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2018年10月15日 (月)

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました(新しい記事2本、加筆1本)

息子が一週間のチェコ出張から帰ってきました。土産話を聴き、娘のスマホに送ってきたプラハにあるカレル橋とその下を流れるモルダウ川の写真をブログにアップする許可を得たので、その記事を書こうと思っていますが、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新するのに追われています。

新しくアップしたのは次の2本。このところの萬子媛関係のノートを全部、アップしておきたいと思っています。

86 祐徳稲荷神社参詣記 (7)神社に参拝する僧侶たち。冷泉家の乞巧奠 (七夕祭)。
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/10/14/035744

87 祐徳稲荷神社参詣記 (8)鹿島鍋島家の御殿医
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/10/14/042302

それから、加筆したのは、前掲ブログの次の記事です。

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/22/183629

ウィキペディア「神智学」の最新版を閲覧しました。

かなり加筆されていますが、新プラトン派、ベーメ、ブラヴァツキーといった、このテーマに関係のある重要な著作そのものを読まないという基本姿勢が変わっていず、ブラヴァツキーを貶める意図で書かれているためか(そのように読めます)、改善されたとはいえません。

信用できる情報もそうでないものも(そうでないもののほうが多い)ごっちゃに引用されているため、ますます玉石混交状態、訳のわからないものとなっています。咲き誇る花園に大量の生ごみが投棄された状態とでもいいましょうか。芳香より、悪臭がひどい……

エッセー26へのわたしの加筆は古い版(2015年9月16日 (水) 01:27 UTC)への加筆です。ライン以下の続きに、加筆したところまで、転載します。加筆したのは青字部分です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

26 ブラヴァツキーの神智学を誹謗中傷する人々 ①ブラヴァツキーとオウムをくっつける人
https://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2015/09/22/18362

ウィキペディア日本版の「神智学」「神智学協会」はひどい書かれ方をしている。あれではないほうがましなくらいだ。

コリン・ウィルソン(Colin Wilson,1931年6月26日 - 2013年12月5日)、ルネ・ゲノン(René Jean Marie Joseph Guénon, 1886年11月15日 - 1951年1月7日)は確たる根拠もなしに――著作からのまともな引用もなしに――ブラヴァツキーを誹謗中傷しているが、彼らの信奉者によって孫引きが繰り返され、日本特有のおぞましい神智学協会像が出来上がっているようだ。

また、SPR(The Society for Psychical Research 心霊現象研究協会)のメンバーであったリチャード・ホジソン(Richard Hodgson,1855年9月24日 - 1905年12月20日)によって作成されたホジソン・リポートの虚偽性は1977年にSPRの別のメンバー、ヴァーノン・ハリソンによって暴かれているにも拘らず、こうした新情報による更新のないまま、ブラヴァツキーと神智学協会に対する誹謗中傷が繰り返されている。

ちなみにSPRの設立に関わったフレデリック・ウィリアム・ヘンリー・マイヤース(Frederick William Henry Myers, 1843年2月6日 - 1901年1月17日)は長い間神智学協会の会員だった。

SPRが誕生した経緯について、ブラヴァツキーの伝記ハワード・マーフェット(田中恵美子訳)『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』(竜王文庫内 神智学協会 ニッポンロッジ,1981)には次のように記されている。

<ここから引用>
マイヤーズは神智学協会に関係のある超常現象に特別な興味をもっていました。彼もその友人達も皆、博学な人達でしたが、最近、自分達の特殊な協会をつくり、このような現象の研究を始めました。*1
<ここから引用>

これがSPRと呼ばれるようになった組織なのである。

前掲書『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』、ブラヴァツキーの代表作『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』*2にはホジソンがどのような調査を行ったのか、またその当時の状況について詳細に書かれているのだが、ブラヴァツキーと神智学協会を誹謗中傷する人々はバッシング自体が目的であるのか、ろくに調べもしないようである。

放言し放題の数々のブログを閲覧すると、怒りが湧くのを通り越して哀しくなってくる。ウィキペディアもそれらと同レベルなのである。彼らの多くがウィキペディアを「学習」しているのかもしれないが。

時間があるときに、どんな文献が参考にされたのか検証していきたいと思っている。

気になる箇所はほとんど全部だが、その一部分だけでも抜粋してみる(「神智学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』関係の記述は緑色とした――引用者)。

神智学 - Wikipedia 
「神智学」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2015年9月16日 (水) 01:27 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

<ここから引用>
英語では一般的な意味での神智学的思想家は theosopher (神智家)といい、神智学協会の追従者を指す Theosophist (神智学徒、神智主義者)とは区別される[9]。伝統主義学派(英語版)の旗手ルネ・ゲノンは、『神智主義 - ある似非宗教の歴史』(1921年)を著して神智学協会を批判し、同協会の教義を「神智主義」(仏: théosophisme テオゾフィスム)と呼んで伝統的な神智学と区別した[10]。*3
<ここから引用>

空っぽな著作『世界の終末―現代世界の危機』でわたしを驚かせたルネ・ゲノンがさっそく登場する(※エッセー24、25を参照されたい)。

出典を見てみる。

9も10も同じ著作で、アントワーヌ・フェーブル 著 『エゾテリスム - 西洋隠秘学の系譜』(田中義廣訳、白水社〈文庫クセジュ〉、1995年)。訳者は、ゲノンの空っぽな著作を訳した人と同じである。

<ここから引用>
ブラヴァツキーらの神智学は、西洋伝統思想が基礎にあり、西洋と東洋の智の融合・統一を目指すものであるとされる[39]。 ヒンドゥー教や仏教の教えが多く取り入れられたが、理解には限界があり、理解可能で利用できる部分だけを摂取して、それから先はユダヤ教の伝統に基づいた神秘思想カバラや、古代ギリシアのプロティノス(3世紀)に始まり、万物は一者から流出したもの(流出説)と捉える新プラトン主義で補うという方法がとられた[40](神智学において、魂の構造や再生について多様な解釈が生まれるのは、ブラヴァツキーがそうした点を明確に説明していないからである[40])。*4
<ここまで引用>

ブラヴァツキーの方法論はこうした記述とは異なっている。

前掲のH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989年)は1978年に神智学協会出版部から出版されたジルコフ版からの訳出である。編集者ボリス・ド・ジルコフはブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったという。

ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、「これは世界のいかなる教典から盗用したものではなく、ましてやそれをつなぎ合わせたものではない」*5と記す。

『シークレット・ドクトリン』の魅力とはまさにそうしたところから来ていると思う。わたしのような平凡な知能と乏しい教養の持ち主にも――深く理解することには困難が伴うが――そうした首尾一貫したものは感じられる。首尾一貫したものが最初にあり、それをわかりやすく説明するために多くの文献からの引用がなされているということが感じとれるのである。
ジルコフは適切に述べている。

<ここから引用>
『シークレット・ドクトリン』の基本的骨組みとはH・P・ブラヴァツキーという伝達者を媒介として、アデプト同胞団の二人以上のイニシエートにより明かされた秘教科学、及び哲学の総合的説明である。

本文は、神秘知識の学徒であるH・P・ブラヴァツキーによる科学的論争や哲学的論文に始まり、秘伝を受けたオカルティスト、HPBの霊的思想や洞察力あふれる鋭い思考そして予言的説明、その上、時には広大な空間にこだまするオルガンの響きのように、より高いオカルティストの心から直接起こされたかのような感動的な句や高遠な意見まで、異なってはいても相互に関連する水準のものを含んでいる。『シークレット・ドクトリン』の真の姿は、このような複雑な体系を把握しない限り理解されることはない。*6
<ここまで引用>

であるから、当然、参考文献40には明らかに問題がある。

40は、吉村正和 著 『心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代』 (河出書房新社、2010年)。

ブラヴァツキーの神智学の根幹を探るために彼女の代表作を引用せず(読まずに。読めばこんな出鱈目を書けるわけがないのである)、心霊中心の著作を参考にしているというだけでもこのウィキペディアの執筆者の記事は胡散臭い。

Amazonの内容紹介は次のように書かれている。

<ここから引用>
商品の説明
内容(「BOOK」データベースより)

心霊主義と一口に言っても、降霊会、骨相学、神智学など、その裾野は広い。当初は死者との交信から始まった心霊主義だが、やがて科学者や思想家たちの賛同を得ながら、時代の精神へと変容を遂げ、やがて社会改革運動にまで発展していく。本書では心霊主義の軌跡を追いながら、真のスピリチュアルとは何かを検証する。
<ここまで引用>

この本を参考にしたというのか……(絶句)。

<ここから引用>
神智学の思想は多様な要素が強引に折衷されており、極めて複雑である。1888年に「ジアンの書」というセンザール語で書かれたという(架空の)古代奥義書をブラヴァツキーが翻訳・解説した(という設定の)『秘密教義』(シークレット・ドクトリン、The Secret Doctrine)が発表され、これにより彼女の思想は完全な形で世に出たが、通常の理解力では到底把握できない内容・文体であった[41]。セオドア・ローザクは、『ヴェールを剥がれたイシス』と『秘密教義』の「そのパノラマはあまりに広く、洞察と偏屈な意見が多すぎて容易な論評を許さない」[42]と述べている。ほとんどの人が『秘密教義』を理解できず、わかりやすく大要をまとめた『神智学の鍵』が出版された[41]。深遠さを演出して読者を煙にまく神秘化の手法も用いられ、重厚で難解だったブラヴァツキーの思想が当時の人々にどれほど理解されたかは不明であるが、彼女の思想に含まれる諸要素は、彼女の死後に明確化・具体化されていった[41]。
    ……
ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義の霊媒として活動していたが、心霊主義の単純な霊魂論に異議を唱え、物的証拠とは無縁の霊魂の存在と、ユダヤ・キリスト教では否定されていた死後の「再生」を確信し[4]、神智学に新しい心霊学としてインド思想を取り入れた[40]。*7
<ここまで引用>

涙が出て来るほどひどい文章だ。参考文献を見てみる。

4は、ブログの記事で、「松岡正剛の千夜千冊」の『ルドルフ・シュタイナー○遺された黒板絵』である。

<ここから引用>
……しかし狭義の神智学はヘレーネ・ブラヴァツキー(しばしばマダム・ブラヴァツキーとよばれる)によって唱導されたスピリチュアリズムのことをさしていて、なかでも1875年にアメリカの農場でブラヴァツキーとオルコットによって設立された神智学協会をさすことが多い。

ブラヴァツキーは1831年のロシアの生まれだが、やがてロシアを出奔して世界各地を放浪し、それぞれの地の神話や伝承や秘教を吸収していった。そこまでは過去の神秘主義者とたいして変わらないオカルト派だったのだが、しだいに英米中心のオカルティストとは異なるヴィジョンをもつようになっていった。「再生」を確信し、精神の根拠を物質的な実証性にもたないようになったのである。

そのころ、多くのオカルティストは霊媒を信用していて、しきりに降霊術をおこなって、死者の言葉や霊魂がたてる音やエクトプラズム現象に関心を示していた。ブラヴァツキーはこれらに疑問をもち、いっさいの物的証拠とは無縁の霊魂の存在を確信するようになり、さらにユダヤ・キリスト教では否定されていた「再生」に関心を示した。この再生感覚はむしろ仏教思想に近いものだった。実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている。

こうして神智学協会が設立されたのだが、その種火は小さなアマチュアリズムに発していたにもかかわらず、ブラヴァツキーが人種・宗教・身分をこえた神秘主義研究を訴えたためか、その影響は大きかった。この神智学協会の後継者ともくされたのがシュタイナーなのである。ついでに言っておくのだが、神智学協会の活動は1930年代には衰退したにもかかわらず、その波及は収まらず、その影響はたとえばカンディンスキー・モンドリアン・スクリャービンらの芸術活動へ、また日本にも飛び火して鈴木大拙・今東光・川端康成らになにがしかの灯火をともした。日本の神智学協会運動は三浦関造の竜王会が継承しているというふれこみになっている。……
<ここまで引用>

ウィキの記事の執筆者は、神智学の著作にブラヴァツキーの『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』を挙げておきながら、「実際にもブラヴァツキーはインドに行ったか、もしくはその近くでのインド仏教体験をしたと推測されている」というようないい加減な記述のある、孫引きで書かれたブログ記事を参考にしたわけである。

しかも、ブログ記事には「ブラヴァツキーは同時代に流行した心霊主義の霊媒として活動していた」とは書かれていない。

H・P・ブラヴァツキーによる書信(手紙)形式のエッセー集『インド幻想紀行 ヒンドスタンの石窟とジャングルから』は、29信から成る第一部と、7信から成る第二部で構成されている。

ロシア語の書信原文から英語版に編訳したボリス・ド・ジルコフによると、第一部のもととなったエッセーははじめ、ラッダ・バイという筆名で、不定期に「モスコヴスキヤ・ヴェドモスチ(モスクワ・ガゼット)」紙へ掲載された。*8

第二部のもととなったエッセーの掲載は、「ルースキー・ヴェストニク(ロシア・メッセンジャー)」誌が引き継いだ。解説の高橋巌氏によると、「ルースキー・ヴェストニク」誌にはトルストイやツルゲーネフも寄稿しているそうである。ブラヴァツキーは学術的な論文を書いたが、小説家としての一面もあった。

竜王会東京青年部編『総合ヨガ用語解説集』竜王文庫、1980)の「ブラヴァツキー(Helena Petrpvna Blavatsky) 1831~1891」からインドとの関係を次に引用する。

<ここから引用>
1873年モリヤ大師の指示によりアメリカへ渡り,1875年11月17日、ニューヨークに,オルコット大佐,W・Q・ジャッジと共に神智学協会を創立する。ブラヴァツキーが幹事,オルコットが会長,ジャッジが副会長であった。(……)1878年12月18日,協会をジャッジに託し,オルコットとインドに渡る。1879年9月,ボンベイにて雑誌「セオソフィスト」を創刊する。1882年12月17日,マドラスのアデュアーに神智学協会国際本部を設置する。又,ベナレスにセントラル・インド大学を創立して社会事業にも奉仕する。1885年11月,ヨーロッパへ旅に出る。(……)1891年5月8日,没。*9
<ここまで引用>

前掲書ハワード・マーフェット『近代オカルティズムの母 H・P・ブラヴァツキー夫人』によると*10、アメリカからインドへ出発したブラヴァツキーを、ニューヨークのデイリー・グラフィック紙が1878年10月10付で報じている。12月19日には、ニューヨーク・サン紙が彼らの乗船を報道した。インドへ行く途中、イギリスへ寄ったときには、1879年1月24日付「ロンドン・スピリチュアリスト」紙がそれを報じた。

インドのボンベイにブラヴァツキー一行が到着すると間もなく、当時のインドで最有力な新聞と見なされていたパイオニア紙のアルフレッド・パーシー・シネット(Alfred Percy Sinnet 1850 - 1921)から手紙を受けとった。シネットはブラヴァツキーのよき理解者の一人となり、1880年からの4年間、モリヤ大師、クートフーミ大師と文通をし、書簡集は後の1923年に「A・P・シネットへのマハトマの手紙」と題して上梓された。

マーフェットによると*11、1885年にブラヴァツキーが愛するインドを離れたのは、転地療養が必要なためだった。マドラスの猛烈な暑さが彼女の心臓に悪影響を与えていて、旅行に耐えられるほどにはなっていたが、船に乗るのに歩いて行くことはできず、病院から借りた車椅子に腰かけたまま、機重機で船に引き上げられた。

(中略)

質疑応答形式でまとめられたH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の第二章に「神智学と心霊主義の違い」という見出しがあるので、神智学と心霊主義の違いを端的に知りたければ、37頁から44頁を参照されたい。重要な部分を引用しておく。

<ここから引用>
   
問 それは、あなたは心霊主義の哲学を全部否定なさるということですか?
    答 心霊主義の未熟な学説を「哲学」というのなら否定します。しかし、本当のことを言って心霊主義者達には哲学はありません。

   
(……)
 
  問 神智学協会はもともと心霊主義と人間の個性が死後に存続するという考えをつぶすために作られたと私は聞きましたが?
    答 それは違います。私達の教えはすべて不死の個性に基づいています。あなたは他の人達のように、人格我と個性とを混同しています。西洋の心理学者はこの二つの明白な区別をしていないようです。だが、東洋哲学を理解する鍵を与えるのはまさしくこの違いです。そしてそれはまた神智学と心霊主義の教えとの間の相違のもとです。(……)神智学の教えは霊と物質の同一性を主張し、霊は潜在的な物質であり、物質は結晶した霊にすぎないと言います。例えば氷は固体化した水蒸気であるようにです。しかし、万物の大本で永遠の状態は霊ではなく、いわば超霊(目に見える形体のある物質はその周期的な現れにしかすぎない)なので、私達は霊という言葉は「まことの個性」に適用することができるだけだと主張します。
*13
<ここまで引用>

(後略)

*1:マーフェット,田中訳,1981,p.265

*2:田中恵美子&ジェフ・クラーク訳,神智学協会ニッポン・ロッジ,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革

*3:「神智学」広義の神智学と狭義の〈神智学〉

*4:「神智学」ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)

*5:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.130

*6:ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.129

*7:「神智学」ブラヴァツキーと神智学協会(狭義の神智学)、思想、理論・思想

*8:H・P・ブラヴァツキー(加藤大典訳)『インド幻想紀行 下』(筑摩書房、2003)訳者あとがきによると、第一信は1879年11月30日付。

*9:竜王会東京青年部編,1980,p.77

*10:田中訳,1981,pp.206-225

*11:田中訳,1981,pp.298-299

(略)

*13:ブラヴァツキー,田中訳,1995,pp.40-42

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