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2018年7月の8件の記事

2018年7月19日 (木)

充実してきた保守系インターネットテレビ番組

保守系インターネットテレビ番組が充実してきました。

日本文化チャンネル桜
https://freshlive.tv/channelsakura

DHCテレビ
https://dhctv.jp/

林原チャンネル
http://www.hayashibara-ch.jp/

チャンネルくらら
http://www.chclara.com/index.php

これらの番組に招かれている馬渕元大使ほど、グローバリズム(国際金融勢力)の正体について明晰に語れる人はいないのではないでしょうか。その分析は、わたしが思想方面から調べてきたことと符合し、孤独感が癒えていきました。

DHCテレビの『和の国の明日を造る』シリーズ、林原チャンネルの新番組「ひとりがたり馬渕睦夫」は傾聴に値します。

それにしても、ウィキペディアで閲覧した馬渕氏の経歴が凄い。

京都大学法学部3年次在学中に外務公務員採用上級試験に合格し、1968年(昭和43年)に外務省入省。 研修先であったイギリスのケンブリッジ大学経済学部に入学し、1971年(昭和46年)に卒業
「外務本省では、国際連合局社会協力課長(1984年-1986年)、大臣官房文化交流部文化第一課長、東京都外務長(1995年-1997年)などを歴任。
在外では、在英国日本国大使館、在インド日本国大使館、在ソビエト連邦日本国大使館、在ニューヨーク日本国総領事館に勤務し、EC代表部参事官(1989年-1991年)、在イスラエル日本大使館公使(1991年-1995年)、在タイ日本大使館特命全権公使(1997年-2000年)を務めた

(ウィキペディアの執筆者. “馬渕睦夫”. ウィキペディア日本語版. 2018-06-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E9%A6%AC%E6%B8%95%E7%9D%A6%E5%A4%AB&oldid=68758856, (参照 2018-06-02). )

DHCテレビの馬渕睦夫『和の国の明日を造る』シリーズ中、最終回を含む3回にわたってなされた講義のテーマは「日本近代史」で、アメリカの国体が変化したというウィルソン時代から今日に至るまでの歴史分析です。わたしは『和の国の明日を造る』シリーズをまだ聴いている途中ですが、このテーマ「日本近代史」から聴き始めました。

第88回
テーマ:「日米近代史① ウィルソン大統領時代のアメリカ(アメリカはなぜ日本を敵国としたのか)
https://youtu.be/VWN9ZZmrDNs?list=PLdoANlSaeHvfAAVpjJrdwN9y0s7fVwKdF

第89回
テーマ:「日米近代史② 【支那事変の真実】-アメリカはなぜ日本より中国を支援したのか-
https://youtu.be/TCw6t10-AUs?list=PLdoANlSaeHvfAAVpjJrdwN9y0s7fVwKdF

第90回
テーマ:「日米近代史③ 【ルーズベルト大統領のアメリカ】-アメリカはなぜ日本に戦争を仕掛けたのか-
https://youtu.be/35JmXKTaiFs?list=PLdoANlSaeHvfAAVpjJrdwN9y0s7fVwKdF

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2018年7月17日 (火)

わあ、嬉しい!

従姉にKindle版の電子書籍をプリントアウトして、送っていました。

葉書で返事が来て、『すみれ色の帽子』の感想が書かれており、嬉しくなりました。読んでくれたんだなあ、としみじみ。

家族や親戚であっても、自作を読んで貰うのは敷居が高いものです。身近な人間だからこそ、勇気が要る部分もあります。

その感想の紹介は記事を改めて。

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2018年7月14日 (土)

7月13日に循環器クリニック受診(抜けていた5月12日のぶんの記録も)。また良性の骨腫瘍?

3月12日と7月13日の間に、5月12日の受診が入ったのだが、記録が抜けている。

実は5月12日に受診した際、看護師さんから処置室でいつものように体重、血圧測定と問診を受け、そのときもテーブルにカルテが開いて置かれていた。

そこに記されていることで、気になったことを看護師さんにお尋ねするには絶好の機会なので、わたしは血圧測定を受けながらカルテを見ていた。

3月12日に、胸部レントゲンを受けたときの絵がカルテに描かれていた。3月12日に先生が描かれるのを椅子に座って見ていて、どんな意味だろうと思いつつ、その絵の意味をお尋ねできなかった。

以前は、胸部レントゲン写真を先生と一緒に見て、先生が「うん、問題ない!」とおっしゃるのを待てばよかった。このところは先生が画面上で心胸比を出されるのを一緒に見ていても、何の説明もない。心電図の結果も同様に「うん、問題なし!」とおっしゃるのを待てばよかった。このところ説明なし。

こちらの気のせいかもしれないけれど、訊きたいと思っても、何となく話しかけづらい。

で、5月12日に検査室でカルテを見ていると、先生が3月12日にカルテにお描きになったそのときの絵があったというわけだった。文字は何語かもわからないくらいで、数字も同じくミミズが這っているみたいだ。先生は名医として知られているが、達筆とはいえない。

絵はさすがにわかる。肺だけが上方に二つ大きく描かれていて、その下の心臓がある位置は空白。その空白部分が両方から矢印で←  →こんな風に、外側に引っ張られている(?)絵だった。

看護師さんにその絵の意味を訊こうと思いつつ、5月12日の検査室は何か慌ただしくて訊けなかった。それで、その次の受診時に訊いて、その記録と5月12日の記録も一緒に書こうと思っていたのだった。

クリニックは予約制ではなく、今回は7月13日にクリニックに出かけた。早めに行こうと思いながらつい遅れたり、ぎりぎりになってしまいがち。前々からのものがあるので、遅れて薬が足りないことはない(足りなくなるときは、さすがにその前には行く)。

ところが、昨日7月13日、絵の意味を尋ねるという目的を失念。問診のとき、看護師さんとおしゃべりするのに夢中になっていたのだった。別に世間話をしていたわけではなく、初めて見る看護師さんに、気になった症状の説明をしていた。

普通はニトロペン舌下錠を胸痛などの冠攣縮性狭心症の症状が出たときに使うが、5日ほど尿が出にくく、むくみがあちこちに出て、動悸が起きたり息苦しかったりしたときがあり、我慢できなくなって数日の間にニトロを5錠くらい使ったら、症状が改善された。そのときのことはブログに書いている。

2018年7月 5日 (木)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/07/post-9c6e.html

<ここから引用>
ここ数日でニトロペンの使用量が5錠。ちょっと使いすぎですね。でも、ニトロで心臓が元気になることは確かです。
<ここまで引用>

ニトロペンは別の日にも使ったので(最近ニトロ使用の記録をしていなかったので、正確には覚えていないが3錠は使った)、前からの残りを合わせても、在庫が乏しくなった。

看護師さんが驚かれたので、「ちょくちょくあることで、珍しいことではないのですが、こんなニトロの使いかたがいいのかどうか、お尋ねしたいと思いました」とわたし。

看護師さんからは、ニトロを使ったのがいつだったか正確な日時を求められた。ブログを見ていかなかったし、ブログにも書いていなかった舌下時のことなんて忘却の彼方だ。そのときの状況、気圧とか、多忙だったかどうかとか、睡眠・精神状態など、いろいろと訊かれた。

教訓――ニトロを使ったときは、その都度、克明に記録しておくこと。

看護師さんから報告を受けていた先生は「ニトロ、使ったって?」とおっしゃり、いつものように、脈を診、聴診器を当てられた。気圧との関係を訊かれ、喘息は出なかったかも訊かれた。気圧との関係はありそうだと思うが、不快指数が髙いときは覿面調子が悪くなります――と答えた。

尿が出にくいとむくみ、足の裏がぱんぱんになって歩くのさえ痛くなるので、利尿剤でも出していただけないかと思い、「尿が出にくいときは、水を飲んだほうがいいのでしょうか」とわたし。

「あんまり、そんな。アイトロール飲んでいるから、あんまりニトロを使っていると、効かなくなるよ」

アイトロールの成分は一硝酸イソソルビドで、「ニトロ」と呼ばれる硝酸薬の仲間。ニトログリセリン貼付剤が皮膚のかぶれで使えなくなったので、代わりに出していただいたのがアイトロールだった。

ニトロに耐性があることは、以前に伺っていた。では、むくみが出て息苦しくなり、動悸がして咳がとまりにくいときには、どうすればいいのだろう? こういうときは生活の質が低下して困るのだが。わたしの場合はニトロが効くのだけれど、頻繁に使ってはいけないらしい。

その答えを求めて待っていると、「Nさん、血管造影したことがある? 長崎にいたときにしたっけ?」と先生。

長崎に住んだことはないのに、わたしが長大病院に入院していたときに先生が担当したと勘違いしていらっしゃるのだ。よほどそのときの患者さんとわたしは似ているらしい、一度、見てみたい。

心臓の検査には、心電図、運動負荷心電図、24時間記録できるホルター心電図、心臓超音波検査、胸部CT検査、胸部MRI検査、心臓カテーテル検査がある。

心電図は半年に一度とっていただいている。1995年(37歳)ホルター心電図で、病的な頻脈がわかった。2005年、胸痛がニトロ舌下で消失し、冠攣縮性狭心症と診断された(確定診断ではないが、ニトロは狭心症にしか効かないと先生はおっしゃった)。2013年、心臓超音波検査で心臓弁膜症(僧帽弁、三尖弁)のあることがわかった。胸部CT検査は未経験。

心臓カテーテル検査は、わたしの場合、受けてもあまりメリットがないらしい。というのも、頻脈治療で服用し続けているインデラルとの縁がきれない限り、インデラルの副作用として冠攣縮性狭心症の発作が起きる可能性があるため、カテーテル検査の結果がどうであれ、冠攣縮性を予防する薬とは縁が切れないから――という先生のお話だった。

日赤に別件で検査入院したときに、ついでに循環器内科で受けたセカンドオピニオンでも同じことをいわれた。

2008年8月21日 (木)
入院10日目②循環器科受診(セカンドオピニオン)
http://elder.tea-nifty.com/blog/2008/08/10_8ced.html

先生は、ホルター心電図検査を受けた総合病院での記録、日赤での記録を御覧になっていた。「インデラルが攣縮(冠攣縮性狭心症の発作)を起こすんだよ、だけど、頻脈がひどかったからなあ……」と先生。

大きくなるほど、心臓が酷使されていた。インデラルで大きくなっていた心臓が元の大きさに戻り、わたしの心臓は本来小さめだとわかったのだった。

インデラルの副作用には喘息もあり、2004年に呼吸器クリニックで呼吸機能検査により喘息と診断されている。

しかし、いくら副作用があったとしてもインデラルと縁を切る勇気はない。以前かかっていた他県の総合病院でも、今のクリニックでも、インデラル以外の薬を試したが、頻脈がとまらなかった。こうして話は振り出しにもどった。

ところで、日赤・内科に副甲状腺機能亢進症疑いで、2008年に検査入院したとき、頭蓋骨や膝などに骨腫瘍のできていることがわかった。頭蓋骨にできたものを摘出して悪性でないことを確認した。頭蓋骨が一部陥没したので、みっともなくて出家できない(坊主頭になれない)。

膝の骨腫瘍については整形外科で経過観察を続けていただいており、今では年に一回となった。次回は来年の3月で、間遠くなったことを喜んでいたのだが、最近、右足の親指に骨腫瘍らしきものができた。

わたしは老眼のせいか、よく見なければわからないが、夫も娘も「あっ、できてる」というので、間違いない。ゼリー状物質の詰まった腫瘤ガングリオン、外反母趾とは違うと思う。

うっすらと盛り上がっているだけだけれど、靴を履くと影響が出る。ただでさえ浮腫で靴を履くと痛いのに、困るので、早めに整形外科を受診しようかと迷う。何かあったらいつでも受診するようにいわれているので、受診日を早めて貰うことはできるだろう。

ニトロペン舌下錠を10錠出していただいた。ミオコールスプレーを先生が出そうとなさらないのは(スプレーを出していただいたのはいつもこちらからの催促だった)、先生側で管理がしにくいということと患者の使い過ぎを防ぐためだということが今回のことで推測できた。

次回、採血(朝食ぬき)、胸部レントゲン、心電図の検査。

心臓の薬(60日分)

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • シグマート錠5mg 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ヘルベッサーRカプセル100mg 1回1Cap 朝・夕食後
  • アイトロール錠20mg 1回1錠 朝・夕食後
  • ニトロペン舌下錠0.3mg   1回1錠×10回分

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 30日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤、吸入薬) 1個 吸入

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2018年7月11日 (水)

椿山滋「今夜は鍋にしましょうよ」(民主文学 2018年8月号)を読んで

一昨日の記事で書いたことですが、椿山滋さんが『民主文学 2018年8月号』(日本民主主義文学会、2018年8月)を送ってくださいました。

本格的なプロレタリア系文芸同人誌で、神秘主義者のわたしが不用意に読んでいいのだろうかと思ってしまいましたが、文学作品はどこに発表されていようと、文学作品として読み、感想があれば書く、というスタンスですので、拝読しました。

前掲誌「支部誌・同人誌評」の冒頭で評者が「『民主文学』本誌に掲載されるのは民主文学的作品(この定義自体が曖昧なのだが)に限定されるという誤解があるが、掲載されるかどうかはジャンルではなく、社会と人間の真実にせまる、その作品の芸術的評価による」(136頁)という第25回全国研究集会での話を伝えておられ、このスタンスには共鳴するところです。

椿山さんの作品は「今夜は鍋にしましょうよ」です。以下に、掲載小説四篇の感想を掲載順に記します。連載小説については、のぞかせていただきました。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

今後千寿子「柿」

小説では、アル中問題、農業の衰退、過疎、老人問題などが複合的に重なっている。それぞれの問題は関連し合っているようでもあり、そうでないようでもある。

例えば、農業の衰退によって過疎化が進み、老人問題を深刻化させることはあっても、アル中問題はまた別のところにある気がする。

これは私事になるが、政府の減反政策で米作りが振るわなくなり、家業を農業から肥育農家に転じた親戚があった。

儲かったそうだが、肥育農家が家風に合わなかったようで、伯父は牛供養に力を入れ、伯母は牛を市場に送り出すたびに泣いていた。牛市場の競争が激化する中、息子は公務員に、伯父夫婦は高齢となり、肥育農家を廃業した。

牛市場の競争の激化は、1991年(平成3年)4月の牛肉・オレンジの輸入自由化によるものだった。牛肉・オレンジの輸入自由化はアメリカの要求によるものであり、その原因を遡れば日本の敗戦にまで行き着いてしまう。

「柿」はリアリズムの手法で描かれていながら、歴史的な背景が欠落しており、読んでいて物足りなさを感じる。

青木資二「スタンダード」

安倍政権になってから道徳の教科書、授業に偏りが出てきたことを憂う、元小学校教員――退職して7年経過――が主人公。小学一年生になる孫が夢遊病(?)となり、そのことと学校教育が関係あるような、ないようなストーリー展開となっている。

35頁に「戦争法」と出てくる。ウィキペディア「戦時国際法」に「戦時国際法(せんじこくさいほう、英:Law of War)は、戦争状態においてもあらゆる軍事組織が遵守するべき義務を明文化した国際法であり、狭義には交戦法規を指す。戦争法、戦時法とも言う」(ウィキペディアの執筆者. “戦時国際法”. ウィキペディア日本語版. 2018-04-14. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%88%A6%E6%99%82%E5%9B%BD%E9%9A%9B%E6%B3%95&oldid=68198605, (参照 2018-04-14).)とあるが、「平和安全法制」に批判的な人々は、それを戦争法と呼ぶようだから、小説の安倍政権に批判的な内容からすると、後者の意味だろう。

ただ、平和安全法制に肯定的な人々は同じ法律を戦争防止法と解釈しているわけで、小説は論文ではないが、もう少し中立的な視点も必要ではないかという気がする。尤も、授業参観後の懇談会を描き、様々な意見を紹介することで、バランスがとられているのかもしれない。

教育勅語も出てくる。教育勅語の内容を、わたしは安倍総理に絡んでそれが話題となるまで、全く知らなかった。知らない人のほうが多いのではないかと思う。

「教育勅語」「大東亜戦争 開戦の詔勅(米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」「玉音放送」を歴史資料集にでも載せるべきではないか。

日本人として子どもたちには――当然大人にも――大日本帝国の教育方針がどのようなものであったのか、また大日本帝国が日本となるに至る決定的な瞬間に著された二つの文書の内容を知る権利があるのではないかと思う。

これらを知った上で、大日本帝国に暮らしていたわたしたちの祖先の生き方をどう思うかは、思想統制されていないはずの今の日本に生きる人間として自由であるはずだ。

戦前の教育への回帰を危機感と捉える人物を主人公とするのであれば、そうは捉えない人々にも説得力を持つだけのストーリー展開と描写力が要求されるだろう。子どもの夢遊病と担任教師の道徳教育に対する逡巡だけでは、弱い気がする。

ところで、小説では子ども――主人公の孫――の夜中の異常行動が夢遊病(睡眠時遊行症)とは書かれていない。

わたしが夢遊病ではないかと思ったのは、自身の体験からそう思っただけのことである。小説の中の子どものように、それが起きたと聞かされたのは小学校一年生のときで、2回だったか3回だったか忘れてしまったが、それくらいの回数で治まった。

わたしは極度に過敏な子どもだった。その原因としては、両親の都合で子守さんの手を転々としたり、親戚に預けられたりして、常に興奮状態にあったためではないかと思う。

子守さんが不要となり、一人きりの静かな時間が持てるようになって、児童文学全集を次々に読むようになってからは精神的に安定した。文学様様なのだ。文学こそがわたしの真の母といえるくらいである。

「明治神宮」のオフィシャルサイトより、教育勅語の口語文訳を転写しておく。
http://meijijingu.or.jp/about/3-4.html
<ここから引用>
【教育勅語の口語文訳】
 私は、私達の祖先が、遠大な理想のもとに、道義国家の実現をめざして、日本の国をおはじめになったものと信じます。そして、国民は忠孝両全の道を全うして、全国民が心を合わせて努力した結果、今日に至るまで、見事な成果をあげて参りましたことは、もとより日本のすぐれた国柄の賜物といわねばなりませんが、私は教育の根本もまた、道義立国の達成にあると信じます。

 国民の皆さんは、子は親に孝養を尽くし、兄弟・姉妹は互いに力を合わせて助け合い、夫婦は仲睦まじく解け合い、友人は胸襟を開いて信じ合い、そして自分の言動を慎み、全ての人々に愛の手を差し伸べ、学問を怠らず、職業に専念し、知識を養い、人格を磨き、さらに進んで、社会公共のために貢献し、また、法律や、秩序を守ることは勿論のこと、非常事態の発生の場合は、真心を捧げて、国の平和と安全に奉仕しなければなりません。そして、これらのことは、善良な国民としての当然の努めであるばかりでなく、また、私達の祖先が、今日まで身をもって示し残された伝統的美風を、さらにいっそう明らかにすることでもあります。

 このような国民の歩むべき道は、祖先の教訓として、私達子孫の守らなければならないところであると共に、この教えは、昔も今も変わらぬ正しい道であり、また日本ばかりでなく、外国で行っても、間違いのない道でありますから、私もまた国民の皆さんと共に、祖父の教えを胸に抱いて、立派な日本人となるように、心から念願するものであります。

~国民道徳協会訳文による~
<ここまで引用>

サイト「日本に生まれた若い人たちへ」で、「大東亜戦争 開戦の詔勅  (米英両国ニ対スル宣戦ノ詔書)」「玉音放送」が紹介されている。わたしはこのようなものであったのかとの感慨を覚えた。受ける印象は人それぞれだろう。

椿山滋「今夜は鍋にしましょうよ」

若年性アルツハイマー型認知症と診断された女性が主人公。病気に怯える主人公の日常生活が主人公の意識に沿って描かれ、「恋待ち商店街」の人々との温かみのある親交がホームドラマのような趣で描かれる。

完成された文体と工夫されたストーリー展開に手練れと感じさせられるが、何作も読むと、パターン化されているようで、ちょっと飽きがくる。登場人物は、あえてそう造形されているのか、個性がない。特に、一緒に暮らしている夫や電話をかけてくる娘は平板な描き方で、遠景のようだ。

主人公の症状にしても、若年性アルツハイマー型認知症とはこのようなものだろうという、一通りの情報をもとに描かれているように感じられてしまうのだ(実際にはどうであれ)。医者の言葉なり、医学書の解説なりを使った、専門的な知識が読者にもたらされれば、主人公の症状が説得力を帯びてくるかもしれない。

小説の終わりの方で、「生きているかぎり、人間に賞味期限などあってはならないのだ」という主人公の胸のうちの言葉が出てくる。施設に入れられることを恐れる主人公にとって、賞味期限の切れた人間の送られるところが施設というイメージなのだろうか。

より突っ込んだ読み方をすれば、商店街でのぬるま湯のような親交、雑事の積み重ねであるにすぎない日常生活は賽の河原での石積みのようであり、人間は運命に翻弄されるだけの存在と印象づけられる。

椿山さんの小説には救いがない。登場人物がありきたりで魅力に乏しいことが、その救いのなさを助長する。その救いのなさこそがおそらくは作者の思想で、危険性を孕む微温的な日常生活を描き続ける椿山さんの作品には、哲学的ペシミズムが通奏低音として流れている。

増田竹雄「二年目の春」

印象的な作品だった。プロレタリア文学というジャンルを思い出させてくれる小説で、1965年ごろの国鉄を時代背景として、そこを職場とする一プロレタリアの生き方(活動)を克明に描こうとする一途さが感じられる。

冒頭の投身事故が衝撃的である。後始末をする主人公の様子が淡々と描かれる。

主人公の野原進は国労内の反主流派で、統一戦線を掲げ政党支持自由を方針にしている1947年発足の「革同会議」の有志グループに所属していた。しかし、野原は職場の同期だった共産党員――斎藤の頼みを受け入れ、1964年四・一七スト中止のビラを撒く。その目的は、親米的な組合幹部がアメリカ帝国主義の企む挑発ストに乗るのを阻止することだった。

国労本部の方針に反した野原の行動は問題となるが、彼の教宣活動を好意的に捉える組合員が増え始めており、彼ら120人が所属する大分会の組合員が野原を統制処分から守ってくれる。

こうした事件がきっかけとなり、斎藤の勧めもあって、野原は共産党に入党し、三人でつくる「細胞」の一人として活動を始める。1965年の春闘四・三〇ストの成功がクライマックスだろう。

ストが進行するなかで、管理の隙をかい潜るように、動力車労働組合に巣食う革マル派集団がバケツに白ペンキと刷毛を手にして旅客車両に「国鉄解体・国鉄粉砕・動労革マル」と殴り書きする姿が読者の目にも異様に映る。管理者は彼らの動向を野放しで泳がせているようだ。

国鉄ストがどのように行われていたかが克明に描かれており、歴史的、史料的価値のある作品といえるのではないだろうか。

野原の活動は、輸送の安全と労働者の生活の改善だけを純粋に目的としたものではなく、マルクス理論の実践という側面を持つ。

マルクス主義は絶対的なものという前提がこの小説にはあるようだが、一般読者の一人として、そこに疑問を持つのである。マルクス主義が絶対的なものとして語られるには、小説として、マルクス主義がどのようなものであるかの丁寧な説明が必要だ。

小説が背景とする時代から時が流れた現代では、最も帝国主義的な国家はアメリカより中国であるようにわたしなどの感覚では思われるのだが、小説の主人公野原は現在どのような活動をしているのだろう。続編を書いてほしいものである。

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2018年7月 9日 (月)

まだ御礼のメールもしていないのですが。読みたい本だらけ。

まだ御礼のメールもしていないのですが、椿山滋さんが『民主文学 2018年8月号』(日本民主主義文学会、2018年8月)を送ってくださいました。

本格的なブロレタリア系文芸同人誌ですね。神秘主義者のわたしが不用意に読んでいいのだろうかと思ってしまいますが、文学作品はどこに発表されていようと、文学作品として読み、感想があれば書く、というスタンスですので、今拝読しているところです。

前掲誌「支部誌・同人誌評」の冒頭で評者が「『民主文学』本誌に掲載されるのは民主文学的作品(この定義自体が曖昧なのだが)に限定されるという誤解があるが、掲載されるかどうかはジャンルではなく、社会と人間の真実にせまる、その作品の芸術的評価による」(136頁)という第25回全国研究集会での話を伝えておられ、このスタンスには共鳴するところです。

椿山さんの作品は『今夜は鍋にしましょうよ』。

『二年目の春』という正統的なプロレタリア文学作品を興味深く拝読したので(これほど正統的なプロレタリア文学作品の書き手は激減しているのではないでしょうか)、知識不足もあって簡単な感想になると思いますが、椿山さんの作品も記事を改めて感想を書きたいと思っています。

娘が購入したタブッキの本も読みたいし、図書館から借りた10冊の本も読みたい。この中の本についてもちょっと書いておきたいことがあります。三田文學に掲載されていた対談で興味を持った中国人作家の本についてです。この中国人作家はプロレタリア系の人ではなく、自由主義的な思想の人のようです。

トルストイ『戦争と平和』のエッセーの続きを書き、萬子媛に関する鹿島市民図書館の学芸員に取材したメモをまとめ、萬子媛の小説第二稿のプロット作りに本格的に取り組まなければならないのですが、できるでしょうか。

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2018年7月 5日 (木)

悪質な自費出版系ビジネスと、餌食になりかけた従姉の児童書に対する失望感

東京在住の従姉から、相談の電話がかかってきました。従姉といっても、年が離れていて、彼女はしっかり高齢の域です。

従姉の四十代の息子さん――わたしからすれば従甥――が絵心のある知人の女性と組んで、絵本を作り、それを新聞の広告で見た賞に応募したというのです。知人の声は明るく、弾んでいました。

息子さんが趣味でイラストを描いているという話を聞いたことはありましたが、童話を書くと聞いたことはなかったので、ビギナーズラックだろうかと多才さに呆れる思いで、「わあ、すごいじゃない。入賞したのね」というと、「ううん、そういうわけではないんだけれど、それがねNちゃん……」と従姉が話し出したので、悪い予感がしたところ、案の定でした。

悪質な自費出版ビジネスのまさに餌食となる寸前のところで、運よく、彼女はわたしに電話をかけてきたのでした。

以前、2人――1人は大学時代の女友達、もう1人は別の大学時代の女友達の兄君――がわたしの周辺で、餌食になっていました。それを知ったのは、餌食になった後でした。

息子さんは絵本、女友達も絵本、兄君は美術評論です。

息子さんは、落選した作品の感想を聞きたいと思って、賞を開催した出版社に電話をかけたとか。

このことだけでも、一般的な賞ではありえない展開です。「応募要項、選考過程に関する問い合わせには応じない」と明記されているのが普通だからです。

従姉もその息子さんも、上品な人たちです。主催者側から何の働きかけもないのに、自分のほうから積極的に――あるいは厚かましく――電話して落選理由を聞くなど、ちょっと考えられません。

問題の出版社のオフィシャルサイトへ行き、賞の募集要項を見ると、前掲の記述があるではありませんか。

しかし、その次の箇所に、応募者には有料出版の提案をさせていただく場合があると明記されています。

もう一度従姉に尋ねなければ詳細はわかりませんが、落選通知に応募者側から電話をかけたくなるような何かが書かれていたのではないかと憶測したくなります。

息子さんは出版社へ出かけて行き(おそらく交通費は自費でしょうね)、2時間話したということです。

出版社側は息子さんの才能を称賛し、将来的な成功を匂わせたようです。

そして、出版社からの提案は1,000部の自費出版、それにかかる費用は出血大サービス(?)で170万円とのことです。

全く、人を馬鹿にした話ではありませんか。それほど見どころのある優れた作品であれば、なぜ受賞対象とならなかったのでしょうか。そんなお宝の持主の許へ、なぜ編集者は自ら馳せ参じないのでしょうか。

大金を奪われることになるかもしれない危ない話にうぶな一般人がつい釣られてしまいそうになるのは、結婚詐欺と似た手口で、よい気持ちにさせられるからでしょうし、またマルチ商法と似た手口で、投資的な利益を予想――実際には妄想――させられるからでしょう。

文学の世界で――一向に勝ち目のない――現実的な戦いを強いられてきたわたしたち作家の卵は、そんなうまい話が転がっているはずがないことを熟知しています。幸か不幸か、文学界の裏側まで、かなり見透せるだけの神通力を身につけるに至っています。

こんな詐欺まがいの商売がいつまでも、いつまでも通用するのは法的不備に原因があるのでしょうか、文学界の衰退にこそ、その原因を求めるべきでしょうか。

息子さんは障害者や引きこもりのいるクラスを受け持つ高校教師として、寝る時間をも削って18年間奮闘してきたとか。障害を持つ生徒さんを武蔵野美大、多摩美大に合格させ、そのときだけは報われた思いを味わったのだとか。

ところが、学校の考えかたが変わり、息子さんはその方針転換に疑問を覚え、心身の疲労が溜まって、遂に退職、入院してしまいました。

そして療養を経て再就職の準備をしているのだそうですが、その合間に可愛い姪のために童話を書いたのだそうです。おそらく、本当に純粋な気持ちで初創作したのでしょう。

従姉がいうには、その孫――息子さんにとっては姪、わたしにとっては従姪孫――のために書店に本を探しに行くのだけれど、そこに置かれている沢山の児童書に全く感心できないのだそうです。

「もう、本当になぜ、こんな……」と従姉はいいながら絶句するのです。従姉も絵心のある人ですから、書店が安っぽい挿絵のついた三文児童小説に溢れかえって見えたのでしょう。

「まだ、うちの息子の作品のほうがましに思えたのよ」と従姉。従姉が息子さんに応募を勧めたのかもしれません。

息子さんは出版など考えたこともなかったとのことですが、出版社の提案が高額な自費出版であったにも拘わらず、迷いが生じ、わたしに訊いてみてくれないかと従姉にいったのだとか。

出版対象が絵本ですから、よいものであれば、この金額でも高いとはいえないのかもしれません。問題は、息子さんが自分では出版を考えてもいなかったのに、その気にさせられたというこの一点に尽きます。

従姉と息子さんが出版とはこんなものかもしれないと勘違いしている証拠には、この時点では従姉の声には翳りがなく、澄んだ雰囲気を湛えていました。

「チャンスの神は前髪しかない」という諺があります。息子さんは、チャンスの神の前髪を掴むべきかどうかで、迷っていたと思われます。

「そこは悪名高い自費出版系出版社だから、そこから出すのはやめておいたほうがいいと思う。自費出版するとしたら、何社かに見積もりを出して貰って、比較したほうがいいわね」というと、従姉の雰囲気の翳るのが伝わってきました。

弱り目に祟り目というべき出来事ですが、わたしが知り得た問題の出版社の情報を伝えなければ、従姉も息子さんも、挿絵を描いてくれた女性も、現実的な被害を被る可能性があります。

「ネットで検索してみて。作品は、今は大事にとっておいたほうがいいんじゃないかな。再就職が決まって気持ちにゆとりができてから、出版のことは考えても遅いということはないと思うのよ」とわたし。

そういいながら、動悸がしてきました。わたしには心臓弁膜症、不整脈、冠攣縮性狭心症の持病がありますが、案外感情の起伏が不整脈や冠攣縮性狭心症の発作を招くことは少ないのです。

気温の差や疲労が最も影響します。ですが、このところ、暑くなって心臓のポンプ機能が低下気味なのか、足やおなかが腫れぼったく、尿が出にくいという症状があったところへ、大腸がんのステージ3で症状は安定しているという幼馴染みに電話して、相変わらずのホスピス志向と自分勝手な解釈――亡くなった母親が寂しがって呼んでいるという思い込み――を聞かされているときに、ふいに動悸がしてきました。

そのあと胸が苦しくなったのでニトロを舌下し、従姉たちのことを考えてまた動悸がしてきたので、従姉はまだ何か話したそうでしたが、時間がない風を装ってこちらから電話を切りました。

ここ数日でニトロペンの使用量が5錠。ちょっと使いすぎですね。でも、ニトロで心臓が元気になることは確かです。

電話を切る前に、息子さんの作品を読みたいとわたしは従姉におねだりしました。そして、わたしも自作の児童小説を送ることにしました。昔から、わたしを応援してくれる唯一の人がこの従姉なのです。

今日、PDF形式でプリントアウトしたのは、電子書籍にしている作品――すみれ色の帽子、田中さんちにやってきたペガサス、マドレーヌとわたし、ぬけ出した木馬、ぼくが病院で見た夢、卵の正体――です。分厚くなってしまい、レターパックには入りきりません。

『田中さんちにやってきたペガサス』は作曲家志望の父親とその息子を中心にした児童小説ですが、従姉の娘さん――息子さんの妹です――は国立[くにたち]音大(作曲)を出て、音楽教室に勤めています。もし、娘さんが読むと、音楽に無知な、お馬鹿なことを書いているかもしれません。

従姉に送る拙児童小説には、おすすめの児童書についての手紙も添えようと思います。

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2018年7月 3日 (火)

敗退するも、すばらしかったベルギー戦(サッカーW杯2018)

ロシア・ワールドカップ決勝トーナメント1回戦のベルギー戦は、ベルギー3-2日本と残念ながら負けてしまった。

でも、とてもよい試合だった。

原口元気の先制ゴール、乾貴士の見事な無回転ミドルシュートと2点続けて点が入り、「これは……」と息を呑んだ。

試合終了間際の失点による逆転負けは、残念すぎた。

ただ、2点リードされて選手交代したベルギー選手たちの体のデカさときたら! フェライニなどは194cmだという。

その長身から繰り出されるヘッディングシュートや迫力ある速攻など、ああこれは歯が立たないと思われる場面が連続した。

それでも、日本チームならではのチームワークを生かした軽快な連携プレーは光っていた。美しいとさえ感じられる場面がいくつかあった。

8年前に書いた記事を思い出す。

2010年7月 3日 (土)
ブラジル対オランダ戦を観ながら
http://elder.tea-nifty.com/blog/2010/07/post-3979.html

ワールドカップ、ブラジル対オランダ、後半戦。スナイデルが鮮やかなヘディングシュートを決め、ブラジル1に対し、オランダが2となった。
残り20分。わたしはこれまでサッカーに興味がなく、パラグアイ対日本戦から見始めたので、オランダやブラジルの軽快、シャープ、的確な動きに目を見はっている。
これに比べたら日本とパラグアイの動きはねちねちと重かった。オランダ、ブラジルが頭脳プレーで、相手の動きを察知した無駄な動きの少ない小エネ・プレーであったのに比べ、日本とパラグアイは人海戦術とでもいおうか、互いに相手にまとわりつき、妨害することに腐心して、攻撃できないくらいへとへとになっていた。尤も、実力が違う、といってしまえば一言で済むことなのかもしれない。

8年前の日本チームは無駄に走っているという印象で、プレーが野暮ったく感じられた。このベルギー戦ではそのような野暮ったさがなく、日本チームは洗練されたと思う。今後はその洗練度を高めて、勝利をもぎとっていってほしい。

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2018年7月 1日 (日)

サッカーが好きなお友だちのよみくん(アバター&インターポット)

インターポット

マダムNさんの庭を見に行く

お友だちのよみくんが毎日遊びに来てくれるようになりました。

インターポット

マダムNさんの庭を見に行く

ちょっとわかりにくいですが、うちのサブアバ、リンドグレーンとよみくんが並んでビーナスになっているところです。

インターポット

マダムNさんの庭を見に行く

ワールドカップに刺激されるのか、よみくんはここ数日うちの庭でしきりにサッカーをしています。

今日、写真を撮るのに成功しました。わかりにくいですが、噴水のあたりにサッカーボールが見えます。このあと、ボールはゴールに鋭く跳び込みました。サブアバのリンドグレーンが空飛ぶメアリー傘で、宙に浮かんでいます。

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