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2017年9月の11件の記事

2017年9月26日 (火)

息子の遅い夏休み。美味しいお菓子(東京カンパネラ、フライドパスタスナック、栗のグラッセ、千枚)。

東京在住の息子が、20日の夜から23日の朝まで帰省していた。5月に久しぶりに帰省してから4ヶ月しか経っていなかったので、嬉しい驚きだった。

ヨーロッパの外資系企業(日本法人)からアメリカの外資系企業(日本法人)へと転職した息子だったが、息子は直属の上司共々ヨーロッパにある子会社にも所属しているような仕事形態だそうだ。

前にいた巨大な総合化学メーカーと比べると、全くタイプの異なる、フットワークの軽い会社という印象を受ける。

ホームページやウィキペディアで新しく入った会社の歴史を見ると、元々はNASAに関係した某プロジェクト開発のため、アメリカ政府の要望を受けて設立された会社らしい。ああそうか、このようなものがなければ航空宇宙業界も成り立たないんだ、と思った。

息子は前の会社の仕事内容ではキャリアを積めないと感じ、転職に踏み切ったようだ。5月は転職の報告に帰省したという感じだった。今回は遅い夏休みということらしかった。

夏、息子がヨーロッパへ研修を兼ねて出張したとき、オフィスにいた普段は世界を飛び回っているアフリカ出身の女性が(過去記事参照)息子に、実家には帰っているかと訊いてくるという。

黒人は一般的にアットホームだというイメージがあったけれど、実際にそうなのだろう。その女性の言葉で息子が帰省したのかどうかはわからないけれど、そのようなことをいって貰えるなんて、ありがたいと思う。

話が横道に逸れるが、今はお見合いや合コンを設定してくれる会社が沢山あるらしい。

親たちが貧乏になってお見合いの話を持ってくることができなくなればなったで、それに代わるサービスが商売として成り立つようになり、そこから「赤い糸」が提供されるようになったというわけだ。

娘も何回か会社の友人と一緒に街コンに出かけた。その友人は2万円払って、お見合い形式にもチャレンジしたそうだ。

娘の話では、娘たちの年齢からすると、街コンでは若すぎる男性が多く、お見合い形式では逆に年のいきすぎた男性が多いらしくて、出会いのきっかけづくりもなかなかうまくいかないようだ。

それが息子の話によると、都会では30万円かかるが、高確率で双方に満足のいく結婚相手を探してくれる会社があるという。

前にいた会社の人が、それで女医さんと結婚したそうだ。適齢期を過ぎた年齢――その人は三十代後半――でありながら満足のいく結婚相手が見つかるというのなら、30万円は安い値段なのかもしれない。

息子もそうすることもできただろうにと思わぬでもなかったが、そういうタイプではないからこそ転職したということだろう。

以下は献立の私的備忘録。

20日
(夜)
おぼろ豆腐
キュウリのヨーグルトドレッシング(服部幸應先生のレシピ→ここ
ボルシチ(ざっとした我流レシピ→ここ

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寒くなると盛んに作るボルシチだが、この街に引っ越してきてからチャレンジした料理なので、息子はまだ食べたことがなかった。気に入ってくれたようだ。息子は自炊するので、ボルシチなんかはいいと思う。

栗御飯(鈴木登紀子先生レシピ→ここ

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栗御飯を作ったのは久しぶりだった。

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21日
(朝)
ミニクロワッサンとコーヒーで軽く済ませる。

(昼)
ダリ展を観たあと、ショッピングモールへ。
モロゾフ

(夜)
浜勝(とんかつ屋さん)

22日
(朝昼兼用)
そうめん(夫がそうめんを茹でてくれた)
かまぼこ
日田産梨

(夜)
ワイン
大盛サラダ二皿(緑色のものはプチトマト)

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山盛りの野菜の写真は撮ったものの、他の写真は撮る暇がなかった。山盛りの野菜は結構余るだろうなと思っていたが、皆よく食べてくれた。

リオナソーセージ・ペッパーロースハム・チーズ(6ヶ月熟成ミモレット。前回は12ヶ月)の盛り合わせ。
 ※6ヶ月熟成ミモレットはキャラメルのような風味。12ヶ月はカラスミのような風味。
焼き肉(牛肉)・じゃこ天・ウインナー
カリカリじゃこ・薬味のミョウガ・梅干し・明太子などをお茶漬け用に並べていたが、家族はカリカリじゃこを御飯にかけて「美味しい」と食べていた。

カリカリじゃこは、ちりめんじゃこを油できつね色になるまで炒め、仕上げに鍋肌からしょうゆを絡ませたもの。

マスカット
 ※マスカットは1200円。それで家族4人には充分な分量のデザートになった。

美味しいと思ったお菓子。わたしは普段しない間食をかなりしてしまったので、ダイエットの必要がありそう。

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息子の東京土産、アイル「東京カンパネラ」。クッキー生地がサクサクしていて、美味しかった。

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ドーバーフィールドファーイースト「フライドパスタスナック」。食べ出したら止まらない。

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竹林堂製菓「栗のグラッセ」。あんこに栗のかけらが入っている。お洒落なお菓子。

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渡辺商店(名古屋市)「千枚」。これはまだ封が開いていない。同じところから出ているがんこ焼が美味しかったので、これも美味しいだろうと思う。

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2017年9月25日 (月)

両声ヴォーカリスト、マリアセレン

2013年に公開された動画のようですが、わたしはマリアセレンさんというかたを全然知りませんでした。今日たまたま動画を視聴して、びっくりしました。

御存じないかたは、リンク先の動画で熱唱されている歌を、だまされたと思って最後まで聴いてみてください。

https://youtu.be/3RWs7yeGLyU

 動画のタイトル:脅威の歌唱力!!本当に凄すぎる!!

女性が歌っていると思って聴いていたので、途中から別の声になったとき、まるでそれまでの女性に男性が乗り移ったかのような、オカルトめいた印象を抱いてしまったほどでした。一人の人間の中に男女二人が存在して、それぞれに歌っているような不思議さがあります。

それにしても凄い歌唱力ですね。

オフィシャルサイトもあるようです。

マリアセレン オフィシャルサイト
https://maria-seiren.com/

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2017年9月24日 (日)

本日一気に三味線、ヒグマ、キンモクセイ2本ゲット(インターポット)。ダリ展。

息子が帰省していたので、その間にビンゴ券が溜まりました(というと変ですね。最低限のビンゴだけやっていたということです、短時間で券を増やすためだけのビンゴを)。

それを使って、本日一気に浮世絵の三味線、ヒグマのオブジェB、キンモクセイ2本(計4本に)をゲットしました。

まあ三味線がほしくてチャレンジしているうちに、他のものもゲットしたというだけのことですが。

インターポット

アバ嬢が三味線を気に入ってくれたみたいで、さっそく神妙な顔つきで弾いています。アバ嬢は顔がデカいので、そばに植えた柳の木がまるで雑草みたいに見えます。

庭には現在、この三味線の他にハープとししおどしがあり、それぞれに音を出すので、なかなか賑やかです。

インターポット

ヒグマの置き場所が決まらないので、とりあえず遠景風に。いただいたものを置くだけの芸のなさですが、そのうち統一のとれた庭にしたいと考えています。

海底シートをゲットしているので、庭を海の底にもできますが、その勇気がありません(?) 海の中って、魅力も感じますが、何だか怖くて。

アバ嬢は設置中の飛び込み台から、可愛いエーゲ海によく跳び込んでいるので、海底散歩は大歓迎でしょうね、きっと。

コイコイ潜水艦、金のイカリ、エンゼルフィッシュ水色、キングハリセンボン、巻貝C、海の花中、海藻大B、おいしい海藻大B、おいしいワカメをゲットしています。

帰省中の息子と一緒に、家族全員で市立美術館へ『ダリ展』を観に行きました。20世紀を代表する画家サルバドール・ダリ(1904 - 1989)の版画200点が展示されていました。

ダリといえば、シュルレアリスムに属する画家で奇人変人、詩人ポール・エリュアールの奥さんガラを奪った(?)男……くらいの知識しかなかったので、今回展示されていた版画の大部分を占めていたのが旧約聖書をテーマとしたものだったのがちょっと意外でした。

ダリはスペイン出身の画家で、裕福だったようです。一族は自分たちをユダヤ系の血筋と信じていたとか。

「信じていた」というのは、どういうことでしょう。古代ユダヤ人の血筋だと信じていた――ということでしょうか。

わたしにはどれも同じような、奇を衒った――つまり解釈の浅い――作品に見えました。同じ旧約聖書をテーマとしていても、東欧系ユダヤ人(アシュケナジム)だったシャガールなどとは、何という画風の違いだろうと思いました。

ただ、1945年にアルフレッド・ヒッチコック監督が制作したサイコスリラー映画『白い恐怖』に出てくる夢のシーンにダリが協力していると知り、ああなるほどと思い、興味が湧きました。

この映画は現在パブリック・ドメインになっているそうなので、YouTubeにアップされているのではないでしょうか。

装飾的に使われるほうが、ダリの作品は本領を発揮できる気がします。印象に残った以下のダリの言葉。

毎朝起きるたびに、私は最高の喜びを感じる。「サルバドール・ダリである」という喜びを!

ふーん。

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2017年9月19日 (火)

「74 祐徳稲荷神社参詣記 ④神仏習合」を神秘主義的エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

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雷門、ゲット!(アバター・インターポット)

インターポット

ここ数日、以前よりアバターに会いに行く回数が減ったせいか、いつも足りないと思っていたビンゴ券が溜まっています。

したいけれど、時間がありません。

「雷門」はその前にゲットしました。

どうしてもほしかった、雷門(どうしてもほしいと思うアイテムが次々に登場します)。

もう12年も前になりますが、一度だけ行ったことのある浅草寺。そのときのことを記事にしていますので、引用。

2009年3月19日 (木)
人形焼〜!
http://elder.tea-nifty.com/blog/2009/03/post-1df8.html

4年前、娘と東京に遊びに行ったとき、浅草にも出かけ、雪のちらつくなか、人形を象った焼き立てを袋に入れて貰い、歩きながら食べたことを思い出しました。雷門の下だったか、鳩が数羽、寒そうに身を寄せ合っていました。

恥ずかしながら浅草寺についてあまり知らなかったので、公式サイトを閲覧しました。

聖観音宗 浅草寺(公式サイト)
http://www.senso-ji.jp/

複雑な歴史を抱えた、古い魅力的なお寺であるようです。

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2017年9月17日 (日)

歴史短編1のために #30 神仏習合(加筆あり)

神秘主義エッセーブログに入れようと思って過去ノートに加筆したものですが、先にこちらにアップしておきます。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

数年前から、祐徳稲荷神社を創建した花山院萬子媛をモデルとした歴史小説に取り組んでいる。第一稿で粗描を試み、第二稿に入ったところだ。

萬子媛が入られた黄檗禅系祐徳院は、取材の結果、庵のような小規模の建物ではなく、もっと大きな建物だったと推測されるので、小説の冒頭部分は書き直さなければならない。

祐徳院は法泉寺と同じく普明寺の子院だったから、法泉寺くらいはあったのではないかと思う。普明寺は法泉寺の1.5倍くらいの大きさに見えた。

祐徳院の門には、普明寺の門のところにあったのと同じ「不許葷酒入山門(葷酒の山門に入るを許さず)」と記された碑があったであろう。

不許葷酒入山門とは、肉や生臭い野菜を食べたり酒を飲んだりした者は、修行の場に相応しくないので立ち入りを禁ずるという意味である。(→ウィキペディア「禁葷食」

萬子媛の義理の息子で、大名であった直條の執筆とされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』(祐徳稲荷神社蔵)を読むと、祐徳院に所属する尼僧の外出、俗客の往来を許さず、その他の規則は大変厳しかった(森厳という言葉が使われている)とあるのが、碑文にぴったりくる。

そして、神事のほうも、滞りなく行われていたに違いない。江戸時代までの神仏習合は現代日本の神仏習合とは様相が違っていたのではないだろうかと考えて、それをどのように描けばいいのかわからず、わたしは何ヶ月も悶々としていた。

例えば、出家後の萬子媛は神事にどのように参加されていたのだろうか……と考えたとき、思い出したのは前に図書館から借りて読んだ『英彦山修験道絵巻』だった。

村上竜生『英彦山修験道絵巻 』(かもがわ出版、1995)は江戸時代に作られた「彦山大権現松会祭礼絵巻」に関する著作である。絵巻が作られたのは有誉が座主のときであった。

有誉の母は花山院定好の娘――つまり、萬子媛の姉だったと思われる。萬子媛の兄弟姉妹については拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72 に書いている。

萬子媛の兄弟姉妹は、花山院家を継いだ定誠以外は、円利は禅寺へ、堯円は浄土真宗へ入って大僧正に。姉は英彦山座主に嫁ぎ、妹は臨済宗単立の比丘尼御所(尼門跡寺院)で、「薄雲御所」とも呼ばれる総持院(現在、慈受院)へ入った。定誠、武家に嫁いだ萬子媛も結局は出家している。

絵巻に描かれた神事の情景の中に、神職の格好をした人や一般の参列者の他に僧侶姿の参列者の描かれていた記憶がある。

萬子媛と一緒に京都から下ってきたと想像される、萬子媛に仕えていたという尼僧が技芸神として祀られている(拙「マダムNの神秘主義的エッセー」 72  参照)ことから考えると、神事の際に行われる神楽舞の振り付けなどはその人が指導したのではないかとわたしは考えている。

神事のとき、萬子媛はどのような位置で、どのような行動をなさっていたのだろうか。

厄除け祈願をお願いしたときのことが参考になるだろうか?

これはあくまでわたしの神秘主義的感性が捉えた――内的鏡にほのかに映った――萬子媛をはじめとする、この世にあったときは尼僧であったと思われる方々の御祈願時の様子なのであるが、わたしはそうしたこの世ならざる方々が御神楽殿での御祈願時にそこへお見えになるとは想像もしていなかった。

そのときまで萬子媛のことしか念頭になく、御祈願のときにもし萬子媛をわたしの内的鏡が捉えることがあるとしたら前方に捉えるのではないかと想像していた。というのは、そのときに萬子媛の臨在があるとすれば、神主さんに寄り添うような形をとられるのではないかと漠然と想像していたからだった。

事実は違った。萬子媛をはじめとする尼僧の方々――生前は尼僧であったとわたしが推測する方々――は、御祈願を受けるわたしたち家族のすぐ背後に整然と並ばれたのであった。拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」収録の以下のエッセーを参照されたい。

45 祐徳稲荷神社参詣記 ①2012~2014年
71 祐徳稲荷神社参詣記 ②2016年6月15日
72 祐徳稲荷神社参詣記 ③2017年6月8日

端然とした雰囲気の中にも、日ごろの馴染んだ行為であることが窺えるような、物柔らかな自然な感じがあり、整然と並ばれたといっても、軍隊式を連想させるような硬さは全くなかった。

わたしの内的鏡にほのかに映った美しい情景からは、江戸時代初期から中期かけて、神事というものがごく自然に仏事や日々の生活に溶け込んでいた様子が窺えた。神事も仏事もどちらもこよなく敬虔に、当たり前のこととして行われていたに違いない。

わたしがここでいう内的鏡とは、物質の鏡とは異なり、対象が生者であろうがこの世ならざる者であろうが、対象としたものの内面性や雰囲気を精緻に捉える鏡なのだ。姿は、ほの昏い湖面に映るかのような、ほのかに映る程度である。

オーラが時には肉眼で見えるどんな色彩よりも鮮明に生き生きとして見えるのとは、違う。オーラを見るときは肉眼で見るように見る。内的鏡で見るときは自らの心が鏡のようにも目のようにもなって、内的鏡を内的視力で見るという感じなのだ。

どちらも神秘主義的能力だと思うが、使い勝手(?)が異なる。神秘主義の文献によく鏡という表現が出てくるのを、なるほどと思うようになった。この内的鏡をいつごろからか、心が清澄であるときにごく自然に使っている自分に気づくことがある。

話が逸れたが、『梁塵秘抄』は平安時代末期に後白河院(1127生 - 1192没)によって編まれた歌謡集であるが、ここでは神事と仏事の習合が見られ、そこからは純粋というだけでなく、格調高いといえるような信仰心が汲みとれる。

江戸時代もおそらくそうで、明治時代に神仏分離令が出されるまで、そうしたところは変わらなかったのではないだろうか。

臼田勘五郎&新間進一 校注・訳『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』(小学館、1976初版、1989第14版)によると、『梁塵秘抄』は『梁塵秘抄二十巻後白河院勅撰』といい、20巻であったらしい。

20巻のうち、10巻が音律の秘伝や芸歴などを記した口伝集、残りの10巻が歌詞集であったそうだが、大半が失われてしまった。現存するのは巻第一断簡の長歌[ながうた]・小柳[こやなぎ]・今様と、巻第二の法文歌[ほうもんうた]・四句神歌[しくのかみうた]・二句神歌[にくのうみうた]である。

ただ、法文歌と四句神歌とで合計400首を超えるというから、それだけでも結構なボリュームだ。

ここで、前掲書『神楽歌 催馬楽 梁塵秘抄 閑吟集 日本古典文学大系』の『梁塵秘抄』から歌と訳を引用しておこう。

法文歌のうち最も有名なのは、格調高い響きを持つ次の歌だろう。

仏は常にいませども 現[うつつ]ならぬぞあはれなる 人の音せぬ暁[あかつき]に ほのかに夢に見えたまふ
 仏はお亡くなりになることなく常にいらっしゃるのだが、お姿を拝することができない。それが尊く思われる。しかし、人の物音のしない静かな暁には、かすかに夢の中にお姿を現わされる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.204-205

次の法文歌と神歌には同趣意の主張が含まれている。神仏と人の違いに萎縮するようなところは微塵もない。いずれは神仏に成る我が身、ならねばならない我が身との自覚があってこその矜持だろう。

仏は昔は人なりき われらも終[つひ]には仏なり 三身仏性[さんしんぶつしやう][ぐ]せる身と 知らざりけるこそあはれなれ
 仏も遠い昔にはわれらと同じ人であった。われらも最後には成仏することができるのだ。三身仏性を本来備えている身であると知らないで、仏道をなおざりにしているのが、悲しいことに思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,pp.257-258

ちはやぶる神 神にましますものならば あはれと思[おぼ]しめせ 神も昔は人ぞかし
 (ちはやぶる)神よ、ほんとうに神でいらっしゃるならば、私の訴えをかわいそうだとお思いになってください。神も昔は人であられたのですよ。臼田&新間 校注・訳,1989,p.317

権現に直訴するかのような、迫力と切実さを感じさせる神歌もある。

花の都を振り捨てて くれくれ参るは朧[おぼろ]げか かつは権現[ごんげん]御覧[ごらん]ぜよ 青蓮[しやうれん]の眼[まなこ]をあざやかに
 花の都を振り捨てて、暗い気持で参詣するのは、なみたいていの志だろうか。権現[ごんげん]よ、一方では私の志をもよくよくごらんください。その青蓮[しようれん]の眼[まなこ]をかっと見開いて。臼田&新間 校注・訳,1989,p.266

次の神歌について「日吉山王[ひえさんのう]を舞台に、神仏習合思想の要約を巧みに歌謡化した感じ」と解説されているが、正にそんな趣の歌だ。

仏法弘[ひろ]むとて 天台麓[てんだいふもと]に迹[あと]を垂れおはします 光を和[やは]らげて塵[ちり]となし 東の宮とぞ斎[いは]はれおはします
 わが国に仏の教えをひろめようというので、この比叡山の麓に、釈迦如来[しやかによらい]以下の仏や菩薩[ぼさつ]たちが、二十一社の神々となり化現されて、鎮座しておられる。威光を隠して俗世に交わり、東方の尊い神社として、祀[まつ]られていらっしゃる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.261

四句神歌のうち雑[ぞう](主として世俗的な民謡風の歌を集めたもの)に分類された次の歌は、最初に挙げた法文歌と並んで『梁塵秘抄』を代表する歌であり、解釈は様々あるようだが、清冽な信仰心が通奏低音となっているがゆえに、えもいわれぬ歌となっているのではないだろうか。

遊びをせんとや生[う]まれけむ 戯[たはぶれ]れせんとや生[む]まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ揺[ゆ]るがるれ
 遊びをしようとしてこの世に生まれてきたのであろうか。それとも戯れをしようとして生まれてきたのであろうか。無心に遊んでいる子どもたちの声を聞いていると、自分の体までが自然と動き出すように思われる。臼田&新間 校注・訳,1989,p.293

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2017年9月13日 (水)

ハープの音色を聴きながら、湯布院温泉に浸かるアバ嬢。

インターポット

ハープの音色を聴きながら、湯布院温泉に浸かるアバ嬢(ハープは写っていません)。

最近ゲットできたのは、ハープ、柳の木A、ご当地温泉 湯布院、コイコイ浮世絵の鶴です。

まだ娘がよちよち歩きをしていたころ、そのころ住んでいた福岡空港の近くから大分県にある飯田高原、湯布院温泉に出かけました。

そのとき泊まった旅館の温泉の色が透き通った紫色で、とても神秘的に思えました。

その後、夫が大分県日田市に転勤になって大分県民に。今は大分市に住んでいます。

アバ嬢に湯布院温泉に浸からせてあげたいと思っていたので、ゲットできて嬉しいです。

インターポット

何だか生々しい鶴ですが、浮世絵っぽい鶴だということです。

庭は夜のほうが風情があって、好きです。相変わらず和洋折衷というよりも、ごちゃごちゃした庭で、恥ずかしいのですが。

インターポット
マダムNさんの庭を見に行く

インターポット(アバター)とリヴリーアイランドで時間が結構潰れてしまいます、どうしましょう?

ゲームしながら萬子媛をモデルとした小説のことを考えたりしているのですが(スロットがそれに適しています)、主婦業の合間に創作や読書の時間を確保しようと死に物狂い(?)になってきたわたしにとっては、遊びすぎの感のある変則的な日々です。

こんな年――59歳――になるまで、ゲームで遊ぶこともなかったので、インターポットにしても、リヴリーアイランドにしても、わたしには新鮮なのです。

インターポットをしている人は小学生から高齢者まで、幅広い層に渡っているようです。わたしはなぜか自然に高齢者の層に混じっていることが多いのですが、時々小学生の層に入ってしまって、抜け出そうと、ジタバタしてしまうことがあります。

マイブログに表示されるブログが真面目ではあっても大人向きだと思うので、小学生にまじっちゃ悪いかなと思ってしまうのです。

いずれにしても、創作に本腰入れ出すとなると、徹夜が挟まる体力勝負の日々になるので、インターポットは数日置きくらいに楽しませていただくことになりそう。アバ嬢が楽しめるように乗り物は結構ゲットしたので、我慢してくれるかな?

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2017年9月11日 (月)

9月11日に、循環器クリニック受診

午前中は混むことが多いため、午後に受診。看護師さんによると、この日も午前中は混んでいたそうだ。

今日は採血日に当たっていたらしい。うっかりしていた。朝食抜きで、午前中に行くべきだった。

看護師さんが予約票を渡し忘れたとおっしゃったが、総合病院とは違ってこのクリニックでは自分でお願いする形式なので、自分で予約をお願いするべきだった。

現在、診察が2ヶ月に1度、採血・心レントゲン・心電図・尿検査が半年に1度。

午後で、お昼ごはんも食べていたのだが、それでも構わないから今日やりましょうか、と看護師さんがおっしゃった。「次回となると2ヶ月後になり、間が空きすぎますね」

お願いしますというと、「先生にお話ししてきます」と看護師さん。OKが出た。

採血のときに、サンリズムを何時に飲んだか訊かれた。少し遅いお昼ご飯のあとで(普段はお昼はほとんど食べない)、午後1時くらい。心房細動の予防に服用しているサンリズムの血中濃度を調べるためだ。

先生からお聞きした別の病院で起きた怖いケースでは、サンリズムの量が多すぎて致死的な不整脈を起こした患者さんがいたそうだ。わたしの場合は血中濃度を調べていただいて、いくらか多かったことがわかり、半量になった。

多いくらいのほうがバッチリ効くので、半量に減ってしばらくは不整脈が起きやすくなり、気持ちが悪かった。最近はまあまあだ。

日赤の代謝内科で副甲状腺機能亢進症を疑われ、経過観察を受けているのだが、先月受診した際に(→8月2日に、代謝内科受診)、副甲状腺ホルモンはいつものように高め、カルシウムは基準値内といっても、上限が 10.1 のところ、10 だった。

これまでは  9 台をうろうろしていて、10 台になったのは初めて。このカルシウムが今後、基準値を超えてくるかどうかだろう。

先生にそのお話と、7月から8月にかけて尿路結石に悩まされたことをお話ししたところ(副甲状腺機能亢進症の症状の一つに尿路結石がある)、クリニックの今回の採血の項目にカルシウムを追加してくださった。

「リンも入れておこう」と先生。

心レントゲンでは、心胸比を測り、前回のレントゲン写真と比較しておられた。「うん……OK」とのこと。尿検査、心電図の結果はお聞きしていない。

暑かったせいか、帰りにスーパーに寄って帰宅すると、ドッと疲れが出て、しばらくは着替えもできず、洗濯物の取り込みもできなかった。もう少し体力があればなあ、と病院から帰ると、いつも思う。

ニトロペン舌下錠もミオコールスプレーもまだあるので、今回は出して貰わなかった。

心臓の薬(60日分)

  • インデラル錠10㎎ 1回1錠 毎食後
  • シグマート錠5mg 1回1錠 毎食後
  • サンリズムカプセル25㎎ 1回1Cap 毎食後
  • ヘルベッサーRカプセル100mg 1回1Cap 朝・夕食後
  • アイトロール錠20mg 1回1錠 朝・夕食後

腎臓・尿管結石の薬

  • ウロカルン錠225㎎ 1回2錠 毎食後 30日分

喘息の薬

  • フルタイド200ディスカス(ステロイド剤、吸入薬) 1個 吸入

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2017年9月 9日 (土)

鳥居、ゲット!(アバター)

インターポット

「鳥居」がゲットできました。この鳥居を眺めて、萬子媛をモデルとした小説を書く励みにしたいと思います。

浮世絵シリーズのアイテムがある程度溜まったら、浮世絵っぽい和風に統一しようと思っていたのですが、そうするだけのアイテムが集まらないので、和洋折衷というより和洋ごっちゃのままです。

このシリーズが登場してから、死神の出現率が高くて、鳥居の他にゲットできたのは「でか番傘 黄」「温泉桶 とっくり」、それに松の木くらいです。

とっくりは「ご当地温泉 湯布院」をゲットして、それに浮かべられたらと思いますが、無理でしょうねえ。

ほしかった「コイコイ浮世絵 波」「コイコイ浮世絵 赤富士」「コイコイ浮世絵 箱根」……どれもとれませんでした。

「おいしいお化けアサガオ」がやたらと溜まり、もうこれいらないと思ったのですが、植えてみると、案外綺麗。アバ嬢も「♪~(ホントね!)」と共感してくれました。

夜になると、松がほんのり光り、これはなかなかいい感じです。

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2017年9月 7日 (木)

文学界のち的発言集 ①島田雅彦氏、平野啓一郎氏、山中恒氏

記事のタイトルの「ち的」の「ち」に知、痴、どちらの漢字がしっくりくるか、ご自身でご判断ください。

島田雅彦氏のツイッターが最近、炎上したようだ。

2017年8月29日19時14分の島田氏のツイート

PAC3に116億、Jアラートに92億を払うより、金正恩に小遣いやって懐柔し、日本を射程から外してもらう方が安上がりで確実なミサイル防衛になったりして。ロシアや中国はそれくらいの裏技を使っているだろう。

Shimada_twitter_20170829

https://twitter.com/SdaMhiko/status/902716208599797760

島田雅彦氏は1961年生まれの小説家である。また、法政大学国際文化学部教授であり、2010年下半期より芥川賞選考委員を務めている。

イスラム過激派アイシルによる日本人拘束事件が起きたとき、日本政府はテロに屈しない方針を固めたのではなかったか。

芥川賞選考委員、大学教授という社会的地位にある、知的エリート、知識人と呼ばれるべき、それゆえに責任を帯びているはずの人間が甚だしく知性を欠いた、ヤクザの一味であるようなことを平気でのたまう。

島田氏は過去にも問題発言を行っている。

平野啓一郎氏のツイッターも、やはり最近炎上したようである。


Hirana_twitter20170830

https://twitter.com/hiranok/status/903046626234605569

「今月、首相が公邸に泊まったのは25、28両日のみ。いずれも翌早朝に北朝鮮がミサイルを発射しており、事前に兆候を察知していたとみられる。25日は夜の会合などを入れず、28日夜も公邸内で自民党役員らと会食したのみ。出席者の1人は『首相はあまり酒を飲まなかった』と話していた」という8月30日18時15分配信のニュース(時事通信)に対して、平野氏は「腐ってる。」とツイートした。

平野啓一郎氏は1975年生まれの小説家で、1998年『日蝕』で『新潮』デビュー。デビュー時には三島由紀夫の再来ともてはやされた。翌1999年には、『日蝕』で第120回芥川賞を最年少とされる23歳で受賞。

どうしてこうした人々は、北朝鮮がミサイルを飛ばすと、安倍首相の一挙一動、一言一句をにケチをつけ、攻撃しようとするのだろう?

北朝鮮の暴挙に対して、作家らしい抗議声明を出してもいいところを、そうした援護射撃どころか、寝首を掻こうとしているようにしか思えない。もし首相の行動に問題があると思うのなら(どこに問題があるのか、わたしにはわからない)、作家らしい文章で疑問を呈するべきだろう。

ああ恥ずかしい……

平野氏関連の過去記事は以下。

こうした人々が純文学界を占拠しているのだ。尤も、日本の純文学はもう虫の息だ……まだ息があるとは思うのだ、そう思いたい。

彼らがいっていることと同系統の発言を、 1931年生まれの児童文学作家――ウィキペディアを見ると、児童よみもの作家と呼ぶべきなのだろう――である山中恒氏の動画で聴き、衝撃を覚えた。

ウィキペディア「山中恒」より引用

「児童文学作家」と呼ばれることを好まず、「児童よみもの作家」と称している。理由はデビュー当時「児童文学者」を称した人々の純文学的な作風への反発に加え、戦争中に戦争協力的な作品を書いた当時の児童文学作家が、戦後あっさりと「民主」的な作風に乗り換えたことに対する反発もあるとされる。

ウィキペディアの執筆者. “山中恒”. ウィキペディア日本語版. 2017-02-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%B1%B1%E4%B8%AD%E6%81%92&oldid=62872532, (参照 2017-02-02).

以下の過去記事をきちんと書き直そうと思い、 児童文学界の重鎮と思われる山中恒氏の論文を再読し、講演動画を探したのだった。

山中恒氏のオンライン論文は以下のリンク先のページで公開されている。わが国の児童文学界について知ろうと思えば、これらの論文を読まずに済ませるわけにはいかないだろう。

課題図書の存立構造・抜粋(.htm版)/.txt版 初出『教育労働研究2』(1973・10社会評論社) 所収『児童読物よ、よみがえれ』(1979・10 晶文社)
課題図書の存立構造(全文)/.txt版 (山中恒)初出『教育労働研究2』(1973・10社会評論社) 所収『児童読物よ、よみがえれ』(1979・10 晶文社)

『子どもの本のねがい』(NHK出版協会 1974)
『児童読物よ、よみがえれ』(晶文社 1978)

http://www.hico.jp/ronnjya/08y/yamanakah.htm

課題図書の存立構造」を読むと、日本の児童文学界が共産系のおらが村になった経緯がわかる。ひじょうに参考になる論文だが、気になる点がいくつかあった。いずれ前掲過去記事を書き直すときにそれについても触れるつもりである。

衝撃を受けた動画というのは、2016年3月6日(日)、東京都町田市の町田市民文学館ことばらんどにて開催された山中恒講演会「子どもの本のねがい ―児童読物作家として」を収録したものである。

動画のUPL https://youtu.be/-JHsxTIen6k

動画の中で、山中氏は次のようなことをいっている。

いじめの国家的範囲に拡がっていくのが戦争だってこと考えていくとね、いじめっていうのは撲滅しなきゃいけないし、必ずいじめやったらね、しっぺ返しがくるんだってことをね、子供にも知って貰いたいし、今申し上げたようにね戦争っていうのは、一旦始まっちゃったらどうにもならないんですよ。

今になって北朝鮮や中国の悪口いうけどもね、どうしてアメリカの悪口いわないの?

「いじめの国家的範囲に拡がったのが戦争」という幼稚な考えかたには、心底驚かされた。子供の時の戦争体験が強烈すぎて、また栄養不足などもあり、脳の発達がそこで止まってしまったのではないだろうか、と真剣に考えてしまった。

「今になって北朝鮮や中国の悪口いうけどもね、どうしてアメリカの悪口いわないの?」というのは講演の中に出てくるもので、子供の言葉ではない。

北朝鮮や中国が日本の脅威になった今だからこそ、北朝鮮、中国の批判をするのではないのだろうか。

共産主義者以外の人間はアメリカの批判をしないというのは認識不足だと思うが、普通の日本人であれば、アメリカが同盟国であることを認識している。それに対して、中国、北朝鮮のミサイルは現に日本に向いているのだ。

危機管理意識がいわせる批判であって、悪口などという生易しいレベルのことではないはずだ。戦争の恐ろしさを知っていると講演でアピールしている人間が日本の危機的状況下でこちらにミサイルを向けている相手を見ず、自国のみ凝視しているのが異常である。

この人は戦時中子供であったために、戦争下の特殊な状況に置かれていた日本――戦時下ではどの国もそうである――がずっと昔から、そして敗戦後もずっとそのような日本であるような妄想を抱いているのではないだろうか。

子供が不都合なこと、理不尽なことは全て親のせいだと思うような、何か痛々しいところさえある。その親の代表、シンボリックな父親が安倍首相というわけなのだろう。

とにかく、日本が危機的状況にあることは間違いない。以下の本はおすすめ。スイス人の危機管理能力は凄い。この本を読めば、日本人がどんなに無防備であるかがよくわかる。

民間防衛ーあらゆる危険から身をまもる
原書房編集部 (翻訳)
単行本: 320ページ
出版社: 原書房; 新装版 (2003/7/7)
ISBN-10: 4562036672
ISBN-13: 978-4562036677

アマゾンの商品説明から引用させていただく。

商品の説明
内容紹介
本書はスイス政府がその住民と国土を戦争・災害から守るためのマニュアルとして、全国の各家庭に一冊ずつ配ったものの翻訳である。官民それぞれが平時から準備すべき事柄が簡潔に具体的にまとめられ非常に参考になる。この1冊で、戦争や災害などの、想定されるさまざまな局面と状況に対応できる!


【内容目次】

平和

われわれは危険な状態にあるのだろうか
深く考えてみると
祖国
国の自由と国民それぞれの自由
国家がうまく機能するために
良心の自由
理想と現実
受諾できない解決方法
自由に決定すること
将来のことはわからない
全面戦争には全面防衛を
国土の防衛と女性
予備品の保存
民間防災の組織
避難所
民間防災体制における連絡
警報部隊
核兵器
生物兵器
化学兵器
堰堤の破壊
緊急持ち出し品
被災者の救援
消化活動
救助活動
救護班と応急手当
心理的な国土防衛

戦争の危険

燃料の統制、配給
民間防災合同演習
心理的な国土防衛
食料の割当、配給
地域防衛隊と軍事経済
軍隊の部分的動員
全面動員
連邦内閣に与えられた大権
徴発
沈黙すべきことを知る
民間自警団の配備
妨害工作とスパイ
死刑
配給
頑張ること
原爆による隣国の脅迫
放射能に対する防護
被監禁者と亡命者
危険が差し迫っている
警戒を倍加せよ
防衛

戦争

奇襲
国防軍と民間防災組織の活動開始
戦時国際法
最後まで頑張る
用心
戦いか、死か

戦争のもう一つの様相

敵は同調者を求めている
外国の宣伝の力
経済的戦争

革命闘争の道具
革命闘争の目標
破壊活動
政治生活の混乱
テロ・クーデター・外国の介入

レジスタンス(抵抗活動)

抵抗の権利
占領
抵抗活動の組織化
消極的抵抗
人々の権利
無益な怒り
宣伝と精神的抵抗
解放のための秘密の戦い
解放のための公然たる闘い
解放

知識のしおり

避難所の装備
医療衛生用品
救急用カバン
2週間分の必要物資
2ヶ月分の必要物資
だれが協力するか? どこで?

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2017年9月 2日 (土)

『風と共に去りぬ』のアメリカにおける上映禁止について

映画『風と共に去りぬ』に関する以下のニュースがTwitterで話題になっている。

irr @IrrTenko ・ 8月28日
米テネシー州の劇場で、内容が「無神経」「レイシスト」などの批判のコメントを多く受け取ったとして、34年間続いた映画『風と共に去りぬ』の上演が終わる。同映画はユダヤ系プロデューサーが当時、黒人に対する差別表現を避けて作ったといわれる。

Tennessee Theater Cancels ‘Gone With the Wind’ Screening After 34 Years Over ‘Racist’ Content Complaints
http://www.breitbart.com/big-hollywood/2017/08/26/tennessee-theater-cancels-gone-with-the-wind-screening-after-34-years-over-racist-content-complaints/

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YouTubeに公開されていた予告編を貼りつけさせていただく。

動画のタイトル:『風と共に去りぬ』予告編』(※2009年初ブルーレイ化時)
動画のURL:https://youtu.be/lWcdyySRZck

風と共に去りぬ(Gone With the Wind)

監督 ビクター・フレミング
脚色 シドニー・ハワード
原作 マーガレット・ミッチェル
製作 デビッド・O・セルズニック
撮影 アーネスト・ホーラー
音楽 マックス・スタイナー
出演者 スカーレット=ヴィヴィアン・リー、レット・バトラー=クラーク・ゲーブル、メラニー= オリビア・デ・ハビランド、アシュレー・ウィルクス=レスリー・ハワード、マミー=ハティ・マクダニエル
制作会社 セルズニック・インターナショナル
配給 メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
公開 1939年(アメリカ)、1952年(日本)
上映時間 222分
製作国 アメリカ合衆国
言語 英語
制作費 $3,900,000、

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『風と共に去りぬ』(1939年)。相手役のレット・バトラーはクラーク・ゲーブルが演じた。
From Wikimedia Commons, the free media repository

ハリウッド映画史に残る不朽の名作といわれる『風と共に去りぬ』は南北戦争を背景に一人の女性の生きる姿が繊細、巧みに描かれた壮大な映像芸術作品なのだが、テネシー州の劇場が上映禁止に追い込まれたというニュースに衝撃を覚えた。

しかし、調べてみると、これは初めてのケースではないようで、今やアメリカでは『風と共に去りぬ』を上映するのは大変なようである。

アメリカでの公開は1939年。この年の9月には第二次大戦が勃発している。第二次大戦前にこのような映画が制作されたことは驚くべきことで、歴史的な価値がある映画であることに間違いない。

テネシー州の劇場での上映は無神経、差別主義者という非難を浴びたようだが、そうした非難は誰が誰に、何に対して投げかけた言葉なのだろう?

70年以上経って「今更……」と思わぬでもなかった。人種差別は依然として存在しており、改善されなければならない部分なのだろうが、数の力にものをいわせた『風と共に去りぬ』潰しにも想像され、詳細な経緯を知りたくなる。

黒人の奴隷化を肯定することが目的で制作された作品でないことは映画を観ればわかるはずのことなのだから、黒人が奴隷扱いされた歴史的事実を考慮した上で、上映禁止に関しては慎重に検討されるべきではないかと思うが、甘い考えなのだろうか。

『風と共に去りぬ』は南北戦争という大事件に呑み込まれていく人間模様を南部の視点で描きながら、その中でもがきつつ大倫のロマンスの花を咲かせようとするヒロインの精神的な成長を扱った大河小説である。

原作の終章で、ようやく自分にとってレットがかけがえのない存在であるに気づいたスカーレットであるが、レットは去り、絶望感の中でスカーレットは遂に悟るのである。

彼女は、愛するふたりの男を、ふたりながら、ついに理解していなかったのだ。そして、そのために、ふたりながら失ったのである。もしアシュレを理解していたら、彼を愛するようなことにはならなかっただろうし、もしレットを理解していたら、彼を失うことはなかったであろう。そのことがおぼろげながらわかったのである。いったい自分は、だれにしろ、人をほんとうに理解したことがあったのだろうかと思うと、さびしい気持ちになった。(マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬⅡ』大久保康雄・竹内道之助訳、集英社、昭和44年、688頁)

『風と共に去りぬ』に登場するマミーと呼ばれる黒人の侍女役をハティ・マクダニエルが演じて、アカデミー助演女優賞を受賞している。

マミーは主人公スカーレットの母エレンの部屋付きの侍女で、エレンと共にタラに来た忠実な奴隷である。スカーレットの教育係でもあったマミーはスカーレットにとってタラと一体化した何か大きな存在として描かれている。

生まれたときからスカーレットの側に侍女としてマミーがいるのは、スカーレットの咎ではない。原風景の中に黒人奴隷がいるのはスカーレットにとっては自然なことであり、それがそのまま描かれている。

文学作品は風俗史の役割を果たすものでもあるが、南部では黒人奴隷が農場の担い手であったという歴史的事実がある。

南北戦争後の荒廃したタラの大地を耕して作った綿花畑の中で、きつい監督者のまなざしをしたスカーレットが妹たちを叱咤しながら、手籠に綿を次々に摘み取っていく場面が思い出される。スカーレットは黒人奴隷と同じ労働を体験するのである。

レットに去られたスカーレットは、絶望の中でタラに帰ろうと思う。ヒロイン以外の人間で、『風と共に去りぬ』の最後に顔を出すのはマミーである。

それに、あそこにはマミーがいる。きゅうに彼女は、マミーが、子どものときのように、むしょうに恋しくなった。頭をもたせかけてくれる広い胸や、髪をなでてくれる節くれだった黒い手が恋しくなった。マミーこそは、自分となつかしい昔をつなぐ最後の輪なのだ。
 たとえ敗北に直面しようとも、敗北を認めようとしない祖先の血を受けた彼女は、きっと顔をあげた。レットをとりもどすことができる。かならずできる。いったん、これと心をきめたら、自分のものにできない男なんて、いままでにも、けっしてなかったではないか。
(みんな、明日、タラで考えることにしよう。そしてら、なんとか耐えられるだろう。明日、あのひとをとりもどす方法を考えることにしよう。明日はまた明日の陽が照るのだ)
(ミッチェル,大久保・竹内訳,昭和44,pp.689-690)

こうして大河小説『風と共に去りぬ』は終わるのだが、映画は原作を損なうことなく、印象的な場面を数々残して幕を閉じる。

わたしが調べたところでは、前掲の上映禁止の動きには民主党ヒラリーのポリコレリベラル団体が絡んでいるらしい。

ヒラリー・クリントンがドナルド・トランプに大統領選で敗れてから、アメリカでデモや暴動が相次いでいる様子からすると、民主党のリベラル勢力が『風と共に去りぬ』をトランプ政権潰しのアイテムの一つと見なして利用していることも考えられる。

ポリコレというのが何なのかわからなかったので、ウィキペディアを閲覧すると次のように解説されていた。

ウィキペディア「ポリティカル・コレクトネス」

ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、日本語で政治的に正しい言葉遣いとも呼ばれる、政治的・社会的に公正・公平・中立的で、なおかつ差別・偏見が含まれていない言葉や用語のことで、職業・性別・文化・人種・民族・宗教・障害者・年齢・婚姻状況などに基づく差別・偏見を防ぐ目的の表現を指す。

1980年代に多民族国家アメリカ合衆国で始まった、「用語における差別・偏見を取り除くために、政治的な観点から見て正しい用語を使う」という意味で使われる言い回しである。「偏った用語を追放し、中立的な表現を使用しよう」という活動だけでなく、差別是正に関する活動全体を指すこともある。

ウィキペディアの執筆者. “ポリティカル・コレクトネス”. ウィキペディア日本語版. 2017-08-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%86%E3%82%A3%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AC%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%8D%E3%82%B9&oldid=65237460, (参照 2017-08-24).

これが行き過ぎた場合、あるいは別の目的のためのアイテムとして使われた場合は、それに対する反発が起きてくるのは当然のことで、梓弓さんというかたの解説にはなるほどと思わせられたので、引用しておきたい。

クリントン敗北の要因の一つはポリコレによる言葉狩り"在米駐在の中小企業サラリーマン、梓弓さんがアメリカの実情を解説。
https://togetter.com/li/1046979

梓弓 @Ma_R8
2016-11-10 06:26:02
今回のクリントン敗北の要因の一つはポリティカル・コレクトネスによる言葉狩りが典型で、普段「和解」とか「融和」と言いながら、リベラル側が決めた枠にハマらない人達に対する言論封殺やヘイトスピーチ全開のリベラル達の非寛容さの偽善に多くの米国民が拒否反応を示したからだと思う。

梓弓 @Ma_R8
2016-11-10 06:30:52
「今年の会社のクリスマスカードはハッピーホリデイズじゃなくてメリークリスマスにするぞ!」と同僚。キリスト教徒以外にメリークリスマスと言えと強制したら問題だが、キリスト教徒が会社ではメリークリスマスのクリスマスカードが使えない窮屈さから解放されそうな同僚は晴れ晴れとした気分だった。

これは日本の左派にもいえることで、左派による言論封殺、自分達には甘くてヘイトスピーチやり放題、不寛容、偽善には多くの日本人に拒否反応が出始めているところなのではないだろうか。

わたしは改めて、映画の原作であるマーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』とアン・エドワーズによって書かれたミッチェルの伝記『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』を本棚の奥から引っ張り出して再読したわけだが、今回の再読で初めて気づいた、面白い――というと語弊があろうが――事実に気づいた。

南北戦争当時、南部は民主党の地盤だったということに。ウィキペディアで確認をとってみた。引用する。

ウィキペディア「アメリカ合衆国民主党の歴史」

奴隷制をめぐる対立が激化し、反奴隷制を掲げて共和党が結党された後、1860年から1932年にかけては共和党優位の時代となった。特に南北戦争前後の民主党は弱体化し、一時期は南部の地域政党の様相を呈した。
………………………
南北戦争が終結し、レコンストラクション(再建)の時代に入ると、旧連合国諸州の合衆国復帰や、奴隷制廃止後の諸問題の解決をめぐり、共和党内部にリンカーン等穏健派と急進派の分裂が生じた。共和党急進派は1866年アメリカ合衆国下院選挙で議会の3分の2を占める勝利を挙げて、国内問題を処理するための権力を手に入れ、南部を軍事的に占領して黒人に投票権を与える等の急進的政策を実行した。民主党議員は共和党急進派の再建政策に全力で反対したが、無駄であった。

ウィキペディアの執筆者. “アメリカ合衆国民主党の歴史”. ウィキペディア日本語版. 2017-03-11. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%B0%91%E4%B8%BB%E5%85%9A%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2&oldid=63317093, (参照 2017-03-11).

民主党と共和党の地盤が入れ替わるのは、リチャード・ニクソン大統領のときであるようだ。

『風と共に去りぬ』には、クー・クラックス・クランも出てくる。

「もちろん、ケネディさんも、クラン団にはいっていらっしやるのよ。それからアシュレもね。あたしたちの知ってる男たちは、みんなはいっていますよ」とインディアが叫んだ。(ミッチェル,大久保・竹内訳,昭和44,p.375)

クー・クラックス・クランは白人至上主義団体である。ヴィキペディア「クー・クラックス・クラン」には「民主党最右翼の人種差別過激派として保守的な白人の支持を集め始めていく」と書かれている(ウィキペディアの執筆者. “クー・クラックス・クラン”. ウィキペディア日本語版. 2017-08-25. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3&oldid=65246229, (参照 2017-08-25). )。

民主党ヒラリーのポリコレリベラル団体は自分たちの黒歴史を消し去りたいのだろうか。

共和党は戦争屋というイメージが形成されているが、実際には民主党こそ戦争屋の名にふさわしい。第一次世界大戦、シベリア出兵、第二次世界大戦、朝鮮戦争、キューバ侵攻、ベトナム戦争、イラク空爆、ボスニア・ヘルツェゴビナ空爆、スーダン空爆、アフガニスタン空爆、コソボ空爆は民主党政権下で始まっている。

それに対して、共和党政権下で始まったのは米西戦争、アメリカ-フィリピン戦争、コロンビア・パナマ介入、ニカラグア派兵、キューバ派兵、カンボジア侵攻、ラオス侵攻、グレナダ侵攻、リビア空爆、パナマ侵攻、湾岸戦争、イラク空爆である。

話を戻すと、ミッチェルがクー・クラックス・クランを登場させたのは、小説がメロドラマ調に流れないよう、面白くするための試みだったと前掲の伝記に書かれている。

そういえば、ミッチェルの母メイベルはフェミニストだった。「アトランタの戦闘的な婦人参政権推進グループのリーダーの一人だった」(アン・エドワーズ『タラへの道 マーガレット・ミッチェルの生涯』大久保康雄訳、文藝春秋、1986、30頁)。『風と共に去りぬⅡ』巻末の年表によると、メーベルの父は南北戦争当時ジャクスン将軍の兵站総監本部大尉だった。

自由奔放なスカーレットを主人公とする『風と共に去りぬ』は、フェミニズム的色彩を帯びているということもできそうだ。

一方ではスカーレットには日本風にいえば大和撫子的とでもいいたくなるような従順で忍耐強い面があり、一途に片恋するアシュレーから妻メラニーの面倒を見るように頼まれると、神妙にそれに従う。

恋敵であった憎きメラニーの出産がアトランタの陥落間近になって始まるのだが、スカーレットは彼女を見捨てることなく、医師が来てくれないなかで自分の出産時の記憶だけを頼りに産婆役まで――仕方なく――勤めて見事に赤ん坊の産声をあげさせ、その後、北軍によって炎上したアトランタから万難を排してメラニーを連れ出そうとする。

その救出劇に一役買うことになったのが、レット・バトラー。これを書きながら、自分が若いころ、レット・バトラー役を勤めたクラーク・ゲーブルにぞっこんだったことを思い出した。

でも、このレット・バトラー役ほど素敵だったクラーク・ゲーブルは見つけられなかったので、レット・バトラーに恋していたのかもしれない。

一癖も二癖もある人物だけれど、本当に困ったときにはどこからともなく現れて助けてくれる――しかも、必要以上は決して助けず、時には「お題」を出すこともある――レットはまるで白馬の王子様のようだ。

前掲の伝記によると、「生き抜くこと[サヴァイバル]がミッチェルの小説のメインテーマであった。それは彼女の言葉でいえば、「進取の気性」。第二のテーマは大地の魅力だった。

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