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2016年9月 8日 (木)

トルストイ『戦争と平和』 ③イルミナティ……主人公ピエールとローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老

②でわたしは『エレナ・レーリッヒの手紙』(ジェフ・クラーク訳、竜王文庫〈コピー本〉、2012校正版)からエレナのフリーメーソン批判を引用した。

さて、フリーメーソンの支部について。もちろん、その中にまったく政治的なもので、非常に有害な支部もあります。ある国々では、フリーメーソンのほとんどの活動は退化して、見せかけのものになってしまいました。初期にきわめて美しかった高尚な運動がこのように歪められてきたことは、たいへん嘆かわしいことであり、大師方はそれについて言い表わせない悲しさを感じます。 (クラーク訳,2012,p.73)

別の手紙にも同じ趣意の文章がある。

初期の頃のフリーメーソンは輝かしくすばらしい運動であり、大師方によって指導されることがよくありました。特に、そのような時には、教会の指導者達からの迫害が激しくなりました。しかし教会がキリストの清い教えから離れたように、現在のフリーメーソンも初期のすばらしい教えから離れてしまいました。どちらのほうにも、命のないドグマと儀式という抜け殻しか残っていません(もちろん、例外も少しありますが)。(クラーク訳,2012,pp.126-127)

エレナ・レーリッヒがモリヤ大師からアグニ・ヨガの教えの伝達を受け始めたのは、1920年代からである。夫ニコラスに同行した1923年からの5年間に渡る中央アジア探検後の1928年、『アグニ・ヨガ』が出版されている。エレナの死が1955年であるから、フリーメーソン批判を含む手紙はその間に書かれた。

1920年代にはアメリカの経済的大繁栄、ソビエト社会主義共和国連邦 (ソ蓮)の成立、1930年前後には世界大恐慌が起き、1939年から1945年までの6年間に第二次世界大戦争、1950年代は冷戦の時代であった。

ところで、次の過去記事で言及したマンリー・P・ホール(1901-1990)の象徴哲学大系は神秘主義を知りたい人のためのガイドブックといってよいシリーズである。

マンリー・P・ホール(吉村正和訳)『フリーメーソンの失われた鍵』(人文書院、1983)によると、21歳でこの本を書いたホールがフリーメーソンになったのは1954年のことだったという。メーソンとなったことで、メーソン結社に対して彼が長い間抱いていた賞賛の気持ちは深くまた大きなものになったのだそうだ。

1950年代には、フリーメーソンが置かれた状況は好転したのだろうか、それともホールが所属した支部は例外的にすばらしさを保っていたのだろうか(例外もあるとエレナ・レーリッヒは書いている)。

エレナ・レーリッヒのいう政治的な、ひじょうに有害な支部というのは、イルミナティに乗っ取られて本来のフリーメーソンリの支部とはいえないものになっていたのだろうか。何しろイルミナティは、1822年のロシアで、政府が禁止令を公布せずには済ませられなかったほどの革命思想を持つ、政治的な結社だったはずだからである。

しかし、エレナの手紙にイルミナティという組織名は出てこないので、政治へ傾斜を深めた原因がイルミナティだったとは限らない。

ただ、本来のフリーメーソンが政治を目的とした組織ではないということ、また支部によってカラーの違いがあるということが手紙からはわかる。

イルミナティをつくったヨハン・アダム・ヴァイスハウプト(Johann Adam Weishaupt,1748-1830)は、バイエルン選帝侯領(神聖ローマ帝国の領邦で、バイエルン王国の前身。現ドイツ・バイエルン州の一部)の都市インゴルシュタットの出身である。

インゴルシュタット大学の教会法の教授と実践哲学の教授だったが、彼はイエズス会が運営する機関で唯一の非聖職者の教授であった。1776年に啓蒙主義的な同盟をつくり、のちに同盟はイルミナティと名称を改めた。

ちょっとメモしておこう。

フランス革命は、イルミナティの設立からおよそ10年後に起きた(1789-1794)。
イルミナティのメンバーだったといわれるモーツァルト(1756-1791)。
カール・マルクス(1818-1883)
トルストイ(1828-1910)。
ロシア革命(1917)。

トルストイは、ロシアのフリーメーソン再興期にローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老として活動の中心にいた実在した人物を次のように描いてみせる。トルストイ(工藤精一郎訳)『新潮世界文学 17 トルストイⅡ』(新潮社、1970)から引用する。

旅行者は骨太のずんぐりした身体つきの、しわの深い、黄色っぽい顔をした老人で、灰色の垂れた眉のかげから、灰色がかった何色ともつかぬ目がきらきら光っていた。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.407)

その聡明そうな、胸の底まで見透かすような、鋭い眼光が、ピエールをたじろがせた。彼はこの老人と話をしてみたくなった。そして、旅の様子でも聞こうと思ってそちらへ身体を向けると、老人はもう目を閉じて、アダムの首を彫りつけた大きな鋳鉄の指輪を片方の手の指にはめている。年寄りくさいしわだらけの腕を組んで、身じろぎもせずにじっと座っていた。老人は休息しているようでもあり、深いしずかな瞑想にふけっているようにも、ピエールには思われた。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱpp.407-408)

ピエールが老人に向けていた目をそらしかけると、老人はおもむろに目を開けて、てこでも動かぬ鋭い視線をひたとピエールの顔にあてた。/ピエールは内心の狼狽を感じて、この視線から目をそらそうとしたが、きらきら光る老人の目が抗しがたい力で彼を引き寄せていった。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.408)

「わたしの思い違いでなければ、ベズウーホフ伯爵と言葉を交わす喜びを恵まれたわけですな」と旅の老人はゆっくりと大きな声で言った。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.408)

そして、老人とピエールの会話が始まる。ピエールは老人の指輪にフリーメーソンのマークであるアダムの首を見てとり、フリーメーソンの会員かと尋ねる。

「そうです、わたしは自由な石工たちの組合に属しております」といよいよ深くピエールの目の中へ視線を透しながら、老人は言った。「だからこうして、わたしからも、組合からも、あなたに兄弟の手をさしのべているのですよ」(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.409)

ピエールはベズウーホフ伯爵の庶子であったが、伯爵は彼を嫡子にすることを嘆願した上奏文と遺言状を残して亡くなり、ピエールは莫大な財産を相続していた。また、妻の不義を疑い決闘するという醜聞沙汰を起こしていた。老人はピエールの噂を耳にしていたのだった。

フリーメーソンの信仰を嘲笑してきたピエールは、老人との議論に惹き込まれる。老人はいう。

誰も一人で真理に到達することはできません。人間の祖アダムにはじまって今にいたる、幾世代にもわたる何百万、何千万という人々が、みんな参加して偉大なる神のお住居[すまい]にふさわしかるべき神殿が築き上げられるのです。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.410)

それに対して、ピエールは「おことわりしておかねばなりませんが、ぼくは信じてないのですよ、その神とやらを」と返す。老人はしずかに微笑し、諭す。

あなたは神を知らない、伯爵、そのためにあなたはひじょうに不幸なのです。あなたは神を知らない、だが神はここにいるのです、神はわたしの中にいます、神はわたしの言葉の中にいます、神はきみの中にいる、きみがいま口にしたその不遜な言葉の中にすらいるのですぞ。(トルストイ,工藤訳,1970,Ⅱp.410)

ローゼンクロイツェル系フリーメーソンの長老、ヨシフ・アレクセーエフの諭しは、完全に神秘主義的な内容である。

ピエールがフリーメーソンとなり、さらにはイルミナティに染まる過程を次のノートで追ってみたい。

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