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2017年10月24日 (火)

杉田水脈氏、鬼木誠氏の当選を祝う(第48回衆院選)

いつもながらの亀記事ですが、第48回衆院選で当選を確認して特に嬉しかったのは杉田水脈氏です。

以下は杉田氏に関する過去記事です。

前回、第47回衆議選で落選してしまわれたときは残念に思いました。議員でなかった期間も、本当に頑張っていらっしゃったという印象です。

  • 産経ニュース【杉田水脈のなでしこリポート まとめ読み】
    http://www.sankei.com/premium/news/160710/prm1607100002-n1.html

今回、第48回衆院選では自民党から出馬し、見事当選。胸が熱くなりました。今後も、日本の汚名をそそぐための、国際的な一層のご活躍を期待しています!

福岡2区から出馬、当選された鬼木誠氏については、よく閲覧させていただいている小坪しんや氏のブログで知りました。

  • 行橋市議会議員 小坪しんやのブログ
    https://samurai20.jp/

メディアの偏向報道には驚かされてきましたが、それに関する予算委員会第二分科会での鬼木議員の質疑を収録した動画をYouTubeで見つけました。的確な内容の質疑だと思いました。

以下に貼りつけさせていただきますが、これは3年も前のものです。今はこのときよりひどくなっているのではないでしょうか。

わたしはよく国会中継を視聴するので、テレビ番組などできちんとした説明もなしに、国会の録画の中からある部分だけが切り取られ、ひどい印象操作に使われることが常態化していることに怒りを覚え、絶望的なものをすら覚えていました。

このことと、電波オークションが政府において検討されていることとは無関係ではないでしょう。

https://youtu.be/KHOXYOERkME

部分的に書き起こししてみました。間違っていたら、すみません。

平成26年2月26日予算委員会、第二分科会での自民党の鬼木誠議員の質疑より。

「(略)憲法や法律上言論の自由ということはわかりますが、しかしその自由が他者の権利を侵害しているという事実にも目を向けていただきたいと思います。

憲法改正以前に、これは自民党が自由に対する責任、権利に対する義務というものをですね、整備して議論する必要があると思っております。

人を叩いて叩いて、叩き潰すまで、首を獲るまで叩くのがメディアの暴力であります。繰り返し繰り返し悪意ある映像を流し、その当事者を憎悪の対象とし、社会的に抹殺する、悪意ある報道によって多くの法人、個人が死に追い込まれてきました。

嘘をつく自由、悪口をいう自由、首を獲るまで叩く自由、日本の表現の自由とは何でもありなのか。いい返す力のない人を一方的に叩きまくるのは、大人のいじめではないでしょうか。ほとんどの人はメディアに対していい返す力を持っていません。

電波の利用権とはそれほど大きな力、権力なんです。

公務員が悪い、公共事業が悪い、一方的な正義の名の下に悪者を設定することで、大衆の不満を煽り、その悪者を叩きまくるショーを見せることで、怒れる大衆の溜飲を下げるマッチポンプが行われてきました。

この大人のいじめを子供が見ています。

人が人を叩き殺し、人が人を許せない、そんな社会をつくっています。こんな状況で、日本からいじめがなくなるはずがありません。こんなメディアの姿勢こそが時代の閉塞感の一因ともなっているとわたしは考えます。

メディアが人を叩くのはどこまで自由なのか、それによって命を絶たれた人がいてもその責めは負わないのか。メディアによる言葉の暴力、映像の暴力、それを規制することについて、大臣は如何お考えになるでしょうか。

……

ほんとうにその情報における民主主義における根幹的な議論になってきているとは思いますが、やっぱり世の中には一日中テレビをつけてそこでしか情報を得ていない人達が鵜呑みにしてしまうと、それが公共の電波であるということに問題意識を持っております。
(略)

今インターネットが現れまして、本当の情報、メディアが伝えない真実がどんどん明るみに出てきているから、だから国民がテレビおかしいよね、ということに気づき出した。まさに国民自身が情報を取捨選択できる時代に確かになりつつあります。

ただ皆が本当に情報、リテラシーを手にすることができるときまでこの状況が続くかと思うと、わたしは憤懣やるかたないわけでございます。
(略)

1966年、国際連合総会にて採択された「市民及び政治的権利に関する国際規約」第19条では、干渉されることなく、意見を持つ権利、表現の自由というものが権利として規定されております。

しかし、その国連で採択された規約においては、表現の自由第二項、その行使は特別の義務と責任を持ってなされなくてはならず、他の者の権利、国の安全、公衆の健康や道徳の保護の目的のため、一定の制限を課すことができるということが明記されております。

日本もこの憲法のくびきに囚われず、メディア、電波を使うものに対する特別の義務と責任を課すること、そして一定の制限を課すること、これには挑戦する価値があるのではないかとわたしは考えております。

現憲法を改正するという議論が行われておりますが、占領軍がつくった、占領憲法だから変えなくてはいけないという議論を離れてですね、現行憲法の運用は今の日本人、わたしたち自身の問題であるという意識を持つべきだと思います。

自由には責任が伴う、権利には義務が伴う、そのことを日本人自身が今整理しなければならないと考えます。行き過ぎた自由、他者の権利を侵害している自由については一定の制限があってしかるべきであるということ、そしてまたこの論点については大いに議論がなされるべきであることを主張いたしまして、わたくしの質問を終わります。

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