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2016年12月 7日 (水)

中年のプレXmas会、そして中学時代の恩師の思い出。萬子媛の小説について。

高校の同窓会と、中学校の――三年生のときの――クラス会は、発起人になってくれる人がいるお陰で、何年か置きに催される。

近ければ出席したいのだが、ここからは案外遠くて、博多で特急を乗り継いで往復で5時間、車で高速を使ってもそんなものなので、萬子媛の小説の第二稿のために祐徳稲荷神社にちょくちょく取材に行ければと思うのだが、なかなか行けないでいる。

実家があれば、帰省を兼ねて出席という手もあるが、現在、実家は更地になってしまったので、無理のないように計画するとなると、ホテルに一泊することになり、そうなると、億劫だ。

来年の初夏、中学校のクラス会が予定されているというメールが、友人からあった。

「悪いけど、行けそうにないよ」と返信すると、「えーっ、出席しないのぉ~!」とのメール。

その友人と、もう一人高校でも一緒だった友人と三人で博多で今月会う約束をしていた。時期的に、プレXmas会という感じになりそうだ。

このクラス会の連絡で友人が書き添えたのか、もう一人中学校時代の友人がプレXmas会に加わるという。

そうなると、なつかしいあの顔、この顔が瞼に浮かび、いっそ博多でクラス会をやってくれないかなあ、などと虫のよいことを考えた。さすがに、それは無理だろう。

恩師のチンタ先生がお元気であれば、先生は必ずクラス会に来てくださるだろうが、前回、中学校時代のクラスメートの顔を見たのは、チンタ先生の葬儀のときだった。

お棺の中の先生のお顔を友人達と恐る恐る覗き込むと、先生がいない!

「わあ、先生じゃないよ、先生のおじいさんよ! おじいさんがなぜ、ここに?」と誰からともなく声が上がり(わたしも思わず声を上げてしまった)、仙人のように白い顎髭を筆先のように伸ばしたお顔に釘付けになっていた。

すると、冷静さを取り戻した一人が「この方が先生じゃないの。先生以外の誰だっていうの?」といった。

考えてみれば、それはそうだ。お元気だった先生を最後に見たときは童顔らしいお顔が中学校時代とそんなに違わなかったため、お棺の先生を見て皆びっくりしたのだった。

入院中の先生のお見舞いには行かなかったが、男子が数人行ったといっていた。仙人のような風貌で、闘病なさっていたのだろうか? ナンというか、清潔そのものの厳粛な死に顔だった。

自分の死に顔を見てきゃーきゃー騒いでいるわたしたちを先生は雲の上からご覧になって、「相変わらずだな、この子らは……」と苦笑なさったに違いない。

チンタ先生の思い出は過去記事にも書いたが、先生は中学校の一年、三年のときの担任で、男子テニスを全国大会に連れて行ったり、朝の読書に力を入れたりと、若かったこともあって、本当にみずみずしい印象だった。

確か水瓶座だった。ユニークで、陽気で、人間味に溢れた人である一方では、とても厳しい人でもあった。

先生のお陰で、わたしは読書好きになった。小学校の高学年くらいから読書好きにはなりかけていたが、まだそれほどではなかった。

教室には、図書室の廃棄処分にされた古い本や生徒が寄付した本が並ぶ本棚が置かれ、生徒はその中のどれか一冊を選んで、朝の読書時間に読むのだった。

その間、先生は竹刀に似た竹の棒を持ってコツコツ、通路を歩いて行かれる。注意散漫だと、その棒で机をピシッと叩かれた。恥ずかしながら、わたしも何度となく、机を叩かれた口。

廊下を友人達と走り回って(長いスカートをバサバサさせてよく走り回るものだから、寝押しをしても襞はいつもとれかかっていた)、立たされたこともよくあった。

結婚披露宴に出席していただいたとき、先生はわたしが大学時代に詩や歌詞で受賞したことを話してくださったが、中学時代のわたしは文学好きにはおよそ見えなかったので、そのことにとても驚いたとおっしゃった。

でも、中学一年生のときにはもう文学が大好きになっていたのだ。交換ノートや詩を書きつけたノートの回し読みの流行には一役買っていた。

中学・高校時代を通して膀胱神経症に悩まされ、そのことは死にたいくらい深刻な悩みだったのだが、一方では底抜けに明るく、楽しい学校生活を過ごしてもいたのだから、不思議なものだ。

チンタ先生のお陰だと思っている。

実は、萬子媛の小説を計画しているときに先生の夢を見た。そのあとで、郷土史家との出会いがあったことを考えると(実際には、『萬媛』という絵本を出版された佐賀大学のグループに問い合わせて、郷土史家を教えていただいたのだが)、先生の見えざる助力があったのではないかと考えている。

それよりもっと前に見た夢の中で、あの世での先生の住居は祐徳稲荷神社のすぐ近くにあった。あの世を舞台とした夢だということが、夢を見ながらわかっていた。

先生の葬儀で、先生の親友が、先生はとても敬虔で熱心な仏教徒だったとおっしゃったことに、わたしは驚いた。

宗教のし、仏教のぶの字も感じさせない先生だったからだ。先生はわたしの文学好きに驚かれたようだったが、わたしはわたしで先生と仏教のつよい結びつきには心底驚かされた。

あの世での先生は、萬子媛のこの世に対するボランティア事業(?)と何らかの関係がおありなのではないだろうか、とわたしは考えたりしている。

そう思えば、萬子媛の小説の第二稿に入りかけたところで停滞しているが、時間がかかってもきちんと完成させなければと思う(先生に期待されているかもしれないと思えば)。

まあこの辺りのことは、自分のことを神秘主義者と信じきっている人間の脳内劇場だと解釈していただいて、一向に構わない。

そういえば、小説の第一稿は最終的に送りたい人々全員に送ったわけではなかったので、まずかったかなと思っている。回し読みしてくれたりもしているそうで、ありがたいやら、申し訳ないやら。

従姉からも「なぜ、わたしには送ってくれないの?」といわれてしまった。老眼にこたえると思って……ごめんなさい。

第二稿か第三稿になるかわからないが、完成したらコピー本か、印刷屋さんに頼んで簡易製本したものを送る予定。一般にはアマゾンで電子出版するので、興味のあるかたはどうか買ってください(小説ブログでの公開も考えている)。

ところで、今月会う友人の一人がルーツ探しに最近ハマっているとかで、わたしもネット検索を手伝ったりしていた。

寺のご住職からご先祖に関する伝承を訊いたり、図書館から村史の写しを送って貰ったりしているというから、本格的である。

それが、それによると、どうも彼女とわたしのご先祖はある時期、仇同士だった可能性が出てきた。最終的にはどちらも鍋島家の家臣となったわけだから味方同士だったともいえるのだが。

江戸時代に入ると、彼女のご先祖はおそらく鹿島藩、わたしのご先祖はおそらく佐賀藩の家臣だった。

サイト「武将系譜辞典」によると、母方の祖母の一族は戦国時代、大蔵党の一員として少弐氏の家臣団に属していたようで(戦国時代、少弐氏は北九州一円に勢力を張っていた)、氏の記載がある。その後、鍋島家に組み込まれたのだろう。サイト「日本の苗字7000傑」によると、祖母の家系は江上氏の分家だったようで、ウィキペディア「江上氏」を閲覧すると、流れがわかる。

友人がこうした方面に関心を持っているとは意外だった。萬子媛の小説も読みたいという。興味がないと思って、彼女にも送っていなかったのだ。

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