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2016年10月の27件の記事

2016年10月30日 (日)

はてなブログ「連載小説」を更新しました

マダムNの連載小説
http://serialized-novel.hatenablog.jp

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2016年10月29日 (土)

Kindle版『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む…』をお買い上げ、また『短編集』をお読みいただき、ありがとうございます!

『気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)』(ASIN:B00J7XY8R2)を10月17日ごろ、お買い上げいただいたようです。

ありがとうございます!

『気まぐれに……』は13冊目のお買い上げでした。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)  Kindle版
直塚万季 (著)
ASIN: B00J7XY8R2

また、Kindle版『直塚万季 幻想短篇集1』をKENPCでお読みいただき、ありがとうございます!

同日、お読みいただいたようです。

ありがとうございます!

これまでに『直塚万季 幻想短篇集1』をお買い上げいただいたのは1冊、KENPC(Kindle Edition Normalized Page Count)でお読みいただいたのは2回目でした。

サンプルをダウンロードできます。
     ↓

直塚万季 幻想短篇集(1) Kindle版
ASIN: B00JBORIOM

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

結婚という不可逆的な現象
ASIN: B01E3UAZ3O


今年に入って出した純文学小説です。

台風 
ASIN: B00BI55HV8

台風に翻弄される家族を描いた小説です。

以下は、その他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス

詩人の死

雪の二小篇 (純文学)

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はてなブログ「連載小説」を更新しました

マダムNの連載小説
http://serialized-novel.hatenablog.jp

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2016年10月26日 (水)

はてなブログ「神秘主義的エッセー」「連載小説」を更新しました

はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」「マダムNの連載小説」を更新しました。

マダムNの神秘主義的エッセー
http://mysterious-essays.hatenablog.jp

マダムNの連載小説
http://serialized-novel.hatenablog.jp

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2016年10月25日 (火)

はてなブログ「マダムNの連載小説」を更新しました

はてなブログ「マダムNの連載小説」を更新しました。

マダムNの連載小説
http://serialized-novel.hatenablog.jp

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物質主義社会のなれの果てか、ママカースト

過去記事でお知らせしたように、はてなブログ「マダムNの連載小説」で平成12年(2000)5月に脱稿した「地味な人」の連載を開始した。

100枚程度の短編小説なので、3枚強ずつ毎日更新したら、ひと月で完結する。

この小説をブログで公開するか、電子出版したいと思いながら、気が進まず、清書しかけては中断、を繰り返してきた。

要するに、ダークなテーマであるため、自分の小説であるのに、扱うのが嫌になってしまっていたのだ。

しかし、感熱紙の印字がいよいよ薄くなってしまった今、このまま主人公を失っていいのか、といううろたえる思いが自分の中で湧いた。

16年も前に書いた小説であるにも拘わらず、挑んだテーマは現代日本で流行語になっているママカーストと同じものである。尤も、当時は、そのような言葉はなかった。ママ友という言葉もなかった。

小説を連載しながら改めて、ママカーストの実態をリサーチしたいと考えている。物質主義社会のなれの果てといってよい現象なのか、反日勢力の工作が絡んだ現象なのか……

わたしのママ友関係には、幸いママカーストに当たるような出来事は起きなかった。

同じアパートで、夫が流通業に勤務する似た経済状態にある女性たちが子供を介して交際していた。個人的に合う合わないといった自然な感情は当然存在したが、それだけのことだった。遠く離れても、当時がなつかしく、葉書のやりとりがある。

そうした意味では幸福な子育てだった。ところが、落とし穴はあるもので、別の場所でママカースト現象に当たるような体験をした。だから、小説が書けたのである。

江戸時代に生まれた萬子媛は、彼女の小伝を書いた義理の息子が「大師ハ華冑ニ生ルルモ、富貴ノ籠絡スル所トナラズ、志ヲ斯ノ道ニ鉄ス」と書いたように、高貴な生まれでありながら(後陽成天皇の曾孫女で、左大臣・花山院定好の娘)、そのことに絡めとられることなく、求道者としての道を貫き、衆生救済のために断食入定した。

日本は、過去にこのような人物を生んだ国でありながら、何て情けない国になってしまったことか。

ママカーストなんてやっている人間は、畜生以下だろう。日本人なら、恥を知るがいい。自らの行いはすべて自分に返ってくる――仏教を通して古来、日本人にはそうした認識があった。

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2016年10月24日 (月)

はてなブログ「マダムNの連載小説」を更新しました

はてなブログ「マダムNの連載小説」を更新しました。

マダムNの連載小説
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2016年10月23日 (日)

最近、文学賞関係の検索ワードで

今月に入ってから、ほぼ毎日「九州芸術祭文学賞 連絡」という検索ワードでお見えになる方があります。

同じ方かそうでないかはわかりませんが、昨年も今年もわたしは応募していないため、九州芸術祭文学賞関係の情報はアップできません。

2014年に応募したときは、翌年に以下の記事を書いて、地区入選作がいつ決定したかを書いています。

地区入選作は10月末から11月上旬に発表になることが多いように記憶していますが、その年によって、また地区によっても、入選作が決定する日は違ったりするので、応募先に問い合わせるほうが確実かもしれませんね。

九州芸術文学賞にはこのところ応募する気が薄れてしまっています。今月末締め切りの三田文学には応募したいと思っていましたが、これも断念。

今は萬子媛を主人公とした歴史小説を自分なりに完成させたいということと、過去の作品をはてなブログに収録することを優先させたいということから、新しい小説を書く時間がとれませんでした。

賞応募に対する思いには複雑なものがありますが、作品をまとめ上げる力を自分の中から引き出そうと思えば、賞応募に勝るものはない気がします。

ただわたしの場合、怖いのは、不本意であっても作品を賞に合わせようとしてしまうことです。単純なところでは、枚数です。

作品を引き締めたり、膨らみを持たせたりするには枚数が影響してくるので、このあたりの調整から、内容に関することまで……

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はてなブログ「マダムNの連載小説」を更新しました

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マダムNの連載小説
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2016年10月21日 (金)

はてなブログ「マダムNの連載小説」を開設。ムシチョウは女子でした(リヴリー)。

昨日の過去記事で予告した連載小説専用のブログを、はてなブログで開設しました。

マダムNの連載小説
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開設しただけで安心して、また放置プレイになりそうですが、感熱紙の印字がいよいよ薄くなっています。連載してしまわなければ、この作品は文字通り消えてしまいます。

ところで、リヴリーアイランドの三匹目のペットは次男だと思い込んでいたのですが、何と今日、女性だったとわかり、どう謝ってよいかわからず、ごめんねといって首筋をなでると、アップで出てきてくれました。

20161021a

この子を連れてヤミ箱を回しに行ったら、ティアラを引いたので(わたしとしては「錬金術師の部屋」を引いてほしかったのです)、女子だと確信した次第。自分が王女だとの自覚もあるようですよ。お城のシルエットのある背景を引いたのもこの子でした。

この子はG.L.L(開園記念)限定リヴリーで、G.L.L城内で生まれたのです。

長男が緑色のジュースを引いたとき、ピンク色のジュースを引いたのもこの子。寝るときに男子っぽいぬいぐるみをつけると、それを嫌がっている風に女子っぽいぬいぐるみを思い浮かべたりして……

女子だから、寝るときに男子と一緒では嫌だったのでしょうね。

それ以外にも、長女の潔癖さとは違う潔癖さをこの子に感じ、微妙に女子っぽいなあとは思っていたのです……まさか、そこまで仕込まれているとも思えないので、偶然が重なって女子っぽさが演出されたのでしょうが、不思議。

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頑張って三つゲットした「レビルのぬいぐるみ・ハロウィン2016」。

「ねーねー、わたしたちのリヴリーアイランドはどこにあるの?」とレビルに尋ねる長女。「日本にあるはずなんだけど、見つからないので、あれこれ文献を調べていたところなんだ」とレビル。

次女とは異なり、男子歓迎の長女。女性にむしろ気を遣うみたいです。次女が来たときには気を遣うというより、いじけていましたっけ。でも同じ乙女座同志、気は合うみたいです。

長女の知識欲は旺盛です。すぐに図書館に出かけて、シスター姿の司書さん(これも頑張って三つゲットした「ニューミューのぬいぐるみ・ハロウィン2016」)に、リヴリーアイランドのことが載っていそうな文献を尋ねていました。

20161020c

『Livly Island』は、GMOゲームポット株式会社の商標です。 『Livly Island』に関わる著作権その他一切の知的財産権は、GMOゲームポット株式会社に属します。このサイトは『Livly Island』およびGMOゲームポット株式会社とは一切関係がありません。
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鳥取地震

午後2時7分ごろ、鳥取県中部で震度6弱の地震が発生しました。

夫の録画した「相棒」を一緒に半分ほど観、わたしはパソコンに向かっていました。こちらは震度2でしたが、古いマンションの上の階なので、例によって揺れを感じました。

2くらいだと、さすがに強くは揺れませんでしたが、時間的にかなり長く揺れているように感じました。

何てよく揺れるんでしょう、最近の日本は。民主党時代に比べると、政府の対応の速いのが救いですね。

地震情報に鳥取が震度6と出て、ドッと疲れ、息苦しさを覚えたので、携帯型心電計を当ててみましたが、「波形に乱れはないようです」と表示。

一昨日計測したときは、「拍動が一定ではありません」と出て、そのときは自覚がありませんでした。

心電計の結果メッセージと自覚症状は案外一致することが多いのですが、一致しないことも時々あり、一致しないときの自覚症状に共通点があるような気がするので、まとめたいと思っています。

波形に乱れがあるという表示のときと、拍動が一定しないという表示のときの自覚症状にも共通点があるはずなので、それもまとめたいのですが……

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2016年10月20日 (木)

純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載。「地味な人」連載第1回

純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載することにしました。

はてなブログを現在二つ持っていますが、無料で三つまで作ることができるので、神秘主義的エッセー、それ以外のエッセーに続き、小説ブログとして残りの一つを作ることにしたのです。

といっても、作るのはこれからなのですが。

実は、前掲三作は古い作品で、ワープロで清書していました。パソコンでフロッピーが開けなくなったこともあって、Kindle ダイレクト・パブリッシングで電子出版したいと考えています。

しかし、まずはパソコンで作品を打ち込むことから始める必要が出てきました。平成12年(2000)5月脱稿に脱稿した「地味な人」から打ち込むことにしました。

「地味な人」は感熱紙の原稿しかなく、印字が薄くなってしまっています。感熱紙原稿のコピーをとるか、パソコンで清書するかで迷い、再校正しながら清書することにしたのでした。

清書の作業と並行してブログで作品を公開して読んでいただこうと思い、2010年4月26日にそうしかけたところで、なぜか中断してしまっています(記事は下書きとなっていました)。

まだ専業主婦が多かった時代に執筆した小説を今読み返すと、さすがに時代を感じさせます。

ですが、現代の日本社会で「ママカースト」などという恐ろしい――ある意味では滑稽ともいえる――流行語が生まれていることから考えると、小説で描こうとした問題が決して古いものとはいえず、また小説に描いた時代はわが国が格差社会に突入した日本の転換期でもありました。

こうした作品の内容から、古い作品だからと切り捨てる気にはなれません。

「地味な人」のような小説は、今のわたしには書けません。

他の執筆作業の合間に行うことになるので、遅々として進まないでしょうし、また中断するかもしれませんが、とりあえず始めます。

気がむけば、当ブログでも連載することにしますが、まずはお試しで第1回。いずれにせよ、はてな小説ブログを開設、更新したときには当ブログでお知らせします。

ライン以下に、あらすじ、前書き、連載第1回があります。

・‥…━━━☆・‥…━━━☆・‥…━━━☆

続きを読む "純文学小説「地味な人」「救われなかった男の物語」「銀の潮」をはてなブログで連載。「地味な人」連載第1回"

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2016年10月19日 (水)

イタリア展のイートインで、ピスタチオのティラミス。スフォリアテッラ。

一週間以上前になりますが、百貨店のイタリア展へ娘と出かけ、落合シェフのレストランでピスタチオのティラミスを注文しました。

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振りかけられたエスプレッソの豆を挽いた粉が、はっとする風味のよさで、土台(ピスタチオ風味のチーズケーキ)を引き立てていました。

一緒に注文したアイスコーヒーが濃いのに、すっきりとして飲みやすく、ティラミスにぴったりでした。

さすが、落合シェフという印象でした。パスタも食べてみたかったのですが、時間的に合いませんでした。

持っているイタリアンの料理の本に落合シェフのレシピがあるのですが、本格的すぎて、作りやすそうなものからいくらか作ってみた程度です。

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試飲して自然な味わいだと思った、野菜ブロード。

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洋梨のジュース。

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エスプレッソコーヒー。ナポリコーヒー「KIMBO」は初めての購入。

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「オリーブマーケット」の総菜オリーブは美味しいので、いつも待ち構えています。家族全員、「ミラノ」が一番好きです。

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きのこ入りも買ってみました。

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スフォリアテッラ。スフォリアテッラとは、ナポリ地方の焼き菓子だそうで、マツコ・デラックスが「マツコの知らない世界」で絶賛したとか。

パリパリしたパイ生地の中に、リコッタチーズとカスタードが入っています。わたしのは「シチリアレモン」で、レモンピールらしきものが入っていました。

いや、これは本当に美味しかった!

普段ほとんど間食しなくなったのですが、こんなときは心ゆくまで(?)楽しむことに。 

「バラッテ・エ・ミラノ」のチョコレートも娘と迷いながら選びました。選ぶ作業がまた楽しいものですね。白に青・赤で文字が入ったものはチョコではなく、メレンゲです。

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2016年10月18日 (火)

2016年に、実質的終焉を告げたノーベル文学賞

10月14日付記事「ボブ・デイランがノーベル文学賞を受賞。快さを伴ったイデオロギーにすぎないあの歌詞群に?」を閉じ、代わりにそれに加筆した拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」の記事をこちらに再掲しておきます。

○o。+..:*○o。+..:*○o。+..:*

純文学なんてない、という奇怪な純文学排斥運動がわが国で行われるようになった時期と、村上春樹がもてはやされるようになった時期はだいたい重なっていたように思う。

私事になるが、わたしは1998年度の織田作之助賞第15回で「救われなかった男の物語」(結果発表誌『文學界』1999年2月号)、2005年度の第22回で「台風」(結果発表誌『文學界』2006年5月号)が最終候補になった。

第22回の授賞式で、選考委員のお一人だった三枝和子先生の講演があり、その講演の中で先生が「純文学はわたしはあると思っています」とおっしゃって、その理由を述べられたのを鮮明に覚えている。

わたしはその講演を聴きながら、激しく泣いていた。

何者らかの陰謀――としかわたしには思えなかった――によって純文学の存在そのものが攻撃され、それがわが国における純文学の終わりの始まりだと思われたということと、もうこの国では自分はプロの作家にはなれないという予感とが交じり合い、頭の中で渦巻いていたのだった。

それを遡ること、7年前の1998年、第15回受賞式のときにはまだわたしは文学界を信じていた。

受賞式後のパーティーで三枝先生から、ようやく見つけたという表情で、強く光る美しい目で見据えられながら「あなたの頭はわたしと同じく、男ね」といわれたことを覚えている。

三枝先生のあの目は男性的というより、性を超越した哲学者の目だった。ギリシア在住の経験があった先生にはプラトンを諧謔的に描いた作品がおありになる。

三枝先生は2003年にお亡くなりになった。わたしはお亡くなりになったことをあとになって知ったが、先生の臨終を察知していた。印象的な夢を見たのである。余談になるので、この話は別の機会に書きたい。

その後、2006年に村上春樹がチェコのフランツ・カフカ賞(2001年創設)を受賞したのをきっかけとして、彼がノーベル文学賞にノミネートされたというデマがしきりに流されるようになった(ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間の守秘義務がある*1)。それに伴い、文学には無関係なイベントや乱痴気騒ぎなども起きるようになった。

そして、芥川賞受賞作品からは、人間性の追求という学究的側面と豊かな情操を持つ純文学の特徴が失われ、さりとて読者を楽しませることに徹した大衆文学の特徴もない、もはや文学作品といってよいのかどうかもわからないものとなり果てて、異様な臭気が放たれるようになった。

こうした純文学の凋落に至る一連の出来事は、敗戦後の複雑な事情を抱えるわが国だから発生した、いわばわが国固有の不幸な出来事だと思っていた。拙作『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』を参照されたい。*2

日本で起きたようなことが、ノーベル文学賞という国際的な舞台で起きるとは予想しなかった。翻訳文学から推測する限りでは、世界では純文学に分類されるような文学作品は依然として一定の水準を保っているように思われていたからである。

ノーベル文学賞が、国際的に通用する意味合いにおいてのリベラルな傾向を持つ作家に授与されてきたことは過去の受賞者一覧を一瞥すれば、わかることである。

作品の内容から窺われる観察力、認識力、分析力、洞察力、教養の度合い、情操に訴える力、普遍的意義という点で、わたしが首を傾げてしまう大江健三郎のような作家に授与されることがあったにせよ、ノーベル文学賞が優れた文学作品に授与されるという国際的な共通認識は2015年までは不動のものであった。

しかし、2016年、ノーベル文学賞という純文学形式の文学作品に与えられていた賞は、突然別物になった。シンガーソングライターのボブ・ディランに授与されることになったのだ。作家を志す人間には怖ろしい出来事である。ノーベル文学賞の裏事情を知りたいと切に願う。(※現時点まで、ボブはノーベル文学賞の受賞に関して沈黙している)

「風に吹かれて(Blowin' In The Wind)」を久しぶりに聴きかけて、いつもそうであるように、単調なボブ・ディランの声に飽き、途中でピーター・ポール&マリーで聴き直した。ボブにノーベル文学賞が授与されるのであれば、デヴィッド・ボウイにそうされたって、おかしくはない。いや、ボウイが生きていればだが。ボブ・デイランも年とった。皺がいっぱいだ。締めはジャニス・ジョプリンといこう。

ボブ・ディランの歌詞は説教臭くて、如何にもポピュラーソングの歌詞という感じがする。ボブがディラン・トマスに傾倒してディランと名乗るようになったのだとは、知らなかった。

歌詞を曲から切り離して評価することには戸惑いを覚えるが、あえてそうするなら、ボブ・ディランの歌詞はある快さを伴ったイデオロギーにすぎず、ディラン・トマスの詩にあるような――名詩が特徴とする――発見がボブの歌詞にはなく、詩作の過程にはあるはずの結晶化を経ていないように思われる。

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Alfred Nobel(1833 - 1896),c. 1883
From Wikimedia Commons, the free media repository

ディラン・トマスにノーベル文学賞というのなら、わかる。『世界文学全集――103 世界詩集』*3 所収ディラン・トマスの詩から断片的に引用してみる。

ぼくはばかの唖で吊り下がっている男に言えない
どのように絞首刑執行人の生石灰がぼくの肉体で出来ているかを。
(「緑の信管を通って花をひらかせる力」)

邦訳版でも充分に伝わってくるだけの思索の深みを感じさせる。このような作品はディラン・トマスにしか書けない。

ぼくが千切るこのパンは かつて燕麦[からすむぎ]だった。
異国の樹になる この葡萄酒は
その実
[み]の中に飛びんだ。
日中は人間が、また夜は嵐が
作物を倒した、葡萄の歓びを砕いた。
(「千切るパン」)

この詩を読んでいると、本当にパンや葡萄の香りがしてくる。ノーベル文学賞を受賞したガブリエラ・ミストラルの詩を連想した。

ほかのいくつかの渓谷でいっしょに
パンを食べていた亡き友人たちは味わっている
刈り入れのすんだカスティリャ地方の八月の
そして挽き砕かれた九月のパンの呼気を。
(「パン」)*4

彼らの味わっているパンが特別な清らかなパンに思えてくる。パンの呼気をわたしも感じる。   

最初の死者と地下深く ロンドンの娘は横たわる、
永劫の友だち、
年齢をこえた時間、母の暗い静脈に包まれて、
海へ注ぐテムズ河の
悲しむことのない水のほとりに秘
[ひめ]やかに、
最初の死のあと、もうほかの死はない。
(「ロンドンの空襲により焼死した子供を悼むことを拒む詩」)

空襲で焼死した子供を、流れる時間のただ中へと釘づけるようなトマスの詩作……

ボブ・ディランの歌詞は単純だから単調で、それゆえに曲を必要とする。彼の歌詞は曲と一体となってこそ真価を発揮するものであって、独立した詩とみなすには無理があるのではないかと思う。

作品の優劣以前の問題として、文学作品とはいえないのではないだろうか。文学作品であるような詩は、音楽的な調べを言葉のうちに含んでいるものなのだ。

次のリルケの詩「LES ROSES 薔薇」からの引用は、山崎栄治の秀逸な邦訳によって、その詩に内在する音楽性が現代日本語として可能な限り高められている。

薔薇よ、おお、おまえ、この上もなく完全なものよ、
無限にみずからをつつみ、
無限ににおいあふれるものよ、おお、やさしさのあまり
あるとしもそこにみえぬからだから咲き出た面輪
[おもわ] よ、

おまえにあたいするものはない、おお、おまえ、さゆらぐ
そのすみかの至高の精よ、
ひとのゆきなやむあの愛の空間を
おまえの香気はめぐる。
(Ⅲ)*5

一輪の薔薇、それはすべての薔薇、
そしてまたこの薔薇、――物たちの本文に挿入
[そうにゅう]された、
おきかえようのない、完璧
[かんぺき]な、それでいて
自在なことば。
  この花なしにどうして語りえよう、
わたしたちの希望のかずかずがどんなものだったか、
そしてまたうちつづく船出のあいまあいまの
ねんごろな休止のひとときがどんなものだったか。
(Ⅵ)*6

「薔薇」には24編が収められている。この詩に値する曲など存在しないと思わせられるほど、音楽的な詩である。下手に曲がつけられたリしたら、幻滅を招くだろう。

賞は文化の振興に役立つものだが、使い方を間違えれば、それは直ちに文化破壊の道具となる。

文学作品とはどんなものをいうのかさえわからない人々が選んだのではないか――という危惧さえ抱かせる今回のノーベル文学賞。一度でも、こういうことがあったら、御仕舞だ。

もうノーベル賞は理系に限定すべきである。

賞ではないが、賞に似た文化振興の役割を果たしてきたユネスコも今や完全におかしい。

2014年11月に、岩間浩『ユネスコ創設の源流を訪ねて―新教育連盟と神智学協会』(学苑社、2008)を読んで、神智学協会の理念がユネスコの精神的母胎となったことを知った。今のユネスコの動向から、その精神を感じることはできない。


*1:ウィキペディアの執筆者. “ノーベル文学賞”. ウィキペディア日本語版. 2016-10-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E&oldid=61533301, (参照 2016-10-15).

*2:直塚万季『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)』(Kindle版、2013年、ASIN: B00BV46D64)

*3:安藤一郎・木村彰一、生野幸吉、高畠正明編、講談社、1981

*4:『ガブリエラ・ミストラル詩集 双書・20世紀の詩人 8』田村さと子編・訳、小沢書店、1993

*5:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅢp.745

*6:『新潮世界文学32 リルケ』新潮社、1971年、山崎栄治訳「LES ROSES 薔薇」よりⅥp.746

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2016年10月17日 (月)

廃仏毀釈と岡倉天心と神智学。図書館の完成(リヴリー)。

ノーベル文学賞がボブ・ディランに授与されることになり、軽い虚脱状態に陥ってしまった。以下は、閲覧した海外の作家たちの反応。

明治の廃仏毀釈から仏教美術品を部分的にでも救い上げることに成功した岡倉天心、フェノロサが神智学と無関係ではないことは知っていたが、仏教復興運動に尽力し、スリランカ(セイロン)独立の父といわれるアナガーリカ・ダルマパーラについては知らなかった。

以下はyourペディアの記事へのリンクと引用。

「シンハラ人エリート家系に生まれたダルマパーラは、幼少期にブラヴァッキー・オルコットの神智学協会に心酔し、神智学を媒介として仏教復興に生涯を捧げる決意をするに至った 」

「生前四回も来日し、高楠順次郎・田中智学・大川周明・岡倉天心といった思想家とも交流をもったといわれる」

アジア主義を唱えた大川周明はシュタイナーの著作を翻訳している。

ブラヴァツキーの神智学に薫染した人々の中から、文化保護のために働いた人物が数多く出ている。

誹謗中傷に晒されているせいで、こうした神智学協会の功績や、ブラヴァツキーの諸著の優れた内容が広まりにくい(誹謗中傷する人々は、読みもせずにあれこれいえるのが不思議である)。

神智学協会をめぐって発生したこうした社会現象。原因は絡み合って見える。非力ながら、それを少しずつ解きほぐそうとしているところである。岡倉天心についても調べたいと考えている。

ノーベル文学賞や芥川賞が溶解していくような恐ろしさを覚えるのも、プロにはなれないながら物書きとしての思いがあるからだが、それより大きな部分を占めているのは文化保護の観点からの懸念なのだ。

平凡な主婦でありながら、わたしの中には人類の優れた文化財を保護したいという燃えたぎるような思いがあり、これは生まれつきのものだと思っていたが、大学時代から読んでいる神智学の本の影響から来ているのかもしれない。

萬子媛の小説のほうは、御遺物メモの続きがある。遅々として進まないが、加筆すべき箇所ははっきりしている。

気分転換にリヴリーと遊び、ヤミ箱を引いたら、外国語で作家という名の長男が「螺旋階段つき本棚の島」を引いてくれたので、嬉しかった。長女は虫眼鏡で古文書を読んでいる。

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前に引いた、大きな窓のある「天文学者の部屋」と組み合わせると、大図書館風?

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2016年10月16日 (日)

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました

拙ブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」を更新しました。

当ブログの過去記事に、大幅に加筆しました。

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2016年10月13日 (木)

歴史短編1のために #29 萬子媛遺愛の品々 ④御化粧袋、貝合わせ、鉄鉢

祐徳博物館での個人的なメモです。

御遺物メモの続き。

漆に蒔絵[まきえ]が施されたシックな調度は婚礼調度だろう。鎌倉時代くらいを起点とした婚礼調度は、江戸時代初期には道具類が体系化され、豪華なものになっていたという。

印籠
室町時代に明から輸入された長方形の小型の容器には当初は印を入れたらしいが、江戸時代には薬入れやアクセサリーとして流行ったとか。

御化粧袋
お化粧袋は赤地に牡丹模様、それに市松模様のバンドがついていて、現代感覚の目で見ても洒落ている。

以下のノートは、谷田有史・村田孝子『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(三樹書房、2015)を読みながらとったものだが、引用する。本の監修者である谷田氏はたばこと塩の博物館学芸員、村田氏はポーラ文化研究所シニア研究員。

2015年10月31日 (土)
歴史短編1のために #18 江戸時代のおしゃれを作り上げたもの
http://elder.tea-nifty.com/blog/2015/10/18-8d71.html
江戸時代には多くの育児書が書かれていたと書いたが、美容読本なども書かれ、読まれていた。
房州砂に竜脳や丁子、白檀などの香料で香りづけした歯磨き粉、石鹸の代わりの糠や粗い粉。糠を銭湯で売っている様子が浮世絵に描かれているらしい。糠はタンパク質や脂肪を含んでいて、天然のクリームとなった。糠袋は母が時々使っていたが、江戸時代からあったのか……。
萬子媛は江戸時代初期から中期にかかるくらいの人なので(1625年 - 1705年)、初期に注目して本から拾えば、洗顔のあとには化粧水。花露屋から発売されていた「花の露」が有名だった。これは天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしい。
この花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったという。萬子媛が二十歳のころには創業していたというわけか。おしゃれなネーミングだなあ。萬子媛も使ったのかしら、花の露。
お歯黒は『源氏物語』『堤中納言物語』にも書かれた日本で一番古い化粧とされているという。お歯黒は歯槽膿漏、虫歯予防に役立っていたそうだ。

井原西鶴『好色一代男』(巻二)に確かに、花の露屋の五郎吉という香具売の少年が登場する。

つゞきて桐[きり]の鋏箱[はさみばこ]の上に小帳[こちょう]・十露盤[そろばん]をかさね、利口[りこう]さう成男[をとこの]行は、人の目に立ぬやうにこしらえて、みるほどうつくしき風情[ぜい]也。「是なん香具賣[かうぐうり]」と申。こゝろうつりてよび返し、沈香[ぢんかう]など入[いる]のよし申て、調[とゝのえ]て、とやかく隙[ひま]の入こそ笑[をか]し。「御用[ごよう]もあらば重而」と立かへる程[ほど]に、宿[やど]もとをきけば、「芝神明[しばしんめい]の前[まへ]、花の露屋[つゆや]の五郎吉、親かた十左衛門」とぞ申。(麻生磯次・冨士昭雄『対訳西鶴全集 一  好色一代男』明治書院、昭和58新版、64頁)

人目に立たないこしらえながら美しい風情の少年は、香具だけを売っていたのではないようだ。

貝合わせ
貝櫃(貝合わせを入れる箱)

上流社会の嫁入り道具中必需品であった」と説明があった。
平安時代を連想させる美しい貝合わせ。実物が見られて、感激した。貝殻の内側に金箔が貼られ、絵が描かれていて、美しい。

ウィキペディア「貝合わせ」
貝合わせ(かいあわせ)は、平安時代から伝わる日本の遊び。本来の貝合わせは、合わせものの一つとして貝殻の色合いや形の美しさ、珍しさを競ったり、その貝を題材にした歌を詠んでその優劣を競い合ったりする貴族たちの遊びであった。

江戸時代の貝合わせ
江戸時代の貝合わせは、内側を蒔絵や金箔で装飾されたハマグリの貝殻を使用する。ハマグリなどの二枚貝は、対となる貝殻としか組み合わせることができないので、裏返した貝殻のペアを選ぶようにして遊んだ。
また、対になる貝を違えないところから夫婦和合の象徴として、公家や大名家の嫁入り道具の美しい貝桶や貝が作られた。貝の内側に描かれるのは自然の風物や土佐一門風の公家の男女が多く、対になる貝には同じく対になる絵が描かれた。美しく装飾された合貝を納めた貝桶は八角形の形をしており二個一対であった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な意味を持ち、婚礼行列の際には先頭で運ばれた。婚礼行列が婚家に到着すると、まず初めに貝桶を新婦側から婚家側に引き渡す「貝桶渡し」の儀式が行われた。貝桶渡しは家老などの重臣が担当し、大名家の婚礼に置いて重要な儀式であった。
金箔が使われている。

ウィキペディアの執筆者. “貝合わせ”. ウィキペディア日本語版. 2016-08-06. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E8%B2%9D%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%9B&oldid=60679944, (参照 2016-08-06).

雁[かり]が音の琴
万媛遺愛の名琴で、黄金を以て雁一双、家紋並に唐詩和歌を象眼[ぞうがん]した鹿島鍋島家の家宝で累[るい]代公夫人に伝わり(略)」と説明があった。

小説を書いているときに、気品の高い女性が筝を弾いている姿が目に浮かび、その場面を取り入れたのだが、萬子媛は本当に箏を弾かれていたようである。ちなみに琴と普段呼ばれている楽器は音楽専門サイトによると筝(琴には柱がない)、小説にはどちらの表現を使うかで迷う。

ウィキペディア「筝」
一般的に、「箏(こと)」と呼ばれ、「琴(きん)」の字を当てることもあるが、「箏」と「琴」は別の楽器である。最大の違いは、箏は柱(じ)と呼ばれる可動式の支柱で弦の音程を調節するのに対し、琴は柱が無く弦を押さえる場所で音程を決める。ただし、箏の柱(箏の駒)は「琴柱」とするのが一般的で(商品名も琴柱)、箏の台は琴台(きんだい)と必ず琴の字を使う。
ウィキペディアの執筆者. “箏”. ウィキペディア日本語版. 2016-04-15. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E7%AE%8F&oldid=59361089, (参照 2016-04-15).

藩主 御火鉢 参勤交代用湯沸[わかし]
参勤交代時に用いられたという湯沸が興味深かった。

御茶道具
紺地に龍が描かれているものがあった。

鉄鉢
鉄鉢は「てっぱつ」と読むようだ。

托鉢(タクハツ)僧が信者から米などを受ける。鉄製のはち。(『新明解国語辞典 第五版(特装版)』三省堂、1999)

出家前と後の遺愛品が混じって展示されていたので、僧侶時代の遺愛品であることに気づくとハッとしたが(御袈裟)、鉄鉢は辞書を引かなければ、僧侶時代のものであることに気づかなかっただろう。

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2016年10月11日 (火)

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました

キリスト教会の著作に関しての参考になるメールを頂戴いたしました。

許可もいただかずにそのメールを掲載するわけにはいかないので、わたしの返事を掲載します。

Y様、ありがとうございます。

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Y様

メール拝読しました。

バチカンの教皇庁文化評議会と教皇庁諸宗教対話評議会が2003年に発表した「『ニューエイジ』についての考察」という論文とそれを収めた邦訳書があることは知りませんでした。

これはカトリック教会の公式文書ですね?

すぐにでも目を通したいところですが、残念ながら利用している二つの図書館には置かれていないようなので、金銭的余裕のできたときに購入したいと考えています。

ご紹介のブログを閲覧したところでは、「ニューエイジ」という用語の出典については書かれていても、漠然とした定義のように思えますが、本ではどのように定義され、どのような批判が展開されているのか、甚だ興味があります。

わたしは無知な一神智学徒にすぎませんが、あまりにブラヴァツキーバッシングがひどいので、彼女の論文のどこが攻撃されているのかを調べたところ、これまでのところではすべてのケースでろくに読まれてもいないことがわかり、個人のブログでそれに対する疑問を表明することが適切なことだとは思っていませんが、火のないところに煙が立ちすぎている恐ろしさを感じて自分なりの調査を進めていたところでした。

わたしはブラヴァツキーがイエス・キリストを批判した文章を一行も読んだことがなく、「『天国の奥義』と言われるキリストの秘密の教えと、教会及び宗派の後世の典礼過重主義や独断的神学との違い(略)」(『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、24頁)という彼女の言葉に表されているように、ブラヴァツキーの批判はあくまでイエスの教えを私物化し、歪めようとするキリスト教会に対する批判です。

火のない煙では焼き芋を作ることもできないので、今後も地味な調査を続けていきたいと思っています。

御礼があとになりましたが、この度は貴重な情報をありがとうございます。

マダムN

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娘のiphoneで、自分のブログを閲覧してみると……(13日に追記)

昨日、娘がスマートフォンを購入し、使い始めた。息子はもう少し早く使い始めている。

わたしはケイタイ利用で、同年配の友人達はケイタイを使っている人が多い。

これまでスマホにはほとんど関心がなかったのだが、スマホでは自分のブログはどんな風に見えているのか確認したくなり、娘のスマホを借りて閲覧してみた。

当ブログは、スマホではひじょうに閲覧しにくかった。

尤も、娘のスマホはiPhoneなので、iOSデバイスでの確認しかとれていない。androidスマホでも同じかどうかはわからない。

何だか無残。行間が詰まってしまっているし、スマホ用のカスタマイズはベーシック会員ではできないため、記事の検索や移動に甚だ不便。

また、写真素材サイトからお借りした写真は綺麗に表示されているけれど、自分で撮影してアップしたものはぼやけて見るに堪えられなかったり……パソコンではまともに見えるのに。

ココログブログはケイタイでは閲覧しやすいので、ショックだった。

スマホで当ブログを閲覧してくださる方が増えているので、これはまことに残念な事態だ。アクセス解析のページビューを見ると、1年前はパソコンとスマホが同じくらいのPV数だったのが、今ではスマホのほうが倍くらいにもなっているのだ。ケイタイは激減。

一方、はてなブログ「マダムNの神秘主義的エッセー」とライブドアブログ「文学界にかんする考察」はケイタイでの閲覧には難があると感じ(特にはてなブログ)、それが不満だった。ところが、スマホでは閲覧しやすくて、嬉しい驚きだった。

特に、はてなブログは全体的にすっきりと美しく見え、感動したほど。ただ無料会員だと、スマホ版のカスタマイズはできない(と思ったが、工夫すればある程度できるらしい)。ライブドアブログでは、無料会員もデザイン選択、カスタマイズ、レイアウト、メニューバーといったデザイン設定が可能。 

いずれにしても、基幹ブログである当ブログがスマホで閲覧しにくいのは問題だと感じている。

追記:

改めて娘のスマホを借りて、当ブログを閲覧してみると、カテゴリー、人気記事は表示されていることがわかった。カテゴリー検索はぐるぐる回す形式でカッコいい。

カテゴリー検索ができるとなると、新しくトップページの最初に設定した記事は必要ないかとも思ったが、バックナンバー、プロフィールへのリンクなどがトップページの最初にあると便利かもしれないので、とりあえずはそのままにしておくことにした。

サイドバーにある挨拶の言葉は本来はトップページの最初に表示するべきものだろうし……パソコンから閲覧される方にはサイドバーのとダブってしまうけれど。

他の拙サイトも確認していたら、老眼にこたえたのか、乗り物酔いしたみたいに気分が悪くなってしまった。スマホは若者向きですね。

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2016年10月 9日 (日)

心拍数と体調の変化

携帯型心電計に興味を抱いた数日に比べると、日々の家事や創作にまぎれて早くもその存在を忘れがちだが、心拍数と体調の関係について、いくつか気づいたことがあった。

波形については基本形を覚え、心室性期外収縮と心房細動の波形、そして虚血性心疾患の診断をする上で重要な判断材料になるというST変化の特徴を学習した。

基本形が拾えれば、まずOK?

  • 拍動が一定ではありません。
  • 波形に乱れがあるようです。
  • 拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです。

わたしの心電図ではこの三つが出やすいが、サンリズムが効いているかどうかは心房細動が出ているかどうかをチェックすればわかると思う。

自分ではよくわからないから、上記結果メッセージの出ているものを3枚持参して問題がないのかどうかを先生に診断していただこうと考えている(ただし、クリニックの混んでいない日に、まずは看護師さんにお伺いを立ててから)。

3年前にクリニックから携帯型心電計をお借りしたときは、サンリズムを服用するようになる前だった。以下の記事で、そのときに携帯型心電計に表示された心拍数と結果メッセージを拾っている。

2016年9月18日 (日)
16日に、循環器クリニック受診
http://elder.tea-nifty.com/blog/2016/09/16-41e0.html

  • 2013年4月30日 (火)
    初記録(軽い胸痛)
    心拍数=83 (波形に乱れがあるようです)
  • 2013年5月 1日 (水)
    記録2回目(心臓が重い)/ミオコールスプレー1回。
    心拍数=107 (波形に乱れがあるようです)
  • 2013年5月12日 (日)
    記録3回目(ごく軽い胸痛)
    心拍数=79 (波形に乱れがあるようです)
  • 2013年5月13日 (月)
    記録4回目(左胸の局所的軽い胸痛・圧迫感)
    心拍数=60 (拍動が一定ではありません)
  • 2013年5月15日 (水)
    記録5回目(睡眠中に目覚めると、心臓がドクドク)
    心拍数=79 (波形に乱れはないようです)

このときに本体に表示された心電図の波形を撮影しておけばよかった。心房細動と診断されたのは青字にした記録がそうだったのではないかと思う。心拍数は60とこのときも多くない。

また緑字にした記録で、寝ているときに心臓がドクドクするのは昔からわたしが悩まされてきた洞性頻脈のせいだろう。しかし、インデラルのお陰で洞性頻脈はよく抑えられてきたと思う。インデラルを使わなければ、脈拍数が120~140になるのだから。

波形に乱れがなかったので記録を削除してしまったが、ここ数日の間にも心臓がドクドクして目が覚めたことが3回ほどあり、そのうちの2回携帯型心電計を当ててみたところ、心拍数は3年前と同じ80前後だった。洞性頻脈は「完璧」と絶賛したいくらい規則正しい。

2016108a_2

これは昨日の記録で、夕方の心拍数が49。日中はこれくらい心拍数が低くなる。しかし、過去記事で出した、外出後の記録では71。

2016年9月28日 (水)
外出後の記録も一応
http://elder.tea-nifty.com/blog/8_1/index.html

心拍数が低い、高いというだけでは、体調が悪いとは感じない。体調が悪いと感じるときは「拍動が一定ではありません。」「波形に乱れがあるようです。」「拍動が一定ではありません。波形に乱れがあるようです。」と表示されるときが多い。

そして、携帯型心電計の結果ではその状態が続いていなくても、しばらくは影響が残る気がする。フラフラしたり、疲れを覚えるなど。

いずれにせよ、サンリズムの服用が心房細動を抑えてくれているのだとすれば、基線の乱れとわたしに見えるものは乱れとはいえないものだということになる。サンリズムが効いていれば、問題ない。

心房細動は抑えて貰わなくては困る。血栓が脳に飛び、脳梗塞を惹き起こすことがあるというから。心房細動が出ているのではないかという不安――というよりわたしの場合、恐怖というべきかも――から携帯型心電計を購入したのだった。

脳がやられたら、人間おしまいだ。

携帯型心電計のお陰で心拍数を正確に知ることができて、嬉しい。

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2016年10月 8日 (土)

硫黄臭。ようやく今日から萬子媛の小説の改稿へ。

まだ硫黄臭が漂っています。

阿蘇山の中岳第一火口で、8日未明に発生した噴火が原因です。噴火警戒レベル3の火口周辺警報が出されています。

北東に50キロ以上離れた当市ですが、硫黄臭が今も漂っていて……ここに引っ越してきて10年以上になるけれど、こんなことは初めてです。

ところで、今日からようやく、萬子媛の小説の改稿に入りました。といっても、まだ御遺物メモの続きからです。

御袈裟の次に、漆に蒔絵がほどこされた婚礼化粧道具が印象的でしたが、『江戸時代の流行と美意識 装いの文化史』(谷田有史・村田孝子著、谷田有史・村田孝子監修、三樹書房、2015)によると、江戸時代、化粧水は花露屋から発売されていた「花の露」が有名だったそうです。

花露屋は寛永の末に江戸の医師がつくった、江戸初期から明治時代まで続いた化粧品店だったとか。天和2年(1682)に書かれた井原西鶴『好色一代男』(巻二)に出てくるらしいので、書棚から本を引っ張りだして確認したりしていました。

確かにありました。あとで、別の記事にします。萬子媛の身長に関しても、これは憶測の域を出ませんが、ちょっとメモしておきたいことがあります。

トルストイ『戦争と平和』関連で調べ始めたフリーメーソン、イルミナティについても、もう少し書いておきたいのですが、イルミナティについては内容を改めて考察する必要を感じています。

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2016年10月 7日 (金)

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』(Kindle版)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

評論『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays 1)』(Kindle版、ASIN:B00BV46D64)をお買い上げいただき、ありがとうございます! 

9月25日ごろ、カナダでお買い上げいただいたようです。

 『村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち』は、これまでで63冊お買い上げいただいたことになります。

  • カナダ……1冊
  • 日本……30冊
  • アメリカ……24冊
  • ドイツ……4冊
  • イギリス……1冊
  • メキシコ……1冊
  • イタリア……1冊
  • フランス……1冊

村上春樹と近年のノーベル文学賞作家たち(Collected Essays, Volume 1)

「気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays 2)」)』(ASIN:B00J7XY8R2)は、文学界を考察した姉妹編ともいうべき1冊です。

気まぐれに芥川賞受賞作品を読む 2007 - 2012(Collected Essays, Volume 2)

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結婚という不可逆的な現象
ASIN: B01E3UAZ3O


今年に入って出した純文学小説です。

台風 
ASIN: B00BI55HV8

台風に翻弄される家族を描いた小説です。

以下は、その他の純文学小説です。

昼下がりのカタルシス

詩人の死

直塚万季 幻想短篇集(1)

雪の二小篇 (純文学)

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2016年10月 6日 (木)

トルストイ『戦争と平和』  ⑤テロ組織の原理原則となったイルミナティ思想が行き着く精神世界

フリーメーソンに関する本は翻訳物を含めていろいろと読んできたが、植田樹『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』(彩流社、2014)ほどフリーメーソンの歴史に詳しい本は少ないと思う。ベストといってよい本かもしれない。長年の疑問がこの本を読んで、ほぼ解けた気がするほどである。

ロシアを動かした秘密結社: フリーメーソンと革命家の系譜
植田 樹(著)

出版社: 彩流社(2014/5/22)


「フリーメーソン」という単語の用い方にばらつきがあって、この単語の意味するところがわたしには曖昧であり、フリーメーソンと呼ばれるものに対する基本的な理解すらできていないという苛立ちのようなものがあったのだが、本には次のように書かれている。

「フリーメーソン」とは熟練した石工職人の組合=「自由な石工の組合」と「その組合員」という英語の単語(freemason)が原義となっている。これがその後に様々な秘密結社の組織や団体、制度を表す普通名詞(freemasonry)という単語として使われることになった。本書では「フリーメーソン」という単語を便宜的に集団的名称や制度、個々の団員のいずれにも用いることにする。(植田,2014,p.13)

本によると、フリーは自由な(free)、メーソンは石工(mason)で、「自由身分の石工」、すなわち「特定の領主や寺院に縛られず各地の建設現場を渡り歩き、契約によって仕事をする職人」を指した。962年にイングランドのヨークで石材を扱う職人たちの集会が開かれた、という最古の記録が残されているという。

巨大な石造建築には物理学や幾何学など、時代の最先端の科学知識と合理精神が必要であり、建設現場の責任者は最高レベルの知識人だった。伝授する知識や技術を仲間内の秘密にしておく必要から、排他的な職能ギルドが結成されることになる。

自立した石工の職能ギルドは、親方、職人、徒弟からなる階級制の組織と掟を持つ集団となり、16世紀には石工組合の社会的地位と名声に惹きつけられて、こうした業種とは無縁な人々が加わるようになった。

18世紀初めには、上流階級の知識人たちが集うサロンめいたものとなり、1714年にロンドンで「ロンドン大本部(London Grand lodge)」が結成され、これが近代フリーメーソンのおこりとなった。

初期のフリーメーソンは14世紀に書かれた石工組合の内部規則、集会の際に歌われる歌、祈禱、伝説などをまとめた「古い訓戒(Old Charges)」の写本を手引きとしていたらしいが、1723年に牧師ジェームズ・アンダーソンらが新たに「憲章」を編纂した。

このアンダーソン憲章は結社の起源を聖書時代に遡らせていたが、それは信仰上の権威づけを行うためだった。憲章では神への信仰(「至高の存在の信仰」と表現され、キリスト教以外の一神教の異教――ユダヤ教やイスラム教――も容認)、霊魂不滅の信念を基本とした。

独自の徳性を磨く目標として、兄弟愛(友愛)、善行、真理の追求が掲げられていた。信仰、希望、慈愛を三つの理想として説くこともあった。会員同士は「兄弟」と呼び合った。

こうしたフリーメーソンの兄弟愛、友愛とは本来は仲間内だけの友情や相互扶助を意味したもので、無限定の対象に向けられる博愛とは違うらしい。

また、アンダーソン憲章は、会員たちが宗教や政治、国家間の問題を結社内で論じることを禁じ、これがイギリス型正統派フリーメーソンの伝統を形成したという。しかし、後にはこれとは正反対の非正統派集団が生まれた。

以上は『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』からノートしたものだが、フリーメーソン独特の秘密めいたところや友愛の限定的な性質、またアンダーソン憲章が神への信仰を基本としながらキリスト教に限定せずにユダヤ教やイスラム教も容認しているあたりは、なるほど、如何にも石工組合から出たものだとの印象を与えられる。

復習しておくが、フリーメーソンの活動には、保守的で政治には関わらないイギリス型自由主義的で政治に積極的に関わるフランス型とがあるという。世界全体では700万~1000万人の会員がいるといわれているそうで、そのうちの9割がイギリス型正規派であるそうだ。フランスでは、リベラルな政治傾向の結社である非正規派が主流であるという。

フランス革命の推進者の多くがフリーメーソンだった。国王ルイ16世の従兄弟オルレアン公フィリップ、ラファイエット、ミラボー、モンテスキューなど。また、ナポレオン・ボナパルトは会員ではなかったが、彼の4人の兄弟は全員フリーメーソンだったというから驚かされる(ジョセフとルイは王位についた)。フランスの社会派作家エミール・ゾラもフリーメーソンであったと本には書かれていた。

プロイセン王フリードリヒ大王。イギリスのジョージ4世・6世、エドワード7世・8世、宰相ウィンストン・チャーチル。

アメリカでは1733年にボストンに最初の結社が作られた。独立運動の指導者たち、初代大統領ジョージ・ワシントン、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマン、セオドル・ルーズヴェルト、リンドン・ジョンソンなどはフリーメーソンで、アメリカがよくフリーメーソン国家だといわれるのも頷ける。

ニューヨークの「自由の女神像」はフランスのフリーメーソンからニューヨークのフリーメーソンへの贈り物だったとされるそうで、アメリカ合衆国の国璽(印章)、1ドル紙幣にはフリーメーソンのシンボリックな画像「万物を見通す眼」が描かれている。

1904年のトルコ革命、1917年に発生したロシアの二月革命にもフリーメーソンは深く関与したらしい。

また、石工組合起源ではない、騎士団起源のフリーメーソンも広く存在したという。「騎士団の多くは政治に関わらず、真理や倫理の探求を強調することでフリーメーソン組織とは一線を画する立場をとっている」(植田,2014,p.26)

「聖ヨハネ・マルタ騎士団」、「神殿[テンプル]騎士団」、ドイツの「バラ十字騎士団」「東方聖堂騎士団」。

1910年ごろ組織された「ゲルマン騎士団」はグノーシス派の秘教と秘儀を継承したとするオカルティックな結社で、フリーメーソンをユダヤ人の邪悪な陰謀と見なして敵視、アーリア人至上主義の人種差別思想を唱え、剣と鉤十字を組み合わせたシンボルを用いた。

この騎士団は「トゥーレ協会」を通じてヒトラーのナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)の思想的骨格となったそうだ。

ウィキペディアによると、トゥーレ協会はゲルマン騎士団の非公式バイエルン支部として設立された(ウィキペディアの執筆者. “トゥーレ協会”. ウィキペディア日本語版. 2016-02-26. https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%88%E3%82%A5%E3%83%BC%E3%83%AC%E5%8D%94%E4%BC%9A&oldid=58757184, (参照 2016-10-05).

錬金術とバラ十字系にはドイツの「黄金バラ十字団」、パウカリウスを師としたフランスの神秘思想家ルイ・クロド・サン・マルタンが組織した「マルチネス派」があった。サン・マルタンは、バルザックの小説『谷間の百合』に登場する。

1776年にパヴァリア(現ドイツ・バイエルン州)でアダム・ヴァイスハウプトが組織した「イルミナティ」は、「私有財産や既成の国家と宗教の廃絶、世界統一政府、〈原初の〉黄金時代の復活を説いた」。(植田,2014,pp.35-36)

過去記事で書いたように、植田氏の本にもイルミナティが本来、フリーメーソンの結社ではなかったと書かれている。

イルミナティ抜きで、この結社の誕生後に展開し始めた様々なテロ活動を考えることはできない。結社としてのイルミナティはパヴァリア選挙公カルル・テオドルによって1785年に解散させられたが、イルミナティの思想は広く拡散したのだ。

本には次のように書かれている。

彼らの規律は20世紀の様々なテロの秘密結社の内部規律に取り込まれ、革命運動の組織に多大の影響を及ぼすことになる。カール・マルクスはこれを「共産主義思想を実現するための最初の革命的組織」と評した。(植田,2014,p.37)

イルミナティについて知ったとき、思想の類似性からマルキシズムを連想せずにいられなかった。やはり、マルクスはイルミナティの影響を受けていた。

ロシアにおいて、フリーメーソンは興隆し、幾世紀にも渡って影響を与えたという。

フリーメーソンを浸蝕したイルミナティは啓明結社とも邦訳され、工藤精一郎訳『戦争と平和』でもそのように訳されていた。

しかし、イルミナティを結成したアダム・ヴァイスハウプトの著作に表れた思想は人類に光をもたらすような思想ではない。

アダム・ヴァイスハウプト(副島隆彦解説、芳賀和敏訳)『秘密結社イルミナティ入会講座<初級篇>』(KKベストセラーズ、2013)を読んだ限りでは、彼の著作はテロを目的とした堅牢、それゆえに非人間的な組織作りの指南書であるにすぎず、ヴァイスハウプトは哲学教授でありながら哲学に極めて貧弱な理解力しか持っていなかった。

ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」は、言葉だけのまやかしのものだとしか思えない。

『ロシアを動かした秘密結社――フリーメーソンと革命家の系譜』の中の次のような文章が印象的である。

 1930年代後半に吹き荒れたスターリンの政治粛正の嵐によって、アナーキストの神殿騎士団も様々なオカルト集団もソビエト社会から根こそぎ抹殺された。
 そしてロシアの大地に地下の秘密組織も反抗する者も存在しない全体主義の政治体制と平等主義の社会――均質で眠るように穏やかで静寂な精神世界が確立された。
(植田,2014,p.284)

それはまるで墓地のような精神世界であるが、要するにそれがアダム・ヴァイスハウプトのいう「〈原初の〉黄金時代」なのである。

フリーメーソンが用いたロッジという言葉は神智学協会でも用いられるが、「ロッジ(lodge)」は本来は建設現場での仮小屋を意味したという。これが転じてフリーメーソンの集会所、さらには結社そのものを指すようになったそうだ。

わたしの中でフリーメーソンという組織がどんなものなのかが曖昧だったためにこれまではわからなかったが、神智学協会とフリーメーソンの違いがはっきりした気がする。

最初にあったのが中身(イニシエート方によって示された源泉と、託された具体的な知識)だった神智学協会と、石工組合という名の器だったフリーメーソンとの違いである。フリーメーソンという器には各ロッジによって、また時代によって様々なものが盛られたようである。

こうした比較からすれば、神智学協会には宗教組織に似たところがあるが、階級制とは無縁なところはサロンに似ているし、確認作業や進歩が期待されている点では研究室に近い。

イルミナティ思想の影響を受けたリベラルが第二次大戦後、世界中に蔓延したために、伝統的な宗教・哲学、またその中心に存在してきた神秘主義が何より彼らの攻撃の的となってきたことが今やわたしには明らかとなった。

イルミナティ思想の影響を受けていることすら知らないリベラルもいるだろう。ヴァイスハウプトの著作について、ここでは内容に則した考察を行わないが、時間のあるときに改めて見ていきたいと考えている。

ブラヴァツキーの縁続きで、彼女の諸著作の深い研究家でもあったボリス・ド・ジルコフの言葉を過去記事でも紹介したが、ジルコフは「『シークレット・ドクトリン』の沿革」の中で、神智学協会について次のように述べている。

 過去に、あるいは新たに出版された著作から、又同様のことはHPBによる他の著作に関しても言えることであるが、『シークレット・ドクトリン』の主要な源泉は、集合的にはその伝達者がHPB自身であったアデプト同胞団であり、個人的にはこの同胞団に属する複数のイニシエート達であったことは明白である。そして、その方々は、伝統的に秘密とされていた知識の一部を今、我々のこの時代に明かす道を選ばれたのである。
 乗り物、あるいは器、人間が作り、故に不完全な器ではあるが、この様な真実を広く浸み渡らせるための機関が、アデプト集団の直接指導のもとに1875年創立された神智学協会である。多くの失敗や欠点をものともせず、無知や混乱に満ちたこの世界において、時代を超えるグプタ・ヴィディヤーの教えの最も優れた唱道者として、神智学運動は今もなお存続している。
(ブラヴァツキー,田中&クラーク訳,1989,『シークレット・ドクトリン』の沿革p.131)

アデプトとは「イニシエーションの段階に達し、秘教哲学という科学に精通された方を指す」(H・P・ブラヴァツキー著、田中恵美子訳『神智学の鍵』神智学協会ニッポン・ロッジ、1995改版、用語解説p.14)。グプタ・ヴィディヤーとは、霊的で神聖な知識をいう。

ブラヴァツキーの著作(論文)を正面切って論破した学術的な論文にわたしはまだ出合ったことがなく、そのような論文が存在するという情報に接したこともない。

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2016年10月 5日 (水)

二重国籍問題にメスを入れた有村治子議員(自民党) - 参院予算委2016.10.5

台湾籍との二重国籍だった民進党の蓮舫代表。

このことをきっかけとして、戦後70年も経ってようやく、重国籍問題が国会で採り上げられたというわけです。

このことは、わが国が目覚めた喜ばしい出来事であると同時に、重国籍を問題とせざるをえない危うい事態になったということでもあります。

日本国の存続ということを考えた場合、蓮舫代表の二重国籍問題から明らかになった法的不備は早急に改善されるべきでしょう。

自民党の有村治子議員が、この問題の核心をついた明晰な質疑を行っています。このような重要な質疑すら、ヘイトスピーチといわれないための工夫が必要とされるようになった日本。

本当に危ないところまで、来ているということです。

動画があったので、貼っておきます。また、冒頭の挨拶の部分だけ割愛させていただき、文字起こしをしてみました。素人の文字起こしですので、当てにはしないでください。ちょっとしたご参考までに。


国会中継 参議院予算委員会(2016年10月5日)、有村治子議員(自民党)の質疑より。

有村治子議員:(略)わたしは国籍法について、質問を重ねさせていただきたいと考えます。

 二重国籍は、国際結婚のお子さんではよくあることです。アメリカなど、出生地主義の国で出産した日本人夫妻のお子さんにも、よくあることです。その方々に対する価値観を述べるわけではないということを、冒頭、明確にして、これから質疑に入らせていただきます。

 法務大臣に伺います。日本は二重国籍等、重国籍を認めていますか。

金田法務大臣:お答えさせていただきます。わが国の国籍法は重国籍の防止、または解消をはかるという立場をとっております。

 重国籍者については国籍の選択を義務づける、これは国籍法第14条でございますが、義務づける等をしているところであります。

 そして、重国籍者は重国籍となったときが20歳に達する以前であるときには22歳に達するまで、そのときが20歳に達したあとであるときには2年以内に、いずれかの国籍を選択する義務があります。

 それにも拘らず、期限までに選択手続きを行わない場合には、国籍選択義務に違反していることになります。以上であります。

有村議員では、続けて伺います。重国籍を認めない法律の意図、その背景にある思想は何ですか。

金田法務大臣:お答えをいたします。

 重国籍者は同時に二つ以上の国家に所属をすることになります。従って、各国のその者に対する外交保護権の衝突、といったようなケースによりまして、国際的な摩擦が生ずる虞[おそれ]がある場合、あるいは、その者が各国から課せられる義務が衝突する虞がある場合。例えば、兵役義務を一方の国で課す、といったような場合であります。

 そうした場合、また各国が重国籍者についてはそれぞれ自国民として身分関係を管理をする結果、重婚が生ずる虞があるといった、身分関係に混乱が生じる虞もあります。

 そのために、わが国の国籍法は国籍の選択義務、これは国籍法第14条でございますが、これをはじめとする重国籍の解消及び防止のための制度を設けている、ということであります。

有村議員ありがとうございました。この秋以降、急激に関心が強まった二重国籍については、国民世論の中でも様々な意見が出ています。

 例えば、排外主義ではないか。排他主義ではないか。純血主義ではないか。差別ではないか。あるいは、他にも多くの二重国籍の人がいるんだから、いいじゃないか。――というような意見も出ています。

 少し感情論ではないかなあという風に、これらのコメントにはわたくしは違和感を感じます。

 二重国籍、もとより二重国籍の相手国への差別や偏見があってはならないのは、当然の国際マナーであります。心ない、感情的なヘイトスピーチも戒めたいものだと思います。

 そのうえでわたくしが思うのですが、やはり国籍の異なる夫妻の子供が両親それぞれの言語や文化的教養を身につけて、社会で多様性を発揮することはすばらしいことだとわたくし自身は思っています。

 その存在価値に何ら水をさす、そういう発言を一切しないと、首尾一貫してわたくしはこの質問を続ける中で、厳しい質問もしますが、そういう価値を明確にしながら質問を続けたいと思います。

 そこで、法務省に伺います。法務省に代表される日本政府は重国籍の方が国籍法に抵触するか否かという法的コンプライアンスの視点で対応していると理解してよろしいですか。

金田法務大臣:お答えをしたします。先ほど申し上げましたが、重国籍者の本人にとりましては、いくつかの例で申し上げましたが、具体的に問題が生じるというのは、先ほど申し上げた通りであります。

 そういう中で、わたくしどもは、勿論、法務省としては、ただいま「重国籍者を差別するものではなく」というご指摘がありましたが、勿論そういう立場に立ちまして、そして、ただいま述べましたいくつかの理由によりましてですね、重国籍の防止、または解消をはかる制度を設けております国籍法に従いまして、適切に対応をしている、というところでございます。

有村議員すなわち、重国籍に対してどう思うか、というような価値観を問うものではなくて、国籍法に抵触するかどうか、ということが焦点になっているということを明確にしたいと思います。

 続けて、法務大臣に伺います。重国籍を持っていた国民がそれゆえに困難な状況に置かれた、というようなことは、あるのでしょうか。

金田法務大臣:お答えを申し上げますが、先ほど二つ目の質問でお答え申し上げたことの繰り返しにはなりますが、やはり、重国籍者であることによりまして、困難が生じることがあるという風に承知しております。

 繰り返しになりますが、具体的にいいますと、重国籍者は同時に二つ以上の国家に所属することになりますから、例えば、日本国民である重国籍者が他国の兵役の義務を負う可能性があります。

 その場合に、それぞれの国に対する義務が衝突するという事態が起こりうるということが考えられます。

 そしてまた、重国籍者の身分関係についてでございますが、本国法として適用される法律の内容が複数あるということになりますので、例えば、国際結婚等の有効性を判断する場合にですね、運用すべき本国法によって、有効とされたり無効とされたりすることがありえるわけであります。

 このため、身分関係に混乱が生じたり、重国籍者本人が不安定な状況に置かれることがある、ということもいえると思います。従って、以上の通りですね、重国籍であることによって本人にとって様々な困難が生じうるものと承知をしております。

有村議員例えば、両国間に戦争が起こったとき、どっちの国に忠誠を誓うのか、というようなことも問題となってきます。あるいは重国籍の方からお話を訊きますと、どちらの国に行っても外国人じゃないかというレッテルを貼られるのはつらいという意見も聞いたことがあります。

 次に国家公務員の資格について、伺います。人事院規則は国家公務員法について、「日本国籍を持つ者でなければ、採用試験を受けられない」としています。

 数ある国家公務員の職務の中でも、とりわけ外交官は外務公務員法によって日本国籍以外の国籍を同時に持つこと、重国籍であることが禁じられています。なぜ、このような規制があるのでしょうか。外務大臣に伺います

岸田外務大臣:外務公務員ですが、これは勤務地が世界各地に渡るため、その際に不都合が生じないような特例が必要です。また外務公務員の職務と責任は対外的、国際的であり、外国との関係で格段の注意を必要といたします。このような事情から、二重国籍者が外務公務員になれないことを、国家公務員から切り分けて、外務公務員法で特別に規定をしています。

 不都合の例としましては、例えば、外交官が赴任国の国籍を有する場合、赴任国において、裁判権からの免除、あるいは不可侵、こういったものに制約が生じる、そういった可能性もある――このように考えております。

有村議員:先だっての参院予算委員会で、外務大臣はなぜこのような措置がとられているのか、外務公務員法の重国籍禁じる措置があるのかという下地先生の質問に対して特に国益をかけて仕事をしなければならない特殊性に鑑み措置をしていると答弁をされています。

 その通りだと思います。けれども、そのような特殊性に鑑み仕事をしている方々は外務省職員から大使に至るまでの方々だけだろうか。外交官、指揮命令系統のトップに立つ外務大臣の二重国籍を禁じる法律は現在ありません。

 国益と国益が正面からぶつかり合い、激しい心理戦、情報――諜報戦、多数派工作が日常的に繰り広げられている外交のトップをなす外務大臣が果たして二重国籍であって、勤まるのでしょうか。

また、二重国籍であっても外務大臣になれてしまう、なることができてしまうという現在の法制度について、どのようにお考えになりますか。

岸田外務大臣:ご指摘の通り、外務大臣は外務公務員法における外務公務員に当たりませんので、二重国籍を認めない、という要件は適応されません。

 今の日本のこの制度においては、外務大臣を含め、国務大臣への就任については、まず当然に日本の国籍を必要とする、このように解されています。

 そして、そのうえで、この国務大臣、外務大臣をはじめとする国務大臣については、内閣総理大臣が任命するということになっています。

 よって、この日本国籍を必要とする、この要件のうえに内閣総理大臣がこの適材適所の考え方から、誰をどういった大臣に任命するのか、これを判断する、こういった制度になっていると認識をしております。

有村議員お答え、ありがとうございます。総理大臣が指名していれば、外務大臣が二重国籍にはならないというわけには、必ずしも論理的にはなりません。

 実際に、総理の過去のご答弁では、閣僚を選任されるとき、指名されるときに二重国籍かどうかということを特段チェックしていません、という総理のコメントがあります。

 そんな中で二重国籍の方が外務大臣にもなれてしまうというところに、国家機密を守る、その特殊性に鑑みての法的な脆弱性はないのでしょうか。

安倍総理大臣:確かにですね、有村議員のご指摘は一理あると思います。外務大臣、あるいはこれは副大臣、政務官含めてこれは議員がなるわけであります。総理大臣もそうでございますが、外交交渉はまさに、国益と国益がぶつかることになるわけでございます。

 そうしたことについてですね、果たしてどうだろうか、ということになるわけでございます。しかし、これはまあ国会議員のですね、資格でありますから、まさに政府で、これは大臣だからどうかということで考えるのがですね、いわば、それが大臣あるいは総理大臣に就任する国会議員としてどうか、ということもございます。

 国会議員ということであれば、これは、院において、国会議員の身分に関わることですから、国会においてご議論をいただきたい、と思うわけでございます。

有村議員外交は厳しいなあと改めて思います。

 二重国籍の日本人でなくても日本の外交官が狙われる厳しい現実がございます。今から12年前には、シャンハイにあった日本の総領事官で、中国と本国外務省との通信を担当する電信員が中国の諜報機関の関係者と思われる方のターゲットになりました。

 おそらくは、その通信上の暗号解読の情報を狙われていたと思われます。この日本人の外交官は国を売ることはできないといって、自らの口を封じるために自殺をはかっています。

 そのくらい厳しい外交の現実でですね、やはり外交のトップに立つ方が二重国籍でないというのは国民に対する忠誠の誓いだと思われますが、外務大臣、如何でしょうか。

岸田外務大臣:まず制度につきましては、先ほど説明をさせていただいた状況にある、日本の制度は説明させていただいた通りであります。そして、外国に関わる者の厳しさ、員のご指摘の通りだと思います。

 そのトップに立つ外務大臣という者、その厳しい、そして重たい責任をしっかり自覚して、職務にとり組まなければならない、それはご指摘の通りだと考えます。

有村議員時間になりましたので、これから残りは明日の朝の9時からにしたいと思いますが、自衛隊、防衛省職員の二重国籍を禁じる法律も現在はないということを申し上げて、明日の9時に残余の質問をさせていただきたいと思います。



※コンプライアンス=法令遵守

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2016年10月 3日 (月)

自分の顔の変化から連想したピーテル・ブリューデル「乾草づくり」

中学時代からの友人2人と11月以降、博多で会うことになった。友人はもう一人いるのだが、東京在住なので来られない。

九州の異なる三県から集まるとなると、博多で会うのが一番便利だ。

ずいぶん久しぶりに会うことになるので、前に連絡をとったときに一人に「顔変わった?」と訊いたら、「整形したわけじゃないから、変わってないわよ」との返事。

いや、整形してなくったって……。

わたしは変わった。夫が不品行を働いたときから明らかに顔が変わっていき、不細工になったと思う。自分でいうのもナンだが、独身のころは可愛いといわれたほうで、それまでは無難に年を重ねていた。

それが、何か顔にされたかのような忌まわしい爪痕が残り、表情が何より違う。

顔の部品がバラバラになったのをかろうじてまとめたものの、元の形には戻せなかったといった変化と、表情から濁りと険がもうどうしても消えなくなってしまったのだ。

年をとったための単なる劣化とは明らかに違い(それもあるけれど)、これは精神面から来たものだろう。日本の文学界への不信感と、老年になってから新たな自立を迫られそうな生活不安が嫌な表情の変化をいよいよ強めた。

幸か不幸か、結婚してから険が見られるようになった顔の例は周囲に結構見つかる。そうなった決定的な原因は様々かもしれないが……

わたしは中野孝次『新装版 ブリューゲルへの旅』(河出書房新社、1993)の中の次のような解説を思い出した。「乾草づくり」と題された絵の解説の一部である。

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ピーテル・ブリューデル(1525/1530–1569) 、乾草づくり、1565

女たちはたぶん、祖母、娘、母だろう。娘はあどけないまるい顔を、ほほえみかけるように、こっちに向けている。(……)よく見れば画面の諧調のもととなっている三人の女たちも、ブリューゲルの他の人物の醜さに通じる人生の重さ、苦しさの痕跡を免れているわけではなかった。母親らしい中年女は、あどけない顔をこっちに向けている娘の傍で、きっと前方に目を据えている。かつては娘と同じようにみずみずしくまるかった顔は、いまは骨ばり、逞しくなり、疑り深いその目は、もう何事にもだまされぬぞ、甘い良いことなどこの世に期待していないぞ、といっているかのようだ。老婆は、喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動ぶりで、前を見ている。画家はまるでこの三人の女によって、一人の女の一生を暗示しているかのようである。そしてそれが語る言葉は、「生ハ険シ」だ。(中野,1993,pp123-125)

この本をいつ購入したかは記憶にないが、出版年からすると、わたしはまだ若かったはずだ。そのとき、解説に鮮やかな印象を与えられたことを覚えているが、絵に描かれた母と祖母の表情の変化に関してはまだ他人事であったと思う。

今は絵に描かれた母のようであるわたしの顔も、やがては祖母のような「喜怒哀楽の情からさえ解放されたような諦念しきった無感動」な表情になるのだろうか。そのときにはもう棺桶に片足を突っ込んでいるのだろう。

そういえば、最近、美容整形が流行しすぎている気がする。

別人のように見える女優さんや、同じような系統の顔をした美貌の女優さんが増えた。最初はハーフが増えたのかと思ったのだが、どうやら美容整形を受ける人が増えたということのようだ。

この街にも美容整形外科は多い。顔を変えすぎたためのアイデンティティーの問題が生じることはないのだろうか。

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2016年10月 2日 (日)

Windows 10 の「アニバーサリーアップデート」を妨げていたセキュリティソフト。エアコンの室外機と鳩。

マイクロソフトから通知が来ていた。

8月2日に公開されたWindows 10 Anniversary Update(バージョン1607)。

そのアップデートに失敗したらしかった。 なるほど、「Windows 10 バージョン 1511(ビルド10586)」のままだった。

再度アップデートしようとすると、作業が中断してしまう。そこで、「Windows 10 Anniversary Updateを今すぐ入手」ページから、手動でダウンロード、インストールすることにした。

この作業が長い、長い。なんて時間がかかるのだろうと呆れ、昨日は雑用がいろいろとあったので、それが済んだころにはアップデートが成功して作業が終了していることを期待しつつ、家事に勤しんだ。

その雑用の一つ、ドバトの話。

ここに引っ越してきて今年の12月で12年になり、その間鳩たちには悩まされてきて、夫とドバト対策をほどこしたりした。

その後も鳩がお隣の物置にとまっているのは相変わらずで、追い払うのにも疲れたころ、常連の鳩たちは比較的おとなしくしてくれるようになり、あまり迷惑をかけられないとなると、親近感が湧く。

ところが、昨日の早朝、ベランダに出ると、エアコンの室外機周辺に生々しい糞が点々と落ちているではないか!

いつベランダに侵入したのだろうと思いながら、とりあえず掃除をしようと、アルコール除菌をスプレーしたあとで糞を拭おうとしたときだった。

バサバサッと音がした。ギョッとして思わず後ずさりしてしまった。すると、室外機の隙間から子供の鳩が出てきた。人間でいえば、中学生くらいだろうか。新顔だ。

か、可愛らしい……! 思わず写真を撮ろうと携帯をとりに部屋に入ったら、その間に子供の鳩は飛んでいったらしかった。

お隣の物置には、常連の一羽が座っていて、他人事のような様子で一部始終を黙認(?)していた。

その常連の鳩はわたしが「あの子の子」と呼んでいる気品のある鳩ではないけれど、その常連鳩にはこちらも慣れっこになってしまった。毎日のようにやってきてはお隣の物置の上でしばらくくつろぎ、飛んでいく。

室外機の裏側にも、同じ子供の鳩のものらしい糞が点々と落ちていた。当分は警戒して、室外機の隙間を覗くようにしたいと思う。

このベランダの掃除や、天気が悪いのでアイロンがけ(これを書いている今は天気がよい)。洋服ダンスの防虫剤が有効期限を過ぎていないか確認していたら、ろくに着ないままで黄ばんでしまった服が目に入り、染めたくなった。

前にも染めたことがある。もう一つだったので、それに関する検索をしたいと思い、パソコンを見たら、作業は続いていた。

その後、夕方になってパソコンを見てみると、まだやっているではないか。しかも、何時間もかかった挙句に「以前のバージョンのWindowsを復元しています」という表示が出ているのを見たときには愕然とした(>_<)

しかも、その復元さえうまくいかなかったらしく、作業を中断したままで解決をこちらに丸投げしてくれたのだった。

示された解決策のうち、マイクロソフトのほうのは役立たずだった。メーカーに解決策を求める提案のほうは Windows 7 からのアップグレード後、わたしのパソコンはメーカーのサポート対象機種ではなくなったはずなので、もう相手にしてくれないのではないかと思いつつ、そちらもクリック。

パソコン診断が始まり、パソコンに異常は見つからないと出た。そして、誘導によって以前のバージョン 1511 に戻った。

今回のアップデートはわたしのマシンには無理なのだろうかと考えたものの、釈然としなかった。「この PC は Windows 10 と互換性があります」と出たのに……

ふと思った。もしかしたら、セキュリティソフトが邪魔していないだろうか?

同じケースがないかググると、あった。

そこで、セキュリティソフトを一旦終了させた。そして、今度は「Windows10 アップグレード アシスタント」からアニバーサリーアップデートを試みたら、成功した。今回も時間はかかったが……

それに、ネットワーク設定もやり直さなくてはならず、パスワード(無線親機のセキュリティーキー)の入力を求められた。

セキュリティソフトのほうは自分のほうから働く設定に戻っていた。

次回のアップデートのときには今回のことは忘却しているに違いなく、またあたふたしそうだ。この記事を見ることを思いつけばいいのだが。

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2016年10月 1日 (土)

秋刀魚

今日から萬子媛の小説の改稿に入る予定で、「般若心経」を唱え(暗誦はまだ無理だが、スラスラ唱えることはできるようにはなった)、前にざっと読んだ講談社学術文庫の中村元『古代インド』を読んでいたら、不思議な記述に二つ当たった。

そう確か、前に読んだときも「えっ?」と驚き、しばらく考え、考えてもわからないので、そのまま通過した箇所だ。

原始キリスト教の謎とリンクする部分でもあるので、あとで引用しておきたい。過去記事で書いたフリーメーソンの流派についてのメモもまだだ。

小説の改稿では、まずは作品に特に欠けていると思える部分を丁寧に埋めてみることにした。うーん、書けるだろうか。

今日はメモを含めていろいろな作業を行うはずが、雑用に追われて時間がとれなかった。

脂がのって美味しかった秋刀魚の写真でもアップしておこう。

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