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2018年2月の11件の記事

2018年2月27日 (火)

椿山さん、タウンマガジンありがとうございます

休刊中の『日田文學』の同人仲間だった椿山滋(ペンネーム)さんがタウンマガジン『なかつ  VOL.209』(2018年3月1日発行)をお送りくださいました。

同人仲間とはいっても、合評会・懇親会でお目にかかったことはなかったので、お顔もご経歴も存じ上げませんでした。

1ページ丸ごと使って、椿山さんの御自宅の書斎を背景にした白黒写真(書棚の本のタイトルがくっきり写っていればいいのにと思いました)、プロフィール、文学歴、奥様のこと、創作に関するエピソードなど紹介されており、椿山さんを知るにはお得な(?)1冊となっています。

記事のタイトルは、「夢は直木賞 16年間書き続ける」。

第46回九州芸術祭文学賞大分地区優秀作を受賞、「恋待ち商店街の素敵な面々」で第18回長塚節文学賞候補、2年ほど前から関西系の季刊文芸誌「日曜作家」の同人。

親しみの感じられる平易な文章で市井に生きる人々の生活ぶりが活写され、そこにある出来事が起って、そのことに心を揺さぶられる主人公の内面的変化が丁寧に描写される――といった作風が印象に残っています。日本文学の伝統を受け継ぐ作風といえるでしょう。

わが家にある『日田文學』のバックナンバーから椿山さんの作品を拾ってみました。

いんちき商法で物を売りつけるブラックな会社に入社してしまった主人公の感覚の変化と、その商売から足を洗うまでを描いた『リセット』(51号)。

痛ましい死に方をした愛犬が神様の温情により女性の体を5日間だけ借り、可愛がられて幸福だった思いを伝えにくる『神様の思惑』(52号)。

同性愛者である女性の内面の動きを追った『リワインド――このドアを開けて』(53号)。

43歳の若さで事故死した妻と毎夜、心の中で対話して忠告を受けとる男性の身辺雑記『おかえり』(55号)。

転職を繰り返す主人公に疲れて離婚した元妻が末期がんになり、再会を求めてくる『彼岸花』(56号)。

80歳になる父親が認知症になり、病気から来る行動に振り回される家族の悲痛な思いを繊細に捉えた『紫陽花日和』(57号)。

様々な趣向が凝らしてあっても、どの作品も例外なく読者が想定できる範囲内の結末に落ち着くように読めるのですが、それが作者の人生観であり、美意識であり、思想であるからだとわたしには思えます。

どの作品も良識を感じさせる品のよい仕上がりになっていることからも、そのようにいえるという気がします。

椿山さんのご文運と今後の一層のご活躍をお祈り致します。

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2018年2月24日 (土)

21日に還暦の贈り物。バルザック『リュジェリーの秘密』(春風社)と、久々のインスピレーション。

亀記事ですし(数学の問題集とバルザックの小説に熱中して、アッという間に時間が経ってしまいました)、自分のための覚書になりますが、2月21日に60歳の誕生日を迎え、家族と妹から還暦のお祝いに心のこもった贈り物を貰いました。

息子が贈ってくれたポールスミスのハンドバッグは、わたしがここ数年「こんなハンドバックがほしいなあ」と想い描いていたようなもので、驚きました。使いやすそうで、カッコよくて。娘とデパートの店員さんのアドバイスがあったと知り、ああそれで……と納得しました。

小さなカードの文面に「今後も文芸、学究を深めますよう」とあり、ありがたくて感涙。

住居問題がようやく片付きそうですが、これも息子のお陰なのです。息子は仕事柄出張が多く、夜はベルギーとの間で行われるWeb会議などあって、多忙そうです。

子供たちのためにも、気を引き締めてよい老後にしなくてはと思っています。

娘は色々なものを贈ってくれ、その一つは花束で、マゼンダ、紫、薄ピンク、白の花々を使って、華やかながら落ち着きのある女性をイメージさせるようなものに仕上げられています。そのような女性になりたいものです!

また、贈り物の中には本もあり、その本ではバルザックのカトリーヌ・メディシスを題材にした作品がメインとなっています。

バルザック王国の裏庭から――『リュジェリーの秘密』と他の作品集
宇多直久 (著, 翻訳)
出版社: 春風社 (2017/4/14)

この宇多直久による新訳『リュジェリーの秘密』は、東京創元社・昭和50年初版の『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』に収録されている四編の作品のうちの一編と同じものです。

バルザック全集 23
バルザック (著),‎ 渡辺 一夫 (翻訳)
出版社: 東京創元社 (1975/01)

『バルザック全集 23  カトリーヌ・ド・メディシス』は序章、第一部 カルヴァン派の殉教者、第二部 リュグジエリ兄弟の告白、第三部 二つの夢――と四つの部分から構成されており、これらは別個の作品が原題『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究 Etudes philosophiques sur Catherine de Medicis 』に収められたものだということです。

『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』は『ルイ・ランベール』や『絶対の探求』と共にバルザックの大構想からなる La Comédie humaine に属する「哲学的研究」の一部を占めています。

解説に「『序章』は、現在の日本の一般読者にとって、非常に難解ではないかと思っている」とあるように、わたしにも難解で、積読になってしまっていました。

ところが、娘が贈ってくれた本では『リュジェリーの秘密』(前掲書『バルザック全集 23』では「第二部 リュグジエリ兄弟の告白」に当ります)を核として、関連するバルザックの小品、手紙類、エッセーなどが収められており、『リュジェリーの秘密』が嫌でも目に入る構成となっています。この作品は読みやすいです。

前掲書『バルザック全集 23』の解説に戻ると、『カトリーヌ・ド・メディシスに関する哲学的研究』について、次のように書かれています。

バルザックの『カトリーヌ・ド・メディシス』は、同じ種類の歴史小説や歴史劇のなかに伍しても些も見劣りがしないし、更に、他の作品が作者の叙情を核としている場合が多いのに対して、作者バルザックの「史観」或いは「歴史哲学」とでもいうべきものを軸としている点で、異色があり、バルザックがこの作品に『哲学研究』という名を冠しているのも、故なしとしない。(バルザック全集 23 、9~10頁)

ここを再読したとき、久しぶりにわたしに、稲妻がひらめくようにインスピレーションが訪れました。

そうだ、わたしが書きたいのはいわゆる大衆受けするお茶の間劇場的な歴史小説(実は現代的視点で書かれているという点で、歴史に舞台を借りただけの現代小説)ではなく、バルザックが書いたような歴史の核を形成する宗教・哲学的な部分を照射した歴史哲学小説なのだと思いました。

大それた望みだとは思いますが、わたしが本当に書きたいのはこれに尽きます。

萬子媛をモデルとした歴史小説の第二稿が進まなかったのは、取材の成果が間を置いて、少しずつ表れたということもありますが、何をどう書くかについて、葛藤があったからでした。もう5年もこの小説のことで悶々としてきたのでした。

それでも投げ出したいとは決して思いません。

バルザックの小説が見事なのは一般読者――一般読者といっても、バルザックの小説を当時愛読したのは貴族、ブルジョア、知識人層でしょうが――受けする要素も抜かりなく織り込まれているという点です。

『リュジェリーの秘密』については、また改めて書くことになるだろうと思います。

そういえば、久々にアマゾンのリポートを見たところ、このところ日本とアメリカで本が4冊売れ、誕生日に拙児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』をダウンロードして読んでくださった方があったようで、嬉しいです。ありがとうございます。

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2018年2月20日 (火)

チャート式の安心感。ピタゴラスのデカド(10からなるもの)。

国会中継をつけっぱなしにした居間で、家事の合間に数研出版編集部 (編さん)『チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)』(数研出版、2012)の問題を解いていました。

チャート式は昔馴染んだ参考書・問題集であるせいか、安心感があります。右側のページの半分ほどを使って、「復習メモ ~解き方のルール~」という解説の欄が設けられているので、問題集ですが、わからなければそこを見て覚えることができるようになっています。

その欄では要点が簡潔にまとめられていて、ぴしっと頭に入ってきます。

中学・高校時代には文学書ばかり読んで、まともに数学をしなかった気がするので、一々新鮮に感じられるのかもしれません。

誤植、ミスの多い大人向きの中学数学の問題集で関数に入るところだったので、チャート式ではそこに入るまでの部分を飛ばすつもりでした。中学数学を早く終えて、高校数学に入りたいという焦りがあって。が、少しやってみて、これは最初からしっかりやっておこうと思い直しました。

採点してみると、大人向きの問題集でも同じような問題をしたにも拘わらず、案外ミスってます~。チャート式のほうが出題傾向は徹底しています。高校受験にも対応できるだけの中学数学総仕上げ、及び実践力を養う問題集であるだけのことはあります。

まあ、やりかたがわかっているのにミスが出るのは、反復練習が足りないからですね。

ピタゴラスの定理(三平方の定理)はまだ出てきません。ピタゴラスを意識すると、どうしたって、神智学の本を開きたくなります。

ピタゴラスの定理などと一緒にピタゴラスの哲学も教わっていたら、確実に数学が好きになれただろうにと思います。

高校生くらいになれば、ピタゴラス哲学に関するブラヴァツキーの以下の解説などはある程度理解できるのではないでしょうか。

ピタゴラスの教えに対する鍵は、多様性のなかの単一性,多くのものに発展し多くのものに浸透している一なるもの,という一般的定式である。これは簡単に言えば,発出[流出] emanation という古代の教えである。[略]神秘的な〈10なるもの〉 Dekad, 1+2+3+4=10 は,この観念を表現する一つの方法である。〈1〉 は神,〈2〉 は物質。〈3〉 は, 〈1からなるもの〉 Monad  と 〈2からなるもの〉 Duad を結びつけて,両方の性質を分かち持つが,これは現象世界のことである。〈3からなるもの〉 Tetrad,つまり完全性の姿は,いっさいのものの空虚さを表わす。そして〈10からなるもの〉,つまりいっさいの総和は,秩序ある宇宙の全体を包摂している。宇宙は 1000 の要素の組み合わせでありながら,一つの精神[スピリット]の現れとなっている――混沌から思慮分別まで,秩序ある宇宙から理性までが,そこにはある。

H・P・ブラヴァツキー(ボリス・デ・ジルコフ編、老松克博訳)『ベールをとったイシス 第1巻 科学 上』(竜王文庫、2010、ベールの前でⅹⅹ)

創造の観念におけるこうした数列の組み合わせは、すべてインド的なものだとブラヴァツキーはいいます。

ピタゴラスの哲学に関しては、以下の本によくまとめられていますが、アマゾンで検索したところでは中古しか出ていないようです。

象徴哲学大系 2 (2)秘密の博物誌
マンリー P.ホール (著),‎ 大沼 忠弘 (翻訳)
出版社: 人文書院 (1981/01)

以下の本は幸い、新品が出ています。

ピタゴラス的生き方 (西洋古典叢書)
イアンブリコス (著),‎ 水地 宗明 (翻訳)
出版社: 京都大学学術出版会 (2011/6/13)

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2018年2月18日 (日)

やっぱりチャート式かな。2月14日に代謝内科受診。

大人向きに編集された中学数学の問題集をやってきましたが、相変わらず間違いが見つかったり、単元が進むと説明不足でわかりにくいところが目につき出したりで、娘が高校時代に使ったチャート式を開いて中学時代のまとめに目を通すことが多くなりました。

チャート式はさすがに、わかりやすい。

が、中学数学はとても大事なので、以下のチャート式を買うことにしました。娘に頼み、税込み712円でした。近くにK教室スタッフの求人が出なくても、この勉強はウォーミングアップとしても、他の面でも役に立つと思います。

チャート式基礎からの中学数学総仕上げ (チャート式・シリーズ)
数研出版編集部 (編さん)
出版社: 数研出版 (2012/10/1)

とにかく、間違い探しをしながら忘れてしまった中学数学の問題集をすることに疲れてしまいました。

でも、思わぬ発見ですが、数学を本当に楽しく感じます。数学の厳密さが、やはりわたしには神智学を連想させ、同じときめきを覚えるようになった次第です。

中学数学すらほとんど忘れてしまっていて、新しく覚えているような状況ですけれど、今何にアプローチしているのか、どんなことに応用できるかを考えられるのは大人になった今だからこそ、できているような気がします。

それにしても、数学で使う日本語(数学用語)って、かなり難解ですね。ほとんど丸暗記していたのではないかと思います。日本語としての意味を連想しすぎるから、文系にとって数学は難しく感じるのかもしれません。

高校数学の第一章「数と式」で、「単項式の次数とは,掛け合わされた文字の個数のことである。また,特定の文字に着目するときには,着目する文字以外の文字は,すべて数と考える」(山口清・小西岳著『改訂版 チャート式 基礎と演習 数学Ⅰ+A』数研出版、)とあり、文字を数と考えるなど、文系の頭には斬新な発想に思えます。

神智学では、数を文字(意味を持った言葉)と考えるピタビラス派の思想が出てきます。数は生きており、意味を持っているという考え方はバラ十字の会員だったバルザックの小説にも出てきます。

数学用語を日本語としての意味を持った言葉としてではなく、アイテム名、ツール名と考えればいいような気もします。数学に関する興味深いエピソードを紹介しているサイトも見つかりました。

住居問題は土日で休眠中(?)。この時期は仕事が多いのか、法人関係を主に扱っている不動産屋さんだからか、後回しになっているのかもしれません。

14日に日赤・代謝内科を受診しましたが、いつもと同じような検査結果でした。忘れなければ、別の記事にします。このところ、心臓の調子はとてもいいです。

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2018年2月13日 (火)

問題集に誤植、ミスは多いけれど…。IHクッキングヒーターで使えない調理器具。

過去記事で、大人向けに編集された中学数学の問題集に誤植、ミスがあったのでアマゾンへ行くと、解答ミス以外に、公式ミスや、問題文がおかしい場合もあると複数の人々が怒りのレビューをなさっていたと書きました。

公式ミスまであるのだろうかと思っていたら、昨日見つけました。乗法公式の一つが次のように書かれていたのです。

M1_2???

抜けているものがありますよね。正しい公式は次のようなものです。

Ma2

次のページで素因数分解に進みました。問題3は、「次の数にできるだけ小さい自然数をかけて、ある整数の2乗にしたい。どんな数をかければよいか」というもので、①28 ……以下④まで、数字が並んでいました。

答えを見ると、わたしの答えと一致しました。ところが、①の「略解」が次のように書かれているではありませんか。

M3???

略解の答えが変です。142を素因数分解すると、2×71です。28に7をかけて、14の2乗になるようにしたはずでは? 14×14=196ではないでしょうか。196は素因数分解すると、M8_3 になります。

②、③、④の略解も答えがどれも変でした。連続して、堂々と間違われると、困惑してしまいます。

今日は因数分解へと進みました。幸い、間違いは見つかっていません。

問題集を買い替えたいと思っていますが、間違いが多いとわかっていながら使っています。新しく買うのであれば、高校数学の問題集にしようかと。

高校数学も大人向けに編集された問題集がいいと思い(今使っている問題集は誤植、ミスが多いけれど、それさえなければわかりやすいし、よくまとめられているのです)、アマゾンで探しました。ただ、説明文でよさそうに思えるものも、レビューを見るとやはり誤植やミスがあるようです。少しぐらいは仕方がないのでしょうか。

ところで、この記事を書くためにワードの数式ツールを初めて使いました。ワードで書いた数式をここへコピペすることはできないので、スクリーンショットで撮り、必要な部分を切り取って保存し、画像として挿入しました。

ワードから直接ブログに投稿することもできるようですが、数式なんてめったに書かないし、設定が面倒なので。

萬子媛の小説のことが気になっています。義理の息子、断橋和尚が萬子媛没後に作った漢詩に関することで、専門家に尋ねてみたいことが出てきたのです。住居問題が片付かないと、落ち着かなくて、他の行動に移れません。

でも、今日は壊れた電気コンロの代わりになるIHクッキングヒーターが届き、ホッとしました。経年劣化による故障でしたが、部品がないため、取り替えになりました。ガスコンロは使えず、ここに合うものがそれしかないという選択の余地のなさでした。

二口電気コンロは壊れたのが片方だけだったからよかったものの、先月末から一つのコンロで料理するという不便さでした。底に磁石がくっつくものはIHクッキングヒーターで使えるということで、鍋、フライパンなど試したところ、くっつかないものが結構出てきていました。

ところが、今日試してみると、ほとんどが使えたので、よかったと思いました。使えないのは夫愛用のマキネッタ(IHクッキングヒーターで使えるマキネッタもあるようです)、玉子焼き器、魚の煮つけ専用にしていた平鍋です。

IHクッキングヒーターのグリルで魚が美味しく焼けるかどうか、これからお試しです。主要な住居問題に関しては、まだ片付いていません。

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2018年2月10日 (土)

アバ嬢もオリンピック気分。中学数学のお勉強。神智学。

平昌冬季五輪、始まりましたね。

わたしは特に、スノーボード男子ハーフパイプに平野歩夢選手が出るのを楽しみにしています。

冬季五輪に合わせて、うちのアバ嬢にもフィギュアなんぞさせてみたくなり、神経衰弱でフィギュアスケート衣装、フィギュアスケート靴、背景:スケート場を狙ってみました。

背景はなかなかとれませんが、なぜか衣装と靴はすんなりとれました。うちのアバ嬢がほしがっているときは、すぐにとれるようです。

アバ嬢の気持ちとしては、スケートはしてみたいけれど、競技なんかに出るのは嫌、ということでしょうか。

氷上シートを2枚とり、設置。おお、滑りに来ました。

空中で回転なんてのも、やっています。いやー凄い、平昌にやらなくてはと思うほどです。

回転中。

住居問題はまだ片付いていません。不動産屋さんがいうには、大家さんに連絡がつかないのだそうです。急ぐわけではありませんが、落ち着きません。連休明けに事態が動き出すと思います。

で、予定外の出費になりそうだということから、それが今後のことを考えるきっかけとなり、条件に合いそうな仕事があれば、応募してみたいという気持ちが芽生えました。

ただ、実際に出るとなると、家族の協力が必要で、そうでなければこの計画は破綻します。

過去に検査入院したときのことを思い出すと、皺寄せが全面的に娘に行くだろうとの想像がつきます。娘が、わたしが外へ出ることに積極的でないのはそのためです。

自身の健康問題さえなければ、それほど家族に迷惑をかけることなく、若い人に負けないくらいに頑張れる自信はあるのですが、一番基本的な健康問題……。

長続きさせるためには、家にいるときになるべく体を休めることが必要で、そうなると、家族の協力がどうしても必要となってきます。

ウォーキングにさえドクターストップの出る体で、どれくらい頑張れるでしょうか。疲れると、わたしは不整脈が起き始めるのですが、この場合は心臓のポンプ機能の低下が原因なので、よくなるまで安静にして過ごす必要があります。

無視して動き続けると、不整脈がひどくなり、そうなると、眩暈がして歩くことさえ難しくなることがあり、血液の固まり(血栓)ができやすくなります。これが怖い。万一脳へ飛んだらと思うと。

還暦過ぎると、清掃スタッフあたりが一番現実的な応募かもしれません。わたしはどのような仕事でも雇われれば精一杯やります。体がついていくかどうかです。

リスクを考えると、なるべく外へ出たくありませんが、最近乳酸菌で調子がいいので、近くでK…教室のスタッフ募集があれば行ってみるかもしれません。

過去記事で誤植の多い問題集のことを書きました。新しい問題集を買いに行っていないので、まだ同じ問題集をやっています。間違いが今日もみつかりましたよ。

でも、なぜか中学数学が楽しいです。高校数学ほど難しくないからかもしれませんが、情けないことに、もうほとんど忘れてしまっています。新しく覚えるという感じでしょうか。それが楽しいのかな。問題集を開くときに、ときめきを覚えるなんて、自分でもびっくりしてしまいます。

それはゲームのようでもあり、厳正な哲学理論に触れているようでもあります。実際に数学はそうだと思うのです。

神智学の本を開くときのときめきに似ているのも、そのためでしょう。わたしには難しすぎますが、ブラヴァツキーの論文には数学や物理に関することがよくでてきます。科学者の名前も沢山。

ブラヴァツキーの論文では、数字がピタゴラス、プラトン、新プラトン学派によって用いられたところの象徴言語として出てくるのが特殊なところです。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)では、『ジヤーンの書』から引用された象徴的な詩にそって、深遠な哲学が展開されます。

永遠の親(空間)は常に目に見えぬ彼女の衣に包まれ、七つの永遠の間、再び深い眠りに落ちていた」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.239)というスタンザに七つの永遠という言葉が出てきますが、その永遠を計算法する方法があるというのですから、初っ端からびっくりさせられます。

ただ、この七つの永遠というのは、長い時代を意味するにすぎないそうです。神智学では、永遠という言葉であれ、他の言葉であれ、ムードを出すために使われることはありません。

論文のテーマを超えたことに言及されることもありません。だからわたしは繰り返し、ブラヴァツキーの次の言葉を思い出すことにしています。「これから与えられるスタンザはすべて、一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけを扱っていることを読者は覚えておかなくてはならない。普遍的コスモスの進化についての秘密の教えは与えることはできない。それはこの時代の最高の叡智の持ち主にも理解できないからである。〔略〕従って、伝えられることは、“梵の夜”が終わったあとの我々の目に見えるコスモスについてだけである」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,プロエム(緒論)p.201)

このスタンザでいわれている七つの永遠とは「マンヴァンタラの七期の継続に相応する期間であり、総計311,040,000,000,000年となるブラフマーの100年で、マハーカルパ即ち大時代の間中に続いている。ブラフマーの1年はブラフマーの360日と同じ数の夜(チャンドラヤーナ即ち太陰年で計算すると)で構成されている。‟ブラフマーの一日”は人間の4,320,000,000年で構成されている」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)とか。

こうした‟永遠”は最も秘密な計算によるものだそうで、その計算では本当の総計を得るためには、7のX乗でなければならないそうです。

Xは主観的即ち本当の世界の周期の性質によって様々である。また、客観的、即ち真実でない世界での最大の周期から最小の周期に至る様々の異なる周期に関係があったり、その周期を表しているすべての数は必然的に7の倍数でなければならない。これについての鍵は与えられない。そこには秘教的な計算の神秘があるからで、普通の計算のためには何の意味もない。‟7”という数は神聖な秘儀で教えられる偉大な数である”とカバラはいう。10即ちピタゴラスのデカドはすべての人間的知識の数である。1,000は10の3乗であり、従って、7,000という数もまた象徴的な意味がある。シークレット・ドクトリンでは、4という数字と数は最高の抽象界でのみ男性のシンボルである。物質の世界では、3が男性で、4が女性である。象徴が物質界での生殖のシンボルとなった時、即ち象徴学の第四段階では、3と4は縦と横となる」(ブラヴァキー,田中&クラーク訳,1989,p.240)

神智学では、パラブラフマンといわれる抽象概念だけが唯一の絶対的実在だと教わります。あとはすべてマーヤー(幻影)というわけです。主観、客観という言葉は、このような基本認識から用いられる哲学用語としての主観、客観です。

神智学徒の中には七年ごとに節目があると考え、人生設計をしているかたもいらっしゃったような……。

家計の話からパートの話、中学数学の話から神智学へと話が逸れてしまいました。

中学数学の話に戻ると、当たり前のように出てくる自然数、整数、素数ですが、それらが何であるのか説明せよといわれると、返答に窮してしまいます。そのあたりから勉強しなければなりませんでした。

老化現象のせいか、計算ミスが多いのには驚きます。K…教室でバイトしていたころ、簡単な四則演算くらいは解答を見ずに、素早く、正確に採点するように求められましたが、訓練しないと、自信ないなあ。

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2018年2月 7日 (水)

Eテレ「しごとの基礎英語」に祐徳稲荷神社が登場

夜、娘がよく語学番組をつけっぱなしにしているので、わたしは娘とコーヒーを飲みながら、何となく国際色豊かなムード(?)の夜を送ることが多いです。

つけっぱなしにして、本人は本を読んだり、ゲームをしていたりします。イタリア語があるときは顔を上げて視聴していますけれど。

娘は昨年から受講していたイタリア語講座が一月に終わり、次の講座が始まるのを待っているところ。

あれは、2014年の秋でした。娘にイタリア語講座の見学に行くからついてこない? と誘われ、見学だけならと思い、行ってヒドイ目に、いや楽しい時間を過ごしました。そのときの過去記事です。

2014年9月23日 (火)
お気楽な見学のつもりが体験学習でした。追記あり。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2014/09/post-bdcf.html

娘が昨年から受講していたイタリア語講座は同じ初級だったそうですが、教室のある場所も講師も違い、2014年のときの女性講師のご主人が講師だったとか。おふたりともイタリア人!

話が逸れましたが、一昨日の夜も何となく語学番組を見ていると、Eテレ「しごとの基礎英語」に何と祐徳稲荷神社が出てきました。

北京五輪競泳メダリストの宮下純一が神社のスタッフに扮して、おもてなしの英語ミニドラマに挑戦していました。

今夜も祐徳稲荷神社が登場しそうなので、録画予約しました。萬子媛! 参拝したいけれど、案外遠いので、暖かくなってから出かけることになりそうです。それまでに、祐徳稲荷神社を創建した萬子媛をモデルとした小説の第二稿をいくらかでも進めておきたいものです。

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2018年2月 6日 (火)

誤植の多い問題集はボケ防止どころか、ボケを進行させそう

過去記事で、近くにK…教室のスタッフ募集がハローワークに出ていたら、年齢の点だけでもアウトの可能性が高いけれど、チャレンジしてみたいと思い、その準備として、夫がポリテク受験の前に使った大人向けに編集された中学数学の問題集をやってみることにしたと書きました。

ただ、夫がいうには、ポリテク受験にはそのような勉強は必要なかったそうです。

その問題集をあちこちやってみて、その中に挟まれている超難関高校の問題(入試問題ということでしょう)はさすがに難しい……とため息をついて、毎日4ページずつ最初からやってみることにしました。

といっても、最初の簡単なところは速く進めると思ったので、枚数無視で家事や小説の合間に時間がとれる範囲内でやることに。

ところが、すぐに行き詰まりました。全く、今日はこれで一日潰れましたよ。正直、ボケてしまったかと思いましたね。

単純な分数の計算だったので、解答だけパッと見て、次に進んだ問題があったのですが、すぐにその問題に舞い戻り、眼鏡をかけたり外したりして、その問題から解き方、解答に至るまでの全体を凝視している自分がいました。

なぜこの問題に戻ったかというと、その先のほうで、解き方も解答もわたしのそれらと食い違うものが出てきたので、もっと前のほうに同じような問題があったはずだと思い、戻ったわけでした。

すると、参考にしようと思ったこの問題の解き方で、数字の 1 が y になっている箇所があるではありませんか。y が出てくるのはその一箇所だけだったから誤植だとわかりやすかったものの……。

この単純な誤植は、次の式では正しい表記に戻っていました。しかし、 + と - を誤植したままで解き方を進め、解答に至っているものなどは頭を混乱させます。

おかしなところが他にも見つかったので、まさかこんなことがあるのだろうかと思い、アマゾンへ行ってみました。

すると、おすすめ度は極めて低かった! 良書と思えるものでもアマゾンの評価では低評価と悪質なレビューがついているものが珍しくないのですが、レビューはとても真面目でした。

低評価をつけた方々は、間違いの多さを指摘し、怒りのレビューを書いておられました。レビューによると、解答ミス以外に、公式ミスや、問題文がおかしい場合もあるとか。

公式まで間違っているなんて、とんでもない話ですが、何だ、そうだったのかと安心(?)しました。大人向けの商品であったのが、まだしも幸いでした。お金返して、といいたいです。

この件に関して、娘が「この解答おかしいね、ってパパと話したりしていたよ」といいました。そうだっけ。全然覚えていません。やっぱり危ないレベルでしょうか。

コンパスと定規が必要ですし、新しい問題集も必要です。まあ、投資して意味があるのかどうかはわかりませんが。娘が「そんなことやっていないで、早く萬子媛の小説完成させたら」といいました。

小説が乗ってくれば、そちらに集中することになりそうですが、それまでは数学もやりますよ。

この記事を書く前にブラヴァツキーの『シークレット・ドクトリン』を少し読んで、頭がすっきりしました。難解で、わからない箇所のほうが多いのですが、頭がおかしくなりそうになったことは一度もありません。ああそれにしても、恐ろしい問題集でした。

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2018年2月 5日 (月)

歴史短編1のために #34 鹿島鍋島家の御殿医

萬子媛をモデルとした小説のためのノートというよりは個人的な覚書なのだが、鹿島鍋島家に関する事柄が入っているので、ノートに加えることにした。

亡き母の友人で、現在は博多にお住いのキクヨさんから年に一、二度電話がある。

83歳の高齢で、ここ数年、腰痛やパーキンソン病による歩行の不自由などがあり、お体がつらそうだ。

キクヨさんは鹿島鍋島藩の御殿医の家系の人で、萬子媛をモデルとした小説の第一稿を「あなた、面白かったわよ! 三回読んじゃった」といってくださった貴重な読者だ。

2016年5月 9日 (月)
御殿医の子孫から聞いた萬子媛の歴史短編の感想
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/05/post-7a1a.html

小説をこのままでいいとは思っていないが、もしこれを大衆向きの歴史小説にしたら、キクヨさんも、キクヨさんと同じように作品を喜んでくれた人々も離れて行ってしまうに違いない。

「小説はどうなった?」と気がかりそうなお声。「第二稿に入るところです」といった。

自分の書いたこの小説を通し、わたしはキクヨさんと年齢を越えて――おこがましいかもしれないけれど――本当の友人になれた気がする。

まず、以前と比較して、ナイーヴそのもののお声が違う。それまではガードのようなもの、警戒心のようなものが感じられた。わたしという人間の正体がもう一つわからず、気が許せないという風に感じられていた。

ところが、下書きに近い代物であるにも拘わらず、第一稿の小説を内容的に受け容れ、共感を寄せてくださったことを感じ、神秘主義的な表現をも快く捉えてくださったことがわかった。その一点といっていいかもしれない。わたしが他人との絆を感じられるのは。

職業作家にはなれなくとも、創作を続けてきてよかった。本当に。

わたしはキクヨさんが我が家に手製のプリンや抜群に美味しい煮物を持って遊びに来られていたころから、キクヨさんと友人になりたいと思っていた。キクヨさんは勿論、母を訪ねて見えていたのだった。

キクヨさんは父親を亡くしたあと、母親に仕え、親戚のために心を砕き、長く独身だった。中年になってから、博多にお住いの大学教授のところへお嫁に行かれた。

数年後にご主人が亡くなり、しばらくはひとり暮らしを続けて血のつながらない孫の面倒を楽しそうに見たりなさっていたが、やがて身辺を整理してホームに入られた。

見かけは普通のおばさんだったが、わたしはキクヨさんの秘められた知性に、子供のころから敏感に気づいていた。人知れず冷たく光っている宝石のような孤独や、持って生まれた類まれな純粋さにも気づいていた。

でも、わたしはキクヨさんの堅いガードを解けず、友人にはしていただけなかった。ずっと、そうだった。馬鹿なことをしてはよく注意され、プライドに障ることをいってしまってはしっぺ返しを食らうことなどあって、わたしには手強い人だった。それでも、キクヨさんが大好きだった。だから、母が亡くなった後も連絡を取り続けた。

昨年、わたしは中学時代からの友人2人と別れた。友人として純粋に愛されているとは思えないところが決定的になったからだった。その代わりに、古くから知ってはいたが、友人とはいえなかった人と友人になれたのだった。

萬子媛は長生きされたが、お子さんがたを亡くしたあとで病気になられたようだ。上のお子さんを看取り(下のお子さんは鍋島光茂公に仕えて佐賀に住んでいた21歳のときに亡くなり、急死だった)、萬子媛を診察し治療したのはキクヨさんの御先祖様だったに違いない。

「トンさん(殿様)」と呼ばれた鍋島直紹公が健在だったころのお話だったと思うが、そのころまでは鹿島鍋島家の集まりが催されていて、御殿医の子孫のやはり医師だったキクヨさんの叔父様が紋付羽織袴で出席なさっていたという。

昨年、祐徳博物館に、佐賀錦のお守り袋を寄贈したとおっしゃった。「あまりに綺麗なので」とキクヨさん。直紹公の御祖母様のものだった、とおっしゃったかな。あまりに長電話で、鹿島鍋島家の話がいろいろと出てきたものだから、わからなくなってしまった。祐徳博物館に行ったときに拝見しよう。

鹿島鍋島家の菩提寺である普明寺を見学した話をキクヨさんにすると、わたしには荒れ果てているように見えたけれど、奉仕活動で定期的に清掃されているそうだ。キクヨさんの叔父様は年に二回は必ずお墓参りに普明寺に出かけられたという。普明寺にあるのは、キクヨさんの御先祖様が代々治療を施し、看取った方々のお墓だ。

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2018年2月 3日 (土)

ド・モルガンの法則

先月末に発生した住居問題が片付かず、相変わらず落ち着かない日々を送っている。

何にしてもお金がかかることは間違いなく、そのことだけでなく、今後のことを、あれこれ想定して対策を立ててみた。

そうすると、夫に関していえば、どうしても後継ぎ問題が出てくる。義妹夫婦に引っ掻き回された夫の実家であるが、やはり後継ぎは自分であり、息子だと何と夫が泣いた!

ちょっとね、泣くくらいなら、今すぐどうにだって出来る問題でしょ、自分で。と思ったが、これまでの経緯を考えれば、ナーバスになる夫の気持ちはよくわかる。これが一国の問題だったとしたら、と空想を膨らませてみる。

いずれ夫の実家に帰るにせよ、そうでないにせよ、ひとり残された場合を考えると、65歳からの場合、自分の老齢基礎年金と遺族厚生年金で、思ったよりはまとまった金額になる。

が、それだけでやっていけるとは思えない。

とりあえずは、パートに出られたらと思ったが、家事をあまりおろそかにはできず、自身の年齢、体力を考えると、厳しい。

ハローワークの情報に接してみると、夫が定年退職、再就職をしたときに比べると(民主党政権下で最悪だった)、求人の数は増えている。

わたしでもやれそうな仕事は販売員、清掃作業員、調理スタッフなどであるが、どれも体力が要りそうだ。

販売員はデパートの出張所、スーパーマーケット、調理関係は臨時で料亭の弁当の盛り付けをしたことがある。この中で全く未経験なのは清掃作業員なのだが、妹の知り合いに清掃作業員をしている人がいて、広いフロアを一人で任され、大変なのだそうだ。

ひとり残された場合は選択の余地なく跳び込むしかないだろうが、今こうした仕事につくと、おそらくまともに家事ができなくなり、夫と娘の仕事にも影響が出てしまう。

ふと、K…教室というのが目に入った。残念ながら遠くて、ここは無理だが、K…教室なら、ピンポイントで経験があるし、おお「経験者 歓迎します」とあるではないか。

検索してみると、この街にK…教室は結構ある。通える範囲内に、求人が出ることがあるかもしれない。

ただ、年齢の点だけで弾かれる可能性は高い。

「保育士資格をお持ちの方も歓迎」とあるように、保護者にくっついてくる幼児の相手などもあるはずだが、その幼児の祖母のような年齢のスタッフというのはアウトだろうか。

加えて、若かったころと比べれば頭の働きは鈍っているし、ペーパードライバーになってしまっている。ただマイカー通勤可、駐車場は個人確保とあるところから見ると、この教室では運転免許必須ではないということだ。

わたしが働いていた教室では、他に二つの教室があって、離れた地区にあるそれら別の教室へ行くことがあり、先生の送り迎えや休んだ生徒の家に宿題を届けに行くなど、運転免許は必要だった。

学習時間14:00~20:00。生徒がくる前に掃除があるので、その前に行き、生徒が帰ったあとにも採点をして帰りが21時ごろになることも珍しくなかった。もしそうだとすると、夕食の支度に障るのが困る。

面接に加えて電卓持ち込み不可の筆記試験があるとなると、もうだめ、と思うが、通える範囲内に求人が出れば、落ちるのを覚悟で行ってみる……かもしれない。

とりあえずは、頭の体操をと思い、娘の高校時代の数学のチャート式参考書を探し出した。数学1+A。ぱらぱらとめくる。集合――ド・モルガンの法則。

へっ? モルガン財閥のモルガンなら知っている。ド・モルガンの法則なんて、記憶にないなあ。

フランス人?

オーガスタス・ド・モルガン(Augustus de Morgan, 1806年6月27日 - 1871年3月18日)は、インド生まれのイギリスの数学者。 ド・モルガンの法則を発案した。(ウィキペディアの執筆者. “オーガスタス・ド・モルガン”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-25. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%B3&oldid=61282337, (参照 2016-09-25). )

イギリスの数学者ド・モルガンが発案したこの法則は大層有名な法則で、コンピュータ科学に欠かせない重要な法則であるらしい。

別に難しいことをいっているわけではなかった。

ド・モルガンの法則では、条件AとBがあるとき、NOTを否定、ANDを論理積、ORを論理和とすると、次のような関係式が成立するとしている。

NOT (A AND B) = NOT(A) OR NOT(B)、NOT (A OR B) = NOT(A) AND NOT(B)

記憶した。でも、これを問題を解くのに使うとなると、至難の技だろう。こんなお馬鹿さらけ出すと、一発でアウトかしらね、ほほほ……。

高校生のチャート式はぼちぼちやることにして、まずは中学数学だ。夫が定年退職後にポリテクに行ったとき、試験までに期間があって、勉強した問題集があったはず(ポリテク受験にはこのような勉強は必要なかったとのことだが)。

その問題集があったので、ボケ防止に一緒にやろうと誘いかけたが、断られた。

孤独に問題を解き出し、しばらくして躓いた。もうすっかり忘れてしまっている。夫はこれを2ヶ月かけて解き終えたといった。「おまえも一緒にやったじゃないか」と夫。そうだっけ?

これをやり終えたころに、近くのK…教室がスタッフ募集してくれたらいいなあ。年齢はごまかしようがないけれど、若作りしていかなければ。

萬子媛の小説を書く合間に数学(いや算数から)の勉強で忙しくなる。同時に、国語はやはり夫がポリテク前に使った「中学校学習漢字939字漢字童話」というのをざっと勉強して、あとは文法だな。中学英語もやらなければ。

萬子媛の小説に関していえば……いや、これは記事を改めよう。

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2018年2月 2日 (金)

『卑弥呼…』『気まぐれに…』『村上春樹と近年の…』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

昨年の10月5日で、ご報告がとまっていました。まとめてご報告します。

前回に続いてアメリカのキンドルストアで『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)を昨年の11月19日ごろ、お買い上げいただきました。ありがどうございます! 7冊目のお買い上げでした。

日本のキンドルストアで『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を昨年の12月20日ごろ、お買い上げいただきました。ありがとうございます! 17冊目のお買い上げでした。

ブラジルのキンドルストアで昨年の11月29日ごろ、アメリカのキンドルストアで昨年の12日13日、今年の1月20日、1月28日ごろ、評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただきました。ありがとうございます! 

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、76冊お買い上げいただいたことになります。

  • ブラジル……1冊
  • カナダ……1冊
  • 日本……34冊
  • アメリカ……31冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

以下はアマゾン・キンドルストアの著者ページです。わたしの電子著書一覧を御覧いただけます。

Amazon.co.jp: 直塚万季: 作品一覧、著書略歴
https://www.amazon.co.jp/-/e/B00BERQ7P0

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