラッセル、イェイツを含むダブリンの文学者をからかう造語を他にも作っている。

神智学徒は心霊主義者ではない。降霊術などと結びつけられることを彼らが嫌ったからこそ、からかいのネタにされたのだろう。降霊術の集まりをすることがなぜ危険かは、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)を参照されたい。

ブラヴァツキー夫人の著書を茶化すのなら、どのような内容なのか書かれていてもおかしくない。それが、書かれていないのだ。どれもこれも、こんな風なのである。

しかし、本当に忍び入っていたずらしたのだとしたら、オツムの程度が知れるレベルである。

そのいたずらが、神智学協会の所有物を盗って質に入れたことだとしたら、それは窃盗罪だ。わたしはジョイスの創作の仕方が窃盗してがらくた市に出すようなやりかただと前述したが、素行にも問題があったのか?

後世のわたしたちは、ブラヴァツキーを誹謗中傷した人々があたかもまともな人々であったかのように錯覚している可能性がある。

覆いをとったイシス、は夫人の代表作の一つだ。ジョイスは、これをちゃんと読んではいない。もし読み、理解することができていたとすれば、卑近な心霊現象、「アカーシャの記録」についても(ジョイスに受けたのか、これはあちこちに出てくる)、輪廻についても、あやふやな概念ではない、しっかりした見解を持ち得たことだろうから、作為的で薄っぺらな『ユリシーズ』はもっと厚みと輝かしさを備えた作品となっただろうにと残念に思う。

バルザックは薔薇十字系神秘主義者であり、その知識を血肉としていたからこそ、「人間喜劇」のような偉大な創造を成し得た。ユリシーズでは様々な思想の断片が次々に紹介されるが、それらはジョイスの生半可な知識にすぎないために、有機的つながりを欠いている。

例のブラヴァツキー女史ってのが事のはじまりだ。ありゃいろんな手口を心得ている婆さんだったからな。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.343)

どんな手口か書いていない。嫌らしく匂わせるだけだ。何て卑劣なやりかただろう。

ブラヴァツキー夫人がロンドンで亡くなったとき、ジョイスは9つ、アイルランドで暮らしていた。だからジョイスは生前の夫人を知らないはずなのだが、まるで知っていたかのように書く。読者は知ったかぶりの断定口調に呑まれて、夫人に関する情報がフェイクかもしれないとは思わない。

わたしは以下の記事で、ウィリアム・ジェームズについて次のように書いた。

32 神格化された夏目漱石 (1)神仏分離政策の影
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/10/11/192042

プラグマティズムはアメリカの哲学で、ウィリアム・ジェームズ(William James、1842 - 1910)によって有名になった。その影響は哲学、心理学、生理学、文学など多岐に及ぶとされ、意識の流れの理論を提唱したことでも知られている。
そのジェームズは、1894年から1895年にかけて SPR (心霊現象研究会)の会長を務めている。SPR はブラヴァツキー夫人の集まりから派生した、神智学協会にとっては近代神智学運動の趣旨をちっとも理解しなかった、ちょっと鬼子のような存在である。
端的にいうなら、ジェームズは真理を現金価値に変換して計量しようと企てることで、物質主義的価値観を高め、唯物論の拡散に貢献した。

おそらくジョイスは、SPR(心霊現象研究会)から出たホジソン・リポートについていっているに違いない。そのリポートはブラヴァツキーが詐欺師であるかのように結論づけた。幸い、ホジソン・リポートの虚偽性は、1977年に SPR の別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれたのだったが、ジョイスは1941年に亡くなっているから、知らなかっただろう。

前掲書『神智学の鍵』でブラヴァツキーは、神智学協会にとって危険な敵はとてもたくさんいると語っている。

その危険な敵の名は「第一にアメリカやイギリスやフランスの心霊主義者の憎しみ、第二にあらゆる宗派の牧師達の絶え間ない反対、第三に特にインドの宣教師達の容赦のない憎しみと迫害、第四にインドの宣教師達が組織した陰謀によって唆された英国心霊研究会による神智学協会に対する音に聞こえた攻撃があります」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.263)

英国心霊研究会とは SPR のことである。

これに関連して、ブラヴァツキーは協会の簡単な歴史や、なぜ世間はそんなにいろいろ悪口を信じるのかという問に、次のように答えている。

たいていの局外者は協会自体について、また、その動機、目的、信念については何も知りませんでした。協会のごく始めから世間は神智学には或る不思議な現象以外は何もないと考えていました。そして心霊主義者でない三分の二は現象を信じていません。すぐに協会は「奇跡的」な力の持ち主のふりをする団体と見なされるようになりました。協会は奇跡を絶対に信じないし、奇跡の可能性さえないと教えていることを世間は理解しませんでした。また、協会にはこのようなサイキック能力をもっている人達はごくわずかしかいないし、そんな力を欲しがる人もほとんどいないということも理解しません。また、その現象はけっして公けに起こされたものではなく、私的に友達のためにしたことで、現象のようなことは暗い部屋や霊達や霊媒や普通の小道具がなくてもできることを直接見せることで証明しようと、一つの補助物として行ったにすぎないことも理解しませんでした。(後略)(ブラヴァツキー,田中訳,1995,p.263)

その私的に、補助的に行われた「現象のようなこと」に関して、ホジソンはブラヴァツキーには望まれない調査を強行し、リポートでブラヴァツキーを詐欺師であるかのように結論づけたというわけだった。リポートの虚偽性は前述したように1977年に暴かれた。

9のスキュレとカリュプディスには、神智学協会関係者が5名登場する箇所がある。脚注から引用すると、

  1. ダニエル・ニコル・ダンロップ 1896年にヨーロッパ神智学協会終身会長、96年ごろから1915年まで『アイルランド神智学研究者』を編集。
  2. ウィリアム・クワン・ジャッジ(1896没)アイルランド系アメリカ人。1875年にブラヴァツキー夫人らと神智学協会を創設。彼女の死後、1895年にアメリカ神智学協会会長。
  3. K・H ブラヴァツキー夫人の支配霊クート・フーミKoot Foomiの頭文字。※支配霊という解説は誤り(引用者)
  4. ミセス・クーパー・オークリー ロンドンの神秘主義者。ブラヴァツキー夫人の腹心の一人。
  5. H・P・B ヘレナ・ペトローナヴナ・ブラヴァツキー Helena Petrovna Blavatsuky の頭文字。

ジョイスの文章は次のようなものである。

 ダンロップ、あの者たちのなかでもっとも高潔なローマ人ジャッジ、農耕神官団の一人AE、口にしてはならない名前、天にあってK・Hと呼ばれる彼らの師、その実体は秘儀に精通する者には周知のことだ。大いなる白い支部の会員たちは、つねに、助けを求める者はいないかと見張っている。キリストは花嫁となる妹を連れて覚醒の境地へ去った。一人の乙女が聖なる魂と合体して産み落とした光のしずく、悔い改めたソフィアを連れて。秘儀の生は常人の知るところではない。O・Pは、まず悪しき業から抜け出さねば。ミセス・クーパー・オークリーは、かつて、わが高名な妹H・P・Bの心霊力をかいま見た。
 ああ、いやな! なんという! 《なんて恥知らずなの!》 見ちゃいけないのよ、奥さん! レディが心霊力を見せているときには見ちゃいけないのよ。(ジョイス,丸谷&氷川&高松訳,1996,p.451)

ブラヴァツキーも他の人々も、思いっきり馬鹿にされている。こんなことが楽しいのだろうか。

しかし、K・Hが「天にあって」というのはジョイスの思い違いであるし、K・Hがブラヴァツキー夫人の支配霊という脚注の解説も間違っている。

ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)によると、ブラヴァツキーは「主に化身している超人達の為の仲介者即ち伝達者として特別に訓練された」(マーフェット,田中訳,p.188)
人物で、彼女は霊媒と思われることを嫌っていた。

ブラヴァツキーはHPBと呼びかけられることを望んでいた。「大師方が『HPBのようなすぐれた人を長い間、待っていた」と言われたので、偉大な方々の協力グループの一員であることを示す、彼女にとって重大な意味のある名がHPBでした」(マーフェット,田中訳,p.189)

つまりK・Hは化身している超人達のお一人であり、ブラヴァツキーはその方々の協力グループの一員だった。「HPB」は、ブラヴァツキーにとって、神聖な意味合いの籠った、誇らしい名だったのだ。

キリスト教と心霊主義の混じったような考えかたでは、ブラヴァツキーと彼女の著書を理解することはできない。

悪童のように無知で愚かだからこそ、文学の名を騙って盗ったり、玩具にしたりできるのだろう。恥知らずなのは、ジョイスではないだろうか。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010)の中の編者ボリス・デ・ジルコフ「前書きにかえて」で、ジルコフは霊媒とブラヴァツキーのような媒介者とを厳密に区別している。両者は対極にある。詳しくは、拙神秘主義エッセーブログの以下の記事を参照されたい(記事で引用したジルコフの解説をライン以下に転写しておく)。

77 前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2017/11/16/195219

ところで、ジョイスはヴァージニア・ウルフ同様、意識の流れという技法を使ったといわれている。ウルフの小説は確かにそのような実験ごころと何かに到達しようとする祈りのような意志を感じさせる。一方、ジョイスの場合は遊びにしかなっていないとわたしには思える。

例えば18のペネロペイア。句読点のない、主人公ブルームの妻モリーの独白が455頁から563頁まで続く。意識の流れがこんなに不自然なものであるはずがない。ヴァージニア・ウルフの技法とは似て非なるものだ。

ジョイスは糞尿好き、卑猥好きで、わたしは読みながらうんざりするが、丸谷才一氏はそうした傾向にも、解説「巨大な砂時計のくびれの箇所」で好意的な考察を加え、ユリシーズで最も重要なのは言語遊戯だという。「対象のきたなさと言葉の藝の洗練との対立は、ただ息を呑むしかない」(p.585)そうである。

ヴァージニア・ウルフをはじめとするブルムベリー・グループの作家、イギリスの読者は『ユリシーズ』を嫌がったそうで、それはこの糞尿譚のせいではないかと思っていたそうだ。理性的な作家であれば、それが作品を嫌う一番の原因となることはないのではないか。不快に感じてしまうこのような箇所を、わたしなら飛ばすだけだ。

合成語、造語も得意だったらしい。脚注から引用した前掲のyogibogeybox(降霊術用びっくり箱)はそうだが、電話、エレベーター、水道設備、水洗便所という4つの単語を「神智学者が好きなサンスクリット用語めかした綴り字で書いて、ダブリンの文学者たちがAEやイェイツを含めてマダム・ブラヴァツキーに心酔してゐるのをからかったもの」(p.583)もある。

ジョイスのからかいはともかく、当時のダブリンに、ブラヴァツキーの神智学に心酔していた真摯な文学者たちがいたという情報がもたらされたことは、ありがたい。ウィリアム・バトラー・イェイツは1923年にノーベル文学賞を受賞している。わたしは未読だが、彼には日本の能楽の影響を受けた戯曲『鷹の井戸』などもある。

ジョイスの語彙は、専門語、学術語から、俗語、卑語、幼児語、誓語(罵り言葉)、擬音語にまで及ぶという。「言語の多様性へのかういう執着は、長編小説を、 辞書と競争 させようといふもので、この企てもまた明らかに言葉遊びの一種であり、そしてこの遊びは当然、 百科事典と競争 歴史事典と競争 地名事典と競争 する段階へ進む」(p.587)そうだ。

何が当然なんだか……わたしは、ジョイスと関わるのはもう充分である。ブラヴァツキーが病身に鞭打ち、どれほどの思いで執筆に向かっていたかを伝記と著書を通して知っているためか、何か物哀しい気分にさえなった。

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2019年5月28日 (火)

Kindle版児童小説『すみれ色の帽子』『不思議な接着剤1』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版児童小説『すみれ色の帽子』(ASIN:B00FB4K0X2)を5月25日、KENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただきました。ありがとうございます! KENPCでお読みいただいたのは今回で12回、これまでに8冊お買い上げいただいています。

また、同日、シリーズ物となる予定の第1巻目『不思議な接着剤1: 冒険前夜』(ASIN:B00NLXAD5U)をKENPCでお読みいただきました。ありがとうございます!  KENPCでお読みいただいたのは今回で2回目でした。これまでに1冊お買い上げいただいています。

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2019年5月27日 (月)

博多の帰りに乗った電車で耳にした、編集者と作家の会話

あら、図書館の返却日が迫ってきたこのときに、ココログのメンテ。

前回のメンテナンス後の騒動を思うと、無事に済んでほしいと願わずにいられません。

メアリー・ポピンズの記事を早く書いてしまわないと……そう何度もポピンズの本ばかり何冊も借りるのは気が引けます。数冊ずつ置かれているので、子供が借りる邪魔はしていないと思いますけれど。

神智学の影響の感じられる文章を拾うだけのつもりが、当時の政治、芸術、神秘思想が渾然一体となったような社会風潮に圧倒され、一人を調べていると芋蔓式にいろんな人が出てきて、きりがありません。

どこか分断されたような、各人が専門家面して各領域で小さく活動しているような――移動手段の発達で、一見世界はグローバル化されているけれど――現代とはあまりにも雰囲気が違います。

話は変わりますが、土曜日、娘と博多に遊びに出かけました。

帰りの電車で、作家と編集者が近くに座っていました。年輩の編集者の声がまるで話の内容を一般公開しているかのように大きかったので(とても真面目な様子でした)、2人の話が嫌でも耳に入ってきたのです。

編集者の顔は見えませんでした。わたしの真後ろに座っていたのです。作家は通路を挟んで座っていたので、ちょっと斜め後ろを見ると、顔が見えました。中年男性で、推理小説なんかによさそうなマスクでした。いや、時代小説のほうがいいかもしれません。

取材とインタビューが予定にあるようでした。2人ともこちらの人ではない様子で、編集者が奇妙なことをいっていました。

お猿さんのいる高崎山のてっぺんにあるホテルの露天風呂に入るだとか、「この街にはね*****という有名な店があってね」といっていましたが、そのレストランはどこにでもある――といっては語弊がありますが、編集者はそのチープな値段を売りにしているファミレスのことをまるで高級レストランであるかのように話していたので、わたしはびっくりしました。

それに、高崎山のてっぺんにホテルはなかったと思います。お猿さんの入る露天風呂があるかどうかは知りませんが。

「君は成功した部類の人間だから、今後もしっかりやるように」というようなことを編集者はいい、作家は神妙な面持ちで頷いていました。編集者はそのあと、作家の名を4人出してあれこれ論評(?)していました。そのうちの一人だけを編集者は「**先生」と呼んでいました。

おそらくその先生は大御所なのでしょうが、作家がどんなジャンルの物書きなのか、肝心のところがわかりませんでした。

そのうち、編集者は聞き捨てならないことを、これも大声でいい放ちました。

彼は最近、某氏の作品を校正してやっているそうです。その人は職業作家ではないようで、これまでに自費出版社から3冊の本を出したそうですが、そのために退職金を総額で1,000万円もつぎ込んだのだそうです。

出版社は悪質なとこらしくて、半分の金額で本が出せるのに倍出させ、「あいつらはそのぶん、丸儲けよ」と編集者はいいました。おまけに出版部数に関してサバを読んでいるというのです。詐欺ですよね、これって。

しかも、校正といっても誤字脱字を直すだけなので、まるで文章になっていないそうです。編集者は3回手を入れたといっていました。「謝礼は貰ったけれどね」と、短い会話の間に編集者は2回繰り返しました。会話全体は、だいたい3回繰り返されました。

「君は成功した部類の……」の箇所に来ると、回が更新されるというわけです。そのたびに、作家は初めて聞く教訓であるかのように、神妙に頷くのでした。

そういえば、従妹の息子が悪質な出版社から絵本を出すというので、慌てて止めたのですが、わたしがいっても説得力がありませんでした。

編集者がいう悪質な出版社というのは、従妹の息子が出した出版社ではなく、人口に膾炙した出版社です。でも、悪質な出版社で調べると、従妹がいっていた出版社の次の次くらいに名が出てきて、わたしはそのとき初めて、その出版社が自費出版も手掛けているのだと知りました。

3回会話が繰り返され、急に編集者は黙り込みました。すっかり疲れたのでしょうね。作家も静かでした。

わたしも何だかくたびれて、目を閉じました。わたしは、天神で購入した、お買い得だった夏用のベレー帽をかぶっていました。夫には、室内着を購入しました。娘はコレクションしているアナスイのペンダントを。

そうした品々のことや、帰宅後に残っている家事のこととかを半分眠りながら考え、夢現にトラヴァースが恋したジョージ・ラッセルのことを考えました。彼女が出会ったとき、ラッセルは既婚者でした。親子くらい年齢が離れていました。

それでも、恋したわけですね。ウィキペディアなどで見ると、ラッセルは若い作家にはとても優しかったようですが、彼らを歓待しただけでなく、世に出られるよう力を尽くした人でもあったようです。もしかしたら、少し女たらしだったのかもしれませんが。

森恵子氏がお書きになったトラヴァースの評伝を読むと、ラッセルが素敵な人であったことがわかります。トラヴァースの気持ちを想像しながら、うとうとしました。

ふいに、衝撃を受けました。何と、トイレに立った編集者がよろけて、わたしのベレー帽に当たったのでした。

謝りもせずに編集者は座席に戻って(わたしにぶつかったことなど、気づかなかったのかもしれません)、また大声で何か作家にいいました。

終点に着いたら、ちゃんと見ていない編集者の顔を見てやろうと思いながら、わたしは疲れを覚えてまた目を閉じました。終点に着いたとき、すぐに立ち上がって後ろを見ました。座席は空でした。

お猿さんのいる山のてっぺんにあるというホテルに行くために、一つ前の駅で降りたのでしょう。

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2019年5月26日 (日)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (4) 

森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006)を参考にすると、トラヴァースはジョージ・ウィリアム・ラッセル(George William Russell,筆名AE,1867 – 1935)、アルフレッド・リチャード・オレイジ(Alfred Richard Orage,1873 - 1934)、ジョージ・イヴァノヴィチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866年 - 1949)の順に出会ったようだ。

森によると(2006,p.18)、トラヴァースとジョージ・ラッセル(AE)の出会いは1925年。ラッセルは57歳、トラヴァースは25歳だった。ラッセルはトラヴァースを「『娘、助手、徒弟あるいはその三つを合わせたもの』と考え目をかけてくれた」。また、「精神世界について、妖精物語や神話の意味、東洋の宗教などについて教えを受けた。AEが重要視していたのは、アイルランドの国家ではなく、そこに広がって存在する精神的な結び付き、霊的な一族であった」。

交友関係はラッセルが1934年に亡くなるまで、10年近くに及んだ。森によると(2006,p.29)、ラッセルはトラヴァースの「師でもあり恋人でもあった」。メアリー・ポピンズの初期の作品にロマンティックなムードが漂っているのも、頷ける。

ウィキペディア英語版、日本語版の「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」には、神智学協会やヘルメス協会は出てきても、グルジェフ関連の記述は見当たらない。ラッセルはグルジェフとは接触がなかったようである。

ウィキペディア日本語版には、ラッセルが神智学団体のまとめ役や相談役も担ったとあり、次のような記述もある。

1880年頃から神智学に興味を持ち始めた。1885年に学友ウィリアム・バトラー・イェイツがダブリンにヘルメス協会を設立した際にはすぐ加入しなかったが、この組織が神智学協会へと改組されると参加し、さらに1898年にはこの組織を抜けて自らヘルメス協会を復興させた。
「ジョージ・ウィリアム・ラッセル」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2016年7月24日 15:57 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org)

ウィキペディアのヘルメス協会というのは、The Hermetic Order of the Golden Dawn のことではないかと思う。

「黄金の夜明け団」と邦訳される、英国フリーメーソン系英国薔薇十字協会の3人のメンバーによって創設された神秘主義的結社である。

亡き母に捧げられた「風にのってきたメアリー・ポピンズ」は1934年に出版されたが、「メアリー・ポピンズ」シリーズの基となった詩や短編が1923年から見られるという。

1935年7月にラッセルが癌で亡くなった3か月後の10月に書き上げられ、同年出版された「帰ってきたメアリー・ポピンズ」には、最後までこの作品のことを心配していたラッセルの助言が生きているそうだ。

「メアリー・ポピンズ」シリーズ初期の1、2巻にラッセルの影響が色濃く、アイルランドの妖精物語や神話などに交じって神智学の影響が見られるのも、長かった2人の関係を考えれば、不思議ではない。

ちなみに、英語版ウィキペディア「George William Russell」によると、トラヴァースがラッセルを知ったとき、彼は既婚者だった。1898年にバイオレット・ノースと結婚しており、1932年の妻の死はラッセルに大きな打撃だったらしい。ラッセルの気前のよさともてなしは伝説的だった(Russell's generosity and hospitality were legendary.)。以下の記述からすると、特に若い作家に対してそうだったのだろう。トラヴァースもその恩恵に与った一人だったのだ。

He was noted for his exceptional kindness and generosity towards younger writers: Frank O'Connor termed him "the man who was the father to three generations of Irish writers", and Patrick Kavanagh called him "a great and holy man". P. L. Travers, famous as the creator of Mary Poppins, was yet another writer who gratefully recalled Russell's help and encouragement.
「George William Russell」『フリー百科事典 ウィキペディア英語版』。2019年5月25 22:45 UTC、https: //en.wikipedia.org

トラヴァースがラッセルを通じてオレイジと知り合ったのは1933年である。出会いの翌年、1934年にオレイジは亡くなっている。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」を閲覧したところでは、オレイジと神智学協会の関係は1890年代後半から1907年までである。

In 1906 and 1907 Orage published three books: Consciousness: Animal, Human and Superhuman, based on his experience with theosophy; Friedrich Nietzsche: The Dionysian Spirit of the Age; and Nietzsche in Outline and Aphorism. Orage's rational critique of theosophy evoked an editorial rebuttal from The Theosophical Review and in 1907 he terminated his association with the Theosophical Society.
「Alfred Richard Orage」『フリー百科事典 ウィキペディア英語版』。2019年5月15日、04:22 UTC、https: //en.wikipedia.org

1906年と1907年にオレイジは3冊の本を出版した。その内容が The Theosophical Review からの反論を呼び起こし、それが原因で彼は1907年に神智学協会との関係を断ったようである。The Theosophical Review は、アニー・ベサントとG・R・S・ミードを編集者としてロンドンで刊行された月刊誌。

オレイジの著作のタイトルから見る限り、オレイジ独自の思想が神智学と関連付けて織り込まれているのではないだろうか。

1914年にはグルジェフと関係の深かったウスペンスキーと出会い、1922年にはグルジェフと出会っている。それから亡くなるまで、オレイジはグルジェフの助手として働いた。

このことから考えると、オレイジの最晩年にしか接触がなかったトラヴァースがオレイジからグルジェフへの関心をもたらされたことはあったとしても、神智学の影響を受けたとは考えにくい。

「メアリー・ポピンズ」の初期の2作品からはまぎれもなく神智学の雰囲気が感じとれるから、トラヴァースの神智学への関心はやはり、ラッセルとの交際によってもたらされたものではないだろうか。それも、彼女は直にブラヴァツキーの代表作を読んだのだとわたしには思える。

そして、ラッセル亡き後、トラヴァースはグルジェフに傾倒していったのだろう。

「帰ってきたメアリー・ポピンズ」に話を戻そう。

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以下は未整理のオレイジに関するノート。

英語版ウィキペディア「Alfred Richard Orage」によると、アルフレッド・リチャード・オレイジAlfred Richard Orage(1873 - 1934)は、小学校の教師時代に独立労働党(Independent Labour Party。かつてイギリスに存在した社会主義政党)に関わり、その後プラトンを7年間、ニーチェを7年間、マハーバーラタを7年間学んだ。

1890年代後半、従来の社会主義に幻滅したオレイジは神智学に転向。1907年に神智学協会との関係を断った。

オレイジは1907年に週刊誌「ニュー・エイジ(The New Age)」を買い取って、編集者としての辣腕を振るった。

「ニュー・エイジ」の寄稿者はフェビアン協会のメンバーが多かった。

ウィキペディア「フェビアン協会」(「フェビアン協会」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年2月20日 13:32 UTC、http://ja.wikipedia.org)によると、フェビアン協会(Fabian Society)は1884年にロンドンで設立された。漸進的な社会変革によって教条主義的マルクス主義に対抗し、暴力革命を抑止する思想や運動をフェビアン主義(フェビアニズム)と呼ぶ。労働党の基盤の団体として、現在も存在。 

ファビアン協会のメンバーにはジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw,1856 – 1950)、イーディス・ネズビット、ハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells,1866 – 1946)など作家もいて、1907から1933年にかけて神智学協会の第2代会長
を務めたアニー・ベサント(Annie Besant,1847 – 1933)も初期のメンバーの一人だった。

オレイジはその雑誌の傾向を変化させていく。キャサリン・マンスフィールドも寄稿したようである。

オレイジはグルジェフとの関係には紆余曲折あったようだ。ウィキペディア英語版の記述からすると、オレイジはグルジェフに結構こき使われているようにわたしには映る。

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2019年5月24日 (金)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (3) 

ここでちょっと書いておくと、わたしはグルジェフに関する著作を読んだことはなかったが、オカルト情報誌『ムー』でたびたび目にしていた。

また短編小説の名手キャサリン・マンスフィールドが結核末期にグルジェフの施設に駆け込み、そこで亡くなったことをマンスフィールドの年表や伝記を通して知っていた。書店でグルジェフに関する著作を手にとってみたことは何度もあったが、読みたいという衝動が起きなかった。

マンスフィールドについて少し書いておくと、彼女の作品は一幅の絵のように印象的である。登場人物が息を呑むほど精緻に描写され、人生の深みに誘い込まれる。

一例を挙げよう。キャサリン・マンスフィールド(安藤一郎)『マンスフィールド短編集』(新潮社⦅新潮文庫⦆、1979改版)所収「パーカーおばあさんの人生」の次の断章。

「おばあちゃん! おばあちゃん!」小さな孫息子は、ボタンどめの深靴のまま、彼女の膝の上に立った。外の遊びから帰ったばかりだった。
「これ、おばあちゃんのスカートが台なしになっちゃうじゃないか――いけない子だね!」
 だが、孫は彼女の首に手を巻きつけて、頬を彼女の頬にすりつけた。
「おばあちゃん、一ペニーちょうだい!」とねだった。
「あっちへいきなさい、おばあちゃん、お金なんかもってないよ」
「うそ、もってるよ」
「いえ、もってません」
「うそ、もってるよ、一ペニーちょうだい!」
 もうそのとき、彼女は古い、ぐにゃぐにゃになった、古い皮財布をまさぐっていた。
「それなら、お前はおばあちゃんに何をくれる?」
 孫は、ちょっと恥ずかしそうな笑い声をたて、いっそう近くくっついてきた。その瞼がふるえながら、彼女の頬にあたるのを感じた。「なんにも、もってないもの」と彼は小さな声で言った。(マンスフィールド,安藤訳,1979,pp37-38)

言葉を尽くして博愛やかよわい生命のいじらしさを説くよりも、この断章一つ示すほうが効果的なのではあるまいか。

実は、この孫は既に死んでいるのである。これは、パーカーおばあさんの回想なのだ。

この孫が死なずに成長したらどうなっていただろう(とんだ祖母不幸な男に育った可能性だってある)と思ったりするが、マンスフィールドの作品の登場人物には誰にも彼にも未来が閉ざされているようなはかなさが付き纏っている。そこのところがわたしには不自然な気がするというか、物足りないところだった。

マンスフィールドの描写力を羨望したヴァージニア・ウルフのような知的処理がなされないだけに救いがなく、真実の半分が欠落しているような気がしてしまう。

キャサリン・マンスフィールド(崎山正毅&伊沢達雄訳)『幸福・園遊会 他十七篇』(岩波書店《岩波文庫32-356-1》、1969)の巻末「年譜」(マンスフィールド,崎山&伊沢訳,1969,「年譜」p.409)に、彼女が1922年10月、「奇跡を求めてフォンテンヌブローのグルディエフ・インスティテュート(一種の精神療法を唱えるロシア人グルディエフの創立になる)にはいる」とある。翌年の1月9日、34歳で亡くなっている。

グルジェフの著作の邦訳版は次の3冊が出ているようだ。

ベルゼバブの孫への話―人間の生に対する客観的かつ公平無私なる批判
G.I.グルジェフ (著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1990/08)

注目すべき人々との出会い 
G.I.グルジェフ (著), 星川 淳 (翻訳)
出版社: めるくまーる (1981/12/1)

生は「私が存在し」て初めて真実となる
G.I. グルジェフ (著), Georgei Ivanovitch Gurdjieff (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1993/08)

残念ながらわたしが利用している図書館にはない。次の4冊がある。

グルジェフ・ワーク―生涯と思想 (mind books)
K.R.スピース (著), 武邑 光裕 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (1982/08)

覚醒の舞踏―グルジェフ・ムーヴメンツ 創造と進化の図絵
郷 尚文 (著)
出版社: 市民出版社 (2001/6/1)

回想のグルジェフ―ある弟子の手記
C.S. ノット (著), Charles Stanley Nott (原著), 古川 順弘 (翻訳)
出版社: コスモスライブラリー

グルジェフ伝―神話の解剖
ジェイムズ ムア (著), James Moore (原著), 浅井 雅志 (翻訳)
出版社: 平河出版社 (2002/3/1)

ネット検索で、グルジェフに関するサイトを発見した。リンク禁止とは書かれていないようなので、紹介しておく。

グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集
http://gurdjieff.la.coocan.jp/index.html

サイトの「生涯に関する叙述」中「1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明」の次の記述を読む限り、グルジェフが神智学の影響を受けたとは到底思えない。

二分化された意識構造から生じる異常性の例として、グルジェフは、「いちおうは目が覚めた状態」にある人々がもっぱら顕在意識の支配下で見せる行動や思考の異常性にも目を留めた。戦争と動乱の絶えない時代にあって、グルジェフはしばしばその現場を目撃したが、もっとありふれた状況のなかでこれについて徹底的に解明するための研究対象としてグルジェフが目を留めたのは、ちょうどそのころロシアやヨーロッパで大流行していた神智学運動やオカルティズムを背景にして、いわゆる「精神世界」に夢中になる人たちが呈する思考と行動における異常性だった。(HC)

グルジェフは、みずからその分野での「専門家」になりすまし、神智学運動やオカルティズムを追求する組織や団体と接触し、この「哀れむべき病気」のさまさまな症例を研究する(HC)。これは「まやかしの研究と実習」として、のちにグルジェフが設立した学院のカリキュラムにも組み込まれた。
Home > Introduction > 生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/life_04.htm

が、接触があったことは間違いないのだろう。

トラヴァースはグルジェフを通してではなく、直接ブラヴァツキーの著作に触れたのではないだろうか。その後、グルジェフに傾倒していったのを物語るように、メアリー・ポピンズの初期の作品にしかブラヴァツキーの神智学を連想させられるような文章は見い出せない。

だが、グルジェフの死後、トラヴァースは、神智学と関係の深かったクリシュナムルティをグルジェフの再来として崇拝したようだから、メアリー・ポピンズの物語が全体として神智学の香気に包まれていても不思議ではない。

前掲サイトから、キャサリン・マンスフィールドの最期から埋葬後までの情報を得ることもでき、貴重である。

キャサリン・マンスフィールドの思い出 (チェスラヴ・チェコヴィッチ回想録より)
http://gurdjieff.la.coocan.jp/life/PDF/quote_0801.pdf

以下は、ウィキペディア「ゲオルギイ・グルジエフ」の解説より引用。

ゲオルギイ・イヴァノヴィチ・グルジエフ(ロシア語: Гео́ргий Ива́нович Гурджи́ев, George Ivanovich Gurdjieff、 1866年1月13日? - 1949年10月29日)はアルメニアに生まれ、一般に「ワーク」として知られる精神的/実存的な取り組みの主導者として、および著述家・舞踏作家・作曲家として知られる。ロシア、フランス、アメリカなどで活動した。
ギリシャ系の父とアルメニア系の母のもとに当時ロシア領であったアルメニアに生まれ、東洋を長く遍歴したのちに西洋で活動した。20世紀最大の神秘思想家と見なされることもあれば、怪しい人物と見なされることもあるというように、その人物と業績の評価はさまざまに分かれる。欧米の文学者と芸術家への影響、心理学の特定の分野への影響、いわゆる精神世界や心身統合的セラピーの領域への影響など、後代への間接的な影響は多岐にわたるが、それらとの関係でグルジエフが直接的に語られることは比較的に少ない。人間の個としての成長との関係での「ワーク」という言葉はグルジエフが最初に使ったものである。近年ではもっぱら性格分析に使われている「エニアグラム」は、史実として確認できるかぎりにおいて、グルジエフがこれを世に知らしめた最初の人物である。精神的な師としての一般的な概念にはあてはまらないところが多く、弟子が精神的な依存をするのを許容せず、揺さぶり続ける人物であった。
「ゲオルギイ・グルジエフ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。 2018年11月17日 06:22 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」を閲覧した限りでは、グルジェフはロシア革命や大戦の激動期を求道的に生き抜く中で独自の思想を展開し、宗教的修行の場を形成したように読める。

「音楽に合わせてのリズム体操、ダルヴィッシュの舞踏、各種のメンタルエクササイズ、呼吸のいろいろな様式の研究」といった記述からわたしに連想されるのは、ブラヴァツキーよりも年齢的に近いシュタイナーなのだが、シュタイナーの名は出てこない。

グルジェフは治療も行ったようだ。記述からすると、これはおそらく磁気治療だろう。

これ以上グルジェフに踏み込む衝動が起きないので、ブラヴァツキーの神智学の影響をメアリー・ポピンズの物語から拾うに留めたい。

ただ、グルジェフの思想は芸術、心理学、ニューエイジ・ムーブメントなどへの影響も大きいようだから、いずれ、もう少し調べることになるかもしれない。何にせよ、ブラヴァツキーがニューエイジの元祖のように祭り上げられながら、なぜ誹謗中傷されるのか、前掲サイト「グルジェフの著作・音楽・舞踏|創造と進化の図絵|電子版全集」の記述(生涯に関する叙述 4/14 1885?~ たどり着きがたい場所への旅/人間をめぐる謎の究明)からもその原因の一端が窺える気がした。

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』に話を戻そう。

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2019年5月23日 (木)

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (2) 

『帰ってきたメアリー・ポピンズ』で、自分がどこから来たかをムクドリに語る赤ん坊 (1) 
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-f68a49.html

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パメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lindon Trvers,1899-1996)の評伝、森恵子『P.L.トラヴァース』(KTC中央出版、2006、p.43)によると、「グルジェフの死後1952年に出版されたトラヴァースのメアリー・ポピンスの物語の第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park、53歳)にはグルジェフの考え方が織り込まれているという。

また、晩年に出版された第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane、1982年、83歳)、第10巻『メアリー・ポピンズとおとなりさん』(Mary Poppins and the House Next Door、1988、89歳)では、森によると(2006,p53)、ますます「グルジェフの神知学」の影響が大きくなるそうだ。

当記事は神智学の影響を受けたというトラヴァースの代表作であるメアリー・ポピンズの物語にどの程度、ブラヴァツキーの神智学の影響が窺えるかを調べるのが目的であるから、神智学の流れを汲むというグルジェフに踏み込むのは別の機会にしたいと思う。

ブラヴァツキーの神智学の観点から読むと、確かに、いわゆる神智学の影響が色濃く感じられるのは初期のメアリー・ポピンズの物語中第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins、1934年、35歳) 、第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back、1935年、36歳) である。

53歳で出版された『公園のメアリー・ポピンズ』は洗練された作品となっており、トラヴァースの児童文学作家としての成熟が感じられる。神秘主義的な作風であるが、格別に神智学を感じさせられる箇所は見つけられなかった。グルジェフの思想のオリジナルな部分からの影響がそれだけ強いということだろうか。

『さくら通りのメアリー・ポピンズ』と『メアリー・ポピンズとおとなりさん』には、いくらか筆の衰えを感じさせられるものがあった。

しかしながら、この2作品には幻想的というより夢幻的といったほうがいいような趣があり、現実と異世界の境界が曖昧で、このころ既にトラヴァースは異世界の住人となっていたようですらあって、夢見心地で書かれたような何か朧げな、恬淡とした味わいがある。

以上のことから、当記事で採り上げるべき作品は初期の前掲2作品ということになる。ロマンティックなところのある『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は過去記事で採り上げたから、ここでは『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を採り上げたい。

P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店⦅岩波少年文庫 053⦆、2001新版)では、アナベルという女の子が4人の下に生まれ、バンクス夫妻は5人の子持ちになるわけだが、そのアナベルがゆりかごの中で、ムクドリの問いかけに答えて、自らの起源を語る。

私見によると、この場面でアナベルが語る3箇所に、神智学色が濃厚に表れているのである。引用する。ここに2箇所ある。

「話しておやり、アナベル!」と、親どりが、しゃがれ声でいいました。
 アナベルは、毛布の下で、手を動かしました。
「わたしは、土と空と火と水なの。」と、しずかにいいました。「わたしは闇[やみ]のなかからきたの。なんでも、はじまりはそこなの。」(トラヴァース,林訳,2001,p175)

旧約聖書の創世記にも「闇」が出てくるが、アナベルが語る「闇」とは重要度が異なる印象である。聖書から見てみよう。

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2019年5月22日 (水)

最近作って美味しかった、ごはんとおかず。銀座木村屋のあんぱん。

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ストウブで、米3合のグリンピースごはんを炊こうとして、ふと小ぶりの辛子明太子が二はらあることを思い出し、米、水、酒大さじ2、塩小さじ1、砂糖小さじ1、グリンピース、明太子二はらストウブに入れて、炊きました。とても、美味しかったです。

翌日、タッパーに入れて冷蔵庫で保存したごはんをレンジで温め、朝食のごはんはこれに。それに定番の目玉焼き、ミニサラダ、キーウイ、味噌汁、カフェ・オ・レ。転職前は大きなお握りだった娘。ちゃんと食べていってくれて嬉しい。

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結婚する気があるなら、家事能力を高めるために、お弁当を自分で作っていけばと思い、そういうけれど、あまり聞こえないみたいです。書店勤めのときは、こき使われていつもヨレヨレの感じで、そんなこと言いだせないほどでした。転職後は時間の余裕があるようで、イタリア語講座もサボらずに済みそう。

小学校高学年まではよくお手伝いしていたのになあ。周りの若い人々もボーイッシュな感じで……時代の変化もあるのでしょう。でも、食は基本ですよ。食を大事にすれば、食をはぐくみ、食にはぐくまれた伝統文化も自然に伝わる……伝統文化とは思想の華。

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有名な木村屋のあんぱん。酒種あんぱんです。明治7年に開発されたとか。生地は快いやわらかさで、あんはほどよい甘さです。さらに、おへそに埋め込まれた塩漬けの桜の花びらが、あんぱんの味を引き立てています。小ぶりのあんぱんですが、一度食べたら忘れられない味です。

ホームページのトップページには、神々しいようなあんぱんが鎮座。圧倒されますよ。

銀座木村屋::あんぱんの元祖
http://www.ginzakimuraya.jp/

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2019年5月21日 (火)

5月20日に歯科受診終了。令和元年のリヴたち。

20日に歯科クリニックを受診し、歯と歯茎の検査に合格して、歯科受診が終わりました。

2019年4月11日 (木)
歯医者さんは、いくつになっても怖い。事前に見た歯医者さんの夢。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-d52dbe.html

2019年4月16日 (火)
4月16日に親知らずの抜歯。ランキング1位の理由がわかりました。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-dfcfe8.html

2019年4月23日 (火)
4月23日に歯科クリニック受診(親知らず切開抜歯後の抜糸、次回歯磨きテスト)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/04/post-01064d.html

歯科には全部で4回通いました。昨日の受診はもっと早く予約することも可能でしたが、ブラッシングが上手にできるかどうか心配だったので、あえて日を開けて貰いました。早めに予約していたら、初診から受診終了までに、ひと月もかからなかったでしょう。

受診時に行われたことは、大体こんな感じだったかと思います。

1日目

  • 問診
  • 検査(プラーク(歯垢)・歯石付着の状態、歯茎からの出血、ポケットの深さ、歯の動揺度、エックス線写真の撮影)
  • 診断
  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • 薬の塗布(この薬が何だったか、忘れてしまいました)

2日目

  • 口腔内チェック
  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • ブラッシング指導
  • 親知らずを切開して抜歯 ※抜歯前から抜歯後まで血圧測定あり
  • 消毒

3日目

  • 抜糸と消毒

4日目

  • クリーニング(歯垢・歯石の除去)
  • 検査(ポケットの深さ、歯の動揺度、指で押して歯肉の状態をチェック)
  • 診断
    親知らずを抜いたことで、歯肉の状態が改善された。今後も歯磨きに励むこと――と、先生はおっしゃいました。

検査は周到な感じでした。初診時、検査やクリーニングのときに口をゆすぐと、血液が混じって真っ赤でした。

それが、昨日は1滴も血が混じっていませんでした。ポケットに器具を差し込まれると痛かったし、クリーニングのときも少し痛かったので、結構血が出るかなと思ったのですが、口をゆすいで吐き出した水は透明で、意外でした。口の中が爽やかなはずです。

横向きに生えた親知らずがブラッシングの邪魔をして、歯周病を悪化させていたようです。それにしても、治りが速いですね。こんなものですか? 治療のお陰であることは勿論ですが、オーラビーム(?)もいくらかは役立ったのかな?

でも、これで安心せず、半年に1度(3か月に1度が理想かな)はクリーニングに通わなければと思いました。

抜歯後、慈父のような目をしていらした先生は、今日の検査後も慈父のような目をしていらっしゃいました。間はむしろ不愛想な印象でしたが。この落差が患者の心を捉えるのかもしれません。そして、今後の注意は、歯磨きをよくするように、とだけ。

院内の設備に関して、昨日もビデオで学習しました。狭い待合室ではテレビとビデオが同時についています。考えてみれば、不思議な話ですね。2台は近くに置いてあるのに、どちらを見ていても、なぜかもう一方が気にならずに画面に集中できるのです。

歯石の除去、歯を削るなどの治療が行われるとき、口の中から飛び散る飛沫は、1メートルも飛び散るそうです。そのときに、インフルエンザウィルス、肝炎ウィルスなども一緒に飛び散って、院内感染する危険性が高まるとか。

それを防ぐために、わたしが通った歯科クリニックでは、強力に患者の飛沫を吸い込む何とかという装置が使われているそうです。歯科で院内感染の危険があるとは考えたことがなかったので、驚きました。

話は変わりますが、下の画像は最近のうちのリヴたちです。パソコンを休ませていた期間、息子がくれたアイパットが重宝しました。リヴリーアイランドへも、アイパッドからスマホ版にアクセスしていました。

でも、スマホ版はもう一つかなあ……

スマホ版ではミュラー博士の研究室へ移動できず、リヴの姿を少しだけ変化させることのできるプラステリンの利用ができませんでした。

それまでは毎月、うちのプリミティブケマリ(卵に似た外観の生き物。卵の殻に見える固い殻はフラスコの中で形成された)を研究室に連れ出して足を生やしてやっていたのですね。

それができなかった間、うちの子は鬱っぽくなり(?)、いつ行っても殻に閉じこもって寝てばかり。足を生やしてやったとたんに、元気に飛び回るようになったのには呆れました。遅ればせながら、皆で、令和時代の幕開きをお祝いしました。

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2019年5月17日 (金)

ノートパソコンの異音が消えたことについて。光明皇后、元寇に関する本のことなど。

深夜、長い記事を書いていたが、眠くなったので、閉じて寝たのはいいが、保存し忘れたらしい。虚脱感。

まず、パソコンのことから書いたはず。

異音がしたパソコンは、バッテリパックの交換で静かになった。

富士通パソコンの2010年から2016年に販売開始されたノートパソコンはバッテリ充電制御機能を提供されていて、それはバッテリの消耗に合わせて充電電圧を制御し、発火事故を未然に防ぐものだ。

なぜそのようなものが提供されているかというと、富士通製ノートパソコンに搭載されたパナソニック製の一部のバッテリパックにおいて、充電中や電源オン/オフいずれの場合でも、発火し火災に至る恐れがあることがわかったからだという。

わたしのパソコンのバッテリパックはリコール対象ではなかったものの、「既に交換・回収を実施している上記のバッテリパック以外にも、発生率は非常に低いものの発火事故が発生しております。これらの発火事故に対する未然防止策として、現在までの調査から、バッテリの内圧が上昇する現象を抑制することが効果的」なのだそうだ。

リコール対象ではないということで、安心し、よく読まなかったのか、「既に交換・回収を実施している上記のバッテリパック以外にも、発生率は非常に低いものの発火事故が発生」という箇所を読み過ごし、この記事を書くために文章を再読して気づいた。

発生率は低くても火災事故が発生しているのなら、バッテリ充電制御機能を提供されているノートパソコンは全てリコールの対象でないとおかしい。

わたしのパソコンは「バッテリ充電制御ユーティリティ」の適用で、消耗したバッテリを使っていたから、実際のバッテリ駆動時間(充電量)は約65%になっていた。

パソコンがかなり熱くなり、ファンの音が高くなりがちだったのが、異音までしたので、これはまずいと思い、バッテリパックを交換したのだった。もっと早く交換すべきだったと思う。

ファンの音が高い以外はよく働いてくれていたから、こんなものかと思ってしまっていた。バッテリパックの交換で、こうも違うとは。

深夜書いた記事では他に、図書館から借りてきた本のことで、再度借りたメアリー・ポピンズ物語の中の『帰ってきたメアリー・ポピンズ』のどこが神智学的かを要点だけ書いたように思う。それをここで再度書くより、ちゃんとした記事にしたい。

また、マインドフルネス瞑想の危険について調べる中で再読した三浦関造の著作に光明皇后の記述があり、光明皇后に関する本を借りて読んでいることを書き、光明皇后が藤原氏出身だということに気づいたことなど書いた。

光明皇后は仏教事業と人道支援で有名だが(ウィキペディアの言葉を借りれば、政治面では、皇族以外から立后する先例を開いたことでも有名)、人道支援の側面に着目したとき、同じ藤原氏出身であった萬子媛との共通点が浮かび上がった。

別の方面のことに熱中していても、萬子媛のほうへ優しく揺り戻される気のすることがあることは前にも書いたが、今回もそのような感触を覚えた。

蒙古来襲、すなわち元寇について書かれた本も借りた。防衛戦にはおそらくわたしの母方の祖母のご先祖が関わっていたと思われるので、以前から興味があった。

といっても、祖母はお嫁に来た人で本家からは離れているため、家系図などの確認はないが、親戚の話などから確認できたことを総合すると、祖母の家が大蔵氏系江上氏の分家であったことはまず間違いない。

6代氏種の時、元冦の役の軍功により肥前国神埼荘地頭職を賜り移住。元弘3年(1333年)、8代近種が護良親王の命で行動していたことが確認される。
永享6年(1434年)、12代常種は少弐氏の九州探題渋川満直の征討に協力。勢福寺城の城主となり、以後は少弐方として行動するようになった。13代興種は大内氏(大内義興)と通じたため少弐氏により勢福寺城を追われたが、14代元種は大内氏と対立を深める少弐氏(少弐資元)を援け再び勢福寺城に入った。天文2年(1533年)元種は東肥前に侵攻してきた大内氏の軍勢を蹴散らしたが、天文3年(1534年)再び侵攻した大内氏に少弐方は劣勢に立たされた。元種は少弐資元・冬尚親子を勢福寺城に受け入れ立てこもったが、最後は水ヶ江龍造寺氏の龍造寺家兼の進言により大内氏と和議を結び勢福寺城を明け渡した。
「江上氏」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月26日 12:17 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

祖母の家は分家で苗字は違うが、「日本の苗字七千傑」や少弐氏家臣団の中の大蔵党の中にその苗字がある。「武将系譜辞典」に記された大蔵党は原田氏、波多江氏、小金丸氏、秋月氏、江上氏、直塚氏、枝吉氏、成富氏、執行氏、高橋氏、三原氏、田尻氏、内田氏、赤尾氏。http://www.geocities.jp/kawabemasatake/hizen.html(※ジオシティーズはサービス提供が終了してしまったため、移転、工事中であるようだ。移転先はhttps://kawabemasatake.jimdofree.com/)

借りてきた元寇についての本は学術的な内容で、読みごたえがある(難解ともいえる)。この本に、捕虜となった少弐氏のことが極めて印象的に描かれているのだ。

「神風」が吹いた。果たして、それは真実か。『蒙古襲来絵詞』には、暴風は描かれていない」と本の商品説明にある。全身全霊を賭けて戦った人々がいたことが本を読めばわかる。

このあと用事があるので、今日はこの件では時間切れ。借りてきた本をメモしておこう。

パウリ=ユング往復書簡集
ヴォルフガング・パウリ (著), C・グスタフ・ユング (著), 湯浅 泰雄 (監修), 黒木 幹夫 (監修, 翻訳), 渡辺 学 (監修, 翻訳), 越智 秀一 (翻訳), 定方 昭夫 (翻訳), 高橋 豊 (翻訳), 太田 恵 (翻訳)
出版社: ビイング・ネット・プレス (2018/8/1)

ニュートンの錬金術
B.J.T. ドブズ (著), Betty Jo Teeter Dobbs (原著), 寺島 悦恩 (翻訳)
出版社: 平凡社 (1995/11/1)

英国のプラトン・ルネサンス―ケンブリッジ学派の思想潮流
エルンスト カッシーラー (著), 花田圭介 (監修, 監修), 三井 礼子 (翻訳)
出版社: 工作舎 (1993/9/20)

光明皇后 (人物叢書)
林 陸朗 (著)
出版社: 吉川弘文館; 〔新装版〕版 (1986/04)

兼好法師 - 徒然草に記されなかった真実(中公新書)
小川 剛生 (著)
出版社: 中央公論新社 (2017/11/18)

蒙古襲来
服部 英雄 (著)
出版社: 山川出版社 (2014/12/1)

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2019年5月16日 (木)

14日に内分泌科受診(説明なしの検査法変更に不快感)。息子の飲み仲間と米中貿易戦争。

現在、内分泌科の定期検診は半年に一度になっている。F先生は3人目の担当医で、1人目は男性のU先生、2人目は女性のI先生。

副甲状腺機能亢進症の疑いでずっと経過観察を続けていただいているわけだが、検査項目の中でも、前2人の先生が注意してご覧になったのがホールPTH(副甲状腺ホルモン)、Ca(カルシウム)、ALP(アルカリ・ホスファターゼ)だった。

今度の先生は、ALPについてはノータッチ。副甲状腺ホルモンは前回(すぐには結果が出ないので、半年遅れでしかわからない)高めだったが、カルシウムは基準値内だったとおっしゃった。基準値内といっても、いつもぎりぎり。

そして、次回、骨密度を調べていただくことになった。骨密度が年齢相応であれば、副甲状腺ホルモンとカルシウムの値が若干高かったとしても、それほど問題ないが、骨密度に異常があれば、カルシウム値が基準値内だったとしても、問題だという。

それはそうだろう。骨密度を検査してほしいといつも思っていた。

先生は2度、変わったことはないかお尋ねになった。実は少しだるかったが、暑くなったからこんなものかなと思い、「変わりありません」と答えた。「では、これまで通り、半年に一度でいいかな」と先生。

わたしは最近のホールPTHの検査値を貰っていなかったので、ほしいというと、先生は「わかりました」とおっしゃり、パソコンを操作しながら「ああそうか」と独り言。

「前回はずいぶん前のものになるけれど」といいながら、「検査時系列情報」をプリントアウトして渡してくださった。変なことをおっしゃると思いながら、「お手数をおかけしました」と感謝していただいたが、帰宅して「検査時系列情報」を見、驚いた。

検査入院のときから長く担当していただいたU先生は、副甲状腺ホルモンの測定にインタクトPTH を選択なさったが、すぐに、腎臓の影響を受けないホールPTH に変更なさった。それからずっと、副甲状腺ホルモンの測定はホールだったのに、F先生になってからはインタクトになっているではないか。

わたしは専門家ではないから、そのあたりのところは先生にお任せするだけだが、変更になったのであれば、その説明くらいしてほしい。

そのインタクトの基準値は10~65となっている。昨年11月13日の結果は、164。ホールで測定していたら、どれくらいだったのだろう? ALP の項目は見当たらない。

それに、ALT(GPT)と尿中アミラーゼが高い。血中アミラーゼは検査項目にない。

体調に変わりないか、2度も訊かれたのは、そのせいだったのか。

わたしはお酒を飲まないが、たまに肝機能が低下することがある。薬剤性肝炎だったときはこんなものではなかったので、親知らずを抜いたときに用いた薬の影響ではないだろう。尿中アミラーゼが高いのは気になる。昔、膵炎の治療を受けたことがあるからだ。

お酒といえば、夫も息子もお酒を飲むので、控えめにしてくれたらと思う。神秘主義の観点からは、お酒は本当によくない。瞑想は、やりかたによっては霊媒体質になる。お酒も、その危険性が高まる。

息子は転職前の化学メーカーにいたときに、飲み仲間ができ、太って、今も盛んに付き合いがあるようなので、心配したら嫌われた。社交的な息子には良友が多いが、たまに悪友ができる。彼らはその部類だとわたしには感じられたのだ。

息子がいた化学メーカーは世界的に有名な外資系の会社だったが、息子はそこに入ってから少し赤くなるなど、ろくなことはなかった。絵に描いたような保守派だったのに。大企業ほど、中共が入り込んでいて、危ない。

そういえば、退官後中国に招かれて渡る元教授も多いと息子はいっていた。当然それは、息子のいた大学だけの話ではないようだ。退官後の職がなくて中国に渡る学者が多いとなると、大いに問題だ。

中共は国際銀行家が育てたといわれるが、馬渕氏によれば、つぶし時だと思われているらしい。臓器ビジネスをやっている中共など、早くつぶれてほしいが、国内外のあちこちにただならぬ影響が出ることは必至だろうと思えば、複雑な気持ちになる。

何にしても、気になる米中貿易戦争だ。

話が、不愉快な方向へ逸れてしまった。

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2019年5月13日 (月)

Kindle版児童小説『田中さんち…』『不思議な接着剤1』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

Kindle版児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』(ASIN:B00BEMD5ZK)を4月26日ごろKENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただきました。ありがとうございます! KENPCでお読みいただいたのは今回で15回目でした。これまでに8冊お買い上げいただいています。

また、4月27日ごろ、シリーズ物となる予定の第1巻目『不思議な接着剤1: 冒険前夜』をKENPCでお読みいただきました。ありがとうございます!  KENPCでお読みいただいたのは今回初めてでした。これまでに1冊お買い上げいただいています。

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。拙電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

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久しぶりにパソコンからの更新。親孝行の子供たちに涙。

久しぶりにパソコンからの更新です。

バッテリーが届いたので交換し、充電が半分終わったころパソコンを開いてみました。まだ様子を見ながら、恐る恐るやっていますが、何とか異音もなく、やれています。

でも、また異音がするようであれば、電器店に持っていこうと思っています。

転職した娘が、「パソコン、買うようだったら、少しだけど退職金が出たから、いくらか出すよ」といってくれ、涙が出ました。契約社員でも出るのですね。といっても、長年勤務したことを思えば、またまた涙が出ます。そんなことして貰っては罰が当たると思いました。

息子にはこれまでにいろいろとして貰って、罰当たりな話です。親孝行の子供たち……涙。

就職氷河期末期に就活した娘は苦労しましたが、息子も本当に苦労しました。

化学科だったので、アルバイトに次ぐアルバイトは本当に大変だったと思います。特に修士課程からは苦労をかけ、博士課程は社会人になってから行き、ぎりぎりまで在籍しましたが、卒業はしませんでした。

仕事が忙しくて論文を書く時間がなかなかとれず、何とかやっつけて卒業させていただくこともできたようでしたが、息子はそんな適当な論文では恥ずかしいし、納得がいかないということで、論文を仕上げませんでした。

順調に修士、博士課程と進んでも、そこから苦労する人も多いようです。現に博士課程を出た先輩や後輩は大変だったようです。博士課程卒だと、かえって職がないのです。息子が大学のころ、「博士が100人いる村」という創作童話が話題になりました。

【修正版】 創作童話 博士が100人いる村
https://youtu.be/Liw1-Zjd-zo

元記事はジオスティーズの終了で、消えてしまったようです。この童話リアルです。最近も(先月)、文系の研究者で、自殺した女性のニュース記事を読みました。

経済的にもう一つなのに、無理して子供を大学にやると、子供は奨学金の返済などで結婚できず、親は子供のための結婚資金が作れないばかりか老後の備えができないという不幸なことになるそうです。

なるほどと思いますし、うちはそれに当てはまるケースでもありますが(それを予想しなかったわけでもない)、では無理しないと、幸福なのでしょうか。

作家志望者も、結構、悲惨ですよ。自殺したり、家庭崩壊したり……でも、職業作家しかいなかったとしたら(というのはありえない話ですが)、日本の文学レベルーー特に純文学ーーはどうにもならないくらいに低下しているでしょう。

話が逸れました。

何にしても、何とかパソコン、買わずに済みそうで、ホッとしました。壊れたときのために、パソコン貯金せねば。

娘が「博多に遊びに行こうよ。母の日のお祝いに!」といってくれるので、それはありがたく受け、交通費を出して貰うことにしました。まだいつ行くかは決めていませんが、久しぶりです。

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2019年5月10日 (金)

マインドフルネス瞑想について調べ、膨れ上がる懸念

昨日、マインドフルネスというものがあることを知り、書店員だった娘に尋ねたら、「スピリチュアル系の瞑想みたいな本がいっぱい出ているよ」とのことで気にかかり、調べたところ、臨床心理学の前世療法と同じようなもので、治療に用いられているようですが、前世療法とこれまた同じように、そこにビジネスチャンスが生まれているようです。以下のサイトその他多数、閲覧させていただきました。

サイト「モチラボ」の解説「瞑想というのは古くから禅やヨガなどで行われていたものですが、マインドフルネス瞑想はそこから怪しげな精神性や宗教的な要素を取り除いたもので、誰でも気軽にできるところにも大きな特徴があります」には笑ってしまいましたが、わかりやすいですね。

とりあえず、昨日神秘主義的エッセーにアップした記事に加筆してしまいます。ゴーピ・クリシュナの著作など、ヨガ関係の本を再読しました。マインドフルネスに深入りするつもりは時間がないのでありませんが、心配ですね。瞑想はリスクを伴うものでもあるからです。いいとこ取りしようとする精神性こそが、怪しさに満ちています。

精神科の治療を受けている人々の中には深刻な精神病もあるでしょうが、環境から来ている精神的トラブルがとても多いのではないでしょうか。

北川嘉野, 武藤崇. マインドフルネス促進困難への対応方法とは何か. 心理臨床科学. 2013, 3(1), p.41-51. http://pscenter.doshisha.ac.jp/journal/PDF/Vol3/p41-.pdf, (参照 2019-5-10).

「ジョン・カバット・ジン」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年9月20日 (木) UTC、URL: http://ja.wikipedia.org
ジョン・カバット・ジン(英字:Jon Kabat-Zinn、1944年6月5日-)は、マサチューセッツ大学医学大学院教授・同大マインドフルネスセンターの創設所長。国際観音禅院の崇山行願に禅を師事し、ケンブリッジ禅センターの創設メンバーとなった。仏教の指導者に修行法と教理を学んだ彼は、それを西洋科学と統合させた。彼は、人々がストレス、悩み事、痛み、病気に対応する手助けとして、マインドフルネス瞑想を教えた。

心理療法専門解説サイト
https://www.direct-commu.com/shinri/

マインドフルネスとは: モチラボ
https://www.motivation-up.com/whats/mindfulness.html
簡単に言うと、マインドフルネスとは「”今ここ”にただ集中している心のあり方」のこと。(略)雑念を持たず、リラックスしてただ今だけに集中して研ぎ澄まされている状態。無理していないのでストレスもありませんし、最も自分の力を発揮できる状態でもあるわけです。マインドフルネスとは、そんな状態のことや、それを目指すプロセスのことを指します。(略)一般的に、普段の我々はそんなマインドフルな状態とは程遠い所にいます。1日に処理すべき情報量は増え、なかなか心休まる時間を持てませんし、頭の中のおしゃべりは止まることなく「不安・否定・恐怖・評価・どうにもならない過去のこと・どうでも良いこと」をずっと喋り続けています。一言で言うと「あれこれ考えすぎ」ている訳です。そうしていると、混乱して事実が見えなくなったり、否定的な声が大きくなってストレスが溜まったり、結果的にパフォーマンスも下がってしまいます。

マインドフルネスとは、そんな精神状態を意識的に改善していこうとするものであり、リラックスしているのに感覚は鋭くなり、それまで振り回されていた漠然とした不安感がなくなり、精神的に安定した自分になることができるというものです。

そんなマインドフルネスでよく用いられるのが瞑想です。瞑想というのは古くから禅やヨガなどで行われていたものですが、マインドフルネス瞑想はそこから怪しげな精神性や宗教的な要素を取り除いたもので、誰でも気軽にできるのところにも大きな特徴があります。(略)

一般的に、マインドフルネスの効果には次のようなものがあります。 集中力が高まる(略)浄化されストレスが解消される(略)洞察力、直観力、創造力が高まる (略)よく眠れるようになる

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2019年5月 9日 (木)

「95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告」を神秘主義エッセーブログにアップしました

今日も、iPadでの更新です。

パソコンのバッテリーはまだ届きません。バッテリー交換くらいでは直らないだろうけど。パソコン再開がはてしなく、遠い……

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップしたエッセーは、当ブログの過去記事2本をまとめたものです。

95 H・P・ブラヴァツキーの病気と貧乏、また瞑想についての貴重な警告
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/05/09/202238

マインドフルネスというのが流行っているんですってね。何のことかわからなかったので、最近まで書店員だった娘に訊くと、「スピリチュアル系の瞑想みたいなものじゃないかな。怪しげな本がいっぱい出ているよ」とのこと。

ウィキペディアを見ると、心理学と関係がありそうですね。前世療法に呆れたばかりなのに、まあ次から次へと。

神秘主義的要素を取り込むのであれば、生半可な知識はとても危険です。

水をさすつもりはありませんが、瞑想の危険性も知っておいたほうがいいですよ。

 

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2019年5月 8日 (水)

亡き母の友人とおしゃべり(彼女の御先祖様は萬子媛を看取ったに違いない御殿医)

亡き母の友人からで、今年85歳におなりになるキクヨさんからお電話があった。

開口一番、「歴史小説はどうなった?」と訊いてくださった。

以下の過去記事で書いたように、キクヨさんの御先祖様は、代々鹿島鍋島家の御殿医だった。

2018年2月 5日 (月)
歴史短編1のために #34 鹿島鍋島家の御殿医
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/02/post-e6ec.html

そろそろ電話をかけてみようかなと思っていたところ、先月の27日にキクヨさんの夢を見た。それが普通の楽しい夢だったので、そのうちあちらからお電話があるだろうと思っていたら、今日かかってきた。

こちらからお電話してもいいのだが、博多の老人ホームにお住まいで、午前中は掃除があったり、食事の時間も大体決まっていて、通院だけでも週に2回、ついでの買い物などしたら帰宅は午後6時を回り、どこか調子の悪いときもちょくちょくらしく、訪問客もあって……となると、いつお電話したらいいのか、わからなくなる。

キクヨさんがわたしとおしゃべりしたい気分のときにかけてくださるのを待とう、と思うのだ。

おしゃべりしていると、射手座のお生まれらしい溌剌とした雰囲気なので、高齢とわかっていながらも、わたしは全く心配していなかった。が、彼女には食が細いという弱点がおありだ。

少食であるところへ、料理上手であることが裏目に出て、ホームの食事がしばしば喉を通らない。決して我儘でも、医学的に無知でもないのに(医師の家系らしく、むしろ相当に詳しい)、昨年末、栄養失調になり、体重が落ちすぎて、医師から「今年いっぱいかも……」といわれたそうだ。

これはわたしもわかる。ずいぶん前の話だが、検査入院したときに(3週間くらいのものだった)、自分でも意外だったことに、病院の食事を受け付けなかったのだ。単なる検査入院で、まあ頭蓋骨は窪んだが、大部屋での入院生活は結構楽しく、食欲が落ちる理由もなかった。

単純に味が合わなかっただけだった。大学時代の女子寮生活では、食事が駄目で出て行く人も多い中、最後まで粘った若かりし頃を思うと、病院の食事を受け付けないのが不思議なくらいだった。

その若い頃との違いは、主婦業として料理するようになり、子供が大きくなるまでは質より量といった感じの料理だったのだが、この市に引っ越し、書店勤めだった娘が服部幸應先生の料理雑誌「週刊  しあわせクッキング」をせっせと買ってきてくれたお陰で、料理の腕が上がってしまったのだ。

まずい料理を食べると、なぜそうなったかが分析できるようになり、食材が生かされていない、非常に痛ましい状況に思え、食材の不幸に共感してしまって、食べたくなくなる。幸か不幸か、食事をどの程度食べたかの看護師さんによるチェックは自己申告で済んだので、申し訳ないと思いながらも沢山残していた。海苔の佃煮でご飯を食べた。

最近はストウブ頼みで、服部先生のレシピに熱中していたころに比べると、大雑把になったので、今だと食べられるだろうか。ストウブ料理の美味しさを思えば、一層食べられなくなっている可能性もある。

キクヨさんは、わたしの病院でのあの状態が何年も続いているわけだ。

「しっかり召し上がって、長生きしてくださらないと、困ります。萬子媛の小説を読んでいただくまでは、生きていてくださらないと……」と、わたしは鼻息荒くいった。

すると、「そんなら、あんた、急ぎんしゃい」と、キクヨさんは鹿島弁になって、おっしゃった。

わたしは形式で 迷っているといった。小説かエッセーか評伝的なものか。

キクヨさんは「うーん」といって、しばらく黙していらした。そして、「それは、Nちゃんが 考えて決めることよ。ゆっくり決めればいいじゃない、急がないで」とおっしゃった。そのぶん、長生きしてくださいね。

2時間ほどもおしゃべりした。最初と最後はわたしの小説を話題にしてくださり、真ん中辺りで子供達の結婚がまだだというと、キクヨさんの知り合いにも、自分の子が結婚しないと訴える母親が多いという。既婚者は男性の場合、10人中3人だそうだ。

また、博多では中国人、韓国人が目に見えて増えたという。言葉でわかるそうだ。

外国人が増えるのはわたしの考えでは一向に構わないが(不法入国は論外)、日本の国柄や文化に理解のある人に来てほしい。理解がなければ、努力して理解力を身につけてほしい。

萬子媛をモデルとした作品によって、日本の国柄を薫り高く伝えることができればと考えている。

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2019年5月 7日 (火)

星学に関するブラヴァツキーの言葉(再掲及び加筆)

近代神智学運動の母ブラヴァツキーは、星学についても書いている。天文学と占星術はもともとは星学という名のもとに一つであったので、ブラヴァツキーも星学という用語をそのような意味で用いているのではないかと思う。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には次のようなことが書かれている。

生まれる時すでに、各人の人生はアストラル光に描かれているが、それは宿命論的なことではなく、ただ、未来は過去と同じくいつも現在の中に生きているからである。こうして各人の運命、各子供の誕生と関係のあるリピカ達は、星学にも影響を及ぼすと言える。気が進んでも進まなくても、私達は星学の真実を認めざるを得ない。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,332頁)

リピカはマハットの一部といわれ、マハットとは顕現した神聖な概念作用である。詳しくは、前掲書を参照されたい。

現在、過去、未来については、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の『67 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ③タブッキの円熟とフェルナンド・ペソアの青い果実』でも引用したが、次のように解説されている。

現在、過去、未来の三つの期間は秘教哲学では複合時間(Compound time)である。現象界に関してだけこの三つは合成数であり、本体の領域では抽象的妥当性はない。聖典に言われているように、“過去は現在であり未来でもある。未来はまだ現れてはいないが、やはりある”。それはマードヤミカのプラーサンギカ派の教えの諺によるのだが、それが純粋に秘教的な学派から離れて以来、その教義が知られてきた。簡単に言えば、継続と時間に関する概念はすべて連想の法則に従って、私達の感覚から出てくるものである。その概念とは人間の知識の相対性でがんじがらめに縛られているが、それにもかかわらず、個人や自我の経験の中でなければ存在しないし、自我の進化が現象的存在というマーヤーを追い払う時、消滅するのである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1988,pp.249-250)

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ 竜王文庫内、1995)にも星学に関して深遠なことがいろいろと書かれているが、実生活で役立つことも書かれている。

公開の場所に群がる『大気の精』即ちエレメンタル達から身を守るために、その時をつかさどる惑星の色の玉石の指輪をはめるか、またはその惑星に相応する金属製のものを身につけたほうがよい。しかし、やましいところのない良心と、人類を益しようという確固とした決意は最良の保護を与えるものである。(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1995,186頁)

現代では、国家を占うときにはマンデン占星術という手法が使われるが、 H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説「星学(Astrology)では分類法が異なり,「マンデーン星学」は気象学、地震学、農業応用に関するものであって、「国家、国王、統治者の未来に関わる国や政治の問題」とは別の分野のものとなっている。ブラヴァツキーの星学に関する長い解説は貴重。 

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2019年5月 6日 (月)

連休最終日。転職した娘のホームシック(書店が恋しい)。

書店勤めから病院勤めに変わった娘が、連休らしい休日を過ごしていました。夫の勤めはいつもと変わりなかったので、わたしはいつものように家事に明け暮れて過ぎました。それでも、何となく連休気分にあやかりました。メリー・ポピンズなどの宿題は……f^_^;  

連休の前半、過去記事に書いたように、家族でティム・バートン監督の実写映画『ダンボ』を観に行きました。夫は潜水艦モノが一番観たいけれど、ダンボでもいいといいました。わたしも本当は潜水艦モノが観たくて、あまりダンボは気が進まなかったのです。が、前回夫の好みに賛成して観た『アリータ』がグロくて後味も悪かったということもあり、今回は娘に賛成しました。

夫と娘は案外好みが似ているのに、映画の好みは結構分かれるのです。わたしがどちらに賛成するかで、どちらかに決まります。片方がふくれっ面することがわかっているので、大体交互になります。娘とショピングを選択することも多いです。ダンボはまあまあでしたね。

連休の後半、百貨店にできたスターバックスが駅のそれとどう違うか見に行こうということになり、行きました。だって、前は百貨店の右側面の1階から2階にかけてはルイ・ヴィトンだったのですよ。

2階は広くて過ごしやすいと思いました。駅のスタバほどの賑わいはありませんでしたが、落ち着いた雰囲気があり、以前、向かいの複合ビルにあったスタバに作りが似ていながら、もっとお洒落な感じでした。

夫は気に入りませんでした。地下2階の甘味処、地下1階のカフェは好きなのにね。

昨夜、娘は辞めた書店がどうなったか調べていました。実は、商業施設に入っていたその書店は撤退してしまったのです。そして、空いた店舗には別の系列の書店が入りました。娘は、自分が属していた書店系列の他のお店に異動するのが嫌で、転職しました。娘は相当な本好きです。それでも転職したいと思うところがあったのです。

病院の仕事は嫌ではないようです。しかし、雇用形態は書店勤務の頃と同じ契約社員ですし、娘は何より書店独特の刺激と仲間が懐かしい様子です。病院に慣れた頃であるだけに、ホームシック(?)が出る時期なのかもしれません。

そして、空いた店舗に入った書店が正社員を募集していることを発見。一瞬娘の心が踊ったのも、束の間でした。正社員といっても、給料は契約社員と変わらず、いくら一般職とはいえ、安すぎます。店舗数では上位に入る書店で、限られた範囲ではないかと思いますが、転勤もあるようです。一人では到底暮らしていけそうにない給料なのにね。

勤務形態は2交代制で、正社員だと遅いシフトになるんじゃないかな、と娘。郊外店なので、遅いと心配です。娘も、バス通勤では無理との判断。

正直いって、夫もわたしもホッとしました。同じ契約社員でも、今の病院勤めは時間的にきちんとしているし、人間らしい扱いを受けているように思えるからです。

医療系の資格にも色々あるようです。もし狙うつもりなら、勉強のための時間を作ることも可能でしょう。独学は難しいのかもしれませんが。イタリア語講座で知り合った中年女性が、ハードルの高そうな資格をお持ちのようです。

書店勤めの頃のあのあくせくした日々に戻るつもりなのかと思い、ゾッとしました。息子が心配するように、娘の婚期のことはわたしも気にしていましたが、こちらにお金はないし、娘には娘なりの考えがあるでしょうし、そもそもそんな次元には届かないレベルの追い立てられるような毎日だったのです。

息子も自身の結婚のことを考え始めたようです。もしまだ見つかっていないのだとしたら、心身共によい状態にあるときに、結婚相手を探してほしいものだと思います。 低下した状態のときには、判断力が鈍りがちになるでしょうし、その低下したレベルの人しか見つからない気がします。

結婚はとんでもなく高い買い物。これ以上はないくらいのめくるめく冒険。わたしは神秘主義者なので、カルマがモノをいう世界の出来事だと思っています。

娘は書店勤めの頃はぎりぎりまで寝ていて、わたしは大きなお握りを作るだけで済みました。それがわびしく、怠惰な主婦になった気がしていました。今は普通に食べて行ってくれるので、あれこれ用意するのが楽しくて仕方がありません。朝食なので、量は控えめです。勤務は夕方、きちんと終わるので、夜の時間にゆとりがあります。

でも、何にしても、娘は今、本の香りが恋しいようです。わたしも本は好きですよ……以上、こんな連休でありました。

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2019年5月 3日 (金)

安倍総理、達筆ですね! 数ヶ月前に見た夢。

安倍総理、達筆ですね!  

安倍総理がハイタッチしてくださったときの手の感触を思い出しました。

2016年6月14日(火)
街頭演説会で目撃した安倍首相、ハイタッチしたときの手の感触
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/06/post-39fb.html

そういえば、安倍総理の夢を時々見るのですが、数ヶ月前に見た夢は、街路に両手をつき、躓いた格好だった安倍総理が明るいお顔を上げて、すくっとお立ちになった夢でした。

何を意味しているかは不明です。表層のわたしの意識では、安倍政権の現方針には不安と不満でいっぱいなのですから。新自由主義を推し進めて日本人がよき日本人でいられるような暮らしを破壊し、就職氷河期世代を見捨てるつもりだとしか思えない現方針。ここを救済しない限り、よい日本にはなりえませんよ。

ただ、2005年の郵政総選挙(第44回総選挙)の頃に見た夢と、まさに選挙の日にわたしの神秘主義的視力が空間に見た革命を暗示する赤い点(赤い光)のことを思えば、たかが夢といえど、あまり馬鹿にはできない印象です。

あの2005年の夢は、国民の財産であった郵貯マネーが国際銀行家に流れることを暗示した夢だったと思っています。空間に見えた不吉な赤い点は、それまでの安定的な日本人の暮らしとアイデンティティが壊される夢であったと解釈しています。

今回見た数ヶ月前の夢が、わたしのような庶民も安心して暮らせるような政治が行われる、よい兆しであればいいなと思います。幸い、奇怪な平成のホロスコープ及びサビアンシンボルにくらべると、令和のそれは(まだ調べている途中ですが)安倍総理の文字のように美しさのあるもののようです。

以下は、前述した郵政総選挙のころに見た夢と、総選挙当日に見た赤い点に関する過去記事です。

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2012年11月30日(金)
最近の夢から
http://elder.tea-nifty.com/blog/2012/11/post-7851.html
夢日記はそれ専用のブログに書くことにしているので(尤も、重要な暗示を感じさせる夢や公開したくない夢はブログなどではなく、完全にプライベートな自分の日記にだけ書いている)、あまりここに書いたりはしないが、選挙が近いせいか、政局を暗示しているのだろうか、と想像したくなる夢を見る。

小泉氏の郵政選挙の頃の夢は今でもはっきりと覚えている。小泉首相は立派なホテルに滞在していて、外国の要人らしき複数の人物と名画を分け合おうとしていた。そのあとで、若い人々とどこかへ出て行った。若い人々というのは小泉チルドレンだろうか。

2008年5月17日(土)
第44回総選挙のときに見た不吉な兆し
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/05/12200510_ed30.html
自称神秘主義者のわたしは、この総選挙のとき、空間に赤く不吉に輝く星のような赤い光を見ました。英語で書かれたブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』をロシア語に訳したエレナ・レーリヒは、わたしもしばしば見る空間に見える光についていろいろと解説していますが、アグニヨガ協会訳で、ここにその断片をご紹介します。

大抵黒い点は暗黒、又は混沌的なエネルギーの接近を意味する。その場合、万事に注意したほうが良い。だから私は小さな黒い点を見ると、それらが度々、困難の来ることを示したり、又は健康について警告していることを知るのである。点が大きければ大きい程、多ければ多い程、もっと注意を払うべきである。時々、空間の中を泳いでいる大きなビロードのような黒い点を見ることができる。紫、青、銀色、そして金色の点は、いつもよい使者たちであり、あるいは師匠のご放射が近いことを示すものである。黄色の点は、危険の警告である。赤い点は、大気の中の大変な緊張を示し、その時、地震や嵐や革命さえも予期できる。

わたしは自身の体験から、レーリヒの解釈に共鳴せざるをえませんが、ただ、赤い点だけは、そのときまで一度も見たことがありませんでした。自然災害の徴だろうか、と思いましたが、自然災害に関連して赤い点を見たことはなく、自然災害を予知したこともありませんでした。

そんなわたしにとっては否定しようもないありありとした見えかたで赤い点を見たということは、よほどの大惨事につながる自然災害が襲いかかってくるのではないかと怯えました。

でも、あれは今思えば、革命を予知したものだったのです。あの郵政解散以後、わが国に起こったことはまさに革命に匹敵します。何か冗談のように進行した出来事だっただけに、その自覚ができにくかったというだけの話です。 

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2019年5月 1日 (水)

令和元年5月1日水曜日

于時 初春氣淑風梅披鏡前之粉蘭薫珮後之香

初春の令月(れいげつ)にして、氣淑(きよ)く風和らぎ、梅は鏡前(きょうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(こう)を薫(かお)らす

ずっと貸出中だった『萬葉集②〈全四冊〉  新編 日本古典文学全集 7』(校注・訳者  小島憲之  木下正俊  東野治之、小学館、1995)を、昨日ようやく借りることができた。

元号「令和(れいわ)」の典拠となった『萬葉集』梅の花の歌三十二首の序文全文を前掲書の訳で読んでおきたい。『萬葉集②〈全四冊〉  新編 日本古典文学全集 7』(校注・訳者  小島憲之  木下正俊  東野治之、小学館、1995)の40~41頁より以下に引用。変換できない漢字は◆とさせていただく。

  梅花の歌三十二首 と序

天平[てんぴょう]二年正月十三日、太宰帥旅人卿[だざいのそちたびときょう]の邸宅に集って、宴会を開く。

折しも、初春の正月の佳[よ]い月で、気は良く風は穏やかである。梅は鏡の前の白粉[おしろい]のように白く咲き、欄[らん]は匂[にお]い袋のように香[かお]っている。そればかりではない、夜明けの峰には雲がさしかかり、松はその雲の羅[ベール]をまとって蓋[きぬがさ]をさしかけたように見え、夕方の山の頂[いただき]には霧がかかって、鳥はその霧の◆[うすぎぬ]に封じ込められて林の中に迷っている。庭には今年生まれた蝶[ちょう]が舞っており、空には去年の雁[かり]が帰って行く。

そこで、天を屋根にし地を席[むしろ]にし、互いに膝[ひざ]を近づけ酒杯[さかずき]をまわす。一堂の内では言うことばも忘れるほど楽しくなごやかであり、外の大気に向かっては心をくつろがせる。

さっぱりとして各自気楽に振舞い、愉快になって、各自満ち足りた思いでいる。

もし文筆によらないでは、どうしてこの心の中を述べ尽すことができようか。諸君よ落梅[らくばい]の詩歌を所望したいが昔も今も風流を愛することには変りがないのだ。ここに庭の梅を題として、まずは短歌を作りたまえ。

 

 

 

以下は占星術の話題ですので、あとで別の記事にします。

昨日、平成と令和のホロスコープとサビアンシンボルについて、少しだけ触れた。国家を占うときにはマンデン占星術という手法が使われる。

ちなみに、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説「星学(Astrology)によると、「マンデーン星学」は気象学、地震学、農業応用に関するものであって、「国家、国王、統治者の未来に関わる国や政治の問題」とは別の分野のものとなっている。ブラヴァツキーの星学に関する長い解説は貴重。 

わたしには占星術は難しすぎるが、引き続き平成と令和について調べる中でまたまた面白い発見があった。ブログの気楽さで断片的な記述ばかりの記事になって申し訳ないが、これについても、のちほど。

初等教育、メディア、娯楽文学(純文学は9室で見るべきだ。メディアと結びつくような村上春樹の文学はメディアと同質であることがわかる)、近隣諸国は3室で見る。ここが荒れていると、これらは皆質を落とす。平成時代はここに気持ち悪いくらい星が集中した。

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