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2017年2月 5日 (日)

恩田陸『蜜蜂と遠雷』を齧って、妄想的雑感(結局、本買った)

「テーマ」と題された出だしの部分の最後の文章に蜜蜂が出てくる。ネットで試し読みできるページだから、ここに引用しても構わないだろう。

「今、改めてこの時の光景を見ることができたならば、きっとこう言ったことだろう。/明るい野山を群れ飛ぶ無数の蜜蜂は、世界を祝福する音譜であると。/ そして、世界とは、いつもなんという至上の音楽に満たされていたことだろう、と。」

作者の世界観に、祝福者として利用される蜜蜂。

少し蜜蜂を観察すればわかることだが、働き蜂は巣にみつや花粉を持って帰るために、懸命に働いている。自分たちの女王国を維持し、存続させるために。

蜜蜂が無数にいれば、はちみつが今のように高い値段になることはないだろう。

世界がいつも至上の音楽に満たされているのなら、「至上」よりは劣らざるをえない人間がつくり出す音楽など、要りますかね?

屁理屈にすぎないかもしれないが、わたしは端からこうした文章に違和感があり、早くも読書欲を削がれた。

試し読みのページを利用させていただいて引用を続けると、次の「前奏曲」で、審査員の嵯峨三枝子が高校時代の友人で売れっ子のミステリ作家になっている友人の一人と会話する場面がある。

真弓は会うたび、「文芸業界とクラシックピアノの世界は似ている」という。

「ホラ、似てるじゃない、コンクールの乱立と新人賞の乱立。同じ人が箔を付けるためにあちこちのコンクールや新人賞に応募するのも同じ。どちらも食べていけるのはほんの一握り。自分の本を読ませたい人、自分の演奏を聴かせたい人はうじゃうじゃいるのに、どちらも斜陽産業で、読む人、聴く人の数はジリ貧」という。

まさにその通りだが、次の引用部分を読みながら怒りが湧いた。

「なのに、ますますコンクールも新人賞も増えるいっぽう。いよいよみんな必死に新人を探している。なぜかっていうと、どちらもそれくらい、続けていくのが難しい商売だからよ。普通にやってたって脱落していく厳しい世界だから、常に裾野を広げ、新しい血を輸血し続けていないとすぐに担い手が減ってしまい、パイそのものも小さくなる。」

文芸業界で、必死に新人を探している「みんな」とは誰を指すのか。今のつくられた日本の文芸業界に、必死に才能のある新人を探している人がいるのであれば、その人の名をわたしは知りたい。

音楽の世界のことは知らないが、作者はまぎれもなく文芸業界の人間である。しらばっくれるな、といいたい。

左派はコンクールを乱立させ、新人賞を増やすことで(個々の主催者がそうした意識で行ったことではないだろうが)、作家の卵をまんべんなく把握し虱潰しにしてきたくせに。もしかしたら、作者はそんなことも知らないのだろうか。

左派は日本の文芸業界を握るために、純文学作家潰しをやった(「純文学なんてない」キャンペーン、村上春樹キャンペーン)。純文学作品の商業出版を手がけている大手出版社に作品を持ち込もうとしても、「新人賞へどうぞ」といわれる。

こう書くと、お前の作品を見せてみろといわれそうだが、わたしは自分が潰されたといっているわけではない。わたしは毎日努力はしているが、才能の乏しい、技巧的にもまだ下手な、平凡な作家の卵にすぎない。だが、潰された人を確実に数人知っている。

造反者を出さないために、才能のない追従する作家に賞をやることで自分たちの立場を安泰なものにしてきた。彼らは大学に文芸創作科を新設し、創作教室を作り、そこから自分たちにとって安全なつくられた作家を調達してきたのだ。

それは仲間内で食べていくためのゆるやかな相互扶助でもある。それ以外は野垂れ死にしようが、自殺しようが、日本がどうなろうが、どうでもいいのである。

泉鏡花、吉屋信子、夢野久作といった作家が大衆作家と呼ばれて愛された、そんな時代もかつてあった。同レベルの大衆作家たちを育て続けることも、本来の日本にはできたはずである。

一思想家でもあるような、豊かな教養と奥深い精神性を備えた孤高の作家――純文学作家とはかつてそんなイメージだった――のまるでいなくなった文学的に沙漠になってしまったような国が日本以外にあるのだろうか?

こうした文芸業界の舞台裏を面白おかしく、作品にしていただきたいものである。直木賞作家向きの仕事であるはずだ。

……と、これでは野良犬の被害妄想でしかないから、ちゃんとした感想を書くために泣く泣く本を買った。

実は、名作に巡り合えるかもしれないという純粋な期待感から、書店で恩田陸『蜜蜂と遠雷』を手にとったのだった。

じっくり読みと斜め読みを繰り返し……粗悪な安酒に酔っぱらったような気分になりながらも、作品の概要と雰囲気は掴んだ。

感想を書くために、図書館から本を借りようと思い、検索したらきっかり 40 人予約者がいた。

どうしてもほしいと思う本はあれこれあって、それですらほとんどが買えないでいるのに、悔しいが、ちゃんと感想を書くためには買うしかないと思った。そのお金で他の本が買えるし、リヴリーアイランドが贅沢にできると思うと、本当に悔しいが、書店での立ち読みやネットでの試し読みでは、もちろんいくらか読んだともいえず、不確かな部分が相当に残る。

物書きとしての確かな才能を、そうではないと勘違いしている可能性だってある。

ただ、他にしなければならないことが沢山あるので、つまらなければ、読破できないかもしれない。ちゃんとした感想も書かず、この妄想的雑感で終わるだろう。

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