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2017年10月の20件の記事

2017年10月30日 (月)

ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)』を読んで

当記事は、アマゾンの拙レビューに加筆したものです。

レビューを書いた時点では品切れでした(新古品、中古品は表示されていました)。

H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベザント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』
文芸社 (2016/8/1)
ISBN-10: 4286172430
ISBN-13: 978-4286172439

ブラヴァツキーの二大大著は『シークレット・ドクトリン』と、その前に書かれた『Isis Unveild』です。

ブラヴァツキーが生まれたのは1831年、すなわち日本では江戸時代の天保年間で、亡くなったのは1891年、明治24年です。どちらもそんな昔に書かれたとはとても思えない内容です。

『シークレット・ドクトリン』の原典第一巻の前半に当たる部分が宇宙パブリッシングから『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論《上》』というタイトルで出ています。
第二巻が人類発生論。
第三巻の前半部分が、この加藤大典氏の翻訳による『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) ――科学、宗教、哲学の統合―― 』で、未完に終わっていたものがアニー・ベサントの編集で世に出た貴重なものですね。アニー・ベサントは神智学協会第二代会長を務めました。

『Isis Unveild』の前半に当たる部分の邦訳版が『ベールをとったイシス〈第1巻〉科学〉』上下巻で竜王文庫から出ていますが、わたしはこの『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』を読みながら、『ベールをとったイシス』の続きを読んでいるような気がしました。

アカデミックの世界ではグノーシス主義の定義すら曖昧でしたが、死海文書やナグ・ハマディ文書の発見により、グノーシス主義の輪郭や初期キリスト教に関することが次第に明らかになってきています。
『シークレット・ドクトリン』より前に書かれた『ベールをとったイシス』には、それらに関する多くの記述があります。またアリストテレスはプラトンの教えをどう間違って伝えかを的確に指摘していますし、プラトン哲学の核となったピタゴラス哲学に内在するインド的(バラモン教的)概念の抽出を行っています。古代イスラエル人は何者だったのか。国家集団の中で最古のものだったインドとエジプトはなぜ似ているのか。アトランティスに関する記述も、そうした考察と関連する中で出てきます。

この『シークレット・ドクトリン 第三巻(上) 』では、プラトンの著作、新旧両聖書、エノク書、ヘルメス文書、カバラ文書などが採り上げられており、ブラヴァツキーは様々な推論や学説を紹介しながら、世界の諸聖典の中にある秘教的寓意と象徴に隠された意味を明らかにしていきます。

ちなみにブラヴァツキーがインドという場合には太古の時代のそれを指すそうで、上インド、下インド、西インドがあって、ブラヴァツキーが『ベールをとったイシス』を執筆した当時にペルシア - イラン、チベット、モンゴル、大タルタリーと呼ばれていた国々も含まれるそうです。

ウィキペディア「タタール」に、「モンゴル高原や北アジアは、19世紀まで西ヨーロッパの人々によってタルタリーと呼ばれており、その地の住民であるモンゴル系、テュルク系の遊牧民たちはタルタル人、タルタリー人と呼ばれつづけていた」とあります。

また、『シークレット・ドクトリン』の宇宙発生論では、「一太陽プララヤ後の地球惑星体系とそのまわりの目に見えるものの(宇宙)発生論だけが扱われている」(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)とありますので、『第三巻(上)』を読む場合にも、このことに留意しておくべきでしょう。

『シークレット・ドクトリン 第三巻(下) 』の上梓も心待ちにしています。

これ以前に、加藤氏の翻訳によるブラヴァツキーの『インド幻想紀行』を読みました。とても面白い本でした。『シークレット・ドクトリン』は副題に科学・宗教・哲学の統合とあるように、学術的で、難解なところのある論文ですから、読み進めるには当然ながらその方面の教養が要求されますが、『インド幻想紀行』は一般の人にも読みやすい本ではないかと思いました。

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少しイメージチェンジ(アバター&インターポット)

ようやく自分が自分に課した宿題を一つだけ片づけました。ブラヴァツキーの著作のレビューです。次の記事にアップします。

その宿題に時間をとられたので(でもブラヴァツキーの本を読むのは、難解でも楽しい)、キラポチを今日中にできるかどうか。

アバターのドレス、ティアラ、帽子、魔法の杖を神経衰弱でゲットしたので、うちのアバ嬢のお着替えをしました。

神経衰弱は始めた当初のお試でしただけだったのですが、一度めくったカードは透かして見えると知り、それならわたしにもできると思い、チャレンジしたのでした。

暴走ネコがよく出てきて、ゲットできないことのほうが多いのですが。ましてや望むものをゲットするとなると、わたしには至難の技です。

マダムN

今日、うちのアバ嬢はアバタースタッフさんのお庭に遊びに行きました。

魔法の杖を持っていかせたら、それをしきりに使って、黄色やピンクの光を出していました。お庭で知り合ったアバターたちに、杖のことを教えていたようですよ(そう見えるのです)。

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2017年10月26日 (木)

コイコイハロウィンパレード 魔女、ゲット! 宿題溜まってます。

コイコイハロウィンパレード 魔女をゲットしました!

わかりづらいと思いますが、魔女は向かって左端に位置しています。

最近ゲットしたのは他に、コイコイハロウィンがーがーちゃん(3個で完成)、、ハロウィン遊園地ラジオなどです。この画像でアバ嬢は、ガラスの靴の滑り台を滑っているところです。

箒に乗った魔女が子ヤギ、メガがーがーちゃんとパレードするところを見るたびに、「あ、カタリ派の末裔が通る……」と思います。

なぜそう思うかは、以下のカテゴリーを参照していただくと、わかります。まあ興味があるかたは。

宿題が溜まっています。萬子媛のノートを整理し、⑤として神秘主義的エッセーブログに入れておきたいと思っています。

紹介したいレシピもあり、息子のヨーロッパ土産のお菓子の写真もまだアップしていませんでした。

話は神秘主義の話題に変わりますが、H・P・ブラヴァツキー(アニー・ベサント編、加藤大典訳)『シークレット・ドクトリン 第三巻(上)――科学・宗教・哲学の統合――』(文芸社、2016)は、未完のまま終わった『シークレット・ドクトリン』をアニー・ベサントが再編し刊行したものだそうです。

まさに幻の第三巻で、その上巻に出合えた喜びには大きなものがありました。第三巻(下)の上梓も心待ちにしているところです。

ブラヴァツキーの著作はひじょうに高度で難解、そしてとても格調高いので、翻訳してくださっている方々のご苦労を思うと……その上、古代文字や数式、図式などが含まれており、印刷しにくいものがあります。これを上梓するとなると、本当に大変だろうと思います。

『シークレット・ドクトリン』第一巻を、わたしはH・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1989)で読みました。

第二巻の人類発生論の翻訳が、竜王会と神智学協会ニッポン・ロッジ双方の機関誌で連載されており、11月ごろに竜王文庫から人類発生論の上巻が上梓される予定だとのことで、楽しみにしています。

で、その本はまだ出ていないかアマゾンに確認に行ったところ、前掲既刊のシークレット・ドクトリン第三巻(上)にひどいレビューが書かれていました。

その人はブラヴァツキーの諸著に悪質なレビューをして回っているようです。アマゾン宛に、悪質なレビューをした人に対して警告を行っていただけないか、メールしました。

現時点ではまだ、それに対して善処されてはいませんので、とりあえずシークレット・ドクトリン第三巻(上)にわたしもレビューを書こうと思い、再読していたら、夢中になってしまい、家事の合間に耽読していました。

耽読できる部分があちこちに出てきたということは、それだけわたしの理解が進んだということだろうと考えています。

ただ、再読といっても難解なので、ざっと目を通してあちこちわかる部分から読んでいるといった状況です。

内容が高度なので、ちゃんとしたレビューを書くにも難しく感じますが、あのひどいレビューだけしかついていないのはあんまりだと思うので、書いておきたいのです。

宿題が片付くころには、新しい宿題がいくつも出てきているはずです。

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2017年10月24日 (火)

杉田水脈氏、鬼木誠氏の当選を祝う(第48回衆院選)

いつもながらの亀記事ですが、第48回衆院選で当選を確認して特に嬉しかったのは杉田水脈氏です。

以下は杉田氏に関する過去記事です。

前回、第47回衆議選で落選してしまわれたときは残念に思いました。議員でなかった期間も、本当に頑張っていらっしゃったという印象です。

  • 産経ニュース【杉田水脈のなでしこリポート まとめ読み】
    http://www.sankei.com/premium/news/160710/prm1607100002-n1.html

今回、第48回衆院選では自民党から出馬し、見事当選。胸が熱くなりました。今後も、日本の汚名をそそぐための、国際的な一層のご活躍を期待しています!

福岡2区から出馬、当選された鬼木誠氏については、よく閲覧させていただいている小坪しんや氏のブログで知りました。

  • 行橋市議会議員 小坪しんやのブログ
    https://samurai20.jp/

メディアの偏向報道には驚かされてきましたが、それに関する予算委員会第二分科会での鬼木議員の質疑を収録した動画をYouTubeで見つけました。的確な内容の質疑だと思いました。

以下に貼りつけさせていただきますが、これは3年も前のものです。今はこのときよりひどくなっているのではないでしょうか。

わたしはよく国会中継を視聴するので、テレビ番組などできちんとした説明もなしに、国会の録画の中からある部分だけが切り取られ、ひどい印象操作に使われることが常態化していることに怒りを覚え、絶望的なものをすら覚えていました。

このことと、電波オークションが政府において検討されていることとは無関係ではないでしょう。

https://youtu.be/KHOXYOERkME

部分的に書き起こししてみました。間違っていたら、すみません。

平成26年2月26日予算委員会、第二分科会での自民党の鬼木誠議員の質疑より。

「(略)憲法や法律上言論の自由ということはわかりますが、しかしその自由が他者の権利を侵害しているという事実にも目を向けていただきたいと思います。

憲法改正以前に、これは自民党が自由に対する責任、権利に対する義務というものをですね、整備して議論する必要があると思っております。

人を叩いて叩いて、叩き潰すまで、首を獲るまで叩くのがメディアの暴力であります。繰り返し繰り返し悪意ある映像を流し、その当事者を憎悪の対象とし、社会的に抹殺する、悪意ある報道によって多くの法人、個人が死に追い込まれてきました。

嘘をつく自由、悪口をいう自由、首を獲るまで叩く自由、日本の表現の自由とは何でもありなのか。いい返す力のない人を一方的に叩きまくるのは、大人のいじめではないでしょうか。ほとんどの人はメディアに対していい返す力を持っていません。

電波の利用権とはそれほど大きな力、権力なんです。

公務員が悪い、公共事業が悪い、一方的な正義の名の下に悪者を設定することで、大衆の不満を煽り、その悪者を叩きまくるショーを見せることで、怒れる大衆の溜飲を下げるマッチポンプが行われてきました。

この大人のいじめを子供が見ています。

人が人を叩き殺し、人が人を許せない、そんな社会をつくっています。こんな状況で、日本からいじめがなくなるはずがありません。こんなメディアの姿勢こそが時代の閉塞感の一因ともなっているとわたしは考えます。

メディアが人を叩くのはどこまで自由なのか、それによって命を絶たれた人がいてもその責めは負わないのか。メディアによる言葉の暴力、映像の暴力、それを規制することについて、大臣は如何お考えになるでしょうか。

……

ほんとうにその情報における民主主義における根幹的な議論になってきているとは思いますが、やっぱり世の中には一日中テレビをつけてそこでしか情報を得ていない人達が鵜呑みにしてしまうと、それが公共の電波であるということに問題意識を持っております。
(略)

今インターネットが現れまして、本当の情報、メディアが伝えない真実がどんどん明るみに出てきているから、だから国民がテレビおかしいよね、ということに気づき出した。まさに国民自身が情報を取捨選択できる時代に確かになりつつあります。

ただ皆が本当に情報、リテラシーを手にすることができるときまでこの状況が続くかと思うと、わたしは憤懣やるかたないわけでございます。
(略)

1966年、国際連合総会にて採択された「市民及び政治的権利に関する国際規約」第19条では、干渉されることなく、意見を持つ権利、表現の自由というものが権利として規定されております。

しかし、その国連で採択された規約においては、表現の自由第二項、その行使は特別の義務と責任を持ってなされなくてはならず、他の者の権利、国の安全、公衆の健康や道徳の保護の目的のため、一定の制限を課すことができるということが明記されております。

日本もこの憲法のくびきに囚われず、メディア、電波を使うものに対する特別の義務と責任を課すること、そして一定の制限を課すること、これには挑戦する価値があるのではないかとわたしは考えております。

現憲法を改正するという議論が行われておりますが、占領軍がつくった、占領憲法だから変えなくてはいけないという議論を離れてですね、現行憲法の運用は今の日本人、わたしたち自身の問題であるという意識を持つべきだと思います。

自由には責任が伴う、権利には義務が伴う、そのことを日本人自身が今整理しなければならないと考えます。行き過ぎた自由、他者の権利を侵害している自由については一定の制限があってしかるべきであるということ、そしてまたこの論点については大いに議論がなされるべきであることを主張いたしまして、わたくしの質問を終わります。

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2017年10月22日 (日)

「歴史短編1のために #31」に追加(メモ)。インターポット・アバター。

ノート31に加筆すべきだが、選挙に行き、そのまま家族で出かけるため、今日は時間がとれそうにない。追加したいことをざっとメモしておこう。

息子が送ってきてくれたお菓子の写真もアップしたい(ドイツのベルリンに出張だったのだが、お菓子はフィンランド空港で買ったとのこと。フィンランド航空を利用したため、フィンランドで乗り継ぎがあったとか)

今日はインターポットのキラポチできないかも。間に合わせたいのだけれど……何だかキラポチが家事の一つみたいになってしまった。小説をアップしておられるかたがあったり(リンクからブログにお邪魔して拝読している)、面白いつぶやきに出合ったりもし、勿論日々変化する庭や部屋を鑑賞することも結構楽しいのだ。

以下、メモ。

井上敏幸・中尾友香梨『文人大名鍋島直條の詩箋巻』(佐賀大学地域歴史文化センター、2014)によると、梅嶺、鳳岡、竹洞は直條にとって、黄檗禅、漢文学、漢詩文の師であったらしい。また次のように書かれている。

「直條の十五歳という年は、鹿島藩第四代藩主となることが決定し、人生の方向が定められた年であったと同時に、和歌・漢詩文・禅の道に邁進する文人大名の出発点であったことが確認できるのである。」

この引用はオンライン論文からだが、前に本を図書館から借りた。再度借りて熟読したい。

前掲書によると、兄格峰も、弟直條も度々大病にかかったという。弟以上に病弱だった兄は直朝の後継者(鹿島藩主)とはならず弟に譲り、自身は黄檗禅にあこがれ、仏道へ身を投ずることとなった。

直朝の息子たちは和歌・漢詩文・禅を好んだが、そこには萬子媛の大きな影響があったのではないかと思われる。そのこころざしは如何にも純粋であり、そのような清浄、自由な学術的雰囲気が萬子媛によって醸成されていたものと見ることができよう。

萬子媛がおなかを痛めた2人の子供はいずれも病死。義理の子供たちも病弱だったとあって、萬子媛は大変だっただろう。

高齢出産や長命だったことからして、萬子媛のほうは生涯を通じて強壮な人だったのかと思っていたのだが、『祐徳開山瑞顔大師行業記』の記述によると、萬子媛自身も出家するまでは病弱だったようだ。特に子供たちを亡くしたあとの病気。『祐徳開山瑞顔大師行業記』から引用しておきたい。

後鳥羽院歌壇で活躍した3人の女性歌人――式子内親王、宮内卿、俊成卿女についてもう少し本から引用し、加筆しておきたい。

夭折歌人・宮内卿の透明感のある明晰な歌を読んでいると、わたしが詩人と呼んでいた亡くなった女友達の詩を連想する。

健保元年二月七日、四十三歳の俊成卿女は、出家して天王寺に参籠[さんろう]した(『明月記』)。けれどもこれは遁世の出家ではなく、夫通具への別れと独立の宣言であった(森本元子)。中世においては、夫存命中の妻の自由出家は婚姻の解消を意味し、出家によって世俗女性を縛る制約から放たれ、自由な立場を手に入れた。俊成卿女の出家はまさにこれにあたるものであろう。(田渕,2014,p202)

この文章の引用のあと、「萬子媛の場合も、夫存命中の出家であった。息子の急死がきっかけだったのだろうが、俊成卿女の出家のような意味合いも含まれていたのかもしれない」とわたしは書いたが、萬子媛の入った祐徳院が鹿島藩主・直條の経済的援助に頼っていたことは間違いない。

しかし、出家によって、どうやら重荷だったらしい親戚づき合い(『祐徳開山…』から引用)からは解放されただろうし、精神的な自由を手に入れて、自分の望む生きかたができたことには大きな意義があっただろう。

とはいえ、死後も大衆に仕えるという千手観音さまのような、わたしのような凡人にはとても考えられない険しい道を選択なさったわけだ……

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2017年10月21日 (土)

歴史短編1のために #31 扇面和歌を通して考察したこと

何度も同じことを書くようだが、初めて当ブログにお見えになるかたもいらっしゃるので、萬子媛をご存じない方にためにざっと書いておくと……

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萬子媛は佐賀県鹿島市にある祐徳稲荷神社の創建者として知られている。

祐徳稲荷神社の寺としての前身は祐徳院であった。明治政府によって明治元年(1868)に神仏分離令が出されるまで、神社と寺院は共存共栄していたのだった。祐徳院は黄檗宗の禅寺で、萬子媛が主宰した尼十数輩を領する尼寺であった。

萬子媛は、公卿で前左大臣・花山院定好を父、公卿で前関白・鷹司信尚の娘を母とし、1625年誕生。2歳のとき、母方の祖母である後陽成天皇第三皇女・清子内親王の養女となった。

1662年、37歳で佐賀藩の支藩である肥前鹿島藩の第三代藩主・鍋島直朝と結婚。直朝は再婚で41歳、最初の妻・彦千代は1660年に没している。

1664年に文丸(あるいは文麿)を、1667年に藤五郎(式部朝清)を出産した。1673年、文丸(文麿)、10歳で没。

1687年、式部朝清、21歳で没。朝清の突然の死に慟哭した萬子媛は剃髪し尼となって祐徳院に入った。このとき、62歳。1705年閏4月10日、80歳で没。断食入定による死であった。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

神社外苑にある祐徳博物館には、萬子媛遺愛の品々を展示したコーナーがある。初めてそこを訪れたとき、わたしにとって最も印象深かったものは、萬子媛の遺墨、扇面和歌だった。

金箔を張った扇面の馥郁と紅梅が描かれた扇面に、新古今和歌集からとった皇太后宮大夫俊成女(俊成卿女[しゅんぜいきょうじょ])の歌が揮毫されている。

実家である花山院家の家業は四箇の大事(節会・官奏・叙位・除目)・笙・筆道だから、萬子媛が達筆なのも当然といえば当然というべきか。

元禄9(1696)年――出家後の71歳のころ――に揮毫されたものだ。揮毫されたのは、俊成卿女の次の歌である。

梅の花あかぬ色香も昔にて同じ形見の春の夜の月

俊成卿女は藤原定家の姪だった。

田渕句美子『異端の皇女と女房歌人 式子内親王たちの新古今和歌集(角川選書536)』(KADOKAWA、2014)によると、平安末期から鴨倉初期に歌壇を先導した歌人が藤原俊成で、定家はその子、俊成卿女は孫娘に当たる。

俊成卿女は父の政治的不運により、祖父母に引きとられ、俊成夫妻の膝下[しっか]で定家らと共に育てられたという。しかし、定家と俊成卿女の間には確執が生じたようだ。前掲書に詳しく書かれている。

平安末期から鎌倉初期にかけて在位(1183 - 1198)した第82代後鳥羽天皇(1180生 - 1239崩御)は、院政時代に後鳥羽院歌壇を形成した。

その後鳥羽院の招きに応じ、活躍した女性歌人が、式子内親王[しきしないしんのう]、宮内卿[くないきょう]、俊成卿女だった。

それぞれに際立った個性があり、わたしは三人共好きだ。特に進取の気性に富んだ式子内親王の生きかたや歌には心惹かれる。

『異端の皇女と女房歌人』によると、式子には、禁忌を気にせず、加持祈祷を信じない一面があったらしい。式子は晩年三度も呪詛や託宣の事件に巻き込まれたというから、周辺のそうした傾向にうんざりしていたのかもしれない。

『新古今集』の歌は技巧的だというふうに、国語の授業でだか古文の授業でだか習った覚えがあった。だが、その意味をわたしはあまりわかっていなかったようだ。授業では、そこまで詳しくは習わなかった気もする。

前掲書『異端の皇女と女房歌人』によれば、作者自身の体験や感情を核とした平安時代までの和歌とは異なり、院政期からは宮廷和歌において、題詠歌が主流をなしたのだそうだ。

題詠とは、あらかじめ設定された題によって和歌を詠むことであり、題がそれぞれもっている本意(詠むべき主題)をふまえて、本意によって表現史的に様式化された美的観念を、虚構を土台に詠歌することである。(略)歌の作者は、いわばその詠歌主体の人物になりかわって、歌を詠む。物語の作者が、物語中の人物になりかわって歌を詠むことと、ある意味で似ている。(田渕,2014,pp.59-60)

それにしても、授業でも習った『新古今集』の中の式子の「玉の緒よ絶えなば絶えね長らへば忍ぶることの弱りもぞする」という情熱的な歌が、「男歌=男性が詠歌主体の歌」だと論証されていると知って、驚いた。いわば、男装して詠まれた歌だという。

式子の恋歌には男歌が多いらしい。勿論、女歌もあるから、鑑賞する場合は二重、三重に注意が必要になる。

『異端の皇女と女房歌人』に、俊成卿女について興味深いことが書かれていた。

健保元年二月七日、四十三歳の俊成卿女は、出家して天王寺に参籠[さんろう]した(『明月記』)。けれどもこれは遁世の出家ではなく、夫通具への別れと独立の宣言であった(森本元子)。中世においては、夫存命中の妻の自由出家は婚姻の解消を意味し、出家によって世俗女性を縛る制約から放たれ、自由な立場を手に入れた。俊成卿女の出家はまさにこれにあたるものであろう。(田渕,2014,p202)

萬子媛の場合も、夫存命中の出家であった。息子の急死がきっかけだったのだろうが、俊成卿女の出家のような意味合いも含まれていたのかもしれない。いずれにせよ、萬子媛は俊成卿女の歌を愛したようだ。

また、俊成卿女は『源氏物語』の注釈・研究を行ったという。断片的に残っているその内容からすると、それは「非常に学術的・考証的な内容」であり、女房歌人というよりも古典学者のような相貌[そうぼう]を見せている」(田渕,2014,p216)

萬子媛も才媛であり、鍋島藩において、その影響には大きなものがあった。

俊成卿女は80余歳で没したとされる。萬子媛は80歳で、国の安泰を祈願して断食入定した。

定家も俊成卿女も藤原北家の人で、花山院家は藤原北家だから、萬子媛にとっては『新古今集』という存在そのものが望郷の念を誘うものだったのかもしれない。

そういえば、『源氏物語』を著した紫式部も藤原北家(傍流)の人だった。

ウィキペディア「藤原北家」
右大臣藤原不比等の次男藤原房前を祖とする家系。藤原四家の一つ。

ウィキペディアの執筆者. “藤原北家”. ウィキペディア日本語版. 2017-09-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%8C%97%E5%AE%B6&oldid=65515383, (参照 2017-09-15).

萬子媛の扇面和歌が出家後に揮毫されたものであることから考えると、僧侶としての生活の一端も見えてくる気がする。

修行生活は、芸術(文芸)などを通して培われる類の情緒的豊かさを犠牲にする性質のものではなかったということだ。

一方では、萬子媛の亡くなりかたや『祐徳開山瑞顔大師行業記』の中の記述から考えると、萬子媛の修行には男性を凌駕するほどの厳しい一面があったはずだ。

その二つがどのように共存していたのだろうか。いえることは、だからこそ、わたしの神秘主義的感性が捉える萬子媛は今なお魅力的なかただということである。

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ミオコールスプレー使用期限切れ ^_^;

次の受診日まで、発作なしでいけるかと思ったら、使ってしまった。

20171021ni_2

温度差に反応して冠攣縮性狭心症の発作が出やすいわたしは、このところの温度の変化で胸の圧迫感が出やすかったが、頓服の舌下錠ニトロペンを使うほどでもなかったので、様子見していた。

息切れや心臓を重たく感じる症状、浮腫などは心臓弁膜症の症状だったのかもしれない。

加えて胸痛が起きたので、ニトロペンを2錠使った。大抵2錠は使う。

服用している心臓発作の予防薬の中にはニトロと同じ硝酸薬の仲間アイトロール(一硝酸イソソルビド)とニトロに近いシグマート(ニコランジル)があるので、耐性ができているのだと思う。

その代わり、予防薬のお陰で発作の起きる回数は減ったし、起きてもぞっとするような――胸のど真ん中に杭打たれるかのような――胸痛はめったに起きなくなった。

2錠でほぼよくなったが、まだいくらか痛みの残っている感じがあったので、ニトロのスプレー剤ミオコールスプレーを使おうと使用期限を見たら、9月で切れていた。まだ効いた。

今度の受診時に、ミオコールスプレーを出して貰おう。先生はニトロペン舌下錠のほうがわたしには合っていると思っていらっしゃる気がするが、どちらもあったほうがワタクシ的に安心。

舌下錠だと、アルミシートから出すときに焦って、苛々するのだ。唾液の出具合で、溶けなにくかったり、速く溶けすぎたりするし、馬鹿なことには呑み込んだりしてしまう。

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2017年10月18日 (水)

カズオ・イシグロ『日の名残り』を、とりあえずざっと

カズオ・イシグロ(土屋政雄訳)『日の名残り』(早川書房、2001)を、とりあえずざっと読んだ。

イギリス政界の大物ダーリントン卿に仕える執事スティーブンのモノローグを通して、第一次・第二次大戦の反省(?)がなされる

執事の前の主人ダーリントン卿は、イギリスの戦争対策の失敗を象徴する存在として描かれている。

卿は紳士的であったがゆえに宥和政策を推進する立場で動いた。その見通しに甘さがあったために、性善説に基づいたような行動がナチスに利用され、ヒトラーのドイツ帝国勃興を招いたという見方だ。

執事はダーリントン卿を支持し続け、卿の失脚ののちも慕い続けるが、ここには作者のいささか単純で皮肉な見方が潜んでいるはずである。

でなければ、このような一面的な書き方にはならないはずだ。勧善懲悪の世界観から一歩も出ていない。

その見方を骨格にして、あれこれ工夫を凝らし、お手軽な大英帝国凋落の物語に仕上げているという印象を受けた。

このような、今の時代であればこそ通りやすい歴史的解釈の安易な利用を純文学であれば決してしない。むしろ、あの時代について、独自の調査・取材をし、そこに新たな発見があったときに初めて創作に着手しようとするのだ。

イギリスが大英帝国時代を持つしたたかな国であることを知らない人間は、まずいないだろう。

皮肉としてであれ、本当の思いからであれ、第二次大戦前から激動の時代を主人と共に生きた執事の品格を自ずと浮かび上がらせるには、描くべき歴史的背景をあまりに端折りすぎだ。

イギリスという国が紙切れみたいに薄っぺらに感じられてしまうではないか。イギリスという国の重厚でしたたかな側面が何も感じられない。

「高貴な本能」を利用されてしまうダーリントン卿は、イギリス紳士というより、お人好しな日本人みたいだ。イシグロ氏の身近にいたのが日本人だったから、イギリス紳士が日本人になってしまうのだろうか。

この作品は、ハーレクインロマンスを連想させられる文章で書かれた、執事のマナー読本みたいだ。ただ、そこにも手抜きが感じられ、執事の仕事内容がもう一つはっきりしない。

そして、ハーレクインロマンスでは盛り上がる箇所で、この本ではわざとらしく欠落をこしらえている。

技巧なのか、歴史的背景の説明同様、面倒なことは飛ばすことにしているのか。

人物も場面も描きかたが薄っぺらすぎて、登場人物に会話させるためのアイテムでしかなく、執事は仕える相手がイギリス紳士からアメリカ人の富豪に変更になったとはいえ、現役の執事とも思えない、執事のモノローグというよりボケかけた人の寝言みたいだ。

前回のボブ・ディランのときから、ノーベル文学賞が純文学作品からエンターテイメント系の作品に授与されるものへと変節した。

それならそれで、賞の対象になりそうな面白い作品がごまんとある中で、イシグロ氏の作品というのがわたしには納得できない。

ところで、『日の名残り』ではデュポンが意味ありげに出てくるが、あのデュポンだろうか?

もしあのデュポンだとすると、説明がないため、デュポンが戦争で果たした役割について知らない人は、なぜここでデュポンが出てきたのかがわからないのではあるまいか。黒シャツ隊についても同様。いくら執事のモノローグという設定だとしても、説明を省略しすぎる。

ウィキペディア「デュポン」より引用しておく。

エルテールの祖父はユグノーの時計職人で、父は経済学者で政府の官僚にもなったピエール・サムエル・デュポン・ド・ヌムール(Pierre Samuel du Pont de Nemours)であった。フランス革命を避けて、1799年に一家でアメリカに移住したエルテールは、アントワーヌ・ラヴォアジエに師事し化学知識があり、黒色火薬工場としてデュポン社を設立した。当時アメリカで生産されていた黒色火薬はきわめて粗悪であったため、ビジネスは成功した。徹底的な品質管理と安全対策、そして高品質によりアメリカ政府の信頼を勝ち取り、南北戦争で巨利をあげた。やがて20世紀に入りダイナマイトや無煙火薬などを製造するようになった。第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給したほか、マンハッタン計画に参加しワシントン州ハンフォード・サイト、テネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造するなどアメリカの戦争を支えた。

ウィキペディアの執筆者. “デュポン”. ウィキペディア日本語版. 2017-09-04. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%9D%E3%83%B3&oldid=65371259, (参照 2017-09-04).

萬子媛関連の資料となりそうな本を図書館から借り、早く読みたいがために『日の名残り』をまだざっとしか読んでいない状況。読み込んで考えが変わる可能性もまだある。

『日の名残り』をちゃんと読んだら、拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の以下のエッセーに加筆するつもりだ。

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2017年10月15日 (日)

「ガラスの靴すべり台」ゲット! ノーベル文学賞作家に関する考察は続く。

インターポット

ほしかった「ガラスの靴すべり台」をゲットできました。庭に設置してみると、デカッ!

正面からだとごちゃごちゃしていてわかりづらいので、向かって左側面に当たる方から撮影してみました。

ガラスの靴のそばにいるのは、やはり最近ゲットした「おばけほうき 水色リボン」です。庭中隈なく掃除してくれるので、助かっています。こんな箒、リアルでほしいわ~。

アバ嬢が滑るところも目撃できました。ガラスの靴すべり台にのったところを撮影。

最近他にゲットできたのは、「空飛ぶ家」「丸太の柵 花飾」「ハロウィンブッシュA コウモリ」「おばけポット 紫」です。

アバ嬢が初めて散歩から金の箱を持ち帰ってくれて、中から「二階建てのお菓子の家 クッキー」が出てきたときは感激しましたよ。

あとほしいのは、「3つ屋根のおばけマンション」「ワインとパンのバスケット」「コイコイ白猫シルエット」「魔女の帽子ライド」です。

ずっとほしいと思い続けている「コイコイどこかの森」、あと二つ。

三つで完成するアイテムですが、一つしかゲットできていないので、完成させたいのです。

が、ビンゴゲームの途中でいねむりしてしまうほど開かないか、いきなりの死神の出現で即死、またはダラダラと延命させられた挙句の放置……で、ゲットできない日々でした。あと2日しかありませんが、これはもう諦めています。

第二稿に入った歴史小説のヒロインのモデルである萬子媛が愛された和歌について、今夜メモしておきたいと思っていましたが、娘に頼んだカズオ・イシグロ氏の本『日の名残り』を持ち帰ってくるそうなので、そちらを読むのが先になるかもしれません。

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした以下の記事で、ノーベル文学賞に対する不審感をあらわにしてしまいましたが、イシグロ氏の代表作を読んでいなかったので、何か新発見があればまた書きます。

図書館から借りるつもりでしたが、いつになると順番が回って来るのかわからないと思ったので、購入しました。こうやって資料集めにお金がかかり、本当に買いたい本がなかなか買えない状況には泣きたい思い。

そうやってまで評論書いて、得るものがあるのかどうかはさっぱりわかりませんが(体力と時間とお金が消えて行くだけのような気もします。そのまま行き着く先は死でしょうね、ハハハ…)、プロの評論家がまともな仕事をしてくれないでしょう。草の根レベルであっても、ノーベル文学賞の変節について検証されるべきだと思うのです。

ノーベル文学賞といえば、メーテルリンクの『青い鳥』。

戯曲として書かれた原作を堀口大學氏の訳で読み、子供向きに書き直されたものではわからなかった驚くべき発見がいろいろとあり、あの原作から離れて、少なくとも日本では――世界の状況は知りません――青い鳥という一種の甘美で切ない共同幻想(?)が形成されてきたのではないかと思いました。

翻訳家として名高い堀口氏の解説の効果も、大きかったのかもしれません。原作を知らない人も多いのではないでしょうか。夫は知らなかったといいました。

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2017年10月14日 (土)

10月5日ごろ評論『村上春樹と…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

10月5日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで72冊お買い上げいただいたことになります。

  • カナダ……1冊
  • 日本……34冊
  • アメリカ……28冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サンプルをダウンロードできます。

結婚という不可逆的な現象
ASIN: B01E3UAZ3O


昨年出した純文学小説です。

台風 
ASIN: B00BI55HV8

台風に翻弄される家族を描いた小説です。

以下は、その他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス

詩人の死

直塚万季 幻想短篇集(1)

雪の二小篇 (純文学)

ここからは児童小説のご案内になります。

中編児童小説です。

田中さんちにやってきたペガサス

99円の短編児童小説です。

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

花の女王 (児童書)

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

日記体児童小説です。

すみれ色の帽子

シリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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「76 モーリス・メーテルリンク『青い鳥』の罪な…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

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2017年10月12日 (木)

メーテルリンク『青い鳥』の罪な象徴性について

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に、ノーベル文学賞作家モーリス・メーテルリンクについて書いた。

ブラヴァツキーの神智学を批判したメーテルリンクの文章を考察することで、メーテルリンクの思想の一端が明らかとなったように思う。

わたしが前掲エッセーで採り上げたのは復刻版『マーテルリンク全集――第二巻』(鷲尾浩訳、本の友社、1989)の中の「死後の生活」で、1913年にこの作品が刊行された翌年の1914年、メーテルリンクの全著作がカトリック禁書目録に指定された(禁書目録は1966年に廃止されている)。

「死後の生活」を読んだ限りでは、メーテルリンクが神智学的思考法や哲学体系に精通していたようにはとても思えなかった。

上手く理解できないまま、恣意的に拾い読みして自己流の解釈や意味づけを行ったにすぎないような印象を受けた。一方、SPR(心霊現象研究協会)の説には共鳴していた節が窺えた。

『青い鳥』は、1908年に発表されたメーテルリンクの戯曲である。メーテルリンクは1911年にノーベル文学賞を受賞した。

わたしは子供向けに書き直されたものしか読んだことがなかったので、改めてメーテルリンク(堀口大學訳)『青い鳥』(新潮社、1960年初版、2006年改版)を読んだ。

『青い鳥』は、貧しい木こりの家に生まれた兄チルチルと妹ミチルが、妖女ベリリウンヌに頼まれた青い鳥を、お供を連れて探す旅に出るという夢物語である。

妖女の娘が病気で、その娘のために青い鳥が必要なのだという。

兄妹は、思い出の国、夜の御殿、森、墓地、幸福の花園、未来の王国を訪れる。見つけた青い鳥はどれも、すぐに死んでしまったり、変色したりする。

一年もの長旅のあと、兄妹が家に戻ったところで、二人は目覚める。

妖女にそっくりなお隣のおばあさんベルランゴーが、病気の娘がほしがるチルチルの鳥を求めてやってくる。

あの鳥いらないんでしょう。もう見向きもしないじゃないの。ところがあのお子さんはずっと前からあれをしきりに欲しがっていらっしゃるんだよ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)と母親にいわれてチルチルが鳥籠を見ると、キジバトは青くなりかけていて(まだ完全には青くない)、青い鳥はここにいたんだなと思う。

チルチルには、家の中も森も以前とは違って綺麗に見える。そこへ元気になった娘が青い鳥を抱いてやってきて、チルチルと二人で餌をやろうとまごまごしているうちに、青い鳥は逃げてしまった……

ファンタスティックな趣向を凝らしてあるが、作品に描かれた世界は、神秘主義的な世界観とはほとんど接点がない。

登場する妖精たちは作者独自の描きかたである。

これまで人間から被害を被ってきた木と動物たちが登場し、兄妹の飼いネコは人間の横暴に立ち向かう革命家として描かれている。ネコは狡い性格の持ち主である。

それに対立する立場として飼いイヌが描かれており、「おれは神に対して、一番すぐれた、一番偉大なものに対して忠誠を誓うんだ」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)という。イヌにはいくらか間の抜けたところがある。

木と動物たちがチルチル・ミチル兄妹の殺害を企む場面は、子供向けに上演されることも珍しくない作品にしては異様なまでに長く、具体的で、生々しい。

木と動物たちの話し合いには、革命の計画というよりは、単なる集団リンチの企みといったほうがよいような陰湿な雰囲気がある。

チルチルはナイフを振り回しながら妹をかばう。そして、頭と手を負傷し、イヌは前足と歯を2本折られる。

新約聖書に出てくる人物で、裏切り者を象徴する言葉となっているユダという言葉が、ネコ革命派(「ひきょうもの。間抜け、裏切り者。謀叛人。あほう。ユダ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.125)からも、イヌ(「この裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.114)とチルチル(「裏切り者のユダめ」メーテルリンク,堀口訳,2006,p.123)の口からも発せられる。

危ないところで光が登場し、帽子のダイヤモンドを回すようにとチルチルを促がす。チルチルがそうすると、森は元の静寂に返る。

人間は、この世ではたったひとりで万物に立ち向かってるんだということが、よくわかったでしょう」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.127)という光の言葉は、如何にも西洋的な感じがする。

『青い鳥』の世界をキリスト教的世界と仮定すると、『青い鳥』の世界を出現させた妖女ベリリウンヌは神、妖女から次のような任務を与えられる光は定めし天使かイエス・キリスト、あるいは法王といったところだろうか。

さあ、出かける時刻だよ。「光」を引率者に決めたからね。みんなわたしだと思って「光」のいうことをきかなければならないよ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.53)

ただ、『青い鳥』の世界は第一にチルチルとミチルが見た夢の世界として描かれているということもあって、そこまで厳密な象徴性や構成を持ってはいない。

そこには作者が意図した部分と、作者の哲学による世界観の混乱とが混じっているようにわたしには思われた。その混乱については、前掲のエッセー 63 で触れた。

結末にも希望がない。

自分の家に生まれてくることになる未来の弟に、チルチルとミチルは「未来の王国」で会う。その子は「猩紅熱と百日咳とはしか」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.196)という三つもの病気を持ってくることになっている。そして死んでしまうのだという。

既に両親は、男の子3人と女の子4人を亡くしている。母親はチルチルとミチルの夢の話に異常なものを感じ、それが子供たちの死の前兆ではないかと怯える場面がこのあと出てくるというのに、またしてもだ。

新たに生まれてくる男の子は、病気のみを手土産に生まれてきて死ぬ運命にあるのだ。

このことから推測すると、最後のチルチルの台詞「どなたかあの鳥を見つけた方は、どうぞぼくたちに返してください。ほくたち、幸福に暮らすために、いつかきっとあの鳥がいりようになるでしょうから」(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.236)は意味深長だ。

今は必要のない青い鳥だが、やがて生まれてくる弟の病気を治すためにそれを必要とするようになるかもしれないという暗示ではないだろうか。

結局、青い鳥が何を象徴しているのかがわたしには不明であるし、それほどの象徴性が籠められているようには思えない青い鳥に執着し依存するチルチルの精神状態が心配になる。

ちなみに、青い鳥を必要とした、お隣のおばあさんの娘の病気は、神経のやまいであった。

医者は神経のやまいだっていうんですが、それにしても、わたしはあの子の病気がどうしたらなおるかよく知っているんですよ。けさもまたあれを欲しがりましてねえ。(メーテルリンク,堀口訳,2006,p.230)

娘の病気はそれで治るのだから、鳥と接する気分転換によって神経の病が治ったともとれるし、青い鳥が一種の万能薬であったようにもとれる。

訳者である堀口大學氏は「万人のあこがれる幸福は、遠いところにさがしても無駄、むしろそれはてんでの日常生活の中にこそさがすべきだというのがこの芝居の教訓になっているわけです」とお書きになっている。一般的に、そのような解釈がなされてきたように思う。

しかし、観客に呼びかけるチルチルの最後の台詞からすると、その日常生活の中にある幸福が如何に不安定なものであるかが印象づけられるし、森の中には人間を憎悪している木と動物たちがいることをチルチルは知っている。家の中にさえ、彼らに通じるネコがいるのだ。

そもそも、もし青い鳥が日常生活の中にある幸福を象徴する存在であるのなら、その幸福に気づいたチルチルの元を青い鳥が去るのは理屈からいえばおかしい。

いずれにせよ、わたしは青い鳥に、何か崇高にして神聖な象徴性があるかの如くに深読みすることはできなかった。戯曲は部分的に粗かったり、妙に細かかったりで、読者に深読みの自由が与えられているようには読めなかったのだ。

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「青い鳥の鳥かご」ゲット(インターポット)。

インターポット

「青い鳥の鳥かご」ゲット! 時々、青い鳥が囀っています。

このゲットを機会に、改めてメーテルリンクの『青い鳥』を読み、感想を書きました。→ここ

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2017年10月 8日 (日)

「75 ノーベル文学賞の変節、及び…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

当ブログにおける過去記事「カズオ・イシグロ氏の受賞ではっきりした、ノーベル文学賞の変節」を前掲ブログにアップするにあたり、神秘主義的な考察を加筆しました。

以下の文章です。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

ところで、芸術は古代、神的な行為であった。

文学が盛んだった古代アレクサンドリアを見てみよう。

モスタファ・エル=アバディ(松本慎二訳)『古代アレクサンドリア図書館(中公新書 1007)』(中央公論社、1991年初版、1997年3版)によると、紀元前3世紀、エジプトの国際都市アレクサンドリアには研究施設ムーゼイオンと図書館があり、お互いが補い合う存在だった。

ムーゼイオンの計画はアテナイの二つの有名な哲学教育機関、プラトンのアカデメイアとアリストテレスのリセウムをモデルとしていた。

アカデメイアにはミューズの神殿があり、リセウムにもミューズの神殿があって学院は法的には宗教団体とみなされていたという。

ストラボンが、アレクサンドリアに設立されたムーゼイオンの責任者は国王によって任命される神官だと指摘しているそうだ。「主宰者たる聖職者の存在はこの組織の宗教性をよく表している」(アバディ,1997,p.72)

また、前掲書には次のように書かれている。

「ムーゼイオン」という呼称もまた暗示的である。というのは、学芸の女神ミューズたちを祀る神殿を設けるのは、アテナイの哲学教育機関の特徴であったからである。哲学的、芸術的な霊感はミューズによるというのが当時の一般的な考えであり、ヴィトルヴィウスは科学上のインスピレーションもそれに含めている。(……)リセウムでも、またのちのアレクサンドリアのムーゼイオンでも、科学と文学との完全な融和が見られたのであった。(アバディ,1997,pp.72-73)

わたしは中学時代から芸術家としての作家――純文学作家――を志してきた。誰に教わるでもなくミューズを意識してきた。純文学といわれる分野は求道的で、まるで宗教みたいだと度々思った。

アポロドーロスが伝えるミューズには、恐ろしい一面もある。ミューズと歌の技を競って敗れたタミュリスは両眼とその吟唱の技を奪われたのだ。

ムーゼイオンで開催されていたミューズの祭典(文学コンクール)と比較すれば、今の日本で開催されている文学コンクールは、世俗的な臭気を漂わせているばかりか、左翼思想とはカラーを異にする作家志望者を排除する機関とすらなっている。ミューズはこれをどうご覧になっているのだろうかと考える。

同様に、ノーベル文学賞に関しては、ミューズはどうご覧になっているのだろうかと考える。

私事になるが、過去記事でも書いてきたように、わたしは20歳過ぎてから時々オーラが見えるようになり、他の霊的な能力もいくらか目覚めてきた。こうした神秘主義的な能力は、純文学という宗教的体験の中で育まれたものだと考えている。

神秘主義的な傾向を持つ作家は多い。バルザックもその一人である。

ブラヴァツキーは大著『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』の中で、バルザックのことを「フランス文学界の最高のオカルティスト(本人はそのことに気付かなかったが)」(H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子&ジェフ・クラーク訳)『シークレット・ドクトリン 宇宙発生論(上)』、神智学協会ニッポン・ロッジ、1989、p.281)といっている。

神智学を創始した新プラトン学派の系譜に連なるブラヴァツキーの諸著に、わたしは目覚めてきた神秘主義的能力に関する科学的な解説を求め、的確と思える回答が得られた。

ただ、ここでいう科学とは、現代科学がまだそうした分野を解明するには至っていないため、ブラヴァツキーが公開するまでは秘教とされてきた科学ということだが……。

アンモニウス・サッカスが設立した新プラトン学派は、アレクサンドリア学派に属した一派だった。

彼らがミューズの信者であったと知ったとき、ああだから作家志望者のわたしが神智学の本を読んだときに、何の違和感もなく、むしろ懐かしい感じがしたのだと思ったのだった。

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2017年10月 6日 (金)

カズオ・イシグロ氏の受賞ではっきりした、ノーベル文学賞の変節

カズオ・イシグロ氏がノーベル文学賞の受賞者に選ばれた。NHK NEWSWEBの記事より引用する。

スウェーデンのストックホルムにある選考委員会は日本時間の5日午後8時すぎ、ことしのノーベル文学賞の受賞者にカズオ・イシグロ氏を選んだと発表しました。

イシグロ氏は62歳。1954年に長崎で生まれ、5歳のとき、日本人の両親とともにイギリスに渡り、その後、イギリス国籍を取得しました。

1989年に出版された「日の名残り」は、第2次世界大戦後のイギリスの田園地帯にある邸宅を舞台にした作品で、そこで働く執事の回想を通して失われつつある伝統を描き、イギリスで最も権威のある文学賞、ブッカー賞を受賞しています。

また、2005年に出版された「わたしを離さないで」は、臓器移植の提供者となるために育てられた若者たちが、運命を受け入れながらも生き続けたいと願うさまを繊細に描いたフィクションで、2010年に映画化され、翌年には日本でも公開されました。

ノーベル文学賞の選考委員会は「カズオ・イシグロ氏の力強い感情の小説は、私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」と評価しています。

NHK NEWSWEB(2017年10月5日 20時03分)「ノーベル文学賞にカズオ・イシグロ氏 英国の小説家」<http://www3.nhk.or.jp/news/html/20171005/k10011169111000.html?utm_int=detail_contents_news-related_002>(2017年10月6日アクセス)

ノーベル文学賞の選考委員会のいう「力強い感情の小説」という言葉の意味を、わたしは理解できない。登場人物の感情表現が巧みだということか? それとも、作者の感情が充溢した作品であるということか。

後者であれば、いわゆる文学という芸術作品にはなりにくい感傷小説である可能性がある。

また「私たちが世界とつながっているという幻想に隠されている闇を明らかにした」という文章も解せない表現だ。翻訳の問題なのだろうか。

世界とつながっているというわたしたちの思いが幻想にすぎないことを、作者が何らかの闇を描くことで明らかにした――というのであれば、まだわかるが。

作者は何の闇を描いたのか。そのことがなぜ、世界とつながっているというわたしたちの思いを否定させるのか? こうしたことが納得のいくように伝えられなければ、授賞理由はよくわからないままだ。

Yahoo!ニュースに、「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」というインタビュー記事があり、その中で、「イシグロ作品は広く読まれていながら『文学』の香りがあるように感じます。ご自身が考える『文学』のあるべき要素とはどんなものですか?」という問いに対して、イシグロ氏は次のように答えている。

それほど堅苦しく考えなくてもいいと思いますよ。つまり「文学」と、「娯楽作」「大衆作」を分け隔てることもないのかなと、私は思っているんです。大学の勉強などでは人工的に線引きをすることもありますが、現代のそういう場所で「文学」と呼ばれているものは、過去においては「ポップ」だったんですから。

Yahoo!ニュース(2017年10月6日12時15分),渥美志保(映画ライター)「ノーベル賞受賞!カズオ・イシグロ『書くことは生きること、読むことは生きるために必要なこと』」<https://news.yahoo.co.jp/byline/atsumishiho/20171006-00076589/>(2017年10月6日アクセス)

2015年まで、ノーベル文学賞は純文学作品を対象としていたが、2016年になって突然ポピュラー音楽の作詞を対象とし、2017年の今年は娯楽作・大衆作を対象としたようである。

カズオ・イシグロ氏の本は書店の目立つ位置に置かれていることが多いので、わたしは何度となく手にとりながら、読んだことがない。

ぱらぱらとめくってみて、娯楽作・大衆作と思ったのである。

反日左派によって席巻されたわが国の文学界で、世に出られない物書きとして草の根的(?)な創作活動を続けているわたしには読まなければならない純文学作品のことで頭がいっぱいなので、元の位置にそっと戻してきたのだった。

実際に読んでみなくてはわからない――そのうち読んでみたいと思っている――が、前掲のインタビューの内容自体がイシグロ氏の諸作品がジャンルとしては文学(日本流にいえば、いわゆる純文学)に分類されるタイプの作品ではなく、娯楽作・大衆作に分類される性質のものであることを物語っている。

純文学には学術的、芸術的という特徴があるゆえに、ノーベル文学賞は理系のノーベル賞と釣り合いのとれるものであった。ところが、昨年から文学賞に関していえば、人気コンテストになってしまったのだった。

純文学は文学の土台をつくる研究部門といってよい分野だから、純文学が衰退すれば、娯楽作・大衆作も衰退を免れない。

音楽に例えれば、クラシック音楽が衰退してポピュラー音楽だけが存在する世界を想像してみればよい。

純文学が衰退することによる、人々の言語能力や思考能力の低下、また伝統の継承や優れた文化醸成への悪影響なども懸念される。

一体、ノーベル文学賞に何が起きたのか?

産経ニュースの記事によると、イシグロ氏と村上春樹は互いにファンであることを公言しているという。

ノーベル文学賞に決まったカズオ・イシグロ氏。毎年、有力候補に名前が挙がる村上春樹氏とは、互いにファンを“公言”していることでも知られる。

産経ニュース(2017年10月5日21時27分)「カズオ・イシグロ氏と村上春樹氏、互いにファンを公言」<http://www.sankei.com/life/news/171005/lif1710050041-n1.html>(2017年10月6日アクセス)

以下のエッセーは、昨年の10月16日に拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」に公開したものである。ライン以下に折り畳んで再掲しておく。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "カズオ・イシグロ氏の受賞ではっきりした、ノーベル文学賞の変節"

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2017年10月 4日 (水)

名月を拝んで(下手な)三句

前の記事に書いたように、わたしが見たときは雲が多く、今年はもう中秋の名月を見られないだろうと思っていました。

夫に残念だと連発して、家事の続きを始めました。

ところが、今日はたまたま娘が残業で、そしてたまたま夫が休日で、まだバスはあったのですが、迎えに行ったのです。

帰宅した夫に「月、出ていなかったでしょ?」と訊くと、夫はにやりとして「いや、出ているよ」といいました。

駐車場に出た夫は、わたしの言葉を思い出してすぐに上を見たそうです。すると、そこに月があったとか。

「そこに月があったって……月、出ているの~?」と驚き、ベランダに出ると、ベランダからは見えにくく、雲もあったので、すぐには月がどこにいるのかわからなかったのですが、しばらくしたら雲の陰から見え出しました。

そして、月の周りの雲がいつの間にかなくなり、綺麗な月を拝むことができたのです。

杉田久女の俳句に「椅子涼し衣[そ]通る月に身じろがず」(杉田久女『杉田久女全集第一巻』立風書房、1998)という句がありますが、わたしも身じろぐことができませんでした。

お月様にじっと見つめられ、何か高貴な言葉で語りかけられているような気がしました。夫も「かなり強い光だね」といいました。

普段も出ている月ですが、改めて、その存在感に感動しました。そこでまた俳句を作りましたが、難しいですね。

名月は雲のまにまに遊泳し

名月の雲を統[す]べたる光かな

雲退きて名月の黄の濃かりけり

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残念な望の夜に(下手な)一句。名月を楽しむリヴたち(リヴリーアイランド)。

望の夜の暗き御空や星在るも

今年の中秋の名月は今日ですが、こちらは曇っていて拝めそうにありません。かろうじて、星が一つだけ出ていました。
   追記:あとで拝むことができました。俳句も三句。
→こちら

でも、リヴたちは遊びに来たお友達と名月を拝んでいましたよ。何しろ雲の上からですから、地上が晴れていようと、曇っていようと、関係ないんです。

カメラを意識して、全員こちらを見てしまいましたけれどね。

2017104

『Livly Island』は、GMOゲームポット株式会社の商標です。 『Livly Island』に関わる著作権その他一切の知的財産権は、GMOゲームポット株式会社に属します。このサイトは『Livly Island』およびGMOゲームポット株式会社とは一切関係がありません。
www.livly.com

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むき甘栗を使った橋本加奈子先生レシピ「栗のポタージュ」

会社の行き帰りの小腹が空いたとき用に、娘がクラッカーや甘栗をバッグにしのばせています。

暑い間はむき甘栗の出番が少なかったらしく、4袋入りのむき甘栗の賞味期限を確認したら、期限切れ間近でした。

わたしがおやつにそのまま食べようかとも思いましたが、この機会に、橋本加奈子先生のレシピ集で見て作ってみたかった「栗のポタージュ」を作ることにしました。

秋らしいスープができました。浮き実にするための甘栗をとって置きそびれたので、戸棚にあったココナッツチップスを浮かせました。

先日、息子が帰省したときに栗の皮を一晩水に浸けてふやかして皮をむき、栗御飯を作りました。

2017年9月26日 (火)
息子の遅い夏休み。美味しいお菓子(東京カンパネラ、フライドパスタスナック、栗のグラッセ、千枚)。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2017/09/post-cec3.html

手間暇かかるので、短期間にあの栗の皮むき作業を繰り返そうという気にはなれませんが、甘栗であれば、袋を開けるだけで済みますものね♪

参考にした橋本加奈子『スープレシピ』(グラフ社、2006)をアマゾンで確認したところ、中古本しか出ていなかったので、レシピを紹介させていただきます。

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栗のポタージュ◆橋本加奈子『スープレシピ』(グラフ社、2006)、17頁より◆

材料:2人分

むき甘栗100g  セロリ1/6本  玉ねぎ1/6個  水2/3カップ(約140ml)  鶏ガラスープの素小さじ1  牛乳1と1/3カップ(約270ml)  生クリーム少々  塩・こしょう各少々  むき甘栗(仕上げ用)適量 バター大さじ1

作り方

  1. セロリは筋を取って、甘栗、玉ねぎとともに薄切りにします。
  2. 鍋にバターを溶かし、玉ねぎ、セロリの順に炒めます。甘栗を加えて炒め、分量の水を加えます。沸騰したらスープの素を加えて溶かし、アクを取りながら野菜が柔らかくなるまで煮ます。
  3. 粗熱[あらねつ]が取れたらミキサーにかけて、なめらかにします。鍋に戻し入れ、牛乳、生クリームを加えてひと煮立ちさせ、塩、こしょうで調味します。
  4. 器に注ぎ、薄切りにした仕上げ用の甘栗をのせます。

同じ本にある「じゃがいも&さつま芋のポタージュ」や「かぼちゃのポタージュ」をよく作りますが、栗のポタージュはそれらとはまた一味違う、お洒落なスープだと思います。まだ先の話になりますが、クリスマスのメニューに加えるのもいいかも……。

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2017年10月 3日 (火)

こまごましたものはゲットしたものの…(インターポット)。希望の党は希望になってほしいものですが、うーん。

「おとぎ話な庭づくり」イベントでは、ちっちゃいものは色々とゲットできましたが、大きいものはなかなかゲットできません。

コイコイどこかの森1個(全3個)、お菓子の家 クッキー、お菓子の家 ケーキ、豆の木、プランターキャンディフラワー ブルー、クマの人形、チョコウサギ白、バラの柱 ピンクなどゲット。

コイコイどこかの森をあと2個、コイコイ大きな豆の木、再登場したコイコイ浮世絵 波がほしいです。何度もチャレンジしていますが、敗退続きです。

コイコイどこかの森を見て、息子がベルギーで見たという暗い森の話を連想しました(拙神秘主義エッセーブログの記事参照→ここ)。

息子はまたヨーロッパに出かけています。

この御時世では日本にいてさえ安全・安心とはいえないのでしょうが、海外に行くとなると、どうしても心配になります。

クマの人形とチョコウサギ白を並べて置きました。見えますか? アバ嬢はまたクジラの潮に吹き上げられているようです。

衆院選に向けて希望の党(代表・小池百合子東京都知事)が立ち上がりました。そこに雪崩込んだ民進党の混乱ぶり、節操のなさには唖然とさせられました。

小池都知事は肝心の都政も混乱させただけで、まだ実績といえるようなものはないような気がします。希望の党も同じことにならなければいいのですが。そうでないと、希望どころか、絶望の党になってしまいそう。

どうなるのやら……

米西部ネバダ州ラスベガスでは、銃乱射事件が起きましたね。怖ろしい。

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2017年10月 2日 (月)

友情について、再び

旧友からまたメールがあった。目的は今度も温泉旅行へのお誘いだろう。

40年近く年賀状のやりとりだけであったのに(それも彼女とはしばしば音信不通になったため、心配させられた)、わたしが友情の賞味期限も過ぎたと思い、年賀状のやりたりもやめようと思ったときになって、なぜか急に連絡をしてくるようになり(近くに引っ越してきたからというが、中間地点で会ったとしても博多で、片道2時間近くかかる)、しつこく温泉旅行に誘ってくる。

飲み友達がほしいのだろう。

昔のような友情が復活するかどうかに懸念があったので、まずは博多で、他の友人を交えた4人で会ったのは正解だった。

彼女を含む2人が姑臭く(底意地悪く)なっていた。新興宗教に熱中している友人だけが無事だった(意地悪でなく、ごく普通だった)。大学時代の友人の中にやはり、あからさまに意地悪になった人が1人いて、いずれも衝撃だった。

昔をなつかしみ、温かな友情に浸ることを期待して博多へ出かけたのに、ひどい仕打ちである。

こちらの気持ちが昂揚して話に熱が入りかけたところで、すっと冷ややかな顔つきで横を向き、別の話を切り出す。その意地悪そうな顔には戦慄させられた。

もっとも、もう1人の友人が目立ってそうして、彼女はそれに連動した反応をするという風だった。

親しみのこもった雑談の中での一瞬の早業である。独身時代であれば、気のせいだろうか、それとも何か不愉快なことを自分がいったからだろうかと考え込んだところだろうが、もうだまされない。

意地悪というのはそのようになされるものだということを、さすがにこの年齢となっては学習済みなのだ。

上に挙げた大学時代からの友人1人を含む3人には昔から、気のせいだろうか、いや、話に熱中するあまり、うっかりわたしを仲間外れにしてしまうのだろう――とこちらを思わせる特有の癖があった。

バルザックが次のように表現している。

やがて夫人は私とはなんの関係もない、この土地柄のこと、収穫のこと、ぶどう畑のことなどを話しだしました。一家の女主人のこうしたやり方は、当人の教養のなさを示すものか、相手を会話から閉めだして、軽蔑を見せつけようとしている証拠です。しかし夫人の場合には、それもただひたすら困惑のなさしめるわざでした。(バルザック『谷間の百合』石井晴一訳、昭和48年、46頁)

注意不足から、相手に意地悪と受け取られても仕方のない言動をとってしまうことは誰にだってある。

しかし、それが明らかに意図的に繰り返される場合は教養のなさか意地悪かのどちらかだろうが、わたしには3人の場合がそのどちらに当たるのかがよくわからなかったので、そうした面は見て見ぬふりをして友人づき合いを続けていたのだった。

年月が回答を出した。意地悪からだった。隠れていた面が露わになった。

3人は嫁いびりをする姑そっくりになっていたけれど、考えてみれば、3人共、姑にはなっていない。

昔、わたしはお金持ちのお嬢さんであったそうだ(それほどだったとは知らなかった。普通だと思っていた)。今は貧乏人らしい。

わたしという彼女たちの友人であるはずの人間に対して、こうした類型化を3人が3人とも嬉々として行い(貧乏だと判断して奢ってくれるというならまだしも)、経済的優越を匂わせて、露骨に意地悪をしてくるようになったというわけだ。

彼女たちは拝金主義者なのだろう。唯物的、打算的ではあっても、リベラルではない。人類の思想の歴史を紐解き、いずれかの思想に共鳴するといったタイプの人々ではない。ある意味で素朴な人々なのだ。

まあ自分が貧乏であることを否定はしないが、別に貯金通帳を見せたわけでもないのに、せっかちに貧乏認定するのだから、とにかく見下せる人間を作りたいのだろう。

第一、貧乏と見下されるなど、定年後も働いて、普通に暮らせるくらいの収入を得てくれている夫に申し訳が立たない。わたしにもう少し体力があり、外で働ければ、もっと豊かになれるだろうが、専業主婦だからこそできている、有意義なことも沢山ある。

倹約し、健康を考えた美味しい料理を提供し、国会中継を視聴して日本が変にならないように見守り、伝統文化に関心を持ち、考えの足りない人のぶんまでよく考え、吞兵衛でないことでも家計に貢献している。

そもそも、貧乏はそんなに恥ずべきことだろうか。神秘主義者にとっては貧乏は少しも恥ずべきことではない。

イエスの言葉にもあるではないか。「貧しいあなたがたは幸いである。神の国はあなたがたのものである」(フランシスコ会聖書研究所訳、中央出版社、初版1980、改訂初版1984)

それに3人共、ご主人がアル中気味だったり、ギャンブル中気味だったり、精神的安定を欠くなどして、彼女たちがそれほど金銭的に安心できる状態にないことは、当人たちからもたらされる情報からわかることだ。

不安感が意地悪な行為を助長させるのだろうか。

しかし、この3人以外の友人たちも、中年期までに苦渋をなめなかった人は1人もいないといってよいくらだ。皆それぞれに苦労している。

この世が魂の教育の場、魂を洗練させる場であると主張する神秘主義の立場から見て、それはこの世がそのような仕組みになっているからだと思わざるをえない。

つらい思いをしてきたからといって、友人たち全員が意地悪になったわけでは決してない。幸いにも、意地悪になった――いや、おそらく元々意地悪だった――のは3人だけだ。他の友人たちには昔も今もそんなところは微塵もない。

意地悪な3人とは、今後友人づき合いをするつもりはない。正確ないいかたをするなら、本当の友人であったことなど一度もなかったのだと思う。

社会生活では意地悪な人ともつき合わざるをえないことがよくある。でも、友人は自由に選択できるはずだ。そうでなければ、友人とはいえない。

互いに相手を好きであれば、誤解や行き違いがあったとしても、何とかなるものだ。

最良の友人といえた、長年統合失調症で苦しんだ友人はもう亡くなったが、彼女との友情は今もわたしの宝物だ。なかなか会えないけれど、他の友人たちとの友情も大事にしたい。

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