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2017年6月の20件の記事

2017年6月30日 (金)

楽譜と白薔薇を手にしてご機嫌なアバター。大岡敏昭『武士の絵日記』が面白い。

マダムN

ブログの管理画面にアバターの欄があり、空欄をふと埋めたくなって作ってしまったアバター。

庭と部屋があり、何をゲットするにもゲームしなきゃならないみたいです。

デフォルトの格好で、デフォルトの庭とデフォルトの部屋をうろうろするアバターが不憫になり(後ろ姿が何ともいえない)、とりあえずドレスを着せ、楽譜と白薔薇を贈りました。

あとは気が向いたときに。リヴのお世話だけでいっぱい、いっぱい。

それにしても、このアバター、二頭身であるばかりか、頭のほうがデカいので、頭の飾りが何かほしい気がします。まあボチボチ。

祐徳稲荷参詣記の②と③を神秘主義エッセーブログにアップしようと思い、②をまとめていたのですが、昨日は時間切れでした。

当ブログにアップしたリルケとトルストイ『戦争と平和』に関する記事もエッセーにまとめて、前掲ブログにアップしておきたいと考えています。リルケとトルストイは深く調べようとすれば、とんでもない時間を食いそうなので、とりあえずはテーマを絞って。

萬子媛の小説を書く参考にしようと思い、大岡敏昭『武士の絵日記』(KADOKAWA〈角川ソフィア文庫〉、平成26)を読んでいます。実は、時代を勘違いして江戸中期くらいと思ったら、幕末でした。

それでも、明治の廃仏毀釈までのお寺の姿は、やはり今とはずいぶん違うものだったということがわかったのは収穫でした。絵日記の作者が行きつけとしていたお寺は武士も町人も女子供も自由に集う、一種社交の場であったようです。

士農工商という身分制度が厳然としてあったという昔学校で習った歴史は実は自虐史観によるもので、実際は違っていたといわれるようになりましたが、この絵日記を読むまでは半信半疑でした。でも、納得。

そういえば、時代はぐっと遡りますが、典雅な王朝文学として知られる『源氏物語』には意外にも庶民の姿が生き生きと描かれているのが印象的ですね。

絵日記の作者は下級武士で、29歳のときに上書をして藩政を論じたために蟄居を申し渡されたり、過酒による不行を理由に閉戸(自宅謹慎)を命ぜられたりしなからも、至っておおらかに暮らしています。

物凄い読書家で、本のタイトルをメモしておきたくなります。食生活も興味深く、魚介類、野菜類、豆腐をよく食べ、お酒をよく飲みます。

毎日のように、それも一日に複数回行ったり来たりも珍しくなく、気軽に、また楽しそうに人に会っていて、極めて風通しのよい暮らしぶり。それでいて節度があり、好感が持てます。

大きな行燈が印象的です。気が向いたら、読後にレビューを書きます。

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2017年6月29日 (木)

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

二つ目の追記を、神秘主義エッセーブログの記事「0 当ブログについて」にアップしました

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

以下の文章を加筆しました。

2017年6月29日における追記


神智学がいうように、人間が七つの本質からなり、オーラの卵と呼ばれる色彩を帯びた卵形の光の中に生きている存在だとすれば、わたしが時々見るオーラと呼ばれる色彩を帯びた放射物を、今はまだ見ることができない人々もいずれは全員が見るようになるはずだと思うのです。

そのオーラが見え始めたのは大学生のころからで、それが比類なく美しいために、物書きの本能として、わたしは描写せずにはいられませんでした。他の神秘主義的な体験についても、自己肥大や商売っ毛からそうしてきたわけではありません。

自分の体験を特別視していないからこそ、描写し、記録し、神智学などの神秘主義関係の書籍と照らし合わせて研究したくなるのです。

自己肥大や商売っ気からなる著作は、記録や試行錯誤の研究というには自信満々で、その内容はわたしには何か遠いものに映ります。

海外には行ったことがないから、他の国ではどうなのかは知りませんが、今の日本社会では、わたしのような人間は「オーラが見えてすみません」くらいの低姿勢でいないと、一般の人々からは精神病患者あるいは詐欺師と疑われかねず、神秘主義と関わっているのに神秘主義的感性には欠けているインテリ――彼らが神秘主義について何かいうと、絵に描いた餅のように響きます――からは霊媒に分類されかねません。

一般の人々や頭でっかちのインテリは、神秘主義の本格的な勉強に入るより、芸術に触れて情操を高めるほうが先かもしれません。情操の発達こそが、健全な感受性を、つまり透視力や透聴力を育むはずだからです。

一足飛びに大師になれるわけではないといわれるのが真実なら、大師になるずっと前に、誰しもいずれはわたしと同じ段階に至るでしょう。

そのとき、神秘主義的体験の記録をとろうと思ったわたしの動機を人々はようやく理解し、聖典や大師方の手の加わった大著作と霊媒の著作との間に、このような成長記録――つまり当ブログに収録していくエッセー――のようなものがあってまあ助かる、と思ってくれるのではないでしょうか。

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2017年6月26日 (月)

6月18日ごろ、評論『気まぐれに…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を6月18日ごろ、お買い上げいただいたようです。

ありがとうございます!

『気まぐれに……』は16冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)  Kindle版
直塚万季 (著)
ASIN: B00J7XY8R2

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なぜかできてしまったアバターと庭

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2017年6月25日 (日)

「70 YouTubeで視聴できる…」を神秘主義的エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

神智学協会ニッポン・ロッジ制作の動画「神智学を学ぶ」「勉強会動画」が公開されています。

神智学協会ニッポン・ロッジのオフィシャルサイト

神智学協会
http://theosophy.jp/

わたしは神智学協会ニッポン・ロッジの一会員にすぎませんが、40年神智学と共に生き、神智学が生きる糧となっているため、それについて語らずにはいられません。

そして、間違ったこともずいぶん書いているはずですので、もし当ブログの記事をきっかけとして神智学に関心を持ったかたがいらっしゃいましたら、こうした動画や神智学書籍を通して、神智学にじかに接していただけたらと思います。

埋め込み有効になっていたので、前掲ブログに動画を貼り付けさせていただき、紹介の記事としました。

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2017年6月23日 (金)

『茜の帳』(Kindle版)のレビューを、ありがとうございます!

廃版にした拙Kindle本『茜の帳』のレビューに出合いました。

短編小説「茜の帳」は現在、アマゾンのキンドルストアに出している『直塚万季 幻想短篇集』に入っています。

レビューを書いてくださったブログ「world where it disappears」の管理人様はしっかりしたポリシーをお持ちのようで、話題が豊富、文章も綺麗で読みやすいですね。

レビューはとてもありがたく、嬉しかったので、以下に引用させていただきます。

華麗で優美な幻想小説:world where it disappears
http://chuburujapan.com/blog/?p=53843

2017/04/02

稲穂の中から一顆の澄んだ玉がまろび出たと見るや、玉は真っ白な烏となって夜空を羽ばたいた。羽ばたきながらくっきりと、玲瓏たる美童の姿と化して初冬の天地を冴え渡らせ、さらに羽ばたいてはまた純白の鳥となり、連なる樹々の彼方、綺羅星のあいだに掻き消えたのだった。わたしは透き徹りそうな心地だった。

これは幻想小説「茜の帳」とブログからの祐徳稲荷神社の萬子媛に関するエントリーの抜粋。萬子媛の小説が上梓されたら買うので村上春樹になぞ関わらず早く書き上げてほしい。

この本は2013年9月3日に無料キャペーンで買ったのだけど、今見ると引き上げられて売られてなかった。これは「直塚万季 幻想短篇集」に収めたからということでいいのかな。

マダムNのブログを読んでいると心臓とか尿道結石とか生きているのが大変そう。普段から自分の肉体を意識しているからだこその「神秘主義」なのかも。ともかくもこれは実体験に基づいている小説ということです。

幻想小説と言うとファンタジー大作を思い浮かべるけども、これは掌編なので幻視した程度。いずれ「直塚万季 幻想短篇集」も読むつもりでダウンロードはしている。

昭和初期の小説のように文章は華麗で優美。難しい言葉もあって真面目な雰囲気。ブログも真面目。

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2017年6月22日 (木)

6月15日ごろ、評論『気まぐれに…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を6月15日ごろ、お買い上げいただいたようです。

ありがとうございます!

『気まぐれに……』は15冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)  Kindle版
直塚万季 (著)
ASIN: B00J7XY8R2

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Google Keep をまた使っています

2017年4月11日にリリースされた Windows 10 Creators Update(バージョン1703、ビルド15063)へのアップデートの妨げになるというので、仕方なく ATOK をアンインストール。

アマゾンから電子書籍を出したいと思い、ジャストシステム『一太郎2012 承 特別優待版』をリーズナブルに購入したときに一緒に入っていたのが日本語入力システム ATOK でした。わたしには使い勝手のよいものでした。

前回の2016年8月3日から提供が開始された「Windows 10 Anniversary Update」(バージョン1607、ビルド14393)へのアップデート後に既に ATOK が使えなくなっており、そのままにしていたことが Microsoft IME の動作の妨げになっていたのか、アンインストール後、Windows 10 Creators Update へのアップデートを完了すると、Microsoft IME が使いやすくなっていました。

アップデートモジュールを入手して ATOK を再度利用することができるようですが、「一太郎2012 承」のサポートは2015年2月に終了しているため、利用できなくなりました。

ワタクシ的には、ATOK と連携して入力できるメモツール ATOK Pad を使えなくなったのが痛手です。

で、メモを書き留めるためのフリーソフトを探して、レビューを閲覧し、迷いに迷ってあるメモソフトをインストール。

使い勝手はもうわたしには最高で、記事にもしましたが(削除しました)、その後、ふと不安になり、迷いに迷った挙句、アンインストールしてしまいました。念のために、セキュリティツールでスキャンもしました。

そのまま使い続けても、何の問題もなかったのかもしれません。

ただ、アンインストール後にもまだ気になって検索しているうちに、同じ会社が提供しているPDF作成ソフトのレビューの中に不安にさせられるものがいくつかあったのです。

フリーソフトなどのアプリケーションには、無償での使用を許可する代わりにスパイウェアやアドウェアなどのマルウェアを同時にインストールするものがあるといいますから、用心するに越したことはありません。ただより高いものはないといいますしね。

少し使って放置状態だった、2013年3月21日にリリースされた Google 提供のオンラインメモ帳 Google Keep をまた使い始めました。まあこれもただですが、認知度が高いだけましかと。

Windows に標準搭載されているメモ帳、Sticky Notes(付箋)、Onenote、そしてGoogle Keep で我慢してみることにしました。そういえば、Evernote も悪くないのに、放置気味だなあ。

これで 1ヶ月やってみて、それでも不便を感じたら、ATOK の購入を考えます。娘に「メモ帳好きだねえ」と呆れられました。

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2017年6月19日 (月)

「69 イルミナティ用語としての…」を神秘主義的エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

Adam_weishaupt01

アダム・ヴァイスハウプト
From Wikimedia Commons, the free media repository

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6月12日ごろ評論『村上春樹と…』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

6月12日ごろ、お買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで71冊お買い上げいただいたことになります。

  • カナダ……1冊
  • 日本……34冊
  • アメリカ……27冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……2冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

サンプルをダウンロードできます。

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

以下に、アマゾンに掲載中の商品説明を引用します。

商品の説明

自由な立場から書かれた本書は鋭い分析力を特徴とし、文学界のみならず日本文化そのものに警鐘を鳴らしている。
2006年5月3日から7日にかけて、著者は自身のブログで、小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ」を公開した。その小論に加えて、近年のノーベル文学賞作家オルハン・パムク、ドリス・レッシング、ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ各人の作品に関する雑感を紹介する中で、村上春樹がノーベル文学賞作家にふさわしいだけのわが国の誇りとできる作家であるのかどうかを検証した評論を2009年5月、同人雑誌に発表。本書はそれに加筆・訂正を行ったものである。

〈目次〉
 はじめに
 Ⅰ 村上春樹現象
 Ⅱ 小論「村上春樹『ノルウェイの森』の薄気味の悪さ
 Ⅲ オルハン・パムク『わたしの名は紅』を分析する
 Ⅳ 乾いた知性、強烈な社会性――ドレス・レッシング
 Ⅴ ル・クレジオの光と風
 Ⅵ 最後に
 あとがき
 第二版あとがき 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

サンプルをダウンロードできます。

結婚という不可逆的な現象
ASIN: B01E3UAZ3O


昨年出した純文学小説です。

台風 
ASIN: B00BI55HV8

台風に翻弄される家族を描いた小説です。

以下は、その他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス

詩人の死

直塚万季 幻想短篇集(1)

雪の二小篇 (純文学)

ここからは児童小説のご案内になります。

中編児童小説です。

田中さんちにやってきたペガサス

99円の短編児童小説です。

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

花の女王 (児童書)

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

日記体児童小説です。

すみれ色の帽子

シリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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2017年6月18日 (日)

手こずったWindows 10 Creators Update へのアップデート

2017 年 4 月 11 日にリリースされた Windows 10 Creators Update(バージョン1703、ビルド15063)。

わがパソコンにも、アップデート配布のお知らせが来ました。が、次のような問題点を指摘したお知らせでした。

お使いの日本語入力は Windows 10 との互換性がありません。オペレーションシステムを更新した後、日本語入力をアンインストール、最新のバージョンにインストールして下さい。

アマゾンから電子書籍を出したいと思い、ジャストシステム『一太郎2012 承 特別優待版』をリーズナブルに購入し、一太郎で電子書籍を作成して、一緒に入っていた日本語入力システム「ATOK」を利用していました。

ところが、2016年8月3日から提供が開始された「Windows 10 Anniversary Update」(バージョン1607、ビルド14393)へのアップデート後に、ATOK が使えなくなっていました。

わたしには Microsoft IME より使い勝手がよかったのですが、MS-IME を無効化できませんでした。

ATOKを一旦アンインストールし、アップデートモジュールを入手して再インストールする必要があったようです。 ※追記:「一太郎2012 承」のサポートはとっくの昔――2015年2月――に終了していたのでした。ワタクシ的にはATOK Padを使えなくなったのが不便。

このことは今回の私的騒動(?)を通して初めて知ったわけで、前掲の問題点を指摘された時点では知りませんでした。

Anniversary Update へのアップデート後は MS-IME しか使っていなかったので、ぴんときませんでしたが、「わかりましたか?」と質問が出ていたので、「はい」をクリックしました。

クリックしたあとで、ATOK をアンインストールしてみようと考えていました。ところが何と、クリックしたとたんに画面が変わり、いきなり始まりました。「ああ、待って~」と叫んでも、遅かった!

そして、時間ばかりかかって、結局、自動修復の表示が出ました。これは、いつか来た道……。そう、前回も同じような経過を辿りましたっけ。

ただ、前回はアップデートを妨げていたのがセキュリティソフトで、今回は日本語変換ソフトだったというわけです。

それはいいとしても、今回も自動修復できず、Microsoft はこちらに解決を丸投げしてきたのでした。自己診断ではハードディスクは壊れていないと出たのですが、スタートアップ修復はできず、システムの復元へもなぜか進めませんでした。

時間ばかりが経ち、仕方なくシャットダウンして、また同じことを繰り返し……もう初期化しかないのだろうかと泣きたくなりました。

ほとほと疲れたので、とりあえずシャットダウンして、夫のパソコンを借りて解決策を探そうと思いました。解決策は見つかりませんでしたが、再度起動を行ったところ、普通に起動できたのです。うーん、何だったのかしら。

何だかわかりませんが、ATOK をアンインストールしてアップデートに再チャレンジしたところ、成功しました。

作業が完了する少し前に「予想よりも少し長く時間がかかっていますが、できる限り早く処理を完了します」と青い画面に白字で大きく出たのが、言い訳みたいで何だか可笑しく、許せる気分になれました、

前回同様、ネットワーク設定をやり直さなくてはならず、パスワード(無線親機のセキュリティーキー)の入力を求められました。

また一年後くらいに、今度はまた全然違った原因でアップデートに手こずることになるのでしょうか。

結局、アップデートに一日半もかかったことになります。

すぐにリヴリーアイランドへ行き、可愛いペットたちにごはんをやりました。他に面倒を見ている子が1ダースほどいるので、最近は散歩でゲットしたドゥードゥーは全員のごはんになってしまいます。

大抵はうちの子の島に家出してきた子たちです。心配になって見に行くと、大抵おなかを空かして餓死寸前だったり、また家出してしまったりしているのですね。

よその人間が面倒を見すぎてもと思うのですが、遠慮がちにごはんやっています。

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2017年6月15日 (木)

祝「テロ等準備罪」成立。イルミナティ用語としての「市民」。

やっと、「テロ等準備罪」が成立しました。産経ニュースより、引用します。

 共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する改正組織犯罪処罰法は15日午前の参院本会議で、与党などの賛成多数で可決、成立した。
 テロ等準備罪の対象犯罪は277で、適用対象をテロ組織や暴力団、詐欺グループなどの組織的犯罪集団に限定した。構成員が2人以上で犯罪を計画し、少なくとも1人が準備行為をすれば、計画に合意した構成員が処罰される。
 政府は過去3度、「共謀罪」の法案を提出したが、「話し合っただけで処罰される」などの批判を浴び廃案となっていた。
(……)
 改正組織犯罪処罰法の成立で、187カ国・地域が締結している国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の批准手続きが進む見通しだ。条約では締結に際し、各国にテロ等準備罪などの「合意罪」や「参加罪」を求めている。安倍晋三首相は「条約は、わが国がテロを含む組織犯罪の抜け穴となることを防ぐために極めて重要だ」と訴えていた。(……)

産経ニュース2017/06/15 (07:47)<http://www.sankei.com/politics/news/170615/plt1706150018-n1.html>(2017/6/15アクセス)

外務省ホームページにある「国際組織犯罪に対する国際社会と日本の取組」を閲覧すると、日本が国際社会の一員としての役割を果たすためには、この法案の成立が如何に重要だったかがわかります。これで、ようやく187カ国・地域が締結している国際組織犯罪防止条約(TOC条約)の批准手続きが進むことになるでしょう。

先進7か国(G7)の中で締結していないのは、日本だけなのです。187もの国・地域が締結しているのに、その中に加われず、法の抜け穴となっていた日本。どれほどみじめな立場であったことか。

前掲「国際組織犯罪に対する国際社会と日本の取組」に「国際組織犯罪は,社会の繁栄と安寧の基盤である市民社会の安全,法の支配,市場経済を破壊するものであり,国際社会が一致して対処すべき問題です」とあります。

ここで使われている市民社会の市民とは、イルミナティ教団の創設者アダム・ヴァイスハウプトが特殊な意味合いを持たせた「市民」とは異なる普通の意味での市民でしょう。

1776年に、今のドイツでアダム・ヴァイスハウプト(1748 - 1830)によって創設されたイルミナティ教団は、その危険性が警戒されて1784年に壊滅させられていますが、そのときには既にフリーメーソンリーを侵食しており、イルミナティ教団の原理原則はマルクス主義やテロ組織に取り入れられたといわれています。

左派が好んで使う市民という用語も、イルミナティ用語と考えられます。知らずに使っている人のほうが多いかもしれませんが。

アダム・ヴァイスハウプトは『秘密結社イルミナティ入会〈初級編〉』(芳賀和敏訳、2013)で次のように書いています。

ただ、市民による政府だけが、しかしながら最善の意思をもって全力を挙げれば、古来変わらぬ悪の根源を解決するだけの力をもっている。
(芳賀,2013,第2章「なせ秘密結社が必要なのか」〈悪と戦う市民政府は可能か〉p.80)

この引用だけでも、一般的には、国家、社会、地域社会を構成する構成員という意味で使われる市民という用語が突出し、国家から遊離しているかのような市民政府などという造語が使われていて、イルミナティでは如何に特殊な意味合いを持っているかがわかるでしょう。

ジョン・ロック(1632 - 1704)に「統治二論(市民政府論)」という著作があり、市民政府というのはその影響を受けた用語だと思えますが、ヴァイスハウプトが『秘密結社イルミナティ入会〈初級編〉』の「第2章 なぜ秘密結社が必要なのか」〈読書について〉で、ジョン・ロックを推薦図書に挙げていないのはなぜでしょうか?

ヴァイスハウプトによると、既存の市民による政府において、「人々は自分のことだけを考え、法はただ弱者をいじめているだけで、上位の者に対しては必要な圧力をかけることもできない。そこでは教育がないがしろにされ、身分や名前による差別のない無期限の解放が布告される。真理は貶められ、とっくに滅び去ってしまっている。そして阿諛追従する者によってのみ信じられている。市民社会での国家の関心は、ひとえに危急を要する外国からの安全保証に基づいている(芳賀,2013,p.80)のだそうです。

国家の関心が「危急を要する外国からの安全保証」にしかないほどの外国の侵略にさらされれば、人が自分のことだけを考え、弱者いじめの法しかない、教育も受けられないような環境となることもあるでしょう。

ですが、ヴァイスハウプトの場合は、人が自分のことだけを考え、弱者いじめの法しかない、教育も受けられないような環境をつくった国家では、真理が追究されることもなく、当然ながら弱体化して防衛に専念するしかない、といっているようでもあります。

しかし、このような国家としての体を成していないような「おらが村」を一般論に持っていっているおかしさがあります。国家とはおしなべてこのようなものだと思っていたようですね、ヴァイスハウプトは。

ヴァイスハウプトという人は、そんなおらが村で悲惨な生涯を送ったのでしょうか。

いいえ。

ヴァイスハウプトはインゴルシュタットに生まれ、25歳で法学部の教会法正教授となった超エリートだとか。

イルミナティ教団が禁止されたことによってヴァイスハウプトはバイエルンから逃れなければならなくなったそうですが、公爵エルンスト2世に庇護され、後にザクセン・ゴートの宮中顧問官に任ぜられて、生涯年金を得、恵まれた生涯を終えたようです。

恵まれ、甘やかされて育った頭でっかちのお坊ちゃんが28歳で創設した――趣味に走った――会がイルミナティであったと考えれば、『秘密結社イルミナティ入会〈初級編〉』はなるほどと思わせられる内容です。

過去の哲学という哲学、宗教という宗教を嘲笑うヴァイスハウプトの真理、善悪、倫理、理性、幸福といった観念に関する考察は貧弱というより、考察自体がろくになく、一見効果的に挟まれるこれらの言葉の正体は曖昧な漠然としたもので、恣意的に用いられているにすぎません。

ヴァイスハウプトは、市民による政府よりも優れているのは秘密結社だとみなし、人間は自然状態から市民社会を経て秘密結社へと至るように、秘密に盟約結合しようという衝動を神自らによって植えつけられているのだといいます。

しかしながら、イルミナティという思想の正体は次の文章に端的に表れています。

服従なくしていかなる社会(結社)の秩序も成り立たない。我々が、服従を要求するのは、あらゆるシステム、教団、体制は、それが厳しい秩序をもっていればいるほど、最大の効果が発揮されるからである。そして、いずれ君もまた命令する側の立場に立つようになるからである。(芳賀,2013,第3章「初級者を受け入れる秘密結社の覚悟と使命」〈新規入会者への秘密結社側からの要求事項〉p.122)

彼はこうもいっています。

我々が要求するのは、あらゆる昇進を決めるのは我々であるということ、誰がどういう人間だから、その者をどう使うか、を知っているのは我々だけだということ。(……)遅々として進まない昇進に愚痴をこぼす者は誰であろうと、不純な意図をもっている。(芳賀,2013,p.124)

下位の者たちにとっては締めつけられるばかりの体制下で、全ては上位者の匙加減ひとつで決まるといっています。つまり、恐怖政治が幸福への道だとヴァイスハウプトは説いているわけです。

なるどね、イルミナティの影響を受けたマルクス主義の下に赤色革命を起こした国では往々にしてそうなりました。

前掲のヴァイスハウプトがいうような「人々は自分のことだけを考え、法はただ弱者をいじめているだけで、上位の者に対しては必要な圧力をかけることもできない。そこでは教育がないがしろにされ、身分や名前による差別のない無期限の解放が布告される。真理は貶められ、とっくに滅び去ってしまっている。そして阿諛追従する者によってのみ信じられている。市民社会での国家の関心は、ひとえに危急を要する外国からの安全保証に基づいている(芳賀,2013,p.80)ような国も、赤色革命を起こした国の中にはありますね、現に。

テロ等準備罪が成立するまで、左派が執拗に妨害し続けたことを考えると、イルミナティの創設者アダム・ヴァイスハウプトの全著作は、今こそ大学などできちんと研究されるべきだとわたしは思います。

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2017年6月13日 (火)

萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺(法泉寺)に電話取材しました

8日、祐徳稲荷神社に参詣し、翌日、以下の記事を書きました。

動揺したことがあったために、すぐにはまとまった文章が書けなかったのですが、気持ちの整理もついたので、まとめにかかろうとしました。

が、まだわからないことがあり、電話で取材するのは失礼かもしれないと思いつつ、決行。萬福寺(黄檗宗・大本山)と普明寺・法泉寺に電話取材しました。

その結果、さらなる驚き、という以上の衝撃に見舞われました。今回の一連の取材を通して、廃仏毀釈の爪痕をまざまざと見たように感じたのでした。

黄檗宗で断食入定が行われていたのかどうかが知りたいと思い、いっそ大本山にお尋ねしてみようと思い、電話したのでした。ご回答いただいたのは、宝物館の和尚様でした。

電話するまでは、密教の影響で、萬子媛が断食入定を実行されたのではないかと考えていたのです。尤も、黄檗宗は密教の影響も受けているようですけれど、萬子媛の断食入定は特異な例ではないかと憶測していました。

黄檗宗でも行われていたようです。いつごろまで何人断食入定をしたのか(現代では法律上不可能です)、記録が残っているのかどうかを知りたかったのですが、はっきりと記録されているわけではないのかもしれません。何度か同じ質問をしたのですが、はぐらかされてしまいました。

黄檗宗は中国の明朝の仏教が日本に伝えられたものです。その明朝で、また日本でも行われていた過酷な修行法を伺いました。

例えば、手に包帯をぐるぐる巻きにしてそれに油をさし、火をつけ、それを燈明代わりに、お経を読むのだそうです。

ひ、とわたしは心の中で悲鳴を上げ、「火傷では済まない場合もあるのではありませんか?」というと、「そういえば、どこそこに指を燈明代わりにした坊さんがおったな……」と事もなげに萬福寺の和尚様。いつの時代のお話なのでしょうか、恐ろしくて聞けませんでした。

明朝では(日本でも?)、自らの血で仏画を描いたり、写経をしたりということも流行ったとか。

そして、断食入定はそうした過酷な修行法の一つと位置づけられていたようです。

穀類を断ち、水だけを飲んで、骨皮筋衛門になる――と和尚様はおっしゃいました――修行を木食[もくじき]入道というそうです。

そして山の斜面みたいなところに入って、「つまり生き埋めになるわけですわ。息だけはできるようにしてな」と和尚様。

「水は飲めるのでしょうか? 生き埋めになったあと」とわたし。飲めるそうです。毎日お経を読み、水を飲んで、入寂のときまで……。

と、ここまで萬福寺の和尚様から伺ったことをメモしました。

まだまとめる段階にはないので(写真を挿入しながらきちんとまとめたいと思っています)、忘れないうちに、とりあえずメモしておきます。

鹿島の祐徳稲荷神社に舞台を戻すと、博物館のかたに教わって見学した岩本社には、萬子媛に仕えた尼さんがお祀りしてあるというお話でした。技芸の神様だそうです。

ところで、わたしは過去記事で次のようなことを書きました。

2016年8月18日 (木)
歴史短編1のために #27 萬子媛遺愛の品々 ②入定について。印象的な御袈裟。
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/08/27-1e00.html

萬子媛があの世でボランティア集団を組織なさっているとわたしが想像するのは、参拝するたびに、萬子媛を囲むように一緒にいるあの世の大勢の方々を感じるからだ。
その大勢の方々というのは、萬子媛が禅院を主宰なさっていたときにそこに所属していた尼僧たちを中心とする方々ではないだろうか。
わたしの神秘主義的感性が捉えた萬子媛にはどこか深窓の麗人のような趣があり、無垢で高雅で率直な高級霊の雰囲気が伝わってくる。
それに対して、萬子媛を囲むように一緒に整然と行動している女性達の一歩引いたような、それでいて萬子媛を促がしたりもする雰囲気からすると、大勢の中で中心的役割を果たしている女性たちは生前、萬子媛と寝起きを共にした尼僧たちではないかとどうしても思えてくるのだ。
萬子媛の最も近くに控えている毅然とした感じの女性は、もしかしたら京都から萬子媛が嫁いで来たときに一緒に鹿島にやってきた侍女かもしれない。萬子媛が出家したときに一緒に出家したのでは……あくまで想像にすぎないが、小説であれば、想像を書いてもいいわけだ。
何にしても、萬子媛の一番近くにいる女性は身辺の護衛でも司っていそうな、シャープな雰囲気のある女性なのだ。わたしの内的鏡にほのかに映った気がする程度のものなのだが、萬子媛の圧倒的な雰囲気とはまた別種の矜持と気品とがまぎれもなく感じられて、興味深い。

過去記事で出てくる萬子媛の近くに控える矜持を感じさせる女性的な存在が、岩本社に祀られている尼僧ではないかと想像したくなります。

時代も下って、鍋島藩の家臣の家に育ったと聞く母方の祖母ですら、鹿島にお嫁に来るとき――有名な軍人さんが仲人だったというから、それくらいの時代――には、3人の側に仕えていた人々と一緒にお嫁に来たと従姉がいっていたことから考えれば、萬子媛には当然そうした方々がいらっしゃって、一緒に京都から鹿島に下られたことは確かでしょう。

その尼僧が技芸の神様として祀られているということは、生前、その方面の指導で優れていたからではないでしょうか。こうしたことからも、京都から萬子媛と一緒に下ってきた人ではないかと思えます。

37歳で京都の花山院から肥前鹿島にお嫁に来られた萬子媛。萬子媛は1625年生まれですから、このとき1662年(寛文2年)。今は2017年。2017年−1662年=355年。

何と、355年も萬子媛に仕えていらっしゃるというわけです。

355年後つまり出家後も、さらには死んでからも、同じように萬子媛に仕えているのだとすれば、それは萬子媛が黄檗禅の、また霊的な分野における師匠あるいはリーダーとして理想的な存在であり続けているからでしょう。

この世でグループを形成した人々は、あの世でも同じグループに属することがあるようです。その逆もいえるでしょう。

尼僧に神格が与えられ、技芸の神様とされていることから考えると、神社での祭事を連想させられます。明治の廃仏毀釈までは、仏事と神事がどちらも怠りなく行われていたということではないでしょうか。

岩本社を見学した後、普明寺を見学しました。案内図も撮ってきたので、まとめには挿入します。

普明寺は鍋島直朝公の長男である断橋(鍋島直孝)の開基により、桂厳明幢禅師が開山となり創建されたお寺です。

寺域全体を竜に見立てて建物や施設が配置されているとか。相当に奥行きのある敷地には草木が生い茂っていて、竹林などもあり、石仏が沢山あって、建物も立派でした。

ただ全体が自然に抱かれすぎているというか、率直にいえば、苔むして荒れていました。鹿島市は田舎ですが、祐徳稲荷神社のすぐ近くにあれほどの自然が手つかずで存在しているとは想像もしませんでした。

普明寺も、同じ敷地内の手前のほうにある普明寺の子院である法泉寺も、廃寺のように見えました。

でも、電話で萬福寺の和尚様はおっしゃいました。「普明寺に、去年の夏にお経をあげに行ったがよ」

(あの物凄いところへ?)と、失礼ながら思ってしまいました。江戸時代にはさぞ威容を誇ったであろう普明寺の背後が墓地になっているようですが、藪蚊が凄くて、そこへは行きませんでした。

でも、あそこにいた間、もう日が落ちかけて、爽やかな風が強く吹いていたので、すばらしい散策ともなりました。風が静まると、藪蚊がとまりに来るので、とまっているところを何匹か退治したり退治し損なったりしました。

それなのに、車に戻って体を調べてみると、一箇所も蚊に刺されていませんでした。夫も娘もそうでした。この時期の藪蚊は血を吸わないのでしょうか。

もしかしたら、萬子媛のお墓が神社の石壁社とは別に普明寺にあるのかもしれないと思いつつ、帰途についたのでした。

萬福寺の和尚様は、わたしが調査しているようなことに詳しいかたを何人か教えてくださいました。そのうちのお一人のご著書は読んだことがありました。

しかし、「総合的に知っている人はいない。佐賀も殿さんが沢山、黄檗の寺院を作った。祐徳稲荷もそうじゃが」と和尚様。

「普明寺は、相当に苔むしているように見えました。綺麗になれば、一般人も行きやすくなると思いますけれど」と磊落な和尚様の雰囲気に甘えて、ついいってしまうと、「あんたが、あんたが人のため、世のため。自分がやるか、やらないかをいうことに価値がある」と和尚様。

「わたしは黄檗宗の僧侶として断食入定を遂げられた祐徳院様に魅せられ、黄檗宗について知りたいと思いました。いろいろと教えていただいて、ありがとうございました」といいました。

法泉寺に電話したのは、田中保善『鹿島市史 真実の記録』(田中保善、1990)に、次のような記述があったからでした。

祐徳院と稲荷社は世間の信仰を集め、御霊験あらたかで有名になり参詣人も多く興盛になったが、明治を迎えて神仏混淆のお寺は明治政府の『神仏判然令』により神仏を分離して廃仏毀釈が実施されるようになった。ここでは仏像や仏具一切を普明寺に移して神社のみとした。普明寺では仏像仏具類は完備しており、普明寺の末寺の法泉寺に祐徳院の寺の物を全部移して現在大切に保管している。(田中,1990,pp.151-152)

祐徳博物館の職員は「祐徳院にあった物は普明寺に移されたということのようですよ」とおっしゃいました。前述したように普明寺も法泉寺も同じ敷地内にあり、法泉寺は普明寺の子院なのです。

しかし、法泉寺に電話でお尋ねしたところでは、禅寺だった祐徳院の物は何一つないというお話でした。萬子媛のお墓もないそうです。

「ここは藩主の菩提寺で、藩主と正室のかたしかお墓はありません。祐徳院様は後室なので、ここにはないのです」とのことでした。以下のオンライン論文にも、そのようなことが書かれています。

高橋研一(鹿島市民図書館 学芸員)「鍋島直彬の先祖史蹟顕彰事業 ~先祖の史蹟を訪ねた直彬」<http://kcc.lolipop.jp/_src/sc1250/82d382e982b382c692t96k8du8989985e81i8dc58fi81j.pdf>(2017/6/13アクセス)

他の大名家のお墓をきちんと調べていかなければなりませんが、夫婦が対になった墓所の配置は鍋島家の特徴的な墓の作り方といえるかもしれません」とも書かれています。

同じ正室であっても、先に嫁いだ正室だけが藩主と同じ墓地に眠る権利があったということのようですね。

そして、前掲論文の次のような記述に胸を打たれました。

普明寺の場合、菩提寺だったので非常に多くの子院が建てられています。当時の景観で言うと、ここから祐徳稲荷神社まで山伝いに子院がつながっていました。祐徳稲荷神社の前身も元々は祐徳院といって、普明寺の子院でした。

どんなに壮観だったことでしょう!

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2017年6月11日 (日)

追記を、神秘主義エッセーブログの記事「68 今東光が…」にアップしました

9日にアップした記事「祐徳稲荷神社と普明寺に行き、博物館で取材しました」には、続きがあります。

博物館で取材し、岩本社や普明寺を見学したことから、なるほど……と納得したことがあった反面では、大変に意外で、驚かされたことがありました。

気持ちの整理がつかないため、続きが書けず、今東光のエッセーを優先しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

追記したのは、当ブログの過去記事に加筆訂正したもので、以下の文章です。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

追記:

ウェブサイトで閲覧した記事には今東光の著作からの引用も多く、参考になった。しかし、本人の著作を読まずに済ませるわけにはいかないので、色々なタイプの今東光の5冊の著作――歴史エッセー2冊、時代小説1冊、身上相談物2冊(『最後の極道辻説法』は文庫版『毒舌 身の上相談』に含まれていることがわかったので、1冊とすべきかもしれない)――と、今東光をよく知る編集者による追想エッセーをまだざっとだが、読んだところだ。

読み込む時間がとれないので、とりあえずメモ程度の感想を記しておきたい。

6冊を紐解いてみて、今東光は神智学に薫染した父親を持っただけあって、その思想が血肉となっていることがわかった。図書館の本を含めて、今手元にあるのは次の6冊である。

  • 今東光『奥州藤原氏の栄光と挫折』(講談社、1993)
  • 今東光『毒舌日本史』(文藝春秋〈文春文庫〉、1996)*13
  • 今東光『ポピュラー時代小説全15巻 第8巻 今 東光集(大きな活字で読みやすい本)』(リヴリオ出版、1998)*14
  • 今東光『最後の極道辻説法』(集英社、1977)*15
  • 今東光『毒舌 身の上相談』(集英社〈集英社文庫〉、1994)*16
  • 島地勝彦『異端力のススメ 破天荒でセクシーな凄いこいつら(文庫オリジナル)』(光文社、2012)

身上相談物を読んで東光が大好きになってしまい、ああ会ってみたかったと思った。

親に恵まれなくとも、昔の日本には今東光のような慈父であり、またどこか慈母でもあるような人物がいて、魅力的な毒舌口調で相談にのってくれていたのだ。読んでいて感激の涙が出てくるくらいに、真正面からこの上なく真剣に東光は回答している。

身上相談を読んでも東光が身につけている豊かな教養とユーモアのセンスは感じとれるのだが、今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)を読むと、その教養から神智学の薫りがするのである。

例えば、聖徳太子の描きかたにもそれが表れているように思う。

今東光は阿育王(アショーカ王)の善政を評価し、その善政に倣った隋の文帝を評価し、短命だった隋だが、「僕に言わせるとこの文帝の仏教治国策は古代東洋における阿育王の話に次ぐ近代性を有つ国家です」*17という。

そして、人民の民度は低く、野蛮と無法とが貧困と同居していた当時の日本で、この隣国の仏教治国策を施そうとしたのが聖徳太子だといい、東光は聖徳太子に最大級の賛辞を捧げている。

アショーカ王の特色は、彼が熱烈な仏教信者でありながら、他の諸宗教を排斥しなかったところにある。中村元は『古代インド』(講談社、2004)で、それは仏教に、本来このような性格があるからだと述べている。

仏教とは覚者(ブッダ)の教えである。覚者とは万有の真理を会得した人にほかならない。このような覚者は、偏狭な先入見を去って、ありとあらゆるものにその存在理由を求め、主種な思想的立場に対しては、そのよって成立するゆえんを洞察するものであらねばならない。覚者の教えは他の教えと対立することがない。それらを超越してしかも包含しているところのものである。ゆえに仏教それ自身はかならずしも他の思想体系を否認せず、それぞれの意義を十分に承認し、それぞれの長所を生かそうとするものである。*18

わたしはここから神智学の教えを連想するのであるが、アショーカ王は真の仏教信者であったから排他的でない宗教性を持っていたのだろうし、今東光は真の仏教信者であったからこそ、神智学に親和性があったのだろう。あるいは、神智学に親和性のある資質が東光を仏教信者にしたといえるのかもしれない。

アショーカ王はチャンドラグプタの孫だった。ブラヴァツキーを指導、守護したモリヤ大師のモリヤの名は、同大師の化身であったモリヤ(マウリヤ)王朝の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来たものだといわれている。東光はこのことを知っていただろうか。

東光は神仏分離を次のように批判している。

僕の持論はね、明治初年の神仏分離は稀に見る悪法で、稀に見る悪法で、あのために日本はモラルのバックボーンを喪失したと見るんです。従って神仏は改めて新しく発足し直し、昔ながらに手を握るべきである。これなくして日本はモラルを恢復することが出来ないと主張してるんですどうです、こりゃ名論卓説てえもんでしょう。*19

平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に収録された歌では神道と仏教とがそれぞれの系譜を純粋に保ちながら渾然一体となっていて、そこからは高い美意識と倫理観が感じられる。

日本人の美意識、倫理観がこのとき既に高度な水準に達していたことを考えるとき、わたしにも、神仏分離は悪法だったとしか思えない。神智学徒であれば、誰しもそう思うだろう。

絶世の美女とされるクレオパトラの知的魅力を、「アレクサンドリア学派の哲学を修めた教養の高い才女」*20という風に、アレクサンドリア学派を背景に説くところなども、神智学徒らしさを感じさせる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「アレクサンドリア学派(Alexandrian Philosophers School)」を読むと、アレクサンドリア学派について総合的な知識を得ることができるが、ここに、アレクサンドリア市は「西暦173年にアンモニオス・サッカスが設立した折衷学派即ち新プラトン学派で一層有名になった」*21とあり、質疑応答形式の本文に「神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです」*22とあるように、神智学はアレクサンドリア学派から起こった。

だからアレクサンドリア学派という名称は、神智学徒にとっては特別の響きを持っているはずである。

今東光は嵐のような日教組に対する批判活動を繰り広げていたらしい。「共産主義てえもんは赤色帝国主義だってえ解るときが怖いんだ」*23という東光は、その怖さを緻密な歴史研究を通して知っている。

そして、引用する左翼的教育に対する今東光の懸念は、唯物史観とは到底相容れない神智学的歴史観からすれば、当然のものだ。

日本の左翼的教育てえものは、つまり馬鹿を拵[こしら]える教育で、それでねえとインチキなマルクス・レーニン主義を押しつけることが出来ねえんだね。だから日本の歴史も、仏教も何も知らねえ二十世紀人ばかりになってきた。将来、此奴等が大人になって人の親となったら、それこそ歴史の悲劇だろうな。*24

東光の懸念は当たってしまった。

島地勝彦『異端力のススメ 破天荒でセクシーな凄いこいつら』は、今東光をよく知る編集者・島地勝彦による追想エッセーである。

あまりにあけすけな筆致に、この編集者こそ破天荒だと思った。東光の破天荒ぶりには、稀に見るナイーヴな心が秘められているようにわたしには思われる。そうした東光の一面も捉えられているので、島地氏は優れた編集者だったのだろう。

『ポピュラー時代小説全15巻 第8巻 今 東光集(大きな活字で読みやすい本)』に収録された「お吟さま」は、千利休の娘・お吟の悲劇を、流麗な文章で、繊細に描いた時代小説である。

歴史エッセー『奥州藤原氏の栄光と挫折』は、端正な、わかりやすい文章だ。前掲小説「お吟さま」とこの作品には、今東光の美意識が遺憾なく発揮されている。ただ、どなたかアマゾンのレビューに書かれていたように、参考文献の記されていないのが残念である。

エッセーの冒頭で、荒廃に近い姿で二百余年を経過した中尊寺にある金色堂に東光が住職として任命され、六ヵ年の再現を費やして復元修理してから一躍、世の脚光を浴びたことが書かれている。東光は金色堂を「眩[めくるめ]くような藤原時代の宝石箱」*25と表現している。

ブラヴァツキーの神智学に薫染した人々の中から、文化保護のために働いた人物が数多く出ている。今東光もその一人といってよい。

明治の神仏分離(廃仏毀釈)を東光が批判していることは前述した。その廃仏毀釈から仏教美術品を部分的にでも救い上げることに成功した岡倉天心、フェノロサ、またアジア主義を唱えた大川周明、そして仏教復興運動に尽力したスリランカ(セイロン)独立の父アナガーリカ・ダルマパーラといった神智学の影響を受けた人々についても、そのうち簡単にでも書いておきたいと考えている。

………

*13:単行本化は1972年。

*14:収録作品は昭和31年茶道雑誌「淡交」に連載された中編「お吟さま」。第36回直木賞受賞。最初の単行本化は淡交社、1957年。

*15:「週刊プレイボーイ」に連載されたもので、『極道辻説法』『続極道辻説法』『最後の極道辻説法』と単行本化された。

*16:『続 極道辻説法』『最後の辻説法』を合わせて一冊とし、文庫収録にあたり『毒舌 身の上相談』と改題された。

*17:(今,1996,p.59)

*18:中村,2004,p.193

*19:今,1996,p.98

*20:今,1996,p.39

*21:田中,1995,「用語解説」pp.16-17

*22:田中,1665,p.13

*23:今,1996,p.133

*24:今,1996,p.19

*25:今,1993,p.12

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2017年6月10日 (土)

6月2日ごろKindle版『卑弥呼…』をお買い上げいただき、ありがとうございます!

6月2日ごろ、アメリカのキンドルストアで『卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)』(ASIN:B00JFHMV38)をお買い上げいただき、ありがどうございます!

『卑弥呼をめぐる私的考察』をアメリカでお買い上げいただいたのは初めてでした。全体で6冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
      ↓

卑弥呼をめぐる私的考察(Collected Essays, Volume 3)
ASIN:B00JFHMV38

同じ評論・エッセイシリーズに入っているKindle本です。サンプルをダウンロードできます。
     ↓

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

枕許からのレポート(Collected Essays, Volume 4)

昨年出した純文学小説です。サンプルをダウンロードできます。

結婚という不可逆的な現象
ASIN: B01E3UAZ3O


以下は、その他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス

詩人の死

台風

直塚万季 幻想短篇集(1)

雪の二小篇 (純文学)

ここからは児童小説のご案内になります。

中編児童小説です。

田中さんちにやってきたペガサス

99円の短編児童小説です。

卵の正体

ぼくが病院で見た夢

花の女王 (児童書)

ぬけ出した木馬

マドレーヌとわたし

マドレーヌとわたし(漢字使用)

日記体児童小説です。

すみれ色の帽子

シリーズ物の第1巻です。冒険前夜の物語です。

不思議な接着剤1: 冒険前夜

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2017年6月 9日 (金)

祐徳稲荷神社と普明寺に行き、博物館で取材しました

昨日、家族で祐徳稲荷神社に出かけました。また出るのが遅くなり、途中でお昼近くになったので、ドライブインに寄りました。

わたしは萬子媛にお目にかかる緊張感から、何も飲食しませんでした。以前は何も考えずに気軽に行けたのが不思議です。

遅くなり、御祈願の受付時間には間に合いそうでしたが、祐徳博物館には行けても、16時半には閉まってしまうので、慌ただしい見学になりそうでした。

博物館の近くの駐車場に夫が車を止め、降りて本殿や石壁社のあるあたりに目を向けたとき、傾きかけた日が燦然と射して、あまりの美しさにしばらく見とれてしまいました。

日を受けた樹々の緑の輝きがあまりに美しいので、「まるで天国みたいに綺麗ね、こんなに綺麗に見えるのは初めてよ」と娘にいうと、娘は怪訝な顔をしました。

何て綺麗なんだろう、ずっとここにいたいと思ったほどでした。あとで、もっと傾いた日を受けて、それでもまだ輝いている樹々の緑を見たときとの平凡な印象とは、落差がありました。

今思えば、御帰りになる萬子媛のオーラの輝きが日の輝きに混じっていたからだとしか思えません。

御祈願をお願いしようと思って、厄年の記された表を見ると、そこにわたしの生まれた年はありませんでした。来年、還暦の御祈願をお願いすることになりそうですけれど。

神社によって、違うのですね。先日、帰省した息子、夫と宇佐神宮に参拝した折に厄年の表を見ると、前厄に当たっていたので、祐徳稲荷神社で御祈願をお願いしようと思ったのでした。

それなら博物館に先に行こうかな、と思いました。「そちらに長居してしまうと、萬子媛がお帰りになってしまうよ。いいの?」と娘がいいました。娘はわたしのいうことを信じている風ではありませんが、合わせてはくれるのです。

そうかもしれないと思いました。それでも、博物館で前回見落としがあって(結局は今回も見落としが出ました)、どうしても確認のために行きたかったのですね。

そして、やっぱり長居してしまい、出ようとして博物館の受付のところを見ると、職員のお顔が見えたので、どうしても知りたかったことをお尋ねしてみたくなりました。このことがわからないと、小説が進まないのです。

閉館の時間になっていたにも拘わらず、快く質問に答えてくださいました。

「江戸時代のお話になりますが、祐徳稲荷神社のお寺としての前身の、黄檗宗の僧侶となられた萬子媛が創建された祐徳院の建物はどこにあったのですか?」とわたし。

これまで調べたことを総合して考えると、祐徳院は庵のような小規模の建物で、山腹にあるとしか想像することはできませんでした。

でも、萬子媛の義理の息子で大名になった直條公が執筆したとされる『祐徳開山瑞顔大師行業記』には、尼僧となった萬子媛がもう一人の義理の息子断橋和尚(直條の兄に当たる)から譲られた祐徳院で、尼十数輩をひきいたと書かれているのです。

祐徳院を庵のような小規模の建物と考えるのは不自然でした。

すると、職員はおっしゃいました。「それは、ここです」

「ここって……山腹にあったのではないのですか?」とわたし。
「実は、はっきりとしたことはわかっていないのです。廃仏毀釈をご存知でしょう? それによって、祐徳院にあった物は普明寺に移されたということのようですよ」と職員。

はっきりしたことは不明とおっしゃっているにも拘わらず、再度お尋ねしてしまいました。「では、祐徳院は本殿とか石壁社のあるあたりの山腹にあったわけではないのですね?」とわたし。

職員は困ったような表情で、「萬子媛に仕えていた尼さんの石碑が岩本社のあるあたりにあったと聞いています。それで、岩本社が建てられたようです」とおっしゃいました。

danger ちょっと用事ができました。この記事は書きかけです。

祐徳稲荷神社で行われた『かしま伝承芸能フェスティバル』の模様を収めた動画がアップされていました。

「一声浮立」が披露されています。鹿島小唄、鹿島節と共に、盆踊りでお馴染みの曲です。知っている顔があるような……やっぱりそうでは。なつかしいので、自分のためにも貼りつけさせていただきます。この歌詞の中に「福は授かる祐徳稲荷」とあります。

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2017年6月 8日 (木)

今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)から薫る神智学的教養

神智学と縁の深かった父親を持ち、自身も神智学書籍の翻訳などした今東光について、当ブログの過去記事をもとに書いた記事を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」にアップした。

ウェブサイトで閲覧した記事には今東光の著作からの引用も多く、参考になったが、本人の著作を読まずに記事を書いて終わらせるわけにはいかないので、加筆するつもりで、現在色々なタイプの今東光の5冊の著作――歴史小説2冊、歴史エッセー、身上相談物2冊――とと、編集者が書いた小伝を読んでいる。

身上相談物を読んで、東光が大好きになってしまった。ああ会ってみたかった。

親に恵まれなくとも、昔の日本には今東光のような慈父であり、またどこか慈母でもあるような人物がいて、魅力的な毒舌口調で相談にのってくれていたのだ。

読んでいて感激の涙が出てくるくらいに、真正面からこの上なく真剣に東光は回答している。

その身上相談を読んでも東光が身につけている物凄い教養とユーモアのセンスは感じとれるのだが、今東光『毒舌日本史』(文藝春秋、1996)を読むと、その教養から神智学の薫りがするのである。

例えば、聖徳太子。今東光は阿育王(アショーカ王)の善政を評価し、その善政に倣った隋の文帝を評価し、短命だった隋だが、「僕に言わせるとこの文帝の仏教治国策は古代東洋における阿育王の話に次ぐ近代性を有つ国家です」(今,1996,p.59)という。

そして、人民の民度は低く、野蛮と無法とが貧困と同居している日本で、この隣国の仏教治国策を施そうとしたのが聖徳太子だといい、東光は最大級の賛辞を捧げている。

アショーカ王の特色は、彼が熱烈な仏教信者でありながら、他の諸宗教を排斥しなかったところにある。中村元は『古代インド』(講談社、2004)で、それは仏教に、本来このような性格があるからだと述べている。

仏教とは覚者(ブッダ)の教えである。覚者とは万有の真理を会得した人にほかならない。このような覚者は、偏狭な先入見を去って、ありとあらゆるものにその存在理由を求め、主種な思想的立場に対しては、そのよって成立するゆえんを洞察するものであらねばならない。覚者の教えは他の教えと対立することがない。それらを超越してしかも包含しているところのものである。ゆえに仏教それ自身はかならずしも他の思想体系を否認せず、それぞれの意義を十分に承認し、それぞれの長所を生かそうとするものである。(中村,2004,p.193)

わたしはここから神智学の教えを連想するのであるが、アショーカ王は真の仏教信者であったから排他的でない宗教性を持っていたのだろうし、今東光は真の仏教信者であったからこそ、神智学に親和性があったのだろう。あるいは、神智学に親和性のある資質が東光を仏教信者にしたといえるのかもしれない。

アショーカ王はチャンドラグプタの孫だった。過去記事でも書いたことだが、ブラヴァツキーを指導、守護したモリヤ大師のモリヤの名は、同大師の化身であったモリヤ(マウリヤ)王朝の始祖チャンドラグプタ・モリヤから来たものだといわれている。東光はこのことを知っていただろうか。

東光は神仏分離を次のように批判している。

僕の持論はね、明治初年の神仏分離は稀に見る悪法で、稀に見る悪法で、あのために日本はモラルのバックボーンを喪失したと見るんです。従って神仏は改めて新しく発足し直し、昔ながらに手を握るべきである。これなくして日本はモラルを恢復することが出来ないと主張してるんですどうです、こりゃ名論卓説てえもんでしょう。(今,1996,p.98)

平安時代末期に編まれた歌謡集『梁塵秘抄』に収録された歌では神仏がそれぞれの系譜を純粋に保ちながら渾然一体となっていて、そこからは高い美意識と倫理観が感じられる。

日本人の美意識、倫理観がこのとき既に高度な水準に達していたことを考えるとき、わたしにも、神仏分離は悪法だったとしか思えない。神智学徒であれば、誰しもそう思うだろう。

絶世の美女とされるクレオパトラの知的魅力を、「アレクサンドリア学派の哲学を修めた教養の高い才女」(今,1996,p.39)という風に、アレクサンドリア学派を背景に説くところなども、神智学徒らしさを感じさせる。

H・P・ブラヴァツキー(田中恵美子訳)『神智学の鍵』(神智学協会ニッポン・ロッジ、1987初版、1995改版)の用語解説「アレクサンドリア学派(Alexandrian Philosophers School)」を読むと、アレクサンドリア学派について総合的な知識を得ることができるが、ここに、アレクサンドリア市は「西暦173年にアンモニオス・サッカスが設立した折衷学派即ち新プラトン学派で一層有名になった」(田中,1995,「用語解説」pp.16-17)とあり、質疑応答形式の本文に「神智学という名称は三世紀に折衷神智学を創始したアンモニオス・サッカスとその弟子達から始まったものです」(田中,1665,p.13)とあるように、神智学はアレクサンドリア学派から起こった。

だからアレクサンドリア学派という名称は、神智学徒にとっては特別の響きを持っているはずである。

今東光は嵐のような日教組に対する批判活動を繰り広げていたらしい。「共産主義てえもんは赤色帝国主義だってえ解るときが怖いんだ」(今,1996,p.133)という東光は、その怖さを緻密な歴史研究を通して知っている。

そして、引用する左翼的教育に対する今東光の懸念は、唯物史観とは到底相容れない神智学的歴史観からすれば、当然のものだ。

日本の左翼的教育てえものは、つまり馬鹿を拵[こしら]える教育で、それでねえとインチキなマルクス・レーニン主義を押しつけることが出来ねえんだね。だから日本の歴史も、仏教も何も知らねえ二十世紀人ばかりになってきた。将来、此奴等が大人になって人の親となったら、それこそ歴史の悲劇だろうな。(今,1996,p.19)

東光の懸念は当たってしまった。

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2017年6月 6日 (火)

祐徳稲荷神社の動画で……あれ?

祐徳稲荷神社に娘が行きたいというので、近いうちに家族で出かける予定です。行きたいと思いながら、1年経過してしまいました。

車で往復6時間というのが、ネック。運転してくれる夫に無理がないようにするには、連休をとって貰う必要があります。

わたしは、体調がよい日であっても、着いたときは頭がボーっとなって、小説の取材もろくにできない有様です。

祐徳博物館にはまた行きたいし、できれば鹿島藩鍋島家の菩提寺「普明寺」にも行きたいと考えています。祐徳博物館に長居をしてしまうと無理かも。

普明寺は、鍋島直朝公の長男・断橋の開基により、師僧・桂厳性幢に開山となって貰い、創建された寺です。断橋は鍋島直孝の僧名です。

普明寺の見学動画が出て来ないか検索していたら、祐徳稲荷神社の動画が沢山出てきました。前に検索したときはもっと少なかった気がします。

そうした動画の一つに、読経(般若心経?)する白装束の人々が映し出されていました。2012年の12月に公開された動画です。以下は動画のアドレスです。

4:28 ごろから萬子媛(御神名萬媛命)をお祀した石壁社が出てきます。読経する人々が登場するのは 5:13 ごろからです。

神社で般若心経が唱えられることがあるとは知っていましたが、実際にそうしている人々を見たのは初めてだったので、驚きました。これは明治政府によって禁止された神仏習合の名残りと考えていいのでしょうか? 

以下の動画「佐賀のパワースポット、祐徳稲荷神社」では、1:22 ごろから石壁社、1:56 ごろから水鏡が捉えられています。


以下にリンクさせていただいたドローン空撮のサンプル動画はとても神秘的な映像です。

  • Power Spot yutoku Inari Shrine パワースポット祐徳稲荷神社 秋季大祭(おひたき) ドローン空撮   
    https://youtu.be/MIqD4n_aFIw

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2017年6月 3日 (土)

「68 今東光が…」を神秘主義エッセーブログにアップしました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

Kon_toukou_4

中央公論社『週刊公論』3月1日号(1960)より今東光
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

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2017年6月 1日 (木)

枝豆とちりめんじゃこの炊き込みご飯

20170601_cook

中華スープの素「ウェイパァー」を使い、ちりめんじゃこをたっぷり入れて、炊き込みご飯を作りました。しっかりした味付けで、ちりめんじゃこの臭みも全くありませんでした。

材料(4人分)

  • 米……3合
  • 水……3合の目盛りに合わせる
  • ちりめんじゃこ……40g
  • 枝豆……好みの分量
  • 調味料……ウェイパァー(または鶏ガラスープ)大さじ1、しょうゆ大さじ1、酒大さじ2、みりん大さじ1、塩少々

作り方

  1. 米は30分くらい前に洗って、ザルに上げておく。
  2. 枝豆は塩少々を入れた熱湯で茹で、さやから出しておく。
  3. 米、水、調味料、ちりめんじゃこを入れ、炊飯器のスイッチを入れる。
  4. 炊き上がったら、枝豆を入れ、全体を軽く混ぜる。

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