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2018年4月の17件の記事

2018年4月29日 (日)

ヤコブ・ベーメに関するメモ3(30日に訂正、加筆あり)

トルストイの『戦争と平和』について書いている途中なのだが、ちょっとメモ。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)「用語解説」の「錬金術(Alchemy)」ではアルケミーの語源、概要、歴史、近代化学的解釈などについて解説されている。以下は抜粋である。

……アルケミーは、自然の精妙な諸力と、それらのエネルギーが働いている物質の様々な状態を扱う。イニシエーションを受けていない利己的な世間の人々が手に入れても危険にならない程度に大神秘を伝えようとしてアルケミストは、多少人工的な言葉で地水火風という四大元素の基本となる等質の質量の中には、ある種の普遍的溶剤が存在することをアルケミーの第一原理として仮定する。この等質の質量をアルケミストは純金、即ち最高の物質[マテリア]という。普遍的溶媒とも言われるこの溶剤には、人体からあらゆる病気の種を取り除き、若さを取り戻し、長寿にする力がある。これが哲人の石である。(……)アルケミーを学ぶには、三つの異なる面、即ち宇宙的、人間的、俗世的面があるが、それにはいろいろな解釈が可能である。
 この三つの面は、硫黄、水銀、塩という三つの錬金術的特性によって代表されていた。
(……)アルケミーにはただ一つの目的があるという点で、著者達はみな一致している。それは卑金属を純金に変質させることである。だが、これはただアルケミーの一つの面にすぎなく、つまり、俗世での純粋に心理的で霊的な象徴的意味がある。……(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.67-68)

カバリストの錬金術師は、錬金術の物質的側面を追求するが、オカルティストの錬金術師は、低級四つ組を人間の神聖な高級四つ組に変質させる方向へのみあらゆる注意を向け、努力を尽すという。低級四つ組と高級三つ組がついに融合すると両者は一つとなる。

この錬金術の解説とも響き合うブラヴァツキーの言葉を引用して、神智学協会ニッポンロッジの初代会長、翻訳家であり、神智学の優れた研究家・解説者であった田中恵美子先生は竜王会の機関誌「至上我の光」の中で、次のようにお書きになっている。

……もし、すべてのカーマを殺し、これをすべて上向きの清浄な欲求に置きかえることが出来た場合には、七重の構成体に驚くべき変化がおきます。つまり、アートマ・ブディー、マナスの三つ組みは浄化した低級マナスを受け入れ四つ組みになります。一方死すべき四つ組みはカーマが消えて、肉体と複体とプラーナで三つ組みになります。これが解脱した人の様子であるとH・P・Bは言っています。……(綜合ヨガ機関誌「至上我の光」374・5号、7・8月合併号、竜王文庫、1985、ハートの神秘pp.37-38)

カーマとは、サンスクリット語で欲望のことである。釈迦の解脱が仏教の核心であることを考えると、錬金術の核心的技法は仏教の奥義に一致するということだ。

現代化学はその最大の発見を錬金術に負っているのだが、宇宙にはただ一つの元素しかないというのが錬金術の否定し難い公理にもかかわらず、化学は金属類を元素類の部に入れてしまった――と、ブラヴァツキーはいう。

以上のような、錬金術に関する予備知識があるのとないのとでは、難解なベーメの著作の理解度に著しい差が出る。

ヤコブ・ベーメ(南原実訳)『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』(教文館、1989)所収「シグナトゥーラ・レールム ――万物の誕生としるしについて――」によると、神はミステリウム(神秘)であり、無である。

唯一の存在のことである“永遠の非存在”という概念は、私達が存在の概念を自分達の現在の存在意識に限定していることを忘れている者には逆説と考えられるだろう」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、スタンザⅠp.251)とブラヴァツキーはいうが、この文章はまるで、ベーメのいう神=無の解説さながらである。

ベーメに戻ると、無は永遠の目、底なしの目である。この目は意志――あらわれ出て無を見出したいというあこがれ――であるが、意志のまえには何もないから自分自身のなかに入って自然を通して自分を見出す。

自然の外のミステリウムのなかには二つの姿がある。第一の姿は自然へと、奇跡の目の顕現へ向かう。第二の姿は第一の意志の子で、大いなるよろこびの欲である。

よろこびの欲は意志と欲のガイストとして内から外へ出ていく。ガイストは命の機〔はた〕を織り、欲はガイストのなかに姿をつくり、はてしないミステリウムはさまざまな形となってあらわれる。姿をとった全体が神性の永遠の智である。

ベーメのいうガイストとは、精神、聖霊、霊、気といった、「かみ」の意味範囲にまたがる、目にみえず、五感ではつかめない純粋な運動をいう。

……万物は唯一人の母から出て来て、永遠の本体にもとづき、二つの本体、すなわち、死と不死の本体、生と死、ガイストとからだの二つに分かれた。ガイストは生命であり、からだは死であり、すなわちガイストの家である。外にむかっての出産は、三位一体の誕生に似ている。四つのエレメントからなるこの外の世界のフィギュアとおなじく、天にもまた、本体とガイストがあり、もともと一つのエレメントであったのが、上に述べたように、外の世界において、火、風、水、地の四つの性質に分裂する。
 さらにこの世界の創造については、次のようなことがみられる。すなわち、この世界の浮かぶ宇宙空間〔ロクス〕のうちに、永遠の世界の全本体が動いて、姿全体に火がつき、蠕動しはじめる。こうしたことが、顕現へとむかう欲のうちに起こったのである。このとき、誕生したものは、燃え出した火の衝撃を受けて四つの部分にわかれた。すなわち、火、風、水、地。
……(ベーメ,南原訳,1989,p.38)

そして、万物の第一の母、欲をともなう自由な意志は、主として七つの姿に移行し、それぞれ固有の飢えの性質のままに、からだをつくるのだとベーメはいう。

あらゆる神秘主義者やカバリストの中で、火を一番正確に定義したのは、バラ十字会員達であった」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、スタンザⅤp.354)とブラヴァツキーは述べている。以下は、『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」からの引用である。

……バラ十字会員は、火を神性の象徴と見た。火は物質的原子の根源であるだけでなく、原子にエネルギーを与える霊的、サイキック的な力を含んでいるものでもあった。火は三つの本質から成り立っている。秘教的には、他のあらゆる元素と同じく、七つの本質から成る。人間は、霊、魂、体と四つの相で構成されているが、火もまた同じである。有名なバラ十字会員の一人であるロバート・フラットの著作によると、火は第一に見える炎(体)を含み、第二に見えないアストラルの火(魂)を、第三に霊を含むという。四つの相とは(a)熱(生命)、(b)光(心)、(c)電気(カーマ的、分子的力)、(d)霊を超えた総合的本質、つまりその存在と顕現の根本原因。……(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説pp.47-48)

自然の中心には三つの姿が宿る、とベーメはいう。すべての根源である第一プリンキピウム(原理)ではガイスト、第二プリンキピウムでは愛、第三プリンキピウムでは本体と呼ばれる。そして第三プリンキピウムのなかで、三つの姿はスルフル(硫黄)、メルクリウス(水銀)、サル(塩)と呼ばれる。

人間は神、あるいは在りとし在るもののうちの在るものをかたどって造られていればこそ、人間のうちには三つの世界すべての姿がことごとくひそんでいる。この三つの世界に対応して、三人の工匠、トリオのフィアット(創造への意志、欲)が人間のなかにいて、主導権争いをする。どの工匠が主導権を握るかによって、リュートは異なる音を出し、残りの二人は退いてバックグラウンドのひびきとなる。

つまり、人間の生命は三つのプリンキピアに、すなわち三種類のエッセンスにまたがる。第一には永遠の自然、火の性質のガイスト。第二には永遠の光、神の本性の性質のガイスト。第三には外なる世界の性質のガイスト。

このような三重のガイスト、三重のエッセンスと意志の性質、そしてこれらのエッセンス、ガイストがたがいに争って生ずる病気、癒す薬、療法が何であるかをベーメは考察していくのである。

錬金術独特の表現とみられる文章を引用しておきたい。

……こうして、錬金術師の観察すべきことは――三人の殺害者、すなわちサトゥルヌス、マルス、メルクリウスがライオンの葡萄色の血のなかで溺れ死ぬとき、三人は、消え失せるのではなく、その罪が許されるのであって、すなわち、かれらの憤怒は、愛の欲へと変容される。すなわち、ヴェーヌスからソルへの変容が行われる。火の欲が水の欲のなかに入って行くとき、水のなかから、そしてまた水のなかに光、つまり輝きがあらわれる。すなわちヴェーヌスは、白く、火の欲は、赤い。そして、ここに色の変容が起こって黄色が生じる。つまり、黄色は、白と赤とが同時に存在すると生じる色であって、王者の色である。すなわち、メルクリウスがよろこびの力に変容すると、増殖[ムルチプリカチオーン]がはじまる。死んだまま母のなかに閉じ込められていたメルクリウスは、母をソルに変容する。メルクリウスは、地上的なものをことごとく天上的なものとなし、かつて乙女がそうであった一つの性質とする。すなわち、このとき乙女もまたその名を失う。なぜなら、乙女は、その愛と真珠を騎士に与えるからである。そして、この騎士がここでは白いライオンと呼ばれるのであって、イスラエルとダビデの家の獅子と聖書に記されているとおりである。……(ベーメ,南原訳,1989,p.164)

延々と続くこのような文章には唖然とさせられるが、よく読めば、実験の過程で生じる様々な現象が語られているのだとの察しはつく。

ベーメは科学教育を受けていなかったため、科学分野の知識に乏しかったというだけでなく、科学的思考自体がキリスト教によって抑圧されていた、17世紀初頭のドイツにおける著作であることを念頭に置いておかなければならない。

上山安敏によると、ヨーロッパではドイツを含めて魔女裁判の最盛期は16世紀、17世紀であった(『魔女とキリスト教』講談社[講談社学術文庫]、1998、p.221)。

ちなみに、ベーメが亡くなった1624年イングランドに生まれたアイザック・ニュートン(Isacc Newton, 1624 - 1727)は錬金術師であったし、1627年、アイルランドに生まれたロバート・ボイル(Sir Robert Boyle、1627 - 1691)は近代科学の祖といわれるが、彼もまた錬金術師であった。

ベーメの著作では、一つの単語が重層的な意味を持っていることもあって、異様にわかりにくい表現となっている。

例えば、メルクリウス,水星(Mercurius)は、「すべての生命と運動のもと」「目に見えない力を形あるものとなす工匠、棟梁」「万物の誕生の輪」「不安の輪」「分節化によって、音、ひびき、ことばをもたらす」「聖なる内なるメルクリウスは神の息吹、言葉」「メルクリウスの毒に対抗できるのはメルクリウス自身の子キリスト」「メリクルウス固有の性質は毒の生命」「メルクリウスの毒の輪」「毒のメリクルウスのうちにこそ大きな真珠がひそむ」「メリクルウスの水は水銀」「パリサイ人」……といった使いかたがなされる。

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焼きティラミス(シーキューブ)。アントワネットドレス(アバター)。進んだヤコブ・ベーメの読書。

Img_1815_2

送っていただいた「シーキューブ」のお菓子。両端の「焼きティラミス」が抜群に美味しいです。小皿の中のものは手前のクッキーです。

クッキーのお味がアンリ・シャンパンティエのものに似ているなあと思い、ググってみたところ、同じシュゼット・グループに属しているのだと知りました。

シュゼットグループ
http://www.suzette.co.jp/

マダムN

どうせボーソーネコが出てきてだめだろうと思いつつアントワネットドレスにチャレンジしてみたところ、どうやらアバターが着てみたかったようで、手持ちクロワッサン、アントワネット帽子、アントワネットドレスの順に難なくとれました。

アントワネットがパンを求める庶民の窮状の意味がわからずに「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」といったとされますが、実際にはこれはアントワネットの言葉ではないそうですね。

ビンゴは全くだめです。一番ほしいコイコイベネチア運河どころか、どれもこれもとれません。

でも、あっけなくだめになるお陰で、神秘家、錬金術師として有名なヤコブ・ベーメの読書が進みました。昔読んだときはちんぷんかんぷんだったのに、神智学を勉強してきた効果で、何が書かれているのかぐらいは察しがつくようになりました。

錬金術には三つの異なる面――宇宙的、人間的、俗世的面――があるとされており、ベーメはこの三つの面を重ねて書いています。具体的に読み取ろうとすると、あまりにも難解です。天文学や化学の知識があると、もう少し読めるようになるのでしょうか。

詩のように美しく、謎のように難解なベーメの文章……病気治療に関するものが多く含まれるので、そうしたところにも興味が湧きますけれど。

連休中に(我が家は連休とは無関係に回っていますが)、トルストイ『戦争と平和』についてのエッセーを書き終えて、明けたら萬子媛の小説に戻る予定。ベーメに夢中で中断していた数学のお勉強も、進めますかね。

次の記事で、メモをアップします。

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2018年4月24日 (火)

ヤコブ・ベーメに関するメモ2

トルストイの『戦争と平和』について書いている途中なのだが、ちょっとメモ。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」中、「49 絵画に見る様々なマグダラのマリア」に次のように書いた。

執筆中の拙児童小説『不思議な接着剤』にはグノーシス主義の福音書文書の一つ  『マリアによる福音書』に登場するマグダラのマリアをモデルとした人物を登場させるため、マグダラのマリアについて自分なりに調べてきた。
マグダラのマリアを調べるということは原始キリスト教、グノーシス主義について調べるということでもあるが、参考資料を探すうちに神智学徒として馴染んできたH・P・ブラヴァツキーの諸著がこの方面の研究には欠かせないことがはっきりしてきた。

マグダラのマリアが印象的に登場する「マリア福音書」をはじめとするグノーシス文書を色々と読んできた目でベーメの「シグナトゥーラ・レールム」を読むと、この作品がグノーシス文書群に混じっていたとしても何の違和感も起きないだろうと思った。

ベーメの哲学はキリスト教グノーシス的であるが、悲観的、厭世的なところが全くない。グノーシス思想といっても複雑だが、本来はそのようなものではないかと思う。

また何より、錬金術的である。ここでベーメを研究している時間がない。それでも、せっかくトルストイの『戦争と平和』の中でバラ十字が出てきたのだから、バラ十字と切り離せない人物であるベーメの哲学の重要な部分の引用くらいはしておきたい。

ベーメの哲学は二元論的であるが、根本に汎神論的なところがある。ダイナミックな神秘体験に圧倒される。ひじょうに難解で、一つの単語が重層的な意味合いをもっている。それでいながら音楽的で、美しい。わたしのハートが刺激されて、白い光がとめどもなく……

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2018年4月21日 (土)

マリモが出てきました!

夫が、変な顔をしていうのです。「出てきた……」

「何が?」と訊くと、「マリモが」と夫。

2018年4月20日 (金)
ひどいじゃない、マリモが……
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/04/post-6d1d.html

夫がわたしに無断で、わたしが14年飼ってきた4個のマリモのうち1個を、熱帯魚の水槽に入れたのです。

数時間見ていても熱帯魚の住人たちはマリモに何の関心も示さなかったので、夫はそのままでも大丈夫だと思い、壜に戻さずに出勤したのだとか。帰宅後に見たとき、マリモは消え失せていました(そう見えました)。

それが何と、昨夜2人でいくら見てもなかったマリモが、水換えしているときにふと見たら、最初に置いた位置にあったというのです。

既に、夫はマリモを壜に戻していました。前の記事を書いた後、何だか疲れたので、わたしは仮眠をとっていました。夫は声をかけたらしいのですが、わたしが起きなかったので、壜に戻したとか。

水流で、わたしたちが探さなかった水草の中に転がっていたのが、また水流で元の位置に戻ったとしか考えられません。

いや、もしかしたら、コリドラスが毬代わりにしていたのかもしれませんね。不思議です、何にしても。あれほど見たのに。

でも、マリモが熱帯魚の水槽にいた証拠には、マリモの壜が生臭いのです。「お帰り、水槽の旅はどうだった?」とわたしはマリモに話しかけました。

代わりのマリモを買うようにと、夫が2,000円のアマゾンギフト券を午前中に買ってきてくれていました。代わりのものを買う気になれなかったので、まだ注文していませんでした。

ギフト券は夫に返しました。「反省しています」と夫。「二度としないでよ」とわたしは念を押しました。

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散歩中にワタメを弔う(リヴリーアイランド)。幼馴染のこと(その2)。

昨日からついてません。わたしのマリモ(涙)。

そして今日は、リヴリーの散歩中に(飼い主が来ていないと思われる腹ぺこの子たちへの餌遣りが主な目的)、ある島で、ワタメ(種名)の死に遭遇しました。

もう少し早く来ていれば、間に合ったかもしれないと思うと、自責の念に駆られました。その島には他にも家出人が2匹いました。

ワタメは尊厳に満ちた表情で目を閉じ、横たわっていました。わざで花を沢山出してあげて、その島の住人、うちの子、他の家出人2匹と一緒に弔いました。

その死んだ子の島に行ってみると、掲示板がありました。最後の書き込みは6年前でした。飼い主が見ることはないかもしれないと思ったけれど、一応ご報告の書き込みをしました。

何か、だるくなる。

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リヴリーエッグ・ワタメをゲットして、飾りました。ワタメ(涙)。

そういえば、来週、幼馴染の精密検査の結果がわかり、治療方針が立ちます。

手術の立ち会いをお願いしたいということでしたが、わたしはできればそういったことは血縁関係者にお願してほしいと伝えました。手術中に何かあって、判断を求められるようなことも想定できるからです。

友人の分を超えた荷の重い交際は経済的、体力的、時間的に今のわたしには無理です。彼女は「ううん、それで勿論構わないよ。話を聞いてくれるだけでも充分。でも、死ぬ前には一度でいいから、会いたい」と彼女。

「勿論、お見舞いには行くわよ。元気になって、天神で遊ぼうよー!」とわたし。

彼女は、ここ数年わたしを使えると思って唐突に濃厚に近づいてきた旧友たち――と今となっては呼べるかどうかも疑問です――とは違います。その人たちは明らかに友情詐欺師です。勿論、それはごく少数で、他の人たちとは昔ながらの友人づき合いが続いています。

幼馴染みは深刻な状況であるにも拘わらず、互いに話していてなぜか楽しい。友情詐欺の人たちは、これまでは疎遠だったのに、鼻息荒く近づいてきて、最初はこちらをチヤホヤ、そのうち相手が一方的に話すだけ、要求するだけ――ということになりました。

病気やお母様の死を含めて、彼女は色んなことを不思議な発見のように話してくれます。そうしたことから教わったり、自分の知っていることを適用してみせたりと、話していると時間を忘れます(幸い、今は苦しくも痛くもないそうです。「がんって、初めはホントに何ともないのね、Nちゃん」)。

修学旅行の夜のように、テーマが何であっても、情報交換が楽しくてわくわく……こんなに楽しくていいのかなあ。

直腸がんで、ステージは3~4だそうです。精密検査の結果が出なければ、どちらかはわかりません。ネットで調べるとステージは4までなので、相当に深刻である可能性があります。

わたしは秘かに時々、彼女に純白のオーラビーム(?)を放射してみています(他人にはきりがないので、原則としてはしないことにしています。誰にだって、自分でできることですからね)。

効果があるかどうかはわかりませんが、純粋な思いから行う限りにおいては、少なくとも有害には作用しないはずです。ハートの光を送るこのやりかたは、エレナ・レーリッヒも書いていたと思います。

2017年3月18日 (土)
17日に、循環器クリニック受診。家で尿管結石に奮闘。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/03/17-e798.html

想像のきよらかな白い光を、患部に、次に全身に放射するだけでも何らかの効果があるはずです。体はオーラの卵の中に存在しており、想像はオーラに影響するからです。

スプーン1杯分くらいの出血と細い便しか出なかったのが、このところ目に見える出血はなく、便の太さも普通だとか。

博多には、末期がんの緩和ケアのみ行うホスピスが増えているそうです。彼女のお母様は今年になってから、ホスピスで亡くなりました。

お金がかかったんじゃないかと思いましたが、無料のベッドがちょくちょく空いていたということもあって、1ヶ月の入院で50万くらい、高額医療費制度を利用すれば、その半額くらいということなので、彼女のお母様はずいぶんリーズナブルにお亡くなりになれた(?)気がしました。

乳癌の末期で全身に転移していたそうですが、緩和ケアであまり痛がらずに、最後は眠るように亡くなったとか。癒しのワンちゃん、音楽隊の訪問もあり、本当によかったそうです。

「それなら、ホスピスも悪くないわね。わたしも最後はそこ行こうっと。あ、がんじゃなきゃ、行けないんだった」といってしまって、2人で爆笑。

ですが、痛みや苦しさには個人差があるでしょうし、お母様は90近い高齢だったということもあります。

「ねえ、ステージによるだろうけど、治せるものならがんなんか治しちゃって、例えば心臓なんかで死ぬほうが楽じゃないの? 気味悪いとこあるじゃん、がんは。尤も、心臓も、それで死ぬのは簡単じゃないみたいだし、心臓病の人はよく血栓が脳に飛んでそれで死ねなかったりするから、ホント、理想的な死にかたってなかなかないわね」とわたし。

何にしても、経済に余裕のあるのはいいことで、選択肢がいろいろとあって、その点は羨ましい。そういいました。

一応、わたしはいつでも行けるように美容室は済まておきました。値上がりしていて、ショック。娘が最近探した美容室はよさそうですが、若向きかも。

もしわたしが行ったほうがよさそうな場面で行けないときは、夫の友人が「ボランティアでいろいろやってるから行ってくれると思うよ」と夫。おっさんレンタルを思い出しました。

夫の友人は平家の末裔で(平家の集まりというのがあって、お誘いがくるそうです)、気立てがよく、夫が問題を起こしたときも相談しました。ちょっと保護者のような雰囲気のある人です。

その人はバツ1.、幼馴染みもバツ1。.どちらも経済状態は安定しており、気立てがいい……幼馴染みが治れば、別の線で考えることもできるかも。

でもまずは、幼馴染は精密検査の結果と治療に直面しなくてはなりません。

もし、検査結果で納得できなければ、彼女は九大にセカンドオピニオンで行くつもりだとか。最初にかかった個人病院に九大への紹介を頼んだら、2ヶ月待つことになるので、彼女のマンションから近いがんの専門病院を受診することになったそうです。

「あら、治療しないで、ホスピス行くんじゃなかったの?」とわたし。「ホスピス行くにも、病状の説明が要るでしょ」と彼女。

今かかっている病院の先生に早くも緩和ケアのみを希望する場合のことを尋ねたら、先生は少しお怒りになられたとか。検査も治療も受けない患者はいるけれど、検査をしっかり受けてまだ結果も出ないうちにそんなことをいい出す患者は珍しいそうです。そりゃそうだろうな、と思いました。

人様の病状を前面に出した、このような記事の公開には微妙な問題が伴うので、断りなく記事を出したり引っ込めたりすることがあります。  

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2018年4月20日 (金)

ひどいじゃない、マリモが……

ひどい。

夫がマリモを……

子供たちが高校のとき、修学旅行でマリモを買ってきた。13年ほど前にこの街に引っ越してくるときに、引っ越し作業の中で壜に入ったそれを見つけた。

茶色く変色したりはしていなかったので、別のもっと大きな壜に移して2個ずつを一緒に入れ、わたしが飼い始めた。

飼うといっても水換えするだけで、ほとんど大きさは変わらないのだが、こまめに水換えをしてきた。4個のマリモに癒されていた。

ところが、昨日水換えしようとしてふと見ると、1個なかった。

前回水換えをしたときにうっかり流してしまったのかしら、そんなはずは……と、わたしの頭の中はマリモ一色。

今朝も起きてすぐに壜を見た。娘は1個が若干大きいので、2個がくっついて1個になったんじゃないといったが、それはないと思った。1個だけ、若干大きかったのだ。

流してしまったんだ、ついにボケたんだ……と意気消沈して一日過ごし、夕方になって念のために夫に「ねえ、まさかとは思うけれど、この壜のマリモを熱帯魚の水槽に入れたりしなかった?」と尋ねた。

というのも、以前夫が「マリモを熱帯魚の水槽にいれたらどうなるかな? 入れてみようか?」といったので、「うーん、もしかしたら大きくなるかもしれないけれど、入れないで。だめになったら、取り返しがつかないじゃない。これでも、大事に飼ってるんだから」と答えたことがあったのだ。

案の定、マリモ失踪事件の犯人は夫だった。「あ、入れた」と、こともなげに夫。「何ですって、断りもなく。戻してよ、壜に」と、わたしは色をなして抗議した。夫はやはり、育つかどうかを実験してみたかったらしい。

「それがね、ないんだよ」と夫。長い水槽用のピンセットで水草を掻き分け、改めて夫が探すのを一緒に見た。確かになかった。

飼っている熱帯魚はネオンテトラ、カージナルテトラ、アフリカンランプアイ、コリドラス、エビ2種類。

マリモは、最近になって増えたエビに食べられてしまったに違いない。ネットで調べてみると、夫が飼っているヤマトヌマエビ、ミナミヌマエビのどちらもコケとりの最強軍団として紹介されていた。

マリモは夫が弁償してくれるそうだが、買ってくれても、それはあのマリモとは違う。おまけに、アマゾンで見ると、500円くらいで2~3個セットが購入できるものの、送料がそれ以上に高いではないか。「対象商品¥ 2,000以上の注文で通常配送無料」の表示がないものばかり。

普段は、単品で2,000円以下の商品だと、他の商品を組み合わせて2,000円以上の購入になるように工夫して、送料がただになるサービスを利用している。そのサービスの対象外だと思うと、何だかひどく損する気分になる。夫が購入するとしても。

有形、無形の夫の無神経には傷つけられたリ、困らされたりしてきた。たぶん、お互いさまであって、夫も同じことを思っているのだろうけれど、ただ、夫は唐突に思いついて、ワンクッション置かずに行動に移すときが多々あり、小さな子供みたいだと思うことがよくある。わたしが家を空けられないと思う、大きな理由になってきた。

どこの夫もこんな風なのだろうか。いや、こうした行動パターンというのは、男女関係ないかもしれない。

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2018年4月19日 (木)

椿山滋「雨、嫌いやねん」(『日曜作家 第22号』)を読んで

休刊中の『日田文學』の同人仲間だった椿山滋(ペンネーム)さんがタウンマガジン『なかつ  VOL.209』(2018年3月1日発行)をお送りくださったことを以下の過去記事に書きました。

2018年2月27日 (火)
椿山さん、タウンマガジンありがとうございます
http://elder.tea-nifty.com/blog/2018/02/post-0fa5.html

今度は季刊文芸誌『日曜作家 第22号』をお送りくださいました。御礼を申し上げると共に、意欲的な創作活動に敬意を表します。

短編小説のタイトルは「雨、嫌いやねん」。

感想は、ネタバレになります。

これまでの椿山さんの作品の中でも、特に安定した筆力を感じさせられました。平易な言葉が使われていますが、それらが選び抜かれたものであることが、流れるような文章からわかります。

ストーリーを紹介しますと、主人公・逸郎の母親が倒れる場面から話が始まります。71歳の母親は五日後に亡くなります。

母親が倒れたとき、逸郎はその原因が自分の帰省にあったのではないかとの自責の念に駆られます。

私立大学卒業後も就職せずにバンド活動を続け、29歳のときにはメジャーデビューの話が聞こえ始めていたところ、新メンバーとして迎えた女性をめぐって内輪もめがあり、バンドは解散してしまいました。

その女性と同棲していた逸郎は彼女と共に新メンバーを募り、バンド活動を再開したものの、思うような結果は出せず、女性とも別れた逸郎は6年前の36歳のときに、音楽から完全に遠ざかりました。

逸郎は様々な職業を転々とするうち、抑うつ神経症になって、帰省したのでした。

5年前に、父親も亡くなっていました。狭量で神経質、短気で臆病な父親に逸郎は自分が似ていると感じています。四つ上で46歳になる兄はそこそこの会社に勤めていましたが、リストラに遭います。自分のために兄に大学進学を諦めさせたという自責の念も、逸郎にはありました。

兄は父親に反対されて結婚せず、逸郎と同じく独身でした。優しい、しっかり者の兄と、その兄に甘え依存する弟の逸郎。弟を心配する兄の焦慮、弟の情けない様子が丁寧に描かれていきます。

逸郎はやけを起こし、ちょっとした狂言自殺をはかります。夢の中で前を行く母親に追いつけなかった逸郎は、自分に呼びかける兄の声で意識を回復しました。「起きなくていい、そのまま寝てろ」と言う兄の声は慈悲に満ちていました。

その兄はしかし、その同じ時刻に交通事故を起こして病院にいたことが、看護師の緊急電話からわかります。

病院にいるという兄に死なんといてくれと訴えかけ、「おれは寄生虫やない。おれは寄生虫やない。なぁ、兄ちゃん、聞いてるか? おれは寄生虫やないで。ちゃんと働くで」と半泣きになった逸郎が転がるようにして部屋を出るところで、小説は終わります。

プロになれない物書きは、主人公・逸郎が目指していた音楽の世界での成功を文学の世界でのことに置き換えて読むでしょう。わたしには恐ろしい小説でした。

考えてみれば、音楽や文学の世界に限らず、どの世界においても、逸郎は星の数ほど存在します。

その逸郎の存在価値を認める家族は、友人は、知人は、いないのでしょうか。彼のベースギターの音は、一番身近な家族には聴こえなかったのでしょうか。

その点が充分には描かれていないために、聴こえなかったとしか思えず、逸郎の存在は救いようのないものになっています。

家族は逸郎が見た音楽の夢のために被害を被った人々であるといえますが、一方では逸郎もまた、音楽がわからない家族の無神経さの被害者であるともいえます。

芸術の世界であれ、どの世界であれ、スポットライトを浴びて活躍できるのは一握りの人々にしかすぎません。その一握りの人々だけでは当然ながらその世界は成り立たないわけですが、逸郎はその自覚に欠け、成功を目的としすぎていたのではないでしょうか。敗残者っぷりが半端ではありませんから。

バンド活動中のベースを弾く逸郎の様子が効果的に挿入されていたとしたら、小説はまた違った雰囲気になったでしょうね。

「最後のほうは意地だけでつづけていたようなもんやった」としても、逸郎が10年以上生きた音楽の世界について具体的に知りたいと読者であるわたしは思いましたが、あえてそれをせず、作者は世間の目となって無慈悲に(安易に)逸郎を断罪しているように思えました。

いやー、わたしにはホント、怖ろしい小説でした。ちゃんとした感想になっていず、すみません。

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2018年4月14日 (土)

ヤコブ・ベーメに関するメモ1(16日にメモ追加、まだ書きかけ)

トルストイ『戦争と平和』にはバラ十字系ロシア・フリーメーソンの記述があるので、その関連から神智学の本でバラ十字についてざっと調べたあとは、神秘家、錬金術師、神智学者とされるヤコブ・ベーメはバラ十字であったとバラ十字会のオフィシャルサイトにあったので、家にあった邦訳版のベーメの本を読んでいた。

ヤコブ・ベーメについて、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版)の用語解説「ベーメ(Jacob Boehme」には「神秘家であって、偉大な哲学者であり、最も優れた神智学徒の一人である。1575年頃、ドイツのゲルリッツ市の近くに生まれ、1624年に50歳近くで没した。村の学校で読み書きを習ったあと、ゲルリッツの貧しい靴屋の徒弟となった。全く驚嘆すべき力のある天性の透視家であった。科学教育を受けず、その知識もなかったが、多くの本を書いた。今、それらの著作には科学的真理がたくさん含まれているのが証明されている」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.56)と始まって、1頁まるごと使って解説されている。一方では、「この偉大な神智学徒が300年後に生まれていたとすれば、それを別の言い方で表現したであろう」(ブラヴァツキー,田中訳、1995,用語解説p.57)とも書かれている。

ヤコブ・ベーメの邦訳版著作が1冊だけ、我が家の本棚にあった。教文館刊行の「キリスト教神秘主義著作集」の中の1冊で、第13巻がヤコブ・ベーメである。

めったに邦訳版の出ることのないベーメの貴重な著作であることは、これを購入した30年ほど前のわたしにもわかっていた。

が、わたしは2人の子供の子育て真っ最中、純文学の賞狙いで熱くなっていたころだったので、当時5,000円というのは高額に感じられ――今もそうだが――、もう1冊同じシリーズの17巻に入っているサン・マルタンとどちらにすべきか、大いに迷った。

どちらか1冊しか買えないとなると、ベーメだろうか。神秘家、錬金術師として有名なベーメの著作がどんなものであるのか、触れてみたい。サン・マルタンはまたの機会に。作家の端くれにでもなれたら、自分の小遣いくらいは稼げるようになるだろうから――と当時のわたしは思った。

作家の端くれにもなれなかったわたしには今でも購入できるサン・マルタンはやはり、高価だ(アマゾンで見ると、7,020円)。ベーメは中古品しかない。この街の県立図書館にこのシリーズは置かれていないようだ。

サン・マルタンに対する興味は、バルザックの著作に度々出てくるところから来ていた(バルザックはバラ十字だった)。サン・マルタンがバラ十字の祖の一人とされている哲学者ということは知らなかったので、むしろ今のほうが強く惹かれる。そのうち中古品でも購入して読んでみなくてはと思う。

ロシア文学のすばらしさを知らない文学好きはいないと思うが、そのすばらしさがどこから来ているのか、わたしにはずっと謎だった。

今、ロシア思想界を席巻したといわれるほどにバラ十字系フリーメーソンの影響が強かったことを思うとき、ロシア文学の研究にはバラ十字の研究も加えられるべきではないかと思う。

世界的文豪とされる作家の作品にはほぼ例外なく、神秘主義の芳香がある。純文学から神秘主義的要素を削ぎ落してしまっては、純文学自体が死んでしまうのだ。

これまでにも書いてきたことだが、第二次大戦後の日本では、GHQによる公職追放によって21万人もの各界の保守層が追放された結果として左翼が勢力を伸ばし、学術研究においても彼らが主導的立場をとることになった。彼らの唯物史観に障る分野の研究はなおざりにされてきたという実情があるのだ。

拙神秘主義エッセーブログの「20 バルザックと神秘主義と現代」でも引用したが、『バルザック全集 弟三巻』(東京創元社、1994・8版)の解説で、安土正夫氏が次のようなことをお書きになっている。

従来バルザックは最もすぐれた近代社会の解説者とのみ認められ、「哲学小説」 は無視せられがちであり、特にいわゆる神秘主義が無知蒙昧、精神薄弱、一切の社会悪の根源のようにみなされている現代においてその傾向が強かろうと想われるが、バルザックのリアリズムは彼の神秘世界観と密接な関係を有するものであり、この意味においても彼の「哲学小説」は無視すべからざるものであることをここで注意しておきたい。

神秘主義に対するマルキストの誹謗中傷は、今やそっくり彼らに返っていったのではないだろうか。

話をヤコブ・ベーメに戻そう。

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ヤコブ・ベーメ(1575年 - 1624年)
From Wikimedia Commons, the free media repository

『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』所収「神智学書簡」を読むと、ベーメの作品とされるものがどのように書かれたのか、また最初は単なる覚書として、次には方々の質問に答えようとして何冊か本を書いたがために、誹謗中傷や迫害を受けたことがわかる。

第12の手紙には次のように書かれている。

私の書いたのは、いろんな本を勉強して学んだ知識や学問によるのではなく、わたしの内部に開かれた私自身という本から書いたものです。つまり、神の高貴な像(すなわち神の似姿である人間)という本を読む恵みが与えられたのでした。(……)
主の霊がそのうちに働かない者が、神に関する事柄をどうして判断できましょうか。(……)社会的な地位などに関係なく人間のうちにあって判断を下す神の霊、目に見ることのない神の霊の助けなしには、だれひとり真理と主の御心をとらえることはできません。素人もドクトルも同じことです。
(ベーメ,南原,1989,pp.276-278)

べーメはごく平凡に日々を過ごしていたわけではなく、イエス・キリストの御心を一途に求めた人であった。ある日、それに対する応答を自らのうちに得たということのようである。

神のミステリウムについて何か知ろうとは、少しも望まなかったし、いわんや如何に探し如何にして求めたらよいか、何一つわかりませんでした。何一つわきまえぬ素人のように、私は、無知そのものでした。私が求めたのは、ひたすらイエス・キリストの御心だけ。(……)こうして心をつくして探し求めるうちに(はげしい苦悩におちいりましたが、そこから逃げ出してすべてを放棄するよりはむしろ死んだ方がましだとまで思ううちに)、扉が開き、15分間のうちに、大学で何年も学ぶよりもはるかに多くのことを見、そして知ったのでした。まことに不思議なことで、なぜまたそうなったのか自分でも分からなかった。私の心は、ただ神の御業をたたえるばかりでした。…(ベーメ,南原,1989,p.274)

ゲルリッツ市参議宛の第54の手紙には、自分や妻子に加えられる迫害から守ってほしいという切実な訴えが綴られている。ベーメの書いたものは巷で評判になり、賛否を巻き起こしたのだろう。

このささやかな本のなかで、神から賜物を授かった私の個人的ないきさつが記されておりますが、それは身分も高く、学問もある方々の依頼を断り切れず書きましたもので、いくたりかの方々の心を動かすことがあったとみえて、さる高貴な貴族の方が、愛の心から印刷させたのでございます。…(ベーメ,南原,1989,p.298)

ベーメを理解し、支援したのは、バラ十字であった人々が中心であっただろう。というのも、一般人にはベーメの作品は凡そ理解できないものであったに違いないからである。

バラ十字の最初の著作は1614年に神聖ローマ帝国(現ドイツ)のカッセルで、第二の著作は1615年にやはりカッセルで、第三の著作は1616年にシュトララースブルクで上梓されている。

バラ十字がその存在を世に知らしめ、活動を表立って活発化させた時期と、ベーメの著作が世に出た時期とが重なる。

『神智学の鍵』の用語解説「拝火哲学者(Fire philosopher)」(p.57)には、バラ十字会員はテウルギー師の後継者だと書かれている。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でIv)によると、キリスト教時代の神働術(theurgy)の最初の一派は、アレクサンドリアの新プラトン主義者イアンブリコスによって創設された。

しかし、エジプト、アッシリア、バビロニアの神殿では聖なる秘儀において神々の召喚が行われ、その役割を荷った司祭は最早期の太古の時代から神働術師と呼ばれていたという。

もしそうだとすると、バラ十字の起源は太古に遡ることになる。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』ベールの前で(lv)によると、神働術師はあらゆる偉大な国々の〈至聖所〉の秘教的教えに関する専門家だった。

イアンブリコスについて過去記事にもいくらか書いていたので、そこから引用する。

『神智学の鍵』の用語解説「イアンブリコス(Iamblichus)」には、イアンブリコスは「たいへんな苦行をし、清浄で真剣な生活を送った。(……)地面から約5メートルの高さまで空中浮遊したと言われている」(ブラヴァツキー,田中訳,1995,用語解説p.17)とある。

『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』によると、神智学の創始者アンモニオス・サッカスの直弟子達プロティノスとポルフィリオスはテウルギーは危険であるとして、懸念を抱いたらしい。

イアンブリコスの一派は、プロティノスやポルフィリオスの一派とは違っていた。このふたりの高名な人物は、典礼魔術も神働術も堅く信じてはいたが,危険であるとして強く反対した。… (ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でlvi)

イアンブリコスはピタゴラスについて最も多くを書き残している。ピタゴラス派の日々の生活がどのようであったかがイアンブリコス(水地宗明訳)『ピタゴラス的生き方(西洋古典叢書 2011 第3回配本)』(京都大学学術出版会、2011)を読むと、細かにわかる。

共同食事を解散する前に最年長者が神に献酒した後で唱える戒告が印象的なので、引用しておこう。ちなみに共同食事の献立はワイン、大麦パン、小麦パン、おかずは煮たのと生のままの野菜。神々に供えられた動物の肉も[時には]添えられた。

栽培され果実を産する植物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。同じく、人類に有害でない動物を傷つけるなかれ、あやめるなかれ。なおまた、神とダイモーンとへーロースのたぐいについては言葉を慎み、よい心情を抱け。また両親と恩人についても同様の心情を持て。法に味方せよ。違法と戦え。 (イアンブリコス,水地訳,2011,p.108)

ALCHEMIST(錬金術師)はアラビア語に由来し、「これはたぶん、Kemet あるいは Kem,つまりエジプトという名前がもとになっている」(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxi)とブラヴァツキーは解説する。

ロベルトゥス・デ・フルクティブス(ロバート・フラッド)、パラケルスス、トマス・ヴォーン(エウゲニウス・フィラレテス)、ファン・ヘルモントらのような中世の薔薇十字団の団員たちは皆、錬金術師で、彼らはあらゆる無機物の中に隠された霊を探し求めた。

錬金術師を大法螺吹きのペテン師だと悪くいう者もいたが、ロジャー・ベーコン、アグリッパ、ヘンリー・クーンラート、化学の秘密のいくつかをヨーロッパに伝えたアラビア人ゲベルのような人たちに対しては詐欺師扱いも愚か者扱いもできまい。デモクリトスの原子論を基礎として物理科学を改革しつつある科学者たちは、アプデラのデモクリトスが錬金術師だったことを都合よく忘れている――とブラヴァツキーはいう。

また、ブラヴァツキーは次のようにもいって、錬金術師たちがどのような人々であったかに注意を促す。

自然に関する秘密の作業に一定方向にあれほど入り込んでいける人は,すばらしい理性の持主であり,研究を重ねてヘルメス哲学者になったに違いない,ということも都合よく忘れているのである。(ブラヴァツキー,老松訳,2010,ベールの前でxxxii)

前述したように、ベーメの最初の著作『Aurorat(アウローラ)』は1612年に著された。切々と訴える具体的な文面から、ベーメが大変な日々を過ごしたことがわかる。

はじめて書いた本(アウローラ)は天からの授かりもので、私ひとりのために覚え書きのつもりで書き綴り、ひとには見せる考えはなかったところ、神のかくれたるおぼしめしか、いつか手許を離れ、牧師長様のお目に触れることとなったその次第は、尊敬おく能わざる参議のよく御存じのところと愚考します。私自身そのころ何一つわきまえず、たどたどしい言葉で、哲学、錬金術、神智学の根底について書き記し、それが人の目にふれるとは夢にも思いませんでした。牧師長様は、まさに他ならぬこの本を、私の意図に反してとり上げ、中傷してとどまるところを知らず、私は、キリストの名を辱めないために、ひたすら忍耐を重ねたのでございます。
しかるにお役所に呼ばれ、理由を述べて申し開きをせざるを得ない羽目になりましたとき、牧師長様は、今後一切筆をとり、ものを書かぬよう命ぜられ、私もそれをよしとしたのでございます。神がこの私を用いて何を為さんとおぼしめしているのか、その神の道がそのころの私にはまだわからなかったのでございます。とまれ、私の沈黙とひきかえに、牧師長様ならびに副牧師の方々は説教壇では私のことを言わぬと御約束なさったにもかかわらず、その後もひきつゞき中傷を受け、およそ根も葉もないあらぬことを申され、そのため町中の人々はそれを信じて、私ばかりか妻子も、さらし物となり、気違い同様の扱いを受けたのでこざいます。(……)
私の授かったものを検証するには、一般の人々ではなく、博士、牧師、学問のある貴族の方々が必要なのでございます。…(ベーメ,南原,1989,pp.296-300)

ヤコブ・ベーメの著作を読むと、ああやはりこれは神智学の著作だと思わざるをえない。ヤコブ・ベーメ(南原実訳)『キリスト教神秘主義著作集 第13巻』(教文館、1989)の「シグナトゥーラ・レールム ――万物の誕生としるしについて――」の中の宇宙発生、天地誕生の下りからしてそうだ。

今日も時間切れ。ごはんの用意を含む家事があるので、中断します。今日は久しぶりに炒り豆腐をしようかな、アジを焼き、水菜とハムを和えて。それと、味噌汁かスープ
pp.38-39。ここにはあとで続きを書きます。

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2018年4月11日 (水)

歴史短編1のために #35 冷泉家の乞巧奠 (七夕祭)

「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした次のエッセーで、藤原俊成、その子・定家、俊成の孫・藤原俊成女に言及した。

78 祐徳稲荷神社参詣記 ➄扇面和歌から明らかになる宗教観
http://mysterious-essays.hatenablog.jp/entry/2018/01/18/174234

萬子媛をモデルとした第二稿が滞っている。結婚前の萬子媛を描写しようとしても、公家のお姫様の暮らしぶりというのがうまく想像できず、それが一番の障壁となっていた。

例えば、御遺物の中に貝合わせ、貝櫃(貝合わせを入れる箱)があって、萬子媛も貝合わせという遊びをなさることもあったのだろうと思ったが、その情景が具体的なものとして浮かんでこなかった。

四季折々の行事。それは公家にとっては仕事、任務であったと知識ではわかっていても、やはり具体的な情景が浮かんでこなかった。

そうしたところへ、深夜BSプレミアムで「京都 冷泉家の八百年」(初回放送:2003年)が放送されていた。冷泉家は、藤原俊成、藤原定家の流れを汲む家系である。

[BSプレミアム]
2018年4月11日(水) 午前0:45~午前2:26 [火曜深夜](101分)
京都 冷泉家の八百年~和歌の心、日本の美を守り伝えて~(初回放送:2003年)
鎌倉時代に始まる公家で、歌道の伝承者でもある冷泉(れいぜい)家。現存する唯一の公家屋敷の中の雅な日々を1年間に渡って記録した。

歌の家・冷泉家に今に伝えられる古式ゆかしい四季折々の行事がドキュメンタリータッチで紹介されていた。

気づいたときにはすでに始まっていたため(慌てて録画した)、いくらか見損なったのが残念であったけれど、貝合わせなどの場面もあって参考になった。

旧暦7月7日に行われる七夕の行事「乞巧奠[きっこうでん〕」が圧巻だった。こうした行事は、冷泉家が運営する財団の予算で行われるという。

南庭に、彦星、織姫に供える祭壇「星の座」が設けられ、織姫に捧げる五色の布と糸、星を映して見るための角盥〔つのだらい〕、琵琶、琴、秋草、海の幸・山の幸などが配置された。

襖や障子は外され、部屋と庭が一つとなる。日が落ちるころ、雅楽が奏でられ、祭壇の灯明が灯される。そして、夜のとばりが下りたなかで、星に和歌が捧げられるのだ。

そのあと、遊興の座「当座式(流れの座)」が設けられる。座敷に天の川に見立てた白布を敷き、それを挟んで狩衣・袿袴姿の男女が向かい合って座る。男女は即興で恋の歌を交わし合う。

冷泉家には、初雪を藤原俊成の木像に供える慣わしがあるという。91歳で亡くなるときに、俊成は高熱にうなされた。息子の定家が氷室に人をやり、雪を持ってこさせた。その雪を「ああ、おいしい」と喜んで食べ、亡くなった。明月記にそのように書いてあるそうだ。

俊成の木像は生々しい表情で、まるで生きているみたいにわたしには見えた。子孫の行く末を案じて「春日野のおどろの道の埋[うも]れ水すゑだに神のしるしあらはせ」という歌を詠んだ俊成。

子孫の行く末というのが、歌の行く末であるのだと、木像の俊成のお顔を見てわかった。

萬子媛をモデルとした小説から離れすぎると、優しく呼び戻される気がする。

ヤコブ・ベーメの本を夜中読んでいたせいで、眠い。アバター&インターポットのキラポチ、数学のお勉強が眠すぎてできないかも。

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2018年4月10日 (火)

バラ十字に関するメモ

笠間氏の論文には、18世紀のロシア思想界をバラ十字系フリーメーソンが席巻したと書かれていいる。

バラ十字団について、竜王会東京青年部編『総合ヨガ解説集』(竜王文庫、1980)には端的に次のように解説されている。

起源は,中世に教会から禁じられた学問を研究する知識人達が作ったギルド(同業組合)のような秘密組織。1614年から三年間にわたって三つの著作が著わされ,その存在を公然と明らかにした。三著作とは「世界の改革」「同志会の伝承」「同志会の告白」であり,「同志会の伝承」では,バラ十字団の始祖といわれるクリスチャン・ローゼンクロイツというドイツの貴族の生涯について書かれている。(竜王会東京青年部編,p.48)

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)には、バラ十字への言及が所々にある。

例えば、プロエム(緒論)210頁と301頁には、バラ十字会員の最もよく知られているシンボル――七羽の雛達を養うために胸を引き裂いているペリカン――がバラ十字団の本当の信条を表し、それが東洋の秘密の教えから直接きたものであること、テウルギストの後継者達であったバラ十字や後世の火の哲学者達はマギと拝火教徒達から神秘的かつ神聖な元素の火に関する教えを得たと書かれている。

議事録685頁には、うっとりするような次の解説がある。

植物などの様々な種は、一条の光線が分裂して生まれた光線です。光線は七つの世界を通る時に、各世界で弱められ、何千も何百万もの光線になり、そうした光線はそれぞれ、自分の世界で一つの有知者になります。だから、各植物には有知者があり、いわば、生命の目的があり、ある程度の自由意志があるということがわかります。とにかく私はそのように理解しています。植物には感受性の強いものも弱いものもありますが、例外なく、どの植物もものを感じるし、それ自体の意識があります。その上、オカルトの教えによると、巨木から最小のシダや草の葉に到るまで、どの植物にもエレメンタル実在がおり、目に見える植物は物質界でのその外的な装いです。だから、カバリストと中世のバラ十字派はいつもエレメンタル即ち四大元素の霊の話をするのが好きでした。彼等によれば、すべてのものにはエレメンタルの精がいます。

長いので、このメモには引用しないが、H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1995)の用語解説「拝火哲学者」の記述はとてもわかりやすい。

バラ十字に関係した記述は、ブラヴァツキーの論文には沢山出てくる。ただ、それはバラ十字という組織に関するまとまった記述としてではなく、上に引用したような採り上げかたなのだ。

バラ十字についてざっと調べたあとは、神秘家、錬金術師、神智学者とされるヤコブ・ベーメはバラ十字であったとバラ十字会のオフィシャルサイトにあったので、家にあった邦訳版のベーメの本を読んでいた。

昔読んだときは、ちんぷんかんぷんだったが、ブラヴァツキーの神智学を勉強してきたお陰で、内容に深入りすることは難しくてできないにしても、概ねどういったことが語られているかは理解できた。

魅了されてしまう、まるで詩のような文章であるが、彼の著作ではマクロコスモスである大宇宙とミクロコスモスである人間が対になっている。

また実験室の試験管の中で起きていそうなシンボリックな記述は、当然、人間という試験管でも起きていそうなことなのだ。

全く別の本で、ベーメの考えにそっくりな記述を読んだことを思い出した。道教の錬金術に関する本だった。道教の錬金術では老子の教えが、ベーメでは聖書がモチーフとなっている。またどちららにも惑星や元素、鏡などがシンボリックに出てくる。

ベーメの文章を理解するにはカバラと科学の知識が必要で、どちらもわたしには欠けているため、読み込むことはできない。でも、ブラヴァツキーの言葉に置きかえると、ある程度はわかる。

それについてのメモは、あとで。

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小泉八雲原作、小林正樹監督作品「怪談」。原田伊織『明治維新という過ち』。

録画していた邦画を、夫が見始めました。『怪談』というタイトルでした。

オカルト映画は嫌いですし、映画を観るのは疲れるので、一緒に見るつもりはありませんでした。ところが、別のことをしながら何気なく見ると、まるで舞台劇のような、セットにこだわりを感じさせる映画で、どこか能楽を意識したような芸術的な感じがしたので、興味が湧き、一緒に見始めました。

「古い映画みたいだけれど、いつの?」と尋ねると、「昭和40年だよ」と夫。その時点では、小泉八雲の短編集から4編を選んでオムニバス形式で映画化したものだとは知りませんでした。

三國連太郎、仲代達矢、志村喬、丹波哲郎といった男優が若い姿で登場しました。女優陣も豪華で、新珠三千代、岸恵子、奈良岡朋子、杉村春子など。

「皆若くて新鮮な気がするけれど、年齢を重ねてからのほうが魅力的に見えない? 若いころは何だか皆、のっぺりしてるように見えるんだけれど」というと、夫も「そうだねー!」と同意。勿論、役柄もあるのだろうけれど、皆さんよい年齢の重ね方をなさったことが窺えます。

わたしは、3時間の映画が長いとは感じなかったほど、『怪談』の映像に惹きつけられました。夫はわたしほどには感激しなかったようでしたが、最後まで観ていました。

『怪談』(東宝、1965)
監督・小林正樹
原作・小泉八雲『怪談』中、「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」。
カンヌ国際映画祭審査員特別賞受賞作品

第一話「黒髪」
武士(三國連太郎)
妻(新珠三千代)

第二話「雪女」
木こり・巳之吉(仲代達矢)
雪女(岸恵子)

第三話「耳無芳一の話」
盲目の琵琶法師・芳一(中村嘉葎雄)
住職(志村喬)
甲冑の武士(丹波哲郎)

第四話「茶碗の中」
関内(中村翫右衛門)
関内の妹(奈良岡朋子)
作者(滝沢修)
おかみさん(杉村春子)

特に第三話「耳無芳一の話」は耽美調な映像で、気に入りました。微動だにせず、端然と座している平家の幽霊たち。

鈍色、青、燃え上がるようなオレンジ、赤といった色彩の変化の中から浮かび上がる壇ノ浦の合戦の様子。中村正義「源平海戦絵巻」が挟まれています。琵琶の音があれほど豊かで、迫力があるとは。

「インドとか東南アジアの楽器を連想させるわね」というと、「うん、そっちから来たんじゃない?」と夫。

第一話「黒髪」が一番オカルト映画っぽく、夫に捨てられて実はとうの昔に死んでいた前妻の髪の毛が生きもののように動き出す最後のほうは怖くなって両手で顔を覆ってしまったので、全部観た気がしませんでした。

第二話「雪女」は雪女が歩いたり走ったりしすぎる気がしましたが、雪女と知らずに恋して暮らし、子をなす、その暮らしが美しく、最後は怖いというより悲痛で、美しく仕上がっていると思いました。雪女役が若かりし頃の岸恵子だと気づいたのはわたしでしたが、なかなかわかりませんでした。

第四話「茶碗の中」だけカラーが違っていました。明治時代の出だしから話は江戸時代に遡り、武家屋敷の中が素敵でした。これくらい、素敵なはずですよね。

大河ドラマで『西郷どん』が放送されています。鈴木亮平が好きなので、久しぶりに観ようと思ったのですが、つまなくて、すぐに挫折しました。最近の大河ドラマも朝ドラも昔の日本人はいつも顔が薄汚れていたように描かれる―――それだけで、もう見る気がしません。

その代わりに、娘が購入した磯田道史『素顔の西郷隆盛(新潮新書)』(新潮社、2018)、原田伊織『明治維新という過ち(講談社文庫)』(講談社、2017)を読みました。

明治維新に肯定的な前者と否定的な後者で、2冊は対照的です。テレビで観る磯田氏のお話は面白くて、いつも楽しませて貰っていますが、話がつながらないので、途中が抜け落ちているのではと思うことがありました。著作にも結構それがある気がします。

原田氏の著作を読み、もしこのようなことであったとすると、廃仏毀釈という出来事もなるほどと思えましたが、衝撃的な内容です。まだ判断できません。他にも出ているようなので、何冊か読んでみたいと思っています。感想は、そのうちに。

話が戻りますけれど、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の「雪女」「耳無芳一の話」は青空文庫にあります。小泉八雲の小説は文章が綺麗ですね。

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2018年4月 7日 (土)

時間がまるで足りない

「トルストイ『戦争と平和』… 3」を神秘主義エッセーブログにアップしようとして、それはだいたい当ブログにアップした記事のままでいいと思っていたのだが、改めてじっくり読み直すと、これだはだめだとの感じがしきりとし出した。これはやはり、加筆する必要がある。

それというのも、2 で引用させていただいた論文の中で、バラ十字とフリーメーソンの関わりが出ていた。

1970年刊行の新潮社版トルストイ『戦争と平和』を注意深く読むと、主人公がフリーメーソンとなるきっかけをつくるフリーメーソンの長老について、このフリーメーソンである長老が「ノヴィコフの時代からの有名なフリーメーソンの会員で、マルチニストの一人であった」と書かれている。

本文の中で手がかりといえば、この箇所だけだが、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)にノヴィコフとマルチネス派についての記述があるので、これを手がかりにもっと調べて、この点について到達できるところまでは到達したい。

マルチネス派は、マルティネス・ド・パスカーリ(1717-1774)とその弟子ルイ・クロード・ド・サンマルタン(1743-1803)の思想をさすが、のちにはサン・マルタンの思想を指すようになったという。

サン・マルタンはバラ十字の祖の一人であるそうで、サン・マルタンといえば、バルザックである。バラ十字であったとされるヤコブ・ベーメの本を取り出して読んでみると、この本の読みづらさの大きな部分が翻訳の問題にある――というより、日本語とドイツ語の違いにあるとわかった。

この本をいくらかは読み、人文書院版ホールの『カバラと薔薇十字団』を読み、なんてやっていると、ああもう、いくら時間があっても足りない。ブラヴァツキーの神智学の本にも出ているので、それも。まるでジャングルに踏み込むかのようだ。

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2018年4月 6日 (金)

気温が高くなってくると作りたくなる服部先生の「豚肉ときゅうりのカレー炒め」

気温が高くなってくると(今日は寒さがぶり返しましたが)、作りたくなるのが「豚肉ときゅうりのカレー炒め」です。服部先生のレシピで、きゅうりを炒めることを知りました。

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過去記事で紹介しましたが、再度、「週刊 服部幸應のしあわせクッキング第24号」(ディアゴスティーニ・ジャパン)から、「豚肉ときゅうりのカレー炒め」のレシピを紹介します。美味しいだけでなく、野菜がたっぷりとれて、ヘルシー感がありますよ。

材料[4人分]

豚もも薄切り肉250g、A〔塩・こしょう各少々、酒・しょうゆ各小さじ2、かたくり粉大さじ1〕、きゅうり2本、玉ねぎ1個、ジャンボピーマン(赤)2個、ゆでたけのこ80g、にんにくの薄切り1かけ分、カレー粉大さじ2~3、B〔しょうゆ・砂糖各大さじ1、酒大さじ2、トマトケチャップ大さじ3、こしょう少々〕。サラダ油、ごま油。

  1. 豚肉は一口大に切り、Aの調味料をまんべんなく手でもみ込んでおく。Bを合わせておく。
  2. きゅうりは皮をピーラーなどでむいて3cm長さに切り、縦に4等分する。玉ねぎは1cm厚さに、ピーマンは1cm幅に、たけのこは薄切りにする。
  3. 中華鍋を熱してサラダ油大さじ2を入れ、にんにくを炒めて香りを出す。豚肉を1枚1枚広げながら入れて炒める。
  4. 豚肉にほぼ火が通ったらカレー粉を入れて香を出し、③の野菜を加えてさらに炒め合わせる。
  5. Bの調味料を加えてさっと混ぜ、味をみてごま油大さじ1/2をまわしかけて仕上げる。

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焼きなすが大好きですが、和洋折衷のたれを添えた土井先生のレシピもとても美味しいので、よく作ります。「週刊 土井善晴のわが家で和食 改訂版No.2」から、『なすのレンジ蒸し』を紹介します。土井先生のレシピではへたを残すようになっていますが、わたしはとってしまいます。

[材料・2人分]
    なす2本
    A〔味噌大さじ2/3,マヨネーズ大さじ4〕

[作り方]

  1. なすはへたを残して耐熱皿にのせてラップをかけ、電子レンジで4分加熱する。
  2. 加熱が終了したらすぐ氷水につけて色止めをし、荒熱が取れたらお尻の部分に十文字に切り込みを入れ、手でくし型にさいて、器に盛る。
  3. Aの材料をよく混ぜ合わせ、②に添える。

Img_1793ab

『nonno お料理基本大百科』(集英社、1992)のレシピ「タラときのこの煮物」を参考に久しぶりに作り、わあ美味しいと思いました。タラがきのこに隠れて見えません。タラの下処理が丁寧なので、タラ特有の臭みが全くないのです。汁はもったいないので、いつもご飯にかけます。レシピは以下の記事で紹介しています。

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トルストイ『戦争と平和』… 2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ

目から鱗のオンライン論文に出合った。

『戦争と平和』にあらわれたロシア・フリーメイスン
著者: 笠間, 啓治
発行日: 1995年
出版者: 北海道大学スラブ研究センター
誌名: スラヴ研究(Slavic Studies)
, 42: 41-59
URI: http://hdl.handle.net/2115/5233

この論文によると、『戦争と平和』は1805年から1812年の歴史的動乱に生きたロシア・インテリゲンチャの精神的苦悩と魂の遍歴をテーマにしている。主人公ピエールは煩悶から抜け出す第一歩をフリーメーソンとしての活動に見い出し、フリーメーソンの中で精神的な成長を遂げる。

そして、「19世紀初頭のロシアはフリーメイスンの活動のもっとも盛んな時期に当っていた。この時期のロシアを描写するには、フリーメイスンの要素を抜きにしては考えられない」という。

しかも、このロシア・フリーメーソンとは、ドイツからもたらされた中世神秘思想ローゼンクロイツェル系だというのである。

クリスチャン・ローゼンクロイツ(Christian Rosenkreutz、 1378-1484)はバラ十字団の創立者とされる伝説的人物だが、ローゼンクロイツェルというのはクリスチャン・ローゼンクロイツのことで、バラ十字系ということだろうか。

中世が生んだこの形而上学的思考方法は、18世紀ロシア思想界を席巻したと言っても過言ではない。というより、まったくの無菌状態のロシアにて異常繁殖したと表現してもよいだろう」と論文には書かれている。

ピエールが魅了され、フリーメーソンになるきっかけとなった老人が出てくる。読みながらわたしも思わず魅了されたその老人は、ロシアが19世紀初頭のフリーメーソンの再興期を迎えたとき、ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた人物であるという。

『戦争と平和』に登場する人物は多いが、主要人物にはこのようにモデルがいて、その人々がフリーメーソンであったというのだから、驚かされる。

この当時のロシアにおいては、フリーメイスンであることはけっして秘密事項ではなかった。フリーメイスンの集会での議事録や出席者の名簿は、当局に報告するのが慣例になっていた」が、王政打倒を公言していたイルミナティと呼ばれる組織が浸透してきたために当局が警戒感から目を光らせるようになり、1822年に禁止令が公布されることになったのだった。

論文には、禁止令の施行後も「フリーメイスンたちの純粋の理論的討議は一部の人たちによって続けられていた」とあるので、イルミナティの革命思想の影響も禁止令の影響も受けなかったフリーメーソンはロシアに存在し続けたということだろうか。

28歳のときにイルミナティを創立したアダム・ヴァイスハウプトは、バイエルン選帝侯領インゴルシュタットの出身である。バイエルン選帝侯領とは、神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身である。現ドイツ・バイエルン州の一部に当る。カトリックのイエズス会の家系に生まれた。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だった。教会法はカノン法ともいわれる、カトリック教会が定めた法である。ヴァイスハウプトは教会法を教授する神学者であったにも拘わらず、反カトリックであった。1776年には啓蒙主義的なサークルを作り、サークルはのちにイルミナティと名称を改めた。

ウィキペディア「イルミナティ」には、「1777年、ヴァイスハウプト自身もフリーメイソンになっており、並行してフリーメイソンだった者も多かった。ヴァイスハウプトはミュンヘンでフリーメイソンと出会い、共感するところがあったためにフリーメイソンリーに入会した」*1とある。

だとすると、イルミナティとフリーメーソンは全く別の組織だが、バイエルンでイルミナティをつくったヴァイスハウプトがフリーメーソンになったことでその影響がフリーメーソンに及び、フリーメーソンでありながらイルミナティにも入る者が出てきたということになる。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)の「はじめに」には、次のようなことが書かれている。

イルミナティの発展は、フリーメイソンのグループによって行われた。フリーメイソンの多くが、イルミナティにリクルートされたので、フリーメイソンのある支部(ロッジ)はイルミナティの手中にあると言われるようになった。しかし「両者の意図と目的は一致しない」となった。このことをルートヴィヒ・クリスティアン・フォン・グロルマン〔1741-1809、ギーセンの法学者〕という人が、1793年12月のフリーメイソン支部における演説で強調した。その演説は、身分秩序を脅かし宗教(キリスト教の信仰)を危険な状態に陥れるイルミナティへの激しい非難を含んでいた。フォン・グロルマンの目には禁止後もイルミナティは、諸国政府に遍[あまね]く浸透しており、至るところで活動していると見られていた。

この文章からは、イルミナティがどのようにしてフリーメーソンを侵食していったかの様子がわかるだけでなく、本来のフリーメーソンは宗教――それはキリスト教のようだが――と親和関係にあったことがわかる。

そして、イルミナティは禁止されたが、まるで強力な伝染病か何かのような世界的拡がりを見せていたようである。「禁止令の前に、クニッゲ男爵(教団での名前はフィロ)の精力的な活動に起因するイルミナティの爆発的な拡大が起きていた」とも、「はじめに」には書かれている。

前掲書『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』は、25冊のヴァイスハウプトの著作中9番目に書かれ(このとき、ヴァイスハウプトは38歳である)、彼の全著作中唯一邦訳された著作である。1787年に上梓された『イルミナティの新システム――全位階と装置の詳説――』を抄訳し、再編集したものだという。

この邦訳版は「秘密結社の組織論」を付録とした4章で構成されているのだが、4章は「神秘主義に傾倒するすべての成員に告ぐ」というタイトルの下に、神秘主義が全否定されている。論拠薄弱なので(この内容に関してはこのあと見ていきたい)、わたしには単なるこきおろしとしか読めなかった。

ヴァイスハウプトはこのような反神秘主義でありながら、神秘主義の性格を持つフリーメーソンになったわけである。

ヴァイスハウプトの思想がどのようなものであれ、反カトリックでありながら――次第にそうなったのかもしれないが――教会法の教授を務め、反神秘主義でありながらフリーメーソンになるという不穏分子的性格が彼にあることは確かである。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』によると、バイエルン選帝侯が1784年6月22日にミュンヘンでイルミナティに出した禁令には、犯罪者に対する厳格な処罰が含まれ、同種の企みを告発するだけで報奨金がもらえることまで定められていたという。

ところが、ヴァイスハウプトはリベラルな公爵エルンスト2世の下に逃れ、ザクセン・ゴータの宮中顧問官に任ぜられ、生涯年金を得て恵まれた82歳の生涯を終えたらしい。

『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』の「はじめに」に、ヴァイスハウプトの次のような言葉が紹介されている。

そもそも普遍啓蒙主義運動を広める者は、同時にそれによって普遍的な相互信頼をも手に入れ、そして普遍的な啓蒙主義運動と信頼は、領邦君主(Fürst)と国家を不必要とする。そうでなければ何のためなのか。

短絡的な結論づけはヴァイスハウプトの文章の特徴である。

いずれにせよ、反王政で、既存の国家政府を否定する思想の持ち主でありながら、宮中顧問官になってぬくぬくと生涯を終えたヴァイスハウプト……これを二枚舌、ご都合主義、二重基準、ダブルスタンダードといわずに、何といおう?

アダム・ヴァイスハウプトの行動にも思想にもこうしたダブルスタンダードが潜んでいて、それが人を狂わせる、最も危険な要素であるとわたしには思われる。狂った人々によって、組織が国家が狂うこともありえるのだ。

アグニ・ヨガの教えを伝達したエレナ・レーリッヒ(1879-1955)は、神智学協会を創立したブラヴァツキーの後継者といわれる人だが、エレナ・レーリッヒ(アグニ・ヨガ協会編、ジェフ・クラーク訳)『エレナ・レーリッヒの手紙(抜粋訳)』(竜王文庫、2012校正版)*2には、その後のフリーメーソンがどうなっていったかを物語る記述がある。ブラヴァツキーもエレナ・レーリッヒもロシア人である。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。*3…

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。*4…

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害なフリーメーソンの支部というのは、イルミナティに乗っ取られた支部の姿だろうか。何しろイルミナティは、1822年の帝政ロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

尤も、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、その原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソン結社が政治を目的とした組織ではないということ、またフリーメーソンは支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はそれまでに書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、マンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。


*1:ウィキペディアの執筆者. “イルミナティ”. ウィキペディア日本語版. 2018-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%86%E3%82%A3&oldid=67669253, (参照 2018-03-11).

*2:「至上我の光」500号(平成10年5月号)~527号(平成12年7月号)に渡って掲載されたものをその順に編集したもの。原本はⅠ、Ⅱの2巻本。

*3:レーリッヒ,クラーク訳,2012,p.73

*4:レーリッヒ,クラーク訳,2012,pp.126-127

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トルストイ『戦争と平和』… 1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

当ブログの過去記事に加筆修正して拙「マダムNの神秘主義的エッセー」に順次アップ中の「トルストイ『戦争と平和』…」(エッセー番号80~84)ですが、加筆部分が多いので、当ブログにもアップすることにしました。

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フリーメーソン結社を侵食し、マルクス主義やテロ組織に影響を及ぼしたとされるアダム・ヴァイスハウプトの思想については、既にエッセー「イルミナティ用語としての『市民』」において、いくらか考察済みである。

アダム・ヴァイスハウプト(芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座〈初級編〉』(KKベストセラーズ、2013)によると、イルミナティ(Illuminatenorden イルミナーテンオルデン)は、1776年にインゴルシュタットの町(現在の南ドイツ、バイエルン州の州都ミュンヘンから北に100キロメートルくらい行ったところにある都市)でアダム・ヴァイスハウプト(Adam Weishaupt,1748 - 1830)によって創立された。イルミナティは1784年、バイエルン公国の禁令で表面上は壊滅した。

が、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)を参考にすれば、そのときには既にフリーメーソン結社を侵食していたばかりか、イルミナティの原理原則はマルクス主義やテロ組織に取り入れられたようである。

前掲エッセーで公開を約束したエッセーが当エッセーで、ロシアのバラ十字系フリーメーソン結社がイルミナティに侵食される過程を克明に描いたレフ・トルストイ『戦争と平和』に関するものである。

ロシアの文豪トルストイを知らない人はあまりいないだろうが、ウィキペディア「レフ・トルストイ」から冒頭を次に引用しておく。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露: Лев Николаевич Толстой[ヘルプ/ファイル], ラテン文字表記:Lev Nikolayevich Tolstoy, 1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家で、フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。
代表作に『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』『復活』など。文学のみならず、政治・社会にも大きな影響を与えた。非暴力主義者としても知られる
*1

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程

目次 

1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面
2 ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ
3 イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老
4 イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義
5 テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

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1 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面

トルストイの代表作『戦争と平和』は、1865年から1869年にかけて雑誌『ロシア報知』に発表された長編歴史小説である。

この作品をオードリー・ヘプバーン主演で映画化した『戦争と平和』(1956年、アメリカ・イタリア)」がNHKのBSプレミアムで2016年9月1日に放送された。

録画しておき、3日に分けて観た。つけっぱなしにしがちな国会中継を除けば、わたしは普段テレビは観ても15分から1時間なので、3時間30分を一気に見るのは無理なのだった。

この映画は過去にも放送されているが、断片的にしか見ていなかった。

NHK……1970年1月3日・4日、ノーカット版
フジテレビ……1972年5月19日・26日、ゴールデン洋画劇場
テレビ朝日……1980年12月14日・21日、日曜洋画劇場

今回は隅々まで楽しめた。

オードリー・ヘプバーンのナターシャ、ヘンリー・フォンダのピエール、メル・ファーラーのアンドレイ。メル・ファーラーがわたしには『風と共に去りぬ』(1939、アメリカ)に登場するレスリー・ハワードのアシュレーに見えてしまった(何て、そっくりなのだろう!)

『風と共に去りぬ』は、1936年に上梓されたマーガレット・ミッチェルの同名(Gone With the Wind)の長編時代小説を映画化したものなのだが、セットも似ている気がして、『戦争と平和』がちょっぴり『風と共に去りぬ』の劣化版に見えてしまった。

『風と共に去りぬ』のセットがもったいないので、『戦争と平和』に使い回したのだろうかとさえ思ってしまったのだが、1939年ごろのセットを17年後の映画に使ったとは考えにくい。1939年というと、昭和14年である。第二次世界大戦が勃発した年ではないか。そんな昔、そんな御時世にあの豪華な映画『風と共に去りぬ』が制作されたとは呆れてしまう。

ヘプバーンの『戦争と平和』は如何にもハリウッド版らしい編集で、ロシアの対ナポレオン戦争をほどよく背景としながら恋愛物にまとめていた。

新潮社の『戦争と平和』と岩崎書店のジュニア版『戦争と平和』を書棚から引っ張り出して紐解いたりした。ジュニア版が映画のストーリーを追いながら原作をざっとなぞるにはちょうどよくて、プログラム代わりになったのだ。

視聴後、ソ連の国家的威信をかけて制作されたという『戦争と平和』(1965-67年、ソ連)が気になった。7時間30分という気の遠くなるような長さである。

こちらも、テレビで放映されたものを観た記憶があった。テレビ初放映は1974年、日曜洋画劇場で4回に分けて放送されている。その後NHKのBSプレミアムで2012年1月30日から同年2月1日まで放送された。

「最近」ソ連版を見た気がしていたのは、2012年に放映された『戦争と平和』を断片的に観ていたからに違いない。

こちらは壮大で、音楽も素晴らしいが、日本的(?)なリュドミラ・サベーリエワのナターシャは可憐でいいとしても(わたしの好みはヘプバーン)、セルゲイ・ボンダルチュクのオヤジ風ピエールにはちょっと我慢できなかった。

また、時代に忠実な映画化であるためか、夜の場面になると薄暗く(舞踏会の場面もそうなのだ)、幻想的で美しいとはいえ、わかりづらい。

ハリウッド版もソ連版も、最後の方はドタバタ終わってしまっていた気がする。原作をなぞりきるには7時間30分かけても時間が足りないというわけだろう。

魅力的なのは、ナポレオン1世率いる大陸軍(仏軍を中心としたヨーロッパ諸国連合軍)とクトゥーゾフ率いるロシア軍との間で行われた「ボロジノの戦い」の場面で、ソ連版では圧巻だった。

ハリウッド版も迫力といえば迫力だが、どうしても南北戦争に見えてしまう。映画の中の戦闘ですらあの凄まじさだと思うと、つくづく恐ろしい国だ。ハリウッドの中で何度も戦争をやらかし宇宙戦争すら辞さないアメリカとなるともう……あんな国とよく日本は戦ったものだと思う。

もっと早く降伏すればよかったのに――という言葉を聞くことがあるが、映画ですら敗れた側のみじめさといったらない。皆殺しに遭い国がなくなる可能性すらあるというのに、「もっと早く降伏すればよかった」というのは概ね結果論にすぎないのではないだろうか。現に、ソ連は日本の降伏後も侵攻を続けた……。

映画『戦争と平和』の中の凛々しいロシア帝国軍の姿に、那須田稔『ぼくらの出航』(木鶏社、1993)の中の一場面を連想した。

満州にソ連軍が侵攻するときの様子が描かれ、それを観ていた満人ヤンとロシア人の御者が次のような会話を交わす。

… ヤンは、ロシア人の御者に中国語で話しかけた。
「おじいさん、あなたたちの国からきた兵隊だね。ロシアの兵隊がきたので、うれしいでしょう?」
 ところが、ロシア人の御者は、はきだすようにいった。
「あれが、ロシアの兵隊なものかね。」
「ロシアの兵隊じゃないって?」
 ヤンはけげんな顔をした。
 御者のじいさんは、白いあごひげをなでて、「そうとも。ロシアの兵隊はあんなだらしないかっこうはしていないよ。わしらのときは金びかのぱりっとした服をきていたものだ。」
「へえ? おじいさんも、ロシアの兵隊だったことがあるの……。」
「ああ、ずうっと、ずうっと、むかしな。」
「それじゃ、ロシアへかえるんだね。」
「いや、わたらは、あいつらとは、生まれがちがうんだ。」
 おじいさんはぶっきらぼうにいった。
「よく、わからないな。おじいさんの話。」
「つまりだ、生まれつきがちがうということは、わしらは、ちゃんとした皇帝の兵隊だったということさ。」
 ヤンは、まだ、よくわからなかったが、うなずいた。
「皇帝だって! すごいな。」
「そうとも。わしらは、あいつらとは縁もゆかりもないわけさ。あいつらは、レーニンとか、スターリンとかという百姓の兵隊だ。」
「ふうん。」
 ヤンが、小首をかしげて考えこんでいると、ロシア人の御者は、馬車にのっていってしまった。
*2…

満州には、ロシア帝国時代にロシアから移住した人々や、1917年の十月革命で逃げてきた貴族たちが住みついていたと書かれている。

作品の最後で主人公タダシら子供たちを救ってくれたのは新しい中国の軍隊であったが、その中国の軍隊とは中華民国の国民党だろう。

新しい中国への希望を抱かせる明るい場面となっているが、事実はこの後、中国国民党は中国共産党(人民解放軍)との内戦となる。

内戦で勝利した中国共産党の毛沢東は1949年10月、中華人民共和国を樹立した。しかし、発展した社会主義国家建設を目指す「大躍進」政策は失敗、中国はプロレタリア文化大革命と称する凄惨な暗黒時代へと突入した……。

『ぼくらの出帆』にあるように、第二次大戦で1945年8月8日に日ソ中立条約を一方的に破棄して対日宣戦布告し、日本の降伏後も侵攻してきて野蛮そのものの振る舞いをした兵隊は、ロシア皇帝の兵隊ではなかった。普通の百姓からなる兵隊でもなかった。マルクス・レーニン主義を国家イデオロギーとするヨシフ・スターリンの兵隊だったのである。

そういえば、どちらの映画にも出てこなかったが、トルストイの歴史小説『戦争と平和』ではフリーメーソンが長々と描写されていることを御存じだろうか?

『戦争と平和』はかなりの長編なので、有名なわりに読破した人は少ないかもしれない。欧米の純文学作品を読んでいると、フリーメーソンなど珍しいとも思わなくなるのだが(よく出てくるため)、『戦争と平和』ほどフリーメーソン結社での入会式の様子が克明にリポートされた文学作品は珍しい。

主人公ピエールがフリーメーソンになるのである。

著者のトルストイがフリーメーソンだったかどうかは、はっきりしない。当時のロシア政府が入会を禁止していたからである。

トルストイがフリーメーソンだったかどうかはともかく、禁止されていたにも拘らず、あそこまであけすけに描写できるとは何て大胆不敵なのだろう。尤も、その程度の禁止だったのかもしれない。

フリーメーソンの思想が『戦争と平和』に深く影響を及ぼしていることは確かである。

ピエールがフリーメーソンの思想に距離を置こうとする場面は出てくるのだが、その後も小説の終わる間際まで、訪ねてきた知己のフリーメーソンと会話する場面などが出てくるのである。

秘密結社というのは禁止されたり迫害されたりするからこその秘密にされざるをえない結社であることを考えれば、トルストイがフリーメーソンだったとしても不思議ではない。

その一方で、トルストイは取材魔だったようだから、綿密な取材を行っただけとも考えられるし、一時期フリーメーソンになったことがあったということもありそうだ。


*1:ウィキペディアの執筆者. “レフ・トルストイ”. ウィキペディア日本語版. 2018-02-08. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%A4&oldid=67280698, (参照 2018-02-08).

*2:那須田,1993,pp.75-76

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2018年4月 5日 (木)

「81 トルストイ『戦争と平和』… ②」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

当ブログの過去記事に加筆修正したものです。この➁からは、共産主義やテロ組織に影響を与えたといわれるイルミナティに関する重要な考察が含まれますので、ぜひ一読を願います。

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2018年4月 3日 (火)

「80 トルストイ『戦争と平和』… ①」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

当ブログの過去記事に加筆修正したものです。タイトルは長いので、省略しています。
タイトルは「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程」です。

エッセー 80 に全文収録するつもりでしたが、長くなりすぎるので、当ブログ公開時と同じ構成にしました。目次です(括弧内の数字は予定しているエッセー番号)。

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エッセー「トルストイ『戦争と平和』に描かれた、フリーメーソンがイルミナティに侵食される過程」(80~84)

目次 

  1. 映画にはない、主人公ピエールがフリーメーソンになる場面(80)
  2. ロシア・フリーメーソンを描いたトルストイ(81)
  3. イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老(82)
  4. イルミナティ創立者ヴァイスハウプトのこけおどしの哲学講義(83)
  5. テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界(84)

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