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2018年5月 4日 (金)

ヤコブ・ベーメに関するメモ4(ベーメの生涯)

ヤコブ・ベーメ(南原実訳)『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』(教文館、1989)所収、アブラハム・フォン・ブランゲンベルク「ベーメの生涯と作品」を読むと、温かみと敬愛に満ちたその文章からベーメの人となりが、また人生における主要な出来事が生き生きと伝わってくる。

アブラハム・フォン・ブランゲンベルクはベーメの友人で、貴族であった。次のような文章で始まっている。

大いなる恩寵を授かった神の証人にして独逸の奇跡の人ヤコブ・ベーメの輝かしい生涯に就いて書き記すならば、賢明な文章家を俟たねばならぬ。然るに未だひとりとして其の故国の人すらも斯かる企てを試みぬ故、才能乏しきを顧みず彼の近くにあった者の一人として、神の祝福のうちに死去したベーメが一千六百ニ十三年から一千六百二十四年にかけて親しく語った事を思い起こすまま短く簡潔とはいえ確かな真実に基づきお知らせしたい。(ベーメ,南原訳,1989,p.313)

評伝が書かれた当時の雰囲気が伝わってくる南原実氏による邦訳の言葉、文章を引用させていただきながら、ベーメの生涯で起きた主要な出来事を拾ってみたい。

ヤコブ・ベーメは1575年にアルト=ザイデンベルク、ゲルリッツ近郊の村に生まれた。小農業を営む父ヤコブ、母ウルズラは善良なドイツ人の気質に恵まれていた。この貧しい二人のキリストの御心に叶う汚れない夫婦の交わりから、ベーメはこの世に誕生した。

少年になったヤコブは村の男の子に混じって野原で家畜の番をし、両親の言葉を守り、よくその手助けをした。

ある日、いつの間にか他の子供たちから離れ、近くの山「国の冠[ランデスクローネ]」を登っている自分に気づいた。赤い石が幾重にも重なった陰に隠れた入口を見つけて何気なく中に入ると、金銭の詰まった樽があった。ベーメは恐怖に襲われ、何一つとることなく、外へ急ぎ出た。その後仲間と一緒にその山に登ったが、入口は見つからなかった。「これは、神と自然の知恵と神秘の宝庫を後に発見する精神的預言とも言い得よう」(ベーメ,南原訳,1989,p.314)。当時、地中に宝を隠した山の発見はよくあったことだという。

ベーメの両親は、息子が繊細にして善良、また霊的な資質を有していることを知り、日々の祈りに加えて行儀作法と最低の読み書きを覚えさせるために学校に通わせ、次いで靴業を修めさせた。

陰日向なく勉強し、修業の旅に上ったベーメは1594年に親方となると共に、ゲルリッツ市民にして有名な肉屋ハンス・クンシュマンの娘、操髙き乙女カタリーナを嫁に迎えた。その後、平穏な30年の結婚生活を送り、4人の息子を授かった。長男は彫金師、次男は靴屋、三男、四男はまた別の職人になった。

宗教の様々な抗争があったが、ベーメはこれに加わろうとはしなかった。教会の説教には熱心に参加した。主の慰めある言葉「天にいます父は求め来る者に聖霊を与え給わぬ筈がない」(ルカ11・13)によって自己に目覚め、真理を認識せんと心貧しきままに祈り求め続け戸を叩き、遂に彼の願いは成就した。「斯くて、(彼自らの告白に依れば)神の光に囲まれて七日の間神と相対しつゝ大いなる喜びのうちにあった」(ベーメ,南原訳,1989,p.315)。

徒弟時代のある日、ベーメには次のようなことがあったという。簡素な身なりながら気品のある男が店頭に現れ、靴を一足求めた。親方もおかみも留守だったので、ベーメは自分で売るのを躊躇した。客の再三にわたる求めを断りきれなくなって正値を遥かに超える値をいうと、男はその値で靴を買い、出て行った。

その男は外から「ヤコブ、出て来い」とベーメを呼んだ。怖気づきながらもベーメがその男の許へ行くと、「真面目で親切そうな其の男は彼の手を握り火花の散る目を以て彼の目を真直ぐ強く覗き込み言った――ヤコブ、お前はまだ小さい、しかし、やがて大きくなり、そればかりか全く別の人間、男となって皆の驚異の的となるだろう。だから信仰厚く、神を虞れ神の言葉を敬え、特に聖書を読め。そこに慰めを見出し、何を為すべきかを知るだろう。なぜならば将来汝は迫害を受け貧苦に苦しむであろうから。併し、心配せず、平静に努めよ、神に好まれる汝には恵みがあるであろう、と」(ベーメ,南原訳,1989,p.316)。

ベーメはその男の言葉を心に刻み、青年の愚かな快楽を遠避けた。聖書を精読して、正しく実践した。真の至福と徳を目指して勤しみ引き籠った。世間の慣習に合わないその態度が仲間の嘲笑を買い、親方の家をも去ることとなった。

間もなく一人前の職人となったベーメは1600年、25歳のとき、再び神の光に捉えられた。錫の皿を熟視するうち、溢れるばかりの星を頂く彼の魂の霊は、隠れた自然の底の底、或いは其の中心に這入って行った。幻影の類いかと思い其の妄想を追い払うべくゲルリッツ市のナイセ川の門から(その橋の袂に彼の住まいは在った)緑の郊外へと出て行ったが、与えられた目差は愈々明瞭となり失われる事無く、其のまなこに映じた標[しるし]乃至フィギュア又形と色彩を通じて万物の心臓と自然の最奥へと分け入り(彼のまなこに刻み付けられた此の底はシグナトゥーラ・レールム――万物のしるし――と命名された彼の著作に剰す所なく明瞭に描かれて居る)、魂は振り注ぐ大きな喜びに浴し、彼は唯々沈黙して静かに独り神を誉め称え家業に精を出して子らの教育に当たり誰とも分け隔てなく付き合い、与えられた彼の光の裡に在って神と自然と共に歩み、誰彼を悪く思う事は些かもなかった」(ベーメ,南原訳,1989,p.316)。

それから10年後の1610年、聖書の御翼に覆われて神との三回目の触れ合いがあった。その恩寵を記憶に留めるため、斯くも神々しく慰め多い神の心に背かぬため、ベーメは自身のために僅かの手立てを用い、聖書のみを頼りに本を書いた。

1062年のベーメの最初の書『立ち昇る曙光(のちにバルタザール・ヴァルター博士によりアウローラと命名)』がさる高名な貴族の目に留まったことから、この書を知る人が一人二人と出てきて広まり、遂にゲルリッツの牧師長リヒターの知るところとなった。

そして、メモ1で引用したベーメの訴えに見られるような、牧師長の誹謗中傷、ゲルリッツ市会による執筆禁止へと大問題に発展したのだった。

7年の謹慎後、再び神の恩寵が下り、ベーメは勇気を得て、神を依り頼み、神に凡てを委ねる心を固めた。神を畏れ自然を愛する人々の勧めもあって、執筆を再開した。

ベーメの著作は書簡集を含めて全31冊である。

ベーメは焦らずに、時間をかけて、悠々次々と本を書いた。彼はラテン語の術語を援用したが、それらは学識ある人、学者、医者、錬金術師、哲学者との会話や文通で聞き知ったものだった。「彼は遅筆ではあったとは言え、その筆跡は明瞭でよく読め一度書いた字を消し又直すことなく心の裡に神の霊の語るまま、人のものを書き写すことなく真直ぐ書いたことを記しておきたい。今日の多くの学者に欠けている点である! 真の博士、弁論家の依るべきは神の智と真理の精神と慰めであるにもかかわらず自らの智を依り頼む昨今のこざかしき輩は斯かる事に殆ど或いは全く耳を貸さず知ろうとも信じようともせぬ為、秘められたる智と隠されたる真理の真に奥深い認識と無縁なのも故無き事ではない」(ベーメ,南原訳,1989,p.323)。

ベーメの風采は上がらず、背は低く、猫背だった。目は灰色あるいは空色を帯びて光った。声は小さかったが、話しかたは優雅だった。立ち居振舞は礼儀正しく、言葉は慎み深く、行いは謙虚、困苦によく耐え、心から柔和だった。

1624年、高熱に襲われたベーメは大量の水を飲み、体が浮腫んだ。亡くなる前に息子のトビーアスを呼び、あの美しい音楽が聴こえるかと尋ねた。息子が否というと、もっとよく聴こえるように扉を開けよといった。朝の6時になるかならぬころ、妻と息子に別れを告げ、彼らを祝福し、今天国に向かうといい残すと、息子に後ろを向かせ深く一息を吐き、永遠の眠りに就いた。享年50歳。

ベーメの遺骸は丁寧に清められ、粗相なく布で包まれ、納棺された。キリスト教の伝統に従って葬儀が行われ、埋葬された。牧師長はなおも死人を辱めて止まなかった。ベーメの墓には死人を称える碑が立てられたが、日ならずして糞尿をかけられ、打ち壊された。註にある、ラウジッツ史第二部36頁によれば、壊されたのはわずか数時間後のことだったらしい。

評伝の著者ブランゲンベルクは「聖なる恩寵と恵みの光を知らぬ単なる錬金術、自然学となる時、甘く優しい内なるものへの志向は忘れられ益々外面的にぎすぎすと党派的になり規則を好むカトリック的、プロテスタント的となる」と書く。

そして、ブランゲンブルクは、ベーメの著作が「聖霊自体に関しても神や霊とは無縁なアリストテレス流の小賢しい弁証法、冗舌な弁論術、小手先のみ器用な形而上学を以て研究し大胆にも粗探しを為し自己の利発さを競い合う」(ベーメ,南原訳,1989,p.325)ような専門家の検証や論証の対象となることに警戒感を示している。

ベーメを誹謗中傷したのは、イルミナティの創立者アダム・ヴァイスハウプトのような人々であったに違いない。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の第4章はタイトルが「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」となっていて、その内容は批評や批判といえるようなまともなものではない。

あたかも神秘主義の歴史的モニュメントに糞尿をかけ、打ち壊す所業であると感じさせるほど、ひどいものなのだ。教授だったとはとても思えない、悪口雑言の限りを尽くしている。ヴァイスハウプトの誹謗中傷の対象には、当然ながらベーメとベーメの思想を取り入れたバラ十字が含まれている。

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