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2019年2月の12件の記事

2019年2月27日 (水)

大学時代からの女友達の死

大学で同じ法学部だった女友達が昨年の12月29日に、61歳で亡くなった。詳しいことはわからない。彼女を含む同じ法学部の4人でグループを作り親しくしていたが、その中の別の女友達から電話があって知った。

年賀状が来なかったので案じていたところ、年賀欠礼状(喪中はがき)が届いたという。わたしも同様に気にかかり、今年に入ってから何度か彼女から貰った木目込み人形に目をやっていた。

拙神秘主義エッセーブログの以下の記事で書いたように、亡くなった女友達が「もしわたしに何かあったら、きっとこの人形の髪がのびるから」といったことを思い出したからだった。

16 学生時代の思い出 2006.10.19: マダムNの神秘主義的エッセー
https://naotsukas-essays.hatenablog.jp/entry/2016/03/17/160231

彼女手製の木目込み人形は、他の人形と一緒にガラスケースに飾っていた。取り出してよく見たい気もしたけれど、縁起でもないと思って、その気持ちを押しとどめた。

数年前、彼女の身体に関する思わしくない夢を見た。その夢が象徴的なものなのかどうかの見当もつかず、エッセーで書いたように気軽に電話し合う仲ではなくなっていたため、電話することはしなかった。そのときに電話をかけてみるべきだったと後悔しても、もう遅い。

彼女については、詩人と呼んだ女友達同様に、死の予兆も死後の訪問も何も感じなかった。これが普通のことに違いない。仮に別れの挨拶に来てくれていたとしても、普通の人にはわたしも普通の反応をするようだから、気づかなかった可能性が高い。

死後にやってきて、その存在をありありと感じさせた人々は特殊な人々だったといってよい。わたしは神秘主義者であるゆえに、その人々にはその人々に合わせて神秘主義的応対をしたのである。自分でも気づかぬうちに。

女友達と電話で話したあと、ガラスケースから木目込み人形を取り出した。感極まって人形を抱きしめ、「なぜ、こんなに早く死んじゃったの? ちゃんと仲直りもしないうちに。そのうち、きっと会おうと思っていたのに」といいながら、人形の髪を撫でた。

甘く、人懐こく、どこか謎めいて響く声で「Nちゃん」とわたしに呼びかけた人は彼女以外にいない。

しぱらくして、彼女の言葉を思い出し、人形の髪が伸びていないか、つくづくと眺めた。何しろ、人形の髪は元から長い。いくらか不揃いに見え、あちこち髪の毛が飛び出ているように見えるのも、人形の髪を強く撫でたせいかもしれなかった。

わたしは人形に、武者人形らしく、兜をかぶせてきりりと紐を結び、ガラスケースに戻して彼女の冥福を祈った。

夜、仕事から帰宅した娘が、集合ポストに届いていた年賀欠礼状を持ってきた。わたしはもう一人の女友達に電話し、先に女友達と話した内容を伝えた。

文章を書き慣れているからといわれ、わたしがまとめて御香典を送ることになったが、「そんな文章は書き慣れないわよ」といった。そのうち三人でお参りできれば……と全員が思っている。

ところで、もう一人の女友達は悪名高い出版社から、高くついた絵本を出していた。そのころは憑かれたように賞を欲していたけれど、すっかり元の彼女に戻り、純粋に創作している風で、嬉しかった。彼女の秘めている美質が作品に反映されるのを待つ楽しみができた。

創作の話など長く会話しているうちにいくらか悲しみが癒えた気がしたが、電話を切ると、喉元まで涙が溜まっているかのようで苦しい。その涙が出ないので、何か灼けつくように苦しい。詩人と呼んだ女友達の訃報に接したときも、涙が出なくて苦しかった。それと関係あるのかどうか、メニエールのような症状が出た。

年取ったせいか、コントロールが悪くなって、とめどもなく涙が流れるか出ないかのどちらかなのだ。

神秘主義エッセーブログを更新しました。

93 詩人と呼んだ女友達の命日が近づいたこのときに書く、死者たちに関する断章
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2019/02/27/084017

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2019年2月25日 (月)

ストウブ鍋、炊き込み御飯の失敗と成功

先日購入したストウブ鍋があまりに存在感があり、マイナンバー(シリアルナンバー)をも所有しているとあって、命名の必要を覚え、ノワール 2 世と命名しました。

2 世なのは、既に1 世が存在するからで、1 世は過去に我が家で飼った 11 匹のハムスターのうちの 1 匹です。

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ノワール 2 世、ココット ラウンド ブラック 22cm。この子は男子っぽい。

すると、同時に購入したバッラリーニのフライパンが淑やかに咳払いしたかのようでしたので、こちらにも命名。御影です。表面が御影石に似ているから。

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御影さん(ノワール 2 世と同じく我が家での愛称です)、フェラーラ フライパン 28cm( IH対応 グラニチウム 5層コーティング)。この子は女子っぽい気がしています。

で、ビーフシチューに続いて、エビ、ゴボウ、シメジを使った炊き込み御飯を作ったのですが、これは失敗しました。

取り扱い説明書に、沸騰してきたら蓋を閉めて弱火にし、10分加熱。10分後火を切り、さらにそのままの状態で10分蒸らす――とあります。

沸騰するまでに思ったより時間がかかったのでじれったくなり、ちょっと沸騰した段階で蓋を閉め、弱火にしてしまったのです。出来上がってから味見してみると、リゾットみたいに、わずかですが、部分的に芯が残っていました。

追加で10分蒸らすと、幸い芯が消え、もっちりした炊き込み御飯が出来上がりました(変にもっちりしすぎ)。家族は美味しいといってくれましたが、充分沸騰するのを待てば、追加の時間は不要だっただろうし、もっと美味しく出来上がっただろうにと反省しました。

ただ、具材の色艶、みずみずしさ、味わいは驚くばかりでした。エビ、ゴボウ、シメジがそれぞれに存在感があるというか、命をいただいているのだという畏敬の念を覚えずにはいられないほどでした。

翌朝、冷めた炊き込み御飯がこれまた美味しくて、びっくりしました。タッパーに移して、冷蔵庫に入れていました。それが、電子レンジで温める気になんかなれないほど、冷たいままでも美味しかったのです。

昔、大学の女子寮生活をしていたときに友人がお母様に作って貰ったという栗御飯を持って遊びにきてくれました。

そのときの栗御飯の美味しさときたら。友人は「寮生活だから、そう思えるだけよ」といったのですが、いいえ。母も料理は上手なほうでしたが、その栗御飯の美味しさには及ばず、ましてやわたしは。炊き込みご飯をするたびにあの味に近づきたいと思ってきたのですが、到底及ばずでした。

それが、今回、失敗作だったにも拘わらず、あの味わいにかなり接近しているといいますか、いい線いっていると思ったのですね。水加減とか味付けとかの違いかと思っていたのですが、調理器具の違いだったのかもしれません。

最新の高価な炊飯器がどれほどの優れものかは知りませんが、わたしが2011年に購入した「おどり炊き」で有名なパナソニックの圧力IHジャー炊飯器は今も美味しく炊けて、なかなか優秀だと思うのです(過去記事から炊飯器のエピソードを引用しておきます)。

サンヨーの下澤理如氏が、圧力IHジャー炊飯器「匠(たくみ)純銅おどり炊き」を開発。下澤氏はそのヒットで、炊飯器の神様と呼ばれるようになったそうです。その後、サンヨーはパナソニックの完全子会社となり、サンヨーの圧力IHジャー炊飯器がパナソニックブランドで継承されたものが「SR-PX」シリーズ。わたしが購入したのは、それの下位機種「SR-PA」シリーズです。

ですが、さしもの優秀な炊飯器も、炊き込み御飯だと具材の美味しさが米に吸いとられるのか、痩せてしまう気がしていました。

ストウブで炊いた炊き込み御飯は、米と具材が共存共栄しているといいましょうか、どちらも生き生きとして、それぞれの美味しさと全体の美味しさを形成しています。ストウブ人気の理由がわかった気がしました。

昨日は、「Nadia」の以下のレシピを参考に、「じゃがバターライス」を炊いてみました。

ほっこり♪じゃがバターライス♪

ほっこり♪じゃがバターライス♪

by 平野信子

調理時間:30分
Comment

ほくほくのじゃがいもが入ったバターライスです♪ハヤシライスや、ビーフストロガノフなどと一緒に召し上がっても◎

このレシピを詳しく見る

三人分で米1合、じゃがいも1個は少ないかもしれないし、材料の全体量からすると22㎝のストウブは大きすぎて炊きムラができるのではと心配になりましたが、決行。

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すごく美味しい、じゃがバターライスが完成しました。量は、翌朝も食べたいと思えば、倍でいいくらい。炊きあがったバターライスを娘と味見したこともあって、夕飯のぶんにも足りないくらいでした。

でも本当に美味しくて、単独でも、洋風のおかずと組み合わせてもいける、重宝しそうなありがたいレシピです。

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メインは、チキンソテーでした。ストウブで作ってみたい気がしましたが、炊き込み御飯で塞がっており、御影さんの性能も試してみたかったので、フライパンで作りました。抜群の使い心地。

チキンソテーは脇雅世先生の本を見て作りました。ネットの「みんなのきょうの料理」でも、作りかたが公開されています。

チキンソテー(脇雅世): みんなのきょうの料理 NHKエデュケーショナル

「つくり方」から引用します。

  1. 鶏肉は余分な脂肪を除く。塩を両面にふり、10~15分間おいて下味をつける。水けが出たらペーパータオルで拭き、皮を広げる。
  2. フライパンに鶏肉を皮を下にして並べ入れ、上面にこしょうをふる。アルミ箔をかぶせ、耐熱容器などをのせておもしをし、中火にかける。12~13分間焼き、時々下面を見て、焦げていないか、均等に焼き色がついているかを確認する。表面がまだ生のようなら返して約10秒間焼いて火を通す。
    ! ポイント

    【皮をしっかり焼かないのは×!!】

    皮をパリッと焼くためには、おもしをして皮をフライパンに密着させる。こうすると皮が縮まず、おいしく焼ける。
  3. 器に盛り、ベビーリーフを添える。

詳しくは、サイトをご訪問ください。

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ストウブ熱はしばらく続きそうですが、記事は平常に戻ります。

宿題が沢山残っています。それを済ませて早く萬子媛の小説に戻らないと、書けないままで終わってしまいそう。書けるのでしょうか、甚だ疑問です。それが済むと、児童小説を書きたい。

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2019年2月23日 (土)

ストウブ鍋、試行錯誤

鍋にかまけていたと前の記事で書きました。どうかまけていたかをお話しすると……

鍋もフライパンも古びてしまい、そろそろ買い替えどきだなあと思ったときから日が経っていました。

どちらも、デパートのセールで購入したものでした。こまめにチェックしていなければ、いつセールがあるのか、わたしにはわかりません。

それで、これまでは、適切な時期に買おうと思えば普通の値段で買うか、使い心地が悪くなったのを我慢してセールに行き当るまで使い続けるかでした。

デパート系列のショッピングモールへ「メリー・ポピンズ リターンズ」を観にいったときに鍋とフライパンを見ると、明らかに日本製が増えていました。

次に買うとき、めったに買い替えない鍋は、少しよいものを買いたいと考えていました。ル・クルーゼが流行り出したころ、ほしい気もしましたが、高くて手が出そうになかったので、調べもしませんでした。圧力鍋も一度は試してみたいと思いながら、購入しませんでした。

今回ググってみて、無水調理も燻製もできるという密封性の高いストウブの鍋がいいなと思ったのですね。流行っているのでしょうか、沢山の記事が出てきました。

ちらっとアマゾンを見ると、サイズによってはフライパンと鍋を合わせて2万円以内で購入できそうに思えました。それだと、予算内です。

「国内正規品」は、ツヴィリング J.A. ヘンケルスジャパンが販売しているようです。ストウブはフランスの調理メーカーですが、2008年にツヴィリング J.A. ヘンケルスの傘下に入ったとか。

その公式通販サイトを見ると、お買い得品が出てはいましたが、それはほんの何点かでした。わたしがほしいと思った「ココット ラウンド ブラック 22cm」は 32,400円と出ていました。わたしには高すぎました。 

以下の記事が参考になりました。

【ストウブ鍋を安く買う方法】定価の半額で買える裏技を教えます: Fu/真面目に生きる
https://anahideo.com/staub-161025/

で結局、最初アマゾンで見た「ココット ラウンド ブラック 22cm」を15,350円で購入しました。値段は変わるようです。

フライパンは、前に使ったことのあるティファールと迷いましたが、バッラリーニを使ってみることにしました。イタリアのバラッリーニも、ツヴィリング J.A. ヘンケルス傘下のブランドのようです。6,156円のところを、やはりアマゾンで購入し、4,461円でした。

15,350円+4,461円=19,811円  見事、予算内!

楽天にはもっと安く出ていたのかもしれませんが、わたしは前に楽天登録したものの、すぐに退会したので、見なくなったのです。

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ココット ラウンド ブラック 22cm。ちゃんと生涯保証のシリアルナンバーがついていました(が、コーティング部分は保証対象外とあるので、あまり意味がないような気も……)。

普段3人――息子が帰省すると4人――の我が家には、ぴったりの重宝しそうな大きさです。重厚感があります。蓋を、左手で何回か持ち上げていると、治した五十肩が再発しないか心配になったほど。

存在感があって、何だか生き物みたいに思えます(わたしは早くも感情移入済み)。

息子が帰省したときに使わなかった牛の角切りを冷凍していたことを思い出し、ビーフシチューを作ってみました。初ストウブ作品でした。以下のサイトを参考にさせていただきました。

【staubで】ビーフシチュー by 楠本 睦実: レシピサイト「Nadia | ナディア」
https://oceans-nadia.com/user/10739/recipe/224220

煮込み一時間で完成*ストウブでビーフシチュー : kana-kitchen
http://kanakitchen.blog.jp/archives/34972244.html

煮込む時間は二つのレシピの間をとって、全部で75分煮込みました。もうずっとビーフシチューを作っていませんでしたが、それは煮込む時間が長すぎて億劫だったからです。

以前は牛の角切りだけで3時間は煮込んでいました。3時間半くらいかけて作っていたことになります。今回は、以前作ったような肉がホロっと崩れるほどではありませんでしたが、充分柔らかくなっていました。

野菜は本当に美味しくできていました。特にじゃがいものほくほく感は、ストウブならではのものでしょう。

「Nadia | ナディア」のレシピでブラックチョコレートが使われていたので、カカオマスを使ってみました。

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本格的な感じになりましたが、わたしは若干入れすぎた気が……

デミグラスソースを使い、ストウブを使用することで、手軽に美味しいビーフシチューが作れることがわかりました。

ただ、以前作っていたような、ホロっと肉が崩れる、デミグラスソースを使わないビーフシチューがなつかしくなったので、次回は肉を煮込む時間を長くして、デミグラスソースを使わずに作ってみようかな。ストウブを使えば、肉がホロっとなるのも、以前に比べたら短い時間で済むでしょうし。

小麦粉を肉にまぶしてバターで炒め、トマトピューレを使う江戸崎愛先生の本格的ビーフシチューが気に入っていました。何と、もう15年ぐらい作っていませんが。次回は、その江戸崎先生のレシピと前掲サイトのストウブレシピ二つを参考にして作ろうと思います。

その江戸崎先生のレシピではありませんが、過去記事で、『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992)から「ライト・ビーフシチュー」のレシピを紹介していたので、ライン以下に再度紹介しておきます。これも美味しかった記憶があります。

今回は試作品の段階だったので、写真はなしです。翌日娘の朝食から撮った写真があるので、それをアップしておきます。翌朝のビーフシチューって、格別。

白いのはサワークリームです。ボルシチにサワークリームをよく使うようになりましたが、ビーフシチューにも合いますね。目玉焼きはバッラリーニのフライパンが新しいので、うまく焼けます。娘は黄身を崩したこんなのが好み。バラッリーニ、案外軽くて、大理石みたいな美しい外観が気に入りました。

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ビーフシチューを入れた器は、過去記事で紹介したハリオの耐熱湯呑みです。この小ささで、結構ビーフシチューが入るんですよ。お陰でわたしの食べる量が減りました~! ハリオの耐熱湯呑み、お茶に調理に食事に大活躍中。

2019年1月29日 (火)
便利な耐熱湯呑み。ミルクのリゾット。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2019/01/post-21b5.html

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

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2019年2月22日 (金)

魔法というにはあまりにも自然で美しい、原作のメアリー・ポピンズ

1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」の原作であるメアリー・ポピンズのシリーズから邦訳された以下の本を図書館から借りたことは、過去記事で書いた。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

一昨日から鍋にかまけていて、まだ読了できていない。『さくら通りのメアリー・ポピンズ』『メアリー・ポピンズとお隣さん』は83歳、89歳のときの上梓とあって、さすがに筆の衰えを感じさせられるところがあり、どちらもスケッチ風の作品となっている(年齢を考えれば、その筆力には感心させられる)。

子供のころ、最初のほうの保証人がどうのというくだりで「わあ面倒臭そうなお話……」と思い込んで読む気が失せた『風にのってきたメアリー・ポピンズ』を改めて読み、子供のころはつまらない箇所に躓いていたものだと呆れた。

還暦を過ぎた年齢になってちゃんと読んで、メアリーにすっかり魅了されてしまったのだった。『不思議の国のアリス』も同様に子供のころに躓いた作品だった。

2010年5月 6日 (木)
アメリカンな『アリス・イン・ワンダーランド』とルイス・キャロルの世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/05/post-141c.html

この記事を書いたころはまだ、ハリウッド映画は全然変ではなかったなあ。

『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は正真正銘の純文学作品であり、メアリーの心情が繊細に表現され、子供たちの描写は細やかで、まるで本当に生きているかのようだ。邦訳がすばらしい。

わたしはすっかり子供たちの一人になってしまって、メアリーの動作に釘付けになっていた。「ねるまえに一さじ」と書いた紙の貼ってある大きなびん。

子供たちと同様、わたしもそれを飲むのを一旦は拒絶した。

ところが、「マイケルは、息をとめて、目をつぶり、グッとのみました。おいしい味が、口じゅうにひろがりました、舌をまわして、あじわいました。そして、のみこむと、うれしそうに、にっこり笑いました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)という文章を読み、興奮してきた。

苦くはなく、ストロベリー・アイスの味がするようだ。マイケルはもっととせがむが、メアリーはきつい顔をしてジェインのぶんをついでいた。「それは、銀や緑や、黄色に光って、スプーンに流れこみました」(トラヴァース,林訳,2003,p.22)と文章は続き、ジェインはライム・ジュース・コーディアルだわ、という。ライム・ジュースのような味なのだろう。

ふたごのちびちゃんたち、赤ん坊のジョンとバーバラも飲ませて貰って、バーバラなんかは、まるでネコみたいに喉を鳴らして満足そうだ。わたしにも、ねえ、わたしにもちょうだい。メアリー・ポピンズ!

それからメアリー・ポピンズは、もう一さじついで、しずかにじぶんでのみました。『ラム・パンチ。』といって、舌をならして、びんのせんをしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.24)

わたしは飲ませて貰えず、そのことが本気で残念に思われるほど、物語の世界に完全に入り込んでいた。不思議な飲み物の場面一つとっても、ひじょうに丹念に描かれている。

メアリーの恋人らしい画家兼マッチ売りのバードが描いた絵の中に、メアリーとバートが入っていく過程は、「メリー・ポピンズ リターンズ」の中でメアリーや子供たちが壺の絵の中に入っていくそれとは比較にならないくらい自然な成り行きでありながら、原作は映画にはない神秘性と詩情を湛えている。

その前の場面で、バートは絵が売れず、メアリーをお茶に誘えなかったと書かれていた。メアリーはバートにいった。「けっこうよ、バート。気にすることはないわ。お茶にいかないほうが、いいくらい。どっちかというと、おなかにもたれるから――ほんとよ」(トラヴァース,林訳,2003,p.25)

バートは、白い手袋をはめたメアリー・ポピンズの手をとると、かたく、にぎりしめました。そしてふたりは、ならんで、かきならべた絵の列にそって歩きだしました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

絵の描写も細やかだ。その絵を見たメアリーはいう。「『まあ、バート。すばらしいじゃないの!』そして、そのいいかたは、その絵が、ほんとなら王立美術館にかざるのがあたりまえなのに、というようにきこえました」(トラヴァース,林訳,2003,p.35)

メアリーがバートの絵に心酔していればこそ、バートの誘いにのったメアリーは彼と絵の世界に入ることができたのだろう。それは、魔法というにはあまりにも自然で、美しい。

<ここから引用>
そこは、なんてあおあおとしていて、なんてしずかなのでしょう! そして、足もとの芝生は、なんとまたやわらかで、こまやかなことでしょう! ふたりは、とても、ほんとうだとは思えませんでした。しかし、緑の枝は、下をくぐろうとすれば、帽子にあたって、さわさわ音をたてましたし、歩いてゆくくつのまわりには、いろいろの小さな花が、まつわりつくようでした。ふたりは、おどろいて顔を見あわせました。
<ここまで引用>
(トラヴァース,林訳,2003,pp.36-37)

恋人たちはそこで、現実の世界では叶わなかったお茶の時間を楽しむ。

原作は映画と比較すれば本当に自然な感じで、バンクス夫妻は長短併せ持つ普通の人々だ。バンクス夫人は映画とは違って、リベラルな社会活動などしていず、家にいる。

普通の人々が脇を固めているからこそ、闖入者達の風変りっぷりが際立つのだ。

神智学の影響は作品全体から感じられた。特にそのように思えた箇所を引用しておきたいが、それはまとめの段階で。これから、『帰ってきたメアリー・ポピンズ』を読む。

ところで、鍋にかまけていたと先述した。これは次の記事で。

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2019年2月18日 (月)

神智学の影響を受けたメアリー・ポピンズの生みの親、パメラ・リンドン・トラヴァース

このところの一連の記事を神秘主義エッセーブログにまとめ、萬子媛の小説ノートをアップしてようと思っていたところ、またしても新たな課題が出現した。

また小説に入るのが延びるが、これは嬉しい課題で、大雑把にでもまとめておきたい。

神智学の影響を受けたパメラ・リンドン・トラヴァース(Pamela Lyndon Travers、P.L.Travers、1899年8月9日 - 1996年4月23日)とその作品について、である。

実は昨日、2018年ウォルト・ディズニー・ピクチャーズ製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ リターンズ」を娘と観た。夫は「アクアマン」を観た。面白かったそうだ。

わたしも還暦を過ぎ、「シニア割引」を利用できるようになったため、一人で映画を安く観ることができるようになった。これまでは「夫婦50割引」を利用していて、夫の好みに合わせていた。

「アクアマン」も観たい気がしたが、児童文学作品の映画化となると、どう映画化されたのか気にかかり、その関心から観たいと思うことが多い。

前作、1964年ウォルト・ディズニー・カンパニー製作のミュージカル映画「メリー・ポピンズ」(原題: Mary Poppins)は、テレビで視聴した記憶がある程度だった。ジュリー・アンドリュースが大好きなので、「チム・チム・チェリー」「スーパーカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「2ペンスを鳩に」「お砂糖ひとさじで」など、劇中の名曲を集めたLPレコードを持っていた。

で、昨日観た「メリー・ポピンズ リターンズ」だが、前半は夢見心地にさせてくれる美しい映像に加えて、メリー役の綺麗なエミリー・ブラントが頑張っているところ、子供たちの可愛らしさが好ましく、楽しめたが、後半になると原作にも前作にもない、説教臭さやストーリーのあざとさが見えてきて、警戒心が出てきてしまった。

前作の記憶が曖昧だったので、はっきりとしたことはいえないながら、こんなに赤い――リベラルっぽい――印象の映画だったかなと疑問が湧いたのだった。

「くるみ割り人形と秘密の王国」もそうだったが、最近のハリウッド映画は、底抜けに楽しませてくれない。

90 映画「くるみ割り人形と秘密の王国」とホフマンの原作
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/12/15/005345

前作の舞台は1910年のロンドン。

続編リターンズの舞台は、25年後のロンドン。

その時代はガス灯、大恐慌時代のロンドンで、ガス灯掃除人の白人たちが貧困暮らしを強いられている風だ。長女ジェーンは前作の母親がそうであったように社会活動をしている。母親が女性参政権運動をしていたのに対して、ジェーンは労働者の支援活動をしている。弟マイケルは妻を亡くし、経済的窮地に陥っていた。

ところが、その1935年のロンドンでは――ありえなかったことだが――黒人が弁護士を勤めていたり、銀行の案内係を勤めていたりと見事に社会進出を果たしている。一方、白人間では、依然として、ひどい格差があるようだ。

キング牧師の名で知られるマーティン・ルーサー・キング・ジュニア(Martin Luther King, Jr. 1929 - 1968)がアフリカ系アメリカ人公民権運動の指導者として活動し、アメリカ各地で公民権運動が盛り上がる中、“I Have a Dream”(私には夢がある)を含む演説を行ったのは1963年のことだった。

インド独立の父マハトマ・ガンディーに啓蒙されたキング牧師は、徹底した「非暴力主義」を貫いたことで、有名である。ガンディーは過去記事でも書いたように神智学協会の影響を受けている。

ガス灯の時代に黒人の社会進出が実現しているかのような、ちぐはぐな描きかたになったのは、イデオロギーを感じさせない原作の映画の続編にイデオロギーを捻じ込んだためだろうか。

そうではなく、たぶん、リターンズで描かれた社会は1935年のロンドンではなく、現代のロンドンあるいはアメリカなのだ。

原作のメアリー・ポピンズも、映画の前作メリー・ポピンズも、時の政治体制外にいるニュートラルな存在で、そのポピンズから見れば、ブルジョアであるバンクス夫妻の子供たちは貧困者だったのだ。

よい家に住み、よい服を着、御馳走を食べなれている子供たちは、ある意味で、懐の寒い庶民の子供たちと同じくらいか、それ以上に貧しかったのである。鳩にあげる餌の代金2ペンスさえ自由にならなかったのだから。厳格なうえにケチな父親のせいで。

社会活動に忙しい母親のせいで、愛情にも飢えていた。メリーに映るバンクス家の子供たちはある意味で貧しい、愛情に飢えた子供たちだったのだ。

バンクス氏は首を宣告されたときになって、メアリー・ポピンズの魔法の言葉を思い出して愉快になったことで金銭欲から解放される。それを見届けるのを待っていたように、前作のメアリーは去っていった。

子供達がバンクス氏に差し出した小遣いが、続編のリターンズでは、何と投資としての効果を生み、いつしか莫大な儲けとなって、マイケルの窮地を救い、一家は家を手放さずに済む。

そして、この続編のメリーはブルジョアジーの味方である。家族を抱えているに違いない大勢のガス灯掃除人(自転車アクロバット野郎)をビックベンにロック・クライミングさせて平気だ。

どんな義理があって、大勢の貧しいガス灯掃除人達はバンクス家のために命を賭けてロック・クライミングしなければならなかったのだろう? 労働者の団結を謳い、支配者に隷属させる構図が透けて見える。

皆が公園で風船遊び(?)に興じた4年後の1939年に、現実の世界では大戦の火蓋が切られた。

原作、前作に比べて、メリーの魔法は人々に気晴らしをもたらすだけのただの余興となっていた。

続編リターンズからはグローバリズムの肯定、共産主義礼賛が嫌でも見てとれ、ハリウッドはかつてソ連共産主義者で赤かったが今は中国共産党の影響で赤いという河添恵子さんの指摘が正しいことを感じさせられた。穿った見方だろうか。

以下の動画は、【Front Japan 桜】ハリウッドの反トランプは親中国共産党!? / 「蛍の光」とセンタ ー試験問題 / 北方領土問題、何かが動く?[桜H31/1/23]。

映画の原作となったトラヴァースの本を図書館から借りた。児童図書を借りるのは、子供が本を借りようとするのを邪魔するようで悪い気がするが、幸い同じ本が何冊もあって、新しい本以外は眠っていることがわかった。映画の影響か、新しい『風にのってきたメアリー・ポピンズ』は貸出中。

眠っている何冊かの本の中から一冊借りた。新品のように綺麗だ。大人たちが昔ほどには純文系の児童図書を子供に読ませなくなっているのだろうか。書店員だった娘は、そんな風にいっていた(現在は転職して病院勤め)。

「メアリー・ポピンズ」シリーズは全10巻である。

  • 1934年(35歳)第1巻『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins)
  • 1935年(36歳)第2巻『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Comes Back)
  • 1943年(44歳)第3巻『とびらをあけるメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins Opens the Door)
  • 1952年(53歳)第4巻『公園のメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in the Park)
  • 1962年(63歳)第5巻『メアリー・ポピンズ AからZ』(Mary Poppins from A to Z)
  • 1968年(69歳)第6巻『メアリー・ポピンズ AからZ ラテン語編』
  • 1969年(70歳)第7巻『メアリー・ポピンズのぬり絵絵本』(Mary Poppins Story for Coloring)
  • 1975年(76歳)第8巻『メアリー・ポピンズのお料理教室―おはなしつき料理の本』(Mary Poppins in the Kitchen: A Cookery Book with a Story)
  • 1982年(83歳)第9巻『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(Mary Poppins in Cherry Tree Lane)
  • 1988年(89歳)第10巻『メアリー・ポピンズとお隣さん』(Mary Poppins and the House Next Door)

借りた本は以下。

  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『風にのってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2003・新装版)
  • P.L.トラヴァース(林容吉訳)『帰ってきたメアリー・ポピンズ』(岩波書店、2001・新版)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『さくら通りのメアリー・ポピンズ』(篠崎書林、1983)
  • P.L.トラヴァース(荒このみ訳)『メアリー・ポピンズとお隣さん』(篠崎書林、1989)
  • 森恵子『P.L.Travers』(現代英米児童文学評伝叢書8、KTC中央出版、2006)

まだこれから読むところなので、どの程度の加筆になるかはわからない。神秘主義エッセーブログにアップする予定。

トラヴァースと神智学の関係は、森恵子氏の評伝『P.L.Travers』に出てくる(20~21頁参照)。

1933年、トラヴァースはアイルランドの文芸復興運動の指導者の一人で詩人であったAE(ジョージ・ラッセル George William Russell, 1867 - 1935)に頼み、AEの友人で『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』の編集者アルフレッド・リチャード・オイレジ(Alfred Richard Orage,1973 - 1934)に紹介して貰う。

トラヴァースはオイレジに才能をみこまれ、『ニュー・イングリッシュ・ウィークリー』に詩を寄稿、ほどなく同誌の劇評家となった。オイレジはマダム・ヘレナ・ブラヴァツキ(Helena P.Blavatsky、1831 – 1891)の神知学派の流れをくむジョージ・イワノヴィッチ・グルジェフ(George Ivanovich Gurdjieff,1866 - 1949)の布教活動をしていた。

トラヴァースはオイレジを通じグルジェフに出会った。トラヴァ―スにとって、AEは文学的な父、グルジェフは精神的な父であった。

<ここから引用>
当時、マダム・ブラヴァツキの神知学協会は、AEやイェイツにも大きな影響を与えていた。AEから聞いた神知学にはじめは疑問をいだいていたトラヴァースだったが、オイレジの話を聞き積極的な信奉者に変わった。彼女が実際にグルジェフに会うのは1936年である。
 神知学には、ゾロアスター教やヒンズー教、グノーシス主義などが混同している。人間は肉体に閉じこめられ本来の自己(霊性)を忘却し深い眠りのなかに落ちこんでいる。眠りをさまし本来的自己に目覚め、それが神性と同じであることを認識し救済にいたるという思想である。目覚めるためには超人的な努力が必要である。グルジェフの提唱する「仕事」を通じ、知性と感情と肉体の三つをつなぎバランスをとることで、それが可能となる。ところでトラヴァースによれば、妖精物語は人間の真の姿を見せてくれるものであり、それは子ども時代以降は眠りに落ちている。自分が何者であるかを認識するために、人間は妖精物語を眠りから呼び覚まさなければならない。トラヴァースは眠っている妖精物語と本来的自己は同じものと考え、ここで彼女のなかで妖精物語と神知学は結びつくのである。

<ここまで引用>
(森,2006,pp.20-21)

わたしはグルジェフは未読である。神智学の説明とトラヴァースの考えには若干違和感があるが、トラヴァースが神智学の影響を受けていたとは知らなかった。

グルジェフといえば、ニュージーランド出身の作家キャサリン・マンスフィールド(Katherine Mansfield, 1888 - 1923)も、グルジェフの影響を受けていたのではなかったか。マンスフィールドは、ヴァージニア・ウルフがライバル視した短編小説の名手であった。

「メリー・ポピンズ リターンズ」の描きかたに疑問を抱かなければ、トラヴァースについて特に調べることもなく、神智学の影響についても知らないままだっただろう。

それにしても、神智学協会の影響による文化的業績が片っ端から赤く染められていっているようで、嫌な感じがする。

このところ児童文学作品に触れる時間がなく、飢えていた。萬子媛の小説が遅れるけれど、しばしトラヴァースの作品に純粋に浸ってみたい。

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2019年2月13日 (水)

病気、瞑想について、ひじょうに慎重だったブラヴァツキー。全くの黒魔術である前世療法。

この記事は、一昨日書いたことの続き、あるいは補足になる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『実践的オカルティズム』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)によると、1888年、神智学協会の秘教部門が創立された。

ブラヴァツキーの死後、彼女が秘密厳守として部門に授けた教えを、ある弟子達が誓いを破って公開した。近年、「秘教部門の教え」は、同題の単行本として出版され、『ブラヴァツキー文集』の第12巻にも出ており、前掲書『実践的オカルティズム』の第三部「『秘教部門の教え』より」は、そのわずかな一部だそうだ。

秘教部門は前掲書によると、神智学協会を創立当時の線に戻すために、「勇敢な魂の持ち主達の選ばれたグループ、本当の霊的進歩と魂の智慧を渇望している信念の堅いわずかな男女」の間で「同胞愛的結合を増進することにより、神智学協会全体の未来の成長を正しい方向に向けるよう助ける」目的で、創立された。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.148)

この秘教部門の段階は、実践的オカルティズム即ちラージャ・ヨーガを学ぶための見習いの段階とある。ラージャ・ヨーガとは、「瞑想によって悟りの境地に入る修行法。パタンジャリの『ヨーガ・スートラ』はこの根本聖典である。(略)」(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,「用語解説」p.27)

「いくつかの例外的な場合以外は、学徒は物質化現象の起こし方を教えられることはなく、いかなる魔術的な能力を発達させることも許されない」。「秘教部門の本当の部門長はある大師である。H・P・ブラヴァツキーはこの部門のためのこの方の代弁者である」。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,pp.145-146)

このような記述からすると、『実践的オカルティズム』で紹介された第三部「『秘教部門の教え』より」で述べられていることは、ある大師のお言葉と考えてよい。

必読書として、シークレット・ドクトリン、バガヴァッド・ギーター、道の光、パタンジャリのヨーガ哲学、三種類の雑誌が挙げられている。

21条からなる「秘教部門の規則」の中に、飲食に関する注意がある。「あらゆる種類のワイン、酒、アルコール飲料、麻酔性または麻酔性の薬を飲むことは厳重に禁止」、それが守られなければ、全てが台無しになるという。このようなものはすべて、「脳と特に第三の目即ち松果腺に直接有害な作用をする」からだ。煙草は「あまり多量に吸わなければ禁じられていない」(乱用は当然ながら有害)とある。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156)

食事については「肉食は禁じられてはいないが、野菜、魚で健康を維持できるなら、そのような食事を勧める」とある。その理由は「肉食は情欲性質を強め、所有欲を強める」ため、「低級性質との戦い」が一層難しくなるからである。(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.157)

また、病気の治癒に関することで、次のように述べられている箇所がある(下線引用者)。

<ここから引用>
自分の仕事上の用務や社会的な関係の管理、人生の出来事についての命令や指導を願ってはならないし、自分のためであろうと、他人の場合であろうと、病気の治癒についての指示を願ってはならない。与えられた教えについての質問だけが受け入れられ、答えられる。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.156)

心身を清浄に保つための心得が述べられているが、下線部分からすると、病気に関することはプライベートな問題としてタッチされていなかったようだ。

「倫理、科学、哲学に関する質疑応答」という副題を持つ、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987・初版、1995・改版)には、菜食主義について語られた箇所で、次のようなことが書かれている。

<ここから引用>
 もう一つ聞かせて下さい。秘教部門の会員達が病気になった時は、食べ物はどうしますか?
 もちろん、いちばんよい医者の忠告に従います。私達はけっしてこの点に厳格なルールを押しつけはしないことがまだお分かりになりませんか? このような問題については、私達は理性的な見方をしており、狂信的ではないことをしっかりと覚えておいて下さい。もし病気や長い習慣でどうしても肉がなければ生きられないというなら、どうして食べさせないなどということがありましょう? 肉食は罪ではありません。少し進歩を遅らせるだけです。なぜなら、結局、純粋に肉体的な作用や機能よりも、人間が考えたり感じたりすること、その人が心にいだいている望み、また心の中に根づき成長させているもののほうがずっと重要ですから。

<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1987,p.253)

前掲書『実践的オカルティズム』の中で、ブラヴァツキーは無知な瞑想に対して、次のように警告している。

<ここから引用>
本当の瞑想についての表面的で歪められた知識しかもたずに「ヨーガのための座禅を組む」ことは、ほとんど例外なく悲惨な結果を生じる。十中八、九学徒は霊媒的な能力を開発させるか、時間を無駄にして瞑想とその理論が嫌いになるかどちらかである。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192)

近年流行しているらしい前世療法は催眠療法の一種のようだが、同書の中で、催眠術は黒魔術だとはっきり述べられている。

<ここから引用>
実際は、生体解剖者という温厚な紳士達や医学博士号をもつ催眠術師達も同じ黒魔術を行っているのだが、ヴードゥー教徒やドュグパ達は意識的黒魔術師であるのに対して、フランスの神経病学者のシャルコー氏やリシュ氏のような方々は無意識的な魔法使いである。どちらも、よかれあしかれ黒魔術での努力の実りを取り入れなければならないが、西洋の医師達が黒魔術から得られる利益や楽しみを受けず、罰や汚名だけを被るのは気の毒なことだ。このような学派で実行されている催眠術や生体解剖らはヴードゥー教やドュグパがもっているような知識はないが、全くの黒魔術なのである。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中・クラーク訳,1995,p.192)

関連記事に、拙「マダムNの神秘主義的エッセー」で公開中のエッセー 77 「前世療法は、ブラヴァツキーが危険性を警告した降霊術にすぎない」がある。

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「E・レシピ」のさっぱりチャーハン、野菜たっぷりクラムチャウダー

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柴漬けを使ったチャーハンって、どんな味だろうと興味が湧き、作ってみました。

混ぜ御飯にしたほうが柴漬けの味を生かせそうな気がしましたが、珍しい感じで、なかなか美味しかったですよ。わたしはしょうゆを垂らしたので、ほんのり色がつきました。混ぜ足りなくて、まだらですが。

参考にした「E・レシピ」から紹介します。

さっぱりチャーハン: E・レシピ

■ 材料( 2人分 )

エノキ……1パック
しば漬け……大2~3
チリメンジャコ……大4
酒……大1
ご飯……お茶碗3杯
コショウ……少々
白ゴマ……大1
サラダ油……大2
大葉……3~4枚

■ 作り方

  1. エノキは石づきを落とし、水洗いして水気を切って1cmの長さに切り、シバ漬はみじん切りにする。チリメンジャコは酒を振っておく。
  2. フライパンにサラダ油を強火で熱し、ご飯を炒め、油がまわれば1を加えて手早く炒め合わせる。
  3. コショウ、白ゴマを加えて炒め合わせ器に盛り、大葉のみじん切りを散らす。

同じ「E・レシピ」の『野菜たっぷりクラムチャウダー』がこのチャーハンに合いそうだったので、作りました。豆乳がなかったので、牛乳を使いました。

豆乳を使えばヘルシーな感じだったでしょうが、牛乳で作ってもとても美味しく、様々な料理に組み合わせることができそうで、おすすめです。娘がとても気に入っていました。

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参考にした「E・レシピ」から紹介します。

野菜たっぷりクラムチャウダー: E・レシピ

■ 材料( 1人分 )

ジャガイモ……1/2個
ニンジン……1/4本
玉ネギ……1/4個
セロリ……1/4本
むきエビ(生)……5尾
オリーブ油……大さじ1/2
バター……5g
小麦粉……小さじ1
水……100ml
顆粒スープの素……小さじ1
豆乳(調整)……100ml
塩コショウ……適量
ドライパセリ……適量

■ 下準備

  • ジャガイモ、ニンジン、玉ネギは皮をむいて5mm角に切る。
  • セロリは筋を引いて5mm角に切る。むきエビは背ワタを取り、分量外の酒の入った熱湯でサッとゆでてザルに上げ、水気をきる。

■ 作り方

  1. 鍋にオリーブ油、野菜、むきエビを入れて中火で炒め、全体にしんなりしたらバターを加えて混ぜ合わせる。
  2. 小麦粉の半量を加えて混ぜ合わせ、粉っぽさが無くなったら残りの半量を加えてさらに混ぜ合わせ、水、顆粒スープの素を加える。
  3. 野菜が柔らかくなったら豆乳を加え、煮たつ直前に火を止めて塩コショウで味を調える。器に盛り、ドライパセリを振る。 

そして、キュウリのサラダを作りました。ドレッシングは、マヨネーズにヨーグルトを混ぜ、軽く塩胡椒したものです。

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2019年2月12日 (火)

五十肩の再発と回復の経緯を三浦先生の著書で確認してみる。ブラヴァツキーの病気と貧乏。

このところ、雑用で忙しかったのに加え、五十肩――もう六十だが――を再発(何回目かな)したということもあって、記事の更新が間延びした。

今回の五十肩の再発は左肩で、無理な動かしをしたのか、再発の数日前からおかしかった。用心すればよかったのだが、忙しさの中で、注意を怠った。その結果、左肩が激しく痛み出し、腕がほんの少ししか上がらなくなった。

家事に手間取る。皿を食器棚の上の棚に上げるとき、洗濯物を干すときは踏み台が必要。着衣に手間取る。就寝時は、左肩が落ちると痛いので、クッションがいる。

炎症が悪化するのも時間の問題と思われた。今回のはひどくなりそうだとの予感がした。

わたしは一旦五十肩を発症して成り行きに任せれば、下手をすれば、2年ぐらい整形外科に通う羽目になるのだ。重症といわれ、手術が検討されたこともあった。

このことと、骨に異常が表れやすい副甲状腺機能亢進症の疑いで内科で経過観察していただいていることとが関係あるのかどうかは不明。

五十肩の最初の発症は2006年だった。後に右肩もなったが、左肩から始まったようだ。

2006年6月 2日 (金)
整形外科受診 - 左の肩関節周囲炎(五十肩)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/06/post_8164.html

別件で年に一度、整形外科で経過観察していただいており、それが来月の予定なのだが、受診日まで我慢できそうにないと思い、「どうしよう?」と夫に相談した。「うーん、受診したら?」と夫。「そうだ、あれ、やってみようかな」とわたし。「あれって?」と夫。「あれったら、あれよ」とわたし。夫にはわたしの試みがわかっている。

過去記事で何度か書いたように、想像の白い光を患部に放射するのだ。

2017年12月18日 (月)
腰痛のその後、最強のオーラビーム?
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/12/post-1.html

昔確認したように(「枕許からのレポート」参照)、ハートが清浄な光の源泉であることは確かである。

光源と書くべきかもしれないが、光が水のように迸るさま、溢れて充満するさまには、源泉という表現のほうが合う。その光は単純な肉体的不具合にとてもよく効く。

放射してしばらくは、あまり効き目が感じられなかった。徐々に回復してきて、数時間後には夫に左腕を上げてみせることができた。調子に乗ってブンブン振り回したら、また少しおかしくなったので、再度放射。翌日には普通に戻っていた。

いい加減に、この辺で、回復した経緯をヨガの本で確認しておくべきだと思った。

ヘレナ・レーリッヒの本は示唆的で、精神的に昂揚してくるような美しい表現で著されているが、霊的治療に関しては抽象的だ。

<ここから引用>
治療者は二つのグループに分かれる。一つは手を当てたり直接見たりして治療する。もう一つは、ハートの流れを遠方に送る。もちろん、未来の建設のためには、二番目の方法が優先する。
(略)ハートの流れによる治療者は、肉体と同様精妙体にも作用する。人生の現象的な面に注意を払うべきだ。それは、思ったよりもずっと本質的である。
<ここまで引用>
(アグニ・ヨガ協会編(田中恵美子訳)『ハート』平成17年9月1日コピー本復刻、竜王文庫、2005、p.51)

他に、具体的に技法を解説した本はなかっただろうか……長尾雅人編『中公バックス 世界の名著1 バラモン教典 原始仏典』(中央公論社、1979)所収、パタンジャリ「ヨーガ根本聖典(ヨーガ・スートラ)」を読んだ。うーん。そうだ、三浦先生の本だと思い、本棚を漁る(漁らなくてはならないほど不勉強だった。反省……)。

序に「本書『大直感力』はヨガの聖典をもととし、且つヨガの代表的文献を実証とし、初歩の呼吸から説いて、ヨガ(統一)瞑想の最高級までを説くものであります」と書かれているように、三浦関造『大直感力』(竜王文庫、1959・初版、1979・11版)は、本格的なヨガの技法の奥義書である。

わたしは三浦先生のような師匠にこの世で出会わない限り、この中の技法を試みる勇気はないが、竜王会には、教えを受け継ぎ、綜合ヨガのヨギ――実践者――の育成を行っている会員がおられる。

わたしがハートの光を患部に放射するやりかたは、痛みに耐えられないと思う中でいつしか自分で自然に行うようになったものなので、このやりかたの裏付けとなる文章を三浦先生の著作の中で見つけられたら、これが科学的な原理に則ったものであることがわかり、安心できるような気がする。そして、それをブログに書くくらいのことは、三浦先生に許していただけるのではないだろうか。

以下に書くことは、あくまでわたしのやりかたにすぎない。

前述したように、ハートが清浄な光の源泉であることは確かだ。胸の奥から白い光が部屋いっぱいに溢れ出て、その光に浴していることは、わたしにはよくあることだから。

ハートの一点から光を患部に送ろうと決意するとき、わたしの意識は頭頂にある。そこがなぜか涼しくなるのだ。患部がどこかを探るとき、意識は額に移っている。ここが患部だと思ったとき、意識はさらに喉に移っている。そして、思いを定めるとき、意識は自然に胸に移動して、そこから光を患部に向けて放つ。

果たして、ちゃんと読まなければと思いつつ、あまり読んでいなかった三浦関造『マニ光明ヨガ』(竜王文庫、1959・初版、1981・5版)を紐解くと、その中の一文が目に留まった。

もしかしたら、自分では忘れていても、以前に先生の本で読んだその記述がわたしの記憶にあり、痛みの中でその記憶が甦って実行したのかもしれない。あるいは、田中先生がご存命だったころに大会で学んだのかもしれない。あるいは、前世の自分が行っていたことなのかもしれない。

いずれにせよ、次の一文がわたしの方法に合致するように思われるのだ。

<ここから引用>
頭の中心マニから光明エネルギーを発して、眉間から甲状腺を通り、心臓の中心に送り、今度は反対にそれを頭の中心に返へす。これを数度くりかへして最後に胸腺から全身に発散させることは、イエスが「全身光に満さる」といわれたことで、これで以て体内の欠点を正す。
<ここまで引用>
(三浦関造『マニ光明ヨガ』竜王文庫、1981・5版)

中心マニとは、チャクラでいえばササスハラと説明されている。頭の中心と書かれているが、わたしは頭頂付近に微妙な点があることを感じる。そこがむず痒かったり、涼しかったり、振り絞られるような気のすることがある。

<ここから引用>
チャクラ  Chakra
 サンスクリット語で輪を意味し,人間のエーテル複体の表面にある一連の車輪状の渦を指す。或いは脊柱に相応する管腔内に位置する。エネルギーの流入及び流出の焦点(中心)であり,力を貯える。主な中心が七つあり,肉体の内分泌腺に相応している。

<ここまで引用>
(竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980、p.40)

眉間に位置するのはアジナー。喉に位置するのはカンサ(またはヴィシュダ)。心臓に位置するのはアナハタ。

他に、マニピュラ、スワジスターナ、ムラダーナといった全部で七つのチャクラがある。

わたしが自分の患部に送っていた光を全身に発散させれば、体内の欠点を正すことができると三浦先生はお書きになっている。

不具合の起きている心臓にこそ、真っ先にハートの光を送るべきかもしれないが、わたしには心臓の不具合の原因がはっきりわかっており、自分ではその原因をどうすることもできないので、心臓に関しては目下医療に頼っている。

心臓といえば、ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(神智学協会 ニッポンロッジ、1981)には、ブラヴァツキーが自分の心臓と肝臓の病気について書いた悲痛な文章を思い出す。

<ここから引用>
「私には二つの致命的な病気があります。心臓と肝臓の病気です」と彼女はシネットに書きました。「心臓はいつ破裂するかもしれませんし、肝臓は二、三日で私をあの世へ送ることでしょう。これはみな、この五年間、絶え間ない苦闘と心配と抑圧された情緒のためです。グラッドストーンのような偉い人だったら、詐欺師と言われても笑いとばすでしょうが、私にはどうしてもそういうことはできません」
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.293-294)

ブラヴァツキーが今なお誹謗中傷に晒されていることを思えば、何ともいえない気持ちにさせられる言葉だが、彼女が自分の貧乏について率直に語った言葉も、『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』には出てくる。

ブラヴァツキーの妹ヴェラは姉と同じ著述家だった。ヴェラは議論好きで、あるとき次のようにいった。

<ここから引用>
「ねえ、お姉さんがよく幻姿を見せているのを私は見て来ましたが、貴女が本当に物質的なものがつくれるとは信じていませんよ」
「いいですよ、貴女がそんな愚にもつかないことを信じようと信じまいと、私の知ったことではありません」
「愚にもつかないことではありません! もし、貴女に金や宝石をつくれるなら、私と貴女を金持ちにすることが出来ます。例えば、私達は安いアパートを探すことはないでしょう。私達は一番いいものだけを持つべきです」
 ヘレナは笑いました。「それは魔法、黒魔術でしょう。それは害があるだけですよ」
「充分なお金があって、何の害になるの?」
 ヘレナは煙草の籠のある所へ行き、きゃしゃな手で煙草を巻きはじめました。
「ヴェラ、この人生で貧乏なのは、貴女と私のカルマに過ぎませんよ。もし私達が金持になる為に、神聖な力を使ったなら、今生だけでなく、おそらく未来の何世紀も二人とも破滅するでしょう」
「では、もしそういうものが害となるなら、貴女が他の人達に与えたといわれている贈り物はどうなの?」
「ねえ、わからないの? 僅かなつまらぬものをつくっても、誰も金持ちにはしませんよ。でも、馬鹿な物質主義者に人間の中にひそむ神の意志の可能性を示すことは出来るでしょう」

<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,pp.335-336)

ここでのヴェラとのやりとりから、ブラヴァツキーが自分のカルマをどう考え、どう対処したか、また、オカルティックな実験をどのような意図で行ったかがわかる。

ブラヴァツキーを指導したアデプト(イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通されたかた)のお一人であったK・H大師は、ブラヴァツキーについてシネットに次のようにお書きになった。

<ここから引用> 
わたしは君に誓うが、彼女は決して詐欺師ではなかったし、わざと嘘を言ったことはあったためしがない。また彼女は崇高な誓いをたてて誓ったので、度々困ったことはあるが、沢山のことを秘密にしてかくさねばならなかったのである。彼女は現象を起こすことが出来るし、実際に行った。それは彼女の生れつきの力に、長い年月の規則正しい訓練が加わったもので、彼女の現象は高い秘伝をうけた弟子達の或る者よりも、時にはすばらしく、ずっと完全である。
<ここまで引用>
(ブラヴァツキー,田中訳,1981,p.322) 

並外れた人物であったブラヴァツキーが、如何に雄々しく、また人間的に多くの困難に耐えたかが『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』を読むと、よくわかる。

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2019年2月 7日 (木)

転職の季節

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娘の転職が決まったので、娘の好きなミートボールを作った。

新卒のとき、娘は就活に失敗。そのあと、こだわりを捨ててあちこち応募しまくっていたが、完敗。

出版社にこだわったのが敗因だと思っていたら、高校時代、大学時代の友人達もことごとく失敗していた。小泉不況の煽りを食った、就職氷河期後半の世代なのだ。

就職氷河期
日本ではバブル崩壊後の就職が困難であった時期(1993年から2005年と定義されている)を指す語。

「就職氷河期」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年1月6日 (日) 05:25 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

娘の大学卒業年は2005年だから、就活は主にその前年の2004年。就職氷河期の終わりごろに当る。

新卒時に総合職に就けなかった場合、希望や学歴にいくらかでも見合った仕事にありつくのは至難の業。特に、地方在住の親元で暮らしながら探すとなると、希望も学歴もお荷物となる。

これはわたしの時代からそうだが、地方で女性の就職に四大出はむしろ不利なことが多く、実務的、実用的なスキルを実業高校、専門学校などで身につけた若い子にぴったりの求人なら結構ある。四大出よりは短大出のほうがまだしも分がある。

そのころのことは以下の過去記事を読めば、思い出す。記事の中で引用したシモーヌ・ヴェイユの言葉は的確に「失業」というものの本質を衝いていると思う。

2006年10月 7日 (土)
非正規雇用者の問題。わたしと子供たちのホロスコープ。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2006/10/post_2b73.html

娘は仮のつもりで就いた書店での仕事だったが、いつのまにか15年が過ぎ去った。

薄給と時間的余裕のなさが心配だったが、娘から聞かされる話は面白く、わたしも出版社、取次店、書店の各仕組や関係性、裏事情といったものに詳しくなった。

本に関することなら、娘に訊けばまず、知りたかったことにプラスして、本に関する興味深いエピソードとか、耳よりの最新情報とか、本の本当の売れ行きとかを知ることができた。

娘は意識の高い書店員だったと親のひいき目ではなく思う。ただ、豊富な知識や書物の本質を見抜く冴えた目などを十分に生かすには総合職か編集者でないと宝の持ち腐れだろうなと不憫に思っていたところ、当の娘も、書店員として、してみたい経験はし尽くした気がするといい、転職を考え始めた。

出版界全体にいえることと思うが、不安定でアバウトで突拍子もないところがあって、娘も、傍観しているわたしも、船酔いに似た気分を味わうことがままあった。その船酔いに耐えられなくなった、というところもあったのかもしれない。

あっけなく決まった転職先はメディカル関係で、不思議なことに、その仕事をそのままズバリ占星術で表現したサビアンシンボルが娘にはあって、驚いた。医療事務の資格を持っていないので駄目だと思っていたのだが、「この学歴では、今の仕事はもったいないね」と面接時にいわれたそうで、複雑な気分にさせられる言葉だったが、学歴が初めていくらか役立ったのかもしれない。

娘は、その仕事をうまくこなせるだろうか。

わたしはちょうど中共のメディカル・ジェノサイドについて調べていたところだったので、娘が勤務することになる総合病院では臓器移植が行われていないことを確認し、とりあえずホッとした。

娘は法学部出なので、実は弁護士事務所の仕事を探していた。しかし、法曹界には浄化すべきダークな問題も潜んでいるようで、求人が出ていたとしても、そこが優秀かつ良心的な日本人弁護士の経営する、経営状態のよい弁護士事務所かどうかといったことは、外からはなかなかわからない。

出ていた求人の一つをじっと見ているうちに、契約がパートに変更になったのがあって、経営状態が芳しくないのかなと思ったりした。

娘の転職を、同僚や、既に転職したり結婚したりしている元同僚達が祝福してくれた。しばらくは、書店での締め括りの仕事や新しい職場での新体験、友人達との飲み会などで、忙しいだろう。書店員をしている間に、娘には多くの友人ができた。それが何よりの書店からの贈り物かもしれない。

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2019年2月 3日 (日)

メディカル・ジェノサイド メモ2

メディカル・ジェノサイドを引き続き調べていて、久しぶりに風邪をひいてしまいました。

今日は節分なので、風邪の鬼(?)も追い出したいと思います。

独身の頃、腎不全を患っていた母のことは常に頭にあり、40年以上も前の話になりますが、自分の2個ある腎臓のうち1個を母にやれたらと切なる願いを抱いていました。

血液型からして違ったので、無理な話でしたが、こうした体験から、臓器移植については元々関心があるほうでした。

1997年10月、臓器の移植に関する法律が施行され、本人が脳死判定に従い臓器を提供する意思を書面により表示しており、かつ家族が脳死判定並びに臓器提供に同意する場合に限り、法的に脳死がヒトの死と認められ、脳死移植が可能となりました。

そして、1999年2月、この法律に基づく脳死移植が初めて行われたのでした。

ですが、 心臓死が社会通念としての死であった日本においては、脳死は人の死か否かという議論は今も続いているようです。

わたしはブラヴァツキー派の神智学を学んできた者として、脳死は人の死ではないのではないかとの思いを強くしています。

というのも、ブラヴァツキーは、心臓の中に、肉体の一番最後に死ぬ一点があると述べているからです。このことについては、このところのまだ未加筆の過去記事と合わせてまとめる段階で、補足します。

メディカル・ジェノサイドについては以下のサイトに詳しいです。日本は深い関わりがあるのです。

中国での臓器移植濫用停止 ETAC国際ネットワーク
http://jp.endtransplantabuse.org/
中国での移植手術の濫用と日本との関わり    2016年12月1日
中国での臓器移植と日本との関わり
参議院議員会館での報告のための所見(改訂版)
デービッド・マタス
http://jp.endtransplantabuse.org/2016/12/01/中国での臓器移植と日本/

SMGネットワーク(中国における臓器移植を考える会)
http://smgnet.org/

SMGネットワークは2018年1月、参議院議員会館にて発足しています。発起人代表の加瀬英明氏(外交評論家)はチャンネル桜、林原チャンネルなどの保守系動画でよくお見かけするかたですね。

日本地図を初めて作った伊能忠敬は、加瀬氏の御先祖さまだそうですよ。

保守系言論人の間では、自民党は役目を終えたのではなとかという見方が強まっているようです。近頃ではもうグローバリズムの手先としか思えませんものね。それでも、売国行為があからさまな野党と比べると、現状では自民しかないかなあと思わざるをえない哀しさ。

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2019年2月 1日 (金)

メディカル・ジェノサイド メモ1

まだ、過去記事の加筆整理ができていません。中国共産党の臓器ビジネスについて改めて調べていると、底なし沼に沈んでいくような気持になります。

法輪功学習者へのひどい迫害を知った日から、このことを考えない日は一日もありません。それがウイグル人に、さらに中国の地下キリスト教徒へと拡がって行くのを、同時代人として傍観しているという葛藤。

中国「臓器狩り」の証拠を弾圧下のウイグル自治区で発見
2018.10.06 07:00
NEWSポストセブン
https://www.news-postseven.com/archives/20181006_754699.html?PAGE=1#container

中国の臓器狩り:大紀元
https://www.epochtimes.jp/special/34/index.html

ノンフィクション作家・河添恵子さんによると、世界の調査機関によるおとり捜査によって、中国側の病院がどのようなやりとりをしているか明らかになっているそうです。

ピザを頼むような、軽いやりとりで話が進んでいくとか。病院内に使用済みとなった死体(ご遺体なのです)を処理するための火葬場(設置した側の意識では、おそらくただの焼却炉)があることも、ボイラー室で働いている人の声でわかっています。

世界では中国に行って移植を受けることを法律で禁ずる流れとなっていて、イスラエル、台湾、スペインなどそうなっているそうですが、日本では名前を出し勇気を持って戦ってくれる学者、国際弁護士、医師などがいないらしいです。

しかも、中国で移植手術を受けている人数が多いのは、日本、中東だそうです。

中国共産党が尖閣を皮切りに沖縄、北海道を狙っているといわれてきましたが、最近では九州もその中に含まれるようになってきました。

グローバリズムの利権にまみれた政治家たちは、ろくな対策も打たずにこうした地域を切り捨て、真ん中だけの日本にするつもりですか。でも、そうなったとき、もはや真ん中も日本ではなくなっているでしょう。

この国は、萬子媛のような、あの世にあってもなおこの世に生きるわたしたちのことを思って千手観音のような働きをなさっている先人たちが見守っていられるというのに。何て罰当たりな話でしょうか。

人を部品の集合体としか思わない単純な唯物主義ほど、愚かしい怖ろしいものはありません。

以下の動画は、林原チャンネル「ノンフィクション作家・河添恵子#11-2★中国臓器狩りの真実◉人道を超えた臓器売買&移植手術の実態」です。

以下の動画はNTDTVJP「メディカル・ジェノサイド: 中国の臓器移植産業の隠れた大量虐殺」です。

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