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2016年12月の13件の記事

2016年12月27日 (火)

正月に読む楽しみ、山岸先生の『『レベレーション』第2巻、政治情報誌『ジャパニズム34』。

まだこれからの年賀状。アマゾンに注文していた互換インクカートリッジは届きました。まだ試してはいません。馬鹿に大きな箱でした……

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今日は窓拭きと家具磨きで力尽きました。何とか注連縄を飾り終えました。

昨日は家族で、ちょっとした家具を買いにホームセンターへ出かけました。夫の部屋に引き出しが何段かついたチェストを買うのが目的でしたが、わたしがパソコンをするときに使っている椅子も、手頃なのがあれば、買い替えたいと思いました。

この街に引っ越してきてから買った椅子です。その頃はパソコンを娘と共有していました。パソコンデスクは引っ越し前から使っていたものがありました。

椅子を買う必要があり、安いのでいいから椅子を買ってきて、とまだ定年前でホームセンター勤務だった夫に頼むと、一番安かったという2,000円の椅子を買ってきました。高いのを買ってきて、といえば、夫はそうしたでしょう。

その2,000円の椅子は娘には座り心地が悪かったみたいで、ドーナツ型のクッションをお尻の下に敷いたりしていました。わたしはお尻の筋肉が丈夫なのか、支障なくその椅子を使っていました。

共有していたパソコンがだめになり、各自のノートパソコンを持つようになったとき、娘はパソコンデスクと椅子をわたし専用にしていいといいました。椅子が嫌なようでした。そのとき、椅子を買い替えようかと娘と話したのに、なぜか買い替えないままになっていました。

おそらく娘がその椅子を使わなくなった一方では、わたしは問題なく使えていたためでしょう。

創作に没頭して徹夜したりしたときはお尻の筋肉が強張った感じがしましたが、それが椅子のせいだとは思いませんでした。

ところが椅子が破れたとき、板と布の間に挟まれたスポンジのあまりの薄さに、娘のお尻がこれに耐えられなかったのも、さしものわたしのお尻にも徹夜すると問題が生じたのもなるほど……と思いました。

それに、この椅子にはちょっと危険なところがあったのです。背もたれに体をあずけてしまうと、ひっくり返ってしまうことがあるのですね。幸い運動神経がよかったために(?)、難を逃れたことが何回かありました。

で、今度はもう少し座り心地のよい椅子にしました。ついでに、3,000円くらいのブックカートも買いました。執筆中の資料をまとめて置ける台がほしかったのです。

ブックカートは移動させられるので、便利そうです。ただ、狭いので、邪魔になりそうな気もします。わたしが使わなくても、誰かが使うでしょう。

椅子とブックカート……これで、これまでとは違って、名作が書けるかもしれません!

ホームセンターで担当してくれた人と夫は、飲み仲間でした。その人が大阪に転勤になったため、その集まりはなくなったのです。が、その人は大阪に馴染めなくて、こちらに転勤願いを出して戻ってきました。

安くしていただいたお陰で、「かもめのジョナサン」へ行けました。

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お正月に読むつもりで、山岸先生の『レベレーション(啓示)』第2巻と政治情報雑誌『ジャパニズム』を購入しました。

山岸先生のレベレーションはどう展開するのか、ドキドキします。

レベレーション(啓示)(2) (モーニング KC) コミック
山岸 凉子 (著)
出版社: 講談社 (2016/12/22)
ISBN-10: 406388676X
ISBN-13: 978-4063886764
発売日: 2016/12/22

余命ブログで知った余命さんの対談と漫画が掲載されている『ジャパニズム34』。新連載の山野車輸『余命三年時事漫画』だけ先に読みました。

前半の余命一族に起きた出来事の描写は凄惨です。後半の現代になったところで、パイプ加えて登場する三代目余命さんのまあカッコいいこと! 興味深い内容で、続きが待ち遠しい。

余命ブログが削除されてしまったときのことは、忘れられません。

『ジャパニズム34』はアマゾンの売れ筋ランキングで、社会・政治カテゴリーの上位につけています。おや、動画で有名なKAZUYAくんの記事もあるようですね。

ジャパニズム34
出版社: 青林堂 (2016/12/10)
ISBN-10: 4792605725
ISBN-13: 978-4792605728
発売日: 2016/12/10

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芽が出たジャガイモをプランターに植えてみたら・・・

熟成ジャガイモにしたら美味しいので、そうしたまではよかったのですが、さらに熟成させてみようとしたところ、芽が出てしまいました。

「インカのめざめ」と「とうや」が3個ずつ。

かなり出てしまっていたので、捨てようと思いましたが、夫と話して植えてみようかという話になり、全然期待せずに極めてアバウトに植えてみたところ、葉が出ました。

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ネットで調べてみると、プランターでも栽培できるようです。ただ植えた時期が遅かったようです。おまけに、この子が「インカのめざめ」だか「とうや」だか、夫にもわたしにもわからなくなってしまいました。

運よく収穫できて食べられれば、どちらか判明するでしょう。

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2016年12月26日 (月)

無料キャンベーンは終了しました。ダウンロードいただき、ありがとうございます!

無料キャンベーンは終了しました。

5冊ダウンロードいただきました、ありがとうございます!

今回の久しぶりの無料キャンペーンは直前になってからの急な予告でしたし、また、前にこのKindle版の児童小説『田中さんちにやってきたペガサス』は数回の無料キャンペーンを行っていたため、サンタさんになるのは難しいかもしれないと思っていましたが、お陰様でなることができまして、嬉しかったです……!

今後、無料キャンペーンを実施するかどうかは未定です。行う場合は今回より早めにブログで予告いたします。

ところで、年賀状はお済みですか?  

わたしはようやく昨年の年賀状のチェックを終えたところです。注文した互換インクカートリッジがまだ届きません。アマゾンの評判がまずまずだったので、注文しましたが、果たして使用感はどんなものでしょう?

遅くなった年賀状、今日からどんどん書いていくつもりでしたが、朝、劣化した整理ボックス4個を解体してゴミに出し、その勢いでベランダの掃除を半分くらい終えたところで、力尽きてお昼寝してしまいました。夜、頑張らなくては。

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2016年12月24日 (土)

キンドル本の無料キャンペーンの予告です。対象は『田中さんちにやってきたペガサス』、日本時間12月25日17:00~12月26日16:59。

久しぶりに、アマゾンのKindleストアで販売中の電子書籍『田中さんちにやってきたペガサス』(児童小説)の無料キャンペーンを実施します。

無料キャンペーン期間は、日本時間12月25日17:00~12月26日16:59 です。

キャンペーン時以外は『田中さんちにやってきたペガサス』は有料ですので、ご注意くださいますようお願いいたします。

一日早く設定すればよかったのですが、ファンタジックな児童小説がお好きな方へのささやかなクリスマスプレゼントです(遅刻気味のサンタですね)。

以下の本は有料ですが、クリスマスに如何ですか?

卵の正体 (短編児童小説) 


昼下がりのカタルシス (短編純文学小説)

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2016年12月23日 (金)

21日に博多で中学時代からの友人達とおしゃべり三昧、夫達の問題行動(?)の話題など。

21日に博多で、中学時代からの友人達と楽しいひとときを過ごしました。ここで、ちょっとメッセージを。

Eちゃん、いつも拙ブログを閲覧していただいているそうで、ありがとう! 
Eちゃんも来られたらよかったのにね、と皆で残念に思いました。そちらからだと博多は遠いし、ワンコいるから仕方ないか……うん。

次回は大分の別府温泉「杉乃井ホテル」に一泊しよう、という計画を皆で立てましたよ。如何ですか?

博多から一番遠方の――というより、佐賀や熊本からより便の悪い――わたしが博多駅に着いたとき、既にほかの3人はJR博多シティ「くうてん」9F、『ごはん家 椒房庵』の中でした。ごはんが美味しいことで評判のお店だとか。

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「焼き立て玉子焼き御膳」1,480円(税込)。確かにごはんが美味しい。「今日は佐賀産のお米を使っています」というお店の方のお話でした。

「わたしたち佐賀の人間ですよ」というと、そうですかぁとおっしゃいました。玉子焼きも、明太子も、味噌汁もグー! どれも美味しい。おススメのお店です。

「さばの塩焼き御膳(平日限定)」1,230円(税込)を注文した人もいました。ふっくら、こんがり焼けた鯖が、それはそれは美味しそうでした。

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デザート、わたしは注文しませんでしたが、これも美味しそうでした。

1人とは30余年ぶり、2人とは15年ぶりぐらい。以前、昔の友人に会ったとき、その親に会っているような気がして仕方がなかったのですが、今回もやはりそうで、「お母さんにそっくりになったねえ~!」といってしまいました。

女の子は父親に似るというけれど、友人達は皆不思議なくらい、昔見た彼女たちの母親に眉目がそっくりだったのですね。

話し出せば、中学時代にタイムスリップしたかの如く……前回会ったのがいつだったか、そのころのあの人、この人の話。

やがて、自分たちの健康や家庭の話に。

58~59歳ともなると、無事に済んだ人はいませんでした。皆、苦難を経験しており、皆、体のどこかしらに不調を抱えていました。介護の話なども出ました。

深刻なのは、夫達の話でした。

わたしは、夫のパチンコ狂いに困らされた過去があり、また女性と関係ができた挙句にその女性がストーカーだとわかって大変だったことなどを話しました。

そんな思いをしたのは自分だけだろうと思っていたところ、どうして、どうして。

ご主人達のうち、1人はギャンブル依存症気味、1人はアルコール依存症気味、1人はメンタルを病んでいる……という風でした。定年後にも影響を及ぼす、その傾向。

……気味なのではなく、……症そのものになっているはず、という話も出ました。その原因を賢い妻たちは認識していて、仕事が一番の原因だという結論に達しました。

今のわが国における働く人の扱われ方はひどいものですが、昔からこの国は働く人に無理をさせすぎる国だったということです。

でも、正勤としてフルタイムで看護師をしてきた友人は子供こそいないものの、男性と同じように、いや、それ以上に大変だったはずです。家事やメンタルを病んだ夫の介護まで雄々しくこなしてきています。

彼女は今は自分もメンタルが弱っているといいますが、細かなところまで話を聞いていると、わたしは彼女だからこそ、やれたのだと思いました。深い尊敬の念に打たれると共に、今後のことが心配になりました。

いや、彼女だけではなく、何か全員が疲れているように見えました。日本全体の疲労感を、まるでシンボライズしているかのように。

そんなクラい話をしながらも、誰かが笑いを誘うことをいい、しきりに爆笑が起きたりするところは、昔と変わりません。

椒房庵を出て、屋上を散歩しました。鉄道神社がありました。そこで再びおしゃべりしたり、写真を撮ったりしたあと、わたしは先に失礼して天神の書店へ行こうと思い、そういうと、皆がついてくるというではありませんか。

帰りの指定席はとっているので、それに間に合わせるためには、大きな書店内を走り回らなくてはならないと思っていたので(購入予定はありませんでしたが、ざっと大きな書店の最新状況を見ておきたかったのです)、皆でそうするのは無理だと諦めました。

第一、再会の計画が立ったとはいえ、めったに会えない友人達がこうも別れを惜しんでくれているというのに、書店めぐりなどいつでもできるではないかと考えました。

ぎりぎりまで皆で過ごすことにしたというと、誰かが「喉が渇いたわね」といいました。そして、皆でわたしが行きたかった博多阪急6F『カフェ レジャン 珈琲舎のだ店』へ。過去記事があります。

わたしはケーキセットを頼みました。写真がボケているので、小さく載せます。

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小柄なのに、食欲旺盛な1人はサンドイッチを注文。話し続けて、おなかが空いたのでしょう。

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珈琲舎のだに長居したあと、そこを出て、エスカレーターの脇にある長椅子へ移動。トイレへ行ったら、友人の1人も来ました。

彼女とは高校時代、いつもくっついていた仲でした。しかし、それ以降はあまりにつれないと思って、わたしは距離を置こうとしていました。

「ごめんね、いつも年賀状や何か、よくしてくれたのに、ろくに返事もしなくて……」と彼女。「どうせ、わたしはゴミみたいなものなんでしょ。いいのよ、別に、ゴミなんだもん」とわざというと、看護師の仕事が忙しかっただけではなく、実家の母親や夫の介護などあって、本当に彼女は大変だったとのこと。

全ては、顔を一目見たときから察していました。苦労の中で成熟して、いくらか疲労した彼女の綺麗な顔。再会して、高校時代よりもっと彼女が好きになりました。30余年も会わなかったなんて、信じられません。

これ以上、疲労が蓄積しないよう、わたしにできることがあるでしょうか。

会ってみないとわからないことって、ありますね。だから、Eちゃんにも会いたいのよ、皆。

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2016年12月20日 (火)

おすすめ年賀状テンプレート・イラスト2017

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Pixabay

無料/年賀状わんパグ
  http://www.wanpagu.com/

万人受けする魅力。デザインのセンスのよさ、隅々まで施された細やかな工夫、色彩の美しさ……といったものに安定した力量を感じさせられ、一番に訪問したくなるサイトです。

「カラフルひよこ」が幸せを運んできそう。どれも素敵です……!

無料年賀状 Andante
  http://nengajou.andanteweb.net/

テンプレートの大きなカテゴリが『干支 和風』『干支 洋風』『干支 写真』となっていて、それらカテゴリのテンプレートを画像一覧で見ることもできます。

全体的にすっきりとしていて、好感度高し。「洋風 酉年 とり 2017」の落ち着きのある色彩を背景に描かれたとりがとってもエレガント。

かわいい無料テンプレート ねんがや
  http://www.nengaya.net/

昨年発見したサイト。学習雑誌のイラストを連想させられます。昔の商店街のお店を想わせるような、古きよき時代の日本の味わいもあります。この世界では異色かも。

カテゴリからして『あたたか』『キャラクター』『版画』『シンプル』『ゆるかわ』『おえかき』『コラージュ』『ししゅう』『フラット』『ガーリー』『てぬぐい』『筆文字』『おしばな』『あみもの』『和菓子』『いもばん』『寒中見舞い』『喪中はがき』と、独創的です。

individual locker : 個人専用ロッカー
  http://www.individuallocker.com/

トップページをフラミンゴが飾っていますが、そのフラミンゴのテンプレート「年賀状2017 No.17: Flamingo 2017」はスタイリッシュでユニークで可愛らしくて……今年もハイセンスなデザインが置かれているサイトです。

赤ずきんちゃんのかわいい☆無料年賀状
  http://nengaakazukin.web.fc2.com/

赤ずきんちゃんのデザインの年賀状をいただくと、優しい気持ちで1年をスタートさせられそう。

カテゴリ『メルヘン』に置かれた「桜気球とヒヨコたち」が醸し出しているような温かみのある華やかさには、このサイトでしか出合えません。

はがき素材You's
  http://yous-dream.com/

カードのようなはがき素材が置かれています。夢見るような色彩の美しさです。

年賀状スープ
  http://pepero-nenga.com/

トップページ下方に人気のテンプレートがピックアップされています。

酉の筆文字14 ビジネス年賀状のハッとさせられる筆文字と朱系に統一されたデザインの美しさに心が躍りました。

カテゴリ『可愛い』には、上品な可愛しさで年齢を問わずに喜ばれそうなデザインが置かれています。

干支の年賀状 十二支
  http://www.nenga-juunisi.net

『干支文字(酉)の年賀状テンプレート素材』に置かれた歌舞伎(鏡獅子)が何といってもカッコいい。

LG干支年賀状プリント2016酉(とり)イラスト
  http://www.onenshi.com

ポップなまんまるとりが印象的ですが、縁起物も充実しています。

小鼓、伊勢海老、酒樽、お飾りなど、拡大して見ると精巧な感じで綺麗です。キュートに羽ばたく鳳凰、端然と佇む鶴もいいですね。

AKの年賀状テンプレート
  http://www.art-kaede.com/

ポップなものもありますが、和風のものが充実しています。カテゴリ『和風年賀状』の中の「孔雀とおしどり」の重厚な美しさにため息が出ました。

年賀状2017イラスト愛
  http://nenga.post-code.jp/

カテゴリは「新着・NEW・2017年」「人気・おしゃれ・ユニーク」「筆文字・毛筆体・フォント」「和風・水彩・レトロ」「干支・酉・にわとり」「シンプル・クール・ビドネス」

軽やかな感じのテンプレートが置かれています。

キヤノン クリエイティブパーク
  http://www.canon.com/c-park/

キヤノン株式会社のサイト。訪問の価値ありです。

郵便年賀.JP
  http://yubin-nenga.jp

日本郵政グループのサイト。説明するまでもないと思いますが、年賀状作りに必要な全てが揃っている便利なサイトです。

ポストの取集時刻を知るには、以下のサイトが便利です。

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ムシチョウをスノードットに(リヴリー)

12月も後半。何かと慌ただしい毎日ですね。なかなか創作やブログのための時間がとれません。それでもリヴだけは欠かさず世話するという……(≧▽≦)わたし、何歳でしょう? 

そのリヴリーですが、日替わりネオベルミンでムシチョウをスノードットに変身させました。これまでに蓄積したものは引き継がれるので、姿は別のリヴリーですが、以前の雰囲気がどことなくありますよ。

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ムシチョウだったころの次女。実はスノードットに変身させてからも、ときどき技でムシチョウに変えたりしています。ムシチョウのかわゆさ、ユニークさが捨てがたい。

ただムシチョウの難点というものがワタクシ的にあって、クリックしようとする宝石の糞ドゥードゥーだろうが、ぬいぐるみだろうが、大きな足の裏で踏みつけ、しばらく動かない……。ムシチョウの島へ行くと、ワタクシ的に世話が焼け、それがストレスになったのですね。

スノードットになってからも、平気で足でいろんなものを踏みつけますが(上の2匹は案外それが少ないのです)、足の裏の面積が小さいし、ムシチョウだったころのように顎をゆすりながら長く休止している……ということがないので、ストレスになりません。

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斜め上を見上げる可憐な仕草が何ともいえません。

日替わりネオベルミンにムラクモノテンマが出たら、またそれに変身させたくなるでしょうね。どれも好きで、どれにもしてみたいのですよ。

上の2匹はラヴォクスとプリミティブケマリでいる期間が長く、わたしもその姿に慣れすぎているので、ネオベルミンに浸けようという気になれません。

島や設置アイテムには、「ヤミ箱」「ヤミ―SHOP」で購入したもの、「クリアでゲット!キャンペーン」やイベントなどで貰ったものの他に、宝石の糞ドゥードゥーを集めてユーザーのお店「マイショップ」で購入したものがあります。

「マイショップ」で購入したものを青字にしてみます。

クリスマスガーランド、三角錐のオルゴナイトの島、ホットコーヒー、手描きの星空の背景クリスマスカード・青クッキーのイスドライフラワーA

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うちのリヴがよく参詣している神社。橋を渡った向こう側に、神社の境内が広がっています(わたしの脳内劇場)。

シロムシの巣箱B、ツツジの庭園壁紙、鳥居の島、つくばい、狛犬の置物・阿形狛犬の置物・吽形、ミニチュア三輪車・黄

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「サンタさん、わたしの手紙、ちゃんと読んでくれるかしら」と心配そうな長女。「わかっているよ、娘や」とミュラーサンタさん。でも、長女にはミュラーサンタさんは見えないようです。

星柄壁紙・青緑、ジオラマ人形・ミュラーサンタ、ロマンチックな小説、マイエリア島サンタさんへの手紙・黄拾ってきたチェック柄クッションC

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今日もピアノの練習に励む長女。次女にもピアノをさせようと思いましたが、硬い蹄で鍵盤を蹴られるとピアノが壊れると思い、やめました。

ミュラーサンタさんが現れて、楽譜をめくってやっています。しかし、バッハ インベンションを弾くのに懸命な長女は気づきません。サンタさんへのお手紙には、ピアノのおけいこに関係する願いごとが書かれていたのかもしれません(わたしの脳内劇場)。

星柄壁紙・青緑、ジオラマ人形・ミュラーサンタ、グランドピアノの島ピアノの椅子クラシックの譜面ギフトリボンの前景とあるカフェのカップ

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2016年12月13日 (火)

パンチェッタとアーモンドミルクのクリームソースパスタ(アフタヌーンティールームにて)。年賀状の季節。

過日、娘とアフタヌーンティールームへ行きました。

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アーモンドミルクに惹かれて、11/17~12/14の期間限定メニュー「パンチェッタとアーモンドミルクのクリームソースパスタ」を注文しました。明日までですね。

アーモンドミルクの味わいに、ほどよい塩気のパンチェッタとトマトがよく合っていました。

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デザートにいただいたハーフサイズのケーキと、アップルジンジャーハーバルティーです

公式ホームページには、「アップルカモミールの紅茶に、りんご、ローズマリー、レモングラス、ジンジャーコーディアルを合わせたリラックスティー」と説明がありました。

Afternoon Tea|オフィシャルウェブサイト アフタヌーンティー・リビングやティールームの公式サイト
http://www.afternoon-tea.net

さっぱりしたかったので注文してみたのですが、甘いせいか、わたしにはハーブの風味がちょっとくどく感じられました。

食後にではなく、これだけ注文したら満足できたかもしれません。

今年もあと半月ちょっとになりましたね。年賀状が遅れそう。まだ年賀はがきの購入すらできていません。

恒例の記事(?)「おすすめ年賀状テンプレート・イラスト」もアップしたいのですが、できるかどうか。

おお、昨年は11日にはアップできている! まあ、年が明けてからも結構前掲の記事にはアクセスがあったので、遅くなってもアップしたいとは思っていますが……。以下は、2016年版の記事です。

うちのプリンタはエプソンで、プリンタのインクを純正品にするか互換品にするかで、迷っています。普段はそれほど使わないので(文学賞への応募をほとんどしなくなったせいです)、これまでは純正品を使ってきました。

でも、プリンタを買い替えたきっかけは純正品のシアンで、インクの交換後にシアンだけ出なくなったのです。ヘッドクリーニングしてもだめでした。

インクのせいとは限りませんが、互換品にしてみてもいいかなと思ったりしています。

6個必要な純正品のインクを2回買えば、新しいプリンタが買えるという、プリンタとインクの値段のバランスの悪さ。プリンタを安く売る代わりにインクで損を回収し、儲けようという算段でしょうか。

エプソンは結構派手にインクを使ってヘッドクリーニングをやるので、余計に悩みます。わかっていながら、インクの色の美しさに惹かれて、迷った揚げ句にプリンタはエプソンにしてしまいました。

互換品といってもいろいろと出ています。互換品に決めたとしても、またそれで迷いそう。

ヘッドクリーニング液はまだ使ったことがありません。

ヘッドクリーニング液とは、ヘッドクリーニングを行ってもヘッドの目詰まりが改善されない時に効果的なクリーニング液で、プリンタヘッドに固着したインク汚れを溶解させる専用液とのこと。アマゾンレビューを見ると、評判はそこそこよさそう……

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2016年12月12日 (月)

神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」(拙「神秘主義的エッセー」より転載)

以下の文章を拙「マダムNの神秘主義的エッセー」の 当ブログについて に加筆しました。

文学に傾倒してきたので、文学に触れたエッセーが多いのですが、当ブログのエッセーは神秘主義的考察に主眼を置いているため、文学的観点からのアプローチとは作風が異なっているかと思います。

また、前記事でお知らせしたように、当ブログの過去記事をもとに前掲拙ブログに 66 神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②インド夜想曲 をアップしましたが、加筆しましたので、当ブログに転載しておきます。


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神智学に満ちているアントニオ・タブッキの世界 ②「インド夜想曲」


「ユリイカ 6月号 第44巻第6号(通巻611号)『アントニオ・タブッキ』」(青土社、2012年6月)とアントニオ・タブッキ(須賀敦子訳)『インド夜想曲』(白水社、1993)を購入して読んだ。

雑誌には「アントニオ・タブッキ・アンソロジー」と題され、6編の作品が邦訳されて載っていた。タブッキの作品を美しい日本語で読めることはありがたかったが、雑誌に掲載されたエッセイや論文には違和感を覚えた。

世の流れが変わってきて、第二次大戦後のリベラルによる情報操作が明るみに出てきたためか、神秘主義者のわたしはいささか被害妄想気味かもしれない。

しかし、通り一遍の解釈、自分たちの仲間と認められない面は徹底して無視、あるいは排除――漂白といったほうがよいだろうか――してしまおうという意志を読みとったように思ったのは、被害妄想気味になる前の話なのである。

自分たちと政治思想的にリンクした時期があったからといって、リベラルはタブッキを自分たちの側に力づくで引き寄せようとしているかのように感じられたのだった(自分がリベラルであるという自覚さえない文学者がわが国にはいるのかもしれない)。

堤康徳のエッセイ「タブッキが追いかけた影」には「世界は大きくて多様である。だからこそ美しいのだ」*1 というタブッキの言葉が引用されている。この言葉からタブッキが――リベラルに属していたとしても――いわゆるリベラルとは本質的に異なっていることがわかるのだが……。

リベラルには、多様性を認めないという特徴があるからである。

「タブッキが追いかけた影」にはリベラル的思考の特徴がよく出ているように思うので、さらに見ていくと、広島への原爆投下に関するトリスターノの言葉がタブッキの小説『トリスターノは死ぬ』(2004)から引用されている。

 あの犠牲者たちは不必要だと言われてきた。怪物の頭はすでにドレスデンとベルリンでつぶされていたし、アメリカが日本を屈服させるには通常兵器で充分のはずだったから。だがそれは誤りだ。不必要どころか、勝者にとっては有益そのものだった。あのような方法で新しい主人は自分たちだと世界に理解させたのだからね……。*2

わが国のリベラルは、このようにはいってこなかった。

日本が原爆を落とされたのは日本が悪かったからだとリベラルは主張し、教育し、運動してきた。だから、タブッキのこの引用に相応するような堤の言葉はない。

引用後、堤のエッセイは「トリスターノは、暑い八月に床に伏し、最期のときを待ちながら、八月の原爆の犠牲者に思いをはせる。八月は、タブッキにとって、なによりも死者と深くつながった月なのである」*3 という具合に、引用されたタブッキの文章とは無関係に続く。

谷崎潤一郎の墓のある法然寺を訪ねたときのタブッキの文章も引用されており、タブッキは谷崎の墓石に刻まれた「寂」一文字が印象的だったようだが、ここでも堤は谷崎の『陰翳礼賛』を出しに、陰翳美に対する礼賛から電力不足、さらには原発へと論点をすり替え、反原発運動へとつなげる不自然な印象操作を行っている。

電力不足といえば、家庭での停電と節電しか思い浮かばないところが国家というものを認めたがらないリベラルのお気楽なところである。

電力供給不足が製造業などに与える影響と、そこから懸念される倒産や失業、ひいては国力低下のことなど、どこ吹く風なのだろう。

また、堤のエッセイでは、タブッキが京都にかんするエッセイの冒頭に置いたポーランドの女性詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカの詩が部分的に紹介されている。

その詩は、1967年の詩集『百の喜び』所収の「あるホテルで書かれたもの」(Scritto in un allbbergo)と題された作品だそうだ(ピエトロ・マルケザーニのイタリア語訳)。

堤のエッセイで部分的に紹介された詩の後半部を、次に引用する。

ある紳士が
本当の涙を流した。
いにしえの文物の理解者、愛好者が、
山場を迎えた
会場の席上で
叫んだ、
結局、より劣った町はたくさんある!
そしていきなり泣き出した
椅子に坐ったまま。

こうして京都は救われた
広島より格段に美しかったので。
*4

そして、この詩との関連から堤は「この詩が京都の美しさへのオマージュであるとともに、あるいはそれ以上に、京都よりも美しくなかったために原爆の標的にされた広島の悲劇をアイロニカルにうたった挽歌でもあることを、おそらくタブッキは強く意識している」*5 と結論を下す。

「ある紳士」が皮肉を籠めて描写されていることから、詩の趣旨はそうだろうとわたしも思う。

と同時に、現実にこのような感傷的な会議が行われたとは到底思えないので、ジャン=ポール・サルトルの有名な言葉「飢えて死ぬ子供の前で文学は有効か」式のリベラルらしいオールオアナッシング、詭弁めいた発想だと呆れる。

尤も、シンボルスカの詩とタブッキのエッセイを全文読んでみなければわからないことで、ただ、ここまでのタブッキの断片的な文章を総合して考えてみると、タブッキの意識はシンボルスカの詩に触発されて、自己の内面に深く向けられていたのではないかという気がする。

ところで、ブララヴァツキーとオルコット大佐が設立した神智学協会を知っている人間であれば、「武力紛争の際の文化財保護条約」のもととなったレーリッヒ条約の存在が第二次大戦中の京都の保護に貢献したことを知っている可能性がある。

このことに関しては、ニコラス・レーリッヒ『アジアの心』(日本アグニ ヨガ協会、1981)に詳しい。

1935年、アメリカ合衆国と二十のラテン・アメリカ諸国が、条約に署名した。レーリッヒ条約の批准ための国際的な仕事は、ヨーロッパで第二次世界大戦が始まる直前まで続けられた。しかし戦争の勃発によってその実施は不可能になった。1948年、インドはレーリッヒ条約と平和の旗を採用した。1955年、ハーグ会議の最終決定に調印した39の加盟国は、レーリッヒ条約に基づいた武装戦争期間中の文化財保護条約を批准した。*6

国際的平和運動であるレーリッヒ協定と平和の旗運動を考え出したニコラス・レーリッヒ(ニコライ・リョーリフ)は、ドイツ系ロシア人の画家で、ストラヴィンスキー『春の祭典』の舞台装飾で著名である。チベット探検でも知られている。また、ブラヴァツキーもそうだったが、レーリッヒ夫妻はモリヤ大師の弟子であり、アグニ・ヨガ協会を設立した。

果たしてタブッキは、このことを知っていただろうか。

ヴィスワヴァ・シンボルスカ(Wisława Szymborska, 1923 - 2012)はウィキペディア「ヴィスワヴァ・シンボルスカ」によると、ポーランドの詩人、随筆家、翻訳家で、1996年のノーベル文学賞他様々な賞を受賞している。

ウィキペディアから引用する次の文章を読むと、政治思想分野での葛藤が彼女にはあったようである。

最初の詩集が1949年に発行される予定だったが「社会主義の必要条件を満たさない」という理由で検閲に通らなかった。しかしながら、戦後ポーランドの他の知識人らと同様シンボルスカもまた政府のイデオロギーに早くから忠実なままで、政治の嘆願書へ署名してスターリン、レーニンそして社会主義の現実を絶賛した。(……)彼女はまたポーランド統一労働者党の党員となった。しかし、他のポーランドの知識人達が政治から退くのと同様、彼女も次第に政治と疎遠になりイデオロギーから関心を失っていき最初期の政治的作品を捨てた。それでも1966年までは党に残ったが、同時に反体制派と接触するようになった。(……)1981年から1983年までクラクフに編集部をおく月刊誌Pismoの編集者をした。1980年代中、パリのKulturaだけでなく地下出版のArkaにも「スタンチクフナ(Stanczykówna)」の偽名で寄稿することで反体制活動を強めた。*7

タブッキがエッセイの冒頭に置いたシンボルスカの詩は、1967年に出ているようだから、ウィキペディアを参考にすると、「1966年までは党に残った」とあるから、ポーランド統一労働者党員時代に書かれた詩だろうか。

『インド夜想曲』を訳した須賀敦子について、前掲誌では大きく採り上げられている。

優れた翻訳家であるが、須賀敦子の思想がどういったものなのかはよくわからない。

須賀の情緒的、思わせぶりにぼかしたようなエッセイを読むと、わたしは苛々してくるのである。

須賀の小説の登場人物や須賀の正体を知りたくて、ずいぶん読んだ。読めば読むほど空虚な気持ちが強まり、もう須賀について知ることなどどうでもよくなって、遂には読むのをやめた過去があった。

夢も死も過剰なほどのタブッキの作品群と比較すると、須賀の作品群はそれとは対照的で、夢にも死にも乏しい。死ぬ人はよく出てくるが、その死は決して豊かではなく、干からびている。

須賀の最愛のペッピーノでさえ、作品の中で生きていようが死んでいようが、終始、希薄な亡霊のようである。その亡霊が須賀の情緒まみれになっていて、わたしにはそれが苦手だった。

須賀がキリスト者だったのかマルキストだったのか、わたしは知らない。作品の傾向から見て、マルキシズム寄りを彷徨っていたのだろうと想像するほかはない。死んだらそれで終わりという唯物論の匂いがするからだ。

神秘主義者は総合的に物事を見て判断し、行動するため、場合によってはマルキストになったり、キリスト者になったりするだろうが、何色になろうと本質はカメレオンという生物――神秘主義者なのだ。作品が包み隠さず、そのことを物語る。

わたしはタブッキが神智学協会の会員であったかどうかは知らないし、そんなことは重要なことではない。その思想の影響が作品から読みとれるかどうかが問題なのだ。

訳者がどんな思想の持ち主であろうと、解説さえきちんとなされていれば、わたしも別に訳者の思想を詮索するようなことはないのだが(訳者の思想にまで興味を持つほど暇ではない)、作品に神智学や神智学協会が登場するというのに、解説に神智学のしの字も出てこないことに疑問を抱いたのだった。

フェルナンド・ペソアはタブッキにとっては単なる研究対象を超えた、大事な人物だったようだが、そのペソアのことが『インド夜想曲』の中でちらりと出てくる。

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フェルナンド・ペソア(Fernando António Nogueira de Seabra Pessoa、1888 - 1935)はポルトガルの国民的作家である。

そのペソアはアニー・ベザントの著作を訳したのだという。アニー・ベザントは神智学協会第二代会長である。『インド夜想曲』にちらりと出てくるその記述からすると、ペソアの訳を通して小説の主人公は神智学を知ったことになる。

英語版ウィキペディア「Fernando Pessoa」から引用する。

As a mysticist, Pessoa was enthusiast of esotericism, occultism, hermetism, numerology and alchemy. Along with spiritualism and astrology, he also paid attention to neopaganism, theosophy, rosicrucianism and freemasonry, which strongly influenced his literary work.*8

英語版ウィキペディアによると、ペソアは神秘主義者で、秘教主義、オカルト主義、ヘルメス主義、数秘術、錬金術に熱中したようである。スピリチュアリズムや占星術に加えて、彼の文学作品に強く影響を及ぼしたネオパガニズム、神智学、薔薇十字主義、及びフリーメイソンにも注意を払ったという。

薔薇十字団、フリーメイソン、神智学は、神秘主義の系譜である。

バルザックは薔薇十字団の団員(バラ十字会の会員)だったようだし、バルザックの父親はフリーメイソンだったという。

西洋人でフリーメーソンだったり、バラ十字会の会員だったりすることは珍しいことではないようで、文学作品にもよく出てくる。

フリーメーソンは複雑なので、少し説明を加えておきたい。

植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)によると、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型と自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フリーメーソンという石工組合からできた器には、各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られてきたようだが、イルミナティがフリーメーソンを侵食したことは重要である。

植田樹の前掲書によると、1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」*9 。

イルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年には解散させられているにも拘らず、その思想は広く拡散した。再び植田樹の前掲書から引用する。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。*10

「彼ら」というのは、イルミナティの信奉者がパリで急進的な政治傾向の「親友同盟」の主導権を握り、そこから派生したイルミナティ派の「社会主義サークル」に属した人々のことであって、マルキシズムはイルミナティの影響を受けているのである。

ちなみに、共産主義者を弾圧したためか、ナチスを右派と勘違いしている人も多いようだが、それは左派内の抗争といってよいもので、ナチスの正式名称は「国家社会主義ドイツ労働者党」である。ユダヤ人の虐殺の仕方から見ても、単純な唯物論に毒された左派系思想の持主以外には考えられない。

第二次大戦中、ヨーロッパで神秘主義団体は迫害された。その影響は戦後も続いている。

日本で『オカルト』『アウトサイダー』などが大ヒットしたが、その著者コリン・ウィルソンなんかに騙されて、神秘主義を馬鹿にしたり、無視したりしていると、わが国における西洋文学の研究はいつまでも停滞したままでいるほかはない。

コリン・ウィルソンについて放言してしまった。今本棚にはウィルソンの本は中村保男・中村正明訳『ルドルフ・シュタイナー』(河出書房新社、1994)しか見当たらない。コリン・ウィルソン――の弊害――については、いずれ書きたいと考えている。

『ルドルフ・シュタイナー』を読むと、ウィルソンがジャーナリスティックな作家であって、研究家ではなかったことがよくわかる。如何にも、やっつけ仕事という内容だからである。

この本の中で、コリン・ウィルソンがシュタイナーを持ち上げ、ブラヴァツキーを叩いているのは、「本書の出版社からシュタイナーについての本を書かないかともちかけられた」*11からではないかと思う。そう思わされる程度の内容だった。

前掲誌「ユリイカ」では、タブッキと須賀敦子が如何に親しかったかが紹介され、タブッキの作品について周辺的なことや自身に引き寄せた解釈、また手法について色々と書かれている。

しかし、タブッキの核心に触れようとすれば、作品全体を浸している思想を調べるしかない。その思想とはどう作品を読んでも、やはり神智学的な神秘主義哲学であるとわたしは思う。

前掲書201頁に、かろうじて神智学協会に触れた箇所があった。この特集の一部を割いて調査、報告されてよいことであるにも拘わらず、そこだけだ(見落としがあるかもしれないが)。次に引用する。

『ベアト・アンジェリコの翼あるもの』(1987)のなかに「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」という書簡体の短編が収録されていて、これが『インド夜想曲』中のマドラスの神智学協会員(のモデル?)と〈タブッキ〉との二往復四通の往復書簡なのだ。(……)タブッキの「以下の文章は偽りである。以上の文章は真である。」で〈タブッキ〉と手紙をやりとりする神智学協会員は、ここでつぎのように書き始める。

マドラスの神智学協会でお会いした日から三年が過ぎました。〔……〕あなたがある人物を探していること、それと小さなインド日記を書いていることをあなたは私に打ち明けました。〔古賀弘人訳〕

あまりにささやかな言及ではないだろうか。

ペソアについても、研究報告のような章はない。タブッキの特集を組んだ意味があったのだろうか。

もしタブッキが神秘主義者であったとするなら、彼はあたかも思い出すかのように神智学や薔薇十字の影響を受けたはずである。


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*1:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」137頁

*2:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136頁

*3:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」136-137頁

*4:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」138-139頁

*5:前掲誌,堤康徳「タブッキが追いかけた影」139頁

*6:日本アグニ ヨガ協会,1981,第二部「ニコラス・レーリッヒ略伝」205頁

*7:ウィキペディアの執筆者. “ヴィスワヴァ・シンボルスカ”. ウィキペディア日本語版. 2016-09-02. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%AB&oldid=61006606, (参照 2016-09-02).

*8:Fernando Pessoa. (2016, September 23). In Wikipedia, The Free Encyclopedia. Retrieved 11:02, September 23, 2016, from https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Fernando_Pessoa&oldid=740799461

*9:植田,2014,35-36頁

*10:植田,2014,37頁

*11:ウィルソン,中村・中村訳,1994,10-11頁

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2016年12月11日 (日)

はてなブログ「神秘主義的エッセー」を更新しました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

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2016年12月 7日 (水)

中年のプレXmas会、そして中学時代の恩師の思い出。萬子媛の小説について。

高校の同窓会と、中学校の――三年生のときの――クラス会は、発起人になってくれる人がいるお陰で、何年か置きに催される。

近ければ出席したいのだが、ここからは案外遠くて、博多で特急を乗り継いで往復で5時間、車で高速を使ってもそんなものなので、萬子媛の小説の第二稿のために祐徳稲荷神社にちょくちょく取材に行ければと思うのだが、なかなか行けないでいる。

実家があれば、帰省を兼ねて出席という手もあるが、現在、実家は更地になってしまったので、無理のないように計画するとなると、ホテルに一泊することになり、そうなると、億劫だ。

来年の初夏、中学校のクラス会が予定されているというメールが、友人からあった。

「悪いけど、行けそうにないよ」と返信すると、「えーっ、出席しないのぉ~!」とのメール。

その友人と、もう一人高校でも一緒だった友人と三人で博多で今月会う約束をしていた。時期的に、プレXmas会という感じになりそうだ。

このクラス会の連絡で友人が書き添えたのか、もう一人中学校時代の友人がプレXmas会に加わるという。

そうなると、なつかしいあの顔、この顔が瞼に浮かび、いっそ博多でクラス会をやってくれないかなあ、などと虫のよいことを考えた。さすがに、それは無理だろう。

恩師のチンタ先生がお元気であれば、先生は必ずクラス会に来てくださるだろうが、前回、中学校時代のクラスメートの顔を見たのは、チンタ先生の葬儀のときだった。

お棺の中の先生のお顔を友人達と恐る恐る覗き込むと、先生がいない!

「わあ、先生じゃないよ、先生のおじいさんよ! おじいさんがなぜ、ここに?」と誰からともなく声が上がり(わたしも思わず声を上げてしまった)、仙人のように白い顎髭を筆先のように伸ばしたお顔に釘付けになっていた。

すると、冷静さを取り戻した一人が「この方が先生じゃないの。先生以外の誰だっていうの?」といった。

考えてみれば、それはそうだ。お元気だった先生を最後に見たときは童顔らしいお顔が中学校時代とそんなに違わなかったため、お棺の先生を見て皆びっくりしたのだった。

入院中の先生のお見舞いには行かなかったが、男子が数人行ったといっていた。仙人のような風貌で、闘病なさっていたのだろうか? ナンというか、清潔そのものの厳粛な死に顔だった。

自分の死に顔を見てきゃーきゃー騒いでいるわたしたちを先生は雲の上からご覧になって、「相変わらずだな、この子らは……」と苦笑なさったに違いない。

チンタ先生の思い出は過去記事にも書いたが、先生は中学校の一年、三年のときの担任で、男子テニスを全国大会に連れて行ったり、朝の読書に力を入れたりと、若かったこともあって、本当にみずみずしい印象だった。

確か水瓶座だった。ユニークで、陽気で、人間味に溢れた人である一方では、とても厳しい人でもあった。

先生のお陰で、わたしは読書好きになった。小学校の高学年くらいから読書好きにはなりかけていたが、まだそれほどではなかった。

教室には、図書室の廃棄処分にされた古い本や生徒が寄付した本が並ぶ本棚が置かれ、生徒はその中のどれか一冊を選んで、朝の読書時間に読むのだった。

その間、先生は竹刀に似た竹の棒を持ってコツコツ、通路を歩いて行かれる。注意散漫だと、その棒で机をピシッと叩かれた。恥ずかしながら、わたしも何度となく、机を叩かれた口。

廊下を友人達と走り回って(長いスカートをバサバサさせてよく走り回るものだから、寝押しをしても襞はいつもとれかかっていた)、立たされたこともよくあった。

結婚披露宴に出席していただいたとき、先生はわたしが大学時代に詩や歌詞で受賞したことを話してくださったが、中学時代のわたしは文学好きにはおよそ見えなかったので、そのことにとても驚いたとおっしゃった。

でも、中学一年生のときにはもう文学が大好きになっていたのだ。交換ノートや詩を書きつけたノートの回し読みの流行には一役買っていた。

中学・高校時代を通して膀胱神経症に悩まされ、そのことは死にたいくらい深刻な悩みだったのだが、一方では底抜けに明るく、楽しい学校生活を過ごしてもいたのだから、不思議なものだ。

チンタ先生のお陰だと思っている。

実は、萬子媛の小説を計画しているときに先生の夢を見た。そのあとで、郷土史家との出会いがあったことを考えると(実際には、『萬媛』という絵本を出版された佐賀大学のグループに問い合わせて、郷土史家を教えていただいたのだが)、先生の見えざる助力があったのではないかと考えている。

それよりもっと前に見た夢の中で、あの世での先生の住居は祐徳稲荷神社のすぐ近くにあった。あの世を舞台とした夢だということが、夢を見ながらわかっていた。

先生の葬儀で、先生の親友が、先生はとても敬虔で熱心な仏教徒だったとおっしゃったことに、わたしは驚いた。

宗教のし、仏教のぶの字も感じさせない先生だったからだ。先生はわたしの文学好きに驚かれたようだったが、わたしはわたしで先生と仏教のつよい結びつきには心底驚かされた。

あの世での先生は、萬子媛のこの世に対するボランティア事業(?)と何らかの関係がおありなのではないだろうか、とわたしは考えたりしている。

そう思えば、萬子媛の小説の第二稿に入りかけたところで停滞しているが、時間がかかってもきちんと完成させなければと思う(先生に期待されているかもしれないと思えば)。

まあこの辺りのことは、自分のことを神秘主義者と信じきっている人間の脳内劇場だと解釈していただいて、一向に構わない。

そういえば、小説の第一稿は最終的に送りたい人々全員に送ったわけではなかったので、まずかったかなと思っている。回し読みしてくれたりもしているそうで、ありがたいやら、申し訳ないやら。

従姉からも「なぜ、わたしには送ってくれないの?」といわれてしまった。老眼にこたえると思って……ごめんなさい。

第二稿か第三稿になるかわからないが、完成したらコピー本か、印刷屋さんに頼んで簡易製本したものを送る予定。一般にはアマゾンで電子出版するので、興味のあるかたはどうか買ってください(小説ブログでの公開も考えている)。

ところで、今月会う友人の一人がルーツ探しに最近ハマっているとかで、わたしもネット検索を手伝ったりしていた。

寺のご住職からご先祖に関する伝承を訊いたり、図書館から村史の写しを送って貰ったりしているというから、本格的である。

それが、それによると、どうも彼女とわたしのご先祖はある時期、仇同士だった可能性が出てきた。最終的にはどちらも鍋島家の家臣となったわけだから味方同士だったともいえるのだが。

江戸時代に入ると、彼女のご先祖はおそらく鹿島藩、わたしのご先祖はおそらく佐賀藩の家臣だった。

サイト「武将系譜辞典」によると、母方の祖母の一族は戦国時代、大蔵党の一員として少弐氏の家臣団に属していたようで(戦国時代、少弐氏は北九州一円に勢力を張っていた)、氏の記載がある。その後、鍋島家に組み込まれたのだろう。サイト「日本の苗字7000傑」によると、祖母の家系は江上氏の分家だったようで、ウィキペディア「江上氏」を閲覧すると、流れがわかる。

友人がこうした方面に関心を持っているとは意外だった。萬子媛の小説も読みたいという。興味がないと思って、彼女にも送っていなかったのだ。

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2016年12月 3日 (土)

京都の景観に影響を与えた仏教復興運動、アジア主義、そして歌代幸子『音羽「お受験」殺人』から垣間見えるサラリーマン僧侶の労働環境

明治政府による廃仏毀釈、第二次大戦とGHQによる農地改革や洗脳工作などで、わが国の宗教が被った痛手は大きいが、フェノロサや岡倉天心による仏教美術復興運動、また欧米列強の植民地主義に対抗する「アジアは一つ」との目標を掲げたアジア主義……こうした運動がなければ、観光都市京都の姿はどうなっていただろうと思う。

こうした運動についてネット検索、図書館から本を借りるなどしてリサーチしているところだが、前記事で書いたように、このところ新たに判明しかけたことが半端ではなく、整理が追いつかない。

リベラルの影響力が弱まったことは確かで、逆にいえば、これまで如何に彼らが歴史的事実を隠蔽し、歪めてきたかがわかるというものだ。

そして、ブラヴァツキーの神智学が誹謗中傷の的となったのは、前述した仏教美術復興運動とアジア主義に大きな影響を及ぼしたことも理由の一つだろう。

今読んでいる坪内隆彦『アジア英雄伝 日本人なら知っておきたい25人の志士たち』(展転社、平成20)、戦前から戦後のアジア主義を捉えた『岡倉天心の思想探訪 迷走するアジア主義』(勁草書房、1998)を読んでいるのだが、『アジア英雄伝』には次のように書かれている。

アジア各地の伝統思想、宗教の復興、それと結びついた反植民地主義に与えた神智学の影響の大きさは、もっと重視されても良いのではなかろうか。(坪内,平成20,83頁)

だが、これを知られては、リベラルには都合が悪いのである。

現在のわが国で仏教が置かれた現状の一端を、お受験殺人事件と呼ばれた事件の渾身のリポートである歌代幸子『音羽「お受験」殺人』(新潮社、2002)の記述から垣間見た気がした。

加害者となった女性の夫がサラリーマン僧侶であったことや、当時の職場環境がどんなものであったかが詳しく書かれているのである。

わたしは事件に触発されて2000年5月に「地味な人」を執筆し、織田作之助賞に応募して三次落ちしていた。

拙作に登場する加害者となる女性の夫は流通業界に身を置くサラリーマンで、あの事件を再現しようとした作品ではないが、拙ブログ「マダムNの連載小説」で公開するにあたり、当時、参考資料とした『音羽「お受験」殺人』を再読したのだった。

事件のあらましを『音羽「お受験」殺人』を参考に述べると、1999年11月、東京都文京区に住む35歳の主婦山田みつ子は、当時2歳だった同区在住の会社員の長女若山春奈ちゃんを、寺の境内にある幼稚園に近接した公衆トイレで首を絞めて殺害した。

みつ子は僧侶の夫と5歳の長男、2歳の長女の4人暮らしで若山さん宅と同じ家族構成、子供二人の年齢が同じ、長男は共に同じ幼稚園に通っていた。みつ子は若山さんと幼稚園で顔見知りだった。今でいえば、ママ友である。

犯行当時、春奈ちゃんは文京区の有名国立大附属幼稚園に合格し、みつ子の長女は落ちていた。文京区は都内でも有数の文教地区として知られ、被害者である幼女が合格した幼稚園はその年の競争率が約22倍と都内でトップの人気を誇る名門であるという。

その合否をわけた直後の犯行であったことが「お受験殺人事件」として騒がれる原因となったわけだが、みつ子は受験と事件との関わりを否定し、春奈ちゃんの合格も知らなかったと供述した。

みつ子が犯行の動機について、「(春奈ちゃんの母親との)つきあいの中で、心のぶつかりあいがあった」(歌代、2002、9頁)と述べたことから、人々の事件に対する関心は受験から母親同士の確執へと移った。

事件を報じた朝日新聞、毎日新聞、読売新聞には、全国の主に30代の専業主婦から反響があったという。

事件の悲惨さに憤るものや、容疑者への批判と同時に、多くの主婦たちが、子育てのつらさやストレス、人間関係の難しさを訴えていた。『ひとごとではない』と山田みつ子に自分を重ね合わせる母親たちも少なくなかったのである。(歌代、2002、10頁)。

わたしは当時41歳だったが、事件の衝撃は大きかった。

58歳になったわたしが『音羽「お受験」殺人』を再読して改めて目が留まったのは、みつ子の夫がサラリーマン僧侶であったことや、その職場環境だった。

また、農家だったみつ子の実家が百年続く旧家だったことにも目が留まった。

この事件のやりきれなさは、事件を惹き起こした側に、日本人の古くからの心の拠り所や伝統、日本の歴史などがほの見えるところにある。

前述したことと重なるが、明治時代に神仏分離令が発せられ、国家神道が形成されるに至って、神仏習合が伝統的であった日本人の宗教環境は一変した。

明治政府の政策に伴い発生した廃仏毀釈(仏教破壊運動)の凄まじさは、ウィキペディアの以下の記述を引用するだけで足りるだろう。

明治政府は神道を国家統合の基幹にしようと意図した。一部の国学者主導のもと、仏教は外来の宗教であるとして、それまでさまざまな特権を持っていた仏教勢力の財産や地位を剥奪した。僧侶の下に置かれていた神官の一部には、「廃仏毀釈」運動を起こし、寺院を破壊し、土地を接収する者もいた。また、僧侶の中には神官や兵士となる者や、寺院の土地や宝物を売り逃げていく者もいた。現在は国宝に指定されている興福寺の五重塔は、明治の廃仏毀釈の法難に遭い、25円で売りに出され、薪にされようとしていた。大寺として広壮な伽藍を誇っていたと伝えられる内山永久寺に至っては破壊しつくされ、その痕跡すら残っていない。安徳天皇陵と平家を祀る塚を境内に持ち、「耳なし芳一」の舞台としても知られる阿弥陀寺も廃され、赤間神宮となり現在に至る。
ウィキペディアの執筆者. “廃仏毀釈”. ウィキペディア日本語版. 2016-11-24. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E5%BB%83%E4%BB%8F%E6%AF%80%E9%87%88&oldid=62058078, (参照 2016-11-24).

そして、第二次大戦後にはGHQが発した神道指令によって神祇院が解体、神社本庁が設立され、これによって国家神道は無力化された。仏教も、農地改革によって寺社領が安く買い上げられることによって解体が進められ、これも無力化されたのだった。

再び前掲書『音羽「お受験」殺人』を参考にすると、昭和39年静岡県に生まれたみつ子は、埼玉県立衛生短期大学の看護学科に進んだ(埼玉県立衛生短期大学は1999年に埼玉県立大学短期大学部と校名変更後、2008年に廃止)。

みつ子の卒業論文「看護の立場から人間をどう観るか」の冒頭を、前掲書から引用する。

看護はすべての人間が、その一生において根源的に関わりうける生・老・病・死と直接取り組む領域の仕事である。つまり、肉体的にも精神的にも痛みを持っている時、もう一人の全然別の人間がその苦痛を感じとり、苦痛の追体験をすることから始まった仕事であると言えよう。言い換えれば、人間そのものが人間の生活のあり方や他人を見つめることがなかったなら存続し得なかったと言えるのである。(歌代,2002,56-57頁)

結びは次のような文章となっている。

こうなると、F・Nが述べるように看護はまさにartであって看護婦が生涯努力しつづけて築きあげていくものであり、看護者が生きるということと看護のつながりを考えていくことなのだろう。そして、だからこそ死の前に立たされた医学が無力であるのに対して看護はどこまでもあるのであり、またここからが人間のみがとりくめる問題として本当の看護が問われるのであろう。(歌代,2002,58頁)

文中のF・Nとはフローレンス・ナイチンゲールのことで、論文にはナイチンゲールが著わした『看護覚え書』を通して、彼女の考察がまとめられているという。

あの事件を起こしたのが、このように自覚的で洗練された文章を書いた人物であったことを知ると、二重に衝撃的である。

この短大時代に摂食障害が始まり、看護婦に向かないのではないかとの迷いが生じたみつ子は短大をやめようと考えたほどで、教官や友人に励まされて何とか仕上げた卒論だった。

摂食障害の原因は、郷里の大家族における複雑な人間関係にあるようでもあり(祖父の前妻の子である夫と姑の間で苦労する母親の姿を見て育ち、みつ子は母親には心配をかけまいとするいい子だった)、本人の完全主義的な傾向にあるようにも思われる。

だが、少なくとも短大時代には教官や友人との間に温かな人間関係があったのだろう。

短大卒業後、浜松医科大学付属病院に就職するが、患者の死にショックを受けて退職する。実家に戻って1年8ヶ月、引きこもりの生活をした。摂食障害はそのときにも起きた。自殺未遂も起こしている。

1986年に静岡市内の日本赤十字病院に再就職してからも、摂食障害は起きた。それを克服しようとしてか、三交代のハードな勤務をこなしながら休日にはボランティアの手伝いにも出かけている。

著者は、東京拘置所のみつ子に面会を求めて手紙を書き、それに昔から好きだったという八木重吉の詩を一編添えたという。面会は叶わなかったが、返信には「八木重吉さん私も好きです」(歌代,2002,228頁)との言葉があったそうだ。

わたしも、八木重吉の可憐といってよいような純粋な詩は好きである。

みつ子は読書家だったに違いない。看護師として勤務するには、あまりに感じやすいタイプなのかもしれない。

ただ、わたしのまわりの例からすると、看護師さんで精神的な問題を抱える人は多いようである。わたしが通った高校では、家計の負担を考えて、国立大学の教育学部と看護学校を併願する女子が多かった。

優秀な女性が看護師さんを目指したというイメージがある。

周囲に看護師さんが多いせいか、苦労話を聞く機会も多く、またわたしは心臓疾患による通院歴が長いため、顔見知りになった看護師さんから「一日に8回食事をとるのよ」と聞いて驚いたこともあった(毎回しっかり食べるそうだから、これは摂食障害だろう)。不倫、喫煙、流産、離婚……看護師さんには案外多いと聞く。

このことはつまり、優秀な女性であっても耐えられなくなるほどの過酷さが看護師という職業にはあるということだろう。

みつ子の実家は神道だったそうだが、日赤勤務のときに松原泰道老師の「南無の会」の法話に感動し、長野市の禅寺で開かれた南無行(夏期講習会)に母親と参加している。

法廷で「中学時代から法話を伺ったりするのが好きで、吸い寄せらせるように行った感じです。宗教というより、人間の生き方に関心がありました」(歌代,2002,61頁)と語ったという。

格調高くてわかりやすい解説が魅力的な松原泰道『禅語百選――今日に生きる人間への啓示(NON・BOOK-42)』(祥伝社、昭和47)は、大学時代からのわたしの愛読書である。

「南無行」でボランティアの受付をしていた十歳年上の僧侶が、みつ子の夫となった男性だった。「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」(歌代,2002,61頁)との出会いの印象であったという。

専業主婦は三食昼寝付などといわれ、これほどお気楽な商売はないように思われがちだが、実態はそうではない。

当時は専業主婦の多い時代であった。いい換えれば、女性の多くが専業主婦にならざるをえない社会状況があったということである。

サラリーマンは企業戦士といわれ、妻は銃後の守りであった。夫の仕事には妻の主婦業がしっかり組み込まれていた。

夫と妻と子は一心同体のように扱われ、全部ひっくるめて社会的評価が確定するという風なのだ。やがて社会は変化し、夫の仕事に組み込まれていた夫と子は除外されていくけれど。

会社関係の行事や交際が減った代わりに、考慮されていた勤務や転勤に伴う家族の事情は度外視されるようになっていった。家族のありかたをつくり上げるのが、社会あるいは政治だということがよくわかる。

こうした時代背景を考えてみても、サラリーマン僧侶の妻となったみつ子が置かれた環境は過酷すぎた。

1993年の結婚式直前まで、みつ子は看護師の仕事をやめられなかった(ということは、1986年から1993年までの7年間、日赤の看護師として激務をこなしていたのだろう)。

上京して新婚三日目から、音羽にある禅寺(臨済宗)の副住職の嫁として勤務がスタートした。寺からは6万円の給料が出た(みつ子は専業主婦ではなかったと著者が書いている)。

5時半に起床。6時に、夫と寺に読経に出かけた。6時45分に帰宅して朝食の支度。10時には寺へ出かけてトイレ、書院の掃除。昼に帰宅し、夫の食事の支度。午後も寺へ出かけた。

土・日の週末は、寺で座談会や法事の接待。家事と育児を計算に入れれば、自由時間は皆無だったのではないだろうか。みつ子は、郷里の母親には心配をかけまいとした。

郷里を離れてからも、田植えや稲刈りの頃には実家を訪れて、農作業を手伝ってきた。東京の自宅からは、一人暮しの母親を案じてこまめに電話をかけてきたという。(歌代,2002,37頁)

まるで苦行のような生活であるが、僧侶ではないから僧侶が得る社会的地位は得られない。いっそ彼女自身が尼僧であれば、楽だったのではないかと思えるほどだ。

それでも、みつ子は夫の不安定な立場を気遣い、不満を漏らさなかったという。

夫の立場がどう不安定だったかといえば、彼は、住職の二人の息子が後を継がないために寺の後継者として雇われだのだが、やがて住職の気持ちが変化したのだった。

住職は身内に継がせたいと思うようになったというのである。この後継者問題で住職夫妻との折り合いが悪くなったということらしい。

ひどい話である。

寺の後継者になれないことが最初からわかっていれば、みつ子の夫はそこへは就職しなかった可能性もある。寺を継げないとなると、将来に対する展望がなくなってしまうだろう。住居の問題一つとっても、先で寺を継げるのと継げないのとでは大きく違ってくる。

以下の記事がサラリーマン僧侶の職場環境を知る助けになる。

サイト「給料BANK」の住職・僧侶の給料や初任給を解説した以下の記事、

  • http://kyuryobank.com/kankon/jushoku.htm

読売オンライン「大手小町」における記事、

  • http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2011/0517/4099

お坊さんとの質疑応答サイト「hasunoha」の以下の記事、

  • http://hasunoha.jp/questions/2332

住職の気持ちが変化したらしたで、別の寺に紹介するのが筋ではないだろうか。これでは寺に騙されたも同然ではないか。ブラック企業さながらだ。

新婚当初から夫は部屋にカーテンもつけず、新聞もとらなかった。ゴミの処理の仕方から布団の干し方まで細かく指示したという。

これは、山田夫妻の新居が職場でもあったからではないだろうか。

前掲書には、次のような記述があるからである。

九四年、一月、長男を出産。自宅に戻ると、体調も戻らぬうちから、毎日のように訪ねてくる夫の客にお茶や食事の接待をした。この時の無理がたたって体の具合を悪くし、まもなく再入院している。(歌代,2002,135頁)

みつ子は実家で出産したかったが、住職への気兼ねと夫の食事の心配などから、それができなかったとも書かれている。

築二十余年という八階建ての賃貸マンションは天井の低い昔ながらの造り。四十六平米ほどの2LDKに住み、西側のベランダからは、すぐ裏手を走る首都高速が間近に見える。(歌代,2002,15頁)

このような住居で、赤ん坊が生まれたというのに、一部屋を来客用としてとっておかなくてはならないとしたら大変だ。

うちは、子供が小さかった頃には夫の同僚が狭い家に10人ほども飲みに来たりして、沢山用意したはずの食べ物や氷があっという間になくなり、慌てて暗い中を当時は少なかったコンビニへ走っていったことなど思い出すが、新婚時代に上司2人を招いたときを例外として、気持ち的には気楽だったから、家計さえ気にしなければ、当時は健康でもあったし、結構楽しかったような気もする。

しかし、みつ子が迎えなければならなかった客は、粗相があってはならない、気の張る客だっただろう。

檀家の夫婦によると、みつ子の寺での様子は控えめで、礼儀作法もできていたという。

法事の合間にはお茶をいただくのですが、そんな時もとても気をきかせてくれて、茶碗が空く頃にすっと現れて、お茶を入れてくださる。(歌代,2002,24頁)

旧家の出らしい、そして完全主義者らしいみつ子の姿である。

救いを求め、またみずみずしい関心を抱いて仏教の世界に入ったそこは、表向きの仏教しか存在しない世界だった。

山田夫妻が寺という職場で受けた非情な扱いから、明治時代の廃仏毀釈やGHQによって損なわれた現代日本の宗教の生々しい病態が見えてくる気がする。

仏教の世界ではつらい労働と将来の不安しか得られなかったみつ子が、今度はママ友の世界に救いを求め、かつての夫の身代わりともいえる、「なんて、いい顔をしているんだろう。この人に悩みを相談したい」と感じられるような友人を探したであろうことは想像に難くない。

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2016年12月 1日 (木)

第二次世界大戦では事実上イルミナティと戦い、敗戦後はイルミナティに育てられ…

このところ、ブログの更新が疎かになっているが、知的欲求が低下しているわけでも、神秘主義的な分野における読書や考察を休止しているわけでもない。

むしろ、情報の氾濫する中で取捨選択に時間をとられている状況といえる。

拙ブログ「マダムNの連載小説」で連載中の純文学小説と、江戸初期から中期にかかるころに祐徳院を主宰した花山院萬子媛をモデルとした短編歴史小説は全く別の時代の話だが、同じ日本という国土を舞台とした小説である。

短編歴史小説の第一稿が出来上がった時点で、これは粗描のような段階のものだから失礼だとは思ったが、過去記事でご報告したように、友人知人、読書好きの親戚、恩師に送ってみた。

ありがたいことにほとんどの方が電話や手紙、葉書などで感想をくださった。参考になり、第二稿にとりかかった。ところが、わたしの中で渦巻く違和感があり、遅々として進まなかった。

それがなんであるのかを率直にいえば、日本人の間に蔓延している唯物論を第一義とする、とても本心からとは思えない態度なのだ。

モデルとした萬子媛は祐徳稲荷神社の創健社として地元ではよく知られた存在で、当時は神仏混交の時代であったから、萬子媛は伏見の稲荷大神の分霊を祀ると共に敬虔な仏教徒でもあり、後に出家して黄檗宗の尼寺を主宰し、死期を悟って断食入定を遂げた。

わたしは物語性をあまり出さず、資料に沿った書き方をしたいと考えた。そして、書きたいと考えたことをとりあえず全て盛ってみたのが第一稿だったというわけで、読みやすいものだとはお世辞にもいえないものだった。

小説には賛否両論寄せられ、それはほぼ半々の割合だった。共感は歴史好き――史実好きといったほうがわかりやすいかもしれない――の人々から主に寄せられ、批判は物語性――ヒューマンドラマ――を重視する人々から主に寄せられたように分析している。

批判の中には、わたしが作品の最後のほうでほのかに匂わせた神秘主義的描写や作品に添えた「はじめに」の中で表白した神秘主義的なプロフィールに対する違和感ないしは反感などもあったのではないかと憶測している。

感想には、宗教的、あるいは神秘主義的なテーマを率直に話題にしたものはなかった。まるで、こうした事柄に対して語ることが禁じられているかのように。歴史的に、物語的に語ることは構わないわけだ。

前世とあの世に関するほのかな霊的記憶があるわたしは、物心ついたときから神秘主義者であるので、日本は違和感のある国であるが、特定の宗教に縛られずに済むという点では暮らしやすい国といえる。

それにしても、現代日本の唯物論的雰囲気はどこから来たのか――この疑問はずっとわたしの中にあり、長いこと解けない難問だった。

それが、民主党が政権を握ったころから徐々に解け始め、トランプ大統領の誕生が確実になった今、戦後長らく主導権を握ってきたリベラルの呪縛が解けかけたかのような世相と連動するかのように、かなり解けたのだ。

端的にいえば、アメリカはリベラル(フランクリン・ルーズベルトが構築したニューディール連合)にのっとられており、戦後GHQを通して日本もそうなったのだ。リベラルの思想はいうまでもなく唯物論である。

アメリカの公式文書ヴェノナファイルによると、フランクリン・ルーズベルト政権の中に300人以上のコミンテルンのスパイがいたという。「ハルノート」を書いたハリー・デクスター・ホワイトもその一人である。

コミンテルンとは共産主義政党による国際組織で、第三インターナショナルともいう。モスクワを本部とし、1919年から43年まで存続した。日本共産党はコミンテルン支部として1922年に誕生している。

GHQが仕掛けた洗脳プログラムWGIPについて、一般日本人も知るところとなり、昨年5月に関係書を数冊読んだところだった。江藤淳『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本(文春文庫)』(文藝春秋、1994)についてはもう少し早い2013年12月に読んでいる(2013年12月22日付過去記事)。

そして、アダム・ヴァイスハウプト著(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)』は今年の9月、イルミナティの設立者アダム・ヴァイスハウプトの著作が邦訳版で出ていることを知って読んだ。

未来的ヴィジョンのない、方法論にのみ秀でた、単純な破壊思想には震撼させられた。

ヴァイスハウプトが設立した結社自体は1776年から85年までしか続かなかったが、その思想はフリーメーソンを侵食したことで規律、品格を含む様々な要素を取り込んで世界に拡散した。

すなわちイルミナティの思想はテロ組織の原理原則となって今も生きており、マルクス主義もイルミナティの影響を受けているというが、ヴァイスハウプトの著作を読めば、マルクス主義は何てイルミナティの思想にそっくりなんだろうと思う。過去記事を参照されたい。

2016年9月12日 (月)
トルストイ『戦争と平和』  ④破壊、オルグ工作の意図を秘めたイルミナティ結成者ヴァイスハウプトのこけおどし的な哲学講義
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/post-6501.html

2016年10月 6日 (木)
トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/10/post-7e01.html

さらに、衝撃的な事実を知った。

ソースの確認作業中なので、以下は単なるメモ。

イルミナティの設立に、財閥ロスチャイルド家の基礎を築いたマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが資金援助を行ったのだという。

それだけではない、1800年代にはルーズベルト家の一員クリントン・ルーズベルト(セオドア・ルーズベルトとフランクリン・ルーズベルトは親戚)がイルミナティに資金援助を行い、それがマルクス、エンゲルスの著作活動の資金になったというのである。

また1832年、アメリカの名門イェール大学に秘密結社「スカル・アンド・ボーンズ」が設立された。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルが、アルフォンソ・タフト、その息子ウィリアム・ハワード・タフトと共に設立した。

ウィリアム・ハンティントン・ラッセルはロスチャイルドとアヘン貿易を通してつながりがあった。フランクリン・ルーズベルトの祖父ウォーレン・デラノ・ジュニアはラッセルの会社の経営陣の一人だったという。

「スカル・アンド・ボーンズ」にはイルミナティの特徴が取り込まれたらしい。

「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバー、ダニエル・ギルマンの教え子にジョン・デューイがいる。ジョン・デューイといえば、チャールズ・サンダース・パース、ウィリアム・ジェームズと共にプラグマティズムを代表する思想家ではないか!

このデューイの教育に関する思想がアメリカのみならず、戦後日本の教育界に大きな影響を及ぼしたのだ。

また「スカル・アンド・ボーンズ」のメンバーには、ヘンリー・スティムソンがいた。

合衆国大統領の第26代セオドア・ルーズベルトによりニューヨーク南地区の連邦検事、第27代ウィリアム・タフトにより陸軍長官、第30代カルビン・クーリッジによりニカラグアに派遣、第31代ハーバート・フーヴァーにより国務長官、第32代フランクリン・ルーズベルトにより陸軍長官に登用され、マンハッタン計画において日本に原爆投下の決定を検討したという暫定委員会の委員長を務めた。

イェール大学出身のアメリカの大統領は多いようだが、トランプに敗れたヒラリー・クリントンもエール大学(ロースクール)出身である。

第二次世界大戦におけるアメリカとの戦いは、イルミナティの目論みの中で行われ、戦後日本はイルミナティに育てられたといっても過言ではないだろう。

このことを知ったショックで、ここ数日ブログが書けなかったというわけである。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

以下は、中国を理解する助けになる河添恵子氏の講演の動画。


同じ河添氏が警告するヒラリー・クリントンに関する動画。10月23日に公開されたもの。


江崎道朗氏のお話は、アメリカを知る助けになる。

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